制限ばかりで何もできない?

現状のアニメ業界に「デジタル作画」を上乗せで導入した際の、様々な危険予測を前々回まで何度かに分けて書いたのですが、それを読んだ人の中には、「危険予測にがんじがらめになって、行動する前に制限ばかり設けたら、何もできないじゃないか。まずは行動すべし。」と感じた人もいるのではないでしょうか。

こうした考えは若さの特権とも言えます。「ぶっ壊れてもいいから、行動あるのみ」だと。‥‥実は、私も20代の頃は、「冒険をせずに仕事に腰掛けるオヤジたちは、言わば御隠居様か」とイキがっていたものです。たしかに、若い人間から見てそんな風に見えるオジさんは、いつの時代にも、どこにでも存在するでしょう。

でも、今の歳になって、オヤジと化した私は、「危険予測を入念におこない、制限や規約を設けても、結局は何でもできる」と強く確信するのです。様々な制約条件の中でも、冒険はできるのです。

「ぶっ壊れてもいいから、行動あるのみ」という考えは、自動車に例えていうなら、最低限の外装で安全装置を一切持たない、馬力とトルクだけの自動車を開発するようなものです。ちょっと接触しただけでグニャリと凹み、ドライバーを簡単に死に至らしめるような、パワーユニットだけが高性能の欠陥車。安全装置を外し、外装を薄皮ペラペラのアルミにすれば、恐ろしく軽量な車重となり、トラブルが生じない限り、最高の速度性能もしくは燃費を誇るでしょう。‥‥でも、そんな車、誰が乗るんでしょうか。喜んで乗るのは、パワーユニットだけに夢中になって視界の恐ろしく狭くなった、開発者本人だけです。

各種の安全装置を備え、様々なレギュレーションの中で、高性能を叩き出してこそ、プロフェッショナルというものです。

500馬力のエンジンを作っても、安全装置とレギュレーションが負担になって、実質400馬力しか出てない‥‥というのなら、650馬力のエンジンを開発して相殺すれば良いのです。もしくは、安全装置を軽量化する技術、レギュレーションを逆に活かすメソッド、馬力だけに頼らず足回りで平均速度を上げるドライブテクニック‥‥を総合開発すれば良いのです。

でも、若い頃はキャパが狭いので、自分の身近で手の届く、馬力ばかりに依存するのです。

それに‥‥です。制約条件というのは、逆に頭角を表すチャンスでもあるのです。制約条件をクリアして、何かを成し遂げた‥‥という事は、相当にその本人やグループに経験値と技術力が備わったという事であり、放っておいても「周りから突出して目立つ」ものです。似たようなグローバルな制約条件を持った競合に対し、アドバンテージを獲得したという事なのですから。

なので、「デジタル作画」における制約条件や障害を、逆に反動として強いプラスエネルギーへと置換し現場に還元できる人が現れたら、もしかしたら「デジタル作画」はうまくいくのかも知れません。‥‥が、前にも書いたように、その人は「ジョンコナー級」の人でしょうネ。

私の進める新しい技法は、周囲360度、制約と障害がもの凄く大きいので、鏡像として、その絶大なパワーが見て取れるのです。しかしながら新技法の特性である、枚数無制限で巨大解像度、スタイルが縦横無尽、少人数規模といった要素は、単なるパワーユニットです。その大馬力パワーユニットから伝達されるエネルギーが、システムをどのように動かし、外部に解き放たれるのか‥‥を想像した時、大きな冒険心が「ものつくりの魂」を掻き立てるのです。

絵を描くとき、目や口や髪型だけにしか興味をもてませんか? 服やそのシワの描き方、腕や足、爪の描き方、全体のポーズ、コントラポストにも興味が湧けば、全体で絵のかっこよさ・可愛さが表現できますし、まさにそれが絵の醍醐味ですよネ。顔だけでなく、様々な要素でキャラの表情や雰囲気を描けるようになった時、「オレ(ワタシ)って、上手くなったかも」と実感できるんじゃないでしょうか。まさか、「自分は顔だけを描きたいので、服や体を描くのが、自分の中では障害・制約になっている」なんていう人はプロの絵描きにはいないでしょう。

広い視点で観念的に見渡せば、当座の制約条件や障害は、実は「美味しさを引き出す隠し味」なのです。

私や識者の方々が危惧しているのは、狭い視点で場当たり的に、現在の問題を改善せずにむしろ蓋をするような誤魔化しかたで、「デジタル作画」を導入しようとする機運を感じるからです。まさに「ぶっ壊れてもいいから、行動あるのみ」の「壊れちゃった場合」のパターンですネ。

ただ、「一度ぶっ壊れたほうが良い」なんて言葉を色んなところで耳にするので、それもありなんでしょうか‥‥ね? 私は、結構冷めた考えで、「一度ぶっ壊れても、強い何かが機能しない限り、新たに生まれる生態系も同じ姿に育つ」と思えるので、「焼け野原」論が善なるアニメ業界の新興に繋がるとは限らない‥‥と思っております。‥‥難しいですよネ。

あと、ここまで書いといてナニですが、「デジタル作画」に業界の「免疫力」を打ち負かすほどのパワーがあるのか‥‥も考えます。今までの論調は、「デジタル作画」を業界全体が受け入れた場合‥‥で考えていますが、それ以前に「免疫力」が作用して、受け入れ方を「体質に影響が出ないレベル」に抑える可能性もあります。「数社がコケた」のを見た後に、受け入れられる部分だけを受け入れる‥‥というネ。実際に現在でも鉛筆とペンタブが共存しているケースもありますもんネ。

とにもかくにも、まずは自分の足元。「デジタル作画」の性能を精査しつつ、「自分の現場」をどうしていくか‥‥ですネ。

フリーランス網

私の制作環境は、職場では大サーバ(社のメインサーバ)・小サーバ(ワークグループサーバ)、そしてローカルマシンのTimeMachineの3重のバックアップ体制が敷かれています。自宅でもローカルマシンのバックアップはもちろん、ローカルサーバ(Mac miniなどのコンシューマ機)にも完成物がバックアップされており、そのサーバ上でもローカルでバックアップ体制が敷かれています。それぞれHourly、つまり1時間ごとの履歴バックアップが敷かれており、「うわ、ヤベ!消しちゃった!」という人災にも、最低1時間までは「過去に戻れる」仕組みが作業環境全体に敷かれています。

なぜここまでバックアップ体制を敷くかと言うと、コンピュータは「データを喪失するのが当たり前」だからです。ズバリ言いますが、データは飛ぶものだと考えるのがよろしいのです。これは、20年間の「戦訓」です。しかしこの感覚を「デジタル作画」を始めようとするフリーランスのアニメーターに「即座に備えよ」と言っても無理です。原画上がりの紙束が、一瞬にして魔術のように燃えてなくなる‥‥なんて、ないですもんネ。

