「セル」は「手書き」の同義語ぢゃない

「セル」っていう言葉は紛らわしいですね。そもそも私が紙と鉛筆で原画を描き始めた1986年の頃から「セルロイド」ではなく「アセテート」でしたし。

 

今どきは、「手描き」であることを「セル」と言っちゃうこともあるようです。「全編セルアニメーション」とか言うと、セル用紙にトレスマシンで転写して、セル絵具でペイントして、フィルム撮影台で撮影したように思えますが、「門外漢」の人にとっては「3DCGを使ってない=セルアニメ」と思い込んじゃうことも多いです。

 

あのね。「セル」=Cellの意味をよく調べてみてネ。

 

2018年現在の「セル」という言葉は、「ログ=丸太」と同じように、現場では「動画からペイントされた画像ファイル」を指して「セル」と慣用的に用いますが、「本当のセル」=Celluloidではないですし、昭和40年代以降・平成のテレビアニメ制作時のアセテートフィルムでもないです。「かつてセルが素材だったもの」です。

 

ましてや、セルは手書きの同義語じゃないです。

 

 

セルアニメ100%。

 

スタッフロールを見れば、あれ? あの撮影プロダクションってフィルム撮影台なんてまだあったっけか?‥‥とすぐに不思議に思いますし、そもそも映像で「ぼかしの滲み出し」の撮処理をみれば「デジタル」であることは一目瞭然。

 

それとも、セル用紙にセル絵具でペイントして、それをスキャンしてマスクを綺麗に切って、After Effectsか何かでコンポジットして映像処理を加味した‥‥のでしょうかネ。まさか、そんな‥‥ね。

 

 

 

ただ単に、3DCG要素だけを排除したところで、「表示系」「2Dモーショングラフィック」まで手書きでやらんと、100%手書きアニメとは言えんわな。昔は全部手書きだったんだからさ。

 

スキャニメイトとかの「飛び道具」は別としても、動くものはほぼ全てアニメーターが作画していた頃に立ち戻らないと、100%手書きを語るのは不十分ですネ。

 

むしろさ‥‥。ペーパーレスですべてフローして素材のクオリティを確保した上で、80年代のものすごい線画密度と光学的撮影技法を表現のベースとして踏まえ、16ミリ‥‥はチープすぎるから35ミリフィルムの色域特性やグレイン質感やガタ、セル浮き(セル影)やニュートン、編集点の歪みまでやってこそ、「狂熱の時代」が再表現できると、わたし的には思います。

 

 


境遇と自分

境遇は人それぞれです。

 

私の世代はベビーブームで、目分量で量り売りで扱われるような世代でした。一方、近年の世代は「世界にひとつだけの花」みたいに少子化ゆえの扱われ方を少なからず受けてきたでしょう。世代によって、境遇は様々です。

 

でも、ぶっちゃけ、どんな境遇であろうと、自分の価値は自分で作り出すものです。

 

自分が、量り売りされた世代だろうが、希少品扱いされた世代だろうが、自分は自分です。能力の是非可否の原点は、自分の中にあります。

 

どんな世代にも有利な点、不利な点はあるものですしネ。

 

 

就職難でロスジェネで‥‥とか言って、自分の現在の境遇を世代のせいにすることもできます。一方で、雑な扱われ方をしてきたから、自分はタフで打たれ強いと言う人もいます。

 

境遇をハンデにする人、バネにする人、色々いるのでしょう。

 

まあ、普通に考えて、境遇はハンデではなくバネにしたいわな。

 

自分はデキない、不遇だ、ハンデをもって不利だ‥‥という理由を、世代や境遇に求める人は、自分の能力の低さや至らなさを、てっとり早く「一番身近な」自分の「世代や境遇」に関連づけているのでしょう。つまり、「なぜ、いかに自分が不遇かを証明する理由」を探している‥‥とも言えます。

 

逆に、自分はデキる、好遇だ、アドバンテージがあって有利だ‥‥という理由を、世代や境遇に感じている人もいます。「私も就職難の世代だけど、ロスジェネなんて言葉は甚だ迷惑だ。私は自分で自分を切り拓いてきたし、自分の世代を不遇だなんて思ったことはない。逆に有利だとすら思った」と言っている人もいるのです。

 

 

私も「量り売り」で雑に扱われた世代で、それはそれで良かったと思います。人間の量が多くて扱いが雑ゆえに、いちいち監視されずに済んで、色々なことができましたからネ。私がフリーアニメーターになれたのだって、「こんだけ人間が余ってれば、会社に努めないヤツがいても良いだろ」的な雰囲気がありましたし。

 

人が多くて就職難‥‥という状況は、普通だったらやらせてもらえない仕事でも選択できる自由度が高い‥‥と思えたわけです。

 

 

今の若い世代はどうでしょうかネ。

 

人が少なくて管理・監視されやすい傾向はありましょうが、ゆえに、人と同じことをしつつも、内容がぬきんでれば、監視や管理でひっかかって、逆に目につきやすいともいえます。

 

自分自身の「色々なやりたいこと」を実現するときに、

 

管理の甘い世代の中で、自由に行動して頭角をあらわすか

管理の厳しい世代の中で、突出することで頭角をあらわすか

 

‥‥だけの違いのようにも思えます。まあ、どちらも「行動力と力量が必要」であり、「型にハマって従順だと頭角をあらわせない」共通点はあります。

 

