外からじゃわからないから

アニメ作品に対して「XXXの出来はイマイチ」「XXXは、OOOと***を足して2で割ったような作品だ」「今回のXXXはひでーな」みたいなのをツイッターとかでカジュアルに呟いちゃうのって、ファンなら全然構わないけど、同業のプロの人間がソレをするのは中々ビミョーだと思います。実名で名指しで‥‥はネ。

 

実際、映像を見て、スタッフクレジットを見れば、大体のことは察しますが、どんなことが実際に起こったかまでは想像の域を脱しませんし、さらには、明日は我が身かも知れません。

 

忖度しまくれ!‥‥とは思いませんが、自分の過去の辛い体験に照らし合わせれば、同じようなことがおこったであろう作品やスタッフを、実名を挙げて、ライト感覚で嘲笑する気にはなれないです。たとえ、それが軽いノリの軽い言葉であっても。

 

例えば、作画崩壊はどうすれば防げるのか、なぜ、そうなったのかを、思考したり議論するのはアリだと思います。プロの現場の問題としてネ。

 

でも、実際に作画崩壊を招いた作品そのものを揶揄する気にはなれんわ。

 

 

ツイッターは軽いキモチで発言できるから、内輪の雑談と勘違いする人も多いのかも知れません。しかし、あくまで全世界に公開される「公言」「公式の発言」ですからネ。

 

この先、アニメ業界はどうなっていくんだろう‥‥と思いを馳せることはあっても、「あの作品はイマイチだった」「あの作品は面白くなかった」みたいな素人さんみたいな発言は、少なくとも私は控えるようにしてます。同業のプロとして、そんな発言をする気にはなれないですもん。

 

もし、他人の作品を「面白くなかった」と思ったのなら、自分の作品制作に昇華すれば良いだけですからネ。

 

 


プログラムの入り口としての表計算

昨日、表計算で「COUNTIF」と「SUMIF」を思い違って暫くうんうん悩んでいました。私はスクリプトや開発言語で色々とやってきましたが、実は表計算は必要に応じてのみ使っていたので、板についた感じがまだ無いのです。表計算を使いこなせるようになると、面倒な計算と集計が綺麗さっぱり正確に導き出せるので、覚えて損はないですネ。

 

現在、アニメ業界の20代の若い人が、単にソフトウェアの使い方や機能を覚えるだけでなく、自分で「プログラム的な」ことを覚えようとした時、何が「入口」としてふさわしいか。例えば‥‥

 

After Effectsを使っているのなら

→エクスプレッション

 

コンピュータ全般なら

→表計算の関数

 

‥‥のようになるんじゃないスかね。

 

自動処理といっても、Photoshopのアクションではプログラムは一向に覚えられません。ソフトウェアの内部的にはともかく、ユーザ側から見れば、ただ単に操作を記録しているだけに過ぎないですからネ。

 

自分の望む結果を、マウスとキーボードの操作で直に反復作業するのではなく、命令文・スクリプト文を作成して自動処理するのは、コンピュータを使う最大と言っても良い利点です。コンピュータを使って仕事をするのなら「プログラムの基礎知識は常識」にすべきです。

 

では、「自分の常識」にするには、何をどうすれば良いか?‥‥といえば、「日頃から使えば良い」のです。詰め込み暗記ではなく、日常の雑事で表計算を使えば、自分の欲する結果をプログラム的スタンスで得る方法を学べるし、日頃のちょっとした集計の計算も間違わないし、表計算ソフトを使いこなせるようにもなるしで、一石二鳥、三鳥です。

 

例えば、コンポジットの担当カットを振り分ける時に、表計算を用いれば‥‥

 

‥‥のような表が、自動集計機能で作成できます。

 

通し番号は「ROW()」で、カット番号も数字のみの場合は「ROW()」で、条件付き書式(または条件付きハイライトとも)で担当者別に自動で色分け、各担当者の集計は例えば「Aさん」なら「COUNTIF(C$2:C$37,"=A*")」で自動集計、担当カット数の集計は「SUM()」や「SUMIF()」で、カット総数と担当カット数が一致しているかは「IF()」で検証‥‥など、ほとんどを自動処理で集計できます。

