CCの断捨離

Adobe CCの2018未満が使えなくなる‥‥というニュースが昨日流れましたが、あくまでCCであって、CSには言及していませんよネ(注釈)。CS6は相変わらずアクティベーションサーバが生きている限り、永久ライセンス(という言い方もナニだが)に変わりはないように思います。

 

注釈

CS6とは明記していませんが、例えばAfter Effectsは「認定外」のバージョンが「CC 14, CC 13, CC 12, 11 」となっており、よ〜く見ると「11」にはCCの添え字がなく、改めて確認すると「After Effects バージョン11」は「CS6」のことで、つまりCS6もシレッと認定外宣告されているようです。

なるほど。

戦慄が走った!‥‥という同僚の表現は、確かに大げさではないですネ。買い切りライセンスまで断捨離するとは、アドビもなかなかの‥‥。

 

ただ、これによって、CSから連続してバージョンアップしてきた流れは分断され、CCは最新マシンと最新OSの環境、CSは旧型マシンと旧式OS‥‥といった具合に棲み分けが完全に成されることになります。

 

俗世とはおさらばして、旧型マシンと旧式OSとソフトウェアで、隔離環境を作る‥‥というのも手は手なんですけどネ。私はその方法は採りませんけど、やろうとしていることが限られて、ネットにもアクティベーションサーバ以外はアクセスしないのなら(セキュリティアップデートから見放されるため)、それもまた生きる道でしょう。

*macOSではEl CapitanでCS6は打ち止め。Java6が動かない環境では、CS6は動作しないとのことです。

*俗世とおさらばするということは、昭和平成のアニメを2Kで打ち止めて作り続ける‥‥ということです。令和以降には対応せずに。

*もしかしたら、「認定外でもどうにか使う方法はないのか!?」とアドビに迫る一幕もでてきそうなアニメ業界。

 

10年後のアニメ業界って、どんな制作環境で、どんな作り方をしているんでしょうね。世間は4Kが当たり前になっているでしょうが、日本のアニメ制作現場の作る解像度は果たして4Kになっているのか、‥‥そもそもアニメの本数や公開形態はどのように変わっているか、色んな要素において今とは違った状況が予想されます。

 

現在30代の人は40代、40代の人は50代、50代の人は60代。最後のベビーブーム世代は皆50代で、アニメを取り巻く環境も随分と変わっているでしょうし、‥‥もしかしたらまだCS6を使ってたりしたら、それはそれでスゴいことです。

 

でもまあ、普通に考えて、日本の社会全体は萎んでいくだろうなとは思います。ベビーブームの経済効果をナメてはいけないのです。だからって、戦争特需なんてイヤですしネ。

 

どう考えても萎んでいく未来社会で、どうやって生き残るか。貧困に陥らずに済むか。「有能でなくても頑張らずに最低限度でも生きていける社会」なんて、どこにその根拠となる構造があるのか。頑張らなくても最低限でも税金はしっかり搾り取られて、社会を支える今以上の「肉燃料」になるだけじゃないのかな‥‥。

 

私はCS6ではなく、最新のソフトウェアで、「悔いのない」作品制作を全うしたいです。それは公的にも私的にも、すべての創作の取り組みにおいてです。

 

取り返しのつかない老人になった後で、「もっと頑張っておけばよかった」なんて後悔したくないもんな。

 

 


誤字

相変わらず、誤字が多い私。文章も後から修正するので、接続詞もおかしくなり気味です。

 

なので、速攻で書くツイッターにはとても向いてないと思うのです。

 

そもそもスマホで文字を打つのが苦手で嫌いですし。

 

訂正できるブログが精々です。

 

 


「文化的で最低限度の生活」

‥‥とは、いかなる生活か。

 

ツイッターで見かけたこの文言。おそらく、発信者は「非文化的」な体験も、「最低限度」の生活も、体験したことがない人ではないかと思われます。一見具体的に思えて共感を呼びやすい言葉ですが、実感が言葉から感じられません。

 

特に有能でなくても頑張らなくても、文化的で最低限度の生活さえできれば、それでも良いじゃないか‥‥との趣旨らしいですが、20代の頃にあまりにもアニメの作画で稼げなくて電気ガス水道電話などの生活インフラが停止して「非文化的で最低の生活」を体験した私からいえば、「ありえない仮定」です。

 

「頑張らない人」が「文化的で最低限度の生活」ができる社会が良い‥‥ということも語られており、私には「その社会」がどうもリアルにイメージできません。どういう社会構造なのか、どんな人たちが支えるとそうした社会システムが成立するか‥‥が。

 

自分の得意分野を活かして、自分に能力が有能に作用する状況を形成し、日々の作業でできる限りのベストを尽くすことで、ようやく「文化的でほどほどの生活」が得られると実感します。

 

ガツガツ生きるディテールではなく、まったり柔らかい物腰であることと、有能か無能か、文化的か否かは、実はカテゴリーミステイクで混同しないほうがよろしいです。真に受けて、本当に無能で頑張らない自分を目指すと、文化的で最低限度を下回る未来へ続く放物線を描きますヨ。

 

文化的で最低限度の生活‥‥の基準て何よ。最低限度の境界線はどこ?

 

ピッキング防止のドアに自動制御の湯沸かし風呂と冷暖房完備、空き巣防止の窓、スマホでゲーム課金もできて、サブスクリプションで音楽や映像を楽しんで、食事は美味しいのが良くて、たまにはショッピングを楽しんで、交通機関は切符ではなくスマホでパスして、パソコンかタブレットPCでネットを閲覧して‥‥という生活が、2019年における文化的で最低限度あたり?

 

車は所有しなくていい、旅行や外食も控えめ、部屋の間取りも3LDKなんて必要ない‥‥と言いながら、上記の条件を満たすのならば、それって最低限度なのかな‥‥。私にはソコソコの生活に思えるし、実際にコストもかなりかかるでしょう。

 

 

 

自分の生活の無駄を一定期間で見直すことは良いと思います。

 

文化的な生活を目指すのも良いと思います。

 

しかし、最低限度を目指すと、十中八九、最低限度を下回ります。

 

自分では人より半分の「0.5」くらいの質素な生活で良いと思っていても、仕事も能力も生活も娯楽も「0.5」に設定してしまうと、例えば、4つの要素を掛け合わせると、

 

0.5x0.5x0.5x0.5=0.0625

 

‥‥になります。0.1以下です。0.1以下‥‥なんて、いわゆる「セルフネグレクト」な状態と言ってよいです。ゴミ屋敷です。

 

では、0.5くらいを目指すのなら、各要素はどのくらいの「頑張り度」が必要かと言うと、

 

0.85x0.85x0.85x0.85=0.52200625

 

‥‥で、「自分としては85点の頑張り度」じゃないと、「50点=半分」の状況にはなりません。

 

100%フルの自分を、ちょっとアクセルを緩めるくらいで、ようやく「100%な人」より半分の質素な生き方が可能です。つまり、そこそこ頑張ってこそ、「最低限度」の生活が維持できます。

