道具の難しさ

皆さんはWacomのMobile Studio Proの4Kモデルはイジってみましたか? ‥‥で、どんな感想でしたでしょうか。

 

私は‥‥本当に申し訳ないですが、Wacomの4Kタブレットを導入するのなら、Mobile Studio Pro 16ではなく、Cintiq Pro 16かな‥‥と思っております。

 

Mobile Studio Proは正直、実機を弄った時に「重さ」「鈍さ」を感じずにはいられませんでした。‥‥ただ、発売決定製品を前に、「色々とマズい点を言うのも、マズい」と思ったので、しばらく言及を控えておりました。

 

 

デモ機のセッティングが使いにくかった‥‥というのもあるのでしょうけど、

 

  • 16インチにツールウィンドウを置くと、実質13インチ程度になって、せっかくの16インチの広さが台無しになる
  • ジェスチャーの誤動作が結構多かった(改善されていると良いですネ)
  • 反応速度は大して速いとは思えなかった(iPad Pro 12.9インチに比べて)
  • 本体は、やっぱりそこそこ熱かった‥‥(まあ、i7のコアが複数入ってますもんネ)

 

‥‥なのですが、私個人で決定的に拒否反応が出たのが、

 

  • ツールウィンドウの上に手を置きたくないんだけど、画面内に所狭しとウィンドウを並べているので、避けられない
  • そもそも、4Kを16インチに凝縮したサイズだと、ツールウィンドウが細かすぎて使いづらい

 

‥‥という、Mobile Studio Proにはとても気の毒なのですが、「Mobile Studio Proが原因では無い部分で、大きく損をしている」のを強く感じます。

 

「ツールウィンドウの上に手を置きたく無い」というのは、私個人の性質に由来するので、すべての人に当てはまるとは言い難いですが、私にとっては重要な問題です。子供の頃から水彩や油彩で絵を描いてきたので、「パレットの上に手を置くなんて有り得ない」と体が拒否反応を示すのです。

 

実際にデモ機をイジった時も、鉛筆と紙はもちろんiPadとProcreateを使う際は手を紙(ディスプレイ)の上にベタ置きするのに、Mobile Studio Proでは無意識のうちに書道をするように手を浮かして描いていました。加えて、パームリジェクションがデモ機では甘かったので、余計、ツールの上に手など置けない雰囲気を無意識に感じ取っていました。

 

ツールウィンドウが相対的に小さくなるのは、まあ、考えればすぐにわかりますよネ。細くて、見づらかった‥‥。

 

 

要は、描画するディスプレイにツールウィンドウなど余計なものを置かなければ良いのです。

 

だって、こんなのイヤじゃん???

 

 

こんな状態を目の前にして、「空いてるところを使って、絵を描いていただければ良いです」と言われても、モーレツに煩わしいですよネ。

 

 

Mobile Studio Proは、16インチの上位機種ならば、結構な処理能力を持っていますから、外部ディスプレイを接続してモニタ2台体制で、外部にツールウィンドウを逃して作業すればよさそうです‥‥‥

 

‥‥って、それじゃ「モバイル」な「スタジオ」にならんじゃないか。

 

まさか、Mobile Studio Proだけでなく、23インチモニタを脇に抱えて、モバイルする?

 

 

だったら、中途半端にモバイルなんて考えずに、据え置き路線で腹をくくるのが良いと思います。

 

そこそこの能力を持つ母機(hpのワークステーションとかMac ProとかiMacとか)をちゃんと充実させておいて、その4Kサブモニタ兼用4KペンタブとしてCintiq Pro 16を買うのが、一番、現実的だと思うのですヨ。

 

サブモニタを接続しないと成立しない時点で「モバイルスタジオ」ではなくなりますし、来たるべき4Kに備えて、nvidiaのQuadroシリーズなどでGPUを増強できるワークステーションを母機としてガッチリ据えて、Cintiq Pro 16で「モバイルじゃないスタジオ」にしたほうが良い‥‥と私は思います。

 

私はiPad ProとProcreateで十分に原画作業をこなせるので、新しい環境はまだ考えていませんが、母機&Cintiq Pro 16なら、業界で注目されているクリスタとかTVPでも快適に作業できるかも‥‥知れません。

 

 

ただまあ、そのお値段はそこそこ覚悟するしかないでしょうネ。50万くらいは余裕でかかると思います。‥‥少なく見積もっても。

 

Macが高くて、Winが安いなんて、大昔の話で、今は単に(特にアニメ会社は)管理の都合だけの話です。iMac 5KやMac Proと同等性能のワークステーションを導入するには、似たような値段になります。

 

BTOでワークステーションを組んでいくと、Winでもあっというまに30万を突破し、60万クラスになることもザラですもんネ。メモリ8GBでBTOはスタートしますが、そんなの2017年の現在にありえんでしょ。

 

 

ちょっと脱線しますが、私はWindowsを作業増強マシンとして導入するのなら、hpあたりのワークステーションで、GPU増強の選択肢が豊富にある製品構成が良さげだなと感じております。実際に4K60pフルモーションで絵を動かすテストを繰り返していると、素のMac Proでは全く性能が足りなくなるのを痛感しています。現在のMac Proの問題は、GPU増強の選択肢が極めて乏しいこと‥‥ですよネ。

 

まあ、数十万もするグラフィックカードなんて、アニメ会社の台所事情でポンポン買えるものでは無いですし、そもそもソフトウェアが対応していなければ無意味ですから、もうちょっと先の話にはなるとは思います。‥‥4Kは、色々な問題が山積みで目眩しそうですネ。

 

 

話を戻して。

 

Mobile Studio Pro 16は4Kであるのと引き換えに、16インチや4Kに最適化されていないソフトウェアを使うハメになり、正直、iPad Pro 12.9インチの対抗馬にはなりえないな‥‥と感じます。iPadもProcreateも、OS側、ソフトウェア側から、タッチ式の薄型軽量ディスプレイを快適に使えるように設計されていますから、使い心地に雲泥の差が生じます。16インチで4K‥‥という取り柄のみに30万を払うか否か‥‥というキビしい分岐です。iPad Proは12万円で、Procreateは720円(!!!!)ですからね‥‥。

 

そのかわり、スタジオ据え置きの環境は、母機とCintiq Pro 16で構成して、快適な作画環境を構築するのが、実は一番「手堅い」んじゃないでしょうか。特に、旧来の「原画」「動画」スタイルをしばらくは踏襲するつもりなら。

 

私がアニメーション作画機能のないiPad ProとProcreateで原画を描いているのは、テレビシリーズで必要とされるレベルの動き(=コスト的な面でネ)ならムービープレビューなどなくても十分原画が描けるのと、そもそも私の計画するロードマップにおいては、「原画」「動画」という作業そのものがかなり隅っこの重要度だからです。‥‥まあ、あとは、Air Dropで簡単にAfter Effectsに持ち込んで動きは確認できるので、今のiPad作画で全く問題を感じていない‥‥というのも大きな理由です。

 

むしろ、iPad ProとProcreateでは、様々な未来に繋がる取り組みを実践していきたいです。iPad ProとProcreateを用いた新たなロードマップでは、アニメの現場がしてこなかったこと(=機材的制約でできなかったこと)を、色々としてみようと思うのです。

 

「絵を描く作業」を、「原画」と「動画」の枠に閉じ込めること自体が、結局、「昔からの、原画と動画のお金の問題」をいつまでも断ち切れない大原因だと思いますし。

 

旧来互換の作業に関しては、iPadで「互換モード」で作業したり、スタジオが用意したTVPやClip Studioを使えば良いと思っております。

 

また、新しい技術体系の中には「ラフモーション」という「動きの基本を描く」作業を用意しているのですが、その時はアニメーション作画専門ソフトウェアを導入するのも現実的だと思っています。

 

 

 

