雑感

NHKの伝えた「アニメの若手制作者の年収は平均110万」という記事への反応がツイッターで駆け巡ってますね。2012年にも東京新聞が伝えた「平均年収は105万」という記事がありました。(東京新聞の記事は既にリンク切れですが、多くのサイトに引用が残っています)

私は、2006〜7年に、「本撮期間が3日」というテレビシリーズの現状を前にして、崩れた制作状況はもう元には戻らないだろうと観念した事がありました。2000〜2004年くらいまでは、少なくとも私の近辺ではそんな状況まで劣化した事は無かったのですが、やがてその「本撮3日」は「3日あれば良いほう」とまで言われるようになりました。「時は金なり」と言いますが、期間が3日まで削られた撮影現場は、巡り巡ってお金が下がったのと同義だったのです。‥‥少なくとも私にとっては。

前回まで何回かに分けて書いた「デジタル作画と4K」の話は、NHKで「110万」と伝えられた窮状をさらに深刻化させる事でしょう。もう何度も何度も書いてきていますが、「コンピュータは猛烈な金喰い虫」なのです。「ペーパーレス」程度の改善要素で相殺できるシロモノではありません。そしてさらに、「デジタル作画」、すなわち「ペンタブ原画」「ペンタブ動画」を導入してすぐに4Kを受注できるほど、4Kコンテンツ制作は簡単ではありません。

何年にも渡って書いてきた話題なので、また1から10まで繰り返す事は避けますが、私は「アニメーション制作を再発明する」時期は既に始まっていると思います。欧米の動きを2010年に見た私としては、今から動き出すのではもはや遅いとすら言えるくらいです。

まず、今から50年前の1965年のテレビアニメのラインアップをWikipediaを頼りに列挙してみます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:1965年のテレビアニメ
宇宙エース・宇宙少年ソラン・宇宙パトロールホッパ・オバケのQ太郎・ジャングル大帝・スーパージェッター・ハッスルパンチ・遊星少年パピイ・etc...

さらに、今から40年前の1975年のテレビアニメのラインアップも挙げてみます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1975年#1975.E5.B9.B4.E3.81.AE.E3.82.A2.E3.83.8B.E3.83.A1
フランダースの犬・まんが日本昔ばなし・みつばちマーヤの冒険・勇者ライディーン・ガンバの冒険・ゲッターロボG・タイムボカン・鋼鉄ジーグ・元祖天才バカボン・一休さん・etc...

たった10年で大幅に「線が増えた」事にも驚きますが、話題はソコではありません。

この頃に確立されたアニメの作り方を2015年に踏襲している構造そのものに、私は限界を感じるのです。

だって‥‥
 
50年前と今じゃ、絵の中身が全然違うじゃん

‥‥です。ハッキリ書いちゃいますが、キャラの線がスーパージェッターくらい少なければ、沢山、原画が描けます。私が小さい頃に「超」大好きだったメカ・流星号だって、萌絵キャラの片目くらい(‥‥はオーバーか。でも両目くらいかな)の線の量ですよ。

萌絵キャラが線が少ない‥‥なんて言う論調も見かけますが、完全に感覚が麻痺している‥‥というか、過去を知らな過ぎます。めちゃくちゃ、線が多いですよ。1980年代のラムちゃんや諸星あたるくんの方が、格段に線が少ないです。*実線だけでなく、影線までカウントしてネ。

線が多くなって、造形上の技術的な難易度も上がれば、昔に成立していた構造が現在において破綻するのも頷けます。

しかし、2015年の現在に、アニメ業界のラインアップが「宇宙エース・宇宙少年ソラン・宇宙パトロールホッパ・オバケのQ太郎・ジャングル大帝・スーパージェッター・ハッスルパンチ・遊星少年パピイ」で済むわけ‥‥ないですよネ。アニメ業界も時代性の中で生きているのですから。

私は線を少なくして、昔に帰ろう‥‥と言いたいのではないのです。むしろ、現在そして未来の新しい絵と動きの作り方を、ゼロから考える機運も必要なんじゃないか‥‥と言う事なのです。

違う言い方をすれば、1970年代前後に形成され、1980〜90年代に発展し確立された制作形式を、2015年、2020年、2030年とそのまま「道具をコンピュータに差し替えただけ」で踏襲し続けるのか?‥‥と言う事です。

私が1990年頃に原画歴3〜4年くらいのキャリアで描いていたカット数は大体80〜120カットでした。当時から猛烈に線が多いメカだらけでしたが、それでも、20万円前後は普通に稼いでいたのです。(当時の単価はテレビ2200〜ビデオ4000円〜劇場6〜8000円くらい)

2015年の今、(線が少ないので有名な作品以外は)そんなカット数って、中々できませんよネ。内容要求度がもの凄く上がっていますからね。

前回の4K話題の蒸し返しになりますが、4Kが来ちゃった日には、例えアップコンで少し水増ししても、今まで通りの作画内容で済む訳無いのです。必ず、「大変な方向」に流れていきます。線が増える事で作風を損ねる「国民的アニメ」ならともかく、「線が増えたら絵が細かくなって良くなった」なんて言われるタイプのキャラだったら、間違いなく線は細かく、そして増えるでしょう。

個人的な趣向はともかく、もうアニメ業界はスーパージェッターやハッスルパンチの時代には戻れないのです。

だったら、バッサリ「頭を切り替え」ませんか?

スーパーカブをトライクにして6人乗りにするような事はやめて、新しいエンジン、新しいシャーシ、新しい足回り、新しいエクステリアとインテリア‥‥を手に入れるべきではないでしょうか。‥‥少なくとも、私はそう考えます。

そして、その時に料金システムを一新するのです。

私の開発中の新しいアニメーション制作システムでは、例えば清書作業は「基本技術料+種別技術料+線量単価+期間報酬」にて算出されます。基礎技術を有したプロフェッショナルが、内容の難易度と作業量に合わせて、さらには作業期間のプラスマイナスを加算(減算もありえます)した報酬を得る仕組みを考えています。デジタルデータですと、線の量をカウントする事ができますので、「2本の線と500本の線の清書が同じ料金」という今の仕組みから脱却できます。

つまり、技術が高く、いっぱい働いた人が、いっぱい稼げる仕組みを、次世代のアニメーション制作には必ず盛り込みたい‥‥いや、盛り込むなんて言い方は消極的過ぎますから、必ず土台としたいのです。

そして、これも何度も繰り返し書いている事ですが、「少人数」で作れる技術体系が必須だと思っています。大所帯の制作母体は、その巨体の維持ゆえに、どんどんレッドオーシャンに巻き込まれていきます。以前書いた「8枚切りのピザを24人で食べるような構造」は、どうしても各人がひもじくなります。

「でも、今まで、それができなかったから、こうなってるわけで」‥‥と言う人もいるでしょう。だから、今後の主力ツールたるコンピュータの使い方を研究し、技法やシステムをゼロから新開発せねばならんのです。誰かのマネするのではなく、自分たちにとって有利で最適な技法とシステムを自己開発するのです。

今までと同じ事を繰り返して、新しい何かが生まれるわけありません。

未来はどのように変わっていくのか。4Kが泣きっ面に蜂の現場もあれば、4Kを台頭の旗印にする現場もあるでしょう。いずれにせよ、自分らの未来は、自分らの現在の行動が作り上げていくもの‥‥なのです。

 

整理すると

4K時代のアニメの云々を言葉で書いても、中々イメージしにくい事もあるかと思います。なので、簡単な図にまとめてみました。

左(黄)に寄るほど、今までの作業との互換性が高く手慣れた運用ができ、右(赤)に寄るほど、未知の要素が増えていき、必要なコスト(時間・お金・人材・機材・もろもろ)が増えたり取り回しが危うくなります。




つまり、「ペンタブで真正直に4Kで描く」のが運用的にも技術的にも難易度が高く、危険度も高いと言えます。しかし、4Kの映像コンテンツのニーズは、「できれば4Kネイティブ」な内容を欲してくると思います。2Kをアップコンしたものでは、売る側として、今までのアニメとの違い・ウリ要素が打ち出せないですもんネ。

ほんの数年後の未来、4Kコンテンツニーズと、実際の現場のキャパとの「せめぎ合い」が繰り広げられていく‥‥のかも知れません。

2Kを下回る1.2Kや1.5Kだと、拡大率も大きくなり、絵も相応に荒れる事が予想できます。アップスケーリングに期待できるのは、線比1.5倍とは言われていますが(でも、2倍でも綺麗ですけどネ)、1.2Kまで寸法が小さいと品質的な観点から4Kにはアップコンできない(=4Kとしての売り物として不適格)でしょう。