 

ちなみに、「平均点」ではなく「掛け合わせ」なのは、要素は単体で機能するものではなく、絡み合って結びついて機能し、現実となるからです。ルッサーの法則ってご存知でしょうか。

 

 

 

思うに、毎月月給で安全地帯にいて、不満を抱えつつも生活できるくらいのお金を毎月必ずもらっていて、「本当の最低限度」なんて実感も体験もない人は、「質素な生活でも良いじゃない」とか口にしやすいのです。

 

フリーランスゆえに自分で仕事をもってこなければ、すぐに2ヶ月後3ヶ月後の生活費が危うくて‥‥なんて体験したことがない「月給」の人が、安易に「最低限度」とか設定しやすいですよネ。一度、フリーになってみれば? ‥‥そうすれば、稼げる時にどんどん稼いで、自分で自分の存在価値をアピールする必要性にも目覚めますヨ。

 

最低限度なんて目指しちゃアカンよ。結果的に最低限度を維持するのならともかく、目指すのはアカン。ホントにアカン。ヤバい。

 

 

 

私の母方の祖父は、めっちゃ質素で倹約家でしたが、弩級にストイックでした。物や道具は大切に使って安易に買い物をしないし、自分の足で行ける範囲なら交通機関は使わないし、テレビや娯楽をダラダラと垂れ流して時間を過ごさなかったし、孫を甘やかさないだけの隙のない厳しさを体現していました。

 

そんな祖父が質素を旨とする一方で、無能で頑張らない生き方をしていたかというと、全然そうではないです。手抜きや誤魔化しは一切しない人だったよなあ‥‥‥。孫にも厳しかったけど、自分にはもっと厳しい人だったと思います。

 

質素ながら、整然とした佇まいで生きるということは、祖父のような生活だと思っています。自堕落に、無能でいいや頑張らなくていいやなどと、甘やかしとは正反対です。

 

 

 

過度に頑張るのは自分を壊すでしょう。同じく、過度に自分を甘やかすのも自分を壊すでしょう。

 

人間は自分の限界を探りつつ頑張って生きて、自分の無能な部分ではなく有能な部分をブーストして生きて、ようやく最低限度をクリアして普通くらいになるのだと思ってます。

 

 


5.1.2

ようやく、5.1.2のサラウンド環境を、作業場に設置しました。

 

単なるステレオ2チャンネルの部屋に、後付けで5.1.2を増設したので、手間がかかりました。作画やコンポジットの仕事をしつつ‥‥なので、1日ではなく何日かに分散して設置して、時間もかかりました。既存のファニチャーを動かさずに設置する‥‥ということは、机の下に潜り込んだり乗ったり無理な体勢での設置となり、結構面倒でしんどかったス。

 

以前、なかば冗談で買ったマジックハンドが、今回も活躍しました。隙間に配線を通す時に、意外と重宝しますヨ。

 

*私が買ったのは、モノタロウさんで、赤黒の安いヤツです。

 

 

5.1.2。

 

1年前は他の職種のカテゴリーと思っていたことが、一転して必要になることもあるから、仕事の流れというのは奇妙で愉快です。

 

5.1.2とは、まず5チャンネルの‥‥

 

フロントL・センター・フロントR

サラウンドL・サラウンドR

 

‥‥に、0.1チャンネルの‥‥

 

サブウーファー

 

‥‥を足して、さらに0.0.2の‥‥

 

フロントドルビーL(上から鳴るL)・フロントドルビーR(上から鳴るR)

 

‥‥を足した5+0.1+0.0.2=5.1.2の音響システムです。

 

7個のスピーカーの配線(サブウーファーは既設)をサラウンドアンプから部屋中に張り巡らす設置作業が、既に稼働している作業部屋で実施するのが、非常にメンドかったのです。空っぽの部屋であらかじめ配線するのとはワケが違いますし、部屋の状況を熟知した人間でないと、ケーブルの取り回し1本すら他人に頼めない作業にもなります。

 

それに、自分で設置するからこそ、状況を把握して日頃の操作にも活かせます。After Effectsでも、自分でスクリプトを書くようになって、After Effectsの構造を理解できるようになったと思いますから、作業部屋はまさに自分たちの映像作りのシステム基盤ゆえに、新たな機能を追加する時は、自分で設置に関わってシステムの根本から理解しておくのが良いと思っています。

 

 

 

海外、特に米国の仕事をするようになって、色々と日本と違う「欧米の常識」「最近の常識」に驚くことも多いです。今回の5.1の導入も、米国の標準に合わせるためです。どうせなら‥‥ということで、Dolby Atmosが再生できる最小限構成の5.1.2を導入しました。Atmosってスピーカーだらけの印象がありましたが、ホームシアターでも再生できるように5.1.2にも対応しているようです。

 

 

実際は、上図のスピーカーの角度を厳密には守れないので(まあ、OA机と作画机とかが並ぶ小さな作業部屋ですので)、理想の最小限構成にはなりませんが、仮のチェックくらいなら可能になるかと思います。

 

音出ししてちょっとだけ聴いてみましたが、やはりリア(後ろ寄り)のLR、そして高い位置から聞こえるLRの威力は大きいですネ。ピアノのLR音源を簡易的に「マトリクス(DENON X2500Hのプリセット)」で再生しただけでも、心地よいサウンドになります。

 

‥‥が、一番の目的は、macOSの出力から、各チャンネルの定位にちゃんと割り振って出力できることです。テストは後日おこないますが、おそらくうまくいくんじゃなかろうかと思います。macOSからはThunderbolt3>HDMI経由で、サラウンドアンプの各チャンネルは認識されております。

 

 

ちなみに、サラウンドアンプのHDMIを経由すると、macOSのモニタの設定ではサラウンドアンプが認識されます。その場合のColorSyncプロファイルは接続したモニタ機器のものにはなりません。

 

まあ、そりゃそうだ。‥‥X2500Hには、4KHDRテレビと4KHDRのリファレンスモニタ(EIZOのCG3145)が接続されておりますから、2つのモニタ機器を同時に解決できるプロファイルなどありませんよネ。私の環境では、別にCG-318(PQ1000カーブにアップデート済み)も繋がっているので、そっちのほうが私のチェックモニタになり、サラウンドアンプ経由のHDMIは「みせしめ」くらいのキモチで扱ってます。

 

正しいリファレンスの色は、カントクの操作するBlackmagic経由のプロミナンスに任せて、私は自分の作業範囲でベターな運用を目指します。

 

 

 

とある作品の打ち合わせで、「ウチの作品は6500Kで作っています。もはやテレビだけがターゲットと言える状況でもないですし

。」と聞いて、それはとても先見の明のある運用だなと思いました。

 

9300Kで作ってるのって、どうも日本のテレビ放送特有のガラパゴス的状況みたいで、日本人は9300K以外にも6500Kも日頃から見慣れているわけですし、テレビも6500Kで統一しちゃえば良いのにと思ってます。

