言葉

結局のところ、作業単価の問題にしても、ソフトウェア更新問題にしても、アニメ業界旧来の枠内で喧々囂々しているだけの話で、プランテーションで働く農奴という構造には何も変わりがありません。

 

新しい構造を得るためには、旧来の構造の中で境遇を嘆くばかりでは、何も進展しません。

 

今までのシステムを捨てる。

 

新しい作り方で、新しい品質を実現し、新しい商売の方法を確立する。

 

そうした覚悟ができない人々が、新しい何かを求めたところで、言葉だけの虚しい水掛け論に終始するばかりです。

 

新たな目標を定め、実際に行動しているか。そこが重要です。

 

 

言葉の魔力は怖くて、何か言葉で書き表すと相応の達成感が得られ、「何かを実行した気分」になります。

 

でも、実際は何も進展していません。言葉だけが駆け巡るだけ。

 

 

言葉はきっかけにはなりましょう。

 

「あの人は、こんなことを既に実践して進めているのか。自分も自分なりの未来への取り組みを始めなければ。」

 

しかし、「始めなければ」と思ったところで、実際に行動しなければ何も始まりません。

 

 

言葉を放つ後ろ側で、実際に何を準備しているかが重要です。

 

 

 

 

 


ヒコーキ、雑感。

仕事ではなく、趣味方面でプラモを作る時は、普通に色を塗ります。仕事ですと、「立体の把握」がしやすいように、サーフェイサーのグレー塗装で墨入れしてフィニッシュしますが、趣味目的だと好きなようにペイントできますし機種のチョイスも自由なので楽しいです。‥‥まあ、最近はあまり時間が割けなくて、放置しっぱなしですが。

 

ふと、作りかけの零戦を眺めていて、

 

既に零戦の頃から、目的遂行のために人命を軽視しがちな思想って、日本人の奥底に根付いてたんだな

 

‥‥と、他の同時代の戦闘機〜スピットファイアやBf109、F4Fワイルドキャットと比べて、しみじみ思いました。

 

*左が零戦21型の1/72、右がスピットファイア・マーク1の1/72。どちらもタミヤ製の繊細なディテールで、かつ部品点数が少ないので、作りやすいキットです。ちなみに、下塗りの状態なので、わざとムラ塗りしています。‥‥つまり、テクスチャの下地塗りです。

 

零戦に象徴される、日本人の特質って、どこが起点なんだろう、何が原点なんだろう‥‥と、考え込んでしまいます。

 

どんな時代でも、おそらく、自分の命を簡単に終わりにできる日本人などいないでしょう。簡単に死ねるのは、映画やアニメやコミックだけの架空の世界だけで、実際に現実世界で自分が‥‥となると、相当「のっぴきならない前段階」が必要になることと思います。

 

「とりあえず死んで、自分の人生をQuitしておくから、後でまた、ロードし直してネ」なんて有り得るわけもなく、死んだら全てがお終いです。死んだら自分はどうなるんだろう、残された人はどうなるんだろう‥‥なんてことを考える自分自身が消滅するわけですし、どんなに財産を残そうが名声を築こうが、死んだらその富を実感することはできなくなります。

 

「死んだらおしまい」なんて誰でも解っていること‥‥ですが、じゃあ、なぜ、そうした「取り返しのつかない死」へと導く思想を、日本人は今に至る現代でも持ち続けてるんでしょうかネ。

 

零戦は軍部の過大な性能要求をクリアするために、防弾板などの命を守る装備を省き、格闘性能や航続距離を向上した‥‥のは、いまさらここで繰り返すこともないほど、有名な逸話です。

 

その零戦の性能は、要求する側の人間がいて、要求に応えた側の人間もいて、そして「零戦の性能ありき」で作戦も戦術も立案され、その作戦命令に付き従った人間もいて、1つの成功例にしがみついて全てを楽観的に捉えるようになって、やがて人命軽視の無謀な作戦を連発して‥‥と、‥‥あれれ? 何か、既視感のある光景。

 

アニメ業界関係者なら特に。

 

 

何故か、私は小さい頃から零戦には惹かれませんでした。零戦の時代背景や誕生秘話みたいなものを知り得る前から、零戦には魅力をほとんど感じませんでした。ゆえに、小学1年生だった私が初めて買った飛行機のプラモデルは、ドイツの「Me262」ジェット戦闘機(¥100)で、零戦には目もくれませんでした。

 

今でも、「飛行機好き」と自称する人が、「零戦が好き」と語っていると、「‥‥‥。なぜ?」と不思議になります。

 

零戦を「美しい」という感覚も理解できません。それこそ、小学生の頃から一貫して、です。

 

零戦を美しいというのなら、他の日本機にも、飛燕や五式戦や疾風や流星改、Ki-102など、いくらでも美しい機体はある‥‥と思います。

 

「零戦には歴史的なサイドストーリーがあるから」というのなら、それはもはや、機体の美しさではないですよネ。「歴史」という「ブランド志向」で、美しいと思い込んでいるだけかも知れません。

 

 

では逆に、なぜ私は、子供の頃から零戦を大して好きになれなかったのか?‥‥と、それもよく解らないのです。‥‥正直なところ。

 

今にして思えば、零戦のフォルムの向こう側に、人命軽視ニッポンの危うさが匂っていて、零戦の設計思想の発露として、機体のデザインやフォルムに表れていたのかな‥‥とも思い起こします。もちろん、そんな理屈を小学1年の私が言葉で思い浮かぶはずもなく、無意識に「匂い立つ危うさ」を感じ取っていたのかな‥‥と、今では推測するばかりです。

 

勝つために死ぬ」と、「生きるために勝つ」との、根本的な思想の違いは、こうして絵や映像に携わる仕事をしていると、多かれ少なかれデザインに表れるものだと、今なら判りますがネ。

 

ドイツの「ナッター」とか日本の「桜花」とか、見るからに末期的だもんネ。「勝つために死ね」という気、満々です。

 