私が紙と鉛筆で画質的にイケそうだと考えているのは、2.5〜3Kの「階調トレス」の方式です。シートも24コマのままで大丈夫です(=30〜60pに対応させるうまいやり方があるんです。フィールド合成なんか使わずにネ)。作画用紙はB4(劇場アニメでよく使われる)が良いのですが、「動画体制の再建」を果たせば、A4でもイケるかも知れません。動画さんで技術の優れた人は、本当に綺麗な線をひきますからネ。

ですから、恐らく、ペンタブ作画も4K真正面ではなく、2.5〜3Kあたりが落としどころではないか‥‥と予測できます。同じく24コマシートで。

現在のペンタブ作画の一番の弱みは、体系的なシステム運用が確立されていない事でしょう。しかしそれは、「本当にマジメに」システム作りに取り組めば徐々に改善できる可能性はあります。ゆえに弱みが出そうな期間を「2015〜18年」と書き添えておきました。(3年で確立できればスゴいバイタリティですけどネ)

ペンタブ作画のもう1つの弱み‥‥というか、「狙われやすいところ」は、拡大作画が容易な点です。実はソレ、もう数年前の過去の作品で体験した事があるのですヨ。私は特定個人や作品名を吊るし上げるつもりはないので、作品名は伏せますが、どんなに小サイズになってもディテールの省略をしたがらない作品に当たっちゃった事があります。鉛筆で描ける限界を超えた修正を、Photoshopで拡大して描き込む‥‥という。でも最終的には鉛筆で清書されて2値化されるので、とんでもない「茶番劇」になっていました。

ペンタブ作画だと、描線を小口径にすれば、200%や400%で表示拡大して細かく描き込めてしまいます。コレは、直接的にアニメーターにとって、脅威になる可能性が大です。実際、私が実写のマットペイント的な事をする際は、400%くらいで拡大してステンシルやらディテールを描き込みますが、連番の作画でこれをやると死んじゃいます。

‥‥でも、「できるとわかった以上」歯止めが効かなくなるのも、日本人の職人気質でもあります。5,000枚〜10,000枚を描く現場において、誰かが強力に食い止めないと、たとえ萌絵でも目の中のディテールは今以上に線が増えてキツくなるかも知れません。‥‥自制するなんて、できるかなあ‥‥。ネットゲームの美麗イラストと同じ描き込みを、もしかしたら要求される可能性だってあり得ます。

そういった意味では、鉛筆のカーボンの粒子と紙の繊維は、「打ち止め」を促してくれる、アニメーターの良き味方なんですよネ。「これ以上細かく描くな!」という。

「拡大描き込み」をペンタブ作画の「猛烈な禁忌」に定める事ができ、皆にその習慣が根付けば、回避できる‥‥かも知れません。ただそれは、運命だけが知る未来‥‥ですネ。

画風は、今までのアニメを踏襲したものになると思われます。数千枚を描く状況からして、絵を省略する技法は、旧来の延長線上からそんなにハミだせないはずです。しかし、上述したように、コミックやゲームの美麗イラストを再現させられるような、作画にとっても、仕上げにとっても、撮影にとっても、地獄なケースが発生しないとは言い切れません。

以上、数回にわたって、4K時代の危険予測を試みてみました。私のこのブログを読むまでもなく、自分らの現場がどうなっていくのか、傍観するままでは、ヤバそうだ‥‥と日頃から感じませんか? 誰か明確な巨悪が存在するのなら解りやすいですが、皆がなんとなく手をこまねいているうちに、徐々に確実にヤバい方向に進んだのが「現在」なのです。

4Kについても、皆がソフトやペンタブの話題に気をそらされて、一番重要な「核」の部分をスルーしてしまうのだとしたら、それはとてつもなくヤバい事なのです。凄く皮肉な事ですが、皆が手をこまねいているうちに、自分らの現場を買い叩く「陰謀」を自ら少しずつ作り出し加担していた‥‥のだとしたら、悲劇をはるかに通り越して喜劇としか言いようがありません。「自覚していないほんのちょっとの事」が積もりに積もって引き起こす大惨劇‥‥とでもいいましょうか。

最近の横のつながりの飲み会で、作監補佐さんの5日分の作業費のとんでもない額(低い方…です)を耳にしました。自分の事ではないのに、泣けてきます。なぜ、2015年の制作状況は、こんなになっちゃったんでしょうかね‥‥。


* * *

ちなみに私が準備しているアニメーション技法は、「人手では描き送らないけど、人手で絵を描く、アニメーション作画方式」で、ツールは作品によってペンタブ・紙&鉛筆を使い分け、解像度は4K以上になります。4K上映媒体のスペックを十二分に活用する事を技術上の目標にしています。フレームレートは60pがデフォルトで、コマ落としは基本的に使用せず、すべて1秒間60コマで動きます。(‥‥これがすんごい難しいんですけどネ。フレームレートが高くなると、実は動きの難易度が猛烈に上がるのです‥‥)

いわゆるアニメ業界でいうところの「紙と鉛筆」「ペンタブ」作画とは、思いっきり、甚だ、極めて、異なるスタイルです。ですから、同じアニメ業界のシステムでは運用しない事が大前提です。(何度も書いている事ですが)

人が絵を描くという行為の、ある種の曖昧さが、3DCGとは一線を画すテイストになる見込みです。描く人間の思い込みや趣向が、「絵をネジまげて狂わせる」プロセスが欲しいわけです。

以前にも出しましたが、一例は下図。テスト用途の「ライトテイスト」寄りなプロトタイプです。(解像度をブログ用に縮小したものです)


*メイク次第でもっと顔の印象は変わりますが、この絵は薄化粧程度です.


*各エレメントを線画段階でまとめた状態です.


試している作風は色々ありますが(上図はわたし的に「日本画スタイル」と呼んでいるものです)、例えばこういうキャラが髪をなびかせて、走ったりでんぐり返ったり、泣いたり笑ったり、振り向いたりできる技術を体系化しているわけです。イラストを紙芝居程度に動かせても、その先に繋がっていかないですもんネ。

服の柄もミリタリー物なら「フレック迷彩」みたいのが可能ですし、女子の服ならレース編みも可能です。今までとは全く違うアニメーション技法体系を形作る事で、今までとは違うキャラクターを動かす事ができます。「衣装とメイクのエキスパートが欲しい」と以前に書いた事がありますが、そういうようなわけなのです。

技法自体は隠さずに言いますが、「超大変」です。After Effectsを手足・指先のように扱えないと、成立しない技術です。しかし、After Effectsがあれば完結できる、機材的にシンプルな面も併せ持ちます。高いソフトは無用です。マシンもiMac 5K(メモリは32GB)で十分です。

私は私の絵を描きますが、「もし自分独自の絵が自由に動かせるのなら、私もやってみたい」と思う人々と、いつか出会って技法を伝えて、さらに技術を育てたいとも思っています。私の人生で「使い物になる期間」は、悲しいかな、若い人たちに比べて30年も短いのですから。

嘘と正直

なぜ今、「デジタル作画」が持ち上げられているのか、私の考えは前回書いた通りですが、「目的」そのものが悪い‥‥とは思わないのです。未来の映像産業に対しアニメ業界・現場が変わらず組していきたい‥‥と思うのは、業界に在籍している人間なら、当然ですよネ。

アニメ会社自身が作りたい作りたくない‥‥ではなく、アニメ会社に4Kのオーダーが来る、そしてそれを受けられるか否か‥‥なのです。つまり、「4K受注の可否」の話題です。‥‥コレって、HD(1920px)の時にも経験しているハズだけどなあ‥‥。

しかし、現状のキャパでは、4Kなんてとても無理。じゃあどうしよう‥‥という流れだと思います。そして「デジタル作画」の可能性に白羽の矢が立った‥‥のかも知れませんネ。

でも、「デジタル作画」を即時導入できるわけでもなく、「デジタル作画」が4Kスタンバイ状態なわけでもない。作業環境の調達や作業費の問題‥‥、要は、都合の悪い部分をあまり見せないように‥‥的なスタンスが逆に不信感を募らせるのです。

今日の食事時に「デジタル作画」の話題が出た際、友人が間髪を入れずに、「デジタル作画? デジタル‥‥だなんて、都合の悪い部分をブラックボックスに封じ込めてごまかしてるんじゃないの? 使っている道具をそのままに、ペンタブ作画でいいじゃん」と言い放っておりましたが、確かにそう‥‥だよなあ‥‥。

「ペンタブ原画」「ペンタブ動画」と言ったほうが、すぐに作業風景がイメージできますよネ。「デジタル」とか使うと、フワッと煙に巻かれる感じです。

導入についても、正直に、
 
今にプラスして、4Kの映像産業の受注も獲得したいんじゃー!

だから、大変だろうけど4Kに対応したデジタル作画に移行したいんじゃー!

そして、未来も生き残るんじゃー!

