ツイ

作画で手を抜いただの何だの、手を抜くな全力でやれだの何だの、ツイッターってやっぱり場合によっては歯止めの効かない感情的なメディアなのを実感しますネ。

 

 

手を抜いた、やる気なし、みたいなことを、わざわざツイッターで言う必要ある? そんなことで憂さ晴らししても、何ら改善も解決もできないヨ。むしろ、後でさらなる自己嫌悪に陥るだけ。

 

手を抜くな、全力でやれ、と、他者に強制するようなことをツイッターで言う必要ある? どのくらいの集中度と貢献度で仕事をするかは、当人と仕事の状況(お金や時間)のバランスで決まるんじゃないのかな。

 

なんでもかんでも、ネットのまな板の上の晒して、八つ裂きにする必要なんて、あるのかな?

 

 

私はやっぱり、「読むだけツイッター」に留めておきたい‥‥としみじみ思います。思いやりが垣間見える瞬間もありますが、あまりにも邪気がうようよ犇いていて、危うきが多すぎると私は感じます。

 

実はアカウント自体は取得してるのですが、一度も呟いたことがないのです。

 

世界中と繋がる‥‥みたいな売り文句も聞きますが、百人、千人、万人のフォロワーより、1人の親友のほうが、私にとっては得難い財産です。

 

「泣いた赤鬼」です。寂しさをどのように扱うか。私は村人たちとの一時的な賑やかさより、青鬼くんとの絆を大事にしたいです。

 

みんなでワイワイやるのは良いです。でも、それでは埋められないことはあるものです。

 

話したい時は、直接合って、酒でも飲みながら話せばい良い‥‥と、今でも私は思います。不特定多数の人と一文の会話をすることに、私は大きな夢や喜びを抱けません。

 

会話をする‥‥というのなら、「会話=会って話す」のごとく、リアルな存在から発する直の声を聞きたいです。

 

 

 

捨て鉢な気持ちになって、暴言をぶちまけようとすれば、いつでも可能なツイッター。

 

集団心理にいくらでも傾くツイッター。

 

ツイッターに限った話じゃないだろ? 人間なんて、群衆なんて、結局はそういうもんだろ? ‥‥と言われれば、そうなのかも知れませんが、ならばなおさら、ツイッターまで手を出すこともあるまい。‥‥と私は今のところ考えています。

 

ツイッターは、私的な通信欄、伝言板じゃないですもんネ。全世界に言葉をばらまく今世紀ならではのメディアですもんネ。

 

日常会話の延長線上でつぶやいて良いかどうかは、まさに当人の考え、当人の性質次第ですネ。

 

 

 

器用にツイッターを扱えるのなら、楽しめば良いです。私はその辺不器用なので楽しむどころか、生活の重荷になるような気がして、今でも使うに至っていません。

 

そのあたりは、残念な奴のままでイイです。無理にツイッターを使うこともないですもんネ。

 

ツイッターのテキストを追うよりも、美味しい日本酒を気心しれた仲間たちと飲む方が、飲みが終われば寂しいけど、頑張るキモチも湧いて出ます。「色々苦しいけど、みんな頑張ってんだもん」というポジティブな気持ちになれます。

 

どぶろく飲みたい。

 

 

 

 


アニメを作れる自分

私は20代の前半の頃には、「アニメの作画しかできないカラダになるのは危険」と感じ始めていました。絵を描くのではなく、あくまでアニメの線画を描く自分に対し、「絵描きとして」の危機感を強く感じたのです。

 

絵を描ける自分、画を作れる自分、映像を作れる自分を目指さなければ。‥‥と強く思ったものです。

 

なので、20代の頃に仕事とは切り離した自分の時間で、レイアイトを描き、線画を描き、コピー機で線画をセルに転写し(油がつくけどできるのです)、セル絵具で色を塗り、背景をアクリル絵具で描き、一眼レフカメラ(もちろんフィルム)とカメラ固定スタンドで撮影台を組み、市販の光学フィルタや自作のレンズフィルタをカメラにセットし、撮影して現像(現像だけはカメラ屋さんにお願いしました)して、ひと通りの工程を実践してみました。

 

動く映像が作れたわけではないですが、スチル(静止画)でも自己完結できるノウハウを得ようと考えて行動したのです。‥‥その行動がそのまま「お金」に直結したわけではないですが、現在アラウンド50になった私の強固な足場になっていることは自覚できます。20代のその頃の行動が、間接的にせよ、今の自分に恩恵を与えていることを実感します。

 

 

 

自分の役職‥‥というか「存在価値」が、作業工程の部分的な1箇所に留まる‥‥というのは、もしその作業工程に変化が生じた際は、自分の存在価値を失うことでもあります。

 

例えば、第2原画。

 

原画ではなくて、第2の原画。

 

第1原画がなければ成立しない役職です。誰かが動きのおおもとを考えて、誰かがポーズを考えた上で、その後で初めて仕事が発生する役職です。

 

いわゆる「2原」に、自分をどっぷり浸からせて、本当に良いのか、‥‥少なくとも私は、もし「2原をメイン」にしてしまったら、自分の将来が危ういと強く感じるでしょうネ。

 

第2原画は、あくまで近年の「作画を手分けしないと間に合わない制作事情」から生じた役職・作業工程であって、この先の何十年にわたって存続する保証などどこにもありません。

 

何もないところから絵を描く能力があれば色々とツブシが効きますが、制作事情に合わせて2原の作業経験をどんなに積んでも、絵をゼロから描くことに奥手なままでは、応用も発展も困難です。

 

第2原画は現在の制作体制には都合が良いですが、絵を描く本人の未来の糧になるかというと、「絵をゼロから考えて、動きをゼロから考える」という面では弱いです。第2原画だけやりたい‥‥という人もそこそこ居ると聞いたことがありますが、人手不足を埋める方便に自らの能力と時間を率先して差し出すのは、私の感覚ですと、あまり好ましくない‥‥と思うんですよネ。