「デジタル作画に関する」という記事で書いた「トラブル事例」を読んで、不思議に思った人も居るかもしれません。「デジタル作画云々の前に、すでにデジタル化を果たしている撮影セクション等でも、同様に起こりうる問題でしょ。なぜ、デジタル作画だけ、そんなに問題視するの?」と。

この答えは非常に簡単で、撮影は会社の中でまとまって作業するゆえに、会社のサーバやシステム管理に守られていますが、フリーランスのアニメーターは、各地に分散しているがゆえに、守ってくれるサーバもシステムエンジニアもいないから‥‥です。アニメーターは現業界の状態では、ほとんどがフリーランスで、各社の作業を兼任しており、作業場所は作品ごとに移動することも少なくありませんし、自宅で作業する人も多いです。サーバもシステム管理スタッフも、当人の作業環境や成果物を守ってくれないのです。(サーバに成果物をアップした後は安心できると思いますが)

撮影・VFXスタッフにもフリーランスは存在しますが、アニメーターのフリーランス人口とは比べものにならないほど数少ない存在です。そして、そのフリーランスのスタッフも、社内に入って作業する事が多く、その作業マシンはセクションリーダーとシステム管理スタッフによって、性能や装備を吟味され、最低でもミラーリングのRAIDなどのバックアップ措置が組まれます。私のグループの場合はHourlyバックアップを標準仕様としています。

そしてさらには、10年以上のキャリアを持つようになると、例えフリーランスでも「バックアップ体制無しに自宅作業する事はない」のです。皆、経験を糧としていますからネ。仮にバックアップ体制無しに作業している場合は「リスクを覚悟」しておりデータ喪失をマシンのせいにする事はありません。コンピュータを「故障しないもの」と考えるような人間は、10年もしないうちに前線から離れております。なぜって、そんな心構えでは、作業に耐えきれないからです。

では、仮にフリーランスのアニメーターが、今まで通り、自助努力で自分の作業環境を維持することになったら、どうなるでしょうか。

以前にも書きましたが、もし自宅でアニメーションの制作作業をする場合は、バックアップは必須です。一例を書きますと、1TBのFusion Driveがシステムだとして、ワークエリアが2TB2個をストライピング(分散書き込みと読み込みで速度重視のRAID)、‥‥という事は合計5TBで、バックアップには少なくとも同容量の5TBのハードディスクが必要になります。その他、自分の「Bank」を貯めておく低速でも大容量の領域も欲しくなるでしょう。つまり、総量で10TB前後のハードディスクに対する「健康管理」をおこなうスキルが必要になるのです。ハードウェアを整然と動作させ、何かトラブルがあった時には、即時対応できるスキルが必須となるのです。

10年20年選手なら、「みなまで言うな。わかっとるよ。」と言えるでしょうが、「ネットやメール、イラストを描くくらいならPCを弄ってきたけど、業務では初めて」という人々も、同じ舞台に立たされるのです。

つまり、フリーアニメーターが自宅で自力で業務を維持するには、システムやマシンのメンテナンスのエンジニアを兼任する‥‥ということになります。アニメの統合制作環境をインストールしただけでは済まないのです。

「デジタル作画」を現アニメ業界の「アニメーター・フリーランス網」に上乗せするのなら、アニメ撮影会社やCG会社と同じ思考では語れないのです。各地に散らばったフリーランスの「作業環境の保全や管理をどうするの?」という難問に直面します。「そんなのは自助努力で」と考える人もいるでしょうが、放映の1〜2週間前に作打ちをするような状況が各方面から聞こえてくる中、そんなセリフが言えるのでしょうか。

仮に、制作会社が社内に机を用意する、または環境一式を貸し出す‥‥という措置を取った場合、今度はシステム管理部が、格段に数の増えたマシンのメンテナンスに飛びまわらなければなりません。システムメンテナンスの24時間体制は必須でしょうし、人員増強も必要でしょう。「深夜は作業しない、させない!」「なので、深夜は自己責任」と言い切れる業界ならまだしも‥‥ネ。アニメの制作会社にはシステムエンジニアは平均的に何人いるのでしょうか。

ですから、私も、識者・経験者の方々も、「今の状況をそのままに、「デジタル作画」だけを導入しても、結構マズいことになるんじゃないの」と思わずにいられんわけです。何度も書きますが、コンピュータは、電源プラグをコンセントに差せばすぐに使えて故障もしない作画机とは違うのですから。

私が思うに‥‥ですが、もしアニメ業界の伝統を守りつつ、作画をペンタブに転換し、業界システムもゼロから作り直す‥‥みたいな事が出来るのは、ターミネーターの「ジョン・コナー」くらいの鋼鉄の意思を持った経験豊富な指導者だけでしょうネ。フィクションですみませんが‥‥。

でもまあ、「ジョン・コナー」の出現を待たずとも、社内レベル・作品レベルで「ゼロからシステムを作り直した成功例」を目指すやりかたもあります。業界を変えよう‥‥みたいな誇大な掴みかたではなく、自分の足元と周りから変えていく‥‥という地に足の着いた変え方‥‥とでも言いましょうか。

‥‥しかし、そのレベルでも「準ジョンコナー級」の強い意志は必要なんですが。

以前にも書きましたが、現アニメ業界のシステムの中においては、まずは自分らの現場の「改善」から着手すべきだと思います。改善のプロセスの中に、「デジタル作画」の組み込み方も見えてくるんじゃないでしょうか。

生産業の手本

私は今から6〜7年前に、何かの検索をしていた際に、前回ちょこっとリンクで紹介した「品質でもうけなさい」のWebページを発見し興味深く読んだのですが、どんどん制作状況が劣化していく現在のアニメ業界には「耳に激痛が走るくらいイタい内容」かも知れません。

以下、「こんな会社が改善に失敗する」からの抜粋は、目にも入れたくないほどの、キツい言葉だらけ‥‥かも?
*チャートをクリックすると、サイト主さんの本家ページにジャンプします。





 


2008年当時、この「品質でもうけなさい」のページを読んだ時、答え合わせが出来たのと同時に、まだまだ至らない点を指摘されているように痛感したものです。

私が「制作スタッフ」とは別の、明示的な「プロジェクトマネージャー」の存在が必要だと改めて痛感したのも、このWebを読んだ頃でした。このWebを見る前の10年前(1998年前後)、Blood2000年劇場版の「画面設計」とは、実は「画面作りのプロジェクトマネージャー」としての機能も併せ持っていたのだと思いました。Blood制作当時は「プロジェクトマネージメント」という言葉は浮かびませんでしたが‥‥。

絵作りの方針や動機付けを明確にし、各作業セクションのコミュニケーションを促進しつつ、各作業セクションの責任と権限を明確化し、各作業セクションの成果物を1つにまとめ上げるメカニズムを明示し、作品映像を完成へと誘導する‥‥という点が、まさに「マネージメント」だったわけです。

