デジタル作画に関する

コンピュータは金喰い虫です。買ったら一生使える机や、コンセントにプラグを差したら使えるライトや鉛筆削りと違って、初期導入費用と維持費に格段のコストがかかります。蛍光灯が切れたらコンビニか24時間スーパーで買えますが、ペンタブレットドライバの不具合はコンビニでは直りません。

日頃、色んな人と話しますが、「デジタル作画」って実は「業界にトドメを刺す」刺客なのかも‥‥と考える人は、そこそこいます。そう考える人は、コンピュータの幅広い可能性や美味しい部分と等しく、もしかしたらそれ以上に、コンピュータの厄介な部分、不味い部分を肌身で知っている人です。

なぜ、昔からコンピュータと深く関わりつつアニメ制作をしている人々が、「デジタル作画が業界にトドメを刺す」と思うのか。「現在の劣化した制作状況に対し、作画セクションまでコンピュータを導入したら、利点よりもリスクのほうが表面に出る」と予測できるからです。

 
何かのアップデートの際に、タブレットドライバがコンフリクトして動作しなくなったら、作画が一切できなくなるが、その際はどう対処するつもりか。
 
ハードディスクの故障はごく身近にある事だが、一週間後に放映が迫っているような劣化スケジュールの中、作業データを保存してあるハードディスクにトラブルが起きたら、フリーランスはどう対応したら良いのか。
 
各社の作品ごとに異なる使用ソフトウェアに対応するには、どれだけのソフトウェアの、どれだけのバージョンを取り揃えておかなければならないのか。
 
データのバージョン管理などの運用ポリシーが曖昧なまま、現在より格段に大量の、各作業者からの様々なデータを受け取って、若手の制作進行スタッフは整然と運用できるのか。または、データ管理を含めた制作管理システムを自力で開発するスタミナがあるのか。
 
業界規模で考えた場合、例えば1000人のアニメーターが「デジタル作画」をおこなうには、5〜10億の初期導入費用がかかるが(基本環境1セットを50〜100万で試算)、そもそもその「体力」が業界全体(フリーランスも含め)にあるのか、そして、維持し続けられる(=ペイし続けられる)のか。

ペンタブは拡大すれば細かい作画も可能で、今以上に細かいキャラクターを、何千何万枚と描く「作画内容の厳しい状況」も充分想定できるが、その際の作業費や作業時間をどのように確保するのか。アニメーターに今まで以上の窮状が予測される中、対応策は準備しているのか。


etc‥‥。もっと挙げられますが、この辺でやめときましょう。

現在は、フィルム時代など比べ物にならないほどに、「作画以後の行程にしわ寄せがいっている」のですが、それは仕上げ(ペイント)作業以降が「デジタル」になり、素早い取り回しが「出来てしまう」からです。もちろん、その為にスタッフは徹夜で待機してたりしますがネ。昔からアニメ制作を知る人は、この状況を「末期的」と呼ぶわけですが、「作画までデジタルになったら」状況はどうなるでしょうか。

「デジタルになったら、全部データで取り回せるから、時間短縮できて、今よりは楽になる」と考える人もいるようですが、「データで取り回すと言う事は、データを管理する手間とリスクが増える」事も念頭におかなければなりません。進行車を走らせる機会は多少減るかも知れませんが、各作業者の作業環境のトラブルに振り回される事が増えるでしょう。コンピュータは、コンセントに電源プラグを差せばすぐに使える作画机とは大きく違います。

紙と鉛筆という、少なくとも数百年は使い続けられている「実績のある道具」を用いても、ここまで綱渡りの制作状況なのに、「デジタル作画」にしたら、「タブレットが動きません」「ハードディスクからカチカチ音がしてデータが開けません」という理由で、放映リミット直前であっけなくコケるかも知れません。

紙と鉛筆と消しゴムと鉛筆削りと蛍光灯だけで作業してきた思考は、そう簡単には切り替わらないものです。「作業環境の保全」「バックアップ」「トラブル発生に対する先読み」なんて言う意識は、人に言われただけでは「小姑の小言」としか受け取れないものです。

そしてさらには、「時間短縮できるから、今以上にもっとネバれる」という流れも、ごく自然に発生すると思います。コレもかなりヤバいよね‥‥。

つまりは、何か物事にあたる時には、「光と影」の両面を熟慮する必要があります。ハードやソフトのメーカーは「光」の部分を強調するでしょうが、現場の人間たるもの、「影」の部分にも等しく注目しなければなりません。

「やってみないとわからない」というセリフは、計画や準備に手を尽くし切って、最後の最後につぶやく言葉です。何もかも予想できるわけはないのですから、だからこそ、予測できる事に関してはベストを尽くすわけです。

最初から「やってみないとわからない」‥‥なんて、「失敗したい」と言っているのと同義だと思うのですよ。失敗は経験値の向上に多いに役立つものですが、今の業界に、巨費を投じて機材を導入した上で失敗を受け流すほどの余力があるのか‥‥は疑問です。


ちなみに、私の進めている技法やシステムは、「デジタル作画」ではありません。あくまで絵は人が手で描き、コンピュータも人が操作して絵を動かしますが、今の業界の呼ぶところの「デジタル作画」ではありません。また、今までとは比べられないほどの少人数で作る事を想定し、業界の横の繋がりによる「作業量の融通」に頼らないシステムも考えています。新たな技法とシステムゆえに大きなリスクもありますが、業界が抱えてきた等しく大きなリスクを負わずに済みます。‥‥で、そうした技術的特質にリスクを凌駕する大きな勝機を見いだしているからこそ、「デジタル作画ではない、コンピュータによる絵描きのアニメーション」に私財を投入しているわけです。‥‥趣味でやってるわけじゃないのですヨ。

何か新しい事を始めようとする時に、大胆な物言いかも知れませんが、業界のシステムを引き継がない事が最重要なのだ‥‥と私は考えています。システムを引き継ぐという事は、作業報酬のシステムやスケジュール感覚も引き継ぐ事になりますから、未来を考えた場合、それは「絶対にあり得ない」と思うのです。‥‥その辺り(=業界の問題点)はもう、みんな解っている事‥‥じゃないですか。

「デジタル作画」に対する見解は様々ですが、コンピュータと長くつき合ってきた方々は、「大きなリスクをさらに追加する事になり、この業界はもしかしたら‥‥」と考える向きが多いようです。アニメ業界において、「デジタル作画」を推進する人々の手腕が試される時が、やがて到来する‥‥のでしょうね。

雑感

コンピュータで絵が動かせるという事は、端的に言えば、絵を変える事ができるという事です。まあ、絵を動かしている時は、「絵を変えている」なんていう意識は全く無いのですが、コンピュータの内部処理的に言えば「変形」のカテゴリと言えます。

また、動かす要素は線や形だけでなく、色も同等に動かせます。「色」と書くと大雑把ですが、要は照明や固有色の変化が可能だと言う事です。

ですから、例えば女の子の顔のニュアンスを変える事などは、ごく普通に可能です。以下は、目をツリ目に、口を少し小さめに、頬のラインを絞って、さらには肌の色味をピンク系に、頬の赤みをやや強めに、アイシャドーを少し強く‥‥と、コンピュータ上の作業だけでバリエーションを作ったものです。


