単体かソリューションか〜液タブの存在

AppleやAmazonが強いのは、いまさら言うことでもないですが、やっぱり、単品ではなくソリューション〜商品の周囲をまるっと含めた「環境」を売っているからでしょう。iPadやiPhone、Apple Watch、そしてiMacなどのMacは、単品ではなくApple IDやiCloudなど、ハード&ソフトのネットワークの相互関係が形成できるのが売りです。

 

iPhoneで撮った写真をiPadやiMacですぐに見れるのがあたりまえになると、デジカメでいちいちデータを吸いださなければならない手間は、ものすごくドンくさく感じます。データは端末の垣根など気にせずシームレスに扱えて当然の時代です。

 

AirDropでファイルを簡単に受け渡しできる環境に慣れると、

 

USBメモリを用意して、空いているUSBのクチに挿して、データをコピーし、アンマウントして、持ち運んで、別のマシンのUSBのクチに挿して、データをコピーし、アンマウントして

 

‥‥と、段取りを書くだけでも辟易してきます。

 

サーバを使う運用はアニメ会社でも一般的ですが、サーバを使う人間の自助努力頼みなのは基本方針として古めかしさが否めないですし、実際に操作次第でどこに何でも置けてしまいます(ソフトウェア上の操作の制限が実質無い)。単にサーバを設置してファイルサーバとして各端末にマウントするだけですから(まあ、百単位の端末に整然と、ファイルの送受をサービスするだけでもスゴいことではあるのですが)、「ライブラリ」「プロジェクトマネージメント」の意識がソリューションとして根本的に存在しません。アニメ会社では「ファイル共有」程度の運用意識で停滞しているところも多いんじゃないでしょうか。

 

2009年と2019年では色んなことが大きく変化しています。自分も10年歳をとったし、社会も10年進化しました。プライベートや仕事も、10年分の進化が知らず知らずのうちに盛り込まれていて、それがいつのまにか「大前提」となって物事は進みます。

 

 

 

アニメ業界も社会と歩まなければならない‥‥と、度々このブログで書いてきましたが、具体的に言えば、アニメ制作現場の「ソリューション」をガラパゴス状態から脱皮させることと言えます。

 

アニメの作画で言えば、紙作画からペンタブ作画‥‥ということになりますが、何よりも液タブの進化速度が遅いので、なかなか思うようにいかない現実はあります。

 

液タブはさあ‥‥。19〜21インチでUHDの薄型が必要ですよ。切実にネ。

 

ペンタブが単体で存在感を出している今の製品ではなくて、作画の環境全体にフィットする、「丁度良いカタチ」が求められていると痛感しています。

 

16インチじゃ小さいですよネ。24インチはでかいです。20インチでもFHDでは性能不足。

 

私は自宅にも仕事場にも両方に液タブを導入しようと製品を定期的にチェックして、たまに実機でテストもするのですが、どうしても買うに至りません。

 

現行の液タブが帯に短し襷に長しで、液タブに作業環境が引きずられるのです。

 

作画作業の「ソリューション」として、構成要素にピッタリはまる液タブが欲しいのです。それは、前述のとおり、ズバリ、「19〜21インチでUHDの薄型」です。

 

 

 

製品が、単体で魅力をアピールする時代ではないです。パソコンもタブレットもスマホもサーバも、すべては環境の構成要素であり、何が主役というわけではないです。

 

主役。別格。

 

私の小さい頃は、牛肉のソテーは「ビフテキ」と言って、他の料理を寄せ付けない存在感があり、別格の待遇でした。「トイレット博士」でビフテキ1枚をメタクソ団員で争って食べる話がありますが、お下劣なデフォルメはともかく、たしかに特別の存在感があったものです。

*スナミちゃん。Procreateで、スタジオペンというプリセットをそのまま使って描きました。小学生の頃、「持ちキャラ」(手本を見ないで描けるキャラ)だったんよ、スナミちゃんは。‥‥今はもう覚えてないので、見ながら描きましたけどネ。

*人生50年いまだに、少女時代にトイレット博士やメタクソ団が好きだった‥‥という女性に一度も会ったことがないです。糞尿が飛び交うストーリーでしたから、まさに男の子の漫画‥‥でしたね。少年漫画と少女漫画が分類されていたのは、必然というか必至というか。

iPad ProとApple Pencilで数分で描いて、AirDropでiMacに送って、ハイ、ブログに掲載。‥‥これがソリューションで絵を描く「本域」です。フットワークの軽さはバツグンです。

 

 

 

スナミちゃんはともかく。

 

2019年の今、まさかビーフステーキを特別な存在として扱う人はいまい。「ビフテキ」という言葉を聞かなくなって久しいですしネ。

 

コンピュータの映像制作で言えば、ひと昔前は、PC本体やプリンタや液タブやディスプレイがそれぞれ「ビフテキ」みたいな存在でしたが、今は「健康と趣向に合わせて、自由に献立を考える時代」、つまり、Mac本体ですら「日々の環境の1要素」でしかないです。

 

アニメの作画環境で、唯一と言って良いほど、環境から逸脱しているのは「液タブ」かも知れません。他の要素は、いい感じに馴染んできて、単体を意識するよりも全体のソリューションとして捉えることができますが、液タブだけが‥‥‥まだ外れたところに居続ける存在です。

 

ぶっちゃけ、来年には自分で自腹で自宅に液タブを買いたいのですが、ほんとに‥‥頼むよ‥‥メーカーさん‥‥。私だけじゃなくて、他のアニメーターさんも「24インチはでかい、16インチは小さい」と言ってますよ。

 

液タブが「ビフテキ」のままでは、アニメーターの次世代移行は停滞し続けます。ビフテキ状態から脱して、日々馴染む要素として使えてこそ、作画のソリューションは令和にふさわしく進化するでしょう。

 

 

 


アジア

私は、アニメの仕事で知り合った国外国籍の方々を何人も知っています。台湾、中国、韓国、イギリス、カナダ。最近は、ブラジル国籍の方ともカットアウトを通じてお知り合いになれました。

 

全然、社交辞令でも何でもなく、悪い人とは出会ったことがありません。‥‥自分の人生を、「アニメという作品制作」に注ごうと決意し、しかも海を越えて日本にやってくるのですから、東京近郊の人間が電車通いでアニメスタジオに出入りするのとは状況も心情も異なることは想像できます。

 

アニメって、アニメが好きじゃないと選択しない職業ですよネ。中には調理師など全く関連のない職種から転向した珍しい人もいますが、基本的には何らかアニメが好きな人が、制作現場へと入ります。

