ちなみに転送速度

まあ、常識ではあるのですが、規格に記述されている転送速度はあくまで理論値であって、実際は、ものすご〜〜〜〜〜〜〜く遅いものです。

 

今でもSATA規格の内蔵&外付けHDDで作業しているケースが、特にアニメ業界の作業場ではほとんどだと思いますが、一度試しに、作業用のHDDの速度を計測してみると、結構、愕然とすると思います。

 

USB-CだThunderboltだ‥‥と言ってるご時世に、自分の環境はどうなの?‥‥ということです。

 

速度単位はbps=ビットパーセコンドとB/s=バイトパーセコンドの2種類があり、容量単位もM=メガとG=ギガがあるので、その辺は読み間違わないように注意します。

 

 

 

‥‥で、計測してみるとわかるのですが、コンスタントに3Gbps付近の速度を叩き出す大容量HDD(SSDではなく)は、相当アレコレと機材構成に気を使わないと実現できせません。内蔵のSATAにポコンと繋いだHDDなんて思っていた以上に遅いですし(SATAの理論値からすれば)、USB3.0に繋いだ単体HDDなんて大容量だけが取り柄です。USB3.0で高速!‥‥なんて喧伝されますが、HDDが低速なのは「こそっ」としか製品ページには記載しないですよネ。

 

ちなみに、ポータブル2.5インチのUSB3.0接続のHDDは、大概0.1Gbpsくらいです。猛烈に遅いですが、2Kのm4vあたりだったら余裕で再生できる速度でもあります。地デジのビットレートは0.02Gbpsくらい、BDでも0.05Gbpsですから、圧縮済みの2K映像の1ストリーム程度なら、ポータブルのUSB3.0HDDでも再生が可能‥‥というわけです。

 

 

Thunderbolt3の理論値が40Gbpsだ!‥‥と言ってる横で、HDDでRAID0を組んでもたかだか3Gbpsの実測値か‥‥と思いがちですが、実はそれなりにハードルが高いものなのです。3Gbpsあれば、4KのProRes4444だって難なく再生(24fpsなら一層)できますしネ。

 

SSDは速いは速いですが、大容量はまだまだ高価で、たっぷりな作業スペースを確保するには至りません。素材置き場にするよりも、高速なキャッシュ用途で使いたいですネ。iMacやMacProの内蔵SSD(やFusion Drive)の速度は、そりゃあもう、速いんですが、容量に限りがありますからネ。

 

ちなみに、私の作業場のMacProの作業用HDD構成は‥‥

 

Thunderbolt2のHDD箱に4個の3TB 7,200RPMのHDD(WDのREDだったと思う)を詰める

MacOS側のソフトウェアRAID0で2個ずつ結合

結合後の2つ(のように見える)のディスクを、1つは作業用、1つはタイムマシン用に設定

結果、RAID01に似た構成で構築

 

‥‥のような構成で速度とローカルのバックアップ体制を両立しています。しかもHourlyバックアップ! RAID01や10にしちゃうと、それそのものではHourlyにはできないですもんネ。Hourlyバックアップには、何度も何度も助けられましたよ。‥‥そそっかしいから。

*Hourlyバックアップとは、1時間ごとに履歴バックアップしてくれる機能です。間違って消しちゃった! 上書きしちゃった! アップデートしたら不具合がでるようになっちゃった! ‥‥というトラブル(人災)を、「トラブルが無かった時点まで、時間を巻き戻せる」のです。私はこの機能、手放すことができません。

 

 

 

2000年当時のマシンが、今では映像制作では全く使い物にならないように、2010年代に買ったマシン環境も、未来では役不足感を甚だしく感じるようになるでしょう。

 

まずは、今の自分の作業環境の各ディスクの速度を計測してみると、そのマシンの「未来への持ちこたえ度」がなんとなくでもわかってきます。起動ディスクではなく、作業用エリアのディスクの「実測値」が1Gbpsを下回るようだと、‥‥まあ、数年後に買い替えが必要になってくるかも‥‥‥ですネ。映像ファイルの再生落ちが頻発するような環境では、作業は難しいですもんネ。

 


サンダーボルト

Cintiq Pro 16が発売(予約開始)されて、色々判明してきた事の中で、一番イタタの部分は、Thunderbolt3(USB-C)でしか4K表示ができない点です。つまり、出力側のビデオ性能が4Kスタンバイでも、USB-C/Thunderbolt3を装備していなければ4Kタブレットにはならないということです。

 

これは「現在の観点」で言えば、中々にキツい条件ですネ。

 

 

Thunderbolt3。USB-C

 

一部の最新型Mac(MacBook)やWindows機がようやく搭載し始めた高速転送の規格です。

 

Thunderbolt3の転送速度は40Gbps(理論値)で、映像屋の視点で言えば、4Kの映像を何トラックもストリームするのに適した規格と言えます。‥‥もちろん、送り出し側に極めて高速な送出速度が求められますが。

 

ちなみに、今でも現役のUSB2.0は0.5Gbps、USB3.0ですら5Gbpsです。Mac標準のThunderbolt2は20Gbpsで、私の作業場のMac ProはThunderbolt2のRAID0を組んであり、4KのProRes4444の60fpsをなんとか再生できるスペックです(=HDDのRAIDなので、規格の理論値が20Gbpsでも、2〜3Gbpsの実測値しかでません。SSDのRAIDなら速度が期待できますが、容量がな‥‥‥)

 

4K8K時代の映像制作を鑑みれば、たしかにThunderbolt3の40Gbpsの速度は妥当とも思えますが、現実と理想は常にギャップがあるものです。実際、転送速度だけ速くなっても、送り出し側の速度がイマイチついていけず、実がともなわない感があって、Thunderbolt3は盛り上がりに欠けていました。

 

Thunderbolt2で満足していた2014年に、次期規格としてThunderbolt3のスペックを見た時には、「未来のケーブル(要は規格ですネ)、きたー!」と思いましたが、「アニメの現場にこれが入ってくるのは、数年は待たないとダメだろうな。」とも思いました。

 

 

 

MacBookやiMacって、往々にして現在の標準より前倒しで規格を盛り込む傾向があって、まだフロッピーが活躍していた頃にフロッピードライブやSCSIを廃止してCD-ROMやUSBオンリーにしたり、CDやDVDドライブの廃止=データを何か固有の媒体で提供する概念自体を廃止したりと、「極端過ぎる」と「常識派」から難色を示されてきた経緯があります。結果的には、「常識派」の支持していたものは廃れていき、Apple製品が示したチョイスの多くは世の中の主流を先取りしていたと言わざる得ません。

