佇まい

私は、50年生きてきて、ようやく絵というものが解りかけてきた感が最近あります。まだ、迷いも多く、未熟者ですが、何をよりどころにすれば良いかが、実感できるようになってきました。

 

立体的な空間、時間は、残照に留め、あくまで平面での振る舞いに注視する‥‥ということが、私の求める「絵の世界」だと自分自身を自覚できるようになりました。

 

はっきり言いまして、最終的=つまり、絵としての最終形態においては、立体の理屈など、どうでもいい。そして、現実の理屈も、どうでもいい。

 

平面上に展開し、平面上にその完成像を表すことが、絵の全てです。

 

そして、それこそが、絵の最大のアドバンテージだと心底思えるように、ようやくなってきました。

 

‥‥まあ、私にとっては、ですけど。‥‥一般論とはいいませんヨ。

 

 

もちろん、平面上に絵を展開するために、立体の把握や現実のリサーチなども必要でしょう。人々を円滑に絵の世界に引き込むために、見かけ上の理屈や立体感は(作風に応じて)不可欠だと思います。しかしそれらは全て絵の美しさ、面白さを具現化するための、単なるいち手段です。

 

私の好きな画家さんが、とあるテレビ特集番組で、手を描くために義手メーカーを訪ねて手の模型をあらゆる方向から観察していました。‥‥こう聞くと、「手の立体を把握するためだろう」とか「構造を知るためだろう」とか思いがちですが、‥‥‥違うんですよネ。つじつまや理屈を合わせるため「だけ」に、わざわざ立体を遠方まで確認しにいったのではないでしょう。

 

絵の中の佇まいを成立させるために、自分の目で存在感をできる限りクリアに観察・確認したいのだと、私は思っています。

*ちなみに、そのテレビ特集番組は、既に亡くなった人の絵を描く‥‥という内容だったので、モデル本人の手は直に観察できなかったのです。

 

途中経過として寸法の計測もするでしょうし、細部までスケッチ・模写するでしょうが、それは手段であって、目的ではないです。

 

 

私は実際、アニメの原画仕事ではなく、自分たちの新しい表現を盛り込んだプロジェクトの絵になると、制服の襟ひとつ、悩んで描けなくなることがあります。‥‥なんていいますかね、「どこかで誰かが描いたような」「慣れだけで描いた」「打算的な描写」が、自分で描いてて嫌になってくるのです。

 

たとえ最終的に1本の線で描写されようと、それは平面上で描かれる「然るべき佇まい」であってほしいわけです。

 

 

まあ、そうしたスタンスは、大量に絵を描く旧来のアニメ制作向きでないのは、百も承知しております。制作構造的に、いちいち1本の線で悩んでたら、キリがないですもんネ。

 

ですが、新しい技術においては、1本の線で延々と悩むかは別として、今まで不可能だった画風を動かせる利点があります。もう「アニメ絵」でなくても構わないのです。アニメを作るときに、必ずアニメ絵にしなければならなかった過去の足枷が外れます。

 

絵を動かす‥‥ということに対して、「まず、絵であること」が「許される」ようになるわけです。「アニメ絵以外、お断り」と門前払いを喰らうことは、新技法においてはありません。

 

腐心して描いた1本の線が、粗雑に扱われることなく、アニメーションの時間の中で動かせるようになります。苦労の甲斐もあろう‥‥というものです。

 

 

でもまあ、ゆえに、あまりにも表現の選択肢の幅が広すぎて、逆に迷う‥‥ということもあるんですけどネ。

 

まあ、ビジネスモデルも含め、色々と切り拓いていくことは多いです。

 

 

今後、もしかしたら業界の人々は、「アニメ制作のためのアニメ絵」を作り続けるために、色々な工夫をするようになる‥‥かも知れませんが、私からすれば、それはある種、競合が増えずに好都合ではあります。ライバルが少ない〜海はレッドよりもブルーなほうがやりやすい‥‥ですもんネ。

 

私ら新技術に取り組むグループは、アニメ絵でも、アニメ絵ではない絵柄でも、色々なスタイルと手法でアニメーションを作っていきます。新旧拘らず、あくまで、平面上での最終的な「絵の佇まい」を至上として。

 

悩むことも、迷うことも多いですが、それもお楽しみの内‥‥です。

 

 

 

旧来スタイルによる当面の現実的な路線、未来の様々な可能性への取り組み。

 

現実だけでは行き止まりで先が見えない、夢や理想だけでは現在から未来に繋がらない‥‥と、要するに、両方を同時に進める必要があるわけです。

 

‥‥であるならば、今は今、未来は未来‥‥で、「分けて」考えて行動すれば良いのでしょう。

 

未来を、ことさらに現在の延長線上や刷り直しによって限定する必要もないです。

 