世代や境遇って、ホントに当人次第ですネ。

 

 


作る。こなす。

作品は「作るもの」であって、「こなすもの」ではないです。

 

これはちょうど、食事が「食べるもの」であって、「消化するもの」ではないのと同じです。料理人が、「はい、消化するものをご用意しました」とお客さんに出したらギョッとしますよネ。

 

そんなことは、だれでも判っていることでしょう。しかしプロとして「作る」行為を仕事にして、しかも生産フローのいち工程に組み込まれると、いつしか「作るもの」が「こなすもの」へと結果物も意識もどんどん変質していきます。

 

一方で、「作る」行為を要求できるほど、例えば動画1枚の料金は相応で適切な金額設定かと言うと、これも誰もが「不適切」だと判るでしょう。

 

新人や見習いの期間に、「こなす」のではなく「作る」意識を習得するのは、ごく自然なことです。しかし、キャリアを積んで新人から抜け出ても、現在の作品内容だと動画だけでは収入が成り立たない現実もあり、例えば「完全出来高で月5万」なんていうケースも世間に知れ渡り、「作る」を要求できるほどの報酬が設定されていないことは白日のもとに晒されています。

 

ぶっちゃけ、教育・指導する側も、こと、動画に至っては、「プロの品質」「作る行為」を肯定的な要素として指導できない「現実」がありましょう。

 

例えばベテランのアニメーターの中で、現在の動画の内容と単価で、テレビ作品の動画作業だけで完全出来高で20万円を稼げる人はどれだけいるでしょうか。昔話ではなく、「今のアニメの内容」で、月1000枚‥‥です。

 

つまり、「動画をプロの仕事にする」という一方で、「プロの仕事にはできない料金システム」という、痛烈なジレンマを抱えています。

 

 

無経験、未経験の人間が、最初からプロの報酬を得られるわけもないです。少子化の世代は、ベビーブーム世代の昔よりも大事に扱われて、「世界で1つだけの存在」などとおだてられて育ってしまったこともあるかも知れませんが、仕事場においてプロフェッショナルとして一目おかれてプロ相応に扱われるには、相応の能力が必要になります。生きてるだけじゃ、どうにも価値など見出せません。

 

しかし一方で、アニメ業界の、特に動画の料金システムはあまりにも酷いままで、「プロを自認できるほどの報酬がない」のは「現場を形成する構造」の「大問題・大欠陥」です。意識はプロでも、お金はプロじゃない。‥‥これは昔からの問題ではありましたが、近年のアニメの傾向〜複雑で線が多く、クオリティ基準も厳しくなった作画内容において、問題は極めて深刻化しています。昔話をして済む話じゃないです。

 

 

 

こなすのではなく、作るんだ

 

‥‥この「あたりまえのこと」を、現場においてあたりまえの事として意識するのは、旧来構造のままで突き進むアニメ制作現場では中々難しいようです。

 

どのような現場を新しく作れば、作品を「こなす」のではなく「作る」現場を形成できるのか。

 

難しいことではありますが、本気で取り組んで余りある、有意義な目標だと思っています。

 

 


自助努力の可否

皆が自助努力で頑張れば、制作はうまくいく。これは経験の浅い、もしくは初心者を抜け出た頃に陥る思考の、よくある例です。

 

実際のところ、自助努力のスコープはローカルに限定されます。つまり、自助努力の効果が発揮されるのは自分自身どまり(=自分の中だけで全ての采配が完結する範囲)であって、複数人数の自助努力を結集しても、制作進行はうまく進むどころか、無駄につぐ無駄を呼び、破綻すら招きます。

 

例えば、こなすべきミッションが‥‥

 

1、2、3、4

 

‥‥とあったとして、皆の自助努力のターゲットが、

 

Aさん 1、2、3

 

Bさん 1、2、4

 

Cさん 2、3

 

Dさん 1、2、3

 

Eさん 1、3

 

‥‥となった場合、結果は‥‥

 

1の合計=4

 

2の合計=4

 

3の合計=4

 

4の合計=1

 

‥‥と、ものすごい偏りがでることがあります。

 

ではなぜ、1、2、3に「皆の自助努力」が集中したのでしょうか。

 

1、2、3の作業がやりがいがあったり報酬が良かったりするからです。反して、4はめんどくさくて厄介な作業で「割に合わない」ので、だれもやりたがらずに放置されてしまったのです。

 

自助努力を集団作業に期待する罠」の典型も典型で、笑い話レベルです。

 

「5人もいて、なぜ、1人しか第4工程に着手してないんだよ!」なんていうのは、自助努力に現場を委ねたこともかなり悪いのです。

 

これはたとえエクセルで表をつけて、皆で状況を監視していても同じです。皆が「これ、だれがやるんだろう」と放置すれば、エクセルの進行表が公開されようと同じです。

 

作画で言えば、日常芝居の会話シーンと、モブが乱闘してビルが倒壊するシーンとで、どっちが先に「売れるか」なんて判り切ってますよネ。同じギャラなら会話シーンに決まっています。

 

これを自助努力でなんとかしようとしても、どうにもなるもんでもないです。‥‥そもそも、担当者が決まらないのですから。

 

 

未来に必要なのは、マネージメントシステムであって、自助努力の名のもとに皆が表計算のリストを眺めることではないです。

 

