DoverのスコアがKindleに!

前のブログで、AmazonのDoverスコアを検索してたら、なんとKindle化されてるじゃないですか。

エクセレント。

あの電話帳のように大きくて重い印刷物でなくても、スコアを読める。

数十冊も携行できる。‥‥これは未曾有。

しかも、割安。

中身だけが必要な人にはオススメですね。

ただ、印刷物は印刷物ゆえの、元来の利点がありますから、その点に魅力を感じる場合は、やっぱりペーパーバックのスコアかなあ。

Wagner

今年はリヒャルト・ワーグナー生誕200年で、さぞや全世界各地で演奏され、BSなどでもいっぱい聴けるか‥‥と思ってたら、イマイチ盛り上がってないように思います。いちおう、検索語句で自動録画するようになっているのですが、あまり網にひっかからない。

やっぱり、あの問題か。

少なからず自粛ムード的なものは感じますね。今までを振り返って考えてみても、ワーグナーって、「ホームクラシック」とは言いがたい位置に置かれてますもんね。

地獄の黙示録のおかげでワルキューレ、CMや白い巨塔でタンホイザー、あとはマイスタージンガーくらいか。でも、ローエングリンの「婚礼の合唱」とか、誰でも知ってるのもあるんですけどネ。

ワーグナーの音楽が聴ける良いチャンスの年かも知れなかったのに、そうでもなくて、残念。自分だけでなく、若い人たちにも聴いてもらいたかったですネ。ロックやポップスは私も大好きで聴きますが、音から何かを発想したりする際に、流行の音楽だけ聴いてきた経験では、どうしてもリソース(資源)の乏しさが出てしまいます。もちろん、絶対に色々な音楽を聴かなければならない‥‥というわけではないですが、自分の表現の「龍脈」として持っておいて損はないでしょう。

バッハ生誕300年の時、私は高校生でしたが、山ほどバッハの音楽がFMでタダで聴けて、幸運でした。私の価値観の基礎が形成されてしまった‥‥というか、音楽に留まらず、モノの受け捉え方の基本が、バッハの音楽から(言葉では中々言い表しづらいですが)色濃く影響を受けたのです。別にクラシック音楽の正式な教育を受けていたわけではなく、単なる遊びや好みで「ホームクラシック」に接していたのですが、バッハ生誕300年の数々の公開録音をFMで聴くうちに、すっかりハマったのです。

私がワーグナーの音楽をよく聴くようになったのは、18〜20くらいのアニメーター駆け出しの頃です。池袋のWAVE(今でもあるんだろうか)で輸入CDを買っているうちに、ふとワーグナーのCDを買ってみたのが、聴くようになったきっかけでした。

「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲に衝撃を受け、ご多分に漏れず「トリスタン」に猛烈にハマって、スコアを買って実際にMIDIで打ち込んだりと、せっせと入れ込んだのです。この頃に得た知識は、後に映像に形を変えて今でも重要なアイデアの源となっています。

ライトモティーフを主軸に据えた構造論が全てではないと思うし、ドビュッシーの言いたい事もよくわかります。ただし、ワーグナーのやり方が、ワーグナーの作品において成功している事も事実です。あまりこのへんの事を書くと、今後のネタばらしにもなるので書きませんが、親ライトモティーフ形式、非ライトモティーフ形式、両方で、ご飯数十杯はカタい‥‥という事でしょうか。妙な書き方でスミマセン。

これは作品表現・創造を志す若い人への伝言ですが、ワーグナーの音楽がピピッときたら、CDだけでなく、スコアも一緒に買って眺めましょう。楽譜が読めなくても、とりあえず構わないです。読譜のほんの基礎(テンポの進み方、音程の高さ‥‥程度の知識)があれば、目でついていけます。西洋の楽譜というのは、とても直感的でグラフィカルなUIを持っていますから、ただ眺めているだけでも、音楽(作品)の構造がバンバン目に飛び込んできます。「今、音楽を聴いて感受している衝動というのは、このような構造に依るのか」と「魔法の秘密」を垣間みる事ができます。セッションミュージックとは違った、スコアによって事前に計算されたヨーロッパ管弦楽曲の真骨頂です。