「映画とは本来こういうものだ。アニメは映画じゃない」みたいな論調が最近話題になりましたが、実はアニメを作っている当事者も、「アニメとは本来こういうものだ。アニメ絵じゃなければアニメじゃない」‥‥みたいな暗黙の決め型に縛られているように思います。「型」に束縛されている‥‥という点で、私から見ればどっちも‥‥って、まあ、いいや、それは。

 

こと、アニメ作品の条件を考えれば、絵が動いて、話を紡いで、映像作品となる、‥‥それだけで、アニメ足り得ると私は思ってます。

 

 

*好きな画家は古今東西たくさんいるんですが、上村松園も昔から好きです。‥‥のわりには、山種には一度も行ったことがないんだよねえ‥‥。出不精だから。

アホみたいに混んでる上野美術館の企画展をみるくらいなら、常設の洋画や松園の「」をゆっくりたっぷり見たほうが、数倍幸せです。


生まれ変わりの期間

何度も繰り返し書きますが、最近数年は20数年前と構造が酷似しています。ゆえに、20数年前に行動して上手くいったこと、もっとこうすれば良かったと思うことを、実践すれば良いと感じます。

 

20数年前、まさかフィルムとセルが消えるとは、周りの誰もが思っていませんでした。「フィルム&セル」組は、まさに業界の本道であり、コンピュータによる「デジタルアニメーション」組は少数も少数で、「うまくいくかどうかも判らないモノ」程度の認知度でした。VHSアナログビデオテープが全盛でもあったので、「コンピュータデータによって、アニメ映像を形成する」こと自体、世間一般・業界大多数で「現実味の薄い」話だったわけです。

 

私自身はMacintoshのPhotoshopの大きな可能性に触れ、やがて「デジタルアニメーション」が台頭する確信はありましたが、「フィルム&セル」と共存していくとも考えており、セルやフィルム撮影台だけでなくまさかフィルムそのものまで「消える」なんて思ってもみませんでした。

 

私はその1996〜2000年当時、一眼レフカメラをいつも持ち歩くほど愛用していましたから、余計に、フィルムが消えるなんてありえないと信じて疑わなかったのです。当時のデジカメはQuickTakeでそりゃあもう、お粗末至極の性能(小さい画像、汚い画質、すぐに切れる電池)で、信頼できるカメラはまだまだフィルム方式だったのです。

 

*2009年頃のムービー用フィルムパンフレット。五反田のラボのロビーで待ち合わせの間に、フィルムの思い出に‥‥と、記念にゲットしておきました。

 

その辺の経験から鑑みて、今回の大変動期も、作画の現場はもしかしたら‥‥と思うこともあるのですが、作画の未来は読みきれません。少なくとも私自身は、新技術を推進する立場を明確にしつつも、20年前と同じように、「旧来技術が消滅することはない」とも考えています。紙を廃止しても鉛筆をペンタブに持ち替えて「デジタル作画」として継続し、金がかかる構造も含めて、継承していくと予測しています。

 

なぜかというと、新技術はよほどコンピュータに慣れた人間でないと、あまりにも「作画感覚が違いすぎる」ので移行は困難で、ゆえに作画畑の人々の多くは「移行できない=昔の技術を使い続ける」と思うからです。旧来の作画感覚で仕事をする人ほど、カットアウト、キーフレーム、三角メッシュやボーンの操作感覚は、違和感たっぷりで拒絶感を乗り越えられない‥‥と思われます。

 

旧来技術の中で生き続けたい人の「許容」として、旧来作画ベースの現場は存続すると予測しています。

 

ただし、経験したありのままで考えると、そのあたりも未知数‥‥と言わざるえません。少なくとも、20年前の私の「フィルム&セルと、コンピュータ&データは、お互いに長所をアピールしつつ共存していく」と考えていた予測は大外れだったわけですから。

 

 

 

 

‥‥で、そうした全体像だけでなく、私個人の仕事周りにも、20年前と酷似する状況は再演しています。

 

これからはコンピュータを自分の武器にして仕事をする!‥‥と決心しきれたのは、1997〜1999年くらいのことでしたが、その間にスパッと紙と鉛筆からコンピュータに完全に切り替えられたわけではなく、昔のご縁=自分の能力を知ってくださる方々からの仕事は続けていて、実質は紙とコンピュータの掛け持ち状態でした。

 

そして現在も、同じ状況を再演しています。新しいスキームと、旧来のスキームの、同時進行。

 

前に、「良い死に場所を見つけた」と書いたのもつかの間、ドドドッと旧来の原画&コンポジットの仕事依頼が複数来て、20年前の再来〜死に損なう日々が続くのかも知れません。

 

 

新しいカタチに生まれ変わるには、実はそれなりの長い年月が必要‥‥みたいです。過去の経験から、そう思います。

 

