ISO的なもの

アニメ業界の撮影技法には、ナゾが少なからず存在し、地域によって定義がまちまちなものがあります。

例えば、「付けPAN」と「FollowPAN」の問題。

2つは「同じだ」という現場と、「使い分けるべきだ」という現場で、まちまちです。

私が聞いた事があるのが、大判が付けPANで、スタンダードサイズがFollowPANだ、‥‥という俗説です。そんな事を平然という人は、AVCHDのムービーカメラを持って、実際に撮影して、実写から学んでください。

付けるという日本語、Followという英語。何だか、くだらん「言葉遊び」のレベルです。

しかし、誰も明確に定義しないので、何となく毎回受け流して、結果オーライで何十年も続けてきたのです。日本人って、ある意味、すごいよネ。

でも、新しいアニメーション制作では、そんな事はないように標準化機構を働かせようと考えています。中規模の工房レベルであっても、毅然とした用語の統一はなされるべきでしょう。もちろん、用語だけでなく、様々な事も‥‥です。例え、小さな路地であっても、迷わずにスッと目的地に行けたほうが良いですよネ。

情景を左から右へと眺める時、PAN(カメラを振る‥‥という意味)でも良いし、ドリーで移動しても良いし、ドリーで移動しつつPANしても良いし、色々な方法があります。しかし、どれも見た目の雰囲気はかなり異なりますから、演出的意味合いも差異が生まれます。

新しいアニメーション作品のフレームワークは、まさに作品を作るために存在するのですから、演出的な要素を具体的に記述するための用語辞書は必須です。人それぞれで解釈の大きく異なる曖昧な用語を、何となく許可して放置するなんて、ありえません。

制作の骨組み、フレームワークが足手まといになるなんて、笑い話ですからネ。

‥‥でもまあ、最近私が思うのは、絵という世界の中で、何でもかんでも「カメラでものを考える」のも、なんか妙な話だな‥‥という事です。絵をわざわざカメラの限界の中に封じ込めるのって、過渡的なアプローチだよな‥‥と思います。まあ、今までずっとカメラでものを考えてきたので、カメラのファインダーの癖はそうそう抜けないんですが、もっと他のアプローチがあると考えています。

ただ、一方で、私の頭の中で動く映像は、どこか実写と絵の「アンドロギュニュス」的な容姿を持つので、カメラやファインダーという視点は、「ホルモンバランス」として残しておいても有用ではないか‥‥と思う事もあります。

フレームワークは、そうした「作品表現の振れ幅」も含めて、形を成していくべきだとは思います。まあ、未知な要素を先読みで配置するのが難しいのは、重々承知していますが。

*ちなみに、PANはカメラを左右に振る事‥‥としていますが、意訳である事はご承知ください。PANには、「見渡す・眺める」的な意味合いも含まれると思いますが、ここでは物理的な動作のみをピックアップして、用語として引用しています。

業界

「アニメ業界」って、制作会社各社から立ち上る「蜃気楼の集合」のようなもんだよね。実は「体」はなく「像」だけがある‥‥という。

いわば、幻ですよ。

周囲が「アニメ業界標準のコンポジットはレタス」とか言ってた時に、私は一切レタスを使わず、After Effectsだけでこなしてました。レタスとAfter Effectsを併用するより、効率的で生産性が高いと思ったからです。‥‥ですが、今や「After Effectsは業界標準」で、「After Effects以外は使っちゃいけない」ような雰囲気すらあります。誰が決めたんでしょうか?‥‥アホらし。

「アニメ業界」なんて、そんなもんです。誰がリーダー(決定権を持つ人)なのか、誰が窓口かも解らず、誰が責任をとるわけでなし。アニメ業界をさも実体があるように論ずる人は多いけど、実のところ、実体などなくて、何と無い雰囲気の集合のようなもんです。空気のように軽く流されやすく、尻馬にのるように、安易な方向に吸い寄せられていく。

言い草、話のとっかかりとして、「アニメ制作会社の平均的な傾向」として「アニメ業界」と言うのならともかく、組織体であるかのごとく「アニメ業界」と表現するのは、結局のところ的外れです。アニメ業界にはISOのような機構も一切無い訳ですから(‥‥考えてみれば、オドロキの事実ですネ)。