*今回は「よく見比べると解る」レベルですが、顔のバランスを大きく変えるなどの作監修正のような事も可能です。絵を裏返して狂いを抑えたり‥‥など。

コンピュータで絵を動かすという事は、単に作画スタッフだけに留まらず、色彩設計さんやコンポジット・VFXチームにも直接的に関係してくる技術です。私がイメージする作業現場は、各セクションのパーティションを取り払った環境をイメージしており、プロデューサーや監督も含め皆がコンピュータを普通に使って作り上げる、小規模な現場です。野方図に拡大したりバラまいたりせずに、小規模を維持できれば、作業セクション間のクロスオーバーした部分を協調しながら進める事ができる‥‥と、以前の経験からフィードバックして、予測できるのです。

私の場合は、旧来の現場と大きく異なる技術を多く盛り込むので、必然的に「現場を作る」考えに行き着くのですが、実は現アニメ業界も「改善」ではなく「仕切り直し」のプロセスが各現場に必要なのかも‥‥と感じる事があります。聞く話がことごとく「状況崩壊」している事が多くて、色々な役職で30代前半の人間が辞めて故郷に帰る‥‥なんていう話も聞くにつけ、「病状」が全快するとはどうしても思えないからです。

私が思うに、「業界を何とかしよう」という前に、「より良い、自分たちの現場」を作る事のほうが、先決であり、現実的でもあるんじゃないか‥‥と思います。業界を変えたい‥‥って、ソレって、「世界を変えたい」と言っているのと同じで、具体的にどのような手順と資金で実現させるのかが見えないですよネ。

自分らの足元の現場なら、何を変えていくべきか、使える金はいかほどか、具体的な要素をしみじみ実感できるはずです。ただ、どんなに実感していても、すぐに行動できるとは限りません。「行動の準備」はどうしても必要になりますもんね。もし今すぐに行動できないのなら、色々な物事を準備に仕立てれば良いのです。

転んでもただでは起きぬ‥‥とは言いますが、転んだまま立ち上がれないほど、痛烈で過酷なのが今のアニメ業界でもあります。ただやはり、生き残るのは大事ですネ。

思考のシフト

新しいアニメーション制作技法‥‥と言っても、それを語る私自身、今でも、昔からのアニメの「思考の癖」が抜けません。そして、その癖が、自分自身を惑わすのです。

コンピュータで描き絵を動かす新しいアニメーション技法の特徴は何か‥‥をとっさに喋るような事があった際に、ついつい「動画枚数の制限が根本的に無くなる」みたいな事が口をついて出てしまいます。これは「枚数=コスト」の習慣が身体の奥に染み付いているからこそ‥‥です。

喋ってしばらくした後、我ながら、「そうじゃないんだよな」と少々後悔したりします。

新しいアニメーション技法の真骨頂は、「今までのアニメでは動かせなかった絵を動かす」事にあるのです。動かせなかった絵とは、あまりにも絵が細かいのでアニメ向きではなかった描写、ニュアンスが独特でアニメの線画には向かないデザイン、線で区切って描けない絵(=線画ではない絵)、‥‥などです。

前回のブログで掲載した女児の絵は、今のアニメでも出来る絵柄なので、「特に新しい作り方で作る必要無し」として放棄した理由もあるのです。旧来の技法で出来る事をやっても、それは単に「コンピュータでも同じ事ができました」とか、「コンピュータだと動画作業を省けてコストダウンできました」‥‥などの、「代用品」「廉価品」の位置付けに甘んじてしまいます。「安さが売り」の技術になってしまいます。

でも、そんなんじゃあ、(私は)やっても意味がないと思っています。

◆前回のブログで既出の女児キャラ

*「線の量の手加減」と「パーツの記号化」が大量の線画作業に向いている、上図のようなデザイン傾向のキャラは、撮影・ビジュアルエフェクト・グレーディングを駆使すれば、現アニメ業界の制作技法でもイラストのようなフィニッシュが可能です。まあ、肌等に微妙なニュアンス(頬だけじゃなく、至る所に)を加える作業は、2015年のアニメ業界の平均的な状況ではコスト的に難しいかも知れませんが、状況さえ整えば出来る事です。
(上図はベクタートレスのテストなので、線のニュアンスが独特ですが、レタスの2値トレスでも同じようなフィニッシュが可能です)

(話はそれますが、こういう感じのキャラは、私が描いたところで‥‥ねェ‥‥。ノリ切れないの違和感を肌身で感じて、目を小さく描きたい衝動が邪魔するんですよネ‥‥。自分の「素」からは出てこない、目の大きさなんスよね。何かキャラ表があって仕事で描くのなら、キモチを割り切るんですけどネ‥‥。)


◆以前のブログで既出の4Kプロモ用の女の子キャラ

*日本画のソレのように、省略と細密が同居したこのようなデザインは、旧来のアニメには全く不向きです。上図の髪の毛を動かすのは「動画不能」に近く、現実的に不可能です。加えて、線のニュアンス一つでキャラのニュアンスが大きな影響を受けるようなデザインも、旧来のアニメではNGです。実際、描いた本人が作業しても、クリーンアップだけで簡単にニュアンスが変わるので、大人数で大量の動画を作業する現場には、あまりにも不向きなのです。
(線のニュアンスの微妙な絵は、「清書」「クリーンアップ」ではなく、「下絵をもとに、新たな絵を書き起こす」感覚に近いので、その辺りも今の動画の作業意識とは大きく異なります)



私自身、コストでは解決できない部分で勝負してこそ‥‥といつも考えているのですが、雑談などでは「枚数の事」を口走る事が多くて、何だか、自分自身がナゾで情けない‥‥。子供の頃から染み付いた「アニメ」の感覚は、中々抜けてくれない‥‥のです。

現在本業で作業中の「エフェクトをコンピュータで動かす作画」も、線では区切れない独特のニュアンスを持っていて、コスト云々だけでは語りきれない内容なのですが、ついつい枚数の事を引き合いにだしちゃいますね。‥‥まあ、2千枚以上の動画枚数(現在の案件において)が、私のコンピュータの中で「原動仕」込みでフィニッシュ出来ちゃうので、「特徴として、解りやすいっちゃあ、解りやすい」のですが、真意は「枚数じゃなくて、出来上がった絵」なのです。

‥‥ただ、今の現場において、「枚数を引き合いに出せば、話が通じやすい」のも、多分にあるのですよネ。

新しい‥‥を目指している割りには、根底では中々シフトしきれてない私の思考は、その昔に原画マンから今の感覚にシフトしたのと同じくらいの「切り替わりの時間」が必要なのでしょう。

蔑ろにされたものを取り戻す

私の新しい取り組みは、見方を変えれば、ここ20年くらいのうちにないがしろにされてしまったものを、取り戻すこと‥‥とも言えます。決して、「取り戻す事が目的」ではないですが、自分の進めている映像内容面を客観視してみると、そんな事が言えそうです。

描線のニュアンス、絵柄の多様性、血湧き肉躍る熱いメカやエフェクト、記憶に残るサントラの旋律、etc...。それらは様々な事情と都合により、省かれたり除外されるようになりました。

音楽は専門外ですが、現在頻繁に耳にするハリウッドスタイルのサウンドエフェクトのような音楽は、現場としては使いやすいのかも知れないけど、記憶にほとんど残らなくて‥‥。今では私の好きなハワード・ショアもすっかり「その手」の曲ばかりになって、「羊たちの沈黙」や「セブン」の頃の雰囲気は薄くなっちゃいましたよネ‥‥。

