夢の機材

iPad ProとApple Pencilは、1990年代初めの頃に「こんな画具があるといいなあ」という夢を実現した、いわば「夢の機材」です。今、普通に通販で買えて、目の前に存在するので、あらためて自覚する機会は少ないですが、考えてみれば「80〜90年代の夢が詰まったガジェット」なんですよネ。iPadとApple Pencilに限らず、iPhoneとか、Amazon Echoとかも。

 

 

 

それを考えれば、「使わなきゃ損」です。1980年代に絵を描くのと、2020年代に絵を描くのと、何が違うって、社会環境とテクノロジーです。特にアニメは社会のインフラなしには生き続けられない「現代社会の申し子」ですから、時代の技術進化を受け入れて、時代の最新技術を活用するのが賢い選択だと、私は思うのです。今はもうセルもフィルムもないのですし。

 

ただ、時代の技術がどんなに進化しても、絵の上手下手までサポートしてくれません。「iPad Proを買って、Apple Pencilで描いているのに、ちっとも上手に描けない。プロっぽく描けない。」って、そりゃあなた‥‥、自分の下手さと研鑽不足を暴露しているようなもんですヨ。

 

2000年代に「誰でもプロなみ。誰でもクリエーター」とか流行りましたが、あれはコンピュータを趣味層に購入させるための他愛のない宣伝文句ですからネ。何もコンピュータなど使わなくても、渋谷の交差点を全裸で走り抜ければ「自分流のアートクリエーター」になれるよね‥‥と知り合いも言っていました。

 

どこかの誰かが作ったプリセットを寄せ集めてクリエーターになれるんだったら、そんな楽な話はないです。絵を描けるようになるには、道具が紙だろうがMac/WinだろうがiPadだろうが、同じだけの研鑽は必要です。むしろ、iPadやコンピュータは、基礎技術の一部をソフトウェア機能が肩代わりしてくれるので、余計、当人の画力が浮き彫りになって辛辣だと思うくらいです。

 

能力がなくても絵が描けると勘違いして思い込む人は別として、絵を描く技術を苦労して積み重ねてきた人にとっては、今は「昔の夢だった」機材が溢れています。自分の可能性を研ぎ澄ます役割すら、今の「夢の機材」は発揮してくれます。

 

ふと考えると、「自分が生きている間に、こうした機材が実現して、本当にえがった‥‥」と思います。

 

 

 

 

 


板タブ

最近、補助的な役割ですが、板タブも使うようになりました。板タブはどうにも思い通りにならなくてあまり使わなくなっていたのですが、線の1本を書き足すのにiPad Proに戻すのも面倒なので(特にファイルサイズが巨大な場合は)、簡単な線は板タブでも描くようになりました。

 

改めて、ここ数年のIntuosを使ってみると、色々と機能がついていて、便利というよりは戸惑います。Procreateを常用していることもありますが、ボタンが6つ(切り替えボタンまで含めると7つ)もついていて、ホイールもあり、ジェスチャーも可能‥‥となると、機能過多で使いにくいもんだと実感します。日本のメーカーが陥りがちな傾向はペンタブにも継承されておりますネ。機能過多で使わないのならまだしも、誤動作のきっかけになるのはなんとも邪魔です。

 

まあ、Photoshopのショートカットは体に染み付いているので、板タブのボタンはかたっぱしからOFFにしても良いのですが、それでもたまにホイールが反応したりして面倒なので、ちゃんと設定することにしました。私は左利きなので、利き腕の設定も変えて、ボタンもホイールも使えるように設定しました。

 

さすがに6個のボタンと、1つの切り替えボタンで4つのホイール機能全てを暗記するのは無理です。少なくとも私は。

 

なので、以下のようにダイモのラベルを貼りました。

 

 

 

ダイモの透明テープに最長4文字で刻印して、機能ラベルを貼り付けました。ホイールの設定は初期設定のままですが、他は設定を変えました。取り消し=アンドゥは、間違えずに操作できるように一番上のボタンに割り当てました。

 

透明テープなので、LEDの上に貼っても光が透けます。

 

 

ただ、透明の純正品テープは製造中止らしく、上図のマシューズのものが出回っています。これがちょっと扱いが面倒で、純正品より色々とヘボいので、ダイモに慣れない人は黒の純正テープを買ったほうがよいかもしれません。LEDは透けなくなりますけどネ。

 

ジェスチャー(タッチ機能)はOFFで使っています。色々とジェスチャー機能はあるのに、1本指でのジェスチャーが「クリック」しかなく、1本指ドラッグに消しゴムを割り当てることができなさそうなので(もしかしたら、ある?)、今は使わない設定にしています。1本指のドラッグ(摩って動かす)が消しゴムに早変わりするのは、とても便利ですヨ。iPad ProのProcreateとクリスタでは、1本指を消しゴムに割り当てています。

 

 

で‥‥、久々に板タブを使ってみて思うのは、板タブは何を言うても、もはや過去の機材だな‥‥という事です。ろくな液タブがなかった時代やiPad Proが未発売の頃の、前時代の名残りのような画具です。マウス代わりに使うのはアリかも知れませんが、絵を直に描く道具としては決して優れているとは思えません。コンピュータ機材が未発達だったころの産物です。

 

Apple製品をむやみに推すつもりはないですが、絵が描ける人なら、iPad Proの12.9インチとApple Pencilを買っとくべきです。板タブを補助的に使うようになって、改めて、しみじみと、絵を描く道具としての優劣を実感します。

 

 

 

やっぱりさ‥‥。絵を描く時にはさ‥‥、余計なストレスは背負い込みたくないじゃん?