 

日本のテレビ放送に合わせるためだけに9300Kで作るよりは、世界を視野にいれて6500Kで作って、日本のテレビ放送でお披露目する時に色変換なりすれば良いのでしょう。未来は明らかに、日本のテレビ放送のテレビ受像機だけをターゲットにする時代ではないです。

 

映画や海外ドラマをテレビ放送する時は6500K作品を扱うわけですし、9300Kって何が理由で日本がこだわり続けているのか、何か機会が有った時に調べてみようかと思ってます。

 

23.976も必ずしも‥‥ではないようですし(24.0で最後まで作る作品も海外ではあるようです)、今回の5.1も含め、日本の過去からの慣習のうち「更新すべきものは更新して、守るものは守る」と明確に認識しておくのは必要でしょうネ。

 

 


DynaComp

‥‥を買ったった。2台目です。前に買ったのは20代の昔で、電源プラグが3.5mmだかのミニプラグで、DCプラグではない旧型です。

 

MXRの、かなり昔からあるエフェクターです。

 

 

 

いまどきのコンプレッサーは原音のニュアンスを保った上品なのばかりで、えげつなくこれ見よがしにかかるのが欲しくて、2台目を買った次第です。

 

昔購入したエフェクターは、結構どれもポットのガリノイズが出始めててメンテが必要なので、メンテはメンテでおいといて、新品を買って「知っている人はよく知っている、あの音」を再び手に入れました。

 

 

 

今さら‥‥とか言われそうですが、私はこの音が好物なのです。なんでもかんでも、今風に自分を合わせなくても良いじゃん。

 

ペコン、パク〜ンという独特の「コンプかかってまっせ」という音がたまりません。さりげないかかり方のコンプレッサーが多い中、かえって貴重な存在です。

 

ずっとラインアップに維持し続けてくれてるMXR社にも感謝です。まあ、エフェクターの世界は、昔の製品を作り続けてくれるメーカーが多いですが、やはり消えていく製品は確実にあるので、あるうちに買っておくのが吉。

 

DODのMilkBoxというコンプレッサーも大好きなのですが、生産中止してしまい、もう1台買っておけば良かったと後悔しています。ポットのガリが酷くて、ちゃんとツマミの位置の出力が正常に出ているか、怪しいのです。

*私の所有しているのは、牛柄の前期型?‥‥で、パラメータ名が「パスチャライゼーション」とか「クリーム」とか遊び過ぎな製品です。DynaCompよりさらにエグいコンプがかかります。出た音を豪快に潰しまくって均一にするので、ギターが上手くなったと勘違いするアブナいコンプです。

 

 

 

MXRのDynaComp、現在はごく普通のDCプラグみたいで、センターマイナスの一般的な仕様です。サプライボックスの電源から特に変換なしで繋げそうです。‥‥まだ届いてないので、確かなことは言えませんが。

 

DynaCompで軽くオーバードライブがかかるようにして、後段のディストーションかアンプのドライブでほんの軽く歪みを加えれば、気分は70年代後期のフュージョン。ラリー・カールトンやリー・リトナー、高中正義といったあの時代のフュージョンの音になります。

 

DynaCompだけで十分サスティンと音の太さが得られるので、ディストーションなど無くても良いくらいですが、ちょっと歪んだザラっとした粗挽きな感じも良いですから、それこそ歪み系のドライブは1〜3くらいで十分です。パラパラッと軽く歪みを振りかける感じで、ファットな音になります。

 

ギターを選ばず、「あの時代の音」を楽しめる、基本中の基本のエフェクターです。

 

 


サラウンドアンプとiMac

仮音でもサラウンドのミックスをするには、何らかのサラウンド再生環境が必要です。サラウンドなのにステレオLR2chしかモニタできなければ、音の振りようがないですもんネ。

 

最近のMacの場合、光出力が廃止されてしまったので、サラウンドはどのように外部に出力したら良いか、色々と調べていました。光出力のUSB オーディオIFをかませば良いのか、果たして本当に後付けの光出力でサラウンドは出力可能なのか、しばらく迷っていました。

 

しかし、答えは簡単でした。ThunderboltからHDMIに変換してサラウンドを入力可能な機器に繋げば、上手くいきそうです。

 

ふと、ブラビアにHDMIで接続した時に、いくつもチャンネルが認識されたのを見て、今どきのMacはHDMIで多チャンネル音声を出力できることがわかりました。

 

そこでAVアンプ。DENONのX2500H。7.2chのサラウンドアンプです。

 

 

そこにiMacをHDMIで繋げばサランドの各チャンネルが認識されるだろうと思いました。‥‥で、難なく成功。

 

以下のようにステレオLRから5.1、7.1まで認識されました。7.2は使わないのでスルーしています。

 

 

 

Audio MIDI設定で認識されていれば、もう安心。Logicなどの音関連ソフトウェアでも環境設定で適用可能です。

 

ややこしいですが、ThunderboltからHDMIに変換してサラウンドアンプに繋ぐと「DisplayPort」として認識されますので、例えばLogicでは以下のように出力デバイスを割り当てます。

 

 

チャンネルの割り当てがズレていますので、どちらかをどちらかに合わせます。私はAudio MIDI設定のほうをLogicに合わせました。

 

設定さえ終われば、トラック毎の出力をサラウンドに切り替えて、PANつまみがサラウンド仕様になります。

 

sorr_8.jpg

 

 

これで、iMacなどの音声出力をサラウンドアンプから鳴らせる‥‥と思います。「思います」と歯切れが悪いのは、まだスピーカーを全部設置していなくて、確認できないからです。スピーカーケーブルの取り回しがなあ‥‥‥。

 

最近のLogicは機能がアップして、

 

アーティキュレーション機能

VCAフェーダー機能

 

‥‥など、便利な機能が増えています。‥‥ゆえに、操作方法の知識更新も結構大変です。例えば、昔はバスをサブミックス用途で常用していたので、最近のLogicのVCAフェーダーなど一新したミキサーウィンドウの変わりように戸惑いました。

 

コンピュータ関連の技術リソースはどんどん進化しており、使いこなすのは中々大変ですが、頑張って覚えて知識を更新し続ければ、進化に比例して、できることもどんどん増えていきます。

 

 

 

ちなみに、サラウンドアンプは、5.1.2の設定で、ドルビーアトモスをデフォルトにしています。私がmacOS上で扱うのは、5.1までですが、すぐ先の未来はDolby Visionなどの映像コンテンツフォーマットが主流となっていくでしょうから、アンプの設定は5.1.2のDolby Atmosの最小限構成に設定してあります。

 

この1年で、随分とまた知識の更新が進みました。1年前はHDRのPQ1000nitsなんて、全く実感がありませんでしたし、音もステレオLRでいいやと思ってましたもん。

 

でも、やれば慣れるもんです。

 