私はこのブログでよく「新しい」何々‥‥と書きますが、それは便宜上の事で、実は私が絵作りを意識し始めた1980年代からずっと抱き続けているビジョンなので、自分自身では「新しいだの古いだの」は意識していないのです。しかし、世間には流行り廃りというものが確実に存在していて、アニメでも色々なものが流行ったり廃れたりで、中には私が愛着を持っていたもの(作風や技法)が不遇な扱いを受けていたりします。

ですから、私のビジョンを実現しようとすると、少なからず「蔑ろにされているもの」を復活させて応用したようなカタチになるのです。「昔は良かった」なんて全く言うつもりはないし、そんなセリフを吐くようになったらオワリだとも思っているのですが、結果的に似たようなディテールになっているのは、少々気まずい感じではあります。‥‥まあ、でもいいか、そのへんは解ってくれる人だけ解ってくれれば。

現在、メカ(レシプロ艦攻やドイツ計画車両など)のカットもプロモーションビデオの一連で進めていますが、「絵コンテにメカが出てきました。その通りに作りました。」的な事務作業のようなメカではなく、大馬力レシプロエンジンの鼓動が内臓を手荒く揉みしだいたり、金属の炸裂音と火薬の匂いがしたりと、まさに「描かれたイメージのメカ」を表現すべく取り組んでいます。現在は何だかメカは可愛いキャラのアクセサリみたいになっちゃってますが、私はどうしても、命の駆け引きを伴う殺し合いの道具としての「凄み」、「Born To Kill」を表現したいのです。‥‥新しいとか古いとか関係なく。


*現在制作中PVのイメージボードより抜粋。昔に見た「ドイツ週刊ニュース」砲撃シーンの記憶がもとになっています。
*イメージボードとひとくちに言っても、様々なアプローチがありますが、私が主軸とするのは「完成映像に直結する」イメージボードです。線はラフでヘロヘロでも、明暗や色彩の明確な道標となるものです。普通はその逆で、線画はバッチリ描いて、色はテキトーに淡彩でつけるのが多いですよネ。‥‥でも、どうせ線画は本番で徹底的に描くわけですから、イメージ作りの初段階は「どんな全体像になるのか」、方向性を示した方が有効だと思っています。「どんな雰囲気の画面になるのか、実際の素材が上がってみないと想像できない」‥‥なんて、危う過ぎますからネ。


また、ベクタートレス線は1990年代から存在する技術ですが、これも最近まで「ガン無視」状態でしたネ。以前にスナップショットを公開した4Kの「ベクターの少女」(キャラだけでなく背景もベクターで表現する)は、実は1990年代からの長〜い延長線上にあるのです。

下図は、まだ4Kを強く意識する前のテスト画像で、鉛筆線をベクタートレスに変換してペイント&コンポジットしたものです。


*4Kに目が慣れてくると、2.5Kでもボケて見えてくるんだよね‥‥。描線がボヤッとしているのが、判別できるようになって‥‥。軟調効果とは違って、単純に描線がボンヤリするというか‥‥。60pも体に馴染んでくると、30p以下の動きとすぐ見分けられるようになりますよネ。

寸法は横幅2.5Kで(縦は全身サイズなので7000px)、4K主眼の今となっては解像度不足です。まあ、全てベクターなので、劣化なしに4Kにアップする事も可能ですが、この頃(2010年前後)はベクターの扱いが今見ると雑で、色々と直したい部分があり、なんとなく放置したままです。‥‥あと、私が幼顔の可愛いキャラを描こうとすると、単なる女児になってしまうので、その辺も手を止めてしまった原因ではあります‥‥。

ベクタートレスは、様々な有効活用法があり、現在の「デジタル作画」ブーム(?)で多少は光が当たり始めていますが、取り扱いのコツを得られないまま、再び消沈する可能性は大きいです。ベクタートレスは独特なクセの強い風合いになるので、何にでも使える万能のトレス線ではないですが、私は作風によって使い分けていこうと考えています。
*上図の女の子は、「図形」ではなく、「描いた味」を持ったベクタートレスのテストでもあります。

また、「トレス線にペイント」というごくありふれたアニメのセル素材で、どこまでツッコんだ表現が可能か‥‥も、今や忘れ去られた技術です。

下図は、硬調の写真ライクな絵作りを試したみたもので、上の女の子と同じ時期に作ったものです。全然、絵のテンションが違いますが、ソレが開発期間と言うものです。同じく2.5Kで作られており、今となっては低解像度‥‥ですネ。コンピュータで動きを作る方法に完全シフトする頃のテスト画像です。

イラストのような技法は使わず、セル塗りされた素材を元に、After Effectsだけでどれだけ作り込めるか‥‥の実験も含まれています。特効的なブラシワークは一切使わずに作るのがミソです。キャラの全作画に1枚ずつ特効を入れるなんて、無理過ぎますからネ。撮影とビジュアルエフェクト、そしてグレーディングを駆使すれば、似たような雰囲気の絵は現業界の「作画描き送り」のフローでも可能です。‥‥でも、金はかかりますけどネ、相応に。



トレス線に微妙なニュアンスが必要なので、レタスですと240〜300dpiは必須(最終出力2Kの場合)となります。‥‥多分、この時点で今の業界のスタミナ的にはNGでしょうけども。
*4Kにおいては、線の表情をレタストレス線で出すには、400〜600dpiが必要となり、「冗談も休み休み言え」と瞬時に却下でしょうネ。

加えて、上図のような極端にスタイリッシュな絵作りは、画面設計無しでは不可能です。皆が別々に作業して出来上がった素材を組み合わせるだけでは、単に「素材を重ねた絵」になるだけです。どんなにフレアやシャドーを撮影で足しても、根本から設計されている画面の雰囲気を作り出す事はできません。しかし、現在の劣化してしまった制作スケジュールで、画面設計など入れる余裕もないでしょう。

もし、Blood(2000年劇場版)での画面設計や、イノセンスでの細かなニュアンスの技術やビジュアルエフェクトの手を緩めずに、現在まで発展させ続けていたら、どんな絵・映像が実現できていたか‥‥は、今はもう、想像するだけの幻です。

技術を育てるには多くの時間とお金とヒューマンパワーが必要になりますが、捨てて失うのは瞬く間です。若いスタッフは自分らの現場に、つい10〜20年前に様々な技術が開花していたことを、全く知り得ません。「劇場作品のクオリティって、どうやって作れば良いの?」と、技術の断絶を経験した若い人も多いのではないでしょうか。技術に限らず色々なものは、育てて作り上げるまでは大変でも、喪失する時はあっけない‥‥ものですよネ。

でもまあ、様々なものが蔑ろになったり消滅したりすることで、レリーフのように凹んだ刻印となって見えてくる事もあります。その刻印の示すところを活かす事ができれば、未来も「切り開いていける」と私は実感しています。これは30年間、映像だけで生き続けているリアルな感覚としても。

今の主流・自流に乗っていれば大丈夫なのか。‥‥それは30代の前半までに作業者が順次辞めて故郷に帰るような状況を鑑みるに、決して「YES」とは言えないように思います。

タイムシートを廃止した理由

新しいアニメーション技法と制作システムにおいて、旧来のタイムシートを廃止した理由は非常に明快です。秒間48コマならまだ何とかなるかも知れませんが、60、96、120などの秒間コマ(フレーム)数のタイムシートは、現実的に運用が難しいからです。もっと根本的な事を言えば、実質、48以上の秒間コマ数を作画スタッフが必要としていないのなら、タイムシートが存在する意義がないからです。

日々の会話の中で耳にする、同業者さん達の見解としては、1秒間24コマ以上の作画による対応は難しい‥‥というものです。つまり、作画描き送りのシステムは24コマフィルム由来の24fpsが最終版となり48fps以上はDiscontinue、タイムシートも同じく48fps以上はDiscontinue‥‥なのかも知れません。

私は様々なモーションをコンピュータで動かす事をメインに考えているので、動画枚数の制約はありません。24コマでも当然24コマFullで動かせるのですが、わざわざ1秒間8〜12fpsに制限しているほどです。「ジョバンニの島」で使った際も(暗雲をバックに木々が暴風に揺れるカットとか)、周囲とのマッチングを考慮して、8fpsのわざとカタカタした動きに制限しました。「リミッター」を外せば、原理的には2400fpsでも可能なわけです。(After Effectsは99fpsまでしか対応してませんがネ!)