「船乗りは船に乗るのが仕事」かも知れませんが、「船はなんのために出航する」のかが、実は現場ではものすごく曖昧になりやすいのです。腕利きの船員たちは、自分の部署でのベストを尽くしますが、「この船が何の目的でどこに向かっているのか」をほとんど知らないのです。このことは、まだフィルムしかない頃、私が20代の半ばには痛感した事で、ゆえに「道標だけは示すべき」と思い「具体的なイメージボード」を作るべく、「リアルフォトショップ」〜つまり、濃く着彩したイメージボードを35mm一眼レフで撮影してボードとする取り組みを、25歳前後に始めたのです。

油彩や水彩などをゼロから描いていた身からすれば、アニメーターが線画を描けば、工程を進めるうちに色付きの背景美術とキャラクターが出来上がる‥‥というのは、とてもミラクルな事で、作業システムの凄さを実感したものです。しかし、業界で5〜6年働くようになると、「そのやり方では一定のラインまでしか到達できない」事も解ってきたのです。各作業のエキスパートの方々は、自分のテリトリーにおいて経験と技術で作業を完了しますが、同じ絵に収まる要素を分業しているのに、分業した各セクションは断絶した「他人の関係」である事も実感するに至ったのです。指針はメモ書きのような絵コンテの図と、監督・演出の口頭伝達のみ。絵全体や絵の中身のまとめ役・牽引役が誰も存在しない‥‥という不可思議な状態が業界標準であり、ゆえに強い意志を持った画面全体の明暗や色彩が、アニメにはほとんど存在しないのだ‥‥と気付くに至ったのです。

これは絵作りに限らず、制作スタッフの作品作りにも、同じことが言えるのではないでしょうか。以下、再掲。「経営者」などの単語のアニメ現場の布陣に読み替えてみてください。





みんな、なんとなく感じている事でしょう。このアニメ業界に10年近く居れば、誰でも。

しかし、こうして生産業のコンサルタントをされている方が「文字にして表す」と、ヘコむくらい強力ですネ。

私は「デジタル作画」を否定しているわけではなくて、要は「デジタル作画だけ、今の業界に導入しても、リスクの方が大幅に上回る」と予測しているのです。神頼みとして「デジタル作画」をとらえても、「デジタル作画」単体にはそこまでパワーはない‥‥と感じるのです。実は私の進める新しい技法も、それ単体では威力を十分には発揮できません。取り巻く全体のシステムとそのマネージメントが必要です。

「デジタル作画を導入したけど、キャラ設定はプリント配布」なんて、エクセルに入力する傍らでそろばんを使うようなものです(エクセルはそろばん・電卓にもなるのに、です)。「デジタル作画」を導入してリスクよりも利点を得たいのなら、制作システムやマネージメントの根底からの組み立て直しが必要だと思います。馬のお尻にナンバーとウィンカーをつけるような行為はヤメようよ‥‥と言う話です。

品質でもうけなさい」を読んで、ヘコむのなら、それは未来への可能性があるんじゃないでしょうか。だって、「ヘコめる」んですから。すなわち、改善や立て直しの「伸びしろ」が、ヘコんだ本人の中に潜在している‥‥という事ですよネ。

逆に「品質でもうけなさい」を読んで、悪態をついて怒りだすのだったら、救いようがない‥‥でしょうね。まさにそういう人がアニメ業界をここまで劣化させたの‥‥かな。

現在全世界で愛されているのは、今に至るアニメ作品の持つ作品性です。これは何1つ臆することなく、自信を持つべきです。先人や皆が作ってきたアニメが世界で愛着をもって迎えられているのです。だったら、各方面から「どんどんマズくなる」と聞こえてくる制作状況と体制を、どのようにしていくべきか‥‥は、棚上げしたものを全部下に降ろして、今一度見つめなおせば、自然と見えてくるのではないでしょうか。棚から下ろすのは痛すぎるのかも知れませんが、テレビでDBを3回もやるような状況も聞こえる昨今、もう逃げ場はないのと思うのですよ‥‥。

一方、新しい技法とシステムを考えている私の戦いは、まさに新しいものを人々に馴れてもらうところから‥‥です。60pのフルモーションはそれはもう、異質ですからね‥‥。

デジタル作画に関する:追記

前回のブログの「デジタル作画に関する」内容は、結局は「コストに直結する利点とリスクのバランス」の話と言えるのかも知れません。どんなものでも、必ずリスクがつきまといますから、リスクが存在する事自体は問題ではないのです。リスクを上回る技術的な特性が「デジタル作画」にあるのか無いのか、ソコなんですよネ。

ブラック業界などと揶揄されるほど、全体構造の問題が指摘されるアニメ業界に、より一層の負荷をかけてでも、「デジタル作画」を導入して得られる利点とは何なのでしょうか。‥‥少なくとも私が「デジタル作画」に自ら進んで関与しないのは、即答できる特徴的な利点が思い浮かばないからです。「それは画期的だ!」と思えるような利点が、見当たらないのです。

一方で、私がコンピュータを駆使した新しいアニメーション技法にリソースを注ぎ込んでいる理由、大きな利点は、即答できます。今までアニメでは出来なかった絵のスタイルで、動画枚数を実質無限で動かす事ができ、段階的にビデオ解像度の拡大(8K以降)にも対応でき、その作業が少人数で完結できるからです。この利点は言い換えれば、今までのアニメ業界では不可能だった事ばかりです。そして実は、業界の言う「デジタル作画」の特徴をも内包しています。(=コンピュータで描き絵を取り扱うのだから、カブる部分があるのは、当然と言えば当然)

なんらかの取り組み〜「戦い」というのは、当然ながら、「勝つため」に仕掛けるんじゃないでしょうか。「デジタル作画」に「これで勝てる」と強く思える要素があるのか、再検証してみても良いとは思います。その後、実行計画を見直し、小規模でテストケースを試した後に、勝てる自信がついたら大軍を動かす‥‥のでも。

もし、「時代の成り行き」云々や「会社の命令で担当に充てられたから」と言うのならば、そこには勝機は見えないですよネ。何だか、まるで先の大戦にズルズル引き摺り込また日本、‥‥軍人官僚が実態を把握しないまま(またはヘコみたくないので故意に視野から遠ざけたまま)、根性と決戦兵器に対し過度に期待し、結果、大負けした70年前を思い出します。孫の代に至っても、「進め一億火の玉だ」をやるつもり‥‥なのでしょうか。明確な「勝てる要素」を持たず、運や根性に身を任せるのでしょうか。