 

第2原画の作業内容は、絵を描くこと全般から見れば、かなりの「下位分岐」であることを実感すべきと思います。第2原画は今や、現在の制作体制を支える重要な工程かも知れませんが、制作体制など時が変われば姿を変えます(実際、私が原画を描き始めた1980年代は第2原画なんてなかったです)ので、時代の変化に耐えて生き残る資質を獲得すべきと考えます。

 

第2原画の立ち位置を考えてみると、絵を描く、絵を動かすという様々な要素の、恐ろしく限定的な1部分であることがわかります。

 

絵を描く人間、絵を動かす人間、さらには映像を作る人間として、自分を見つめ直した際、以下のような広がりを得たいと考えても、全然「欲深」ではないです。

 

 

「そんな、ひとりで一度に、何でもできるわけない」‥‥のは、その通りですが、「自分の能力の選択肢」を増やしておいて、様々な場面で「使い分け」ができるようにしておくのです。

 

第2原画しかできないのと、色々出来る中で今は第2原画を作業している‥‥のとでは、大きな差があるのはお判りでしょう。

 

‥‥まあ、第2原画だけしかできない人なんていないでしょうが、アニメ業界の枠内の、しかも線画の作画オンリーでは、自分の未来は果たして順風満帆となるかは、よ〜く自問自答してみるべきです。来年からの30年間は、1990〜2020年の30年ではなく、2020〜2050年の30年であることを、しっかりと自覚しましょう。

 

制作現場のブラックを批判すると同時に、現在の制作体制にどっぷり浸かっている自分自身にも、批判の目を向けたほうが良いです。

 

ゼロから絵を描ける。

 

ゼロから映像を作れる。

 

まず自分の中の大きな「アニメを作る」エネルギーの出力源を有した上で、その先に、原画だコンポジットだイメージボードだデザインだのを連結させていけば良いのです。

 

完成した絵をゼロから作り出せることを目標にすべきです。線画だけに終始するのではなくて。

 

 

 

何らかの制作工程があって、その中で自分の能力を発揮して報酬を得るのは、それで良いと思います。

 

危ういのは、特定の制作工程の中でないと、生きていけない状態です。「それしかできない」状態です。

 

「絵を描いてくれませんか」‥‥と依頼されて、原画マンゆえに線画だけ描いて渡したら、「あれ? これは作業途中の下書きですか? 色は塗らないんですか?」と言われて、「いや、自分は作画の人間なんで」としか答えられないのって、非常にアニメ現場ズレしていて一般の認識から外れています。そして、とても不甲斐ない状態でもあります。

 

「自分は線画を描き続けてきたけれど、絵は描いてこなかったのかも知れない‥‥」

 

絵を描く‥‥とは、普通は背景も人物も色を塗るところまでを言うのです。キャラの線画だけで済んでいるのは、アニメ制作現場の中のかなり特殊な状態です。

 

 

 

もし、アニメを作れる!‥‥と言うのならば、線画だけしか描けないのはウソになりますよネ。文字通り、アニメを作れる状態、背景を作って、キャラを描いて塗って動かして、コンポジットもする‥‥という全ての工程をできるようになってはじめて「私はアニメが作れます」と言えるのです。

 

そんな無茶な‥‥。全ての工程を自分ひとりで‥‥なんて‥‥。

 

であるのなら、「アニメが作れる」と言ってはダメなのです。あくまで「アニメ制作現場の線画を描いています」と言うべきでしょう。

 

たったの1カットだって、ひとりでアニメ映像を完成できないのなら、アニメが作れるとは言えませんよネ。

 

 

 

うわ〜、ヤベェ‥‥、俺って、アニメを作っていた気になっていたけど、実際のところは、たとえ1カットでも自分ではアニメ映像を完成できない奴だったんだ‥‥

 

実は、こうした自分に対する限界を痛感したからこそ、20代の頃の私は、自分で描いて塗って撮影までしてみましたし、After Effectsの機能が発達した2003年頃にはカットアウトのようなことも考えはじめましたし、2000年代では2K、2010年代では4Kをゼロから作る取り組みもしてきました。

 

真の意味で「アニメーターでありたい」と思ったのです。

 

絵を動かして映像として完成させる人間。

 

原画マンにとどまるのではなく。

 

 

 

で。

 

こんなに苦労してきた。こんなに頑張ってきた。‥‥なんて自慢話をしたいのではなくて。武勇伝なんかどうでもよくて。

 

皆さんも、やりませんか?

 

現在の技術をふんだんに活用して、自分の能力を広げていきませんか?

 

絵全般、映像全般に対して「ツブシ」の効く人間になって、アニメ業界だけでなく、色々な活躍の可能性を広げてみませんか?

 

機材は適切なものであれば構いませんが、例えばiMac 5KとiPad Pro 12.9で、自分で描いて塗ってコンポジットすれば、業界の都合に左右されず、「アニメを作る基礎能力」を手に入れて、自分の資質をどんどん広げていけますよ。

 

自分の資質を広げておけば、結構色んな場面で「あ、それ、私できます!」と名乗りを上げて、新しい道を開拓できるものです。

 

依頼があったら‥‥なんて考えていても、そもそも自分の資質が広がってなければ、依頼なんてどんなに待っても来ませんヨ。

 

ぶっちゃけ、現在の制作現場のアニメーターには、新しいプロジェクトや新しいタイプの仕事は、かなり振りにくいです。原画や動画の流儀は、新しい技術には要らないですし、逆に邪魔になることもあるので、「原画を描ける人」ではなく「絵を描いて動かせる人」を欲しています。

 

仕事のチャンスは輪番制だと勘違いしていると、いつまで経ってもチャンスは巡ってきません。チャンスはどんどん他の誰かにスキップしていきます。

 

作画専門です。今は2原メインです。‥‥という人と、作画を主にしていますが、色々と自分なりに試して絵を作って貯めています。‥‥という人のどちらに、新しいタイプの仕事がいくのか、ちょっと考えただけでも判りますよネ。

 

前にも書きましたが、今までのキャリアはそれはそれで良いのです。

 

従来アニメ制作現場でのキャリアは既に獲得しているのですから、そこにプラスして、「自分だけでもアニメを作れる」状態へと進めていけば、様々な場面で活きてくると思います。

 

 

 

アニメ業界に「忠誠」を誓って、では、アニメ業界は「恩賞」をあなたに与えてくれますか?

