Flicker

私が、新しいアニメーション技法において「防ぎたい映像障害」の筆頭が「フリッカー」です。だた、フリッカーは意味が広すぎて(=「ちらつき」)要領を得ないので、もう少し具体的に言うと、「カメラワークによるフリッカー」です。全体をボカし過ぎるほどにボカす、俗称「アンチフリッカー」の事ではなく、「絵コンテの段階で既に発生が確定しているフリッカー」の事を今回は指します。

カメラワークでも特に「横PAN」「横Follow」の時に、フリッカーが発生しやすいです。条件はほぼ決まっていて、「24〜30fps映像内において、垂直に立つ図像を、残像を出さずに、横方向に一定以上の速さで移動させた」時に必ず発生します。これが見ていて「不快そのもの」なんですよ。例えば、垂直に立った電柱が左から右に流れていく時、「パカパカパカパカ」と不快な残像を目に残しながら移動しますが、ソレが今回の話題のフリッカーです。

実写でも数百分の1秒のシャッター速度で映像を記録すると、輪郭のハッキリした絵が「目にひっかかる」、フリッカーと同等の絵になります。それを逆手に取って緊迫感・現実感として活用したのが、「プライベート・ライアン」の冒頭、オマハビーチのシーンですネ。

要は、高速移動する物体を残像無しで映像化した際に、目に「カッチリとした絵が連続で焼き付けられて、見ていて不快になる」のを、フリッカーと言い表している‥‥のです。不快にならなければ、フリッカーとは呼ばれず、むしろ「シャープ」で「キレが良い」なんて言われたりします。

ではなぜ、アニメでフリッカーが気になるのか。それは映像の1フレームごとが「止め絵」だからです。残像が無い世界ゆえに、画面の全ての要素が「フリッカーのリスクと隣り合わせ」なのです。フリッキングの限界値を超えた時のみ「不快」に映るだけで、そこら中が「フリッカーの温床」なわけです。

恐らく、この「PANフリッカー」「Followフリッカー」を避けるための明確な指針は、アニメ業界の長い歴史の中でも未だに確立されていないと思います。ゆえに、絵コンテのノリで、いくらでも不快なフリッカーは「発生する危険」があります。フリッカーの障害云々以前に、「こんな速いPANだと不快に感じる」という理由で、経験的にフリッカーを「知らずのうちに」避けている演出さんはいます。しかし、技法としては明確化されてはいません。

もちろん、金と時間と技術(=ボカせば良いというものではないので)がある現場では、速い動きには残像を「デジタルで」付ける事によって、「残像のあるアニメ絵」を作り、フリッカーを除去または軽減する事は可能です。私も前世紀から、随分とモーションブラーを「フリッカー除去目的」で処理してきました。

しかし、どうしてもダメなものはあります。アニメにありがちな「説明的なPAN」とかネ。例えば、会場内に集まった客のモブ、横2〜3倍のフレームを、3秒でPANとか。‥‥立つ人々が「垂直の図像」なので、3秒でPANするとそれはもう、フリッカーが出るわ出るわ‥‥。だからと言って、「会場に集まった人々を見渡す意図」なので、モーションブラーを付けるわけにもいかんのですよ。見せるための被写体を、ボカして見えなくしてどうするのよ‥‥と。
*ちなみに、実写ではファインダーを覗いた段階で「3秒でPANすると速すぎる」と目視できるので、事前に避けられるのです。絵コンテは目視確認できないので、破綻したカメラワークをいくらでも書けてしまいます。

解決法は簡単。尺を倍以上に伸ばすか、そもそも違う構図や組み立てで表現する‥‥という事です。つまり、絵コンテや演出を変える‥‥という事ですネ。「尺を伸ばすと、テンポが悪くなる」のは解るんですが、それ以前に「そのカメラワークと尺のテンポ感の方が、そもそも‥‥」なんですけどネ。

でもまあ、これを今のアニメ制作現場に訴えても、「今まで良かったんだから、これから先も良いじゃん」となるのは明白なので、特に提言はしません。フリッカーも含めて「今までの日本のアニメのスタイル」だったので、それはそれで馴染んでいる層もいる事だし、アリでしょう。特に、敬愛する出崎統さんの作品群は、フリッカーも含めて「映像の力」だったりするので、全否定するつもりは毛頭ありません。

ただ、未来の4K8K、48〜120fpsのアニメーション作品では、効果とは別物の、みっともないフリッカーは「絶対に避けたい」です。少なくとも私は、です。‥‥折角、美麗な絵を作っても、カメラワークの障害で冷や水を浴びせかけてたら、台無しですもんネ。

コンピュータ上で「作画行為」をおこなう、私の準備中のアニメーション技法は、シャッター速度(か同等のあれこれ)の設定で、残像を制御する事ができます。フリッカー抑制のために残像を長めにしたり、絵にチカラを持たせるためにあえて残像を極小にしたり‥‥と、意図的な操作が可能です。これはキャラだけでなく、背景美術にも適用されます。「3DCG」じゃなくても、2Dでもできるんヨ。作画でできない事は、何でも「デジタル」「3DCG」に放り投げてダイインする脳みそだと、理解できないかも知れませんが‥‥。

実写だとあまり見かけないフリッカーですが、アニメーション作品も「見る側を世界に引き込む」ためには、フリッカーで「現実に引き戻してはいけない」と思うわけです。近い未来、周りが流麗な映像で満たされた時、アニメのフリッカー障害がどんな風に人々の生理に訴えかけるか‥‥、考えただけでも侘しくなります。

まあ、要は、習慣でアニメを作らず、新しいキャンバスの上で、美しいアニメーションを描きたいのです。

フリッカーは、障害ではなく、手管として使おう!‥‥という事です。

 

むしろ2Dアニメの方が

実写の4K映像とか見ていると、どうもピンとこない事が多く‥‥ありませんか? そのほとんどが、動きがまだ24〜30fpsのままでしょうがない部分もありますが、「あまり2Kと大差ない」と感じてしまう事が、店頭のデモとかでも多くないスか?