 

私が小学低学年で好きだったのは、先述のMe262をはじめとして、Fw190、P-51D、飛燕、疾風‥‥あたりの大戦機、そしてF-100やF-105などの米センチュリーシリーズ、F-4、F-14、F-15、F-16‥‥と、コテコテの「当時の現代っ子」的なチョイスでした。

 

 

私は、アニメ制作の未来において、零戦と同じ轍は踏みたくないです。

 

零戦が破壊されたら、増産すれば同じ性能の機体を補充できます。しかし、経験と技術を身につけたパイロットは死んだら二度と帰ってきません。爆弾と一緒に突っ込むなよ(突っ込まさせるなよ)‥‥という話です。

 

私は日本人ですが、そんなこんなで、零戦を美化したい気持ちにはなれんのです。

 

まあ、軍用機は結局、人を殺傷する兵器ではあるのですが、せめて「勝って生還せよ」という設計思想を根底に持っていて欲しいと思います。

 

*ハセガワのF-14F-15です。これもアクリル筆塗りの下地テクスチャ状態です。

 

 

 


ライフライン

最近、定間隔で見かける「孤独死」のニュース。昨日見かけたのは、被災地の40代女性の孤独死の記事でした。まだ生前の頃にライフラインの1つであるガスが止められ、その後日に電気を止められかけた時に近隣の住民が気が付いたとか。

 

孤独死は、明日は我が身です。決して他人事ではないです。

 

結婚している? 夫婦同時に死ぬなんて、都合の良いことはあるまい。どちらかは孤独死になります。

 

子供がいる? 子供が独り立ちすれば、家にはいなくなるので、孤独死の可能性はたかまるでしょう。

 

独身? 親戚か兄弟姉妹がいれば、身を寄せられるでしょうが、そうでなければ孤独死です。

 

 

記事では、生活の困窮も、孤独死に拍車をかけたことが伺えます。

 

独り身、生活の困窮、加齢による体力の衰え。‥‥‥これってさ‥‥、アニメ制作に関わる人間は、背筋が寒くなる条件だよね。

 

 

実は私、20代半ばにめったくそにアニメーターで喰えなかった頃、電気・ガス・水道全てのライフラインが止まったことがあります。全然、稼げないので払えなかったのです。

 

原画を何十枚も描いて、動きを推敲して、さらに描きたして‥‥なんてやってたら、完全出来高のカット単価のフリーアニメーターなんてあっという間に喰えなくなるのは当たり前でした。‥‥が、周りには上手い人たちがゴロゴロいましたから、絵描きの心情として、描き飛ばすことができなかったのです。

 

ライフラインの停止。それはもうミジメです。アパートに帰ると、しーん‥‥と静まり返っているので、「電気が止められた」のがわかるのです。

 

水道まで止まると、もうアウトです。排泄物が流せなくなりますから。

 

‥‥しかし、水道はガスや電気と違って、こっそり開栓できるので、それで凌いだ時期もあります。どうやって開けるかは、ここで書くべきことではないので書きませんが。

 

まあとにかく、どん底だったのです。ろうそくの光で夜を過ごしたこともありますし、キャベツばかり1週間食べたこともありました。

 

親に相談すればよかっただろ? なんて思う人もいましょう。でも、相談して返ってくる言葉は、大体予想がつきますよね。「そんな酷い仕事は辞めろ。」でしょう。私はどうしても「アニメを作りたかった」ので、家には帰れませんでした。

 

そして、そんなどん底の中で「トドメを刺した」のが、隣に座っていた演出さんの突然死でした。その時のことは前にも書いたので繰り返しませんが、その演出さんは私よりも過酷で、「家と絶縁した上で、アニメの職についた」人でした。葬儀の時にはお母さん(お父さんは早い時期に他界し、女腕で子供たちを育て上げたと聞きました)は現れず、弟さんと妹さんたちが葬儀を執り行いました。母にとっては家を継がずにアニメなんぞにうつつを抜かした息子でも、弟や妹たちには善きお兄さんだったらしく、弟・妹さんたちの流した涙が今でも忘れられません。

 

一生懸命頑張れば頑張るほど泥沼にハマって、ど貧乏になりライフラインまで止められて、志を共にして作品を一緒に作っていた人は非業の最期で生命が絶たれ、世間的にまともな仕事とは認知されていない状況で親とは断絶状態で‥‥って、一体、アニメを作るって、何なんだろう‥‥と、何もが暗闇に感じられた頃が、まさに私の暗黒の20代でした。

 

その同じ頃、アニメ制作会社の入ったビルの1階にコンビニがあったのですが、そのコンビニに夜に買い出しに行くと、店員にあからさまな嫌がらせをされたことがあります。私だけでなく、スタッフの人たちに、おしなべて。‥‥当時は、アニメをやっているだけで「気持ち悪いオタク」扱いされるような気風が高まっていて(幼女殺人事件のあった頃です)、そんなことでも、「アニメって報われないな‥‥」と思ったものです。

 

何よりも稼げないのは、厳しすぎました。人間、お金が稼げないと性格も変わるのです。地元の親友に久々に会った時に「おまえ、顔が怖くなってるぞ」と言われたのを、今でも覚えています。

 

私は駆け出しの新人の頃のほうが稼げてたのです。経験が浅く、迂闊に作画作業を進められたので、数が上がったわけです。しかし、色々な見識を深めると、自分の描いている原画の「質」を問うようになり、どんどん稼げなくなっていきました。

 

 

アニメを作るのが憧れだった? ‥‥夢や憧れだけで生きていけたら世話ねーです。現実は現実。過酷です。

 

しかし、最後に私を踏みとどまらせ、暗い穴のどん底から這い上がる一点の光となったのも、実は子供時代からの憧れや夢だったのは正直なところです。まあ、こういうふうに書くとすごく甘っちょろい美談みたいになって嫌なんですけどね。

 

