前回、質よりも量を優先するスタンスは、何らかの理由で行き詰まる‥‥と書いた直後でナニですが、新人の頃から質だけを求めすぎると「手が遅くなる」という弊害も出てきます。

 

今はどうか知りませんが、私がフリー原画マンのキャリアをスタートした1980年代後半は、「最初はテレビのローテーションに入って、とにかく数を上げる」というのが、上達する常道でした。新人のまだ右も左もわからないうちから、「どう進めば良いんだろう」と立ち止まるよりは、「とにかくそこらじゅうを走れ! そうすれば地形を覚えるだろ?」という理屈で、「習うより慣れろ」という習得方法でした。

 

私が18〜19歳の頃に上げていた原画カット数は、最低70カット、多い時で120カットくらいでした。120カットは相当キツかった覚えがありますが、でもまあ、平均で90カットくらいは原画をコンスタントに描いていました。作品は線の多いロボットものもあれば、線の少ない可愛らしいキャラ、日米や日仏合作などのいかにも外国風のキャラのアニメなど、色々な種類をこなしていました。

 

前回書いた通り、19歳・20歳の頃に、「農閑期」1月に仕事がなくなるミジメな思いはしたものの、数を上げる自信はそこそこついた2年間でした。

 

「数を上げる自信」はすなわち、「食っていける自信」と同義でした。

 

ちなみに、1987年ごろの駆け出し原画マンだった私の平均的な収支は‥‥

 

  • 収入
    • 原画作業費・源泉抜いて手取りが15〜20万(当時は1カット2千円台前半)

 

  • 支出
    • 家賃35000円(水道代込み)
    • 電気代5000円前後
    • ガス代3000円未満
    • 電話代10000円以下
    • 食料費30000円前後(記憶が曖昧)
    • 交通費10000円以下
    • 書籍などの資料購入費〜覚えておらず
    • etc...

 

つまり充分「やっていける」収支でした。家賃が35000円というのが、今の物価からすれば、最強ですよネ。家賃がこの金額で済めば、家計は楽だよね‥‥。ちなみに「風呂なし」物件でしたが、4畳半2部屋で、広く使えました。2010年代の現在、風呂なし物件なんて、あるんかいな‥‥。

 

私は高校時代から動画・原画(は少し)も作業していて、「業界のお金の実感」を既に把握しており、「数を上げなければ、絶対に食っていけない」とわかっていました。ゆえに、月70カットは絶対に死守する覚悟で作業していました。

 

数を上げられる自信は大きく、その後の私の固い足場となりました。

 

家賃を払っていかなければならない、食っていかなければならないという必然性により、数を上げられる足場を自然と形成できたわけです。そして、「量だけで自分をアピールする虚しさ」ゆえに、前回書いた「質」への挑戦が始まったわけです。

 

一方、数を上げられない友人たちは、業界をやめていきました。当時は80年代のアニメブーム中盤でしたから、アニメーターを目指す友達は多かったですが、結局、地元で残ったのは私ひとりになりました。

 

数を上げられない人は食っていけない。作業スピードについていけなければ、仕事から外される。‥‥これって、他の業種でもあることですよネ。

 

 

‥‥で、私の同年代の人の中には、2010年代の若い人たちに対して、1980年代当時の状況で諭す人もいるかも知れませんが、それは酷というものです。

 

まず根本的に、生活にかかるお金が違いすぎますし、80年代のロボットアニメとは違う神経質さで今のキャラは描くのに時間がかかります。2010年代の「量」は、色々な「現状」を鑑みて語らなければならない話題と言えます。

 

スマホを持つな、パソコンを持つな、風呂なしの安アパートに住め、エアコンなんてもってのほかだ‥‥なんて言う奴、どこにいる??? もしそれが可能だというのなら、言った人間が実践して、夏場に熱中症で救急車のお世話になればよいのです。

 

昔の練馬は涼しかったけど、2010年代の今は、周囲の様々な熱風が淀んで、クーラーなしでは住めないでしょう。

 

ただ、どうな状況であれ、今昔に関係なく、量をこなせる作業力は、いわば基礎体力のようなものです。基礎体力による基礎トレーニングの下地があって、様々な技巧を積み重ねていけます。

 

私としては、新しい作画法も準備する中、量に対してタフな人材を得るために、どのような方法があるのか、考えていかねばなりません。

 

 

一方、私のメイン作業であるコンポジット。いわゆる「アニメの撮影」は、2008年くらいの頃から、本撮3日なんていうスケジュールにまで劣化しており、個人の作業スピードや技能が云々なんて挟む余裕もありませんでした。原画で言うところの「最低限の原画しか描かずに、書きなぐって数を出す」的な作業で、スケジュールのしわ寄せを一気に解消するセクションと化しています。

 

腕前がどうこうなんて言ってる余裕もなく、不本意な出来栄えの上がりをどんどんテイク1で出して、どんどんリテークが出て、どんどんテイク2テイク3を出して‥‥という、濁流のような作業が続きます。‥‥まあそりゃ、体も壊すって。

 

しかし、コンポジットのキャリアをゼロから積むときに、現在の過酷な撮影状況を生き抜いた経験は、「基礎体力」として相当な自信にはなるはずです。

 

まさに「Fucking Hell」、撮影地獄を生き抜いたんだから、今後の多少の困難なんて、ライトテイストだ‥‥と感じている撮影スタッフも多いのではないでしょうか。

 

 

ただ、今のアニメの撮影に欠けているのは、「ステップアップ」の伸びしろです。

 

下手をすると、アニメの撮影になったら、おじいちゃんおばあちゃんになるまで、今の地獄の撮影スケジュールにつきあわされるかも知れません(そんな乱作バブルの状況は続かないという予測もありますが)。

 

撮影スタッフの次は撮影監督。‥‥で、その次は? 

