配列、オブジェクト指向

私は昔、「レイヤー」という考えに馴染めず、Photoshopを仕事で使い始めて半年くらいはレイヤーを使っていませんでした。プレステのゲーム攻殻のOPで、素子の周辺に火花が飛び散るカットがありますが、あれはAnimoから出力した連番画像ファイルに直描き(レイヤーとか使わずに)でエフェクトを描き足しました。

 

まあ、後になって考えれば、レイヤーを使わない分、効率的だったとも言えますが、頭が固かったとも思います。現在、レイヤーを使わずにPhotoshopを使うなんて、普通に考えてありえません。

 

‥‥そもそもアニメ制作ではAセルBセルと素材を重ねて絵を作るのですから、なぜ自分が馴染めなかったのか、考えてみると「レイヤーという用語に呑まれていた」とさえ思えます。我ながら。

 

1996年当時の私はコンピュータのコの時も知らない人間で、Photoshopが起動している画面の前に座れば「自分の扱える機能」だけは使えてましたが、Quadra650の電源の入れかた・落とし方すら知らず、当時同じ作業部屋にいたねこまたやさん(原画でもあり演出でもありデザイナーでもありプログラマでもある)に毎朝電源をいれてもらっていたほどの未開人でした。そんな人間なので、「レイヤー」という前世紀のアニメ現場では聞き慣れない言葉に恐れおののいたのも無理からぬことでしょう。

 

 

‥‥で、「配列」。

 

プログラムを覚え始めて、一番最初に「なんだか難しげ」に思えたのが、配列です。特に「連想配列」なんて言葉を聞くと、いかにも難しそうで、妙に怖気付いたものです。

 

現在、なぜ「配列」が難しそうに思えたのか、自分自身、実はあまりよくわかっていないのですが、「配列という考え方を、改めて、自分の思考の中で明確化する」のが「難しいと錯覚した原因」かなと思います。

 

配列って、日常、そこらじゅうにゴロゴロ転がっている、ありきたりなものです。

 

冷蔵庫の中身=[卵、鶏肉、豚肉、キャベツ、にんじん、牛乳]

6話のカット番号一覧=[1,2,3,4,5,6,7a,7b,8,9,10,11...]

自分の趣向=[音楽:ロック、絵画:象徴派、飲料:カルピスソーダ、酒:氷結]

 

‥‥と、現実世界にありふれています。要は、0個以上の何らかの要素の集合体を、「配列」と「もったいぶって」呼ぶのです。手の中に握りしめたコインも配列になりますし、「から=空」という0個だって配列たり得ます。冷蔵庫は中身が空っぽでも冷蔵庫ですもんネ。

 

ちなみに「自分の趣向」という配列は「連想配列」で、配列の各要素にラベル・見出しがついたものです。連想配列なんて言葉は難しげですが、ぶっちゃけ大したことはなく、ごく日常で考えているようなことです。

 

アニメ制作現場は、それこそ隅から隅まで配列の塊のようなものです。

 

制作会社が制作中の作品群=作品の配列があり、作品の中に話数やシーンという配列があり、話数の中にはカット番号という配列があり、カット番号〜カットの中には作業工程という配列があり、作画という作業工程の中には作業担当者という配列、AセルBセルという素材の配列、枚数の配列など、挙げればきりがないほど配列だらけです。

 

日頃、私らが理解して取り扱っているものを、わざわざコンピュータ用語にすると、配列とか連想配列とかアレイとかハッシュとかになるだけです。言葉の聞き慣れなさに呑まれがちですが、意味していることは難しくはなく、むしろ誰でも合点がいくことです。

 

前回書いた「カット番号」も、配列という考えで捉えれば、「作品名、話数、カット番号」という要素によって構成されていることは、アニメ業界のスタッフならば誰でも理解できるでしょう。作品「アニメの日常」作品略号「an」、話数「6」、カット「20」なら以下のように配列が構成されます。

 

カット名の配列要素
作品略号 シーン・パート・話数 カット番号
an 06 020

 

何も難しいことはないです。「配列」という使い慣れない言葉以外は。

 

 

そして、「オブジェクト指向」。プログラムを習得する初歩段階から次へ進む際のハードルとも言えます。まず、なにより、言葉が一層、難しげ‥‥ですよネ。

 

でも実は全然難しいことではないです。やはり「言葉の魔力」に呑まれているだけです。

 

特にアニメ制作現場でアニメを作っているスタッフなら、誰でもオブジェクト指向を実践しています。

 

それは「カット袋」です。

 

制作現場で1カット単位で制作を開始する際に、いちいち1カットについて、まっさらな状態から定義を始めるでしょうか? ‥‥そんな非効率なことはしていませんよネ。カット袋が示す通り、

 

カットの構成

作品名

話数

カット番号

レイアウト

レイアウトチェック

原画

原画チェック

動画

動画チェック

動画枚数

美術

美術チェック

兼用素材の有無

仕上げ

仕上げ枚数

指定

仕上げ検査

撮影

etc...

 

‥‥のように、あらかじめ定義した「決め型」を作っておいて、そこから各カットの作業を開始しますよネ。それこそがクラスベースのオブジェクト指向です。

 

作業の1カットごと、カットの構成要素はなんぞや、カットの作業工程とはいかなるものか、‥‥なんて定義していたらきりがないです。ゆえに、カットの定型をあらかじめ作っておいて、その型から新しいカットをどんどん生成していきます。

 

アニメ制作現場で作業をしている人は、たとえ無自覚であっても、配列にもオブジェクト指向にも関係した作業をしているわけです。

 

これはカットだけでなく、作品全体にも言えて、テレビシリーズを作る際の「型」はある程度決まっていますから、例えば「テレビシリーズの定義」に基づいてオブジェクト指向で制作している‥‥とも言えるわけです。

 

 

実は私は20年前、オブジェクト指向というものがどうにもわからなくて、プログラム独特の難しげな言い回しに惑わされて、理解が進まない時期がありました。オブジェクトで思考する利点が見えなかったのです。そもそも「オブジェクト」という概念がわかりませんでした。

 

しかし、ふと、アニメ制作現場のレイアウト用紙、タイムシート、そしてカット袋を見ると、すべて違うカット内容なのに、使う物品はすべて共通していることに「今更ながらに」気づきました。

 

決して、「Cut20専用のレイアウト用紙やタイムシート」ではなく、Cut1だろうが20だろうが145だろうが、すべて同じ用紙や袋を使って制作されます。

 

JavaScript風に表現すれば、

 

var theCut = new CutFolder("an_06_020");//新しくカットを生成する(=インスタンス)

theCut.addTimeSheet(24,3);//24fpsで3秒の尺のタイムシートを追加する(=メソッド)

theCut.users.genga="ezura";//カットの原画担当者を"ezura"に設定(=プロパティ)

//原画作業者をカット袋のプロパティとするか、カットに内包される「原画」クラスでインスタンスとするかは、実装の内容によります。

//1原2原が通常仕様となった現在は、インスタンスで扱ったほうが「融通」が利きますネ。

 

‥‥みたいに。

 

つまり、作品中のカットそれぞれは、「カット」という型を受け継いだ上で新規に作成されたものだと、明示的に気がつきました。全くの新規の作業形態を毎回作っているわけではないのです。

 

「身の回りのものは結構多くがオブジェクト指向の産物や行為なんだな‥‥。なぜ、気づかなかったのか‥‥」と思いました。

 

それを理解してからは、プログラムでのオブジェクト指向の使い方も加速しました。現実世界での効率的な取り回し方を、プログラムの内部で実践すれば良いんだ‥‥と。

 

 

 

コンピュータを扱って自分の役職として生きる人の中には、さもプログラムを難しいものであるかのように振舞って、門前払いするような人もいましょう。まあ、実際、簡単に説明できるものではないのは確かですし、話が噛み合わなくて面倒ということもありましょう。

 

ただ、そこで途切れたままでは、現場のコンピュータ活用は、いつまで経っても借り物のままです。

 

ちょっとコンピュータの深い話題になると、その人=現場の「デジタル相談役」を経由しないと話が一向に進まず、自由に現場の効率化を実践できないままで、本当に良いのでしょうか。相談役、ワルなイメージで言えば用心棒の助けがないと、ちょっとした弱みでも解決できない体質は、言い換えれば、用心棒に急所を握られている‥‥ということでもあります。

 

しかし、何よりも、まずは自分のコンピュータに対する知識の低さが原因なのです。キンタマ(失敬)を握られるのは、握られるままに放置している当人も悪いのです。

 