これって、20年前にも同じ経験をしたな‥‥と思い起こします。五反田ラボのベテラン技術者の人と、アニメーター出身の私が、タイミング(=現像の工程の)やプリントの技術的な話をする際は緊張するばかりでしたが、変に知ったふりをしないで、専門の技術者の方の「胸をお借り」して、なおかつ自分も勉強して情熱的に取り組めば、うまく着地できるものと実感しました。

 

やれるチャンスがあれば、どんどん覚えて知識と経験を蓄積しましょう。その時は初心者で不安でいっぱいですが、やれば慣れて覚えて、それが自分の普通の状態になります。肩書きだけのスキル獲得ではなく、自分の身に浸透するスキル獲得とは、そういうものだと思います。

 

なんやかんや、もったいぶった態度でうんちくばかりを並べても、ビジネスチャンスは去っていきます。昔取った杵柄で勝負するばかりでは限界も近いです。

 

消化試合のような気分で何でも処理してこなすのではなく、新しいことにも自主的に取り組んで、待つだけでなくプレゼンもして、新しいスキルやビジネスチャンスを積極的に獲得しにいきましょう。アニメーターは待つだけの人が多いように思いますが、それじゃあ、新しいジャンルやカテゴリの仕事などいつまでたっても来ません。仕事の依頼があって当たり前‥‥というスタンスでは、来た仕事の内容で自分の人生が右にも左もブレますし、スキルもキャリアも似たようなジャンルに限定されます。

 

Logic Pro Xなんて、やまほど音源やループが付属して、23,800円(税別)ですよ。2380,000円でも、238,000円でもなくてネ。安過ぎます‥‥が、これが現代のアドバンテージであり、昔より桁が1つ少ない値段で安く高性能の機材が買えるのが、今を生きる人間の最大のチャンスでしょう。音だけでなく、絵や映像でも、以前とは甚だしく廉価に、色々な機材で様々な展開が可能です。

 

時は金なり。

 

できるチャンス、やれるチャンス、できそうな隙間、やれそうな隙があれば、どんどん経験してチカラをつけてしまいましょう。

 

 

 

 


カットアウト雑感

日本のカットアウト技術者の人口は極めて少ないです。私が苦労しているのは、まさにソコで、誰にも仕事を分配して頼めないという点です。

 

中国のカットアウトの記事を見たり、カンフーパンダの10年前のカットアウト短編を見たりすると、日本の状況に悲観したくもなりますが、一方で、各国もかなり苦戦はしているようで、それはそれで「自分だけではないんだ」と妙にホッとしたりもします。動きの知識がまず必要で、さらにカットアウト用に「動きと造形の分解・再構成」を行う技術ともなると、技術的なハードルが高いのは事実ですから、技術者人口も通常のアニメーターの数には全く及ばないのは、現実として受け入れざる得ません。

 

カットアウトと同内容の手法は、日本でも昔から使われていて、ローリングやスライドでキャラに動きを加味するのはカットアウトの一番基礎的な手法です。Flashで動かすのもカットアウトのカテゴリに分類できます。王蟲のゴムマルチも同種の技術ですネ。

 

ではなぜ、さらに進化したカットアウトが日本に出現しないかというと、そうしたローリングやスライドやFlashの表現内容が、手描きの動きと同等かそれ以下のクオリティで、手描きで動かすアニメを凌駕していないからです。

 

これはとても重要なポイントです。

 

10年以上前に、Flashのアニメを見て思ったのは、手描きで動かすアニメの品質簡易版という印象でした。「Flashでもアニメが作れたよ!」なんていうのはアマチュアの言い分であって、「Flashで今までのアニメ以上のことができた!」というレベルに到達しなければ、失笑のうちに終わります。

 

 

 

実はこの状況、「デジタルアニメ」でも黎明期には存在しました。Retasでペイントしたキャラの色がどぎつくて、コンポジットした完成映像はデリカシーのかけらもなくベタッと平面的で、透過光の代替処理はお世辞にも光っているとは言い難い表現でした。

 

私はそうした極初期の業界の「デジタルアニメ」を見て、「こんなふうになるくらいだったらフィルムの方が全然良い」と思っていました。私は最初の頃、コンピュータで彩色してコンポジットしたアニメを全然評価していなかった‥‥のは、自分の今の状況を見ると我ながら意外です。

 

しばらくした後に、故わたなべぢゅんいちさんに「江面君のイメージボードをPhotoshopに取り込んでみたから、見に来いよ」と呼ばれて見たら、質感も豊かな画像データとして表示されており、しかもトーンカーブ1つで色々な表現が次から次へと作れることに、「デジタル=ダメダメ」という意識が180度反転したのです。「これなら、今までのアニメではできずに諦めていたことが、どんどん実現できる」と認識が大きく変わりました。

 

つまり、使い方次第だった‥‥ということです。新しい道具と手段を用いるのなら、今までと同等は当たり前、さらに凌駕するくらいの内容が必須なのです。

 

要点はコレ。

 

従来の代用品ではなく、新しい表現の手段として用いる

 

言い換えますと、

 

今までできなかったことを、可能にする技術

 

‥‥が極めて重要なのです。

 

実際、Retasだけでは無理でした。Retasは「従来のペイントと撮影の代用品」から脱し得ず、アニメの映像表現に新風を吹き込むツールではなかったのです。ただの「コンピュータ移行製品」でした。しかも撮影に関しては、明らかに劣化していました。フィルムの麗しい透過光には全く及ばず、のちにAfter Effectsとの組み合わせが必須となりました。

 

 

 

カットアウトも同じです。

 

今までのアニメと同じデザイン(キャラなどの省略技法)、同じモーション(2コマ3コマの動き)、同じ画面のクオリティ、つまり、今までと同じアニメの内容をカットアウトで作っているだけでは、カットアウト独自の意義を広く問うことは不可能です。

 

代用品、代替品の意識でカットアウトを使うのではなく、カットアウトでしかできないことをどんどん実践しましょう。

 

「こんなの、絶対手描きじゃ動かせねえ‥‥」

 

‥‥と誰もが感じる一方で、

 

「これは3Dにも見えるけど、3Dなのか? 2Dなのか? 手描きなのか?」

 

‥‥と思う「手描き」のニュアンスも必要です。

 

‥‥まあ、Bloodのパイロットフィルムを作った時もそうでしたが、今までのアニメでは不可能な表現を見ると、特に通ぶった人はすぐに「これは3Dだ」とか言うんですよネ。理解不能なものは全て「3D」って、映像表現の技術者としてはかなり恥ずかしい反応なのですが、そうした手合いは放っておいても、せっかくの手描きですから3Dとは違った表現をいつも心に留め置くべきでしょう。

 

 

 

ちなみに、カットアウトは手間がかかります。

 

カットアウトだと楽に動かせる‥‥というのは、「言い方」次第ではありますが、半分当たっていて、半分外れています。

 

動かす効率が抜群なので、従来の送り描きの動かし方に比べて、未来の映像フォーマットとの相性が優れています。そういった意味では「楽」とは言えます。24コマフル、60フレームフルのモーションなんて、なかなか手描きでは効率的に難しいですが、カットアウトなら可能です。