そして、そのマネージメントシステムがタフでダイナミックであっても、最後に決め手となるのは人間だと私は思います。マネージメントシステムは、スタッフとの会話の「声のトーン」から状況を把握できますか? ‥‥できませんよネ。

 

プロの現場で自助努力なんて言い出すのは、相当危ういです。その言葉が出た時点で、現場のコントロール機能は失われつつあって、統制を欠くことを意味しているからです。

 

10揃えば足りるところに作業者の自助努力で50も集まる一方で、10必要なのに1しか揃ってない‥‥なんていうのは、まさに「自助努力という名の現場放置プレイ」です。

 

高度なマネージメントシステムが確立されたとしても、そのバリュー=値をジャッジするのは、人間です。

 

要は、コンピュータだけでなく、人間だけでもなく、コンピュータと人間で制作を支えていくのが、未来の制作スタイルだと思っています。

 

 


自分のジャンルと他人のジャンル

なぜ、人は「他のジャンル」になると、今まで自分が積み重ねてきた労力や努力を忘れ、「どうせ簡単なことだろう」と思いがちだったり、その逆に「想像が及ばない凄くて近寄れないもの」と思うのでしょうネ?

 

絵を描く時、プロなら、その描線の1つ1つが積み重なって、プロの絵になることを熟知しているし、痛感しているはずです。線1本を軽視すると全体像は思うようにならずに崩れるし、線1本に固執しすぎて全体に目がいかなければ全体像はバランスを欠きます。

 

地道な積み重ねがプロをプロたる技術へと押し上げますし、様々な視点をもって広範囲に観察するからこそ色々な絵が描けるようにもなります。

 

そうした、自分が心血を注いで築き上げてきた「自分のジャンル」に対して、他者から浅い見識と軽率な状況把握によって不当に低評価を下されたりすれば、ものすごく不快な気分になるでしょう。

 

逆に、まるで神様扱いされて、「あなたの生まれながらの才能は素晴らしい」なんて言われても、「何もわかっちゃいない。センスだけでここまで技術を高められるわけないだろう? 相応の努力をしてきたんだよ」と、同じく不快な気分にもなるでしょう。

 

でも、自分のジャンルではなく、他のジャンルに対して、同じことをしがちになる人は、結構存在するのです。

 

本当によくありがちなのは、「絵で描くのは大変だけど、『デジタル』や『3D』だと簡単なんでしょ?」と思う作画の人間ネ。

 

なぜ、自分のジャンルを築くに至った今までの苦労と格闘の経緯を、他のジャンルに対して思いやれないのでしょう?

 

自分の関わるジャンルだけが尊いでも思っているのでしょうか。

 

 

思うに、そうした「自分のジャンルはすごい」「他者は楽してるんだろうから、他のジャンルは大したことない」と考える人間が、ワークグループに存在する時点で、「アニメ現場の明るい未来」は永久に来ません。‥‥少なくとも私はそう思います。

 

自分のジャンルで大変だった事柄を、他人のジャンルで軽々とこなしている「ようにみえる部分だけ」を見て、「簡単にできちゃうんだ」と考えがちなのは、本当によくあることです。そして、「あんなに簡単にできるのなら、どんどん安いお金で引き受けてもらおう」だなんて考え始めます。

 

アニメーターが下描きもせずに、一発描きで絵をサラサラと描くのを他者がみて、「そんなに簡単に絵が描けるのなら、安く沢山描いてよ」なんて言ったらどうします? 馬鹿野郎!‥‥でしょ?

 

さも簡単そうに見える動作のバックボーンに、色々な技術と経験がぎゅうっと詰まっていることを知っていれば、「サラサラとスピーディーにこなす」ことが「楽」「簡単」「安い」ことと同義ではないのが判りますよネ。自分の結果物が、経験と技術と才覚の結晶だということを知っていれば、他者の結果物にだって同じ思いを抱けるはず‥‥なんですけどネ。

 

 

以前、作画の人がAfter Effectsで撮影まで兼任して独自の映像をコンポジットする‥‥みたいなことに、ちょっとだけアシストしたことがあります。その時、「テクスチャの貼り込みはできないので、やってください」と言われて、驚いて唖然としました。

 

撮影まで自分でやって自分の原画担当シーンをコンポジットしたいのなら、貼り込みの作業も自分でやらないとダメでしょ。

 

そんな事例に限らず、作画の人の中にはどうやら「テクスチャの貼り込みは簡単にできる」「テクスチャの貼り込みはソフトが自動でやっている」と思っている人がいるようです。自分でいじったこともないのに、よくもまあ、他者の作業を「簡単だ」とか思えるよネ。

 

他のジャンルの人間が作画作業に割り込んできて、「自分は顔だけが描きたいから、他の部分は作画さんがフォローしてください」なんて言いだしたら、どう思います? ‥‥そして「エフェクト作画や小物類の作画なんて遊びみたいなもんで、顔を描くのに比べれば楽チンなんでしょ?」なんて、作画の素人が言いだしたら、どうでしょう?