一生懸命やれば報われる‥‥というのであれば、なぜ昭和20年に日本は無条件降伏するに至ったのか。戦中、多くの人々は社会的な貧困にもめげず、一生懸命に行動していたはずですが、国としては戦いには負けたのです。それから70年後の今、「デジタル作画」に業界皆で一生懸命取り組めば、「勝てる」とでも言うのでしょうか。方針や計画そのものに重大な欠陥があった時、どんなに人々が一生懸命戦っても、全体としての戦いには負ける‥‥ということを、歴史からフィードバックしても良いと思います。

「死ぬと分かっていても、行動しなければならない時がある」‥‥というのは、ハーロックの名セリフですが、それは時と場合によります。「鷹は舞い降りた」の終盤、特務部隊のドイツ兵が、最期に死を覚悟して、連合軍の偽装ユニフォームを脱ぎ捨てドイツ軍人の姿に戻り、(捕虜となり死刑判決を受けるくらいなら)「戦って死ぬ」と言うシーンであれば、それもありでしょう。しかし、「大きな未来がかかっている場面」では用いるセリフではありません。
 
今の業界の作り方では、未来の映像コンテンツのニーズに応えられないことが判明して、慌てて何か手段を探る。それが「デジタル作画」だった。

‥‥地道に「コンピュータを使ってアニメを作る」ことを何年も前から実践していた人間から見れば、何と思慮の浅く、浮ついた行動に見えることか。おそらく、今回も「ニーズに迫られてしょうがなかった」と言いわけして、現場をより一層荒らす原因になるのでしょう。何度も何度も繰り返してきた過ちを、今度もまた。

しかし、識者たちの中には、「壊滅的な打撃を受け、焼け野原になった後で、新たな生態系が生まれる」ことに期待する見方もあります。私はもともと、業界のカテゴリから外れようと思っている人間なので、その辺にはあまり興味をそそられないのですが、もしかしたらそんな事もあるのかも‥‥とは思います。

極度に困った時、弱った時に、人は「必勝兵器」や「特効薬」を求めるものです。でも、地道なものつくりの現場において、そんなものは存在しないのです。技術の地道な積み重ねがまさに「秘密兵器」なのです。自動販売機のようにお金を入れたらゴロンと落ちてきて手に入るものではありません。以下のリンクのドキュメントは、随分昔に読んで、多くの箇所がアニメ業界の問題点と共通しているな‥‥と感じたものです。
 

まあ、今は各自ができるだけブレずに行動するしかないと思っています。「解っている」人たちは、準備を整えて、水面下でD-dayを待ちましょう。移行期とはそんなもの‥‥です。

 

デジタル作画に関する

コンピュータは金喰い虫です。買ったら一生使える机や、コンセントにプラグを差したら使えるライトや鉛筆削りと違って、初期導入費用と維持費に格段のコストがかかります。蛍光灯が切れたらコンビニか24時間スーパーで買えますが、ペンタブレットドライバの不具合はコンビニでは直りません。

日頃、色んな人と話しますが、「デジタル作画」って実は「業界にトドメを刺す」刺客なのかも‥‥と考える人は、そこそこいます。そう考える人は、コンピュータの幅広い可能性や美味しい部分と等しく、もしかしたらそれ以上に、コンピュータの厄介な部分、不味い部分を肌身で知っている人です。

なぜ、昔からコンピュータと深く関わりつつアニメ制作をしている人々が、「デジタル作画が業界にトドメを刺す」と思うのか。「現在の劣化した制作状況に対し、作画セクションまでコンピュータを導入したら、利点よりもリスクのほうが表面に出る」と予測できるからです。

 
何かのアップデートの際に、タブレットドライバがコンフリクトして動作しなくなったら、作画が一切できなくなるが、その際はどう対処するつもりか。
 
ハードディスクの故障はごく身近にある事だが、一週間後に放映が迫っているような劣化スケジュールの中、作業データを保存してあるハードディスクにトラブルが起きたら、フリーランスはどう対応したら良いのか。
 
各社の作品ごとに異なる使用ソフトウェアに対応するには、どれだけのソフトウェアの、どれだけのバージョンを取り揃えておかなければならないのか。
 
データのバージョン管理などの運用ポリシーが曖昧なまま、現在より格段に大量の、各作業者からの様々なデータを受け取って、若手の制作進行スタッフは整然と運用できるのか。または、データ管理を含めた制作管理システムを自力で開発するスタミナがあるのか。
 
業界規模で考えた場合、例えば1000人のアニメーターが「デジタル作画」をおこなうには、5〜10億の初期導入費用がかかるが(基本環境1セットを50〜100万で試算)、そもそもその「体力」が業界全体(フリーランスも含め)にあるのか、そして、維持し続けられる(=ペイし続けられる)のか。

ペンタブは拡大すれば細かい作画も可能で、今以上に細かいキャラクターを、何千何万枚と描く「作画内容の厳しい状況」も充分想定できるが、その際の作業費や作業時間をどのように確保するのか。アニメーターに今まで以上の窮状が予測される中、対応策は準備しているのか。


etc‥‥。もっと挙げられますが、この辺でやめときましょう。

現在は、フィルム時代など比べ物にならないほどに、「作画以後の行程にしわ寄せがいっている」のですが、それは仕上げ(ペイント)作業以降が「デジタル」になり、素早い取り回しが「出来てしまう」からです。もちろん、その為にスタッフは徹夜で待機してたりしますがネ。昔からアニメ制作を知る人は、この状況を「末期的」と呼ぶわけですが、「作画までデジタルになったら」状況はどうなるでしょうか。

「デジタルになったら、全部データで取り回せるから、時間短縮できて、今よりは楽になる」と考える人もいるようですが、「データで取り回すと言う事は、データを管理する手間とリスクが増える」事も念頭におかなければなりません。進行車を走らせる機会は多少減るかも知れませんが、各作業者の作業環境のトラブルに振り回される事が増えるでしょう。コンピュータは、コンセントに電源プラグを差せばすぐに使える作画机とは大きく違います。

紙と鉛筆という、少なくとも数百年は使い続けられている「実績のある道具」を用いても、ここまで綱渡りの制作状況なのに、「デジタル作画」にしたら、「タブレットが動きません」「ハードディスクからカチカチ音がしてデータが開けません」という理由で、放映リミット直前であっけなくコケるかも知れません。

紙と鉛筆と消しゴムと鉛筆削りと蛍光灯だけで作業してきた思考は、そう簡単には切り替わらないものです。「作業環境の保全」「バックアップ」「トラブル発生に対する先読み」なんて言う意識は、人に言われただけでは「小姑の小言」としか受け取れないものです。

そしてさらには、「時間短縮できるから、今以上にもっとネバれる」という流れも、ごく自然に発生すると思います。コレもかなりヤバいよね‥‥。

つまりは、何か物事にあたる時には、「光と影」の両面を熟慮する必要があります。ハードやソフトのメーカーは「光」の部分を強調するでしょうが、現場の人間たるもの、「影」の部分にも等しく注目しなければなりません。