 

去年2016年からMacBook ProはThunderbolt3を搭載し始めました。オルタネートモードによりUSB-Cとの共通性・互換性があるので、以前より融通が効きそうです。

 

Thinderbolt3・USB-Cは、一層の高速データ転送の未来において、有力な選択肢なのだとは思います。実際、Thunderbolt規格とUSB-C規格の差異を意識せずに周辺機器が接続できるようになれば、すごく楽ですよネ。

 

しかし、Apple製品でもThunderbolt3は最新型のMacBookしか搭載しておらず、Cintiq Pro 16は、さらにそこから「ペンタブで絵を描く人」に絞り込むわけですから、2017年4月現在では、中々な「狭き門」です。

 

 

USB-Cは確かに便利。しかし、普及加減はまだまだなので、ユーザ側の反応はいかなるものか。

 

Cintiq Pro 16の売りの4K性能は、今しばらく「おあずけ=マシンを買い換える時まで」ということでしょうネ。

 

 

 

まあでも、4K性能がおあずけでアダプタ経由の2.5Kでも、十分絵は描けると思いますけどネ。

 

2.8KのiPad Proで6Kの原画も問題なく描けているので、ドットバイドットでなくても、高詳細液晶パネルで快適に絵は描けるんじゃないかと推測します。

 

単体で使うMobile Studio Pro 16と違って、メインディスプレイと併用するのが一般的でしょうから、邪魔なツールウィンドウはPCモニタ側において、必要なツールウィンドウだけを16インチ側におくようにすれば、広く使えることでしょう。

 

ちなみに、私の作業場のMacProは「トリプルモニタ」です。しかも、2台の2.5Kモニタがミラーリングで、1台が2Kモニタという変則的な構成で、これがまた、ワコムのペンタブドライバの不具合のタネになるのです。ゆえに、板タブすら通常はOFFにしているくらいです。‥‥なので、今の作業環境にさらにCintiqを追加するのは相当ムチャな話で、今のところ、Cintiq Pro 16の導入は考えておりません。

 

どうしてもクリスタをCintiq Pro 16で使いたい!‥‥というニーズが高まってきた際には、マシンの調達も含めて考えようかと思っていますが、一方でiPad作画が相当使い勝手に優れているのも実感しているので、もう少し先の話‥‥ですネ。秋頃と噂されるiMacの新型がUSB-Cを搭載した頃に、妄想を膨らませてみようかと思います。

 

 

でもまあ、なんやかんやいっても、テクノロジーの発達はわくわくするものです。

 

Blood劇場版やイノセンスを作ってたときに、4K60pHDRなんて考えもしなかったですもん。PC/Macにフロッピーの挿入口がついている光景は普通なことでしたしネ。DVD-Rに自分でオーサリングしたDVDコンテンツを焼いて、家電のDVDプレイヤーで29インチブラウン管テレビで見る‥‥なんてことが「すごい時代になった」と思ってたのが、今や‥‥です。

 

私の作業グループではもはや4Kは「来たらやりますよ」くらいな感触になり始めてますし、実写でも3DCGでもないアニメの60pのモーションにも慣れてきています。

 

「アニメとはこうあるべき」なんて宣う「常識派」の格言なんて、その格言が吐かれる時点ですでに骨董レベルになり始めているのです。

 

ほんの10年ちょい前、SD(地上波アナログ)に慣れきった人々が、「HDなんてオーバースペックな高詳細フォーマットで、アニメは何を作れば良いんだ」‥‥なんてセリフをぼやいていましたが、いまそれを言う人、居る?

 

同じような性質の人々が、今度は「4Kで何を作れば良いのか、わからん」などと同じ事を繰り返して言ってるんだよな。

 

* * *

 

ビデオ解像度で一歩遅れをとり続けていた液タブでしたが、Cintiq Proは一気に現代的なスペックまで引き上げました。USB-Cというのが、やや「引き上げすぎた」感もあるのでしょうけどネ。

 

Cintiq Pro 16は、4Kで繋げない面を強調するよりも、先行投資と考えて、今は2.5Kで使うけど、2〜3年後にマシンを買い換えたときに本来の4Kで使う‥‥という考え方もアリでしょう。

 

高詳細液晶に直に絵を描く感覚は、結構マジメに、未来のスタンダードになるような気がしています。

 

現在、紙の作監作業を久々に引き受けたりしてますが、iPad作画を経験した後では、紙の良さを感じるよりも、紙の欠点のほうが目立つようになりました。iPadならば、拡大表示すれば視力とか関係ないし、黒鉛や消しゴムの物理的精度も関係ない、どんなに描いても先端が丸くならずに細い線を維持できる、自分の腕の動きに合わせて紙(=キャンバス)を自由にジェスチャーで移動ズーム回転できる‥‥など、「デジタルのやりにくさ」を相殺するにあまりある利点がiPad作画にはあります。クリスタやTVPでも同じことが言えると思われます。

 

ただそうした利点は、作業者レベルの限定した範疇で、作画システム自体を揺り動かすほどではありません。何度も書きますが、新しい時代の新しい技術基盤の新しいニーズが生まれてきた時、ようやく「包括的な」コンピュータベースの作画システムの必要性が認識されるのだと思います。

 

 

 

で、CIntiq Pro 16。

 

iPad作画を常用している私としては、「いいじゃん。当面は2.5KのCintiq Pro 16でも。」という感じでしょうかネ。

 

マシンはどうせ買い換えることになります。その時に、Cintiqを4Kで表示できるマシンを調達すれば良いのです。

 

4Kでなく2.5Kか‥‥と意気消沈するキモチもありましょうが、それよりも、高詳細液晶に絵を直に描くという体験をし、常用レベルまで習熟するほうが、よほど未来の実りに繋がっていく‥‥と感じます。

 

 


否定されるとキレる人

わたくし、ツイッターはやりませんが、楽しみにしているアカウントはあります。見るだけツイッター。

 

全然、縁もゆかりもない職種の人(と思われる)の日々の言葉を読むのは、中々に楽しいです。考え方や価値観や、生活習慣も大きく異なるので、読んでてとても面白いし、勉強(作劇上の)にもなります。

 

しかし、たまにそういう人が発したツイートが多くの人の関心を呼び(いわゆる炎上)、いろいろと言葉を返してくるのを見ていると、「人間」を感じずにはいられません。

 

ツイートの内容が特定の人間をネガティブ寄りに指し示すと、その特定の人間から猛反発がかえってきて、「否定されるの大嫌い人間」がこの世には多いことを思い知らされます。