‥‥と、大声で宣言して、「三部会」的なものでも開いたほうが良くないですかね。少なくとも、都合の悪い部分をウラに隠しながら事を動かすよりは、気を向けたり賛同する人間も増えると思うんですけどネ。

「デジタル作画をまずは2K作品から導入して作業を実践しますが、将来的には4Kも視野に入れています」とキリリと言うべきでしょうネ。でなければ「デジタル作画は導入しますが、4Kは全く考えていません。もし4Kの作品をやるとしても、2Kで作画しアップコンで対応します。」とやはりピシッと言うべきです。「あまよくば4Kも」と考えつつ、それをあえて口にしないのが、そもそもの間違い、不信感の始まりなのです。

前回も似たような事を書きましたが、4Kへと移り行く世間の流れについていくには、今の「A4用紙」「130〜150dpi」では限界なんだと、作画から仕上げ・撮影・美術・編集・3DCG・特効、そして制作進行に至るまで、全スタッフに正直に打ち明けて意思統一を図るべき‥‥だと思うのです。大きなキャンバスに細かい絵を描く事によって、作業は(作風によって大小はあれ)苦しくなっていくでしょうが、それも誤摩化さずに、皆で落としどころを決めていこう‥‥という機運が必要だと思います。

それに凄く重要な事ですが、「デジタル作画」はまさに作画スタッフが主役なのです。なのに、何か「お客さん」扱いし過ぎているようにも思います。「デジタルの事はよくわからないでしょうから、こちらでセッティングしておきますよ」的な扱いは、まずスタート時点から関係性が間違っていると思うのです。作画スタッフがまさに話題の主役なのですし、最初はコンピュータなんて誰でもわからないところから始めるのですから、少々時間がかかっても、作画スタッフと一緒に作画環境をつくっていくべき‥‥だと思うのです。それこそ、増設メモリやHDD生ドライブの装着から一緒に作っていけば、その経験はやがて作画スタッフの糧になると思います。
*私もいち原画マンから、コンピュータを何も知らないところから始めたのですヨ。自宅の8600/250から火花が散った事もありましたし。QuickTime英語版をインストールしたら日本語版とコンフリクトして起動が中途停止するのを、機能拡張マネージャで1つずつ機能拡張書類を外してしらみつぶす‥‥というような経験が初期にあったからこそ、その後にNetBSDやServerの構築、プログラミングまで進めたのです。若いアニメーターに、「コンピューターは自分の思い通りになる道具だ」と体得してもらうのが、「デジタル」で作画をやるためには必要だと思います。手強く幾多の場数経験が必要なトラブルには、システムスタッフが腕をふるうとしても、基礎的な事は習得しておくべきです。

好むと好まざると、世の中からフィルムは姿を消し、フィルム映画館は貴重な存在と化し、どの家庭にもHDTVが普及しました。つい最近、とうとう「ロール分け」のない作品(=完全DCP)も経験しました。

同じく、好むと好まざると、2015年以降の世の中も動き、4Kはやってきてしまいます。

「未来のテクノロジは、自分には関係ない」と言う人もいるかも知れません。でもその人さえも、「ひと昔前の未来のテクノロジ」を利用し作業している事を思い出してください。ロングサイズの拡大作画をしてますか? テクスチャの貼り込みを原画で指示してますか? コピペの撮影指示してますか? D.T.Uとシートに書いていますか? ‥‥これは十分、テクノロジを利用し関係している行為です。「自分には関係ない」という人ももれなく、なんだかんだ言って、過去から未来へ進み続けるテクノロジに巻き込まれているのです。未来は、時が来れば現在になるのですから。

「うちは、どんなに世の中が4Kに染まろうと、1.5Kでデジタル作画して、アップコンで4Kにしますよ!」‥‥と、空元気でなく、ホントにそう思っているのなら、それで構わないのです。ただ、その意思を、時代の流れに負けず、どれだけ貫き通せるか‥‥ですよネ。2K、2.5K、3Kとズルズル引き上げられていくように予想します。

私は数年の内に5〜6Kダウンコン版4K(つまり詳細感を大々的にアピールした)の「新型」を投入する計画ですし、現在は演算性能(=レンダリングなど)の馬力不足で二の足を踏んでいる3DCG勢も、未来も同じく二の足を踏み続ける事はないでしょう。「アニメ業界だけ時を止める事はできない」のです。映像業界全部が時を止めるのならまだしも、皆、水面下でやり方を探っているよう‥‥ですヨ。

ちなみに‥‥、このブログを読んでくださる皆さんの中には、「やけに、江面は4Kだの新しいアニメだの、ウルセーな」と思う人もいるんじゃないかと思います。それは、まさに「行動がキモチを表す」典型でして、「4Kは2DCGでモノになる」と確信しているからです。3DCG勢のレンダリング負担に比べれば、4Kの2DCGは格段に「軽い」のです。5〜8Kで素材を作っても動かしても、です。‥‥だって、iMac 5Kでさくさく作業が進むのですよ。3DCGで4Kに真っ向から挑んだら、iMacなんて‥‥。

実は、今一番、4Kを綺麗に使いこなせる位置にあるのは、描き絵の繊細なタッチに溢れた2DCGなのですヨ。なのに、4Kのような高解像度が絵描きにとってハンデになっている‥‥なんていう先入観が「もったいなすぎる」のです(アニメ現場だけの傾向かもしれませんが)。自分の描いた鉛筆画を、300〜600dpiでスキャンして「2値化せずに」そのままiMac 5Kで表示してみてください。「オレの(ワタシの)線って、こんなにも‥‥」と感動するはずです。「今まで、ワタシの(オレの)描いた絵を2Kモニタで何度も見てきたけど、全て嘘のボケた画像だったんだ‥‥」と驚くはずです。

耳年増にならずに、その手で描き、その目で確かめてみてください。

ただ、現在の「デジタル作画」は枚数を大量に描く必要上、同じ2DCG型でも、4K解像度はたとえアップコンで稼いだとしてもかなりの負担を背負う事になるでしょう。私は、紙と鉛筆の今まで通りの作画スタイルで4K/60pに対応する技術を提案したいところですが(前にも書きましたが、新しいアニメーションの開発過程で副産物として発見したのです)、やっぱり皆は「デジタル作画」のほうが良いのかなぁ‥‥。

デジタル作画の「真の目的」

私が度々「デジタル作画」について記事を書くのは、「なぜ、2014〜15年になって、デジタル作画が持ち上げられたのか」が「妙」に思うからです。‥‥いや、わたし的には、大体察しはついてはいます。まあ、「流行らそうとしている中心人物」(=誰なんでしょうネ)に聞いたわけではないので、あくまで「憶測」ですけどネ。

私が察するところをズバリ書きます。
 
4Kの受注を可能にしたい

‥‥からですよネ。もう少し、丁寧に言えば、「4K以降の映像フォーマット(放送フォーマット)に質的に対応して、未来の映像コンテンツの受注を可能にしておきたい」からだと思います。

なぜ、この事をズバリと言わないのか。とても不思議なのですよ。‥‥誤摩化そうとしてるんだろうか‥‥と邪推したくなります。

4Kと言いましょうよ、4Kと。

そして、「デジタル作画」の話題に乗る人々も、ペンタブやソフトの話題に誤摩化され過ぎてはいませんか。

200x年でも「デジタル作画」はいくらでも話題にできたはずです。なのに、なぜ、2015年の今、なのでしょうか。それを考えれば、「デジタル作画」急浮上の「裏」が解ります。

実写のCMなどは4Kカメラで撮影する事例が増えているようです。実写の4K劇場作品もポツポツと耳にします。実写の4K導入の動きと、アニメ現場の「デジタル作画」話題の持ち上げは、何かシンクロしているように思います。‥‥もちろん、示し合わせているわけではないでしょうが、「未来の映像コンテンツ作りに対応する」同じ目的があれば、動きが似るのは当然かも知れませんネ。

デジタル作画に興味をもつ現場の方々は、4Kをどれだけ意識していますか?

もしかしたら、「デジタル作画だとは聞いていたけど、4Kなんて話は聞いていない」のでしょうか。

「デジタル作画」の話題と、「4K」の話題は別だ!‥‥と言いたいのでしょうか。

‥‥う〜ん、それはちょっと「未来予測が甘過ぎ」はしないでしょうか。デジタル作画の習熟の後にくるのは、間違いなく高解像度化です。そして、その高解像度を活かすためには、作画の緻密化‥‥が必要になるでしょうね。過去の自分らの足跡を振り返れば、容易に想像できますよネ。作画用紙にどんどん線を詰め込んできた、自らの歴史に思いを馳せましょう。

「デジタル作画を導入しようとする真の目的」、そして「導入した後にやってくる事」を、流行だとか風潮だとかを取り払って、熟考したほうが良い‥‥と思うのですヨ。

現場の方々なら、肌身で実感しているでしょう。今の現場は、何で苦しめられているのか‥‥を。‥‥さて、そこに「デジタル作画」がやってきて、何をもたらすのでしょうか。そして、その「デジタル作画」導入の目的が4K対応の為だったら?