「やってみないとわからない」というセリフは、計画や準備に手を尽くし切って、最後の最後につぶやく言葉です。何もかも予想できるわけはないのですから、だからこそ、予測できる事に関してはベストを尽くすわけです。

最初から「やってみないとわからない」‥‥なんて、「失敗したい」と言っているのと同義だと思うのですよ。失敗は経験値の向上に多いに役立つものですが、今の業界に、巨費を投じて機材を導入した上で失敗を受け流すほどの余力があるのか‥‥は疑問です。


ちなみに、私の進めている技法やシステムは、「デジタル作画」ではありません。あくまで絵は人が手で描き、コンピュータも人が操作して絵を動かしますが、今の業界の呼ぶところの「デジタル作画」ではありません。また、今までとは比べられないほどの少人数で作る事を想定し、業界の横の繋がりによる「作業量の融通」に頼らないシステムも考えています。新たな技法とシステムゆえに大きなリスクもありますが、業界が抱えてきた等しく大きなリスクを負わずに済みます。‥‥で、そうした技術的特質にリスクを凌駕する大きな勝機を見いだしているからこそ、「デジタル作画ではない、コンピュータによる絵描きのアニメーション」に私財を投入しているわけです。‥‥趣味でやってるわけじゃないのですヨ。

何か新しい事を始めようとする時に、大胆な物言いかも知れませんが、業界のシステムを引き継がない事が最重要なのだ‥‥と私は考えています。システムを引き継ぐという事は、作業報酬のシステムやスケジュール感覚も引き継ぐ事になりますから、未来を考えた場合、それは「絶対にあり得ない」と思うのです。‥‥その辺り(=業界の問題点)はもう、みんな解っている事‥‥じゃないですか。

「デジタル作画」に対する見解は様々ですが、コンピュータと長くつき合ってきた方々は、「大きなリスクをさらに追加する事になり、この業界はもしかしたら‥‥」と考える向きが多いようです。アニメ業界において、「デジタル作画」を推進する人々の手腕が試される時が、やがて到来する‥‥のでしょうね。

雑感

コンピュータで絵が動かせるという事は、端的に言えば、絵を変える事ができるという事です。まあ、絵を動かしている時は、「絵を変えている」なんていう意識は全く無いのですが、コンピュータの内部処理的に言えば「変形」のカテゴリと言えます。

また、動かす要素は線や形だけでなく、色も同等に動かせます。「色」と書くと大雑把ですが、要は照明や固有色の変化が可能だと言う事です。

ですから、例えば女の子の顔のニュアンスを変える事などは、ごく普通に可能です。以下は、目をツリ目に、口を少し小さめに、頬のラインを絞って、さらには肌の色味をピンク系に、頬の赤みをやや強めに、アイシャドーを少し強く‥‥と、コンピュータ上の作業だけでバリエーションを作ったものです。


*今回は「よく見比べると解る」レベルですが、顔のバランスを大きく変えるなどの作監修正のような事も可能です。絵を裏返して狂いを抑えたり‥‥など。

コンピュータで絵を動かすという事は、単に作画スタッフだけに留まらず、色彩設計さんやコンポジット・VFXチームにも直接的に関係してくる技術です。私がイメージする作業現場は、各セクションのパーティションを取り払った環境をイメージしており、プロデューサーや監督も含め皆がコンピュータを普通に使って作り上げる、小規模な現場です。野方図に拡大したりバラまいたりせずに、小規模を維持できれば、作業セクション間のクロスオーバーした部分を協調しながら進める事ができる‥‥と、以前の経験からフィードバックして、予測できるのです。

私の場合は、旧来の現場と大きく異なる技術を多く盛り込むので、必然的に「現場を作る」考えに行き着くのですが、実は現アニメ業界も「改善」ではなく「仕切り直し」のプロセスが各現場に必要なのかも‥‥と感じる事があります。聞く話がことごとく「状況崩壊」している事が多くて、色々な役職で30代前半の人間が辞めて故郷に帰る‥‥なんていう話も聞くにつけ、「病状」が全快するとはどうしても思えないからです。

私が思うに、「業界を何とかしよう」という前に、「より良い、自分たちの現場」を作る事のほうが、先決であり、現実的でもあるんじゃないか‥‥と思います。業界を変えたい‥‥って、ソレって、「世界を変えたい」と言っているのと同じで、具体的にどのような手順と資金で実現させるのかが見えないですよネ。

自分らの足元の現場なら、何を変えていくべきか、使える金はいかほどか、具体的な要素をしみじみ実感できるはずです。ただ、どんなに実感していても、すぐに行動できるとは限りません。「行動の準備」はどうしても必要になりますもんね。もし今すぐに行動できないのなら、色々な物事を準備に仕立てれば良いのです。

転んでもただでは起きぬ‥‥とは言いますが、転んだまま立ち上がれないほど、痛烈で過酷なのが今のアニメ業界でもあります。ただやはり、生き残るのは大事ですネ。

思考のシフト

新しいアニメーション制作技法‥‥と言っても、それを語る私自身、今でも、昔からのアニメの「思考の癖」が抜けません。そして、その癖が、自分自身を惑わすのです。

コンピュータで描き絵を動かす新しいアニメーション技法の特徴は何か‥‥をとっさに喋るような事があった際に、ついつい「動画枚数の制限が根本的に無くなる」みたいな事が口をついて出てしまいます。これは「枚数=コスト」の習慣が身体の奥に染み付いているからこそ‥‥です。

喋ってしばらくした後、我ながら、「そうじゃないんだよな」と少々後悔したりします。

新しいアニメーション技法の真骨頂は、「今までのアニメでは動かせなかった絵を動かす」事にあるのです。動かせなかった絵とは、あまりにも絵が細かいのでアニメ向きではなかった描写、ニュアンスが独特でアニメの線画には向かないデザイン、線で区切って描けない絵(=線画ではない絵)、‥‥などです。

前回のブログで掲載した女児の絵は、今のアニメでも出来る絵柄なので、「特に新しい作り方で作る必要無し」として放棄した理由もあるのです。旧来の技法で出来る事をやっても、それは単に「コンピュータでも同じ事ができました」とか、「コンピュータだと動画作業を省けてコストダウンできました」‥‥などの、「代用品」「廉価品」の位置付けに甘んじてしまいます。「安さが売り」の技術になってしまいます。

でも、そんなんじゃあ、(私は)やっても意味がないと思っています。

◆前回のブログで既出の女児キャラ

*「線の量の手加減」と「パーツの記号化」が大量の線画作業に向いている、上図のようなデザイン傾向のキャラは、撮影・ビジュアルエフェクト・グレーディングを駆使すれば、現アニメ業界の制作技法でもイラストのようなフィニッシュが可能です。まあ、肌等に微妙なニュアンス(頬だけじゃなく、至る所に)を加える作業は、2015年のアニメ業界の平均的な状況ではコスト的に難しいかも知れませんが、状況さえ整えば出来る事です。
(上図はベクタートレスのテストなので、線のニュアンスが独特ですが、レタスの2値トレスでも同じようなフィニッシュが可能です)