たしかに奇麗ではあるんだけど、その奇麗さがあまり伝わってこない‥‥というか、カメラの意識が従来の映画やHDのままで、4Kのポテンシャルがあまり活かされていないように感じられます。例えばアクションのシーンで、SD〜HDでは有効だった「ハンディブレ」の表現も、むしろ4Kでは「スケールダウン」する方向へと傾いているように思います。

3DCGのカットは特にその傾向が顕著であり、加えて、4Kドットバイドットでは作っていないように思われるフォーカスの甘い絵が多いので、余計に「4K感」が薄いです。

つまりひとことで言えば、4Kのわりには、「絵が緻密だ」という印象が「希薄」なのです。

構図の作り方やカメラワーク、尺の感覚などが、ぶっちゃけ、旧態依然のまま‥‥なんでしょうネ。いくらコンピュータに負荷をかけても、思想が旧いままだと、4Kは活かせないのでしょう。

その昔、テレビドラマが16mmフィルムからビデオカメラに変わった時に、演出法やカメラワークが16mmの意識のままで、ビデオカメラの長所よりも弱点ばかりが出てしまっていたのを思い出します。または、レコード盤からCDに移行した際の「間をどうやって埋めたら良いか戸惑った」事‥‥とか。遥か時を過ぎた今だと、当時はビデオカメラやデジタルオーディオの活用法が確立されてなかった‥‥とオトナ顔で述懐できますけども。

4K8Kも同じで、従来の見せ方のままでは、ポテンシャルを引き出せるとは思えません。でもまあ、移行期って往々にして、そういうの(ポテンシャルを持て余す作品)がいっぱい出てくるもの‥‥ではあるんですけどネ。

思うに、2Dアニメのほうが、素早く、4Kのポテンシャルを引き出せるんじゃないスかね。何よりも、「絵である事が有利に働く」と思うんですよ。‥‥もちろん、1280pxの絵をアップコンなんて論外ですが、4Kに相応しい絵作りをすれば、2Dアニメのほうが緻密さや鮮明さを強くアピールできると思います。だって、作り出した元々の状態が凄く鮮明で緻密なんですから。

実は2K〜HDでも、作り方や意識が変われば、ボヤけた皮が何枚も剥けたように、緻密で繊細になります。‥‥今、同室でとあるOPの「作り変え」の作業をしていますが(私はノータッチ)、意識の違う人間が作れば、同じ素材でも、デリケートかつインパクトのある画面に仕上がります。本来の「HD」の姿とでも言いましょうか。

4Kではなおさら、意識の差が画面にありありと浮かび上がる事でしょう。アニメなのに「ボケて不鮮明な4K」を作る人々も出てくるとは思いますが、それもまあ、全体としては必要な要素ではあります。価格に応じて、様々な品質の上下があって、全体は成り立つのですから。

私は以前、2007〜2009年頃に、新しい技法を盛り込んだ実験的なPVを制作していましたが、当時は新技法も未発達でしたし4Kなんて考えもしなかったので、やはり「そのような意識の映像」になっています。なので、今はいくつかをチョイスして再作業(というか作り直し)をしています。前にも書きましたが、技術や思考が1年も経たずに色褪せるほど、現在は技術の進化速度が速いです。

戦時は技術が格段に進歩すると言いますが、そういった意味では、戦争はもう既に始まっているのかも知れませんネ。

あとは、フレームレートが48,60に上がってくれれば、さらに「戦争が有利」に進められる‥‥んですがね。インフラがもうちょい、整わないとなあ‥‥。

情熱溢るる

USBのハブが原因(だと思われ)の「たまにHDDがアンマウントされる」トラブルに対処すべく、VL811を搭載したハブを購入、同時にUSBケーブルにも番号ラベルを貼って整理し、現在めでたく安定動作中です。今使っているロジテックの4発のハコ、ハブはサンワサプライのものですが、USB3.0の外付けディスクは、ハコとハブの選定がとにかく重要ですネ。

で、ハブの設置に絡んで、HDDのマウント・アンマウントを繰り返している中で、HDDの中身を無作為に掘ってたら、昔のデータが色々と出てきました。PC98のマルチペイントで描いたイタズラ描きとか、10代の終わり頃に作ったオープンリールMTRの楽曲のキャプチャとか‥‥。2000年劇場版Bloodのパイロットフィルムを作る時に、音楽制作も担当したのですが、その際の初期段階の音楽スケッチとかも出てきましたし、Blood終了後に企画を動かしていた作品のパイロットフィルムの音楽とかも出てきました。