言い方はどうであれ、どんなに真っ暗闇の穴の中でも、出口の光さえ微かにでも見えれば、その光に向かって歩いていけるのは、事実です。

 

逆に、どんなに明るくても、周囲が濃い霧で遮られていれば、コンパスでもないかぎり、惑うばかりです‥‥って、それが現在の業界かもネ。

 

 

今思うと、あの20代のフリーアニメーター時代のどん底は、足場を定める苦しい時期だったと思います。一方で、自分の足場の底がどこにあるのか、体が丈夫な20代で経験できて、実は幸運だったのだとも思えます。まあ、今だからそんな風に言えるんですがね。

 

また、自分の体に「命綱」を巻きつける術も、20代の頃に泥沼で泥だらけになりながら、カラダで覚えたように思います。あんな過酷な状況・試練が40代に降りかかったらダメだったかも‥‥とは本当に思います。

 

20代、30代と安全牌を渡りついで、適度な挫折程度で済ました人間は、40代50代以降にそれまでの経験値を遥かに超えた対応しきれない事にさえ直面するように思います。若い頃にテキトーにゆるやかでテキトーに辛い程度で済ませたツケが、40代以降に降りかかる‥‥のかも知れません。40代になってはじめて、「自分は何のために生きているんだろう」「自分の人生は何なんだろう」「自分はどうやって生きていけば良いんだろう」なんて、悩み始めるのが遅すぎます。

 

 

ライフラインが止まる‥‥か。

 

まあ、そそっかしくて払い忘れて止まるのは、別にいいんですよ。

 

貧窮が理由ではないですからね。

 

 

貧窮が理由で、ライフラインが止まるのは‥‥‥、味わった人間じゃないと解らないかも‥‥知れませんね。

 

まあ、そんなライフラインが止まるような時期も経て、「デジタルアニメーション」の2000年前後も経て、やがて業界は過酷な消耗期へと転落して、世の中の映像技術が大きく様変わりする激動の2020年代を間近に控えて‥‥と、人生なんて安定する時期のほうが極めて少ないように思います。こと、映像制作に関わっているのであれば、です。

 

 

でもね、私は生まれ変わっても、アニメをまた作りたいです。

 

それほど、アニメ作りは面白いし、アニメでまだまだ表現しきれないことは膨大に残されています。

 

人間の寿命が、せめて200年あれば良いのにな‥‥と思います。できれば、300年は欲しい。

 

 

旧来アニメ制作現場の作り方で満足なんか、到底できないです。できることが少なすぎるから。

 

 


雑感

前回のブログでちょこっとだけ触れた著作隣接権・録音権(録画権)は、実演家(=演奏家)が「完成品」を演奏している点が、アニメーターの原画・動画と大きく異なります。実演家とアニメーターが同じカテゴリに括れないのは、アニメーター視点での完成物は、全行程から見れば中間素材でしかないからです。色も塗らず背景も描かない線画に対して、録音権に相当する権利が認められるのならば、世の中の多くの中間素材制作者が録音権相当の権利を主張できる事になります。

 

そんなこんな、今から20年以上も前の20代の頃に思いを巡らせて、「アニメーターの作業形態の限界と宿命」に思い至ると同時に、自分の境遇に悩み続けてうじうじ足踏みするよりも、違うフィールドに目を向けて開拓したほうが良いんじゃないか‥‥と考えが次第に変わっていきました。

 

そもそも‥‥です。アニメ作品は、作品なのか、製品なのか、商品なのか。

 

これもまた20代の中頃に「白黒はっきり」したいと思っていましたが、やはり若気の至りでした。商業アニメ作品は、「作品でもあり製品でもあり商品でもある」のです。何か1つで言い切れるほど単純な立場ではないです。

 

作品でもあり、製品でもあり、商品でもあるアニメーション作品を、どのようにうまく展開していくか、そちらの方に自分の思索を広げていったほうが「建設的」「発展的」「現実的」です。形骸化した理念に囚われ続けて20〜30〜40代と悶々と過ごし、気がついたらジジババだった‥‥なんて、当人が愚かなのです。

 

2017年現在そして未来は、映像制作にとって、とても有利な時代でもあります。つまり、作品も、作品作りも、制作者も、今までとは違う形態を模索し、実現できる可能性があります。

 

一方、アニメ業界は「ブラック」だなんて揶揄されますが、業界内部の人々は、アニメ業界の因習と技術限界に付き従っているから、その「ブラック」の牢獄の中に束縛されているのです。個人視点、団体視点の両方、いくらでも発展のバリエーションは存在しますし、牢獄からの脱出路は見出せます。

 

2020年代を間近に控え、様々な映像技術が周囲に存在するにも関わらず、アニメ業界のスタッフの技術が、アニメ業界の不幸せな部分に、遺憾無く発揮されている‥‥‥のは、何とも皮肉ではあります。


今、手が届きそうな未来の幸せよりも、過去から引きずり続けた不幸せのほうに好んで手を出していながら、当の本人は「こんなのやってられない」と嘆く‥‥だなんて、悲劇を通り越して喜劇そのものです。だったら、新しいことに挑戦して獲得すれば良いのに‥‥です。

 

アニメ業界の各スタッフは、何も兵役で現場に連れてこられているわけじゃないでしょう。自分の自由意志ですよね。だったら、今の現場の仕事の枠だけでなく、2017年以降の未来の「幸運な要素」にもどんどん手を伸ばして獲得していくべき‥‥だと思うんですよね。

 

アニメーターという古い概念、アニメ制作現場という古い形態。そこに固執し、依存しているうちは、権利も作品も古い枠の中のままです。つまり、お金も昔のまま、変わらないのです。

 

お金に不満があり、変えていきたいのなら、自分たちの技術や立ち振る舞いも変えていく必要がありましょう。今までのように和気藹々に‥‥なんて考えるのなら、今までのようにお金もね‥‥ということです。

 

昔を継承することばかり考えてないで、潔く、昔の幸せも不幸も、一切断ち切って、新たに仕切り直す覚悟はどうしても必要です。

 