 

同期の人間がみんな撮影監督になったら、現場は撮影監督だらけになりますよネ。しかも、若い中堅などは、才能があっても、上が詰まっているから撮影監督に一向になれない‥‥とか。

 

それに、「時間とお金はたっぷり用意しますから、最大限に美しい映像を表現してください」と言われた時、テレビシリーズの撮影メソッドでは対応できないことも多々でてくるでしょう。実際に、「品質に対して、テレビシリーズとは比べものにならないほどの、お金と時間を用意する」作業は、ちまたにはあるものです。

 

もし、アニメの撮影でなく、コンポジットを基軸とした映像表現の大きな広がりに自分の身を投じたいのなら、ある一定期間を経たらアニメの撮影を辞めて、他の職種やジャンルへ転職しなければならないでしょう。

 

ビジュアルエフェクトやグレーディング、様々な映像開発、作品企画、様々なプリプロ、実写映画、実写ドラマ、実験映像、2D&3DCGの映像作りこみ、モーショングラフィック、欧米の企画物‥‥など、実はアニメの撮影と同じ機材を用いても、「アニメの撮影」ではなく「コンポジット」という大きな枠で考えれば、大きな伸びしろがあります。私が今メインで作業しているのも、「アニメの撮影」ではなく「コンポジット」を中心として派生した様々な映像制作です。

 

アニメの撮影部署の中にいると、その作業枠から抜け出すことは難しいですから、「量に対応する実戦経験」を積んだ後は、自分の未来を見据えて行動する必要があります。

 

 

 

量をこなせる実力は絶対に必要。

 

しかし、いつかは、「量から質へ」シフトする時期を迎える。

 

このことを、自分の成長戦略に見定めておけば、フレキシブルに自分の境遇を操作することもできます。

 

 

 

まあでもね‥‥。作品の監督が欲するのは、なんだかんだ言っても「質」なんだよネ。

 

だから、作品を制作する上で、自分の中に「質」のジェネレーターを用意しておくことは、とても重要なんですよネ。

 


技術力で身を立てる

この10年間は、まさに「デジタルアニメーション」が量産化されて、大量生産のニーズにも応えた10年だったと思います。

 

ゆえに、大量生産向けの技術しか持たないスタッフも相応に増えたことでしょう。実際に、現場を見ていて、実感します。

 

まさに労働力を要求された10年だったかも知れません。しかし、労働力のニーズは、生産数の規模が減少すれば、当然のことながら減っていきます。

 

つまり、質より量で稼いでいた人は、生産数の減少とともに除外されていくのです。

 

 

質で稼いでいる人は、量を必要とされる場面でも必要とされます。質を買われて、仕事がなくなることはありません。

 

しかし、その逆はないのです。量で稼いでいる人は、量を必要とする場面では重宝されますが、量が少なくなって質を問われる場面では、仕事を失います。

 

 

構造は簡単です。以前より量が減って、質が重要視されるようになった場合、わざわざ、量だけが取り柄で質の悪い人間に仕事を依頼しなくても、質の高い人間だけを人材として選べるのです。

 

残酷な話ですよね。でも、現実にあることです。

 

 

私は18歳でフリー原画マンのキャリアを本格スタート(動画は16歳で在学中に)したのですが、19歳になった新年1月にちょうどテレビアニメのプリプロ期間となって、原画作業の依頼が全くなくなったことがあります。

 

一方で、技量の高い方々は、オープニング作画や他のOVAなどの仕事を依頼されるなど、いわゆる「スキルに応じて、制作の対応が変わっていた」ことを知って、我が身をとてもみじめに思ったものです。そして何よりも「このまま依頼が無かったら‥‥」という恐怖も感じたものです。

 

幸い、翌月2月には他社から作業依頼があり、仕事は再開しましたが、「下手=干される」の恐怖感が植え付けられました。フリーランスだから、なおさら‥‥ネ。

 

「原画を上手くなろう」と思いました。‥‥今考えればアホみたいですが、当時はそう思ったものです。「原画が上手くなる」って何なのかも見えていないのに、漠然と上手くなろう‥‥って言ってもさ。

 

そして20歳の新年1月。やっぱり、1月に仕事がない。‥‥すごくみじめでしたが、その1ヶ月に色々なことを考えました。

 

自分なりに結論したことは、「この人に仕事を出したい」と感じる魅力が、自分の絵にはないのではないか、「うまい、うまくない」なんていう漠然とした基準ではなく、他者のココロをくすぐる要素が自分の絵に表せていないのではないか、そもそも独りよがりの「原画風の絵」を描いていただけでは無いのか‥‥という自己批判をしたのち、頭を切り替えて、「原画」ではなく「かっこいい絵」「かっこいい動き」を描こうと心に決めてみました。

 

そして、21歳の新年1月。私は何本かの原画作業を掛け持っており、仕事がなくて干されていた頃が懐かしいくらいでした。

 

‥‥なんでしょうか、この状況の変わりようは。

 

その後、めでたしめでたし‥‥で終われば安易な感動ドラマみたいですが、実は真逆で、今度は「かっこいい絵」「かっこいい動き」にこだわるがあまり、原画枚数がどんどんかさんでいって、全く数が出せなくなって、アパートのライフラインが停止するなどのド貧乏に陥る‥‥という、これまた無残で長期間の苦悩へと突入するのですが、その話はまたいずれ。

 

しかし、私の命運を最初に分けたのは、確実に「クオリティ路線へのシフト」です。

 

クオリティへと路線変更せず、絵コンテで指示されただけのことを最低限描くだけの原画マンだったら、私はこの業界を20代で辞めていたと思います。

 

「この人に原画をやってほしい」

 

「この人に作品に参加してほしい」

 

‥‥そう、周囲に思わせる必要があるのです。

 

そうでなければ、仕事の依頼なんて、「誰か、手空きで余っている人、いる?」的な雑な人材配置に翻弄されるだけです。

 

「あなたにやって欲しいんです」と言わせるだけの、自分の技量で身をたてなければ、遅かれ早かれ、悲しい思いをするでしょう。悲しいだけならまだマシで、未来の自分の行く先さえ、危うくなります。

 

「このカットの場合は、原画何枚で中何枚で」‥‥なんていう、決まった描き方のテンプレートで仕事をしている原画を最近はよく見ますが、そんな「描いた人間の顔が見えない」描き方をしていると、3DCGのトゥーン処理に今から負ける準備ができている‥‥ということです。

 

 

こういったことは、「アニメの撮影」でも同じことが言えます。ただし、何も無いところから描く原画と違って、撮影時には基本的な絵の素材が揃っているので、どんな出来栄えでも、皆「そういうものか」と受け入れているだけです。実際は同じ素材を用いても、コンポジット技術によって、大きな表現力の差が映像に現れます。刺激的なシーンになればなるほど、コンポジット技術力の差は一目瞭然です。

 

でもまあ、「アニメの撮影」の場合は、スケジュールのしわ寄せが酷すぎて、技術力を導入する時間もないのが現状です。アニメ業界の状況はまだ当分変わらないでしょうから、自分の未来の危機を感じた人間だけが、自己投資して違う未来の可能性を見出すしか、現状脱出の手立てはないでしょうネ。