Bloodパイロットフィルムの音楽スケッチは、公開されたバージョンではなく、重く這うような雰囲気の楽曲で、およそ短尺向きのものではないのですが、今聴き直すと「やりたい事をやった」内容で、自分ながら何だか微笑ましいような感じです。もう一方の企画の音楽はもっと顕著で、「やりたい事をやってみたけど、どうしても力不足だった」事が、今聴くとありありと感じ取れます。力不足とは、当時の自分の技術、機材的な限界、そして何よりも「ジャッジ能力」の低さ‥‥でしょうか。Bloodの頃が27才前後、その後の企画の時が30才前後ですが、まあ、「いっぱいいっぱい」だったのです。

ただ、改善すべき点は所々にあれど、訴えかけようとする「情熱」は溢れていて、「安全牌」で作っていないところは、自分で言うのも何ですが、とても良い感じです。歳喰うとさ‥‥、もの作りの段取りに慣れ切って、不遜・傲慢になって、それが作品に如実にでちゃうじゃないですか。「鉄板」とか「今どきのウケる路線」とかネ。‥‥そういうのが、無いのよネ。流行で作ろうともしてないですし。

そんなこんなを考えるうちに、当時の企画のパイロットの音楽を、今の機材と視野で作り直してみようとかな‥‥と考えてます。もちろん、本業の隙間で‥‥ですけど。14年経過して、ようやく振り返って、見直す気になった‥‥とでも言いましょうか。

その当時、分不相応にも、拡大した四管編成(金管を増強)で作っており、私の能力をオーバーフローするばかりか、機材の限界をも超え、クライマックス部分の処理が追いつかず発音で遅延が発生して、今聴くとかなり「音が雪崩れて」おります。当時は鳴ってほしいように鳴ってくれなくて、もどかしさでいっぱいでしたが、今だったらまず、マシンの性能が桁違いに上がってますし、どのようにすれば鳴るのか大体解ってきた事もあり、もうちょっとマシなものが作れるように思います。昔は、鳴らそうともがいて、要素を足すばかりで、引く事ができなかったんですネ。結局、「構造を見てるつもりで、見てなかった」のかも知れません。

人の生きる世は、情熱がたっぷりある時には技術や環境が足りず、技術力も向上して環境が快適になると情熱が冷めていく‥‥と言う、何とも残酷なベクトルを示すものですが、今の私には手強い新たな攻略目標たる4K8Kもあるし、ライトモティーフに基づく作品作りもあまり出来ていないしで、当分の間は情熱が冷める事はなさそうです。私は「劇伴ではない音楽」「塗り絵ではない色彩」を、描画やストーリーと同列に用いて、示導動機としてポリフォニックに扱う語法を20代の頃からイメージしていますが、昔作った音楽を聴くと、その当時の情熱が沸々と沸き上がってくるのです。もしかしたら、40代の現在、各種デジタル技術が発達している今、ピースがようやく揃おうとしているのかも知れませんネ。

3Dの

仕事仲間から聞いたのですが、3Dベースのドラエモンの映画が80億の興収だとか。セルアニメの代用品のような事をやらされていた3Dではなく、3Dならではのテイストで作品を作って、80億もの興収を叩き出したのは、シンプルに喜ばしい事です。最近の作画版のドラエモン映画が30億台だった事を考えれば、大躍進ですネ。

メディコム・トイの「藤子・F・不二雄シリーズ」のフィギュアを見れば、ドラエモンなどの「藤子マンガ」が立体に堪え得る事は以前から明白だったのです。3Dベースの映画は中々に苦戦を強いられ続けてきましたが、とうとう「実績」を築いたわけで、今後は「漫画原作は作画アニメの牙城」とは言い切れない状況に移行していくのかも‥‥知れませんネ。
*しかし何だ、メディコム・トイのシリーズは可愛いのが多いですネ。千円シリーズでQちゃんや黒ベエも出してくんないかな。

お客さんのからだが、徐々にセルアニメではないアニメーションに慣らされていくのは、わたし的に多いに歓迎すべき事です。私は「絵を描く事」を放棄するつもりは毛頭ありませんが、それは「セルアニメに固執する」事ではありません。2Dアニメーションだって、美麗なイラストテイストで動かせるし、フルフレームのモーションだって可能です。今の作画の慣習とキッパリ決別すれば、です。

「アニメと言えば、作画」みたいにふんぞり返って、殿様商売していてはダメだと思っています。慣習でアニメを作るような意識は、「一人勝ち」だった昔と違って、競合が頭角を現していくこれから先は、やがて観る側に飽きられていくと感じます。現在そして未来は、10年前、20年前とは、大きく違うのですから。

前にも書いた事ですが、もし現業界が、作画システムに4Kやタブレット作画を自ら招き入れた場合、良い事と一緒に、凶悪なくらいの悪い事も持ち込むと、私は考えています。ちょうど、東西の交易でペストがもたらされたように、4Kの市場は利益だけでなく、業界の生活圏に甚大な打撃を与えるかも‥‥です。しかし、それは「世界の生まれ変わり」にはどうしても必要なプロセスだとも思うので、慌てず騒がず狼狽えず、4Kパンデミックを見守っていこうとも考えています。誰が生き残り、誰が死んでいくのか。

