高画質

1992年東京のハイビジョン映像がYouTubeで観れます。

 

 

映像が鮮明なのは、純粋に良きことです。不鮮明よりは鮮明なほうが、色眼鏡を挟むことなく、当時の雰囲気を思い出せます。

 

働くお兄さんやおじさんは、2019年現在と見分けがつかないことも多いですが、女性のファッション(メイクも含め)で1990年前後だと言うのが判りますネ。ほとんどの女性の髪の色が黒髪なのも、この時代までの大きな特徴だ‥‥というコメントをどこかで読んで、なるほどと思いました。

 

私が、絵であっても、東洋人のキャラは黒髪が好き‥‥というのは、この時代を0〜20代と生きた強い影響かも知れないな‥‥と改めて認識したり。

 

 

映像には、時代ごとの技術に起因する「何か、勿体振った」雰囲気があって、「あたかも当時の情景が、その当時の映像記録技術の品質上のディテールであったかように、皆が錯覚」しがちです。映像技術自体は故意に色付けしているわけではないんですけどネ。

 

第二次世界大戦における太平洋戦域の戦争映像も、もしハイビジョンで残されていたら、「昔の出来事」ではなく、まるで昨日の出来事にように鮮明でリアルに再生されるでしょう。

 

もし安土桃山時代にハイビジョンカメラや4K60p撮影のiPhoneがあったら、信長も秀吉も家康も、同じように淡々と高画質で映像記録されていたんだと思います。リアルに生きていたひとりの人間として、アレキサンダー大王も卑弥呼も仏陀も、間近で見るかのごとく、ハイビジョンや4K映像で体験できたでしょうネ。

 

まあ、映像機器が発明される時代以前はともかく、現代においては、かつてその世界に生きていた人物や出来事が現実だった‥‥ということをできるだけ「現実味」をもって未来にも体感するには、やはり映像のクオリティは高ければ高いほど有効でしょう。

 

 

ではアニメはどうか?‥‥と考えると、あまりにもシンプルですが、「作風によりけり」ですね。

 

アニメは現実の映像ではないので、作風次第で如何様にでもコントロールできましょう。

 

ただ、前にもブログに書いたように、あまりにも低解像度(例えばプレステ1のムービーは320x240 15fps)なのは、後々に鑑賞が辛くなるので、2020年代は最低でも2Kドットバドットで作るのが標準になるとは思います。

 

私は絵を描くがゆえに、線画に深く関わるので、4Kの生々しい描線は私の考える表現に適しています。今後、4KHDRテレビがもっと普及して、作画の作業環境も4Kプレビューが当たり前になれば、線画と解像度の密接な相互関係をリアルに意識できるようになります。

 

まあ、絵の作風・画風の幅は、極めて幅広いので、よほどエッジがぼやけて古さが目立つようでなければ、2K以上で適宜品質を決定すれば良いと思います。

 

 

 

30pとはいえ、1992年のハイビジョン映像が残っているのは、何か嬉しい気がします。D1(DVD)サイズの映像は、やっぱり不鮮明で薄皮をかぶせたような映像ですもんネ。

 

現在、iPhoneの4K60pで我が子を撮っている親御さんが、子供が成人して仕事について家庭を築いた後に、鮮明な4K60pで幼い当時の映像を見た時、どんなキモチになるんでしょうネ。

 

私が幼少の頃にも、願わくばハイビジョンがあれば‥‥と思うこともありますが、まあ、それはいいっこなしです。昔は昔で、良い部分も沢山ありましたし。

 

 


miniを送った

‥‥との通知がAppleストアから来たので、色々と準備を始めました。‥‥と言っても、保護フィルムとケースをアマゾンで買っただけですけどネ。

 

iPad mini 5。予定より早めの到着でちょっと嬉しい。

 

半日遅れて、Apple Care+の登録の通知もきました。自動登録なので楽ですネ。

 

 

 

保護フィルムは色々と悩んではいたのですが、結局、書き味向上フィルムにしました。

 

書き味向上フィルムは、書き味は良くなるものの、ジェスチャの反応が悪くなったり、Apple PencilのTIPの消耗がはやくなったりと、色々弊害があるので、「これで本気で絵を描くわけじゃなし」と、直前までツルツルのフィルムかガラスにしようと思っていました。

 

でも、ペンでツルツルの画面を滑らせる「あの感触」がどうもイヤで、ペン先の軌道もズレやすいので(滑りますからネ)、いつもの書き味向上フィルム系にしてしまいました。

 

 

製品の表記には、ガラスフィルムと書いてあるので、商品が届いてみてから内容を確かめようと思います。フィルムじゃなくてガラスフィルム? 書き味向上で? ‥‥まあ、どんなだか、来てみてのお楽しみです。

 

ケースは、ペンのホルダ(リング)がついた手帳型が欲しかったのですが、さすがにmini 5向けの製品のバリエーションは少なく、色も好きなのがなかったので、傷防止の透明薄型のソフトケースにしました。

 

Apple Pencilのホルダはないので、カバンにステッドラーのアバンギャルドと一緒のところにペンは入れておこうと思います。

 

 

こういうシンプルなケースって、実は使い勝手は意外に良いのです。本体のコンパクトさを一番継承できますし、カードキー1枚くらいなら、ケースと本体の間に挟めますし。

*私のiPhoneもカードを1枚に絞れれば、こうした透明ケースにしたかったんですけど、3枚あるのであきらめました。

 

ケースは半年くらいして種類が色々揃ってきたら、また物色してみようと思います。

 

