ソフトウェア迷走

今から20年前の頃、「デジタルアニメーション」と呼ばれた、アニメ制作技術の大転換期がありました。その頃、よく話題にのぼっていたのが、「撮影ソフトをどうするか」でした。

 

「撮影をするには」「撮影処理をデジタルでどうするのか」「撮影台をどのようにして再現するか」

 

多くの人が、「撮影」という言葉に縛られて、思考の柔軟さを自ら捨て去っていたことを、昨日のことのように思い出します。

 

フィルムカメラなき後、どうやって、フィルムカメラの代替技術を確立するか。その「代替」思考に縛られて、「Think Different」的発想ができなくなっていました。

 

‥‥で、さて、現在。

 

After Effectsを「フィルム撮影の身代わりソフト」と捉えて、使っている人、います?

 

まあ今でも、慣習で「撮影」という言葉は使います。まるで「ログ=丸太」のような感じで。

 

しかし、撮影台をシミュレーションしたり、フィルムやレンズの特性を模倣したりと、フィルム撮影台縛りの考え方はもはや消滅した‥‥と言っても過言ではないですよネ。

 

セル重ねはレイヤー階層、背景やBOOKやセルのスライドはレイヤーの位置(やスケール)プロパティの操作であって、撮影の「台」ではないです。

 

現在の「撮影工程」には、ブレンド=隣り合った2色のボカシとか、テクスチャの貼り込みとか、パーティクル系のシミュレーションエフェクトとか、フィルム撮影台の面影よりも、ビデオ合成やCG/VFXの機能を期待されています。

 

 

 

同じことです。‥‥「作画」のソフトもネ。

 

妙に「作画」に縛られていますよネ。

 

ゆえに、今は「作画のソフトが何がよいか」みたいな話が多いです。まるで、「撮影のソフト」を一生懸命探し出そうとしていた、あの頃のように。

 

「作画のソフト」の可否・是非に囚われた人は、視野をもはや「絵を描いて動かす」根本的な部分に向け直す心の余裕すら失っているように見えます。

 

 

 

じゃあ、なぜ、撮影工程は、「撮影ソフト」ではない、After Effectsへと目を向けられたのか。

 

色々と理由はありますが、大きな理由の1つに、「根本を見つめ直せた」ことが大きいでしょう。

 

セル素材がある、背景素材がある、その素材を組み合わせて、映像効果を追加し、1つの映像にまとめる。

 

‥‥それができれば、アニメの「撮影」工程は十分機能することがわかり、撮影台のシミュレーションはどうやら不要だということに気が付いたのです。

*ちなみに、もう1つの大きな理由は、After Effectsの「スムージングのプラグイン」が使えるようになった‥‥ですネ。タイムリマップ=タイムシートをAfter Effectsに適用する手法と、二値化のスムージングプラグインの登場によって、コアレタスは役割を完全に失ったのです。

 

今から20年前の、もはや「笑い話」のような話ですが、

 

アニメの透過光はどうやれば、「デジタル」で可能になるのか?

 

‥‥と現場は悩んでいました。

 

絵を描く人間なら、すぐに「そりゃあ、光っているように画面を作れば、光の表現になるだろう」と思うのですが、撮影台の意識に囚われた現場は、「撮影台では、透過光は光源を直に撮影している。ということは、光源のシミュレーション、光学レンズのシミュレーションがソフトウェア上で必要ではないか」と、物凄い遠回りをして考えていたのです。

 

私のようにカラーイメージボードを度々描くアニメーター、そして光と陰を毎日のように描く美術監督さんは、「光っているように絵を作れば良いだけの話だ」と解っていました。どう言う画面の内容=映像の絵を作れば良いかを考えるのであって、撮影台を模したままごとなど不要だと、すぐに理解できたのです。

 

つまり、「光を描けば良い」、それだけの話‥‥だったのです。

 

そもそも撮影台だって、光の表現をもっと美しくかっこよくしたいから、透過光の技術を編み出したわけですよネ。最初にありきは、「絵のイメージ」であって、決して「透過光のメソッド」ではなかったはずです。

 

それがいつしか「主従逆転」して、透過光のための画面処理‥‥みたいに変質しただけのことです。

 

 

 

そして2018年の今、「作画」。

 

20年前の「撮影」と同じ道筋を、不思議なほど忠実に、トレースしているように思います。

 

 

 

そもそも「作画」は、何を成し遂げるために存在するのでしょうか。

 

絵を描いて、動かすため、‥‥だったと思います。‥‥私の記憶と認識が間違っていなければ。

 

 

 

私はアニメーション作品を作りたいです。自分たちの絵が動く、アニメを。

 

だから、「アニメの原画・動画」スタイルだけの「専用ソフト」は不要です。

 

必要なのは、「絵を描く」ソフトウェア、そして「絵を動かせる」ソフトウェアです。

 

 

 


クレイジーの内質

個人の「根性」を生産性の一環に組み込んで制作計画を立案する‥‥というのはナンセンスだと、以前書きました。しかし、ふと冷静に考えてみれば、原動仕の作業システム自体が、既に「根性ベース」のように思えます。だって、1話につき、動仕数千枚ですよ。その膨大な枚数の絵を人の手で1枚1枚描いて仕上げるって、どう考えても「ど根性」であり、クレイジーでしょう。