 

未経験で何も知らないお前が、簡単だとか勝手に決めるな!‥‥と思うはずです。

 

 

でもさ‥‥「デジタル」が作画にも及んで来て、各ジャンル相互の理解が深まるどころか、他のジャンルをいっそう軽視して、簡単な部分だけを「つまみ食い」するような状況にすら及び始めているように思います。

 

いかにもダメな「技術認識の甘さ」、「内輪モメ」の典型ですが、これを改善する見込みは、私は「ない」と考えています。江戸幕府が継続する以上、「士農工商」が撤廃できなかったのと同じく。

 

でもまあ、やがて何隻も「黒船」がやってきます。江戸幕府はその際に「新政権」に再編成されることもあり得るでしょう。その時が「変われるチャンス」です。

 

 

思うに、今までの「作業工程生粋で育った人間」が工場生産ラインで繋がっている現場の様相は、一旦終息することでしか、仕切り直しはできないのだと思います。それは具体的に言えば、旧現場感覚の人間たちが「引退」することでしょう。もし現場感覚を変えられるのなら、とうの昔に変えられていたはずですからネ。

 

かと言って、年齢だけ若くても、考え方が旧現場感覚なら、20代でも50代でも同じです。頭の中身がおじいちゃんおばあちゃんならば、新しい現場感覚や意識なんて芽生えようもないです。

 

アニメーション制作の各工程を実際にプロクオリティ(=品質に対する責任)で兼任してこそ、各工程の相互理解が深まります。最初から「自分は何用の人間か」を決めつけるのではなく、あらゆる制作作業の中で「自分が何者か」を確立していくのです。そのためには、セクション単位ではなくジョブ単位でフローするダイナミックな制作管理システムも新しい現場の基盤として必要でしょう。

 

未来に向けてやることはやまほどあります。でもそれは、未来もアニメを作り続けたい‥‥と思えばこそ、ですよネ。

 

 


過去の春と、未来の春

温度差はあって当たり前です。前世紀末も、セルやフィルムと並行してコンピュータによるペイントとコンポジット技術が徐々に進行していきましたし、DVDが出ても相変わらずレーザーディスクを買っていた人もおりましょう。

 

どうやら、理屈ではなく愛着が色々なものに作用して、温度差が生じるように思います。キャリアに関係なく、知識や見識にも関係なく、本人の感情が大きく作用するのでしょう。

 

特に仕事に関わる物品で、当人が何を買うかで、当人の温度を客観的に伺い知ることができる‥‥とも言えます。

 

 

思うに、2KのSDRの季節は収穫の秋が終わり、冬の季節を迎えようとしていますから、今すべきことは「次の春に備えること」です。

 

今、夏に育つ苗を買っても、冬に枯れます。2K SDRの苗を買っても、次の季節には育ちません。自然の摂理を応用して考えれば、すぐにわかるのですが、老いが重なると、もう2度と来ない過去の夏を懐かしんで、秋にひまわりのタネを撒くような行為にふけるのです。

 

体は老いても、心や頭は老いたくないもの‥‥ですネ。だって心が老いたら、哀れですし、ミジメですし、周囲の若い人間や若い心をもった人にも面倒をかけます。

 

来年の夏は2019年の夏であって、1984年でも1999年でも、2010年でもないのです。

 

 

私はぶっちゃけ、今は個人で映像機器を買う気にはなれません。2Kはもう終焉が目に見えているし、4KでPQで300nitsの環境は個人で購入できるレベルには下がってきていないからです。買う気になれないのは、買えるものがないから‥‥です。

 

個人レベルで言えば、今はiMac 5Kを1台買うくらいに留めて、次の春の兆しが来るまでお金を貯めるのが、ちょうど良い時期なんじゃないですかネ。今ある2K機材にiMac 5Kや次期Mac miniをプラスして4Kに慣れておいて、いよいよ「未来の春」が近づいて4K機材もなんとか買えるレベルまで手頃になってきたら、「タネを蒔く」のが良いと思ってます。

 

まあ、個人ではなく会社規模なら、「ビニールハウス」的規模で、「先もの獲り」を始められることもありましょう。

 

 

2000年にレーザーディスクを買うような行為は愚かしい‥‥と今なら判りますよネ。2009年(=地デジ化の2年前)にブラウン管の720〜1680pxしか出せない業務用モニタを数十万円(下手すれば百万単位)で買うのは愚かしい‥‥とも今なら判りますよネ。

 

同じく、2020年を間近に控えた今、2KでSDRの機材に高いお金を投資するのは、個人なら酔狂、会社なら背任とすら言えるかも知れません。映像制作の専門機材を扱う専門職にありながら、ほどなく旧式化する高価な機材を、自分の過去の経験と思い入れだけを優先し、先進性や時代性(現代性)を顧みずに導入を推した‥‥という点において。

 

故障して補充するのならともかく、2020年代まで2年を切った今の時期に、もはや高価な2K機材のリプレースは不要でしょう。映像のプロなら、個人でも会社でも、お金の使い方にセンシティブになる時期と言えます。今はもう、2018年の9月‥‥ですもんネ。

 

 

とはいえ、アニメ業界の人間は、作画の限界点を無意識にでも意識して、2Kに思い入れてしまう傾向はあるかも知れないです。でも、時代が進んだ後で振り返れば、「あの時、もっと潔く、未来を認めて受け入れればよかった」と思うのかも‥‥知れませんよ。

 

まあ、引退するつもりの人は、過去に咲いた花を押し花にでもして眺めて、昔を懐かしんで余生を送れば良いです。

 

引退するつもりがない、もしくはまだ自分は若いんだ‥‥と思うのなら、次の春を目指して、色々と準備しましょう。

 

 


PQ、1000nits。ピーキー。

1000nitsの、しかもPQの新時代の色彩制御は、「まあ、S字カーブ、つまりピーキーな特性に操作感覚を合わせればいい」とやや軽めに考えていました。

 

しかし。

 

超〜〜難しい!!!