 

 

絵を描くのなら、絵を描く視点と手(=ペン)が一致していたほうがダイレクトでストレスがないですよネ。「いやいや、離れていたほうが良い」という人は相当珍しいです。

 

ハッキリと言い過ぎるかも知れませんが、板タブの「ペン先から目を離してモニタを見ながら描く」というのは、相当、異常な光景だったのです。

 

ラジコンのような操作感で絵を描いていたのは、単に「昔のコンピュータがその程度の性能しか提供できなかったから」です。

 

 

iPad Proを推す、もう1つの理由は、その外形の状態。つまり、「単体で動作する」ことと、「薄く、軽量」であることです。

 

iPad ProとMacが完全に独立して動作するのは、とても「やりやすい」です。4K HDR フルモーションの作業をする場合、今までの2K映像とはレンダリング時間が段違いにかかるようになりますから、レンダリングの待ち時間にiPad Proで別の作業を進められます。

 

薄さ、軽さは、作画用紙1枚の薄さには到底及びませんが、薄手のスケッチブックくらいの薄さゆえに、違和感なく絵を描くことができます。しかも、自分の画材の全てをiPad Proの中に詰め込んで、どんな場所でもApple Pencilで、イラストでもコミックでも原画でもデザインでも即座に描き始めることができます。

 

iPad Proは机が狭くならないのも良いです。電力をコンピュータより格段に消費しないのも、実はかなり大きな利点です。

 

 

一方、ホストコンピュータが起動していなければ絵を描くことができない「周辺機器系のペンタブレット」は、マルチに作業を請け負うようになると、色々と面倒が増えてきます。

 

まず、After Effectsで重いレンダリングをしている裏で、6〜8Kサイズでレイヤー数の多い画像をPhotoshopでペンタブでイジるのは、クラッシュしそうで怖いです。じゃあ、マシンを2台に増やせば良いかというと、そんな単純な話ではなく、電源供給の問題や発熱の問題、モニタやキーボード・マウスの増設または切り替えの問題、設置スペースの問題などが、どんどん山積みになります。

 

自分の能力を多岐に展開したいのなら、会社の作業机でしか絵が描けない「固定された環境」ではなく、自由に活動できる環境の下地が必要です。ペンタブを使うのは会社の机だけ‥‥では、どうやって、自分の絵を描く能力を拡張できるでしょうか。

 

 

それこそ前世紀から20年以上、色々とコンピュータでの作画&映像制作の作業環境を模索し続けてきて、iPad Proの性能〜単体の性能だけでなく環境性能も含め〜は、相当優れていると実感しています。

 

まあ、私個人の性質もありましょうが、板タブは1997年から使い続けているのに、結局、自分の「最強」と言えるほどの画具とはなり得ませんでした。しかし、3年前(2015年)に出たiPad Proはあっという間に、大きな信頼を預けるほどの画具になりました。

 

だってさ‥‥。絵がちゃんと描けることを、自分の肉眼で目の当たりにして、それでどんどん仕事をこなせば、信頼せずにはいられないもんネ。

 

昔の道具や機材の欠点をあげつらう事が本意ではないのですが、今そこに存在する大きな落差を無視することもできません。なので、正直に書いております。

 

板タブを久々に使って、色々と実感しました。

 


金のかかる芝居、金のかかるアングル

テレビの標準的なギャラの仕事って、コストをいつも念頭におく必要があります。好きなものを好きなように動かせば良いという話ではないでしょう。

 

例えば、日常芝居でも、ちゃんとやろうとすると、相応に原画枚数と動画枚数が必要になります。ちょっとした小芝居とか、A点からB点に歩いて移動するだけでも、いまどきの線の多いキャラは昔のロボットもののように作業労力が必要となります。

 

また、カット割りやアングルをちょっとした迂闊さが、ものすごい労力を無意味に発生させたりもします。

 

そういった意味では、テレビアニメは制限だらけです。制作費の低さはあからさまな制限ですから、絵コンテを描く人間や演出をする人間は工夫を重ねて、低コストでベター・ベストな効果を実践してきました。

 

「でもさあ‥‥、そんな作り手のコストばかり考えて画面を作るとチープになるじゃん」という人がいたら、その発言にはいくつもツッコミどころがあります。

 

まず、テレビの制作費は、チープですよネ。実写に比べれば高いとか言われますが、何百カットにも及ぶ原画と美術と撮影、何千枚にも及ぶ動画と仕上げで、制作費を細切れにするのですから、作業者単位でいえば決して順当なギャラとはいえないのがテレビの「昔からの常」です。もともとチープなお金しか用意できないのに、チープなのは嫌だ‥‥というのは、発想の出発点に無理があります。

 

しかし、その「普通なら無理な構造」をできるだけ「見せ方で相殺」するのが、テレビシリーズの面白い部分だと思います。「面白い」というのは、「絵コンテと演出の腕の見せ所」ということです。ちょっとカメラの位置をかえてBOOKで切ったりするだけで、恐ろしいほどの作業負担の雲泥の差が生じます。カメラの位置が迂闊なばかりに述べ48時間の作業を要すカットが、絵コンテや演出の工夫により述べ6時間の作業コストで、しかも映像での印象も決してチープではないものが作れるのです。

 

 

テレビアニメであれこれ細かい小芝居をさせたり、消失点を安易に人間の目線にもってくるのは、テレビアニメのコストをあまり‥‥というか、全然考えていない人だよネ。

 

例えば、街の商店街を、人間が立ったときの目線のカメラ位置で、商店街通りを一点透視で狙ったら、ありとあらゆる商店街の雑多な物品が入り込んじゃって、大変な情報量を描かなければならなくなります。

 

「え? 人間の目線で描くのって、普通じゃん」とか思う人もおりましょうが、人間の目線がありふれた情景だからと言って、ありふれたコストで実現できると思っているのなら、本当に素人さんとしか言えないレベルです。そういう人には、テレビシリーズの絵コンテや演出をしてほしくないし、1原2000円程度のやっすいレイアウト料金で巻き込まれたくないです。

 

テレビシリーズで、レイアウト&1原2000円程度の単価で作業依頼するのなら、絵コンテマンは高度な知恵と経験値をもって、低コストかつ高い効果を狙わなければなりません。もしそれができないのであれば、テレビの絵コンテを引き受けるべきではないでしょう。そもそも能力と経験値が足りないんだから。

 

2000円で「松」のレイアウトが買えると思っているところに、現在のテレビシリーズ事情の破滅的な「齟齬」があると思います。

 