アニメ業界なんていう実体のないものに安堵感や危機感を感じるのはやめましょう。自分自身こそ、屋城ですよ。

まずは自分の手が届くプロジェクトに、今後のすべき事を、実施するのが良い‥‥と思います。アニメ業界なんて眼中から外してネ。

工数

すごく基本的な話ですが、作業の工程数が多ければ多いほど、作業費がかさんで、高いコストになるのは当然の事です。総予算を変えずに、工程数を多くした場合は、各工程の単価を下げざる得ません。簡単な算数の問題ですネ。

例えば、1つ3000円のショートケーキなんて、ギョッとしてしまいます。「品質の高いものを作るためには、数多くの行程と人員が必要であり、そのくらいの値段設定になってしまいます」と現場が訴えても、「しかし、その値段では買い手がつかない」で、話は平行線のままでしょう。

私も現場の人間ですから、作業内容の難易度が高くなり、手間も増えれば、作業費を高くしてほしいと思います。しかし、一方で、その論調の行き着いた先には、最低5〜6千万円の予算が無いと、30分枠のテレビ1話分が作れない‥‥なんていう事態が待ち受けているんじゃないかと考えます。アニメは恐ろしくお金のかかるコンテンツだ‥‥という事になります。

まあこれは、オーガスティンの法則のジョークを地でいく話ですから、実際にそうなる(=予算は膨れる一方となる)とは思いませんが、現場の意識としては決してジョークではないでしょう。

「いや、そのくらいお金をかけるべきだ」なんて言う人もいるかも知れませんが、私が思うに、大金がかかる買い物は極めて慎重になる=保守的なチョイスが支配的になる‥‥という図式に当てはまり、以前の成功例にすがるだけの企画しか生まれない‥‥なんて言う事になりかねないと感じます。

アニメはお金がかかるので、成功例のある保守的な内容の企画しかできない

‥‥どんどん、そんな風潮に傾いていくように思うのです。そして、現場が満足するようにタップリとお金をかけた「どこにでもありそうな似たような」作品群が、四方八方でコケまくったら、やがてアニメはあきれられて、作られなくなるようにも思います。あくまで、最悪の予測ですが。

アニメ業界って、予算云々の話はよく聞きますが、工数についての話題ってまるで聞きません。今ある所帯をどう保つかが、優先されるから‥‥なんでしょうかね?

10万円の仕事があった時、5人で手分けすると、ひとり2万円です。しかし、技能の高い2人で作業完結できるならば、ひとり5万円ずつ手にできます。しかし、「作業の慣習上」必ず工数は5と決まっているので、ひとりあたり2万円しか稼げない事に決められています。

‥‥う〜ん。絵に描いたような構造上の欠陥。ビンボーになる事を宿命づけられた、呪われたフロー。

この悪しき構造は、各個人の向上心さえ奪っていきます。「どんなに頑張って自分の能力を上げても、報酬はずっと同じで変わらないんだ」と、どんどん心を蝕んでいきます。そして、「だったら、テキトーにこなして、楽した方がイイじゃん」と、腰掛けスタッフをどんどん量産していきます。

結果的に、成果物のボルテージ低下へと繋がっていき‥‥、負のスパイラルの始まりです。

アカンね。

まあ、他はどうでも、自分がメインで関わるプロジェクトは、できるだけそのような悪しき構造から抜け出るように仕向けていく所存です。

まずは、現業界のフローにどっぷりと浸かってちゃダメですわな。技術レベルや作業スタイルがコンピュータの導入により変化しているのに、漫然と無視し続けていますからネ。‥‥まあ、無視する事で、昔のプロポーションを維持し続けているのだとは思いますけども。

工数とか、人員とかを見つめ直さないで、コストの話をしたって、白々しいを通り越して、マヌケですらあります。‥‥で、工数や人員に変動があるという事は、作り方も変わるはず‥‥ですよネ。

*オーガスティンの法則
航空機のコストは10年毎に4倍になっている。という事は、2054年には、戦闘機1機の値段が、アメリカ全国防予算と等しくなる。‥‥という皮肉をこめたジョーク。実際にF-15の頃まではそのように推移していましたが、‥‥F-22やF-35の現在はどうなんでしょうかネ。
‥‥ちなみにオーガスティンの法則について、ネットで調べたら、1984年にロッキードのノーマン・オーガスティン氏が‥‥とか書いてありましたが、昭和56年(1981年)の航空雑誌に既に記載されています。ネットの情報って、「それなり」レベルで受け取っておかないとダメっすネ。


小さい頃からの夢

子供の頃に思い描いた夢、例えば、アニメーター・アニメ作家になる‥‥という夢は、多くの人が何らかの理由により、「あきらめた夢」の代表格かも知れません。しかし実は、夢を実現する以上に辛辣なのは、「夢を実現した後の事」です。

