釣り

さっき来たメール。

 

‥‥‥‥フィッシングかな?

 

 

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mufg〜三菱東京UFJ銀行の系列は調べてみると、JPアドレスのようです。mufg.onlineというドメインは三菱UFJ系列ではみあたらないなあ。

 

どうなんでしょうかネ。私は三菱UFJ系列を使ってないからわからんですけど。

 

この手のメールは、注意したいですネ。

 

 

追記:調べてみたら、フィッシングのようです。ご注意をば。「mufg」だけで判断しちゃダメよ。セゾンカードでも同じ文面のフィッシングメールが去年送られているようです。アカウント文字列(=メールアドレスの場合が多いですよネ)とパスワードの組み合わせを釣り上げる典型的な手口ですネ。


時計と磁石

‥‥狂うんですネ。表題の組み合わせだと。

 

無条件に狂うわけではなく、モーターを使った時計や機械式の時計と、磁石の組み合わせだと、狂うみたいです。機械式は所有していないので、実感はありませんが、機械式と磁石をそばに置き続けると機械式の金属パーツが「帯磁」してしまって「磁気抜き」修理まで必要なるようです。

 

私は、相変わらずのチプカシ三昧で、いたるところに安いカシオ製の時計を忍ばせていますが、肩掛けバッグに入れた時計だけ異様に狂うので、何となく「フラップの磁石が悪影響しているんだな」とは思ってました。

 

‥‥で、調べてみたら、バッグのフラップ(フタ)には結構強い磁石が使われており、磁石でフタを固定するタイプのバッグの中にアナログ式時計(=時針で表示する時計)を入れておくと、時計内部で駆動するモーター(クォーツ式アナログ時計)や機械の動作(機械式巻き時計)に負荷をかけてしまい、時刻がてきめんに狂うらしいです。

 

 

時計の針を回転させるモーターに悪影響がでる‥‥ということならば、デジタル式時計なら狂うまいと思い、試しにデジタル式のカシオ腕時計を数日入れて置いたら、全く狂っておりませんでした。‥‥解決。

 

クラッチバッグなどの磁石でフタを閉めるタイプのバッグには、アナログ式時計を入れておくのは厳禁だ‥‥ということですネ。

 

デジタル式の時計だとOK‥‥だとして、カシオの安い時計シリーズ「チープカシオ=チプカシ」(俗称です)は、デジタル式も山ほどラインアップが揃っているので、特に困ることはないですネ。F-91WとかW800H、女性向けの細身ならばLA-20とか、薄くて軽くて安いチプカシは山ほどあります。

 

ちなみに、バッグの中のチプカシが1時間も時刻がズレているのを見た時、一瞬だけ「製品不良か?」と頭をよぎりましたが、「カシオに限って、そんなことはあるまい。何か、ズレる原因があるんだろう」と思いました。そうしたユーザの反応こそ、まさに「カシオブランド」=技術ブランドです。その後、磁石で狂った時計を他の場所に移動したところ、全く狂わなくなりました。

 

 

しかしまあ、これだけ、カシオの腕時計に愛着が湧いてると、やっぱりApple Watchを買うのは決断しかねています。Appleストアのカートに入ったまま、決済しておりません。Suica対応は便利なんですけどネ。迷っているうちに、iPad Proの新型とか出てきて、そっちのほうにお金を使うような気がしてます。

 

今、私が何となく探している時計は、樹脂製で軽くて、20気圧WR(Water Resist=防水)の安いモデルです。10気圧のは結構あるし、20気圧でゴツいのはあるんですけどネ。そもそも、薄くて軽くて樹脂製で20気圧って無理なのかな? その方面は疎いのでよくわかりません。

 

* * *

 

腕時計のラインアップを見てると、「アナログ式」「アナログ表示」「デジタル式」「デジタル表示」などの「通称」を目にすることが多く、同じく「アナログ」「デジタル」で揺れる作業現場に身をおいている私としては、何とも言えないビミョーな感慨が沸き起こります。時計の針の表示が「アナログ」、数字の表示が「デジタル」‥‥という言い草は、中々にむず痒い。

 

 

「デジタル表示」=数字表示だけど、めっちゃ、アナログなメカの時計。この置き時計を「デジタル時計」と呼ぶのは、中々に、勇気が要ります。単に「アラビア数字」なだけですよネ。

*注釈)この方式の時計は「フリップ」式と呼ぶみたいです。

 

