作業のフォーマット
作業を進める上での様々な決め事や手法、段取り、コツというのは、事前に計画することはもちろん重要ですが、実際に作業をしてみて解ることも多いものです。当初は予想もしなかった大変革に至ることも珍しくありません。私の準備中の新しいアニメーション技法はまさにソレで、タイムシートやタップ穴まで廃止するに至るとは、考えてもいませんでした。
Bloodの2000年劇場版や、イノセンス、そしてホリックやテニプリ(共に劇場版)の撮影監督を経て、「短いプロモーションフィルムなら、ごくわずかの人員でも映像を完パケできる」と実感したことから、今に繋がる新しいアニメーション技法はスタートするのですが、その頃の作業フォーマットのイメージは「極めてコンパクトな従来型アニメ現場」であって、原動仕や背景美術、撮影、編集などの旧来フォーマットを継承するものでした。セル絵具やフィルムの保持・管理が必要ない利点を活かし、さらにはコンピュータ上での作画要素も盛り込むことで、格段にコンパクト(=特にコスト面において)な現場での制作が可能だと思いました。‥‥もしかしたら、今のアニメ業界はこのあたりを何となく目指しているのかな‥‥とも思えます。何故かと言うと、「旧来の延長線上で考えやすい、進化のベクトル」だからです。
そうした中、私はまず、タップの規格変更を模索してみました。アニメ作画用紙のあの3穴タップは、日本においてはアニメ業界以外では目にしないもので、これをもっと標準的な仕様に変更できないか、色々と模索してみたのです。標準的な仕様に変更すれば、「コスト的に割高な3穴タップに縛られなくなる」と思ったからです。ISO838という国際規格、もしくは4穴の888を使って、容易に作画用紙が作成できることを目指したのですが、結果は惨敗。ISO838は寸法のマージンが1ミリもとってあり、精度において全く使い物にならない規格で、私の期待する6ミリピッタリの穴を市販の機器に求めることは無理だと悟りました。穴を開ける側だけでなく、綴じる側にも精緻な工作精度が求められるので、突き詰めていくと結局は「新たな独自規格」に基づいた「新たな機器と道具を作る」事となり、「国際規格を使ってローコスト化を狙う」主目的と全く逆の結果になってしまう事が明らかになりました。
*ISO838は、「紙を束ねるため」の規格であって、「紙をピッタリ合わせるためではない」のです。その規格に頼ろうとした私が悪いのです。
*現在のあの特殊なタップ穴(欧米の小学生が学校で使っているのをテレビで見たことがあるので、何らかの規格なのでしょう)は、実は非常に優れている規格なのです。位置をたった1点(=中央の穴)で保持し、回転方向のズレを左右の横長の2点でスタビライズする‥‥という。新しい規格を作るくらいなら、割高でも今の規格の乗っておいたほうが「無難」なのです。

その次に、タップ穴の「デジタル上での取り扱い」に直面しました。タップ穴を基準に作画しているので、当然、コンピュータでもタップ穴を受け継ぐ基準が必要になります。複数台のスキャナに0.1ミリ以下の精度で等しくタップを貼り付けられるわけもなく、レイアウト用紙をスキャンするなどして、コンピュータ上で適宜調整して位置を合わせることになります。スキャン1回ごとの位置ズレも、スキャナ本体ではなくソフトウェアのスタビライズ機能で位置を合わせる事になります。でも、スキャンならまだましで、プリントアウトになると、その手間は最悪です。
同じ時期の2007年頃くらいから、本格的に「コンピュータで絵を動かす」ことを実践し始め、いくつかの作品でも(全く公にはしていませんが)成果物を出し始めた頃、ふと「なんでこんなにタップに振り回されているの?」とヤケにクールに客観視できたことがありました。成功しやすい場面を選ばず、失敗すやすい場面を選ぶ、その段取りの悪さに。
精度を求める場面では、コンピュータ上の作業で決着すれば良いのです。なのに、精度を出しにくい場面で、あえて精度を出そうと苦しんでいる自分が、滑稽に思えたのです。紙の切り貼りやタップ穴で位置合わせするよりも、コンピュータ内部で1ピクセル精度で十字キーイッパツで合わせたほうが、作業も容易で短時間、精度も高いのです。こんな解りきっている事に何故気づけなかったのか‥‥。私は当時、「紙で作画するのは、タップが必要」というある種の「呪縛」から、離れられなかったのです。今だと、とても不思議に思えるのですが。
必要なのはタップ穴ですか? 意図通りの位置に絵を配置できることが必要なのでは?
現在メソッド化を進めている、新しいアニメーション制作技法は、タップ穴は存在しません。もちろん、タップを使って作画しても良いですが、システム上にタップ穴は存在しません。しかし、初段階のレイアウトフレームの設定は重要で、継続する各作業の絶対的な指針となります。位置合わせはコンピュータ内部では厳格ですが、紙は単なる「インプットメソッド」であり、たとえ1枚ごとに大小の誤差が出ても、最終的にコンピュータで決着するので構わないのです。紙で「アウトプット」しても当事者(=ここが重要)が再度インプットして位置を合わせるので、フロー上で問題が起きません。
*ですから、紙を使いたい人は、スキャナの運用法を身につける事が必須で、新技法においてはスキャン&プリントのメソッドも準備しています。
現在、自前で制作しているプロモーション映像の制作においては、紙を使う場合はおもむろにA4用紙(市販のコピー用紙)に描き、スキャンしてPhotoshopやAfter Effectsで作業して位置関連をフィックスさせています。高速なドキュメントスキャナで読み込むので位置はズレまくりですが、コンピュータ上で位置を合わせれば何の問題もありません。スキャナは文字通り「スキャン」するための道具で、「位置合わせする道具ではない」のです。
線画の最終品質においては繊細な線質をスキャンできるフラットベッドスキャナを使用し、A2〜A3相当の大きな用紙サイズで「原稿」(「原画」と書くと既存の原画工程と混同するので、今はあえて「原稿」と書きます)を作りますが、プリンタ・スキャナに対しては位置合わせの精度を全く求めないメソッドとなっています。プリンタは「データを紙に印刷する機器」であり、スキャナは「紙媒体をデータ化する機器」なのですから、苦手な位置合わせは作業フォーマット上の工夫で解決すれば良いのです。

*「厳密な作業フィニッシュはデータ上にある」と考えれば、スキャナやプリンタに過度な精度を求めなくても、円滑に作業は進みます。スキャナとプリンタを「作画作業における過渡的なIN/OUT装置」と捉える事ができれば、精度に苦しむ事はなくなり、普及価格帯の機器類が頼もしい相棒に思えてきます。‥‥これは、つくづく、実感する次第です。
つまり、精度を求める作業は、コンピュータ上でおこなうわけです。機器の性能からして、とても合理的です。旧来のアニメ制作フローで不合理ならば、フローを改革すればよいだけです。‥‥まあ、それが現業界では簡単にはいかない事も承知ですが、だからこそ、新しいアニメーション技法・制作システムなのです。
要は、作業フォーマットというのは、「人材やツールの長所を活かすべき」であって、「性能的な短所に対し、時間と労力を割くべきではない」と考えています。
芝居はすごく上手いけど、爆発はちょっと大人しい‥‥みたいなアニメーターに、ド派手でカタストロフィなエフェクト作画を発注してリテークを出し続けますか? もしそんな事があったら、発注する側にも問題があります。‥‥それと同じことがコンピュータと周辺機器の使い方にも言えるのです。
人もコンピュータも、能力を引き出す作業フォーマットやリソース配置があってこそ‥‥ですよネ。
とまあ、今だと何のひっかかりもなく、このような事が言える私ではありますが、少なくとも10年前は旧来フォーマットの呪縛の中にいて、タップやタイムシートがなくてもイケる‥‥なんてセリフは出てきませんでした。アニメーターにとって、タイムシートはタイミング感覚の牙城‥‥のように考えていましたからね‥‥。今だったら、「そのタイミング感覚を、無段階の時間軸上で、キーフレームで表現すれば良い」と簡単に言い放てるのですが、昔はそこまで思い切れなかったものです。
ゆえにこの記事の冒頭の「実際に作業をしてみて解ることも多い」に繋がるのです。
コンピュータや周辺機器のスペック、ソフトウェアの機能説明だけをいくら聞いてても、「実際にやってみないと」解らんものです。もし、次世代もアニメを作り続けたいと思うのなら、必要なのは、何よりもまず「やってみること」ですネ。‥‥じゃないと、作業のフォーマットなんて、見えてきません。
ですから、たまに目にする「未来のアニメの現場は云々」という話題は、「触りもしないうちに、作業フォーマットの心配を始めている」ようで、少々滑稽に思えます。例えばバイクならば、免許を取らないうちに、バイクの実際の性能とその劣化、運転の際の体の重心、交通状況、転倒した時の病院の手配まで気にしているような状況です。‥‥耳年増にならず、直に乗ってみれば色々と解る‥‥って。
物事はリサーチだけでは左右できません。実際に使う当事者の実感がフィードバックされて、作業フォーマットは形成されていきます。そして、今回はその当事者の中心がアニメーターでもあるのですから、作画のアウトサイダーがどんなにリサーチやテストをしても、状況は見えてこないと思います。アニメーターが自分の意思でアクションできるか否か‥‥で未来の姿も変わるでしょう。「デジタルは苦手」とばかりに、お膳立てができるまで待っていると、作業フォーマットのフィードバックがままならず、やがて「時を逸する」事態へと悪化するかも知れません。
18年前にも感じたことですが、常識人が安全圏に留まり物怖じしている間に、「冒険者」たちはオセロゲームの4隅を固めていくのです。私が気になるのは、業界の流れどうこうよりも、業界内外に潜在する「他の冒険者の動き」です。流れなんて、石の置き方で簡単にかわっちゃいますからネ。
Bloodの2000年劇場版や、イノセンス、そしてホリックやテニプリ(共に劇場版)の撮影監督を経て、「短いプロモーションフィルムなら、ごくわずかの人員でも映像を完パケできる」と実感したことから、今に繋がる新しいアニメーション技法はスタートするのですが、その頃の作業フォーマットのイメージは「極めてコンパクトな従来型アニメ現場」であって、原動仕や背景美術、撮影、編集などの旧来フォーマットを継承するものでした。セル絵具やフィルムの保持・管理が必要ない利点を活かし、さらにはコンピュータ上での作画要素も盛り込むことで、格段にコンパクト(=特にコスト面において)な現場での制作が可能だと思いました。‥‥もしかしたら、今のアニメ業界はこのあたりを何となく目指しているのかな‥‥とも思えます。何故かと言うと、「旧来の延長線上で考えやすい、進化のベクトル」だからです。
そうした中、私はまず、タップの規格変更を模索してみました。アニメ作画用紙のあの3穴タップは、日本においてはアニメ業界以外では目にしないもので、これをもっと標準的な仕様に変更できないか、色々と模索してみたのです。標準的な仕様に変更すれば、「コスト的に割高な3穴タップに縛られなくなる」と思ったからです。ISO838という国際規格、もしくは4穴の888を使って、容易に作画用紙が作成できることを目指したのですが、結果は惨敗。ISO838は寸法のマージンが1ミリもとってあり、精度において全く使い物にならない規格で、私の期待する6ミリピッタリの穴を市販の機器に求めることは無理だと悟りました。穴を開ける側だけでなく、綴じる側にも精緻な工作精度が求められるので、突き詰めていくと結局は「新たな独自規格」に基づいた「新たな機器と道具を作る」事となり、「国際規格を使ってローコスト化を狙う」主目的と全く逆の結果になってしまう事が明らかになりました。
*ISO838は、「紙を束ねるため」の規格であって、「紙をピッタリ合わせるためではない」のです。その規格に頼ろうとした私が悪いのです。
*現在のあの特殊なタップ穴(欧米の小学生が学校で使っているのをテレビで見たことがあるので、何らかの規格なのでしょう)は、実は非常に優れている規格なのです。位置をたった1点(=中央の穴)で保持し、回転方向のズレを左右の横長の2点でスタビライズする‥‥という。新しい規格を作るくらいなら、割高でも今の規格の乗っておいたほうが「無難」なのです。

その次に、タップ穴の「デジタル上での取り扱い」に直面しました。タップ穴を基準に作画しているので、当然、コンピュータでもタップ穴を受け継ぐ基準が必要になります。複数台のスキャナに0.1ミリ以下の精度で等しくタップを貼り付けられるわけもなく、レイアウト用紙をスキャンするなどして、コンピュータ上で適宜調整して位置を合わせることになります。スキャン1回ごとの位置ズレも、スキャナ本体ではなくソフトウェアのスタビライズ機能で位置を合わせる事になります。でも、スキャンならまだましで、プリントアウトになると、その手間は最悪です。
同じ時期の2007年頃くらいから、本格的に「コンピュータで絵を動かす」ことを実践し始め、いくつかの作品でも(全く公にはしていませんが)成果物を出し始めた頃、ふと「なんでこんなにタップに振り回されているの?」とヤケにクールに客観視できたことがありました。成功しやすい場面を選ばず、失敗すやすい場面を選ぶ、その段取りの悪さに。
精度を求める場面では、コンピュータ上の作業で決着すれば良いのです。なのに、精度を出しにくい場面で、あえて精度を出そうと苦しんでいる自分が、滑稽に思えたのです。紙の切り貼りやタップ穴で位置合わせするよりも、コンピュータ内部で1ピクセル精度で十字キーイッパツで合わせたほうが、作業も容易で短時間、精度も高いのです。こんな解りきっている事に何故気づけなかったのか‥‥。私は当時、「紙で作画するのは、タップが必要」というある種の「呪縛」から、離れられなかったのです。今だと、とても不思議に思えるのですが。
必要なのはタップ穴ですか? 意図通りの位置に絵を配置できることが必要なのでは?
現在メソッド化を進めている、新しいアニメーション制作技法は、タップ穴は存在しません。もちろん、タップを使って作画しても良いですが、システム上にタップ穴は存在しません。しかし、初段階のレイアウトフレームの設定は重要で、継続する各作業の絶対的な指針となります。位置合わせはコンピュータ内部では厳格ですが、紙は単なる「インプットメソッド」であり、たとえ1枚ごとに大小の誤差が出ても、最終的にコンピュータで決着するので構わないのです。紙で「アウトプット」しても当事者(=ここが重要)が再度インプットして位置を合わせるので、フロー上で問題が起きません。
*ですから、紙を使いたい人は、スキャナの運用法を身につける事が必須で、新技法においてはスキャン&プリントのメソッドも準備しています。
現在、自前で制作しているプロモーション映像の制作においては、紙を使う場合はおもむろにA4用紙(市販のコピー用紙)に描き、スキャンしてPhotoshopやAfter Effectsで作業して位置関連をフィックスさせています。高速なドキュメントスキャナで読み込むので位置はズレまくりですが、コンピュータ上で位置を合わせれば何の問題もありません。スキャナは文字通り「スキャン」するための道具で、「位置合わせする道具ではない」のです。
線画の最終品質においては繊細な線質をスキャンできるフラットベッドスキャナを使用し、A2〜A3相当の大きな用紙サイズで「原稿」(「原画」と書くと既存の原画工程と混同するので、今はあえて「原稿」と書きます)を作りますが、プリンタ・スキャナに対しては位置合わせの精度を全く求めないメソッドとなっています。プリンタは「データを紙に印刷する機器」であり、スキャナは「紙媒体をデータ化する機器」なのですから、苦手な位置合わせは作業フォーマット上の工夫で解決すれば良いのです。