PUレザー(合皮)は痛むのがはやいので、できれば帆布のような丈夫な布が良いんですけどネ。


 

 

考えてみれば、iPad mini 5

 

実際に作画の作業で毎日使っているApple Pencilをそのまま使えて、かつ小型薄型で、まるでミニスケッチブックやメモ帳のように使える、タブレットPCなんですよネ。

 

サイズこそ小さいですが、作画で使っているiPad Pro(第2世代相当)と同等の性能を持つので、描く動作自体に妥協する必要もないです。

 

それって結構、スゴいことかも。

 

書き味に妥協しないレベルの、クラウドとも難なく連携できる、現代のメモ帳が出現した‥‥と言っても言い過ぎではないです。クラウドでMac/PCとの作業連携はもちろん、作画の本番作業のiPad ProにAir Dropで簡単に転送もできますしネ。

 

事前にPDFをもらって、打ち合わせ前にiPad miniに読み込んでおけば、Apple PencilでPDFにメモを書き込んで普通に打ち合わせ可能でしょうしネ。ピンチインすれば、画面が小さくても読み書きできますし、打ち合わせのニーズには十分応えられそうです。

 

*私が買ったのは、256GBモデルです。

 


言葉のデジタル

経験をもとでに‥‥というのは、業界外部だけでなく、内部にも言えることです。

 

「デジタル」

 

コンピュータを作画や彩色の業務に使うだけでなく、プログラムやネットワーク関連まで実践して経験を積むと、「デジタル」を「デジタル=コンピュータやネットワーク関連の総称」というニュアンスでは使わなくなってきます。なぜかと言うと、不適切で曖昧で要領を得ずカッコ悪いからです。

 

デジタルソフト

デジタル教育

デジタル産業

 

最近目にした、不思議な「デジタルほにゃらら」です。

 

デジタルソフトって、何なんだろう‥‥。デジタル教育とはどんな教育の中身なのかな‥‥。デジタル産業って、なんとなく言わんとしているニュアンスはわかるけど、曖昧過ぎて意味にブレ幅が多過ぎます。

 

門外漢の人々の見当違いの発言を、業界内部の人々が指摘するなら、自分たちの「デジタル」の言葉の使い方にも、もうちょっと慎重かつデリケートになるべきだと思うんですよネ。

 

 

「デジタル教育」。‥‥バイナリーディジットの話から始めて、画像のデータ構造や、TCP/IPの仕組みなど、デジタルのデータがどのように扱われるかを学ぶ場ではなさそう‥‥ですよネ。おそらく、昨今のアニメ制作現場のコンピュータの使いかた・使われ方を、TIPSレベルで解説する内容ではないかと推測します。

 

TIPSだとしても、新人にShellの使い方を指南し‥‥なんてことだったら頼もしいですけど、そうではあるまい。

 

「デジタルソフト」も謎の多い言葉です。「デジタル」に「ソフト」をくっつけて、え〜と‥‥この場合の「デジタル」と「ソフト(ウェア)」は何を指して意味しているのかな‥‥。正直、意図がよくわかりません。

 

「ソフトウェア」という言葉で十分事足りると思いますが、なぜ「デジタルソフト」という言葉を捻り出したのか、業界の「デジタル」の言葉の使い方を象徴しています。

 

 

いや‥‥もちろん、「デジタル」と言う言葉をそんなに厳密に取り扱って喋っているのではないのは、わかっているのですよ。なかば、「スラング」ですよネ。

 

であるなら、スラングはスラングとして認識して、正式な場面で連呼したり記述するのは避けないとあかんですよネ。日々の軽い会話とは分けて扱うのが良いと思います。

 

うちの坊主がさぁ‥‥最近生意気になってきてさぁ‥‥

 

とか会話している時、聞いている人は

 

え? ご自宅ってお寺さんでしたっけ?

 

とか、

 

早くも息子さんは7歳の若さでご出家されたのですか?

 

‥‥とか思わないですよネ。坊主といえば、おそらく幼い男の子のお子さんを指すのは、誰でもわかること。

 

でも、そのスラングのまま、例えばニュースで

 

昨日16時ごろ、7歳の坊主が行方不明になりましたが、無事保護されました

 

なんて言わないじゃん。ギャグですよネ。マルコメ味噌や一休さんのような、本当に小さな坊主姿の男の子だったら、笑いますけど。

 

 

 

業界団体や会社組織が、デジタルデジタルと安易に連呼してたら、そりゃあ皆も、デジタルという言葉を安易に使い始めますよネ。

 

私も以前は「デジタル」という言葉を安易に使っていた時期がありますが、最近は真の意味で「デジタル」という言葉が適している場合のみ使うように心がけています。コンピュータ=デジタルなんていう使い方はしません。

 

「デジタル」と言う言葉には罪はありません。使う人間がルーズなだけです。

 

日常の中でつい口をついて出てくる「デジタル」まで刈り取ろうということではなく、人目に晒されて議論の対象になるような場面では、慎重に「デジタル」は扱ったほうが良いと思います。

 

 

このくらい、愛称としてくだけた「デジ」の使い方なら、可愛いんですけどネ。ちなみにこのロートの「デジアイ」は前から愛用しています。限りなく「ハツネ嬢」を想起させるデザインが何とも。‥‥とはいえ、「DX7のグリーン」だけでは商標登録は難しいでしょうしネ。

 