2000円でどんどんこなせるレイアウトの内容を、まず絵コンテで示すべきでしょう。テレビシリーズの絵コンテで劇場アニメを志向してはならないのです。絵コンテマンの資質が問われます。

 

「でも今まで無理だったことを実現することで、テレビアニメの技術も上がってきたんじゃない?」と言うのなら、ギャラも上げなきゃマズいでしょ。テレビ作品の絵コンテで無謀な内容を描きました、原動仕や美術の単価は知ったこっちゃない‥‥なんて、酷いと思いません??? そして出てくる言葉は「テレビでも出来た!」です。

 

 

どんな業界でも、ロープライス・ハイクオリティ‥‥は、まさに腕の見せ所です。でも、原価割れしてまでハイクオリティにはしないでしょ。

 

しかしアニメは平気でそれをやるのよネ。原価割れの常習です。

 

スペシャルな作品の、スペシャルな報酬の仕事なら、スペシャルな内容の絵コンテや演出で良いでしょう。

 

作業者にクオリティを要求するのなら、お金を用意する。‥‥当然のことです。

 

しかし、お世辞にも標準的とは言えない報酬額のテレビシリーズでは、工夫に工夫を重ねた絵コンテと演出が何よりも重要な鍵です。特に絵コンテは重大な責任を負います。

 

要求するクオリティはそんなに高くないけど、カット配列やカメラアングルや尺(間、ですネ)の妙味で、面白い本編を作れた時こそ、テレビにおける絵コンテと演出の勝利なのです。その実質的な事実に、昔も今も変わりはないです。

 

 

でもまあ、実は作業者側にも、「報酬に合わせてクオリティをコントロールできない」人々がいるのも、中々辛いところではあります。昔、1カット2万円以上の原画単価を設定したのに、3000〜4000円のテレビと同じ内容で上げてきた原画マンのカットを見て、監督が落胆していたのを思い出します。その原画マンにしてみれば「ラッキー。普通に比べて1万数千円も儲かった。」とでも思っているのでしょうが、それでは「ギャラの金額を無視して、何でも安く描かれるんだったら、安いギャラのままで良い」と判断されちゃうんですよネ。

 

少なくとも私はテレビはテレビなりの単価内容になるように、内容を薄くして描きますヨ。それで「何だ。たいしたことないな」と言われてもOK。レイアウトの構成もかなり割り切った内容にしますが、それでやっぱり「たいしたことない。凝ってない。」と思われてもOK。私はそれで正常だと思っています。

 

その代わり、高いクオリティが求められる作業=高い金額の作業では、相当、念を入れた内容になります。あえて高いお金を設定してくれると言うことは、監督やプロデューサーから何を期待されているかを、ひしひしと感じるからです。

 

金のかかる芝居、金のかかるアングルは、相応に作業報酬に反映されるべきことを、絵を実際に描く当人だけでなく、絵コンテや演出も強く意識することが必要だと思っています。

 

 

 


EOS R

キャノンEOSの新しいカメラ「R」。

 

 

フルサイズ(=35ミリライカ判同等サイズの撮像素子)のカメラのボディにしては、実売25万円と低価格なのに驚きました。フルサイズはプロじゃないと買えない値段=数十万が普通でしたからネ。

 

しかし。

 

レンズのマウントは新しい「RF」。今までのEFマウントではないので、マウントアダプタを介さない限りは、RFレンズを新調する必要があります。

 

そのRFレンズのお値段。

 

マクロレンズが6万円。‥‥まあ、これはいいス。

 

その他が中々なお値段です。まあ、L(エル)レンズなので、もともと上級クラスなんですけど、コンタックスのレンズを買うかのごとくのお値段です。

 

例えば、以下のズームレンズは、37万円。

 

 

 

 

どぐわ。

 

まあ、フルサイズの新たなEOSの門出ですもんネ。いきなりコンシューマ向けの廉価モデルではないですわな。

 

カメラを道具にして、年間何百万円も稼ぐような人向け〜プロ向けですネ。

 

 

 

私は、こういうカメラを無理して買ってもオーバースペックなので(職種的にも)、EOSのEFマウントの中級機種とか、ルミックスのコンデジあたりを相変わらず物色します。

 

これでムービー機能が4K60pに対応してくれればな〜‥‥。

 

まあ、4Kテレビの120fpsで補完して観れば、4K30pでもいいっちゃいいんですけど、60pで撮れるのなら、その方が良いです。色々と便利だから。

 

 

 


Apple Pencil、近況

Xs Maxの値段にどれだけの人間がついていけるのか、ソフトバンクの月々の支払いに組み込むと紛れるのかも知れませんが、まあ、欲しい人が買えばいいだけの話ですわな。私はiPhone8 Plusが使い物にならなくなるまで使う所存なので、しばらくiPhoneはいいや‥‥という感じです。

 

AppleのXs Maxの目論見はおいといて、私のAppleに対する関心は、来年と噂されるモジュール構成のMac Proと、Mac miniの新型、そしてiPad Proの新型です。ジョブズ時代のApple再興の原点に立ち戻ったラインアップを期待しています。

 

 

 

私の毎日は、まさにApple PenciliPad Pro、そしてiMac Proの毎日です。300nitsの眩しいEIZOのHDRモニタも今や日常の風景。初代のiPad Proも現役で毎日活躍しています。ProMotionじゃなくても十分仕事はできます。

 

Apple Pencilのバッテリーの持続時間は、「ちょうど良い」感じで、8時間くらい作業しているとちょうど「バッテリーの残りが5%です」的な警告がiPadに表示されます。つまり、「とりあえず、一旦休みなさいな」と水を差してくれるわけです。まあ、設計で計算したわけではなくたまたまだとは思いますが、絵を描く仕事にはちょうど良いです。

 

その後も作業を続行したければ、数十分充電している間は休憩して、30〜40%までバッテリーを回復させて、あともうちょい描く‥‥という感じで続けられます。切羽詰まっているときは、1分くらい充電すれば30分は描けますから、なんとでもなります。

 