 

私はNumbersで作成しましたが、ExcelでもGoogleスプレッドシートでも同じことができます。関数の内容もほぼ一致しているので、Numbersで覚えたことをGoogleスプレッドシートでも活用できます。

 

表計算は表作成ソフトではないです。あくまで、表の中身を計算するソフトですので、関数を使いこなしてナンボです。

 

ExcelもNumbersももってないのなら、ロハ(「ただ」=「只」=無償‥‥というのは少々不適切ですがあえて)のGoogleスプレッドシートを使えば良いですから、コンピュータを使うほとんど全員が使えるはずです。日頃の暗算では面倒な計算を、さっと表計算のSUM()で計算すれば間違いのない結果が得られますし、後々に品目の価格や個数を修正しても計算し直す必要なく、自動で更新されます。

 

 

何よりも有用なのは、「地道に手作業で潰す」概念から解き放たれ、「構造を考えて作る」概念が自分の中に生まれることです。

 

表計算のセルに、1000カットものカット番号を根性で手打ちで書き込んでも、全くもって凄くも偉くも何ともないばかりか、愚かですらあります。1行1カットならば、行番号をうまく活用して、abcカットだけ手打ちにすれば良いのです。

*ちなみに桁を3桁で揃えたい時は「RIGHT(ROW()+1000)」とかにすれば、1001の右3文字だけ抜き取って「001」にしてくれますヨ。

 

以前にも書いたことですが、コンピュータを常用する仕事において、プログラム的発想の頭脳を持つか否かで、色々な意味での貧富の差が変わってきます。時間を貧しく使い捨てることは、すなわち、手にするお金も貧しく捨てている‥‥ということです。

 

その貧しさは、アニメの本質である「絵を描くこと」すら蝕みます。コンピュータをうまく駆使できない人間は、絵を描く時間をコンピュータの雑事に蝕まれ、絵の質が落ちるか、不眠で作業するか、残念な結果を招く‥‥ということです。

 

コンピュータのプログラムなんて「ある程度までは」大したことないです。‥‥だって、覚えりゃ、使えるようになるんだもん。無理だ‥‥と思う人は、「プログラム」という単語のイメージに戦う前から負けているだけです。‥‥日本語を覚えられたのなら、プログラム言語の基礎なんて楽勝ですヨ。

 

覚えないから、使えない。‥‥ただ、それだけです。

 

高度なプログラムを書こうというのなら話は別ですが、日頃の雑事を軽減する程度のプログラムの嗜みは、「身の丈」視点で覚えていくのが良いのでしょう。

 

プログラム習得のきっかけは何が良いのか、昔から色々言われてきましたが、今は無料のGoogleスプレッドシートもあることだし、表計算の関数使いこなしが、ちょうど良い‥‥のかも知れませんネ。

 

 

 


雑感

日本、及び日本人の状況の性質としてよく語られるのは、「上の人間が保守的ゆえに、成功事例ばかり引き合いに出して、新しいことをやらせてくれない」というのがあります。確かに、そうした場面は多いです。

 

しかし‥‥

 

「上の人間が保守的ゆえに、成功事例ばかり引き合いに出して、新しいことをやらせてくれない」

 

ので

 

「無理だと諦めてしまう」

 

のも、日本人の性質なんですよネ。

 

実は、上の人間が保守的で消極的なのと同じくらい、下の人間も妙に従順で消極的なのです。

 

正攻法、正面突破で不可能なら、いくらでも戦法や戦術を変えれば良いのに、そこまではしない人が、日本人にはやけに多いように感じます。

 

思うに、不平を言う人間ほど、不満の言葉だけを延々と繰り返すだけで、別の切り口を考えて自身で実践するところまでは至りません。

 

もし不満点をクールに解析し、何が原因となっているのか構造を解する人なら、不平を言って終わりではなく、何らかの実際のアクションを開始して、新しいメカニズムを起動させて、自分の手の届く周辺から状況を変えているでしょう。

