デジタルの向こう側

デジタル行程がアニメ制作に導入された後、「デジタルとはどのようなものか」と問うた時、前回書いたサザエさんのような「伝統を継承するストイックな使い方」はまさに特例で、多くの場合は「作業行程の省略やコストの軽減に用いるもの」との認識だと思います。デジタル導入初期の頃は「新たな表現技法の模索」が主目的でしたが、2004年以降の本格的なテレビアニメ制作「デジタル導入」により、一気に「量産目的」へと転じました。

ですから、2005年以降からアニメ業界に入ってきた若い人だと、デジタルの新たな可能性なんて意識できぬまま、単に「アニメ制作フローにおいて、高速化できる行程」としか認識できないかも知れません。それはある種、仕方のないことです。周りの雰囲気がそうなんですから。

デジタルは確実に、「難しい事が簡単に実現できる」と思われている風潮があります。「デジタルだと楽なんでしょ?‥‥だったらデジタルでやってよ」的な‥‥ネ。これがエスカレートして、「誰でもコンピュータを覚えれば、映像をクリエートできる」なんていう雰囲気も感じる事があります。

そんなわけ、ないじゃん。‥‥コンピュータを使ったからって、本人の美意識が別物へと変化するなんてありえませんし、キレの良いタイミングセンスが自動で身に付くわけでもありません。むしろコンピュータは、本人の特徴を誇張して「凄いモノはより凄く、無惨なモノはより無惨に」露呈させる残酷な一面すら有しています。
*例えば「画面ブレ」。画面がブレたり揺れたりする撮影技法ですが、これって、ダメな人はとことんダメです。ぶっちゃけ、アニメ作品の「画面ブレ」「画面揺れ」カットを見ると、当該アニメ撮影班の基礎的な技能レベルが解ります。画面ブレは、使いこなす能力を持つ人にとっては、即座に雰囲気を表現できる、とても使い勝手の良い技法なんですけどネ。

ですが、現アニメフローは伝統手法で手堅くまとめる土台を持っているので、技術的な多少のバラつきは丸め込んでアニメ作品の態を成す事が可能です。これは先人たちの大発明と呼ぶにふさわしいものです。その作品表現基盤の上に、トッピング的にパーティクルだのデジタルTB&TUだの、境界ぼかしだのテクスチャ貼り込みなどを付け加えたのが、今のアニメのスタイルです。‥‥そして、その程度で良しと現場でも判断され、現在の状況があります。

私は、デジタルが「デジタル然」として扱われているうちは、アニメ作品表現の「バーター」にしか成り得ないと感じています。作画メインの抱き合わせとしてのデジタル表現。ですから、いつまでもお手軽に扱われます。
*バーターは色々と意味があるようですが、「芸能界の業界用語。束(たば)を逆に読んだ「ばた」から来たとのが有力で、「抱き合わせ出演」の意味。ドラマ・映画などのメイン出演者と同じ所属事務所の新人俳優、女優を出演させる事。」Wikipedia〜の意味でここでは使っています。

アニメ業界においては、まさにデジタルは「デジタル」。デジタルとそうでないものを分けて呼び表している時点で、どのくらいの活用レベルがわかりますよネ。しかし、今のアニメ業界フローは、今くらいのデジタル活用術が限界だというのも、フローの内実を鑑みれば、しみじみ納得できるのです。

一方、私の考える「デジタル」は、全く異なります。「付け加えるもの」ではなく、「最初からそこにあって基盤となるもの」です。私の準備している「デジタル活用術」は、各スタッフの高い技能が必要となる、「簡単ではない」「手軽ではない」デジタルです。手描きのアニメーターと同様、才能が必要です。しかし、当初からデジタルありきで設計したシステムなので、「手軽ではない」けれど、「システム規模は大きくはない」のです。

新しい制作技術では、「デジタル」という単語を改めて使う必要がない‥‥のです。「デジタル」が「共通の分母」になるのは言わずもがななので、通分する手間自体が存在しないわけです。行程にいちいち「デジタル何たら」なんて命名するのは、単に文字数の無駄なのです。

「じゃあ、人の手の介在しない、冷たいデジタルのアニメを作るつもりなのか」とか言われそうですけど、「デジタルだと人のぬくもりが無い」と定義しちゃう感覚自体が、未開人なのよネ。たしかにデジタルは使い方によっては無機質なデジタル臭漂う絵になる事もありますが、現在においては、それは単に使う人間の技量の問題です。‥‥それに人の手は、デジタルでも山ほど介在しますしネ。

前世紀末は、故意にデジタルの無機質さを煽って表現に結びつけた作風もありました。コンピュータ機器の未発達を逆手に取った演出法‥‥ですよネ。

しかし2014年現在はそうした演出で未熟さをカバーする必要がないほどに、コンピュータのパワーは格段に向上しています。そのパワーを用いて、とても生っぽい絵を描けるようにもなってきました。マティエール、スフマートといった私が学生時代に慣れ親しんだ絵画技法も、今では新しいアニメーション制作技法の1つです。これら新技法(‥‥絵画の世界では古くからの伝統技法ですが)は、Blood劇場版やイノセンスの頃のコンピュータパワーではとても実現出来なかったですし、解像度も全然足りなかったのですが、今なら8万円の Mac mini でも「技量さえあれば」可能です。私は時に、After Effectsでパスやマスク、トーンカーブやブラーを用いていながら、水彩や油彩を描いている感覚に陥る事すらあります。

私の考えるアニメとは、「絵が動いてお話になる」作品です。

絵は面白い。本当に面白い。その絵が、動いて喋って泣いて笑って、お話になる‥‥だなんて、愉快痛快奇々怪々ですよ。そのアニメを作る際に、なんでデジタルのパワーを最大限に引き出さないのか。なぜ、旧いフローにがんじがらめになっているのか。新しい作品を作るのに、なぜ、過去の絵のスタイルを踏襲し続けなければならないのか。

ノリにノって作画用紙に描いている時に、紙と鉛筆の存在をいちいち認識しますか? ‥‥同様に、デジタルを使いこなす能力が高くなるほどに、「これはデジタルだ」なんていちいち意識しなくなると思います。「絵が動いてお話になる」という本質がどんどん浮かび上がってくると感じます。

デジタルの柵を超えなければ、デジタルは「超えなければならない障害」として、いつまでも目の前に存在し続けますが、跨いで乗り越えちゃえば、もはや柵は背後に遠ざかり、視界から消えます。