 

でも、ツイッターにいそしむ人間なんて、総人口からすれば、大した数ではないでしょうから、ツイッター上では目立つだけ‥‥なのだとは思いたいですけど。

 

 

否定されるのってさ、ある種、良いことだと思うんですけどネ。

 

自分が知らず知らずのうちにハマリ始めている軽めの自己洗脳を解いてくれるから。

 

「え、NO? うそ。 そんなことない。 だってさ、こういう理屈でさぁ。‥‥そう? そうかな‥‥‥? そうかもな。 そういう面もあるかもな。 その方面から考えて見たことは、たしかに今まで無かったかも。」

 

‥‥という感じで、気づきのきっかけが得られるじゃん。

 

 

自分はいつも、これが自分にとって良き選択だと判断した道筋を進んでいるわけで、別の道筋なんて、中々見えてこないもんです。私なんか、その典型です。

 

だからこそ、自分にとってネガティブに聞こえる言葉にも、許容を有しておかないと、道筋を誤ることもあり得ましょう。

 

否定されたその時は「うっ」となっても、最低でも10秒間はプールして、冷ましてから考えてみることが必要だと思います。相手がたとえ経験の浅い年下だろうが、その「NO」の理由や構造を考える許容範囲は、常日頃から用意しておきたいものです。自分は経験も知識も多いから、年下の反対意見なんて全て愚そのものだ‥‥なんていう事こそ、まさに愚の骨頂です。

 

 

否定されるとキレる人って、単にツイッターだけで目立つだけかな。現実社会では、そんなに目にしないんだけどなぁ‥‥。

 


「デジタル」の基礎/解像度

「デジタル」の基礎知識など、必要がなければ、一向に覚えません。あたりまえのことです。

 

また、基礎知識と言いながら、実際は「暗記する約束事」にしてしまいがちな場面を多く目にします。

 

例えば、解像度の話題で、約束事として暗記だけしている人と話していても、イマイチ話が噛み合わないことがありますが、それは当人が「暗記だけして、原理を理解していない」からです。

 

解像度は、映像制作の場合、大きく分けて2種類あります。「ビデオ解像度」と「スキャン&印刷解像度」です。しかし、どちらも解像度には変わりありません。

 

「解像度」と何気なく口にするものの、実のところ、「解像度」ってどう言う意味か、考えたことはあるでしょうか。まずソコの時点から理解してなければ、解像度の話題なんてしたところで、打ち寄せる波にさらわれる砂の城のごときです。暗記モノの単語としての「解像度」を覚えている程度では、基礎を習得したとは言えません。

 

「解像度」は、漢字がまさに意味を表していますよネ。

 

「像を分解する度合い」です。

 

画像ならば、その画像をどのように分解するのか。1インチあたり150ドット(ドット=画素=ピクセル)で分解すれば、150ドットパーインチ=150dpiです。

*扱われるケースによって、ピクセルパーインチ=ppiで表すこともあります。

 

画面全体ならば、その画面をどのように分解するのか。SD/DVDは横幅を720個の画素に分解していますし、HD/BDは1920個の画素に分解しています。

 

この「分解してデータに収める仕組み」は、画像だけでなく、音や動きにもそのまま適用できます。ただ、音や動きの場合は「解像度」という言葉を使用せずに、サンプルレートとかフレームレートなどの専用の用語を用いているだけです。

 

 

こうしたことを仕組みや原理で覚えるのではなく、知識を暗記モノで構成してしまうと、すごく頑固で応用も融通もきかない人間になります。‥‥ぶっちゃけ、です。

 

それは、「暗記したものが正しい」と思い混んで、思い込んだ要素が増えれば増えるほど、自己洗脳に拍車がかかるからです。

 

暗記ではなく、約束事でもなく、知識を仕組みや原理で覚えれば、違う仕組みや原理と遭遇した際に、「なるほど」と柔軟に受け入れられます。

 

 

例えば、アニメ制作で解像度を「仕事の流儀や慣習」「機材の性質」だけで覚え込んでしまうと、「解像度の使い方」も通り一遍になってしまい、応用が利かなくなります。

 

解像度は、縦横必ず同じ数値とは限りません。アニメ現場のスキャン解像度は縦横等倍のいわゆる「正方形ピクセル」が慣習ですが、世の中には縦と横の解像度が異なる場面も少なくありません。ゆえに「ピクセル縦横比」なんていう用語もあるのです。

 

実際、JPEGのEXIFのタグ(当該画像の情報を記録するデータ)の中には、縦と横の解像度を記録するタグがあります。

 

XResolution =横幅の解像度 ;0x011A ;Rational型
YResolution =縦幅の解像度 ;0x011B ;Rational型

 

 

なので、「1000px x 1000px」の縦横同じピクセル数の画像でも、

 

X解像度:100dpi, Y解像度:200dpi

=横254ミリ 縦127ミリの横長の画像

 

‥‥というような使い方もできます。

 

その昔、SDで16:9を扱っていた頃は、720x480(486)で16:9の画面を収めていました。現在の地デジも1440x1080で16:9ですよネ。352x480なんていう規格もありましたかネ。計算してみれば判りますが、720x480や1440x1080はそのままでは決して16:9ではないですが、解像度を縦横別々に扱うことによって、ちゃんと16:9に映し出せるわけです。

 

ビデオの場合、こうした縦横の幅を変えた=縦横比を変えた映像記録方式を、「アナモフィック(アナモルフィック)」「スクイーズ」と呼び表します。フィルム時代であっても、アナモルフィックレンズを用いて、スクイーズ状態でフィルムに記録していたのは、今となっては驚きですよネ。

 

 

最近、「デジタル作画」の影響か、「作画さんもデジタルの知識を覚えるべき」というのを目や耳にしますが、一方で、アニメ業界の「デジタルの知識」って結構丸暗記物です。

 

暗記物スタイルで「デジタル」の知識を増やしたって、応用や機転なんて利かないですよ。

 

ファイル形式とコーデックのそもそもの違いもわからないのに、ファイル形式はMXFで‥‥だの、コーデックはAvidのDNxHDの‥‥だの、名称を暗記しただけで知識が増えたと勘違いする人も映像業界全般に多いものです。そしてそういう人の多くはインハウスの定型フローだけで純粋培養された箱入り息子&娘だったりもします。

 

かく言う私もかつては、アニメ業界しか知らない箱入り息子だったし、現場の慣習をまるで万物の法のように信じ込んでいた「痴れ者」だったがゆえに、しみじみ解るのです。

 