そんな新しい状況の中、A1,A2,A3,A4,A5....なんて動画番号をシミュレーションして記述する必要がないので、タイムシートを廃止したのです。ただ、タイムシートの原動画部分は廃止されても、他の部分は伝達事項の具体的記述として必要なので、仮に「アクションシート」というものをテーブル(表)型で作り、データにて伝達していく方式を採っています。

原画・動画の記述欄は「演技(Action)」という欄に変わり、任意のツリー構造を持てる横書きの表にて表現されます。テキストツールはもちろん、ラインツールなどを用い、演技のメモを記述してカット全体の動きを関係者が把握する手立てとします。もちろん、セリフやカメラワークなどの記述欄は旧来から継承されます。

表のグリッドは、使いやすい任意の分割にすればよく、お好みならば24分割にする事も可能です。しかし実際は、REAL=実数で扱われるので、あくまで「目安」です。

紙に印刷する事はないので、ディスプレイの広さを十分に活かした展開が可能です。紙で印刷できる体裁にしちゃうとさ‥‥、いつまで経っても、プリントアウトしちゃうじゃん? トップやヘッドの人間たちが安易にプリントアウトを求めず、むしろ率先して拒絶すれば、現場も徐々に変わると思います。若い人間がいくら工夫しても、上の人間が石頭だったら、状況は一向に変わらんですからネ。

ただ、映像のタイミングというのは、時には(多くは?)「パンチ」と言うものが必要です。あえて4〜6コマ止め(24fps換算)を挿入して故意に「目に引っ掛からせる」事も常套テクニックの1つです。別カテゴリにはなりますが、動きが速い時になんでもかんでもブラーをかければカッコよくなるわけではなく、あえて目に残像を残すテクニックもあります。ですので、新しい「アクションシート」には、「停止」モードの記述ももちろん可能となっています。

新しい作り方には、新しい作業フォーマットが必要。これは言い換えれば、今まで必要だった作業フォーマットの要素が不要になる事でもあります。

ちなみに、作品制作で逐次発生する様々な事柄は、新しい制作技法ではほとんどがデータ形式となりますが、これは「アーカイブ」の観点から見ると非常に「危うい」状態を意味します。デジタルデータはあまりにも脆いです。10年前に使っていたSorenson Videoのコーデックが10年後に再生できるのか疑わしいですし、MacOSのデフォルトだったPICTは今や標準サポートされていません。デジベやHDCAMのデッキはあと何十年、保守していくのでしょうか。

ですので、新しい制作技法では「最低、何をアーカイブするか」を踏まえて、システム作りを進めています。After Effectsのプロジェクトを保存したがる人も多いですが、AEPなんて10年20年とアーカイブに耐えるシロモノではありません。もしAEPをアーカイブするなら、ソフトウェアは全てスタンドアロン(ネット認証の無い)のものをインストールした環境一式を「モスボール保管」しなければなりません。

つまり、何から何まで残すのは無理なので、「残しておきたいもの」を明確に定義し、そのアーカイブは定期的に再生し保全を確かめ、状況によっては他のフォーマットへ変換して「母体を乗り換える」事が必須になるでしょう。ハードディスクをダンボールに詰めただけは、ほとんど意味がないのです。また、「100年プリント」ではないですが、あえて紙媒体に出力して、「アナログの強さ」に頼る事も必要になるでしょう。設定類とかはデータと同時にプリントも一式必要だと思います。最近、物置の奥から出てきた(そしてまたしまった)30年前のガンダムZZの設定(コピー機による配布物)はインクが崩壊することもなく、昔の姿を留めていましたからネ。

話をタイムシートに戻しますが、そういったわけでタイムシートは、描き送りではない新しい世界においては存在意義がなくなるので、(私が考えるには)必然的に廃止されるのです。ただし、その代わりに新たな「伝達手段」が必要となります。また、それらデータをどのようにアーカイブしていくのか(「しない」という選択肢も含め)、運用上の強いポリシーが必要になるでしょう。

デジタルが楽だ‥‥とか言ったヤツは、どこのどいつだ‥‥。上澄みだけ舐めてれば、そう錯覚するだろうけど、全部ひっくるめて考えれば、アナログより大変ですよ。確実にネ。

でもまあ、それに見合うだけの大きな「収穫の喜び」があるので、私は新しい路線を目指すのです。

旧来技法をナメるべからず

私は新しいアニメーション制作技法とシステムを自分の主軸に据えていますが、だからと言って、旧来の技法を見くびったり貶しているわけではありません。むしろ、学ぶべき多くの事が内包されており、先人への畏敬の念は深まるばかりです。

例えば、前回書いたタップ。タップの形状は、非常によく練られており、とても使いやすいように作られています。アートカラー社のよく見かける銀色のタップは、突起部の寸法や形状が絶妙で、作業性の高さを誇る‥‥のですが、どれだけの人がそれを認識しているかはナゾです。恐らく、現場に昔からあるので、大して気にもとめていないのではないでしょうか。

*元はアメリカの規格だと思われますが、タップ本体が上図の態(てい)に落ち着いた経緯は知り得ません。

私はISO838と888に基づいたタップを試作した事があるので、しみじみ実感できるのですが、「よくある銀色のタップ」は材質・形状・寸法(おそらく製造コスト面でも)において、考え抜かれています。開発者の方に話を聞いたわけではないので経緯はわかりませんが、たまたま作ったらこんな感じになった‥‥わけではなさそうです。

例えば寸法ですが、穴の大きさや間隔などは規定通りだとしても、突起の高さは自由に設定できるはずです。しかし、なぜ、あの高さ(上図参照)なのかを考えてみた事はあるでしょうか。「作画用紙をたくさんセット出来た方が便利」だと思いがちですが、実はそうではありません。「作業しやすく枚数もほどほどにセットできる、良いあんばい」があるのです。

突起の背が低いと重ねる紙の枚数が少なすぎ、高いと紙の脱着が異様にしづらくなります。実際に自分で突起の背の高いタップを作ってみたので解るのですが、紙の抜き差しのストレスが高くなるとイライラが増して絵の内容にまで影響しかねません。

そして、形状。滑らかに球面処理され角取りされた突起は、作画の効率と深く関係します。実は突起の形状は、生産性に直結するのです。以下はその模式図です。

突起が円柱のままの場合


突起に球面処理が施してある場合



プロのアニメーターになると、紙をタップにセットする際に、いちいち丁寧に位置合わせをしません。サッと棚から紙を出して、サッとタップにセットして、即座に描き始めます。その際に、中央の穴にうまくはまらないとストレス満載になります。