Apple Pencilのバッテリーの残時間は、そのまま作業時の自分の身体の酷使と比例するので、バッテリー切れの警告はおおまかなバロメーターにもなります。シャーペンや鉛筆だと、過労でぶっ倒れるまで仕事できちゃうから、怖いですよネ。

 

Apple Pencilを満充電にする間に、ひと眠りはできます。

 

‥‥ちなみに、私はApple Pencilを複数持っていますが、とっかえひっかえ使うことは避けています。まず、そんなことしたら、体がもたないでしょうし、何よりも「ペアリングの解除と接続」が面倒なので、他のiPad用のApple Pencilは故障でもない限り使い回すことはないです。それに、Apple Pencilは一度も故障したことがないので、困ったことがありません。

 

AdobeがフルバージョンのPhotoshopを、iOSでリリースする‥‥という噂がありましたが、それが実現したら、相当の作業部分をiPad ProとApple Pencilでこなせます。Adobe CCにお金を払い続ける甲斐もあろうというものです。

 

 

 

下世話な話‥‥ですが、Apple PencilとiPad Proでどれだけお金が稼げるのか、あまりにも範囲を広すぎて想像ができません。あれもできる、これもできる、あんなことまでできる‥‥と、絵を描く人間なら、能力と意欲次第で、自分の稼ぎのメインツールにもできましょう。

 

Apple信者だろうが、Windows信者だろうが、どうでも良いです。無意味でくだらんキャプションです。絵を描くことをシンプルに考えて、絵を描く道具をシンプルに選択すれば良いだけです。

 

最近、無印iPad(=Apple Pencil対応)も使っていますが、そちらはガラスフィルムで画面を保護したので、描き味はよくないです。水森亜土さんのガラスお絵かきのような描き心地で、決してコントローラブルとは言えません。入りと抜きがツルツルガラスだと乱れます。

 

やっぱり、サラサラ表面仕上げの「書き味向上フィルム」は必須ですネ。色々なのを試しましたが、ぶっちゃけ、どれでも大丈夫でした。差は感じますが、ツルンツルンになっていないだけで書き味はぐんとよくなります。

 

 

この書き味向上シートは、10枚セットの割安製品も出ていて、近々買っておこうとかと思っています。初代のiPad Proに対応する製品があるうちにストックしておこうと思いまして。

 

‥‥10枚あれば、初代iPad Proの「道具としての寿命」(5年くらい)は十分全うできるように思います。

 

 

そういえば、稀に、Procreateで「カット&ペースト」「コピー&ペースト」のジェスチャーのあとで、Apple Pencilが無反応になるトラブルが発生します。そういう場合は、Procreateの画面から、一旦ホーム画面に戻って、Apple Pencilで何かをタッチして反応させれば戻ります。それでもだめな場合は、Bluetoothのオンオフで治ることもあります。

 

原因は不明ですが、Apple Pencilの故障ではないみたいなので、それだけは安心です。

 

 

 

 


Twentieth Anniversary Macintosh

Xs Maxの18万という値段を見るだに、「Twentieth Anniversary Macintosh」=88万8千円の頃のAppleの悪夢を思い出します。

 

Twentieth Anniversary Macintosh

 

 

この「TAM」。リアルタイムで覚えています。私がちょうど、はじめて自分のお金でコンピュータを買おうと物色していた時期で、MacかWindowsを悩んでいた頃でもあります。

 

TAMは当時としても、CPUはエントリー機種の603eであり基本性能が乏しく(今でいうと、Core i5っぽい感じか)、Boseの高価なサウンドシステムで飾り立てても、少なくとも私はまず値段で、そして性能で、全く惹かれませんでした。コンピュータで色々と絵や映像を作ろうって時に、自宅のマシンとしてTAMを選択するなんて、「高価、低性能」ゆえにあり得ませんでした。

 

TAMは、コンピュータなんてどうでも良い人間が、金持ちのコレクターアイテムとして買うものだと考えていました。

 

伝聞の噂の域を脱し得ませんが、このTAMを贈られたジョブズは、窓から投げ捨てたとも言われます。1997年といえば、ジョブズがAppleに戻る戻らない的な時期であり、「暫定CEO」という呼び名も懐かしい頃でした。「ジョブズはいつまで暫定なんだろうねえ」と2000年の頃に話していた記憶があります。

 

このTAMの1年後=1998年にiMacが登場します。

 

TAMとiMac。‥‥あまりにも対照的ですよネ。「思い切った内容」にも、ここまで差が出るか‥‥と感じさせる、対照的な2製品です。悪趣味な成金風情のTAMからわずか1年でiMacが発売されるのですから、変革期というのは興味深いものです。

 

 

 

私はTAMが20万円そこそこまで投げ売りされていた頃でも買う気にならず、同じ603eでもPM5500を買い、iMacはリビジョンBを1999年の年明けに買いました。

 

年が前後しますが、結局、私が最初に買ったコンピュータは1998年の年明けのPM8600で、格段にメンテがしやすくなった筐体でした。当時私が仕事場で使っていたマシンはPM8500でメンテはかなり面倒で(まあ、慣れれば、慣れるのですが)、8600のメンテナンス性の変化だけ見ても、何か「Appleの内部が変わりはじめている」のを感じていました。明らかにばっさりと方針が変わっているのを、コンピュータの中身を開いただけでも判ったのです。

 

ジョブズがどれだけ絡んでいたかはよくわかりませんが、当時のAppleは1年ごとに、

 

  • PowerMacintosh8500(開けにくい筐体)
  • PowerMacintosh8600(開けやすい筐体)
  • PowerMacintoshMT(開けやすい筐体でG3)
  • PowerMacintoshG3(ブルー&ホワイトの筐体で開けやすさは継承)

 

‥‥という恐ろしいペースで進化の過程を邁進していました。

 

この機種更新を当時の私の作業事情に絡めると、

 

  • PowerMacintosh8500=攻殻PSゲーム作業後に、会社からはじめて私専用に配備されたマシン
  • PowerMacintosh8600=自腹で買った初めてのパソコン
  • PowerMacintoshMT=Blood the Last Vampireの制作開始頃
  • PowerMacintoshG3=Blood the Last Vampireの制作で実際に使用してAfter Effectsでレンダリングしたマシン