道具って、難しいですよネ。100万越えのワークステーションとかを見ると、アニメはもとより、映像で商売するための道具って、どうやってリクープすべきか、相当に商売上手じゃないと‥‥ね。

 

 


2016年、雑感。

2016年の現場は、様々なネガティブ要素でいっぱい‥‥でしたよネ。具体的な例はあえて秘す。

 

ツイッターとかでたまに見かける「アニメーターに生活保護を」なんて言う文言は、そうしたネガティブ要素を改善するアイデアなのかも知れませんが、じゃあ、これから先の未来のアニメーターはみんな生活保護からキャリアをスタートするのか?‥‥ということになって、輪をかけてネガティブな状態に陥るように思います。

 

「制作費を増やして」というのも、「ではどうやって制作費を増やすのか」を語らずして、そもそも話の根本が成立しません。現場スタッフの作業費に大幅な増額が必要なのは、現場のインサイダーなら解っていることですが、1話につき5千万規模で2年前から準備する‥‥なんていう予算が獲得できないことも、同じように解っています。ちゃんとしたものを作るのにかかるお金と、ハコ・枠がまるで噛み合わないのは、2016年現在の深刻な問題と言えましょう。

 

とはいえ、「なぜ、そんなことになるまで、放置していたんだ」‥‥なんていうセリフは、まさに安全地帯のアウトサイダーならではのセリフです。状況をよく知っていれば、そんな他人事みたいなセリフは出てきません。

 

じゃあ、どうするのか。現場はキツいですが、だからと言って、いくらネガティブ自慢を繰り返しても、その先にはつながりません。

 

 

アニメ作品が作りたくて、アニメの仕事をしているのですから、未来の目標なんて、考えてみればあまりにも明快です。

 

 

この先、30〜40年、アニメ制作を続けて、仕事を続けたい

 

 

私の場合、年齢から鑑みて40年なんてことはないですが、現在20代の人は、40年という年月はリアルだと思います。

 

でも、重大なことから、故意に目を背けていませんかネ。

 

 

「今の作り方では、もう未来は見えない」‥‥という従来アニメ制作方式の終焉・終着点

 

 

‥‥を、です。

 

格段に細くなった絵柄、影はハイライトと1号がついてて当たり前、演技も細く、枚数はテレビ1本で5000枚も普通、クオリティに厳しくなった視聴層、でも、制作費は十数年前と比較してどれだけ上がった?

 

猛烈に細くなった絵柄を5000枚1万枚も描けば、そりゃあ苦しいし、現場はビンボーにもなりますって。

 

でも、細かい絵柄は一層細くなって、未来も今以上に、動かし続けなければならないでしょう。未来世界は、のらくろみたいな極めて線の少ないアニメを、超リミテッドな動きで動かすアニメだけになる‥‥のではないのですから。

 

3DCGではなく、手描きならではの細かい絵を、今以上に動きが滑らかになる新映像フォーマット上でアニメーションしなければならないのに、今までのやり方で通用するわけない‥‥のは、今まで散々書いてきた通りで、皆も重々認識している事でしょう。

 

現在のテレビを主流とするアニメ制作方式は、16ミリフィルムで撮影していた頃の制作システムの機能拡張版です。つまり、フィルム時代の常識を色濃く踏襲しています。‥‥の割に、フィルム時代に経験的に決められた様々な運用規則はどんどん破られて、各方面で綻びだらけです。

 

 

最近、ようやく休みがボチボチ取れて、録りためていた番組を見たのですが、その中に「零戦」の開発エピソードをわかりやすい内容にした番組がありました。その番組中に、主任設計者の堀越二郎氏が、

 

常識では不可能なら、その常識を疑え

 

‥‥との意識で、零戦の開発にあたった‥‥と説明されていました。

 

まさに、80年近く前に、今のアニメ制作システムの問題点を見事に突く言葉が発せられていたのですネ。似た感慨は、おそらく堀越二郎氏だけでなく、アメリカやドイツ、イギリスなどの先進的な技術者が同じように持っていたと思います。

 

また、従来のスーパーコンピュータ(「京」)を遥かに凌駕する性能の新しいスーパーコンピュータを開発した方が

 

常識にとらわれて開発したら大企業には勝てない

 

とおっしゃっていたのも、しみじみと感じ入りました。

 

そうだよネ。弱者が強者に対抗するには、強者の裏をかき、弱者の長所を活かすしかないもんネ。

 

ですから、大手アニメ会社の「スケールダウン版」「短縮版」の制作システムや制作技術を踏襲している時点で、短命なのは予告されているようなものです。小さい組織やグループは、大組織と同じルーティンで行動してても「チープ」になるだけなのです。大組織が稟議や管轄問題(縄張り・派閥ともいう)でノロノロモタモタしている間に、小規模で実践できる新機軸を矢継ぎ早に使ってこそ‥‥でしょう。

 

「アニメ制作の常識」は、そろそろ疑って良い時期‥‥というか、疑うのが遅すぎた感すらあると思います。‥‥で、疑って見直して、新たな試みを実践するのに、小回りが利くはずの小グループが、むしろ大グループの規模縮小版の作り方で瀕死の重傷を負っている‥‥というのが、今のアニメ業界の正直なところではないでしょうか。

 

 

でも、過去のことはこの際一旦棚に上げておいて、心機一転、未来を見据えた時に、この先も同じやり方で生き抜ける‥‥と思いますかネ。

 

どんなに仕切り直したって、作り方が同じなら、同じ結果を招くだけです。今、苦しい状況は、未来になっても、同じことを繰り返す限り、改善しません。もし自律的に自浄的に改善できるのなら、70年代から本格化したテレビアニメ制作40年余の歴史で、なんとかなっているでしょう。‥‥でも、なんとかなるどころか、どんどん悪化していますよネ。今までの方法では、もう望みは無い‥‥と考えた方が、頭の思考がスッキリしませんかネ。変に未練を残し続けるよりも。

 

 

 

多くのアニメ制作業の人々は、20年後、30年後、いやもっと、40年後、50年後にも、アニメを作っていたいんですよネ。あと5年で会社を畳む‥‥訳ではないんですよネ。私は(年齢から考えて)20年内くらいは、アニメや絵を描いて作って生きていたいです。

 

‥‥だとするならば、「今を生き抜く」ことと同時に、「未来を造る」行動も等しく重要です。

 

まあ、そういうのが解っているからこそ、「新しいアニメーション技術」を進めてはいるのですが、2017年は、同時進行ゆえの進捗の曖昧さを見直し、主軸を明確化する一方で、切り捨てるものは切り捨てて、累積戦略から順次戦略へとウェイトを転換していく時期だと、最近の制作事情を鑑みて、痛感します。

 

上述の「零戦」の番組では締めくくりに、零戦の改良に次ぐ改良に依存したがゆえの、零戦の悲劇‥‥とも語られていました。世界大戦史を知る人なら、言わずもがな‥‥な歴史的事実です。

 

旧来のアニメ制作方式に、どれだけ依存し続け、どれだけ改良(改悪?)し続け、あと何年もたすつもりか。旧来アニメ方式でこの先30年、商業として維持できると本当に思っているのか。アニメを取り巻く社会が刻々と変化していくことは計算できていないのか。

 

劣勢の状況を吹き払う「神風」なんて、いつまで待っても吹きはしません。待てば待つほど、多くの命を散らすだけ‥‥です。

 

 

 

‥‥あれ? また、ネガティブな感じになっちゃいましたネ。

 

2017年は、ネガティブアピールはトーンダウンさせて、新しい取り組みや要素で、ポジティブに構成していきたい‥‥ものですが‥‥、でもねえ‥‥これだけネガティブな要素が業界内を漂っている中、ポジティブ感を無理やり押し出しても、それはそれで、ウソっぽいんだよねえ‥‥。

 