 

しかし、効率こそ優れてはいますが、動きの知識と技術が「猛烈に必要」なのは、手描きとなんらかわりません。特に、60フレームフルモーションは動かす表現そのものがかなり難しいです。

 

むしろ、感性だけで絵を動かしている人は、その自分の感性を分解して体系化してカットアウトに利用できるように再構築しなければならないので、余計手間取って難しいかも知れません。なので楽ではないです。

 

カットアウトは、楽になる部分もありますが、手のかかる大変な部分も増えます。

 

しかし、そのハードルを超えれば、自分の手で絵を描くだけでなく、コンピュータまでも自分の分身のように使いこなせるようになるので、‥‥まあ、いやらしい話、稼げるようにはなるでしょうネ。今は希少な技術でもありますし。

 

 

 

現代のカットアウトは、コンピュータのソフトウェア上で実現します。

 

つまり、「切り紙」ではないです。「カットアウト」と呼び続けているのは、今でも「セル=セルロイドフィルム」「ログ=丸太」と呼び続けているのと同じで、慣習の名残りです。

 

コンピュータのテクノロジをふんだんに導入できる現代のカットアウトは、もはや、切って動かすだけのカットアウトではありません。三角メッシュ、ボーン、グリッドのメッシュ、トランスフォーム、XYだけでなくZ軸、必要とあらばパーティクルやフォームやポリゴンメッシュなど、あらゆるコンピュータの映像表現手段を盛り込んで、「カットアウト」できます。

 

 

 

足りないのは、実際に使える技術者。ホントに少ない。身近にいません。

 

ぶっちゃけ、弊社では私一人だけ。御社はどうですか? ‥‥なんとかならんもんですかネ、この技術の立ち遅れは‥‥。

 

コンピュータを所有しているアニメーターはやまほどいるだろうに、なぜ、カットアウトをやらんのか。

 

カットアウトができるようになれば、商業作品では難しい自分オリジナルの作品を短編とはいえ、フルに動かして作れるようになりますよ。

 

カットアウトを習得すれば、新たにアニメーションを作るチカラを自分の手で掴めるのに、プロダクションの助けがないと10秒のアニメすらすぐには作れない弱い自分に留まり続けます。

 

他人の原作で、他人のデザインしたキャラで、他人の執筆したシナリオで、他人が考えた演技で、他人に色を塗ってもらって、他人に背景を描いてもらって、他人に編集してもらって‥‥と、線画しか描かないアニメーターが「何の著作権を主張する?」のか、そもそも無理があるでしょ。冷静に考えればわかることです。

 

だったら、アニメプロダクションの仕事はそれはそれで引き受けつつ、「この映像は自分の著作である」と完全に言い切れるものを作れば良いです。その際に、何百何千何万と手描きで描くのは不可能ですよネ。

 

それにアニメプロダクションの商業作品にしたって、今後4Kに移り変わって、今まで通りの手描きで何千何万も描く路線で、本当に上手くいくと思ってます? だとしたら、相当計算に弱い人です。

 

一方で、アニメは1.5Kくらいで十分だ‥‥というのなら、それもまた相当、情勢に疎い人です。

 

NABINTER BEEの情勢を見れば、2Kなんてもはや過去のもので、4Kは当たり前になっています。アニメプロダクションはそうした世界的な情勢に目と耳を塞いで2020年代も経営していくんでしょうかね。4Kのビジネスチャンスを延々と逃し続けて。

 

アニメプロダクションのプロデューサーも監督も、NABやINTER BEEくらいは気にしておいても良いと思いますヨ。玉手箱を抱えた浦島太郎にならないためにも。

 

 

 

ペーパーレス、4K、HDR、手描きモーションとカットアウトのハイブリッド。

 

ごく普通に見通せる未来のビジョンです。

 

私はアニメを古典芸能にはしたくないです。現代とともに歩み続け、未来を生き続けていくのが、テクノロジーの申し子たるアニメ制作の姿だと思います。

 

近代のテクノロジー〜産業革命以後の科学の発展があればこそ、アニメも誕生したことをお忘れなきよう。

 

人畜無害路線で自然とともに生きる‥‥といったって、アニメは工業と産業の申し子ですヨ。野原で動物と戯れていたって、アニメを見るのはガチガチの工業製品ですからネ。

 

なので、アニメーターといえども、映像の技術進化は気にかけるようにしましょうよ。描いている線画が1カットごとのスタート地点になって、やがてアニメの完成映像となり、映像制作分野の1ジャンルをなすのですから。

 

線画の殻に閉じこもらず、外界の映像技術にも目を見開いて直視すれば、アニメーターが未来にどのようなチカラを手にすべきか、実感も湧いてくるでしょう。

 

 

 

ぶっちゃけて言いますが、

 

描きもカットアウトも、両方使えりゃいいじゃん。

 

‥‥ですよネ。

 

せっかく現代に生きて現代のテクノロジの只中にいるのなら、両方使えるのが色々とツブしが利きますヨ。

 

 

メモ

最新で商用の映像は掲載できませんが、古くは10年以上前に作ったカットアウトサンプルを再掲します。

 

*パーツの分割が大雑把なので、動きが少々カタいです。背景(実物を撮影)も含めて4〜6時間くらいでゼロから完成しました。全弾撃ち尽くして、スライドが後退して止まるのは、もちろんスライドを別パーツにしているから出来るのです。

 

*実際に本番でも使いました。2008年くらいの作品だったと思います。いきなり発生するように見えますが、手前にBOOKが乗りますので、コレで大丈夫です。煙の作業自体は数時間で、原画動画仕上げの所用時間と比べて劇的に効率的な上、割りミスは構造上絶対に発生しない強みがあります。

*手でも同じ煙は動かして描けますけど、とにかく大変ですよネ。割りミス・送りミスの巣のようなシチュエーションですし。

 

*作業の合間に、気分転換に遊びで作ったものです。2006年か2007年くらいだったような記憶があります。遊びが転じて、いつかこういう簡素な絵柄のアニメをオリジナルで作ってみたいと思っています。

*故意にクマの動きを3コマにポスタリゼーション(3コマのタイムシートの動き)しています。カットアウトの場合、素だとフルモーションなので、任意に動きを停止させて旧来の2コカ3コマの動きを作ります。

 

*3コマ動き+1コマPANの「ガタ」を説明するために、最近作ったサンプルです。背景もパスで作って、2〜3時間で作りました。10年前と比べて手際も慣れてきたので、このくらいの内容なら「お手のもの」になっています。

*シンプルなデザインなので簡単に見えますが、実際にコレを普通のアニメ制作でやろうとすると、24コマフルモーションなので結構大変です。

 

 

最新のカットアウトによる映像は、そのうち公開される運びとなりましょう。ベースのフォーマットは4KでHDRですし、技術も10年以上の試行錯誤の積み重ねを投入して作っています。‥‥技術の積み重ねは重要ですよネ。作画の技術なんてまさに地道な技術の積み重ねなわけですが、カットアウトも全く同じです。