 

‥‥と、当時の「デジタルアニメーション」という現在のアニメ業界のスタンダードに繋がる黎明期とともに、Appleの製品が「吹き返し始めた」のを思い出します。この当時に実際に「デジタルアニメーション」を立ち上げた人々が、Apple製品、Mac製品に対する愛着が強いのも頷けます。

 

ちなみに、TAMが登場した頃は、Appleはお葬式ムードで、どの会社がAppleを買収するか‥‥なんていう話がごく普通になされていた時期でした。PM8500はちょうどそんな時期のマシンで、私は他の部屋にある牛柄のGatewayのWindowsマシンも併用してGRMのパイロットフィルムなどにも参加していました。Photoshopはバージョンが4になった頃で、After Effectsは3.1でした。

 

ホントに、あの時期〜1997年のAppleはフワフワユラユラしてましたよネ。

 

ですから、ジョブズがAppleに返り咲いて、Appleがどんどん変わって、どんどん息を吹き返してくるのを、リアルタイムで体験しました。ジョブズはプログラムコードも設計図も書かなかったかも知れませんが(少なくとも1997年の頃は)、確実にジョブズ前と後では、Appleは雲泥の差でした。

 

1998年のAppleと、1997年のAppleでは、「1年でここまで変わるか」と思うほどの変身ぶりでした。

 

 

 

そして、今のApple。18万円のiPhoneがご自慢のApple。

 

TAMとXs Maxを同一視するつもりはないですが、何か、変な感じ、嫌な感じなんですよネ‥‥。Apple製品と20年以上付き合ってきた上での、何か予感めいたニュアンスといいますか。Appleがダメな頃も、復活した頃も、絶頂な頃も、同時体験してきた「勘どころ」と言いますか‥‥。

 

1997年と2018年の今では、社会も、そしてAppleの経営状態も違いますから、同じ物差しで測ろうとも思わないのですが、何か、似たような違和感というか、胸騒ぎみたいなのを感じます。私個人の心配性だけなら良いですが。

 

どうなるのかな。

 

100年続いたコンピュータメーカーはどこにも存在しませんから、なんとも先は読めないですよネ。コンピュータメーカーの歴史は今、リアルタイムです。

 

それに、そもそも今は「アップルコンピュータ」ではなく「アップル」なんだよネ。

 

TAMが発売された時に、「ボーズのスピーカーがついたから何なんだよ」と率直に思いました。Xs Maxも「カメラの性能が上がったからって何なんだろう」と正直に思います。たしかにスマートHDRは魅力だけど、カメラ機能で他社競合と競うあたりで、Appleの強みってなんだったっけ‥‥と思います。ちょうど、PC/AT互換機と販売合戦に巻き込まれたスカリーの時代が思い起こされます。

 

TAMのような過装飾な何かではなく、革新的な何かを期待しております。

 

 

 

しかしなんだな‥‥、皆、Xs Maxをよくまあ、買えるよね。景気、良いの? スマホに18万もぶっこめるほど、多くの人が稼げてるんだとしたら、日本の今の状況って何なんだろうね‥‥。

 

18万円を一度に払えるほどの経済力はないし、新たにローンを増やすほどの余裕もないけれど、携帯の月々の支払いに組み込めば、18万円のスマホも買える。

 

バブル、サブプライムローンのようなトリックが、スマホのような身近な製品に姿を変えて人々を取り込んでいるようにも思える、今日この頃。

 

でも、Apple製品には売れていて欲しいです。Xs Maxもそこそこ売れているようで良かった‥‥。大外ししてAppleの調子が悪くなられても困るもんネ。売れなくなった頃のAppleって、そりゃあもう濡れ手に粟がついた腕で泥縄を引き寄せるような‥‥でしたからネ。

 

 


watchOS 5‥‥

iOS 12とwatchOS 5が公開されたので、早速アップデート。

 

iOSはスムーズにアップデート完了しましたが、問題はwatchOS。

 

 

 

12時間????

 

Apple Watchを充電器から取り外せず?

 

iPhoneの通信圏内に? =Apple WatchからiPhoneを離せない

 

‥‥なるほど、今日はiPhoneは持ち歩けないということなんですネ。

 

私は今日はずっと作業場にこもって仕事だったので良いですが、これ、普通に行動している人はどうすんだろ?

 

ちなみに、アップデートをキャンセル=途中で中止すると、工場出荷時に初期化されるとのことです。

 

 

 

「12時間というのは、予測時間で、実際は‥‥」

 

いやいや、23時現在、ようやくインストールが始まりました。12時間はかからなくても、9〜10時間はかかると思われます。

 

上図と下図の時刻に注目。

 

 

 

 

 

なんだか、この秋のAppleは、変な感じですね。

 

10時間もiPhoneとApple Watchが使えなくなるアップデートなら、事前に「アップデートには半日かかります。その間、Apple WatchとiPhoneは持ち出しができなくなります。アップデートを途中でキャンセルすることもできません。それでも実行しますか?」とか警告しても良さそうなのにネ。

 

それにXs Max。

 

iPhoneとはいえ、スマホごときに18万とか。

 

 

買う? 18万のスマホ。

 

 

壇上でスマホを両手にもって水鉄砲のように撃ち合ってはしゃいだり。

 

あんな基調講演、全然見たくなかったわ。18万のスマホ買ったら、アレ、やる?