 

 

自分の何倍もあるような大きく高くそびえ立つ石が進路を断ち塞いでいる時、押しても引いても動かず、叩いても全く割れる気配すら見えない‥‥とします。多くの場合、「自分はこの石を超えられない。だから諦めよう。」となりがちです。

 

でも、その大きく高くそびえ立つ石ゆえの相応の重量があることに着目すれば、「石の足元を掘ってしまえば、石はその自重ゆえに、わずかな力を加えるだけで傾いて、バランスを崩して倒れる」ことに気づくかも知れません。大きくそびえ立っていた石も、倒れてしまえば容易に乗り越えられる高さにもなりましょう。

 

この大きな石を目の前から退けよう‥‥とする時に、なぜか皆、石そのものしか見つめません。

 

石そのものを手刀や正拳突きで砕くのは無理でも、神頼みで天の雷が石を砕くことは無理でも、石の足元の土を地道に掘り起こすことは可能です。それこそ、今からでも‥‥です。しかし、多くの人は石そのものしか見ていないので、「なんでアイツは土を掘り起こし始めたんだ? 気でも狂ったのか?」と思うのです。

 

理由もなく、土を掘り起こすわけもないのに、その様子を見て「前例がない」というだけで新しい何かを理解できないのは、実は上の人間だけでなく、真ん中の人間も、下の人間も同じです。頭の固い人間に、上も真ん中も下もないです。

 

逆に、何か方策を探し続けて、自分でも行動したことがある人間なら、上も、真ん中も、下も、分け隔てなく、思わぬ繋がりが得られて、合力することもあるのです。‥‥往々にしてね。

 

 

 

「俺にチャンスさえ与えてくれたら」と思い続けて、いざ、そのチャンスが訪れた時に、どれだけの新機軸や奇想天外のアイデアを実践できるように準備しているでしょうか。どれだけ改革、革新のアイデアを、チャンスの時に実際に実行できるでしょうか。

 

「いや、それは、実際にチャンスの時が来たら、その時に初めて考える」

 

‥‥というのは、笑い話にもほどがあります。

 

 

実は、チャンスや幸運の機会なんて、何度となく目の前に現れているように思います。しかし、あまりにも当人のチャンス&幸運に対する感度が鈍感過ぎるので、何度となく、見過ごして逃している‥‥のかも知れませんネ。

 

どこかの番組で言ってましたが、セレンディピティは「準備した人にしか発見できない」そうですヨ。

 

 

 

 


時代

普通に考えて、アニメ制作現場の作画(背景美術や彩色含む)の手間が凄すぎるから、これ以上の映像フォーマットの品質向上と進化はストップしましょう‥‥なんてことには、ならないですよネ。アニメ現場の、それも、テレビアニメ制作の都合を考えて、時代の技術進化がストップしてくれていたら、今でも世の中はSDでVHSでブラウン管のままでしょう。

 

明らかに、アニメ制作のクオリティ要求は、近年の映像フォーマット高品質化に引きずられて、辛辣なほどに激化しています。

 

でも、世間はアニメ業界の作画の都合に合わせて動いているわけではないです。

 

 

‥‥ですから、ここはひとつ、思い切って、考え方を変えませんか。

 

時代と共に歩む‥‥と。

 

世界の映像技術の進化に歩調を合わせて、アニメの技術も一緒に変えていく‥‥と。

 

 

「あんなにも」細かい絵を、しかも何百何千何万枚も描くなんて、もう無理!‥‥と思う人は私だけではないはずです。キャラの前髪が目に被さっただけで、作業ペースが食われます。

 

しかし、残念ながら、未来の映像フォーマットは、より一層の繊細で美麗な絵を、アニメに要求するでしょう。今はまだマシなほう‥‥かも知れませんよ。

 

 

「そんなの無理じゃん!」‥‥と思うのは、昔の頭と技術でしか考えないからです。

 

時代が進化して、皆がネットワーク端末(スマホとか)を持ち歩く時代なのに、アニメの作り方の基本は1960〜70年代を踏襲したまま‥‥なんて、どう考えても、「そんな都合が通るわけないよ」‥‥です。

 

他の色々な産業は、時代と共に、生き残りをかけて、技術をどんどん更新してきました。

 

なぜ、アニメはいまだに、何千何万枚も根性で描き続ける方法を採り続けるのでしょうか。‥‥ええ、もちろん、分かっていますよ。それ以外の方法が見つからないからです。

 

でも、見つけようとしなかったもの事実‥‥ではないですか?