 

私ら技術グループの進めている新技術も、ぶっちゃけて言うならば、クレイジーです。膨大なキーフレームをひとりの人間が的確に整然と扱って、ようやくモーションが出来上がります。のべレイヤー数なんて膨大すぎて、語るだけ野暮ったいです。

 

しかし、現代のテレビアニメのクレイジーさに比べれば、全然平気。

 

まあ、テレビアニメ制作は、モーションの全てを一人の人間が完結するなんてことはなく、レイアウト・第1原画・第2原画・動画・仕上げ・撮影‥‥と多人数で分配しているので、過大な数千枚作業も「負担感」は紛らわされていますけどネ。ちなみに、撮影はモーション〜動きに関与しているのか?‥‥と不思議に思う人もおりましょうが、「貼り込み」は完全に動画技術のカテゴリーですヨ。

 

私らの新技術系は、日本ではあまり知られていない技術なので、外見的に「荒唐無稽」とも思われがちですが、「荒唐無稽」なんて言いだしたら、今のアニメ業界の制作体制〜明確なレギュレーションもなしに「デジタル」を方便として用いる現状のほうが、よほど「荒唐無稽」のように思えます。

 

 

 

新技術のクレイジーは、家に帰れば正気に戻れるクレイジーです。職場・作業場で作業している時は、「こんなAfter Effectsの使い方、アドビすら想定していないだろうな」と思うようなクレイジー具合ですが、そのクレイジーさゆえに集中できる時間には限りがあり、「はい、今日はここまで」と仕事を切り上げて帰る「キリの良さ」も持ち合わせています。

 

しかし、テレビアニメに代表される、複雑な絵柄を数千、時には万も、1枚ずつ描いていく旧来技術は、家に帰っても正気に戻れない‥‥というよりも、家に帰ることもできないほどクレイジーです。まあ、今は労基のアレコレで緩和の傾向にありますが、その技術の根本が「何千、何万も、絵を描き続けろ〜!」というクレイジーさを宿命的に宿しています。

 

旧来の技術は、すご〜〜〜〜〜〜く、大変な内容で、極めて労力を消費する技術であることを、今更ながらに、再認識しても良い時期ではないでしょうかね。

 

麻痺状態から一度抜けて、冷静になって。

 

アニメ業界は長年の実績のある旧来システムがあるからこそ、不可能が可能になっている‥‥と自信を持つ御仁もいらっしゃいましょうが、いまどきの恐ろしく大変な内容を貫徹できないからこそ、絵が崩れたり、打ち切りになったりして、「不可能を可能にしてきたけど、また不可能になりはじめている」わけです。‥‥そりゃ、当然ですヨ。アニメ業界の誰もが超々人でもない限り、どこかで心折れ、息も絶え絶えになりますよ。

 

 

 

クレイジーと言っても、先が明るいクレイジーと、お先真っ暗のクレイジーがあるのです。

 

才能ある新人が、4〜5万しか月に稼げないクレイジー。‥‥そんなクレイジーを延々と踏襲してどうする。私だって、旧体制の中では、もうどうにもやりきれません。「いつかパタッと死ぬかもしれない」と予感する、終わることのないロシアンルーレットを回し続けるのです。

 

 

 

「今度、こめかみに銃を突きつけて引き金を引いた時、弾が飛び出すのかも知れない」

 

そんな恐怖に慄くのなら、ロシアンルーレット自体に巻き込まれない方法を、会社も個人も模索すべきでしょう。

 

「会社がやってくれないから、何もできない」なんて言ってたら、私だって現在の新技術を手にできていません。会社に所属しようがフリーランスだろうが、未開の荒野で新しく開拓するくらいの意識をもたなきゃ。

 

 

どんなに個人が色々な新技術の可能性をもっていても、制作会社が古い脳しか持たなければ、何も新しいことは起こり得ない。

 

どんなに会社が新しい技術基盤を作ろうとしても、個人が旧態依然の作業様式と思考しか持たなければ、何も新しいことは起こり得ない。

 

 

なぜ、新しいことがいつまでたってもできないのか。‥‥個人と団体の、どちらか一方が悪いのではなく、どちらも悪いのです。

 

「そのとおりだね!今からすぐ、頭を切り替えるよ!」って誰もが思考をチェンジして動けるのなら、世の中、こんなじゃないですわな。

 

やっぱり、時代性は人を選びます。

 

 

 

私ら技術グループは、ロシアンルーレットを回し続けるクレイジーから抜け、未来の可能性を思考と実践によって回し続けるクレイジーへと転向する所存です。

 

みなさんも、今すぐ100%は無理でも、徐々に、転向していきませんか。

 

 

 


ルッサーの伸びしろ

2KのSDR視点でいくら未来を想像しても、具体的な未来像は見えてこないでしょう。フィルムカメラとセル画時代に、現在のアニメ制作の姿が見えなかったように。

 

4Kは2Kの4倍の面積‥‥というだけの認識では4Kの真の姿を掴めませんし、1000nitsは現行のSDRの10倍のレンジ‥‥というだけの認識でもHDRの真の姿を掴めません。フィルム時代に、「仕上げ以降が「デジタル」になるんだ」という認識だけでは、現在のようなコンポジット技術の発展は見通せなかったように、です。

 