何はともあれ、3Dならではの映像作品がヒットしたのは、喜ばしい事です。もし、3Dの躍進に「自分のテリトリーを侵犯される」ようなキモチな人がいたら、その時点で既に「負けている」んだとも思います。3Dを商売敵にしてしまうあたりで、既に審判は下されているのでしょう。

たとえ、2D作画を信条としていても、3D制作チームを映像制作における頼もしい仲間と考える事が出来るか、否か‥‥で、その後の進む道は大きく変わってくるように思います。

 

メモリ

私の自宅にある旧型のMac Pro 2008年モデルは、今やほとんど電源を入れる事もなく、内蔵HDDのデータ整理を待つばかり‥‥の状態です。Mac Pro 2008のマズいのは、メモリがDDR2の800と旧いタイプなので旬を過ぎており、2014年現在に16GB以上にすると結構なお金がかかる点です。8GBのメモリモジュールが1枚3〜4万円しますが、2枚セットでの装着が必要なので、16GBの増設をおこなう場合は7〜8万円かかる‥‥という事になります。ちなみにiMacやMac mini用のDDR3-1600だと8GB x 2 = 16GBで2万円を割ります。

私のMac Pro 2008の現在のメモリは6スロットにそれぞれ1GBで6GB。残りの2スロットに8GBを差せば16GBプラスで、合計22GB。‥‥果たして8万円を投じる値打ちがあるか? 22GBになったMac Pro 2008がどれだけUltraHDにおいて使い物になるか?‥‥という予測・ジャッジは、中々難しいです。8万円あれば、BTOでCPUをi7に変更したMac mini本体が買えちゃうわけですから。

思えば、いつの時代も、こうしてメモリの増設に浮いたり沈んだりしてきました。PowerMacの頃は、128〜512MBの容量移行の中で、G3〜G5の頃は512MB〜2GBの中で、Intel Mac出たての頃は1〜4GBの中で‥‥。私の所有する一番旧いMacは中古で買った「Mac Plus」ですが、それはたしか、「256KB x 4 = 1MB」だったような‥‥。

まあ、概して言える事は、コンピュータの世界に「数値的な常識など定着しない」と言う事でしょうか。メモリが小さかった頃の話をしたら、MSXなどは今では信じられない16KBとか32KBの容量で、Mac Plusの256KBメモリモジュールですらリッチに感じた事でしょうから、きりがありません。昔のアニメによくあった、ロール紙にパンチ穴でログが書き出されるコンピュータなんて、想像もできません。しかし現在に視線を戻すと、64〜128GBのメモリ容量が標準となる時代はそう遠くない未来なので、「数字の感覚」はどんどん更新していかねばならんすネ。

ここ10年くらいは、映像の解像度が1.5〜2Kで落ち着いてくれてた一方で、マシンがG3、G4、G5、Intel Macと、どんどん性能アップしていき、メモリ搭載量も比例して増えていったので、動作は軽くなる傾向にありました。2D映像においてはマシン的に「極楽の時代」だったと言えます。しかし、映像制作の基盤が4K以上になると、いきなりドカンと、それまでの頼もしかった機種が冴えない機種へと転落します。

コンピュータの世界は、「ウンザリしたもの負け」みたいなところがありますから、メモリもディスク容量もピクセル寸法も、膨れ上がる数値との「根比べ」‥‥ですネ。

MacBook Pro、100トラックに堪える

最近、MacBook Pro(i7, 16GBメモリ)の処理能力が高い事を、度々書いていますが、実際に、ここ数日の100トラック越えの音楽制作にも堪えて、その能力の高さを実証してくれました。

ソフトウェア音源オンリーで100トラック‥‥ともなると、マシンの性能がかなり必要になりますが、最後まで作り終える事ができ、私にとってMacBookは何とも頼もしい存在となりました。もしヘタるようならバウンス(After Effectsでいうところのプリレンダリング)して凌ごうと思いましたが、そんな必要もなく、いわゆる「フィルムスコアリング」(映像を見ながら音楽制作する)をストレスなく作業できました。

前にも書きましたが、先代のMacBookまでは「ワークステーションに比べて、性能は2段落ち」くらいの印象でした。しかし、8月に買った最新のMacBook Proは、ワークステーション同等の働きをしてくれます。充分に、「2台目の作業用マシン」になってくれます。

ちなみに、私の買ったMacBook Proのスペック詳細は、
 

15インチMacBook Pro Retinaディスプレイモデル


 
  • 2.5GHz Quad-core Intel Core i7
  • 16GB 1600MHz DDR3L SDRAM
  • 256GB Flash Storage
  • Intel Iris Pro Graphics
  • JIS Keyboard/User's Guide-JPN
  • Country Kit-JPN
‥‥です。

「ターボブースト時に3.7GHz」との事で、どんな時に「ブースト」が利くのがよくわかりませんが、少なくとも100トラックの音楽制作には堪えてくれました。

でもまあ、本業バリバリの方は200トラック‥‥なんて話も聞くので、そこまで出来るかはナゾです。さすがに、MacBook Proで200トラックはちょっと無理な気もしますけどネ。

とは言え、確実に旧Mac Pro(昔のアルミ筐体のやつ)以上の働きをしそうです。つまり、メインマシンにもなるし、メインマシンが既にある場合は、After Effectsのレンダリング用サブマシンとしても使える‥‥という事ですネ。