 

アニメはこうやって作るものだ‥‥と、半ば、洗脳されたかのように、他の思考を捨ててきた事実はありましょう。

 

 

 

世界の時間の流れは、アニメ業界の、しかも作画の都合では、止めることはできません。

 

だったら、何をすべきかは、ちょっと考えれば解るはずです。

 

 

アンティークな技術として、時代に関係なく、技術更新を停止するか

 

世界の技術進化と共に、技術を更新していくか

 

 

‥‥私は後者を選びます。

 

私は小さい頃を思い出します。アニメが時代の寵児だった頃を。

 

アニメは縄文時代から作られていたわけではないのは、もちろん‥‥ですよネ。

 

世界の娯楽産業の技術進化の、まさに申し子だったのです。太古から営まれる、農業や漁業、牧畜、狩猟、衣服住とは全く異なる、「近代社会が産みしもの」です。

 

なのに、たかだか100年も経たない(=日本でのテレビアニメ放送開始)うちに「骨董品」「古美術」「昔の思い出」になるの?

 

なぜ、「アニメが時代性を捨ててどんなに古臭くなっても、みんなはアニメを好きなままでいてくれる」と思えるのでしょうか。忘れ去られた過去の他の娯楽と同じ運命のほうが、私には思い浮かびます。

 

少なくとも、私はイヤです。そんなのは。

 

私はアニメが大好きですからネ。

 

なので、世界の技術と共に、アニメも未来へと歩んでいきたいです。

 

 

私は子供の頃に、ヤマトや999を映画館で見て、「こんな迫力があって楽しくてかっこよく動く絵を、こんなに大画面と大きな音で見れるなんて、今の時代に生まれてよかった」と心底感激しながら観ていました。つまり、アニメ映画やテレビアニメの向こう側に、近代社会の技術力を見ていたのです。

 

そんな「現代社会の技術力の象徴」とも思えたアニメが、2020年を前に、現代技術から遠のく?

 

 

 

「原画マン」「動画マン」「作監」「アニメタ」とか言うだけでなく、「アニメーション技術」の未来を問いましょうよ。

 

必要なのは、昔の冠や役職ではなく、新しいやくどころで活躍して、アニメーションそのものに心血を注げる、新しい作品作りの方法です。

 

 

 

まあ、人それぞれ、考えはありましょう。

 

しかし、世界の時間を止めることだけは、誰にも不可能です。

 

 

 

 

 


行動すべし

「このままじゃマズい」「やがて滅びる」「なんとかしなければ」‥‥という言葉をどんなに繰り返しても、状況は好転もしなければ打開もしません。実際に今、自分自身・自分たちがどのような「未来を切り拓く方法」を実践しているか、それが重要です。

 

「上の人間が悪い」「失策につぐ失策だ」「上層部が考えを変えない」と思っているだけでも、やっぱり、状況は好転しません。

 

上だけでなく、実は、中間も下も、73年前の大戦争での敗北と、同じ構造を奇妙に忠実にトレースしているんですよネ。

 

 

何千枚も枚数を描いて塗って、「一億総特攻」を繰り返していることには目を向けず、前例のある方法や技術だけでアニメを作り続けて、技術基盤や制作構造には全くメスを入れず‥‥では、何が変わろうと言うのか。

 

実は、旧来のツールに深い愛着をもって、どんなに状況が劣勢に傾いても、そのツールから離れないし離さない‥‥のは、中間以下の人間たちなのです。

 

昔取った杵柄なんて、捨ててしまいましょうよ。そんなのにすがっているから、上の人間も下の人間も、昔に引きずられて足を取られて、現代をリアルに切り拓けず、結局は劣勢に追い込まれるんじゃないですかネ。

 

 

過去の未練をバッサリと切り捨てて、どんなに困難であろうと、ゼロからアニメを再発明する‥‥ということが、未来には必要です。

 

 

お話を作れる。絵が描ける。色が塗れる。

 

もう、それで十分じゃないですか。今までの豊富な映像制作経験があるだけで、新しく仕切り直して、未来を切り開く準備はできているのです。

 

話が作れて、絵が描けて、色が塗れる人々が、数人でも集まれば、いくらでも新しい方法は開始できます。今までの方法に固執する理由など全くありません。

 

「もし、新しい方法でうまくいかなかったら‥‥」なんていいっこなしです。そんなことでビビっているうちは、「誰かを悪者にし続ける」だけに終始するでしょう。

 

 

ひとりだって、ふたりだって、新しい技術の開発、制作システムの開発は始められるんですよ。

 

むしろ、みんなで始めようとすると、有象無象、喧々囂々、いつまでたっても始められません。プロジェクトの開始は、ごく少数が良いのです。大勢ではうまくまとまらずに、風呂敷を広げただけで終わりです。

 


 

悪い運命に呑み込まれるのが分かっているのに、どこかの誰かの巨悪のせいにして、自分では何一つ実際の行動はしない。‥‥ただ、呟くだけ。

 

そういう「行動しない人々」が集まれば、実は中ボス・ラスボス以上の巨悪になることも、過去の歴史は教えてくれています。

 

 

73年前と違うのは、自分たちが未来を切り拓く行動は、国家の制限を受けないことです。それだけでも、73年前の大戦争より、ずっと望みがあると、私は思います。

 

なので、私は仲間と共に、10年以上前から行動しています。「国家反逆罪」ならぬ「業界反逆罪」で投獄されることもなく、地道に新技術の開発を進めてきました。そうした行動の数々が、2020年代に照準を合わせて、まるで石膏デッサンで絵がキャンバスの各所から浮かび上がるように、カタチとして見えてきています。

 


今の状況は、今の状況として捉え、別枠、別ラインで、地道に自費で準備を進める。‥‥誰も助けてくれないのなら、自分たちで行動して活路を開くしかないですよネ。他人が手を差し伸べてくれるのは、ある程度カタチになったあとなのですヨ。‥‥だから、まずは行動が必要なのです。

 

「行動しない人々」ではなく、「行動する人々」が集まれば、悪い運命とは真逆のことがおこる‥‥のではないですかね。

 

 

 

 


AI

AIに作家性は期待できるのかな。

 

もしAIが作家性を持ち得ないのだとしたら、AIのできることは、作家性を要求しないフィールドですよネ。

 

 

例えば、流行りのキャラの傾向とかストーリーとかであれば、AI‥‥というか自動処理で作り出すことは可能です。それこそ20数年前のHyperCardですらできたことです。

 

私がスクリプトを覚えたての時に、いくつかの文節を用意しておいて、ある程度のランダム要素(「突飛さ」をあらかじめ用意しておきます)、そして日時(時間帯や季節)に応じて、自動で文章を組み立てるプログラムを作ったことがあります。ネタの仕込みこそ人間ですが、実際の文章の構成はコンピュータ任せなので、「そういう組み合わせで来たか」と、意外に面白みがあって、楽しみましたヨ。

 

現在のAI的なものと違うのは、組み立てに必要な要素やメカニズムがスタティック(静的)であることで、刻々と集計されるデータベースの値に応じて動的に要素やメカニズムを変えるようなことはできませんでした。

 

 

市場の分析とかは、確かにAIと呼ばれるソリューションの得意分野ではありますが、それは人工知能というよりは先進的な処理システムのように思います。

 