昔の意識のまま、4K時代なんて迎えられんからな。

 

 

 

 


伸びしろの有った時代、無い時代

連続テレビ小説の記念すべき第100作は、なんとアニメーターが主役だそうな。凄いね。

 

日本のアニメ制作の創生期が舞台‥‥とのことで、「丁寧に」劇場アニメを作っていた1960年前後の頃を描くのでしょうかね。‥‥であれば、朝のテレビ小説に相応しい希望に満ちた内容にもなりそうな予感です。

 

創生期、黎明期を扱うのであれば、2017年現在のアニメ業界が失っている「アニメーションを造る根源的な意識」を呼び覚ます内容にもなりそうです。

 

しかし、現在のテレビアニメ制作事情、過酷な現場の状況を嫌というほど思い知っている人間からすれば、ただただ、辛い想いにかられる内容にもなりそうな予感もします。

 

 

何もかも初めてのことだらけで困難の連続だけど、同時に、たくさんの伸びしろもあった時代は、「やりがい」「生きがい」「未来への希望」に満ちていたでしょう。アニメーション映画、テレビ漫画が成長していく過程は、日本の戦後の復興と成長にシンクロしており、困難を乗り越えた先には幸せが待っていると、純粋に思えたことでしょう。

 

しかし、今は「困難の連続」の質が全く違いますもんね。


そして、社会の状況はあまりにも違います。

 

 

昔はね‥‥。

 

日曜にデパートのレストランにいけばどのテーブルにもお子様ランチを食べている子供がいて、映像産業がまだ未発達だったがゆえに絵が動くこと自体に人々が驚いて、テレビが普及すれば子供向けのテレビ番組はゴールデンタイムで、玩具やお菓子など子供向けの商売が盛りだくさんで‥‥という団塊&団塊ジュニアのピークは、今思えば、社会全体がゴールドラッシュだったのかも知れません。アメリカの戦後の黄金時代も多少の時差はあれどシンクロしてましたしね。

 

ネットもタブレットもなかったけど、それを凌駕して余るヒューマンパワーがひしめいていました。

 

アニメ業界自体に伸びしろがたくさん有って、作画技法や演出技法にもまだ未開拓のフィールドがたくさん残されていた頃をドラマで見せつけらるのは、今の世の中、‥‥なかなか残酷なものがある‥‥かも知れないですね。

 

私は1980年代後半から、アニメの作画でお金を稼ぎ始めましたが、その頃ですら、今よりは希望が持てました。‥‥まあ、それは若さゆえの錯覚だったのかも知れませんが、確実に作画の内容は今より軽く(=単純に線の数を数えれば解ります)、「アニメーターで喰えそうな予感」はありました。

 

しかし、今は作画だけで生きていけるとは思えません。手広く、絵全般に関わること、映像全般に関わることをこなして、総合的に稼ぐ方法を実践する必要があります。

 

 

どうせなら、2017年現在のアニメ業界のアニメーターの話を扱ってくれれば良かったのに。

 

でもまあ、それでは、朝の8:00からはキツ過ぎるのかな‥‥。

 

 

アニメ業界も、リニアに伸びしろの少ない未来へと下降していったわけでは無いです。少なくとも私は、1996年から2005年までの「デジタルアニメーション黎明期」は希望を持てておりました。

 

‥‥ですが、様々な制作会社がセルとフィルムを捨てて、新興の会社も増え、皆がドドドっと「デジタルアニメーション」に参入して、一気に「レッドオーシャン」化しました。作業の値段がどんどん下がって、スケジュールもあっという間に短縮され、今の状況に至りました。2006〜2010年くらいの数年間に「デジタルアニメーション」の未来は実質的に破壊されたのです。

 

業界の窮状‥‥と現場の人間は言うけれど、青かった海が、あれよあれよと言う間に、業界内部の当人たちによって赤く染まったのを私は目の当たりにしたので、「海を赤くしてしまった当人たちが、改善して青く戻すしか道はない」と思っております。今の現場を大切に思う人々がブルーへと海を蘇らせるしかないです。

 

 

現在の私は、新たなアニメーション技術の黎明期を形成すべく、色々と行動中です。今日、ようやく仕事場に4Kのメインモニタも導入され、新しい時代のアニメーションの足場がまた1つ積み上がりました。

 

伸びしろがたくさんありすぎて、すぐにでももっと人を増やして手分けして伸びしろを埋めていきたいところではありますが、まあ、新しいプロジェクトやムーブメントには試練がつきものですから、焦らず急いで頑張る所存です。

 

‥‥と同時に、1960〜80年までの経緯、2006〜2017年現在までの経緯を踏まえて、「レッドオーシャン」化に引き摺り込まれる同じ轍は踏まない心構えです。作業スタッフの雇用の問題も含め、旧来の考えは全て白紙に戻し、新しい思想とドクトリンで創生期を切り開いていかねばなりません。

 

アニメーション創生期を扱った2019年の連続テレビ小説は、ちょうどその頃の私にとって、まさに感慨深いテレビ番組になるような気も‥‥‥します。

 

 


爆弾を抱えたゼロ戦

多重組み、多重合成の話を聞いていると、ほとほと、現在のアニメ業界の標準技術の限界を感じます。何よりも当事者たちが、本質よりも「言葉遊び」「言葉の揚げ足取り」に終始し始めている状況もツイッターから感じ、「ああ、だから日本て、改革することに弱いんだな」と思う次第です。

 

まあ、そもそも「多重組み」「複数組み」「複合組み」なんて、誰かが最初に「表現するのに困ってなんとなく言い始めた」言葉で、用語の規定も対処方法・取り扱い方法の標準化も全く為されていないですよね。

 

正しい用語が規定されていないのに、的確な言葉で技術を呼びあらわすことはできません。

 

取り扱い方法が標準化されていないのに、適切な対処方法もフローも実践できるはずもありません。

 