アニメ業界の「デジタルの知識」とは、いかなるものか、その辺が慣習上のなんとない暗記物で、定義も出自も曖昧ならば、ちゃんと覚えるきっかけは掴めません。

 

 

ではなぜ、私が基礎知識を原理から習得するに至ったかは‥‥、まさに「必要」だったからです。

 

玄関を入ると綺麗なロビーと受付があって、大きな試写室で映像を見た後に、綺麗な会議室で専門分野の方々に専門分野ガチの話題をされて、それにちゃんと映像制作プロダクション側の人間として疎通するためには、どうしても「共通の映像技術の原理の理解」が不可欠だったのです。

 

つい去年までアニメの作画机しか知らなかった人間が、現像所の専門スタッフとフィルムレコーディングの云々を話すためには、「餅は餅屋」の知識には及ばないまでも、最低限の基礎知識は仕組みから理解している必要があったのです。1990年代後半のころ‥‥です。

 

なので、この記事の一番最初に、

 

「デジタル」の基礎知識など、必要がなければ、一向に覚えません。

 

‥‥と書いたのです。

 

廃品を廊下に放置するようなルーズな現場で、ルーズな知識レベルでルーズな話をしている範疇ならば、知識なんて原理から覚える必要もないでしょう。何の責任も生じないルーズな場での雑談なのですから。

 

しかし、言った言葉に責任が生じ、その言葉で現場が動いてしまうような性質をもつのなら、言葉の中に含まれる単語の1つ1つは、「できうる限り」原理や仕組みを理解しておくべきでしょう。‥‥でなければ、無理に専門用語など使う必要なし!‥‥です。

 

実際、私が基礎的なアレコレを覚えられたのは、五反田の有名なラボとやり取りするためでした。そう言った意味で言えば、私は五反田のラボのスタッフさんに「間接的に」育てて頂いたようなものです。

 

 

「デジタルの基礎知識」‥‥‥か。

 

ただでさえ作画の知識でも広範なのに、ビデオの知識、光学レンズの知識、コンピュータ本体の知識、ソフトウェアプログラムの知識、データの知識、ネットワークの知識、ワークフローの知識‥‥と、ありあまる知識をブッコむのは相当キツいですが、でもまあ、それはしょうがないス。中堅になり始めたら、自分の将来のためにも作画以外の他ジャンルの覚えていかんとダメでしょう。

 

未来の行き先が心細いのはイヤですもんネ。痛いのはイヤですもんネ。

 

義務感ではなく、モラルでもなく、今の自分のため、そして未来の自分のために、です。

 

 

「デジタル作画」のアニメーターに対して、どんなに義務感やモラルを強調しても、アニメーターたちが必然的に「デジタルの知識を身につけなければ、自分が痛い目にあう」と、文字どおり「痛感」しなければ、善き人でも「暗記物」に終始するでしょう。

 

解像度を間違えたまま描いて、全描き直しになる‥‥とか、自分の知識の低さゆえに完成した映像で大恥をかく‥‥とか、痛い目にあってはじめて人と状況は動いていくものです。

 

作画以外のすでに「デジタル化」が浸透したセクション、例えば撮影のスタッフが、映像の基礎知識を自分の経験値の中に取り込んでいくのだって、ある種、自分の身を守るためですからネ。何か、高潔な理想のもとに、「デジタルの基礎知識」を覚えているわけではないです。

 

 

加えて、実質として、アニメの作画の現場に、作画の知識も豊富な上で、作画観点から「デジタルの知識」を教えられる先輩って、どれだけいるでしょうか。まあ、少ないですよね、ぶっちゃけ。

 

なので、「デジタルの知識」が足りてないがゆえに、作画現場の先輩からNGを出されて描き直しを食らう‥‥なんてこともないのです。

 

また、膨大なNOやfalseの中から、バブルソートのように、YESやtrueが浮かび上がってくるほど、デジタル作画案件は多くないですから、「知識向上」「経験値向上」が構造的に難しいのが現状と言えましょう。

 

 

私の意見としては、業界全体を改善するような途方もない大風呂敷を広げるよりも、自分の周辺を改善し進化させていくことが何よりも重要な取り組みだと思います。ツイッターやブログで呼びかけるのも「一円貯金」的な累積戦略として全く無駄とは思いませんが、それよりも今、自分が関わったカットで、直接、修正を依頼する方が実効的でしょう。今の自分の仕事の中で、改善案や未来の展望を地道に実践するのが、結局は手堅い方法だと思ってます。

*実際、このブログは私の中では「累積戦略」の位置付けです。即効性や実効力はありませんよネ。

 

皆が自分の現場を改善し進化させていけば、業界も成り行き的に動いていきます。業界は主体性という自らの姿を持たない、業界の人々のシルエットが重なり合って形成される、大きなシルエット=影なのです。

 

ダメな人やグループや会社は消え、未来に順応するものだけが生き残って、全体の姿を変えいくのです。

 

 


紙でもできること

原画・動画をコンピュータでのペンタブ作画に切り替える趣旨の「デジタル作画」。実際は、中々切り替えは進んでいません。

 

要は今のデジタル作画の内容は、

 

紙でもできることじゃん

 

‥‥で済んでしまう面が多々あるからです。

 

もちろん、私自身の感慨で言えば、「デジタル作画」の親戚とも言える「iPad作画」で「紙ではできない様々な利点」を見出しているからこそ、iPad作画に全面的に切り替えてはいるのですが、「紙ではできない」決定的な利点は、少ないと言わざる得ません。「iPad作画」は、「アニメの新技術」と組み合わせてこそ活きてきます。

 

iPadで線画を描く「だけ」なら、ぶっちゃけ、紙で描いた結果と大差ありません。ゆえに、最近でも紙ベースの仕事は引き受けておりますし、iPadで作画した後でも紙出力することで紙ベース運用に戻ってもいけます。

 

 

 

紙作画を極めて大きく凌駕する、「デジタル作画」の決定的なプラス要素とは何なの?

 

ホントにそこ。‥‥ですよね。

 

不可能だったことが可能になるからこそ、大変だったことが楽になるからこそ、人々は動くのです。

 

 

今から10年以上前くらいに、アニメの撮影工程はどんどんコンピュータへと、しかもAfter Effects一択の方式へと雪崩れていきました。

 

何故か?