制作現場に「デジタル相談役」「デジタル用心棒」がいる時点で、その現場はコンピュータ活用のスキルが低く、「デジタル」は「非正規」のままの扱いです。‥‥だってさ、正規軍に用心棒なんていないでしょ? 正規軍に存在するのは例えば「戦闘工兵」ですヨ。

 

他人事ではなく自分たちで状況を解決するために、色々と試行錯誤し研究し実践するようになれば、いつしか「デジタル」なんて言葉は使わなくなります。

 

全員が全員詳しい‥‥と言うのは無理でしょうが、だからと言って、フロアのほぼ全員がプログラムに疎いのも、マズいです。コンピュータに無知な集団で本当に良いのか?‥‥ということです。

 

 

 

私の望むアニメ制作共同体の未来は、プランテーションと農奴たちではありません。

 

作業集団が独自のシステムを持ち、独自の作業形態で創作し、結果物で流通するエコシステムです。

 

Retasの次は何が主流のソフトになるか?‥‥なんて考えるのではなく、作業結果物の流通における標準仕様を決めて、各自・各集団が自らの特性を最大限活かせる自由な作業形態をいかに選択できるかを考えるべきです。

 

新しいソフトウェアの束縛に、また今度も、業界全体で自らハマりにいくのでしょうか。

 

どんなソフトウェアを使っていようが、受け渡しの規則を決めて条件を満たしていればいいじゃん。

 

必要なのはソフトウェアの確定ではなく、特定のソフトウェアに依存しない、MIDIのような標準規格の制定です。

 

どんなソフトを使うかを議論する‥‥なんて、島国根性丸出しで冴えないオっさんの集まりなのか?‥‥と言っても言い過ぎじゃないですヨ。どうせシンポジウムを開くのなら、もっと根本的な内容=標準流通仕様について話せば良いのにネ。

 

 

 


Cの習慣

思うに、コンピュータがどんどん制作現場に入るようになって、コンピュータありきで制作が運用されるようになると、当然のことながら、コンピュータの知識や経験が現場にも常時必要となります。コンピュータを総称して「デジタル」と呼んでいるようでは、まだ「他人事」「聞きかじり」のレベルであって、実際にコンピュータでスクリプトやプログラム、ネットワークを活用したシステムを自分たちで作ったり運用したりすると、「デジタル」なんて言葉は紛らわしくて面倒なので使わないようになります。最近「デジタルソフト」なんて言葉を目にしましたが、思うに、現場が「デジタル」という言葉を自然と使わなくなる日が来たら、コンピュータが「根についた」証かも知れませんネ。

 

コンピュータの、特にプログラムを知らない現場の人間だけで、コンピュータ運用の規則を作ると、これまた面倒なことになります。‥‥実は、私が歩んできた道のりでもあり、「現場の人間にプログラムを知る人がいないことの不利益」は、身に沁みて実感しています。

 

かといって、制作現場を全く知らないプログラマー畑の人をいきなり呼んでも、制作現場にはありとあらゆる事情がひしめいていますから、融通が利かないのも困りものです。プログラムの都合のために、制作運用がやり辛くなるのは本末転倒ですもんネ。

 

つまり、「コンピュータ導入と制作運用の狭間で、双方が譲歩できる着地点」を見つけ出すことになります。

 

 

例えば、「カット」。

 

「カット」とは、アニメの本編における、何らかの被写体を捉えた映像の切り替わり(アニメは絵ですが、便宜上「被写体」と表現しておきます)の1単位を指します。もともとは、カメラの1ショットから部分的にカット=切り出した映像を紡いで編集したことに因ると思いますが、アニメの場合はショットという概念は希薄なので、どちらかというとマンガのコマ割りに近いでしょう。

 

まあ、由来はともかく、アニメ制作現場では「カット何々」という感じで、作業単位は「カット単位」になります。表記は、以下のように、

 

Cut 101

c101

 

と記述されます。

 

私は20年以上前、プログラムを習得するまでは、何の疑いもなく、カット番号を表記するときは、「C」を添字として使っていました。しかし、プログラムを覚えて、実際のアニメ制作作業に用いるようになると、「C」の必要性に疑問を抱くようになりました。

 

例えば、作品「アニメの日常=略号an」、話数「6話」、「カット20」を、アニメ業界の慣習で文字列として表記すると、

 

an#06c020

 

‥‥になりがちです。セル&フィルム時代から、「話数は#、カットはc」で書き表していたからです。

 

さて、これをプログラムで処理する際に、作品略号と話数とカット番号を抽出する時、結構面倒なことになります。例えば、JavaScriptですと、

 

//作品略号の抽出

"an#06c020".split("#")[0];

 

//話数の抽出

"an#06c020".split("#")[1].split("c")[0];

 

//カット番号の抽出

"an#06c020".split("#")[1].split("c")[1];

 

‥‥というようになります。

 

作品名(略号)、話数、カット番号を取得するのに、#やcを使って文字列を分解して抽出しています。

 

「全然面倒じゃないじゃん。このくらいやってよ。」と思う人もいるでしょうが、‥‥う〜ん、読みが甘いなあ。テレビのことしか考えてない。アニメには色々な公開形態がありますよネ。

 

劇場作品の場合、話数ではなく、シーンやパートで区切ることがありますから、例えば、劇場作品「アニメの日常=略号anm」、「Cパート」、「カット20」を文字列化すると、

 

anm#cc020

 

‥‥となり、CパートのCと、カット番号の添字のCが並んでしまいます。人間の目視でもややこしいですし、先ほどのプログラムでも問題が生じます。「cで区切る方法が通用しなく」なり、作品の状況に合わせてプログラムをいちいち変更し、使用者に再配布しなければなりません。

 

「c」という「あちらこちらで使われそうな文字」を使って文字列を分割すること自体が危ういです。もし作品略号に「c」が使われていたらアウトです。

 

そもそも‥‥

 

話数やカット番号に、#やcは必要??

 

‥‥ってことです。コンピュータの中まで持ち込む必要性は本当にあるでしょうか

 

なので、私らの作業班では10年以上前から、

 

作品名_話数・シーン・パート_カット番号

 

‥‥という基本規則を定めて運用しています。この方法ならば、

 

an_06_020

anm_c_020

ccc_c_020c

 

‥‥と、「区切り文字を除いたどんな文字でも」使用可能になります。‥‥まあ実は、OSのファイルシステム的にNGな文字は使えませんが、アニメ制作現場で用いる文字なら対応できます。実際、この方法で困ったことが全くありません。

 

アンダースコアで分解して、配列の第1要素は作品略号、第2要素は話数・シーン・パート、第3要素はカット番号という決まりを作れば、テレビだろうがPVだろうが劇場だろうがゲーム用ムービーだろうが対応できます。もし仮に「Cパートのシーン2」なんていう細切れが発生するような作品でも「an_c-2_020」と記述すれば対応可能です。

 

こうした文字列を要素で区切る文字を、デリミタとかセパレータと呼びます。「カット名やファイル名は単に名前であるに留まらず、基本情報を直列で文字連結して表したものだ」と考えれば、自ずと、デリミタで文字列を連結する発想に繋がります。

 

つまり、

 

プログラムの経験がないと、区切り文字と添字を混同して運用しがち

 

‥‥になります。作業カットの名前の付け方一つで、現場のコンピュータ活用スキルがバレてしまうわけです。

 

これは知識不足を非難しているわけではなく、前述した通り、私もプログラムを習得して使うようになるまでは「無自覚」でしたので、マズいのは「プログラムを扱える人間が存在しない現場で、コンピュータの運用を決めてしまう」ことです。

 

プログラムでの処理を知らないのに、なぜファイル名やカット番号の命名規則が決められるんですか?‥‥という話です。

 

プログラムを度外視して、単に作業習慣を文字列に置き換えるだけなら、作品の都度の都合に合わせて、延々と手作業でファイル名を打ち替えていくしかありません。さらには、大量の情報処理も全部エクセルで手書きで更新していくしかありません。プロジェクトマネージメント(PM)のソリューションで制作運用と進捗管理を支援‥‥なんて夢のまた夢です。

 

カット番号の「c」に特別な情報(バージョンや種別などのメタ情報)があるのならともかく、単に慣習で「c」をつけているだけなら、そんな慣習をわざわざ無理してまでコンピュータに持ち込む必要はあるでしょうか。

 

コンピュータを導入するときに、まさかカット番号を2進法や16進法に変えろ!‥‥という話ではないのです。

 

 

なので、現場の人間は、とっとと、プログラムを覚えてしまいましょ。

 

