Swift Playgrounds

最近知ったのですが、Appleから出来るだけ簡単に(=気構えなく気軽に)Swiftプログラミングを習得できるように、「Swift Playgrounds」というAppが無料公開されていたのですネ。知らなかった。

 

https://www.apple.com/jp/swift/playgrounds/

 

ちょっとやってみたのですが‥‥‥、そうか‥‥、こうすれば、プログラム習得って敷居が低くなるのか‥‥と、関心することしきりでした。今までのプログラム入門の「入門とは言え難しい」という常識を覆す、ゲーム感覚で「プログラムの概念」を覚えられる「欧米ならではの」発想の入門書です。

 

いきなり「概念」から覚えられる教え方には、感服しました。私が過去学んできた学習書には全くなかったタイプです。

 

そもそもプログラムで何が出来るのかを知らなければ、プログラムを学ぼうなんて人間が増えなくても当たり前です。カリキュラム‥‥という観点で考えれば、「何のために学ぶのか」を一番最初に理解してもらうことが、「学ぶ行為として合理的」です。

 

‥‥凄いよなあ‥‥、欧米の合理性は。

*もちろん、今までの日本の学習書でも「概念」には軽く触れてはいましたが、逆に言えば、軽く触れる程度で、何よりも最初に概念について徹底的に反復するようなことは無かったです。‥‥私の買った学習書では、です。

*まあ、日本人の学習は、たとえ「ゆとり」なんていう言葉を使っても、考え方が「詰め込み型」になりがちなのは、「民族性」なのかも知れませんね。「ゆとり」なんていう言葉のチョイス自体が、「詰め込む量を少なくして、ゆとりを持って」という考え方そのもの(=詰め込む思想自体は変化なし)ですもんネ。決して、「イメージを最初に掴む」タイプの学習法ではないです。‥‥私も反省せねば。

 

変数に値を代入する‥‥なんてことを最初に覚えてもらおうとしても、「それが何のためか」が解らなければ、よほどプログラムに興味があって忍耐強い人でなければ、挫折しちゃうもんネ。

 

Swift Playgroundsは、「Byte」という名前のゲームキャラクターを、コード(プログラム文)で操作して、ミッションを達成する‥‥という流れで習得は進みます。これは言わば「任意の対象を、プログラムで処理して、意図した結果を得る」という流れをそのまま「ゲーム風」に体現した内容です。いきなりコンピュータの専門用語責めにされるより遥かに馴染みやすく、「まず最初に根本的なプログラムのイメージを掴め」ます。

 

そして、「ゲーム風に噛み砕き過ぎている」こともなく、最初からプログラム文の習得を意識して、プログラム文独特の、例えば「moveForward ()」のような文体を、学習者の目に馴染ませています。

 

うーむ。私が学習してきた日本人著者の書を振り返るに、なんで日本人は、Swift Playgroundsのような教え方ができない民族なんでしょうかね。

 

まあ、日本人は、目的よりも手段を重んじる気風が「なんやかんや言っても」ありますから、目的よりも手段から教え始めることが多いのかな‥‥とも思います。日本人は目的の「地」ではなく、至る「道」を重んじますからね‥‥。それは善くもあり、悪くもあり‥‥。

*目的よりも手段を重んじる気風は、まさにアニメ業界そのものです。じゃなければ、ここまで旧来の技術に固執せんわな。

 

 

で、Swift Playgrounds。

 

例え映像制作でも、これからコンピュータで飯を喰っていこうとする若い人は、Swift Playgroundsをゲームノリの軽い感覚で始めてみても良いように思います。プログラムを覚えておいて、損な事はないですから。

 

 

思うに、このSwift Playgroundsでプログラムの概念や流れを習得すれば、他のプログラム言語も馴染みやすくなると思います。プログラム言語は呪文ではなく、ましてや感情表現や暗喩を盛り込んだ詩でもないので、何らかのプログラム言語を覚えると、書式の違いこそあれ、いくらでも「考え方の応用」が効きます。

 

実際、私は最初Apple Scriptでプログラムを始めて、その次に、インターフェースも自分でデザインして「ソフトウェア」っぽいものが作れるREALbasicに熱中しましたが、その後はPerlやPHPなどのWebで用いられる言語、After EffectsやPhotoshopで使えるJavaScript、ShellScript、Xcodeなど、必要に応じて色々なプログラム環境に難なく馴染むことができました。1つの言語を熱心に勉強した後だと、他言語への「読み替え」が効くのを実感しました。

 

 

 

私も、こんなに気軽にカリキュラムが進むのなら、Swift Playgroundsをやってみようと思います。実は、忙しさにかまけて、Swiftの習得は失速気味なので、丁度良いです。

 

でも、今のiPhone・iPadのApp開発って、どうなってんのかな‥‥。昔は、結構面倒な縛りというか、段取りがあって、オリジナルアプリをローカル限定で使うようなことも気楽にはできなかったはず‥‥です。その辺は多少、今は緩くなってるんだろうか。

 

ちなみに、私がMac版のソフトウェアを思いついたその場でどんどん作って、どんどん使えたのは、外部に公開しようと思わなければ、何の面倒もなかったからです。ファイルと同じで、コピーすればすぐ使えたんですよね。

 

あ‥‥、でも、今はMacのアプリも縛りが多少キツくなっているようです。開発元不明のアプリは、管理者権限がないと実行できないようになってます。なので、30分くらいで作った急凌ぎのアプレット・ドロップレットのAppleScriptなんぞを、他のマシンに持ち込んでも簡単には実行できないようになっています。

 

‥‥まあ、それもそうか。ウィルス社会だもんね‥‥。

 

 


タブレットの作画環境を気に入っている理由

私は、iMacの作業と、iPad Proの作業は、完全に分離していて、同じ机では作業しません。なぜかと言うと、操作が煩雑だからです。

 

iMacを使っているときは、マウスとキーボード中心です。板タブも繋がってはいますが、サブ要素でしかないです。AfterEffectsや文章書きなどは、iMacです。