球状の突起は、多少中心から外れていても、円滑に紙の穴を中央へと導いてくれ、しかもタップ穴の破損(用紙の穴が裂ける)を防止します。アマチュアの方の作った「自作タップ」の多くは(私が見たことのある全てにおいて)、突起部は円柱を切断したままになっていますが、それだと作業のストレスと用紙へのダメージの両方を延々と抱え込む事になります。

タップ一本、突起部の形状だけで、これだけノウハウがあるのです。

私は前回、「タップを使わない、新しい作り方」に触れましたが、タップそのものではなく、作業性を追求するその姿勢や思想は大いに受け継ごうと思っています。先人が知恵を絞って作り出した様々な技術は、表面的な複製としてではなく、「ものを生み出す」バイタリティを継承すべきだと、私は考えます。

私が「旧来」と呼ぶように、「現業界の技術体系が歳をとっている現実」は誤魔化すべきではありません。しかし、技術においても「年の功」は存在し、「温故知新」の宝庫でもあります。学ぶべき事はたくさんあります。

新しい技術に浮かれて、旧来の技術を軽んじるような事があるとするならば、その軽率さは時代がいかなるものに変化しようと軽率であり続けるでしょう。つまり、技術の目新しさに踊らされているだけで、本質を見据えていない‥‥ということです。

旧来技術は、先人の工夫と知恵と努力の結晶です。今に生きる我々は、その結晶を切り崩して切り売りすることばかりを考えてはいませんか? 先人と同じく、知恵と工夫で何か新しいものを作る努力を積んでこそ、同じ高みに立って未来を見据える事ができるのではないですか?

ヌボーと他人事のように旧来技術を受け止めるのではなく、その素晴らしさを肌身で実感する事ができれば、新技術の素晴らしさをも自然と享受できる‥‥と思うのです。

作業のフォーマット

作業を進める上での様々な決め事や手法、段取り、コツというのは、事前に計画することはもちろん重要ですが、実際に作業をしてみて解ることも多いものです。当初は予想もしなかった大変革に至ることも珍しくありません。私の準備中の新しいアニメーション技法はまさにソレで、タイムシートやタップ穴まで廃止するに至るとは、考えてもいませんでした。

Bloodの2000年劇場版や、イノセンス、そしてホリックやテニプリ(共に劇場版)の撮影監督を経て、「短いプロモーションフィルムなら、ごくわずかの人員でも映像を完パケできる」と実感したことから、今に繋がる新しいアニメーション技法はスタートするのですが、その頃の作業フォーマットのイメージは「極めてコンパクトな従来型アニメ現場」であって、原動仕や背景美術、撮影、編集などの旧来フォーマットを継承するものでした。セル絵具やフィルムの保持・管理が必要ない利点を活かし、さらにはコンピュータ上での作画要素も盛り込むことで、格段にコンパクト(=特にコスト面において)な現場での制作が可能だと思いました。‥‥もしかしたら、今のアニメ業界はこのあたりを何となく目指しているのかな‥‥とも思えます。何故かと言うと、「旧来の延長線上で考えやすい、進化のベクトル」だからです。

そうした中、私はまず、タップの規格変更を模索してみました。アニメ作画用紙のあの3穴タップは、日本においてはアニメ業界以外では目にしないもので、これをもっと標準的な仕様に変更できないか、色々と模索してみたのです。標準的な仕様に変更すれば、「コスト的に割高な3穴タップに縛られなくなる」と思ったからです。ISO838という国際規格、もしくは4穴の888を使って、容易に作画用紙が作成できることを目指したのですが、結果は惨敗。ISO838は寸法のマージンが1ミリもとってあり、精度において全く使い物にならない規格で、私の期待する6ミリピッタリの穴を市販の機器に求めることは無理だと悟りました。穴を開ける側だけでなく、綴じる側にも精緻な工作精度が求められるので、突き詰めていくと結局は「新たな独自規格」に基づいた「新たな機器と道具を作る」事となり、「国際規格を使ってローコスト化を狙う」主目的と全く逆の結果になってしまう事が明らかになりました。
*ISO838は、「紙を束ねるため」の規格であって、「紙をピッタリ合わせるためではない」のです。その規格に頼ろうとした私が悪いのです。
*現在のあの特殊なタップ穴
(欧米の小学生が学校で使っているのをテレビで見たことがあるので、何らかの規格なのでしょう)は、実は非常に優れている規格なのです。位置をたった1点(=中央の穴)で保持し、回転方向のズレを左右の横長の2点でスタビライズする‥‥という。新しい規格を作るくらいなら、割高でも今の規格の乗っておいたほうが「無難」なのです。

その次に、タップ穴の「デジタル上での取り扱い」に直面しました。タップ穴を基準に作画しているので、当然、コンピュータでもタップ穴を受け継ぐ基準が必要になります。複数台のスキャナに0.1ミリ以下の精度で等しくタップを貼り付けられるわけもなく、レイアウト用紙をスキャンするなどして、コンピュータ上で適宜調整して位置を合わせることになります。スキャン1回ごとの位置ズレも、スキャナ本体ではなくソフトウェアのスタビライズ機能で位置を合わせる事になります。でも、スキャンならまだましで、プリントアウトになると、その手間は最悪です。

同じ時期の2007年頃くらいから、本格的に「コンピュータで絵を動かす」ことを実践し始め、いくつかの作品でも(全く公にはしていませんが)成果物を出し始めた頃、ふと「なんでこんなにタップに振り回されているの?」とヤケにクールに客観視できたことがありました。成功しやすい場面を選ばず、失敗すやすい場面を選ぶ、その段取りの悪さに。

精度を求める場面では、コンピュータ上の作業で決着すれば良いのです。なのに、精度を出しにくい場面で、あえて精度を出そうと苦しんでいる自分が、滑稽に思えたのです。紙の切り貼りやタップ穴で位置合わせするよりも、コンピュータ内部で1ピクセル精度で十字キーイッパツで合わせたほうが、作業も容易で短時間、精度も高いのです。こんな解りきっている事に何故気づけなかったのか‥‥。私は当時、「紙で作画するのは、タップが必要」というある種の「呪縛」から、離れられなかったのです。今だと、とても不思議に思えるのですが。

必要なのはタップ穴ですか? 意図通りの位置に絵を配置できることが必要なのでは?