 

アニメ業界はアニメ制作現場で働く人々の「影」であって、実体が存在して何かの保証をしてくれる存在ではないです。

 

アニメ業界をあてにしたところで、ボロ雑巾になってしまった自分の未来がまっているだけですよ。

 

なのに、依然として、アニメ業界のシステムに大きく依存するだけでしょうか。アニメ業界の成り行きに漠然と期待するだけでしょうか。

 

せっかく絵や映像を作る仕事(それが部分的な工程であれ)を身につけたんだもん。それを様々な角度に向けてさらに育てて活かすのが、自分に対しての良き発展の方法だと思うのです。

 

今、2原を描いている人、アニメの撮影をしている人は、自分の20年後、30年後を思い描いてみましょう。

 

自分から原画作業をとったら、何も残らなかった。自分からアニメの撮影をとったら、何も残らなかった。‥‥なんていう未来を望みますか?

 

今から自己能力開発に着手して、自分が40や50になった時に幅広い活躍ができているように、自分の未来を変えていきましょう。

 

 

 


ゲーム「依存」

このような記事を読みました。

 

「ゲーム依存」初の全国調査 長時間ほど仕事や健康に悪影響

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191127/k10012192941000.html

 

ゲームへの依存に関する全国規模の調査が初めて行われ、ゲームに費やす時間が長いほど仕事や健康に悪影響を及ぼしている実態が明らかになりました。

生活に支障が出るほどゲームに熱中する依存症は、WHO=世界保健機関がことし5月、「ゲーム障害」という病気として認定し世界的に対策が求められています。

 

 

ぶっちゃけ、何かに集中し続けて、他が疎かになれば、生活や健康に影響がでるのは、容易に想像できますよネ。ゲームに限らず。

 

仕事だって、そうだと思うし。‥‥座りっぱなしの仕事は、かなり健康を害すようですしネ。私がApple Watchを買ったのは、定期的に体を動かすタイミングをApple Watchにブルブルッと震えて知らせてもらおうと思ったからです。

 

 

 

なんだかんだ言っても、やっぱり、当人の状態や性質が、ゲームとの関わりの「善悪」を分けると思います。

 

まさに依存症とばかりに、ゲームに没頭することで、日々の不安やわだかまりを紛らわせる類いの人もいましょう。

 

しかし、ゲームはそうした面だけではないです。私はシミュレーショゲームをやったおかげで、とても重要な「思考の方法」を手にできたと実感します。

 

 

最前線に新型の戦闘機を投入するには、どのように開発を進め、何ターン前から生産を開始すれば、前線投入に間に合うか。

 

やみくもに攻めるだけでなく、兵站・補給線をどのように確保するか。

 

漠然と戦力を投入するのではなく、どの戦域のどの地点に対し戦力を集中し、いつ攻勢を開始するか。

 

こう着状態と見せかけて、水面下で大攻勢の準備をするには。

 

索敵を徹底して情報蒐集し、伏撃を成功させ敵の主力を壊滅させるには。

 

天候、地形をどう戦いに活かすか。

 

ハイテク産業を発展させるには、どのような都市環境を作るべきか。

 

どのような福利厚生にチカラをいれると、高い教養と技術をもった住民が地域に根付いて、産業が発展するか。

 

地域を発達させるためには、どのような交通網を整備すべきか。

 

 

‥‥こんなのさ‥‥‥、現実の世界で体験することなど、できませんよネ。ゲームだからできるんです。個人がリアルに土地を買い取って高速道路を建設できるわけ、ないもんネ。

 

シミュレーションゲームは特に、プレイしている期間は「どハマり」することが多く、一見、ゲームに熱中し過ぎているビジュアルになります。でも、ゲームが終われば、どハマり状態も終了します。

 

何か、憑き物がとれたように、ゲームをしなくなって、ゲームで体験したことだけが体に残ります。

 

泥沼の消耗戦に陥ったり、虎の子の精鋭部隊が全滅したりと、ゲームの中での痛い失敗は、現実の生活の中で「疑似体験からの反面教師」として活きることもあります。

 

例えば、仕事で何かアイデアを実現させようと思った時に、どのように事前に準備や状況を進めておくか‥‥など、モロに戦略シミュレーションゲームや都市経済シミュレーションゲームの体験が活きてきます。

 

 

 

まあ、社会が問題視するのは、何年、十何年、何十年も、ゲームにハマったまま、閉じこもってしまうタイプの人(中年引きこもりや生活保護を受けてまで没頭するなど)や、昔の競馬競輪ギャンブル中毒症の父親像のようにアホみたいに課金して生活を破綻させるような人ですよネ。

 

たしかに、そういう人は問題アリと判断されても、やむなしです。

 

また、いかにも「お金を吸い出す」タイプのゲームがあるのも事実です。人間を「金脈」扱いするような言動を、その筋の人々から耳にしたことがあります。どうやってユーザに課金させるか、ゲーム開発の中の人は、当然ながら考えますよネ。

 

でも全てのゲームがそうであるわけではないです。

 

 

 

ゲーム依存か。

 

もし私が何かを言うとすれば、一生をゲームに費やさないほうがいい。‥‥くらいのことでしょうかね。

 