プログラマーとして飯を食うレベルになろうというわけではないのです。例えば、5000個のファイル名を一部変更するとか、EDLのテキストファイルを読み取って、編集点を抽出してAfter Effectsのキーフレームに変換するなんてことは、1〜3年のうちにできるようになります。

 

今のアニメ制作現場の弱点は、作業者がプログラムにあまりにも弱く、ソフトウェアをどう使うかだけに偏り過ぎていることです。プログラムに関しては、与えてもらうだけで、自分からは作れない。

 

誰かに頼り切るのではなく、自分でも多少のプログラムを作れるようになる。‥‥それがまず何よりも必要です。これから先、コンピュータを現場でもっと有効に機能させたいのなら‥‥です。コンピュータを知らずして、ソフトウェアのTipsだけ覚えて、どうやって、根本から効率的な制作運用が可能になりましょうか。

 

MacもWinも、色々なスクリプト・プログラムの入門があります。AdobeのPhotoshopやAfter Effectsを使っているのなら、JavaScriptくらいから始めるのも良いですよネ。

 

 

 


トーキー

私は、無声映画時代の作品は正直苦手で、ストーリーとか演技とか云々の前に、フォーカスが甘くレンジの狭い黒白の画像、動きの分解能の低さが、見てて生理的に辛いのです。ドキュメンタリー番組で歴史的素材として使用されナレーションがかぶるようなシチュエーションなら全然大丈夫なのですが、戦前の無声映画をそのまま丸ごと見ることは、自分からはあえてしません。

 

チャップリンはトーキー(Talkie〜声付き=音声付き)映画が出現した時、サイレントこそ映画であって、音声があると観客が演者の演技に集中できなくなる‥‥と考えたようです。つまり、演者の演技が最大限発揮されて観客に訴えかけるのは、音声がなく無声だからこそだ‥‥というわけです。


現代の感覚で言えば「うそ。」と言いたくなるような主張です。音声があっても、俳優さんの演技がないがしろになっているとは思いませんし、音も映像も品質が高ければ、余計な「邪魔」「障害物」がなくなり、作品そのものをストレスなく楽しめます。娯楽作品から芸術的な作品まで、音声付きでカラーで高画質でも、十分に映画たり得ます。

 

古い品質基準で、古いフォーマットだから、芸術的だ‥‥ということはなく、その時々の産業技術をどのように活用し、作品表現を高いレベルで成立させるか‥‥だと私は考えます。

 

 

実際、チャップリンの主張とは裏腹に、トーキーは大衆に歓迎され、現在に至ります。無声の黒白映画は、再び主流になることはありませんでした。

 

チャップリンの言いたいことはなんとなくわかります。音がないからこそ、演者の仕草1つ1つに観客は注視して反応し、演者の「芸術」が成立するのだ‥‥と。

 

しかし、「音がない」というのは、映画の本質ではなく、当時の技術の限界によるものでした。パントマイムを応用しつつ、「音を出せない映画」を逆手にとった芸風だった‥‥とも言えます。つまり、無声映画の芸は、映像技術の発展とともに、やがて下火となる運命だったと、歴史が証明しています。

 

チャップリンなき今、もし、現代にパントマイムと映画を融合させたいのなら、低画質で無声の白黒ではなく、4KHDR立体音響ありきの新しい切り口で作品をイメージするのが良いのだと思います。

 

 

アニメはどうでしょうか。

 

アニメ業界のチャップリンがいて、新しい技術なんて無用だ、アニメは24コマベースで2コマ3コマで動きを作るからこそ、アニメなんだ!‥‥と新しい技術ムーブメントを否定し、技術更新を阻んでいないでしょうか。

 

旧来の技術を大切にする意識は良いと思います。しかしそれが、世界の映像技術が移り変わろうとしている事実から目を背けて、発展しようとする未来を拒絶することに繋がるのでは、時代を読めなかったチャップリンの二の舞とも思います。

 

 

 

「技術の状況的限界」は、確かに、独特の風合い・質感を作り出し、結果物に大きな影響を与えます。ジャンルは違いますが、容器を木の樽からステンレス槽に変えたら、味が変わって不評になった‥‥なんていう老舗の味もありましょう。ステンレスの加工技術など存在しない時代に、選択肢の幅もなく、木材を原料として容器を作って使用していたことが、実は様々な効能をもたらしていた‥‥というのは、映像制作に置き換えてもいくらでもあり得ることです。フィルム時代の質感がまさにソレです。

 

フィルムには独特の風合いがあり、私も随分と熱中したものです。私が好きだったのは、IOS25〜32の低感度リバーサルや黒白フィルム(=アニメには通常使われないフィルム)でした。相対的にグレインが細かくなる高画質な中判カメラ(私が使っていたのは6:9判です)も、フィルムの各銘柄の発色特性がそれぞれ魅力でした。

 

フィルムの話を書いていると、今でもブローニーのネオパンFを6:9中判カメラに装填して、三脚と露出計を携えて、情景を撮影しに飛び出したくなります。‥‥まあ、現在はネオパンF自体が入手困難なので(もしかしたら押入れの奥からデッドストックが出てくるかもしれませんが20年の期限切れでしょう)、今となっては思い出だけです。

 

考えてみれば、こうしたフィルムの銘柄や現像プロセスが、各国の映画作りにおいて、グレーディングの技術に継承されているのかも知れません。多くの人々(特に日本のアニメ業界人)はフィルムの味など全く意識もしないまま、sRGB/Rec.709に染まりすぎちゃいましたが、フィルムを愛する映画人の多いハリウッドでグレーディングが進化したのは頷けます。

 

フィルムは良いです。そんなのは判り切っています。

 

‥‥しかし、フィルムの限界も大きいのです。

 

例えば、アニメのフィルム撮影台では、個別の拡大縮小は無理ですし、同時のあらゆる方向への引き(スライド)=クロス引きも難しかったです。キャラのみに撮影効果を加味するなんて、できないことはないけどあまりにも手間が大変でした。何重露光になるのやら。

 

アニメに限らず、フィルムがデジタルデータに取って代わられるのは、やはり、産業の技術発展ゆえの、宿命だったとも思います。

 

 

 

ただ、アニメ制作現場の場合、もっと違う理由で、新旧の交代に足踏みしているように思います。

 

昔からの作業慣習が通用しなくなるのが嫌だ。

 

これが理由の大半ではないでしょうか。映像技術の本質ではなく、例えば「中三枚」のシートが通用しなくなるのが単に「面倒」なんじゃないですかネ。

 

 

 

今、新しい映像作品の品質へ移行すべく、映像技術はどんどんスタンバイしています。

 

実はアニメは、ここ数年、実写や3DCGよりも、4Kに対して非常に有利な位置にいました。実写は、まずカメラが4K規格に対応した製品に買い換えるのが難しそうでしたし(お金と運用の両面で)、3DCGはレンダリングの高負荷ゆえに、ガチで4Kでレンダリングすることが困難みたい‥‥でした。

 

手描きのアニメは、CO/KF技術のアニメーションを導入すれば、iMacですら、4Kのアニメを作れるポジションにありました。しかし、その優位をアニメ業界はむざむざ見逃して、未だに1.2〜2Kのまま拡大作画で当座やりくりして、作画作業をコンピュータに移行する各所の段階でつまずいています。‥‥もったいなかったよねえ‥‥‥この5年間。

 

この調子でいくと、一番有利だったはずの手描きのアニメが、一番最後に4Kに対応するような流れすら感じます。レンダリングで高負荷を抱える3DCGと、どちらが先に次世代に移行できるか‥‥のビリ抜けの競争になりそうです。

 

アニメ制作現場や業界は、現在や過去の技術を大切に思うのと同じく、未来の技術も大切に思うべきです。

 

新しいことにもっと積極的にならないと、過去の慣習に固執して、時代から置き去りになって衰退して消え去った他の産業と同じ運命を辿る‥‥のではないでしょうか。

 

 

新しい時代の新しい映画を見抜けなかった「大御所」チャップリン。

 

チャップリンの映画を愛好する人は今でも多いでしょうが、それは「古き良き映画の思い出」とも言えましょう。

 

アニメを古き良き思い出にして、過去のものにすべきでしょうか。時代についていけなくなって新作するのをやめて、過去作品のアーカイブだけでアニメを楽しむ未来が来るのでしょうか。

 

歴史に学べば、新しい時代を生き続けるために、新しいアニメのカタチを見抜こうとするのは、ごく自然な行動だと思います。

 

 

 