 

iPad ProやFireを使っているときは、キーボードはBluetoothで使用可能であるもののほとんど使用せず、すべてApple Pencilと手=タッチ(ジェスチャー)だけです。絵を描く用途がメインです。

 

コンピュータでアニメを作る‥‥といっても、手の感覚が重要な作業はiPad Pro、数値入力を含めた全般の操作が必要な作業はiMacやMac Pro‥‥という住み分けが定着しています。

 

私が、作画机にモニタを置かずに、タブレットだけで構成しているのは、作業の動作の流れをできるだけ止めたく無いからです。設定資料のページをめくるのに、いちいちマウスに持ち替えるのは「大した手間でも無いように思える」のですが、実際、タブレットオンリーで、フリックやスワイプ、ピンチインアウトのジェスチャーに慣れると、マウスに改めて持ち変えるだけで「作業の腰を折る」ようなストレスを感じます。

 

タブレットのタッチ操作で統一する事で、作画机は格段に使いやすくなる‥‥と私は実感しております。

 

 

ちなみに、「スワイプで設定資料のページをめくるのって地道すぎない?」と思う人もいるかと思います。実は私も以前はそう思ってました。

 

しかし、以下の2つの方法で、マウスで検索するより快適になることを、作業上で学びました。

 

 

1・自分の使う設定資料だけを、PDFで編集しておく

 

これは大事です。自分の作業に要らないページを削除しておくことで、軽量でめくりやすいPDFになります。macOS添付の画像プレビューソフト「プレビュー」で簡単に編集可能です。

 

PDFやアルバムを指でめくるので、設定資料や本をめくるのと、同じ感覚とリズムで、作業に馴染みます。まあこれは「操作の好み」も大きいとは思います。

 

 

2・トリルの操作になれる

 

トリルとは例えばピアノで「ドレドレドレドレドレ...」と2つの音を2つの指(例えば人差し指と中指)で交互に演奏する奏法です。ギターにもフルートにもティンパニにもトリルはありますが、ここでのトリルとはピアノの奏法を指します。

 

スワイプ操作は、何も人差し指だけしか使っちゃいけないのではない‥‥のです。人差し指と中指を交互に動かせば、超速のスワイプが可能です。‥‥実際に、私はこの2年間近く、「トリルスワイプ」でいくつもの作品を設定をめくりまくりました。

 

ただ、ピアノの打鍵のトリルとは違って、指で引っ掻くようにトリルの動作をします。じゃないと、スワイプにならんから。

 

もしかしたら、3本指のトリル(3つの音の場合、トリルとは言わないですけど、話の流れで便宜上)だと、もっと速くなったりして。「ミレドミレドミレドミレドミレドミレド...」という感じに。‥‥私はそこまでせずに、2本指だけでやってます。

 

 

 

 

まあこれは、私の2年間の作業上の実感なので、絶対的なものでは一切無いです。

 

ただ、パソコン本体とパソコンモニタを、原画机や動画机に置くのは、ちょっと無理があるかもな‥‥と、色々な人々の環境をみて思います。タワー型のPCを机に置いているのをたまに見かけますが、あれは正直、「無い」です。作画机は、タワー型を置くようには全く想定されていないので、相当無理がありますよネ。作画をする人がコンピュータを導入した上で、机を広く使う工夫は、まだまだこれから先の課題‥‥ですかね。

 

ちなみに、タブレットだと4台置いても、そんなに狭くならないですよ。こんな感じで。

 

 

‥‥というか、数えてみたら、5台でしたね。写真では12.9インチが2台になっていますが、通常は10インチのが置いてあります。

 

しかし、これだけ置いてあると、AirDropも鬱陶しい。デビルマンのコミックの最終ページ「ゴゴゴゴゴゴゴ...」みたいです。

 

 

 

ちなみに、High SierraとiOS 11にしてから、ちゃんと各々の端末固有名が表示されるようになって、iPadがすべて「iPad」としか表示されないマヌケな仕様から改善された模様です。あ〜、良かった。(上図では端末名は非表示にしています)

 

 

タブレットの良いところは、USBやLightningの細いケーブルで繋がっているだけなので、いざとなれば、1分で机を全快にできる点です。

 

パソコンのモニタは重いし、電源ケーブルはぶっといし、下手するとDVIケーブルなんかだと最悪だし‥‥で、取り回しがキツイんですよね。

 

パソコンは据え置きで環境フィックスするもので、タブレットはちょっとした移動だったら軽快にできるのが、それぞれの特徴だと思います。

 

 

とりあえず、数年はこんな感じの作業環境で運用していくと思います。今までで一番ストレスの無い、コンピュータ作画環境ではあるので。

 

しかし、今後、タブレットやパソコンの進化で、未来はどうなっていくのか。‥‥作業環境も時代に応じて、変化していくことでしょうね。

 

 


10月の新製品

ぶっちゃけ、私はタブレット不足です。私の職場の机を知っている人は「んな、アホな」と思うほど、職場の机にはタブレットが溢れてはいるのですが、問題は「ビュワーに相応しいサイズ」のが不足しているのです。

 

Fireの7では、絵コンテビュワーが精々で、設定資料ビュワーには厳しいのです。なので、10月11日に発売されるFire HD 10はすぐに予約して、発売日の商品到着が待ち遠しい限りです。

 

iPadはやっぱりなんだかんだ言っても価格の設定が高いので、そうポンポンと変えるものではないです。今年の夏に新しいiPad(無印)を実家用に買いましたが、Siriとかカメラや写真アルバムとかMapとか、いろいろと使いこなしてこそのiPadとiOSなので、「ビュワー」には少々オーバースペックなんですよネ。

 

その点、今度のFire HD 10は、まず10インチで画面が大きく、解像度も1920x1200と必要十分。実売で1万円中頃と安いので、セカンド、サードのタブレットにはもってこいです。