でもまあ、そんなことをいちいち気にしてても生き難いだけなので、俗称と正式名を分け隔てる「時と場所」に応じて、適度・適当に生きていきますわ。

 

 

 


透過式タップ穴あけ器

iPad作画を紙運用の作品で用いるには、プリントアウトしてタップ穴を何らかの方法で開けて、「紙として」やりとりする必要があります。

 

最初に誰もが考えるのは、プリンタに作画用紙をセットして印刷する方法ですが、その方法は紙が印刷ユニットにロードされる際に位置がズレるので実用は困難です。ガシャコン!ズルズルズル...と紙が用紙カセットから引き摺り出される際に、ズレないわけがないです。

 

同じ理由で、印刷した用紙に、タップ穴あけ器で穴を開ける方法も実用的ではありません。用紙に対して一枚ごとに印刷位置がズレているわけですから、角合わせも全く意味がなく、盛大にタップ穴がズレてしまいます。ロングショットの口パクで1ミリずれたら、顔面崩壊してしまいますもんネ。

 

ということは、結局は紙タップ(短冊状の紙にタップ穴が開いている)を一枚ごと、位置合わせして、貼り付けていくほか、「許容誤差に収める」方法はない‥‥というのが、今の私の見解です。

 

「ほとんどズレないプリンタもあるよ」と言われても、そのプリンタを買わなければならないし、それはA3用紙まで印刷可能なプリンタなのか、さらには「ほとんど」ではなく「絶対」じゃないと困るわけです。なので、「ズレないプリンタなんて、期待する方が虚しい」という結論に至っています。導入費の問題も深刻で、まさか個人で数十万、数百万もするプリンタを買うわけにはいかないですよネ。

 

しかしタップ穴貼りはかなり面倒。枚数が多い時は、1時間では済まず、2時間近く、作業時間をもぎ取られることもあります。

 

ではどうするのか。

 

私が考えているのは、「紙タップを貼り付ける時間消費を解消する」方法です。

 

紙タップを貼り付ける際、私は正面3箇所、裏面2箇所の5箇所で貼り付けていますが、段取りは以下の通り。

 

  1. プリントアウトした用紙の上部のタップ穴画像に、紙タップを這わせて、位置を合わせる
  2. ズレないように抑えながら中央、左右の3箇所をメンディングテープなどで固定する
  3. 用紙を裏返して、タップ穴周辺の紙を切り取る
  4. 左右2箇所(正面貼り付けの未固定部分の不安定な箇所)をメンディングテープなどで固定する

 

この4行程。中々に手間がかかります。

 

貼りつけ箇所を省くと、貼り付けてない箇所がピラピラと紙が遊んでしまい、イラっときます。用紙を揃えにくいし、ピラピラしたところから裂ける可能性もあります。なので、最低でも4箇所は裏表で固定したいです。

 

しかし、この紙タップ貼りが無ければ、作業時間は大幅に短縮されます。たとえ、一枚ずつ処理しなければならなくても、紙タップの貼り付け作業がないだけで、かなり楽になります。‥‥毎日の実感です。

 

要は、プリントアウトが一枚ずつ位置ズレしている状況は放置し(対応のしようもないから)、どんなに位置ズレを起こしていようと、たとえ一枚ずつでも位置を正確に合わせて、一発で穴あけできれば、上述の4工程の手間は一気に払拭できます。

 

タップ穴あけ機にガイドを設け、そのガイドに一枚ずつでも紙を這わせることができれば、穴が一枚ごとバラバラに無残にズレまくることは防げます。

 

私が考えている装置は、「紙を透過して、紙と穴あけ機のトンボ(位置合わせマーク)を合致させた後に、タップ穴をあける」器具です。

 

 

LEDライトは、穴あけ機に合体させた透明アクリル材の装置の中に設置し、紙のガイドと穴あけ機のガイドを透過する役割を果たします。

 

タップ穴あけ機とライトボックスが合体したような器具です。

 

まあ、制作費の90%はタッピング機ですが、合計、25,000円くらいで作れそうです。こんなこともあろうかと、DIYの各種電動工具を用意しておいてよかった。工具代まで含めると、かなりの額になってしまいますもんネ。

 

まさかな‥‥、此の期に及んで、タップ穴あけのソリューションを製作しようとは。

 

今の仕事には間に合いませんが、とりあえず、作っておこうと思います。紙タップ貼りの作業は、貴重な作業時間をもってかれて、無視できない問題なのです。

 