フタを閉じてしまえば、超薄型のデスクトップマシンのように設置できますし、モバイルだけでなく据え置きとしても使える最近のMacBook。‥‥わたし的にはカナダ作業用に買った予定外のマシンでしたが、実はかなり使えるメインマシンとしても、これから先、重宝しそうです。

機材のコスト

自社完結の作品ならともかく、複数の制作会社・スタジオとやり取りする時、「定番の悩みどころ」は制作環境の差異による「互換性」の問題です。私は極力、ソフトウェア固有のプロジェクトファイルでの受け渡しは避け、一般的なファイル(QTやPSD、DPXなど)を用いるようにしています。

ソフト・ハードを「最新版合わせ」に維持し続けるのは、作業端末を多く抱える会社ほど困難です。ゆえに、作業を計画する際には、「受け渡しに用いるファイルは、ごく一般的な汎用形式を採用したい」のですが、それでも難しい事はあります。

例えば、現在のMacはAVIファイルの出力は苦手です。また、Windowsは基本的にはProResコーデックの書き出しはできません(ウラ技を使えば何とか)。かと言って、DPXを常用するのは、運用的に中々難しいです。MacとWindowsで「共通して、奇麗な10〜12bitのムービーファイル」は非圧縮のQTになるかも知れませんが、容量的にNGです。よって、多少の汚さは覚悟で、Avidの高圧縮コーデックを使うのが「痛み分け」的な感じですが、品質で商売をするわたし的には「画質が汚いのは痛いだけ」(=譲歩したくない)なので、やっぱり「圧縮した事で目に見えて画質が劣化する」コーデックは避けたいと思っているのです。ProRes4444をAppleがWindowsにも開放すれば全ての問題は片付く‥‥んですがネ‥‥。

相変わらず、私が本格的にコンピュータを使い始めた1996年頃と同じ問題を、世界は抱えているわけです。でもまあ、これは言ってもしょうがない事なんで、「解決できない問題ありき」で構えて、その時々のベストな選択をチョイスするようにしています。

しかし一方で、機材が古いままでも問題がおきます。2009年前後のハイスペックマシンは、HDサイズの制作には適していますが、4Kクラスの映像制作には目に見えて遜色が出てきます。2008年のMac Pro(4コア)、2009年のMac Pro(8コア)を使っているので、しみじみ、実感できるのです。ひと昔前にエントリー機種の上位CPUだったCore2Duoなんて、4K時代にはお話になりません。限界は「もうすぐそこ」です。各作業グループ間でマシンの年代の差が大きすぎると、共同作業自体が危うくなります。

といっても‥‥です。そんなに簡単に、フラッグシップのマシンなどホイホイ買えません。大型の劇場作品など、ハイスペックを導入するに値するプロジェクトが進行していないと、導入は厳しいのが現実です。

最新版のMac Proは6コアで40万、メモリやHDDを買い足してプラス10〜20万、合計で50〜60万です。もしかしたら、昔の32bit版の環境のまま作業している場合は、プラグインとかを一斉にバージョンアップしなければなりませんので、さらに5〜10万くらいの上乗せになるかも知れません。最悪の場合、一式70万円で、6人の作業者がいた場合、420万円の調達費がドカンと必要になります。WindowsマシンでもBTOでMac Pro同等のスペックのマシンに仕立てたら、やっぱり50〜60万くらいはかかると思いますから、OSに関わらず「似たような出費のパンチ」を喰らう事になります。

でも、どんな状況においても、Mac Proクラスのマシンが必要なのか?‥‥というと、そうでもないのです。Mac Proを「重戦車」に例えるならば、全部隊の全戦闘車両をティーガー重戦車で揃える事は無いですよネ。国家によって支えられている実際の軍隊だって、そんな無謀な配備はしないわけです。

Wikipediaによると、ティーガー重戦車のコストは「30万ライヒスマルク」、一方、攻撃力ではティーガーと同クラスを誇るパンター中戦車はなんと「12万5千ライヒスマルク」で、半分以下のコストです。なぜ、そんなにもコストの差がでるのかは、詳しくは専門家の方にお譲りするとして、戦力的に見ても強力なパンター中戦車がティーガー重戦車の半分以下なのは、単純な驚きです。

話を元に戻して、コンピュータの世界でも今は、Xeonでなくても、Core i7の高クロック数のマシンであれば、かなり強力なパワーを持っています。「i7、3.5GHz前後、32GBメモリ」を積んで、さらにはSSDでシステムを動かせば、Mac Proを喰う勢いのマシンに仕立て上がります。なのに、コストは20〜35万でMac Proの半分、まさにパンター中戦車の頼もしさ。

重戦車たるハイスペックマシンには、それに相応しい「激戦の戦場」がありますが、戦場全てに重戦車が必要なわけではありません。戦場には、軽戦車から中戦車、重戦車、自走砲や突撃砲まで、多種多様な装甲戦闘車両が存在しますが、同じように現場も「目的・用途」にあった的確な機種選定をおこなう事で、絶望的とも思える高額な調達コストを回避・軽減できると思います。制作システム的に考えるならば、「E計画」のような配備を計画しても良いかも‥‥ですネ。