要素の足し算だけでは、未来は読みきれません。

 

ルッサーの法則の応用編みたいな話ですが、未来の技術の可能性は、その要素の足し算や平均値ではなく、掛け合わせによって予測できる‥‥と実感します。

 

つまり、現在の技術に比べて、例えば5つの技術要素が2倍のポテンシャルを持つ場合は、

 

2+2+2+2+2=10

 

ではなく、

 

2x2x2x2x2=32

 

‥‥のような劇的な進化と格差を生み出します。目に見えて、「これはものすごく進化した」と誰の目にも認識できるのです。

 

まあ、大雑把な概念的な計算ですが、これは1990年代後半の「デジタルアニメーション」の時に実際に体感したことです。

 

ちなみに、この計算は「技術的発達が小規模に収まった場合には、大きな効果とはならない」ことも示唆していて‥‥

 

1.1x1.1x1.1x1.1x1.1=1.61

 

‥‥とか、一部分の技術だけが2倍になったところで、他があまり進化しなければ、

 

1.1x2x1x1x1.2=2.64

 

‥‥と、各工程の技術が足並みを揃えて進化しないと、「何か変わったんか? よく見ても、違いがわからないなぁ」と、むしろマイナス評価とも言える結果が待っています。

 

ゆえに、各工程の技術は少なくとも1.6倍くらいの進化、できれば2倍くらいの技術的発展を成し遂げなければ、「投入したコストに見合う技術発展が実現できていない」と評価されてしまうでしょう。

 

 

私はプレステ1の攻殻のムービー、そして2000年のBloodに関わる中で、「仕上げと撮影がデジタル化された」程度の消極的な認識ではありませんでした。「仕上げと撮影がデジタル化された‥‥ということは、今までできなかった、あの表現もこの表現も可能になって、飛躍的に映像表現が増える」と考えていました。

 

それと同じことが、4KHDRでも起こります。

 

2Kが4Kになった、SDRがHDRになった。‥‥そんな消極的な認識で留まるはずがないじゃないですか。

 

 

アニメ制作にはもう技術的にも表現的にも伸びしろは少ない?

 

アホなことを言うな。知った顔して勝手に伸びしろを縮めるなよ。

 

まだまだいくらでも伸びしろはあるがな。

 

今、20代の人が、50代になってもまだやりきれないほどの広大な広がりが、4K8K時代にはありますヨ。

 

一緒に1つ1つ積み上げて、頑張りましょう。(‥‥と潜在的な同志に向かって囁く)

 

 


想像外

各人の今までの豊富な映像制作経験をもってしても、未来の映像フォーマットや品質は、想像の外側にあることが多いです。実際にテストを重ねれば、旧来の延長線上で考えた制作上の運用規格や規模が、「願望」レベルでしかないことを痛感します。

 

  • 60秒で200GB前後になるTIFFの連番をどう運用する?
  • ProResやDNxHRよりもむしろ非圧縮のほうがマシン処理的に遥かに軽負荷だと?
  • PC/Macのビデオ出力は様々な要因により信用するに値しない?
  • 圧縮のデコード負荷と転送速度負荷のどちらを危惧すべき?

 

いくら入念に頭で考えていても、リアルにテストしてみれば、事前の予測や計画が机上の空論だったことを思い知らされます。理論値と実測値をたとえわきまえていても、実際にフレーム落ちすれば、単なる「頭の中の計算でしかなかった」ことが解ります。

 

しかし、その机上の空論が現実によって打ち破られるところから、本当の技術体系は再スタートするのです。昔は昔、今は今‥‥を、リアルに肌身で感じながら。

 

過去視点のガイドラインなど、さして役に立たないことを思い知りながらも、同じように、何も指針がないところから体系を作り上げた先人の開拓精神は大いに参考になりましょう。

*ちなみに放送規格やレギュレーションの類いは、指針というよりは順守すべき規定です。ここでいう指針とは、実際の映像の内容を制作する際の具体的な環境作りや方法論を指します。

 

アニメ制作の第一歩を築きあげた先人と、全くの真逆の技術体系を模索し実践しても良い‥‥と、私は思います。先人がフィルムと紙と絵具を使いこなした技術表面上のスタイルを模倣するのではなく、「今存在する技術と道具を、どのように自分たちの目標に活用するか」を先人に学ぶべきでしょう。

 

未来にはインチもミリもタップも要りません。要るのは、先人がインチやミリやタップを使いこなした「活用法の思考」です。

 

 

想像外のことが山ほどおこるであろう、未来の映像制作。

 

想像外であればあるほど、突破した時には痛快で愉快なものでしょうネ。

 

だからこそ、キビしいしプレッシャーも大きいですが、楽しくもあるのです。

 

 

 

 


インチ、ミリ

ペーパーレス運用におけるレイアウト用紙のフレーム寸法を、紙時代、フィルム時代の名残りで、何ミリ・何インチかと規定するのは、やはり思考の出発点が「紙ありき」だからだと思います。フィルムカメラ時代は撮影台にセルと背景をセットして「スキャン」と同等の行為(=フィルム記録によるアナログデータ)が含まれていましたし、紙ベースの現在の現場もスキャナーによるスキャンが必須ですから、「現実世界の実寸ありき」で思考する癖がどうしても付きまといます。

 