体験をもとでに

今は、ネットを検索すれば色々な情報を得られるので、ともすれば、疑似体験とばかりに、ネットで見聞きしただけで体験したと錯覚する場合もありましょう。ツイッターの文言を見ていると、匿名がほとんどということもあり、「本当に経験した上で言ってるのかな?」と怪しい論調も散見されます。

 

経験していない部分を仮定や推測で埋めて、さらにその上に論調を重ねて、同じく隙間には推測で埋めて‥‥なんて繰り返していると、巨大な耐震偽装建築が出来上がります。そして、ほんの一蹴り二蹴りで倒壊します。

 

知らない部分は、知る機会に出会えるまで、放っておけば良いのにネ。構造物のない空っぽの上に、さらに積み上げようとするから無理が出るのでしょう。

 

ちなみに私は、

 

初めて貰った動画作業料金が、月に50円玉1つ。(月末に研修で一枚だけ本番動画だったので)

拘束で詰めていた会社が倒産

同じ部屋で作業していた演出さんの急死

内容に拘るあまり数が上げられなくなって稼げなくなって、ライフライン全部停止

ゆえに心が闇落ちした時代

フリーランスのアニメーター

会社に所属して会社員

完全出来高(フリーランス)

月極めの拘束料金(フリーランス)

月給(会社所属)

作画とビジュアルエフェクトや撮影の作業を兼任

作画監督の経験

撮影監督の経験

実写映画にコンポジットで参加

実写映画のスチルカメラマンとして参加

Windowsがメインマシンだった時期

MacOS9の終焉を経験

プログラムを覚えて、自作のソフトを作業に用いる

Mac/Winを50台近く所有(中古がほとんど)していた時期(=やり過ぎ)

バイクを5台所有(中古車がほとんど)していた時期(=やり過ぎ)

雨上がりの夜中にバイクで100km/hで転倒、アスファルトから火花が出るのを確認

オフ車で土手をヒルダウンしていた時にいきなり大きなゴツ石を敷き詰めたエリアに突入し転倒&全身打撲

バイクの転倒が原因で今でも左肩の古傷がシクシク痛む

初めて買った自動車を大破

最愛の猫との死別

etc, etc....

 

‥‥まだ色々あったように思うけど、いっぱいあり過ぎて直ぐには思い出せません。

 

‥‥というような体験をもとに、このブログは書かれております。アニメーターとコンポジターの経験、フリーランスと会社員の経験、アニメと実写の経験、スタッフや会社の死‥‥など、全て実体験に基づくもので、定位置しか知らずに想像で書いているわけではないです。

 

なので、美術さんや色彩さんや制作さんのことは関わった部分でしか書けませんし、国家公務員の人々のことも(父母がそうでした)実感が全くありませんので書けません。

 

わからない部分を想像で埋めて、わかったことにするのは、まあ、軽率ですよネ。すぐにボロが出るし。

 

完全出来高でフリーランスの経験のない人間が、さも何もかもわかったようにフリーランスのことを語るのはイラっとくる一方で、会社組織に属したことのない人間が、さも「楽してんだろう」みたいに知ったように語るのもイラっときます。知らないんだったら、知らないなりに、一歩引いて語れば良いのにネ。

 

経験しなければ一切喋っちゃいけないなんてことはないと思います。ただ、「これは推測や仮定ですが」というキャプションは必要でしょうね。

 

 

 

アニメの現場を改善したい‥‥というような志を、現場外部の方が抱いてくれるのは嬉しくもありますが、一方で現場の内情を肌身で判るには相当時間がかかるだろうとは思います。

 

アニメ制作現場はさ。‥‥工場とは全く違う性質を持つので、「労働者」という言葉のイメージとは一致しにくい側面を持ちます。

 

Cut 1を100カット、Cut 2を50カット、Cut 3を200カット、それぞれ受注して生産!!

 

‥‥なんて、ありえないじゃないですか。そんなアホな、ですよネ。

 

丸兼用でもない限り、1カットごと全部違う内容をゼロから作って最後まで仕上げるのが、アニメ制作各工程のスタッフの仕事です。全然、工場型じゃないです。

 

「カット156、2つ追加入りました〜!」

 

「あいよ、お後、156、2カット!」

 

‥‥みたいな飲食店のメニューとも違いますわな。

 

 

 

アニメ雑誌の古くからの影響だか、発祥はわかりませんが、「アニメーター」をアニメ制作のスターのように扱う傾向も今でもありますよネ。「アニメーター信仰」ともいうべきか。

 

こうした傾向、原画や作監をクリエイター扱いする一方で、動画や彩色を軽んじる風潮は、現場を知らないファン層には相応にあるのかもしれません。まあ、素人さんゆえに、現場を知っているわけがないので、しょうがないといえばしょうがない。

 

私は現在、自分の描いた線画がそのまま彩色されて動いてコンポジットされる仕組みの、新しい技術でアニメを作る毎日ですが、ゆえに、自分の線の隅々まで色彩設計さんに委ねています。つまり、線画の至らない部分〜変な言い方ですが、「線画の恥ずかしい部分」まで見透かしてもらった上で、色彩を委ねているわけです。

 

作業中の作品では、ものすごく複雑なデザインのメカというかキャラというかモンスターが出てきますが、それはもう色彩設計さん(彩色も兼任)のクリエイティブ能力だけが頼みです。私はあまりの線の多さ・複雑さに描いてて目が虚ろになるばかりで(自分でデザインしたので文句は言えない)、色彩設計さんの色彩感覚にすがって甘えてばかりです。

 