 

 

「量が必要な時に、自分たちは寝る間も削って、命もすり減らして、最大限貢献したんだ。‥‥なのに、量が必要とされなくなった途端、お払い箱か?」

 

‥‥そう言いたい気持ちはわかります。でも、アニメ業界に限らず、世の中の産業構造というのは、似たようなものです。上述した通り、私も若い頃に苦くみじめな経験をしました。

 

しかし、「量だけで生きていけると思ったのか? 量で稼ぐ構造にやがて限界がくるとは、予測できなかったのか? 質で稼ぐ方法を全く模索してこなかった自分にも責任があるのではないか?」‥‥という自己批判も必要です。

 

量の反動として、今度は質を求められる時が来る。‥‥そうは思わなかったのか?‥‥ということです。

 

 

それに人間、だれでも老いるのです。

 

量で稼ぐ方法なんて、いつまで保つんでしょうか。20代の人間でも、30年後には50歳なんですヨ。20代の意識と同じまま50歳になったら、老いたカラダが大量生産についていけなくなるだけです。

 

いつかは、クオリティで自分を周囲に認めさせるフェイズが到来するのです。もちろん、「認めさせる=相応の報酬で」‥‥です。

 

 

まあ、今のアニメ業界、どんなモノ造りの役職についても、貧乏神と同居しているようなものかも知れません。よっぽどの「スター作監」でもないかぎりは。

 

だからと言って、自分の「技術品質」をおろそかにしていては、より一層酷い状況においこまれるだけでなく、何かしらの新しい技術で未来への道が開けた時、未来へ向かって歩き出す事もできないです。

 

 

自分の技術力で身を立てるということは、映像の表現に実質的に関わる人間ならば、避けて通れないことです。今はテレビシリーズの乱作に付き合っていたとしても、心の底では理想を持ち続けて、実際にチャンスがあれば実践して、周囲の油断している人間たちとの差を表すべきです。

 

「あなたに作業をお願いしたい。相応の報酬はお支払いするから。」

 

‥‥こう言わせる人間になっていくことが、どんな時代のどんな現場でも通用する事だと思います。

 

 


準備していますか

「アニメ業界」を検索語にしてツイッターをみると、まあ、出るわ出るわ、悲観的な文言が。

 

最近出た「放送延期」に反応して‥‥でしょうかネ。今後10年間は、アニメブーム&ベビーブーム時代のアニメ関係者の生活困窮も、徐々に記事になり始めると思います。独身で国民健康保険も曖昧‥‥なんていう人が、60代の自分の健康をどうやって自身で面倒みるのか。

 

窮状に対し、「してください」「してほしい」という文言を読むと、「誰が何をどうやって?」という部分(実質的なプランや具体案)が見えないですし、「アニメーターの労働云々」という文言の多くは、まるでアニメーターだけが辛い状況に置かれているかのように読めるし(仕上げや撮影や進行はアニメーターじゃないけど、かなりヤバい状況がそこかしこに)、まあ、ツイートはまさにツイート以上でも以下でもないと受け取って(実際、匿名のツイートは、どこのどんなスキルを持った人間が発言しているのか不明ですよネ)、どのように状況を見極めるかが必要だと思っています。

 

嘆くばかりでは、未来は切り開けないですし、大空に向かって「私たちを救済してください!」なんて叫んだって、願いを叶えてくれる神様など空の向こうには存在しません。

 

手の届かない、漠とした対象に、いくら「改善して!」「立て直して!」と訴えたところで、幻に語りかけるが如く。

 

 

要は、自分自身、自分たちの未来に向けて、何をどのように準備し、実践して状況を展開していくか。

 

すぐに状況を変えられるのは、まさに自分の手の届く範囲です。

 

 

例えば、新人育成の話題にしても、アニメ業界がお金がないから新人が育たない‥‥と言うのは、あまりにも雑な捉え方です。

 

私は「デジタルアニメーション」の現場が急速に破壊されていったこの10年間、人材採用の流れを側で見ていましたが、

 

  • より一層、現場を回転させるためには、もっと人が必要だ
  • 人が増えたから、もっと仕事を増やさなければ

 

‥‥のループだったと思います。そしてさらに、

 

  • 人を増やして時間を短縮した
  • 時間を短縮するために人を増やした

 

‥‥の延々ループでもあったように思います。

 

際限なき肥大化、‥‥もっと言えば、自己批判なき成り行き任せの現場運用とも言えましょう。アニメ業界人は、状況の被害者であると同時に、状況の加害者でもあるのです。今をやり過ごすために、未来の自分の首を絞めているのです。

 

例えば、アニメ撮影の決まりきったコンポジット技術しか知らない人材が、この先20年30年と生きていけると思いますか? 底力が無さすぎでしょう。コンポジットの総合技術を高めれば、アニメだけでなく色々な仕事を依頼できるのに、アニメの、しかもテレビアニメの1日何十カットと仕上げるコンポジットしか知らなければ、他の映像ジャンルの仕事の振りようもないですよネ。

 

でも、現場は「文句を言わず」「能力が突出しない」ということを「協調性」ということにして、不平を言わずにガイドラインに沿って作業する人間ばかりを採用したがるでしょう? テレビアニメ専用の人材を「量産」しようとするでしょう?

 

人材を育てる気も希薄なまま採用し、ただ単に現場で働かせれば、技術を身につける? ‥‥そんなことを言ってるから、カメラのレンズの理屈も知らない人材が中堅になって、宙に浮いたり地面に埋まったりするキャラのレイアウトを描くわけです。わからない方にも多少の問題はありましょうが、教えない方にも大問題がありますヨ。

 

商売敵ならいざ知らず、自分の関わる現場で、熱意に燃えるいじらしい新人でしょ? なぜ、現場放置プレイを続出させるのでしょうか。「共有」の名のもとの技術情報のバラ撒きは極力防止すべきですが、真剣に技術を得ようとする人への技術の継承は人を育てる上で重要な取り組みです。

 

今から採用しようとする人間が、未来に、どのように中堅になり、新たなリーダーになって、新しい現場を作っていくのか‥‥というビジョンも持たず、雑に「その場凌ぎの人材」を採用しているのは、他ならぬ、現場の人間たちですよ。そして、「述べ人数」を増やし続けて、お金の分配がどんどん少なくなる構造を作り続けているのも、他ならぬ、現場の人間です。

 

それなのに、「今は、若い人間で才能を発揮する人間が少ない」だなんて言い草、冗談としか思えません。

 

1973年の第二次ベビーブームを最後に減り続ける出生数ゆえに、「分母」の数は少なくなっているのは確かです。しかし、能力を持つ人間は、確実に若い人間の中に存在します。

 

人材の能力を見抜き、人材の未来の成長ビジョンを思い描くのに、お金の有無が関係しますか? 人選をおこなう人間のスキルそのものじゃないですか。

 

 

ほんとに不思議なのですよ。「そんなに人を増やしてしまって、もし未来に仕事が減ったら、どうすんの?」って。

 

アニメの仕事にまみれて、ものすごいペースで作業を続けていると麻痺してしまうのかも知れませんが、アニメを1次産業や2次産業と勘違いしてるんじゃないですかネ。

 

アニメなどの映像娯楽は、人のカラダではなく、ココロに、その存在意義を認められて、居場所を得ているのです。雑な人材活用による雑な制作体制で、雑なアニメ作品を作ったところで、人々のココロに居場所を得られるとは、到底思えないのです。

 

人が生存する上で必要な衣食住とは関係ない、人のココロの隙間に存在し、現代のテクノロジーと足並みを揃えて歩むのが、アニメの生き方だと私は思います。

 

円盤が売れなくなった‥‥なんて聞きますけど、そもそも、雑な出来栄えの円盤なんて、買う人、います?

 

‥‥少なくとも、私は雑に作られた製品など買わないな。たとえそれが円盤ではなく配信であったとしても。

 

肩の力を抜いて、悪ふざけして作ったのが、意外にウケた!‥‥というのと、制作者までが「捨て作」と呼んで何の情熱も込めずに流れ仕事で作ったのは、状況が全く違います。雑な関わり方で、作品への思いれも抱かれずにただ金のために仕事が流れて、生産されても産廃になるような作品もあるわけですが、そんな作品でも存在意義があるというのなら、世の中の善悪の何もかも引き受けて生きていけるのでしょうネ。私にはそんな生き方はできませんがネ。

 

 

アニメ業界の崩壊‥‥か。

 

‥‥でもなあ、正直なところ、現代のテクノロジを活用すれば、業界なんて大風呂敷を広げなくても目処は立つので、私はあまり悲観視していません。

 

ノアの箱船のように一度に大洪水が押し寄せて崩壊すれば劇的でしょうが、そんな風にいくかな。

 

私が予想するに、現業界の衰退はゆるやかに進行し、尺の長いディゾルブで新しいムーブメントへと移行する‥‥と考えています。そして、現業界の中で「それに気づいている人々」が、新たな人間たちとも合流し、進化についていけなかった人々を尻目に、徐々に徐々に、台頭してくると考えます。

 

 

アニメ業界の状況を、運用面や経済で批判するだけでなく、自分たちの技術に対しても辛辣な批判の目を向けねば、これから先の明るい展望など見えません。

 

自分らの技術論を棚上げして、あれが悪い、これが悪いと言っても、話はどんどん散らかっていくだけです。

 

自分たちの技術が、現代社会の流れに適応できるかどうか、棚から下ろして、考えてみるのも良いのではないですか?

 

「自分たちがやっているコレは、実は恐ろしく非効率で金食い虫の、古めかしい技術ではないのか」という自己批判と、真正面から向き合うべきと思います。私はアニメーターとして得た自身の経験や技術を、技術進化の側面から自己批判した結果、この10年間に大きく考え方を変えるに至りました。アニメ旧来の「原画の作画法」にこだわることが、未来の可能性をどんどん潰していることに気づいたのです。ホントに正直に書きますが、旧来のアニメ作画法では、時代の技術進化に足並みを揃えて要素を取り入れることは不可能です。旧来作画法を維持したいのなら、「伝統芸能化」を目指すしか方法はないと思います。

 

でもまあ、「止め口を描き込みにして1枚分のコスト削減!」‥‥なんてやっている現場を見ると、技術や現場を現代化するキモチなんて、そもそも微塵もないんだな‥‥と感じます。動画マンの稼ぎがキツいなんていってるのに、線1〜2本で済む止め口の作業料まで奪うのかよ‥‥と思いますしネ。

 

 

まあ、何はともあれ、「今、未来に向けて、何を準備しているか」が、極めて重要です。

 

本業の傍ら‥‥で難しいのは百も承知です。しかし、その難しいことに取り組めるか否かで、命運が大きく分かれていくと思います。「次の準備」をしていない人は、過去の経験から見て、状況に呑まれて翻弄されるだけですもん。たとえ細くても、何本も準備をしておけば、それが命綱になることは往々にしてあります。経験上‥‥ネ。

 

淘汰なんて、今に始まった事ではないですから、いつの時代も「生き抜くための、たくましい闘争本能」が必要とされるだけのことです。

 

人も、技術も、システムも、ビジネスも‥‥です。

 

 

上述した「今をやり過ごすために、未来の自分の首を絞めている」という言葉。‥‥自分で書いておきながら、考えてみれば、今の私は「未来を得るために、今の自分の首を絞めている」とも言えなくもないです。

 

でもねえ、同じ苦労をするのなら、「未来につながる方が良い」と、私は思うんですけどネ。

 

 

 


安くてもJBL

FireやiPadの製品紹介で「音質が云々」と喧伝されていても、実際に音が良いと感じることは稀です。‥‥というか、私はコンピュータ関連機器で音が良いと感じたことはなくて、4スピーカーだろうが何だろうが、なぜかどれも、似たような「狭く」「細く」「痩せた」感じの音がします。

 

これはスピーカーの「質」云々ではなく、出音の「チューニング」の好みなのかな‥‥と思います。

 

iPad Proはスピーカーも売りの一つのようですが、実際、音質は「HiFi感を強調した音」「ヌケの良さを演出した音」で、カシャカシャと耳障りなのです。あくまで、コンピュータ機器の内輪での基準で、音が良くなったと売り出しているだけ‥‥と思います。Appleは音響機器メーカーでは無いですもんネ。

 

こうした傾向はBluetoothのスピーカーでも多くて、音響機器ブランド以外の製品を買うと、十中八九、「五月蝿い音」です。

 

そんな中、私がFire 7に繋いで(Bluetooth)、音質に満足しているスピーカーは下図のJBLの小さなスピーカーです。

 

 

手の平にのる小型スピーカーとしては、少しお高めの3500円前後ですが、音はトゲもなく痩せてもなく、ほどほどな音質が魅力です。外寸10cm以下の小型スピーカーに期待する要点をしっかりと踏まえていると感じます。

 

この値段帯の製品は、スピーカーユニットのブランド云々よりも、メーカーサイドの音質のチューニングがキモでしょう。言うなれば、開発者の「耳」の質です。

 

音響機器メーカーはどんな低価格の製品を作ろうと、やっぱり、音響機器メーカーの「耳」を通過した上での製品群です。そこに最大のアドバンテージがあるのだと、実際に製品を手にして実感します。

 

FOSTEXやヤマハの低価格スピーカーも良いですしネ。音響機器メーカーの1万円以下のスピーカーは、コスパも高いし、狙い目なんですよネ。

 

上述のJBLの小型スピーカーは‥‥

 

  • 音にトゲがなく、聴きやすい
  • かと言って、コモっている音では無く、聴き取りやすいバランス
  • 低音もそこそこ出るが、無理矢理な音(不釣り合いな低音強調)では無い
  • 深夜でも使えるラウドネス的な音処理(小音量での聴感補正)

 

‥‥といった内容で、FireやiPadのスピーカーで鳴らすよりも格段に「聴きやすい音」になります。

 

いわゆる「聴き疲れしない」音です。私は深夜ずっと鳴らしていますが、小音量でジャンルを問わず、ごく普通に長い時間、聴いてて気にならない音を出してくれます。やっぱり、餅は餅屋なのかなぁ。

 

地味な音ですけど、そこが良いんですよネ。派手な音って、すぐに聴き疲れちゃって飽きちゃいますもんネ。(昔、JBLは味付けが濃いスピーカーの筆頭みたいな存在だったのに、JBLを地味だなんて言うとは、時の流れは皮肉ですな)

 

‥‥あ。誤解なきように付け加えておきますが、音が良い‥‥と言っても、オーディオマニアの人が心酔するような音ではなく、あくまでBluetoothのミニミニスピーカーでの音質基準です。

 

言うても、3500円ですからネ。モノラルですし。(幅が10cm未満でステレオ2chは意味ないですもんネ)

 

目先の「クリア感」を強調するために高音をカシャカシャやかましく鳴らすスピーカーではなく、ええ感じに丸い音を出してくれる音響機器メーカーのスピーカーは、心地よく作業を進めるための(音出しするので、周りに人がいない時だけ‥‥ですが)必須のアイテムです。

 

 


最近、久々に紙の原画を描いて、細かい部分を描くのに思わず紙の上でピンチ操作をしてしまった(拡大の操作)のに続き、昨日の夜はガシガシとiPad Proで原画を描いてて思わずApple Pencilを鉛筆削りに突っ込みそうになりました。

 

作画作業が波にノッてくると、紙から目を動かさないまま、鉛筆削りに手探りで鉛筆を突っ込んで削る癖が出てくるんですよネ。‥‥まあ、もう机には電動鉛筆削りはないので、間違って削ることはないのですが。

 

しかし、Procreateはタフです。2.5K程度のピクセル数なら、レイヤー70個抱えても、反応速度が落ちることは全くありません。

 

加えて、この1ヶ月くらい、自分の使いやすい質感のペン設定(スケッチとインキング)を推敲し、さらには一層グリップの良い保護フィルムに交換したので、描き心地と信頼性が格段に向上しました。もう出来るだけ、紙に戻りたくないし、戻れないキモチです。

 

*最近交換した「ハイグリップ」タイプの保護フィルム。Apple Pencilの先端は物理的にツルツルゆえに、グリップ感はほぼゼロなので、上図保護フィルムを装着すると、かなりグリップ感が改善されます。‥‥ただし、絵を描く目的でもなければ、過剰なザラザラ感なので、人を選ぶと思われます。描き心地については、後日、このブログで書く予定です。

 

様々な工夫、そして体が慣れてくると、iPad Proで作画する便利な点ばかりが目立ってきます。Procreateにはタイムシートでアクションレコーダーのように動かせる機能などありませんが、絵が数枚透ければ動きは描けますから、何の問題もなしです。アクションレコーダーなんて、特に必須の機能ではないですよネ。そんなこと(=作画アプリに動画再生機能が必須だなんて)言い出したら、ほんのちょっと昔はどうしてたんだ、みんな、アクションレコーダーなんてなくてもガシガシ動かしていたぞ‥‥という話ですからネ。むしろ、アクションレコーダーがないと絵が動かせないカラダになる方が怖いです。動きは頭の中で動かすのが、今も昔も基本だと思いますからネ。

 

ただまあ、慣れる慣れないの話とは別に、いくら道具がコンピュータになっても、絵を描く時の染み付いた癖は、そう簡単には消えなさそうです。


ケンコー

合理的に考えて、健康は仕事の基本です。‥‥いや、作品作りのような「底の知れぬ」関わりはむしろ、仕事というよりも、生涯の事業というべきか。

 

生涯の事業を全うしたいのに、不健康なのは、極めて不合理ですよネ。

 

何か成し遂げたいことがあって、作業に一生懸命になって、健康を害して、作業が一生懸命にできなくなったら、本末転倒ですもんネ。

 

まあ、誰でもそんなことは言われずとも解っているのでしょうが、中々うまいこといかないので、世の中はこうな訳で。

 

でも、そんな世間を見て安心してても、重大疾患や死亡のリスクが低くなる訳でもなし。健康診断書で「就業可」と書いてあったからといって、ヤバい数字はやっぱりヤバいので、黒酢と納豆と菜食を積極的に心がけます。

 

まあ、自分の健康の優先度に関する考え方も、そろそろ潮時、フェイズシフトすべき時期ですネ。。。

 

死んで花実が咲くものか。生きてるうちが華なのヨ。

 

 


どうやって買う?