しかし、その「癖」「慣習」は、オールデジタルデータ運用においては、もはや不要であり、いちいち「何ピクセルは何ミリ相当か?」みたいな慣習を引きづり続けると、状況把握の相違や混乱を招きます。

 

タブレットでアニメ作画(=映像作品)を描き始めたのなら、もうA4用紙やB4用紙のことは忘れましょう。

 

自分たちが扱うピクセル寸法の中で、どのような合理的なフローを形成するか、そこに注視すべきです。

 

 

 

スライド幅を「ミリ指定」するのは、紙時代の用紙の実寸が存在したからです。ピクセル寸法で全て取り扱われる運用においては、指定の際に旧時代のインチやミリを持ち出して、わざわざ変換計算で遠回りする必要はないでしょう。

 

スライド幅を指定したいのなら、範囲指定で全て解決できますし、何の不都合も生じません。もし不都合が生じるとすれば、ピクセルの相対感覚に疎い人、どうしてもミリで指定したい人です。

 

 

紙やフィルムの時代は、まず実寸のインチやミリがあって、その現実の寸法を、どのようにデジタルデータにするか?‥‥でした。

 

しかし、最初からコンピュータ機器で描く「ピクセル寸法」ベースのフローは、最初にピクセル寸法ありきです。なによりもまず実物の実寸があった昔とは、考え方が大きく異なります。

 

例えば、3840ピクセルの映像出力寸法が、iPadでは12.9インチや9.7インチ、4Kテレビでは50インチ等、iPhone Xでは5.8インチと、様々な実機の寸法で再生されます。リアルな実寸が存在するとすれば、映像制作の「後」なのです。

 

*「AST.1801」勧告による3Kレイアウト基準用紙(ファイル)‥‥ですが、Web用に縮小してあります。作品の品質基準に合わせて、2K、2.5K、3K、3.5K、4K、5K、8K‥‥と各サイズを制定してあります。私らの技術グループでは、この勧告による基準をもとに、作品制作作業を実施します。タップ穴はありません。

 

端末の性能によって、ダウンコンは当たり前の状況です。様々な機器や端末で作業し閲覧する現在の状況を鑑みれば、ピクセル寸法だって絶対的な指針にはなり得ません。

 

もしどうしても、絶対的な指針や基準が欲しければ、それはフレームでしょう。HD/UHD作品ならば、16:9のフレームの中に映像を収めることになりますから、1秒でフレームの半分だけ移動するレイヤーは「1/2fr/sec」ということになりましょう。

 

 

「でもさ。ミリやインチを仮想的にでも設定して、作品ごとのピクセル寸法の差異に左右されない、絶対的な描画空間を確立するのも、方法論としてはありじゃない?」

 

‥‥というのは、確かにそう思います。しかし、絶対的な基準を設定するのなら、私はミリやインチでなく、フレームの方が良いと思っています。

 

なぜかというと、ミリやインチは、それそのものは絶対的になり得ても、結局はフレームサイズが各社各作品でバラバラだったら、ミリやインチの寸法も流動的になるからです。

 

一方、最終出力のフレームは、16:9やシネスコなど明確にフレーム縦横比が規定されています。作業時に、10インチフレームだろうが、260ミリフレームだろうが、1920ピクセルフレームだろうが、4096ピクセルフレームだろうが、「フレームの半分の長さ」と指定すれば映像の中身が一致します。どんな会社のどんなレイアウトフレームにも、フレーム比率で指定すれば、同一の結果を映像上で得られます。

 

 

「フレームの『4分の1』」という指定ならば‥‥

 

10インチフレームの場合:2.5インチ

260ミリフレームの場合:60.5ミリ

1920ピクセルフレーム:480ピクセル

4096ピクセルフレーム:1024ピクセル

 

 

‥‥というように、どんなレイアウト〜カメラフレーム規格でも、指定と結果が一致します。

 

マスモニを前にして、監督さんや演出さんがスタッフにイメージを伝える時に、

 

1秒で右から左に6cm動くくらいの速度で‥‥

 

なんて指示するよりも、

 

1秒で右から左にフレームの1/4動くくらいの速度で‥‥

 

‥‥と言ってくれたほうが、格段にイメージが共有できます。今見ている「画面=フレーム」の1/4ね‥‥とその場でイメージできるからです。なまじ、ピクセル寸法で言われるより、具体的です。大判フレームだったら、フレームに対するピクセル寸法だって増えますから、ピクセル寸法すら流動的なのです。

 

実写もアニメも3DCGもフレームの幅の比率で指示すれば、うまく伝わります。「人物をさ、真ん中じゃなくて、右寄りに、フレームの3/5の位置くらいにちょっとズラして」と言えば、実写もアニメも3DCGも意思の疎通が容易です。アニメ業界の流儀で、ミリやセンチで言われたって「はあ?」です。

 

まあ、アニメ現場慣れしてれば、センチメートルで言われても、慣習で「レイアウト用紙で言うところの6cmなんだろうな」と解釈するわけですが、一方で、「この作品のレイアウト用紙って、A4だったっけ? もしかしたらB4? あれ? この会社のレイアウト用紙100Fって、何センチの幅だったっけ???」‥‥というような会社ごと・作品ごとの差異をいくつも頭の中で換算・変換しなければなりません。

 

もう、そういうの、終わりにしませんか?

 

新しい時代の、合理的で生産的で効率的な現場を、最大限意識しましょうよ。

 

もっと、映像本位に考えて、その新しい映像作りによって人々が昔のビンボーから脱して、現場を肯定的に受け止められる未来にしていきましょうよ。

 

インチとかミリとか、タップ穴とか、無意識にでも過去の遺物を持ち出して未来の現場を縛ろうとする時、その影響は、決して過去から変わることのできない現場の未来へと通じるでしょう。

 

 

でもね。

 

やっぱり、実際に未来志向の方式でやってみて、「何を絶つべきか。何を継承すべきか。何を新しく考え出すのか。」がわかってくるのです。私だって、10年前くらいは、レイアウト用紙は何ミリの横幅で‥‥とか、考えていましたもん。頭の中だけで考えるだけでは限界があります。実践してみて判ることは、とても多いです。

 

「ああ、自分の考え方は、形骸化していたんだ」と、妙なプライドを捨てて自覚できるようになるまでには、相当時間がかかります。そして、歳を食えば食うほど、頑固で変われない自分になってきます。

 

年長者こそ、柔軟な思考をいつも心がけないとさ。

 

古ぼけた慣習に縛られた、滅びゆく「かつて栄えた業界」になってしまいますヨ。

 

 

昔取った杵柄は、必ず有用であるとは限りません。未来の可能性を阻む災厄にすらなり得ます。

 

年長者こそ平和ボケせずに、戦史に学びましょう。Kindle「デミヤンスク包囲戦」の一節をアマゾンから引用します。

 

 

多くの社会的事業と同様、戦争においても「成功経験」は必ずしも組織の強化や判断力の向上に繋がるとは限らず、逆に特定の条件下における「成功経験」に惑わされてそれを一般化することで、後により大きな「破滅」を生む温床となることもあったのです。

 

 

恐ろしい教訓です。自分の成功経験や知識が、裏目にでることもある‥‥なんてネ。

 

でも、年長者こそ、胸に留めるべきです。数多くの経験を有しているのは、物理的に年長者ゆえ‥‥なのですから。

 

 

インチとミリで現場の基準を作った成功例が、果たして、未来にどれだけ有用か。

 

よく考えてみましょう。

 

 

 

 

 


括線とタップ穴

72分の1、35分の1を、まさか、72/1、35/1と書く奴はいまい。標準的な教育を経た人間なら、1/72、1/35と表記するでしょう。でも、アニメ業界のタイムシートは、そうじゃないことが多いみたいです。

 

でも、もっと勘ぐれば、「/」はPer=パーではなく、実は「の」「ノ」「/」の変形だったりしてな。分数線ではなく、「ノ」の字だった‥‥という仮説。

 

つまり、3枚中ノ1枚目‥‥のノが/になったのだとしたら、あながちアホな表記とは言えまい。

 

ちなみに私は、スプレッドシートをPDFのページに分割する際は、ヘッダなりフッタには、全3枚の1枚目の場合は、

 

1/3

3-1

1枚目/全3枚

全3枚:1枚目

 

‥‥のどれかのような表記にします。もちろん関数で処理して。

 

アニメ業界視野ではなく、世界標準のお行儀からして、スラッシュ、パーに見えるような表記は、標準的な分数の表記に準じるべきと思います。どうしても、全枚数を先頭にもってきたいのなら、スラッシュなんて誤解を招く記号など使わず、別の表記に変えれば良いです。例えば「-」ハイフンとかでも良いでしょう。住所でも「一ノ三ノ五」を「1-3-5」と書きますしね。

 

まあ、このあたりの表記に妙にごねるような現場や人間は、慣習やプライドや意地が支配的で、どんなにスラッシュ(パー)の記号の意味を説いても、「俺はずっとこうだったし、タイムシートもその表記が多いから、絶対正しいんだ」と譲らないんだろうな‥‥とは思います。でもまあ、それならそれでいいか。おそらく、その頭の固さや道理の湾曲は、一事が万事でしょうから、深く関わらずに受け流すのが肝要です。

 

 

紙が消えるのと同時に、未来に不要になる事柄は、結構色々あって、タイムシートのデータ化でいちいち「全何枚の何枚目」だとかの表記を手書きで書く必要もなくなりますし(尺から自動計算すれば済むので)、そもそも複数枚分割して表示するか否かすらユーザの任意に委ねられます。15秒を1枚で表示しても、6秒シート3枚で表示しても、どちらでも良いわけです。

 

そして、長年付き合ってきたタップ、そしてタップ穴も。

 

紙時代に紙を固定していたタップ穴(の画像)も形骸化が甚だしいので、私らの技術グループでは3年くらい前(つまりiPad Pro導入時期)から廃止しています。新しいアニメーション技術においては、タップ穴はもはや「存在する理由が存在しない」です。

*タップ穴付きのレイアウト用紙ファイルも用意してありますが、それはあくまで旧来現場互換用です。

 

オールデジタルデータのワークフローにおいて、タップ穴を規定するのは単なる惰性、気分みたいなものです。実写や3DCGのコンポジットにタップ穴をわざわざ付加して運用しているのを見たことがないのは、タップ穴がなくても、位置合わせは可能だからです。

 

タップ穴がないと位置合わせできない‥‥なんて思い込む習慣は、全く不要です。

 