「異様に固い敵」に肉薄して撃破するのは重戦車の役割、「平素な敵」を次々に撃破するのはパンタークラスでも可能。まあ、ドイツは四方を敵に囲まれて自滅的に負けてしまいましたが、その高い戦闘能力は、戦勝国がドイツの技術を自国に持ち帰って研究したほどです。‥‥日本人は今でも敗戦のショックからか、戦術論や戦争論を学ぶのは「戦争を肯定しているようで悪い事だ」と思う人が多いですが、日常生活においても、戦いに勝って生き抜くという事は、日々是戦争なのです。史実の戦いの歴史から、自分の作業現場に活かせる事も沢山あります。

ふと考えてみれば、何でもかんでも「同じ性能のマシン」というより、「自分の腕前が上がれば、重戦車(=ハイスペックマシン)に乗れる」という目標も、解りやすくて良いかも‥‥です。

新人が、ハイスペックの1/10も使いこなせず、簡単な作業内容に終始しているのだとすれば、9/10は無駄なコストです。新人の能力向上に合わせて、自走砲(i5)から始めて、中戦車(i7)、重戦車(Xeon)とステップアップするのは、マシンの何たるかを体得するうえでも、良いかも知れませんネ。ハイスペックのマシンを使ったからと言って、その人間の能力がいきないハイスペックになるわけじゃなし、むしろ「ハイスペックマシンとの対比でミジメ」になる事すら考えられます。人とマシンが同じ歩みでハイスペックになっていくのは案外良い事かも‥‥です。

「そうこうしているうちに、全員がエースになったら?」という状況もあるでしょう。「結局エースになるのだったら、最初からハイスペックなマシンを1台買ったほうが良い」という考え方も当然あります。しかし、「ハイスペックマシンの能力を100%使いこなす人材」なんて、簡単に育つものではありません。途中で脱落する可能性も充分あります。さらには会社の作風的・作業内容的に、そもそも重戦車エースの技量でなくても済む作品も多いでしょう。最初に巨額の機材費を投じる事無く、「戦況」を見極めて調達を進めていくのが良いと感じます。もし「新人の頃にハイスペックマシンを購入して、その新人が上達した5年後に、マシンの買い替え時期がやってきた」とすれば、「5年間のハイスペック」に対するコストは無駄が多かった事になります。定期的な買い替えを考慮すれば、むしろ「上達する前から、無理してハイスペックを買う事はなかった」と思うのではないでしょうか。

もし仮に、皆がめでたくエースになった暁には、自走砲や中戦車クラスのマシンは、部内の共有マシンにしてしまえば良いです。実際、融通のきく共有マシンは活躍の場が多いですし(ガルムではソレで助かった‥‥)、全員が全てのマシンを「使いこなせる」状況にあるのですから、妙に短期レンタルで見知らぬマシンを導入するよりも頼りになります。ゲスト作業者のマシンにもなりますしネ。

新人が成長して、重戦車級のハイスペックマシンを駆る時、「自分は強い」と自信に満ちあふれている事でしょう。機材コストの面もそうですが、各人の意識においても、ハイ&ローの運用は有用なのかも知れません。

ルッサー、再び

様々なタイプの映像制作に携わっていると、しみじみ「ルッサーの法則」の真実味を味わう事が多くなります。毎日、同じ行程で似たようなクオリティの作業を続けていると解りづらいんですが、アニメ・実写・3Dを入れ替わりで、さらには本編・PV・OPなども入れ替わりで作業すると、各作品ごとの「作業意識」や「状況」の大きな差に直面します。

作品のボルテージを「100点満点での点数」で表現するのはあまりにも大雑把ではありますが、仮に80点くらいのボルテージを実現したい時、レイアウト・原画・動画・ペイント・背景・撮影の6セクションはそれぞれ「何点くらい」の作業をすれば良いか、考えた事はありますか?

ありがちなのは、「80点のボルテージを実現する為に、皆、80点くらいの仕事はしようよ」みたいな考え方です。いわゆる、「皆で80点の仕事をしておけば、完成物も80点になるだろう」という「平均点」の考え方です。

しかし、これは大きく間違った考え方です。

まあ、算術上の仮定‥‥ではありますが、皆が20%も手を抜いて80%のヌルい作業で作った作品のボルテージは、0.8 x 0.8 x 0.8 x 0.8 x 0.8 x 0.8 = 0.26、何と26点というボロクソな結果となります。作業経験豊富な方だったら、「皆でやっつけ仕事をしたら、予想以上にマズい仕上がりになった」苦い記憶を過去に持つ人もいるんじゃないでしょうか。皆で80点の作業しても、作品は80点にはならない‥‥という事を。

「なぜ、平均点で考えちゃダメなの?」と思う人もいるかも知れませんが、よく考えてみましょう。

レイアウト・原画・動画・ペイント・背景・撮影の各作業結果は、別々に展示したり公開されるものでしょうか。作品を見る人々に対して、各作業が独立して提示され、個別に評価される‥‥なんて事は、ありえないわけです。作品はあくまで、「各作業が掛け合わされて、1つになって出来上がる」のですから、各作業を並列に並べて平均点で評価する事自体が的外れなのです。