4Kテレビは、今、50インチで14〜16万円で買えるようになってきました。ステレオグラムの「3Dテレビ」の時と違って、テレビを観る側に妙な負担をかけませんから、4Kテレビは価格さえこなれれば、世間に浸透していくのは間違いないでしょう。2Kの上位互換品が2Kテレビと似たような値段で買えるようになれば、拒否する理由はないですもんネ。

また、映像作品を作る側も、3Dテレビ相手と4Kテレビ相手では、状況が大きく変わります。技術に疎い人は「3Dテレビと同じ顛末になるんじゃないの?」と考えるかも知れませんが、制作側にとっても、技術上の性質が大きく異なります。極めて面倒なステレオグラムの映像作りの制限から開放されるので、ぶっちゃけ4Kのほうが自由に映像が作れます。レイアウトは自由にとれるしネ。
*私は3Dお茶の間テレビのステレオグラムは限界があると思います。過去に関わってみてしみじみ実感しました。ステレオグラムは視野を覆う大画面スクリーンか、ヘッドマウントディスプレイじゃないとダメだと感じております。

私は4K8Kに対応する新しいアニメーション技法を準備していますが、その内容は非常識なまでの高詳細画像(=旧来現場的にみて)とフルフレームモーションです。‥‥なぜって、2K4Kそして未来的には8Kで鑑賞してもらうことを「技術上の目標」にしているからです。何か解らないけど、流行っているから‥‥ではないのです。明確な目標があります。その目標を達成するためには、業界の指すところの「デジタル作画」では無理だと判断したので、全く違う技術体系を築こうとしているのです。

一方、「デジタル作画」は「デジタル作画を導入する事自体が目的」にすり替わっていませんか。そして、その「すり替わった目的」で盛り上がっていませんか。真の目標を、何かによって、はぐらかされていませんか。

「デジタル作画」は「何かを手に入れるための手段」ですよ。それに気付いておかないと、また、「同じ事」が繰り返されます。

現場の作業者が納得ずくで(=大変なのを承知で)、未来の映像コンテンツ作りに対応する事で、自分らの未来を切り開くぞ!‥‥と、一致団結するのならそれで良いのです。‥‥でもさ、いつの間にか、すごく細かくて大変なキャラを描かされて、作業内容も劇重になって、釈然としないまま、徐々にビンボーになっていく‥‥のって、何度も繰り返して来た事ですよネ。それをもし再演するのなら、それに乗った方の責任もあるのです。4Kのキャンバスの広さをナメたらアカンですよ。

「デジタル作画」なんていうと、さも、「作画をペーパーレスにする」取り組みに見えますが、「ペーパーレスにしたから、何だって言うの?」という話です。A4用紙に鉛筆で描く「質的な限界を突破」したいからですよネ。目的は「質」であって「ペーパーレス」じゃないでしょ。

で、その「質」は何のために手に入れたいのでしょうか?‥‥やがて来る4K時代に対応したいから‥‥ですよネ。

潔く「4Kデジタル作画」と銘打てば良いのです。最初から、「数年内に4Kに対応するのが大きな目的の1つです」と宣言すれば良いのです。‥‥しかしまあ恐らく、「4Kなんて、いかにも大変そげな」とスタッフから警戒されるでしょう。だから「4K」の2文字を隠すんかいな?‥‥そういうのをダマし討ちと言うのです。進んだ先に4Kが待っている事を、正直にゲロしたほうが良いと思います。

無論、作業費の話は避けて通れないでしょう。今でもカツカツなのですから。そこらへんも「4K」を冠したくない理由だとは察します。でも、今回ばかりは、「うまい事、昔のギャラのまんまで、ネジこんでやったった」とはいかないでしょう。もしそんな事をしたら、‥‥まあ、言うまい。

ただ、今のアニメ業界は2Kの現在でも構造的な限界が露呈しているので、業界を1つの生命体としてみた場合、2K4Kに関わらず、「肉体の限界」はどうやったってあるだろうなと思います。だから、私は新しい「制作生命体」を研究しているわけですしネ。

「デジタル作画」がなぜ今、出て来たのか。出て来たウラには何があるのか。「無知だった」では済まされない、大きな分岐点である事を、絶えず自覚しておきたいですネ。

雑感

昨日今日の話ではなく、私はもうかなり昔から、自分の事をポジティブな人間だと痛感しています。「嘘こけ」とか言われそうですが、「アニメ作りで一生、生きていける」と根っから疑わない時点で、かなりの「楽天家」だと思います。様々な窮状が囁かれるアニメ業界で作業をしながらも、「もし、アニメで喰っていけなくなったら」‥‥なんてまるで考えないどころか、「今の作り方に無理があるのなら、別のアニメの作り方を見つければよい」‥‥と、「できない未来」よりも「できる未来」を想像するタイプの人間なのです。

実際、アニメ業界でどんどん劣化する作業状況を前にしても、悲観する感情は生まれず、「どうすべきか」のほうに気が向きます。「アニメ作品を作る」という事が、私の中で、議論の余地などない「肯定してやまない大前提」だからでしょうネ。端からは、問題を洗い出す行為が「ネガティブ要素を掘り起こしている」ように見えるのでしょうけども。

むしろ、未来発展のビジョンが鮮明に浮かび上がってきます。今まで蓄積した技術や研究結果、さらには顧みられる事も無く消えたかのように見えた技術を元手に、状況が悪い時ほど、発展のチャンスがあると思うからです。

現在の業界が行き詰まっているのは、ロードマップをイメージできない点も大きいと思います。業界はこの先、どんな風に変わっていくのか、もっと身近に言えば、自分たちの現場はどのように発展していけるのか、多くの人は想像できずに戸惑うでしょう。スタッフの年齢に応じたスケーリング、時代の変化に応じた技術発展をどれだけ具体的にイメージできるか‥‥は、アニメ現場&業界の最も苦手とするところだと思います。

未来のビジョンに基づくロードマップが無ければ、人々はどこへ歩いていくべきか、迷うばかりでしょう。‥‥ですから、繁華街に出てブラブラして時間を潰すような行動に終始してしまうのだと思います。業界自体が若い頃はそれでも良かったのかも知れませんが、もう相当に老いていますからね‥‥。
*毎年若い新人が入ってくる事は、総体の若さのバロメーターにはなり得ません。病人や老人の身体でも細胞は生まれ続け、代謝するのですから。重要なのは、若い細胞が生まれるか否かではなく、総体〜業界や現場の健康度・肉体年齢です。


2000〜2003年頃、「デジタルアニメーション」でアニメ制作に大きな変化が生じ、今までは絶対に不可能とされてきた効果を入れたり、積極的な画面作りをおこなう手法を評して、「アニメではこれ以上の表現は不可能」などと言われた時期がありました。私は、「そんなに簡単に、限界が来るわけないじゃん」と思っていましたが、テレビシリーズで「デジタル化」が進むのに合わせて、「クオリティよりも、出来るだけ手短かに納品する」事が優先され、正常進化するであろう「デジタルのアニメーション技術」は「技術的限界とは違う理由」で頓挫してしまいました。

例えば、以下の技術。アニメーターがエフェクト作画のマスクを、ペンタブで描くと、撮影効果・VFXまでリアルタイムで仕上がる技術は、2004〜5年のAfter Effectsを持ってすれば、充分可能な事でした。しかし、10年以上、こうした技術はアニメ現場から忘れ去られ、「黙殺」に等しい状態まで追いやられていました。


*ペンタブで描いた様子をキャプチャしたムービーを、大体3倍速くらいで再生しています。
*左の完成画面がたどたどしく反映されていくのは、タブレットペンを離してストロークが終了するごとにVFXが内部処理されるからです。
*炎は全体のアウトラインで大まかな動きをプランニングした後は、全原画&一発描きなので、このやり方でも充分動かせます。マズルフラッシュや跳弾、放電・スパークなども、同じ方法ですぐにも作画できますネ。
*ペンタブではなく、
(作画するキモチで)マスクをAfter Effectsで直に切って、アニメーションする方法だと、中割りを自動化できます。
*その他、パーティクルの炎なども組み合わせれば、その表現のバラエティはかなり広いものになります。様々な技術的アプローチは、エフェクト作画だけでなく、キャラやメカなどにも応用できるのです。