 

でも。

 

 

 

今までのRec.709やsRGBの「鉄板」の方法は、まるで通用しなくなりますが、その喪失分を補って余りある楽しさと美しさに満ちています。

 

1000nitsは「パワーバンド」がめっちゃ広いので、例えば、100nitsリミットで通用していたグロー系の技法は「仕切り直し」、今までの方法だと大雑把過ぎてすぐにコントロールを失います。どれだけ100nitsのリミッターに助けられていたかが、あり余る1000nitsを扱うようになると実感できます。

 

 

ピーキー。

 

そう‥‥まるで、100馬力の2スト400ccモトクロッサー(なんて実在しないし、乗ったこともないですが)のようです。「じゃじゃ馬」も「じゃじゃ馬」。ある一定の回転域からいきなりパワーが出るので、アクセルワークをぞんざいに扱おうものなら、すぐに前輪が浮いてしまう、在りし日の2ストハイパワーバイクのようです。

 

RMXに乗ってた頃を思い出すわ〜。(RMXは40馬力で250ccですけどネ)

 

 

しかし、そんなピーキーな色域のP3/PQ1000でも、12〜16bitの豊かな諧調があれば、簡単にはトーンジャンプなど発生しません。余裕があります。

 

上は伸びるところまでグングン伸びてさらにまだ上まで伸びて、一見狭く思える下の部分も実はタップリある。

 

今までのように255の白までおとなしく明るくなる特性ではないので、コントロールは難しいですが、使いこなし甲斐のある色域です。

 

美術、色彩設計、そしてコンポジット(旧撮影)と、色を扱うセクションは、少なからず戸惑うことでしょうが、ルーチンワークで腰掛けて惰性で作業するのでなければ、必ずや使いこなせるようになるでしょう。

 

実際、四六時中「最大の白」を表示しているわけじゃないですし、バイクや車もそうですが、どんなにハイパワーでも街中で180kmで暴走はしませんよネ。アクセルなどの操作が「ベタ踏み」から「デリケートな操作」に変わるだけでです。同じく、輝度や彩度の扱いを、HDR時代に合わせてデリケートに変えれば良いです。

 

いざという時、ここぞという時に、300〜1000nitsを使えるのは、相当、表現の幅が広がります。明るいシーンだけでなく、ふんわりと柔らかい質感も、今までの100nitsの濁った色彩から精彩な1000nitsに変わることで、自在に表現できるようになります。

 

 

PQ1000nitsは最初は戸惑うことも多いですが、バイクと同じように、跨って走らせてこそ、「体で理解」できる‥‥ということを実感しております。

 

バイクの免許をとって、50ccから250ccのハイパワーなオフローダーや400cc以上のロードバイクに乗り換えると、もう50ccには戻れなくなりますよネ。原付バイクの30kmの速度制限なんて冗談みたいな話ですし。

 

同じように、HDR PQ1000nitsのパワーを知ってしまうと、SDR 100nitsには戻れなくなるでしょう。たとえパワーは抑えて控えめでも、「底力の大きさ」「馬力の余裕」で「映像作りに幅が出て、融通が利く」ようにもなります。観る側も早々にHDRの輝度や色域に慣れるでしょう。

 

願わくば、300〜1000nitsのPCモニタが、近い未来に「個人のプロ」でも買える値段に下がってくれば良いですネ。ブラビアなどの民生テレビは、500nits前後まで出せる製品も今どきは増えているみたいですヨ。

 

 

 


ループの速度

私が本格的にコンピュータによるアニメ制作に関わり始めたのは、1996年の頃です。その当時、コンピュータの何が一番衝撃的だったかと言うと、フィードバックの速度です。いわゆる、PDCAサイクルやOODAループの回転の速さです。

 

1・エフェクトや画面効果をこんな風に描いて動かせば良いんじゃないかな?

2・そのアイデア通りに実際にPhotoshopやAfter Effectsで作った

3・パーセプション(当時の動画再生システム)でモニタに映して見た

4・良い部分もあったし、悪い部分もあったので、すぐに作業に反映しよう

 

→1に戻ってループ

 

こうしたループが、速い時には1日に2回可能でした。そんな「型破り」な映像経験のフィードバック速度は、フィルム時代は絶対にあり得ないことでした。フィルムでは不可能でも、After EffectsやPhotoshopで直にエフェクトを描いたり動かしたりすれば、数十分のレンダリングを経て、パーセプションに読み込んで、その場で「ラッシュフィルム」が見れたのです。‥‥恐るべきことで、「これなら、どんどん作業内容にフィードバックして技術を発達できる」と武者震いしたものです。「これで上手くいかないはずがない」と成功を沸々と確信していました。

 

表面上のAfter Effectsの機能よりも、そのフィードバック速度の速さこそが、コンピュータ活用の最大の武器だと思いました。

 

 

そして2018年の今。

 

同じことが4K HDRで再演されています。DaVinci Resolve Studioによって映し出されたPQ1000nitsのテスト画像&映像は、「毎日発見がある」と言っても言い過ぎではなく、乗り越えるハードルが飛び越えてはすぐに出現して目まぐるしいですが、猛烈にノウハウを蓄積している実感があります。

 

4Kでは何を描けば良いのか、HDRにはどのような色彩や映像効果が映えるのか、120fpsまで映像が補完された場合に、どんな動きが美しくかっこよいのか。スペックを読んで頭だけで考えるのはなく、過去のアニメの価値観で自分を束縛するのでもなく、実際に自分の目で見て、どんどんサイクルして更新できるのです。

 

20年前、アニメのフィルム撮影技術が素晴らしいのは解っていても、「もうそれではない」という実感に満たされていました。今、2K24pSDRを見て感じるのは、同じキモチです。

 

ほんとに、時代は繰り返すもんだ‥‥と思います。

 

 

今も昔も、黎明期や草分けの頃に必要なのは、「工房スタイル」です。「工場」ではなく。

 

現在「主流になってしまった」工場スタイルでは、セクショナリズムが強烈過ぎて、フィードバック速度なんて鈍足も甚だしいです。‥‥いや、鈍足ならまだ良いほうで、一向にフィードバックなんて反映されない現場も多いでしょう。

 

しかし、新しい技術に関しては、フィードバックなし、PDCA/OODAなしでは成立しません。問題を解決しつつ、新たな可能性を次々に実践して、表現内容に盛り込んでいくには、工場のような「生産ラインだけで繋がった」現場ではなく、各スタッフのノウハウが対流して融合し合う現場=工房的なスタイルが必須です。

 

アイデアがまた次のアイデアを呼び、初めての経験が新たな知識として蓄積され、最新の知識がさらなる新たな経験を呼び寄せる。‥‥1996〜2004年の頃はそんな時代でした。

 

あと1年半で2020年代ですネ。

 

4K 60p HDR 10bit‥‥という新たな時代のフォーマットが、否が応でも、新たな知識と経験の高速ループをアニメーション制作に与えてくれます。

 

 


SMPTE

私自身暫く耳にしていなかった「SMPTE」。エスエムピーティーイーとも、シンプティとも呼ばれるSMPTEは、最近「2084」、つまりPQ=パーセプチュアル・クオンタイゼーションの正式な規格「SMPTE ST 2084」として、まさに私ら制作技術集団の新しい取り組みにおける中心的存在として、頻繁に目と耳にするようになりました。

 

SMPTEは、アメリカの映画テレビ技術者協会の略字とのことで、IEEEなどと同じような「技術関係者の協会」です。SMPTEの詳しい内容はネットで調べるとして、SMPTEの規格は「それもSMPTEだったの?」と驚くほど普及しています。

 

その代表格がタイムコード。その他に「NTSC」「SDI」「MXF」「DPX」などもあります。

 

若い頃、SMPTEタイムコードには随分と憧れたものです。ラジカセやビデオデッキで何かを収録する時、素人だと「せーの」で再生と記録ボタンを手動で押しますが、SMPTEタイムコードで制御された機器だと「マスター」と「スレーブ」でシンクロして再生と記録ができたのです。

 

私はMIDIのシステムでタイムコードを初めて運用しました。当時の私(30年前‥‥)の機材は、MIDIシーケンサーがMC-50、QX-5が2台、そしてオープンリールのFOSTEX Model 80という構成で、Model 80をタイムコードのマスターにして、MIDIタイムコードで制御していました。

 

Model 80の8トラック目にMIDIタイムコードを記録し、オープンリールの動作に合わせてMIDIシーケンサーが追随する仕組みでした。‥‥今にして思うと、20歳そこそこの頃に既に「キャラ打ち」(=テープにタイムコードを打ち込む(記録する))をしてたのネ。(て言うか、今の人はQTのデータ運用しか知らないから、キャラ打ちは知らんか)

 

その数年後、私が24歳前後の頃には、今はもう倒産して無くなってしまった会社に、プリロール編集のビクターの業務用VHSデッキがあり、夜になると編集の真似事みたいなことをして、「カットつなぎの研究」をしていました。ほんの1〜2フレームの差でテンポやリズムや躍動感が変わってしまうことに驚くとともに、「これが本式のSMPTEタイムコードかあ‥‥プロ用機材って素晴らしい‥‥自分じゃ絶対買えないけどなあ‥‥」と機材とそのテクノロジーに感動しながら使っていました。

 

で、現在。

 

私ら技術制作グループが関わるSMPTEの直近のターゲットは「2084」。PQです。

 

しばらくソレばっかりやっていたので、かなり頭が慣れました。しかし、油断はしませんしできませんし、油断する気にもならないです。今までとは、ドカンと色彩の扱いが変わるので、それこそイメージボード・ショットボードの時点から、頭を切り替えなければなりません。

 

でも、ログとリニアの運用に慣れた実写の人なら、「ああ、もっと極端なヤツね」とすぐに順応するとは思われます。アニメはログもリニアもなく「リニア=見た目ひとすじ」ですから、PQを現場に導入するのはあまりにも今までとが勝手が違って、各方面で拒絶と混迷の阿鼻叫喚がこだますることでしょう。でもまあ、PQを扱わなければ、自分らで意図的で有意義な色彩をコントロールできないとなれば、慣れて覚えて使いこなすしかないです。

 

アニメ業界がHDRやPQの可否を決めるのではなく、HDRやPQなどの次世代映像フォーマットがアニメ業界の可否〜生死を決めるのです。アニメ業界を中心に世界の映像フォーマットが決まるわけじゃないですもんネ。今までだって映像フォーマットに準じてアニメを制作してきたのですから、これから先の未来映像フォーマットを中心にして「何を作るか」が問われるのは、今も昔も未来も同じです。

 

アメリカの放送技術者協会の規格が日本の規格‥‥というのは、まあ、少なくとも私が生きている間にとどまらず、今20代の人でも、同じでしょう。

 

 

ちなみに、私も「技術者協会」のような仕組みを作りたいと思っています。演出やアニメーターに限定した規模の小さい「寄り合い」のような集会ではなく、各方面の技術者で、出自の新旧問わず、これから未来の色々なアニメ制作の規格を明確に定めて、SMPTEやIEEEやISOのように、基礎をガッチリと固められたら良いなと考えています。

 

私ら制作技術集団では2005年頃から「atDB」、そして最近では新しい技術の基盤を成すために「ASTD」という規格を自主的に運用してきました。例えば、現在作業中の作品はASTD規格の4Kレイアウト用紙(のイメージファイル)を用いています。

 

日本のアニメの「表現の豊かさ」を鑑みるに、「自由に表現技術を拡張できた」がゆえの豊かさだと痛感します。

 

ですから、規格と言っても、あくまで基礎的な作業仕様や用語や取り扱いの範疇です。SMPTEのタイムコードやSDIやMXFが映像表現にクチを出さないのと同じく、アニメ制作技術者の標準規格も技術の仕様であって表現には関与しません。

 

レイアウト用紙やファイル命名規則に規格を制定したって、絵が極端に描けなくなるわけじゃあるまい?

 

むしろ、標準化・ユニーバサル化によって、ストレスは軽減され円滑に事が進むと思います。その標準規格の処理に必要な各言語のファンクション・ルーチンは協会員に公開されるわけですし、困った時は標準規格の「用語辞書」を検索すれば良いのです。

 

日本のアニメは表現をどんどん発展させる特徴を持つ一方で、内部の規格や決め事はグダグダに発展‥‥もとゐ悪化していく特徴も併せ持っています。複合組みとか付けPANの「業界標準の規定」なんて一切確立していないのに、あーだこーだ言っても始まらんのですよ。口約束、口頭伝達、成りゆきの作業習慣を、さも「決まり」のように語るほうが異常なのです。

 

「その決まりごとを規定して明文化しているドキュメントはどこにありますか?」‥‥と聞かれて答えられるのは、「動画&作画注意事項」だけでしょうが、例えばタイムシートの基礎1つとっても、その「作品ごとにコロコロ変わる注意事項」のどこにも明記されていないですよネ。

 

付けPANとFollow PANは違う、いや、同じだ。‥‥その根拠はどこで知ることができますか? 「先輩にそう教えられたから」なのだとしたら、とんでもない笑い草です。規格でも規定でもなんでもなく、ましてや標準と呼べるような状態とは程遠いです。

 

標準として規定された基礎を持たないなかで、いくら「どっちが正しい」かをツイッターで何百何千もツイートしても、時間の無駄以外の何ものでもなく、単なる暇つぶし・気晴らしです。‥‥実際、解決する気なんて毛頭なく、ただ単におしゃべりして盛り上がりたいだけなのは、端から見てればよくわかります。本当に解決したいのなら、ツイートに熱中するのではなく、規格草案をエクセルやワードで書くはずでしょう?

 

 

アニメ業界は多分に、SMPTEやIEEEやISOのお世話になっています。じゃあ、それら標準規格は自然とニョキニョキと生えてきたものでしょうか? ‥‥‥いや、違いますよネ。ちゃんと、人間たちが考え出して規定したものですよネ。

 

ですからアニメ制作者も、成りゆきに任せて誰かが発した言葉が自然と用語に定着するのを待つのではなく、自分らの明確な思考の制御によって、「運用のための規定」を規約すべきでしょう。いつまでたっても、学生の卒業制作気分じゃ、どうしようもないです。アニメのブラック問題って、実は自分たちのルーズな規定や規格が病巣だと思いませんか。

 

アニメ制作現場は、USBもDisplayPortもSMPTEタイムコードもSDIも使うわけです。アニメ制作はアニメ好きの人間たちが集まって「フワッ」としがちな現場ではありましょうが、「自分たちのSMPTE的なもの」を目指しても良い‥‥と思います。

 

 

 


iMac 5K。Mac mini。

PC・Macの性能は、長い間停滞気味で、モニタの性能は次世代映像に足踏みしている‥‥という現状を鑑みるに、私がパッと思いつく選択肢で誰にも判りやすい「現行機種」は「iMac 5K」くらいです。別にWindowsでも良いんですが、iMacに匹敵する知名度と性能をもつ「固有名」が思い浮かばないんですよね‥‥。

 

iMac 5Kのどこが「推薦できる」内容かを書き連ねると‥‥

 

  • 5Kの解像度を持つ
  • 5Kで60Hzのリフレッシュレート
  • コーデックを工夫すれば、コマ落ちなしで4K60pが再生可能
  • P3らしき色域(「Display P3」とAppleがのたまう‥‥)
  • i7で4コア8スレッドの処理性能
  • 64GBの実装メモリ
  • 外部に4K HDR/PQ 60Hz 10bitモニタを接続可能
  • さらに追加で2Kモニタも接続可能
  • 意外に高速なFusion Drive 2TB
  • 40GbpsのThunderbolt3
  • 実測で秒・2ギガバイトが出せる外部記憶装置の接続(高速な外部SSDはまだまだ高価ですけどね‥‥)