ですが、デジタルの向こう側に行ったからと言って、人が無能で済むなんてあり得ません。全く逆で、今のアニメより一層、当人の美的感覚、動きの感覚、美の探求が要求されるのです。デジタルの向こう側には、自分を守ってくれる既存の風習や伝統など無いのですから。

デジタルは楽なものじゃありません。私がこれから先、一緒に歩みたいのは、デジタル・アナログの境界線を超えて辛辣な状況に身を置いても、アニメーションの楽しさを実感し享受できる、「新たな世代」なのです。

縮尺

4Kそして8K周りが徐々に動きを見せ始める中、私も自己の「兵器開発研究」のレベルを1段引き上げて、「実弾演習」レベルへと移行しています。私の考える新しいワークフローは根本的に動的〜固定した段取りで作業をおこなわない方法〜ではありますが、2014年の「混沌とした状況」においては、まずはワークフローの標準的仕様を設定して「とっかかり」を得やすいように切り替えています。

私の考える2014年以降仕様のワークフローには、もはや「原画」「動画」そして「セル」という用語は消滅しています。タイムシートには1秒24コマのグリッドはなく、セルの代わりに「エレメント」という「被写要素=映像に登場する要素」を言い表す用語が新設されています。

レイアウト作業はそのまま生きるのですが、その直後に「エレメントデザイン」という行程が配置され、3D空間にどのように被写要素が配置されるかを設計(=デザイン)します。「3D? 立体視?」とか思われそうですが、意図はステレオグラムの実現にあるわけではなく(もちろん、ステレオグラムにも流用可能ですが)、多段マルチ台の超強化版たる「空間配置」を実現するためのものです。エレメントデザインの設計内容次第で、画面は平面的にも立体的にも表現でき、結果的に「コスト」も調整できます。60段マルチとかを組めばコストはもちろん増大しますし、昔でいう「セルと背景のベタ置き並撮」ならばコストは低く抑えられます。

‥‥とまあ、こんなような新機軸がフローの各所において導入されており、目新しい用語ばかりがフローチャートを占めています。2014年版フローを設計した時に考慮したのは、作業&コストのスケーリング自由度です。「必ず膨大な手間がかかる」とか「極めて多額の予算が必須となる」事を避け、状況に応じたスケーラビリティを選択・設定できるように考えているのです。

スケーラビリティ。Wikipediaによれば、「スケーラビリティ(scalability)とは電気通信やソフトウェア工学において、システムまたはネットワークまたはアルゴリズムの、持つべき望ましい特性の1つで、利用者や仕事の増大に適応できる能力・度合いのこと。」‥‥との事です。この説明文の細かい点をつつけば、「増大」ではなく「増減」というべきでしょうネ。規模を小さくするのだって、スケーラビリティの大要点ですからネ。

企業が何かプロジェクトを発足推進させようとする時、相応の人員予算を投入するでしょう。そして、その「スケール」に見合った「ハコ」を用意するでしょう。‥‥という事は、「使った大金に応じた大成果」も暗黙のうちに求められる‥‥という事です。

未知の領域に踏み込むプロジェクトにおいて、「何が大成果なのか」も実感できない状況なのに「大成果というカタチ」は当初から求められる‥‥のって辛辣ですが、企業レベルのプロジェクトは往々にして、そうなりがちです。「ハッピーな旅行にしよう!」と資金片手に意気込んで車を発進させたものの、旅の目的地について実は誰も決めてない・決められない‥‥という。

私は昔、個人で研究を進める状況〜人手も金もない状況〜を、当然の事ではありますが、弱点・ハンデのように感じていました。しかし、個人サイクルで研究の成果を逐一実感できて、順次フィードバック可能‥‥だと言う事は、スケーラビリティ視点で言えば「極小」であり、大事業大失敗の恐怖に怯える事なく、頭も体もフットワーク軽く、様々な可能性を試せる事なんだと、実感するようになりました。

私が月日を経るにつれ、自由に発想を転換できたのは、ぶっちゃけ、個人研究だったからです。これはものすごい実感があります。何度も「今まで積み上げた理論や方向性」を反故にして、自ら仕切り直しましたからネ。「作画」「セル」「背景」という言葉を捨てて、「エレメント」という新語を導入できたのは、個人研究レベルだったからです。

でも、大所帯の企業レベルのプロジェクトだったら、どうなってたか‥‥。大金が動いて大人数を巻き込んだプロジェクトを白紙に戻すのって‥‥ツラいですもんネ。保守的な人もいれば、先進的な人もいる、日和見を決め込んでいる層も大勢いる‥‥という中で、「新機軸」「新発明」って、根本的に実現できないと感じます。「新」という言葉に反する体制ですもんネ。「気分だけNEW」じゃどうにもならんス。結果から逐次フィードバックする事すら、いちいち会議を必要とする‥‥なんてのも、いかにも‥‥。

例えば、前回書いた「インプッドメソッド」というコトバ。過去の私はアニメーター出自ゆえに「原画作業」という形態に、どこか固執していたのですが、今では「描線と動きは分ける」という思考に至っています。これは個人レベルだから「割り切れた」「吹っ切れた」のかも知れません。既存の業界ワークフローに限定するスタンスや、動き出して資金も消費したプロジェクトに関わってしまっていたら、「原画作業」というカタチは様々なしがらみにより放棄できなかったと思います。しかし、個人レベルだから誰への遠慮もなく決断できて即行動できた‥‥のいうのは、研究成果としてかなりデカいです。

個人だからできる事を、最大に活かす方法を考えたのです。個人が企業のマネゴトをしたって、あっという間にマンパワーで限界に達します。しかし同じように、企業は個人のマネゴトもできないのです。企業は個人の上位互換ではないのです。

要は個人戦と団体戦の得手不得手を見極める‥‥という事なんでしょうネ。

忘れてはならないのは、個人と団体との関係性にもスケーラビリティは作用している事‥‥です。個人か団体か‥‥という二元論ではなく、「個人 thru 団体」の中間スケールを適所でどのように旨く活用するか‥‥なんでしょうネ。

4Kと8Kのアニメ。各所で悩んでいる今こそ、実は、渡りに船‥‥かも知れませんヨ。でも、船で漕ぎ出す強い個人になるためには、普通の個人と同じ行動してちゃダメだよネ。