まあ、ネガティブな要素はソレはソレで認識しつつ、自分の行動規範や意識をネガティブではなくポジティブからスタートさせる‥‥といったところでしょうかネ。

 

 

 

すごく単純な物言いですが、今は「コンピュータがある」んですから、実は工夫やアイデアなんて、「いくらでもやりようがある」のです。そのあたりは、とてもポジティブです。

 

ただ、問題は、その工夫やアイデアを実践できる「現場(業界)内の人数」でしょうネ。

 

‥‥私も、ほんの1〜2人でいいから、本格的に未来の技術開発を進めるスタッフが欲しい。某国某大手の開発規模と比べると、侘しくて‥‥なあ。まあ、日本の大組織の弱点は、「新しい」に疎く鈍い、まさにソコかな‥‥。

 

まあ、歴史を紐解けば、厳しいは厳しいなりのヒントは豊富です。加えて今はネットワークという強い味方も存在しますから(時として敵にもなりましょうが)、とにかくは行動の焦点を累積から順次へとシフトして、「2017年という時間の役割」を有効に活用することにしましょうか。

 


テレビ雑感

前回、1原2原の作業システムについて、私なりの雑感を書きましたが、私としては第1原画は「原画を途中まで描いて終わる」感じに慣れなくて、いまいち、性に合わない感じなのですが、1原2原の作業システムが各社で採用されている実情を鑑みるに、相応の意味・意義が存在するのだと感じます。ここ10年くらいで定着したその作業システムが今後の現場の「人(=才能)の層」をどのように変えていくかは、同じく前回書いたように「何とも判断ができかね」ています。


最近引き受けた原画の仕事は、打診を頂いた時点で既にリミットが迫っており、ゆえに(私としては慣れない)第1原画という作業スタイルで引き受けたのですが、同じようにリミットがすぐそこまで迫っている作品においては、1原2原の作業システムというのは有効な手段なのでしょう。昔以上に制限がそこかしこに存在するテレビシリーズ、しかも絵は昔に比べて格段に細かくなっている‥‥となると、「昔の流儀」と単純に比べるのは誤った判断とも思えます。

 

第1原画の作業スタートの時点で既にリミットがすぐそこに迫っているのならば、その後に続く第2原画も、演出チェックや作監チェックも、動画も動画検査も、指定も仕上げも仕上げ検査も、背景美術も、撮影も、等しく時間がないわけで、猛烈な時間感覚の中での作業となります。

 

仕上がった映像を見ると、皆、あの限られた時間の中でよくここまで‥‥‥と思うほどの仕上がりとなっています。高い技術力が結集しないと、驚くべき短期間でアニメなんて作れません。

 

私が新人の頃、「最初はテレビで速度を身につけるべき」と言われたものですが、現在になって考えてみても、確かに「速度は高度な技術」だと言えます。

 

私は劇場作品をメインに作業しますが、劇場作品は時間をかけて準備して、あくまでクオリティ重視で映像を作り込んでいきます。「速度重視」とは対照的な内容で、時間はかけても良いから、とにかく映像表現の美しさを求められる性質があります。映像クオリティにとても高いハードルを設定するわけです。

 

一方、テレビは劇場とは全く違う、高いハードルが存在します。猛烈なカット数を捌きながら、作品の求める映像表現を維持する現場技術の運用が求められます。劇場作品で高いクオリティを実現できたとしても、テレビ作品でも同じくクオリティを実現できるわけではなく、テレビにはテレビに必要な高い技術が存在します。

 

一見、1カットに贅沢に時間と手間暇をかければ、技術が高いように思いがちです。

 

しかし、それはあくまで、技術の一面しか見えていない素人さんの判断です。

 

猛烈に時間がない中で、一定の完成度を維持して数をこなすのも、高い技術の表れです。

 

 

状況は状況として、今日のテレビ作品における、1原2原、動画仕上げ、美術、撮影といった作業の中で、「潜在的」に技術は高まっている事実を、現場のキーマンたちは絶えず認識しておかねばならないでしょう。

 

私は私のノウハウがあって、第1原画というスタイルには否定的な感慨も持ちますが、だからと言って、技術スタイルとして完全否定するのはチャイルディッシュだとも思います。

 

 

私の中で、何が釈然とせずに引っかかっているかというと、速度を実現する高い技術力の行く先がどこなのか? ‥‥という点です。

 

私は丁寧に作る劇場アニメだけが最高のアニメだとは思いません。‥‥近年は劇場や短編ばかりを作業してはいますけどネ。

 

テレビにはテレビのシリーズならではの勢い・パッションがあり、ある意味「ちまちま」と作る劇場では絶対に得られない、うねるような螺旋状の流れがテレビならではの魅力です。

 

テレビの猛烈な作業速度によって、現場の技術力も向上しましょう。しかし、その猛烈な速度によって生じた劣化や歪みを放置した結果、「阿鼻叫喚」がそこかしこから聞こえてくるのです。

 

テレビのアニメ制作の、未来のスタンダードは、何をどのように基準として据えれば良いのか。

 

‥‥少しでも、テレビシリーズに関わると、どうしても、そんな感慨を抱かずにはいられません。

 

作業時間、作業内容、作業費‥‥。色々な問題を抱えて、5年後10年後にアニメ業界の作業スタンダードは、どのように変化しているのか。少しでも善き方向に舵取りするために、現場では何をすれば良いのか。

 

かなり重く苦しい命題‥‥ですネ。

 

 

 


1原、2原

私は今までずっと「原画スタイル」で原画の仕事を引き受けてきたのですが、スケジュールの都合上、最近「第1原画」という形態で仕事を引き受けました。

 

‥‥え? 今頃? ‥‥そうなのです。私は、基本的に1原2原の作業スタイルはどうも受け入れがたい弱点があるように思っているので、第1原画の仕事は頑なに避けてきたのです。

 

レイアウト・背景原図と一緒に、ラフ原画を描いてシートも書いて‥‥という第1原画のスタイルは、まず、レイアウトの作業意義がほとんど消え失せてしまうと思います。実際、レイアウト作業時にラフ原画までビッシリ描かれてしまうと、演出サイドとしてはリテークが出せなくなりますし(極めて出し難くなる)、リテークを出されたアニメーターサイドはラフ原画が全部ゴミになってしまいます。

 

品質重視で言うのなら、「1原、2原」ではなく「レイアウト、1原、2原」にしないと、演出によるレイアウトコントロールはほぼ不可能になるでしょう。

 

でも、チェック工程を3段階に増やすのは、まさに本末転倒。流通を速くするために1原2原のスタイルを取り入れたのが台無しですから、「レイアウト、1原、2原」の3段階にする時間があるのなら、元々の「「レイアウト(+動きのアタリ程度)、原画」で充分ですよネ。

 

また、第1原画と言うスタイルは、作業内容的に、中々悩ましいものがあります。

 

第2原画の人に動きの意図や、具現化したい絵のけれん、ディテールなどを伝えようとすると、「それってほぼ旧来の原画じゃん」と言うことになります。細かく描かれた第1原画は、原画そのものになってしまい、とんでもない作業費の減額につながってしまいます。時間を短縮する効果も弱いです。

 

かと言って、数枚だけ具体的に描いて、あとはアタリ程度の大ラフで‥‥みたいな描き方にすると、映像で表現したいことのほんの足場程度しか、アニメーターとして関与できません。

 

たとえ線画だけの関与だとしても、映像の動きというのは、絵のけれんやディテール、アウトラインなど様々な要素が絡み合って成立するのです。しかし、第1原画だけだと、「平面構成と演技指導」みたいな関わり方しかできません。キャラだけでなくエフェクト作画も等しく‥‥です。‥‥ゆえに、非常に歯がゆく、達成感も乏しいのです。

 