自分で描いた絵を思いのまま動かしたい
自分の空想世界を映像化したい

アニメーション個人作家にしろ、アニメ業界のアニメーターにしろ、「絵を動かせて100%ハッピー」なんていう期間は1〜2年で過ぎ、「自分の夢の限界」を思い知るようになります。商業アニメーターはもちろん、個人作家だって、「アニメだけで喰う」のならば、自分の好きな仕事ばかりをチョイスするわけにはいきません。「金額の交渉」とか「請求のタイミング」など、「夢の中には出てこなかった要素」をちゃんとさばいていかないと、あっというまに息切れして自沈します。

私は小学生の頃からアニメを作りたいと思っていましたし、実際にその意思を実現した訳ですが、「小さい頃からの夢をかなえた」なんていう甘い味覚のディテールとは真逆の、辛辣な道のりでした。アニメーターになってから、叶えたはずの小さい頃の夢は、一度「完全に朽壊」していますしネ。

夢を叶える‥‥なんていう、「夢」を「点」で見定める視点は、それこそ「夢を叶えた事が死刑宣告だった」なんていう状況に自分を追い込みかねないです。自分の崇拝する絶対神が自分を滅ぼすハルマゲドンだった‥‥なんてネ。

叶える‥‥という考え方・思い込みが、そもそもの、破綻の原因だと思います。

夢だとか希望だとかを考えるならば、それらを静止した点で捉えるのはマズいやりかたです。「偶像崇拝」も、いかにも限界点が低く、安易に破綻するケースですネ。

小さい頃、はたして「明確な理路整然とした夢」が存在してたのか。

絶えず、揺らいで、動いていたような気がします。

それをいつしか、「俺の夢」「私の夢」とか言って、解りやすいように「型枠」で固着させて、そして20代くらいになって「型枠」から逃れるために自爆スイッチを押す‥‥訳です。滑稽な自作自演。

夢って、理解して制御しようとしたらアウトだよネ。ある程度は泳がせないと。‥‥でも、まるっきり自由にしちゃうと、人生80年のスパンでは何も手にできないので、「整流」するくらいがちょうど良いのかも‥‥と、ふと45年の人生を振り返って思います。

風邪ひく

38.4度の熱が出て、病院にいきました。案の定、インフルエンザを疑われて、検査をしたら、AもBも陰性で、とりあえず安心。

抗生物質やら何やらいっぱい処方してもらって、さすがに市販薬とは段違いの効き目で、随分楽になりました。

最近、根を詰めて作業してたのが、マズかったか。‥‥まあ、1日24時間しかないのがもどかしいくらい、あれこれやってましたからネ。

ただ、無理して進めても、結局クラッシュするのでは意味が無いです。もっと、やり方を考えねば。。。

長所が弱点、弱点が長所

常日頃、ふと思うのは、長所は得てして、弱点になると言う事です。そして、ややこしい話ですが、「長所は弱点」だと言う事をしっかりと認識すると、「弱点が、強力な武器となる」という事です。トンチみたいな話ですネ。

手描き絵も3Dも、おしなべてそうです。近年、3Dが台頭して、従来の手描きの絵のテリトリーまで進出してきました。3Dの持つ「手描きでは難しい様々な要素」に対して、「手描き陣営」が少なからずコンプレックスを抱くのだとしたら、それはとても滑稽な事です。「完璧なパース」「正確な立体」「計算による精緻な質感表現」‥‥これって時と場合によっては、アドバンテージなんかではなくて、すごいハンデじゃない? 特に、メインの被写体においては。

「立体造形の理屈なんてどうでもいい。このショットで最高の表情が欲しい」

「ツジツマよりも、フレーミング、絵のレイアウトを優先したい」

「計算ではこのようなライティングになるんだろうけど、それはかえって不都合。瞳は輝いて見えてほしいけど、肌がテカり過ぎるのはNG。ソフトウェアの都合なんかより、絵の美しさを優先してくれ」

このようなオーダーの時、3Dの長所だと思っていた各要素が、いきなりハンデへと転じ、3D構造による制御は「狼狽」の連続となります。リカバーは可能でしょうが、2Dソフトウェアで「強引なリカバー」をするのは、本末転倒とも言えます。