描線のインプットメソッド

最近よく耳にするようになったのは、「タブレット作画」というコトバです。作画を、紙と鉛筆ではなく、タブレットでおこなう作業を指すようです。私が初めて「組織的なタブレット作画」に出会ったのは10年ほど前の事ですから、ペンタブレットの進化とともに、地道に根付いていったのかも知れません。

タブレットで原画・動画をおこなえば、紙のサイズ問題はいっきに解決しますネ。4K対応の作画もスペック的には可能です。送り描きのアニメーションスタイルで4K以上に対応するには、結局のところタブレット作画しか選択肢は無いように思います。

私は紙の描き味が好きなので、「いかにして、4K8K時代に紙と鉛筆を『インプッドメソッド』として使うか」を以前から研究していますが、今のところ「最低A3サイズの作画」が必要だと結論付けております。‥‥実は、ちゃんと「鉛筆線をきれいに表現する」ならば、A2相当のサイズが必要だとも実感しております。高解像度の世界では、もはや、A4用紙に鉛筆で細かく描く限界を超えているのです。‥‥今だって、解像不足で線がぶっといですし、ゆえにロングショットなどでは「拡大作画」が常用されるようになったのですよネ。A4用紙を600dpiでスキャンしたって、元が荒いからダメなんですヨ。

私の場合は、「送り描きスタイル」を今後のメインとしていないので、A2サイズでも運用できなくはないですが、旧来の常識で言えば「A3、A2なんて、絶対に無理」ですよネ。私だってもちろん、素でA2用紙に描いているわけではありません。A2なんてリアル世界じゃデカすぎて扱えないです。

鉛筆の黒鉛粒子の限界は、人の手ではどうする事もできません。「消しゴムで消えるから鉛筆が良い」なんて笑えない冗談です。もし高解像度で鉛筆を用いるのなら、「鉛筆の粒子を全肯定」する覚悟が必要なのです。鉛筆の描線を活かす路線を導きださなければ、単に黒鉛粒子のハンデに悩まされるだけです。

一方、タブレットで描けば、スキャナのサイズを気にする事はありません。タブレットで描くイラストだったら、既に10K(1万ピクセル以上)で描いてる人も多いんじゃないでしょうか。アニメーターがタブレット作画に切り替えれば、「4K高解像度問題」は技術的にクリアできると思います。運用的には、まだハードルが高いとは思いますが。

しかし、フレームレート問題はそのまんま残ります。私は、高解像度問題よりフレームレートの問題のほうが深刻だと思っています。いわゆる「アニメ絵」はピクセルモーションに向かないので、フレーム補完でかさを増やすのも難しいです。
*だからといって、「コンピュータ中割り」しやすいような絵や動きを人が描くようにでもなったら、何の為に手で描いているのか、根本的な意義を失い、それこそ本末転倒ですヨネ。

タブレット作画に切り替えて、高解像度の障壁をクリアした後に、より突破の難しいフレームレートの障壁が立ちはだかるでしょう。「描き送りのアニメは未来どうなるの?」ともし聞かれたら、私だったら、「描き送りのアニメは、48コマ/秒が『終点』だと思う」と偽りなく答えます。もしかしたら今の24コマが終点かも知れない可能性だってあるくらい‥‥です。

未来のアニメーション制作は、何か1つの大発明で転換したり問題解決するものではない‥‥と感じています。旧アニメスタイルの「ステップアップ」はやがて限界に達して停止し、代わりに、新たな基礎技術の集合体が徐々に姿を表すと思います。

話をインプットメソッドに戻して。

タブレット作画に変えて‥‥と言っても、アニメーター全員がタブレット作画に対応できるとは思えない‥‥ですよネ。生理的に受け付けない人は、相当数、存在するはず。
*‥‥実は私も、こんだけ長く使っていながら、どこか生理的に受け付けない部分が残っています。

ですから、1原2原のシステム(賛否両論あるとは思いますが)を逆手に取って、2原担当作業者が「デジタイズ作業」を兼ねるようになるかも知れませんネ。効率から言って、1原後の作監はいつもの黄色い紙で良いでしょうが、2原後の作監はタブレット作画を要するでしょう。‥‥うーむ、以前から感じていた事ですが、フィルム時代のアニメ制作方式をデジタルで武装する方法論って、結局、作業費の増大を免れないように思いますネ。もうずいぶん前から、フィルム時代の「システム延命措置」は、構造疲労が激しく各所に無理が生じる‥‥とは思っているのです。

ちなみに私の本命とする新しいアニメーション制作方式では、「絵の入力方式」として鉛筆だけでなく、コピックのマルチライナーや、ステッドラーのシャープペンの各サイズ(0.3〜2mm)といったアナログツールの他、ペンタブによるAutodeskのSketchBookProやセルシスのClip Studio Paint EXなど、様々な入力方法を作風に合わせて変えています。入力後の処理も諧調付きのビットマップや2値ビットマップ、ベクターなどを、やはり作風に合わせてチョイスしています。「線を描く」という行為を一元論に押し込めて束縛するのは、フィルム&セル時代の昔ならともかく、現代では正直「もったいない」と思ってます。

今のアニメは、みな「レタス線」でニュアンスに大差がありません。しかし、様々なインプットメソッドが用いられるようになると、作風を左右するくらいの描線の変化が、映像に表れるようになるかも‥‥知れませんネ。

‥‥タブレットで思い出しましたが、私はIntuos付属の太いペンではなく、鉛筆やシャーペンに近い細身のクラシックペン(下の写真)というのを愛用しています。考えてみれば、タブレット付属のペンて、鉛筆とはほど遠いぶっといペンばかりで、アニメーターが手にした時に「なんか、これじゃない」感を感じる原因の1つだとも思います。


4Kは本当に来るのか

4Kのフォーマットは、未来のスタンダードとして、本当に定着するのか?‥‥と言う疑問は、誰もが感じる事だと思います。私も、「世のインフラ」の点で多少の疑問が浮かびます。H.265などの次世代圧縮技術を用いたとしても、世間を這い回るビットレートが現在よりある程度高速化しないと、配信自体が不可能です。数百Mbpsを可能にした次世代ディスクとディスク再生装置だけで映像を売る方法も、如何にも伸び悩みそうです。

4Kの未来を語る時、よく引き合いに出されるのが「3Dテレビ」です。「3Dテレビは、家庭のスタンダードにはなっていない」と。‥‥しかし、4Kと3Dテレビは発想の基点が大きく違います。もし引き合いに出すのだとすれば、「SD」(昔の地上アナログ派やVHSビデオ)を出すべきでしょう。