少なくとも、私は、第1原画だけ作業していると、「そもそも、アニメーターになった甲斐が無い」と感じてしまいます。実はそこが、私が第1原画を避けてきた本心なのでしょうネ。第1原画で映像内容に薄く浅く関与するくらいなら、もっと他の仕事で映像制作の中枢に関わって、もっとイイお金を稼いだ方が良い‥‥と思うのです。あくまで、私の感慨として‥‥ですヨ。

 

 

1原2原の作業スタイルの意図するところは、わからないでもないのです。「発明は必要の母」というと大げさかもしれませんが、テレビシリーズの過酷なスケジュール制限の中での品質保持という点で、その作業スタイルが必要だったがゆえに生み出され、各会社で継承されているのでしょう。

 

とは言え、1原2原の作業スタイルは、制作システムの長期的な視野、人材育成の長期的な視野から見て、果たして、本当に善き作業スタイルなのかな?‥‥とは思います。

 

私は何とも判断ができかねますが、やや否定的な印象を抱いています。アニメーターは「線画だけ描いていればいい」みたいな流れに、どんどん押し流されていくように思うからです。

 

確かにアニメーターは表面上は線画だけ描いてはいますが、立体把握から始まって、平面構成、構図の知識、カメラレンズの知識、絵画的(非写真的)な表現スタイルの知識など、様々な能力を身につけなければ、まさに映像具現化の実質の出発点となるレイアウトや原画を全うできません。

 

レイアウトと原画は、同じ人間がセットで作業するのが、色々と善きことだと思うのです。「絵」を描くには、キャラを描くだけではなく、シーン=情景を描く能力が必要だからです。

 

自分の好きなタイプのキャラだけ描いて幸福感を感じているようなアマチュア根性のままでは、「20代の甘く辛い思い出」だけで終息するでしょう。‥‥そういう人はたくさん見てきました。

 

しかし‥‥です。20代で業界を去る準アマチュアとも言える人材の「思い出作り」に作画の現場レベルが翻弄されるのはどうなの?‥‥と思う一方で、業界はその作業費の安さから「準アマチュアの憧れを喰い物にしなければ成立しない」弱みがあるのも「どっちもどっち」という感じで、思考の「詰み将棋」になってしまいます。

 

とまあ、1原2原の話を考え始めると、業界の根本にメスが入るようなところまで、深く切り込んでしまいます。つまりは、1原2原は、圧迫されたスケジュール問題を棚から下ろすことになり、ひいては作業費の問題、そもそもの業界の作業構造、雇用の構造のあり方まで棚おろしすることになります。

 

う〜〜〜〜ん‥‥

 

触らぬ神に祟りなし‥‥なのかな。もし神を奉るのなら、元業界のミームではなく、新しいアニメーション技法とシステムの上で‥‥でしょうネ。

 

そのあたり(旧から脱し、新へと進む)の自問自答は、既に何度も回答が出ているのですが、たまに現業界の現システムで作業をすると、どうしても問題に直面します。何度も何度もこのブログで書いていますが、今はホントに移行期の危うい時期なのかな‥‥と思います。安定していた旧来の基盤が揺らいでいるのに、次世代の新しいシステムが見えていない‥‥という面において。

 

 

ちなみに、私が最短で原画を描いたのは、かなり前の作品になりますが、放映1週間前に原画作業の打診があったのが最短でした。金曜日に作打ち、土曜日にレイアウトアップ、月曜日の朝に演出と作監チェックで戻ってきて、火曜日の昼に原画アップ、当日のうちに演出と作監アップ、動仕で1日、背景ももちろん超短期でアップ、撮影は木曜日(担当したカットだけ撮影も兼任しました)+ラッシュチェック+R処理、金曜日にV差し、土曜日放映。

 

酷いですよネ。‥‥でも、その時にも「1原2原」ではなく「レイアウト&原画」スタイルでこなしていました。今ほど「1原2原」のスタイルは浸透していませんでしたし。

 

最近引き受けた第1原画は、そこまででは無かったですが、既に放映まで1ヶ月を切って3週間前‥‥くらいでした。そういうスケジュールでなければ、今まで通り原画スタイルで作業を引き受けて、原画の作業責任と品質責任を全うしたかった‥‥と悔いの残る作業となりました。私はやっぱり、「1原2原」は性に合わない‥‥というか、自分の映像制作のノウハウのロスが大きいので、どうもダメですネ。

 

「1原2原」は肯定派も許容派も否定派も、それぞれいることでしょう。そんな中、業界の「総意」は、今後どのような方向へと押し流されていくのでしょうね。

 

‥‥私は、新しい取り組みを粛々と進める傍らで、見守っていこうと思います。わたし的は、もし業界の制作システムに改善の機運がおこるとすれば、「破綻の後の復興」というシナリオが、実は一番現実的な「プロセス」だと思ってはいるのです。そのためには、辛いことではありますが、いつかはキツい破綻を迎えなければ、業界は何も変わらず、徐々に、そして確実に、劣化するだけ‥‥なのでしょう。

 


夜明け前

「デジタル作画」は、iPad Proなどの利点を現在のアニメ作画スタイルで活用出来る、当座の手段と認識しております。しかし、実際に紙ベースの作品で「デジタル作画」アプローチで作業をおこない、デジタルデータを紙に出力する際に、「コンピュータを使って作画する利点」が全て「紙出力の手間」で相殺されて帳消しになる感がすごくて、「未だ、夜明け前」の感慨にうちひしがれております。

 

やっぱり、今は過渡期なんだなあ‥‥と。

 

紙に「戻す」ために、なんとまあ、手間のかかること。‥‥そして、その手間にかかる労力が、iPad作画で浮いたリソースをすべてかき消してしまう残念さ。

 

紙の作品においては、「デジタル作画」を導入するのは、色々な面で不適格かな‥‥と考え始めています。‥‥まあ、普通に考えれば、当然なんですけどネ。コンピュータで描いたのを、わざわざ紙で出力しなければならない時点でネ‥‥。

 

プリンタ。‥‥この悩ましい存在。

 

プリンタは、

 

  • インクの補充(これは対処可能)
  • インクヘッド目詰まりのメンテ(これも対処可能)
  • 紙詰まりのメンテ(これも対処可能。面倒だけど。)
  • 紙の重送への対処(対処の決め手は存在せず)
  • 紙のローディングの位置ずれへの対処(悲観的なくらい、対処の決め手は存在せず)

 

‥‥などのいくつもの運用上の問題点があります。

 

特に問題なのが「紙のローディング時の位置ズレ」です。どんなにタップ穴あけ器で位置をピッタリ合わせても、元がズレていれば全く意味がありません。この問題を解消するには、印刷されたタップ穴に合わせて、「紙のタップ」を一枚ずつ貼り付けるしか、打開策が存在しません。

 

無い物ねだりであえて書くと、

 

  • 紙が0.1ミリ以下の精度で正確に送り出されてプリントできるコンシューマ向けA3プリンタ
  • 同じく0.1ミリ以下の精度でタップ穴を開けられる穴あけ器

 

もしくは、

 

  • プリントされたタップ穴を検知して、可動式でタップの穴を開けるタップ穴あけロボット

 

‥‥のどちらかがないと、デジタルデータを正確に紙に出力できるソリューションにはなりえません。

 

‥‥で、どちらも入手困難ですよネ。存在するのかどうかも怪しいです。タップ穴ロボットに関しては、完全に空想の世界です。

 

プリンタの中には、位置ずれの少ないプリンタも存在しましょうが、紙の位置を完璧にロックする機構を取り入れているわけではないでしょうから、ネットで紹介されている「公文書類の用紙に印字位置を合わせてプリントするくらいの精度」では、アニメ作画では問題が多すぎます。

 

まさか、各スタジオに数百〜数千万はするであろう業務用の印刷機械を、プリントアウト&タップの穴あけのためだけに導入するわけには‥‥‥いかないですよネ。

 