 

フィルム撮影台ではできないことが、デジタル撮影だとできるじゃん。しかも、たくさん。

 

‥‥ということだったのです。

 

要は、不可能が可能に、大変が楽に、なったからです。

 

技術的には、フィルム撮影台システムでは厄介だったことが、いとも簡単にできるようになりました。

 

例えば、透過光。セルが透過光を背負うたびに、黒い裏塗りをしていたことはご存知ですか? After Effectsをはじめとしたコンポジットソフトウェアは、ペイントしたセルのアルファチャンネルがそのままマスクとして機能するので、透過光がセルの塗料を透過するのを防ぐ必要など皆無になりました。

*細かく言えば、今のアニメ現場の主流は、アルファというよりは、カラーキー(マット色は255の白)ですが、その辺は噛み砕いて読んでくださいまし。

 

日本のアニメ撮影は、「光り物王国」とも言えますから、セルの裏塗りがなくなっただけでも「大変が、楽に」なりましたよネ。

 

その他には例えば、「クロス引き」。

 

ベテランの方は、現在の「どんな方向にでも同時にセルや背景・BOOKがスライドできる」技術は、不可能だったことが可能になった最たるものと感じるでしょう。その他、「オプチカル合成と同等のカメラワーク」「セルごとの撮影効果」など、不可能や困難を払拭した事例は、挙げればきりがありません。

 

そして制作運用においても大きな改善面(=のちにこの改善面が裏目となります)が表れました。

 

フィルム撮影のコスト。そして運用のサイクル。

 

フィルム元来のデリケートな性質による扱いにくさ、そして現像所をも巻き込んでサイクルする「大振りで大仰な撮影サイクル」が、全て木っ端微塵に吹き飛びました。撮影台のコスト、撮影台を置く場所のコスト、すべて、信じられないくらい小規模なコストに収まるようになりました。「現像」が消滅し、極めて高速なサイクルで撮影が上がるようになりました。(‥‥‥もちろん、悪影響も半端なく、良い面が悪い面へと転化する状況が徐々に膨れ上がり、2017年の現在があります)

 

アニメの撮影が「デジタル撮影」に移行したのは、「移行に値する」絶大で画期的な理由が存在したからです。

 

それに比べて、「デジタル作画」の利点は、あまりにも小さいと言えます。「デジタル作画」が「紙でもできることじゃん」のひと言で片付けられているうちは、切り替わりの機運など起きないと実感します。

 

 

最近、iPadで4〜7Kサイズで素材作画をして、カットアウト系の新技術で動かした作品を作り終えましたが(フォーマットは現在の業界標準の2K24p)、コンポジションの設定を変更してレンダリングの仕様を変えて出力した、4K60pフルモーションの映像を見たときに、「これはもう、紙の作画では不可能だ」と我ながら愕然としました。そして新しいアニメーション映像の可能性を、改めて確信しました。残念ながら、その4K60pの映像は、現在の2Kテレビでは放映できませんけどネ‥‥。

*ちなみに、コンポジションの設定を変えただけで、4K60pの美麗な映像が出力できるわけではありません。ちゃんと、4K60pにも対応できる「入念な仕込み」が必要です。現在のアニメ制作現場で作っているアニメは、After Effectsの設定をどんなにイジくって変えても、2K24pの品質どまりです。一方、新技術は扱いは難しいですが、わきまえて使えば、フレームレートを変更するだけで、アニメ作画でいうところの「中枚数」が増えて、60pでも120pでも対応できます。

 

美しく、綺麗、滑らかで繊細。高品質映像フォーマットを高性能な黒モノ家電やデバイスで視聴するのが、ごく普通の情景となる、すぐ先の未来の世界において、ごく自然に馴染むのは、3コマ打ちの低解像能の8fpsのアニメではなく、その未来の状況に応じた高詳細・高解像能のアニメです。

 

その未来クオリティを実現する必要に迫られたとき、はじめて、iPad作画などのデジタルベースの作画スタイルは、「紙ではできない」がゆえに「必要なもの」として、振り向かれはじめるでしょう。

 

 

 

A4〜B4互換サイズの詳細度で、2K24pで8〜12fpsの動画を描いているうちは、「デジタル作画」が紙の作画を凌駕することは、ほとんどありません。ソフトウェアアシストによるベクター線くらいなものです。しかし、線が綺麗なだけでは、歴史を塗り替えることは不可能です。

 

アニメの「デジタル撮影」がそうであったように、新たな技術要素と組み合わせて、旧来技術が不可能だった領域に踏み込んで、ようやく周りの認識を徐々に変えることができます。

 

フィルムが消えていく顛末を、実制作の至近距離で、「終わりの始まり」から「終わりの終わり」まで見てきた私の実感において、そう思うのです。

 

 


どうでもいいことかもしんないけど

最近見かけた「帰還した爆撃機のダメージの統計を考慮して、爆撃機のどの部分を強化すべきか」という記事・ツイートは、日々の現場運用においても示唆に富む内容です。さらには、自分の作業経験を、未来にどう活かすか‥‥という命題にも、大いに刺激になるものです。

 

‥‥一方。

 

小学生の頃からの飛行機好きの私は、「これ、輸送機じゃん。爆撃機じゃないじゃん。」と1発目に思ってしまったのは、どうでもよいことでしょうかネ。

 

これです。ハセガワのプラモデル組み立て説明書。

 

 

「帰還した爆撃機のダメージの統計」の飛行機の絵は、DC-3・C-47系の輸送機のように見えます。ただ、エンジンは液冷っぽいですネ。上図の説明書の機体は、DC-3のオーソドックスな空冷エンジンです。細かい仕様はわかりませんが、いずれにせよ飛行機好きなら、輸送機のシルエットであることは、すぐにわかるはず。

 

‥‥こんなことばっかり言ってるから、オタク疲れするのかな。

 

 

原作本の図説が、テキトーにアメリカの双発機を流用したのか、よく解らんのですけど、実際、ほぼ丸腰に近い輸送機と銃座のハリネズミのような爆撃機とでは、戦闘機に捕捉され銃撃されて損傷する部分に差異が生じると思うんですよネ。

*戦時中の軍用型DC-3は、色々と防御武装のバリエーションがありますが、キモチの上で、銃座がないよりはあったほうが‥‥というような申し訳程度の武装‥‥ですネ。

 

まあ、重要なのはソコではなく、「データをどう捉えるか」ですから、ぶっちゃけ、どうでもいいことなんですけど。

 

 

ちなみに、DC-3。

 

DC-3をライセンス生産したL2D「零式輸送機」は、上図の通り、日の丸をつけて、戦時中に飛んでました。ソビエトでも、Li-2という名でライセンス生産&改造されて、2000機も製造されたそうな。