上図の炎のエフェクト作画は、1枚あたり1分に満たない時間で、アニメーターの描きたいように自由に、VFXまで処理された図像へと仕上がります。旧来と同じスタイルの炎透過光(ベタヌリマスク)も、輪郭を細線で描いて、中・大サイズの線で粗塗りすれば、表現可能です。

一方、アニメ制作現場では、第1原画で作画して、それを第2原画で清書して、さらに動画で奇麗な線に仕上げて、スキャンしてペイントして、撮影で透過光処理をかけて‥‥という格段に手間のかかる行程を選択し続けてきたのです。

「コンピュータを積極的に使いこなす」事は、今までにない表現を取り入れるのと同時に、上手く技術体系を形成していけば、工数の飛躍的な削減にもつながります。しかし、現場は「やり慣れた段取り」を優先し、遠回りの道のりを違反速度とも言える猛スピードで駆け抜ける事によって、時間を短縮してきたのがこの10年間の歩み‥‥とも言えます。そして、疲弊し、ガタがきているのです。

しかし、同時に思うのは、実は「コンピュータならではのアニメーション作画技術」(*「デジタル作画」ではなく別物です)はこの10年の間、水面下の存在に甘んじて良かったのかも知れない‥‥という事です。「簡単で楽」だと思われている「デジタル」のうわべの「ポジティブイメージ」のお陰で、本当の「デジタル」のポテンシャルはネガサイド・ダークサイドに身を隠し、無理無謀なローコスト化の餌食にならずに、温存され、守られた‥‥とも言えます。

10年間以上眠り続けた技術、舞台裏で新たに生まれた技術、全く異なる意識のもとに生まれた技術、そしてそれらを組み合わせて応用する技術を足場にすれば、旧来とは大きく(全く?)異なる制作スタイルを確立する事ができます。その新しいスタイルの新しい制作現場で鍛えられた技術は、さらなる「その先の技術」へ進む事でしょう。

私は自分の敷いたロードマップに遅れをとらないように、自分のケツを引っ叩きながら、マップの基点をクリアしていくのみです。

 

弁証法?

「ネガティブな事ばかり書きやがって」‥‥と内心面白くない人もいるかも知れない、いや、きっとそこそこ沢山いるであろう、このブログ。

でも、本当にアニメ作りが嫌いなら、30年も業界にいるかいな。私は、流行り廃りでアニメを好きになったり離れたりする人と、比べ物にならないくらい、アニメが好きです。アニメ作りを愛してやみません。

私はアニメ作りを肯定したいのです。根っから、ネ。

ゆえに、問題を掘り下げます。アニメ作品作りを「正」の存在として確立するために、わざと困難で手強い「負」をぶつけるのです。そして何度も角度を変えて検証し、新たな姿を見いだしたいのです。

私は高卒の無学ゆえ、「弁証法」などとは全く無縁でしたが、私の考え方やプロセスはそれに近いのかも知れません。

アニメを作る事はテーゼであり、それを不可能な状態へと引きずり込んだり破綻せしめる状況をアンチテーゼとして、自分の中で自己ディベートし、そこから生まれる新たな意識や実効的なプランを導きだすわけです。そういうの、ジンテーゼって、言うみたいですネ。

でもまあ、いいや。解ってくれる人だけ解ってくれれば。

そしていつか、解ってくれる人々と一緒に「ピザ」をお腹一杯喰えれば。

ピザの配分

私の考える新しい制作現場のシステムにおいて、一番基本的で重要、かつ、誰でにも解りやすい理屈なのが、「むやみに人を増やさない」事です。もちろん、20〜60代までの世代ごとの厚みは形成されて然るべきですが、泥縄状態で人員を増やすのを、システムが抑制する仕組みを作りたいわけです。

現在のアニメ業界では、1原、2原、中には1原をさらに2分割するような事例もあり、撮影においては、コンテ撮、レイアウト撮、ラフ原撮、原撮、動撮、仮色によるカラータイミング撮、背景無しのカラータイミング撮、本撮、さらには恐怖の仮本撮・ダミー本撮まで存在します。‥‥私が知らないだけで、今はもっと「ほにゃらら撮」がありますかネ?

これで予算が無い、時間がない、人手が足りない‥‥なんて、現場ぐるみの自作自演そのもの‥‥じゃないですか。

現在の業界から聞こえてくる色々な状況は、ピザLサイズ・12ピースカットをさらに半分に分けて24人で食べているようなもの‥‥だと思います。そりゃあ、ひもじくもなります。人を沢山呼んじゃったんだから、しょうがないと言えばしょうがないですよネ。

ひとり1ピースのピザを食べるには、Lサイズを2枚注文する必要があります。‥‥しかし、1ピースが各人にいき渡ったとしても、やっぱり「1ピースぽっち」で、空腹は満たせません。

さらには、Lサイズを2枚なんて、家計的にとても無理!‥‥なのだとしたら、それはもう、構造が破綻しているという事です。




「最近、どんどん安くなっている(=ギャラが)」と横の繋がりで聞きます。信じられない額の作画の仕事も、実際に請け負った本人から聞いた事があります。

CTやAR、DB合わせで「ほにゃらら撮」を乱発すれば、限られたお金は少しずつでも確実に減っていきますよネ。「ほにゃらら撮」だけが原因ではないでしょうが、都合、全体をやりくりして捻出しなければなりません。放映や公開直前に仕上げる状況のしわ寄せは、確実に各所へと波及しているようです。素人考えですと、短期に作れば安上がりのように思えますが、実は短期に色々と揃えなければならないので、無駄なパッチあて・取り繕いの作業が増えて、コストは増大します。
*注)フィルム時代はこんなに「ほにゃらら撮」は発生しなかったと聞きますし、20代の私(つまり20年前頃)がラッシュに立ち会った記憶でも、ここまで「ほにゃらら撮」を見た覚えがありません。本撮以前の撮影を2度3度繰り返すのは御法度でした。なぜって、フィルムの取り回しはコスト的にも時間的にも重かったので、乱発できなかったから‥‥です。つまり、フィルムがルーズさへの抑止力の1要素となっていたのです。

現在は、作監料は人数で予算を割る‥‥とも聞きました。私がアニメーター100%だったその昔は、作監補佐の費用は追加費用でしたが、今は「割り勘」のようですから、キャラデザインと総作監まで登り詰めて、高額な版権イラストなどをどんどんこなして、「稼げる時に稼がなきゃ」キツいですよネ。

私が度々書いている「少人数で作るシステム」とは、まさにこの問題に真正面から取り組むものです。前述のピザに例えるならば、Lサイズのピザを4人で分ければ良いシステムを実用化しようと進めています。もっと言えば、「毎度毎度、Lサイズなんて大き過ぎる。たまには冒険して、変わった味のピザをMサイズで、2人だけで食べても良い」とも考えています。

ただし、ピザを少ない人数で食べるには「マナーと資格」(運用技術と映像技術)が必要です。そのかわり、そのマナーと資格に見合った満腹感が得られます。要は「技術職はその技術に見合った報酬が得られる」という事です。

マナーも資格も持ち合わせていない新人はどうするのか。お手頃価格のマルゲリータ1ピースから食べ始めて、然るべき事柄を覚えていけばよいのです。‥‥それでも、僅かな切れ端ではなく、ちゃんと1ピースを食べられるところからスタートできるのです。

以上のように、理屈は簡単過ぎるほど簡単です。今の業界の作り方は、あまりにも大人数でお金を分け過ぎるのです。だったら、少人数で分ければ良い‥‥のです。

ただ、今の業界の作り方だと、少人数で作るのは確実に無理でしょうから、作り方そのものを変える必要があるのです。それがいつも書いている「少人数による新しいアニメーション技法とシステム」です。

作業者の技術に対するウェイトが高ければ高いほど、「品質でもうけなさい」の理論を実践できるのです。必ず「ウチは半額でやりますよ」と言う人々が現れるでしょうが、その時こそクラウゼヴィッツの出番です。レッドオーシャンからの挑発にどう対処するかは、実は予定された「軍事演習」なのです。防御戦(相手に攻めさせて補給線を疲労させ自滅へ追い込む)の思考が多いに役に立ちます。戦争の歴史や理論は、ふんだんにビジネスへの応用が利く‥‥のは、今更そんな事をドヤ顔を言われても‥‥というくらいの常識ですが、アニメ業界ではほとんど耳にしないですよネ‥‥。まあ、それだけ平和な雰囲気をもつ現場なのかも知れませんが、平和ボケゆえに喰いものにされているのでしょう。


私はほぼ30年、アニメ業界で生きていますから、この業界の問題点や限界を何度も痛感し、改善のプランや計算なども繰り返し演算してきました。自分の現場で、せめて自分の部署くらいは‥‥と改善を実践してみた事もあります。恐らく、他の方々も同じでしょう。‥‥でも、誰も(もちろん私も)この業界を根本からたて直す画期的なアイデアを考案する事は出来なかったのです。誰もが今よりは良い方向に向かいたいと願っていながら、現実は全く逆の方向へと進み続けています。