よって、問題が発生した時に、どうすればその問題を根本から抑制できるのか、旧体制の中の誰も示すことができません。

 

 

現在着々と技術の構築段階を進めている新技術において、セル素材の多重「組み」は存在しません。技術的に不可能です。ゆえに、多重組み・多重合成のことなど、ツイッターで見かけるまで、忘れていました。そう言えば、そんなことがちょっと昔にあったな‥‥と。

 

なぜ、新技術では多重組みができないか‥‥というと、答えは簡単、すべて「階調トレス」で線画が描かれるからです。二値化でぴったりパズルのようにハマる組みが、階調トレスではアンチエイリアスや中間トーンがあるがゆえに物理的に不可能なのです。

*ゆえに、新しい技術においては、スムージングフィルタは存在しません。

 

なので、アルファを使ったマスク合成とか、実際に透けさせるなど、色々な手法で「下の絵が上に透けて見える」映像を作り出します。

 

新しい技術は、60フレームの秒間分解能に対し、60枚の絵で動かす「60pフルモーション」のアニメーション技術です。ゆえに、「組み」など旧来の対処法で複数の絵を組み合わせると、非常に手間がかかります。まあそもそも、1秒60枚の絵を描いて塗る‥‥という行為すら非現実的です。

 

新しい技術は、新しい映像フォーマットを、十二分に活用できるように、技術設計段階から様々な要素を開発しています。それが新技術の最大の強みと言えます。

 

 

 

 

多重組みや拡大作画に悩まされつつも、一向にそのフィールドから抜け出そうとしない作業者の人々。アニメの原理を理解しようとせずに原作通りに描かせようとする妄信的な「制服組」(背広組‥‥と言うべきか)の人間たち。

 

日本人の大半は今でも、老いも若きも、男も女も、「ゼロ戦の国の人」なんだな‥‥と思います。

 

零式艦上戦闘機、通称「ゼロ戦」は、太平洋戦争開戦当時、「空の覇者」として君臨しました。日本人ならではの設計思想、日本人ならではの工業スタイル、そして日本人ならではの闘争本能。‥‥それら日本人の特徴を具現化したのがまさにゼロ戦です。

 

しかし、そのゼロ戦に「絶対的な自信」「揺るぎない信頼」を抱いてしまったが故に、刻々と変わる戦況と技術進化に対応できず、大戦末期は爆弾を抱えて敵に突っ込む「特攻御用達」の「自爆機」に成り果てました。

 

トップから末端の人間に至るまで、一貫した思想において‥‥です。

 

悲劇としか言いようがありません。

 

 

「ジャパニメーション」は確かに世界を席巻しました。

*ちなみに、「ジャパニメーション」という言葉は、ディズニーなどのアメリカン・フルアニメーションに比して、安普請ゆえの「蔑称」だと言うことは、以外に知られていないようで、偉いさんが「日本のアニメーション」の意味と誤解して公然と口にするあたりで、「本当はアニメなんてどうでも良いと思っているんだな」という「金脈大好き」の人々の真意が透けて見えます。本当に好きなら、興味を持って言葉の意味を調べるはず‥‥ですもんね。

 

しかし現在、その「ジャパニメーション」とやらを支えるために、現場の人間はどんな状況に置かれているのか。

 

まさに爆弾を抱えて「特攻」するかのごとくの労働状態です。

 

多重組みを頻発したり、手当たり次第に拡大作画したり、明らかに採算を度外視してセルの1枚1枚に細かい処理を入れたり‥‥ということが、まさに「特攻で体当たり攻撃するゼロ戦」の「現代の姿」だということに、多くの人は気づいていないんでしょうかね? 実は、もうわかっていますよね。‥‥ただ、戦時中と同じく、「原因を今さら話しても、どうにもならない」という「進め一億火の玉」状態なんでしょう。

 

では、その特攻は誰が立案して誰が指示しているのか? ‥‥まあ、それも、考えればすぐにわかりますよね。

 

 

でもさ、アニメ制作は徴兵制もなければ、国家存亡の大事でもないのです。

 

「いち抜け」しても国家反逆罪に問われることはないです。

 

とっとと、未来を生き抜く技術にシフトした、新しい現場と新しい技術体系を、自分たちの手で作り上げていけば良いのです。

 

なのに、状況に耐えるだけ、不平を口にするだけで、新たな道を模索しようとしないのは、なぜなのか、私は不思議で仕方ないのです。

 

 

戦後70年以上経っても、日本人の本質は変わらないのかも知れません。

 

アニメ業界が、まさに、戦中と同じ轍をガシガシ踏みまくっています。

 

 

今までの方法に、もう未来がないことは、多くの人は、薄々気づいているでしょう。

 

なのに、「最後」まで付き合って、「負けた」後は、「こんなことになったのは、誰が悪いんだ」と内輪で戦犯探しをして、「状況に付き従って加担してきたけれど、それはやむなくであり、根本的には自分たちは悪くない」とでも言うのでしょうか。‥‥いや、十分悪いですよ。まずいとわかっていて加担し続け、何も行動を起こさなかったのですから。

 

 

今すぐ、100%、新しい技術にシフトできなくても、草の根で、水面下で、徐々に進めることはできるはずです。結局、何かの理由をこじつけて「私にはできない」と言い訳しているのです。私も過去にやさぐれた頃がありましたし、今でもくじけそうになるので、「できない言い訳」は肌身で解っています。

 

でも、本当に、生活時間の数%も新しい取り組みに割けないんでしょうかね。ゲームや酒で散らす時間はあるのに?

 

 

どんなに頑張っても、命がけで苦しみ抜いても、負ける時は負ける‥‥ということを、70年前の大戦争から学べることこそ、現代に生きる人間の特権のはず‥‥です。

 

なのに、なぜ? ‥‥です。

 

昔の人間たちはバカだった‥‥とでも?