自分ではズバッズバッ!と豪胆かつ積極的にアクションした気でいても、大きな物事が動きだすにはそれ相応の時間は要するのです。大転換期であればあるほど‥‥です。

 

 

 

 

じゃあ、誰かさんが物事を動かすまで、待ってればいいや‥‥というのは、ものすごく、見当はずれな考えでネ‥‥。

 

そうした日和見行動は、まさに状況に流されるままに流されるので、溺れ死にそうになるところから「次のフェイズ」をスタートすることになります。最近のアニメ現場の状況を鑑みるに、いきなり最初から不利な立ち位置でキャリアを開始する人も多いと推測しますが、それはその制作集団が日和見したツケが回っているだけです。

 

物事の流れを読んで「先行投資」して「良い位置につける」行動を実践した制作集団は、流れの影響は受けつつも呑みこまれっぱなしになることはなく、また次のタイミングを狙っているものです。

 

 

とは言え、新機軸をどんどん打ち出して、新しいアイデアを実践して形にしても、物事は即応しません。大きな流れが方向を変えるには、様々な要素と相応の時間が必要です。

 

だからと言って何もしなければ何も変わりません。むしろ、何も行動しなかったことが、数年後、十数年後に、どんどん不利な局面へと自分を追い込んでいきます。

 

まあ、戦争論そのもの‥‥ですネ。

 

大胆な戦略展開と地道な持久戦が並行で進みます。

 

 

* *

 

 

1原2原はおろか、3原、4原、果ては0原(ゼロゲン!!!)まで存在するようになった状況。

*ちなみに、ゼロゲンやヨンゲンは同僚から聞いた話であって、私の周りには、そんな仕事の状況はありません。関わる作品制作スタッフの名誉のために明記しておきます。

 

もちろん、ウケ狙いやネタで0原や4原の仕事を増やしているのではなく、切実なその現場の理由があるのでしょうが、どんな理由があろうと、それは「型崩れ」「崩壊」に他なりません。だってさ‥‥‥、3原、4原や0原まで発生しちゃった現場って、いったい、原画料金はいくらに細分化されるの? ‥‥まさか、1カット、1000円?

 

仕上げさんがキャラ修正するのが恒常化した現場、本撮テイク1を2〜3日で撮り切るのが恒常化した現場。

 

「近年10〜15年の状況」しか知らなければ、新しい未来をどうやって切り拓けば良いか、実感があまりにも希薄でしょう。

 

惰性でアニメを続けるベテラン、今の状況を「しょうがない」で済ませる中堅、憧れだけでその先は何も考えてない新人は、まあ、ふさわしい場所が未来に用意されるでしょう。

 

要は、私のようなコンピュータ導入の黎明期を肌身で知る古参スタッフと、業界入り当初から「地獄の現場」で生き続けたがゆえに未来を変えたいと強く思う中堅スタッフ、そして、アニメを憧れだけでなく生業として真剣に新しい技術と経験を吸収していこうと決心する新世代スタッフの、人材を選抜した上での結束が必要不可欠となりましょう。良き未来を志向するのなら、ベテラン・中堅・ルーキー全ての世代において、日和見路線や尻馬路線と決別する覚悟と行動が求められます。

 

 

 

いくら大勢で寄り集まっても、烏合の衆や日和見集団じゃ、何も動かせません。かえって、身動きが取れなくなるもの‥‥ですよネ。そんなの見飽きるほど見てきましたワ。

 

なんだかんだ議論しようが、あれこれ小理屈をひっつけようが(=我ながら)、結局は、物事を動かす意志をリアルに実践できる人間たちだけが、自分たちの運命を変えていける‥‥と、この20数年を経験して、実感します。

 

 

 


賭けずとも

色々とスッキリと物事が進まない日々ではありますが、だからと言ってため息をついてても何も解決しないですから、どんどん先に進めましょう。

 

最近、新しいソフトウェアを3ライセンスもまとめ買い(自費でな)しましたが、4Kにも60pにも対応していて、頼もしいばかりです。

 

どんどん作例を増やして、ザクザク状況を積み上げていくべし。

 

 

 

 

私は「賭けごと」について、とても凡庸な人間であるがゆえに、「賭けずとも、上手くいくこと」に対して、妙に従順なのです。

 

上手くいくことって、既に表面に判りやすく答えが出ているんですよネ。その逆も然り‥‥ですけど。

 

20年前の「デジタルアニメーション」の時も、もっと昔のアニメーターになった時も、そして現在進行形の新技術の取り組みも、「賭ける必要などない」ほどに「上手くいくこと」だとの確信がありました。

 

自分は才能がない、上手くいくはずがない‥‥と自虐を演じる人はどんなジャンルにも存在しますが、ほんとにそう思うのなら、やらなきゃいいじゃん‥‥と思います。「イチかバチかの賭けに出ることに緊張している」時点で、負けが予兆されているとも思いますしネ。

 

本当に賭けに強いヤツは、賭けること自体にビクビクおどおどしてませんし、私のように賭けに弱いヤツは、賭けずとも目的を達成できるように地道に準備して状況を作りだそうと行動します。

 

 

私はギャンブル系はまるでダメで、その昔、ポーカーやパチンコなどにめっぽう強い親友がいましたが、「異能戦士」のように思えたものです。ポーカーマシンのメダルをざっくざく出しているのを見て、自分には無理だと悟りました。

 

なので、ギャンブルの才のない私は、無意識にでも「勝てるものにしか手をださない」人間へと自然と傾いていきました。‥‥ギャンブルに強いヤツが親友だったので、対比として、特に「そうなっていった」のでしょう。

 

我を振り返るに、「自分は賭け事には弱いから、賭けに頼る事なく、確実に勝てる道を探そう。賭けに負けても、勝負には勝てる戦いを仕掛けよう」と考えたのだと述懐します。こうして書いてて、なんとなく昔の自分を成り行きを思い出しました。私は自分なりの才覚に応じたリスクマネージメント・リスクコントロール(今風に言えば)を身につけていったわけです。

 

 

 

 

今のアニメ業界は、「西からお日様が昇って、東に沈む」ことを願っているかに見えます。自然の摂理を「ひっくりかえした」ような、何だか、天才バカボンの歌みたいですネ。アニメ業界は時間が逆行してくれるのを望んでいるかのようです。

 

一方、私らのような少数派ムーブメントの弱者にとっては、自然の摂理は心強い味方です。時間が進んで、時代が進めば、やがて「事」は上手く同調して進んでいきます。東から昇るお日様の通り道に合わせて、色々を育めば良いだけです。

 

 

とは言え、一切の「賭け要素」がなく「安全パイ」で進行する‥‥なんていうのも自然の摂理に反しています。どんなに予測していようが、思わぬ方向にサイコロが転がることもありましょう。

 

ゆえに、未来はこうなる!‥‥なんて一択ではなく、いくつもの可能性を考慮しておく必要があります。可能性の分岐を、恐怖ではなく、楽しみに変えて‥‥です。

 

 

ただし、日本が江戸時代にタイムスリップしないのと同じように、アニメ業界を取り巻く状況も、70年代テレビアニメの時代へと逆戻りしません。時間だけは、可能性の如何に関係なく、不可逆です。

 

まあ、核戦争さえ起こらなければ‥‥ですがネ。大戦争が起こったら、時間は不可逆でも、時代は巻き戻ることもありましょう。アニメなんていう娯楽が年間に数本しか存在しなかった時代に‥‥です。

 

 

 

私は、時間が不可逆だという一点だけでも、十分、「戦える」と思ってます。時間は色々なことを変えていきますもんネ。変わりさえすれば、隙が出来て、動ける‥‥ということです。

 

不可逆な時間をどう上手く使いこなすか‥‥‥は、私だけでなく、全ての人におしなべて問われるのでしょうネ。

 

 

 

 

‥‥と書いたそばで、今月もこなす仕事が盛りだくさんで、押しつぶされそう‥‥。

 

1月、もう終わっちゃったのか‥‥‥。ひと月が速過ぎるわ。

 

 


雑感

正直な話、新しい技術体系に移行すると、旧来の技術体系に合わせるだけでも、かなりの損失を被ります。「昔の型」に合わせるために、遠回りの追加工程やラッピングを余儀なくされます。

 

しかしまあ、これはもう、「移行期の常」として、その損失分も計算に入れて、旧体制との互換を図るしかないです。旧体制絡みの仕事をするうちは‥‥です。

 

ただ、これもまた、正直な話‥‥ですが、ため息はどうしても出てしまいます。道路も自動車も給油網も整備しているのに、「馬車しか受け入れられない」昔のインフラの現場のために、わざわざトラックに荷物だけでなく馬を乗せて輸送しなければなりませんもんネ。

 

「昔の流儀」とはいえ、アホらしく思えてきます。旧館の入り口の前で、馬をトラックから下ろして馬車に仕立てて、荷物を載せ替えた後に、ようやく門をくぐる‥‥というのは。

 

あまりにも滑稽たる、無駄なコスト‥‥。

 

 

 

率直な感慨‥‥ですが、今現在のアニメ制作現場が改善されることはないです。修復や修繕はできても、改善は不可能です。

 

「なぜ?」と思う人もいるかも知れませんが、逆に「なぜ、改善できると思うのか」、その改善のシナリオを聞きたいくらい‥‥です。

 

お金がないのに、いっぱい人を使わないと作れない。映像世界の技術はどんどん進んでいくのに、根本的に為す術もない。

 

お金と技術進化に見放されて、どんな改善のシナリオが思い浮かぶのか‥‥。

 

 

 

ベース構造が破綻してれば、改善も巻き直しも不可能。

 

倒れかかったビルの一室の水漏れを修繕して、ビル全体の倒壊を防げるんですかネ。

 

そして後になって、倒壊したビルの瓦礫の山を見て、「水漏れを直したお金を、どうせなら、新しいビルのために使えば良かった‥‥」と思うでしょう。

 

 

 

もし、何かを「そこ」に見出すとすれば、「死期」までの時間をどれだけ稼げるか、だけです。

 

 

これは、言い換えれば、「移り変わり」をどう「生まれ変わり」へと役立てるか‥‥ですネ。

 

 

 

 


省略

おそらく、世間一般のなんとない認識では、「漫画やアニメは略画だから簡単だ」というのがあるでしょう。線で省略して描いて、中をベタ塗りするので、「簡単なモノだ」と無意識に感じ取ると思います。

 

で、前回書いたAIも、恐らく、「簡単に描かれたアニメ」だったらAIで処理できる‥‥という、ある種、迂闊な認識もあるのかも知れません。

 

しかし、「何かを極端に要約して、シンプルに表現する」というのは、ことのほか、難しいものです。

 

例えば‥‥

 

 

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

 

 

‥‥の、誰でも知ってる正岡子規の俳句は、文字を何百も割いて表現しているわけではないのに、その場の情景や温度、風、光、そして感情や感慨などの様々な「情報」を内包しています。

 

柿が実る季節

鐘がなる夕暮れの時間帯

法隆寺の近隣

 

‥‥は、すぐにでも文字から導き出せるでしょう。これらの要素を、さらに読み解いていくと、

 

柿を食べている=夕飯ではない=ひといきついて、ふと、休息している

夕暮れの時間帯=空は徐々に赤みを増し、カラスの鳴き声も聞こえているだろうか

法隆寺の近隣=古都の面影を忍ばせる家屋の佇まい=垣根や庭の葉も徐々に枯れ始める頃だろうか

 

‥‥いうような情景のディテールがたった5+7+5=17文字の中に含まれています。

 

そして、そうした情景の中で、

 

法隆寺の存在=自分の生まれる前の、遥か昔から流れ続ける時間

柿を食う=今こうして、リアルタイムに生きて、柿をカジっている自分

 

‥‥という、

 

悠久と刹那の混じり合うニュアンス

 

‥‥までも読み取れます。その場に生じた、ふとした感情までも情報としてロードできるわけです。

 

恐ろしいのは、たった17文字の情報から、正岡子規の感情や感慨を「追体験」できる点です。

 

人間の知能って、何なんでしょうネ。

 

 

このような「自分という存在の、確かさと儚さ」を、AIが単語だけオンライン辞書から引っ張ってきて、「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」から読み解ける?


単語の組み合わせから解釈を導き出せなければ「知能」とは言えないですからネ。

 

 

それに、上述の解釈は、あくまで私が読み取った解釈であって、全然違う解釈をする人もいるでしょう。

 

そこが面白いわけです。

 

ダメよ。誰かがデータベースにアップした「正岡子規ベスト俳句・解釈ライブラリ」から引用しちゃ。そんなの「人工知能」ではなく、「ライブラリ検索機能」でしかないですからネ。

 

 

極限まで切り詰められた要素の組み合わせで、大量の情報を導き出す‥‥という点において、俳句や詩のスタイルは、漫画やアニメの絵に共通します。

 

ですから、「簡略化した絵だから、そんなに手こずることもなく、コンピュータが自律的に描けるだろ」と思うのは、あまりにも思慮が浅い考えです。実写から輪郭抽出するのとはワケが違います。

 

 

ただ、「今、流行りのキャラのパターンをパーツわけしてライブラリ化」して、組み合わせのメソッドを作って、少々のランダム要素を入れて、「新しいキャラを作りました」というのは、AIに頼らずともコンピュータで実現可能でしょう。というか、既にやってますよネ。

 

ですから、生身で絵を描く側が「流行りのパーツの組み合わせルーチンワーク」で仕事してたら、生身の人間の優位性なんてあまりないですよね。

 

やっぱり、絵は、どんなに簡略化されていようと、その人間の「体の中に流れる、血」で描かないとネ。

 

 

 

‥‥あ、そうか。この「血」で絵を描く‥‥なんていう言い回しも、AIには難しいのかな。「血」とは何を暗喩しているのか、どのような複数の意味を内包しているのか。

 

人間だって、意味が伝わらない人、いますもんネ。

 

 

 

AIの発達は、私個人としては、とても楽しみにしていますし、仕事に活用できるのなら喜ばしいことでもあります。

 

ただ、使い捨てではない、ちゃんとした作品を作ろうと思うのなら、AIはもっと「表現が上手になって」からでないと「スタッフには加えられない」んですよネ。

 

 

 

 

 


何か、色々

ツイッターをたまに見ると、「公式」とか「裏塗り」とか色々な話題が飛び交っておりますね。私はもう蚊帳の外なので、傍観するばかり。


接点もないのに、昔馴染みというだけで絡んだって、お寒いだけだし‥‥。「もうアンタは当事者じゃないんだから」と言われて終いです。

 

昔の現場が、どんどん遠くなっていきます。

 

 

私が度々取り上げる4K60pHDRは、別に「新しいから」取り組もうとしているわけじゃないです。何かに真剣に取り組む時に、「それが新しいから」なんていう動機で行動などしません。実際、ひと昔前に「3Dテレビ」が新しく登場した時は、全く行動しませんでしたしネ。

 

4K60pHDRに取り組む理由は単純この上なし‥‥です。

 

今まで手に入らなかったものが、しこたま、手に入るから‥‥に決まってるじゃん。

 

 

多くの人は、何が手に入るか、まるで判らないから、動かない(動けない)だけです。そうね‥‥20年前のように。

 

‥‥判っている人々は、もう動き出してるもんな‥‥‥。

 

 

逆に言えば、旧来のアニメ技術では、手に入るものはもうない‥‥とも思います。私からすれば、昔の現場は、掘り過ぎて枯渇した炭鉱のようで、いつ崩落してもおかしくないとさえ感じます。

 

とは言え、炭鉱で働く人は、崩落のその瞬間まで、炭鉱と運命を共にしなければならないのでしょうかね? 何か義務でもあるのだろうか。‥‥ないよね。

 

「もっと、もっともっと、とことん掘り進めば、昔のように石炭がザクザク出てくるかも知れないじゃないか」‥‥というのは否定はしません。そう思いたい人が多いのも、「日本人」の特性を鑑みれば、解ります。

 

 

ただ私は、「石炭」から脱して、「石油」や「自然エネルギー」に転換する道を選択します。「油田」は見つかったんだし。

 

未知ゆえに何が起こるか、完全な予測が難しい未来が、目の前に待ち構えているのなら‥‥です。

 

私は「炭鉱夫」だったからこそ、「石炭」に明るい未来はないと実感するのです。「もっと、もっと」と、どんどん掘り進んで、どんどん外界=時代との接点が薄くなって、ようやく新たに石炭を掘り当てて穴から外に戻った時に、まるで世界の技術も価値観も一変していた‥‥なんていうのは、あまりにも悲劇だと思うのです。

 

 

今、20代、30代の人は、ホントに、自分と自分の属する集団の未来を考えたほうが良いと思います。

 

「チャンスを与えてもらえない」なんてボヤてないで「ネジ込んで認めさせれば」良いのです。延々と待ってても、何も始まらんよ。もちろん、「認めさせるための自前の材料」は必要ですよ。

 

‥‥で、ネジ込んでもダメな場合は、その集団から離れるしかないですネ。私も20代の頃は、転々としたもんな‥‥。自分のいる班のフロアだけが、自分の居場所だと思いつめる必要はない‥‥ということです。フロアが変わるだけで、気風も技術基盤も作業意識もコロッと変わることだって珍しくないです。

 

新しい分裂と結合があって、新しい化学変化も起こるのです。

 

 


4K60p動画のコンデジ

‥‥をはやく発売してくれんかなー。日本のカメラメーカーさん。

 

ぶっちゃけ正直な話、iPhoneなどのスマホはあくまで「カメラ機能」であって、カメラではないんですよね。感覚的にマヒすることも多いけど、要は‥‥

 

超高機能な「写ルンです」

 

‥‥なのです。iPhone好きの人は「そりゃ言い過ぎだろ」とか思われるかも知れませんし、私もiPhone8を使ってますけど、フィルム時代から一眼レフとか中判カメラとか色々と使ってきた率直な感想として、です。

 

*今でも売ってルンです。ちなみに、「写ルンです」は「レンズ付きフィルム」と呼ばれてました。レンズはおまけ‥‥というわけです。

 

 

まあ、1番の理由は「被写界深度」ですかね。

 

人物の周りを後付けでボカせば「深度の浅い」写真‥‥なんて、見た瞬間に失笑を禁じ得ない、ほぼ「出オチ」みたいな機能ですし。

 

そして、同じく重要な理由は「レンズの特性」でしょうかね。iPhoneのあの小さいレンズに、過度な期待は禁物‥‥なのは、よくよく考えてみれば誰でもわかりますわな。

 

この2つの大きな理由で、iPhoneのカメラ機能は「記録写真を撮るには良いけれど、その場で感じた雰囲気まで写し撮るのは難しい」です。

 

もちろん、iPhoneのカメラでも雰囲気のある写真は撮れますが、iPhoneの弱点をカバーするような構図やシチュエーションが必要です。iPhoneの性能に合わせてiPhone流で撮影する感じは、写ルンですの限界を承知で構図を決めて「サマになるように」シャッターを切ってた昔を、すごく思い出します。

 

「超高性能写ルンです」たるiPhoneの、小さなカメラレンズ越しに撮影した動画も、同じ限界から逃れられません。

 

Filmic Proは良いんですけど、やっぱり、iPhoneの限界の内側にあるアプリです。

 

 

ただな‥‥4K60p動画撮影機能は、今のところ、コンデジやミラーレス一眼には存在しないですよネ。

 

私はミラーレスの普及価格帯(5〜6万)を狙っているのですが、未だに買うに至りません。動画機能が4K60pにアップするのをずっと待ってるのです。2K60p、4K30pなら、既存のキャノンのコンデジや一眼レフで可能なので(手元にあります)、あらたにミラーレスを買うつもりはないです。

 

今では、24pや30pの「コマ落ち感」が容易に判別できるようになりました。60pのアニメのモーションが、QTの転送落ちで30pくらいに落ちると、すぐに判ります。滑らかなモーションに見慣れると、私だけでなく、おそらく多くの一般の人が「なんかパタパタしてないか?」と旧時代のフレームレートに違和感を感じるようになるでしょう。

 

でさ‥‥、どうせ動画を思い出として残すのなら、4K60pがいいよね。わざわざ2Kや30pで記録する必要はないです。2018年現在は、4K60pが少なくともiPhone8以降で「普通」に撮影できるのですから。

 

 

4K60pの記録性能は、絶大です。お出かけするのが楽しくなります。

 

しかし、iPhoneに絞り機能と大口径レンズ(といっても、コンデジくらいの)を装備するのは難しいでしょう。だったら、コンデジやミラーレス一眼が、次世代性能アップを果たせば丸く収まります。

 

廉価な4K60pの動画撮影機能は、何もiPhone8やXの独占技術ではないでしょうから、気長に、日本のカメラメーカーの動きを見守ることにします。私は、カメラメーカーに20代の頃から深い愛着を持っているので、iPhone8を常用しながらも、iPhoneのカメラ機能など本家のカメラメーカーが蹴散らしてくれることを、ココロの底では期待しておるのです。

 

 

 

 

 

 


雑感

新年早々、不吉な(不幸な?)ことばかり書きましたが、2018年を何かひっかけたままスタートするのも忍びないなので、ひっかかりを言葉で外してみた次第です。

 

4K、60p、HDRと、近い未来の主要要素は、機材も揃いはじめて、とにかく前に進むのみ。頭であれこれ考えても、しゃあないです。実際に、手を動かさないと。

 

4K60pHDRはハッキリ言って苦しい。困難の連続です。2K24pSDRに留まっていれば、その苦しさからは逃れられます。しかし、2K24pSDRに留まったら留まったで、別の苦しさに苛まれます。

 

私の経験上、「苦しい」には、2種類あって、

 

救いのある苦しさ

 

救いのない苦しさ

 

‥‥があります。

 

救いのある苦しさは、「報われる苦しさ」「楽しみのある苦しさ」です。何かを産みだす時の苦しさとも言えます。

 

救いのない苦しさは、その逆で、「報われない苦しさ」「絶望しかない苦しさ」です。何かが死んでいく時の苦しさとも言えます。

 

 

 

現場で苦しさを感じることがあったとして、その苦しみには、救いはありますか。

 

現場の「正しい」を、信じ過ぎてはいませんか。

 

 

「正しい」は、とても怖い。「正しい」は人間を著しく不自由にします。

 

正しいことでも、固執すべきではない‥‥とは、去年の日めくりカレンダーにあった、善き言葉です。

 

 

 

4K60pHDRが困難の連続でも、それは救いのある苦しみです。苦悩を経て歓喜に至れ‥‥です。

 

しかし、4K60pHDRもやがて時代の流れに流されていくでしょう。全てのものは虚ろい、絶対的に正しい何かなど、ありようはずもないです。

 

全てのものが流動的なのであれば、逆に、開き直れる‥‥というものです。ジタバタするより、ドッシリと見据えていきましょう。

 

 

 


アイオーデータのモニタ

正月早々、10年現役だった液晶テレビが壊れて、急遽、HDMI入力を持つ、できるだけ安いモニタを買いました。

 

これです。

 

 

I-O DATA モニター ディスプレイ 23.8型 EX-LD2381DB」です。

 

価格は何と、13,000円。

 

‥‥いやまあ、昔から、この価格帯のHD24インチモニタはあるにはあったんですが、どえらくヒドい内容でもう買うことはあるまいと思っていました。

 

しかし、このアイオーの2381は、かなり良いです。驚きです。

 

もちろん、映像制作には耐えないでしょうが、軽い用途で映すだけなら、十分。‥‥と言っても、見えてりゃ何でも良いレベルじゃなくて、絵が落ち着いてそつなく、無難で見やすいです。ずっと長時間、見てられます。

 

価格コムで注目度が高かったので、ダメもとで買ったんですが、大当たりでした。この価格で、この映りで文句を言う人は、おるまい。5万や10万、60万のモニタと比べるのはお門違いですもんネ。

 

ちなみに、かなり視野角は広いですが、斜めから見ると、肌の彩度が若干落ちるのが判ります。でもその辺はドンマイでしょう。色が激烈に変わって、人間が悪魔のような色彩になるような事はないです。かなり、持ちこたえます。視野角の彩度の変化が気にならない人も多いかも知れません。

 

妙なギラギラ感もないし、視野角は広いし、色はそつなく無難だし‥‥で、三菱の技術が継承されているのかは判りませんが、ありがちなゲテモノなプアモニタとは一線を画しています。

 

入力はHDMIとDVIとD-subの3つ。この辺はコストゆえですネ。また、HDMI経由でスピーカーから音は出ますが、「確認用」の簡易スピーカーなので、ヘッドフォン端子経由でFOSTEXやYAMAHAやBEHRINGERのアクティブスピーカーに繋いだ方が良いかも知れません。

 

映像制作ならば、決してメインにはなりませんが、サブモニタには十二分になると思います。13,000円近辺だとサブモニタにもならないほどの劣悪な製品もありますが、この2381はサブモニタでPCを繋ぐほか、内容の簡易確認用でDVD/BDプレイヤーを繋ぐのにも適しているかも知れませんネ。

 

 

 

 

 

 


どんどん先に進める

如何ともしがたい現場の現状をあーだこーだ言ってても、僅かばかりの改善や進展しかしないのなら、明らかに進展する道筋へと方角を定めてどんどん進めば良いです。

 

誰でも考えつくようなシンプルな方針とは言え、「慣習」「習慣」に慣れ切ってしまうと、実践するのは中々難しいものですネ。

 

でも、徴兵されているわけではないのですから、自分の発起次第でもあります。自分ではアクションせず、いつか誰かが改善してくれるなんて他人事にしてたら、何も変わらないどころか、バンザイチャージにいつか巻き込まれます。

 

 

昨日自動録画されていたNHK特集の「戦慄の記録 インパール」の完全版を見たんですけど、やっぱり胸糞悪いですネ。昔から、日本のぐだぐだ加減って、なんも変わらないんだと痛感します。今、アニメ業界は四方でインパール作戦ばかりですもんネ。

 

最前線(死傷者続出の戦域)の師団長の電報

師団はいまや糧絶え

山砲および歩兵重火器弾薬も

ことごとく消耗するに至れるを以て

コヒマを撤退し

補給を受け得る地点まで移動せんとす

 

 

後方司令部(安全地域)の司令官の返答

貴師団が補給の困難を理由に

コヒマを放棄せんとするは

了解に苦しむところなり

 

 

以上、番組から引用。

 

あーあ。って感じです。日本人は時代が変わっても懲りないよねぇ‥‥。

 

弾薬が尽きたなら、腕で殴って足で蹴って、手足がやられたら嚙みつけ!‥‥とかアホなことを司令部の最高トップが言うような作戦がインパールでしたけど、昔話だからって笑ってられないですよ。2017年のアニメ業界だって、睡眠という補給なしで24時間戦うような現場だってあるでしょ。

 

歴史から学ぶことは多く大きいです。

 

 

ここ2〜3年の「自分のブログ」「自分のツイート」の「歴史」を振り返ってみても、同じようなことをずっと嘆いてるんだとすれば、もうその論題は好転の望みがほとんどない‥‥ということです。

 

何年も同じことを嘆きながら、新しい可能性は自分たちでは一向に開拓せず、旧体制の枠の中で収まっていたい‥‥のならば、それはもはや、旧体制の大本営と同じ穴のムジナということです。ホントにそれで良いのですかネ。

 

 

どんどん可能性のある方向に進んで、どんどん実践して、どんどん力を蓄えましょう。

 

地面に種を埋めて、たまに水をやるだけじゃ、思うように発芽しませんし、発育は運任せだし、収穫も覚束無いです。苗ポットに然るべき土を詰めて、種を埋めて、発芽しやすい温度の室内で発芽させて、ある程度育ったら、さらに大きく発育するように植え替えをする‥‥なんていうのは、ちょっと園芸をかじれば誰でも知り得ることです。

 

みなさんは、ほんとに真剣に、自分の未来を発芽させて育てる気がありますか。‥‥あるのだったら、そのようにアクションしましょ。

 

私も2018年来年は、昔のダメダメさではなく、新しい可能性に関することを多く、このブログで書いていくようにしよう。

 

 

 

 



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