 

‥‥です。

 

上記スペックに近ければ、Windowsマシンでも何の問題もないでしょう。

 

ただ、Windowsマシンは何が厄介かというと、スペックをちゃんと読める人じゃないと、あまりにも選択肢が多過ぎて「必要なスペックを満たしていない製品」を買う危険性があることです。「安さに飛びついて、銭失いになりかねない」のです。

 

エプソンやDELLでiMac 5Kの最上位機種と同じ内容でBTOを組むと、結構いい値段がします。そこに普及価格帯の4K HDRモニタをプラスすれば、20万円台後半にはなりましょう。iMac 5Kの最上位機種と似たような値段になりますから、盲目的に昔の慣習で「WIndowsは安い」と思うのは、間違いの元です。Windowsマシンを買うにも、しっかりと腰を落ち着けてBTOで構成する必要があります。‥‥アニメの映像を作ろうと思うのなら、です。

 

 

なので、手っ取り早く、お金と性能のバランスが良いのは、iMac 5Kなんですよネ。特に、個人で買う場合は、面倒がないです。

 

ちなみに、私がここで書いていることは、自分の自宅や作業場での「実際の導入実績」に基づいています。スペックマニアが実物を知りもしないで予測で書いている‥‥わけではないです。

 

実際、私の自宅の初代iMac 5Kは、購入してからそろそろ4年が経過しますが、少なくともあと2年はイケそうな感じです。

 

職場のiMac 5Kは、EIZOのCG-319XをPQ1000nitsクリッピング・10bit・60Hzで接続し、さらに波形などを見るための2Kモニタも接続して、5Kと4Kと2Kの合計11Kのディスプレイにて、色彩設計の4K HDR作業環境として稼働を開始しました。「こんなに大量の画素数をつないでちゃんと動作するのだろうか」と半信半疑でしたが、ケロリと普通に動作しています。

 

 

そして、Mac miniの新型の噂。2018年の秋‥‥との噂ですネ。

 

iMac 5Kだと、ディスプレイ一体型で色々と融通が利かなくて‥‥という人でも、Mac miniの新型なら、低価格な4K60Hzのモニタを自由にチョイスして構成できますネ。数年後にさらに4K HDRの目視確認作業用モニタ(=普及価格帯では今はまだ良い製品がありません)を買い足せば、4K+4Kの8Kデュアルモニタでの作業環境も構築できましょう。新型Mac miniは幾ら何でも、今のショボすぎるグラフィック性能を刷新するでしょうからネ。

 

そこに、iPad ProやiOSが加わることで(まあ、Apple漬けですが)、個人のスタミナ次第で、他には何も必要とせずに「自主アニメ」「コミック」が作成できます。

 

旧来制作現場のアニメーターはさ‥‥、アニメをまるごとは作れないじゃん?

 

旧来技術の作画工程が生み出せるのは線画だけです。

*「デジタル作画」になってペイントを兼任するケースもありましょうが、作業クオリティや経験による障害回避がペイント工程のプロにどれだけ匹敵するのか、疑わしいです。実際、作画の人間の塗った荒くて雑なペイントを仕上げさんが尻拭いしたり、簡単なペイント(透過光マスクとか)だけやって面倒なのは仕上げさんに回す‥‥なんていう酷い事例も耳にします。

*ペイント工程を兼任するのなら、仕上げさんと全く同等の教程を実施し、ペイント工程に対する責任と品質管理が必要不可欠です。「デジタル作画だから動画だけでなく仕上げもやると稼げる」なんていう甘い考えは、少なくとも私は絶対NGだと思います。私はお金のでない自主開発では自分でペイントもしますが、制作費の出る商業作品ではペイントと色彩のプロに任せます。知識と経験が、専門職だと段違いですからネ。

 

でも、アニメーターが、iPad ProとiMac 5Kを手にしたら、線画だけを作り続ける「工場の工程の1役職」から解き放たれ、様々な可能性が現実のものとなります。「未来のアニメーター」が「旧来のアニメーター」と同じである必要は全くないです。むしろ、変わっていくべきでしょう。

 

旧来とは違う方法で手描きのアニメーションを作る方法は、旧来の現場では無理です。新しい技術が旧来の現場から生み出せないのは、まさに旧来現場の実情が証明しています。新しい技術を生み出せるのは、まずは自分の所有する映像制作環境です。そこから前例や実績を作って、ようやく次のステップに進めます。

 

 

iMac 5Kに加えて、秋にはビデオ性能とプロセッサを強化したMac miniが出るとの噂は、個人や仲間たちで何かを始めるきっかけにもなるでしょう。新しい何かで未来を切り拓こうとする人たちには、セレンディピティや共時性が味方してくれますよ。

 

私自身を振り返るに、4年前にiMac 5K、3年前にiPad Proが出ていなかったら、現在の開発プロジェクトにたどり着けなかったかも知れません。しかし、「時代性」をよくよく考えれば、iMac 5KもiPad Proも「出るべくして出て」、そして私が「ここぞとばかりに」飛びついたのです。‥‥共時性の為せる技に、まんまとハマったわけです。

 

まだまだ、コンピュータのお楽しみはこれからです。

 

それにしても、久々のMac miniの更新は楽しみ‥‥ですネ。

 

 



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