(話はそれますが、こういう感じのキャラは、私が描いたところで‥‥ねェ‥‥。ノリ切れないの違和感を肌身で感じて、目を小さく描きたい衝動が邪魔するんですよネ‥‥。自分の「素」からは出てこない、目の大きさなんスよね。何かキャラ表があって仕事で描くのなら、キモチを割り切るんですけどネ‥‥。)


◆以前のブログで既出の4Kプロモ用の女の子キャラ

*日本画のソレのように、省略と細密が同居したこのようなデザインは、旧来のアニメには全く不向きです。上図の髪の毛を動かすのは「動画不能」に近く、現実的に不可能です。加えて、線のニュアンス一つでキャラのニュアンスが大きな影響を受けるようなデザインも、旧来のアニメではNGです。実際、描いた本人が作業しても、クリーンアップだけで簡単にニュアンスが変わるので、大人数で大量の動画を作業する現場には、あまりにも不向きなのです。
(線のニュアンスの微妙な絵は、「清書」「クリーンアップ」ではなく、「下絵をもとに、新たな絵を書き起こす」感覚に近いので、その辺りも今の動画の作業意識とは大きく異なります)



私自身、コストでは解決できない部分で勝負してこそ‥‥といつも考えているのですが、雑談などでは「枚数の事」を口走る事が多くて、何だか、自分自身がナゾで情けない‥‥。子供の頃から染み付いた「アニメ」の感覚は、中々抜けてくれない‥‥のです。

現在本業で作業中の「エフェクトをコンピュータで動かす作画」も、線では区切れない独特のニュアンスを持っていて、コスト云々だけでは語りきれない内容なのですが、ついつい枚数の事を引き合いにだしちゃいますね。‥‥まあ、2千枚以上の動画枚数(現在の案件において)が、私のコンピュータの中で「原動仕」込みでフィニッシュ出来ちゃうので、「特徴として、解りやすいっちゃあ、解りやすい」のですが、真意は「枚数じゃなくて、出来上がった絵」なのです。

‥‥ただ、今の現場において、「枚数を引き合いに出せば、話が通じやすい」のも、多分にあるのですよネ。

新しい‥‥を目指している割りには、根底では中々シフトしきれてない私の思考は、その昔に原画マンから今の感覚にシフトしたのと同じくらいの「切り替わりの時間」が必要なのでしょう。

蔑ろにされたものを取り戻す

私の新しい取り組みは、見方を変えれば、ここ20年くらいのうちにないがしろにされてしまったものを、取り戻すこと‥‥とも言えます。決して、「取り戻す事が目的」ではないですが、自分の進めている映像内容面を客観視してみると、そんな事が言えそうです。

描線のニュアンス、絵柄の多様性、血湧き肉躍る熱いメカやエフェクト、記憶に残るサントラの旋律、etc...。それらは様々な事情と都合により、省かれたり除外されるようになりました。

音楽は専門外ですが、現在頻繁に耳にするハリウッドスタイルのサウンドエフェクトのような音楽は、現場としては使いやすいのかも知れないけど、記憶にほとんど残らなくて‥‥。今では私の好きなハワード・ショアもすっかり「その手」の曲ばかりになって、「羊たちの沈黙」や「セブン」の頃の雰囲気は薄くなっちゃいましたよネ‥‥。

私はこのブログでよく「新しい」何々‥‥と書きますが、それは便宜上の事で、実は私が絵作りを意識し始めた1980年代からずっと抱き続けているビジョンなので、自分自身では「新しいだの古いだの」は意識していないのです。しかし、世間には流行り廃りというものが確実に存在していて、アニメでも色々なものが流行ったり廃れたりで、中には私が愛着を持っていたもの(作風や技法)が不遇な扱いを受けていたりします。

ですから、私のビジョンを実現しようとすると、少なからず「蔑ろにされているもの」を復活させて応用したようなカタチになるのです。「昔は良かった」なんて全く言うつもりはないし、そんなセリフを吐くようになったらオワリだとも思っているのですが、結果的に似たようなディテールになっているのは、少々気まずい感じではあります。‥‥まあ、でもいいか、そのへんは解ってくれる人だけ解ってくれれば。

現在、メカ(レシプロ艦攻やドイツ計画車両など)のカットもプロモーションビデオの一連で進めていますが、「絵コンテにメカが出てきました。その通りに作りました。」的な事務作業のようなメカではなく、大馬力レシプロエンジンの鼓動が内臓を手荒く揉みしだいたり、金属の炸裂音と火薬の匂いがしたりと、まさに「描かれたイメージのメカ」を表現すべく取り組んでいます。現在は何だかメカは可愛いキャラのアクセサリみたいになっちゃってますが、私はどうしても、命の駆け引きを伴う殺し合いの道具としての「凄み」、「Born To Kill」を表現したいのです。‥‥新しいとか古いとか関係なく。


*現在制作中PVのイメージボードより抜粋。昔に見た「ドイツ週刊ニュース」砲撃シーンの記憶がもとになっています。
*イメージボードとひとくちに言っても、様々なアプローチがありますが、私が主軸とするのは「完成映像に直結する」イメージボードです。線はラフでヘロヘロでも、明暗や色彩の明確な道標となるものです。普通はその逆で、線画はバッチリ描いて、色はテキトーに淡彩でつけるのが多いですよネ。‥‥でも、どうせ線画は本番で徹底的に描くわけですから、イメージ作りの初段階は「どんな全体像になるのか」、方向性を示した方が有効だと思っています。「どんな雰囲気の画面になるのか、実際の素材が上がってみないと想像できない」‥‥なんて、危う過ぎますからネ。


また、ベクタートレス線は1990年代から存在する技術ですが、これも最近まで「ガン無視」状態でしたネ。以前にスナップショットを公開した4Kの「ベクターの少女」(キャラだけでなく背景もベクターで表現する)は、実は1990年代からの長〜い延長線上にあるのです。

下図は、まだ4Kを強く意識する前のテスト画像で、鉛筆線をベクタートレスに変換してペイント&コンポジットしたものです。


*4Kに目が慣れてくると、2.5Kでもボケて見えてくるんだよね‥‥。描線がボヤッとしているのが、判別できるようになって‥‥。軟調効果とは違って、単純に描線がボンヤリするというか‥‥。60pも体に馴染んでくると、30p以下の動きとすぐ見分けられるようになりますよネ。