 

macOSとの連携も、Cloud越しで簡単です。いちいちファイルの受け渡しにCloud越しは大袈裟だろうと、ほんの1〜2年前までは私も思っていたのですが、いざ使い始めると、「基点としてのCloud」は作業上でことのほか有用です。

 

妙にポータブルHDDやUSBメモリを持ち歩いて、どれが「コピー親」か判らなくなるより、Cloudの運用に慣れて、Cloudを基点にしたほうが、はるかに管理が楽です。

 

macOSはOSの機能で簡単にPDF書類が作れますから、iMacでもiPadでもFireでも共通のファイルで運用できます。

 

 

私は現在、メインのiPad Pro 12.9インチ、サブのiPad(10インチ前後の)、サブのiPad mini、そしてFireと、タブレット4台体制で作画作業をおこなっています。「過剰」に思えるかも知れませんが、設定資料ビュワーは2つあった方が良いですし(もしくは2ウィンドウ)、コンテだって開いておきたい‥‥となると、あっという間に、描くiPad Proを含めて4台になっちゃうのです。

 

ちっちゃいウィンドウで、その都度切り替えながら、設定やコンテを見るなんて、そんな貧乏生活イヤです。タブレットくらい、自分の好きなように快適に使っても、バチは当たるまい?

 

‥‥というわけで、10月新製品のFire HD 10は、とても楽しみにしているのです。

 

ちなみに、無理して64GBモデルを買わずとも、32GBモデルを買って、microSDカードで記憶容量を増設すれば安く済みます。SDカードも推奨のSan Diskのを買わずとも、Class 8〜10あたりの安めのでも十分だと思いますしネ。

 

 

10月の新製品といえば、気になるのは「iPhone X」です。

 

‥‥私は買うつもりは全然ないのですが、巷のアナリストの予測では、「iPhone 8を買い控えているユーザが、iPhone Xを買う」とのことで、わたし的には「ほんとうかなあ‥‥‥‥‥」という感じです。

 

だって、税込で12万くらいするんですよね。iPhone X‥‥て。

 

私がもともと、スマホにそんなに執着しないので判らないのかも知れませんが、ほんとに8を買い控えして、Xを買うもんかな‥‥と自然に思うのです。色々と新機軸を導入しているとはいえ、MacBook Airより高く、MacBookよりちょっと安いくらいだもん‥‥ねえ‥‥。

 

正直、私は全く予測できません。売れるのか、売れないのか、全く予想もつかないス。

 

でもなあ‥‥、私が初めてiPhone3GS(だったと思う)を買った時も、こんなにiPhoneが日本で流行るなんて思ってもみなかったから、私の「こう言う時の直感」て外れる傾向があるんですよね‥‥。私がiPhone3GSを買った理由は、ズバリ、日本の携帯(ガラケー)の使いにくさにほとほと困り果てて、iPhoneだったら多少は使えるようになるかも‥‥と思ったのが動機だったのです。流行りそうだから‥‥というのは、全く思っていませんでした。

 

まあ、発売されれば、自ずと結果はでるでしょう。10万円を超える価格のスマホを、どれだけ人々が買うのか、興味津々です。

 

 


支えるシステム

色々と未来の計画を進めていくと、やっぱり、自立管理型のソリューションを来年あたりから徐々にでも実働させるべきだ‥‥という結論に至ります。以前、私が撮影業務で土台に敷いていた「atDB」というシステムを、全ての作業工程に対応させる取り組みです。

 

しかしなあ‥‥、「自己連結型」=「作業のひな形を作らない、ひな形」という、謎々のようなシステムを目指しているので、私のプログラム能力では多分に持て余す内容なのです。

 

普通は作業開始の事前に、ワークフローを決めます。絵コンテ、作打ち、レイアウト、演出チェック、作監チェック、原画‥‥のようにです。これを静的ワークフローと私は呼んでいます。

 

しかし新時代のワークフローは動的=ダイナミックなワークフローが必須となります。一度決めたら融通の効かない静的=スタティックなワークフローは、無駄が無駄を呼ぶ高コスト構造へと簡単に呑み込まれます。1カットごとに、必要な工程を随時追加し、不必要な工程を省く、クレバーでフットワークの軽いワークフローを、コンピュータを使って管理・処理するのです。

 

これは管理構造にも適用されて、制作管理も「追っかけが必要か否か」でコストを管理するようになります。

 

自律的に作業が進展するデータベース支援型の工房型制作現場は、制作進行がつきっきりでなくてもどんどん循環するので、管理コストを大幅に抑えられます。一方、アウトソーシング=外注プロダクション・外注スタジオに作業を発注した場合は、それ相応の追っかけが必要になり、人的コスト=人足がどうしても必要になります。

 

レイアウトから作監アップまでを、まさか「作画」の一言で大雑把に管理する会社なんて存在しないように、制作の進行状況を管理する「制作進行」も、ちゃんとした「管理のジャンル分け」が必要だ‥‥ということです。

 

旧来のアニメ制作現場は、それこそほとんどの工程が外注・アウトソーシングだったので、制作進行はジャンルの区別なく「追っかけ」をする必要がありました。

 

しかし、新しい現場では、独自のデータベースに支援された「IT型」のインハウスの制作集団に至っては、素材の受け渡しや集計はどんどん自動で処理されていきますから、進行管理に人足を充てる必要がそもそも無いのです。IT型制作工房に制作進行を何人も配置するのは無用なコストとなるわけです。

 

新しい制作技術において、制作進行のなすべき仕事は、外注の進捗状況の管理、ポスプロやクライアントとの調停・折衝といった、プロダクション内部から見れば「外交面」に特化していきます。

 

「少数精鋭」とは、映像を直に触って作業する人々だけでなく、制作管理スタッフにも適用される言葉なのです。

 

 

しかし、そのためには、相応の基幹システムが必要です。

 