上記問題を抑制しつつ、紙ベース作品に合わせて「デジタル作画」をするのは、iPadなどの利点を打ち消すどころか、マイナスに転じるのを、ここ数日で嫌という程、実感しました。

 

 

‥‥で、現実的な話。

 

紙ベースの作品に、デジタル作画を馴染ませるのは、ある程度の精度的限界が存在すると心得え、限界点を許容できる場合にのみ活用し、本命はあくまで「オールデジタル」でしょうネ。やっぱり‥‥というか、必然的に‥‥といいますか。

 

作監や演出など全てのスタッフがコンピュータベースで作画のチェックをおこない、その流れが円滑におこなわれるシステムを構築して、はじめて、「デジタル作画」「コンピュータ作画」「ペンタブ作画」「iPad作画」は「水を得た魚」のように自由に威力を発揮出来ると感じます。

 

作監チェック、演出チェックのヘルパーソフトウェアの開発はもちろんのこと、原画作業時・動画作業時の「作業開始の準備」「定型出力」を補助するソフトウェアも充実させ、容易な操作で伝達物(=ファイル)が流通できる補助ソフトウェアでパイプし、フローを支えるネットワークとデータベースをシステムのインフラストラクチャに敷いて‥‥などの、現実的な手段として確立する取り組みが必要でしょう。

 

つまりは、ここ数回書いている、「システム作り」です。

 

「オールデジタルで頓挫した」なんて話題をたまに耳にしますが、「システム作りにどれだけ真剣に取り組んだか」「システムの上で作業する人選は的確だったか」は、とても怪しい感じです。おそらく‥‥ですが、悪意はなくても「コンピュータやネットワークをナメてかかった」のでは?‥‥と思います。

 

ハードとソフトを作業者に供給すれば、それでデジタル化だ‥‥なんて、うまくいくわけないじゃん。考え方が大雑把すぎますよネ。

 

 

一方で、システム作り、ソフトウェア作り、管理‥‥なんていう話のときに「罰ありきで思考する人」が中心にいると、頓挫する傾向が強いです。

 

「これこれを守らないと、後で酷い目にあいますよ」「ちゃんと規則に準じないと、あとで大変な思いをしますよ」‥‥なんていう「罰」ありきでシステムを考えてしまうと、人々に受け入れられて浸透するはずもないのです。

 

どこの誰が、「背くと、こんな罰を受けます」「あんな罰を受けます」なんていう取り組みに参加したいと思うのか、よく考えてみるべきでしょう。

 

「ソレ、いいかも」と思う要素が、ふんだんにシステムに盛り込まれていて、人は興味を持ち始めるのです。キャッシュカードを持ち歩く手間よりも、24時間、通帳と印鑑がなくてもお金を下ろせる利便性が勝っていたり、スマホを持ち歩く手間よりも、スマホによって得られる恩恵が勝っているからこそ、浸透していったのです。

 

現場にコンピュータを導入することは、「余計な場所と手間を増やす」ことになります。ですから、「差し引きゼロ」なんていうレベルではなく、「飛躍的にプラスになった」という実感が、作業する人間に必要なのです。「管理者視点」で考えているだけでは、ものごとは動きません。

*‥‥でな、罰で人を縛ろうとする意識、管理者視点で無意識に物事を実践してしまっている人って、作業者からは「管理者根性」が丸見えなのに、そのことにほとんど気づけていないのです。

 

「システムが導入されて、作業の手間が格段に減って、仕事がスムーズに進んで、ひいては1日の上がりも増やせて、前よりは稼げるようになった」とか、「作業が終わったら、後の雑事はコンピュータに任せて、早めに帰宅して休息できるようになった」「仕事の内容から雑さが減って、自分の成果物に自信をもてるようになった」‥‥みたいな、「存在すると嬉しい」「あると幸せ」というキーワードが、現場には必要なのです。「罰」ではなくて‥‥です。

 

 

話を元に戻して。

 

要は、「作業者にPCとペンタブとソフトウェアを与えれば、オールデジタルが実現できる」なんてことはないわけで、環境全てをオールデジタルに整えることで、作画の新時代は夜明けを迎えることができるのでしょう。

 

しかし、未だ、ひとすじの太陽の光は、水平線には見えず。

 

だからと言って、焦りは禁物。


夜からいきなり昼間にはなりませんよネ。何か新しいことをするときも同じようなもんです。

 

業界において、仕上げや撮影が「デジタル化」したのだって、1995〜96年から2003〜04年の8年間くらいの時間が必要だったのです。それを考えれば、「今は、転換期のどのあたりか」を測ることもできましょう。

 

過渡期には色々な困難、試行錯誤、失敗と成功があります。ちょっと失敗したくらいで心が折れる程度の覚悟なら、新しいことにチャレンジする資質が当人にはないということです。失敗や困難によって未来の展望を見据えるくらいで、丁度良いのです。

 

今は「紙勢力」が強い現実があるので、「デジタル作画」はなかなか苦しい時期かも知れません。でも、その苦しさが技術をタフにする役割を果たすことも忘れてはなりません。

 

「成功続き」なのは、逆に危ないとすら感じますけどネ。今までの色々な現場の状況、作業経験からして、克服すべき問題があったほうが、順当に足場固めができると実感します。

 

まあ、めげずに前進し続けましょうぞ。

 

 


雑感

「デジタル作画」に限らず、ペイントや撮影のセクションなどの、「コンピュータを使って作業を進める」部署に、一人でもいいから、プログラムやスクリプトを作る能力を持つ人は在籍していますか? 作業者と兼任でも構わないし、手弁当でも構わないですが、とにかくプログラムの知識を持っていて、実際にプログラムを自作したことがある人です。

 

今後数年における一層のコンピュータ浸透の時期において、現場がプログラムに疎いのは、物凄いハンデというか急所、致命的欠点だと思っています。

 

手描きのアニメーション制作というドメインと、デジタルデータを運用するコンピュータというドメインの、極めて根本的で重大な、2大要素のクロスドメイン能力が、今後のアニメーション制作現場に問われているからです。

(ここでいう「ドメイン」とは、「領域」など広義な意味で用いています)

 

 

アニメーション制作現場の作業者が、コンピュータやソフトウェアを使う時、一事が万事、「使い心地」ばかりに関心を向けていませんか?

 

「使い心地」は確かに重要な要素です。生産性に直に関わります。

 

しかし、どんなに使い心地が良くても、いくつもの作業要素や工程を横断して完成へと導く運用技術力が低いと、無駄な時間、無駄な渋滞、無駄なお金、無駄な消耗を、どんどん積み重ねてしまいます。

 

要は、「使い心地が良いのはわかった。‥‥さて次は、運用面だが」‥‥ということです。

 

何か新しいハードやソフトウェアを導入する際、機材の優劣のジャッジを使い心地視点だけに終始せずに、運用面での性能をもジャッジできる必要があるわけです。

 

その際、「サーバのどこそこにフォルダを作って、こんな名前に決めて、アップ日ごとにフォルダを増やして‥‥」みたいな「作業棚の代用品」感覚の運用経験しか持たないと、「コンピュータならではの運用術」視点の判断なんてままならないでしょう。‥‥だって、マウスとキーボードでいちいち操作して運用したことしかないのなら、プログラム制御による作業のリレーションなんて全く想像できないわけですから。

 

コンピュータを10年20年使い続けていようと、プログラムを全くしてこなかったのなら、コンピュータの能力を最大限に現場に浸透させる取り組みなどできません。

 

つまり、「ソフトにないことは、実現不可能だ」と簡単に諦める現場が、未来へと延々続いていくわけです。

 

「パソコンが家にやってきた」レベルの取り組みで終始しているわりに、効率が悪いだの、作業が煩雑になっただの、‥‥そんなのあたりまえじゃんか。「うちのパソコン」程度の使い方で、コンピュータの能力を存分に引き出せるわけないじゃん。

 