 

 

 

できるだけ、今のAppleの姿をポジティブに捉えようと思うけど‥‥。

 

なんか‥‥終わりの始まりにならないと良いけどなあ‥‥。

 

 

 

日本のカメラメーカーやBlackmagicには頑張って欲しいですネ。「iPhoneのカメラ機能がすごい!」って、iPhoneはカメラなのかよ?‥‥って話です。

 

どんなにAppleを肯定しようと思っても、さすがにスマホに18万のコストは割かないわ。いくらなんでも、そこまではなし。

 

そんなんだったら、もっと他のことにお金を使います。例えば、18万円あったら、Adobe CCが3年も使えるからね。‥‥そっちのほうが何百万も稼げるからさ。16万で4Kのポケットシネマカメラを買ったほうが、よっぽど実益に繋がりますしネ。

 

 

 

 


能力オブジェクト

自分の未来は自分で決める、将来は人それぞれ‥‥となると、「どうやって人を育てていけば良いんだ? 人それぞれなんて言い出したら、何も教えられないじゃないか」と考えがちです。ゆえに「役職をキッパリ区切って、その役職の技能を習得する」という思考になります。

 

たしかに、何一つ無し得ない者は、何者にもなれない‥‥とは私も思います。

 

だからといって、人間の素質や可能性を1つに限定するのは極論とも思います。人間は本来多様性を持つと考えるからです。

 

私が考える未来の制作現場は、役職オブジェクトではなく、能力オブジェクトによって構成されます。1人=1役職ではなく、1人=多能力と定義し、制作上のあらゆるジョブ=作業・仕事に、1役職の1人ではなく、1人の中の1つの能力を割り当てるわけです。

 

人材のマッピング(=割り当て)ではなく、能力のマッピングです。それが日本の未来の現場の姿と考えています。

 

1人の人間を、1つの役職に割り当てるなんて、なんという大雑把さ、なんという非効率の垂れ流しなんだろうと思います。国土も人口も少ない日本でやることか?‥‥と思います。

 

高度経済成長期の幻、ベビーブーム時代の幻影をいつまで引き摺り続ければ気が済むんだ?‥‥と思うのです。国土も、そして今や人口も減り続ける日本において、野放図に肥大化を繰り返してきたアニメ業界の構造も、もうそろそろ見直すべき‥‥というか、旧アニメ業界とは別立ての新しいアニメ業界を考えはじめても良いころだと思いますヨ。

 

 

 

あのさあ‥‥ぶっちゃけて書くけど、作画の仕事ひとすじに30年も費やすのは必要なこと?

 

原画の仕事をしながら、たとえばメカデザインや動物デザイン、後進のための技術指南書を書くことだって、可能ですよネ。原画の仕事をしながら、After Effectsでカットアウト・キーフレームアニメーションだって引き受けられますよネ。作画以外にも、例えば仕上げの仕事をしながら、衣装デザインやフェイスメイクデザインだって兼任できますよネ。

 

仕事を一人の人間の一つの役職で区切るから、肥大化もするんじゃないですかネ。1人ですむものを、2人にも3人にも役職で分割するから、どんどん大規模で大所帯で維持も大変になるのだと思いますヨ。

 

10〜100KB単位のデータを格納するのに、セクタを512KBで区切るようなもんだよ。

 

ひとりの人間の多様性と可能性を閉じ込めて封印するような制作構造は変えていくべきと思います。

 

古い頭の人は古いままでやがて引退してくれればそれで結構。ベビーブーム時代の幻想の中で死ぬのも当人次第。

 

それでは済まないと思う人間たちが、新しい頭で新しい制作システムを作り出すべきと思います。

 

「そんなの、管理が大変じゃん」という人もいましょうが、コンピュータを知らないの?‥‥と言いたいです。メールを読んで、ネットを眺めて、ゲームに熱中するだけがコンピュータじゃないからさ‥‥。

 

一人の人間のオブジェクトの中に複数の能力のオブジェクトを定義して、制作システムは能力オブジェクトに対してアクセスして、当人のキャパも計算し、運用の計画を立てるようにすれば良いのです。コンピュータはそういうことにこそ使うべきと思います。ゲームをやるだけじゃなくてさ。

 

 

 

「でもさ‥‥それって、コンピュータに自分の能力が管理されることになるんじゃないか?」と思うのは、ごもっとも。‥‥「他者による個人能力の管理」と受け取るか、「他者による能力のバリエーションの認識」と受け取るかは、色々と受け取り方が変わってくるでしょう。

 

仕事を受発注の際、たとえ今の「役職」単位であっても、「役職としての能力」を管理・把握されていますよネ。

 

仕事を発注するときに、どうやっても、作業者当人の能力は問われますし、他者による作業能力の認識は必要です。管理もされず、把握も認識も拒絶し、「私は謎の人物でいたい」なんてあり得ないのです。謎の人物に仕事は発注できないですもん。

 

 

 

あの人は線画専門だ。線画しか描けない。だから、線画の仕事しか頼めない。

 

それって、本意? 不本意?

 

そんな風に他者から自分を認識され続けて、単価の安い現在の原動画システムの中で、「アニメーター」の狭い枠の中で生き続けたいですか?

 

どっちにしろ他者から認識されるのなら、自分の能力の多様性を認識してもらって、線画以外の仕事もどんどんこなせば良いんじゃないですかネ。未来にアニメを作り続けたいのなら、新しいアニメーション技術の流れにも組みして、旧来の業界の構造問題から離脱するきっかけを作るべきだと思いますヨ。

 

 

 

旧来の業界は何を言っても、コストを何千何万枚で分割する方法から逃れられません。業界のお歴々がどうしても抜けられない思考の限界です。

 

先人が築き上げたシステムを踏襲することだけを考える人々は、新たな未来を切り開くこと自体が、土台、無理なんですヨ。綻びてガタがでてきたシステムをどう繕うか、お金の不満をどうなだめるか、そのことに終始して、「新しい何か切り開く」なんて「傍迷惑」にしか考えない人も、相応に多いです。

 

思考が古いまま凝り固まっているから、新しい何かを実践するなんて「無理」「できるはずがない」と言い続けるのですしネ。「デジタル作画」くらいの「代替技術」思考が、古い世代の限界です。

 

新しいドクトリンに基づく現場には、相応の人材育成のメソッドも生まれます。人それぞれの能力の多様性ありきで、自分の軸足となる工程をまず習得して、そこから応用と発展を重ねていけば良いのです。一生、原画マン人生‥‥だと、作画従事者の誰もが思い詰める必要はないと思いますヨ。

 

 


夢のあとに

アニメーターになるのが夢。そのために、アマチュア時代にいっぱい絵を描いて、アニメ制作会社や下請け作画スタジオに入社して、動画を描いた、原画を描いた、作監も引き受けた。

 

はい。夢、終了。

 

‥‥あれ? 自分って、夢を実現した後は、何をすれば良いんだっけ?