寸法は横幅2.5Kで(縦は全身サイズなので7000px)、4K主眼の今となっては解像度不足です。まあ、全てベクターなので、劣化なしに4Kにアップする事も可能ですが、この頃(2010年前後)はベクターの扱いが今見ると雑で、色々と直したい部分があり、なんとなく放置したままです。‥‥あと、私が幼顔の可愛いキャラを描こうとすると、単なる女児になってしまうので、その辺も手を止めてしまった原因ではあります‥‥。

ベクタートレスは、様々な有効活用法があり、現在の「デジタル作画」ブーム(?)で多少は光が当たり始めていますが、取り扱いのコツを得られないまま、再び消沈する可能性は大きいです。ベクタートレスは独特なクセの強い風合いになるので、何にでも使える万能のトレス線ではないですが、私は作風によって使い分けていこうと考えています。
*上図の女の子は、「図形」ではなく、「描いた味」を持ったベクタートレスのテストでもあります。

また、「トレス線にペイント」というごくありふれたアニメのセル素材で、どこまでツッコんだ表現が可能か‥‥も、今や忘れ去られた技術です。

下図は、硬調の写真ライクな絵作りを試したみたもので、上の女の子と同じ時期に作ったものです。全然、絵のテンションが違いますが、ソレが開発期間と言うものです。同じく2.5Kで作られており、今となっては低解像度‥‥ですネ。コンピュータで動きを作る方法に完全シフトする頃のテスト画像です。

イラストのような技法は使わず、セル塗りされた素材を元に、After Effectsだけでどれだけ作り込めるか‥‥の実験も含まれています。特効的なブラシワークは一切使わずに作るのがミソです。キャラの全作画に1枚ずつ特効を入れるなんて、無理過ぎますからネ。撮影とビジュアルエフェクト、そしてグレーディングを駆使すれば、似たような雰囲気の絵は現業界の「作画描き送り」のフローでも可能です。‥‥でも、金はかかりますけどネ、相応に。



トレス線に微妙なニュアンスが必要なので、レタスですと240〜300dpiは必須(最終出力2Kの場合)となります。‥‥多分、この時点で今の業界のスタミナ的にはNGでしょうけども。
*4Kにおいては、線の表情をレタストレス線で出すには、400〜600dpiが必要となり、「冗談も休み休み言え」と瞬時に却下でしょうネ。

加えて、上図のような極端にスタイリッシュな絵作りは、画面設計無しでは不可能です。皆が別々に作業して出来上がった素材を組み合わせるだけでは、単に「素材を重ねた絵」になるだけです。どんなにフレアやシャドーを撮影で足しても、根本から設計されている画面の雰囲気を作り出す事はできません。しかし、現在の劣化してしまった制作スケジュールで、画面設計など入れる余裕もないでしょう。

もし、Blood(2000年劇場版)での画面設計や、イノセンスでの細かなニュアンスの技術やビジュアルエフェクトの手を緩めずに、現在まで発展させ続けていたら、どんな絵・映像が実現できていたか‥‥は、今はもう、想像するだけの幻です。

技術を育てるには多くの時間とお金とヒューマンパワーが必要になりますが、捨てて失うのは瞬く間です。若いスタッフは自分らの現場に、つい10〜20年前に様々な技術が開花していたことを、全く知り得ません。「劇場作品のクオリティって、どうやって作れば良いの?」と、技術の断絶を経験した若い人も多いのではないでしょうか。技術に限らず色々なものは、育てて作り上げるまでは大変でも、喪失する時はあっけない‥‥ものですよネ。

でもまあ、様々なものが蔑ろになったり消滅したりすることで、レリーフのように凹んだ刻印となって見えてくる事もあります。その刻印の示すところを活かす事ができれば、未来も「切り開いていける」と私は実感しています。これは30年間、映像だけで生き続けているリアルな感覚としても。

今の主流・自流に乗っていれば大丈夫なのか。‥‥それは30代の前半までに作業者が順次辞めて故郷に帰るような状況を鑑みるに、決して「YES」とは言えないように思います。

タイムシートを廃止した理由

新しいアニメーション技法と制作システムにおいて、旧来のタイムシートを廃止した理由は非常に明快です。秒間48コマならまだ何とかなるかも知れませんが、60、96、120などの秒間コマ(フレーム)数のタイムシートは、現実的に運用が難しいからです。もっと根本的な事を言えば、実質、48以上の秒間コマ数を作画スタッフが必要としていないのなら、タイムシートが存在する意義がないからです。

日々の会話の中で耳にする、同業者さん達の見解としては、1秒間24コマ以上の作画による対応は難しい‥‥というものです。つまり、作画描き送りのシステムは24コマフィルム由来の24fpsが最終版となり48fps以上はDiscontinue、タイムシートも同じく48fps以上はDiscontinue‥‥なのかも知れません。

私は様々なモーションをコンピュータで動かす事をメインに考えているので、動画枚数の制約はありません。24コマでも当然24コマFullで動かせるのですが、わざわざ1秒間8〜12fpsに制限しているほどです。「ジョバンニの島」で使った際も(暗雲をバックに木々が暴風に揺れるカットとか)、周囲とのマッチングを考慮して、8fpsのわざとカタカタした動きに制限しました。「リミッター」を外せば、原理的には2400fpsでも可能なわけです。(After Effectsは99fpsまでしか対応してませんがネ!)

そんな新しい状況の中、A1,A2,A3,A4,A5....なんて動画番号をシミュレーションして記述する必要がないので、タイムシートを廃止したのです。ただ、タイムシートの原動画部分は廃止されても、他の部分は伝達事項の具体的記述として必要なので、仮に「アクションシート」というものをテーブル(表)型で作り、データにて伝達していく方式を採っています。

原画・動画の記述欄は「演技(Action)」という欄に変わり、任意のツリー構造を持てる横書きの表にて表現されます。テキストツールはもちろん、ラインツールなどを用い、演技のメモを記述してカット全体の動きを関係者が把握する手立てとします。もちろん、セリフやカメラワークなどの記述欄は旧来から継承されます。

表のグリッドは、使いやすい任意の分割にすればよく、お好みならば24分割にする事も可能です。しかし実際は、REAL=実数で扱われるので、あくまで「目安」です。

紙に印刷する事はないので、ディスプレイの広さを十分に活かした展開が可能です。紙で印刷できる体裁にしちゃうとさ‥‥、いつまで経っても、プリントアウトしちゃうじゃん? トップやヘッドの人間たちが安易にプリントアウトを求めず、むしろ率先して拒絶すれば、現場も徐々に変わると思います。若い人間がいくら工夫しても、上の人間が石頭だったら、状況は一向に変わらんですからネ。