コンピュータを使う全ての人間がプログラムを‥‥なんて極端な事を言い出すつもりはありませんが、プログラムを書ける人間が誰ひとりとしていないのも極端だと思うのですよ。だって、事務でメールやエクセルを使うよりも遥かにシビアなコンピュータの使い方(データがそのまま売り物になって品質を問われる、夥しい数の絵=フレームを整然と生産する‥‥など)をしているわけですから。

 

同じMac、DELL、Epsonなどのマシンを使うにしても、使い方があろう‥‥というものです。

 

「プログラムは、専門の会社に発注して」‥‥なんて軽く考える人は、そこらじゅうにいるでしょうが、「プログラム専門の人間は、アニメ制作のニーズに実感をもてない」のが弱点です。それに、プログラム専門のスタッフが存在しても、オーダーを出す側がまるでプログラム音痴だったら、何をどうオーダーしたら良いかも解らず、空をつかむような話で空転しがちです。知識がなければ、交渉すらままならないです。

 

 

制作作業の実技も心得え、プログラムも嗜むような人材は、これからどんどん必要になっていくでしょう。‥‥もちろん、現場を未来に向かって変えたいのならば‥‥ですけどネ。

 

もし、効率に優れた快適な現場を作りたいのなら、例えば、「ファイルの受け渡しの手際」ではなく、「ファイルの運用技術」が求められるのです。‥‥大した差ではないように思えるかも知れませんが、未来において人の価値を変えていく、とても重要な鍵なのです。「手際」や「約束ごと」ではなく、「運用」や「作業標準」を見据えなければダメなのです。

 

コンピュータでもできることを、人がいちいち時間を割いて作業していたら、人の労働の価値なんて、下がる一方です。

 

人は、人でしかできないことに、時間を集中して使うのが、この小さな日本でアニメを作って生きる道‥‥だと考えます。

 

 


落とし所

「デジタル作画」を実際に作業する機会も徐々に増え、コンピュータ関連機器で作画することのいろいろな可能性と限界を実感している人も増えているのではないでしょうか。細かく描こうとすれば、いくらでも細かく描けますし、マシンとソフトの性能次第では、4K〜6Kで作画しても快適な描き心地が損なわれない(例えばiPad ProとProcreate)こともあって、4Kで作画する「そのこと自体」は可能だと実感する人も、同様に増えていると思います。

 

一方で、「描ける」のと「描いていい」のとは、別です。現在の原動画単価のままで、4Kキャンバスに緻密に描き込んで良いかは、多くの人が「NG」「No」「嫌だ」と思うでしょう。‥‥というか、「今までのお金で良い」「OK」という人は、皆無だと思います。

 

さらに、今の絵柄のまま4Kで描いても、「4Kで描いた効果」が非常に乏しいのも実感できるでしょう。過去から現在に通ずるアニメの絵は「A4サイズ(相当)の動画用紙に、何千何万枚と描くことを前提としたデザイン」であって、4K以上の大キャンバスでは「広さを持て余す」のです。

 

業界の技術通、玄人だけが、見分けられる4Kなんて、全く意味がありません。実際に作品を見る一般の人々が、「今までのアニメとは違う」と認識できて、「4Kの価値」を「お金に還元」するキモチにさせなくては、4Kなど「インサイダーたちの独りよがり」でおしまいです。4Kでどんなに線が細く繊細になっても、「その程度=線が細い程度」ではアピールなどできません。

 

要は、4Kは目標ではなく、手段なのです。しっかりと「4Kの意味」をちゃんと握って実感できていなければ、「物理的に4Kでアニメを作る」ことが目標になって、4Kの「旨味」などほとんど消え失せてしまいます。プロジェクトの中心にいる人間が、目標を見失い、手段だけに固執すると、プロジェクトは「面白いように迷走」するのです。‥‥で、そんなことは、本当に良くあることなのです。

 

また、「デジタル作画」に移行しても、どうやら単価そのものはアップしないようだ‥‥ということは、現場全体の手応えと傾向で実感していますよネ。現在の2K以下の作業体制、A4サイズでの作業体制に、シームレスに浸透させようとすると、「デジタル作画」も以前の作業単価で作業せざる得ません。

 

「デジタル作画」の現状は「道具のもちかえ」程度の価値しか認めてもらえず、「品質の付加価値」としては認めてもらえてない‥‥ということです。この認識のまま、4Kに「駒を進めたら」どうなるか、実際に作業している人は、少なからず「ヤバい」状況が見えはじめているのではないですか。

 

つまり、何の「落とし所」の見通しもなく、「迂闊に4Kに手を出すと、かなりキツいお仕置きが待っている」ということです。

 

旧来現場の意識を変えないまま、漠と「デジタル作画」へと進む傍で、4Kのスペックが先走りして、今のアニメキャラに過装飾して絵だけが細くなるけれど、今までのギャラ、今までの枚数、今までの作業時間のまま、全く考慮されず‥‥という地獄絵図。しかし、その地獄を通り抜けて完成した作品は、「ちょっと絵が細くなった‥‥かな‥‥?」程度の印象しか、客層に与えられないという、悲しいオマケつき‥‥です。

 

今までの感覚のままで4Kなんぞに「デジタル作画」でのぞんだら、作業者の屍を累々と最前線に積み上げることになるでしょう。そんな現場を指揮したプロデューサーと監督は、「愚将」以外の何ものでもありません。

 

自分はずさんな計画の犠牲になって戦死したくない、自分は愚将の烙印を押されたくない、‥‥というのならば、各階層の人間たちが、自分らの「落とし所」を、極めて真剣に、真摯に、考えるべきでしょうネ。

 

 

旧来からの現場の技術基盤の上で、今までのアニメキャラの雰囲気を保ち、作業費もあまり向上できない見込みならば、以前にもこのブログで書いたように、潔く「2.5K24pSDR」で作って「アップコン」の技術に力を注ぐべきだろうと思います。実際、2.5〜3Kで綺麗に絵を仕上げれば、4Kに拡大してもそんなに絵は荒れません。4Kで1日動仕で仕上げた雑な絵よりも、2.5Kで丁寧に動仕をおこなった絵の方が、はるかに「高級感」はあるでしょう。

 

一方、「4K60pHDRの新しいアニメーション表現」をルックダウンの射程に捉えているのならば、やはり幾度となくこのブログで書いていることではありますが、現場の全く新しい構造でアニメーションを再発明し、アニメの「売り方」=ビジネスモデルも再発明すべきと思います。キッパリ言い切ってしまいますが、今までの現場の作業構造のままだと、確実に破綻します。‥‥実際に作業してみて、時には試験的に運用してみた上での強い実感です。

 

つまり、どちらの道を選ぶにしても、「未来の高品質フォーマットの映像制作」において、16ミリフィルムのテレビアニメから発展してきた現在のアニメ制作現場は、「未来の落とし所」を探る必要があるわけです。ただ漠然と、「デジタル作画」「4K」などに移行できると考えるのは、正直、「甘すぎ」ます。

 

総体の成り行きに任せて行動することが、「レミングの集団事故(集団自殺‥‥というのは恣意的なので集団事故としておきます)」のような結果を引き起こす‥‥のも十分あり得るんじゃないですかネ。成り行きに任せて行動した挙句、「勝ったら自画自賛」「負けたら被害者顔」なんていうのは、古今東西世界中の人間が得意中の得意ですが、もし「次の機会」に勝機を見出すのならば、「日和見層の団体行動」の性質をよくわきまえ、然るべく行動する時期に差し掛かっている‥‥と思います。

 

 

デジタル作画の作業者数も徐々に増えて、「これだと商売になる」「これだと全く商売にならない」などの実感を感じていることと思います。私も今や現行作品に作画で関わる時は100%「iPad作画、Procreate作画」になっていますが、「プロクリ作画」(他の人々は、「クリスタ作画」だったり「TVP作画」だったり)の長所を感じるとともに、現行システムにおける「デジタル作画」の弱点や限界も既に見えています。