 

大してお金が稼げるわけでもないし、むしろ稼げないし、自分はこの先、何を目標にすれば良いんだろう。

 

 

 

‥‥とまあ、こうした期間が大体10年くらいですよネ。なので、ある程度の自浄能力がある人は、8〜10年くらいでアニメの仕事をやめるか否かで悩み始めます。キャラデザインや作監を決まったペースで引き受けるほどの能力を発揮すれば多少は紛れますが、「自分の未来」を冷静に考えられる人ほど不安になるものです。電卓を弾けば、作画だけで生きていく自分の未来の危うさが簡単に算出できますもんネ。

 

アニメーターの「役職と報酬」の頂点は、総作監とキャラデザインの兼任ですが、それを安定したペースで引き受ける人間はかなり少ないですし、絵には流行り廃りがあって一斉を風靡した人が何十年も安泰でいられるほど、アニメ業界のアニメーター事情は優しくないです。

 

アニメーターは作家性を打ち出しづらい宿命的な性質があります。漫画家、イラストレーター、画家とは根本的に違います。

 

まあ、逆に言えば、アニメーターは発注されたカットの絵を描くがゆえに、作家性の流行り廃りに左右されずに、絵を描き続けることができますが、1カットの報酬は決して十分とはいえず、低収入の危険と恐怖がつきまといます。

 

アニメーターになるのが夢だった。そして実現した。‥‥‥映画やアニメやコミックのストーリーなら、そこでストーリーは終わるのかも知れませんが、現実はその後も延々と続きます。アニメーターになってしまった後はどうするのか?‥‥という現実を叩きつけられます。

 

アニメ業界のアニメーター‥‥に限らず、様々なクリエイティブな役職の仕事は、スタッフ個々のライフプランまで提示して保証してはくれません。「仕事は出すけど、人生まで面倒はみれない」‥‥です。でもまあ、そんなのは、アニメ業界に限ったことではないですが、アニメ業界は動画が1枚200円前後(現在)だったりするので、「仕事は出すけど、人生まで面倒はみれない」感が強烈なのです。

 

アニメ制作工程で、完全出来高を体験した人ほど、「生きる」ことを痛烈に実感せずにはいられません。生まれてこのかた、一度も完全出来高を経験したことがない人にはわからぬ、「自分の存在のリアルな値段」をひしひしと実感するのです。

 

そんな鬱々とした状態を10年も続ければ、自分の存在の行き先を考えずにはいられないでしょう。10年でひとまず自分の未来を考え直すのは当然です。しかも今は大学卒が昔の高卒と同じ感覚ですから、キャリアのスタートは22歳からでやや遅いので、30歳前まで8年しか猶予がありません。

 

どんなに社会の気風や基準が変わろうと、年齢における吸収力はそんなに変わるものではないでしょうから、歳を食えば食うほど、柔軟性と吸収力は落ちていきます。会社や仕事の発注元は、当人の吸収力や成長を考慮して仕事をいれてくれるわけではないです。自分の成長は自分でプロデュースする他ないです。

 

 

 

導き出せる結論は自ずと、

 

自分の人生は他人に預けられない。自分の運命は自分で決める。

 

‥‥ということになりましょう。そうした心情を根底にハッキリクッキリと焼き付けておかないと、絵を描いて生きていくことは、どんなジャンルでも難しいでしょう。

 

結局、自分は何がやりたいのか

 

自分は何を成そうとしているのか

 

10代までは「プロのアニメーターになりたい」が「何を成そうとしているのか」の中身でも構いませんが、プロになった暁のあとは、もっと深く掘り下げる必要があります。「プロのアニメーターになりたいと思ったのは、何故だったのか」‥‥です。

 

もっと言えば、

 

なぜ、アニメに惹かれたのか

 

なぜ、アニメなのか

 

‥‥まで考える必要があります。「夢」とか「憧れ」とか、耳障りの良い言葉で自分を酔わすのではなく、夢や憧れを自分の現実の高さまで引きずりおろして直視して、それは何だったのかを考えねば、先には進めない時期がいずれはきましょう。

 

「でもさ、そんなことをせずとも、アニメーターを続けている人もいるんじゃない?」‥‥と思う人もいましょう。たしかにそうですよネ。つまり、自分の夢や憧れの正体を解明せずに、その時点で停止したまま生きて続けている人もそれなりに多いのでしょう。そして40〜60代まで到達してようやく「夢」から目覚めはじめて青ざめる‥‥なんてことがあるのかも知れません。怖い話‥‥なんですが。

 

ですから、できれば20代前半に夢なんてとっとと覚めちゃった方が良いと、少なくとも私は思います。

 

アニメを辞めて他の業種に転向するのもよし。アニメを作り続けるために、明確で実効的な方法を実践するもよし。

 

 

 

一番危ういな‥‥と思うのは、「なんとなくこの役職を続けていれば、生きていけるだろう」的な感覚ですかネ。今度は違う夢をみはじめちゃったよ‥‥という感じです。例えば「アニメの撮影監督」で死ぬまで生きていけると思うのか、ちょっと考えれば危ういことだとわかりますから、次のフェイズを自分で準備する必要があるでしょう。

 

親方日の丸の国家公務じゃあるまいし、アニメ業界の役職にどれだけの未来の身の保証があるというのか。

 

思うに、アニメ業界は、10年で辞めていく人間のサイクルも込みで、運用の目処を暗黙のうちに計算しているのでしょう。旧来のアニメ制作は何千何万と絵を描いて塗るので、どんなに綺麗事を並べても、使い捨ての人手を欲しているのだと思います。私も、自分はボロ雑巾だとやさぐれたフリーアニメーター20代の頃を思い出します。

 