 

最近、国と国との関係がギクシャクする中、何だか使い古された言葉ではありますが「アニメ好き・映画好きに国境なし」と肌身で実感します。

 

私は島国日本で生まれ育ったからこそ、日本の風土や歴史を意識しますし、アジア大陸の端に位置する、海に囲まれた日本も認識します。昔、アジアから海を渡って、色んな文化が日本にもたらされました。であるならば、日本のアニメの新しい技術は、日本に閉じ込めるのではなく、アジアや世界に相互に交わっても良いと考えることがあります。

 

 

 

私は自分の1000年前の祖先の名前を知りません。1万年前の祖先は全く想像もできません。しかし遺伝子は受け継がれ、今ここに私が存在しているのは、まあ‥‥特に難しくもない、納得できる事実でしょう。

 

一方で、地球の人類の文明は、いつか消滅すると思っています。祖先どころの話ではないです。科学説を信じるのならば、地球そのものが太陽に呑み込まれる日が来るんだとか。そうなれば、遺伝子もへったくれもないです。先祖の墓も砕けて星屑です。人類の遺産も文化も、家系も財産も、何もかも。

 

番組「コスモス」ではないですが、私たちは「星屑の子供たち」なのでしょうネ。星屑から生まれ、やがて星屑に還っていく。

 

それに私は、‥‥みなさんも同じでしょうが、「死」を実体験として知りません。ですから、的確にわが身をもって死を知ることは永遠にないですよネ。生きているのですから、死んだらどうなるかなんて、わかりません。

 

であるなら、子供を残そうが、財産を残そうが、自分の死後に対して自分はまったく関与できないわけで、今生きているこの時間こそ、自分の感覚の有効期間です。

 

じゃあ‥‥。アニメを作り続ければ良いじゃんか。覚悟を決めて。

 

東京だけでなく、日本だけでなく、アジアもヨーロッパも、「自分の生きていられる期間に、アニメや映画を作りたい」‥‥と思う人が集って。

 

 

 

なので、このブログも、

 

ezura.asia

 

というドメインにしています。ぶっちゃけ、「earth」や「world」ドメインでも良いんですが、ドメインを検索した当時は年額が高くてな‥‥。なので、アジアで。

 

自分の容姿からして、アジア直系だし、asiaドメインは出自としてちょうどいいです。

 

私の最初の祖先は、水中をぷやぷや泳ぐ原始的な生命体だったかも知れませんが、それがどういうわけだか、生き延びて今に至って、なんとMacやiPadでアニメを作っているという、何とも不思議な話。‥‥それだけで果てしない気分になります。

 

私は自分のナマの遺伝子を残せそうもないですが、無形の遺伝子はもしかしたらアニメ技術という文化のなかで継承されるかも知れません。でもまあ、残っても途絶えても、それでいいです。

 

ただ、詫びるとすれば、

 

自分の代で、太古から続いた1つの系譜が途絶えてごめんな‥‥ぷやぷやしたクリオネみたいなヤツ。

 

くらいでしょうかネ。

 

 

 

半世紀を生きたことで、最近はアニメに結構フラットに付き合えるようになったのです。

 

国の境よりも、そこで生きてアニメを作ろうとしている人、かつて一緒に仕事をした人、知り合った人々のほうが大切。

 

やれないことよりも、やれることを1つずつ実現していくことのほうが大切。

 

‥‥と、8月最後の日に、ふわっと現実から乖離する私。

 

あ〜‥‥ノルマを確実にこなさねば。

 

 

 

 


決戦思想ではなく

アニメ(を含めた映像一般)での「自動中割り」機能が、ある程度機能するようになるのは、どこかの研究発表でもあったように、8〜12fpsくらいの分解能くらいまで細かく描写された後のことです。原画のように基点しか描かないラフな分解能では、自動中割り機能は期待する動作をしないのは、モーフィングやピクセルモーションや画像補完など様々な技術を見てきた経緯から頷けます。

 

もし、原画から動画を自動生成できるのなら、絵コンテとキャラ表だけで原画も自動化されるんじゃないの?‥‥自分の担当する原画工程だけは聖域だと考えている人々のなんとのんきなことよ。

 

だいたい、自分が研究にも関わっていない、単なる伝聞だけで、よくもまあ「未来の重大な要素を預ける」気になれると思います。自分が描いた原画を、自動中割り機能を持つソフトウェアが目の前でどんどん中割りしていくのを目撃したわけでもないのに、なぜ「未来は自動中割りに」とか言えるんでしょうかね。

 

全てがタップ割りでできるような平行移動の組み合わせによる動画なら、線一本をオブジェクトとして扱って、「線のカットアウト」として動かせるとは思います。「できる」「動かせる」には理由があるわけです。TBHのカットアウトでマスターコントローラーを使った縦横無尽なXYZ回転は、高度なソフトウェア技術ではあるものの、理屈や構造はわかります。

 

しかし、「自動中割り」の言葉に踊らされて、こともあろうに「動かすプロ」「アニメーションの専門家」が、理由もわからず「コンピュータだから上手くいくんだろう」と構造理解や技術知識を放り投げて、「自動中割り頼み」にダイインしてしまうのは、いかがなものでしょうかね? 「動きのプロ」としてのプライドを放棄したのか。

 

 

 

でもまあ、そういう「形勢挽回の決戦兵器」的思想は、負ける国こそ求めたがるものです。勝つ国は、畳み掛けるように、新兵器をどんどん繰り出して勝ちますが、負ける国は、ジリ貧に追い詰められて、「これさえ完成すれば一気に形勢逆転できる」と決戦兵器・救世主思想に凝り固まっていきます。

 

自動中割り機能で動画マンの代わりになるというのなら、それはいつ完成しますか?