 

ちなみに、零式輸送機はハセガワから1/200が、Li-2はズベズダから同じく1/200のちっちゃいスケールのプラモが発売されてます。ハセガワの1/200の旅客機シリーズと並べられます。


VRとグラストロン

私は今から20年くらい前に、ソニーのグラストロンというHMDを愛用しており、グラストロンでS入力だかの(入力端子のことはよく覚えていない)映像で映画やテレビ番組も見ていました。

 

なので、私はHMD、VRゴーグル「肯定派」なのです。基本的に。

 

VR独壇場の、頭の動きに合わせて立体視が展開するコンテンツはおおいに楽しみです。しかし、私はその制作には全くと言って良いほど関われないでしょう。コンセプトボードやイメージボードくらいなら、かろうじて関われるかな‥‥というくらいです。

 

手描きの作画で、ほんの些細な立体視を実現したところで、ぶっちゃけ、失笑ものです。

 

手描きの作画は、2Dのままで良いです。絵を描くときに、立体視を意識してパーツの1つ1つを描くなんて、アホらしいです。どんなに巧妙に描いても、板の描き割りにしかなりません。絵を描く本質を、立体視に転化しようとしても、ただただ、虚しいだけです。立体視をしたいのなら、絵なんか選択せずに、Z軸が最初から存在するジャンルを選べば良いです。

 

私の一生は、2Dアニメーションにこそ注ぐべきだと、VRの登場によってキモを据えました。

 

 

では、私のこれからの仕事は、全くVRと接点がないのか‥‥というと、実は大きな楽しみがあります。

 

まさにグラストロンが示した「自分だけの映画館」です。

 

グラストロンの売りは、「大画面テレビがなくても、迫力の大画面でテレビが見れる」ことでした。解像度はそりゃあもう低かったですが、たしかに視界を大きく覆う液晶画面は、当時のブラウン菅の事実上の限界(ユーザが購入できる価格帯)の29インチを大きく上回り、50インチとか80インチとか(宣伝文句は忘れました)の「憧れのホームシアターサイズ」でした。

 

私が夢想するのは、実際の映画館とみまごうばかりの、VR映画館です。

 

映像はまさに大劇場のように視界を覆うほどの大スクリーン。前後左右だけでなく、上下にも音像が定位する、立体的な音響。

 

これって、もしリアルに実現しようとしたら、自宅で何百万かかるの? いや、自宅そのものが狭くてNGでしょ。‥‥ということは、不動産まで考えて、数千万の規模でしか、「マイ映画館」なんて実現できず、夢のまた夢のまた夢‥‥です。

 

しかし、8Kで、SDR on HDR、作品は24pでも頭の動きに追随するVRのモーションは60〜120p‥‥となれば、かなりリアルな「映画館」が自宅の狭い部屋で実現できるわけです。

 

もし、VRの技術ベース部分が発達して、解像度不足だけでも改善されて、詳細な画面が実現できれば、VRに立体視だけを求めずとも、2D平面の旧来コンテンツをまるで映画館のように映し出すだけでも、かなりイケるんじゃないでしょうか。少なくとも私は、それをグラストロンの時に既に感じています。

 

映画館自体が、日常とは隔絶した世界を持ちますから、その「映画館の異世界」がゴーグルの中で実現できるのは、映画ファン・アニメファンには、たまらない楽しみになると感じます。隣の客のポップコーンの音と匂いに気をとられることもなければ、前の客の頭がウザイなんてこともないですしネ。

 

 

実際、VRコンテンツを見終えて、ゴーグルを外すと、まるで現実の世界が「第2の世界」であるかのような錯覚すらおきます。まさに「アヴァロン」の世界。

 

リビングの団欒で、VRゴーグルが主流になることはなくても、個人用途ではかなりの可能性を秘めていると思います。

 

まあ、まず目先の問題は、ゴーグルの中に、裸眼と同じニュアンスの画面詳細感を感じられるほどの、超高密度ディスプレイパネルが実現できるか‥‥ですネ。今のRetinaレベルじゃ全然足りないですもんネ。

 

VRはまだまだ先が長いとは思います。特に映像品質においては。

 

しかし、グラストロンの頃から格段に進歩し、まるでノースロップグラマンの戦闘機用HMDのように、ジャイロで頭の動きにコンテンツが追随するVRの可能性は、果てしなく広いと感じています。

 

SimCityやSimsなんかがVRでゲーム化されたら、現実世界はもぬけの殻のような人生で、幸せをVRの中に閉じこめちゃう人なんかも、出始めるんだろうな‥‥。

 

50年後、100年後の世界って、どうなってるんでしょうネ。今、20代の人は、寿命からして、じゅうぶん、50年後の日本で生きてられますから、私の分も含めて見届けてほしいです。

 

 


VR

VRを実際にゴーグルをかぶって観てみると、VRが必要としている技術基盤は、未来の映像フォーマットのソレだと思い知ります。

 

VRを見て、足りてないなと率直に感じる要素は、

 

映像のビデオ解像度

ダイナミックレンジ

フレームレート

 

‥‥で、まんま、未来の映像フォーマットの達成目標です。

 

目の至近距離で再生されるがゆえに、ビデオ解像度はどうしても荒くなりがちです。現在の高密度液晶なんて性能が全く足りないほど、遥かに高々密度なディスプレイが必要なんだろうなと感じます。解像度で言えば、最低4Kで、理想的には8Kくらいは必要になるんじゃないかと思われます。ゴーグルの小面積に8Kなんて未来的に可能かは、よくわからんですが、詳細感は今の映像画素数では不足しています。

 

また、全く足りてないなと痛感するのは、ダイナミックレンジ=DRです。100nits程度のダイナミックレンジでは、映像に映し出される様々なものが暗く濁って見えます。なので、HDRは必須となりましょう。

 

フレームレートも、30fpsでは全く足りないです。残像で目が疲れます。最低で60fpsは必要でしょう。

 

‥‥で、こんなことを書くと、VRはダメみたいに受け取られてしまいがちですが、私は全く逆だと感じております。

 

改善する部分が根本的な基盤要素であるがゆえに、その部分が徐々に改善されていけば、どんどんVRは良くなっていくでしょう。つまり、痛快なほどに、発展の余地・伸びしろがたくさんある‥‥ということです。平面のテレビとは全く異なる存在意義を、映像の技術発展とともに示していくと思います。

 

むしろ、テレビよりもVRゴーグルのほうが、未来の技術をまさに「目に見えて活用できる」と思います。VRが未来の映像技術と組み合わさった時、平べったい2Dコンテンツは、恐ろしく古めかしく感じるかも知れません。