現在メソッド化を進めている、新しいアニメーション制作技法は、タップ穴は存在しません。もちろん、タップを使って作画しても良いですが、システム上にタップ穴は存在しません。しかし、初段階のレイアウトフレームの設定は重要で、継続する各作業の絶対的な指針となります。位置合わせはコンピュータ内部では厳格ですが、紙は単なる「インプットメソッド」であり、たとえ1枚ごとに大小の誤差が出ても、最終的にコンピュータで決着するので構わないのです。紙で「アウトプット」しても当事者(=ここが重要)が再度インプットして位置を合わせるので、フロー上で問題が起きません。
*ですから、紙を使いたい人は、スキャナの運用法を身につける事が必須で、新技法においてはスキャン&プリントのメソッドも準備しています。

現在、自前で制作しているプロモーション映像の制作においては、紙を使う場合はおもむろにA4用紙(市販のコピー用紙)に描き、スキャンしてPhotoshopやAfter Effectsで作業して位置関連をフィックスさせています。高速なドキュメントスキャナで読み込むので位置はズレまくりですが、コンピュータ上で位置を合わせれば何の問題もありません。スキャナは文字通り「スキャン」するための道具で、「位置合わせする道具ではない」のです。

線画の最終品質においては繊細な線質をスキャンできるフラットベッドスキャナを使用し、A2〜A3相当の大きな用紙サイズで「原稿」(「原画」と書くと既存の原画工程と混同するので、今はあえて「原稿」と書きます)を作りますが、プリンタ・スキャナに対しては位置合わせの精度を全く求めないメソッドとなっています。プリンタは「データを紙に印刷する機器」であり、スキャナは「紙媒体をデータ化する機器」なのですから、苦手な位置合わせは作業フォーマット上の工夫で解決すれば良いのです。



*「厳密な作業フィニッシュはデータ上にある」と考えれば、スキャナやプリンタに過度な精度を求めなくても、円滑に作業は進みます。スキャナとプリンタを「作画作業における過渡的なIN/OUT装置」と捉える事ができれば、精度に苦しむ事はなくなり、普及価格帯の機器類が頼もしい相棒に思えてきます。‥‥これは、つくづく、実感する次第です。

つまり、精度を求める作業は、コンピュータ上でおこなうわけです。機器の性能からして、とても合理的です。旧来のアニメ制作フローで不合理ならば、フローを改革すればよいだけです。‥‥まあ、それが現業界では簡単にはいかない事も承知ですが、だからこそ、新しいアニメーション技法・制作システムなのです。

要は、作業フォーマットというのは、「人材やツールの長所を活かすべき」であって、「性能的な短所に対し、時間と労力を割くべきではない」と考えています。

芝居はすごく上手いけど、爆発はちょっと大人しい‥‥みたいなアニメーターに、ド派手でカタストロフィなエフェクト作画を発注してリテークを出し続けますか? もしそんな事があったら、発注する側にも問題があります。‥‥それと同じことがコンピュータと周辺機器の使い方にも言えるのです。

人もコンピュータも、能力を引き出す作業フォーマットやリソース配置があってこそ‥‥ですよネ。

とまあ、今だと何のひっかかりもなく、このような事が言える私ではありますが、少なくとも10年前は旧来フォーマットの呪縛の中にいて、タップやタイムシートがなくてもイケる‥‥なんてセリフは出てきませんでした。アニメーターにとって、タイムシートはタイミング感覚の牙城‥‥のように考えていましたからね‥‥。今だったら、「そのタイミング感覚を、無段階の時間軸上で、キーフレームで表現すれば良い」と簡単に言い放てるのですが、昔はそこまで思い切れなかったものです。

ゆえにこの記事の冒頭の「実際に作業をしてみて解ることも多い」に繋がるのです。

コンピュータや周辺機器のスペック、ソフトウェアの機能説明だけをいくら聞いてても、「実際にやってみないと」解らんものです。もし、次世代もアニメを作り続けたいと思うのなら、必要なのは、何よりもまず「やってみること」ですネ。‥‥じゃないと、作業のフォーマットなんて、見えてきません。

ですから、たまに目にする「未来のアニメの現場は云々」という話題は、「触りもしないうちに、作業フォーマットの心配を始めている」ようで、少々滑稽に思えます。例えばバイクならば、免許を取らないうちに、バイクの実際の性能とその劣化、運転の際の体の重心、交通状況、転倒した時の病院の手配まで気にしているような状況です。‥‥耳年増にならず、直に乗ってみれば色々と解る‥‥って。

物事はリサーチだけでは左右できません。実際に使う当事者の実感がフィードバックされて、作業フォーマットは形成されていきます。そして、今回はその当事者の中心がアニメーターでもあるのですから、作画のアウトサイダーがどんなにリサーチやテストをしても、状況は見えてこないと思います。アニメーターが自分の意思でアクションできるか否か‥‥で未来の姿も変わるでしょう。「デジタルは苦手」とばかりに、お膳立てができるまで待っていると、作業フォーマットのフィードバックがままならず、やがて「時を逸する」事態へと悪化するかも知れません。

18年前にも感じたことですが、常識人が安全圏に留まり物怖じしている間に、「冒険者」たちはオセロゲームの4隅を固めていくのです。私が気になるのは、業界の流れどうこうよりも、業界内外に潜在する「他の冒険者の動き」です。流れなんて、石の置き方で簡単にかわっちゃいますからネ。

 

ガレバンとMain Stage

iMac 5Kを購入したのは、4Kの自主研究の為ではありますが、4GHzのi7を積んだ高速マシンでもあるので、ちょこちょこと他の用途にも使っています。Sim City(ゲーム)とか音声処理関連とか。

その中でも特にGarageBandは、学生などのアマチュアの人々に活用を勧めているソフトウェアなので、勧める手前上、日頃からチョイチョイ使って体に馴染ませています。「Macを買うとついてくる」無料(=本質的には無料ではないでしょうけど、体感上)のGarageBandは、気軽に小規模アニメーション作品の音関連にも活用できるのが良いです。

GarageBandはクオリティの高い音源をそれなりに多数持っているので、すぐにでも音楽制作を始められるのですが、音源の趣向がポピュラー&エレクトロニカ寄りなので、サントラやオーケストラ楽曲には不向きです。管弦楽の装備はあまりにも薄い。

最近、フランスやイタリアのオジさんたちが、70年代アニメソングを楽しそうに歌い倒しているのをYouTubeで見て、私もお遊びで70年代アニメサントラをGarageBandで作ってみよう‥‥と思ったら、のっけから楽器数が少なくて挫折してしまいました。

GarageBandはその昔、「JamPack」と称した追加音源が購入可能でしたから、それに当たる何かがないか色々と調べていたら、「Main Stage 3」というApple製のソフトウェアに「JamPack」を始めとした音源が大量に同梱されている事が解りました。しかも、値段は3,000円。‥‥相変わらずの価格破壊ぶりです。

音楽ソフトウェアは、音源をライブラリとして共有しているので、Main Stage 3をインストールするだけで、GarageBandは「棚ぼた」で多数の音源を使えるのです。

早速購入し、40〜50GBの追加コンテンツをダウンロード。管弦楽方面で貧弱だったGarageBandが一挙にゴージャスな環境へと生まれ変わりました。

オーケストラの打楽器関連は、鉄琴と打楽器詰め合わせしか無かったのが‥‥


50GBの音源追加により‥‥


ティンパニや木琴などが増えて、管弦楽基本セットがガレバンに実装されました。



どんだけ楽器数が増えるかというと、例えば弦楽器だったら、初期状態のGarageBandが2〜3個しか種類がなかったのが、弦5部ごと、レガート・スタッカート・ピツィカート・全音トリル・半音トリル・トレモロ‥‥と、30種類が使えるようになり、さらには「ストリングス」括りの音源(=弦楽全体イメージの音色)も増えます。いっぱいありすぎて、「検索」機能で探さないと、どこに何があるのか見つからない事も。

‥‥なので、GarageBandで音楽制作をするのなら、Main Stageは必須のアイテムと言えます。極端に出来る事が増えますので。

ちなみに、Logic Proを買おうと思っている場合は、同内容の音源がLogicにも付いているので、Main Stageは購入不要です。あくまで、GarageBandだけでちょっとイジる場合に、Main Stage 3で格安なライブラリを手に出来る‥‥ということです。