 

いつ完成するかは判らない? ‥‥はい。敗戦確定。

 

完成しない決戦兵器に運命を託す時点で、敗けることが確定しています。歴史から学びましょう。

 

 

 

自動中割り機能とは全く違う、カットアウトは、すでに欧米での実績が豊富です。紙芝居と言われていた時期からどんどん成長して、こんなことまでカットアウトでできるようになったの?‥‥というくらい、技術が発展しています。

 

今のアニメ業界は江戸幕府のようなもので、カットアウトという黒船が来る前の鎖国時代の日本社会のような感じです。

 

私は日本の武士的・職人的気質と、欧米の生産合理性が合体した時に、2020年代以降のアニメ制作は新たなフェイズを迎えられると考えています。

 

日本的作品志向は失わず、欧米の合理的制作技法に学ぶのです。日本の強みとは、進め1億火の玉でも、竹槍でも、特別攻撃でもないはずです。道具をとことん活かしてこだわり抜く性質と、変化を乗り越えた後の柔軟性と順応力こそが、日本のお家芸だと思います。

 

変化を一度受け入れてしまえば、その変化の中から様々な発展の要素を見つけ出し、元よりも高度に発達させてしまう。‥‥日本の強みの最たる特徴です。

 

しかし、日本のアニメ業界は、そうした強みを最大の弱み=忍耐による頑固さに変えてしまっていますよネ。竹槍自爆攻撃が日本の強みと思っているのなら、何と愚かなことか。今一度、「ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を」と記して74年前に散った命を思い出しましょう。

 

逃げも隠れもできない狭い島国日本だからこそ、大陸とは違った発想が可能なんですよ。‥‥それを最大限活かさなくちゃ。

 

 

 

自動中割りなんて一切あてにしなくても、未来は切り拓けます。

 

今手元にある道具を、今までとは違う発想で使いこなせばネ。

 

日本の先人たちが成したことを、令和の日本のアニメ業界でも実践すれば良いのです。

 

突破口は案外すぐ近くにある‥‥のだと思います。

 

 


自動動画マンという幻想

日本はカットアウト後進国。カットアウト未開の地。

 

ゆえに、自動中割りの「曲解」が今でもはびこっているのを、ツイートで見かけます。

 

確かに「自動中割り」と表現しても良いような機能はあります。しかしそれは、ちゃんと自動中割りできるようにリグを組むからです。‥‥リグですよ、リグ。

 

旧来日本国内方式の「いつものやりかたの原画」を描いて、その後で「AI」とやらが自動動画マンとなって、無人で動画を作業する‥‥なんてことを、2019年の今でも考えているとしたら、相当認識が遅れています。

 

そんなのないからさ。

 

あきらめてよ。

 

グーチョキパーの手の3枚だけ原画で描いて、AIがちゃんと中割りできると思う? 色んな角度で自発的に美意識を発動させて、AIが描けると思う??

 

カットアウトでそれが可能なのはリグを組むからです。AIでは全くありません。人の知能の産物です。

 

そして、カットアウトではやりきれない難しい作画内容は、今まで通り、血の通った人間の知を活かして動画を描きます。ゆえに私ら4KHDR制作集団は、相当高い単価を、未来の動画作業に想定しています。ここでその金額を書くと問題が色々とあるので敢えて書きませんが、かなりの金額設定に跳ね上がり、さらには変動単価が通常になります。

 

難しい作画に対して、高い報酬を設定するためにも、カットアウトの導入は必然であり必至なのです。なんでもかんでも、今まで通りの作画方式で全てまかない、その全てに高い単価なんて設定できません。ちゃんと、全体のバランスがあってこそです。欧米の8:2という数字は、さすがにカットアウトの経験が豊富な現場ならではの実感でしょう。

 

手間がかかるがゆえに生産効率がある程度までしか上がらない作業は、ちゃんと、その通りに相応の対価が必要です。1枚400円の動画単価で「ウチの会社は結構出している」みたいな顔をされても失笑ものです。技能者が1日5枚しか描けなければ、400円でも日給2000円なんですよ???

 

原画や作監は、動画の報酬の事情や作業環境を直視して、全ての技術を総合して未来をジャッジしてください。「自動中割り」なんて言葉に惑わされるのではなくてネ。

 

 

 

アニメーターのツイートでは「自動中割り」という言葉はちょいちょい見かけますが、「カットアウト」を実際に研究したり作業に取り入れている‥‥なんてツイートは一切見ないですもんネ。つまり、そのくらいの認識レベルだということです。

 

いつかAIが全てうまくやってくれる

 

そんな希薄な世間の雰囲気だけが、自動中割りという言葉使いから匂います。具体的なソフトウェア名ではなく、あくまで「AI」という呼び名で。

 

自動中割りが実用化されれば‥‥って、「されれば」という言葉に過大な期待感が表れています。内情も知らず想像だけを膨らませている様子が伺えます。

 

自動中割りの実用化を望むのなら、まずアナタが実用化に関わってください。ツイートだけして待ってるだけじゃなくて。‥‥そうすれば「自動中割り」という幻想に気づくはずです。

 

カットアウトはちゃんと「自動中割り」的なモーションができるように、リグを組んでいるのです。決して、今まで通りの原画を描いたら、あとはおまかせ‥‥なんていうソリューションではないです。

 

いい加減、次の意識へとステップアップしましょう。

 

原画の描き方や考え方、作監の在り方を、根本から問い直して、2020年以降にアニメ制作現場が技術的にも環境的にも労働的にも改善するのを目指すのです。戦後から生まれたアニメの産業の「戦後」にピリオドを打って、令和から仕切り直すのです。

 

原画マンだけは昔の原画マンのままでいられる‥‥なんて特権階級意識ではなく、原画や作監も「新しい未来に向けて、自分も変わっていくんだ」という意識を持ちましょう。

 

 

 

もし一緒にカットアウトをやりたい!‥‥と飛び込んで来てくれるのなら、私は今まで蓄積してきた知識をいくらでも共有したいと思いますけどネ。‥‥でもまあ、全然いないわな。日本には。

 

話が通じるのは、海外のアニメーターだけ。日本は極めてひと握りの数人のアニメーターだけ。‥‥悲しくもなりますヨ。

 

 

 

日本人の竹槍思想を美化したい気持ちもあるでしょうが、それでは未来は生き抜けません。数百円の動画単価でこの先何十年もやり続けるつもりとは、誰も思っていないわりに、何ら新しい技術を模索しようともしていません。「自動中割り」という幻想だけを口にする程度で。

 

欧米のカットアウトの技術進化は凄いことになっていて、頼もしく感じると同時に、焦りも感じます。‥‥日本は後進国だからさ。

 

竹槍思想。自分たちの技術に自信を持ちすぎて新しきを受け入れられない心情。‥‥鬼畜米英とか言ってた戦時中の日本人と全くかわらぬ精神構造を感じますが、国策ではなく自分の思い込みからの脱却で済むのですから、皆で新しい技術をどんどん開発して挽回しましょう。

 

技術を共有したくても、竹槍思想で進め火の玉では、如何ともしがたいです。

 

 

 

