誤字

相変わらず、誤字が多い私。文章も後から修正するので、接続詞もおかしくなり気味です。

 

なので、速攻で書くツイッターにはとても向いてないと思うのです。

 

そもそもスマホで文字を打つのが苦手で嫌いですし。

 

訂正できるブログが精々です。

 

 


「文化的で最低限度の生活」

‥‥とは、いかなる生活か。

 

ツイッターで見かけたこの文言。おそらく、発信者は「非文化的」な体験も、「最低限度」の生活も、体験したことがない人ではないかと思われます。一見具体的に思えて共感を呼びやすい言葉ですが、実感が言葉から感じられません。

 

特に有能でなくても頑張らなくても、文化的で最低限度の生活さえできれば、それでも良いじゃないか‥‥との趣旨らしいですが、20代の頃にあまりにもアニメの作画で稼げなくて電気ガス水道電話などの生活インフラが停止して「非文化的で最低の生活」を体験した私からいえば、「ありえない仮定」です。

 

「頑張らない人」が「文化的で最低限度の生活」ができる社会が良い‥‥ということも語られており、私には「その社会」がどうもリアルにイメージできません。どういう社会構造なのか、どんな人たちが支えるとそうした社会システムが成立するか‥‥が。

 

自分の得意分野を活かして、自分に能力が有能に作用する状況を形成し、日々の作業でできる限りのベストを尽くすことで、ようやく「文化的でほどほどの生活」が得られると実感します。

 

ガツガツ生きるディテールではなく、まったり柔らかい物腰であることと、有能か無能か、文化的か否かは、実はカテゴリーミステイクで混同しないほうがよろしいです。真に受けて、本当に無能で頑張らない自分を目指すと、文化的で最低限度を下回る未来へ続く放物線を描きますヨ。

 

文化的で最低限度の生活‥‥の基準て何よ。最低限度の境界線はどこ?

 

ピッキング防止のドアに自動制御の湯沸かし風呂と冷暖房完備、空き巣防止の窓、スマホでゲーム課金もできて、サブスクリプションで音楽や映像を楽しんで、食事は美味しいのが良くて、たまにはショッピングを楽しんで、交通機関は切符ではなくスマホでパスして、パソコンかタブレットPCでネットを閲覧して‥‥という生活が、2019年における文化的で最低限度あたり?

 

車は所有しなくていい、旅行や外食も控えめ、部屋の間取りも3LDKなんて必要ない‥‥と言いながら、上記の条件を満たすのならば、それって最低限度なのかな‥‥。私にはソコソコの生活に思えるし、実際にコストもかなりかかるでしょう。

 

 

 

自分の生活の無駄を一定期間で見直すことは良いと思います。

 

文化的な生活を目指すのも良いと思います。

 

しかし、最低限度を目指すと、十中八九、最低限度を下回ります。

 

自分では人より半分の「0.5」くらいの質素な生活で良いと思っていても、仕事も能力も生活も娯楽も「0.5」に設定してしまうと、例えば、4つの要素を掛け合わせると、

 

0.5x0.5x0.5x0.5=0.0625

 

‥‥になります。0.1以下です。0.1以下‥‥なんて、いわゆる「セルフネグレクト」な状態と言ってよいです。ゴミ屋敷です。

 

では、0.5くらいを目指すのなら、各要素はどのくらいの「頑張り度」が必要かと言うと、

 

0.85x0.85x0.85x0.85=0.52200625

 

‥‥で、「自分としては85点の頑張り度」じゃないと、「50点=半分」の状況にはなりません。

 

100%フルの自分を、ちょっとアクセルを緩めるくらいで、ようやく「100%な人」より半分の質素な生き方が可能です。つまり、そこそこ頑張ってこそ、「最低限度」の生活が維持できます。

 

ちなみに、「平均点」ではなく「掛け合わせ」なのは、要素は単体で機能するものではなく、絡み合って結びついて機能し、現実となるからです。ルッサーの法則ってご存知でしょうか。

 

 

 

思うに、毎月月給で安全地帯にいて、不満を抱えつつも生活できるくらいのお金を毎月必ずもらっていて、「本当の最低限度」なんて実感も体験もない人は、「質素な生活でも良いじゃない」とか口にしやすいのです。

 

フリーランスゆえに自分で仕事をもってこなければ、すぐに2ヶ月後3ヶ月後の生活費が危うくて‥‥なんて体験したことがない「月給」の人が、安易に「最低限度」とか設定しやすいですよネ。一度、フリーになってみれば? ‥‥そうすれば、稼げる時にどんどん稼いで、自分で自分の存在価値をアピールする必要性にも目覚めますヨ。

 

最低限度なんて目指しちゃアカンよ。結果的に最低限度を維持するのならともかく、目指すのはアカン。ホントにアカン。ヤバい。

 

 

 

私の母方の祖父は、めっちゃ質素で倹約家でしたが、弩級にストイックでした。物や道具は大切に使って安易に買い物をしないし、自分の足で行ける範囲なら交通機関は使わないし、テレビや娯楽をダラダラと垂れ流して時間を過ごさなかったし、孫を甘やかさないだけの隙のない厳しさを体現していました。

 

そんな祖父が質素を旨とする一方で、無能で頑張らない生き方をしていたかというと、全然そうではないです。手抜きや誤魔化しは一切しない人だったよなあ‥‥‥。孫にも厳しかったけど、自分にはもっと厳しい人だったと思います。

 

質素ながら、整然とした佇まいで生きるということは、祖父のような生活だと思っています。自堕落に、無能でいいや頑張らなくていいやなどと、甘やかしとは正反対です。

 

 

 

過度に頑張るのは自分を壊すでしょう。同じく、過度に自分を甘やかすのも自分を壊すでしょう。

 

人間は自分の限界を探りつつ頑張って生きて、自分の無能な部分ではなく有能な部分をブーストして生きて、ようやく最低限度をクリアして普通くらいになるのだと思ってます。

 

 


昭和、平成、令和

時代の区切り、時間の区切りなんて、人が勝手に設定するもので、気持ちのもちようだとは思っている一方で、勝手であっても区切っておかないと折り合いがつかないとも思っています。なので、何かをきっかけにして区切ることは、過去にも現在にも未来にも必要であり続けるでしょうネ。

 

自分にとって、昭和の終わりは、幼年期〜少年時代の終わりだったと思います。1989年はすでにアパートを借りてフリーアニメーターでお金を稼いでいましたが、20歳そこそこでまだ考えも浅く、自分自身「アニメ業界の社員」のような気分でいた頃です。1989年が昭和の終わりで平成の始まりだったとは最近まで明確に記憶していませんでしたが、「1989」という西暦だけは覚えていました。

 

当時「自分で何か発想して行動しないと、このままでは潰れる」と思って、仕事以外=プライベートの絵に「since 1989」みたいに「1989」を明記していた時期があるからです。つまり、「1989」を自分の中での区切りの年にしたのです。‥‥やっぱり平成の元号にちなんだのかな?‥‥自分でも記憶が曖昧です。

 

高校時代から作画の仕事をお手伝い程度で開始して(高校在学中に作打ちしたことがあるよ)、卒業と同時にアニメーターになって、作画の報酬で生活もできるようになって、初めて自分のギャラでFender Japanのストラト(ラージヘッドでローズ指板でクリーム色の白でした)も買って、順風満帆のように感じていた一方で、アニメの仕事に憧れ続けていた意識のままでは限界があると気づいた時期でもありました。まあ、今の若い人も、アニメ業界でフリーで2〜3年やれば、流石に「問題」に気づくでしょ?

 

原画の仕事を日々作業するにしても、それだけで自分の人生が塗り潰されていくことに、大きな不安と危機感を感じたわけです。「せめて、自分の絵〜ビジョンをもっておかないと」と思って、自分のルーツを20歳そこそこの若気の至りながらも模索しはじめたのが、まさに昭和から平成へ変わる、区切りの1989年でした。まあ、実際は、技術力も幼い20歳そこそこですから、そんな簡単に「自分を形成できる」わけもなかったのですが、「アニメ制作現場の都合に流され続ける人材」から脱出しようとココロの中で区切ったのを思い出します。

 

で、30年経ちました。色々なことが起きて、色々な経験をしましたが、平成に悔いは全くないです。それはやっぱり、昭和から平成へと時代が移る時に、自分の中で「昭和の終わり」と「少年時代の終わり=自立の始まり」がシンクロしたからでしょうネ。自分の中で過去と未来を区切ることは大切だなと思います。

 

そして、令和。2019年。

 

また、末尾は9なのネ。1989と合わせて、覚えやすくはありますネ。

 

2019年も自分の中で区切りの年になりそうです。技術面だけ見ても色々な転機でしょうし、顧みられなかった技術の復活の年でもあり、新たな始まりの年にもなりましょう。少なくとも、自分の意識の中では、良い区切りになりそうです。

 

ぶっちゃけ、もう若くないもん。若い時と同じルーティンは通用しません。貯めてきた知識や技術やコレクションを、今度は展開して組み合わせて死ぬまでに使い切るくらいの意識が必要です。墓場の中にまでコレクションは持っていけんもんな。

 

平成の時代、自分が死ぬことなんて考慮していませんでしたが、令和の時代は心のどこかにいつも「人生のケツ」(尻。人生というスケジュールのケツね)を意識して、「貯めるだけ貯めて使わないまま終わる」なんてことがないように行動を展開していくのが、まさに自分の中での「令和の区切り」と思っています。

 

20〜40代でやるべきことは、平成にやっておきました。であるならば、同じことを令和に繰り返すこともなかろう。令和には令和の役割がありましょう。

 

 

 


Web

よく考えてみたら、私がやろうとしているWebは2つではなく3つあって、

 

  • 自分の日々に関するWeb
  • 趣味に走るWeb
  • 技術標準化Web

 

‥‥でした。このブログは、そもそも「自分の日々に関するWeb」のブログ部分が生き残ったもので、「趣味のWeb」と一緒に2000年代から続けていたものです。(実際は、1998年とか、PageMillとかクラリスホームページが存在した頃から)

 

技術標準化Webは、これから未来の様々な新技術に関して、過去の反省を盛り込んで、「規約などの約束事」「技術の標準仕様」などを明文化して、出典を明らかにするためのものです。いわゆる「未来のStandardization」に関するもので、私だけでなく、共同執筆者もおいおい募って、ソサエティとして機能できたら‥‥と考えています。アニメ業界に「ありそうでなかったもの」‥‥ですネ。

 

自分のWeb、趣味のWebはアドビフォントを楽しく使って、遊び心を反映しようと思っています。Adobe CCの費用は自分持ちですから、After EffectsやPhotoshopを使うだけでなく、色々な機能を活用して、対価に見合う充実を得ようと思います。

 

技術標準化Webは、フォントは各プラットフォームに任せて、CSS単体で可能なデザインを作ろうと思っています。ボックスとかの装飾はCSSだけで可能ですから、トピックや注釈などを見やすくしたデザインは、macOSやWindowsだけでなく、iPadのSafariiやAmazon FireのSilkでも反映されます。

 

今さらながら知ったのですが、最近のブラウザは、たとえ指定したフォントがなかろうが、「セリフ」「サンセリフ」「モノスペース」のラベルを見て、有り合わせでちゃんと「明朝体」「ゴシック体」「等幅フォント」だけは表示してくれるようです。賢くなったよねえ‥‥。

 

技術標準化Webは、フォントなどの維持にお金をかけずに読みやすいデザインを実現して、どちらかというとコンテンツを充実するのが本命です。データベースとの連携で、用語辞書とかは検索しやすくしたいです。

 

旧来のアニメ制作技術とはできるだけ分離して、新しく定義し直すのが肝要と思います。「レイアウト」とか「タイミング」とか「Follow」「Pan」「フレーム」はアニメ用語ではなく一般用語ですから継承しつつ、AセルBセルとか付けPANなどの用語は廃止するなど、フィルム時代の形骸化した慣習は取り除いていくのが、未来に必要なアクションです。A下下セルとか呼ばずに、任意の呼称・IDで呼べば良いですしネ。

 

 

こういう取り組みって、ツイッターでは無理ですよネ。ツイッターにはツイッターの長所がありますが、万能ではないです。最近思うのは、皆がツイッターがやるようになって、何とない意識を共有することは可能になったものの、まとまった具体的なアクションによる結果物がむしろ以前に比べて残せなくなっているように感じます。

 

呟くことで「言うたった!」とプチ達成感は得られるでしょうし、バズったとばかりに共感した人数も数字に表れますが、その後、サーっと潮が引くように消えて無くなります。このブログもツイッターよりは長文が可能でカテゴリにも履歴が残りますが、新しい記事にかき消されて古い記事はどんどん消えて、いつも読めるカタチとして残りにくいです。

 

「業界問題」をツイッターでアンケートをとっても、その後に、そのアンケート結果が何の役にたったのか、また、そのアンケート結果をいつでも参照できるのか、かなり危ういです。不特定多数にアンケートをして、どれだけの人がそのアンケートに注目したかを、ツイート主が満足するに過ぎないのではないでしょうか。

 

ツイッターやブログを自分のネットの手段にしてしまうと、後には何も残らず、毎年毎年同じような行為を繰り返すばかり‥‥、まるでうる星やつらのビューティフルドリーマーのような状況に陥るように感じるのです。私はツイッターはやりませんが、ブログをやっててそう思います。

 

ツイッターはきっかけにはなりますが、そのきっかけが後に連鎖して続いていかなければ、何かを変えたり動かしたりするのは不可能です。もし可能だというのなら、数年前からツイートされている多重・複合クミの問題は改善なり解決しているはずですが、今年も同じトラブルは絶えませんよネ。ツイッターの強力・高速・広大な伝播速度の性質だけでは、物事は変えていけないのだと、そろそろ気がついている人も多いと思います。

 

ツイッターを検索しても、「どうすれば複合クミを完全に回避できるか」のドキュメントはでてこないのですから、改善されないのは当然です。私が考えるに、キャラデザインから回避しなければ複合クミのトラブルは根本解決には至らないと思いますが、どのように対処すれば良いかはツイッターでは示されず、単に危機感や怒りを煽るだけの結果になっていますよネ。

 

私もこのブログで記事を書きますが、日々日記のように書き綴るブログの性質ゆえに、技術解説書や用語辞書のようには構成できません。せっかく書いた記事は、どんどん新しい記事に埋もれて省みられなくなります。

 

印刷媒体では、新聞や雑誌の他に、辞書や事典など、ニーズに応じた様々なスタイルが存在します。新聞で全ての文書がカバーできるなんて、誰も思ってはいませんよネ。

 

しかしネットのドキュメントに関しては、ツイッターを過信するあまり、Webサイトのまとまったドキュメントを軽んじる傾向に「この10年」で変わっていったと思います。「ホームページなんて古い!これからはツイッターなどのSNSだ!」みたいに言っちゃってネ。‥‥その結果、危機感だけが募って、技術の実践は停滞した、「空白の10年」が形成されたのかも知れませんネ。

 

実際、「自分のホームページ」を放置して数年経過し、ツイッターだけで自分のドキュメントを発信する人は、かなり存在するでしょう。私もツイッターではないですが、同じクチです。ブログばかり書いて、まとまったドキュメントは数年書いていません。

 

それによって、「ヤバイ!急げ!大変なことになる!」と危機感だけは確実にヒートアップするものの、実際に「じゃあ、どうすれば良いのか」を示す文書はどこにも存在せずに改善の道標すら見つけられません。つまり、皆で地団駄を踏んだまま、先には一向に進めていない数年が経過した‥‥ということです。

 

う〜ん、恐ろしい。「時は金なり」なのにネ。

 

ツイッターは広告や告知に使うべきで、技術解説や用語辞書に使おうとしても無理があるのでしょう。

 

技術解説を細切れにツイートしても読むのが面倒ですし、あとでまとめサイトでまとめたところで、辞書や辞典にはなりません。無駄が多すぎます。ツイッターは告知、広告、引用による紹介が適していると思います。まあ、あとはホントに「呟くため」ネ。

 

 

 

とまあ、これだけ状況を私なりに分析しているので、少なくとも自分は、ブログだけでなく、Webも復活して再開したいと思っています。

 

私の本業はWebを作ることではないので、どうしても仕事の合間のプライベートな時間を使うことになります。ゆえに簡単には復活も再開もできず、相応に手こずることと思います。CSSのデザイン定義から自分でやらねばばらないので、地味に時間がかかります。

 

ということで、簡単に書けるブログやツイッター‥‥という流れになるわけですが、前述の通り、「日記やつぶやき」は辞典や辞書のようにいつでも存在して再読できる「拠りどころ」にはなりません。簡単に書けるから‥‥という理由で、この10年に失った機会損失は、実は間接的にかなりのものがあると思っています。

 

明日から令和。来年は20年代。

 

目覚めるには、良い区切りですネ。

 

 

 

 


個人規模のCSS

複数のサイトを運営する場合、CSSもサイト個々の専用になると思います。しかし、そうなると、CSSの一覧表でも作っておかないと、すぐに忘れて定期的にCSSのコード文を再確認することになって、面倒ですネ。

 

フォントの名前を見て、すぐに頭の中に書体を思い出せるほどの経験はないですから、CSSがある程度まとまってきたら一覧を作ってクラス名とかもすぐに思い出せるようにしたほうが良いですネ。

 

現在2つのWebを構想しておりまして、1つはアニメ制作技術関連、つまりこのブログで書いているようなことを、ドキュメントとして読みやすくまとめるWebです。ツイッターなどのSNSやブログのような細切れのテキストは、まとめやジャンル分けしても、いちいち途切れる性質は変わらないので、書籍のように読みやすくしたWebは技術解説には最適だと再認識しています。

 

もう1つは、アニメ以外の趣味寄りなWeb。いわゆる昔ながらの「ホームページ」ですネ。自分のガーデンのように楽しみながら作りたいと思っています。本文に貂明朝を使うことだけはもう決めています。

 

趣味ドメインのCSSテスト

https://beabea.tokyo/texttest.html

 

素人の個人Webだろうが、今やCSSでの外観コントロールは必須です。しかし、素人ゆえ、管理がおぼつかないのは容易に予測できます。ならば、工夫して対処すべし。

 

 

 

ツイッターはもちろん、図説と長文が可能なブログでさえも、最近のコンテンツの寿命は短いです。なんか、「テキストまで使い捨ての時代か。金がない、金がない、と言ってるわりに。」と思うのです。

 

私がツイッターに関して読むだけにとどまっているのは、テキストを書いてはどんどん捨てるスタイルにどうも馴染めないからです。読み返したい時にどうすれば良いのか、ツイッターのアカウントを訪れても要領を得ないのは、まさに刹那的なテキストコンテンツそのものです。拡散力は高いものの、ドキュメントとしてはまるで広告の古紙回収のように数日で忘れ去られていきます。「バズった」と言ったところで、読む側にしてみればほんの数時間・数日の記憶に留まるだけで、1ヶ月も経てば完全に忘れています。

 

私は映画が好きですし、本も画集も好きですし、レコードもCDも好きです。‥‥つまり、後に残って、いつでも見返せる・読み返せる・聴き返せるメディアが好きだ‥‥ということなんでしょうね。我ながら。

 

なので、ネットのドキュメントも、今一度、Webとして長く保持したいと思うようになりました。

 

まあ、「これこそ全て!」みたいに一神教になる必要はなく、必要に応じて、SNSもWebサイトも使いこなせるのが、一番なんでしょうネ。

 

 


二値の頃

あまりにもヒラギノ書体に慣れすぎた私ではありますが、昔のMacのOsakaやChicagoも好きでした。二値データのフォントやアイコンは、それ自体は、決して悪いものではないです。

 

今は、解像度が上がって、処理速度も上がったがゆえに、二値化にする必要がなくなっただけで、書体やデザインとしては優れていると思います。

 

 

サッドマック。潔い二値画像が、逆に今は新鮮。

 

 

ハッピーマックも可愛かったネ。

 

 

スーザン・ケアさんのシカゴフォントもかつてのAppleの「顔」でしたネ。最近まで「Charcoal」という書体で見かけていましたが、今はもうない?

 

Adobe Fontsで似たような書体を探そうと思いましたが、一覧のページ数が144と、あまりにも多すぎて早々に諦めました。何か良い検索方法はないか、もうちょっと考えてみますが、もしChicagoと似たようなフォントが見つかれば自分のWebの欧文見出しに是非使いたいです。Chicagoはトラディショナルになり過ぎず、ふざけ過ぎず、適度な軽さの中に整然とした佇まいがあるので、昔から好きなんですよね。

 

収穫がないのも悔しかったので、脱線して、全然違う書体をアクティベートしたった。(PC版のJUGEMのみ表示可能)

 

Hisashi Ezura

 

 

おそらく、Eの文字がパックマンみたいなのが、自分的に好きなんでしょうネ。見出しに使えるかは微妙ですが、とりあえずゲット。

 

 

 

倉庫に眠るPlusやSE、Performaは、果たして可動か。またいつか、ディスプレイに映し出された、生の二値画像を見たいものです。

 

 


フォントはふぉんとに難しい

広川太一郎さんみたいなこと言ってないで。

 

現在、フォントを小塚明朝にしていますが、いかんせん、私はヒラギノゴシックに慣れすぎました。ヒラギノゴシックが自分の論調を代弁してくれているような愛着すらあります。

 

注意;PC版のブラウザのみフォントが反映されています。スマホ版では今まで通りです。

 

小塚明朝に変えたら、なんか粘度というか、湿度が増しましたネ。

 

だからといって、このフォント(丸ゴシック)でPタグを定義すると、サラっと乾いているのは良いけど、軽すぎるようにも思います。

 

 

フォントってすごいよね。フォントだけで、性格まで変わっちゃうんだもんネ。

 

まあ、ヒラギノゴシックはmacOSの標準なので、デフォルトで表示されますが、他のプラットフォームだとメイリオだったりして、実は閲覧する環境で印象はバラバラなんですよネ。

 

ここでは、他人にとってはどうでも良い私的な内容も書く一方で、マジメなことも書くので、まあ、小塚明朝でも良いのかな‥‥と思い始めています。

 

ほんとは、ゴシック〜サンセリフが良いんですけど、ピシッとハマるフォントが見つけられていないので、しばらくは小塚明朝Pr6Nでいきたいと思います。

 

 


フォントテスト

アドビのCCを使用していると、色々なフォントをネットにも活用できます。JUGEMでは、ユーザがCSSをカスタムできるので、見出しタグや段落タグの変更、任意のクラスの定義が可能です。

 

こうして書いている本文のテキストは、PC環境では現在「小塚ゴシック Pr6N」「凸版文久ゴシック Pr6N R」「Kozuka Mincho Pr6N」で、段落行頭に1文字インデント(余白)を追加するようにカスタムしました。

 

見出しや注釈でもフォントを変更できるように、楷書体、丸ゴシック体、明朝体を使用可能としました。

 

ただ、JUGEMの入力エディタでは、見出しタグなどを指定できず、任意のCSSクラス定義も一覧には表れないので、いちいちHTMLコード文をイジる必要があって、やや面倒です。

 

私は出版の素人なので、どんなフォントが良いかは、手探りです。

 

本当は本文は明朝体にしたいのですが、それだと技術解説っぽい印象が薄れて、物語や文庫のようになるので我慢しました。自分のWebを復活させた際には、技術ページをサンセリフ、思い出話や創作(プラモとか)をセリフ書体にする予定です。

 

CCを使っていて、何かしらネットに自分の文を公開しているなら、アドビフォントは使ってみる価値アリです。ツイッターは多分無理ではないかと思いますが、自分でCSSを編集できるサイトなら使用可能と思います。

 

以下、フォントサンプル。自分メモ。

 


 

新しい時代のこころを映すタイプフェイスデザイン(Kozuka Mincho Pr6N)

 

新しい時代のこころを映すタイプフェイスデザイン(A-OTF UD新丸ゴ Pr6N)

 

新しい時代のこころを映すタイプフェイスデザイン(アドビ 平成丸ゴシック)(中止)

 

新しい時代のこころを映すタイプフェイスデザイン(アドビ 貂明朝)

 

新しい時代のこころを映すタイプフェイスデザイン(Ro日活正楷書体Std)(中止)

 


新しい時代のこころを映すタイプフェイスデザイン(A-OTF UD新丸ゴ Pr6N)

 

 


Live2D

Live2Dを数年前にネットの記事で見た時は、手描きのキャラをコンピュータで動かす統合的なソリューションとして、とうとう日本から出現したか‥‥と思ったものでした。日本のカットアウト技術は、欧米に立ち遅れること10年近く、単に個人芸の範疇から抜け出ない状態に甘んじていましたが、Live2Dの出現によって一気に挽回したと言っても良い状態となりました。

 

そして現在。サブスクリプションも月1200円くらいで、決して導入の難しいものではありません。私はまだ導入していませんが、以前から気になっているソフトウェアで、カット作成の効率化は相当期待できます。

 

最近、After Effectsとの連携プラグインが公開されたようで、そうなると、今まで私個人で貯めてきたカットアウト&キーフレームアニメーション(以後「CO/KF」)とのハイブリッドも可能になりそうで、今の4KHDRの仕事がひと段落したら、いよいよ導入して使おうかと考えはじめています。

 

Live2D Cubism 3 AE Plugin beta 5 リリース!モーションファイルの読み書きが可能に

https://www.live2d.com/ja/news/aeplugin_b5

 

 

アニメのキャラ、イラストのキャラ、油彩や水彩のキャラなど、様々な作風のキャラをLive2Dにて基本のモーションを作成し、さらにAfter EffectsのCO/KF技術でニュアンスやディテールを盛りに盛れば、十分、劇場レベルの高品質アニメを制作できるように思います。

 

また、Live2Dで使う2D素材を、4KHDR PQ1000の色域で作れば、1000nits時代の次世代の色彩でもLive2Dを使えるはずです。

 

全てをLive2Dに頼らなくても、顔のクローズアップなどの書き味の微妙なニュアンスがキモとなるカットは、CO/KFでオールカスタムメイドで作れば良いです。Live2Dを使うと決めたら、Live2D以外使ってはいけないなんて思い込む必要はないのですから、最良の手段を選択すればよいです。

 

いつくもの新しい技術を複合することで、今までとは違った品質で、趣の異なる絵柄のニュアンスで、新たな方向性のキャラで、新しいタイプの作品を作ることも決して「机上の空論」ではなく、むしろ、十分想定できる未来のビジョンと思います。

 

 

 

ただ、動きの知識はどこかで「ピシッ」と学ぶ必要がありましょう。そこがまさに最新の技術と旧来のアニメ技術の「Missing-link」なんですよネ。

 

カットアウト系の動きで、何が一番難しいって、「キーフレーム操作でそれらしく動かす」ことです。そのためには、After Effectsだろうが何だろうが、コンピュータ云々以前に、動きの知識を自分の経験に叩き込んでおく必要があります。なんとなくキーフレームを打ってイジくりまわしたって、「動いたようには見えない」です。ちゃんと知識と経験を足場にしてこそ、です。

 

ここがまさに、未来の課題です。人材の育成においてもネ。

 

 

 

ともあれ、選択肢が幅広いことは善きことです。

 

Live2Dは、Windows版もmacOS版もありますし、Mojaveにも対応しているし、macユーザ、iOSユーザでも、垣根なく使い始められるのも良いですネ。

 

Live2Dだけではなく、Mohoなどの各種カットアウト系ソフトウェア、物理シミュレーション系エフェクトプラグインなども使い、さらにはAfter Effectsで可能なCO/KFも使って、「総合技術」として確立すれば、未来の展望は現実路線として具体的に開けてくるでしょう。

 

それにさ。‥‥アニメーターは絵を描いて動かせるんだから、いざとなりゃ、チカラワザで描きゃイイんだしネ。足りない要素は、iPad ProとProcreateで描いて足せば良いでしょ。

 

After Effectsだって、かなりエグいアニメーションをつけられますしネ。

 

要は、組み合わせです。一神教になる必要はないですよネ。各種ツールと各手段の長所を組み合わせれば良いのです。

 

旧来の「武士道」ならぬ「アニメーター道」に凝り固まっていては視野が狭いままで、広がりは得られません。絵を描く能力を最大の武器として活かすには、「己の能力を拡張する」様々な手段に対し常にフラットな観点を心がけ、色眼鏡をつけずに、積極活用する柔軟さを心がけるべし!‥‥と思います。

 

 

 


人間の能力

リミテッド‥‥というか、エコノミーなアニメの映像=3コマ打ち=8fpsに慣れると、それが低分解能とは思わず不自然さを感じない‥‥という意見を以前目にも耳にもしました。たしかにそうですネ。

 

しかし一方で、人間は、品質が高いものにもすぐに慣れます。

 

自分でもビックリすますが、60pに慣れると、30pですらモッサリと冴えない映像に見えてきます。30pの実写ですら、技術の世代が古いなあ‥‥と実感できるほど、体が慣れてしまうのです。

 

60pのアニメ映像を見続けていると、24pの1コマうち=フルモーション版ですら、ケーブル不良(HDMIはケーブルのバージョンによって伝送できる状態が変わる)か再生ソフトのコマ落ちと勘違いするほど、その差を歴然と知覚できます。

 

3コマの動きに関して言えば、かなりカクカクしたコマ落ち感を知覚して、少し目が疲れる気分にもなってきます。60fpsだと普通に眺めているだけで良かったのが、8〜12fpsだと脳内で足りないフレームを補完する処理をしているのが、自分でよくわかるようになります。

 

 

 

そりゃあ、24fpsで2コマ3コマ(=8〜12fps)の動きばかり見ていれば、それに慣れるでしょう。しかし、未来は、実写方面から4K60pの映像を日常的に見る生活に変わっていきます。すでにYouTubeでは60pの映像も普通になってきましたよネ。

 

今はテレビの実写映像が30pだから、まだ差が少ないのです。世間が60pへと移行し始めたら、3コマのカクカクした動きとの差が歴然と認識されるようになります。

 

まあでも、「ソレがアニメ」だと再認識されることもあるでしょう。動きがカクカクしているのがアニメの味だ‥‥と。

 

 

 

一方で、新しい技術ベースの、24pでフルモーション、60pでフルモーションのアニメ映像も現れ始めます。「フルモーションならでは」の演出技法と作画表現技法を確立した際には、以前の8〜12fpsのアニメ映像は、度々比較の対象になりましょう。

 

時代の流れは、アニメ産業がどんなに抗っても塞きとめることは不可能です。4KHDR60pの流れは、アニメ業界、映像制作業界だけの話ではないです。

 

さらなる未来的な要素は、HDRです。HDRは実は凄い「大穴」なのです。HDRこそ以前の標準(SDR)との差がハッキリ判るものはないです。

 

SDR〜Rec.709やsRGBは、まさに古いテレビ。輝度が低いがゆえに目に優しいだけが取り柄になる日も、やがて来ましょう。映像産業的に言えば、HDRへの移行は宿命的に避けられません。

 

 

 

人間の能力、そして適応力は凄いものだと実感します。

 

4KHDR、そして60pに見慣れた関係スタッフの誰もが、しばらくしたのちには、2KSDRで24pの映像との差を見分けられるようになります。

 

私が自分で一番驚いたのは、全てフルモーションで動いている中で、1枚だけ2コマの絵が混ざった場合、明らかにその絵だけ止まって見えることです。私だけでなく、その場にいた人も、驚いていました。

 

人間の目って、あれだけアニメの2コマ3コマに慣れてきたのに、24〜60fpsのフルモーションに慣れると、1枚だけ2コマになっただけで止まって見えるんだ‥‥と。

 

だって、24コマでの2コマ打ちの下は、もう1コマ打ちしかないのに、2コマでも止まって見えるのですから、「もうやりようがない」わけです。ちなみに、一瞬3コマ止まるとギャグになってしまいます。

 

実際、24fpsで2フレーム静止画になると、60pでは5コマに相当するので、目には引っかかるのは、当然‥‥なのかな。今でも、実は信じられないキモチなのです。2コマであれだけ止まって見えるのが‥‥です。

 

 

 

我々映像制作のプロは、映像のことを素人さんよりも知っている気になっていますが、そもそも人間がどれほどの動体への分解能を有しているかなんて、明確に意識しきれていません。たかだか、秒を24分割するくらいの分解能で、動きの全てを知っているなんて、傲慢で怖い物知らずで井の中の蛙です。

 

今のAfter Effectsは、一応、999fpsまで入力できます。でもまあ、モニタが60〜144Hzなので、現在体験できるアニメ制作の最高スペックは規格的には60pということになりましょう。

 

自分で60pのアニメを、ミッフィのような線の少ないキャラでも良いから動かして作ってみれば、触ったこともないまま予測や想像で60pを語る‥‥なんてことにはなりません。

 

そして、60pの動きを平然と受け入れる人間の能力に対し、認識を新たにすることでしょう。

 

 



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