作業はすべて「掛け合わされる」のですから「平均点で算出できるわけがない」のです。


作品は、各作業結果を並列に眺めるものではなく‥‥


掛け合わせて1つになった映像を見るもの‥‥ですよネ。


では、80点の出来にするには、各作業はどれだけの作業ボルテージにすれば良いのでしょうか。計算してみると、0.964 x 0.964 x 0.964 x 0.964 x 0.964 x 0.964 = 0.8、これまた何と、満点近い96点の仕事が各セクションに必要なのです。80点の完成度を得る為に、各作業者はほぼ満点の96点の作業ボルテージが必要になります。

96点なんて無理っぽく感じますが、実際のプロフェッショナルな意識としては、「120〜140%のボルテージで作業して、様々な経緯で結果的に100%くらいに落ち着く」案配で取り組む人も多いでしょう。言われた事だけを最低限やるのは「ヘタレ」という意識は現場には昔からあって、作業の基準として、20%くらいのマージンを多くとって作業してちょうど良い‥‥というわけです。下から昇って100点を目指すのではなく、プロフェッショナルは上から100点に落とし込むのです。

しかし、これはどの現場でも同じ意識‥‥ではなく、ところ変われば意識も大きく変わり、結果的に「作品の差」となって表れるのです。凄腕揃いでシビアで「技術のキリングフィールド」(ヘタレは八つ裂きにされろ、的な)みたいな高レベルな現場もあれば、ほめ殺しあって体よくまとまるぬる〜い現場もあり、様々です。だからね‥‥、1つの会社の1つの部署で純粋培養されるのは、「ものつくり」個人としてはかなり危ういんですよネ。色んな作品の色んな現場を体験して、はじめて獲得できるものなのです。

‥‥で、話を戻して、仮に「26点」になってしまった可哀想な作品はどうすればよいのでしょうか。最後の救いは、音楽や声優さんの演技、そしてビジュアルエフェクト(VFX)やグレーディングなどの強力な後処理です。

また数字上の仮定の話ではありますが、26点の映像に対し、音楽・キャラクターボイス・VFX&グレーディングの3工程で146点の「100点越えの頑張り」を見せれば、80点まで挽回できます。「0.26 x 1.46 x 1.46 x 1.46」=0.8=80点‥‥というわけです。‥‥まあ、何とも酷い話でリアルな話でもありますが、心当たりがある監督さんも多いんじゃないでしょうか。ゆえに、演出さんや監督さんは、音を重要視する人も多く、VFX&グレーディングの「挽回力」を知っている監督さんは、必ず最終行程にVFX&グレーディングを配置してきます。
*「VFXと音が掛け合わされるっていう考え方は、絵と音で別カテゴリーなのに変じゃない?」なんて言う人もいるかも知れませんが、VFXやインハウスのグレーディングで映像のメリハリや情報量をアップさせておくと、音響さんのほうでも呼応して、一層のかっこいい音を上手く付けてくれるのです。空気感のエフェクトなどは、アンビエントにも影響してきますしネ。フィルムスコアリングの際にも、映像内容の上下はかなり重要な要素となります。

でも‥‥です。こうした点数での例えは、実際のところ、「本当に80点まで挽回できているのか」と言うと、そうでもありません。ロングショットのぶっといトレス線でキャラの絵が崩れているのは、アニメ好きな素人さんでも判別できますし、音やVFXで隠せるものではありません。素が良くないとどうにもならない局面は沢山あります。

以上は各セクションが「80点の仕事ぶり」をした仮定の話ですが、現場の名誉のため付け加えておきますと、現場が恒常的に80点の作業をしているわけではありません。「あくまで、全セクションが8割くらいのユルさで仕事をしちゃった場合」の仮定です。実際の現場では作品を良い方向へと向かわせる人々も沢山います。

ただ同時に、80点すら危うい苦境の中で作業する事が多いのも、実情としてあります。金や時間をどこからも捻出できない‥‥となれば、それはあからさまな「詰将棋」となり、そのパイの中では改善など望むべくもありません。狭いパイのまま、4K時代に突入したら、どんな惨事になるのか、想像もできません。

様々な要素、そして状況は、掛け合わされて1つの作品となります。決して、平均点で推し量るべきものではありません。作品の出来映えを、作業の平均点で思考する事があるとすれば、それはまさに落下の始まりなのです。逆に「掛け合わせ」で思考する時、100点以上のボルテージを発揮するスタッフやセクションは、品質強化と挽回の、まさに作品にとっての虎の子、代え難い存在でもあるのです。

雑感

ガルムの作品終了後の現在、私らの作業チームで作業している内容は、とあるアニメ映像の「絵と音楽を作り変える」内容です。「エフェクトを追加して見栄え良く」なんていう軽いものではなく、「世界観を仕切り直す」レベルのものです。今後はこうした、かなり積極的なグレーディング(その際は従来のグレーディングと差別化する為にも役職名は変えたいですが)も請け負う事になるかも知れません。

アニメ作品にも、ファイナルビジュアルエフェクトやグレーディングで映像を左右する動きが「のっぴきならないニーズとして」見え始めた‥‥とも言えます。でもまあ、考えてみれば、タイムシート通りに撮影して完成‥‥なんていうスタンスのまま、映像技術が盛りだくさんの現代と未来に通用するはずもないのです。