業界がそんな薄情なものだとは思わなかった‥‥だなんて、あまりにも悲しい独りよがりの思い込みです。業界をなぜ信用したのか、当人の甘さもマズいのです。業界はそもそも薄情なものだと、デフォルトに設定するのが良いと思いますヨ。

 

 

 

「夢のあと」が大切だと思います。

 

夢とともに去るのか。

 

夢のあとに、新たなきっかけを掴んで、何かを成そうと思うのか。

 

実は、「何をすべきか」を見出すのも才能の1つだったりします。ですから、「未来に、自分は何をすべきか、教えてくれ」なんて他人に聞くのは、「絵の才能を与えてくれ」と言うくらい無茶なことなのです。人から言葉をもらって才能が得られるのなら、そんな楽なことはないですし、世の中は天才で溢れかえるでしょうしネ。

 

人それぞれ‥‥ですネ。自分はこの先、何をすべきか‥‥は、自分で決めるしかないです。

 

 


村を出て世界へ出る

私はアニメーターとして最初の10数年を過ごし、その次はコンポジット〜いわゆる「アニメの撮影」としてまた10数年を過ごし、その次はアニメや実写の枠を超えてさらに10年過ごしてきました。‥‥で、今はまたアニメの作画を中心にしていますが、旧来ではなく新しい技術に基づく作画で日々を過ごしています。

 

自分自身のこうした経緯は、「視点が凝り固まらない」という点で、有利だと感じています。いわゆる「作画村」「撮影村」「アニメ村」に束縛されず、異なる視点でものごとを思考したり判断することができるようになったからです。作画だけに従事していた昔の自分の思考の狭さを、つくづく思い出します。

 

特に、作画と撮影に従事したのは、アニメ作りの中で大きな収穫でした。1カットごとの、絵が生まれる一番最初と、絵を作り上げる一番最後を、作業上でまさにリアル〜現実の日々として作業して生きてきたからです。

 

どんなにグローバルな視点を心がけても、村から一歩も外に出たことがなければ、村全体の景観、村を包み込む世界全体の様子は、肉眼で見ることはできないでしょう。村を一歩も出ない人にとって、外部の全ては伝聞で人聞きの情報であり、実際に自分が体験できるのは、村の中での出来事だけです。

 

とても危ういことだと思います。視野、視界、視座が狭く低すぎます。

 

例えば、「紙はどんな部分が有利だと思うか」の問いに対して、

 

 

とある村の村人「紙と鉛筆は、使いこなす技量が高ければ、素晴らしい絵を描く事ができる」

 

とある村の村人「紙と鉛筆による今までの制作技術を踏襲する事で、既知の生産速度・生産量で作れる」

 

とある村の村人「運用コストを低く抑えられる」

 

とある村の村人「現物がそこにある‥‥という安心感」

 

 

‥‥のような様々な答えが返ってくるでしょう。村人それぞれがどの村出身かは、答えた内容を読めば、だいたい見当はつきますネ。

 

では次に、最初の村人が語った「紙と鉛筆は、使いこなす技量が高ければ、素晴らしい絵を描く事ができる」ということに対して、実際のアニメ作品の完成物において、どれだけその素晴らしさが反映されているかを聞き直すと、

 

 

とある村の村人「頑張って作業したのだから、ちゃんと反映されているはず」

 

とある村の村人「二値化しているから、紙と鉛筆である品質の差というよりは、紙の現場の速度のほうが大事」

 

とある村の村人「素晴らしい絵はペンタブでも描けるけど、紙ならではの低コストは確実に貢献している」

 

とある村の村人「確実なデータさえ揃っていれば、オリジナルが紙でもペンタブでも大差ない」

 

 

‥‥と、「村ならではの立場」が一層明確になるでしょう。

 

これを聞いて、作画村の人間は、外部の村人が以下のように思っていることに少なからずショックを受けるかも知れません。

 

 

紙の素晴らしさより速度のほうが大事なんだ

 

紙の素晴らしさより環境コストのほうが大事なんだ

 

紙の素晴らしさよりも画像データのほうが大事なんだ

 

 

しかし、これは一歩外に出て、世界を歩いてみれば、やがて察してわかることでもあります。自分の打ち込んでいる物事に対して、周りがどれだけ冷めて見ているか、世の残酷さを、村から出ることで叩きつけられ打ちのめされるのです。

 

打ちのめされて立ち上がれなくなるような場面から、次の「自分」がスタートします。村から外にでることで、かつて住んでいた村の様々な問題点も見えてきます。他の村の価値観や方法論も吸収します。

 

そして「村の特産物」の何が有効で、何が無効なのかを、改めて冷静に判断できるようになるでしょう。守り抜く点、改善して変えていくべき点など、村から外に出なかった当時は見えなかった事が、面白いほどに見通せるようになります。

 

 

 

まあ、村から一歩も出たくない人を、無理に引き摺り出す必要はないでしょう。

 

村に通じる道を閉鎖して「新しいこと、お断り。昔のままでいきます」と立て看板を立てるのも、村人全員がそう思うのなら、無理にブルドーザーで看板をなぎ倒す必要もないです。

 

 

ふるさとは遠きにありて思ふもの

 

そして悲しくうたふもの

 

よしや

 

うらぶれて異土の乞食となるとても

 

帰るところにあるまじや

 

 

村を出て、新しい世界を渡り歩いたのちに、もう村には戻れなくなっていたとしても、それはそれで受け入れるべきことです。だって、もう昔の感覚や価値観で済まない自分が、いまここにいるのですから、自分で自分を閉じ込める必要はないですよネ。

 

村から一歩も出ず、村の価値観だけで生きて行こうとする人に、どんな言葉をかけられるでしょうか。

 

村を出るのも自由だし、留まって最後まで生きるのも自由。

 

 

 

それに作画の村は1つではないです。作画を含めた全体の視野でアニメを作る、新しい村だって作れるんじゃないですかネ。「作画」そのものは、古き村だけが占有する特産物じゃないですからネ。

 

最近リバイバル上映した「999」のゴダイゴの主題歌でも「古い夢は置いていくがいい。再び始まるドラマのために。」ともありましたよネ。

 

 



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