動画の存在意義を高い価値として再設定し、カットアウトなどの新しい技術もふんだんに取り入れる。

 

4KHDRを通して見えた、2020年代の目標です。

 

 

 


作業、その後に。

もしかしたら、紙で作画している結構多くの人は、「描いた後のアーカイブ」に対して、「どのように保管されるか」を思いやったことがあまりない‥‥かも知れません。どんどん溜まって場所を占有していく「強烈すぎる紙の存在」に、あまり意識が及ばないのは、自分の周辺に「作業終了した紙の束」が積まれていかないから‥‥とも思えます。

 

紙時代のかつての私がそうでしたから、容易に想像できます。実際、原画を返却してくれたのは、S社だけでしたから、自分が紙で描いた原画や設定は、コピー機でコピーしておかないと目の前から消え失せます。

 

紙と鉛筆はコストが安いと思われがちですが、本当にそうなのかな?‥‥と、作業終了作品のダンボールの山を見かけると考え込んでしまいます。

 

 

 

私は、1996年に描いたゲーム攻殻機動隊のイメージボードを今でも保持していますが、それは媒体が画像データからです。PICTという今ではほとんど忘れ去られた画像フォーマットのものも多いですが、使われていないだけでちゃんとMacで画像ファイルを開いて表示できます。JPEGやTIFFにおいては、今でもディファクトスタンダードと読んで差し支えないほど良い意味で枯れていますから、iPadですら20年以上前のデータを開くことが可能です。

 

もちろん、紙においては、パソコンなどなくても閲覧可能です。数年前に、実家の大掃除をしてたら、18〜19歳の駆け出しの頃に作画していた某巨大ロボの設定とかが出てきて、タイムスリップしたようなキモチになりました。

 

データも紙も、保存状態が良ければ、20〜30年経過しても閲覧できることには変わりないです。

 

一方、保存状態が悪ければ、データは表示すら不可能、紙はカビたり黄ばんだり破れたりしてコンディションは悪くなります。

 

データは複製したり記録メディアを乗り換えればオリジナルと寸分違わぬ状態を保存できますので、地震や火災などに強い面があります。紙は燃えたら何もかも喪失します。紙ではないですが、クリムトの三部作はナチスによって没収されたのち保管場所ごと焼かれて焼失してしまいましたよネ。

 

 

 

 

よく言われるフレーズで、

 

データは時代とともに読み出せなくなる

 

‥‥というのがあります。

 

しかし、私の感慨で言えば、

 

データを放置するからだろ?

 

‥‥と思います。

 

そりゃあ、フロッピーの中のデータをそのまま20年放置したり、MOの中に入れっぱなしだったら、読めなくなるのも当然。

 

前述の通り、私は1996年にQuadra650で作ったイメージボードを今でも開くことができますし、そればかりか、98のマルチペイント(知ってる?)で落書きしたドット絵の画像まで残ってたりします。

 

私にとって問題は、

 

ちゃんと面倒を見るにしても、その期間の置き場所のコスト

 

‥‥それが最重要です。

 

日本の、東京などの都市部では、なんだかんだ言っても、一番コストがかかるのは「空間」だからです。車をちょっと停めておくだけでも、お札が消えていきますよネ。

 

 

 

私は良いところのおぼっちゃまではないので、子供の頃から決して広いとは言えない家で育ちました。アニメーターになってからも同じです。60歳になる頃にはもう少し広い家に住んでみたいものですが、少なくとも今はモノでいっぱいです。

 

なので、作った絵や映像がデータであることは、必須の条件です。

 

おそらく、私が1990年代から今までWinやMacやPC98で作った画像や映像のデータをすべて集積しても、カラーボックス1段にも満たないです。6TBのHDDをカラーボックスの棚に何個詰められるのか、考えたこともないですが、30個以上=200TBは1段で格納できましょう。

 

しかも、その6TBのHDDは一万円前後で買えます。同じバックアップを2つ作成しても6TBx2で二万円で済み、2箇所に分散して保管しておけば、地震や火事で両方が同時にヤラれることは考えにくいです。

 

紙はそうはいきません。とにかく、場所を取ります。

 

個人レベルでの話になりますが、私は倉庫を借りているので、その年間コストは肌身で知っています。ぶっちゃけ、毎月6TBのHDDが余裕で買えるほどのコストは支払っています。

 

都市部において、空間をどれだけ活用できるかは、切実な問題です。

 

 

 

これがもし、アニメ制作会社となると、個人どころの話ではないです。整理整頓して管理するスタッフの賃金、保管場所など、年間のコストは相当な金額になるでしょう。紙を保管する量は、テレビシリーズのペースならば、どれだけ膨大な物量となるか、考えるのも目眩がします。

 

紙を使って何千何万と作画しまくる制作体制が、2020年代の未来に、どのような「アーカイブ事情」を抱え込んでいくのか。

 

今まで発生した紙も膨大に蓄積している上に、昨今のアニメ制作ラッシュで、鬼のように紙がかさんでいきます。紙は物理空間をどんどん占有していきます。

 

紙の一時的な面だけでなく、制作が終了した後のことまで、ライフサイクルコストとして考えると、決して紙は「安いコスト」とは言えません。

 

本当に、紙を使い続けて良いのか、アーカイブの永続的なコストも視野に入れて考えてみても良いですヨ。

 

 

 

アニメーターにとって、紙で描いた原画や動画は、回収されれば目の前から消えて、自分の近辺の空間を占有し続けることはありません。‥‥なので、紙の低コスト面だけを実感しがちです。

 

しかし、アニメ制作会社が産廃としてどんどん廃棄でもしない限り、アニメ制作会社は紙の結果物を抱え込み続けることになります。もちろん、タダではなく有償の保管場所で。

 

紙で保管してあるからといって、いつでも見れるとは限りません。管理がズボラだと、何がどこにあるのか、わかりませんよネ。遠い場所の倉庫に保管してある場合は、すぐには取り出せません。結果、スキャンをしてデータ化することになるでしょうが、オリジナルの紙とスキャンデータの二重管理になります。

 

 

 

アニメ制作各社は紙媒体を、中央図書館レベルの管理と保管によって、永続的にコストをたっぷり支払い続け、2020年も2040年も2100年も継続してアーカイブするのでしょうかね?

 

アニメ制作会社は独自の博物館や記念館を開館するのか。TDLみたいに「アニメ制作会社リゾート」なるテーマパークを、各社が開園するのか。‥‥で、その収支にどのような見込みがあるのか?