EDLで単純分割

ソフトがよりどりみどりで機能豊富になった現在でも、何だかんだ言って、一本つなぎのムービーをEDLで単純に編集点で分割するスクリプトは常備しておいて良いと思います。DaVinciやPremiereのEDL機能に頼らず、After Effectsのスクリプトで分割して各カットごとにProRes4444で書き出すニーズは、たまにはあるもんだ‥‥と実感しました。

 

EDLはテキストファイルなので、拡張子がEDLでもテキストエディタで読めます。中身を読めば、映像の作業に従事している人なら誰でもわかる、極めてシンプルな構成・構造です。

 

 

001  A008     V     C        19:08:53:10 19:09:09:12 01:00:00:00 01:00:16:02
* FROM CLIP NAME: 977.MOV

002  BL       V     C        00:00:00:00 00:00:06:00 01:00:16:02 01:00:22:02

003  B007     V     C        13:50:47:18 13:51:08:10 01:00:22:02 01:00:42:18
* FROM CLIP NAME: 154.MOV

 

 

各クリップではなく一本に繋いだムービーファイルを単純に編集点で分割したいのなら、編集点の行にある3番目のタイムコードで次々分割すれば良いだけです。とは言え、After Effectsはタイムコードに疎いソフトなので、タイムコードを小数点の秒数(=After Effectsの「time」)に変換するユーザファンクションを用意しておくのは必須です。

 

ProRes4444は複数回のトランスコードには強いコーデックですが、トランスコードなどせずにQuickTimeで分割しちゃって、独立保存形式で保存する手もありますネ。QuickTime内部ではfpsではなくTime Scaleで毎秒を管理しますが、23.976fpsだと23976だったりして解りやすいですから、タイムコード分析のサブルーチンをうまく作れれば、EDL分割はさして難しいプログラムではないです。

 

EDL関連はたまに必要になる程度なので、準備ができてなかったり、以前作ったはずのスクリプトを紛失してたりと、後手感が否めませんが、折を見て作っておこうかと思います。

 

ちなみに、各レイヤーをIN/OUT点で整列するスクリプトや、Z軸位置の値でレイヤー順をソートするスクリプト、2つ以上のキーフレームにイーズをつけてピンポンループするスクリプトなどは、もう10年は使い続けています。パペットのピンは階層が深くて面倒なので、エクスプレッション自体を自動で適用するスクリプトを作っておけば、CO/KFアニメーションは作業がスピーディーに進みます。

*CO/KF=カットアウト、キーフレームの略

 

スクリプトは毎作品の作業で徐々に蓄積されるものなので、計画的に事前に揃えることは中々難しいです。当座しのぎで作ったスクリプトをその場で捨てずに、後日に汎用性を加味して、ライブラリとして保存しておけば、作業の強い味方になります。

 

スクリプトを駆使すれば、After EffectsにEDLインポート機能を付与して、EDLからプロジェクトを新規作成することも可能になると思います。「そういうことはDaVinciでやればいいじゃん。」と私は思うので、作ろうとは思いませんが、EDLの中身を理解し、プログラムを使えるようになれば、本来存在しなかった機能をAfter Effectsなどの常用ソフトに追加できます。

 

Edwardが無理やりストラトのボディを削って、ハムバッカーをぶっこんだのと同じく、自分の思うようにカスタムしてこそ、ですネ。

 

 

 


アマとプロの境界線

2019年現在、アニメーション制作での機材面における、いわゆる「プロとアマ」の差はほとんどありません。下手をすれば、CS6を使い続けているプロの方が、CCを使っているアマより機材面では古く劣っていることすらあります。つまり、現時点では境界線はほぼ無い‥‥と言って等しいです。

 

アマチュアの人ができるだけ出費を抑えて、自主制作でアニメを作ろうとして、しかもそのクオリティがプロフェッショナルと比べて遜色がないものを作ろうとした時、何が必要になるでしょうか。

 

技量

 

 

ぎゃふん。これはもうしかたないです。頑張るしかありません。なので、機材面を列記します。

 

液タブかタブレットPC一式〜CintiqやiPad Pro:10万前後

作画用のソフト:クリスタ、Procreateなど=月額1000円、1ライセンス1000円など

WindowsPCかMac:15〜30万

外付け2〜4TBの記憶装置:1台1万円程度

画像レタッチのソフト:Affinity Photoなら6000円

コンポジットのソフト:Adobe After Effects CCなら月額2千数百円

編集のソフト:DaVinci Resolveなら0円

音楽&音声ソフトウェア:GarageBandなら0円、Main Stageの追加音源3600円

表計算や文書作成:Numbers、Pagesなら0円(Macの添付ソフト)、PDF編集も0円

プログラム開発:Xcodeなら0円

スタッフ連携手段:Googleドライブを使用(小規模なら0円)

 

 

PhotoshopやPremiereを使わずAfter Effectsに限定することで、一番金のかかるAdobe CCの出費を抑えつつ、他は無償版やライセンス買い切りを賢く利用して、ローコストかつハイクオリティのアマチュア自主制作が可能です。もちろん、プロがプライベートで自主制作する際にも活用できます。

 

私がなんだかんだとMacを推すのは、Adobe CCはWin/Mac共通でも、他のカテゴリでMacは色々と自主制作に有利だからです。線画だけ描いてもアニメーションは完成しませんから、映像トラックを見ながら音楽や音声を作れるソフトが標準添付だったり、膨大な数の音源が3600円で入手できたり、ちょっとしたGUI付きソフトをXcodeで自主開発できたり、進捗管理を添付のNumbersで管理したりと、映像や音楽の制作に有利なのです。Appleはジョブズ時代に「企業のビジネスユーザで張り合うのはやめた。個人の趣味ユーザを獲得する。」という路線に転じたので、サラリーマンがデスクワークで事務処理をするには適しませんが、音楽や映像を個人や少数で制作するには色々と揃っているのです。

 

まあ、自分のリソースとの兼ね合いがあるのでプラットフォームはお好みで良いとしても、2019年現在は20年前の1999年の状況と比べて、恐ろしく機材に恵まれています。

 

もちろん、ノウハウがなければ、技術がなければ、どんなに環境が揃っていても機材のポテンシャルを引き出すことはできません。しかし、技量の向上に努めれば、プロと同等の品質を作れるのは、現在の極めて大きなアドバンテージです。

 

2019年現在におけるアマとプロの境界線は、もはや機材面では喪失している‥‥と言っても過言ではないです。

 

 

しかし。

 

それはあくまで2010〜2019年くらいの、混沌とした時期の話だった‥‥と思い出話になる未来がすぐそこまで来ています。

 

4KHDRの「HDR」のPQ運用部分は、アマチュアが購入可能な機材=現在のアニメ現場の機材では、根本的に不可能ですし、ステレオLRの2chではなく標準で5.1chとなり、ともすればAtmosやDTS:Xなどにも対応となれば5.1.2chが最小限設備になりますから、2020年代のプロ現場の機材は相当刷新されることになります。2010年代の機材環境は古さが際立ってきます。

 

2010年代にプロとアマが均質化していた時期は終わりを迎え、新しい2020年代以降は、4Kをザクザク処理できる高性能なPC、1000nitsでPQカーブ対応のHDRモニタ、チェックでの視聴環境は5.1.2のサラウンド‥‥ともなれば、その環境導入価格だけでもプロとアマの差は歴然となります。

 

まあ、これはもちろん、プロのアニメ制作現場が、ちゃんと未来技術と足並みを揃えれば‥‥ですが。

 

思うに、中小のアニメ会社が2010年代に乱立し、その中小制作会社をあてこんでアニメの「製作」会社も増えたのは、2010年代の「制作環境ローコスト化」が無縁ではなく、むしろ直接的に影響していると私は考えています。「アニメは安く作れる」と作る人間も作らせる人間も慢心したのです。コンピュータではなく、人間の問題です。

 

一方、そうした「2010年代のクオリティ」は、徐々に現れてくる新しい品質基準を前にして、徐々にディゾルブして旧式化していきます。リプレースが進む各家庭の4Kテレビの中で、2010年代を引きずったテレビアニメのクオリティは明らかに「前時代的」な品質として比較されるようになるでしょう。

 

SDサイズのブラウン管テレビに、今、戻れます? 世間がブラウン管時代の品質に戻ると思います? 戻れないし、戻らないですよネ。

 

考え方を変えれば、機材面で同質化していたプロとアマの間に境界線が甦り、プロは技術と経験だけでなく、機材面でもプロの面目を果たせる時代が復活すると思います。‥‥まあ、イタチごっこだとは思いますが、2020〜2030年の10年間くらいは。