3Dテレビの是非については、色んな事情があって、あまりここでは触れられないので、書きません。スミマセン‥‥。ただ1つ書ける事があるとすれば、3Dステレオグラムの本命は、部屋の一角に設置して映像を再生する機器ではなく、視界を全て覆うHMDのような機器だと思っています。普通に考えて、リビングの一角だけ立体視なのって、‥‥まあ、いいや、それは。‥‥ただ、現在のHMDは人間の視覚能力に比べてまだまだ性能不足だと思いますので、より一層の技術発展が必要だとは感じています。

4Kのフォーマットは、平面のテレビに、平面のフォーマットが高機能化する「伝統的な進化系」なので、「普及する可能性は高い」と感じます。というか、いつのまにか普及させられていた‥‥のようなオチのような気もします。

私は今では、HD&30pの映像を見ても、「なんかもっさりしているな」と感じるようになってしまいました。特に「動き」が気になってしょうがありません。「1秒間に24〜30枚の画なんて、いかにも分解能が低過ぎる」と感じてしまうのです。48fps以上の動きを知ってしまった現在、「テレビの映像とはこういうもの(=30fps以下)だ」と括っていた頃には、もう戻れなくなっているわけです。‥‥それは、48p, 60pに慣れた人間なら、誰もが感じる感覚だと思います。

人の能力を凌駕してしまうほどの「過剰な高スペック」なら、「そんなの要らない」となりますが、現在のHDフォーマット(2K)は人の視覚能力よりも遥かに下のスペックです。潜在的なフリッカー障害(=動きが何らかの理由でチラついたりガタついて、視覚上の大きなストレスとなる)を喜ぶ一般の人は稀で、普通はストレスの無いほうに向かうと思います。フリッカーを喜ぶのは、24コマフィルム好きの映画マニアくらい‥‥かなぁ。(=私も実はその気がありますが‥‥)

4K48fps以上の映像は、ぶっちゃけ、ストレスが少ないのです。コマ落ちの動きに、視覚能力をフォーカスしなくて良いので。

しかし‥‥。今、4Kとしてデモしている映像って、24〜30fpsが相当紛れ込んでないか? ‥‥これじゃあ、訴求力に事欠きますよネ。上映するものが無いからって、中途半端なコンテンツで4Kをデモするのは、4K8Kにとって、甚だしく逆効果なように思います。色んな事情はあるとは思いますが‥‥。ハッキリいって、ビデオ解像度を4Kにアップしただけで、フレームレートが今のままでは、効果はほぼ感じられません。映像演出は何も変わらないまま4K24p〜30pでは、プラシーボ効果と揶揄されても、致し方あるまい。

ハード技術だけ進歩しても、ソフト〜「出し物」が無ければ、あっという間に息切れしますよネ。「ゲーム機大戦」じゃないですけど。また、インフラや社会情勢〜世間の状態も極めて重要なファクタです。

3Dテレビとちがって、4K8Kは「人間の生理面」だけで考えても、充分普及する可能性は高いです。明確に気付いていないだけで、現HD映像でも、人々は相当なストレスを受け流しているのですから、そのストレスが減少する未来のフォーマットを拒絶する理由は見当たりません。人々はストレスの少ないほうに「必ず」流れるわけで、もし4Kにストレスがあるとすれば、まずは「その導入価格」でしょうネ。

 

音速を超えよう

「4K」というフレーズをよく耳にするようになって、アニメで4Kを作る本質は何かを、よく考えます。そうすると、どんどん深く手繰っていって、最後にはアニメとは何か?という事までさかのぼる事になります。

まあ、私は、「商業作品」というスタンスを気にいっているので、いわゆる「芸術作品」という境地に行き着く事はないのですが、一方で「何で、アニメはマンガ絵じゃないといけないのか」という疑問も浮かびあがります。「アニメ絵はマンガ絵」という暗黙の「縛り」なんて要らないと思うわけです。芸術ぶったスタンスに陥るつもりは毛頭ないのですが、「アニメ絵とはタイプの違う、別種のカッコいい絵でアニメを作る可能性」も思いつくのです。

今までのアニメは、単純明快に、「生産効率」の問題で、輪郭線とベタ塗りという手法を主軸に据えてきたわけですが、コンピュータを用いた制作環境では、特に旧来の手法を踏襲する必要はありません。

旧来方式は、フィルム24コマのフィールドの中で、最大の効率を発揮するよう形成されたわけで、4Kだ48fpsだ…などとフィールド自体が大きく変わる近い未来では、明らかに効率が落ちてきます。そのあたりの事は以前に書いたので、ここでは省略します。

現在のアニメ制作現場で4K8K・48〜120fpsに対応しようとするのは、言わば「プロペラ機で音速を突破しよう」とするものです。「空を飛ぶ」という行為は同じでも、速度域があまりにも違い過ぎますから、かなりの「無茶」をしないと音速は超えられません。極めて頑丈な機体を作り、3600馬力ぐらいの究極のレシプロエンジンを積み、急降下&エンジン全開で「強引に音速突破する」ようなやりかた。限定条件で音速突破はできるかも知れませんが、あまり無茶をすると空中分解は免れない‥‥でしょう。

なぜプロペラ機は音速を超えられないか?‥‥は、Googleで調べてみれば理由はわかります。レシプロエンジンでブレードを回す‥‥という出力装置の、根本的な構造上の限界なのです。同じように、現アニメ現場も「エンジン」の問題で、8K96fpsなんていうフレーム数には構造上対応できない(予算面も全部含めて)のです。



一方、ジェット機。話を元に戻すと、いわゆる「デジタル」オンリーのアニメ。黎明期のジェット機がそうであったように、「デジタル」オンリーのアニメも黎明期の今、ヘタレこの上ありません。かすかに動く紙芝居です。しかし、それはよちよち歩きの赤ん坊を、大の大人が馬鹿にするようなもので、「デジタル」オンリーのアニメを見据えるには、成長した後をイメージする事が必要です。

 

黎明期のジェット機を見ると、プロペラ機からプロペラを除去し、ジェットエンジンにすげ替えただけ‥‥のデザインです。エンジンは新しいけど、全体像は古いまま‥‥ですネ。「デジタル」オンリーのアニメも、今までと同じ表現スタイルを繰り返していては、「ジェットエンジンを装備しても音速は超えられない」のかも知れません。

「ジェットエンジン」を積んだからには、どんどん意欲的なデザインを試すべき…と私は考えています。




思うに、今のアニメ業界の制作スタイルで、作品効果が発揮できるMAXは、4K24fpsもしくは、4K48fpsが限度かな‥‥と思います。例えれば「亜音速域」でしょうか。「音速を超える」事に執着するのではなく、今までの経験値・技術力を「亜音速域」で活かす事をイメージするのです。しかしながら、単純に解像度を上げただけでは「これのどこが4K?」と言われておしまい‥‥でしょう。映像が4Kを体現していなければ「金の無駄」と評価されて、さらには「アニメで4Kは無理だ」とまでレッテルを貼られかねません。「スキャン解像度を4K相当にアップしました!」と言われて、どんだけの人が、「そりゃ凄い」と言うのでしょうか。従来アニメスタイルを踏襲した発展形の制作方式であっても、4Kの必然性を周囲に納得させる、新世代を感じさせる絵に仕上げる必要がある‥‥と思います。4Kに解像度をアップするのに合わせて、さらなる表現技法の向上を盛り込み、従来技術の底力を強調してアピールするわけです。

また、「デジタル」オンリーのアニメも、いつまでも紙芝居を続けていては、見切られるでしょう。ゾゾゾッと琴線を刺激する絵と動きが必要です。旧来アニメの刷り直し、低コスト版では、終わりは見えています。また、単発1カット2カットを気まぐれなタイミングで公開したところで、「まぐれ当たり」にしか受け取ってもらえないでしょうから、何かしらの「ソリューション」を感じさせる体で仕上げて、「技術ではなく作品として」アピールする必要があるでしょう。早く見せたいのを堪えてでも、「時が来る」のを待たなければなりません。「火力集中」は戦術の鉄則‥‥ですネ。

今、同時多発的に、次世代のアニメを模索する動きがあると思います。ある人間にとってはチャンスの時代、またある人間にとっては苦難の時代‥‥かも知れませんネ。しかし、「苦難転じて福と成す」ことだって、アイデア次第ではいくらでもあり得る‥‥と思いますヨ。

新技術が未発達の時は「使い物にならねえ」とコキ下し、新技術が台頭し始めると旧技術を「古くせえ」とコキ下ろすような、虚勢ばかりの日和見層になってはいけません。流行におびえながら生きている人間に、未来を切り開く力など、ありようもないのですから。

新旧のポリシーの差こそあれど、目標を見定めて、力強く、突き進みたい‥‥ですネ。


*ちなみに私はレシプロ機もジェット機もおしなべて好きです。なので、このありさま。‥‥同じように、16ミリ時代のど根性ガエルから、3Dアニメの「ポコヨ」まで、スタイルや年代に無関係に好きなものは好きです。ポコヨは当時500円DVDだったのが、2014年現在は6,000円とかプレミア価格になっちゃってますネ‥‥。

新MacPro

去年末くらいに注文した人には、そろそろ届いている頃の新型MacPro、通称「ゴミ箱」ですが、私も本日、ビデオ性能を確かめてみました。MacProにはThunderbolt6つとHDMI1つがありますので、少なくとも3つのモニタには接続できる事を確認しました。

2560x1440のモニタを2つ、1920x1200のモニタを1つで、合計3つ。メインとなる2650pxモニタは2つとも60Hzのリフレッシュレートが必須ですが、接続方法が適切でないと30Hzにダウンしてしまいます。DVI接続はデュアルリンクが必要だったり高性能で高価な変換アダプタが必須だったりと、ハードルが意外に高いので、結果的には、Thunderbolt to DisplayPort(ミニじゃないヤツね)で接続するのが、一番面倒無いようです。

またHDMI1.4のビデオ出力もあるので、HDMI経由で2Kオーバーの解像度も出せるようです。ただ、接続形態(DVIアダプタをかますとか)によっては、本来の性能が出ないようなので、私の環境では1920x1200(16:10)でおさめています。

2ヶ月以上待たされたMacProを来週から本格的に使い始められるので、旧型MacProで苦労していた実写関連の仕事も、ようやく波に乗れそうです。

HDアニメのコンポジット・ビジュアルエフェクトでは遜色を感じなかった旧型MacProも、2Kのエグい実写ビジュアルエフェクトやグレーディングでは、もはや役不足を否めません。昔はあんなにアニメ撮影で活躍したのに驚くばかりです。実際、今のiMacの方(i7で32GBメモリ)が、旧型のMacPro(Early 2009とか)の2倍近いパフォーマンスを発揮する事すらあります。

でもまあ、アニメでこの先もレタス方式を続けるならば、4K/24fpsであっても旧型MacProも決して役不足とは言えません。現役で使えます。レタスの2値データは、データ量が極めて小さいので、HD解像度でも取り回しが楽なのです。現在、まれにレタス方式のペイントデータを扱うと、その動作の軽さに驚きます。今でも「キロバイト」単位のデータ量ですから、マシン速度で苦しむ事は少ない…と思います。

このような事を書くと、ハイスペックマシンこそが次世代高品質の「面白い」作品の制作必須アイテム‥‥のように響いちゃうのですが、「ハイスペックは面白さとイコールなのか」‥‥とよく考えます。‥‥まあ、すぐに「そんな事はない」と答えが出るわけですが。

16ミリフィルムの過去テレビ作品でも面白い作品は山とありますし、80年代の劇場アニメなどは今のリテーク基準では絶対にスルーしない信じ難いようなミスも放置されたままですが、それで作品の輝きが大幅に失われるか?‥‥というと、そんな事は決してないわけです。リテークを細かく潰して小奇麗に仕上げた現在の作品よりも、昭和40〜50年代の作品の方が、「魅力」の点で勝る事も往々にしてあり得るのです。

作品を作るビジョンやパッションは、高性能な作業環境や細かいリテーク潰しで補完できるものではない‥‥と私は思っています。作り手のビジョンやパッションを作品にロスなく浸透させるために、高性能な作業環境やリテーク処理があるわけです。

最近、実写の48fps作品の評判を聞いたり、新型マシンに触れたりすると、作品映像の魅力の大小は、決してマシンやフォーマットのスペックでは無いな‥‥としみじみ思います。48fpsをいくら使ったところで、作る側に48fpsの活用アイデアが無ければ、ただ単にヌルヌル動くだけでしょうし、4K8Kもただ単に解像度が高いだけに終始するでしょう。