相当難しい‥‥です。

 

作業1つを「ジョブ」オブジェクトとし、自己連結型、自動組み換え型のバインドシステムを作る‥‥。オブジェクトには、様々なメタ情報が「自動記録」(=情報記録にいちいち手を煩わせない)され、もちろんコスト=金と時間もオブジェクト毎に管理され、ジョブ視点でも、カット視点でも、作品視点でも、スケジュール視点でも、制作費視点でも、様々な視点から様々な集計が可能=状況の評価が可能‥‥という、単なる集計システムとは格の違う「アニメ制作の情報技術全般」を網羅したシステム‥‥。

 

う〜ん。やばいな。今の私の手には負えそうもない‥‥。構想が大きすぎる‥‥。

 

でもまあ、条件を下げれば、できなくはなさそうです。自己連結型、自動組み換え型というハードルを下げて、任意連結型、組み換え操作型=連結や組み換えは手動でおこなう方式だったら、今の私のプログラム能力でもなんとかなりそうです。「自動記録」はもう随分前から実践しているので、2018年からは何を開発言語に使ってヘルパーソフトウェアを作るか‥‥という些細な問題だけです。

 

自動だろうが、手作業だろうが、何よりもまずはワークフローを固定型から可変型に変えるだけでも大きな前進です。

 

まあとにかく、4K60pの制作経験からフィードバックして、「atDB」を2020年代以降の新時代に適応させる取り組みを、ぼちぼち始めないとアカンです。‥‥でないと、どんどん面倒なことになってきます。

 

とっかかりは、基礎ライブラリ、ディクショナリの記述から始めて、新しいデータベースの構築を2018年から開始できるようにしないとね‥‥。すぐに着手するのは、macOSの何らかの開発言語、何らかのSQL、そして(私の都合で)PHPとHTMLによるフロントエンド‥‥となりそうです。フロントエンドとなれば、CSSもめんどくさがらずに掘らないとな‥‥。CSSって、大変ですよね‥‥。

 

‥‥で、ある程度、運用の自信がついたら、そこから先のプログラム開発は、「餅は餅屋」に任せたいと思っています。

 

 


お金のこと

「ゆとりちゃん」のMac版が終了して以来、家計簿をつけなくなってしまった私‥‥です。家計簿ソフトは圧倒的にWIndowsに選択の幅があり、一時はWindows版の家計簿を使ってはいたのですが、家計簿をつけるたびにWindows仮想環境を起動するのが億劫になり、途絶えてしまいました。

 

Macはこういうのは弱いよねえ‥‥。

 

まあ、Numbersで自作すれば良い‥‥とは思うのですが、日々の仕事に流されて、途絶えたままです。

 

しかし、自分のこともさることながら、作品作りにおいても、お金の問題からは逃げられません。

 

WindowsならExcelで‥‥となるところですが、Macの場合はNumbersを駆使して、お金の計算を習慣化することが必要に思います。

 

新しい技術による新しいアニメーション制作は、費目が旧来とは大きく異なるゆえに、いわゆる「制作予算表」の慣例がまったく通用しません。かなり周到にお金の計算をしておかないと、どんなに「少数精鋭」型制作現場でも破綻してしまいます。

 

旧来のアニメ制作現場が採り入れようにも採り入れられない「スケーリング」の構造を最初から導入し、単価面、人足面の両面から、精査して枠組みを練る必要があります。過去の慣習に思考を束縛されることなく、大胆な手法も取り入れなければならないでしょう。

 

やっぱり、運用技術面で大々的にコンピュータのパワーを導入するほかない‥‥というのが、率直なところです。アニメの場合、ほとんどが人件費ですから、ワークフロー管理を人力でおこなっていたら、把握しきれない情報量でオーバーフローする上に、人件費もかさみます。

 

コンビニのATMに銀行員が24時間体制で必ず一人常駐する‥‥なんていったら、とんでもない人件費がかかるでしょうから。

 

 

うまくやっていくしかないのは、新しい現場も旧来の現場も同じです。人件費で苦労するのは、技術が新しかろうが古かろうが同じです。

 

新しい現場は、その設計の新しさを武器とし、現在のインフォメーションテクノロジーのパワーをうまく活用して、気を許すとすぐにでも膨れ上がる人件費をできるだけ抑え込むしかないです。

 

ただし、人件費を抑えるのに、旧来現場が犯してきた過ちを踏襲するつもりは一切ありません。1枚のピザを100等分する「わびしい」料金体系を再演するような、同じ轍は踏まんです。‥‥だって、私は旧来現場の「一律単価制」に苦しめられてきた人間ですからね。

 

 

 

旧来のアニメ制作はさ‥‥、人を呼び込み過ぎなんですよね。エンドクレジットの名前の数を見れば、人が多すぎな事は誰でもわかるはずです。あれだけ多くても、まだ「名前さえ出してもらえない」人々も潜在しているのです。ゆえに、一人に与えられる金額が散り散りのハシタ金になってしまうのです。

 

旧来のアニメ制作現場にいる人々全員が、「休みも取れて、収入も十分」と実感できる額で、制作予算を試算すると、それはもう恐ろしい額になると思います。「休みもちゃんと取れるスケジュール」となると制作期間は長くなり、時間=金で、より一層、制作費は「うなぎのぼり」です。30分のアニメ1話だけで8千万〜1億とか平気でいっちゃうんじゃないですかね。

 

でも仮に、そうした制作費で作ったとしても、どの会社でも大体似たようなクオリティ‥‥となると、そもそも「価格に見合う価値がない」という本末転倒な状況に陥るのです。

 

私は以前、「どこの会社でも作っているような、同じ絵柄の同じ品質のものが、一番「お金を出す側は」困る」と話されたことがあります。‥‥私も「自分がお金を出す側で考えたら」同じように思います。代わり映えしない似たような商品は、平均価格・従来価格で買いたいですもん。

 