試しに、トレモロ奏法で始まる有名な「白鳥の湖」、ティンパニがドンドコ鳴る「デビルマンのBGM」、そしてベーゼンドルファー音色で鳴らした「ワルツ・フォー・デビー」を、GarageBandで作ってみました。YouTubeは「自演」に限り著作権の面倒を見てくれるので、音声データの貼り付けではなく、YouTubeにアップして共有しました。


*お試しなので、あまり深くツッコんで作っていませんが、それでもこの程度にはなります。私はMT-32やTX81Zあたり(=1980年代終わり頃の音源モジュール)から始めたクチなので、技術の格段の進歩と低価格化に改めて驚きます。昔の話をしたらきりがないですが、20年前の1995年に似たような音を出そうとしたら、恐らく200万円はかかると思います。アナログミキサーや音源モジュールなど全部ひっくるめて。

何だかまとまりのない選曲ですが‥‥。デビルマンのBGM(大好きな三沢郷さん(故人)の楽曲)に至っては、どれだけの人が覚えているか不安ではあります。私はこのへんのBGMはずっと覚えてますけどネ。(キリッ

「白鳥の湖」は出だしの弦楽トレモロの音色やティンパニの連打(トレモロ)の音色、「デビルマン」はティンパニやミュートギター&スプリングリバーブの音色、「ワルツ・フォー・デビー」はベードルの音色が、「GarageBand+Main Stage 3」の真骨頂です。

オマケソフト+3千円でここまで出来るなんて、今はスゴいすねェ。昔は、ストリングスの音源を手に入れるだけで、結構なお金がとんでいきましたもんね。でもまあ、それでも、GarageBandが何でも出来るわけではなくて、色々な機能上の制約があります。
 
拍子を途中で変えられない=Jeff Beckの「スキャッターブレイン」(9/8と4/4が混在する)や、近代の管弦楽(ワーグナー楽曲〜トリスタンの「O diese Sonne」とか)は、現実的に無理ですネ。

トラックごとのトランスポーズ(移調)機能が無い
クラリネットやホルンなどの移調楽器のノートデータ管理が面倒(リージョンごとのトランスポーズや、鍵盤側のトランスポーズ機能で切り抜けられますが)


おそらく、拍子の中途変更のない、一般的なポピュラー音楽を意識した作り‥‥なんでしょう。それ以上の事がしたければ、Logicを買ってね‥‥という無言の催促なのかな‥‥。榊原郁恵の「めざめのカーニバル」(古くてスマン)はサビで3/4拍子に変わるんで(最近、ん十年ぶりに聴きました)、ポピュラーでもカバーできない事はそこそこあるとは思いますが。

しかし、拍子変更さえなければ、大体の事は出来ちゃうのも事実。After Effectsのキーフレームのように、トラックの音量やパンポット、各種コントロールチェンジ(サスティンペダルやビブラートなど)を扱えますし、強力なDSP(デジタル音声処理)も付属しているので、今どきのiMacがあれば、数千円の追加費用で、自主制作やパイロットフィルムの音源は作れなくもない‥‥のです。

GarageBand+Main Stageは、現在最も低価格で手に入る充実した音楽制作環境だと思われます。Macを買ったら、GarageBandだけでなく、Main Stage 3の購入もおすすめしますヨ。

ちなみに、「白鳥の湖」などの近代クラシック楽曲は、パブリックドメインの豊富な楽譜サイトでスコアを入手できます。ただまあ、PDFのままだと、演奏しながらのページめくりは難しいので、印刷版が欲しくなるとは思いますが‥‥。デビルマンとか、スコア自体が公開されていない(現存しない?)場合は、頑張って耳を鍛えて、耳コピしましょう。

共通の基準としての「撮ま」

「最近の若者は」‥‥と嘆くフレーズは、ネットの情報によると、5000年前のエジプトの象形文字にも書かれていたとか。‥‥まあ、それが本当かはともかく、どんな時代でも「耳にしがち」なフレーズです。太平洋戦争中、少年航空兵を指導する教官も、「最近の若いヤツは」と言っていたと聞きますから、昨日今日始まった話ではないようですネ。

「最近の若いヤツは、タイムシートの基本的な書き方も知らない」‥‥と言うセリフを聞いた事があります。私も撮影監督をよくやっていた2005〜2010年頃に、たしかに基本的な書き方が出来ていないシートを何度も目にしました。

しかし、タイムシートなどの記述が曖昧になってきている原因は、私の印象ですと、単に「若さゆえ」ではないように感じます。「出来なくてもしょうがない」と思えるような、構造的な重大欠陥が現在のアニメ業界に存在すると思うからです。

構造的な重大欠陥とは、タイムシートやフレーム指示などの「決めごと」を記した、「グローバルなテキストが存在しない」事‥‥です。

私が30年前に見た、映産労の手引書は、今はどこで入手できるのでしょうか。‥‥入手したとしても、フィルム時代の手引書ではあまりにも現実とズレすぎていますよネ。
 
「最近の若いヤツは、タイムシートの基本的な書き方も知らない」

「じゃあ、その基本的な書き方はどうやって知って、覚えれば良いのですか?」

‥‥さて、なんて答えれば良いのでしょう。
 
「動画時代に原画マンのシートの書き方を見て覚えるんだよ」

「作画スタジオの先輩がたに教えてもらうものだ」

「はあ、そうなんですか」と納得しちゃいそうになるかも知れませんが、よくジックリと考えてみましょう。それって、つまり、「見よう見まね」「口頭による伝承」という事ですよネ。「書き方が間違っている、いない」のジャッジが、「見よう見まね」「口伝え」の「記憶」を基準にしている‥‥という、何とも危うい状態を今のアニメ業界は続けているわけです。
 
「撮影さんに直に聞いてこい」

‥‥もっともらしい返答ですが、アニメーターの新人全員が撮影さんに聞いて回っていたら、どうなるでしょうか。撮影会社が遠くてすぐに聞けない距離にある場合は? 聞いた撮影さんごとに、微妙に内容が食い違う場合は? そもそも、原典が存在しない状況を放置して、各々自助努力による行動でカバーすべきなのでしょうか?

例えば、白バイ警官が違反車を取り締まる際に、「先輩から聞いた」「他の警官がやっているのを見て、真似た」なんていう基準で違反切符を切れるでしょうか。‥‥そんな無茶苦茶な事はありえないですよネ。

決め事・規約を確認する事と、ノウハウを先輩に教えてもらう事は、全く性質が異なる事を、教える側はハッキリと認識すべきです。

実際、以前に撮影監督をしていた頃、オーバーラップのシートの書き方が間違っているのを見て、書いた本人に正しい書き方に直してもらおうと思いましたが、ふと、「あれ? 正しい書き方の見本て、今だと何を参照したら良いの?」と気づきました。「書き方が間違っていたとしても、それをどうこう言える状態に、現在のアニメ業界はなっていない」と痛感したのです。

つまり、決めごとを基盤に敷いて各作業を流しているわりには、「決めごとを書き記した原典が存在しない」という、通常の感覚で言えば「あり得ない」状態が続いているのです。

世界中に手本が豊富に存在する、人体骨格や自然現象ではないのです。一般的な物事とはほど遠い、アニメ業界内で決めた「独自の決め事」なのです。そしてこともあろうに、その「決め事の出典が曖昧」なのです。

映産労のフィルム時代の手引書は、今では内容が古くなっているうえに、どこで手に入れたら良いかもわかりません。数年前まで見かけた「あずき色のデジタルアニメマニュアル」は、その後に立ち消えたのか、やはり入手困難で、ネットで公開している様子もありません(国立図書館には存在するようですが、現時点では電子化されていないようです)。