ゲームから学べることはあります。確実にある。

 

しかし、ゲームをしている時間は他に何もできなくなります。拘束時間も長い。そこがちょっと危険ですネ。

 

ゲームで学んだことは、様々な現実世界の状況において、転用して活用しなきゃ。

 

 


技術の選択肢を増やす

新しい技術を導入するとき、意外に多くの人は、「次はソレに完全転換」と思い込みがちです。まるで「改宗」でもするかのごとく。

 

しかし、技術の運用面から見て、今まで蓄積した技術経験をあっさりと全て破棄して、新しい技術へ乗り換えるのって、かなりリスキーです。

 

カットアウトの導入に関しても、完全にカットアウト化するのではなく、ハイブリッドで従来方式と並列で導入すれば良いです。実際、欧米のカットアウトは、完全に入れ替わって運用しているわけではないそうです。カットアウト7割、従来方式が3割と聞いたこともあります。

 

日本の場合、1枚ずつ描き送って動かす方式が現役で、しかも高度に発達していますから、欧米の割合を鵜呑みにする必要もないですし、そもそも完全に移行する必要も感じません。

 

問題なのは、

 

何をやるにも、今までの方式、1択。

 

‥‥という状態です。

 

今までの方式しか選択肢がないのは、様々に映像制作技術が発達した現在において、ひいき目に見ても偏った状態であり、まるで「時代の旨味」を活かせていません。

 

何を動かすにも、1枚ずつ描く。そうでなければ「3D」。‥‥大雑把すぎる運用方針だとは思いませんか?

 

 

 

日本のアニメ業界は、もっと世界の風を体に感じて、心を洗うべきだと感じます。

 

欧米に感化される必要はないですが、あまりにも「殻に閉じこもり過ぎ」なのは、自覚すべきでしょう。

 

殻に閉じこもっていると、色々な機運を逃します。例えば、報酬の問題。‥‥動画の単価は、あまりにも安いままですが、今までの殻の中では、単価の改善の機運などどこにも存在しませんよネ。

 

1枚ずつ描く方法に囚われていては、「報酬の改善など絶対に不可能」です。1枚ずつ描くのは、とても手間とコストがかかることを、改めて認識して、他の技術も取り入れた上で、従来作画の報酬を格段に向上させる方法を考えるのが現実的です。

 

過去の方法論のまま「単価が上がれば」とずっと念じていても、一向に単価など上がりません。念じればいつか願いが叶うなんて、ファンタジックな宗教みたいなものです。ファンタジックではなく、プラグマティックに、未来を考えましょう。

*まあ、新しい技術を模索しない人々にとっては、過去の方式に執着することがプラグマティックなのかも知れませんが。

 

 

 

全部を変える必要などないです。

 

新しい方法を取り入れてみれば良いのです。

 

自分たちがどれだけ「思考的に硬直しているか」を自己批判し、新たな方法論を増やせば良いです。

 

思考の柔軟さを、意識的に取り戻すこと。

 

アニメ業界の窮状は今に始まったことではないにせよ、昨今の濫作状態に追い詰められていると、何かとこわばってしまいがちですが、追い詰められている時こそ、年長者の柔軟性・しなやかさが問われます。

 

年長者は「若い頃の意識のまま、歳だけとった」状態に甘んじるのではなく、意識的に「年長者は何をすべきか」を踏まえて、お互い頑張りましょうネ。

 

 

 


つぶやき

今までの作り方のまま、デジタル作画に移行してクリスタやTVPで4Kを作ろうものなら、デスマーチがそこかしこでこだまするでしょう。今までの方法で4Kを作ろうとしても、ただ単に大変な作業内容へとエスカレートするだけで、大変さを相殺して打ち消す新しい方法論がないですもん。

 

4Kでのろくろを作るのなら話は別だけど、日本のアニメ特有の線の多いキャラを動かすのですから、大変になるのは誰だって想像できますよネ。4Kで線の細かくなった絵を、テレビアニメで3000〜8000枚も描くわけ? 無理ですよね。人もお金も時間も。

 

4K時代へ進むことは、カットアウトの導入とペアなんよ。

 

新技術なくして、未来には進めず。です。

 

今はカットアウトの作業体制が整わず、一見は非効率に思えますが、そんなのは紙運用の黎明期だって同じだったでしょ。

 

誰かが整備した運用スタイルにちゃっかり乗った人々は、まるで意識もしないのでしょうが、何を始めるにも最初は試行錯誤の連続なのです。ひとつひとつをエラー&リトライしながら決めていって、ようやく土台が形成されます。

 

 

 

いずれ、時代が証明しましょう。

 

4K時代の社会に、アニメ制作業がそもそも追随できるか否か。

 

なんとか4Kに移行したとして、今までの方法で作り続けて、成立するのか否か。

 

ホワイトになれるか、ブラックがもっとブラックになるのか。

 

それとも、状況や変化に柔軟に対応して、時代に合った技術を根付かせて、現場の生まれ変わりを実現できるのか。

 

 

 

止まらない濫作乱造、4Kに対応できないまま時間を浪費する一方で、3DCG勢の追い上げに対抗できず、さらには社会的な責任を問われて現場のブラック改善にも対処して‥‥と、今までの方法で作り続けることの難しさが、2020年代にブチまかれることでしょう。

 

破裂寸前まで膨らみ切った負のバブルが、2020年代に弾けることは、誰だって想像するんじゃないでしょうか。よほど、自分の作業工程の閉鎖空間に閉じこもっていない限りは。

 

 

 

アニメの産業が、過去の思い出になるか、新しい時代の娯楽として生き続けるか。

 

現在の自分たちの考えや行動が、未来を徐々に、そして確実に決めていくのでしょう。

 

 

 