「たとえ実質的には不要でも、タップ穴の画像がキャンバスの上方にないと、アニメの作画をしている気分にならない。だから、タップ穴は必要だ。」‥‥なんて、まあ、いかにも可笑しな話です。インチやミリでどうしてもフレーム寸法を規定したいのも、やっぱり紙時代・フィルム時代の「気分の名残り」だと思いますしネ。

 

オールデジタルデータ運用の現場においては、フレームやマーカーで位置合わせをすればよく、画面外に紙を金具で固定していたパンチ穴の名残りを描画して面積をわざわざ増大させることはないです。タップ穴のための余白面積なんて無駄そのものです。

 

思うに、2020年代のアニメ制作は、フィルムや紙時代の名残りによる「無駄」「形骸化」をことごとく排除・撤廃する取り組みにもなりましょう。昔のアニメ現場の「気分」が、現在未来の現場にどれだけの無駄と浪費を課しているか、「もし作業する人々に少しでも報酬を増やしたい」のなら、習慣や惰性に由来する無駄金を棚から下ろしてじっと見つめて、可否・是非を精査すべきです。

 

 

 

「1/3」のスラッシュをPer〜分数線・分数の括線として理解できない、もしくは理解できたとしても慣習やプライドが邪魔して受け入れられない。‥‥似たようなことは、これから先、タイムシートやタップや撮影用語などにおいて、山のようにおきて、アニメ業界が実は鳥たちが自分の縄張りを主張するばかりの「烏合の衆」だったことを、ありありと目撃することになりましょう。

 

そんな時、未来を切り開きたい人々はどうすれば良いか。

 

過去のプライドや慣習などに囚われず、あくまで合理的に、未来の目標を達成する術を、謙虚に地道に誠実に求めていけば良い‥‥のだと思います。

 

 


美しき世界

最近テスト環境を組んで、iMac Pro、Thunderbolt3の高速RAIDで再生環境を確保し、BlackmagicのUltra Studio 4K Extreme経由でHDRモニタに映し出した4K60pHDRのアニメ映像を見ています。True4K、True60p、TrueHDRが映し出される映像は、まさに次世代の映像美を体現してやまない別格の美しさです。ふと、「商売の計算とか色々あるけど、結局のところ自分は、この美しさに惹かれてるんだな」と改めて自覚しました。

 

商売や新技術がどうこう‥‥だけでは、そもそも映像作品作りをしたい私が、(自分ながら)こんなに積極的にアクションするはずがないのです。シンプルに4K60pHDRのアニメ映像の真の美しさに惹かれている根本があって、もっと美しいものを見たい・作りたいという衝動によって動き、その上に商売的な展開やら成長戦略やらが「ものごとを成就するために」のっているに過ぎません。アニメの映像作りをする際に、まず必要なのは、やっぱりアニメを作りたいという純朴な「根っこ」なのです。

 

しかし、純朴なだけでは、上述した機材(300万くらいします...)を揃えることは無理です。ビジネスとして成立するからこそ、美しい映像を制作可能な環境も揃えられるし維持もできます。クリエイティブとビジネスを両輪として進む意識は必須です。

 

 

機材関連で自覚したのは、PC/Macのビデオカードの出力は、内容をプレビューするための簡易的な出力でしかないことです。機材とOSのコンフィグレーションがうまいこと一致すれば、かなり綺麗に出力されるのですが、その状態を安定させるのが中々難しいです。特に複数台のモニタを繋いでいると、様々な要因で映像に「キレ」がなくなってきます。

 

「キレ」とか変な言い方ですが、人間の感覚は自分で思っているより遥かに鋭敏なものです。例えば、ギターの1弦の「0.009インチ=0.2286ミリ」と「0.010インチ=0.254ミリ」のわずか「0.0254ミリ(0.001インチ)」の差を指先で容易に感じ分けることができます。

 

 

 

OS管轄のビデオ出力は、そうした人間の鋭敏な感覚からすれば、アバウトです。‥‥というよりは、様々な出力の場面で破綻しないように、うまく「丸めて表示するよう」設計されているのかも知れません。ただその親切設計が、厳密な映像制作用途だと仇となり、「なんでこんなにもっさりしてるんだ? (情報表示などで)数値を見るとちゃんと条件は満たしているのに」と混乱することになります。変換アダプタまで絡むと、状況はさらに混沌とし、目でしっかりとジャッジできないと、4K環境が「ぬか喜び」になりかねません。ディスプレイが60Hzで表示できているからといって、ムービーが等しく60Hzで表示できているかどうかは、OS経由だと危うくなってきます。

 

‥‥で、OSに任せず、例えばBlackmagicのソフトウェアハードウェアでビデオ出力すると、あるべき姿のコンディションで再生され、胸を撫で下ろします。OS管轄のぬるい映像を見て、「自分の目が狂ったか、(逆の意味で)プラシーボ効果か」と基準そのものに疑心を抱きかけますが、安定した環境でスペック通りに再生すれば、何が狂っていたのかがわかります。

*ちなみに、機材はむやみに高いもの買えばOK‥‥ではなく、必要に応じて最適な機材を調達するのが基本です。機材を扱うのに相応の知識や技術も必要です。理由もなしにExtreme 4Kなんて導入しても適切に扱えないばかりでなく、トラブルの原因にもなりましょう。