 

私としては、旧来現場技術の「デジタル作画」を実際に作業することによって、新しい技術の「現場での落とし所」を探っていることもあるのです。やっぱりね‥‥色んな作業スタイルに乗ってみて、初めてわかることもありますからネ。新しい技術の「甘くて美味しい水」感を発揮するためには、様々な作業スタイルの良し悪しを実際に体感しておかないと。

 

まあ実際、紙で原画を描いてきた私が、技術的には「デジタル作画」の長所の方が「紙作画」を上回る実感があり、一方で、未来に「デジタル作画」を続けて「どれだけ喰っているか」は疑問に思うことも多いのが正直なところです。アニメ制作本数が週30本くらいに減って、相乗的に1本あたりの作業費が向上しなければ、どこかで頓挫しそうな予感はします。作業構造の頓挫は、つまりは作業者たちの頓挫です。

 

「作業内容の密度」「作業報酬」「アニメキャラのデザイン意識」「そもそものアニメの品質価値」‥‥など、いろいろな要素のバランスの中で、落とし所を見つけていくのが肝要です。

 

 

結局は、「アニメの存在理由」を2020年以降の世界にどのようにアピールしていくか‥‥だと思います。それが一番重要な「落とし所」です‥‥よネ。


ベビーブーム感覚からの脱却

アニメブームは、団塊ジュニアとともにあった‥‥というのは、ここ数年の強い実感です。1973年をピークとした第二次ベビーブームのグラフを見れば、どれだけ1970〜80年代に「子供向け」の商売が成り立っていたのかが、窺い知れます。

 

*ちなみに、1966年にガクンと出生数が落ちているのは、「ひのえうま」の年ゆえに、出産を避けたから‥‥です。1967年生まれの私は、上の学年が1クラス少ないのを直に目撃しておりました。すごいね。ひのえうま。‥‥次の2026年には、やっぱり出生数が減るんだろうか。

 

このグラフをみれば、ベビーブームの波にのった社会において、街には子供が溢れていたし、子供向けの商売も盛んだったし、子供らがティーンになればティーン向けの商売も盛り上がったであろうことが、「理屈」として思い起こされます。テクノロジーこそまだまだ未発達でしたが、若い世代を中心として「爛漫」だったよネ。

 

でも今は違います。

 

1960〜1980年代生まれの人間が、「俺たちは」「私たちは」「自分はこうだった」と宣っても、2016年末の現在には、有効な指針とはなりえないのです。1990年代生まれの出世数ですら最盛期の60%、2010年代に至っては半分。

 

1年あたり80〜100万人の差がある‥‥ということは、小学校6年間だと、500万人規模で子供の数が、第二次ベビーブームの頃と比べて、今は減っているわけです。

 

「でも半分いるじゃん」とかいう人は、もっとリアルに想像してみましょう。百万人なんていうと想像しにくいですが、学校の情景として思い浮かべれば、絵が見えるのではないですかネ。単純に計算しますが、団塊ジュニアが小学生だった頃に比べて、1学年のクラス数が半分になっている‥‥ということです。都市部と田舎の差もありましょうから、単純には語れませんが、数としては「そういうこと」です。「限界集落」がどんどん増えていても、確かに数字を見れば納得‥‥ですよネ。

 

アニメブーム時代の感覚と、同じ理屈が通るわけないですよネ。

 

昔話で盛り上がるのなら、それでも良いのです。

 

しかし、昔話の延長線上で、昔の感覚のまま、アニメの「対象年齢」「売れる売れない」を語っても的外れですし、現場に入ってくる若い人材の育成・指導を70〜80年代の感覚で取り仕切るのも不適切です。

 

アニメブーム世代のベテランは、ハッキリと自覚すべきです。同じやり方はもう通用しない‥‥という事を。

 

 

人を量り売りのような雑さで捌いていた感覚は、もう捨てましょうよ。

 

昔から今までずっと続く、雑さ極まりない単一単価制度は、まさに団塊ジュニアの雑な人材活用を象徴しています。何度も言うけど、「キャラが爆発を避けながら銃を撃って走ってくる」カットと、「止め口パク」のカットが、何で同じ単価なんだよ? 雑にもほどがあるだろ? ‥‥と思いますよネ。

 

でも、「文句言うのならもういい。人材なんて余り過ぎるほどいるんだから、文句を言わない奴に仕事をだすだけだ」なんていう感覚で、決定権・人事権・システム管理権を持つ60〜80年代生まれの人間は、仕事を続けていませんかね?

 

もうダメだと思うよ。その感覚。

 

自分たちがベビーブーム世代なのは、それはそれで良いのです。でも、その感覚のまま、その当時の考え方のまま、2020年に向かって生きていくことは、果たして有益なことでしょうかネ?

 

前回、ギャラが下がるのは、ヤバい状況のサインだ‥‥と書きましたが、業界全体でギャラを下がってきているような状況があるのだとしたら、業界全体が「何かヤバい兆候」を抱えているのだと思います。

 

団塊ジュニア感覚とはまったく違うドクトリンで、「ヒューマンパワー」を活用する思考を、団塊ジュニアの人間が率先してもたねばなりません。「俺たちは古い世代だからヨ」なんてイジけてやさぐれて、全体を墓穴に引きづりこむのは、甚だ迷惑すぎるでしょ。

 

アニメを作れば子供たちが飛びついていた時代なんて、遥か昔に終わっているのに、今でも「ベビーブームの頃が忘れられない」なんて、ミジメ過ぎ、悲し過ぎますよネ。

 

むしろ、団塊ジュニアの世代が、未来を切り開くために知恵を絞らないとさぁ‥‥、何のための経験と技術と実績なのよ?‥‥と思いますよネ。

 

 

私も精一杯、新しい技術の構築に頑張りますので、同世代の皆も、色々なスタンスで未来のために頑張りませんか。やっぱり、なんだかんだ言っても、アニメが好きでこの商売を続けているのですから、アニメがしぼんでなくなっていくのは、悲しいじゃないですか。

 

 


重戦闘機と軽戦闘機

皆様はWacomのデモ機はもう触ってみたでしょうか。

 

私の率直な感想は、タブレット本体そのものではなく、「ソフトウェアがいちいち重い」のが気になります。軽快な見た目の16インチ4KタブレットPCに似つかわしくないWindowsOSやドローソフトウェアのやや重く感じる反応速度、そしてゴテゴテとしたGUIが、MobileStudio Proの折角の機動性を著しく阻害しているように思います。

 

前にも書きましたが、今度はOSやソフトウェアが更新するフェイズですネ。今のOSやソフトウェアの設計では、16インチ4Kのタブレットの真骨頂は体現できません。デスクトップPCそのまんまのGUIでは、4K16インチがかたなしです。

 

なので、Cintiq Proのサブモニタ的運用のほうが、現在は分があります。邪魔なウィンドウは、メインモニタや他のサブモニタに逃がせますからね。

 

 

私の中では、MobileStudio ProやCintiq Proは「戦闘爆撃機」的な印象です。例えば、爆装したF-4ファントムやF-15Eストライクイーグル的な。‥‥例えがアレで申し訳ない。

 

機動性と重装備を兼ねた、マルチロールファイターで、その気になれば、ドッグファイトも可能‥‥という。

 

導入&運用コストが高く、身軽さには欠けるが、それを補ってあまる、いろんな兵装=ソフトウェアを運用可能なのが魅力です。

 

 

一方、iPad Pro 12.9インチは「制空戦闘機」的な印象。制空戦闘仕様のF-16CJファイティングファルコン的な。

 

iPad ProとProcreateの組み合わせは、とにかく絵を軽快にスイスイ、ストレスなく描くための「ドッグファイター専用機」です。以前にMobileStudio Proのデモ機をいじった際に、既にiPad Proの軽快さに慣れていた私は、動作の重さをペンストロークのひと筆目から実感しました。ほとんど毎日Procreateで絵を描いているので、差がすぐにわかるのです。