じゃあ、手描きだと何でも出来るのかというと、そんな事は無いですよネ。

「ディテールたっぷりの、泥だらけの戦車が、走り回る」

「巨大戦艦の、尺たっぷりのゆっくりとした、船体の角度変化」

「300人の群衆と、無数の紙吹雪。道の中央で凱旋パレードする車両」

‥‥まあ、無理です。チャレンジしても散々な結果で終わるでしょう。無茶して「伝説の1カット」を作ったとしても、それは常用できません。もちろん、3Dでも大変な内容ではありますが、作画だとよほどの省略をしない限り、絶望的です。

また、手描きの絵は、自由に描けるのと同時に、形崩れと隣り合わせです。形崩れがあるからこそ、表情やニュアンスが出るのですが、まさに絵に描いたような諸刃の状況です。

3Dは、3Dである事が弱みとなる。同じく、手描きは、手描きである事が弱みとなる。‥‥なんと言う皮肉。

しかし、自身の長所が弱点にもなりえると強く実感した時、逆にその「賢い活用法」も見えてきます。すなわち、「表現技術に基づいた、新たな演出法」が、「弱点に転じた長所を、再び長所へと戻す」役割を担うわけです。

ご存知とは思いますが、アニメの演出法は実写とは異なります。尺も、フレーミングも。‥‥これは、先人たちが、アニメ絵のなんたるかを、演出の技法へと取り入れた成果であり、いわゆる「アニメの雰囲気」は演出法に因る事がとても大きいのです。仮に実写で、同じ尺感覚、同じフレーミングにしてみれば、どれだけ違和感があるか、よく解ります。

例えば、出崎統さんの演出法は、アニメ絵の「限界」を、アニメ絵の「大きな魅力」へと180度転じた、すごい発明と言っても言い過ぎではありません。アニメ絵ってかっこいい、でもいざ扱ってみると限界も色々ある、しかしそこであきらめず、限界を逆手に取って演出法にしてしまう‥‥というような案配ですネ。

3Dを何かの代用にしようとした時点で、新しい演出法など築けないし、アニメをアニメとしか感じないセンスで接していたら、やっぱり新しい演出法など考えもつかないでしょう。

「Think Different」‥‥懐かしいフレーズですネ。

慣習に囚われず、色々な角度からモノを見る事が出来る人だけが、1次元的な「長所・短所」を結んだ視点から脱し得て、新しい何かを手に入れられる‥‥のかも知れませんネ。

時には自分の土台すら「Think Different」が必要かも知れませんが、大きな集合体だったり、または守るべきものが存在すると、中々、実行できないのも事実ではあります。

めまぐるし

この数週間、仕事内容でめまぐるしい日々が続いております。しかし、このブログでは、仕事の内容や作業についての云々は書かない方針なのです。アニメ・絵で言いたい事があれば、作品に込める、もしくはコラムなどのまとまったコンテンツにすべきと、前ジオログで決めたのです。

なので、ここではボヤくだけです。

ゴリゴリのメカを描いた直後に、ほんわか家族を描くのは、中々に自分を試されているようで笑けてしまいます。トライアスロン(やったことは無いですがイメージとして)のような日々。全速で泳いだ直後に、今度は自転車で全力疾走なんて、普通しないわな。

そんなハチャメチャな時は、やっぱり音楽です。メンタルを鎮静化して平常化する作用があります。私は何もクラシックばかり聴くわけではなく、ポップスも歌謡曲もロックもスラッシュもジャズもフュージョンもラテンもアニソンも聴きます。

実はクラシックばかり聴いていると、似た傾向の感情になりやすいので、特に仕事がヤバい時は、アニソンを聴きます。私が小さい頃の‥‥です。あの俗っぽいところ(失敬)が逆に良いのです。なぜ、アニソンが私に「効く」のかは、自己分析はおおよそ済んでいて、「アニメが好きだった小さい頃の感情」が呼び覚まされるからです。

やっぱり、なんだかんだ言っても、アニメが好きじゃなきゃ、こげな仕事、選んでないしネ。

やりたい、作ってみたいアニメは、子供の頃とはかけ離れていますが、結局はアニメが好きですからネ、わたくし。

ジオログからJUGEMのブログへ

大体、このJUGEMの感じがわかってきました。

うーん、ジオログに比べて、遥かに高機能。

カテゴリを自分で設定して分類して、文字列検索もできる。もう、それだけで全然充分です。

このJUGEMのブログ、プログラム・システムを組んだ方の心配りが感じられます。適度に簡単で、適度にイジれる。ソリューションって、開発した人々の「感じ」が表に出るよね。

今までの記事は様子見で書き込んでましたが、よさそうなので、こちら(JUGEM)に本格的に以降します。


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