今のアニメ業界全般の挫折点は、わたし的にはもう分析できていて、「膨大な人足が必要な制作体制ゆえに、制作費を細切れにするしかなく、作業者に行き渡る報酬が少ないゆえに、新しいアイデアを生み出す余力はなく、新しい基軸を盛り込む機運も生まれず、平均的な内容に留まってしまう」のです。業界内で人的リソースを共有する構造も技術の均質化に拍車をかけ、どの会社も似たり寄ったりの「平均的な内容」となります。

 

その「平均的な内容の作業をすればOK」的な慣習が、「いつもと同じものしか作れない技術集団」を形成してしまい、いざ、高額の制作費を獲得できても、高額なりの価値を生み出せなくなる‥‥のです。

 

 

一方、私の進めている新技術の制作システムは、人足をできる限り抑える=少数精鋭のスタイルです。人数が少ないので、ピザは100等分ではなく、10等分で済む‥‥的な考え方です。

 

そんな都合良くいくのか?‥‥と考える人もおりましょうが、現に、私は原画だけでなく、一人で極めて絵の細かい動画200枚相当を1日で作業できたりもします。まあ、200枚ガチで描いているわけではないですけどネ。コンピュータのパワーを使いこなせば‥‥です。4K60pをフルモーションで動かすことも普通に可能です。

*もう少し丁寧に言うと、新しい現場では「動画枚数」という概念自体が無いのです。4K60pのフルモーションなんて、動画枚数換算にしたら、1枚200円でも制作費は破綻します。旧来の動画の概念は、新しい技術フィールドではまったく通用しません。

 

そんな話を聞けば、お金の問題なんて解決できそうに思える‥‥のは、少々早合点、浅い考えです。今まで1枚200円とかで人を動かしていた金銭感覚ではなく、ちゃんとした技術職に値する報酬を支払うようになるわけですから、人ひとりの金額ボリュームが大きくなって、思ったほどには人件費は軽くなりません。

 

運用には極めて慎重な金銭的な運用計画が必須となります。単価でバラまいていたやり方は、まったく通用しません。

 

「絵柄に制限がなく、どんな細かい絵柄でも動かそうと思えばフルモーションで動かせて、しかも少人数体制で完結する。しかし、作業者一人の作業責任と報酬は大きくなり、今までとは異なる時間と金銭の管理が必要となる。ワークフローの管理はとりわけ繊細でシビアになる」わけです。

 

とても高いハードルではありますが、これを超えられずして、新しい未来はない‥‥と私は思っています。

 

お金のハードルは、特に手強いですが、逃げずに取り組んでいこうと思います。

 

 

 

高いハードルだから超えられない?

 

難しいからできない?

 

私は作業しながらラジオがわりに、NetFlix配信の「プロジェクトX」(NHKの旧番組)を流してたりしますが、もちろんテレビ番組ならではの演出脚色はあるでしょうが、不可能を可能にしてきた人たちがいて、現在のスタンダードがかたち造られたことを、番組を見て感じ入っています。旧来アニメ技術だって、不可能を可能してきた繰り返しだったのです。

 

アニメ業界の人々は、いつから技術を革新することを忘れてしまったのか。

 

いつから、自画自賛の人々となってしまったのか。

 

そりゃあ、誰にだって「理由」はあるでしょう。でも、「理由があるから、できない」なんて言う人が全員だったら、時代とともに進化してきた身の回りのほとんどの物は存在しないんじゃないですかネ。

 

 

でもまあ、ぶっちゃけ、他人の無気力や挫折なんて、どうでもいいやって感じなのです。無気力な人・挫折した人を奮い立たせるほど、私は善人でもボランタリーでもないですしね。

 

幸いなことに、「アニメ業界という全体主義」に依存しなくても、新しいアニメーション技術と制作システムは前進できます。世界規模の映像技術の進化が、追い風になってもくれます。

 

気力のある人々、立ち上がって前進するのを恐れない人々と、一緒に未来を切り開いていければ、それだけで心強いのです。

 

 

なので、「お金のことを、うまくやる」のを正面から取り組んで、土台をしっかりと形作る所存です。どんなに気力がある人々が集結しても、相応の報酬が供給されなければ、プロジェクトは頓挫します。

 

精神論なんていうものは、自然発生的に自己の中から生まれ出でるものです。他人が強要すべきものではないです。ましてや、その精神論で現場を動かそうなどとは、愚の骨頂です。現場は金でこそ動き、新たな表現と品質こそ人間が作るのです。

 

「お金という土台」があってこそ、色々な困難にもチャレンジできると思うのです。

 

 

 


LED生活

実家の台所の120cm=40W形のラピッドスタート蛍光灯が切れたので、前々から計画していたLED化を実行しました。

 

いわゆる「安定器バイパス工事」=「AC直結工事」を行い、蛍光灯を直管LEDに交換すれば終了です。工事はちゃんとした手続きを踏みましょうネ。

 

いまどきの蛍光灯型LEDは、どんどん進化しており、5000lmの超明るい製品が3千円台で買えます。2400lmくらいの蛍光灯と同じ明るさの製品ならば、18Wの省電力で2000円台前後で買えます。

 

*5万ルーメンはいくらなんでも「誤植」です。正しくは5千ルーメンです。

 

現在はこうした「一見、蛍光灯の姿をしていて、内部にびっしりLEDが並んだ、直管型LED」が各サイズ発売されています。

 

LEDのチョイスで楽しいのは、「今までと同じ明るさで省電力」を採るか、「今までと同じ電力で倍の明るさ」を採るか、またはその中間か‥‥と、色々な選択肢がある点です。

 

実際、作業場も自宅も、私の身の回りはほとんどLED化しており、省電力で明るい上に発熱量が少ないなど、環境の改善にも一役買っています。

 

ただ、LEDは明るい性能ばかりに製品が集中しがちで、10〜20Wの白熱球のような演色が欲しい場合に、ほとんど選択肢がない点が未発達ですね。

 

一応、探せば、優しい明るさの電球も、あることはあります。E17もE26も、選択肢は少ないですが、アマゾン等で手に入ります。

 

*80lmくらいの豆球だと、照らす用途には光量不足でキビシイのですが、220〜250lmくらいあると、ちゃんと優しく照らしてくれます。

 

 

LED化と言えば、懐中電灯の交換球もLED化できます。家にあったのは、暖色系のロウソクのようなしょぼい明るさの懐中電灯だったので、交換しただけで省電力にもなり(=電池が長持ち)明るさも増しました。もし暗い懐中電灯ならば、交換の価値があるかも知れません。

 

*もし、元の電球がクリプトン球などの明るい電球の場合は、逆効果になる恐れがありますので、要確認。

 

まあ、今はLEDの懐中電灯そのものが安くなっていますので、電球を買い替えるよりも懐中電灯そのものを新調した方が効果的です。私が愛用しているのは、モノタロウさんのLEDワークライトで、既に3本購入済みで、別々の場所で活躍しています。

 

 

 

これからの生活や仕事の空間は、省電力もそうですが、演色、そして発熱にも気を使っていきたいところです。

 

 


未来の不一致

「未来」とひとくちに言っても、アラウンド50の未来と、アラウンド30の未来では、その差20年も開きがあります。

 

未来に向けて、現場の状況を改善しよう!‥‥と声を上げても、残り10〜20年「逃げ切れば良い」未来と、これから40〜50年を「生き続ける」未来とでは、あまりにも内容が異なります。

 

本当に、ベテランアニメーターと若手アニメーターで、未来を変えようとする志、窮状に対する利害は、一致しているんでしょうかね?

 

私は、実は根本的にズレていると感じています。

 

技術面における、未来のビジョンが一致していません。

 

技術は旧式化すれど、あと10数年「保ってくれれば良い」という目論見と、自分たちの「未来を支える技術であってほしい」という目論見では、あまりにも実践すべき行動が異なります。

 

ぶっちゃけ、多くのベテランアニメーターは、紙と鉛筆のままでも良い‥‥と思っているはずです。何せ、今までそれで稼ぎ続けて確固たる技術的な自信があります。たとえ、未来がどのように変わろうと、自分たちが活動している間だけでも、紙と鉛筆が「保ってくれれば」なんとか生きていける‥‥という計算は、口には出さずとも、心の中に秘めているのではないでしょうか。

 

しかし、若い人間はどうでしょうか?

 

4K60pHDR、8K120pHDRの映像世界で、紙と鉛筆で、もしくは紙と鉛筆をタブレットに移し替えただけの「デジタル作画」で、40〜50年もこの先、本当に生きていけると思っているのでしょうか。

 

要するに、ベテランアニメーターは「今までのやりかたが変わらない程度に、少しでも改善できれば御の字」的な視座ですが、若手のアニメーターは「50年スパンの未来世界で生き残っていける、未来型のアニメーション技術」の視座が必要です。

 

技術的観点で見れば、老いと若きの利害は、全くと言って良いほど、一致していません。「マイナスとプラス」と言ってもオーバーではないほど、正反対です。

 

ベテランは「今までのハコが壊れるのはマズイ」のですが、若手は「今までのハコががっちりと固まってしまって、未来を変えられないのはマズイ」わけです。

 

今までのハコがね‥‥、労働条件的に恵まれているのなら、今のままが良いと思う人も多いでしょう。しかし現実は、ちまたの情報の通り=ブラック業界と言われるありさま‥‥です。しかも、世間の映像技術は、アニメのスタンダードからどんどん離れて高度化していきます。技術と労働の両面で、未来は行き詰まっていきます。ゆえに若手は、今のままの技術に乗っかり続けるだけでは、40〜50年間の長きに渡り窮状を我慢し続ける「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」未来が待っています。

 

 

こうした利害の不一致は、新しい変化に対応できない老いた世代と、新しい技術でもどんどん吸収できる若い世代の、「肉体的な都合」にも大きく関係します。

 

実は、ベテランアニメーターで一定数の人々は、「技術の転換」を非常に恐れているようにも思えます。「もう、自分の年齢からだと、新しい技術の習得は無理だ」と。

 

例えば、私がどんどん技術基盤の構築を推し進めている新しい技術は、絵コンテすら今までのようには描けません。新技術の得手不得手を反映した絵コンテを描けなければ、新現場の不必要な負担になるからです。「今までの感じで絵コンテを描かれても迷惑」なのです。

 

つまり、ベテランからすれば、新しい技術にシフトしていくと、自分たちは無用の長物と化していく‥‥という不安を、潜在的・暗黙のうちに感じているのではないでしょうか。ゆえに、単価や予算に関することは「改善していこう」と言うわりに、「技術をどんどん未来に向けて変えていこう」とは一切言い出さないのです。‥‥両方必要なのにネ。

 

自分たちが不要になる未来なんて、普通の感情として、受け入れ難いし、拒否したいですよネ。

 

でも若い人々はどうでしょうか。20代の吸収力の高い年代に、どんどん新しい技術を習得していけば、今までとは違う未来を切り開くチャンスを得られます。

 

旧来技術と新技術分け隔てなく、吸収できるものはどんどん吸収してこそ、技術的な選択肢が豊富で、報酬面でも有益な未来を手にできるでしょう。

 

若い人は、少年少女時代から家庭にパソコンやネットが普通にあり、中には、中学高校時代からタブレットで絵を描いていた人までいるでしょう。お父さんのペンタブで絵を描いているお子さんを、実際にお父さん本人から聞いたことがあります。

 

私も80年代当時は「新人類」「ニュータイプ」と言われた世代ではありますが、1990年代生まれ、そして2000年代生まれの人間は、まさに映像制作の「ニュータイプ」と言えます。コンピュータが普通に「身体感覚の内側にある」世代が、どんな風に技術を変えていくのか、予想しきれません。