AIがらみの記事で「ペイントはクリエイティブではない」的な論調も以前見かけましたが、何を言うのか‥‥。実際にやったことのない人間が、クリエイティブか否かを判断するという、ここでもまた「想像に想像を重ねる」愚行が再演されます。

 

頼りになる色彩設計さん・彩色スタッフがどれだけ貴重か、現場を知らない人にはイメージできないのです。頼りになり過ぎて、甘え過ぎる傾向すらあると言うのにネ‥‥。実際の線画と状況を前にして、頭の回転の速さや臨機応変の対応能力は、まさにクリエイティブそのものでしょ。修羅場の場数ゆえに、度胸も座っていますしネ。

 

AIは確かに期待大です。しかしその期待とは、作業者の心強いアシストとなる期待です。例えば、AIにまずやらせて、うまくいってない部分やデリケートな部分を人間が修正するような、人と忠犬みたいな関係は大いにアリでしょう。

 

作業の実際を知らないで、想像だけでAIだ自動中割りだと宣っても、空回りするだけです。

 

 

 

経験を大いに活用すべきで、未経験の部分は謙虚さが必要です。

 

冒頭にも書いたように、ネットでの検索文書や画像映像が、いつしか疑似体験となってすり替わり、未経験の部分をあたかも経験して知っているかのように錯覚するのは危険ですよネ。

 

私は4Kに関して、2014年くらいから取り組み始めたので、線の詳細感や作業のポイントをそれなりに知っています。しかし、HDRに関しては、去年から「体験ラッシュ」で、知らなかったことをどんどん知り得て更新する毎日です。

 

PQ1000なんて、今までのsRGB/Rec.709のアニメの経験しかなければ、頭で理屈を理解できたとしても、実践するのとは大違いです。暗部と明部のコントロールは超難しいですヨ。例えば、光のフレアの扱いは、今までの定番技法は一旦忘れて、ゼロから考えすのを余儀なくされます。色も暴れるしね‥‥。

 

ですから、4K時代のアニメも、まずは自分らで4KHDRで作ってみないと何も感触は得られないし、ゆえに中身のある議論も難しいです。未経験者が集って想像だけで話すことの無意味さは、お判りでしょう。

 

思うに、実際に現場での作業に関わってきた人は、4Kにも慎重な物言いになります。過去の現場体験が、未知の体験にも活かされ、さも知っているようには振る舞わない「免疫」が出来ているからです。

 

一方で、実際に現場での経験がない人が、なぜかフィルム時代を引き合いに出したり、何一つ描いてもいないのに想像だけで「4Kなんて無理だ」とか言っちゃうんですよネ。評論家ぶっても、知識に限界はありましょう。

 

 

 

厳しい体験は、買ってでもしろ!‥‥なんて言いますが、買うまでしなくても良いですけど、まあ、後に活きるのは確かです。

 

知らないことは恥ずべきではなく、むしろ伸びしろとして捉えるべきです。

 

知らないことを知っているように振舞っては、学びの機会を逸し続けることにもなりましょう。

 

「え、うそ! そんなの知らなかったよ! こうやればできるのか」でいいじゃんか。実体験をもとでにして、先に進みましょう。

 

 

 

 


揃えてケミカル

5-56。家庭で定番の潤滑剤です。

 

 

万能潤滑スプレー‥‥と言われますが、何にでも適しているわけではなく、むしろマイナスな要因となることもあるので、性能を理解して使用することが求められます。

 

例えば、グリースオイルやチェーンルブを挿すべき箇所に、5-56を挿すのは超NG。私の父はメカ音痴なので、5-56だけを自転車のチェーン周りに挿して放置し、後日に異様にペダルが重くなった‥‥なんていうことも身近にありました。

 

5-56の高い浸透性が、チェーンのグリスまで洗い流してしまい、その後にグリスを補充することなく放置したので、ギギガギグギギと駆動部分がかえってギクシャクしてしまったのです。まあたしかに、缶の写真には自転車のチェーンが写っているので、メカに疎い人は間違える可能性もありますネ。

 

父にバイク用のチェーンルブ(ヤマハの)を「これを挿して」と渡したら、自転車を乗った後で「ものすごく走りやすくなった。とてもペダルが軽くなった」と喜んでいて、どれだけ重いペダルのまま今まで走っていたのか、そっちのほうに感心するくらいでした。

 

これに限らず、

 

ケミカルは揃えてなんぼ

 

です。

 

プラ製品に5-56はNGですし、高回転の駆動部分にサラサラタイプのシリコンスプレーもNG、ねっとりタイプのグリースを衣服が触れそうな部分に挿しても服が汚れてNG。

 

とりあえず、

 

浸透力の高い5-56系

樹脂を傷めないシリコン系

ねっとり吸着するグリース・オイル系

接点復活系

 

‥‥の4種を揃えておけば、日常の家屋の範囲ならば、色々な場面に「どれかは」使えるはずです。音響機器や車両の整備など専門的な目的でなければ、4種で困ることは滅多にないはずです。

 

クレの5−56は、ファミリーがありまして、以下のような数字違いがいくつか存在します。

 

 

接点復活材としての2-26。防錆の3-36。悪魔の番号じゃなくて水回りの防錆と潤滑の6-66‥‥。と、用途に応じて、数列ファミリーが存在します。

 

でもまあ、これらを揃える必要は特になく、5-56に加えて、以下の3点があれば、日々の備えとしては十分だと思います。

 

 

 