相変わらずのアニメ制作工程、すなわち、線画からスタートして、背景を先に完成させて、そこに色を合わせていくような作業では、「映像の強い意志」など作品が体現するわけありません。作品に現れるのは、各作業者が自分のテリトリー内で「反射神経」でまとめあげた作業結果の寄せ集めです。その結果=完成映像を見て、「いまいちピンとこない」なんて‥‥当たり前の話じゃないですか。現アニメの生産ライン自体がもともと、明確な映像表現の到達目標に基づいて動いているわけではないのですから、「強い何か」を映像上に表出させたいのならば、作品に基づく強い磁界をフローに作用させるリーダーと精鋭スタッフ、そしてメカニズムが必要なのです。

私はBlood劇場版(2000年の)のスタンス、つまり、各セクションのキーマンが明確な映像表現の指針のもとに協調して作り上げる制作スタイルがベストだと考えていますが、一方で、色々なしがらみで「このままでは世に出せない」ような状態になってしまった映像を、監督を中心としたごく少人数の精鋭スタッフで「作り変える」方法もやむなし‥‥と考えてもいます。「ピンとこないものを、ピンとさせる」とでも言いますか。‥‥凡庸な内容のものを大量生産ラインで作っておいて、最後の段階で大改造を加える‥‥なんて、あまり良いやり方とは思えませんが、大量生産ラインの当事者たちが「今のまま変える気がない」状況なのですから、ぶっちゃけ「仕方ない」ですよネ。

映像表現は宝くじではないので、いかようにもで結果を導き出せるのに、なぜか、「いつも通り作って、たまに当たりが出る」みたいな考え方をする人は‥‥多いですよネェ‥‥。

4Kやペンタブ作画にトライする動きも各所で出ていますが、明確なビジョンがないと、「2倍にリサイズした2K」「紙と鉛筆の代用品」になるのは明確です。‥‥なぜそんな風に言い切れるかと言うと、ビジョンを持たずに周りに何となく流されてデジタルに移行した人々が、フィルム時代の代用品としてデジタルを「活用」している現状況と結果が、何よりもの「証拠」なのですから。

「2倍にリサイズした2K」「紙と鉛筆の代用品」で作り上げた作品が、「ピンとくる」作品になるわけがないですもん。4Kとペンタブに代えれば、宝くじの当選確率が上がる‥‥とでも思うのでしょうか。

新しい何かを始める時、扱っている自分自身が「(良い意味で)ヤバい」と感じるような要素を、いくつも含んでいるものです。強い何かを感じないまま「ペンタブと4Kにすれば、上手くいくんじゃないか」なんて愚かな思考そのものですが、「困った時は決戦兵器」の歴史が示す通り、人間の「性質」の一面でもあるようです。規格を4Kにして大変な作業を抱え込み、今以上に厳しい状況の中にスタッフを投じて、出来上がったものが「2Kのアップスケーリング映像」だなんて、悲劇を通り越して喜劇ですが、昔から似たような事は繰り返されてきてますよネ。少なくとも私は、一緒に作っていく仲間も含めて、そんな道へは進みたくはない‥‥と思い、色々と進めているわけです。

私の数年間の指針となる、技術的なスペックを簡単にまとめると、「4K/12bit/Log/48,60,96fps」と言ったところです。数年後の未来のアニメーションの土台として相応しいと考えていますが、その土台の上に何を築くかは、多種多様、色々なものを考えています。

新しいカンバスを前に、何を描けば良いのか想い浮かばなくて悩む人、描きたいものがいっぱいあってドキドキする人、それぞれの差は、確実に数年後にカタチとなってあらわれるんでしょうネ。

ガルム少々

映画祭での上映に合わせて、ガルムの情報公開が少しだけ始まりましたネ。ほんの少しだけ。

ガルムは、ファイナルビジュアルエフェクトやグレーディングが、世界観を作り得る事を強く実感した作品でもありました。もちろん、実写の撮影監督が良いショットを獲得してくれたがゆえに、後の工程で「世界観作り」が可能になったわけです。

ログの10bitによる運用も今回のガルムでは有効でした。今は、アニメの作業に戻っていますが、リニア空間における「中低域」のレンジの狭さが、いちいちやりづらく感じます。使わない帯域と使う帯域の傾向は明確に分かれているのだから、よく使う帯域のためにデータ領域を確保するログ運用は、至極、合理的ですよネ。

まあ、ガルムの詳細は公式の展開に委ねるとして、もし観れる人は映画祭で観ておくと良いかも知れません。何でも簡単にネットで情報やモノが手に入る‥‥と錯覚しがちな昨今ですが、実はそうでもないんですよネ。


しかし思えば、最初にガルムに関わったのは、1996〜7年のパイロットフィルムの頃だったので、今から18年前の事なんスね。その頃は、Quadra650とGatewayの100MHz前後のマシン、メモリは128MB前後、ハードディスクはSCSI(40〜80Mbpsくらいだったかな)で1GB〜2GBの時代でした。2014年のガルムは‥‥と言えば、3〜4GHzのプロセッサのMacPro、32GB(3万メガバイト!)メモリ、Tunderbolt2で20Gbpsの16TBのRAID0+1のハードディスクと、超弩級に性能はアップしておりますが、作風の根っこの部分は96年当時を継承しておるんですネ。もちろん、2014年の作品は、96年当時では絶対にできない事ばかり‥‥ではありますが。

 


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