 

それとも、単に「捨てられない」という理由で、明確なビジョンもなしに曖昧な価値基準で維持し続けるのか。

 

アニメ制作会社が廃業したら、膨大なアーカイブの紙媒体は、どこに引き取られるのか。それとも、焼却されるのか。

 

 

 

何もコンピュータのデータにすれば何もかも安泰と言いたいわけではなく、保管と管理がずさんであれば、紙もデータも使い物にはなりません。ZIPやJAZZドライブなんて死んだも同然ですよネ。カビて黒ずんで湾曲した原画や原稿は、捨てるのも維持するのもためらいます。参照したい時に良好な状態で容易に取り出せるからこそのアーカイブです。

 

キッチリ管理するとして、紙とデータのどっちが良いか‥‥を考えています。ぶっちゃけ、維持コスト=金の話です。

 

2020年代の来年以降。

 

私は、作る時からデータのほうが良いと考えています。ありていにいえば、作画からペンタブで描けば良いです。

 

データは受け渡しの性質上、複製が常ですから、私の30年余のアニメ制作現場の経験から言えば、「紙は残らないが、データは残る」と感じます。

 

データを保持するのは当人の管理でなんとかなりますが、紙は置き場所の問題ゆえに抱えきれなくなって管理がままならなくなります。

 

私は、どこかの倉庫の片隅で死蔵されている紙媒体よりも、昨日のように絵が蘇るデジタルデータ媒体が良いと実感します。

 

何度も言うけど、データを損失するのは、記録メディアやファイルフォーマットを過信して放置するからです。曖昧に過信せずに「こわれもの」として扱えば、20年以上前のデータも昨日のようにフレッシュに蘇ります。

 

クリスタのClipファイルやAfter EffectsのプラグインやAEPファイルが、20年後に開ける保証はないですが、アーカイブしたい画像や映像は、「枯れた」フォーマット〜JPEGやPNGやTIFFで保存しておけば、20年後でも開けるでしょう。20年前のデータはAPFSやexFATで今でも保存できますし読み出せますもんネ。

 

2004年に作った、とある作品のOPは、当時のテレビ作品としてはハイスペックな16bit/1280px(当時のテレビの規格サイズはD1=720pxで、8bitが一般的でした)で作りましたが、TIFFの連番で保管しているので、今でもAfter EffectsやCompressorに読み込んで再生できますし、1フレームごとに画像を閲覧することも可能です。ダウンコン&プルダウンする前の1280px・24pで保管しているので、状態は最良です。

*本編はどうなっているかは知りません。あくまで私らがメインで関わったOPの話です。

 

 

 

アニメを日本の未来においても、文化として自認するのなら、過去を懐かしんでフィルムだセルだと言うだけでなく、どのようにして「未来に作り続けるか」、そして「記録媒体」「保管の方式」を今一度、考えてみるのも良いと思いますヨ。

 

 


日常。標準。

一年以上、4KHDRばかりに取り組む日々で、最近は何をやるにも4KHDRなので、すっかり「日々の日常」が4KHDRです。たまに2KSDRの作品でA4用紙150dpi前後のスキャンで二値トレスの素材を扱うと、大きなギャップを感じます。

 

また、PM(プロジェクトマネージメント)のソリューションで日々の進行状況や作業インアウトを確認し自動処理するのもすっかり日常ですし、レイアウトの標準フレームは規格化・標準化していてあたりまえですし、もっと言えば、アレクサにスケジュールを確認するのもありきたりな日常の光景です。

 

日常とは「日々の常々」なので、日々の仕事の内容がまさに「日常」となるのは当然至極。

 

 

 

しかし、アニメ業界一般で言えば、2Kですらアップコンで対応する制作集団は多いですし、HDRやPMなんて考えたこともない会社も多いでしょう。レイアウト用紙画像データの標準化でつまずいてトラブルが発生することもあるようです。

 

私らの制作集団ではレイアウト用紙の規格化(2K, 3K, 4K, 5Kまであります)はすでに完了して、ごく自然にフローしているので、レイアウト用紙でトラブルが発生すること自体、すっかり忘れていました。加えて、1.5Kがなんと不鮮明な画像であることか、SDRが全て濁って鈍い色彩にみえることか、兎にも角にも恐ろしく大きなギャップを感じます。

 

ものすごい既視感。

 

1990年代後半〜2000年代初頭に、まったく同じ構造の出来事を体験しました。

 

After Effectsでコンポジットをするようになった1997年以降、「フィルム撮影台の制限がアニメの全て」という古い現場の仕事をすると、あまりのギャップゆえに、驚くのを通り越して絶望したものです。「この艦では勝てない」と沖田艦長みたいなキモチになって、フィルム撮影台もセル絵具ももはや旧時代の遺物に思えたものです。

 

セル重ねのくすみとかクロス引きとかニュートン(虹色のモアレみたいな現象)とかで議論したり、16ミリラッシュフィルムでラッシュチェックしている当時の古い現場をみて、もはや「今までの技術では未来は見えない」と強く意識したことを覚えています。

 

 

 

同じことが、今のアニメ現場でも再演しています。

 

紙作画、二値化、1.5K、SDR、送り描きオンリー、PMなき人力の制作進捗、どんどん山積みになる作画(紙)のアーカイブのダンボール、紙の整理整頓に費やされる人員と倉庫スペースの永続的なコスト、etc‥‥。

 

「どうせ、未来も生きていく」のなら、とっとと移行して備えれば良いのに。

 

‥‥とはいえ、同じ轍を何度も踏むのが、人間‥‥ということなのかな‥‥。

 

紙の結果物を管理して保存するコストに比べたら、データを複数箇所に分散し、定期的にメディアを乗り換える手間のほうが遥かにコストを抑えられ、活用術も柔軟で優れています。アニメ制作会社は全社揃ってアニメ博物館でも開館するつもり? 紙を良い状態で永続的に維持するのって、どれだけコストがかかって、この先に何十何百年続けるつもりか。

 

今まで発生してしまった紙は「仕方ない」でしょう。しかし、これから先、まだ紙でアニメが作れると、本気で思っているのでしょうか?