APFSと復旧作業

iMac 5Kのディスプレイを引き剥がし、中にある故障したHDDを外してSSDに交換し、起動ディスクをリカバリー‥‥という段取りは、iMac 5Kを所有する人なら経験するかも知れない「厄介な出来事」でしょう。ディスプレイを剥がすだけでも怖いのに、1つ大きな落とし穴があります。

 

APFSです。

 

そろそろ故障が始まる時期であろう、YosemiteやEl Capitan時代のiMacは、HFSのディスクフォーマットしか存在しなかった時代のiMacであり、コマンド+Rで起動するとAPFSフォーマットのディスクが認識されずリカバリーがまともにできません。Yosemiteのリカバリーで起動すると、APFSのディスクはまるで未フォーマットのようにディスクユーティリティからは見えます。

 

ヨセミテとカタリナの不整合が、メンテにふりかかってくるわけです。

 

私はまさにソレ、「APFSが存在しなかった時代のOSの問題」を見落としていて、足かけ2週間、メンテに消費しました。(仕事をしながらなので平日は放置し、正確には日曜日を2回使って復旧しました)

 

特にCatalinaをインストールしているiMacですと、SSDに関わらずHDDでもAPFSのパーティションが存在するみたいなので、余計厄介なことになります。‥‥実感しました。

 

私は既に復旧完了させたので、試してみることはできませんが、最近のiMacやMac mini以外の、2015年前後のMacを使っている場合は、

 

コマンド+オプション+R

 

‥‥で、リカバリーしたほうがよさそうです。

 

Appleのサポート文書には、

 

通常は (Mac を macOS Sierra 10.12.4 以降にアップグレードしたことがない場合は特に)「command + R」が推奨されます。

 

‥‥とあるので、つまりは、「Mac を macOS Sierra 10.12.4 以降にアップグレードしたことがある場合」は、コマンド+Rだと問題が生ずる場合がある‥‥のでしょうネ。確かに私の場合、コマンド+Rで復旧したがゆえに、かなり遠回りしてリカバリーしてしまいました。

 

 

 

でもまあ、遠回りはしたものの、今はまた以前の調子が戻ったiMac 5K 2014(初代)。

 

あと、1〜2年は頑張ってもらうつもりです。

 

 

 


TBH

Toon Boom Harmony(以後TBH)を再び使い始めました。After Effectsでのカットアウトは生産効率の面で限界があり、より一層、カットアウトに適したアニメーション制作統合環境の必要性を感じていますが、TBHはその切り札となる存在だと感じています。

 

TBHの特徴は色々ありますが、使い勝手が良い特徴の一つとして、1つのレイヤーに4つのレイヤーを内包する機能があります。ラインレイヤーとカラーレイヤーの他にオーバーレイとアンダーレイが持てるので、様々な場面で様々に活用できます。私は現在、服の模様を一部貼り込むためにアンダーレイを使っています。

 

テクスチャを貼り込む部分だけアンダーレイにペイント(カラー)を複製しておき、テクスチャを貼り込むマスクとして活用するのです。一見、1つの描画レイヤーに見えても、その中には、線とペイントと任意マスク(任意画像)を独立して内包できるわけです。この機能はシンプルに便利ですよ。

 

After Effectsでも同じ構造は作れますが、あくまでユーザがプリコンポーズなどの機能を駆使して作るだけで、ソフトウェアが機能として実装しているわけではないです。After Effectsをカットアウトで使う際は、準備に手間がかかる由縁です。

 

 

 

とはいえ、TBHの多機能なレイヤー構造を、毎回ほじくってテクスチャを合成するのは、同様に手間がかかりますよネ。

 

そこでさらに便利な機能がありまして、グループ化とマルチポートIN/OUTです。

 

テクスチャの処理構造だけをグループ化して使い回すことができます。‥‥この機能は、After Effectsでは真似できない、TBHならではの利点です。

 

 

プログラムで例えるなら、ユーザ独自のファンクションを作って、ユーザ任意の入出力(引数と戻り値)を実現するような感じです。

 

もしギターを弾いている人なら、自分独自の「エフェクターボードが作れる」と言えば解りやすいでしょう。

 

 

*エフェクターボードには、ギターもスピーカーもないですが、自分の思う通りに音色を変える仕組みの数々=エフェクターが詰まっています。

 

 

上図のBOSSのペダルボード(日本ではエフェクター、欧米ではペダル、ストンプと呼ぶようです)で例えると、中に収納されたエフェクターがTBHのノード、収納ボックスがグループ、ボックス装備のIN/OUTがマルチポートIN/OUT‥‥という感じです。

 

*SplitterとCombinerは私が改称しただけで、元はコンポジットノードです。コンポジットノードが台形の形をしているのは、パススルーであることを示しています。ベクターを非破壊で通過させたいので。

*コンポジットノードを分配器として使うのは、かっこ悪いでしょうか?‥‥まだまだ機能を把握できてなくて、もっと優雅な方法があるかも知れません。

 

 

テクスチャは単に貼れば良いわけではなく、線画の下、ペイントの上になる必要があります。貼り込むパーツのマスクで切って一番上に貼り込んじゃうと、線まで消えてしまいます。

*二値化ペイントの場合は、線を除いたペイント部分のマスクは抽出が容易です。ゆえに巷の現場は貼り込みを多用していますが、動きを追って貼り込む撮影さんの苦労は相当なものです。作画の人が貼り込みを経験すると、皆驚きますよネ。その大変さに。

 

そこで、「貼り込まれる側の画像」を線画とペイントと貼り込むマスクの3つにひとまず分解し、「貼り込む側の画像」を線画の下、ペイントの上に挟み込んで合成して出力します。貼り込む画像はいつも100%の不透明度とは限りませんので、ペイント実体は一番下に配置しておきます。

 

下図のように、「貼り込まれる側の画像」と「貼り込む側の画像」を受け入れるポートを2つ、合成結果を出力するポートが1つ‥‥と、自分の思う通りの設計で「処理構造」を1つにまとめることができます。

 

 

 

 

これは、After Effectsでは無理。クリスタでも無理。TVPやCACANiは使ってないので解りませんがどうでしょう。

 

上乗せ楽チンの処理セットはAfter Effectsでも作れますが、入出力ポートを実装したセットは作れないですもんネ。

 

TBHって、内容を知れば知るほど、オブジェクト指向のIDEみたいな性質が見えてきます。つまり、使う側の創意でいくらでも「化ける」っていうことです。使う人間次第で「映像表現と生産性が拡張される」わけです。

 

 

 

日本のアニメの作り方は、手続き型、段取り型ですが、TBHは明らかにオブジェクト的な思考を足場にしています。なので、日本アニメ業界標準である「何度も同じ素材を新作して、何度も同じ段取りを繰り返す」非ライブラリ型・段取り型の制作方法を、TBHで模倣しようとすると無駄が多くなって「一見、機能が過剰」なように勘違いすることもあるでしょう。

 

とはいえ、かつての私がそうでしたが、簡単に「オブジェクト指向の頭」には切り替わらないないものです。段取りを考えて、それに必要な要素を順次こなしていく‥‥という思考から、中々抜け出せません。似たような作業段取りを毎度毎度繰り返して、縦割りばかりの構造を考えがちです。

 

クラス型限定でも構わないから、まずはオブジェクティブにアニメ制作を捉え直してみることが必要です。実は紙運用の「カット袋」がまさに「カットというクラス」のインスタンスなのでしょうが、明確に意識している人はあまり多くはないかも知れません。カット袋の表面に並んでいる記入欄を、「カット」オブジェクトのプロパティやメソッドだと考える人は少ないでしょう。

 

 

 

TBH〜Toon Boom Harmonyは、「手続き型」に慣れ切った日本のアニメ制作現場の思考を、ちょいちょいとくすぐってくる、ある意味「挑発的」なソフトです。日本的段取り思考の弱点を突いてくるようなところがあります。

 

でも。

 

日本のアニメ制作現場にだって、オブジェクト指向な人間はいらぁ!‥‥ですよネ。全員が全員、手続き型の思考に染まっているわけではないです。

 

オブジェクティブな考え方を現場で説いても、今は「わけのわからんことを言ってるな。夢想家なのか?」と扱われがちでしょうが、めげないで頑張りましょうネ。今までのアニメ業界の作り方で未来もみんなで生きていけると思う方が、幻想であり夢想家なのですから、冷静に対処しましょう。

 

ぶっちゃけ、手続き型で4Kの緻密な絵を作るのは、肉弾攻撃に及ぶがごとくです。迫り来る4Kに対して、特殊攻撃隊を組織するわけにはいかないでしょう? 肉体ではなく、頭脳で、未来を迎え撃ちましょう。

 

 

 

TBHは確かに他のソフトと比べて高価ですが、ヤバいポテンシャルを秘めています。

 

わたし的に言えば、とにかく今は、使い込んで、慣れることです。ライブライリの機能をまだまだ使いこなせていません。マスターコントローラとかもまだ全然板についていませんし。

 

どんどん色んな絵柄をTBHで試して、可能性を具体的に見出すことが今は必要でしょう。

 

 

 

 

 


逆転現象

動かすのが楽しい‥‥から、いつしかアニメ産業内外のニーズゆえに「かわいいキャラを描くのが楽しい」へと実質的に移行した感のある、昨今のアニメ業界。

 

この10年以上、動画工程に対して、散々、レタスの二値化に都合の良い線を引け!‥‥と指導し続け、余計な創意よりも整然とした中割りに徹することを品質の基準としてきて、今さら「動画マンの絵を動かす能力云々」を問うても、まずは自分たちの制作現場の見直しをしなければ、単に懐古的な戯言に終始しましょう。

 

動画マンに「線の表情を殺して、濃さ太さを均質に」「動かすのではなく、中割りせよ」と教え続け徹底させてきたのは、ほかならぬ現場の年長者たちなんだからネ。

 

 

 

紙と鉛筆で線を描いて動かしている現場が、レタスのスキャンに都合が良い均質な線を厳守しているのに対し、現在私らが進めているペーパーレスでコンピュータオンリーのカットアウトの線画のほうが、むしろ抑揚があって揺らいでいる階調トレス線を大切にしています。描線のニュアンスを殺さないようにデリケートに扱うのは、紙の運用ではなく、iPadで描かれた画像データの取り扱いのほうです。

 

紙で動画を描く時は無機質に、iPadでカットアウトの清書をする時は有機的に‥‥という、逆転現象みたいなことがおきているのは、なんとも皮肉な話ですネ。

 

 

 

この逆転現象は動きにも言えて、カットアウトの場合、モーションをつける人間が「どうやったら動いて見えるか」を考えに考えぬきます。「中割り」ではなく、「動かす」のです。原画・動画という区分もありません。そこにある役職は「アニメーションを具現化するアニメーター」です。

 

一方、紙の現場は、私が動画の頃(30年以上前)から、タップ割り、中割りが主になっていて、「動画」の本質から遠のき始めていました。動画って、画を動かすことですから、決して中割りすることではないのですが、特に萌えキャラ以降のアニメ制作においては、レタス用の均質なトレス線で中割りの絵を描くことが動画の役職になっちゃっていますよネ。

 

カットアウトは「動かすには、どのような絵が必要か」をまさに思考して、座標やメッシュやキーフレームと格闘します。もちろん、そこには「絵を描く能力」は必須で、自分の思い描いた絵、パーツのフォルムを、After EffectsやHarmonyで具現化して制御することが必要です。絵が描けない人は、カットアウトもできません。

 