 

 

年に1度、大懇親会を開いて、「悪い中での良かった探し」をして、不安を紛らわして何になりましょう。どんなに数を集めても、ダメな時はダメっすよ。

 

信頼できるのは、自分、そして同じ意志を持つ数少ない仲間だけです。

 

ちょっと不利になれば蜘蛛の子を散らすように去っていく人間たちよりも、頼りになるのは誰なのか。‥‥それを考えて、業界なんかあてにしないで、自分たちで未来を切り開いていくのが、一番「プラグマティックな選択」だと思います。

 

 

「爆弾を抱えて自爆する自己犠牲」に酔いしれたいのなら、止めはしませんが‥‥、まあ、自爆に巻き込まれるのは嫌ですね。

 

私は仲間たちと未来を歩いていきたいので、自爆するわけにも、巻き込まれて大怪我するわけにもいかないのです。

 

 

 


FireOSとiOS

新型のFire HD 10が発売されて、iPadに迫る性能を見せつけております。画面の1920pxか2048pxなんていう差は、はっきり言いまして、使っていて気になるものではないです。

 

もし、FireとiPadの間で、残された差‥‥というか、iPadがFireに対して有するアドバンテージは、iOS以外に他ならない‥‥と感じます。

 

FireOSは、iOSほど洗練もされていませんし、おそらく‥‥ですが、お金もかけていないでしょう。iOSに関わる開発費の方が、遥かに上だと思います。

 

iPadの本体価格には、純粋に本体の部品代と組み立て工賃だけが計上されているわけではないのは、産業に関わる人ならお分かりかと思います。iPadをiPad足らしめる色々な費用の多くが、薄く薄くちょっとずつ、製品の価格に組み込まれていることは、少しでもお金の計算をした人なら容易に想像できるでしょう。

 

Fireの弱点は、やっぱりFireOSだと感じます。私は、FireをHD8.9やHDX、7や8など、色々と買ってきましたが、今回も感じる共通点は、FireOSの貧相さです。iOSには遠く及びません。

 

特に、今回はハードウェアが格段に向上したので、FireOSの乏しさが余計に目につきます。

 

でもそれは、Fire端末を安価に提供するために、FireOS開発コストを抑えた結果とも読み取れます。

 

 

私も様々な映像の開発に取り組んでいるのでわかるのですが、開発での「お金の有無」が実は表面にありありと表れてしまうものです。そりゃあ‥‥Appleの資金力と「コンピュータメーカーとしての誇り」をもって、iOSの開発に勤しめば、FireOSと比して歴然とした優位格差が表れても、致し方ないこととも思えます。

 

で、Appleもよくわかっていて、決して自社のOSを他社には供給しません。自分たちの何が、他者に対して、アドバンテージを形成するのか、よくわかっているのでしょうネ。

*Appleの過去を知っている人は、例えばUMAXにMacOSを供給して「UMAX製のMac」が存在したことをご存知でしょう。同じく、その後に経営路線の大シフトでMacOSの供給を取り止めて、外部には一切、OSそのものを提供しないことになったいきさつもご存知でしょう。結果を見るに、その路線変更は大正解だったゆえに、今のAppleがある‥‥とも言えます。

 

Fireが今の値段で提供できるのも、色々なコストカットゆえと思います。なので、iOS並みの性能をFireOSに求めることは、Fire本体の高騰に繋がるとは思います。

 

 

 

システムってさ‥‥、悲しく切ないものがあって、「快適で当然」「うまく動いて当たり前」であって、システムが整然とトラブルなく動くことに、ほとんどの人は日々感謝もしなければ、労ってもくれません。トラブルが起きた時だけ、烈火のように怒鳴りちらすわりに、トラブルがないときはありがとうの一言もないです。

 

だから、システムは一見、空気のような存在に思われがちです。ゆえに、システムのクオリティやコストを考える人も、相応に極小です。

 

でも、私らのような映像制作の人間、「ものつくり」に関わる人間は、作業環境の快適性でいくらでも効率や品質が上下します。ゆえに、システムが作業環境を支えて快適性を実現する主役であることを、いつも心の底に認識しておくべきでしょうネ。

 

私は、そういった意味で、macOSとiOSを仕事のパートナーに選択している‥‥のもあるのです。また、macOSを許容する職場であることも、日頃から感謝しています。

 

トラブルがなくごく普通に動作するシステムは、最良の仕事をしているのです。私も、atDBというコンポジット作業のソリューション=作業システムを開発して現場に敷いた際に、「平然とシステムが動作することが、いかに大変なことであるか」を痛いほど思い知った過去があります。

 

iOSはそういった観点で言えば、ものすごく「練りに練られて」います。インターフェイスのデザイン、リストの階層、文字の配置一つとっても‥‥です。

 

 

 

FireOSとiOSの差は、まさに、Fire HD 10とiPadの2万円の差そのものと言っても過言ではないです。

 

快適なシステムには金がかかって当然です。

 

‥‥なので私は、ファーストタブレットはiPadを選択して、iPhoneやiPod、iMacやMac miniなどで、快適なソリューションの基盤を実現したいと思います。

 

そしてFireは、そのソリューションにうまく加わるかたちで、その本体価格の安さを武器にして、環境性能を拡充していければ‥‥と考えています。

 

 

ちなみに、FireとiPad間のファイル共有。

 

iOS 11になって、ドカンとやりやすくなりました。ストレスが一気に減少しました。

 

Procreate(も含めたApp)からAmazon Driveが見えますので、いちいちケーブルやSDカードで共有しなくても、さくっとiMac-iPhone-iPad-Fireの連携が可能です。

 

そのためにも、作業環境のWiFiやBluetoothは、日頃から備えあって憂いなし‥‥です。

 

 

 


「業界」という幻の人格

「これから先の未来を、業界は考えていかないと」‥‥みたいな文言は、ついつい、口をついて出てしまいますが、これは非常に危うい言い回しだと思っています。

 

なぜか。「業界」をさも「人格」のように捉えて扱っていることです。


「業界」は考えないでしょ。人間じゃないんだから。

 

「業界」が「考える」って、結局、どういう実質なのか。

 

 

「いや、それは、業界のみんなで考えていこうという意味を、省略しただけで‥‥」と言うとすれば、では、「業界=業界のみんな」と定義しちゃって良いのかな?