 

 

 

目を向けるべき点は、何処にありや。

 

最近見た「解像度」のツイッターの話題は、沈みゆく船で清掃をするかのごとく‥‥に感じました。

 

例えば、レイアウトや作画用紙の解像度の話題で、「100Fを基準にすれば」みたいな話もツイッターで見かけましたが、100F自体が紙も画像データもバラバラなので、100Fは基準にはなりません。

 

紙の場合:

 

A社:100Fの横幅=26cm

A社の劇場作品:100Fの横幅=30cm

B社:100Fの横幅=27cm

 

画像データの場合:

 

C社:100Fの横幅=1600px

D社:100Fの横幅=1440px

E社:100Fの横幅=1920px

 

はい。「ダメだ こりゃ。」ですネ。

 

dpi、ppiと言ってるのですから、「実物のスキャン」が絡む以上、「ディー・ピー・アイ」の「アイ=インチの頭文字」通り、基準は「インチ」=2.54cmに求めるしかないでしょう。

 

まあ、そもそも「事の発端」は、アニメ業界がその貧困ゆえの「ドットバイドット」でHD(2K)を作れない台所事情が、フレームの話を百鬼夜行の如きに変質させているとも思えます。

 

古い現場が未来に生きていけないことを、解像度の話題だけでも、象徴的に物語っています。

 

 

 

 

標準フレームの制定は、お金とは関係のないところでの問題ですヨ。

 

人の意識の問題です。‥‥もっと言えば、キーマンたちの意識。

 

作画監督があまりにも無頓着過ぎることはあるでしょう。作監が撮影や仕上げや演出など各工程と話し合って、標準フレームを作っても良いんですよ。‥‥作画のキーとなる中心人物が「デジタル」を他人任せにしてばかりいるから、乱れるんです。

 

私は撮影監督をしていた経験、実写作品に関わった経験、そして作画の経験を総合して、「2K」「3K」「4K」の各「標準フレーム」を制定して運用しています。以下は、4Kの標準フレームです。

 

 

 

この標準フレームを、デジタル原画動画・彩色・コンポジットだけでなく、カットアウトやモーショングラフィックスでも全て統一して運用し、フレームの混乱は皆無です。

 

紙を1枚も使わない制作環境に移行していることも、トラブルが皆無である理由の1つとは思います。

 

作画陣営は、はやくタブレットに移行したほうが良いですよ。

 

 

 

そんなに標準フレームを作るのは難しいかな?

 

それこそ、作品の企画段階から、フレームの規格は必要なんですよ。作品をイメージした時に、それが「何K」であるかも重要でしょ?

 

 

 

問題点を指摘する場合、解決案を一緒に提示しなければならない‥‥というのは、ナンセンスだ。問題点だけを指摘することも重要で有益な行為だ。

 

‥‥というのは、わかります。

 

でもね‥‥‥。

 

アニメ業界はいったい何年、十何年、何十年、問題点だけを指摘し続けたのか

 

‥‥というのはありましょう。100人が100人、全員が問題点しか指摘しなければ状況なんて一切変化しないことをアニメ業界は証明しているといえます。

 

「問題点だけを指摘することも重要で有益な行為」とはいえ、限度があるんじゃないの?

 

結局、アニメ業界は、

 

問題点の指摘にようにみせて、単なる愚痴の憂さ晴らしに終始した

 

‥‥という「実績」があるわけです。

 

今のアニメ業界や制作現場に必要なのは、問題点の指摘とともに解決案も一緒に考えていくことです。問題点の指摘だけを続けて、何ら改善策を実践してこなかった現実が、まさに今のアニメ業界に蔓延しています。

 

問題点の指摘をするのなら、その問題点を改善する具体案も出しましょう。

 

何十年も指摘ばかりしていないで。

 

 

 

私は、4KHDRの制作に携わったことで、問題を大きく改善できる具体案がハッキリと見えました。

 

自分の現場観の甘さも、現場の業態の根本的な悪所も、1年に及ぶ4KHDRプロジェクトで認識できました。何を廃止し、何を継承し、何を新しく導入するのか、計画的に進めていく所存です。

 

だってさ。‥‥今のままじゃ破綻するもん。今のまま続けていたら、未来にアニメを作れなくなるもんな。

 

旧来の「送り描きだけ」で作画する方法では、確実に破綻することが4KHDRの制作経験からわかりました。未来の現場での「送り描き作画」は物凄くお金がかかる‥‥ということを極めて明確に理解しました。

 

ゆえに、未来の動画作業・1枚単価の料金も明快に認識できました。「今の倍」‥‥とかお話にならんですよ。全然もっと、です。‥‥というか、単価の考え方が大きく変わります。口パク1枚とバストショット1枚と爆発1枚の単価が同じこと自体、ありえないことですからネ。

 

 

 

アニメの仕事を「貧乏の代名詞」から脱却させるのは、アニメブーム世代のベテランの必須目標だと私は考えます。

 

そのためには、ブログやツイッターで問題点ばかり指摘していても状況は変わりません。業界団体でシンポジウムをしたところで、忖度会議に終始します。アンケートは単にアンケートでしかなく、状況を変えるチカラはありません。

 

未来につながる行動を、日々、日常的に実践していきましょう。

 

 


暗記か知識か

昔から「解像度」にまつわる誤解や錯誤は尽きなくて、今でも‥‥

 

dpi(ppi)は寸法の尺度だと勘違いしている人

 

‥‥は、特にアニメの現場に多いです。

 

dpi、ppiは、

 

密度の尺度

 

です。

 

大きさ・寸法の話をしているのに、密度の単位を持ち出しても、話が通らんでしょ。

 

 

 

例えば、こんな話。

 

Aさん:今度の日曜に、遠くまでドライブしようと思ってて

 

Bさん:へえ、どれだけ遠くに? 時速何キロくらい?

 

Aさん:へ? 距離の話だから、時速何キロかは、その時々で‥‥

 

Bさん:だってさ、時速50kmと時速100kmだったら、時速100kmのほうが2倍遠くに行けるじゃん

 

Aさん:自動車の速度はともかく、距離の話をさ

 

Bさん:いやいや。時速50kmで走るのと、時速100kmで走るのを比べれば、時速100kmのほうが走行距離が長くなるじゃん。だから、時速は距離と同じなんだ。

 

Aさん:‥‥泥沼の予感。

 

 

明らかに、Bさんは、「距離の話題と、速度の話題とを、混同して勘違い」しているのですが、「そう暗記しちゃった」のでタチが悪いです。「時速」の意味がどこかにふっとんで、走った距離の結果でオーライと信じ込んでしまったようです。

 

「暗記か、知識か」の差です。

 