4Kで16インチの液タブマシンが出る、13インチで液タブになるiPadもある。何か新時代の道筋が開けてくるように思えますが、それを遮る大きなハードルも横たわっています。「お金」です。

 

液タブで作画できるようになるのは良いけれど、その液タブを個人や会社がどうやって買うか‥‥は、実は一番高いハードルかも知れません。

 

実際、道具を手にできれば、色々なアイデアもリアルな運用方法も見えてきます。私の場合はiPad Pro 12.9インチとApple Pencilですが、「デジタル」ベースの作品だけでなく、紙ベースの作品であっても、十分に対応できる自信がついてきました。

 

しかし、その自信は、道具を買って使ったからこそ得られた自信です。実感が自信となったのです。これは他の様々なことにも言えることですよネ。

 

キモは、どうやって道具を買うか、です。

 

iPad Pro 12.9インチとApple Pencilのペアは11万円〜13万円、WacomのMobileStudio Proはまだ価格が発表されてませんが以前にも予想した通り、13インチ2.5Kはおそらく下位機種がiPad Pro 12.インチと同等の価格、16インチ4Kは現在の相場から鑑みて30万円代でしょう。

 

ちなみに私は、手数料0円のAppleローン24回払いで、iPad Pro 12.9インチとApple Pencilを買いました。新製品が出ました、即金でバーンと買いました‥‥なんて出来よう筈もないです。iPadだけ買えば済む話ではなく、母艦(自宅はiMac 5Kです)も必要だし、月々のAdobe CCもあるし、作業データのストレージとなるファイルサーバのメンテは潜在的に費用がかかるし‥‥で、「清水の舞台から飛び降りずに、どのようにして長期間の作業環境を作るか」がキモとなります。飛び降りたら這い上がってくるのに時間がかかるじゃんか。

 

アニメ業界の「金回り」は、作画スタッフが一式数十万の環境を買ってもバランスできるほど、お金を供給していないですよネ。しかも、直近の「デジタル作画」はまだまだフローが曖昧で、「環境をデジタルに切り替えたのでバリバリ働いてジャンジャンお金を稼ぎます」なんていうレベルには到達できていませんよネ。

 

おそらく、「清水の舞台から飛び降りたら、大怪我をして瀕死の状態になる」と思っているフリーの作画スタッフは、かなり多いんじゃ無いでしょうか。2016年秋の現在においては。

 

環境設備には数十万かかる。でもその作業環境で稼げるお金は以前とさして変わらなそうだ。もしかしたら、収入減になるかも‥‥。

 

「デジタル作画」が目指す未来と、フリーランスの環境を含めた「現場の現実」が、2016年現在は全く噛み合ってない‥‥と言えます。

 

 

フリーランスに支えられている現在のアニメ制作現場。そのフリーの人たちに、どうやって、未来の道具を行き渡らせるか。

 

もし従来意識のアニメ業界全体で物事を考えるのなら、避けて通れない大問題です。

 

 

私は、そんな大風呂敷を広げてうまくいくとは思っていません。何度も書いていることですが、少数による高効率の現場こそ未来を生き抜く道だと考えています。環境設備のリクープのハードルを下げるには、高価な機材を野放図にバラ撒くわけにはいきませんよネ。

 

私の考える未来のアニメーション制作業の集合体とは、そうした少数精鋭の現場がクラスター状に連結する集合体です。

 

‥‥だってさ、人件費をアップして最新機材を投入して‥‥なんて、今のアニメ業界の構造=「短期決戦の人海戦術」では全く不可能なのは、業界インサイダーなら誰でも解りますよネ。

 

バラ撒き構造を見直さなければ、人にも機材にもお金なんて行き渡らないって。

 

それを考えると、ペーパーレスの作画環境って、「ものすごくヘヴィな試金石」ですよネ。

 

 

MobileStudio Proの4Kが出ても、多くの人が「買えない〜‥‥」となると思います。だって、今のアニメ業界は、MobileStudio Pro 4Kを買えるほどの作画料金を供給してないですもんネ。

 

何か、ものすごく根本的なところにメスが入るのか。

 

今まで通り、やっぱり知らんぷりして、「食うのがやっとでも、ローンで買ってネ」とさらに酷いムチ打ちをするのか。

 

はたまた、会社ごとにペンタブ端末を貸し出して、アニメーターが作品ごとに3〜4台の端末使い分けをするのか。

 

 

う〜む。どうなる‥‥のでしょうネ。。。

 


10年という月日

大雑把にセグメントして、今後の10年は、今までの30年40年と同じくらいの重みを持つ、大きな変動を迎える10年だと思っています。

 

単純に計算して、現在55歳の人が65歳に、25歳の人が35歳に、15歳の子が25歳に‥‥ということですが、それが何を意味するのか、ちょっと考えればイメージが湧いてきますよネ。

 

アニメブーム世代で1980〜2000年代を活躍したベテランが60歳を超えるおじいちゃんおばあちゃんになり、最初から「デジタル作画」でキャリアをスタートした世代がキャラデザインや作監をする30代の中堅になり、何を作業するにも「デジタル」が当たり前でむしろ紙の作業が珍しく感じる人間が20代になり‥‥という世界です。

 

4K製品が当たり前、2Kは昔からの標準画質で今やモバイル用途、SD(DVDサイズ)は前世紀のミニサイズ、60pの動きにすっかり慣れて、少子化ゆえに以前のような雑な人材の運用〜ブラック構造は度々問題になり‥‥と、1960〜1970年代生まれの「第二次ベビーブーム世代」(団塊ジュニア)感覚は通用しない世の中へと経緯していきますよネ。

 

*参考までに、Wikipediaから、日本の出生数と出生率。1973年を最後に、ただひたすら、猛烈な減少が恐ろしい‥‥。そりゃあ、70〜80年代は「子供向けのビジネス」が成立するわけですよネ。そして、その頃の「景気」ありきで形成されたのが、今のアニメ制作のシステムの根本です。

 

かなり以前、このブログで「アニメ業界のシステムは、老いを想定していないシステムだ」と書いたことがありましたが、それがまさにアニメブーム世代=団塊ジュニア世代に、現実として叩きつけられていくことになります。今のアニメ業界のシステムでは、50代60代や70代でも20代と同じ効率を求められますからネ。

 

自分の年齢ごとに、どのように自分の役割を変えていくか、作品作りにおいてはどのように作風を変えていくか。「分母の数」が社会的に減っていく中、アニメ制作のシステム改革をどう推し進めて「実」を得るか。

 

‥‥なんとかなるさでは、なんともならない現実が、この10年で全世代に迫ってきます。

 

10年前はこうだったから‥‥の予測値は、未来の10年には通用しないですよネ。時間の重みが大変動するのは、1940〜1950年の10年と、1990〜2000年の10年の、極端な「中身の差」を歴史からかえりみれば判ります。まあ、全世界的にキツかった1940年代を持ち出すのは大人気ないかも知れませんが、アニメ業界にとってこの先10年は、人の役どころや培ってきた技術が大変動する1940年代級のカタストロフかも知れません。

 

 

多感期のティーンみたいな言い草ですが、「どうせ人は死ぬ」のです。つまり、かならず歳をとって老い、どんなかたちであれ死んでいきます。

 

70代になっても萌えキャラ描きます? 70歳の描いた萌えキャラに世間のファンが熱狂しますか?(‥‥別の意味で話題にはなるかも知れませんが)

 

現在の萌えキャラもやがて古くなっていきます。萌えキャラを支持する層の加齢とともに。‥‥そしてまた、新しい世代によって作られ新しい世代によって支持される新しいキャラが台頭してくるでしょう。

 

そんな歴史の常を考えたとき、近視眼的な流行り廃りに自分の人生を預けるなんて、お寒い話‥‥じゃないですか。自分の愛したキャラやムーブメントを大切にして、年相応の構造を作っていくべきだと、私は思いますけどネ‥‥。

 

アニメはごく限られた層だけでなく、全世代を味方に呼び込んでこそ吉‥‥だと思います。でもまあ、これは昔から叫ばれていることではありますが、アニメブーム世代の一般層も老人化するわけですから、より一層現実味を帯びていくと思います。

 

 

私は10年後、60代を間近に控えた年齢になりますが、今でも、「自分の役どころ」を年齢に応じて考えています。まあ漠然と年齢というよりは、その年齢が持つ経験値と技術から鑑みて‥‥です。

 

前回書いたIT化・システム化も、必要に迫られればプログラムコードを書くこともあるでしょうが、私の年代はコードを書くのは極力20代30代にまかせて、アラウンド50ならではの「やらなければならないこと」を優先します。私が20代から現在までに得た経験をもとに、事業視野のシステム構築と後進の育成(=技法の継承)、映像コンテンツビジネスの新たな形態を技術面で新開発するなど、「歳を喰ったからこそ可能になる視座」を最大限に活かすべきと思います。

 

ただ成り行きに任せていたら、いつの間にか、歳をとっていた‥‥などと言うのではなく‥‥です。

 

歳をとるということは、どんどん経験が蓄積していくことと心得て、その経験と視点が活きるように生きていかないと、姥捨山行きの順番を待つ可哀想な老人に成り果てるだけです。

 

 

 

若さだけに頼って、若さだけを基準にするアニメ業界の構造は、大量のベビーブームに支えられたアニメブーム世代の衰退をもって、勢いを失っていくと思います。現在20代、30代の人間とてやがてはおじいちゃんおばあちゃんになるのですから、無縁ではありません。「自分は今、若いから良い」という感覚で働き続けることが、まさに「老いを想定してない業界のシステム」そのものなのです。

 

今まではなんやかんや言っても、平安な時代だったのです。何十年も紙と鉛筆が支えてくれたから。

 

でも、これからはそうはいきません。紙と鉛筆は消えないにしても、社会全体の構造からオミットされていきます。1980年代の働き方が通用する2020年以降ではありません。

 

 

これから先の未来。アニメーターは、「原画マン」「動画マン」「作監」であるよりもまえに「絵描き」であることを基本的に踏まえて、様々な可能性を展開していくべきと思います。絵の出発点が変わるのですから、後続のセクションも等しく変わっていくことが求められるでしょう。たとえば「撮影」という限定的な工程で今後何十年も食っていけるとは思いませんよネ。「仕上げ」は今のような大量生産に対応する人数が必要なくなるかも知れません。「美術」はどんな状況でもどんな作風でも必要とされるので、実は一番重宝されるかも知れません。

 

何か大きなものが土台を支えてくれていた時代は、何はともあれ、良いものでしたよネ。 ‥‥でもなあ‥‥それはもう、壊れちゃうんですよね。‥‥強く生きていかねばなりませんネ。

 

 


30年

前々回書いた内容で「私が動画を作業していた20年前」と書いたのは、実は「30年前」の間違いでした。う〜む‥‥。30年も経つのか‥‥。

 

‥‥ということは、少なくとも、30年間、作画の内容に応じて、単価変動制が実践されることはなかったのですよネ。これだけ長い期間、改善されないのには、理由や事情があるのです。前々回にも書きましたが、旧来アニメ制作技術・システムにおいては、変動の基準が導入・実用化できないからです。

 

まあ、新しいアニメーション制作技術とシステムに励むモチベーションも、そこ=逆境や辛酸から湧き上がるのです。

 

‥‥ですから、「今のままでもいいや」と思っている人は、新しいアニメ技術など必要ないでしょうし、むしろ迷惑に感じていることでしょう。特に、ある程度の既得権益を得た人にとっては、今の体制を崩さずに、うまいこと未来の映像コンテンツ産業に対応したいと思うでしょう。

 

しかしそうはいかんのよネ。

 

旧来アニメ技法を保持しつつ、未来の映像コンテンツに追随するためには、少なからずの技術更新をしなければなりませんし、その更新の際に、アニメーターを取り巻く環境は、より一層過酷なものへと変化していくでしょう。今だってキビしいのに、これ以上キビしい作業要求が上乗せされたら、超過積載の船舶のように転覆してしまいます。これはかなり前に書いた「4K8Kが深刻な理由」の通りです。

 

 

私は未来に向けて、3つのメソッドを考えており、

 

  • 新しいアニメ技法とシステムで作るメソッド
  • 新しいアニメ技法と旧来アニメ技法をミックスして作るメソッド
  • 旧来アニメ技法を4K60p時代に最適化して作るメソッド

 

‥‥を、その時々の状況に合わせて選択していく計画です。

 

そのうち「旧来アニメ技法を4K60p時代に最適化して作るメソッド」は、早々に作業費の問題が立ちはだかると予測します。なぜかというと、今まで培われた技術だけでなく、今までの作業費の問題をも継承するからです。‥‥ゆえに、このメソッドには、私自身としてはかなり消極的なのです。親世代の「負の遺産」を子供世代まで引き継ぐかたちになりますからネ‥‥。

 

ただ、24コマベースで元気よく動き回る旧来技法ベースのアニメを見ると、やはり「このテイストはこの作り方でしか実現できない」とも思いますから、どうやって「近代化」するかを考えていくべきだとも感じます。

 

でもなあ‥‥旧来技法は制作コスト的に如何ともしがたいのよねえ‥‥‥‥。ただひたすら、「マンパワー」ですもんネ‥‥。そしてその「マン」に対し、技術職とはかけ離れた低い作業費しか分配できないですもんネ‥‥。