 

であるならば、「業界が悪い」ということは、「業界の皆が悪い」ということになり、他者への糾弾とともに、当然ながら、強い自己批判も必要になりましょう。

 

 

要するに、「業界」という言葉は「都合が良い言葉」なんですよネ。なので、安易に用いてしまいがちです。私も「業界」という言葉を、つい「人格的」に扱ってしまいがちです。

 

「業界」という幻の人格で問題を捉えようとしても‥‥

 

 

「業界に物申す」‥‥って、実質的な対象は誰なんでしょうか。

 

「業界の悪いところを改善する」‥‥って、とっかかり、どこの誰に働きかければ良いのでしょうか。

 

 

‥‥という感じで、「どこの誰」かを特定できないので、ボヤけちゃうのです。そして、ボヤけたまま、何も進展しない。

 

 

特定個人の姿が全く見えてきませんよネ。「業界」なんて言っちゃうと。

 

 

それに、「業界」と言い表すと、何か、「業界全体でうまくやってよ。自分は傍観して待ってるから」みたいな「どこかの誰か」依存のニュアンスになりませんか? 自分も「業界」に含まれているにも関わらず‥‥です。

 

‥‥そして、ここでも架空人格的な言い回しで逃げていますよネ。「業界全体」がうまく「やれる」わけがないです。人間じゃないんだから。

 

「業界」が「行動する」って、具体的には、実質的には、どういうことなのか。どこにいる、どの人々(=特定の人間)が、行動すれば良いのか、全くビジョンが見えません。

 

 

 

「業界という単語を、「自分」「自分たち」へとに置き換えるだけでも、ビジョンは見えてきます。

 

 

「業界が進む道は」ではなく、「自分が進む道は」。

 

「業界の未来」ではなく、「自分たちの未来」。

 

「業界は変わっていかないとダメだ」ではなく、「自分は変わっていかないとダメだ」。

 

「業界は考えるべき」ではなく、「私、そしてあなたは、考えるべき」。

 

 

 

 

例えば、新しい技術による、新しいアニメーション制作基盤を作ろうとする時、「業界」という言葉は全く必要ないです。

 

必要なのは、各技術を有した個人です。業界ではなく、個人=私・あなた。

 

あくまで「顔の見える」個人の関係性で成り立つものです。

 

話を考える人、絵を描く人、色彩を操る人、映像を編んでいく人‥‥など、個人の技能を、現場に集結させれば良いことで、業界なんていう概念は必要性を全く感じません。

 

「でも、困った時は横のつながりで‥‥」と思う人はいましょうが、その繋がりだって「人と人の繋がり」として捉えれば充分です。顔の見えない「業界」なんていう架空人格など全く必要ないです。‥‥少なくとも、少人数で制作可能な新しい現場のテクノロジーにおいては。

 

 

 

旧来技術ベースのアニメ制作は、それはもう夥しい作業量と人足が必要なので、集団としての呼称として「業界」と呼ぶのは、自然な成り行きかと思います。会ったこともない人の「作業結果物」だけが取引される状況であれば、なおさらです。

 

でも、そこには人格などなく、あるのは「集団の性質」だけです。

 

ゆえに、「業界」は未来を自ら考えることはないのです。

 

‥‥ということは、未来を考えるべき、特定の人格は、私であり、あなたなのです。

 

 

私は、「業界化」したアニメーション制作を、身の丈の個人単位、少数人数の制作規模として、再開発したいと思っています。そこにこそ、様々な問題を解決できるきっかけがある‥‥と考えています。

 

 

 


機材は揃う。後はやるだけ。

5KのiMacなど、4K以上のモニタを有するコンピュータ一式、そして、ディスプレイに直に描画できるiPad Proなどの何らかの高解像度タブレットさえあれば、すぐ先の未来に向けた映像制作のスタートラインには立てます。要するに、「後はやるだけ」です。

 

しかし、様々な理由で、「やらない人」は多いです。

 

「やらない理由」は何にあるのか?

 

何かをやろうとしても、「何をどうしたら良いかわからない」という、根本的な部分でつまずいている人を数多く見てきました。

 

 

卵が先か、鶏が先か。‥‥言い換えると、技術が先か、道具が先か‥‥とも言えます。

 

技術を具現化するには道具が必要ですが、一方、道具を使うには技術が必要です。つまり、そこで多くの人が歩き出すことすらままならないのです。

 

卵も鶏も中途半端で、何から最初に手をつけたら良いか、どうにも解らない‥‥というわけです。

 

 

でも、「卵と鶏のどちらを最初にするか」なんていうのは、それこそ「万人の悩み」であって、どんな人にも付き纏う難題です。何か特権があるわけでも秘技極意があるわけでもなく、アイデアと工夫がその都度求められる「謎解き」のようなものです。

 

実は私、「卵と鶏のどちらを最初にするか」というパズル、クイズを解くのが、結構好きなところがありまして、今までに色々な「何から始めたら良いか判らないこと」に取り組んできました。新しい技術によるアニメーション制作は、その最たるものです。

 

もし謎解きのコツがあるとしれば、それは「卵と鶏のどちらを最初にするか」なんていう思考そのものを捨てることかも知れません。

 

 

唐突ですが‥‥、私ら生命体、地球、太陽系、銀河系は、「星屑から生まれた」と言います。そして「星屑として死んでいく」とも言います。

 

誕生も死も星屑なのだとしたら、卵も鶏も、どっちが先でもいいじゃん。‥‥という、何か途方も無い例えですが、「何かが、何かの先にある」という思い込みに束縛されなければ、自由に思考できますよネ。

 

どっちが先だって大差ない。悩むようなことじゃない。どちらだって、きっかけになり得る。‥‥やがて、生態系ができちゃえば、どっちが先だったなんて、どうでもよくなるんだから。