 

ですから、2020年代基準の機材への更新ができない制作集団は、2010年代の1.5K程度の制作を続けながらポスプロに高依存するか、古くて何が悪いとHDSDRの営業のまま開き直るか、引退するか店を畳むかの、いずれかになるでしょう。

 

アニメ制作現場の機材環境が、アマチュアと一線を画して、モダン(現用)な映像技術を体現する環境へと更新することで、色々な過去からの因縁を断ち切るきっかけの1つともなりましょう。CS6で1280pxでコンポジットしているままでは、「まだそんなことやってんの?」と不用意に見くびられ続けます。自分たちの機材が自分たちの作り出す品質の足場となるがゆえに、機材環境の新旧は、まさに自分たちの未来を暗示します。

 

 

2020年代、アマチュアは2KSDRの自主制作アニメを限られたコストの中で作り、YouTubeなどの配信手段でプロに並び得る映像をアピールできるでしょう。製作委員会の縛りがないのが自主制作のアドバンテージですから、自己の「企画原作」「切り口」で勝負しつつ、クオリティでも遜色のないものを目指すべきです。素人芸で開きなおる方法もあるでしょうが、機材に恵まれた現在ならプロを脅かす作品で勝負しても良いと思います。

 

一方プロは、プロであるがゆえの、最新の4KシネマやUHD映像コンテンツ、HDR1000nits PQのDolby Vision、AtmosやDTS:Xなどを駆使して、アマチュアでは真似のできない一歩進んだ映像技術品質で「商売」することをスタンダードにすべきです。

 

もちろん、どんなに技術が進化しようと、絵の生み出す根本的な魅力はプロアマの境界はないです。だからこそ、「絵が生まれた後」の表現品質・技術品質の豊かさを、プロは追求していかねばなりません。

 

もし表現品質の豊かさなど不要というのであれば、原撮のGIFでもツイッターに貼り付けて自己アピールに終始すれば良いです。‥‥でもそれじゃあ、光と陰の織りなす物語は作り出せません。

 

プロがさ‥‥、「アマチュアと同じ品質方法論で構わない。機材が同じなんだから。」とあぐらをかいて開き直っちゃったらさ‥‥、やっぱりプロとしての存在意義はどんどん薄くなりますよネ。

 

プロの「ありよう」、プロの存在価値は、機材面においてプロアマの境界線が曖昧になった10年間の経緯があったからこそ、逆に浮き彫りになっている‥‥と、しみじみ実感します。

 

 

 


計画周期

「デジタル化の罪」にはまいりました。まさか、これだけコンピュータの世話になっておきながら‥‥。

 

「デジタル」が嫌いなら、フィルムに戻れば良いと思いますよ。ホントに。

 

そんなにコンピュータに罪をなすりつけたいのなら、コンピュータなどに頼らず、同志を募って、フィルムカメラ撮影&現像時代、セル&絵具時代に戻れば良いと思います。

 

ぶっちゃけ、アニメ業界全体がフィルムを捨てるとは、2000年代前半まで私は思っていませんでした。コンピュータに移行する人と、フィルムを使い続ける人とで、2流派が存続すると思っていました。

 

‥‥だって、どう考えても、コンピュータに移行する気も覚悟も興味もない人は、結構大勢いましたもん。

 

 

でもまあ、それもいいか。今となっては、何もかも手遅れです。過去を悔やむより、新しい未来に目を向けましょう。

 

人を呪わば穴二つ‥‥とも言います。誰かを呪うことは、結局は自分の墓穴も掘っているに等しい‥‥ということです。何かを恨んだり呪ったりするのではなく、自分自身の過去の行動を振り返って、同じ状況を招かないように、今度の転換点では前回の教訓を最大に活かすことが肝要です。

 

 

ですから、「アニメは1.5K SDR 24pで十分だ」と思っている人は、それ以上進む必要はないのです。1.5〜2.5K SDR 24pで打ち止めにして、未来の映像フォーマットはアップコン技術に任せれば良いでしょう。今までの作り方で十分だという人は、今までの作り方のまま、ずっと未来も作り続ければ良いですし、それを実現してくれるスタッフを大事に守っていくべきです。

 

4K8Kの時代に、今までとは違う、新しい表現技術の新しいアニメの世界を切り開きたい人は、ちゃんと覚悟して新しい世界へと進みましょう。後になって「4K8Kの罪」などと言い出すことのないよう、自分自身の追い求めるビジョンをしっかりと見定めて。

 

 

 

自分のビジョンを持たずに、周囲に流されて生きるのも、これまた生き方の1つでしょう。しかし、何か成し遂げてみたいもの、子供の頃からの夢を実現したければ、周囲と歩みを合わせるだけでなく、自分なりの「計画」が何らか必要にもなりましょう。

 

私の場合は6年周期でものごとを計ることが多く、結構ジャストなタイミングで、自分の転機が6年で回っています。例えば、1996年に初めて正式な報酬でコンピュータを扱ってアニメの作業をしましたが、その前後を6年ごとに遡っても、何やら区切りがハッキリしています。

 

もちろん、1年程度の揺らぎはあります。6年ごとにかっちり運命が回っていたら、なんか、出来過ぎですもんネ。

 

他人に聞いたことがないので、私だけかも知れませんが、6年の周期は私にとっては結構具体的な周期なのです。ちょっと列挙してみます。

 

 

1972年〜:マジンガーZ、ど根性ガエル放送開始

特にど根性ガエルは大好きで、「びっくりコン虫採集」や「かんかんあきカン」はその後に観直して大いに驚いきました。さらに今観ると小林七郎さんの美術もとてつもなく凄くて(ギャートルズの美術も凄いですよネ)、まさにテレビアニメの黄金期でした。翌年73年はヤマトとハイジが同じ時間帯に放送されるなど、小学校就学当時の幼児だった私が夢中にならないわけがないです。キューティーハニーも73年です。おそらく、アニメと私を結びつけた「始まりの始まり」です。

 

1978年〜:劇場のアニメ映画の再来〜さらば宇宙戦艦ヤマト

東映が丁寧に劇場アニメを作っていた1960年代から時が過ぎ、テレビアニメから派生した作品が新しいスタイルの劇場アニメとして、少年少女の心を掴んだのが「アニメ映画・宇宙戦艦ヤマト」です。私も多分にもれず、「メカデザイナーになりたい」と小学校の寄せ書きに書くほど、アニメに夢中になりました。翌79年はガンダムと999(劇場)です。凄い年ですネ。私は小学生ながら、アニメーターになるのを自分の目標と定めた年(歳)とも言えます。

 

1984年〜:Apple MacintohのCM「1984」、Van Halenの「1984」

当時はAppleの「1984」よりもヴァン・ヘイレンの「1984」しか目に入らなかったのですが、どちらも私には重要な要素と言えます。私はアニメだけに熱中して少年時代を過ごしたわけではなく、「洋楽」のロックやフュージョンにも夢中になりました。いわゆる「ギター少年」だったのです。ハイテクな楽曲をギターで弾く‥‥という「技術」のありようをまさに体現していたのがエドワード・ヴァン・ヘイレンでした。随分とコピー(既存の楽曲のギターパートを演奏するのをコピーと呼びます)したものです。Appleに関してはまだまだ先の「縁」ですが、「1984」のCMは有名ですよネ。ちなみに、私が高校に行きながら、本番動画を描き始めたのもこの頃です。

 

1990年〜:アニメーター時代〜どん底の生活

フリーランスながら制作会社で席を借りて(詰める‥‥と言います)、色々な巧い人たちの色々な仕事に触れ、自分のレベルアップも果たそうと躍起になった挙句、どんどん上がりの数が落ちて稼げなくなり、ライフラインが全て止まるようなどん底の生活に陥ったのが、このあたりです。思えば、この時期の体験がなかったら、ヘナちょこなまま歳を喰っていたと思います。サバイバル能力が(皮肉なことですが)相当養われた期間です。同時に、「自分は何をして生きていきたいか」を真正面から丸裸で見つめることができた頃でもあります。

 

1996年〜:Macintoshで仕事を始める

イメージボードと連番エフェクト(Photoshopで1コマずつエフェクトを描く〜今だったらAfter Effectsでやるようなこと)を作業するためにMacintosh Quadra650で「正式に報酬のある、コンピュータのアニメの仕事」をしました。翌97年にはAfter Effectsの使用も開始して、現在の基礎が出来上がった時期です。「Blood the Last Vampire」と「イノセンス」の作業は、広範なコンピュータと映像の知識を与えてくれました。日本でDVDが発売開始されたのも96年で、まさに「映像のデジタルデータ」産業が本格的に開始された年でもあります。(Video CDは画質に難あり、Laser Discはそもそも映像はアナログ方式でした)

 

2002年〜:業界のコンピュータ導入の開始

今まで日和見していた多くの制作会社が、仕上げと撮影部門をコンピュータへと転換開始したのが、2002年以降くらいからです。それまで丁寧に作っていた作画とコンピュータによるアニメ制作が、急激にグレー、そしてブラックへと染まっていった時期とも言え、わたし的には「痛恨」としか言えない期間です。私は、プログラムによるツールの開発をおこない、徐々に進行する価格破壊に対して、クオリティと自動処理で対抗しようとしていた期間でもあります。

 

2008年〜:表現や質よりも、量と速度、そして価格破壊

生産スピードに優れた二値化トレスの席巻により、ニュアンスの繊細な階調トレスが風前の灯火となり、「コンテ撮・原動撮・タイミング撮・リテーク撮(素材の作り直しや修正によって)の撮影フルコースの制作スタイル」が現場を支配していきました。少数で高品質な映像を作っていた制作集団は物量に対抗できず行き場所を失い、コンピュータ導入初期の丁寧に映像を作っていた現場はほぼ消滅、大量に物量を捌く「工場型現場」に転属するか、別の活路を見出すことになりました。世間的にはHD解像度のブルーレイが普及し始め、競合していたHD-DVDが撤退した頃です。

 

2014年〜:止められない濫作、映像産業全般への活路

アニメが安く速く作られるようなった時代は、言わば、「シリーズ放映終了後、3日経ったら忘れるようなアニメ」を大量に作るような時代とも言えるでしょう。しかしこの傾向に抗うことは、アニメ業界のチェーンリングに組み込まれている以上、不可能です。ゆえに反発的なスタンスを採った私は2008〜2014年の間、アニメの仕事は希薄となり、一方で3DCGや実写などの畑違いの映像ジャンルの仕事をするようになりました。「捨てる神あれば拾う神あり」とでも言いましょうか、実写の方々との仕事で、アニメでは決して体験できない色々な技法や段取りを覚えることができました。4Kでアニメを作る研究を開始したのもこの年で、「2014」の末尾「4」にゴロを合わせて、プロジェクトを「2014K」と名付けていました。

 

そして2020年〜:4K HDR 60pの実用化の時代

アニメや映画の場合、簡単には60pには移行できないでしょう。動きのルック・フィーリングがあまりにも違うからです。しかし、4KやHDRは、拒絶する理由はないです。なにせ、旧来のフィルム作品であっても、今までのSDR〜sRGBやRec.709では再現できるものではなく、ようやく4Kの解像度とHDRで再現できるレベルに到達できたからです。実は、今までのDVDやブルーレイ(ネットの映像も)の色彩は「レベルダウンした状態」に甘んじていたわけです。‥‥さて、アニメはこうした新世代の技術を前に、どのように未来を生きていくのか‥‥、私は2020〜2026年の次期6年間の目標を、まずは4KHDR、そして60pを技術の定番として確立していく所存です。

 

2026年:新技法・新技術の標準化と作品表現バリエーションの拡充

 

2032年:鬼に笑われそうなので、この辺で(実は考えてはいますけど‥‥)

 

 

まあ、本人の人生は、本人のものです。誰が口をはさむものでもなし。6年ごとの周期で捉えるのも、無段階でシームレスに捉えるのもアリでしょう。必ず、人生を周期で区切る必要もないです。自分の一生を1つの周期と考える人もおりましょう。

 

ただ、私は、たとえ生まれ変わりがあったとしても、次も、その次も、アニメを作りたいです。そのくらい、アニメにはまだのびしろがあるし、やり足らないし、作り足りません。

 

‥‥とは言うものの、生まれ変わりなんて全く信じてないので、つまりは「生きている期間に、できるだけ精一杯のことをする」だけです。なので、漠然と人生を1周期で捉えるのではなく、「フェイズ」として捉え、CCPM的に自分の一生を活かしていきたいです。

 

ただポカンと生きているだけじゃどうにもならないけど、さんまさんの言う通り、生きているだけで丸儲けとも思えるのです。死んだら、何もできないですもんネ。

 

 


D問題・2

おそらく、コンピュータ関連の機材や技術に直接関与していない人間ほど、「デジタル」と言いがちなのかも知れません。私の作業集団では「絵を描く」と言えば、iPad Proやタブレットで絵を描くことを指し、いちいち「デジタル作画」とは言いません。逆に紙で描くことの方が今では珍しいので、「紙の作画」「紙のタイムシート」といちいち「紙の」と付け加えています。

 

仲間内で「いつもの場所に置いといて」も、常用するサーバのディレクトリを指しますし、「送る」「受け取る」もネットワーク経由での受け渡しがデフォルトなので、たまに郵送で届くとぎょっとします。

 

良い悪いの話ではなく、当人たちの普通・日常が何なのか‥‥が、使う言葉で透けてみえてくるわけです。

 

私は1996年からコンピュータをアニメの仕事に導入し始めましたが、やはり最初の頃は「デジタル」と自分でも頻繁に言ってたように思います。やがて、ネットワークやプログラムなど、コンピュータの技術要件に関わりはじめると、自然と「デジタル」という言葉は使わなくなっていきました。日常でコンピュータを使うようになり、デジタルデータを扱うのが日常茶飯事になると、「デジタル」という語句を付与する必要もなくなったからです。

 

 

「デジタル化の罪」という言葉を見かけましたが、ちょっと考えてみるとおかしな言葉で、「デジタル」そのものには罪はないですよネ。それを扱う「人々」が罪を生み出したのであって、「デジタル化」=「コンピュータの導入」そのものに罪が存在するようなイメージを言葉に覆いかぶせるあたり、「デジタル」が他人事のような言葉です。

 

1996〜2002年の頃は、「デジタル化」=コンピュータ導入の現場は「ホワイト」だったんですよ。単価もそこそこ高かったし。

 

私は「これでアニメの現場に光明が見えた」と当時思ったものです。フィルム時代の散々な状況を前に、私自身、潰れる寸前でしたから、特にそう思えたのです。撮影は1人で全カットできるほどお金もスケジュールも余裕がありましたし、今のような「二値化一択」でもありませんでした。作画とコンピュータのソフトウェアと掛け合わせて、作画技術にも大きなステップアップが可能でした。つまり、表現技術と制作運用の両面で、希望の光が差していたのです。

 

その光に暗雲が覆いかぶさったのは、2002〜2008年の頃です。あまりの状況の悪化・劣化に、耳を疑いました。多くの制作会社が大した準備も技術習得もせずにまさに「尻馬に乗って」「デジタル」を導入し、早々に「安売り合戦」が始まりました。

 

私は当時、テレビアニメの撮影監督を1クールだけやりましたが、線撮で300カット、追加の線撮とタイミング撮で150カット、本撮300カット、リテーク150カット‥‥と、300カットの作品に最低900カット(もっと増えることもある)を撮影する状況にまで、わずか2〜3年のうちに悪化したのです。

 

「デジタルの罪」‥‥って、導入初期からの経緯を踏まえた上で出てきた言葉には思えません。「デジタル」=コンピュータ導入に罪は無いよ。罪があるとすれば、「デジタル」を安売り合戦に悪用した人間たちです。フィルム時代から抱え続けた病巣が、安売りの悪習慣によってさらに悪化したに過ぎません。

 

 

コンピュータを知らないから、「デジタル」と呼んで、時には「悪人呼ばわり」「罪人呼ばわり」する。

 

コンピュータを知って、プログラムを知って、ネットワークを知れば、「こんなに画期的な能力があるのに、なぜ、現場は悪い方向にしか使えないんだ??? もっと良い使い方、有効で効果の高い使い方ができるはずだ」と思うでしょう。

 

コンピュータを「デジタル」としか呼べない「うわべの理解」のままだから、誤用もするし、誤認もするのです。

 

そんなにコンピュータ、「デジタル」が嫌で「罪がある」と言うのなら、今からでもフィルム撮影台を復活するなり新規制作して入手して、トレスマシンとセル用紙と絵具でセル画を作って、紙の背景と組み合わせて、2階ぶち抜きの大きな暗室で撮影して、フィルムを現像所に輸送して現像して16ミリラッシュフィルムでラッシュチェックして、ネガ編集してテレシネすれば良いです。

 

‥‥と言っても、今では各人各世帯に届けられるのは、デジタルデータ化した映像商品です。それともポジをデュープしてフィルム上映をしますか?