 

実際に私は、平面に絵を描く「2D」の技術では、もはや全く手出しのできない領域を圧倒的にVRに感じて、ややヘコみ気味です。VRには、手で絵を描く存在意義など、ほとんど必要とされないでしょう。必要とされるのは、実写か3DCGです。

 

ディメンションが1段上に上がって未来に進むことで、旧来ディメンションのメディアは旧態依然とする。‥‥そのことを痛感しております。

 

私の少年時代、止まった絵で音も動きもない漫画は、アニメに比べて「一段昔の古めかしさ」を感じていました。ゆえに、私は漫画家にはなろうとせず、最初からアニメーターを目指しました。私が小学校5年生の時に「さらば宇宙戦艦ヤマト」でアニメージュ創刊の年でしたから、私がアニメブームど真ん中だったのは、運命としか言いようがありません。

 

漫画に「時間と音」の2ディメンションを加えたアニメが、テレビのゴールデンタイムに放映される状況は、まさに1970年代の技術社会を象徴していたのだと思います。高度経済成長を遂げて、戦後から現代へと移り変わった日本だからこそ、アニメブームは起こったのでしょうネ。

 

そして今、何段階も経て、社会の技術はVRの入り口にたったのです。2020年代の映像分野の「寵児」は、平面の4K8Kか、はたまた2眼のVRか。

 

しかし一方で、絵画や漫画、文字媒体の、「かつての主力メディア」がそうであるように、2Dアニメも決して消えていくことはないとも感じます。もしかしたら、「第3次アニメブーム」なんて騒がれるのは「消える間際の輝き」なのかも知れませんけど、全く消えきってしまうことはないと思います。

*内情を知る人間からすれば、「第3次アニメブーム」なんて、門外漢の人間が話題欲しさに浮かれているように、虚しいばかりに目に映りますけどネ。まあ、もしかしたら、ブームなんて騒がれるのは、現場が「生きるか死ぬか」の瀕死の状態を呈するほど無理をしているから‥‥とも言えなくもないですネ。

 

それにVRゴーグルはやっぱり個人向けの用途から脱し得ないでしょうから、テレビ的な平面映像の家電は今後も必要とされるでしょう。どんなにヘッドフォンが発達しても、皆で集まるときはスピーカーから音出しして、全員がヘッドフォンで音を聴くような情景は見ないですもんネ。あくまで、自分の部屋で過ごす個人が、プライベートな時間を過ごす時に、VRゴーグルは強力な選択肢となるのだと思います。

 

でもねえ‥‥、アニメって今や家族全員で見るものではなく、プライベートな個人の時間で楽しむ「深夜枠」「レンタル枠」の娯楽に変化していますから、VRと「プライベートな時間の争奪戦」を繰り広げた時には、どうにも不利だとは思います。VRは、ユーザの没入感が「技術のシステム的に」格段に優位ですからネ。

 

 

最近、新技術で制作した本番カットを流用して、4K60fpsでヒロインキャラのカットをレンダリングしてみましたが‥‥‥、いやあ、4K60pをフルに活用したアニメ映像は凄いですネ。線の繊細さや細かさ、動きの圧倒的な滑らかさは、次世代の2Dアニメを具現化していると言っても過言ではないです。

 

そうして、2Dアニメもまだまだ伸びしろはあるのですが、如何せん、メディアの「種族としての宿命」からは逃れられません。手で絵を描いて作るアニメは、2Dの平面で、その力を発揮するしかないのです。

 

ですから、2Dをもっと大切に扱わんとさ。

 

粗末な出来の2Dアニメを作り続けていては、「個人ユーザの時間の争奪合戦」に敗北するのは、目に見えています。2Dアニメに対して、いつまでもユーザが忠実にファンで居続けてくれると傲るな!‥‥ということですネ。


ものごとは複雑だな

特徴を捉えて、単純明快に‥‥という強迫観念は、こと、短く文章が区切られるツイッターの出現によって、より一層、拍車がかかったように思います。

 

スパッと言い当てたり、グサッと核心をついたり‥‥という、言葉の快感を求めて、無理にでも「何々はこうである」と数行でまとめようとするのは、実は、とても的外れなことじゃないかと思うことがあります。

 

人間や、物事や、社会や自然界の仕組みって、そんなに単純で明快かな‥‥。私には、とてもそう思えないのです。

 

ひとりの人間って、そんなに単純じゃないぞ。極めて、複雑だぞ。

 

例えば、「人間は外見のイメージに反する内面を持っている。人とはそういうものだ。」‥‥なんていう格言めいた言葉を聞くと、「そうかもなあ」と思ってしまいますが、実際のところ、「人間は、外見のイメージ通りの内面と、イメージとは違う内面との、多様な内面を持つ」のではないでしょうかネ。「外面に反する内面」だけを語っても、「人とはそういうものだ」とは言えません。

 

ツイッターでは、文を短く切らなければならないので、「自分でも思ってもいないような浅はかな判断で言い切ってしまう」落とし穴がそこら中に待ち受けていると思うのです。ですから「そんなつもりで書いたわけじゃない」なんていう、書いてしまった後からの言い訳をツイートする事例が、そこかしこに発生してるんでしょう。

 

言葉で要約できることは要約すれば良いですけど、なんでもかんでも要約する必要はないですよネ。要約できないものを無理に言葉で要約しても、クオリティの低い(=信頼度や確実性の低い)情報が錯綜するだけだもん。

 

 

私が感じるに、言葉で単純明快に言い表わせることの方が、世の中には少ないと思います。人間だけでなく、ネコと暮らしても、そう思いましたもん。ネコとて、生まれ出でた瞬間から様々な状況に影響され、複雑な人格(猫格?)を有しますからネ。ネットの誰かさんの言葉よりも、一緒に暮らしたネコが私に投げかけた眼差しの方が、この世の色々なことを要約して教えてくれたように思います。

 

 

毎日、核心を言い当てたように吐き出される言葉の数々に対して、いちいち関心して「真実を知った」なんて思い込んでばかりいたら、カラダとココロがいくつあっても足りんです。その「ありがたい格言」を聞いたところで、今日から自分が生まれ変われるか?‥‥と言ったら、残念だけどNOですよネ。人は簡単には変われない‥‥です。「いい言葉を聞いて参考になった」とか言いながら、数年後にはサッパリ忘れてたりするでしょ。

 

自分の中に、本当に心に残り続ける言葉なんて、簡単にネットじゃ手に入らないですよネ。

 

悩み苦しみ傲りヘコみ怒り悲しみ喜びながら、謙虚に傲慢にフラフラよろめいて、ぶざまで複雑な自分と死ぬまで一緒に生きていく覚悟で、日々を送っていくだけです。

 

 


エッセンシャルオイル

オタク疲れ。‥‥ああ、確かにそういう面はありますネ。

 

 

 

まあな‥‥。アニメを制作するという本質が、リアルな世界(世間一般的な世界)から少し距離を置いているような部分がありますから、何とも。

 

「主人公の性格的に、こういうポーズでこんな演技は云々」なんて、少なくとも私の両親が熱く議論しているのを見たことは一度もありませんでしたからネ。50歳近くになって、美少女キャラのハイライトのフォルムの変化に、After Effectsのディストーションエフェクトを駆使する‥‥なんて仕事、あまりにも特殊だもんネ。

 

 

ちょうど今日、作品に滲み出す表現というのは、大量に知識がある中から絞り出されてくる一滴のエッセンシャルオイルのようなものだ‥‥と話していました。

 

たまに、「とってつけたような表現」ってあるじゃないですか。‥‥あれって、自分の中からは絞り出てこないから、「型」を誰かのどこかの作品から拝借した結果だと思うのです。そんな話を仕事仲間と話しておりました。

 

例えば、ハードな香りのするミリタリー表現って、ネットでいくら検索しても醸し出せるものではなく、本人がどれだけミリタリー関連の知識を貯め続けて、そこから絞り出てくる「数滴」のエッセンシャルオイルを垂らせるか‥‥が、「雰囲気」のキモになってきます。

 

エッセンシャルオイルって、大量の材料から驚くほど少量しか抽出できなくて、ゆえに数滴でアロマディフューザーで香りが拡散できるのです。作品の中に滲み出す「香り」も似たようなものだと思います。

 

知識の蓄積って、何段階もあって、例えば音楽で表現すると‥‥

 

  1. この曲いいな。‥‥と気になって、好きになり始める
  2. 一般的な「ベスト盤」を買う
  3. 各アルバムを買い集めるようになる
  4. 演奏者のソロアルバムなんかにも手を出す
  5. 演奏者と同時代のアルバムにも手を出してジャンル全体に興味が湧く
  6. そのジャンルのアルバムもアレコレと買い始める
  7. 好きになった演奏者や楽曲が影響を受けた楽曲にも興味がわく
  8. 音楽の「潮流」的なものにも興味が湧く
  9. 何十年にも渡る音楽の変遷を知るようになる
  10. 買うアルバムがどんどん増える

 

‥‥とまあ、嗚呼、まさに「オタク疲れ」の世界。

 

でもこうした蓄積があってこそ、ほんの1パッセージで時代性も聴き分けられるようになります。モーツァルトの時代に、ラフマニノフスクリャービンのフレーズや和音が登場しない理屈がわかりますし、モーツァルトの前にJ.C.バッハがいて、J.C.バッハのお父さんは「大バッハ=J.S.Bach」みたいな、ポリフォニーからホモフォニーへと変遷していく流れも、楽曲の音使いで解るようになってきます。

 

もしアニメで、フランス革命前夜の貴族の館で、いかにもSteinwayのような鋼鉄フレーム製ピアノの響きが流れてくるシーンが出てきたら、「ああ、このシーンの香り作りは諦めたんだな」と感じるでしょう。平均律でどんな調でも響きが一律で、産業革命の申し子のような近代ピアノの響きは、音色だけで時代を表現できます。ハープシコード、フォルテピアノ・ハンマークラヴィーア‥‥といった鍵盤楽器の変遷を知っていれば‥‥です。

 

ミリタリーも、イーグル1機で表現できるニュアンスというものがありますが、そのニュアンスを自由に操作するには、付け焼き刃の知識ではどうにもならんのです。スパローかアムラームか‥‥なんてところでも色々と表現できますが、「ミサイル」としてしか認識していないんじゃ、香りもへったくれもないです。

 

「そんなの、世界の人間の全員がマニアじゃないんだから、関係ねえよ」と思いがちなのですが、あくまで「香り」として作用するものなので、ぽたりと落ちたエッセンシャルオイル単体に目を向けて議論しても埒が明きません。むしろ、世界中の人間がマニアではないからこそ、香りを嗅がせる手練手管を如何に駆使するか‥‥という話です。

 

作品の「香り」を諦めてしまうか否かは、制作者サイドの知識量から滲み出すエッセンシャルオイルの有無が深く関わってきます。

 

マニアと同等の知識を持たない人でも、なんとなく解るニュアンスというものがあって、「なんか、妙にリアルな物々しさがある」とか、「理屈はよくわからないけど、劇中の独特の雰囲気を感じる」みたいな、作品中の「香り」を嗅ぐことができます。

 

制作者側としては、いざという時に、最適なエッセンシャルオイルを垂らせるのが理想ですよネ。

 

 

なので、制作側のスタッフには、いろんなジャンルの「好き者」が必要なのです。皆が戦闘機・戦車オタクばかりではジャンルが狭過ぎてアカンですが、服飾、トラディショナルな模様、時計などの工業製品、武具、ドレス、髪型、制服、絵画、歴史、動物、鳥類、魚類、etc‥‥と、色んなマニア・オタクがいてこそ‥‥です。

 

まあ、だから、「XX作品のOOというキャラが大好きです!」なんていうアニメオタク要素は現場にはさして有効には作用しません。それは自分の胸のうちに秘めておけば良いことで、仕事にそれを持ち出す機会もないでしょう。‥‥まあ、間接的には影響する(自分の技術スタイルの根っこなどに)とは思いますけどネ。私は自分自身の中に、永井豪さん、松本零士さん、吾妻ひでおさん、水木しげるさんと言った幼少の頃に読んだ漫画家さんからの強い影響を感じますし、旧作ど根性ガエルのAプロ系の動きに今でも深い愛着がありますが、それは胸の内で良いのです。

 

制作サイドのスタッフであれば、ぜひ、「好き者一直線」を貫いてもらって、色々な知識の集合体として作業現場を形成できたらいいな‥‥と思っています。

 

 

ちなみに「こだわりのモノたちばかり集めても、そのアイテムが日の目を見なければ意味がないかも・・・」なんて診断されてますが、その辺は大丈夫。日々、次から次へと、繰り出しておりますから。

 

‥‥私の歳くらいになると、蓄積から放出へと向かうのかも知れませんネ。

 

 



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