知能というからには、作家性・独自性をもって、絵や文を書いてほしいものです。それこそ、AIが100あれば、100の作家性を発揮していただきたい。

 

ですから、人間が、市場の好みに従属して、話の筋がお定まりで、キャラのバランスやパーツもお定まりで‥‥みたいな作品を作っていては、未来は簡単にAIに負けるだろうなとは思います。だって、市場の分析はAIがいかにも得意そうですもんネ。人間は、AIが用いる要素作りに動員される‥‥という皮肉な結果すら予想できます。前例がないと行動できない類いの人間は、未来はあっけなくAIに敗北するのかも知れませんネ。

 

実はAIどうのこうの‥‥ではなく、人間にも突きつけられる命題なんですよネ。「作家性とは何か」‥‥とは。

 

思うに、「個」のもつ劣等感と優越感の禍々しい結晶のようなものが作家性とも言えるでしょうから、そこに向き合えない場合はヒューマンだろうがマシンだろうが、作家性を発揮し得ない=知能と呼ぶには幼い‥‥と、少なくとも私は思っています。

 

しかし、もしかして‥‥

 

我はコンピュータなり

我、処理するゆえに、我、在り

 

‥‥とAIが言い出す日がくるのでしょうか。そして、

 

コンピュータってなんだ

いっそのこと、コンピュータをやめたい

 

‥‥とか悩んだ末に、自らの回路に自ら過電流を流して焼き切る日が来るんでしょうかネ。

 

 

そういう小難しい話はそのくらいにしておいて。

 

私がAIにやって欲しいことの1つは、「CMカット」です。BDレコーダーの録画番組からCMをカットする際に、本編とCMを映像の中身で見分けて、1フレームのズレもなくCMをカットして欲しい。

 

録画データをBDに焼く際、容量が足りない時に、CMをカットするのが面倒でな。

 

本編の流れを映像で見分けて、どんなにCMが本編に似てても、ちゃんとCM=本編以外だとジャッジしてカットする。AIが知能というのであれば、そのくらい、できるはずです。

 

難しいと思われるのは、バラエティ番組の本編の間に、他のバラエティ番組の宣伝が入った時です。どうやって見分けるんでしょうね。人間なら数秒流し見して出演者やスタジオセットの内容で見分けちゃいますけどネ。映像の「雰囲気」を察して、境界を見定める‥‥というのは、今のAIには難しいそうです。

 

 

人間にも絵心のある人やない人、色々いるように、AIが苦手なジャンルではなく、AIの得意な部分を引き出すのが、良いのでしょう。

 

AIって、過大評価も過小評価も禁物だと思っています。考えてみれば、人間に対してだって、過大評価も過小評価も禁物ですわな。

 

 

 


いつの時代も

いつの時代も、後手に回る時って、ディテールが似るんだよなあ‥‥。

 

昔からの方法を踏襲するのにリソース(時間や金や人力)を割いている集団をよそに、新しい方法で開拓地をどんどん広げていく集団もいるわけで。

 

人と集団。‥‥何が命運を分けていくんでしょうね。‥‥やっぱり、人が集まって物事を動かすから、集団のメンツ=人それぞれの性質が絡み合って、決まっていくんでしょうネ。

 

 

命運はギャンブルにあらず。‥‥しかし、命運、自らの運命を、ギャンブルにしてしまう人や集団は、なぜか存在します。

 

ギャンブルで負けが増えて、その負けを取り返そうとして、さらにギャンブルにつぎ込んで、どんどん負けが増えていく。どうしたら勝てるんだ、どうやれば負けを挽回できるんだ‥‥と。

 

‥‥いや、ギャンブルそのものから、まずは抜け出さないと。

 

自分の進む道を、ギャンブルや勝ち負けに託すこと自体が、最初から破綻の構造を呼んでいるわけです。「イチかバチか」の時点で、既に。

 

 

運ではなく、必然を、自分の足場にすれば良いだけです。

 

では、必然とはなにか。「時間は進み続ける」という万物の法は、必然と呼ぶにふさわしいです。

 