ただ、映像のタイミングというのは、時には(多くは?)「パンチ」と言うものが必要です。あえて4〜6コマ止め(24fps換算)を挿入して故意に「目に引っ掛からせる」事も常套テクニックの1つです。別カテゴリにはなりますが、動きが速い時になんでもかんでもブラーをかければカッコよくなるわけではなく、あえて目に残像を残すテクニックもあります。ですので、新しい「アクションシート」には、「停止」モードの記述ももちろん可能となっています。

新しい作り方には、新しい作業フォーマットが必要。これは言い換えれば、今まで必要だった作業フォーマットの要素が不要になる事でもあります。

ちなみに、作品制作で逐次発生する様々な事柄は、新しい制作技法ではほとんどがデータ形式となりますが、これは「アーカイブ」の観点から見ると非常に「危うい」状態を意味します。デジタルデータはあまりにも脆いです。10年前に使っていたSorenson Videoのコーデックが10年後に再生できるのか疑わしいですし、MacOSのデフォルトだったPICTは今や標準サポートされていません。デジベやHDCAMのデッキはあと何十年、保守していくのでしょうか。

ですので、新しい制作技法では「最低、何をアーカイブするか」を踏まえて、システム作りを進めています。After Effectsのプロジェクトを保存したがる人も多いですが、AEPなんて10年20年とアーカイブに耐えるシロモノではありません。もしAEPをアーカイブするなら、ソフトウェアは全てスタンドアロン(ネット認証の無い)のものをインストールした環境一式を「モスボール保管」しなければなりません。

つまり、何から何まで残すのは無理なので、「残しておきたいもの」を明確に定義し、そのアーカイブは定期的に再生し保全を確かめ、状況によっては他のフォーマットへ変換して「母体を乗り換える」事が必須になるでしょう。ハードディスクをダンボールに詰めただけは、ほとんど意味がないのです。また、「100年プリント」ではないですが、あえて紙媒体に出力して、「アナログの強さ」に頼る事も必要になるでしょう。設定類とかはデータと同時にプリントも一式必要だと思います。最近、物置の奥から出てきた(そしてまたしまった)30年前のガンダムZZの設定(コピー機による配布物)はインクが崩壊することもなく、昔の姿を留めていましたからネ。

話をタイムシートに戻しますが、そういったわけでタイムシートは、描き送りではない新しい世界においては存在意義がなくなるので、(私が考えるには)必然的に廃止されるのです。ただし、その代わりに新たな「伝達手段」が必要となります。また、それらデータをどのようにアーカイブしていくのか(「しない」という選択肢も含め)、運用上の強いポリシーが必要になるでしょう。

デジタルが楽だ‥‥とか言ったヤツは、どこのどいつだ‥‥。上澄みだけ舐めてれば、そう錯覚するだろうけど、全部ひっくるめて考えれば、アナログより大変ですよ。確実にネ。

でもまあ、それに見合うだけの大きな「収穫の喜び」があるので、私は新しい路線を目指すのです。

旧来技法をナメるべからず

私は新しいアニメーション制作技法とシステムを自分の主軸に据えていますが、だからと言って、旧来の技法を見くびったり貶しているわけではありません。むしろ、学ぶべき多くの事が内包されており、先人への畏敬の念は深まるばかりです。

例えば、前回書いたタップ。タップの形状は、非常によく練られており、とても使いやすいように作られています。アートカラー社のよく見かける銀色のタップは、突起部の寸法や形状が絶妙で、作業性の高さを誇る‥‥のですが、どれだけの人がそれを認識しているかはナゾです。恐らく、現場に昔からあるので、大して気にもとめていないのではないでしょうか。

*元はアメリカの規格だと思われますが、タップ本体が上図の態(てい)に落ち着いた経緯は知り得ません。

私はISO838と888に基づいたタップを試作した事があるので、しみじみ実感できるのですが、「よくある銀色のタップ」は材質・形状・寸法(おそらく製造コスト面でも)において、考え抜かれています。開発者の方に話を聞いたわけではないので経緯はわかりませんが、たまたま作ったらこんな感じになった‥‥わけではなさそうです。

例えば寸法ですが、穴の大きさや間隔などは規定通りだとしても、突起の高さは自由に設定できるはずです。しかし、なぜ、あの高さ(上図参照)なのかを考えてみた事はあるでしょうか。「作画用紙をたくさんセット出来た方が便利」だと思いがちですが、実はそうではありません。「作業しやすく枚数もほどほどにセットできる、良いあんばい」があるのです。

突起の背が低いと重ねる紙の枚数が少なすぎ、高いと紙の脱着が異様にしづらくなります。実際に自分で突起の背の高いタップを作ってみたので解るのですが、紙の抜き差しのストレスが高くなるとイライラが増して絵の内容にまで影響しかねません。

そして、形状。滑らかに球面処理され角取りされた突起は、作画の効率と深く関係します。実は突起の形状は、生産性に直結するのです。以下はその模式図です。

突起が円柱のままの場合


突起に球面処理が施してある場合



プロのアニメーターになると、紙をタップにセットする際に、いちいち丁寧に位置合わせをしません。サッと棚から紙を出して、サッとタップにセットして、即座に描き始めます。その際に、中央の穴にうまくはまらないとストレス満載になります。

球状の突起は、多少中心から外れていても、円滑に紙の穴を中央へと導いてくれ、しかもタップ穴の破損(用紙の穴が裂ける)を防止します。アマチュアの方の作った「自作タップ」の多くは(私が見たことのある全てにおいて)、突起部は円柱を切断したままになっていますが、それだと作業のストレスと用紙へのダメージの両方を延々と抱え込む事になります。

タップ一本、突起部の形状だけで、これだけノウハウがあるのです。

私は前回、「タップを使わない、新しい作り方」に触れましたが、タップそのものではなく、作業性を追求するその姿勢や思想は大いに受け継ごうと思っています。先人が知恵を絞って作り出した様々な技術は、表面的な複製としてではなく、「ものを生み出す」バイタリティを継承すべきだと、私は考えます。

私が「旧来」と呼ぶように、「現業界の技術体系が歳をとっている現実」は誤魔化すべきではありません。しかし、技術においても「年の功」は存在し、「温故知新」の宝庫でもあります。学ぶべき事はたくさんあります。

新しい技術に浮かれて、旧来の技術を軽んじるような事があるとするならば、その軽率さは時代がいかなるものに変化しようと軽率であり続けるでしょう。つまり、技術の目新しさに踊らされているだけで、本質を見据えていない‥‥ということです。

旧来技術は、先人の工夫と知恵と努力の結晶です。今に生きる我々は、その結晶を切り崩して切り売りすることばかりを考えてはいませんか? 先人と同じく、知恵と工夫で何か新しいものを作る努力を積んでこそ、同じ高みに立って未来を見据える事ができるのではないですか?

ヌボーと他人事のように旧来技術を受け止めるのではなく、その素晴らしさを肌身で実感する事ができれば、新技術の素晴らしさをも自然と享受できる‥‥と思うのです。


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