 

 

機材は個人でも何とか揃えようと思えば揃えられます。会社規模なら、なおさら。

 

でも、アニメの技術って、この十数年は大して進化できていないですよネ。

 

なぜでしょうネ。

 

技術を持った人々は沢山いるのに。

 

機材だって揃えられないわけじゃないのに。

 

 

「アニメ技術のシンギュラリティ」「アニメ制作のパラダイムシフト」と言っても大袈裟ではない未来の可能性を前にして、‥‥まあ、言える事はやっぱり、「できる事をやって、使える道具を使って、新たなメソッドを積み上げる」ことです。

 

道具も技術も同時進行だと思えば、どっちから先に手をつけても、実は結果はそんなに大差ないです。‥‥実感として。

 

どちらを先に手をつけるか‥‥と悩むうちに、もう取り返しのつかないジジババになるんです。パズルを1ピースも組まないまま、やがて衰えて死んでしまう‥‥のは、悲しいことだと思います。

 

 

道具の空白、技術の空白。

 

むしろ、空白は空白のまま空けておけば良く、今出来ること、組み合わせられることを進めておいて、のちにピースが揃って、パズルが完成するのです。

 

 


未来のスタンダード

いつもは眠くて寝てしまうAppleの基調講演ですが、今日は何となく見始めて、色々驚きながら最後まで見てました。

 

Apple TVは、4K HDRに対応した「Apple TV 4K(フォーケー)」にアップグレード。コンテンツの価格はHD作品と同じで、購入済みのタイトルは自動更新されるらしいです。

 

 

‥‥んで、噂通りのiPhone8とiPhoneX(テン)。

 

 

iPhone8はとうとう、4K60pでビデオ撮影が可能になりました。HDだと240fpsのハイスピードまで撮れるみたいです。うーん、これはデカい。

 

4K60pがコンデジに舞い降りて標準化する前に、iPhone8が普通に装備しちゃう‥‥という状況は、コンデジのビデオ機能も「かたなし」です。コンデジもどんどん4K60pにアップグレードして、巻き返さないとネ。

 

家族や友達、お猫さまやお犬さま、つまり「なまもの」(失敬)を撮るんだったら、4K60pは最適です。速く動く被写体=子供や犬猫ほど、60pが活きますし、ディテールを克明に記録するには4Kはうってつけです。

 

 

そして、iPhoneの「テン」。

 

‥‥ワンモアシングとか言って、もったいつけての登場でした。まあ、事前にリークしちゃってたので、会場は「One More Thing」の一言でホーホー教と化していましたが。

 

iPhoneXは、わたし的には、「Face ID」恐るべし。‥‥でした。

 

Face ID=顔認証の基礎技術となる「フェイス・トラッキング」の技術は、何だか、アニメ制作で、地道に絵を描いて動かしているのが、多少、虚しくなった感があります。‥‥まあ、2Dには2Dの真骨頂があるので、メゲませんけどネ。

 

NHKの「チコちゃんに叱られる」という番組のチコちゃんも、これに近い技術なのかな? 想像の域ですけど‥‥。

 

だけど、これで良いんですよネ。色んな技術が台頭して、映像技術の娯楽性が盛り上がれば。

 

‥‥まあ、何だか話題が逸脱してますけど、Face IDはTouch IDに変わる認証技術で、その技術バリエーションにて、顔にリアルタイムで化粧したり、3Dマスコットキャラのモーションをシンクロさせたり‥‥してるみたいですネ。

 

フェイストラッキングでマスコットキャラを動かしているデモが一番、会場の皆が笑顔で嬉しそうでした。

 

 

講演の中には、マシン・ラーニングとか、ニューラル・ネットワークとか、いかにも「未来」を感じさる単語が度々登場していました。

 

非接触の充電機能「AirPower」も未来のスタンダードにどんどんなっていくと思いますし、OLEDによる「Super Retina Display」もやがて皆が普通に使うスペックになっていくんでしょうネ。

 

 

しかしまあ、技術はどんどん進んでいきますネ。

 

 

私が取り組んでいる4K60pネイティブのアニメの技術だって、実のところ、欧米に開けられた周回遅れを巻き返そうとしている状況です。今のアニメ現場で「未来」とか言われている「デジタル作画」などは、何週遅れかカウントするのも厳しいです。

 

旧来のアニメ現場で、現代のテクノロジーに対抗するには、実は「もう走らない」選択肢もあるのではないかと思ってます。うすうす‥‥ネ。

 

つまり、「周回遅れになる以前に、止まる、動かない」という「問答無用のオレ節の解答」を世界に叩きつける‥‥という、「走らないもの勝ち」的な戦い方もあるんじゃないか‥‥とは感じます。

 

一方、私らの取り組む4K8Kのアニメは、今までのアニメの表現手法では何の変化もアピールできないので、「こういう絵もアニメにできるんですね」とシンプルに受け取ってもらえるように、未開拓のフィールドにどんどん挑戦していく所存です。今までのアニメを作るんだったら、今までの現場で作り続けるのが一番で、新技術の新しい制作現場においては、4K60pのフルモーションで「描き絵」が動く「感じたことのない快感」を作品として次々に結実したいので、技術開発に夢中になっているのです。生粋の4K60pで動くアニメが、Apple TVやFire TVなどを通して、お茶の間の4K60pHDRテレビで見れるようになるのが、目下の目標と言えます。

 

 

話を戻して、Apple。

 

iOS 11はSeptemberの19と映写されてたように記憶してるので、もうすぐですネ。macOS High Sierraはいつ頃だろか。

 

iMac Proに関しては触れなかったですネ。今回は、Apple Watch 3と、Apple TV 4K、そしてiPhoneの8とX。

 

新しいiPhoneの4K60pのビデオ撮影能力は凄く魅力ですけど、まあ、もうしばらくはiPhone6で乗り切るつもりです。

 

 



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