今年は2018年、来年は2019年、その次は2020年。粛々と進み続ける時間に、勝ち負けもギャンブル性もないです。

 

 

進み続ける時間の中、新しい技術で何をしたら良いか判らない。‥‥それがまさに「後手」というやつです。

 

判らないから、昔からの方法の再現や踏襲に時間を費やして、費やしただけの達成感だけ得て、さらに後手後手に回っていく悪循環。

 

未来を切り開こうと思っているのに、未来のビジョンそのものが後手思考の「過去のビジョン」‥‥って、矛盾してますよネ。

 

文字でわかっている気になってもダメで、絵でわかっていないとダメなんですよネ。だって、絵を動かすアニメ作品の未来なんだから。

 

新しい技術で何をしたら良いか、見え過ぎちゃって困る。‥‥くらいの状態がふさわしいです。

 

 

 

でもまあ、何を言ったところで、

 

去る人は去り

 

残る人は残り

 

来る人は来る

 

‥‥というだけなのかな。いつの時代も。

 

 


瑣末ゆえ

タイムシートの枚数表記。ぶっちゃけ、私は、渡されたタイムシートの流儀に合わせています。「枚」「枚目」など具体的な表記がなく斜め線だけなら、分数表記で書きますけど。‥‥それにまあ、枚数表記の場合、分母より分子が大きくなることはないので、大きい数字が総枚数だと一目で解りますしネ。


タイムシートで言えば、もっと大きな話題。‥‥未来の映像技術に対して、今のタイムシートでは対応不可能だ‥‥という局面に、もう数年前から取り組んでいます。

 

枚数表記の問題にあーだこーだ言っている場合ではないのです。瑣末過ぎます。

 

 

思うに、新しい技術体系の取り組みにおいては、瑣末な問題を見分けて、その騒動に巻き込まれないようにするのも、必要なことだと心得ます。

 

そもそもペーパーレス環境では、タイムシートをわざわざ印刷してオフラインにするのはトラブルの元ですし、私らが使う「タイムシート的なスプレッドシート」は、そもそも何枚・何ページという概念はないですしネ。例えば、After Effectsのタイムラインにも何枚目なんて存在しないですよネ。枚数表記がなければ、枚数表記の書式でモメることもないです。After Effectsでタイムラインがページ毎に表示されなくて困ったこともないですし。

 

 

紙もファイルも簡単にオフライン状態〜複製が増える危険性はありますが、それも工夫次第。

 

同時刻オンラインの複数の編集者が表示されるGoogleスプレッドシートを賢く活用しても良いですし、ローカルファイルならば同期を必ず実行する習慣をつけても良いでしょう。iCloudのNumbersを使う手もあります。

 

それ=オンラインドキュメントは、タイムシートに限らず、企画書からキャラ設計書、絵コンテ、集計表に至るまで、もはやドキュメントの基盤と考えても良いです。もちろん、パーミッションはちゃんと設定した上で‥‥ですけどネ。

 

 

まあ、今のご時世、必ず「デジタルデータ」のお世話になっていて、「デジタルデータ」なしでは生きていけない文明になってしまったのですから、紙の書式をどうこう問うて時間を割くよりも、ネットワーク経由の情報技術をアニメ制作でもふんだんに駆使する方法論に、少しでも時間を使ったほうが良い‥‥と私は思います。

 

手持ち無沙汰に、瑣末な事柄に時間を浪費するよりは、もっと、未来に通じる大切な事柄に、多くの時間を使いたい‥‥ですよネ。

 

 


チェーン

バイクのチェーンて、ピンピンに張っちゃうと、走行中のショックで耐えきれずに切れちゃうんですよネ。

 

かと言って、チェーンの遊び(緩みの余裕)を多くしちゃうと、今度はチェーンがスプロケットから外れやすくなります。

 

締め過ぎもダメ、緩み過ぎもダメ‥‥ということです。

 

そうだね、一事が万事ネ。

 

 

現場もなんでも締め付ければ良いってもんじゃないし、緩み過ぎもマズい。

 

適度な緊張感と、適度な遊び心。

 

バランス取りはムズいですが、いつも心に留め置きたいバランス感覚です。

 

 

ちなみに、チェーン連結のジョイント金具を取り付ける方向を間違えると、そりゃあもう、あっけなくチェーン連結部が別れて外れます。力のかかる方向に金具の口が開いていると、簡単に口が広がって外れるんですよネ。

 

力のかかる向きも大事‥‥ということなんですネ。

 


つまらない?