構造や仕組みを理解すれば「知識」になりますが、段取りや手続きや結果だけを覚えると「暗記」になるのです。

 

dpi、ppiの話も同じで、仕組みや知識を覚えずに、単に「72dpiは低解像度、200〜300dpiは普通、600dpiは高解像度」と暗記しただけの人は、「寸法の話をしているのに、画素密度の尺度を持ち出す」わけです。

 

 

 

知識は、まず文字から。

 

dpi

 

‥‥何の略かご存知でしょうか。

 

ドット・パー・インチ

 

1インチあたりのドット数です。1インチあたりのドットの密度です。

 

つまり、実寸が何インチかが判らなければ、ビデオ解像度(この場合の解像度とは、映像フレームの画素数を示す)もわかりません。「主語」が抜けているような話です。

 

dpiの略語の由来を知れば、何インチかも語らずに、72dpiだ300dpiだと「dpiオンリーで寸法」を語ることのマズさがわかりましょう。

 

dpiは、インチ(ミリやセンチでも良いけど)とセットで語らないとダメです。

*「100F」とか「80F」とかで話す人もいますが、そもそもレイアウト用紙の100Fの横幅実寸が各社バラバラなので、基準にはなりません。「ディー・ピー・アイ」なのですから、あくまでインチやセンチの実寸で話すべきで、アニメ業界特有の「F」をさらに持ち込むのはヤメましょう。

 

 

悪い聞き方:150dpiなんだけど、4Kはこれで大丈夫?

 

=>実寸をちゃんと伝えましょう。適切か否か、判断以前の問題です。

 

 

良い聞き方:26cmの150dpiなんだけど、4Kはこれで大丈夫?

 

=>計算すれば、1535pxであることがわかります。なので、「26cmで4K(UHD)のドットバイドットにするには、375dpiが必要だよ。実寸(紙のサイズ)を大きくするか、スキャン設定を変更しないと、UHDには足りないよ。」と答えられます。

 

 

 

丸暗記や習慣による「知識もどき」と、構造や仕組みを理解した「本当の知識」との、大きな差は、実際の様々な場面で露呈し、状況分岐の良し悪しの原因にもなります。制作現場のスキルが大きく上下することもありましょう。

 

知識は、うわべの暗記や慣習では得られません。

 

知識は、構造や仕組みを理解した上で、さらに実際に経験することで得られます。

 

もし、慣習から経験をスタートしても、その慣習のナゾを日頃から探求すれば、より深い理解と応用も可能になりましょう。

 

これから先、4KやHDRなど、新しい技術要素が導入される映像制作現場において、「知識もどき」のままの「識者きどり」では、新基準の映像制作に支障をきたし、まず発展の機会すら得られません。

 

 

 

年長者になったからといって、「通ぶる」必要はないのです。通ぶっていながら、基本的な理解が危ういまま威張っている人は、理解している人々からみれば、何とも滑稽に見えます。

 

私は、むしろ、どんなに歳をとっても、自身の無知の知をわきまえ、謙虚に学ぼうとする人のほうが、尊敬できます。

 

短い人生、全てを理解できるわけはないので、多くの要素を暗記に頼ることもありましょう。ゆえに、自分の中で「それが、暗記か、知識か」をちゃんと分類して扱うことが肝要だと感じます。

 

知らない事を知っているふり‥‥って、辛くないですかネ。

 

傲ることなく正直に、知識を求める人間でありたいものです。

 

 

 


アップスケーリング‥‥

4Kは‥‥さ、絵がボヤけている、くっきりしているかの問題じゃないんだよね。

 

絵をシャープにリアルタイムで4Kっぽく補正するのなら、いまどきの高画質テレビならやってのけますしネ。いわゆる「自動中割り」もテレビの機能のほうがソフトウェアより優秀な場合もあります。

 

フレーム間の補間でいえば、少なくともAfter Effectsのピクセルモーションより、ブラビアのほうがはるかに優秀です。

 

 

 

我々アニメ映像制作者は、「絵の内容を作るプロ」なのです。

 

絵がボケてるかどうかなんてレベルではなく、4Kにふさわしい絵を作ることが未来に求められています。

 

4Kアップスケーリングで「絵がシャープになったから、4Kに対応できる」とヌカ喜びしないようにしましょう。‥‥そんなレベルでは、いつまでたっても、アニメ業界は貧困から抜け出せず、相変わらず動画単価を200〜300円台で受注する日々が未来も継続しますヨ。

 

4Kアップスケーリングはあくまで「旧作」の4K「お化粧直し」機能です。ちょうど、旧作の16ミリフィルムテレビシリーズをブルーレイの2Kにリマスターしたように。

 

16ミリフィルムの作品、SDやHDの作品を、いくら4Kでリマスターしても、それを4K作品として売るのはNGです。あくまで「4Kリマスター」製品です。もし、結果的に4Kサイズになっていれば4K作品としてまかり通るのなら、映像作品に限らず、世間のあらゆる製品は「水増しOKな正規品」になってしまいます。

 

新作アニメを4Kアップスケーリング頼みで2Kのまま作っていたら、制作に関するお値段も2K=現状のまま改善しません。

 

絵の内容も、単に画像のシャープ感が増すだけで、描いてないディテールが足されるわけではないです。その辺の理屈は、実際に絵を作っている現場の人間なら理解できるでしょう。

 

お金を払う側にしても、「偽4K」に「真4K」相当のお金をホイホイ払うわけないじゃん。ドンブリだけ大きくして、中身は並盛りを水増しして薄めたラーメンに、大盛りの料金を払うわけないですよネ。自分の身の丈で考えましょう。

 

 

 

今はまさに変動期。

 

いろいろな一喜一憂がありましょう。

 

ブレないのは、本質に関わる部分です。

 

プロの映像制作者は、本質を見失わないよう、しっかりと自分らの未来の現場を思い描いて、2020年代を進んでいきましょう。

 

 

 


フォーマット

映像フォーマットは単に規定された規格であって、絵の良し悪しを語る事とは別カテゴリーです。例えば、4KHDRは従来の2KSDRにくらべて、画素数やダイナミックレンジが拡張された規格であるだけで、その規格の中でどのような映像を作るかは作り手に委ねられています。

 

人の胸を打つ絵は、それこそ、紙切れにだって描ける可能性があるわけですが、一方で、どんなに素晴らしい映像でも2KSDRで制作されたものは4KHDRの基準を満たしません。

 

基準を満たす事と、人を惹きつける事を、混同して語るのは素人さんの考え。

 

フォーマットはフォーマット、表現は表現。ちゃんと切り分けた上で、新フォーマットではどんな新しい表現が可能かを探るのが、まさにプロの仕事です。

 