紙やデジタル作画は、絵が描ける人々がこんなにも集まっているのに、特に動画は「清書と中割り」の作業に支配されていますよネ。動画が動きを考える‥‥なんて、逆に動きを足したら「余計なことをするな」と怒られる事例すらそこかしこに存在しましょう。

 

 

 

動画マンが動きを描けない‥‥と嘆くのなら、まず自分たちの指導方法、現場のニーズ、そして品質管理も見直しましょう。

 

困った時だけ「動きが描けない人が多い」と言いながら、平常時は「大人しく中割りしてれば良いんだよ」みたいな態度では、ダブルスタンダードもいいところです。

 

直近の10年のアニメ業界は、どんな動画作業のクオリティを望んできたか。

 

現場の年長者たちは、自分の胸に手を当てて、今一度、思い起こしてみましょう。

 

絵を動かす能力よりも、レタス用の均質な線で、手早く綺麗に「中割り」することを、多く望んできたでしょう? 萌えキャラを綺麗に仕上げるための、動きはそこそこにして線画としてのフィニッシュを品質基準として要求してきたでしょう?

 

若い人間だけに「能力不足」を押し付けるのは、フェアじゃないです。年長者の「過去の行動の鏡」なのです。

 

 

 

動画工程に、動きを足して考える余地を、ちゃんと与えてきましたか?

 

動画工程に、動きを考えることをやめさせたのは、まさに近年の制作現場そのものでしょう? であるならば、能力が芽を出して育つことがないのは、当然のことですよネ。

 

それについては、私も同罪です。動画には「中割り」だけを求めて、最悪「均等割りだけでも動きが成立」するような原画を描いてきました。それによって自爆=原画枚数が多くなって自滅するようなことも多々ありましたが。

 

なので、私の過去へのアンサーは、カットアウトなのです。動かす能力が直にパラメータやキーフレームとして表れる「ど直球」な動きの技術へとシフトしているのです。動かすのなら、動きのスタートからラストまで。

 

既存の動画工程や原画スタイルに文句を言う前に、自分の手で線画からコンポジット素材まで作り出すのが、未来への「私の答え」です。もし手分けしたとしても、今までの方法ではないです。

 

 

 

カットアウトではね‥‥。

 

絵を描く人を募集してます。

 

動かす人を募集してます。

 

つまり、アニメーションの原点です。本質です。

 

 

 

ほんとに皮肉な話だ。

 

紙と鉛筆では「清書と中割り」を大人しく作業する動画工程の人間を欲し。

 

iPadやiMac、PC、Adobe CC、クリスタ、Harmonyなどを使う新しい制作工程では、アニメーションにネイティブな能力を有する人間を欲している‥‥というのが。

 

中3枚?

 

何枚でもいいよ。それらしく動いているのなら。

 

原画動画に分断して、動きを考える必要は、カットアウトにはもういらない。

 

動かす人間が、動きを考えれば良い。

 

演出は演出プランに基づいて演技を導けば良い。動かす人間は、キャラの所作や芝居の細かいニュアンスを考えれば良い。

 

何よりもまず、絵を描くことを考えよう。そして、動かすことを考えよう。

 

 

 

* * *

 

前にも書きましたが、私は子供の頃から旧作のど根性ガエルが好きで、先天的にはドタバタなアニメが好きなのです。リアル系の描写は後天的な要素です。

 

パタパタと動くアニメ(3コマ主体)は描いてて楽しいし、ドタバタな動きは全原画になりやすいですが、苦になりません。線が少なければなおさら。

 

以下は、10年以上前に「付けPAN」のコンポジットの解説用に作った1カットです。ラフな描線のままで仕上げて、全原画で描きました。‥‥リアルものには使えない、パタパタとした動き、ですネ。

 

*こういう、人間の目の残像に訴えかけるパタパタな動きって、実写や3DCGではかなり難しいですよネ。萌えキャラ系でも違和感がありましょう。ど根性ガエルとか元祖天才バカボンとか、今はもう消えたアニメのジャンルが懐かしいです。私も滅多に、こういう動きは描かなくなりましたしネ。

 

コンポジット的には、3枚BGの乗り換えで、2番目のBGはリピートの流背、さらにカメラの揺れやブレなどが技術的な要点です。

 

こういう動きは、髪の毛に7色も使うような女の子キャラには合わないんだよネ。影なしで、パーツは一色!‥‥という、まさにど根性ガエルのような昔の「テレビ漫画」にジャストフィットします。

 

 

 

可愛い女の子キャラが、アニメの作風を支配すれば、そのキャラをそつなく無難に動かす能力が重宝されるのは、仕方がないことです。

 

今後、「絵師さんのイラスト」を動かすような可愛い女の子キャラのアニメが、4Kで作られるようになった時、現場の動画マンは、今以上に萎縮して、まさに「清書と中割り」にがんじがらめになっていくでしょう。

 

年長者が動画マンの「動きの能力」を問うたところで、「アニメコンテンツ」主流は、可愛いキャラを丁寧に美麗に仕上げる作風ですから、動きはどんどんおろそかになりましょう。

 

日々の作業が「動きの能力を発揮することを遠ざける」内容なら、そりゃあ、能力も育たないって。

 

未来はもっとガッチリと型にはまった「清書と中割り」へと、動画マンを束縛するようになるでしょう。‥‥今のままで、行けば。‥‥ですが。

 

 

 


スパゲティコンポジション

After Effectsでカットアウトをやると、動きが複雑になればなるほど、どんどんスパゲティのようにプリコンポーズやマスクや合成モードが絡み合って、まさに「スパゲティコード」ならぬ「スパゲティコンポジション」になっていきます。

 

 

 

最初から「こうすれば良い」という雛型や前例が無いところ=どのように組めば目的の表現を達成できるかを「作りながら考える」ので、試行錯誤しているうちに要素が絡み合うのです。