*「厳密な作業フィニッシュはデータ上にある」と考えれば、スキャナやプリンタに過度な精度を求めなくても、円滑に作業は進みます。スキャナとプリンタを「作画作業における過渡的なIN/OUT装置」と捉える事ができれば、精度に苦しむ事はなくなり、普及価格帯の機器類が頼もしい相棒に思えてきます。‥‥これは、つくづく、実感する次第です。
つまり、精度を求める作業は、コンピュータ上でおこなうわけです。機器の性能からして、とても合理的です。旧来のアニメ制作フローで不合理ならば、フローを改革すればよいだけです。‥‥まあ、それが現業界では簡単にはいかない事も承知ですが、だからこそ、新しいアニメーション技法・制作システムなのです。
要は、作業フォーマットというのは、「人材やツールの長所を活かすべき」であって、「性能的な短所に対し、時間と労力を割くべきではない」と考えています。
芝居はすごく上手いけど、爆発はちょっと大人しい‥‥みたいなアニメーターに、ド派手でカタストロフィなエフェクト作画を発注してリテークを出し続けますか? もしそんな事があったら、発注する側にも問題があります。‥‥それと同じことがコンピュータと周辺機器の使い方にも言えるのです。
人もコンピュータも、能力を引き出す作業フォーマットやリソース配置があってこそ‥‥ですよネ。
とまあ、今だと何のひっかかりもなく、このような事が言える私ではありますが、少なくとも10年前は旧来フォーマットの呪縛の中にいて、タップやタイムシートがなくてもイケる‥‥なんてセリフは出てきませんでした。アニメーターにとって、タイムシートはタイミング感覚の牙城‥‥のように考えていましたからね‥‥。今だったら、「そのタイミング感覚を、無段階の時間軸上で、キーフレームで表現すれば良い」と簡単に言い放てるのですが、昔はそこまで思い切れなかったものです。
ゆえにこの記事の冒頭の「実際に作業をしてみて解ることも多い」に繋がるのです。
コンピュータや周辺機器のスペック、ソフトウェアの機能説明だけをいくら聞いてても、「実際にやってみないと」解らんものです。もし、次世代もアニメを作り続けたいと思うのなら、必要なのは、何よりもまず「やってみること」ですネ。‥‥じゃないと、作業のフォーマットなんて、見えてきません。
ですから、たまに目にする「未来のアニメの現場は云々」という話題は、「触りもしないうちに、作業フォーマットの心配を始めている」ようで、少々滑稽に思えます。例えばバイクならば、免許を取らないうちに、バイクの実際の性能とその劣化、運転の際の体の重心、交通状況、転倒した時の病院の手配まで気にしているような状況です。‥‥耳年増にならず、直に乗ってみれば色々と解る‥‥って。
物事はリサーチだけでは左右できません。実際に使う当事者の実感がフィードバックされて、作業フォーマットは形成されていきます。そして、今回はその当事者の中心がアニメーターでもあるのですから、作画のアウトサイダーがどんなにリサーチやテストをしても、状況は見えてこないと思います。アニメーターが自分の意思でアクションできるか否か‥‥で未来の姿も変わるでしょう。「デジタルは苦手」とばかりに、お膳立てができるまで待っていると、作業フォーマットのフィードバックがままならず、やがて「時を逸する」事態へと悪化するかも知れません。
18年前にも感じたことですが、常識人が安全圏に留まり物怖じしている間に、「冒険者」たちはオセロゲームの4隅を固めていくのです。私が気になるのは、業界の流れどうこうよりも、業界内外に潜在する「他の冒険者の動き」です。流れなんて、石の置き方で簡単にかわっちゃいますからネ。