 

実は「デジタルの罪」とか言っちゃう人って、フィルムのこともあまり知らないのでは?

 

私が知るフィルム時代の撮影監督さん達は、「デジタル」〜コンピュータの映像技術のことを悪く言いません。何故かというと、純粋に技術的にジャッジした上で評価しているからです。とあるベテランの方は「俺がもうちょっと若かったら、1からコンピュータを覚えなおすんだけどな‥‥」と言ってたくらいです。

 

 

コンピュータのパワーを「デジタル何々」とか呼んで他人事にするのは、ホントにもう、やめません???

 

それをやり続ける以上、技術のカジュアルコピーも止まらないし、安売り薄利多売合戦にもピリオドを打てないと、私は思います。

 

若い人たちも、コンピュータの秘めたるパワーを、自分の手で解き放って大いに活用しましょうヨ。

 

 

 

 

 


D問題

アニメのタイムシートの「dts」って、まさか、「デジタルタイムシート」の略語じゃないでしょうな。

 

「デジタル」なんて必要? 本当に「デジタル」の略語としての「D」が用語や拡張子の中にいちいち必要???

 

「デジタル」という言葉を用語や名称に持ち込むのって、時代錯誤も甚だしいです。なぜ今でも「デジタル」なんてことばをあえて使うのか、まさに技術や意識を更新できない体質を引きずったアニメの現場の闇そのものです。

 

psdやtifのどこに「デジタル」の略語が含まれているのでしょうか。

 

当然です。二進法のコンピュータのファイルフォーマットである時点でデジタルデータであることは言わずもがなだからです。ちなみに、psdのDは、デジタルではなくドキュメントのDです。

 

PSD:Photoshop Document

TIFF:Tagged-Image File Format

JPEG:Joint Photographic Experts Group

PNG:Portable Network Graphics

GIF:Graphics Interchange Format

 

 

他のジャンルに置き換えて例えると、紙の出版物にいちいち「ムック紙本」「紙週刊誌」「単行紙本」と名をつけるようなものです。

 

コンピュータリソースにわざわざ「デジタル何とか」という名前をつけなければ理解できないような、どうしようもなく頭が固くて知識の更新もままならないような人々が、これからのアニメ業界の舵取りをする‥‥なんて、信じられないス。

 

タイムシートファイルフォーマット、つまりtsfかtsffでいいじゃん。名称から「d」を削除して、なんか不都合ありますかね?

 

コンピュータ関連の用語に、くどくど、いちいち、わざわざ、「デジタル何々」と名前をつけないとしっくりこないような古い人間が、アニメ業界のベテラン勢や中心人物として残存している以上、アニメ制作現場の古き体質=悪しき習慣は変わらないと思ってます。

 

もうさ。‥‥2019年なんだからさ。「デジタル何々」はやめましょう。未来を考えるのなら、明確に「デジタル」なんて言葉は排除していきましょう。もはや、ごく一般的で日常的な当然の要素なんだから。

 

あなたの身の回りにあるのは、デジタル電話? デジタルはがき? デジタルテレビ? デジタル銀行口座?

 

デジタルなんて言葉、もはや日常で使うことのほうが減っています。

 

紙の運用が継続中の制作現場の会話でつい、「デジタルが云々」と言ってしまうのまで厳しく制限しようなんて話ではないのです。つい口をついて出ることもありましょう。言葉の揚げ足をとるのは、それはそれで不毛です。

 

かと言って、正式名称に「デジタル云々」はないですわ。デジタルデータであることが自明の物事に対し、正式に公的に「デジタル何々フォーマット」とか命名するなんて、正直、信じられません。コンピュータを使いなれた人間なら、絶対に「恥ずかしいから他の名前にしましょう」と提言すると思うんですけどネ。

 

これは重箱の隅突きでも何でもなく、重要・重大な根本の意識の問題です。

 

‥‥「デジタル」の言葉の使い方を、アニメ現場こそ、意識的に変えていかなければならない潮時‥‥と私は感じます。

 

 


柔軟路線

新しい技術を扱う、新しい人材は、作画技術や映像ソフトウェアの使用経験はもちろん、コンピュータ全般に対する広範な知識が必要です。

 

‥‥と、こうやって書くと、技術の習得課題の話題に発展しがちですが、実は一番重要な根本が必要です。

 

絵と動きがとことん好きか

 

アニメや実写などの映像作品が好きで好きでたまらないか

 

コンピュータにワクワクできるか

 

この根源的で揺るぎない「核」が自分の中にないと、新しい技術の習得は難しいです。「作画+映像文法+コンピュータ」という山盛り3倍・大食い選手権のような技術習得が必要なので、骨太の中心核が自分の中にないとギブアップしてしまうのです。

 

雇用の問題、報酬の問題、色々ありますし、「好きだけでお金になるのなら世話はない」わけですが、どんな理由があろうと、根本の部分で「絵と映像そのもの」に人並みならない執着がなければ、お金の段階に発展すらできません。報酬に対する作業の性質、例えば、伝票を100枚処理するのと、100枚の絵を描くのとでは、そもそも根本的な性質が異なります。

 

そして、たとえ「絵が好きでアニメが好き」であっても、単に作画や映像の表層のスタイルに憧れているだけでは、「その次のステップ」で失速することになります。

 

「萌えキャラが描きたい」

>他のスタイルのキャラは描いてみたいと思う?思わない?

 

「アニメの作画がしたい」

>空気遠近や色彩学などの絵画技法に興味を持てる?

 

「アニメのコンポジットをやってみたい」

>レイアウトの技法や、パースや物理法則の習得はできそう?

 

「アニメが作りたい」

>実写なども含めた映像の文法はどれだけ研究してる?

>TCP/IPやプログラムなどのコンピュータの仕組みに興味は持てる?

 

 

流行のキャラの立ち姿やバストショットを線画で何千枚と描いても、「作画全般+映像文法+コンピュータ」の強固なハードルは越えることができません。

 

例えば、作画をプロとして10年続けて現在に至って、クリスタやPhotoshopやAfter Effectsを使えるようになっても、

 

  • ファイルのデータ構造はどのような内容を持つか
  • コンピュータがネットワークで繋がる仕組みを理解しているか
  • スクリプトを「自分の言語」として使いこなせているか

 

‥‥かは、ぶっちゃけ、非常に危ういでしょう。

 

「そんなの知らなくても、ソフトの使い方だけ知ってれば大丈夫だろ」というのは、これもまた、表層的です。ちょっとネットワークが繋がらなくなった程度で何もできなくなったり、スクリプトを知っていれば数行のプログラム文で解決できることが「不可能扱い」になったりします。「作画技術の習得と同じくらいの情熱で、コンピュータを習得」していないからこそ、あっけなく「できない」「難しい」判定を安易に下すのです。

 

新しい技術の体現者となるには、作画技術にコンピュータ知識をトッピングした程度では、未来を切り開くのは難しい‥‥と、私は考えていました。

 

しかし。

 

自分の過去を振り返ると、最初から作画経験が豊富だったわけではなく、映像のカット割りとマンガのコマ割りの差もわからず、コンピュータの電源の入れ方すらわからなかった自分がいます。

 

最初から高い技術習得条件を課していたら、とても「完食」できる内容ではなく、ギブアップしていたと、自分でも思います。ですから、新しい技術の新しいスタッフは「最初はトッピング」程度でも、徐々に、徐々に、技術と知識を習得していく「現場の恰幅の広さ」が必要だと最近強く考えるようになりました。

 

では、その「現場の恰幅の広さ」はどのように実現していけば良いか。‥‥それは来年からの課題です。場合によっては、制作会社の垣根を越えることも必要だと感じています。

 

 

とはいえ、現場が用意できるのは、あくまで「環境」です。「当人の根本」「絵や映像に対する深い執着」は他者が用意できるものではないです。

 

アニメの仕事は段取りの習得に陥りやすい側面を持ちます。歩きは中3枚、振り向いた後に髪の毛のリアクション、ディフュージョンやフォギーの撮処理、影中グラデ処理、etc。‥‥これらをいくら数をこなしても、実は「作画全般+映像文法+コンピュータ」の技術経験も知識も向上しないです。覚えられるのは「慣習」のみ。

 

アニメの「作業の型」ではなく、本当に絵や映像「そのもの」が好きならば‥‥

 

皆が惰性で描いてるような決まり切った表現は嫌だ。歩きや振り向きだって、軟調効果やグラデにだって、まだまだ色々な表現が可能なはずだ。

 

アニメの作り方って、本当にこのままで良いのか? 他にもっと方法があるんじゃないのか?

 

‥‥と考えると思います。アニメの表層が好きなのではなく、アニメを構成する根本=絵や映像をとことん好きであるのなら‥‥です。

 

 

 

今のアニメに満足する人もいましょう。今のアニメに満足しているのなら、今の現場で作業を続ければ良いです。

 

しかし一方で、今のアニメでは満足できない人もいましょう。新しいアニメ映像表現を作画とコンピュータで切り開きたいと思っている人は、結局、どこへ行けば良いのか

 

そうした「作画も好き。コンピュータもどんどん使いたい。今まで作れなかったアニメを作りたい。」と強い欲求を持つ人と、新しいアニメーション技術を志向する現場とが、もっと柔軟に交わる「柔軟路線」を来年からは模索しようと思います。

 

私はPhotoshopの起動のしかたも知らないほどコンピュータに無知でしたが、一度Photoshopが立ち上がりさえすれば、トーンカーブとマスク(アルファチャンネル)だけで色々な「自分の作ってみたいイメージ」を取り憑かれたように作っていました。コンピュータには音痴でしたが、欲求はものすごくありました。

 

それに、その当時(1990年代中頃)は、私は社員ではなくフリーランスでしたから、会社の垣根を超えたところからスタートしたのです。ガッチガチの社員限定や組織構造だったら、ダメだったと思います。

 

当時の私を受け入れてくれたような恰幅の広い現場を、2019年から明確に意識して作るべきだと考えます。

 

なので、ある程度業界でやってきて、自分の能力にもある程度自信ができて、何か表現や技術の閉塞感を感じている人は、まずはお声がけください。さすがに素人さんですと基礎技術が足りなくて難しいとは思いますが、プロの現場で研鑽を積んだ人なら、当人の意志次第で次のステップには進めるはず‥‥です。

 

 

 


平成最後の年末に

今年も残りあとわずか‥‥というか、「平成最後の年末」だと思うと感慨深いです。私の祖父は明治生まれで随分と昔の人のように感じていましたが、今では昭和生まれの私が似たような立場になるのだと考えると、確実に時代は流れていくんだなとしみじみ思います。

 

仕事の話で言えば、映像の品質基準はもちろんのこと、作業に使うハードやソフトもどんどん時代とともに変わっていきます。「パソコンソフト」を「パソコンショップ」で箱のパッケージで買って、製品添付のシリアルナンバーとCD-ROMでインストールしていた時代は、過去の話です。現在はどんどんサブスクリプションに移行して、ネット経由でソフトウェアを購入&更新するのが標準になりつつあります。

 

本を読んだり音楽を聴くのも、印刷した紙の本や光学ディスクから離れて、デジタルデータによる端末への配信形態へと変化しています。私は350冊程度ですが、職場の同僚は数千冊を電子書籍で所有してたりします。

 

私は単純に置き場所の問題で、今ではできる限り紙の本は買わないようにしていますし、特にマニュアル本の類いは内容がすぐに古くなるので、紙の高い本を買うのはあまりにもリスクが大きいと考えるようになりました。コンピュータのソフトウェア解説本(=コンピュータを使いながら読む本)なんて、もはや紙で出版する意味は著者や出版元だけの利点であって、購入者にとってはマイナス面のほうばかりが目立ちます。ちょっとした内容のアップデートも紙の本では不可能です。

 

パソコンショップでソフトを買うのが良かった。本屋さんで本を買うのが良かった。レコード屋さんでLPレコードを買うのが良かった。

 

私も箱買いのソフトや紙の本やLPやEPやCDには思い入れが深いですが、昔の出来事は昔話であって、未来に持ち出して語るものではない‥‥と思います。

 

 

 

 

腸内の健康状態は、日和見菌が握っているとか。以前にそんな記事を読んで、妙に納得したことがあります。

 

「善玉菌にも悪玉菌にも当てはまらないけど、強い方につきます」という菌なのです。

善玉菌が強い時には善玉菌側、悪玉菌が強い時には悪玉菌側になってしまう、とても面倒な菌なのです。

 

 

善とか悪とか関係なく、ちまたには、「何を選ぶか」を迷うようなことも多々ありましょう。「昼食にラーメン食おうか、パスタ食おうか」を迷う程度なら他愛ないですが、自分の仕事、自分たちの業種の進む道を前にした時に、業界全体の迷う人々はちょうど日和見菌のような役割を演じます。

 

ある時、著名なベテランのミュージシャンが「ハイレゾなど不要だ」と言えば「そうか、そうか。そうだよな。」と「ハイクオリティ不要論」に染まってみたり、またある時には、技術展示会のような催しで新技術や新製品を目の当たりにすれば「そうか、そうなんだ。新しい時代についていかなきゃ。」と「にわか先進技術推進者」になってみたり、自分の行動のポリシーが揺れて定まらないのです。それはすなわち、感情的、反射的、刹那的に物事を捉えているからでしょう。

 

 

過去に作られた創作物は、過去の時間の中でリアルタイムな技術を活用して作られたものです。例えばディープパープルレッドツェッペリンの音楽は、演奏だけでなく、当時の録音装置と技術も「込み」で完成されている‥‥と長年のファンの私は思います。

 

でもさ。

 

現代、そして未来の技術が、昔の技術の再現で良いとは全く思いません。過去は過去で技術の限りを尽くしたのですから、現代は現代で同じく、技術の限りを尽くせば良いのです。

 

自分たちの進むべき道の話をしているのなら、それはすなわち、「未来の話」でしょ?

 

昔の創作物をレストアして生きていくわけじゃないでしょ? 過去の模造品ではなく、新しく作品を作っていくわけでしょ?

 

過去の作品は、過去=当時の技術で作られました。同じく、未来の作品は未来の技術で作るのです。

 

もし、ベテランや御大が「昔のままでいい」というのなら、それは当人が「過去の中で生きている」からです。過去の思い出の価値観で生きる人と、新しい未来のビジョンは共有できるはずもなし‥‥です。

 

視点を「未来」に据えて考えれば、「日和って迷うようなことはない」と思うんですがネ。でもこれがまた、絵に描いたように日和る‥‥んだよなあ‥‥‥。

 

ちなみに‥‥

 

死滅した菌にも役割があります。

腸内にいる善玉菌の餌になったり、免疫力を高める作用があります。

 

‥‥ですって。‥‥中々に意味のある一節ですネ。

 

 

 

 

Adobeのサブスクリプションの値上げは、許容できる上げ幅のようで、それはそれで良かったです。1.5倍とか2倍じゃなくて、とりあえずは、良かった‥‥。

 

ソフトウェア開発会社の人々だけでなく、どこの誰だって、霞を食って生きているわけではないのですから、ソフトウェアを使い続ける以上、サブスクリプションの仕組みを受け入れざる得ない未来はすぐに来るでしょう。もしお金を払えないというのなら、使わないようにするしかないです。

 

「一度ソフトを買ったら、ずっと使える」なんていう時代では、今はもうない‥‥のです。

 

西陣織のフロッピーの話も、フロッピーが消滅してソフトウェアが使えなくなることばかりに論調が向きがちですが、そもそも時代の流れに歩調を合わせて、制作システムの足場を段階的に移行できなかったことに問題があるのです。‥‥アニメ業界も全く同じ状態ですけど。

 

お金が払えないからCS6までしか使えない。だったら、未来は廃業するしかないでしょう。どんどん映像の品質基準も変わって制作環境のパワー向上が必要になる未来に、CS6では生きていけませんよ、マジで。

 

サブスクリプションに対応できる「会社の体質」を作っておかないとさ‥‥‥、未来はないよ。

 

サブスクリプションの全面導入でそれまで以上にお金がかかるようになるのは事実ですが、それをハンデにしかできない制作会社や作業者の弱点・欠点もこれまた真実なり‥‥です。

 

旧時代の慣習や思考や金銭感覚を捨て去ることを、アニメ制作業態の「生まれ変わり」のきっかけとして捉えれば、決して悪いことではなく、転換当初は辛くてもやがて新しい未来世界で生き残る足場となりましょう。悪玉菌に日和っていた過去から抜け出す機運となれば‥‥です。

 

 

 

平成最後の年末、「平成にも色々あったなあ‥‥」と思いを馳せつつ、2020年代の新しい時代に向けて、上げ潮じゃー。

 

 

 



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