 

私は「デジタルアニメ」が普及するまでの長い道のりを、リアルタイムで直に関わって経験しましたが、同じような状況を4KHDR、そしてカットアウトにも感じます。

 

最初はごく少数の人々だけが「確信」して夢中になって、他の人々は傍観して日和るだけだったのを思い出します。

 

せっかくアニメーターで絵を動かせる技術を持っていて、しかもパソコンまで使えるのなら、新しい技術をまずは体験してみることをお勧めします。日和ってたって、何も得られないばかりか、日和見層の中に居続けると結局はレッドオーシャンに飲み込まれる運命が待つだけです。

 

After EffectsでもLive2DでもMohoでも、できるところから始めてみてはいかがでしょう。

 

 


スキル獲得

最近、ツイートで「スキル獲得には体力も時間もお金もかかる。給料低く休みも少ないと、転職もスキル獲得も難しくなる。」という内容の文言を読んで、「基本的にはそうだろう」と思いました。よほど恵まれた環境でもない限り、体力も時間もお金も余裕がある人なんて、居ませんよネ。

 

どこかの御曹司かご令嬢でもない限り‥‥と書きかけましたが、私は御曹司の経験がないので、勝手な想像で書くのはヤメました。それに、大企業のお金持ちの息子や娘が全員、芸術的才能が高いわけではないところを見ると、お金持ちの子供は子供で、色々やることがあるんだと思います。

 

スキル獲得って、社会人になってからの話じゃないです。もう子供の頃から、「スキル獲得の上手下手」は表れ始めていると思います。

 

ツイートで見かけた、

 

「スキル獲得には体力も時間もお金もかかる。給料低く休みも少ないと、転職もスキル獲得も難しくなる。」

 

‥‥という文言は、逆に、

 

「体力も時間もお金もあれば、スキル獲得は成し遂げられるのか。給料が高く休みも多ければ、転職もスキル獲得も易しくなるのか。」

 

‥‥と言えるのかは、私は必ずしもYESとは言えないと実感します。

 

どんなにお金と時間があっても、遊びや酒に使ってしまう人間は結構多いと思うからです。

 

スキルを獲得するのが「得意」な人間は、限られた時間とコストと体力の使い方が違います。「手に入れたいスキルのために、時間と金を捻出している」人々を色々と見てきて思うのです。

 

何か、ストイックな精神論みたいな話に転びそうですが、全然そうではなくて、

 

自分の能力向上・スキル獲得に、お金と時間と体力を使わずにいられない「性格」

 

‥‥というのが、根底に作用しているように思います。

 

スキルの獲得、能力の拡張って、誰にでも向いている事柄ではないですよ。個人差がかなりあります。

 

本当は遊んだり酒を飲んでいたいのに、それらを我慢して犠牲にして、スキル獲得する‥‥なんて、そもそも本人の性格が向いてないのです。そしてその根本的な性格は、幼少の体験と環境に大きく影響されていると思います。

 

スキルを獲得するのって楽しい! もっと色んなことができるようになりたい! ‥‥と、本人の欲望がウズウズ渦巻くようでなければ、スキル獲得は辛いだけです。「生活のため」「年収アップのため」になって、それは「本人から湧き出るスキル」ではなく「資格獲得」程度のレベルに収まってしまうでしょう。

 

 

 

スキルを獲得する人って、どんなに疲れていても金も時間もなくても、必ず捻出して実現しちゃうんですよ。それはなぜかと言うと、

 

やらずにいられないから

 

‥‥です。欲しいスキルがあると、欲しくて欲しくてしょうがなくなるのです。これは、「遊びたい。酒飲みたい。異性とイチャイチャしたい。」という欲と同列で、何かを犠牲にするのではなく、単に「欲望のチョイス」なのです。

 

「体力も時間もお金もないから、スキルが獲得できない」と言っている人に、時間とお金を「どうぞ存分お使いください」と与えても、水を得た魚のようにスキルをどんどん獲得できるか?‥‥というと、結構難しい気はします。だって、「義務感」「焦燥感」だけじゃどうにも体は動かないもんネ。

 

「上手になるのって楽しい!!!」と子供の頃からの実体験が伴っていないと、単に打算に打算を重ねた「スキル獲得の皮算用」にしかならないもん。上手になることが好きで嬉しいからこそ、打ち込めるし、自分のコストも割けるのです。

 

絵が上手くなるコツ、ギターが上達するコツって、知ってるでしょうか?

 

他人が絵を描いてない時、他人がギターを弾いてない時に、練習すれば他人より上手くなりますよ。

 

人より練習すれば、人より上手くなる‥‥という、あまりにも単純で明快な理屈です。

 

手軽にそこそこ満足感を得られる遊びに逃げちゃう人って、ちょっと練習して上達しないと飽きて止めちゃう人なのよネ。「練習すれば」‥‥の先に進む前に、辛くなって飽きちゃうのです。「練習すれば、できるようになる」という喜びまで到達できないのです。

 

練習すれば上手くなる、さらに練習を重ねれば、無理だと思っていたことまでできるようになる‥‥という喜びを知ったら、それはいわゆる「欲望と快感」となって、遊びや酒につぎ込むのと同じように、自分の興味のある何かにどんどんつぎ込むようになります。

 

 

 

映画好きで将来映像産業に関わりたいと思っていた学生時代に、年間500本とか、信じられない本数を見た人は、映像業界には結構います。あの人も、あの人も、あの人も‥‥‥。1日1本以上観た計算ですよネ。

 

なにかの学校の課題や義務感で行動していたのではなく、「観ずにはいられなかった」と当人は言います。資格とか役職とか打算に基づく行動ではなく、好きだから観たい、もっと知りたい、もっと色んな作品の色んな表現を‥‥と止め処ない欲求・欲望が当人を動かすんでしょうね。

 

その時の行動は、打算なんて計算している隙間などなく、「もっと知りたい」「もっと観たい」という欲求です。「年収アップ」をあてこんで、映画を年間数百本観ていたとは思えません。

 

そうしたアクションがあって、結果的に自分の「能力拡張」の種まきのようなことをして、後になってどんどん芽を出して育って、自分の仕事の幅と内容を広げてくれるのでしょう。自分の従事する仕事の、通り一遍の技術しか習得していなかったら、それ以外の広がりなんて生まれるわけもないです。

 

私は年間数百本なんて観てはいませんが、それなりに映画の本数は若い頃に観ていました。米国の「コーラとポップコーンが似合う」娯楽系映画も好きでしたが、日本やヨーロッパのじっくりと観た後に余韻が残る映画も好きで、映像の文法を解き明かそうと、同じ映画を何度も見返して自分なりに分析したものです。映画そのものだけでなく、絵作りと音作りに興味が向いて、フィルム一眼レフを買った後は、月に30〜40本のフィルム〜フィルム代1万・現像代3〜4万=5万円の出費をするほどのめり込んで、CDもサントラやクラシックを買い漁って輸入のオーケストラスコアを研究しました。‥‥金もない20代の真っ盛りの頃に。