これらはあくまで、日常の一般的な場面で使うチョイスです。パーツや基盤を洗浄したいとか、フェーダーやポットの接触を復活させたいとか、デカいバイクのシールチェーンの潤滑とか、専門的な分野には、相応の専用ケミカルが適合します。

 

汎用的な用途には、5-56をはじめとした4つのケミカルで日常のちょっとしたストレスを改善できます。例えば、机や押入れタンスの異様に重い引き出しとか、ドアノブの回転とか、シリコンスプレーの使い道は特に豊富です。合皮や樹脂の保護・ツヤ出しにも使えるのは、重宝します。

 

 

 

 

一日中回転し続けるサーキュレータとか、埃まみれのUSB充電口などに、適切なケミカルでグリスアップしたり洗浄することで、製品の寿命がグンと長持ちします。

 

ちなみに、私は2-26から6−66まで全て揃えています。‥‥そうです、単に全部揃えてみたかっただけのことで、6-66とかはほとんど使わないです。

 

まあ、ケミカルマニアは別としても、4種のケミカルを日々揃えておけば、「故障しかけて動作がおかしくなったら有無を言わさず使い捨て」にせずに済みます。

 

私はもう20年以上もコンピュータをはじめとした「メカ」で仕事をしていますし、バイクも20代の頃はアホのように熱中したので、「メカ」を他人事には思えないのです。故障するのは、必ず理由がありますから、オカルトのような話ではありません。

 

日頃からケミカルでメンテして面倒みれば、メカは良好な性能を発揮し続けてくれます。

 

使いたいだけ使って後は何も面倒をみない‥‥なんて、ヘソを曲げてもしょうがないですよネ。ああ、まるで業界のソレ‥‥みたいじゃないですか。

 

日頃のメンテなど一切しないような「ブラックメンテ」せずに、自分の分身のように愛でれば、メカは応えてくれますヨ。

 

 

 

 


やる、やらない

プログラムを身近な存在にするには、まずはスクリプトを常用して、日々の作業の補助に役立てるのが良いです。

 

After EffectsやPhotoshopなら、ESTK。

 

システム関連ならShellスクリプト。

 

macOS特有ならAppleScript。

 

これだけでも、相当便利になります。Windowsの場合は、何がShellやAppleScriptの代わりになるかは、私はよくわかりませんので調べてみてください。

 

ある程度慣れてきたら、いよいよGUI付きの「ソフトウェア」っぽいものにチャレンジします。macOSだとXcodeという開発環境が無償で提供されており、macOSだけでなく今はむしろiOSの開発環境として活用されています。

 

さすがに、ソフトウェアともなると色々と大変になってきて、起動と終了の動作(初期設定の読み書き)から始まって、ウィンドウを作ってその中にリストボックスやボタンやプログレスバーやプルダウンメニューなどを配置し、それらパーツの動作に関するプログラムを個別に書いて、時にはマウスのイベント(マウスが上に来た、マウスが動いた、マウスのボタンがクリックされた‥‥とか)に対してもプログラムを書き、さらにはApplication Supportの中に自作のライブラリを追加したり、管理者権限を求めたり‥‥と、一気にやることが肥大化します。

 

なので、まずは欲張らずに、日々の作業を地道に軽減してくれるスクリプトから作って、いつでも使えるようにしておきます。デスクトップのメニューから呼び出せるようにしたり、ドックに収納するのも手軽です。

 

*Finderのスクリプトメニューから呼び出す方法

*このブログに画像を掲載する時に活躍するのが、何らかの画像ファイル形式をJPEGに変換するスクリプトです。Photoshopのバッチとかだと大袈裟過ぎますもんネ。

 

 

いまどき、AppleScriptを覚え出すのはナンだなあ‥‥とも思うので、AppleScriptは「窓口」にして、Adobeスクリプト(JavaScriptの独自拡張)やShellスクリプトを実行するのが良いかも知れませんネ。「do script」を使って、AppleScriptは単に窓口に徹して、左から右へと受け渡します。

 

「電力関連を求める」「dpiを求める」ようなスクリプトも上の図にはあります。AdobeスクリプトもShellも必要ない、単純な数式の計算も、スクリプトを作っておくと便利です。

 

ワットとボルトとアンペアの関係なんて、私ら映像制作の人間は覚えてもすぐに記憶が曖昧になりますから、スクリプトを作っておけばいつでも値を確認できます。対話式の簡素なウィンドウで事足りるので、インターフェイスビルダーの助けも不要です。

 

 

 

単純な数値計算といえば。

 

dpiの計算は、スキャンが絡む現場には必須です。ペーパーレスだとピクセル寸法だけでも事足りますが、まだまだ「スキャン解像度」の必要性は高いです。

 

dpiの計算は単純な内容ですが、「インチって何ミリだったっけか」「寸法あたりのピクセル数を求めつつ、インチとミリの変換も混ぜ‥‥」となると、よほど日々頻繁に計算する立場でもない限り、曖昧になりがちです。ゆえに、スクリプトで作っておきます。

 

 

1つ1つのスクリプトは他愛ない内容でも、作って貯めておけば、便利でしょ?

 

こうしたスクリプトをいくつも作る過程で、どんどんプログラムに対する「別の世界のものごと」感が薄れ、日々の作業の単なる1要素まで身近になってきます。

 

それこそ、5000円を三人で割り勘すると、

 

alert(5000/3);

 

‥‥なんていうところからスタートしても良いわけです。

 

今、目の前にあるのは、「プログラムをやる」と「やらない」のシンプルな2択だけ、です。

 

 


プログラム教育の小学校義務化

‥‥というのを、今日初めて知りました。へー。

 

私は常日頃から、このブログでも、「これだけコンピュータに囲まれて、コンピュータまみれなら、プログラムは絶対に覚えた方が良い」と書いてきましたが、小学校での学習が義務化されるとは正直驚きです。

 

何を教えるんだろか? ‥‥多くの大人たちが「覚えようとしない」物事を、どうやって子供らに教えて「必要なものだ」と理解させるのか、その辺は興味があります。

 

 

 

プログラムは「プログラム言語」とも呼ばれるように、「言語」の1つとも言えます。

 

言語を理解し、読み書きできる。つまり、プログラム言語の読み書きは、コンピュータが深く浸透した「現代社会」の「識字率」を左右すると言っても過言ではないです。

 

世界の識字率の分布図

 

将来の日本の大人=現代の子供たちの「現代&未来社会の識字率」をアップさせるために、子供の頃からプログラムをごく身近なものとするのは、理にかなっています。

 

明治大正、そして昭和の頃まで、親が子に言い聞かせたセリフで、「学をもたない人間は貧しくなる」というのがありました。「自分の時代はしょうがなくても、子供には高校、そして大学まで行かせたい。貧乏だからこそ、そこから抜け出すためにも、学が必要だ」というくだりが、昭和のテレビドラマや漫画の「家庭の描写」でありました。

 

学校でトップの成績の生徒が、家庭の経済事情により、中学卒業と同時に東京へ集団就職‥‥という描写は、戦後昭和の「泣けるエピソード」として語られました。

 

学をもたないと何がダメなのか‥‥と言えば、「頭のいい奴ら」に簡単に騙されて、容易に搾取される側に回るから‥‥というのもありましたネ。健常人なら誰でもできる仕事にしかありつけずに、安く買い叩かれ悔し涙を流す‥‥という描写も、昭和の漫画にはそれなりに多かったです。

 

 

現代は一見、識字率もほぼ100%で、誰もが学をもっているように見えます。しかし、こと、プログラム言語になると、そうはいきません。

 

アニメの仕事でも、「その程度の雑事なら、スクリプトをちゃちゃっと作って、ちゃちゃっと済ませちゃえば」なんて言えるのは、プログラムを覚えた少数派で、多くの人はどこかの誰かが作ってくれたフリーソフトに頼ったり、最悪の場合は手作業で長い時間をかけて処理します。

 

とりあえず空のフォルダを、カット番号 1から300まで作って‥‥なんていう作業を、手作業でやろうものなら、地獄です。地道にフォルダを新規作成>フォルダ名をカット番号でリネーム‥‥を繰り返すなんて、どんなに苦労してやり遂げても何の評価も得られないどころか、時間の浪費でマイナスコストですらあります。

 

プログラムを覚えれば、スクリプトを2〜3分で書いて、一気に処理できます。

 

tell application "Finder"

    set fol to make new folder at desktop

    repeat with i from 1000 to 1300

        make new folder at fol with properties {name:(characters 2 thru -1 of (i as Unicode text)) as Unicode text}

    end repeat

end tell

 

*300個のフォルダを001〜300まで作るのは、数秒で処理終了。「変更日」を見れば、処理が一瞬なのがわかります。Apple Scriptは処理が遅いので300フォルダだと2秒くらいかかりますが、他の言語なら1秒以下でしょうネ。

*あ、しまった。つい、000から始めてもうた。‥‥ので、301個のフォルダですネ。

 

たった6行のスクリプトがかけないばかりに、5分もかからず終わる作業を、30分も1時間もかけて疲労まで引き受けて作業することになります。

 

私がコンピュータを触って仕事を始めたのは28歳の頃で、その1年後くらいにプログラムを覚え始めました。決して早いスタートではなかったですが、まだ頭の柔軟性と体力はあった時期なので、覚えられたのです。「そのうちに覚えよう」なんて思ってたら、どんどん覚えられないカラダになってしまいますヨ。

 

 

 

なぜ、教育の現場が、子供たちへのプログラムの授業を必須としたのか、特に検索して調べていないので、真意はわかりませんが、まあ、普通に考えて、「使わせてもらっている受け身のコンピュータ」ではなく、「どんど使いまくる攻めのコンピュータ」のほうが、社会の趨勢から鑑みて妥当ですよネ。

 

今以上に、日本が弱くなっても悲しいですし。

 

子供の頃にプログラムを覚えられる(カジる程度でも)のは、学習に対する身体能力から考えても有効でしょうし。

 

もしかすると、旧世代と新世代を分ける、新たにまた1つ大きな分岐点が生まれるのかも知れませんネ。

 

 


PDF

今やiPadは、現行の全機種においてApple Pencilが使えるようになりました。‥‥ということは、あらかじめ「ブック」に絵コンテや設定のPDFを読み込んでおけば、打ち合わせはメモ書きも含め、すべてiPadとApple Pencilで事足りるということになります。

 

いつごろのiOSからか、PDFに「ブック」アプリで直にペンで字や絵を描けます。‥‥昔はできなかったよネ?