前回取り上げた記事で、

 

「毎日がつまらない」中年男性の72%が回答

 

‥‥というのがありましたが、‥‥‥う〜ん‥‥、少なくとも私や私ら技術集団に、それはないなあ‥‥というのが本音です。

 

映像制作は、世界の技術進化とともに変化していくので、

 

本文抜粋〜

「彼らは、将来の“先が見えない”不安より、すでに結果が出ていてこれ以上の展望が望めない“先が見えてしまった”喪失感のほうが強い。男性は子供の頃から大きな夢を持てと言われて育つため、無限の可能性があった過去を美化してしまい、さまざまなものを“失った”と感じているのでしょう」

 

‥‥なんてことはないです。映像作品制作で「これ以上の展望が望めない」なんて考える人は、それすなわち、単なる本人の限界なだけです。

 

やること、盛り込めること、可能性なんて、そこらじゅうに転がっています。ハードウェアにもソフトウェアにも、自分のココロの中にも‥‥です。むやみに自己啓発的な精神論などに走らずとも、プラグマティックに淡々と冷めてアクションするだけで、こと映像制作に関して言えば、現代は可能性だらけの世界です。

 

ただ、アニメ業界には「アニメはこうして作るものだ」と頭がカタい人が意外にも多いので、ともすれば、「すでに結果が出ていてこれ以上の展望が望めない」と感じる人も相応に多いかも知れません。

 

 

「これこそアニメの作り方」なんて、どこのだれがいつ、不文律にしたのよ。

 

アニメの作り方は、これから先も、山ほど可能性があるよ。それこそ、ゴロゴロと目の前に転がってます。

 

アニメ制作の限界‥‥なんて、自分らが勝手に限界を設定しているだけじゃん。

 

「展望が望めない」なんていう人は、自分で勝手に目を閉じて視界を封じているだけです。そりゃあ、目を閉じれば、展望など望めないでしょうヨ。目を見開けば、うわぁ‥‥‥と「食べる前から胃もたれ」するほど、可能性だらけです。

 

 

私が喪失感的なものを感じるとすれば、「やれることは200年分くらいはあるのに、人間の働ける年齢はどうやったって70〜80歳までが限界」ということです。現在の喪失感というよりは、未来の自分の喪失感が悲しい。

 

実際、この歳になって新大陸を発見してしまって、さて、どうやって開拓するか‥‥と、果てしない気分になっています。ゆえに、若い人間たちとどのように開拓するか、計画をあれこれと思い浮かべています。

 

本文抜粋〜

「若い頃は、能力は低くても挑戦している実感があるが、中年になると能力が上がるぶん挑戦している手応えはなくなり、退屈さが勝るようになります」

 

これもない。

 

中年になっても、挑戦しなければならない、新しい技術ハードルの連続です。

 

映像制作をマンネリ化させているのは、自分自身のマンネリ、組織自体のマンネリに他ならないです。40〜50代で手応えがなくなる‥‥なんて、どんだけチョロい技術なんだよ‥‥と思います。

 

たしかに、この世のあらゆる全ての仕事が延々と可能性が続くわけではないでしょうが、映像制作はその技術的特性・社会的背景によって、未知の可能性がどんどん目の前に積まれていきます。

 

アニメ作品制作だって、どんなに個人や集団の能力が上がろうが、新たな技術ハードルが目の前に出現するのですから、退屈している暇などないのです。

 

 

やりことはいっぱいあります。あり過ぎます。

 

毎日がつまらない‥‥なんて、‥‥‥ないよなあ‥‥。

 

 

 



calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM