デジタルリッチを目指す

4K60pHDRのテレビで、アニメでは何を作ったら良いんだろう。

 

デジタルプアに慣れきってしまった人々は、そんな簡単なこともわからないようです。この10年のツケが回ったとも言えます。

 

まあ、HDRはまだコンシューマ向けのソリューションが見当たらないので、動きようも無いのはわかるのですが、4K60pはすぐにでも手に入る身近な存在になっています。頭で考えるのも必要ですが、頭だけで考えていても具体像は見えてきませんから、実際に4K60pで色々とテストしてみれば、何を作れば良いかなんて、結構簡単に見つかるものです。

 

4K60pHDRでどんなアニメを作れば良いかなんて、解りきっています。

 

絵が緻密で動きが滑らかで鮮やかな色彩と深い明暗のアニメです。‥‥ぎゃふん!‥‥というほど、当たり前のことなので、あえて言う必要も無いとは思っていますが‥‥。

 

つまり、2020年代のデジタルリッチを目指せば良いのです。デジタルプアではなくて。

 

「絵が細かくて、枚数のべらぼうにかかるアニメ制作なんて、非現実的じゃないか」‥‥というのは、まさに現場インサイダーの方々の意見でしょう。‥‥まあ、普通に考えて、現場は「死にます」よネ。

 

なので、2020年代のデジタルリッチには、アニメーション制作技術の再発明が必要なのです。

 

「その再発明とやらは、結局、何なのよ」‥‥なんて、まず自分たちで考えないとダメです。何でも他から与えられると思っている時点で、再発明なんてできないですからネ。(それに、ブログで軽々と、現在進行中の開発をタレ流すことなど、できようもないですし。)

 

 

もし、再発明ができないのなら、2.5K24pSDRで作って、アップコンの技術を高めたほうが良いと思います。早々に「アップコン本命」に思考をフィックスしたほうが、妙なコストを浪費せずに勝機を見出せます。

 

しかし、それは少なくとも、リッチではないですよネ。「勝てる」(=破綻しない)かも知れないですが、高品質映像フォーマットのポテンシャルを存分に引き出した「リッチな映像」ではありません。4KタブレットPCで見て丁度良いくらいのユーザエクスペリエンスしか消費層に与えず、前回書いたデジタルプア現象がいつまでも継続します。

 

そして、映像内容がリッチを体現できないだけでなく、現場もリッチな環境へと移行できません。今までのアニメ業界の悪習を裁ち切る機運は生じず、アニメーターはいつまでも「技術不相応なギャラ」で仕事をし、仕上げ・撮影は猛スピードの徹夜の連続で「時間の帳尻を合わす」役どころのままです。「今までソレで出来てたんだから、未来もそのままでいい」という発想です。どんなに現場の窮状を訴えても、今までソレでやってきちゃった事実があるので、「現場の怒りをなだめすかす」くらいの取り組みでお茶を濁されて終了‥‥だと思いますヨ。映画「薄化粧」の炭鉱労働者と経営者の構図のよう‥‥ですネ。

 

 

20代、30代、40代、50代、そして60代‥‥と、スキルの向上とともに、ライフスタイルもビジネススタイルも移行していく「人生設計」を、今のアニメ業界のシステムは皆に与えてくれません。30代でひと通りの手練手管を習得したら、残りの人生はその作業スタイルの繰り返し。つまり、30代で作画監督や撮影監督になったら、そこでキャリアストップで、その先の伸びしろは「スタジオを経営する」とか、別の手段に訴えるしかないですが、まさか業界スタッフ全員がスタジオ経営者や監督になるわけにもいかんでしょ。

 

しかし、デジタルプアでなく、デジタルリッチを目指すのならば、「真のデジタルの深み」と真正面から向き合うこととなり、30代で伸びしろがストップするなんてありえません。

 

例えば作画。

 

20代で作画の基礎のあれこれを学び、30代で絵だけでなく実写の技術も作画に取り入れ、同時にプラグラミングやシステム構築の技術も学び、40代では作画や実写やプログラミングに加えて、着々と進行する映像技術進化を作画技術に統合し、50代ではそうした技術をもとにどんな作品を造るべきか、多様な側面から作品の土台を計画・設計し、60代ではあらゆる技術要素の集大成に入る‥‥みたいな、一生かけてもやりきれないほどの広がり=伸びしろが待ち受けています。

 

年齢に応じた経験値をもたないと、とても受け止めきれないような「世代別の事業」が、デジタルリッチには「幅広く」待ち受けています。でもそれはまさに、各人のライフプラン、現場の年齢サイクルに応じた「伸びしろ」なのです。

 

そんな中、私個人の「考えても詮無い」ことは、「人間の寿命が短い!」ことです。技術要素の集大成を60代でやったとして、その集大成を残されたわずかな時間でどうやって活かせば良いのか。‥‥人間の寿命とは、あまりにも儚いものですネ。なぜ、人間は70〜80歳までしか生きられないんでしょうねえ‥‥。

 

なので、デジタルリッチな作品作りをするには、多くの才気ある人間が手分けして、アニメーション技術を再発明するところからスタートし、どんどん技術体系を構築していかねば成り立ちません。

 

そして、デジタルリッチなビジネスモデルも、デジタルプア勢に負けることなく、切り開いていく必要があります。昔の慣習を踏襲しただけの、すかした「アニメの売り方」なんて要らないです。実際、ベビーブーム時代のビジネスモデルはとっくの昔に、つい最近の円盤ビジネスモデルすら、終焉に向かっているような状況ですよネ。プロデュースのプロフェッショナルならば、アニメの「売り方も再発明」して頂きたいです。

 

 

デジタルプアで満足しているだけでは、「傷の舐め合い」に終始するだけだと思っています。

 

アニメーション映像を作りたくて、アニメ業界に入ってくる若い人間に、ジジババの傷の舐め合いに参加させるつもりか。‥‥やめようよ、そういうのは、いい加減。

 

 

日本の国土の特性を考えた場合、私はデジタルリッチなアニメーション制作にシフトするのが本命だと考えます。そうしなければ、やがてアジアの大国に負けていきます。アジアの国々の若い世代の成長を見くびってはいけません。お隣の国々の、際立って上手い人間を見たことがあるから、なおさら、そう思います。

 

同じ戦い方をし続けたら、滅ぶのは我々です。人口もどんどん減っているしネ。

 

「デジタル作画」はそれでそれで、人々をデジタルに慣らす効能ゆえに、有効性もありましょう。でも、その先を見据えておかねばなりません。

 

デジタルプア路線でいくのか、デジタルリッチ路線でいくのか。

 

未来の行き先は、なんだかんだ言って、当事者たる我々の行動次第‥‥ですよネ。

 

来年は、2017年。どんどん緊張が高まってきていますネ。同じ志をもつ人々とは、やがてどこかでベクトルが交差することでしょう。その時に色々な「手土産」を持参できるよう、今は粛々と勤しむのみです。

 


デジタルプアからの脱出

いきなり、造語ですみません。「デジタルプア」とは、「デジタルになって、むしろプアになった」事物を指します。既にどなたかが2007年に「デジタルプア」という言葉を使ってはいるようですが、私の考える事とは異なるようですし、普及していないようなので、ここでは「アナログからデジタルに変わってリッチになったと思ったら、低コスト化の波に押されてアナログ時代よりもプアな状況に陥る」意味として使います。

 

iPhoneって1990年代のアナログ機器の感覚からすればスゴいですよネ。携帯電話なだけでなく、ミニテレビになったり、ウォークマンになったり、カメラにビデオカメラ、地図のナビ、電子辞書、etc...。

 

ものすごく便利で、ものすごくリッチな感じがします。

 

そんな社会の中、皆がiPhoneをはじめとしたスマホやタブレットを持つようになって、生活が豊かになった気が‥‥‥‥‥‥どうも、しないのです。

 

 

いろんな事をiPhoneで済ませることは、リッチなんだろうか?

 

むしろ、どんどん、プアな状況へと邁進しているのではないか?

 

‥‥近年はハッキリ、そう、自覚しています。

 

 

何も「アナログの時代は良かった」なんていう安直な懐古主義を展開しようというのではありません。コンシューマレベルで言えば、やっぱり、アナログデータ&機器は色々と危ういです。その危うさはある種の「味」だとは思いますが、「良い」とは思いません。散々、アナログデータの不安定さと取り扱いの煩雑さに四苦八苦してきた私としては、デジタルデータの快適性・優位性は揺らぎません。

 

塵が溝に入ればプチプチとノイズになり、内周に向かうほど高音が劣化するレコード。ヒスノイズとワウフラッターのひどいカセットテープ。1秒あたり19cmもしくは38cmで疾走してランニングコストが高いけれど、クロストークなどの弱点は依然持ち続けるオープンリールマルチトラックレコーダー。今からは想像もできないくらい絵が不鮮明だったVHS。トラッキングのズレに絶えず悩まされていた8ミリビデオ。

 

アナログの弱点は、まさにデジタルの独壇場。上記のすべてをデジタルは解決してくれました。

 

実際、アナログデータ時代に、アナログ機器で再生する環境をどんどん強化して、そこにデジタルデータとデジタル機器が参入した時の「眩さ」は相当なものでした。鮮明な色彩と輪郭、濁りの無い高音のロングトーンと澄みきった音像。

 

コンシューマ向けのアナログメディアは、品質が危うかったがゆえに、再生機器で盛り返す必要がありました。そこに、デジタルデータの鮮明な音と映像が出現したのですから、かなりの効果がありました。

 

プアな品質のアナログデータを、なんとか良い状態で再生したいがために、アンプやモニタースピーカーやヘッドフォンを選び抜き、29インチのブラウン菅テレビをドカンと部屋の真ん中に据えて、いわゆる「ホームシアター」を構築していたところに、DVDプレーヤーを加えれば、「強力な足回りに、強力なエンジンが追加」されたカタチとなって、まさに「リッチな環境」となりました。

 

1990年代終わり頃は、デジタルリッチの黎明期‥‥だったと言えます。

 

ご家庭レベルとは言え、その勢いのまま、高品質な環境を目指すベクトルが続けば、映像も音楽も、より一層のリッチな体験をご家庭にもたらしてくれたはず‥‥です。

 

 

‥‥ですが、何事もそうなのですが、一旦、上に昇ると、今度は、落ちてくる現象がおきます。

 

ありていに言えば、「手を抜き始める」のです。

 

デジタルは音が良い、絵が乱れない‥‥という特性に「あぐらをかいて」、チープなコンセプトの製品が姿を見せはじめました。

 

他ならぬ「デジタルアニメーション」もそうでしたヨ。2000年前後の頃は、デジタルでペイントしてコンポジットする作業形態を構築するのに必死で、1つ1つの表現やフローに工夫を凝らして、丁寧に取り組んでいました。しかし、一旦スタンダードが出来上がると、今度は「どれだけ労力を削減できるか」のフェイズに突入し、「あれはいらない」「これも不要」「それはもっと期間を短くお金を安くできる」と言った具合で現在に至ります。そして、その「手を抜いた代償」はすべて作品に表れています。

 

 

現在、皆がiPhoneでビデオや音楽を見聞きするようになった一方で、どれだけ、リッチな環境でビデオや音楽を鑑賞しているでしょうか。

 

目を瞑ると、「演奏者が目の前にいるかのような音像」で音楽を聴いていますか?

 

「映像体験として楽しい」映像を観ていますか?

 

要は、iPhoneなどのガジェットが進化したがゆえに、映像を見る、音楽を聴く‥‥という環境作りに「手を抜くようになった(=お金を使わなくなった)」のではないでしょうか。

 

「いや、でも、それが時代の流れだから」‥‥というのは、わかるのです。だって、いまどきのiPhoneの性能はスゴいもんね。

 

でも、Retinaとは言え、7インチ程度の画面と、蚊の泣くような音質のスピーカーで、映像を鑑賞するのは決してリッチではなく、確実にプアな状況です。

 

どんなにガジェットの性能が優れていようと、50〜60インチの4Kテレビと3メートルの間隔をあけて設置した中型〜大型モニタースピーカーがもたらす「ユーザエクスペリエンス」に比べたら、オモチャそのものです。

 

ちっちゃいスマホがもたらしてくれる「映像体験」は、ものすごくプアでチープなものだという認識はあるでしょうか。むしろ、「こんな綺麗な映像が手のひらにのるなんて、なんてリッチなんだ」とすら思っていませんか。

 

iPhoneの映像体験は「間に合わせのチープなもの」です。移動中や出先で映像を「確認」する程度の許容です。

 

でも、そんなiPhoneで映像を観て済ます‥‥のが、どんどん恒常化していませんかね‥‥。

 

目先のデジタルの利便性や高性能にはぐらかされて、人々は総体的にどんどんプアな状況に傾いているのではないですか?

 

 

「でもさ。いまどきの日本の社会で、どんなにお金をつぎ込んで自宅の環境をリッチに構築しても、働きづめで家にいる時間が少なくなっているんだから、リッチ環境を堪能する暇もないのが現実だろ?」

 

‥‥そうなんですよネ。それもデジタルプアの一種なのです。

 

その昔、色々な要素がデジタル化して、通信もデジタルのネットワークになって、作業が高速に流れるようになったら、「今までよりも速く仕事がこなせるので、自分の時間を多く持てる」なんて考えられていた時代がありました。

 

しかし実際は、仕事が速く進むようになったら、どんどん仕事を増やして詰め込んで、しかも仕事の単価まで下がった‥‥なんていう顛末が現代社会です。

 

私が子供の頃は、科学技術の著しい進化によって、皆がゆとりのある生活をする未来像が、元旦の新聞に漫画家のイラストで描かれたものでした。「科学と生命の調和」です。‥‥う〜〜〜ん、「無惨‥‥!」ですネ。

 

 

「スマホの月々の支払いにチョロチョロと出費するから、大画面テレビを買うお金自体が捻出できない」なんていうこともあるでしょう。そうやって、どんどん、人々は小さなガジェットの中に幽閉されて、映像の「ユーザエクスペリエンス」なんて映画館くらいでしか体験できなくなっているのです。

 

「ホームシアター」なんて言葉は、もう過去のものなのでしょうか。

 

でもまあ、映像を作る側の責任も多々あるでしょう。「大きい画面だともたない」絵作りをしているようでは、大きなテレビなんて買っても「張り合いが無い」ですもん。実際、60インチの4Kテレビを持っている知り合いは、「バラエティ番組や深夜のアニメはキツい。芸人の顔面アップの毛穴とか、動仕の粗雑な絵なんて、大画面で見たくない。NHKのBSプレミアムの自然番組などが一番グッとくる」と言っていました。

 

図らずも上述した通り、「デジタルアニメーション」は2005年くらい頃から、どんどん短期集中の短期決戦の様相を呈し、そうした「速く出来上がろう、内容はソコソコだろう」という作品で満ち溢れている状況は、大画面テレビのユーザエクスペリエンスを拒絶するものとも言えます。

 

つまり、アニメを作っている我々の時点で、既に「プアな環境合わせ」の制作基準になっているのですよネ。今や、劇場作品ですら、テレビアニメの技術そのままで、「大きな寸法のテレビ」みたいになっているようです。

 

 

アナログはプアです。ワウフラッターの昔になんぞ、戻りたくもないです。

 

しかし、デジタルを過信するのは、「チープな生活」の引き金となるやもしれません。デジタルにとって都合の良い社会は、人間にとってプアな社会なのかもしれません。

 

 

もともと「プアなのが好き」ならしょうがないですが、プアに囲まれた生活や人生が嫌ならば、デジタルプアでなく、デジタルリッチを目指しませんか。

 

私は、一人暮らしの人なら30数インチ、家族なら50〜60インチのテレビで、アニメーション作品を鑑賞してほしいですし、その再生環境に遜色の無い内容と品質を作りたいと思います。

 

 

でもなあ‥‥デジタルプアからの脱出=デジタルリッチのビジネスモデルは、社会全体の趨勢と切っても切れないですから、どのように勝機を見い出すかを、少なくとも企画の時点から練っていく必要があるでしょうネ。‥‥ですから、企画をする人間や中心となる役職の人間が、最新のアニメーション技術に疎く、映像技術音痴な状態では、「デジタルリッチ戦略」なんてどうにもならんのですよ。

 

アニメ作品を「転がす」ことしかしなければ、状況によっては「転げ落ちていく」ことになりかねない‥‥ですもんネ。

 

私が目指すのは、デジタルリッチ。

 

‥‥すべての人が‥‥とは言いませんが、ほとんどの人は、「プア=貧しい」よりも「リッチ=豊か」になりたい‥‥んじゃないですかネ。


カセットと紙

最近、カセットテープを20年ぶりくらいに買いました。マクセルがUDを復刻生産するので、カセットテープ世代の私は「記念品」として、使うあてもないですが、買っておきました。

 

 

現在のデジタルデータの音楽に慣れた人々には「音が太い」など評判もあり、カセットテープが再評価される向きもあるようです。

 

「音が太い」?‥‥恐らく、テープコンプレッションと記録上の周波数特性が、聴感上の「太さ」を生み出しているのだと思います。私は70〜80年代に少年時代を過ごした人間なので、そのキモチはわかります。ネバっこいコンプの音は大好物です。

 

たっぷりとしてふくよかで粘りのある音と、JBL製スピーカーの心地よい味付けの出音との組み合わせは、当時のフュージョン(ロック・ポップス・ジャズを混ぜ合わせた音楽ジャンル)を体現しています。聴いてるだけでポジティブな気分になってきます。

 

‥‥というわけで、私がカセットテープを今買ったのは、完全なノスタルジーです。WiFiやBluetoothで音楽を各部屋のオーディオ機器に飛ばせる現在において、「思い入れ」以外の実用性は何ひとつありません。

 

実際、LogicやAdobe AuditionやNIのプラグインでダイナミクス(コンプ・リミッター)やイコライジング、エンハンス、オーバードライブ(わざと歪ませる)などをかませば、似たような「太い音」は作れます。自分の好みに合わせて、「宅リマスター」をすれば良いのです。音を出すときに真空管をかませば、さらにええ感じになります。つまり、デジタルの音源でも、アナログっぽい音は出すことができます。

 

カセットテープは、その存在自体が「あの当時の音のプリセット」を体現しているようなものです。ゆえに、カセットに音源を録音するだけで、「70〜80年代のアナログ風のエフェクトプリセット」を適用したような効果が得られるわけです。

 

しかし、その代償は大きい。

 

現在はオートリバースのデッキやラジカセなんて新品は皆無ですから、ごく普通の片面再生のラジカセしか手に入りません。よって、90分テープでは45分で再生が終了します。つまり音楽をループで流すなんてことは出来なくなります。数十分ごとにいちいちカセットを裏返して再生する必要があります。

 

そして「何曲目」「次の曲」「前の曲」を再生したい時は、地道に早送りか巻き戻しをしなければなりません。現在の「ランダムアクセス」になれた人間には、かなり面倒で苦痛な操作です。

 

そして何よりも、ノイズがすごい。今はもう、ハイポジションやメタルポジションのカセットはプレミアム価格の貴重品ですから、かろうじて生産しているノーマルポジションのテープを、何のノイズリダクションもなしに使わなければなりません。ドルビーCやdbxなんてはるか昔、今はドルビーBすらないのです。つまり「サーーーー」というテープヒスノイズ(高周波ノイズ)が絶えずまとわりついています。

 

私は70〜80年時代にカセットテープを使いまくった人間ですから、テープヒスノイズなどは「味」として許容もできますが、現在の品質基準で言えばかなり前時代的な品質です。

 

まあ、それでも、個人的な骨董趣味として考えれば、どんなにノイズがのろうが操作が煩わしかろうが構わないのです。骨董品を愛でる時の「儀式」みたいなものだと思えば。

 

 

しかし、何だ。‥‥これって、制作現場の未来を暗示するかのようですネ。


仕事の作業システムが骨董品になるのは、正直、困りますよネ。現場は今でも、立ち位置的に「磁気テープ」と等しい、「紙」をたくさん使っています。

 

今までは、ペンタブには移行しにくい面が大きく、都合、紙を使い続けてきた現実があります。ペンタブそのもののスペックが、アニメーターのニーズを満たしにくく、価格もかなり高価だったがゆえに。

 

しかし、2016年現在はiPad Proもあるし、12月にはCintiq 4Kが(スペックから見て)恐らく10万円台くらいで発売されるでしょう。来年は、より一層、コンピュータで作画する環境が充実します。

 

一方で、もし、紙と鉛筆のポテンシャルを真に引き出せるのなら、骨董品とは言わないまでも、伝統的手法としてマイノリティ=希少価値を発揮して生き続けていく方法も見えるかも知れません。二値化のインプットメソッドに甘んじるのではなく、真の鉛筆の表現力が活きる、作品を作れるのならば‥‥です。

 

でもそんな「紙の表現力が活きる」なんて、どうやって見出せば良いのでしょう。少なくとも、今のワークフローではレタス線に終始するでしょうし、そもそも「紙の表現が魅力となる作品企画とはなんぞや?」を考えなければなりません。

 

 

紙にしても、コンピュータにしても、「絵を描くことを仕事にして、流通させる」には、もうひとかわ、ふたかわ、剥けていく必要があるでしょう。今までの慣習が未来に永続的に引き継がれていく‥‥なんて考えること自体に、無理があります。

 

コンピュータで絵を描いてワークフローに組み込むなら、それ相応のフローの改良・改革は必要でしょう。私は新技術を最大活用するにはゼロから組み直すのが良いとは思っていますが、「デジタル作画」においては、まずはファイル形式とタイムシートの標準化から取り組むのが良いと思います。「デジタル作画」で一番危うい部分はタイムシートと流通のファイル形式ですもんネ。

 

紙と鉛筆を使い続けるのなら、「紙と鉛筆でしか、このクオリティは実現しない」と自他共に認めさせるだけの「オンリーワン」的アピールを考えていかねばならないでしょう。「昔から紙で描いてたから」なんていう理由は、今後、通用しなくなっていくでしょうし、もし現場がそんな理由で紙を使い続けるのならば、「時代に取り残される現場」「進化できない現場」と言わざる得ません。紙と鉛筆の性質・特質と未来予測を十二分に精査した上で、「紙と鉛筆」か否かを選ぶべきでしょう。

 

70〜80年代にカセットテープを使っていたのは、そもそも当時は、音楽を自宅で聴くには、アナログレコードかカセットテープしか選択肢がなかったからです(オープンリールもありましたが、やはりテープメディアです)。同じように今まではアニメ制作現場は紙を使うのが実質的な有効手段でしたが、iPad Proも出て、MobileStudio Proも出て、Cintiq Proも出て‥‥となると、状況は変わってきます。「それしかなかったから、仕方なく」という理由は、2017年以降、あまり通用しなくなります。

 

 

現代テクノロジーに同調して進むのか、あえて踏みとどまって希少価値を売りにするのか。

 

どっちも苦しい戦いが待っていますが、みんなはどっちを選ぶ?

 

 


Mac mini

現行のMac miniは、形こそ2012年後期のモデルと同じですが、総合性能は大きく損なわれており、何とも皮肉なことに中古の2012年のモデルの方が現行モデルよりも高い値がつくような状況です。

 

Appleの主戦場は、もはやパソコンではなく多機能電話に移行している感がありますし、何だか、皆がパソコンに夢を抱いてMacやVaioやらを買っていた時代が懐かしいですネ。

 

今までMacを使ってきた人に「今はMacは何を買えば良い感じ?」と聞かれると、オンボードメモリで拡張性がほぼゼロに等しい(開腹すればドライブくらいは…)Mac miniは、正直、薦めにくいのですよネ。

 

ちなみに、Amazonやヨドバシで現行のMac miniを買うのは、お勧めできません。現Mac miniは、オンボードメモリゆえに、後でメモリを交換して容量アップ‥‥という定番の自己カスタムができません。必ず、AppleストアのBTOでMAXの16GBにしておく必要があります。

 

ちょっとでも映像や画像を扱おうと思うのなら、今は最低16GBのメモリは必要です。‥‥というか、16GBでも少ないくらいで、標準は32GBと言っても過言ではありません。下図は、私のiMacのメモリ使用状況で、PhotoshopもAfter Effectsも使用していない状態ですらコレ‥‥です。

 

 

まあ、自宅マシンなので、ルーズに色々と起動しているので、こんな感じですが、でもこのくらいは平気でメモリを消費するのです。

 

今後、Mac miniも32GBのメモリは必須になると思います。16GBがMAXメモリで、4K出力が24〜30fpsなのは、あっという間に古びた性能になってしまうでしょう。

 

16GBモジュールはまだまだ高価なので、現在にiMacを64GBにするのはキビしいですが、いずれ64GBがごく普通になる時は来ます。世間のメディアが高品質に移行していく中、メモリの絶対量は必須ですもんネ。

 

iMacやMac miniが、タブレットではなく、パソコン=パーソナルなコンピュータを自負するのなら‥‥です。

 

Mac miniは静かで省電力でコンパクトで、良いマシンなんですけどね。Appleの今後の「パソコン」戦略は如何に?

 


ブルーカラーの我慢の限界

大方の予想に反して、トランプ氏がアメリカの大統領に選出されましたネ。

 

私は、アメリカにおける「現体制に対する民衆の不満」のボルテージが「そこ」まで高くなっていたことに、素直に驚きました。

 

現社会体制に閉塞感や行き詰まりを感じる人が、なんやかんや言っても安定路線を支持する人を上回った‥‥というのは、なんだか、明日は自分たちの番かもな‥‥と感じ入る次第です。

 

連日聞こえてくるアニメの「放送延期」「現場の悲鳴」は、決して一時的なものではなく、小さな破綻がどんどん水かさを増して、堤防を超え、いよいよ溢れ出してきた結果だと感じております。

 

この内容をこの値段で描かすか?‥‥とか、このスケジュールでこの作業内容を要求するか?‥‥とか、山ほど積もり積もった状況は、現制作システムを今、急速度で損傷させているのかも知れません。

 

業界の知り合いには、今年の風邪が引き金なのか、何人も長期の体調不良を訴える人が多く、例年より異様な雰囲気を感じます。本当に、現場は限界に近づいているのかもな‥‥と。

 

巷ではアニメーターの窮状云々と言いますが、アニメーターと言っても、動画と原画と作監ではまるで待遇が違いますから、ひとくくりにアニメーターなんていうのは誤認識の元です。そして、アニメーターばかりが辛いわけではなく、特に最終工程に近ければ近いほど、色々な無理難題を強要されたりもします。

 

目に見えないだけで、アメリカのブルーカラーにひけをとらないくらい、アニメ制作現場のブルーカラーの閉塞感とフラストレーションは極まっているのかも知れません。

 

私はもう現状のテレビの撮影なんて無理だと思いますし(今度、同じ不健康状態に落ちたら、間違いなく死ぬ)、紙の作画もあまりにも手がかかりすぎて非能率的で無理だと思います。ぶっちゃけ、紙の作画に関しては、この1〜2週間で「もう引き受けるのはやめよう」と決心しました。なぜ、非効率な作業に自分の休日の時間を削らなければならないのか、何よりも紙ベースの作画を引き受けた自分自身が愚かだと悟りました。紙が好きな人が紙の作画をやり続ければ良いのだと、完全に冷めて達観しました。

 

「デジタル作画」は旧来の作画を踏襲したものとはいえ、非効率極まりない紙での大判作業をしなくて済むことや、撮影へのカメラワークがシームレスなだけでも、はるかに紙よりも合理的だと思うようになりました。私はコンピュータの能力をふんだんに利用した作画技術をどんどん推し進めますが、「デジタル作画」陣営が旧来方式の非効率さ(=旧来方式の高コスト構造とデジタルにかかるイニシャル&ランニングコストのバランスの悪さ)に限界を感じた時に、もしかしたら利害が少なからず一致し、合力できる可能性も感じています。

 

合理的な制作手順、制作技法、制作システムを、貪欲に追求すべき‥‥でしょう。非合理、非生産的、非効率な状態を野放しにしていて、「作業が辛い」なんて、「非」を許容する人間も悪いのです。作業を発注する側だけでなく、作業を請け負った人たち、私も含めて、です。

 

非合理なことをヒューマンパワーでゴリ押しして、「ああ、ピンチを乗り越えられてよかった」なんて、ゴリ押しの矢面に立たされた人間は決して思わないものです。

 

トランプ氏はぶっちゃけ、何をしでかすかとても恐ろしいですが、トランプ氏を支持した人々の心情はわからなくもないかな‥‥と思えます。まあ、私はアメリカ社会の雰囲気を知らないのであくまで憶測ですけどネ。

 

アニメ業界も現システムと現場に対する閉塞感がどんどん濃くなっていることを考えると‥‥です。

 

 


白兵突撃の無理

絵を1枚1枚丁寧に何千枚も描いて動かす作業。どう考えたって、手間もお金も時間も必要だよネ。

 

特に今は、キャラを描くのに、昔のメカなみに線が多い場合もあるし。

 

線の多いメカが3DCGに分担作業となったとて、昔も今も、大変なことには変わりないです。

 

 

何千枚、何万枚と絵を描く作業。その夥しい作画枚数に対し、マンパワーだけで突撃する戦法。

 

ロシアの平原でソビエト兵が銃剣を構えて大声を上げて白兵突撃し、ドイツ軍の機関銃陣地に怒涛のように攻め込む光景が目に浮かびます。そんな方法を延々と続けていたら、そりゃあ、累々と犠牲者の屍は積み上がっていくわな‥‥。ちなみにソビエトは軍属だけで1000万人、一般市民も含めると総死者数は2000万人‥‥でしたっけ。桁が違いますよネ。一方、戦争をやらかし始めたドイツは総死者800万人、日本は300万人ではありますが、国土を考えればかなりの死者数ではあります。

 

やっぱりさ‥‥戦い方を大きく変えないと、「犠牲者数」なんて減っていかないって。

 

白兵突撃、バンザイチャージで、犠牲者数を抑えようとすること自体、無理があるって。

 

‥‥そう思いません?

 

 

キャラクターの線なんて、今以上に増えることはあっても、減ることはないんだし。

 

世の中がUltraHDへと以降していく中、アニメの8fpsの動きは相対的に古めかしくなるわ、画面の解像度は耐えられなくなるわ‥‥と、何もかも、守勢に転じていくさまが、今から予想できませんか?

 

 

未来の高品質映像フォーマットでアニメを作るためのアイデア、どんだけ溜まってますか? ノーアイデア? じゃあ、未来に何かプラスに展開することなんて、ありえようもないじゃないですか。

 

 

種を蒔き、水をやらないと、どんなに待っても、土から芽は出て来ないのです。

 

種を蒔いた翌日に実りを収穫できるなんてこともないのです。

 

小学校の時に学んだこと‥‥ですよネ。

 

実りを収穫したいのなら、蒔いて、育てれば、良いのです。

 


バッグにチプカシ

私はカバン・バッグ・車などに、必ず1つのカシオの安いデジタル腕時計を忍ばせています。通称「チープカシオ」「チプカシ」と呼ばれるカシオの安価な腕時計は、「チープ」だなんて失礼なほど、出来が良いのです。

 

100円ショップや無名メーカーの時計は、はっきり言って、いつでも止まる準備OKな感じで、全く信頼できません。以前に海外に作業で行く時に慌てて買ったデュアルタイムの無メーカーの時計は1年で動かなくなりましたし、100円ショップの時計は100円だからしょうがないですけど作りはいかにも雑です。

 

雑な品質と聞くと、浅はかな人々は「中国製でしょ」と言いますが、エレガントな品質のApple製品も中国製ですし、カシオの安価モデルも中国製ですから、要は現地の生産管理と環境による差であって、中国製云々は関係ないと言えます。日本が設計して生産工場の品質管理をすれば問題ないです。普及価格帯のドイツ製品も今はほとんどが中国工場製ですしネ。

 

御多分に洩れず、チプカシも中国工場製ですが、品質は良いですよ。

 

カシオの時計で、私が信頼しているのは、通称「ビンラディン・モデル」‥‥‥オイオイ‥‥というニックネームですが、F-91Wという1000円以下でアマゾンやヨドバシのネット通販で買える製品です。

 

 

 

「古ッッ」とか言う人は、「昔のデザイン」を知る人ですネ。私も、こう言うデザインを見ると、反射的に懐かしい感じがします。

 

しかし性能は今でも超一級品。これぞ日本メーカー製品の鏡という「地味なのに高性能」という素晴らしい製品です。

 

なぜ、F-91Wをバッグに入れておくか‥‥というと、時計であると同時にアラームにもなるからです。これが最大の理由です。

 

「いや、だからさ。そんな機能はiPhoneで十分じゃ‥‥」と言うセリフを喰い気味で遮らせて頂くと、iPhoneって「アテにならない」じゃん?

 

バッテリーを湯水のように消費して、いつの間にか電源が切れていることもありますよネ。私は特にそんなことが多いですが、私だけでなく誰でも一度は二度は経験していると思います。

 

時間で動くことも多い職業柄、iPhoneの残りバッテリーの数値が少ないと、途端に不安になる人生なんて、イヤなのですヨ。

 

そんな時、いつも持ち歩くバッグにF-91Wをはじめとした、カシオの安価なデジタル腕時計を忍ばせておけば、少なくとも、時刻の把握に関しては不安から解放されます。

 

*「イルミネーター」の文字が誇らしげな、ELバックライト仕様のチプカシ。私は都合、2つ持ってます。

 

どんな高機能なスマホも、バッテリーが切れれば、ただの箱。しかし、よほど運がない限り、F-91Wのバッテリー切れの瞬間が重要なイベントの瞬間と一致することはないでしょう。

 

F-91Wには伝説的とすら言っても大げさではない逸話があります。イギリスの人が子供の頃に無くしたF-91Wを、20年後に庭で発見したらまだ動いていた‥‥なんて言う他にも、何度もポケットに入れたまま洗濯したけどちゃんと動いている‥‥とか。

 

そりゃあ、まあ‥‥アブナい人たちも使うわな。。。信頼性がスゴいよネ、実際の話が。

 

 

で‥‥です。そんな感じの高性能な製品が、アマゾンで実質900円以下。しかも重量は20グラムちょいで、軽くて薄くてほどほどに小さくて‥‥とベストセラーになる理由が有り余るほどです。

 

 

私は今ではF-91Wをはじめとしたチプカシがきっかけで、時計に関してはすっかりカシオ党になってしまいました。セイコーの時計も良いですが、必ずカシオ製の時計をネット通販では検索します。

 

INOXとかも魅力的ですが、私はカシオやセイコーの1000〜30000円くらいの幅で十分です。

 

ちなみに、カシオと言えば、G-Shockですが、現モデルはファッション性ばかりが強調されて実用性に乏しいのは、ちょっと寂しい感じがします。質実剛健な時計として選択するのなら、56009052あたりでしょう。

 

*地味なG-Shockですが、F-91Wの信頼性に耐ショック性能が付加されたと思えば、中々に味わい深いモデルです。

 

 

まあ、「地味系デジタル時計」のF-91Wや5600が、どんな服にでも合うとは言いませんし、いつも身につける時計は他のでも良いと思います。しかし、時刻を知りたい時に時刻を示す何かがない時、バッグに入れておいたF-91Wが役に立つこともあります。

 

私は以前、早朝の車の中で数時間待機しなければならないことがあって、ウトウトし始めたのでiPhoneでアラームをセットしようと思ったら、バッテリー残り十数パーセントになってて信頼できずに、眠いのをガマンしていたことがあります。コンビニで目覚まし時計でも売ってないかな‥‥と物色しましたが、有料駐車場の近くのコンビニには売っておらず、「寝たら最後だ」と言う緊張感とアホみたいに一人で苦闘したことがあります。あの時に、F-91Wが1つあれば、余裕でアラームをセットして、仮眠を取れたのに‥‥。

 

まあ、今は車の中には充電ケーブルもあるし、F-91Wもありますから、何の心配もないです。急いで家を飛び出した時は、腕時計をつけるのを忘れることが多いのですが(そもそも腕時計の習慣が希薄)、流石に財布を入れたバッグまで忘れることはなく、そのサイドポケットにはF-91Wや84Wが入っているので、「今日1日はF-91でいいか」と応急の腕時計として使います。

 

iPad作画の一式を詰め込んだインナーバックもこの通り。

 

*入っているのはF-91Wの発展型(?)のF-105Wです。この一式で原画作業が可能‥‥というのは、テクノロジーの進化以外の何物でもないですネ。写真ではたまたまKindleが入っていますが、中ポケットにはFire(7インチ)も入ります。大ポケットはFire HD 8ではかなり隙間があり、iPad Pro 9.7インチやAirでもケースに収納したまま入るので、何だか「作画一式用インナーバッグ」というほど、ぴったりです。フラップ付きのポケットには大容量バッテリーや、USB充電器、ケーブルなどがスッポリ入ります。

*ちなみに、Apple Pencilのキャップはどうせ失くすだろうから、最初から外して持ち歩いています。見てくれのキャップなんて、描くのには全く関係ないですからネ。

 

 

 


デジタルから紙への難しさ

‥‥を痛感する今日この頃です。

 

紙からスキャンしてデジタルデータ化し、そのあとはずっとデジタルデータでの運用ならまだ良いのですが、紙→デジタルデータ→紙→デジタルデータを繰り返すのは、ホントに時間とお金とヒューマンリソースの無駄だな‥‥と感じております。

 

私は最近ではiPad作画で色々な「描き」の仕事をこなしていますが、紙ベースの作品ではどうしても「紙提出」の形態となります。

 

すなわち、データを出力して紙にプリントアウトし、タップ穴をあけねばなりません。

 

これが実際に、ものすごく面倒です。

 

まず、精度。

 

紙にプリントアウトする時、必ず紙が印刷ユニットに正確にロードされるとは限りません。見た目に大きくズレなくても、確実に各枚数がズレて印刷されます。でもまあ、この時点ではまだ許容範囲にあるプリンタも多いです。

 

問題なのが、タップ穴の精度。まず、紙を揃える時点で精度が落ちます。そして台座へのセットでも精度が落ちます。最近、60枚越えの原画を描きましたが、60枚を一気に貫通できるタップ穴あけ器など個人はおろか会社にも存在しませんから、都合5枚程度に分割して穴空けしますが、その時点でより多くの精度が落ちます。タップ穴開け器のあのテキトーな紙止めの機構で、正確な穴なんて開くわけがないよな‥‥。

 

書いてて嫌になる程、億劫で不毛な作業を、「デジタルto紙」では必要になります。

 

 

デジタルデータをプリントする際のデータフォーマットは、ルーチンワークでかなり効率化できます。After Effects(私はペンシルテストをする際に、After Effectsを使ってBGやBOOKまで仮組みします)で出力する際のピクセル寸法やPhotoshopのバッチ処理、「プレビュー」(Macの画像ビュワー)の印刷機能などを駆使すれば、印刷実行までの段取りは円滑です。

 

しかし問題はプリンタ本体のランニングコストとメンテナンスです。紙詰まり、インク切れ、インク詰まり、トナー切れ。

 

加えて、スタンダード作画用紙ならまだしも、大判なんぞは、分割印刷して貼り合わせて‥‥みたいなことまで必要になりますが、それをまた、仕上げさんが分割スキャンするのって‥‥‥‥どう考えても‥‥‥‥‥‥‥。

 

色々と工夫して対処することも考えられますが、私が思うに、工夫するコストを背負ってでも、デジタルデータから紙に戻す必要があるのか?‥‥ということです。

 

 

一旦デジタルデータになったものは、二度と紙に戻さないくらいのフローを徹底しないと、もうアホみたいにコストがかさみます。

 

進行さんや作画した本人が、紙に印刷してタップ穴を開ける作業だって、れっきとした労働のコストです。うまいやり方があろうがなかろうが、デジタルデータをまた紙に戻し、さらに仕上げ時にまたスキャンしてデジタルデータ化するなんて、やっぱり馬鹿げています。

 

 

iPad作画は快適です。しかし、紙ベースの作品とは、どうしてもウマが合いません。

 

そして、私自身はもう視力的に紙には戻れないので、紙の作品は実質上できないことになります。‥‥今後、私のような人はどんどん増えていくと思います。しかも4K時代も確実に近づいてきます。

 

4Kなんて普及するのかね‥‥なんて言っている人は、黒電話で通話し、連絡事項を手紙で送り、VHSの水平解像度240本の世界で満足していれば良いのです。時代のテクノロジーは足並みを揃えて進行し、人間は快適でストレスのないフォーマットにどんどん流れていきます。アニメはDVDの解像度で十分‥‥なんて言葉、2007〜8年前後に山ほど聞いたけど、また同じことを言うつもり?

 

まあ、4Kの話は置いといても、「デジタルと紙の行ったり来たり」はダメっすネ。金と時間に余裕のない業界の現場だったら、なおさら。

 

 

しかし、物事、ダメだと打ちのめされない限り、妙な希望の幻を追い続けることにも繋がります。私にとっては、もう紙は過去のものと覚悟して、未来の設計図をより明確に見据えることが必要でしょう。

 

紙と鉛筆が良いものなのは、解りきっています。鉛筆の微妙なニュアンスにデジタルデバイスは匹敵しません。‥‥でも、時代の性質が紙と鉛筆を許さない方向へ、どんどん流れていきます。

 

現在、金融機関や店舗で手書きの明細や領収書を渡されたら、「古風だな」と思いますよネ。ATMでの入出金を中央のデータセンターで人間が手書きで書き写しているようなこと、あるわけないですよネ。

 

Cintiqの4K 16インチも発表されましたし(CPUもGPUも持たないので、さすがに35万円もしないはずです)、多少の蓄えのある人は、そろそろコンピュータでの描き仕事に着手しても良い時期とは思いますヨ。アニメの現場での責任職=監督・演出・作監が変わっていかなければ、現場の技術も高コスト構造も改善されることはありません。動画や仕上げの単価に言及するよりも、まずソコ=中心人物たちの技術改革‥‥だと思います。

 

 

ただ気がかりなのは、紙と鉛筆の「即効性」があったがゆえに、新人は真綿のように基礎技術を習得できた‥‥という事実です。キャラクターの目を細かく描くとか、中3枚の歩きのポーズを暗記するとか、影付けの流行とか、そんな業界特有のテンプレ技術ではなく、形を捉える基礎的な能力についてです。

 

観察力を高め、丁寧に物体を捉えつつ、描くときはまるで3分クロッキーのように速写で形を捉える能力は、必須だと思います。3分かかってキャンバスの上で基本的なフォルムとマッスを捉えられない場合は、そもそも自分の頭の中で形を捉えていない証でしょうが、そうしたことをシュッシュバッバとこなすのに、今のデジタルデバイスの反応速度はいかがなものか。

 

MobileStudio Proは、OSとソフトウェアの影響なのか、iOSとProcreateほどには反応が良くない印象です。そしてiOSとProcreateは、反応速度の点で紙と鉛筆に明確に劣ります。

 

新人の基礎能力育成において、紙とデジタルのmissing linkをどうすべきか。実はとても頭の痛い問題ではないでしょうかネ。

 


アマゾンプライムビデオ

私はつい最近まで、アマゾンプライム会員だと沢山の無料ビデオが観られるのを知らずにいました。知った今では、Fire端末で夜中の独り仕事の際に、以前書いたJBLのスピーカーで鳴らして楽しんでいます。JBLのスピーカーがこれまた、セリフが聴き取りやすいんですよネ。

 

999、うる星やつら、ガンダム、Zガンダムなどの旧作もあります。高校時代に、Zガンダムで出てきたサイコロみたいなガンダムを友達の手伝いで動画で描いた覚えがあります。サイコガンダムでしょうね、おそらく。サイコってpsycho、psychicのことかと思ってましたが、今考えると「さいこガンダム」だったのでは‥‥。ZZガンダムもアマゾンで観れますが、ZZガンダムは私の駆け出しの頃の、苦い記憶満載なので、私的な理由で見る気がしないのです。ちなみに、エンドクレジットで名前が初めて世に出たのって、ZZガンダムだったような気がします。最初に関わった話数は高校3年生卒業間際でしたが(時効だからいいよネ)、ほんの数年前の中学生の時にはレイアウトもタイムシートも全くわからなかったのに、人って変わるもんですネ。

 

私はわりかし、五社英雄監督の日本映画が好きなのです。出てくる人間の存在感がエロい‥‥というのも理由でしょうが、なんとも切ない筋立てが魅力です。

 

四国弁(?)で啖呵を切る女性たちも、たまらなすぎる魅力です。夏目雅子さんとか岩下志麻さんとか浅野温子さんとか、五社作品に出演すると、一層美しさが増すように思います。

 

五社作品の世界観は、原作ゆえかも知れませんが、男は極道、女は女郎‥‥のような一般人からかけ離れた人物像が中心で、システム化が進んだ平成の今では得られない、荒削りでむき出しな群像劇が魅力です。(今回、「魅力」を連発してますネ)

 

池上季実子さんと浅野温子さんの、「陽暉楼」での長回しの喧嘩シーンは、6+0のシートに慣れたアニメ関係者には、とても新鮮(心配?)に目に映ります。「まだ続くの?」と思うくらいの長回しって、実写だけの専売特許だと思います。ちなみに、アニメでもスカイクロラでは120秒のカットがありましたけどネ。

 

五社映画は乳がすぐ出るので、まるでエロ映画のように思われがちですが(宣伝の影響もあって)、実際は人の情念が渦巻くドラマです。単なるエロ観せの映画に、仲代達矢さんや緒形拳さんが出演するかいな。

 

そういえば、アマゾンビデオには、「薄化粧」がラインアップされてないですネ。

 

「薄化粧」は大好きなんですよネ。緒形拳さんが、とにかく最高です。

 

「薄化粧」で表現された「人間の闇」って、2016年の今でも全く同じでしょうが、現在はあえてその闇をダイレクトには表現しませんし、「共感」や「癒し」という鎮静剤で闇を鎮めているような現代社会においては、表にだしたくもない‥‥のでしょうネ。

 

 

五社作品のような方向性はともかく、アニメにはもっと表現の広がりがあって然るべきとは、思うんですよネ。

 

例えば「萌える」という感情にしても、アニメではかなり狭められたフィールドに押し込められている状況が昨今あって、童顔のキャラに固執する傾向に埋め尽くされていますよネ。そんなにみんな、おしなべて、幼い顔立ちのキャラが好みなのかなぁ‥‥。アニメの女キャラはなんでもかんでも幼女風に仕立てないと成立しないのかなあ‥‥。

 

 

アマゾンプライムビデオでいろんな作品を見ていると、色々な感慨を得ます。アニメばっかり作っていると麻痺しがちですが、世の中には過去から現在に至るまで、本当に、いろんな映画、作品がありますよネ。

 


シェルター

検索欄に「アニメ業界」と入れると「崩壊」と検索候補が自動入力される、2016年11月の今。

 

まあ、アウトサイダーから見れば、「他人の不幸は蜜の味」、退屈しのぎのイベントのようなものでしょうが、そんな簡単に何か大きなものが一度に崩壊することはないものです。ノアの箱船の洪水のような劇的なものではなく、もし滅びが訪れたとしても、徐々に浸水、もしくは砂漠化して、民は順次移動して、かつて繁栄した集合体が寂しい小規模へと推移する‥‥という感じじゃないでしょうか。

 

みんな映画の「インディペンデンスデイ」みたいな展開、好きだよねえ‥‥。「崩壊」っていう言葉を選ぶあたりで、ハデなルックが好きなんだよな。

 

2017年にもっと深刻になる‥‥なんていう文言も見かけますが、もしそうだとしても、近年の異常な膨張がしぼんでいくだけの事と思います。現業界の老朽化したシステム構造で、100本作っていること自体が深刻ですもんネ。

 

崩壊云々よりも、アニメ業界に含まれている技量の高いスタッフ、若くても才気に溢れる人材を、どのようにアニメ業界とは別枠のムーブメントに取り込んでいくかのほうが重要です。

 

結局はアニメ業界が滅んだからといって、アニメ会社は残るし、アニメのニーズも依然として存在するわけです。‥‥というか、アニメを制作する会社組織が存在して、ニーズもあるのだとしたら、「崩壊って何?」って話ですよネ。

 

要は、無理していた会社が耐えきれなくなって倒れ、その数が平年より多くなる‥‥というだけの事だと思います。

 

私は20代の頃に、メカ・エフェクト作画監督をしていた作品の会社が倒産したことがあります。前にも書いたことがあるかな‥‥。外注ではなく、中に席を置いていたので、人聞きではなく、リアルに事の成り行きを体感していました。‥‥なので、「倒産の雰囲気」を知っておりますが、無理をごまかしごまかし運用していたのが、とうとう進むも退くもできなくなって、最後はあっけなく「その日」を迎えるのです。1945年の8月14日と15日の境みたいに。

 

 

ですから、私が仮に「業界崩壊」を想定するとしたら、「終戦の混乱時」のように、制作陣と連携をとってどのように新制作システムを整えるか‥‥です。時間はいつもと同じくあっけらかんと過ぎていきますが、「有事」には淡々と「すべきことをなす」だけです。

 

でもまあ、ホントに崩壊なんていう事態が発生するのなら、逆にチャンスだとすら思いますけどネ。でも、それはないだろーなー‥‥。衰退のシナリオは思い浮かびますが、崩壊のシナリオは思い浮かびませんもん。

 

そんな業界内輪のことでなく、私が本当に怖いのはリアルな「戦争」です。何らかの理由で戦争が始まったら、世の娯楽産業は壊滅的な打撃を受けます。戦時でもアニメを作り続けるために「戦意高揚のアニメ」に加担する? ‥‥人生、狂っちゃいますよネ。

 

私にとっては、隣国の核武装のほうが、よっぽど懸念事項です。

 

 

でもまあ、もし業界のライフラインが崩壊すると想定して、いろいろな準備をしておくことは結果的に良いことだとは思います。以前に書きましたが、洪水がこなくても、箱船を作っておくのは、未来へのプラスになると思います。

 

崩壊なんておきようがおきまいが、業界のシステムに依存せずに、4K8K時代のアニメを独自生産できる仕組みを得られれば、色々な方角のビジネスチャンスが得られますもんネ。

 

キューバ危機、冷戦時代のアメリカのように、シェルターをつくるのも一興かも知れませんが、そこで問われるのは、どんな仕様のシェルターか‥‥ですネ。



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