 

実際、私が今、新しいアニメーション技術において欲している人材は、そうした柔軟性に富んだ人材です。そして、その人材が長きにわたって現場で力を振るうためにも、「辞めたくなるような低い賃金」から脱出できる新たな「お金の勘定」が必要にもなりましょう。

 

私らの新技術グループは、旧来技術には依存しない技術体系ゆえに、たとえ私が50代間近であっても、いわゆるベテランアニメーターの利害とは一致せず、むしろ、新技術で未来の仕事とお金の問題を切り開いていかねばならない「新世代の利害と一致」します。私にはもはや旧来現場には帰る場所はなく、新しい技術世界の現場にこそ、自分の半生があると覚悟しています。帰ったところで、過労死で死ぬだけだとも思いますしネ。

 

 

こと、作画の労働条件にしても、老いと若きは「一枚岩ではない」のです。それぞれの「未来の思惑」「未来の都合」があります。

 

「今をなんとかしよう」というのは解らないでもないです。しかし、「今」は必ず、「未来」へのきっかけとなり、「今と未来」は繋がっていきます。

 

「今を生き抜くために、今何をするのか」は、「守りの退歩」と「攻めの前進」で大きく変わります。

 

「過去のまま続いて欲しい」と思うのと、「未来を新しく変えていかねばならない」と思うのでは、その行動指針はまるで違ってきましょう。

 

現場を見ていて、例え20代の若手でも、「未来を感じられない」と思うのなら、そう思ったなりに行動すべきです。多分、その直感は外れてはいないです。

 

 

 

守りの現場にはそれ相応の雰囲気が漂いますし、未来へと進んでいく現場には相応の「勢い」があるものです。

 

何をどう誤魔化しても、「過去に生きようとする人間」と「未来に生きようとする人間」の思惑は一致しないもの‥‥なのです。

 

 


「一生物」の感覚

旧来のアニメ現場で、特に作画に従事している人に、かなり共通している特質として、「道具は一生物」という価値観があります。

 

作業の土台となる作画机は一生物、直線定規も円定規も一生物、鉛筆削りも故障しない限り一生物、蛍光灯は交換するけど台座となる装置は一生物‥‥と、多くの機材を「一生物」として扱ってきたので、コンピュータ機器のリプレースの感覚が理解しにくい人が多いように見受けられます。

 

加えて、レイアウト、原画、動画、ペイント‥‥というワークフローまで「一生物」と考えているフシすら感じ取れます。まあ、業界入りしてから今の今まで、基本的なワークフローに変動がなかったがゆえに、少なくとも現時点までは「一生物」だったのは事実ですもんネ。

 

アニメ制作現場の「これからの未来」を語るときに、労働や雇用の話題ばかりになって、技術的な要素にはほとんど無批判という傾向は、こうした「一生物」の感覚から無意識に呼び起こされているようにも思います。

 

アニメ作画従事者が、未来の技術を語る時に出てくるのは、他人任せの「自動中割り」「自動作画」の話題が主で、決して「自分たちの技術そのものを未来に合わせて改革していこう」という論調は出てきません。

 

一方で、今のアニメ現場を総合的に評価すると、「老化している」「未来に繋がる新しい要素がない」「構造疲労が蓄積するばかり」という意見は、いろいろな人から耳にします。

 

全体的な未来展望には暗い影を強く感じているのに、いざ自分たちの作業視点になると「一生物」の感覚に終始してしまう行動パターンは、実は物凄く深刻な「未来を阻む壁」だと思います。

 

 

私はそろそろ50代になろうとする年齢ですが、20年間はたっぷりコンピュータと付き合ってきたので、「一生物」なんていう感覚は全く消え失せました。

 

現在、倉庫の引越しをしているのですが、倉庫の奥から過去の道具の数々、Quadra650とか、Performa588とか、LC475とか、Performa6410とか、PowerMac8600/250とか、iMac Rev.Bとか、eMacとか、山ほど「リプレースしてきた道具」が出てきます。

 

コンピュータをメインウェポンにするのなら、道具は「乗り換えていくもの」であり、一生物なんていう感覚は通用しません。

 

長く使えるのは、コンピュータを置く机くらいなものです。(実際、iMac 5Kを置いている机は、30年以上使っています)

 

 

ソフトウェアにしても、月々の使用費で維持していく運用感覚が必要で、「一度ソフトを買ったら、できるだけ使い続ける」なんていうのは、あまりにも前時代的です。

 

「節約してこそ」と思うのは、その通りです。要するに、「節約の方法が全く異なる」のです。

 

パソコンもソフトウェアも、光熱費と同じように節約するわけです。決して、1度買ったら一生物で‥‥という節約ではなく。

 

 

この「一生物ではない道具」の感覚、「一定期間で道具を変えていく」感覚に、どうしても馴染めない人や集団は、コンピュータを扱って制作する映像産業には関与しないほうが良いのです。つまり、映像技術進化と決別して、過去へと遡って生きる道を選択すれば良いのです。

 

それこそ、幻灯機を携えて、大道芸のように各地を巡るような商売にすれば、コンピュータなどに頼らずアニメも作れましょう。

 

 

 

しかし、映像の技術がどんどん進化し、映像産業の「楽市楽座」にて映像データで商売しようとするのなら、コンピュータを遠ざけるよりは、身近で心強い味方にすべきだと思います。

 

コンピュータを味方にするのなら、「一生物」なんていう感覚は、とっとと捨てたほうが良いです。

 

 

 

今後、CS6を10年20年と使い続けるつもり? ‥‥10年後にCS6を使っている自分たちの姿を想像して、どう思いますか?

 

仮に、互換性云々を語るのなら、最新バージョンで統一するのが、一番互換性があると思いますけどネ。

 

撮影工程で用いられるのが、2017年の今でもCS5.5だCS6だ‥‥というのは、旧来アニメ制作現場の限界をありありと示していると思います。どう考えても、CS6は一生物ではない‥‥ですよね。

 

 

「一生物」の価値観を、「時代を意識した」価値観へと切り替えられるか否か‥‥が、進化し続ける映像産業における生き残りの「鍵」となります。


鍵を開けて、扉の向こうに踏み入れば、未来の世界へと進んでいけます。

 

鍵が無くて、扉が閉ざされたままでは、過去の世界で生き続けるのみ‥‥です。

 

どちらを選ぶかは、人それぞれです。

 

 

 


Appleという基準

なんだかんだ言っても、私がApple製品を選択しがちなのは、Apple社コンシューマ製品の品質基準に一定の信頼をおいているから‥‥だと思います。ふと考えて、自己分析すると、そういうことになります。

 

最近、EIZOのCG3145で、開発中の4K60pのアニメーション映像や画像を表示する機会がありましたが、そりゃあもう、質実剛健で申し分なしでした。やっぱりそれなりの値段のするリファレンスモニタは格が違って、iMacのモニタとは大きく品質が異なる、圧倒的な基礎性能があります。色付けのない整然とした色彩で、小指の先までの小さなディテールをかっちりと表示する4KHDR60p(120pまでイケるようです)のモニタは、民生とは格が違いました。

 

しかし、値段は300万円です。まあ、どこぞの御曹司か御令嬢でもない限り、自宅には置けないですよね。

 

プロ用リファレンスモニタの性能を日頃の基準とする映像制作者が、自己研究や開発目的で自宅に環境を揃えようとする時、じゃあ、何を買えば良いのか‥‥ということになります。

 

実は必要に迫られて、安い値段(‥‥と言っても10万円台ですが)で、どうにか4K60pHDRを観れるモニタはないか、最近探してみたことがありました。日頃からハードウェアに接している同僚にも協力して頂いたのですが、やっぱりどうしても、良い感じのが見つかりません。10bit以上でHDR(300nitsくらいで十分です)、できれば各帯域のRGBはフラットな特性で‥‥って、少なくとも2017年現在は厳しいのでしょう。10万円台なんて、「おととい、出直して来な」‥‥なのでしょうね。

 

つまり、現実的に考えれば、小規模・個人規模で考えるなら「どう妥協するか」ということになります。

 

だからと言って、「最安値」の製品は、最安値なりの理由があります。

 

その昔、MacBook Airが出た頃に、NetBookを買ってみたことがあります。ASUSかどこかの29,800円の製品でした。そして、安い製品というのは、どういう部分を端折るのかを、まざまざと実感しました。

 

画面の解像度とか、記憶装置の容量とか、端子の数ではないのです。カタログには書き表せないような、極めて基本的な部分が、安値の製品ではひどく劣っていました。

 

それはトラックパッドやボタンの操作感・クリック感だったり、暗部の色調の乱れだったり、スペック表では「この値段でそこそこの性能を誇っている」ように見えて、実は細かい各所が安普請・Poorで、それが作業性の効率をいちいち引き下げてきます。NetBookに限らず、普通のモニタでも安値の製品は、かなり厳しいもの(各帯域の特性とかが特に)があります。

 

かと言って、前述した通り、プロ用機材を買うわけにはいかないのが、個人規模の現実です。

 

繰り返しになりますが、じゃあ、何を買えば良いのか‥‥ということです。

 

私は結局、Apple製品に落ち着いてしまいます。「安くはないが、馬鹿高くもない」、新機軸もどんどん意欲的に盛り込みますし、製品品質における社会的立場もあり(酷い製品を売ると、世間から叩かれる)、ぶっちゃけ、「一番買いやすい」のです。

 

それが理由かはわかりませんが、会社ではWindowsでも自宅ではMacやiPadという人は、最近特に周囲に多いです。「安物買いの銭失い」にもならず、「度を超えた高価な製品というほどでもない」のが、Macやiほにゃららに行き着く理由かなと思います。

 

まあ、あくまで私観ですが、個人用途ならば、iMac 5KとiPad Proの組み合わせは、コストとパフォーマンスのバランス的に「最強」と言って過言ではないと思っています。‥‥あくまで、私観ですヨ。

 

 

とは言え、「Appleの製品が、都合、基準となり得る」のは、今までのAppleの製品開発のドクトリンや品質管理のポリシーゆえですから、今後、Appleが私の期待しない方向へ進めば、他の選択肢を探さなければならなくなるでしょう。そうならないことを祈るばかりですが‥‥。

 

 

 

仕事で旧互換の「デジタル作画」を作業するのなら、ぶっちゃけ、絵が描ける最低限の性能のマシンでも構わないでしょう。しかし、そのマシンを「伴侶」にした場合、手に入れられるのは2K、24p、SDRの過去だけです。4K、60p、HDRの未来には全く役不足です。

 

コンピュータで絵を描く、映像を作るという行為が、どんな未来に繋がっていくのか、ごく自然に想像すれば、必要な機材も技術も浮かび上がってくるはずです。

 

たとえ「民生」レベルであっても、未来を掴むことのできる製品を、自分の「メカの伴侶」にする必要があります。

 

 

 

でもねえ‥‥、Appleは怖い会社なんだよねえ‥‥。結構、ばっさばっさと「切り捨て御免」をするからなあ‥‥。

 

 


散財トムキャット、140号で完。

いつ始めたのか、すっかり忘れてしまったアシェットの「週刊(習慣?)トムキャット」ですが、数日前に届いた138,139,140号をもって、感動の最終号です。

 

‥‥と言っても、びた1パーツも組み立ててはいないんですが。

 

組み立て始めたら、1/32の巨大スケールゆえに、置き場所の確保ができないので、ある程度、私の目標とする「事業」に目処がついてから、置き場所も考えつつ、作ろうと思っています。

 

その時まで、倉庫の奥で、モスボールとなってお休みです。



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