 

そうした様々な要素を鑑みるに、やはり4K映像制作は人もメカも相当ハードルが高いのは確かです。だからといって2Kをアップコンしても、出自が4Kの映像と比べれば、その全体の美しさの差ですぐにバレますから、ネイティブに正直に、4K映像作りに取り組むのが、結局は一番の近道だと実感します。

 

 

 

4Kはアニメ業界の未来の試金石になり得ます。

 

もしアニメ業界が今の業態のまま4Kを作るハメになったら、‥‥まあ、解りますよネ。

 

4Kに対応するには、まず、その完成物の品質要求の高さから、人々の働き方の変化が必要です。アニメは人が作っているので、当事者たる人々の働き方が、最終的には作品に表れます。‥‥ということは、4Kの品質に見合った、働き方の変化がどうしても生じましょう。

 

‥‥ですので、もしかしたら、未来は「2Kアップコン組」と「4Kネイティブ組」の2種類に分岐するかも知れません。

 

今までのアニメ業界の良きも悪きもあれこれを引きずり続けて旧来のまま制作を続ける集団は、その状況的限界から、2Kで打ち止めとなりアップコンに頼ることになりましょう。作業費も2K時代のまま、大きな増額は見込めないでしょう。

 

一方、業界の良い部分を厳選して継承し悪しき部分を絶って、技術体系も制作システムも次世代にふさわしく改善もしくは再構築できる集団は、4K、そして8K時代にも対応することが可能となりましょう。生産技術・生産効率や労働条件にもメスを入れて、内側と外側から、お金の問題を解決していくことになりましょう。

 

4Kをはじめとした未来の映像産業は、その産業を形成する人々とテクノロジーで、未来の姿になり得ます。つまり、アニメ業界・アニメ制作集団・アニメ制作者が「変われるチャンス」でもあるわけです。

 

アニメ作品の映像世界、そして制作者各人の現場を、美しき世界とするか否か。

 

試金石が目の前に転がっています。

 

 


シャーシの性能

前回、「戦車」に例えて次世代映像制作の「ハードルの高さ」を書きましたが、例えば、次世代の「戦車」は以下のような速度。

 

 

 

 

 

数値は「MB/s」、1秒あたりのメガバイト転送速度なので、「Gbps」=ギガビーピーエスに変換すると、

 

書き込み:1.5Giga x 8 = 12Gbps

読み込み:2Giga x 8 = 16Gbps

 

‥‥となります。8ビットが1バイトですからネ。

 

2160p60でも「Write/Read」が「OK」ですネ。ん〜、凄い余裕。理論値ではなく実測ですからネ。

 

 

ちなみに、RAID5のSSD8発(!)、Thunderbolt3です。

 

まあ、個人ではとてもじゃないですが買えないですわ。完全に業務仕様です。機材代理店さんのご好意で、テスト目的でお借りした機材で計測しました。

 

 

このくらい速度に余裕があれば、4K24pの複数トラックはもちろん、60pでも何とかなります。

 

しかし、今度はCPUやGPUです。シャーシが大馬力になって、重い装甲と砲を積めるようになると、今度は装甲と砲の「次世代性能」が必要になります。

 

イタチごっこ。ですネ。

 

 

 


戦車戦

4Kは、2Kの4倍の面積‥‥という数値だけでは計り知れず、実際に扱ってみてわかる、様々な困難・ハードルの連続です。

 

4Kのハードルは、機材面だけ見ても、かなり高いです。わかりにくい例えで申し訳ないですが、HD=2KがIII号戦車なら、4Kはティーガー、4K60pはヤクトティーガーです。IV号戦車を一気に飛び越してネ。

 

味方同士で撃ち合うことはないので、違う例えにすると、2K時代にIII号戦車でスタッフが今まで撃ち合ってきた相手がBT-7やT-34(相当強敵ですが)だとするのなら、4K時代の相手は‥‥

 

 

‥‥のような恐ろしい「アニマルキラー」、重装甲&大火力のソビエト戦車と撃ち合うことになる‥‥ということです。装甲も火力も全てにおいてIII号戦車を大きく勝るJS-2や3を相手に、です。

 

ちなみに、III号戦車はコレ。

 

 

 

かっこいい戦車ですが、‥‥まあ、どんな工夫をしようが勝てません。豆鉄砲とブリキの棺桶です。技術の世代が違い過ぎます。

 

ですから、最低でもティーガーやパンター、もっと火力を強化したパンターIIやヤクトパンター・ティーガー、E-50や128ミリ砲のE-75、スーパーパーシングやセンチュリオン‥‥と、強固な敵を打ち破る「戦車開発」が必須になりましょう。

 

III号戦車を何台揃えても、JS-2やJS-3が相手では、かすり傷を負わせるのも至難の技です。III号戦車に乗車している場合じゃないです。

 

 

強い敵が現れた? ‥‥だったら、こちらも新型戦車と新戦術で迎え撃ち、打ち破って進み、新たな領土獲得に向けて侵攻するのみ、です。

 

終わりの見えない血みどろの塹壕戦が続くより、そっちのほう(=強い敵が出現して膠着状態に終止符が打たれる)がまだ勝機が見えるだけマシ‥‥だとも思います。

 