48〜120fpsだから表現できる、4K8Kだから表現できる、このマシン性能だったら妥協を減らして一層表現に磨きがかかる‥‥のような、「作る側の強烈な意思やビジョン」が無ければ、いくら高スペックの環境を揃えても、使いこなせないままで持ち腐れて終わりです。性能の高いマシンや次世代フォーマットを用いれば、誰でも凄い作品が作れるなんて、あるわけないですもんネ。高い鉛筆と用紙を買えば誰でもうまい絵が描けるわけじゃないし、スポーツカーを買えば誰でもレーサーレベルの操縦技術になるわけではないのは、それこそ誰もが理解できる事ですが、コンピュータやデジタル絡みになると、その辺がゴマかされて幻想を抱きやすいんですよネ。コンピュータが本格的に普及し始めた頃、ハード&ソフトを売る側が「誰でもプロ並み」と喧伝した影響が、今でも根深く残留しているのかも知れません。その幻想の残留物は、デジタルでマトモに作ろうとしている人にとっては、実はとても迷惑な事(=根拠無しに雰囲気で、デジタルは楽だと憶測される)なんですが、どうしても払拭できないのよネ。

逆に言えば、強烈なビジョンを持っている人にとっては、高品質フォーマットや高スペックマシンは、アイデアのおもちゃ箱のように働きかけるのだと思います。かつての90年代のAfter EffectsやPhotoshopが、アイデア次第で色んな事が実現できたように。

要は「次世代に欲情できているか否か」だと思います。

で、新型Mac Pro。2.5Kの2モニタ同時映像再生(ProRes422HQ)は、難なくクリア。直近の現実的なお話しでは、旧型だと24時間と予測時間が出るレンダリングを、新型MacProは果たして、何時間でレンダリングするのか。

PowerMac8500/180、メモリ160MBでAfter Effects 3.1Jを使っていた頃が遥か昔に感じられますが、新型MacProもしばらく後には、懐かしいマシンになるのでしょうネ。
 

AfterEffectsからTSV

映像作品におけるシーンの構成をおこなう際、私はFinal CutでもPremierでもなく、毎度のAfter Effectsを用いてムービーを作ります。いわゆるムービーコンテ、プレビズのムービーは、結構その場で要素を作っちゃう事も多いので、Final Cutのような編集ソフトウェアよりは、ビジュアルエフェクト向きのソフトウェアの方が、何かと融通が利くのです。

で、After Effectsを編集ソフトウェアのような使い方をした時に何が面倒かって、EDL的な編集点を記述したファイルが出力できない事です。プレビズのムービーが完成した、さて、各カットはどんな名前でどんな並び順でどんな尺なのか‥‥と言った事が、簡単に集計できないのです。

After Effectsを編集ソフトとして使うのですから、やっぱり、EDLは出力できたほうが便利です。EDLの書式の基本は簡素ですから、テキストファイルの読み書きをプログラムできるAdobeのESTK(Extend Script Tool Kit)なら、自前で作れない事もないです。(実際に作って、グレーディング作業で使った事があります)

EDLは出力できると便利‥‥なのですが、私の直近のニーズは、プレビズ(例えるなら絵コンテすね)後に、「各カット制作を本格開始する」際に必要な「カットリスト」をAfter Effectsから直に出す事です。EDLを書き出してそこからカットリストに変換するよりも、ダイレクトにカットリストをAfter Effectsから生成したい‥‥という事ですネ。

ぶっちゃけ、プレビズは絵コンテ同様に荒い絵なので、プレビズ時の各カットの尺は暫定的であり、EDLを書き出してもそのまま使える事のほうが少ないです。だったら、プレビズ直後はEDLなんて直接的なファイルではなく、運用の元になるカットリストテキストファイルのほうが、実質的だと感じています。

カットリスト。要は、CSV(comma-separated values)かTSV(tab-separated values)で書き出すテキストファイルです。CSVかTSVだったら、ExcelだろうがNumbersだろうが、Open Officeだろうが、どんなプラットフォームでも読み込みできます。思うにカットリストには、「タブは一般的な名称・呼称に使われる事が少ない」ので、CSVよりもTSVを使うのが適当なように感じます。TAB〜ASCIIナンバー9のいわゆる「水平タブ」は、ファイル名やフォルダ名、カット名に使われた事例が今まで皆無でしたので、カンマよりは「経験的に安全」だと言えます。

で、そのカットリストのTSV。書式は簡単‥‥なものしか、思い浮かびません。
 
編集並び番号(TAB)カット名(TAB)尺

例えば、
 
1(TAB)001(TAB)6+0
2(TAB)002(TAB)5+0
3(TAB)003A(TAB)4+12
4(TAB)003B(TAB)5+18
5(TAB)004(TAB)3+12
.....

‥‥的な。

編集並び番号は行番号から読むんでいいじゃん(プログラム的には改行コードで分解して得た配列のインデックス)‥‥とか思いかけますが、そうすると空白行の挿入やコメントアウトとか面倒になりますし、何よりも視認性が悪くなる(行番号表示のできるテキストエディタじゃないと判り辛い)ので、通し番号はあると良いと考えています。

まあ、こんな規模の内容なので、After Effectsのレイヤークラス、コンプアイテムクラスの情報を読み取って、テキストに書き出すだけのかわいいプログラムです。‥‥でも、そんなかわいいツールでも、あれば便利、無ければメンドくさい手と目による作業になります。コンピュータで簡単にできる事を、人間が必死こいてやる状況は、何としても避けないとアカンですからネ。

数日内に必要になりそうなので、ちょっとトライしてみます。テキストファイルは文字コードまわりが「単純に面倒」なんですが、ASCIIコード外の文字を使う事はなさそうなので、あまり手はかからなそうな予感。リラックマVer.2

ディズニーの14年間

私は、ディズニーの昔のアニメ映画が好きです。誤解を避けるためにもう少し詳しく言いますと、「ディズニー映画の標榜する価値観に同意する事は少ないけれど、映像美を愛好している」とでも言いましょうか。

例えば、「わんわん物語」の一見「刺激の少なさそうな」画面も、実は巧妙な明暗設計が随所に仕掛けてあって、ただそれがクドくないので、見てる側が気にならないだけです。大胆な影落としとかもいっぱいありますヨ。‥‥ただし、ストーリー的には「トランプ‥‥。アウトローだったお前が、なぜ、いきなり鑑札を首からぶら下げてんの?」と釈然としない結末を迎えたりするので、イマイチ、作品全体を愛せなかったりします。