 

その場で渡された数枚程度の資料なら、iPadのカメラで写真を撮って、その写真にApple Pencilでメモ書きすることもできます。

 

もし、監督さんや演出さんもiPadを使っていれば、お互いのメモをスクリーンショットで切り取って、双方のiPadにAir Dropで転送することも可能です。

 

クラウドで同期していれば、作画用のiPad ProやMacのデスクトップでも絵コンテのメモの確認が可能です。

 

まさに、新時代のアニメ制作の片鱗。

 

iPad全機種でApple Pencilが使えるようになるインフラの進化は、地味だけど効果的な部分〜打ち合わせのメモの場面でも発揮されますネ。

 

 


品質鎖国

その昔、プレイステーション(初代)のゲーム内イベントムービーという、アニメの仕事のジャンルがありましてね。プレイステーションの仕様で、

 

320x240 / 15fps

 

‥‥という、今では「アイコンサイズか」と思うようなミニミニサイズで映像を完パケしていた時代がありました。

 

その際に、真正直に、320x240で作っちゃったものだから、あまりにも解像度が低すぎて、後年に映像再評価の対象にならずに、すっかり闇に葬られた状態です。

 

黒歴史なんていう言葉がありますが、まさに「黒解像度」です。振り返りようにも画像が荒くて振り返ることすらままならない、かわいそうな映像。‥‥その当時はみんなで苦労して作ったのに、悲しい限りですよネ。

*注)320x240は当時としてもミニサイズでした。当時は640x480〜720x486(480)が標準でした。

 

で、

 

1280x720

 

これも、相当なプチサイズになる予感。

 

既にHDのサイズ=1920x1080が標準になって久しいのに、アニメ業界はこの解像度が依然として多いようです。

 

4Kへと移行した未来に、過去を振り返って、「なんで、あんな小さい解像度で完パケしちゃったかね‥‥」と、後悔するのが目に浮かびます。

 

まあ、実際には1920x1080のHDサイズでの完パケなのですが、中身は1280x720のアップコン‥‥という作品は、業界内で沢山存在するようです。

 

せめて、スキャン解像度のドットバイドットにしておけば良いのに、1280まで縮小しちゃうんだもん。せっかく作ったのに、勿体無いです。

 

「フリッカー対策で」というのは、何年前の技術で停滞したままなのか。‥‥エッジを柔らかくするために、わざわざ1280pxなどにしなくても、スキャンのドットバイドットや2Kのままでも、そして4Kドットバイドットであっても、十分「詳細感を保ったままでのチラつき防止」は可能です。

 

 

 

民放テレビ深夜枠にて「タダ」で視聴できる現在のアニメの立ち位置なら、まだ1280pxでも良いかも知れません。

 

しかし、映像そのものが売り物で、お客さんがサブスクリプションで対価を支払う4K映像配信の時代には、もはや1280pxなんて通用しません。

 

せめて、作業当初から2Kで。それがだめなら、せめて、作画用紙の150dpiのドットバイドットで。

 

 

 

昔、プレステのムービーを、あんなにみんなで苦労して作って、結果、320ピクセルの「今では冗談と思えるようなサイズ」しか残っていなくて‥‥という私の経験から、「できるだけ品質を保った状態でマスターはつくるべき」と考えています。

 

1996年当時、プレステのゲーム攻殻のOPだけは、たしか640ピクセル前後で作ってたはずです。fpsも30でした。‥‥それでも、今ではミニサイズで解像度不足です。

 

もちろん、お金の問題もありましょう。

 

であるのなら、ちゃんと2Kや4Kで作業当初から作っている作品は、相応の高額な制作費を発注側が定め、作業者にも品質保証の見返りを還元するのが良いでしょう。もちろん、制作上の品質誤魔化しなど不正がおこなわれないように、QCや監査は必要となります。

 

当のアニメ業界が1280pxで十分だと「品質鎖国」している状態では、いつまでも「文明開化」〜技術の開化は果たせません。

 

もし、発注側が「お金は出す」と約束してくれるのなら、受注側は相応の品質を保証しないとダメですよネ。

 

逆に、従来の1話あたり1500万円以下の制作費であれば、品質も従来のままで1280ピクセルでもやむなしとも言えましょう。制作費によって対応可能な解像度が変わるのなら、見た目として一番ソレが判りやすいかも知れません。

 

 

 

過去、アニメ業界は「窮状を訴える」と同時に、相当ヤバい品質誤魔化しや水増しをしてきたのも事実です。受発注双方が「黒いパンチ」を繰り出す「黒いクロスカウンター」だったと言えます。

 

新しい時代が到来して、体質を変える好機が訪れても、いつまでも低解像度に自己満足して納品しているのなら、好機は無残に打ち砕かれましょう。

 

低解像度のアニメ映像は、線を見るだけでバレます。ぼやけて滲んで、しかも一律に線が太いので、内状が透けて見えるのです。

 

作品の好みは自由でいいのです。でも、解像度まで未来に自由が許されるかは、320や640(720)ピクセルの作品を振り返れば、言わずと知れます。やがて「絵が雑」という印象で括られて、時代からズレていくでしょう。

 

「絵が雑」だなんて、心外にもほどがありますよネ。プレステのムービーパートは決して雑には作っていませんでしたもん。

 

しかし未来は、解像度の低さゆえの雑さがどんどん目につくようになります。抗おうにも、人々の目が肥えてしまうので、避けられません。

 

お金を出す側、受け取って作る側。そして、実際に対価を払って視聴するサブスクリプションのお客さん。‥‥お金に関する過去との因縁を断ち切る際に、1280ピクセルは案外、判りやすい品質分岐の基準になるのかも知れませんネ。

 

 

 

では、どうすれば、4K時代に見合った品質が、アニメで可能となるのか。

 

まずは相応に見合った制作費です。そこはベタにリアルです。

 

現場的には、スキャンの存在しないペーパーレスは必須ですし、マシンの全体的な機種更新・環境パワーアップも必要でしょう。作画技法だけでなく、演出技法の革新も必要となります。昭和起源のテレビアニメ演出法はフォーマットに合わず通用しなくなります。映画の演出法を応用しつつ新しい4KHDRのテレビ感覚が求められましょう。

 

作業者の報酬も当然、4Kに適合した額面が求められます。ゆえに、膨大に枚数が嵩む今までの方法ではどんなにお金があっても破綻は目に見えています。新しい技術も併せて実用化して導入し標準化することが求められます。

 

一方で、4K相応の制作費を貰っていながら、1280pxで作ってアップコンするような会社は、監査やQCを受けて作り直しするなり、納品拒否されるなりして、淘汰され消える運命を辿るしかないです。1000円の商品を、4000円の外箱に入れて出荷する‥‥なんて、許されるわけがないですし、産業の信頼にも関わります。

 

今まで2000円の商品を1000円で売っていたような、業界の悲話はありましょう。作業者を苦しめ続けた現実として。‥‥ゆえに、どこかで適正な仕切り直しが必要で、曖昧でうやむやな制作基準・作品のグレード認識を正す機会が近い未来に到来すれば‥‥良いですけどネ。

 

「スーパーの女」の「正直屋」を目指すくらいでちょうど良いです。「どうせアニメ会社はどこも一緒」みたいな認識から脱出しないとさ。

 

抜け道はないです。地道に足場を固めていくだけです。

 

お互い、頑張りましょう。

 

 

 


誰でもとは誰

私はこのブログで、コンピュータを積極的に活用すれば、飛躍的に効率が高まる‥‥のような話を書きますが、じゃあ、コンピュータを導入すれば、どこでも誰でも高効率を実現できるか?‥‥と言えば、全く違います。

 

高性能なレースマシンにまたがってコースを走ったからと言って、誰でもグランプリの表彰台に上れるかと言えば、そんな簡単なことではないのはわかりますよネ。おそらく、素人がレースマシンにまたがって不用意に(たとえば原付バイクのように)アクセルを開ければ、フロントタイヤが浮き上がってパニックになって制御不能となり、コースを外れて壁に激突して大破です。

 

そして出てくる言葉はコレ。「レーサーバイクを買えば、誰でも速く走れるって言ってたじゃねーか!」とクレイマー。

 

速く走れるのは間違いないですが、「誰でも」ではないです。マシンのパワーを知っている人ほど、「誰でもできる」なんて口が裂けても言わんですヨ。だって、市販のスクーターのように大体誰でも扱えるようには、ハイパワーレースマシンは設計製造されていませんもんネ。

 

作画でコンピュータを使うのも似たようなものです。コンピュータをプロの作画作業で使うとなると、「誰でも」とはいきません。

 

 

 

作画でキャリアを積んだ人は、紙と鉛筆などなくても、頭の中で原画を描いて、同じく、頭の中でシートもつけられますよネ。

 

まさか、紙に描いてみないとわからない、タイムシートに番号をつけてみないとわからない‥‥なんてことはあるまい。新人ならともかく、中堅以降なら頭の中だけで組み立てられるはずです。

 

同じく、コンピュータで絵を動かすには、頭の中だけで、どこにどんなキーフレームを打って、どんなイーズにして、どんなエフェクトをかけるかまで、既に見えているくらいの能力は必要です。自分の手足同然に、自分の身体の内部にコンピュータの性質や挙動を一体化させるレベルまで、一心同体となる習熟が必須です。

 

紙で作画をしていた人が、「デジタル作画」ならまだ馴染みやすいとは思いますが、コンピュータの各種エフェクトやキーフレームで絵を動かすとなると、別次元のスキルが必要になります。覚えることは山ほどあります。

 

しかし、その山ほど覚えた報酬として、新たなアプローチをいくつも得られます。

 

 

 

コンピュータはとかく「うまい話」のネタになりがちです。「こんなに簡単に出来た!」なんて言うのは、もう20年以上前からの常套句です。

 

しかし残念ながら、コンピュータは、誰でも達人に仕立て上げる「都合の良すぎる」ソリューションではないです。

 

どんなに高い筆記具を買っても、それだけではプロにはなれないですよネ。コンピュータも全く同じです。

 

私はソフトウェアメーカーのセールスマンではないので、「誰でも出来ますよ」なんて言えません。

 

ただ、既に何らかの道具によって「出来ている人」には、「うまく馴染めれば、もっと出来るようになる」とは言えます。

 

 

 

コンピュータはさ‥‥。自分の能力を拡張してくれるものであって、ゼロを100にしてくれるものではないです。

 

「いや違う! プリセットやテンプレートを使えば、俺にだって出来る!」とか言うのは、ギャグ狙いですよネ。誰かの作ったプリセットやテンプレートを使わないと出来ない時点で、もはや自分の能力とは言えませんもんネ。

 

紙と鉛筆の経験は無駄にならない‥‥と以前書いた記憶がありますが、それは紙と鉛筆で能力が「100」あるところに、コンピュータで数倍に拡張できるからです。

 

自分の技術や能力から逃げ続けていると、いつまでたっても、技術や能力は自分に味方してくれません。コンピュータの各種プリセットでごまかしても、やがて化けの皮は剥がれます。

 

自分の技術や能力と向き合って、向上に努めれば、技術や能力は心強い味方になりますし、コンピュータによってさらにパワーアップも可能となります。

 

 



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