 

 

 

時間がない、金がない、体力がない‥‥という条件は、実は皆、そんなに変わらないと思います。

 

学生時代だって、イベントや誘いはいっぱいありましょう。働くようになってからは、もっと時間がなくなります。

 

「新しいことを覚える隙などない」と言いつつ、酒飲んだりゲームで遊んだりする隙はあるんだもん。そんな人は、隙を半分でも自分の能力拡張に回せば良いとは思う一方で、そもそも「新しいことを覚える喜び」を知らないのだから、時間と金がいくらあっても、「スキル獲得」には使わないのです。‥‥「スキル獲得」って思っている時点で打算が先にたっていますしネ。

 

酒やゲームも楽しいです。でも、自分の隙を全てそれで消費しちゃうこともないでしょう。「技術が上達」するのだって楽しいヨ。新しいことができるようになるのって、愉快ですヨ。

 

‥‥まあ、そこ‥‥ですよネ。「楽しい!」と、素で感じられるか否か

 

このあたりの実感は、先にも述べたように、幼少の体験が基礎を形成してしまっているので、何とも非情で残酷な「宿命」としかいいようがないです。

 

無理に自己啓発しても、無理が祟るだけだし。

 

 

 

何よりもまず、自分の性質を分析して、自分にあった発展方法を模索するのが肝要でしょう。「誰でも、時間と金と体力があれば、スキルが獲得できる」などと架空の前提条件を設定して信じ込んじゃうと、真に自分の向いている流れを見つけられずに一般論らしきものに苛まれたまま、何も手に入れられずに5年10年20年と経過して、気づけば40代になっている‥‥なんてこともありましょう。

 

令和は、ベビーブームの世代がどんどん高齢化する時代です。そのベビーブーム世代の中には、エスカレーター式で人生が上手くいくと思いこんだまま、実はあまり上手くいかなくて、令和にとんでもない貧困が襲ってくることも容易に想像できます。

 

そんな未来は避けたいですよネ。「収入増加のためのスキル獲得」なんて打算を打つよりも、今まで自分のしてきたことを冷静に決算して、未来の自分に何ができるのかを見つめ直す時期が、昭和生まれの人間に問われていると思います。

 

最近、ミシンを買ったんですよ。未来に少々必要になるように予測して、今からミシンのプロなんて無理ですが、過去から続く色々なベクトルが接する未来においては、ミシンの基礎くらいは覚えておこうと思いましてネ‥‥。もちろん、自分の服を縫うとかの目的ではなく、創作活動の一環です。収入増加に繋がるかなんて考えておらず、必要だから覚えるのです。

 

他人にどう思われようが、突拍子もないことだろうが、自分の過去のスキルが活きることを組み合わせて、行動するのがよろしいと思います。行動しなければ、少なくとも損失はないとか考えがちですが、状況分析が甘いです。行動しなくてもどんどん年老いて負のリスクが増えていくものです。どうせリスクはつきまとうのならば、行動しちゃえばいいじゃん。

 

時間と金と体力があれば‥‥なんていつまでも考えていると、10年経って50代、20年後には60代になっても、相変わらず「時間と金と体力があれば」と言い続けていると思います。今までそうだったのなら、未来に「奇跡的に時間と体力とお金に恵まれた」なんて状況が天から降ってくることはないです。

 

必ず、どこかに隙はあります。当人がその隙を見逃して捨てさえしなければ。

 

 

 


昭和、平成、令和

時代の区切り、時間の区切りなんて、人が勝手に設定するもので、気持ちのもちようだとは思っている一方で、勝手であっても区切っておかないと折り合いがつかないとも思っています。なので、何かをきっかけにして区切ることは、過去にも現在にも未来にも必要であり続けるでしょうネ。

 

自分にとって、昭和の終わりは、幼年期〜少年時代の終わりだったと思います。1989年はすでにアパートを借りてフリーアニメーターでお金を稼いでいましたが、20歳そこそこでまだ考えも浅く、自分自身「アニメ業界の社員」のような気分でいた頃です。1989年が昭和の終わりで平成の始まりだったとは最近まで明確に記憶していませんでしたが、「1989」という西暦だけは覚えていました。

 

当時「自分で何か発想して行動しないと、このままでは潰れる」と思って、仕事以外=プライベートの絵に「since 1989」みたいに「1989」を明記していた時期があるからです。つまり、「1989」を自分の中での区切りの年にしたのです。‥‥やっぱり平成の元号にちなんだのかな?‥‥自分でも記憶が曖昧です。

 

高校時代から作画の仕事をお手伝い程度で開始して(高校在学中に作打ちしたことがあるよ)、卒業と同時にアニメーターになって、作画の報酬で生活もできるようになって、初めて自分のギャラでFender Japanのストラト(ラージヘッドでローズ指板でクリーム色の白でした)も買って、順風満帆のように感じていた一方で、アニメの仕事に憧れ続けていた意識のままでは限界があると気づいた時期でもありました。まあ、今の若い人も、アニメ業界でフリーで2〜3年やれば、流石に「問題」に気づくでしょ?

 

原画の仕事を日々作業するにしても、それだけで自分の人生が塗り潰されていくことに、大きな不安と危機感を感じたわけです。「せめて、自分の絵〜ビジョンをもっておかないと」と思って、自分のルーツを20歳そこそこの若気の至りながらも模索しはじめたのが、まさに昭和から平成へ変わる、区切りの1989年でした。まあ、実際は、技術力も幼い20歳そこそこですから、そんな簡単に「自分を形成できる」わけもなかったのですが、「アニメ制作現場の都合に流され続ける人材」から脱出しようとココロの中で区切ったのを思い出します。

 

で、30年経ちました。色々なことが起きて、色々な経験をしましたが、平成に悔いは全くないです。それはやっぱり、昭和から平成へと時代が移る時に、自分の中で「昭和の終わり」と「少年時代の終わり=自立の始まり」がシンクロしたからでしょうネ。自分の中で過去と未来を区切ることは大切だなと思います。

 

そして、令和。2019年。

 

また、末尾は9なのネ。1989と合わせて、覚えやすくはありますネ。

 

2019年も自分の中で区切りの年になりそうです。技術面だけ見ても色々な転機でしょうし、顧みられなかった技術の復活の年でもあり、新たな始まりの年にもなりましょう。少なくとも、自分の意識の中では、良い区切りになりそうです。

 

ぶっちゃけ、もう若くないもん。若い時と同じルーティンは通用しません。貯めてきた知識や技術やコレクションを、今度は展開して組み合わせて死ぬまでに使い切るくらいの意識が必要です。墓場の中にまでコレクションは持っていけんもんな。

 