もう皆、わかっているはずです。大規模の人員と工数で作る事の限界、そしてアニメ作品だけが膨大な制作費を要求できる特権を持たない事を。

一時的な好景気がアニメの制作費を潤したとしても、何十年間もずっと好景気が続く事など無いのです。大きな浮き沈みがあります。

世界的に有名な監督が引退した事で、ビジネスモデルが成り立たなくなった事例を、つい最近耳にしたばかりではないですか。あんなに大ヒットを出し続けた制作母体でも、制作現場の構造が維持できなくなる‥‥なんて、私にとって大きなショックでした。これはすなわち、メガ・ギガ級のヒットを出しても破綻するほどの構造を、現方式のアニメ制作現場自体が「宿命的に抱えている」という事だと思っています。

アニメーション制作を再発明しなければならない時期が到来している‥‥と、少なくとも私は、強く感じるのです。

やりがいのある仕事をこなしたら、ビールを飲みながら、ピザをお腹いっぱい食べたいじゃないですか。
 

勝利条件

アニメ業界の指すところの「デジタル作画」は、色々な人から話を聞くと、紙と鉛筆をコンピュータとペンタブレットに置き換えたものが主で、原画と動画が依然として存在する作業スタイルのようです。ボーンや三角メッシュなどを使って「平行移動」「変形」で動かす事例を「デジタル作画」に含む事もあるようですが、主軸はあくまで従来の「描き送り」方式、つまり原画を描いたら、その間を動画で動きを繋いでいく形式のようです。

一方、私の「描き絵をコンピュータで動かす」技法は、平行移動や変形だけでなく、回転など(真後ろから真正面への、ゆっくりと動く顔の振り向きなど)も普通に可能な技法のメソッド化を進めており、いわゆるボーンや三角メッシュでは不可能な領域へと踏み込んでいます。何故って、「振り向きができないキャラなんて、芝居が出来ない役者と同じ」だからです。変形・平行移動と絵の乗り換えだけで見せるやりかたは、やがて限界が訪れると思うんですよ。

つまり、「紙芝居からの脱出」です。これがまずは「デジタルで動かす」技術ムーブメントの第1の「勝利条件」だと思っています。これをクリアするには、実はとても身近な作業を「デジタルで動かす」技法に取り入れれば良いのですが、その内容まではさすがにココではベラベラと喋れません。新鋭戦闘機開発の重要な機密事項みたいなものなので‥‥。

4K60pに対応する事はもはや勝利条件ではありません。4K60pの中身が重要で、今までのアニメとは違った画風、そして繊細さを有した上で、紙芝居ではない「芝居の基本」が出来る事。そしてその生産性が一定の効率を達成する事。‥‥それがまず最初の「勝利条件」です。その勝利条件をクリアすれば、次の戦いに挑む戦略拠点を確保できます。何だか「大戦略」でキャンペーンを勝ち進むのと似ていますネ。

勝利条件を設定する‥‥という事は、その達成目標を得るための「開発要求」の設定も必要になります。

考えてみれば、新しい映像の開発というのは、他の開発、例えば戦闘機開発のような側面を持ちます。私は新しいアニメーション技法とシステムの開発において、上記の「勝利条件」をクリアするための、達成すべき仕様書・要求書を作成して進めています。‥‥ただそれもさすがに、ここでは公開できないので、仕様書や要求書がどういう類いのものなのか、まさに戦闘機開発の文献から引用してみます。

Wikipediaの「零式艦上戦闘機」のページから引用
 
「昭和十一年度 航空機種及性能標準」
機種:艦上戦闘機
使用別:航空母艦(基地)
用途:1. 敵攻撃機の阻止撃攘/2. 敵観測機の掃討
座席数:1
特性:速力及び上昇力優秀にして敵高速機の撃攘に適し、且つ戦闘機との空戦に優越すること
航続力:正規満載時全力1時間
機銃:20mm1〜2。1の場合は7.7mm 2を追加。弾薬包は20mm 1につき60、7.7mm 1につき300
通信力:電信300浬、電話30浬
実用高度:3,000m乃至5,000m
記事:1. 離着陸性能良好なること。離艦距離 合成風力10m/sにおいて70m以内/2. 増槽併用の場合6時間以上飛行し得ること/3. 促進可能なること/4. 必要により30kg爆弾2個携行し得ること

「十二試艦上戦闘機計画要求書」
1.用途:掩護戦闘機として敵軽戦闘機より優秀な空戦性能を備え、要撃戦闘機として敵の攻撃機を捕捉撃滅しうるもの
2.最大速力:高度4000mで270ノット以上
3.上昇力:高度3000mまで3分30秒以内
4.航続力:正規状態、公称馬力で1.2乃至1.5時間(高度3000m)/過荷重状態、落下増槽をつけて高度3000mを公称馬力で1.5時間乃至2.0時間、巡航速力で6時間以上
5.離陸滑走距離:風速12m/秒で70m以下
6.着陸速度:58ノット以下
7.滑走降下率:3.5m/秒乃至4m/秒
8.空戦性能:九六式二号艦戦一型に劣らぬこと
9.銃装:20mm機銃2挺、7.7亠―2挺、九八式射爆照準器
10.爆装:60塲弾又は302発
11.無線機:九六式空一号無線電話機、ク式三号無線帰投装置
12.その他の装置:酸素吸入装置、消化装置など
13.引き起こし強度:荷重倍数7、安全率1.8

〜引用終わり


‥‥さすがに戦闘機の指示書だけあって、ものものしい感じですが、私の計画書も上記を映像要素に置き換えたような感じです。

「なんだか堅苦しくないですか? アニメなんだから、もっと気楽にやろうよ」とか言われそうですが、確固とした目標を持たずに漠然とコンピュータを弄くり回していたって、埒が明かないのです。趣味でやっているのならともかく。‥‥気楽にやっている間に、確実にお金と時間は捨てられていきます。

勝利条件や開発要求というものは、当然の事ながら、「情勢」を鑑みます。私の新しい技法とシステムにも、開発上の「仮想敵」があり、その「仮想敵を上回る性能」を求める事になります。

2007年くらいから徐々に「デジタルで動かす」方式を研究して、いくつかのPVも共同で作りましたが、トランスフォームやディストーションで動かしただけではどうしても「紙芝居」になります。私が2010年に見た太平洋の向こうの某国のPVは、「紙芝居ベース」なのに生き生きとした動きを実現しており、かなりのショックを受けたものですが、同時にその方式の限界も垣間見えました。絵を乗り換える必要上、どうしても極端な「両端ヅメ」の動き、良い言い方をすれば「スタイリッシュな動き」になり、本編中のモーションがタイムストレッチでデフォルメしたような動きばかりになりやすいのです。‥‥ただ、それでも、某国の技術は今から5年も前に高いレベルで結実していました。

某国の開発規模の大きさと、自分や周囲の状況を比べて、落胆したのは正直なところです。しかし、この段階で心折れて足踏みしていたら、いつまで経っても、某国新方式や日本の旧来技術を、凌駕する事はできません。「モンキーモデル」(コストダウンの性能劣化版)を作っても、技術的な意味をなさないと思いました。

ゆえに新しく仕切り直した「開発要求」は厳しいものでした。すごろくで何マスも前に戻った気がして、正直キツかったですが、その要求を上回れば、新たなスタートラインにたてるとも思いました。物量的弱者にも戦い方はあり、幸運な事に、コンピュータは弱者にも味方してくれます。映像技術と運用技術の2つの技術は言わば「双子の姉妹」であり、その姉妹を育てていく事で、未来が開ける‥‥と思っています。


一方、「デジタル作画」。

映像技術と運用技術の「勝利する」ための「開発要求」が、どうにも見えてこない‥‥のです。「4K時代が」みたいな話も聞きますが、前にも書きましたが、紙と鉛筆の作画でも4Kに対応する術はあります。「デジタル作画」に切り替える事で、「飛躍的に向上する何かしらの要素」が、聞く度に、どうにも伝わってこないのです。

単に、「アニメ作画をデジタルに置き換える」のがテーマになってしまっているように見えるのです。
 
「何のために作画をデジタルに置き換えるのですか?」

「何のため‥‥ではなく、置き換える事そのものがテーマだから、疑問を差し挟むべきではないのだよ」

「では、作画をデジタルに置き換えた事で、何が得られるのですか?」

「作画がデジタルに置き換わった後の『アニメ業界』だよ」
 
「‥‥‥。」


映像表現技術の観点で言えば、「紙と鉛筆」時代と「同じ事が出来ても、売りにはならない」のです。見た目がはっきり変わって、「今までと比べて、確かに奇麗だ」とか「見た事のないアニメだ」と評価されなければ、「なぜ、高い機材を導入して、今までと同じ事しかできないの?」とつっこまれる事は、誰でも想像できますよネ。「デジタル作画」に限らず、新技術というものは、「成果物に表出する決定的な何か」がないと「弱い」んです。過去と同じ映像表現であっても、販売品の価格を大きく引き下げられるほどの劇的なコストダウンを果たせる‥‥とするならば、その試算は、作業環境の維持費やデータ管理費なども含めた長期の試算でしょうか。