ディズニーを「アニメーション作品」の技術面から見た時、その「技術進化速度の速さ」に驚きます。

ミッキーマウスの登場する「蒸気船ウィリー」は1928年公開で、「観客席から見たような、横位置のレイアウト」的なカットが多く、黎明期の雰囲気を色濃く反映した作品です。モノクロフィルムですし、動きのタイミングも手探りな感じですネ。



それから7年後、初のカラー作品と言われる「The Band Concert」は、横位置カメラから開放され始めてますし、「ここまで動かせるようになった」という自信というか、作画の(良い意味での)エスカレートが感じられます。絵を動かすのが楽しい!‥‥という雰囲気が、作品から伝わってきます。



私は、同年代なら「Through The Mirror」の「可愛い顔してんのに、悪い奴」なミッキーの方が好きですネ。机の引き出しがバッと開いて、トランプが飛び出す動きのリアクション作画とか、この当時からカッコいいですし。「蒸気船ウィリー」から7年で、このレベルまで到達してたのは、驚きです。



ちなみに、この頃のミッキーは、白目のないデザインで「可愛い」んですが、性格的には「何をしでかすかわからない」アブナイ雰囲気も併せ持ってましたネ。少々「邪悪」なところがあると言うか。

で、「The Band Concert」の1935年から7年後。「蒸気船ウィリー」からは14年後‥‥には、もう1942年の「バンビ」を作ってます。「蒸気船ウィリー」からたった14年で、です。「ファンタジア」に関しては1940年なので、「蒸気船ウィリー」から12年後ですネ。

バンビやファンタジアは、YouTubeの映像では汚な過ぎますし、入手は容易でしょうから、リンクは貼っておりません。

私が「バンビ」や「ファンタジア」をちゃんと見たのは20代の頃で、アニメーターになってからですが、その映像の美麗さに驚いた直後に、「1940年代にこれが実現できてるのに、なぜ、今は?」と思ったものです。40代の現在の私は「自然の摂理」だと解釈してますが、当時は「技術は進化し続けないし、継承され続けるものでもないんだ」と気落ちしたものです。技術は進化した後に、退化する‥‥ようですネ。ちょうど、子供が大人に成長した後、老化するように。芽が出て葉が増えて、花が咲いた後に枯れるように。(自然の摂理の中には、花が咲いた後に実がなり、種が地に落ちて、また次のシーズンに芽を出すかも知れない‥‥という希望も含みますけども)

宇宙探査船ボイジャーのちょっとした笑い話を思い出しますが、「ボイジャー関連のデジタルデータについて、現在はそのデジタルデータのフォーマットを開発した職員が退職したので、データの意味が分からなくて読解不可能」だとか。笑い話とかいうと失礼かもしれませんが、まあ、「あるある」ネタです。

それに似たような感じで、アニメの技術も「技を編み出した当人が辞めちゃえば」、その技術は地球上から消えます。結果物だけは残りますけどネ。

ちょっと、話を戻して、ディズニーの14年間における、技術の猛烈な進化速度についてですが、「状況が噛み合されば、あり得る話」だと思います。

その「状況」での大きく重要な要素は、もの凄く簡単に言えば、「伸びシロがあった」と言う事です。「伸びシロ」は外にも内にもあって、社会的な伸びシロと個人的な伸びシロが、うまいこと噛み合った時に、異常なくらいに発展・エスカレートする‥‥ようです。個人的な伸びシロが社会的な伸びシロを通じて、複数人数に伝播して巻き込んでいくと、次第に大きな螺旋状の「ムーブメント」になるわけですネ。

私がアニメーターになる数年前に「暴走アニメーター」という言葉が現れましたが、あれもムーブメントの1つでした。もっと動かしたい、もっと動かせるはずだ、やってみたら出来た、ちまた(=いわゆるファン層や同業者の間)でウケた、もっとやってみたい‥‥というエスカレートにつぐエスカレート。‥‥で、「デジタルアニメ」も1997〜2006年くらいの間は、そんなエスカレート具合というか現場の雰囲気がありましたよネ。

今は、伸びシロ的にどうなんでしょうネ。 「萌え」を急速に消耗させた次に、何をする予定なのか。‥‥もっと簡単に言えば、未来にやってみたくてウズウズするような事を、自分の中に持ててますかネ? アニメ業界も個人の集合体ですから、その個人が「自分は何をやりたいんだろう」と考え込んじゃう時点で、かなり危ういと思うんですよ。「やりきれないほど、やりたい事がいっぱいある」くらいでないと。

そんなこんなを思索するに、ディズニーの「from 1928 to 1942」の状況は、色々な事を教えてくれますネ。

私は今、やりたい映像作品、やってみたい技術が、山ほどありますが、お膳立てがあるわけではないので、悶々とした日々を積み重ねております。満たされない、手に入れられない、持ちたいのに手からこぼれ落ちて持ちきれない‥‥と言うもどかしさと言いましょうか。

でも、振り返ると、「安泰だ」「満たされている」という実感は、滅びや崩壊の前兆だと感じます。充足しちゃったら、あとはもう、こぼれて減っていくしかないもんネ。

だから、私自身だけじゃなくて、他の人々の場合も、何か挫折感や閉塞感を感じる事があるとすれば、それはある種の福音なのかも知れない‥‥と思う事はあります。伸びきってベロベロに弛んでいくよりは、伸びシロを伸ばす空間を欲しているほうが‥‥です。‥‥まあ、伸びて緩むのが好きな人もいるとは思いますから、全員がそうだとは言いませんが‥‥。

ウィリーからバンビまで、14年か。‥‥感慨深いもんですネ。
 

雑文

最近、プログラム関連に比重を置いていましたが、映像制作は作品表現・映像技術・運用の3つが不足なく必要なので、一時的にどれかに偏るのは、まあ、仕方のない事なのです。私はアニメーター出身なので、作品や技術の方面に傾倒しがちですが、運用が脆弱だと表現や技術が「カタチにならない」ので、焦燥感をなだめながらでも、運用システムは定期的に積み上げていく必要があります。

作品表現・映像技術・運用は、三つ子の兄弟・姉妹のようなものです。表現が欲する技術が生まれ、技術が欲する運用が編み出され、運用や技術が表現を触発するのです。アイデアを実現する先駆者の存在はあるにせよ、例えばライト兄弟がいきなり全金属製のレシプロ機を飛ばす事はないのです。

ただ、人がひとたび、「空を飛べる」と知れば、どんどんエスカレートしていきます。その時代の様々な要素が強力に後押しするからです。これは映像作品についても同じ構造が再現されるように思います。