平成の時代、自分が死ぬことなんて考慮していませんでしたが、令和の時代は心のどこかにいつも「人生のケツ」(尻。人生というスケジュールのケツね)を意識して、「貯めるだけ貯めて使わないまま終わる」なんてことがないように行動を展開していくのが、まさに自分の中での「令和の区切り」と思っています。

 

20〜40代でやるべきことは、平成にやっておきました。であるならば、同じことを令和に繰り返すこともなかろう。令和には令和の役割がありましょう。

 

 

 


マルチメディア

そういえば、ツイッターで、

 

何処其処なう

 

‥‥っていう書き方、最近ほとんど見なくなりましたネ。2010年になったばかりの頃は、あちこちで「なうなう」言ってたのにネ。

 

前回も書いた通り、SNS〜ツイッターなどのテキストは「書いたら消える」ような虚ろな存在であり、後に残って読み返せないのが、欠点でもあり利点でもあります。後に残らず書き捨てられるからこそツイッターには軽さゆえの存在価値があり、刹那的な文言が世界規模で駆け抜けるのがツイッターの強み(たまには弱みになるようですが)でもあります。

 

なので、ツイッターで技術解説や問題解決などできるわけがないのです。ツイッターを長文の細切れドキュメント形式にするなんて、家族の夕食のカレーをミルクパンで一人分ずつ作るような無駄がありましょう。

 

ミルクパンとは、ミルクを温めるパン(鍋)のこと。ミルクを練りこんだ菓子パンではありません。小さくて可愛いお鍋です。

 

 

ツイッターにはツイッターの長所があり短所もある。ブログにも長所と短所がある。Webサイト〜「ホームページ」にも長所と短所がある。‥‥つまり、それぞれの長所と短所があります。

 

軽い気持ちで、ただ単にぼやいたり呟いたりするなら、性能の長短など気にせず、好きにボヤけば良いですが、「業界の問題が〜」とか「技術のあるべき姿が〜」とかを、ツイートで呟き続けるだけでは問題解決へは結びつきません。

 

ぼやく、つぶやくのは一向に構わないでしょう。

 

問題は、そのぼやき・つぶやきが、状況の改善に少しでも貢献しているという「錯覚」「思い過ごし」です。

 

単に危機感と怒りを煽るだけで、その後に結びつきません。複合クミの1つとっても、ツイッターだけでは「こうすれば解決できる」という解決策へと導き得なかったのが、論より証拠です。「困る」「ダメだ」「ムカつく」をいくらツイートしても、全く効力がないです。意思を伝えただけで問題が解決するなら、とうの昔に、世界は争いごとのない天上世界になっていましょう。

 

ツイッターは瞬発力こそ強いですが、物を動かすトルクはとても弱いことが、ツイッター数年の歴史から分析できます。

 

一方、Webサイトは鈍重で小回りが利きません。ゆえに、ネットを単に「承認要求」の手段と考えていた人々は、どんどんツイッターに流れたことと思います。

 

 

 

では個人的な承認要求ではなく、プロジェクトや事業の一環としてツイッターやブログやWebサイトを活用するには、どのような使い方が良いのか、今後の自分らのためにも色々と考えています。

 

ツイッターやブログでは、以下のように、日々書き綴った文言が漠然と堆積しています。

 

 

 

この状態のまま放置するから、ツイートもブログ記事も「用語辞書」「参考書」「辞典」にはなり得ず、読む側も「本を読むというよりは伝言を読む」程度の認識に留まります。

 

なので、ツイッターはともかく、ブログに関してはジャンル分けしておいて、後々に再編集と構成をおこえるように準備しておきます。例えば「雑感」でも「何に対する雑感か」をジャンルで分けておけば、書いた本人すらどこに存在するのか忘れてしまうようなお茶目を防いで、選別しやすくなります。

 

 

 

これらジャンル分けした記事を、あらかじめ用意しておいた独自ドメインのWebサイトで「体系化したドキュメント」として再公開すれば、ブログ記事が日々埋もれて無駄にならず、再利用して新たなコンテンツとして蘇ります。

 

つまりSNSやブログだけで終わらせるのではなく、プロジェクトや事業として自分の行動を自覚するのなら、Webサイトも依然として有用だということです。

 

 

 

ポイントは、自分の日々の雑感はジャンルが多様で、1つのWebサイトには収まりきらないということです。ゆえに、Webサイトを複数用意して、自分の事業のジャンルに合わせて使い分けることが必要になりましょう。

 

以前、私がプログラムの初学者だった頃(1997〜2003年くらい)、「プログラムとポメラニアンのホームページ」というWebがあり、プログラムの指南は大変参考になったものの、ポメラニアンのページは全く読むことはなく(可愛いですけどネ、ポメラニアン)、今ならドメインを分けて運用するのが主催者にとっても利用者にとっても有用だと思います。

 

SNSやブログからWebサイト‥‥という一方通行だけではなく、以下のようにWebサイトからSNSやブログ、電子出版や映像配信を含めた体系も、決して大風呂敷ではなく、「電子」「デジタル」ゆえに個人規模で運営できるほどにコンパクトです。図には書いていませんが、PixivやPinterestなどの公開手段も有効でしょう。

 

 

 

10年前ではできなかったことが今では可能。

 

しかも、個人規模のコストでも、旧来では考えられなかった幅広いエリアと高品質で、プロジェクトと事業の展開は可能です。個人規模と言っても、必ずしも1人だけではなく数人で運営しても良いでしょう。

 

フォントの問題はAdobe CCのAdobe Fontsで当面は解決できます。新しいアニメーション技術を用いれば、絵柄を工夫することで、わずか数人で短編を作ることも可能です。GaragebandやLogicで音楽を作ることも可能です。

 

 

 

FM Townsが大泉学園の「オズ」の家電売り場に並んでいた平成の初期、「マルチメディア」という言葉が流行りました。私は1989年の「平成元年」当時、大泉学園駅界隈でフリーアニメーターとして棲息しており、気晴らしにオズに行っては、憧れの眼差しで「パーソナルコンピュータ」を高嶺の花のように眺めていたものです。

 

マルチメディア。

 

文字の通り、「マルチなメディア」です。色々なメディアを媒体として、コミックやアニメや文章や音楽や映像をミックスして展開しようと盛り上がったのは、まさに「その当時の技術背景」ゆえです。

 

マルチメディア。メディアミックス。

 

その思想は、今や個人の手のひらにのせることが可能です。

 

 

 

Adobe Fontsを使えるようにしたこのブログ。せっかくなので、貂明朝体で、

 

 

 

明日から令和

 

 

そして来年から2020年代の幕開けです。

 

面白い時代と言わずになんとする。30年前なら実質、数百万、数千万、数億円でしか実現できなかったマルチなメディアのミックスを、個人規模のコストによって違う形で実現できる、愉快痛快奇奇怪怪な時代がもうそこにあります。

 

面白く愉快な時代の幕開けを、皆で堪能しましょう。

 

貧困から抜け出すには、ツイッターでつぶやくだけではどうにもなりません。今ある媒体・リソースを存分に活かす方策を考えましょう。

 

 



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