ちなみに、写真のキリッとした女性は、ワーグナー家の血筋をひくカタリーナさんの若い頃‥‥です。何とも麗しい。「ワーグナー」で検索すると、この写真、よく見かけますネ。

Logic Pro Xが出てた



いつのまにか、Logicの新バージョン「Logic Pro X」がAppStoreで販売開始されていました。

Logicは音楽を統合的に制作する環境で、音を1つ鳴らすところから、CDやサウンドトラックのマスターを作るところまで、すべてLogicひとつで完結できるソフトウェアです。‥‥が、その環境が17,000円で入手できてしまうというのも、現在のLogicの凄いところです。

価格破壊の「覇王」と呼んで、まったく差し支えないでしょう。

例えて言うならば、AfterEffectsとPhotoshopにTapcodeSuiteプラグインなど全部買いした状態で17,000円‥‥みたいなものですから、その破壊ぶりは相当なものです。

普通、音楽制作ソフトを買うと、オマケでGM互換音源(ひと通りの楽器音色)がついてくるくらいですが、Logic ProはGM互換音源は無論の事、エレピ専用音源、シンセ音源各種(ビンテージセンセのサンプル音源ではなく、波形発生&合成を素でやる)、ドラムマシン、サンプラーなど、夥しい量の音色が付属しています。

ループ音源(フレーズサンプリング)とサンプル音源(ソフトウェア音源)のコンテンツ合計で35GB!‥‥というところからも、価格破壊ぶりが解ろうというものです。

弦楽器の音源を例にとると、通常のサスティン持続の音から、ピッツィカートスフォルツァンド(sf)、トレモロトリル(半音と1音)が、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロ・コントラバスそれぞれに用意されています。この各音色はもちろん、ADSR的なエンベロープ制御が可能ですし、ディレイエフェクト(数ミリセコンドでね)をかまして「マイク録り」のような空気感を表現する事も可能です。‥‥打ち込みの経験がある人なら解ると思いますが、音源としてトレモロやトリルが装備されているのは、何だかんだいってやっぱりありがたいです。
*残念ながらコルレーニョの音はありません。なのでホルストの「Mars」は1小節目から挫折する事になりますネ。観念して自分で作るか、NIかどこかの音源を買いましょう。

ナマの音の処理も、かなりの機能を有します。様々なエフェクトを装備しているのはもちろんの事、ギターアンプシミュレータも装備し、波形編集エフェクトも充実しています。「オーディオエナジャイザー」という昔からある波形編集エフェクトは、私の定番中の定番です。

ここにさらにIKやNIの音源を買い足せば、もはやもう何も要らないでしょう。

GarageBandもMac付属のオマケにしてはかなりの内容なんですが、いかんせん、音色数が少ないので、本格的にやろうとすると限界がきます。GrageBandが50ccの原付バイクだとすると、Logic Proは1100ccのリッターバイクみたい感じで、余裕が違います。


私は、この新バージョンX、秋か冬くらいに買うつもりです。その頃に必要になりそうな気もしますし。

初めて音楽を制作する際に、まず何から始めたらよいかわからない‥‥というのは当然の事です。管弦楽曲を欲するなら、オーケストラ団員分の楽器音はまず必要で、さらに奏法によって音色も変わりますから、考えただけでも途方にくれてしまいますよネ。

Windowsはなんだかんだ言ってビジネス系顧客向けのOSですから、趣味に関する装備はゼロから自分で買い集める必要があり、音楽をやろうと思ったらあれもこれもと買って、結構な出費が必要になります。