ちまたでは今でも、「作画」vs「3D」の二元論で論じられる事が多いようです。でもまあ、それはしょうがないか。「新たな2D」はまだまだ水面下ですしネ。「作画でなければ3D」という思考は、もはや、コンピュータ活用の黎明期の考えだと感じます。作画=2Dという概念も‥‥です。

例えば、以下の参考ムービー。After Effects上のパスでテキトーに作った内容ですが、3Dレイヤー&カメラで舞台セットを組んでいるので、カメラを動かすと視野が連動して動きます。

 
*空BGや草BOOKの付け根がバレてますが。
*パス(ペンツール)で描かれた絵なので、カメラが寄って線は太くなっても、ジャギは全く出ません。

こんな簡素な仕掛けも、今のアニメ業界のフローでは不可能です。なぜって、タイムシートが「こういう事に対応していない」からです。紙のレイアウト上で指示をしても、セルやBOOKそれぞれのZ位置までは指定できません。After Effects上では、距離をコンパクトにまとめて被写界深度を深く表現する事もできますし、距離を広げて深度を浅くする事もできますが、フレーム指示ではフレームの絵収まりしか指定できないのです。

なので、こうしたAfter Effectsの機能は、現アニメ業界フローでは何年も「封印」状態のままです。

‥‥この技術は、いくつもある技術の中の、ほんの氷山の一角〜言わば「ひろピョン石」なのですが、おおやけに使われる事は今でもありません。実は、2005年のホリックの劇場アニメで既に使っていたのですけどネ‥‥。8年も前の事ですヨ‥‥。

1996年から16年、コンピュータを導入したアニメ制作現場の様子を見てきて、業界がフローに対して根本的な大改革をおこなうとは、もう思えないのです。私の近年の行動は、そうした実感に基づいています。

ですから、一方では、今の業界フローは今のまま、これ以上発展させなくても良いのでは?‥‥とも考えています。明確に、伝統芸化してしまうのです。需要はまだまだ沢山あるでしょうし、そもそも紙ベースとデジタルの齟齬を回避できます。キャラだけでなく、手描きのメカやエフェクトが熱かった80〜90年代の作画意識を取り戻して(絵は今風でも)、観客を圧倒するのが実は一番「デジタルに真似できない事」なんじゃないでしょうか。作画の熱さはそのままに、デジタルは高機能ペイントと高機能フィルム撮影台の役割に徹するわけです。

中途半端に、面倒な作画はデジタルに頼る気風だから、プライドも覇気もトーンダウンしているのかも‥‥。

* * * *
私は相変わらず、コンピュータグラフィックス路線です。90年代の中頃から、その辺はブレておりません。素手で描線を描こうが、コンピュータで処理すればCGッスよ。そもそも「デジタル」に踏み込んだのも、作画+セル彩色+フィルムカメラという組み合わせに限界を感じていたゆえですから、郷愁を感じたとて、戻る事はありません。

私が日頃のBlogで少しだけ公開しているのは、やはり氷山の一角です。Blogで単発的に出せるものだけ、公開しても支障のない無難なものだけ‥‥です。似たような事を考えている同志・ライバルに、間接的・比喩的に「みなさんはどんな感じでっしゃろ」と呼びかけているつもりです。似たようなソフトを使っているのだから、同時多発的にやがて各所で皆が頭角を現すのではないかと思っています。少なくとも、米某社はかなりのレベルまで、既にイッちゃってますからネ‥‥。

周囲から「何をトンチンカンなことを」と思われていても、新たな2Dの可能性に確信をもっている人は世界各地に点在している‥‥と思います。「見えている」人にはもう見えているはず。大多数の常識的な意見や認識など、新しい取り組みの前には、何ら気にかける事はありません。今じゃあたりまえの「デジタルアニメ」だって、90年代の中頃は多くの人々がスルーして懐疑的な視線で傍観していたのですから。

上方修正

グレーディング作業におけるパイプラインプログラムの導入効果は、予想以上に高く、当初3日分と見積もっていた作業量を1日でこなせる勢いです。同時に撮影業務も少々兼務していますが、そちらは相変わらずのペースで、様々な場面で効率を落とすトラップが仕掛けられています。撮影もStandardizationを実現できれば、効率化も夢ではないとは思いますが、現状では部署単独で改善に望む事は実質不可能とも思います。

でもそうやって、互いの部署同士が干渉を避けてきた結果が、今の状態と言えます。30年以上、基本的な制作システムが変わってこなかった‥‥つまりは、制作システムの技術革新をしないまま現在に至った状態です。それなのに、やる事をどんどん増やしているのだから、昔と同じ状態を保てるわけがない、歪みが出ないわけがない‥‥ですよネ。

やる事が増えたから金を増やしてくれ‥‥という考え方もあります。でも一方で、やる事が増えるのに伴って、生産システム内部での技術革新を模索していないのはどういう事か。言わば、自分の健康維持を、医者や医療制度のせいだけにして、自分の生活習慣は何も改善しない‥‥のでは、かなり説得力に欠けると思うのです。

何をするにも巨象のようなカロリー消費が必要な、今の業界制作システムでは、保守的な「成功例のある」作風に終止せざる得ないと感じています。

もし運用技術の革新を実現して、フットワークを軽くできたなら‥‥。それは、作品企画でも実制作でも雇用面でも、大きなシフトチェンジになるように思います。旧来からの状態を維持‥‥という考えを捨てられない限り、新しいフェイズへは進出できないのではないでしょうか。

ゆとり世代って、世間ではイジられる対象みたいになっていますが、私は結構、Unique(=独特)な面白い人材が多いと感じています。不思議ちゃんもいれば、才人・才女もいて、バラエティに富んでいるように見受けられます。‥‥私の周りがたまたま‥‥なのかな? 自己の感覚に準ずる一方で、思考を巡らす習慣を持つ‥‥というか。‥‥でもまあ、世の「ゆとり世代は」と嘆きたがるオジさんたちから見れば、行動パターン要素の「配列順」が気に入らないのかもしれませんけどネ。若い人間が現アニメ業界から学ぶべき「しきたり」は沢山ありますが、30年前の構造を絶対的だと信じ込む必要はないですし、「泳がされた世代」なのが反ってThink differentの可能性を秘めているようにも思うのですヨ。業界のシステムの非合理(昔は合理だったかも知れないけど)を純粋かつクールに観察できるのは、セル用紙やフィルムから遠い人間かも知れませんネ。


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