リセットした後に

ここ数回、作画の効率化の是非について色々と書いたのを自分なりに振り返りつつ、一方で、なぜ新しい技術基盤によるアニメ制作技法やシステムに(自分ながら)ここまで執着すのるかを考えてみると、未来社会の映像フォーマットでアニメ作品を作り続けたいと欲するのと同時に、今までの制作システムのしがらみの「全てをリセット」した新しい方式で再出発しいと考えるから‥‥です。

 

新しいアニメの制作システムにおいては、同じアニメ作品を作る者同士で、50円100円のことで「骨肉の争い」をしたくないわけです。

 

実際、動画の単価を、他の工程から引っこ抜いて50〜100円高くしたところで、作画の作業費の問題は全く解決しないと断言できます。今のシステムに乗る以上、同じ状況が繰り返されるだけです。「いやいや。そんなちゃぶ台をひっくり返すような事をしなくても、小さなことからコツコツと。」と言うのかも知れませんが、実際、小さなことしかできずにその先は打ち止めなのが、みんな「見えないふりをしているだけで」、実は見えすぎるくらいに見えているんじゃないでしょうか。

 

作画は細かく描いて大変になった‥‥というのは、あくまで作画目線だけの話。髪の毛に3色塗り分け(影をプラスして合計6色〜ブラーでグラデにする)が必要なキャラは、作画のエスカレートで直接的にペイント作業や撮影処理に負荷をかけています。また、撮影の「テクスチャ貼り」をキャラデザインの時点から要求し、モブで何体もテクスチャを貼り付けなければならない上に、さらに動き回る‥‥というのも、作画の影響による他部署への過負荷です。

 

何かの影響で何かに負荷がかかった‥‥なんていう話は、アニメ業界においては、「あんたこそ」「お前の方が」なんていう、まさに「身内の骨肉の争い」に発展しかねない問題です。作画のスケジュールの話まで持ち出したら、感情的な雑言の応酬になって決裂してしまうほど、危ない争いです。

 

私は作画出身者ですし、今でも作画作業はします。そして、ほとほと、作画の現場の「お金の事情」は厳しいと思います。

 

だからと言って、どこかの部署のお金をカットして、作画に回して、とりあえずお金の問題を少しだけでも改善できる‥‥だなんて、全く思えません。単にお金のない現場の中で貧乏のハンカチ落としがまた繰り返されただけです。遺恨の種こそ生まれこそすれ、全体的な解決には全く及ばないです。

 

原画の単価が数百円上がっても、動画の単価が数十円上がっても、今までのやり方では、どうにもならない‥‥と、みんなもう、とっくの昔に気がついていますよネ。

 

なのに、単価の話を延々としてても、何も進展しないじゃないですか。いつか、どこかの大富豪が業界にお金をバラ撒いてくれて、皆に沢山のお金が転がり込む‥‥とでも思っているのならまだしも。

 

要は、単価の上げ下げ視点で未来の業界の話をしている時点で、全く未来を展望できていないのです。

 

現行の単価がどうしたこうしたの話ではなく、アニメ制作におけるお金の有り様を根本から変える、技術の革新が必要だと私は思うのです。何度考えても、そこに行き着きます。単価の話に終始するばかりでは、過去から未来へ続くお金の問題は永遠に解決しません。

 

 

お金で人は荒みます。「今月、ちょっと金欠気味〜」なんてヘラヘラしているのは、まだ崩壊しない余裕があるからです。電気も水道も止まり、家賃を滞納していつ追い出されるかわからないような状態に陥った時、世の中のすべてのものが呪わしく思えるものです。私は今から25年くらい前に、絵を描けば描くほど、そんな状態に落ちてしまいましたが、コンピュータを自分の新たな道具にして、紙と鉛筆の作画だけでなく、様々な映像関連の仕事をするようになって、それまでとは違う道が開けてきたのです。

 

私は作画の新しい道を開くために、コンピュータ作画の技術基盤を地道に積んでいく所存ですが、未来のアニメーターはアニメーター専業ではなく、「ジョブシフト」(=タイムシフトに引っ掛けて、私が勝手に作った造語です)をすべきだとも考えています。

 

コンピュータ作画の他に、コンセプトアート、カラースクリプト、モーションスクリプト、ストラクチャ(舞台セットの作成)など、作画だけでなく様々な作業を請け負うことで、報酬の手立てを多様にするのです。加えて、少人数を効率良くジョブをシフトすることにより、人海戦術地獄から抜け出し、「16ピースカットだったピザを、4ピースカットにして」分け前を増やす‥‥というわけです。前にも書きましたが、L寸のピザを16人で分ければ、そりゃあ、ひもじい思いもしますからネ。

 

また、まるで自分がアホみたいに「作業入れを待ち続ける」ことを防ぐ構造も作りたいのです。待機時間はただ単に時間と金の無駄ですもんネ。

 

各作業の「村の中だけ」でなく、様々な作業を実際に請け負うことで、アニメ制作全般の工程におけるスケジュールの感覚を身につけ、さらにまた、「先に何をしておけば、どのような表現が可能か」を実感しつつ作業に活かしたり、「どの工程を改善すれば、作品制作にとって有益か」を思考できるようにもなります。

 

現在は、「単価で買われる作業」という意識が根付き過ぎてしまって、何がどのように作用するとアニメの映像が出来上がるか‥‥を実感できない作業者が多いと思います。ゆえに、特に作画はスケジュールがダレがちになります。

 

でも例えば、私のように、作画とコンポジット(撮影)をジョブシフトすれば、作業の「頭と尻」がものすご〜〜〜く実感できます。春に一人で原画を描いた短編のWOBでは、「最後の最後のケツがわかっているから、原画作業のデッド(時間的限界)がわかり」、キリキリと自分自身をヒートアップできたのです。

 

 

 

要は、現代社会の中で、技術職としての自身を確立して、ちゃんとお金を稼いで(稼げて)、持ち家の1つでも持てる職業に、アニメ制作を変えたいわけです。そのためには、旧来の殻からも、作業ムラからも、未練を絶ち旅立って、新しいフィールドでアニメ制作を再発明する必要があります。

 

そのためには、業界団体をあてにしている場合ではなく、自分らが動きだす必要があります。

 

同じ意思を持つ人々だけでいいから、少人数でもいいから、まずは最初の一歩を、一緒に頑張っていきたいと、私は思います。



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