では、運用技術だとどうでしょうか。プロジェクトXの「スイカカード」のエピソードではないですが、運用上でもはっきりとした利点が既に開発計画書で示されていなければなりません。‥‥でなければ、「何のために?」という同じ疑問で打ち消されてしまいます。私が思うに、進捗状況と成果物の在処を同時に管理する、制作状況管理システムの開発無しには、「デジタル作画」の運用上の有用性は示せないと思います。コンピュータモニタを前に制作進行スタッフが、逐一ドラッグ&ドロップで素材をコピってたら、何のための「オールデジタル環境」なの?‥‥という事です。この辺りの開発は業界各社の水面下で進んでいるのでしょうか? コンビニのキャッシュディスペンサーの横に銀行係員を1人ずつ常駐させるような行為は、いかにも馬鹿げています。

そして、最終的に観る側が、「デジタル作画」の効能を作品に見出す事も重要です。2000年前後に「デジタルペイントと撮影」がその効果をアピールしたように‥‥です。仮に、「え? これってデジタル作画とか言う新しい方式で作ったアニメなの? 言われるまで気付かなかった‥‥」なんて評価だったら、「デジタル作画」導入の効果は「内輪受け」に終始してしまった‥‥と言えます。気付かれないくらいだったら、「好きじゃない」「昔の方が良い」とマイナス評をもらったほうがマシです。新技術導入に気付いてもらえるだけ、その後の発展に繋がります。

「デジタル作画の勝利条件」は何なのでしょうか。そして、勝利して進んだ先に、何を見据えているのでしょうか。

「デジタル作画」という技術は、未来への何かを強く発散しているのでしょうか。


勝利条件を勝ち進む‥‥で思い出す事があります。かなり昔、レーザーディスクでPDI(Pacific Data Images)の「Locomotion」(1989年の短編作品)を見た時に、紙と鉛筆に明け暮れるアニメーターながら、3DCGの可能性に興奮した事がありました。今の目で見れば、短編を作るのがやっとだったのかも知れない事情も見えるし、色々な部分で開発途上の痕跡を記した映像ですが、確実にそれまでの手描きのアニメとは違う「アニメのような何か」が未来に現れる‥‥と思ったものです。

‥‥そして今がその「未来」です。3DCGのアニメ作品(と呼べば良いのかな)の隆盛はご存知の通り。スーパーで買い物してるだけで、「アナ雪」のキャラが視界に飛び込んできますもんネ。

●PDI 1989年作品 「Locomotion」



自分の事で言えば、1996年、北久保監督に誘われて、プレステの攻殻機動隊の映像を作った時も、その後に押井監督のガルム(当時はD2、もしくはD.O.Gと呼ばれていた)のパイロットフィルム作りに参加した時も、初めてAfter Effectsを使ったTales Of Destiny(いのまたむつみさんのキャラの)の時も、今から関わろうとする2Dベースのコンピュータ技術の潜在的なポテンシャルの高さに、まさに「武者震い」したものです。どんなマイナス評も(例えば、アニメはフィルムで作るべきだ云々)、技術から強く発散される潜在能力の前に霞みました。「デジタルは薄っぺらい」なんて話もよく聞いたものですが、「それは薄っぺらい絵作りをしてしまうからだ」と強く実感しておりました。コンピュータ本体の問題ではなく、コンピュータを使うこちら側の人間の問題だと。

当時の私は、コンピュータにはフィルム時代とは比較にならないほどの、自由な絵作りの広がりがあり、この広がりをもってすれば、「勝てないわけがない」‥‥と思いました。16ミリフィルムの画質、何かと制限の多い撮影台、現像上がりまでの待ち時間の長さと、現場への技術フィードバックの遅さ。フィルム撮影台に比べて、コンピュータによるコンポジット&エフェクトは、運用面でも、表現面でも、旧来を凌駕できる事は明白でした。

「デジタルの止めカットはフリーズ(凍結)する」なんて事もありましたが、だったら「フリーズしない表現技法を編み出せば良い」と思いました。手ブレとは違う、「フローティングカメラ」などと呼んだ手法は、そうした背景から生まれました。要は考え方、機転‥‥なのです。


そして2015年。

要は、「デジタル作画」で「これで絶対に勝てる!」と武者震いする人がいるのなら、良いのです。その人たちが切り開くでしょう。

ただ、私が聞く話はどうも、野心や野望の要素がなく、「時代に合わせて」「4Kが」‥‥という消極的なスタンスが支配的です。本当にそうなのかな‥‥。4Kに怯えるのでなく、4Kのケツを引っ叩くくらいの気概が欲しいですよネ。でも、イベントのアフターレポートとかを読んでも、大きなテーマは見えず、既に些末な要素に当惑しているフシが見えますしネ‥‥。

「デジタルは便利で楽」‥‥ではなく、以前の様々な要素に対して「勝る」事が重要だと思います。即座にではなく、例え長期的な展望でも、最終的に凌駕する事が。
 

抜本的とはいうものの

「デジタル作画」がらみで色々書きましたが、結局は何よりも、抜本的な制作構造の見直しの是非が問われているのでしょうネ。‥‥ただまあ、私はもともと「抜本的」という言葉がキライで、どこか「抜本的」という言葉には鏡像として「根本をひっくり返す事はできない」負のイメージがあり、「抜本的な何々」という文章を聞くと、「ああ、頓挫して失敗するな‥‥」と直感的に感じてしまうのです。政治家とかがよく「抜本的な改革を」とか言うけど、その通りになったことはほとんどないですもんネ。

ですから、私は作り変える(=改良・改善)よりも、ゼロから新たに作る方法で行動しているのです。何度も繰り返し「新しいアニメーション技法とシステム」という表現を用いるのは、長年に渡る熟慮の上で‥‥です。アニメ業界のシステムには一切頼らない一方で、業界で仕事をする人の参入は歓迎するところですが、業界人の流儀に合わせる便宜は一切おこないません。「原画を描いていた人だから、原画作業っぽい作業発注のしかたで‥‥」なんて、因習をモロに引き摺るナンセンス極まりない「要らぬ気配り」だと考えています。

現在の私の業務も考えてみれば、撮影業務の内側でコンピュータによる撮影へと移行したわけではなく、撮影スタッフが一人もいないフロアに事務机とパソコンを置いた「新設の部署」からスタートしています。フィルム撮影時代の風習に影響を受けず、短期にのびのびと技術が育ったのは、「古い基盤からスタートしなかった」ゆえだと、強く実感します。

実は、既存の作業形態や技術体系を足場にして、新プロジェクトを興そうとしても、その足場には旧来の因習がまとわりついており、皮肉なことに足場そのものが新しいスタートの邪魔をする‥‥なんてことが、多く存在するのです。

これは改革や改善をする取り組みでも同じ事が言えます。なぜかというと、「状態が劣化した事によって、成立している状況」があるからです。

CT・AR・DBなどのイベントに間に合わすための、オフライン素材(線撮など)を乱発する状況を、改善しよう‥‥と思ったとします。今はオフラインのフルコースも珍しくなく、コンテ撮・レイアウト撮・原撮・タイミング撮にコストを割いて間に合わせている状況ですから、これらをできる限り削減する(=つまり良好なスケジュールを取り戻す)事でコストダウンが可能なのは、業界人なら誰でも認識しています。

しかし一方で、原撮などの線撮作業を収入源としている人たちもいます。オフライン素材の作成を減らすということは、その人たちの収入を大幅に減少させる事にもなります。

また、「2〜3日で本撮テイク1」なんていう撮影スケジュールがテレビシリーズで定着してしまった現在、テレビを主体とする撮影会社や撮影班は、その短期スケジュールに対応するために人員を強化しています。2000年前後の頃は今のような超短期のスケジュールではなかったので、手の速い人なら1人で撮影をこなせることもありました。しかし、先ほど述べたオフライン素材のフルコースと2〜3日の本撮スケジュールでは、1人で作業なんて到底無理です。当然、人をどんどん増やすことで対応します。