 

背景、Aセル、Bセル、BOOK‥‥を、定型の撮影用語で指定して、定型のフィルタ(ディフュージョンとかね)で処理する「作業の定型」「表現の雛型」があれば、1時間に何カットも量産して、作品全体では2〜3日で本撮テイク1‥‥なんていう芸当もできましょう。実際に、2000年代後半以降(テレビアニメにAfter Effectsが導入された以降)は既にそうした「量産」によって、おびただしい数のアニメ作品が世に溢れました。

 

しかし、カットアウトはそうはいきません。少なくとも今のところは。

 

 

 

内容の濃いカットアウトになると、我ながら、「自分で半年後にプロジェクトを開いたら、何やってるか、理解に苦しむ」コンポジションになるだろうな‥‥と思いながら作業してます。

 

しかし今は新しい技術の黎明期。

 

スパゲティやむなし。

 

まずは映像を完成することを目標とします。コンポのエレガントを求めるのは、もう少し先。

 

綺麗に整然とコンポが組めるのは、想定内に収まる内容だから‥‥ですよネ。

 

 

 

従来制作現場が、未来的に品質不足になると薄々感じながらも、それでも紙や撮影台代替技術やフィルム時代のタイムシートの運用を止めないのは、「旧世代の技術でも定型があるのは良い」と考えるからでしょう。

 

確かにそれはその通り。アニメ業界が長年蓄積してきたノウハウを、時代に合わなくなったからといって、あっさり捨てることはできないのは解ります。

 

でも、そのアニメ業界とて、最初の最初は、手探りだらけだったはずです。最初から洗練されているわけないです。

 

ある程度はアメリカンアニメーションから方法を「輸入」しても、日本の作品表現、人々の気風にあった制作技術を確立するのは、相当時間がかかったと思われます。

 

 

 

スパゲティな状態を放置せず、その後に「ノウハウ」として「技術継承」する取り組みは必要でしょう。

 

作った本人ですら、未来には理解困難な状態では、技術として広まるわけもなし。

 

現在はスパゲティでも、その後にどのように絡みを解いて整頓するかが、問われましょう。

 

特定個人の機転や融通や器用さに依存しているだけでは、産業には発展できませんもんネ。

 

 

 

従来の枠組み、原動仕美撮でなら、After Effectsでの作業において、全て通常モードで素材を書き出す自信はあるんですけどネ‥‥。

 

やれ、この素材はスクリーンだ、この素材は乗算だ、この素材は比較明だ‥‥とか、やたらと素材を書き出して次の工程に渡すのは、コンポジット初心段階にありがちな光景です。例えば、スクリーンじゃないと明るさをコントロールできないのは、RGBを扱えていない証拠みたいなものです。通常合成でも明るさ暗さを表現できるRGB制御能力を身につければ良いのです。

 

工程をまたぐ時は、基本的に、

 

通常モード一発で決めろ。‥‥そして、できるだけ素材の数は少なく

 

‥‥です。

 

‥‥しかし、カットアウトはまだまだ、そんな「見極めて見通せる」状態にはなく、これから未来の技術です。

 

誰か、共同で、日本でのカットアウト技術の体型作りをやってくれないかなあ‥‥。個人レベルではもう限界に近いス。

 

2020年代の夜明けまであと1ヶ月と数日。新しい時代に、また、アニメを再発明しましょうヨ。

 

 

 

今は‥‥そうですね、「スパゲティコンポジション」を「スパコン」とでも名付けておきましょうか。‥‥既にある略語ですが、かたやスーパー、こちらはスパゲティで、皮肉が効いててイイかも。‥‥まあ、スーパーは食えないけど、スパゲティは食えますしネ。

 

 

 

 


キモい。

キモい。

 

それって、「気持ちいい」の略?

 

誰かが「キモい」という言葉を使い出して、一番最初に目や耳にした時(20〜30年前?)、てっきりポジティブな言葉〜「キモチイ」の略だと咄嗟に思ったのを、今でも思い出します。

 

ところが「気持ち悪い」の略だそうで、なぜ?‥‥と感じたことも思い出します。

 

なぜ、ネガティブに結びつけるんだろう‥‥と思ったのです。言葉をわざわざネガティブに寄せるのは何故だろう‥‥と。

 

「キモい」は「キモチいい」の略で使えばいいのに。‥‥と思ったものです。

 

 

 

物事をネガティブに捉えたい国民性なのかな。

 

良い部分よりも、悪い部分に目がいくタイプの人は、結構多いように思うことはあります。最初に出る言葉が「ダメ出し」の人。

 

日本って、昔からそうだったっけ???

 

「キモい」は、「キモチ悪い」を単に省略した言葉で‥‥とか言うのでしょうけど、省略しなければならないほど、頻繁に「気持ち悪い」を何かに向けて放つ当人のコンディションて、どういう日常なんだろう‥‥と、やっぱり不思議なんだよね。

 

貶める言葉をどんどん作るよりも、褒める言葉を作った方が良いのにネ。

 

昔、凄く上手いことを「バリうま」と言ってた人を思い出します。もっと上手い人は「リバうま」とのことで、なんだか微笑ましいですネ。

 

 

 

Durch Leiden Freude

 

苦悩を経て、歓喜へ至れ。

 

ネガティブを経て、ポジティブに至れ。

 

日本では第九の季節が近づいてまいりましたネ。「フロイデ!」

 

ベートーヴェンって、今の日本の感覚からすると「キモい男」の部類に入りそうな感じですが、私は好きですヨ。バッハと並んで、愛して止まない‥‥と言っても良いです。実際、世界中で愛聴されるベートーヴェンの音楽は、ベートーヴェンの「キモチいい」部分があればこそ、ですよネ。

 

 

 

目指すところ、側に寄せたいのは、歓喜‥‥で、ありたいものですネ。

 

 



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