映産労の手引書以降、頼りになるテキストが不在のまま、現在に至るのです。

そんなある日、「撮ま」の話を、旧知の知人(業界在籍の方です)から聞きました。私自身、問題を認識しながら、身の回りの範囲にしか対処できなかった事もあり、即、参加しました。

私の感じる、「撮ま」の優れている点は、
 
  • インターネットで誰もが入手・閲覧可能
  • 添削協力者を募集しており、トップダウンではなく、出来る限りのコンセンサスを得ようとしている
  • 全体的に平易な言葉と図解で書かれており、初見で読解しやすい
  • 何かしらの営利団体の所有物ではないため、中立的立場にある

‥‥という点です。

アニメーターや演出は、「撮ま」を基準にしてタイムシートやフレーム指示を作業の中で実践すればよく、受け手の撮影スタッフは「撮ま」を「異なるセクション間の共通の基準」として活用できます。つまり、職種の異なる作業者間で「基点を共有」できるわけです。「撮ま」のスタンスは、あくまで「基本的な、作画・撮影間の手引き」であり、作品ごと・撮影会社ごとの独自技術までは干渉しません。つまり、技術の発展を阻害するものではなく、あくまでしっかりとした作業上の「骨組み」をかたち作る役どころであり、それ以上の「肉付け」は各社・各作品に委ねられている‥‥わけです。

「最低、何を守れば良いのか」すら見えにくい、コンピュータ導入後のアニメ制作。映産労のテキスト以来、不在だった「作業の手引き」。

その作業上の根本的な欠陥を、「撮ま」は修復しようとしている‥‥のでしょう。

何かしらのマニュアルを書こうとした人なら、その大変さは身に染みて解っていますよネ。しかも、不特定の大勢に対してのテキストとなると、配慮ゆえに多くの困難と煩わしさがつきまといます。‥‥ゆえに、私も、「とても手に負えない」と思っていました。無意識にでも、「いつか誰かが」‥‥と、甘えてきたのかも知れません。

しかし、そうした感情を抜きに、合理的な判断だけで考えても、「撮ま」の存在意義は大きいです。決めごとで動いている現場に、決めごとを記したテキストが無い‥‥なんて、極めて非合理なわけで、経験と知識の絶対量が少ない若い人間にとっては理不尽にすら思えるでしょう。

共同作業をおこなう上で、基準となる約束事・決め事を明記したテキストを、誰でも閲覧できる状態で公開する。‥‥この行為に何の不合理がありましょうか。ゆえに、近年の混乱した業界の問題点を認識する人々は、添削協力者を申しでている‥‥のではないでしょうか。

現在、誰でも入手可能な、「アニメーターのための撮影基礎知識」の手引書は、「撮ま」だけです。

例え何らかの手引書的なテキストがどこかに存在していても、閉じられた社内で流通しているだけでは意味がありません。業界の横のつながりで作業を助け合う大前提があり、その共同作業中に相違が発生しているわけですから、どんな作業者でも閲覧できて、その都度、決め事を確認できることが重要です。

「ノブレス・オブリージュ」なんて言うとカッコつけ過ぎですが、40〜50歳になる経験豊富なベテランや発言力を持つ人間が、果たすべき役割は存在すると思います。「今どきの若いヤツは」とボヤくばかりでは、状況は何も変わらないのです。‥‥と、40代の年男の私は思うのであります。

ノイズのちから

アニメーション作品の制作には、様々な基礎知識と基礎技術と同時に、様々な応用技術も必要になります。例えば、ノイズの使用法は、単にノイズをノイズとして使う他に、色々な使い道があります。

映像作品の場合、ノイズとは「画像の成り立ちを乱す」要素で、ザラつきやムラとして表れるのが代表的です。「画像の成り立ちを乱す」特徴を逆手に取れば、ベタ塗りのアニメキャラに発生しがちなトーンジャンプを抑制したり、フィルムグレインのシミュレーションも可能です。もちろん、ノイズ成分を混ぜ過ぎると、単にザラザラした粗雑な画像・映像になりますが、扱い方によって、様々に効果を発揮するのがノイズです。

以下は「ノイズ」そのものの画像です。



ノイズは「見たからにノイズ」‥‥ではありますが、もっと違う見方をすれば、様々な活用法が見えてきます。

例えば、ノイズは無作為な粒の集合体である‥‥と見れば、以下のような発想も生まれてきます。
 
「無作為の粒の集合体」ー「粒」=「無作為な集合体」

ノイズの粒ばかりに囚われ過ぎていると、ノイズの「無作為」な特性を忘れがちです。ノイズの持つ無作為でランダムな特性を引き出せば、以下のような映像素材が「ノイズをもとにして」作成できます。教材から抜粋した活用例を挙げてみます。

雨の素材


星の瞬き


水面の反射


コミック風の集中線(ソフトエッジ)


コミック風タッチ(ハードエッジ)


どれも「無作為さ」が必要となる表現ですが、ノイズを用いれば、その「無作為さ」をノイズが担当してくれるので、「大量に無作為に」という手間のかかる部分以外の「絵の作り込み」に労力を割く事が出来ます。ノイズを横に伸ばせば横長のノイズになりますから、好きなだけ伸ばして、マンガっぽいタッチにもなりますし、水面の反射にもなります。縦に伸ばせば、雨にもなります。粒の量はトーンカーブなどの色調補正で増減できますし、エッジの硬さはブラーで調整すれば良いでしょう。

After EffectsやPhotoshopには粒状ノイズの他、「雲模様」「フラクタルノイズ」というムラ状のノイズも用意されており、これらを含めれば、アイデア次第で無限の広がり‥‥と言っても言い過ぎではありません。例え素材が止め絵でも、After Effectsでスライドさせたり、輝度の共通範囲を用いれば形状の変化もアニメーションできます。

ノイズをどれだけ使い倒せるか‥‥は、応用力の指針とも言えますネ。

誰かが開発した有償のプラグインを購入して、雨や水面の反射を作るのも良いでしょう。しかし、ソフトウェアの基本機能だけをもとにして、自分のアイデア次第で映像を作り上げる「馬力」も必要です。誰かがプラグインを開発してくれなければ、途端に手も足も出なくなる‥‥なんて、いつかどこかで限界がやってくるものです。それに制作費や制作環境維持費は底なしではないですから、自力で映像技法を開発する「自己開発力」はどうしても必要になります。

こうした自己開発力は、出来るだけはやいうちに「身につけておく」のが肝要です。しかし、若年層のアマチュアは何をどうしたら良いかも解らない事もあります。私だって、中学生の頃は「レイアウトは何のためにあるのか解らなかった」ですから‥‥。

なので「自主アニメ制作のススメ」みたいな総合コンテンツも準備し始めてはいるのですが、時期的にまだ早いような気もしています。‥‥なぜって、今の業界標準の作り方とあまりにもかけ離れていて、色々と齟齬が「受け取り側」に発生しそうだからです。ものごとにはどうしても踏まなければならない順番があるので、こうして「部分的」に公開するにとどめています。

私がブログで書いている「点と点」が繋がるのは、もう少し先の事‥‥ではありますが、自分の鉛筆のように気軽にAfter EffectsやPhotoshopを使う「習慣」は、今からでも実践できる出来る事‥‥だとは思っています。


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