Macの場合は、ビジネス系顧客の獲得に敗北したゆえに、趣味やデザイン・アート系に矛先を向けた戦略にシフトした経緯がありますから、Macを買った途端に音楽ができるような装備になっています。生録をする際にMac本体の音声インアウトを使うのが嫌なら、ベリンガーの激安IF激安USB付きミキサーを買えば良いです。もちろん、生音の入力が必要無いなら、何も買い足す必要はなく、GarageBandで音楽は始められます。

そこにLogic Pro Xを買い足したら‥‥。

MIDIの創世記以前から音楽に親しんできた私からすれば、今の「Mac mini & Logic Pro」は「夢の制作環境」です。まあ、過去を振り返ったらきりがないのは承知しておりますが、少なくとも私がアニメーターのギャラでせっせと買い集めた300万円以上の設備を遥かに凌駕する内容が、「Mac mini & Logic Pro」の10万円以下に収まっているのは事実です。

もし、自分のアニメーション作品を作りたいのなら、ある程度は音楽もたしなまないとダメっす。商業ベース作品の監督に登り詰めて、商業的メカニズムで予算が充当できる(される)身分なら、自分で作る必要などないですが、企画段階やオリジナル企画、個人作家、若年の場合は、音も自分(または自分たち)で作らんと「世(=オモテ)に出せない」ですからネ。

そんな事で考えれば、Logic Pro Xの17,000円って、激安ですよ。アニメーション作品を本気で作るのならば、持っておくべき重大なツールの1つ、ですネ。

DEsCHの7番

音楽、特に歌詞を含まない器楽編成の楽曲は、言葉による「事象の具体的な描写」を含まないため、反って「本当のキモチ」を内容に盛り込む事が可能です。まあ、ワーグナーの森の音楽は、「鳥」「葉音」などをかなり具体的に描写はしていますが、「鳥」「森」といったコトバそのものを楽器が発する事はないですよネ。

ショスタコーヴィチも音楽のそうした性質を活用して、楽曲に様々な事柄をインクルードした作曲家です。

よくちまたに紹介されるショスタコーヴィチ像は、「ソビエトに順応するふりを見せて、実は痛烈な批判を作品で表現していた」的な評論です。いわゆる「支配者(スターリンとソビエト当局)と民衆の戦い」的な。

そうかな?

私はどうも、そういう風には、楽曲から読み解けないのです。「支配者と民衆の戦い」の構造で考えると、ショスタコーヴィチは「民衆サイド」の代弁者‥‥という事になりますが、楽曲からはもっと違う図式が見えているように思います。

「民衆サイド」の描写において、ちょっとおどけたような、滑稽な描写、嘲笑したニュアンスを感じます。戦争3部作でも、10番でも。

日本の今のご時世、もしかしたら7番の第1楽章なんかは予言的なニュアンスも含めてピッタリくるような気がしますネ。「戦争の主題」が弦のPizzで始まり木管で可愛らしく演奏されるのは、主題を繰り返すたびに巨大化してグロテスクに変質していき、制御不能なまでに凶暴化し、やがて迎える悲劇的な終末を考えるだに、痛切です。

可愛く微笑ましい姿が、やがて自制の効かない、口から火炎をはく巨大で凶暴な怪物へと変貌し、自ら、世界と自分自身を焼き尽くしていく。ショスタコーヴィチがこうした筋立てを、楽章の軸に据えたのは、まさか「たまたまだ」なんて事はあり得ようもなく、明確・核心的な意図があったのだと思います。

私の独自の解釈‥‥ではありますが、第7番第1楽章で描かれているのは、「権力者の凶暴な増幅装置となった民衆が、自己破滅に至る姿」だと思っています。
*「権力者」は特定人物だけとは限らず、「全体を誘導する何かしらの恣意的な力」とも言えますネ。

私はどうにもショスタコーヴィチの一連の「戦争交響曲」に、「戦いに勝つ民衆の姿」を見いだせないのです。「敵はドイツ軍ではなく、スターリンだった」とか言っても、同じ事です。「民衆は正しい行いをする」「民衆は素晴らしい」という描写が、「絵に描いたようなウソ」として描かれているように感じます。