 

もっと身近なたとえで言えば、MobileStudio Proは400〜600ccの4stスポーツバイク、iPad Proは250ccの2stレーサーレプリカ‥‥のような感じですネ。‥‥2ストバイクが消滅した今となっては、もっとわかりにくい‥‥ですかね‥‥。

 

ですから、あからさまに得意なジャンルが変わってきます。

 

MobileStudio Proは‥‥

 

 

 

‥‥的な感じで、iPad Proは‥‥

 

*スンマそん。今は250cc2stが消滅したので、同クラスの450cc4stにて。

 

‥‥のような印象です。あくまで、わたし的に‥‥ですが。

 

 

初期導入費用が高く、動作はいかにも重そうだけど、様々な重装備が期待出来るMobileStudio Pro もしくは、 Mac/PC &Cintiq Pro 4K。

 

初期導入費用が低く、軽快な動作が売りで、絵を描くための専用装備のiPad Pro 12.9インチとApple Pencil。

 

まあ、判断が難しいところですネ。ケースバイケース‥‥とも言えるでしょう。

 

 

私は、絵をゼロから描くなら、断然、iPad Proです。動作が軽いのは、とにかく快適そのものです。絵を描く動作で、変なストレスを抱え込みたくないですもん。

 

しかし、実写や絵をレタッチする目的ならば、色々なソフトウェアやプラグインが使えるMac Pro(もしくはiMac 5K)&Cintiq Proの組み合わせは魅力です。

 

やはりMac/PCのOSで動作するフルサイズのPhotoshopだと出来ることも、まだまだ多いです。

 

これを、

 

こんなふうに人々や車を消して、

 

こんなふうに仕上げる‥‥とか。

 

マウスだけでもできないこともないですが、やっぱりペンがあったほうが能率は高いですよネ。

 

で、私‥‥‥の見解は、アニメーターとコンポジターを兼任するなら、「両方必要」です。ぎゃふん‥‥ですが、でも、正直なトコロです。

 

- - -

 

ちなみに、両機をちょっと前の世代の戦闘機のF-15やF-16に例えたのは、理由があります。まだiPadもMobileStudioもCintiqも、旧〜現世代的な「液晶一族」だからです。F-22やF-35に例えていないのは、そういうワケです。

 

OLEDを搭載するとの噂の次世代iPad。‥‥まあ、先進的な技術は、期待しないで待つのが吉‥‥ではありますが、1990年頃にハイビジョンテレビを秋葉原の店頭で見た時のショックは忘れられませんし、今はハイビジョンすら「実質SD(スタンダードディフィニッション)」なわけで、OLEDのような夢のディスプレイも、年月が経てば夢でも何でもなくなる‥‥のでしょうネ。

 


コンピュータに馴れる

ふと思えば、最近、「自動中割り」の文言をあまりみかけなくなったように思うのですが、各所で「デジタル作画」が普及してきて、そんな都合が良いものなど無いのを認識するに至ったのですかね。‥‥それとも、私が見かけないだけで、「原画を入力すると、自動で中割りしてくれる機能」に対する話題は継続しているのかな‥‥?

 

前回、問題が山積みだと書きましたが、問題の一番最たるものは、コンピュータに関する業界スタッフの知識なんですよネ。要は、まだ作画を中心とした多くの人が、コンピュータに慣れ親しんでなくて知らないことが多い‥‥という。

 

メールやWebをいくら見てても、コンピュータの実戦での知識は蓄積されないですもん。指示だけ出して実際に自分で使わないのも、マズい。コンピュータを他人事にしている限り、知識や経験はほとんど増えません。妙な風説に惑わされたり、曲解することはあっても。

 

原画をデジタルデータで入力すると、コンピュータプログラムが自律的に中割りするなんて、作画のあれこれやコンピュータを知っていれば、あり得ないことはすぐにわかりますよネ。

 

‥‥まあだから、作画もコンピュータも中途半端な理解の人だけが、自動中割りを曲解して真に受けているのだとは思います。少なくとも、真剣に作画を経た人間ならば、コンピュータをあまり知らなくても、「いくらコンピュータでもよお‥‥」と懐疑的なハズですもん。

 

とは言え、多数を占める日和見の勢力というのは、危ういもので、後から振り返れば「なんでそっちに流れたんだろう」と思い起こすことがあります。でも、コンピュータの知識をもう少し有していれば、「コンピュータの風説」に惑わされる可能性も低くなるはずです。

 

中目パチとか中セリフとか、割り先のないフレームインとかアウトとか、斜め後ろから正面への顔の中割りとか、握った手から開いた手への中割りとか、まさかコンピュータが「キャラ表」や「作画注意事項」に「目を通して理解した上で」中割りするのでしょうかネ。‥‥ちょっと考えれば、原画の自動中割りなんてあり得ないことは、コンピュータの様々な知識や、技術の歴史的経緯を考えればわかることですもん。

 

例えば一例として、パス、ベジェで作成された図形を、時間軸で頂点を操作して、「動いているように」見せるのは、原画の自動中割りではなくて、作画する人間が直にコンピュータを操作して動かしているだけです。そうした操作を「自動中割り」なんて言葉で表現するのは、誤解のもとなので、差し控えた方がよろしいでしょう。「コンピュータが中割りしてくれる」‥‥とは、たしかについつい、使ってしまいがちなフレーズなんですけどネ。でもコンピュータをあまり知らないひとは、そんなセリフを耳にすると、「すごい! コンピュータはそこまで進化したのか!」とか誤解しちゃいます。

 

コンピュータを魔法の箱にように言うな! ‥‥とは、コンピュータで仕事を多くこなしてきた人間ならば、事あるごとに言いたくなる言葉でしょう。

 

コンピュータだって、「できることの組み合わせ」で作業するだけなのです。魔法ではなくて、手品なんですよネ。ネタもあれば仕掛けもある。

 

で、「何ができることなのか?」を知らなければ、スタッフ間で話すら噛み合わない。‥‥アニメ業界の現場って、結局、まだ「ソコ」なのかも知れんですネ。

 

要は、コンピュータで仕事をする人間が増え、「コンピュータが魔法の箱で無いことを悟る」機会が増えれば良いのです。

 

「デジタル作画」という旧来的なスタンスでも、コンピュータを仕事時間1日丸ごと毎日使い、HDDの異音を放置して物理的故障を招き、数日分の作業がすべてパーになるようなことを体験すれば、コンピュータに対する夢も油断も消え失せると思います。アレもコレも指定しなければ思い通りに動かないコンピュータを前に、「何が魔法の箱だよ。使う人間の工夫ありきじゃねえか、結局は」と、夢と現実を認識するには、やっぱり、相当に長い時間、コンピュータと付き合う必要があります。

 

でもまあ、コンピュータに慣れれば、コンピュータと長い時間付き合えば‥‥と言っても、漠然としているのも事実です。上述したように、ネットをいくら閲覧・徘徊してても、仕事での実感や経験は伴わないですもんネ。

 

でも、とにかく、何らかの仕事で、皆がコンピュータに慣れてくれないと、お話が先に進みにくいのも事実なんですよネ。

 

コンピュータは魔法の箱では無いこと。できることの組み合わせで成り立っていること。‥‥そのことを、皆がしみじみ、肌身で感じる事が必要‥‥ですが、さて、どうか。

 

「デジタル作画」で多くの人が、コンピュータで良い目も痛い目もみれば、「コンピュータ幻想」ではなく「コンピュータ現実」へと一歩先へ進める可能性はあります。過渡期の「デジタル作画」の意義とは、実は一番、ソコにあるのかも知れないな‥‥と思います。

 

 



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