 

 

 

 

ちなみに、「ファニー4K」、いわゆる2Kで作ってアップコンで4K‥‥という戦法もありましょう。同じ戦車で例えるならナスホルンのような、旧世代の車体に大火力の砲を積んだ「自走砲」的な考え方。

 

 

しかし、撃たれればあっけなく撃破される弱装甲の自走砲のと同じく、アップコンはあくまで「間に合わせ」の戦法です。絵がどうしてもボケますし、総合的なバランスが「2K感たっぷり」なので、世間の目が次世代の高品質映像に慣れてくればすぐに「見破られ」ます。

 

次世代技術を実用化するまで、一時しのぎとしての「自走砲」はアリですが、少なくとも制作費は2Kと同等で4Kの予算を獲得することは困難でしょう。出資者や視聴者をナメてはイケません。

 

自走砲は新型戦車の前線配備までの「つなぎ」と心得るべし。

 

 

 

「次の戦争」を見据えて、様々な「兵器」「戦法・戦術」、そして「戦略」を準備しましょう。

 

私らはアニメ映像における「戦いのプロ」なのですから。

 

 


メカニズムがあってこそ

「飯がマズい!!!」‥‥と、どんなに叫んでも、残念ながら、料理は自動では美味しくなりません。「なぜ、この飯がマズいのか」をどんなにあらゆる方向から分析しても、やっぱり、料理は自動では美味しくなりません。

 

ツイッターで繰り広げられているのは、まさにそれ。どんなに的を得たツイートでも、言うだけでは状況は進展しません。

 

状況が実際に進展するのは、実践のメカニズムが存在し正常に機能していればこそ、です。

 

PDCAだ、OODAだと、どんなに自己啓発的に発起して行動しても、全体の状況変化のメカニズムを有していなければ、ただの「気分」だけに終息します。ライダーが走る気満々でも、バイクのエンジンが止まったままでは、1mだって前進しませんよネ。‥‥それとも、ヤケクソになって、バイクを人力で押して走る?

 

口でものを言って、頭の中で考えた後は、実行しなきゃ。

 

ツイッターやブログは、「言ってやった」と、プチ達成感を得やすい性質があり、何かしら行動した錯覚を得ますが、残念ながら、言葉を放っただけで人や状況が変わるのなら、世界はこんな様相ではないです。もしツイッターで発言することで、人々が善き方向に進めるのなら、それは有史以来の快挙です。‥‥まあ、過度な期待なのです。

 

私もこうしてブログを書きますが、あくまで累積戦略の1つです。順次戦略にはなり得ないことは重々承知しています。累積と順次には、それぞれの役割があって、混同すべきものではないです。

 

順次戦略は、ちゃんと「順次」に事が進展するように、メカニズムをあれこれ作り出して、実践しています。頭で考え、口で言った後は、体を動かせば良いだけ‥‥です。

 

ツイッターでみかけた図

 

 

 

わかりやすい図ですネ。

 

今から10年以上前、当時同じ危機感を持つ同志と「新しいアニメーション技術」を模索し始めた頃は、まさに図で指す20〜30%の「やりかたがわからない」「できたらいいのに」のレベルでした。

 

そしてこれまた図の通りに、40〜80%と段階を登って行って、今は「できる」「やっている」の段階です。図でいうと、80〜90%なんだね。

 

ですから、「やらない」「できるわけない」なんて今でも愚痴ってイジけている人は、この先、長い‥‥スよ。

 

「やらない」「できるわけない」なんて言ってる人は、もう山を登るのやめて隠居するか、考え方を変えて歩き始めるか‥‥です。もしくはどこかの誰かによってケーブルカーが敷設されるのを待つ手もありますが、その時はもう山頂は人々でごったがえして「レッドオーシャン」ならぬ「レッドマウンテン」〜火の山‥‥でしょうネ。かつて、未踏の山頂を制覇した人々は、さらなる銀嶺を登りはじめていることでしょう。

 

山を登っていくメカニズムはまさに自分たちで作るメカニズムです。待つだけでは何も始まらないです。口で言うだけで、行動しなければ、メカニズムなんて生まれる兆しすら見えないです。

 

 

 

では、どうすれば、メカニズムを作り出せるのか。

 

これは中々難しい題目です。なにせ、既存の強固な制作メカニズムが、これまた強固な作業慣習によって防御されていますから、新しい改善のメカニズムを導入するのは困難がつきまとうでしょう。

 

改善できそうな部分から徐々に取り壊して、断片的に再構築していくか。

 

もしくはゼロから再設計して新時代の現場を形成するか。

 

 

まあ、どちらにせよ、言葉から実行へ‥‥と何らかの「実践メカニズム」を導入しなければ、状況は変化せず、世間話の域どまりです。

 

私は、作業フロア自体を、実践を後押しする環境に仕立てようと思います。分業化して外注化した現場では、高サイクルなエラーリトライのループは実践不可能でしょう。小規模であっても、いわゆる「海兵隊」のような「陸海空」を内包した現場こそ、フィードバックが迅速かつ成長速度も速い、新しい世代・時代の技術体系を形成できると確信しています。これはもう、経験上からひしひしとネ。

 

アニメを未来も作り続けたい? ‥‥だったら、その願いを叶える、相応のメカニズムが必要です。

 

 



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