 

 

4KHDR時代におけるアニメ映像制作は、おそらく相当に厳しい内容となるでしょう。その厳しさを「紛らわすため」に、「2Kでも表現では負けてない」「絵の素晴らしさはフォーマットとは無縁」と宣ったところで、新基準のハードルを誤魔化せるわけもないのです。

 

4KHDRで作るのが新しい時代の基準ならば、単にその基準に合わせて、制作環境をアップグレードして対応すれば良いです。4KHDRなど新基準を否定するために「昔の素晴らしさ」を持ち出すのは、あまりにもチャイルディッシュ。

 

新基準でも同じように自分らの思う「素晴らしさ」を表現すれば良いのです。

 

 

 

2019年のアニメ制作において、「VIDEO CDのフォーマットでも、絵の素晴らしさ、話の面白さは変わらない。なので、352x240で制作しよう」と言い出したら、誰だって「それはヤメましょう。市場にのせられません。」と止めますよネ。

 

同じ事が、映像フォーマットの世代交代によって、すぐ先の未来のアニメ業界に突きつけられるだけのことです。

 

2KでSDRの映像は、やがて昔のフォーマットになっていくのです。今までのフォーマットの変遷を振り返れば、お判りでしょう。2KSDRだけは「永遠のフォーマット」になるなんて、どこの誰が宣言できましょうか。

 

 

 

いつの時代も同じです。

 

新時代の映像フォーマットを否定したり過小評価するのは、数年後に「みっともないことをしちゃったな」と後悔するので、その時の感情や状況だけで軽率なジャッジを下すのは控えましょう。

 

今のHD(2K)テレビ放送が映像フォーマットとして登場した時、残念ながらアニメ制作現場の結構多くの人々は「HDなんていらない。SDで十分だ。」と言っていたのを思い出します。

 

‥‥なんと、先見の明のない人々が、アニメ制作現場にあふれていたことか。

 

じゃあさ。‥‥今からでも、720x486のD1サイズで作れば? 誰も止めないからさ。 ‥‥と言いたくもなります。

 

 

 

 

2019年現在、4KHDR映像フォーマットアニメ制作仕様にたじろぐのはわかりますが(実際、作業内容は重いです)、未来のフォーマットへと社会は移り変わっていくのですから、覚悟を決めて取り組みましょう。

 

アニメはパントマイムと違って、体一つで表現できる作品形態ではありません。

 

アニメは、フィルムと映写機、現像システムや劇場など、様々な近代技術から生まれた、まさにテクノロジーの申し子です。1970年代のアニメ、1990年代のアニメ、2010年代のアニメ、実は同じようで技術を大幅にどんどん乗り換えて現在に至ります。

 

2020年代、そして2030年代のアニメは、今までがそうであったように、社会の技術進化と足並みを揃えて歩んでいきます。

 

もし、足並みが揃わず止まった時は、すなわちアニメ産業の「死」です。生きている時間が止まるというのは、もし「その姿」を留めるにしても、「死骸」を博物館に晒す「過去の産業」扱いになるでしょう。

 

アニメ産業は社会のテクノロジーと歩みます。

 

であるならば、社会が生み出す新しいフォーマットに、積極的に、むしろ「喰い気味」に活かすくらいでちょうど良いです。

 

 

 

素晴らしいアニメが作りたい?

 

だったら、当面の未来の標準フォーマットである4KHDRで作っても‥‥いいんじゃないかい?

 

 

 


20年の「敗戦」

前回の記事で書いてて「ギョッ」としたんですが、

 

東京オリンピックの今世紀「20」年8月は、1945年の昭和「20」年8月の敗戦の様相再び

 

‥‥だとしても不思議ではないですよネ。

 

つまり、東京オリンピックは、戦後日本が再び「敗戦」することの象徴になり得る‥‥と、ゾゾゾっと悪寒が走ったのです。私は「オリンピックは普通にやって、普通に終わる」と考えていましたが、実は今まで蓄積してきた社会の内側の大きな「無理」が、象徴的に2020年の東京で表面化するのかも知れない‥‥と、ふと思ったのです。

 

大怪我をして瀕死となる「負け」ではなく、大病による「負け」‥‥です。なので、外部からは見えにくいのかも。

 

 

 

トライアスロンでは海水からトイレの匂いがして

 

会場では猛暑を朝顔で「キモチ」でなんとかできると考え

 

馬術競技では猛暑ゆえに馬の様子が変で

 

‥‥と、今まで日本が作り上げてきたイメージが全て「敗れる」のが東京オリンピックだとしたら、悲劇を通り越して喜劇です。

 

まさに戦後75年目、奇しくも末尾の2桁が一致した、2020年と昭和20年で、敗戦を喫するのだとしたら‥‥

 

もちろん、2020年に玉音放送が流れることはないでしょうが、「今までの価値観に対する、決定的な不信感」のきっかけが、東京オリンピックになってしまうのだとすれば‥‥、なんとも皮肉な祭典ですネ。

 

 

 

「東京」の「責任」も一致しているように感じます。

 

東京の犯した様々なジャッジのミスが、やがて日本全体を敗戦国へと変えた

 

‥‥というのは、74年前の昭和20年以前も同じでしょう。

 

もちろん、繁栄の「立役者」も東京かも知れませんが、同じくらい、いや、それ以上の深い影響力(まあ、首都なので)で、日本の運命を司ってきました。

 

 

 

アニメ業界的に言えば、4KHDRやカットアウトは「進駐軍」でしょうかね。

 

であるならば、新しい技術に占領されるよりも、そもそも事前に新しい技術を取り入れて、「進駐は不要です。だって、すでに導入して改革してます。」と言ってのけたほうが良いですよ。

 

アニメを作って生きていくのは、並大抵のことでは成し得ません。今までがそうであったように、なおさら未来は格段に厳しくなるでしょう。

 

昭和19年、いや、2019年だからこそ、まだできる「IF」を実践しましょう。私らはすでに新しい取り組みや次世代のアニメ制作を見据えた行動を開始して、実感をひしひしと感じ始めています。

 

自分たちの未来の運命は、自分たちが握っているのです。

 

 

 

アニメ業界人全員で「総特攻」をかけますか?

 

本土決戦に至り、体当たり肉弾攻撃で、世界経済に立ち向かいますか?

 

私は自爆攻撃と言う名の無理心中に加担するつもりはありません。

 

あなたはどうですか?

 

 

 



calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< December 2019 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM