家は大工さんのものではない
大工さんが創意と工夫を凝らして、どんなに素晴らしい家を建てても、その家が大工さんのものになるわけはありません。家の所有者は、家を建てるためにお金を出した人‥‥ですよネ。そんなのは、誰でも知っている一般常識です。
アニメ業界の色々な話、ギャラやワークフロー、現場の未来はどうなるか‥‥などの話題を耳にする時、「何で、いつまで経っても、『その根本』に対して、触れようとしないのか」が気になるのです。
下請けはどんな業界にも存在するでしょうが、業界全体そのものがスッポリと下請けに収まっている状況が、「限界そのもの」だと思うのです。「そんな青臭い事を」(業界で10年くらい仕事をしてれば、大体考える事)と言う人もいるかも知れませんが、でもやっぱり、限界の根本はソコ‥‥でしょ。
「ものを作る」ではなく、「ものを作って売る」という考えを持つならば、ワークフローをかっちりと決めすぎるのは「売り要素を減らす」行為だと思っています。生産ラインを決めこみ過ぎてしまって、同じテイストのものしか生産できなくなるのは、「売り物」としてどうなのよ?‥‥と言う事です。現場の人々は、作る事には夢中になるけど、売る事に関しては「他人事」なんだよネ。
「売れた原作を、どんどんください」的な下請け気分‥‥とでも言いましょうか。「売れた原作」という言い草がね‥‥、既にネ‥‥。
まあ、考えてみれば、アニメ業界の制作システムって、アニメ化の生産ラインにどんどん原作を放り込んでいく発想ですよね。ブランド戦略がいつまでたっても成立しないのは、そりゃあ、当たり前‥‥です。業界全体像が生産ライン留まりなのですから。
下請けの仕事を否定するつもりは、毛頭ありません。私だって、いくつもアニメ化してみたい既存の原作はありますし。‥‥ただ、「完全に下請けにフォーカスする」事に、「昔から変わらぬ閉塞感」を感じるだけです。
オールデジタルでアニメを作る機運を、以前通りの下請けの生産ラインの効率化に受け流していくのか、ブランド戦略の中核に据えていくのか、中心人物の行動が試される時‥‥なのかも知れませんネ。
*ちなみに、「家は大工さんのものではない」の「家」を、「賃貸マンション」に置き換えれば、もっと比喩として近い感じになりますネ。賃貸マンションは、マンション経営者の所有物であって、大工さんのものでも入居者のものでもない‥‥ですもんネ。
アニメ業界の色々な話、ギャラやワークフロー、現場の未来はどうなるか‥‥などの話題を耳にする時、「何で、いつまで経っても、『その根本』に対して、触れようとしないのか」が気になるのです。
下請けはどんな業界にも存在するでしょうが、業界全体そのものがスッポリと下請けに収まっている状況が、「限界そのもの」だと思うのです。「そんな青臭い事を」(業界で10年くらい仕事をしてれば、大体考える事)と言う人もいるかも知れませんが、でもやっぱり、限界の根本はソコ‥‥でしょ。
「ものを作る」ではなく、「ものを作って売る」という考えを持つならば、ワークフローをかっちりと決めすぎるのは「売り要素を減らす」行為だと思っています。生産ラインを決めこみ過ぎてしまって、同じテイストのものしか生産できなくなるのは、「売り物」としてどうなのよ?‥‥と言う事です。現場の人々は、作る事には夢中になるけど、売る事に関しては「他人事」なんだよネ。
「売れた原作を、どんどんください」的な下請け気分‥‥とでも言いましょうか。「売れた原作」という言い草がね‥‥、既にネ‥‥。
まあ、考えてみれば、アニメ業界の制作システムって、アニメ化の生産ラインにどんどん原作を放り込んでいく発想ですよね。ブランド戦略がいつまでたっても成立しないのは、そりゃあ、当たり前‥‥です。業界全体像が生産ライン留まりなのですから。
下請けの仕事を否定するつもりは、毛頭ありません。私だって、いくつもアニメ化してみたい既存の原作はありますし。‥‥ただ、「完全に下請けにフォーカスする」事に、「昔から変わらぬ閉塞感」を感じるだけです。
オールデジタルでアニメを作る機運を、以前通りの下請けの生産ラインの効率化に受け流していくのか、ブランド戦略の中核に据えていくのか、中心人物の行動が試される時‥‥なのかも知れませんネ。
*ちなみに、「家は大工さんのものではない」の「家」を、「賃貸マンション」に置き換えれば、もっと比喩として近い感じになりますネ。賃貸マンションは、マンション経営者の所有物であって、大工さんのものでも入居者のものでもない‥‥ですもんネ。