結果、大勢の作業者を抱えた現場では、作業者を手空きで遊ばせる事がないように、2〜3日の高回転で仕事が回ってくれないと、逆に不都合・不利益が生じます。3人の現場で2日手空きが生じるのと、15人の現場で2日手空きが生じるのでは、損失にどれだけの差が表れるか、ちょっと頭の中でイメージすればその大きな差(仮に1人足1万x2日で試算すると、3人の現場は6万、15人だと30万、その差は24万です)がわかりますよネ。だからと言って、簡単に人を解雇もできないでしょう。

さらには、原画を電送したら24時間で動仕上がりで帰ってくるようなアジア諸国への依存体制も、同じように、受注側としては24時間で高回転させて収益を維持するために、「劣化した状況は必要悪」なのかも知れません。

高回転型に体質を変えた後では、大量のリストラでも敢行しない限りは、もう元には戻れないのです。

状況が劣化したり激化した背景には、その状況の中でこそ生きる人々もいるわけで、実は「抜本的な改善」を望まない人も相応に存在する‥‥のでしょう。だって、その人たちにとって、状況を改善されたら、仕事が減ったり、なくなっちゃうもんネ。

今の現場は問題がある、改善すべきだ‥‥という人と、今のままでいい、この状態で良い‥‥という人が既に混在している業界の中で、「抜本的な」何かって可能なんでしょうか。私には、不可能に思えてしょうがありません。‥‥だって、可能へと導く「具体的な戦略・戦術」が見えないですもん。業界は一枚岩として1つの目標に向かって団結できない事情をもつのです。

2005年くらいから、急速に悪化し、この10年で今の状態が定着したアニメ業界は、さらなる劣化は考えられど、改善はどうも期待できないように思います。上記ゆえの理由により‥‥です。数回に渡って書いた「デジタル作画」は、その劣化の状況に「火に油を注ぐ」役割になりそうだ‥‥という事ですネ。

現場では「道徳の授業」は通用しません。「ものつくりたるもの、こう生きるべし」とか、「アニメ制作現場とはこうあるべき」だの、「コンピュータの正しい使い方」なんて、どうでも良いのです。みな、賢者や聖者になりたくて、現場で働いているわけではないですからネ。自分に与えられたジョブを完遂する事を基本かつ最上位の目的とします。劣化してしまった現場においては、その「完遂させようとする」思考(=どんな手段を使っても納品する‥‥など)がさらに状況を悪化させたりもします。

「現場に道徳を求めるのは不毛」ですが、同時に「仕事のやりがい」を欲し、「作業報酬(つまりギャラ)で、自分の存在意義を認めたい(認められたい)」とも、現場の作業者は思うものです。

であるならば、その「現場の人々の構造」において、新しい現場のシステム・戦略・戦術を立案し実行すれば良い‥‥と考えます。ただ、その際は、「アニメ業界システム」に頼ってはいけません。今までと同じ道を辿ることになりますからネ。

鎌倉時代からアニメ業界があったわけじゃないのです。結局、どこかの誰かが、世界で、そして日本でアニメを作り始めたんですよネ。‥‥既存のシステムがないと何もできない‥‥なんて、如何にもモロい現代人のサガをいかんなく発揮するだけじゃなくて、「開拓する野性」を呼び起こしてみても良いんじゃないか‥‥と思います。コンピュータはそれが出来る素質を持つのですから。

制限ばかりで何もできない?

現状のアニメ業界に「デジタル作画」を上乗せで導入した際の、様々な危険予測を前々回まで何度かに分けて書いたのですが、それを読んだ人の中には、「危険予測にがんじがらめになって、行動する前に制限ばかり設けたら、何もできないじゃないか。まずは行動すべし。」と感じた人もいるのではないでしょうか。

こうした考えは若さの特権とも言えます。「ぶっ壊れてもいいから、行動あるのみ」だと。‥‥実は、私も20代の頃は、「冒険をせずに仕事に腰掛けるオヤジたちは、言わば御隠居様か」とイキがっていたものです。たしかに、若い人間から見てそんな風に見えるオジさんは、いつの時代にも、どこにでも存在するでしょう。

でも、今の歳になって、オヤジと化した私は、「危険予測を入念におこない、制限や規約を設けても、結局は何でもできる」と強く確信するのです。様々な制約条件の中でも、冒険はできるのです。

「ぶっ壊れてもいいから、行動あるのみ」という考えは、自動車に例えていうなら、最低限の外装で安全装置を一切持たない、馬力とトルクだけの自動車を開発するようなものです。ちょっと接触しただけでグニャリと凹み、ドライバーを簡単に死に至らしめるような、パワーユニットだけが高性能の欠陥車。安全装置を外し、外装を薄皮ペラペラのアルミにすれば、恐ろしく軽量な車重となり、トラブルが生じない限り、最高の速度性能もしくは燃費を誇るでしょう。‥‥でも、そんな車、誰が乗るんでしょうか。喜んで乗るのは、パワーユニットだけに夢中になって視界の恐ろしく狭くなった、開発者本人だけです。

各種の安全装置を備え、様々なレギュレーションの中で、高性能を叩き出してこそ、プロフェッショナルというものです。

500馬力のエンジンを作っても、安全装置とレギュレーションが負担になって、実質400馬力しか出てない‥‥というのなら、650馬力のエンジンを開発して相殺すれば良いのです。もしくは、安全装置を軽量化する技術、レギュレーションを逆に活かすメソッド、馬力だけに頼らず足回りで平均速度を上げるドライブテクニック‥‥を総合開発すれば良いのです。

でも、若い頃はキャパが狭いので、自分の身近で手の届く、馬力ばかりに依存するのです。

それに‥‥です。制約条件というのは、逆に頭角を表すチャンスでもあるのです。制約条件をクリアして、何かを成し遂げた‥‥という事は、相当にその本人やグループに経験値と技術力が備わったという事であり、放っておいても「周りから突出して目立つ」ものです。似たようなグローバルな制約条件を持った競合に対し、アドバンテージを獲得したという事なのですから。

なので、「デジタル作画」における制約条件や障害を、逆に反動として強いプラスエネルギーへと置換し現場に還元できる人が現れたら、もしかしたら「デジタル作画」はうまくいくのかも知れません。‥‥が、前にも書いたように、その人は「ジョンコナー級」の人でしょうネ。

私の進める新しい技法は、周囲360度、制約と障害がもの凄く大きいので、鏡像として、その絶大なパワーが見て取れるのです。しかしながら新技法の特性である、枚数無制限で巨大解像度、スタイルが縦横無尽、少人数規模といった要素は、単なるパワーユニットです。その大馬力パワーユニットから伝達されるエネルギーが、システムをどのように動かし、外部に解き放たれるのか‥‥を想像した時、大きな冒険心が「ものつくりの魂」を掻き立てるのです。

絵を描くとき、目や口や髪型だけにしか興味をもてませんか? 服やそのシワの描き方、腕や足、爪の描き方、全体のポーズ、コントラポストにも興味が湧けば、全体で絵のかっこよさ・可愛さが表現できますし、まさにそれが絵の醍醐味ですよネ。顔だけでなく、様々な要素でキャラの表情や雰囲気を描けるようになった時、「オレ(ワタシ)って、上手くなったかも」と実感できるんじゃないでしょうか。まさか、「自分は顔だけを描きたいので、服や体を描くのが、自分の中では障害・制約になっている」なんていう人はプロの絵描きにはいないでしょう。

広い視点で観念的に見渡せば、当座の制約条件や障害は、実は「美味しさを引き出す隠し味」なのです。

私や識者の方々が危惧しているのは、狭い視点で場当たり的に、現在の問題を改善せずにむしろ蓋をするような誤魔化しかたで、「デジタル作画」を導入しようとする機運を感じるからです。まさに「ぶっ壊れてもいいから、行動あるのみ」の「壊れちゃった場合」のパターンですネ。

ただ、「一度ぶっ壊れたほうが良い」なんて言葉を色んなところで耳にするので、それもありなんでしょうか‥‥ね? 私は、結構冷めた考えで、「一度ぶっ壊れても、強い何かが機能しない限り、新たに生まれる生態系も同じ姿に育つ」と思えるので、「焼け野原」論が善なるアニメ業界の新興に繋がるとは限らない‥‥と思っております。‥‥難しいですよネ。

あと、ここまで書いといてナニですが、「デジタル作画」に業界の「免疫力」を打ち負かすほどのパワーがあるのか‥‥も考えます。今までの論調は、「デジタル作画」を業界全体が受け入れた場合‥‥で考えていますが、それ以前に「免疫力」が作用して、受け入れ方を「体質に影響が出ないレベル」に抑える可能性もあります。「数社がコケた」のを見た後に、受け入れられる部分だけを受け入れる‥‥というネ。実際に現在でも鉛筆とペンタブが共存しているケースもありますもんネ。

とにもかくにも、まずは自分の足元。「デジタル作画」の性能を精査しつつ、「自分の現場」をどうしていくか‥‥ですネ。


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