ショスタコーヴィチの音楽って、人間を手放しに愛している音楽じゃ、ないよネ。

若い頃の「神童」と呼ばれた頃(特に10代の)の楽曲は、まだ清廉な印象も強いのですが、実はショスタコーヴィチも変質していったのだと感じます。ソビエト支配のロシアに留まるに至り、体制に同調し迎合するフリも多分に必要だったでしょうし。

群衆への不信感や嫌悪・嘲笑が、ある種、解りやすく表現されたショスタコーヴィチの音楽。しかし同時に、自分も当然ながら人間で、ヒトの群れの一部であり、自分の愛情を抱く対象も人間であり‥‥という典型的なアンビバレンツと自己嫌悪も、楽曲に色濃く反映されているように思います。

分数コード

坂本龍一さん(私はアホアホブラザーの印象が強くて、どうにも笑けてしまうのですが‥‥)の「エナジーフロー」という奇麗な曲があるのですが、その楽譜を眺めていてコード表記をふと見たら、分数コードが多用されており、不思議に思いました。この楽曲は、分数コードというよりは、オンベースの展開の楽曲だと聴いてて感じていたからです。

「この分数コードの表記は、オンベースと同義で扱っているのかも。‥‥それで可なのか?」と思い、ちょっと気になって調べてみたら、結構、分数コードそれ自体に解釈の違いがあるようで、余計混乱してしまいました。

私は、「オンベース」と「分数」を「分別して扱う派」で、ずっとやってきました。「F on G」と「F/G」は似てるけど根本的には違う‥‥という考え方です。

でもネットでは結構「2つは同じ」と解説しているところがあって、「え?そうなの?」と不安になりました。

オンベースはその名の通り、ベース音を指定音で演奏し、その上に和音を乗せる‥‥というものです。

分数コードは、分母の示す調性のフレーズ(多くの場合)に、分子の示す和音(分散和音的なフレーズも含む)を乗せる‥‥というものです。

Wikipediaを読むと、分数コードはいくつも異なった使い方が存在するらしく、‥‥なるほど、アニメ業界と似たようなもんで、用語に関しては「ほぼ似た感じなら、結果オーライ」なのネ。

ちなみに、私の解釈している分数コードは、Wikipediaによると、

2・真の分数コード
  • 分母と分子を調性から切り離してサウンド作りをするための手法を表現するための分数コード(分母はベース音、分子はメイジャー・トライアドまたはマイナー・トライアド)

「調性から切り離して」という言い方に何か釈然としないものを感じますが(調性から切り離すまでにエグいのはあまり無いもんネ)、まあ、ほぼその感じです。

でも、やっぱり自分が解釈しているのとは微妙に異なる気がします。分母はベース‥‥というのがひっかかります。例えば、Amのフレーズを、ベースおよびギターカッティングで演奏し続け、その上にエレピで、Am, G, Fのようなコードを被せたアレンジの場合、表記はAm, G/A, F/A なのだろうか。実質的には「G/Am」「F/Am」なんですけども。

つーか、あれだ‥‥。コード表記に高望みし過ぎてるんだろうな、私。

コード表記は楽曲の片鱗を伝える、あくまで簡易表記で、実際は五線譜、またはセッション本番で形成するべきなんでしょうネ。実際、コード表記では、厳密なコードのフォーム(例えば88鍵での和音の構成)まで伝えきれないですもんネ。


‥‥そういえば、前のブログを書いた時、コードを拾う際に久々にミニキーボードをいじりましたが、指がナマっててもどかしかったです。楽器みたいに、指を動かすものは、定期的にやらないとダメですネ。



坂本龍一さんのエナジーフローです。私はメジューエワさんの演奏しか知らなかったので、このYouTubeの音源(本人演奏?)は新鮮な感じでした。

林檎さん

2000年に入った頃、私は、知人が聴いてた椎名林檎さんの楽曲を聴いて、一気にファンになりました。ヨーロッパ映画音楽の時と同様に、純粋に音楽が面白いと思ったからです。

林檎さんの楽曲も、相当(良い意味で)ヒネくれてて、一筋縄ではいかないですよネ。当時、私が好きになるきっかけとなった「虚言症」という曲がありますが、メロディは覚えやすく口ずさみやすいし、曲の感じも覚えやすいのに、実際はかなり「捕まえにくい」、独特なテンションを持っている事に、強く惹き付けられたのです。

試しにコードで音を拾ってみると‥‥

| B, Baug | B6, C#9 | C#m7, D#m7 | D#m7-5, G#7 |
C#m7, G#7 onD# | E, A7(13) | D#m7, D7 | C#m7, F#7-9 :| Cmaj7
*A7(13)は9thも入れてオープン気味で(じゃないと、雰囲気が出ない)

‥‥と、歌のメイン部分の進行を、何とかコードにまとめると、こんな感じです。コードで書くとなんだかギコちないですが、しょうがない。オリジナル曲のバランスを表現するには、五線譜で明確にボイシングを書き表さないと、キツいかも知れませんネ。A7(13)は特にカッコいい和音なので、(1,7,9,10,13)か、9thを1oct上げて、(1,7,10,13,16)のフォームでキメたいところです。

「D#m7, D7, C#m7, F#7-9」のくだりは、かっこいいですよねェ。他の箇所もそうですが、この曲のテンションノートは重要な役割を担っています。

根本的にコードの構成が定番に落ち着くのを拒否しているようなきらいがあり、さらには、サビで動き回るベースが聴く側の調性の感覚を見失なわせて、どんどん危ういテンションへと誘い込んでいきます。ストリングスの動きも、「C##,D#,E,D#」の半音進行の動きで、糸の切れた凧のような危うい浮遊感を醸し出して、聴く側を惑わせます。

ある種、聴く側を挑発して引き込む様でもあり、当時から世相の「癒し」に辟易していた私に、その不敵とも言えるスタンスの楽曲が、ちょうどよくハマったのかも知れませんネ。

‥‥この曲も2000年発売のCDで、すでに13年前か‥‥。

調べてみたら、「勝訴ストリップ」って、世間で結構売れたんですネ。こんなに激しいのに。

この楽曲を聴いて、イイと感じた人々は、今、どんな気分で生きてるんだろうか。

ヨーロッパ映画と幼少の私

前回、小さい頃にヨーロッパ映画音楽に親しんだ‥‥と書きましたが、それだけを読むと「マセたガキだな」みたいに思われちゃうんですが、実は「映画音楽だけを知ってて、映画そのものは知らなかった」りします。音楽そのものと、レコードジャケットとその冊子だけで、あれやこれや、イメージしてたのです。

実際に内容を小学生(低学年〜1年か2年だった記憶が)の時に知ったのは、日曜の昼過ぎにテレビで見た「シェルブールの雨傘」くらいなもので、「道」も「太陽がいっぱい」も「男と女」「ロシアより愛をこめて(007)」も、映画の内容は全く知らず、でした。
*最近、「シェルブールの雨傘」を見ましたが、映像制作に関わっている今の私からすると、「よく、作りきったなあ」とまず驚嘆します。セリフが全部、歌ですからネ。劇中音楽の尺は映画の尺と同じ‥‥という。カメラワークの尺との兼ね合いとか、コントロールが大変過ぎます。作りきるバイタリティがすごい。
*作品を障害無く大量生産できるシステムも必要かも知れませんが、見た数日後に忘れてしまうようなのは寂しいですネ。「シェルブールの雨傘」など、「語り草」がいくつもあるような作品は、得てして、見る人間の心を圧倒するものだと思います。


親の好みは、子供に少なからず影響を与えますが、家には、ヨーロッパ映画音楽のレコード(といってもベスト版)と、ホームクラシック(クラシックの全集モノ)、欧米のポップス・イージーリスニング、ラテン音楽などがありました。一方、ヒッピームーヴメントの匂いのするものはほとんど存在せず、またコテコテのアメリカ音楽(カントリーや白人のブルースとか)もあまり数がありませんでした。

ヨーロッパ映画音楽のオムニバス版の冊子(封入の小ページの解説)には、今思えば、フランスの女優さんが一杯載ってました。当時はフランスもイタリアもアメリカも見分けがつきませんでしたが‥‥。

カトリーヌ・ドヌーヴ、アヌーク・エーメ、シルヴィ・ヴァルタン‥‥、子供のレコードに無作為に混ざってたので、何の意識もなく、普通に眺めてました。仮面ライダーV3のジャケットと一緒に。

世情とか流行とかありますが、実は家庭内環境が一番子供に影響を与えるんじゃないかと思います。流行を家に持ち込む・持ち込まない、どんなものを家に持ち込むかなど、親の行動に結構なウェイトがかかっています。子供にとっては、特に、5歳までのいわゆる「情操教育」的な期間に見聞きした事が、その後の人生のルート(root)になるように思います。味覚の趣向なんかも、その時期に基本が形成されるようですしネ。

けだるく、解決を引き延ばしたような、曖昧なニュアンス。子供の私は、まんまとその雰囲気にハマっていったのかも知れません。ちょうどその頃、ルパンのファーストシリーズが何度も再放送されてて、山下毅雄さん(大野雄二さんの新ルパンではなく)の音楽も好きでしたネ。

‥‥セビアン。


*レナウン娘は、おなじみ小林亜星さんの、あっけらかんとしたメロディですネ。

ヨーロッパ映画の音楽

私は小さい頃(小学校に上がる前くらい)、家にあった「ヨーロッパスクリーンミュージック」のレコードをよく聴いていました。今でもたまに聴きたくなって、iTunesで聴くのですが、改めて聴くと、半音階進行の多い独特の曲調で、最近あまり日本では耳にしなくなったニュアンスだと実感します。

今の日本で流行しているタイプの曲調って、いわゆるパッヘルベルのカノン的なコード進行、例えばキーがCだと‥‥

C, G7 on B, Am, Em7 on G, F, C on E, Dm7, G7 ...
*Dm7をD7にしてもアリですネ

‥‥のようなコード進行で、童謡などにも見られるタイプ、ある種の「癒し系」(童心を喚起する)とも言えます。これを短調に替えても(短調に変えるとラピュタの主題歌になります)同じです。ベースが行儀良く音階下降していく(ドシラソファミレ)事で、素朴で素直な味わいと、そこから醸し出される「華飾を廃した、本当の自分」的なニュアンスが、現代日本に受けるのかも知れません。

‥‥が、しかし。

私は小さい頃からヨーロッパ映画音楽、特にフランス・イタリア映画音楽の響きに親しんでいたので、この手の響きはさほど「こない」のです。どっちかというと、「ああ、またか‥‥」と食傷気味ですらあります。‥‥別に気取ってる訳じゃなくて、私の子供の頃は、ヨーロッパ映画が流行ってたので、仕方ないのです。

現代にウケてる響きは、どうもスリルが無いというか、安心できちゃうと言うか。ジラすようなところが無いというか、先が読めるというか。激しくにぎやかで悪ノリしても、決してワクからはハミださないと言うか。‥‥まあ、上記コード進行の根本的な性質ゆえ‥‥なんでしょうけど。

一方、昔のヨーロッパ映画、フランシス・レイの「パリのめぐり逢い」のテーマは、小さい頃頻繁に聴いていましたが、どこに流されていくのか掴みづらい雰囲気を持っていて、中々にアンニュイなコード進行です。幼いながらに、「不思議な雰囲気の曲だなあ」と思っていました。

Gmaj7, --, F#sus7, F#7, Gmaj7, --, F#sus7, F#7, Fmaj7, --, Esus7, E7, Bm7, E79, Amaj7
*1コード=1小節(3拍)です
*--は直前のコードを繰り返しです
*E79はE9とも呼ばれますが、7thの音を省略するとNGなので、あえて79と書きました
*原曲を聴いてみたら、メロディの出だしはDbmaj7でした。上のコードから、-6トランスポーズですネ。


ベースの動きを見ても解りますが、半音の動きが特徴的です。「G-F#-G-F#-F-E」。最後はドミナントモーションで締め‥‥ですが、多くを占めるのは、アンニュイな半音の動きとメジャーセブンスの響きで、まさに「あの頃の感じ」ですネ。

ミシェル・ルグランもそうですし、ニュアンスは異なりますが、ニーノ・ロータも半音階の動きが出てきますネ。「シェルブールの雨傘」の最初にドヌーブが登場するシーンの歌いだしの旋律なんかは、Eb,Bb,Aのフレーズ全体がどんどん半音下降してきてクラクラします。

まだ、1980年代中頃までは、こうした響きがお茶の間に存在していたのですが、1980年代終わり頃から、もっとシンプルな響きで明快なもの、もしくは先ほどの「パッヘルベルのカノン」的なコード進行を多用した楽曲が増えていったと記憶します。もしかしたら、現在の私が「パッヘルベルのカノン」的なものに食傷気味なのと同じく、その当時の人は「ヨーロピアンテイスト+JAZZYな響き」に飽きて、明快単純なテイストを求めたのかも知れません。

思えば、松本零士コミックに代表される痩身でミステリアスな女性像がフェードアウトして、明朗快活でフレンドリーな女の子キャラが主流となったのも、80年代中頃ですかネ。で、今はさらに女キャラの低年齢化(設定ではなく容姿ネ)が進み、萌えキャラが主流のようになっている‥‥と。

流行は巡る‥‥と言いますが、そろそろ一巡しても良い頃かなあ‥‥と思っています。

コンビニの食品やファーストフードのように手軽で食べやすいものに対し、「もっともっと、食べやすくしてほしい」となるのか、何か別の因子が作用して、どこかで価値観がはじけて「食べにくくても、違うものが欲しい」となるのか。


PostScript...

ミシェル・ルグランと言えば、「Arrivée des camionneurs」なんかは最高にカッコいいですネ。しかし、この曲のカバーは難しいよネェ。中々ハネてる演奏にお目にかかれません。バディ・リッチの「Time Check」なんかと同じでネ。




しかし、フランス・イタリア・イギリス・アメリカのこの頃の映画音楽って、お国柄が曲調やアレンジに、よ〜く出てますよネ。

PANAのRP-HT560

 
私にとって、音楽はことさら重要です。一見、ジャンルが違うように思える絵や映像の制作において、まさに「MUSE」となってインスピレーションを与えてくれます。私が何度もヘッドフォンの話題を取り上げるのは、ズバリ、音楽を聴く手段で一番現実的なのがヘッドフォンだからです。

どんなに良いスピーカーを購入しても、首都圏においては事実上、一番金がかかって実現不可能なのが、「聴く環境」です。何千万円クラスのお金がかかりますもんネ。

という事は、どうしても、良いヘッドフォンが必要になります。本当に、ヘッドフォンってお金の話ではなく性能面で、ピンキリです。そのヘッドフォンで、音楽は創作の強い女神にもなれば、貧乏神にもなります。

私が今まで紹介してきたヘッドフォンは、手頃とは言っても、1万円前後のものばかりでした。しかし、5千円未満で買えるヘッドフォンでも良いものはあります。私のお気に入りは、パナソニックのRP-HT560というモデルです。



低音を強調したインナーイヤー型のイヤフォンに慣れていると、「なんか特徴の無い音だな」と感じるかも知れませんが、それがRP-HT560の最大の長所です。フラットな特性なので、モニター用途にもイケます。オールマイティになんでも再生します。ポップ&ロックよし、クラシックよし、テクノよし、ジャズ&フュージョンよし、小編成の生楽器よし、イコライザをスルーしてもよし、スルーしなくてもよし。

ぶっちゃけ、3千円台のヘッドフォンて、かなり冒険の要素が強いです。定番のKOSSのPorta(=かなりの個性派)は別として、どう転ぶか全く読めないです。まあ、大体は「買わなきゃよかった」と後悔するのですが、このRP-HT560は別ですネ。初めて聴いた時は、そつのないウマさに、ちょっと驚きました。

ラカトシュのヴァイオリンも雰囲気良く響きますし、リー・リトナーのバンド演奏も「美味しいコンプの音」がよく伝わります。特にフュージョンのバスドラの音は、何ともイイ味で響きます。kittieのゴリゴリな音も、全然大丈夫です。ですから、かなりの守備範囲の広さですよネ。

ただ、オーケストラに関しては、どうしてもヘッドフォンのコストがまんま音に出やすいので、あとひと息な印象は拭えないです。管弦楽曲を聴くと、「このヘッドフォン、5千円くらいでしょ?」と言い当てられてしまう価格ゆえの限界はあります。倍以上の売値のAKG K240と聴き比べれば、一目(?)瞭然です。
*でも、聴いて当てられる人なら、同時に、価格を超えたバランスの良さも解るでしょう。管弦楽曲だって、決して悪い音では無いですしネ。他の楽曲が良い分、力量の不足が垣間見えるというだけの話で。

バンド形式のポップスやロック、フュージョン、小編成の生だったら、むしろ、V6CD900STよりこっちのほうが聴いてて楽しいです。音楽を楽しく感じる事は、重要な要素ですネ。



MDR-V6

MDR-V6作業場が1カ所増えるのに合わせ、ヘッドフォンを1つ買い足しました。ソニーのMDR-V6というモデルで、外見はMDR-CD900STの赤ライン、全体のデザインは7506に似てます。価格は900STや7506と比べて一番安く、1万円未満で購入可能です。サウンドハウスですと7千円台です。

まだ新品なので、評価するには早いのですが、第1印象はとても良いです。音はややドンシャリな感じ(ドンシャリではなく、「やや」です)なので、アンプ経由の場合はアンプの「ソースダイレクト」を、iTunesなどコンピュータ->USB I/O経由ならイコライザはOFFで聴くのが良いと思われます。

音が近い感じで、逆に言えば雰囲気を感じるタイプではありません。かと言って、CD900STのような輪郭のキツいタイプではないので、聴き疲れはほどほどに抑えられていると思います。とは言え、何時間でも着けていられるタイプでは決して無いです。AKGのK240は着けたまま、イスをリクライニングして寝れちゃいますからネ。

CD900STのギスギスした感じがイヤで、7506はちょっと高いと思っている人には、向いていると思います。音は安定していて、「何これ?」と感じるようなバランスの悪さはありません。音声も映像もモニター使用をある程度意識するならば、妙な味付け満載のものよりは、手堅く抑える性質のもののほうが、用途に合いますし、審美眼が偏る事もありませんので、V6くらいのはちょうど良いと思います。

今は7506も買うお店をちゃんと検索すれば9200円程度で買えますので(私が最近買った頃はタイの洪水ですごく待たされて値段も高めでした)、価格差が2000円未満と微妙な立ち位置のV6ではありますが、日頃使いには充分です。というか、日頃使い視点で言えば、ベストグループの一員ではないかと思います。

ヘッドフォンやスピーカーは、「これがあれば他は何もいらない」的なものを望むのはナンセンス。必ず何かしらの「傾向」を持ちますので、何種類かを使い分けるのが良いのです。時には、KOSSのPORTAで聴く事も必要です。V6はそういった意味では、「真ん中、微かにドンシャリ寄り」で、無難にまとまっており、スタンダードとしての資質を持っていると感じました。


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