だからオールデジタルに‥‥というのは、まだ「無い物ねだり」です。近い未来に「あんな器具もつくったっけかな」と懐かしく思える日が来ると良いですネ。

 

 

縦3フレーム、横3フレームなどの大判は対応できるの? ‥‥って、その時は観念して、紙と鉛筆で描きます。紙ベースの作品ならばネ。そもそも私は「紙畑で育った人間」なのですから。

 


WWDC

ワールドワイド・デベロッパーズ・カンファレンス。全世界開発者会議。‥‥全世界とはいうものの、要は「Appleの開発者懇談会」みたいな内容で、新製品の発表やAppleのロードマップが示されるイベントでもあります。開発者のApple詣でのようなイベントですネ。

 

今年のWWDCで噂されるのは、iPadやiMacの新型で、様々なプロフェッショナルにアピールする8Kのディスプレイを搭載したiMacすら噂されているようです。‥‥8Kすか。ホントだったら、スゴいですネ。どんどん時代は進んでいきます。

 

4K出力が可能なAppleTVも噂され、AppleTVに限らず、時代は普通に4Kへと流れていきます。私の実家の2Kテレビはそろそろぶっ壊れる兆しがあって、買い換えるときには4Kになることでしょう。40〜50インチで10万円台前半の4Kテレビが四人家族の一般家庭の狙い目かなと思いますから(昔の37インチテレビよりも枠部分が細くなったので、同じ面積でもうちょっとだけ大画面が設置できる)、今は2Kでも次の買い替えは4Kになることはごく普通に予想されます。

 

映像の仕事には全く関係のない人でも、「2Kって近くで見てみると、そんなに細かくないんだね」と言ってるのを最近聞いて、「ああ、そういう時代になったか」としみじみ感じました。スマホの高詳細液晶ばかり見てれば、そりゃあ、37インチの2Kの解像感なんて、荒いですもんネ。

 

Apple WatchやMac Proなどの新型は、今年秋から来年だと言われているようです。実は最近、Apple Watch シリーズ2を買いかけたのですが、踏みとどまり中です。Apple Watchを常用したら、チプカシの出番がなくなる‥‥というのもありますし、そもそも私にApple Watchが必要かも判断しかねているところに、今年の秋の可能性も考えると、なかなか判断に迷うところです。実際、部屋にこもって作業作業作業作業......の毎日で、Apple Watchがあっても当座は活躍しなさそう‥‥。Suicaやカレンダー連動やMapの機能は魅力なんですけどネ。

 

 

WWDCのように、一社のイベントが注目されるのって、実はあまりないですよネ。ひと昔前は、Appleのシェアは風前の灯火なんて言われたこともありますが、見渡せば周りはiPhoneばかりだし、打ち合わせや会議ではMacBookとiPadが多いし、会社の各所に置いてあるマシンはWindowsのどこかのメーカー製でも、自分と距離が近い製品はApple製という人は結構多いんですよネ。‥‥なので、シェアの数字って、実際の生活感とはあまり結びつかない実感があります。

 

WWDCが注目されなくなったら、Appleも黄昏時なのかも知れませんが、今のところは大丈夫そうです。2017年のWWDCはどんなかな?

 

 


開発について

手描きの絵なのに、生っぽい現実感。60pで素材出力をし直し、4K60pでファイナルまで仕上げた映像は、関わった当事者さえも当惑するような、何とも言い表しがたいニュアンスをもっています。もはや、今までのコンテの切り方も、尺の感覚も、レイアウトも、動きも、全てゼロから仕切り直さないと、4K60pフルモーションのアニメ技術は扱いきれないことだけは、よく判ります。

 

しかしなあ‥‥。作画論、演出論もそうですが、絵を作るだけでも、相当なカロリーが必要です。

 

4Kに対応するため、素材サイズは5〜8Kあたりまえのところに来て、秒間60コマのレンダリングをするわけですから、そりゃあもう、マシンは悲鳴を上げ続けます。マシンの「馬力」が根本的に足りません。

 

ゆえに、USB-C経由やThunderbolt3経由で、外付けのGPU(100万くらいするのもありますよネ。GPUとか言いながら薬の計算に使ったりとか)にグラフィックの計算を投げるような仕組みでも作らない限り、運用は難しいでしょう。1998年前後に「デジタル」で劇場アニメーションを作ろうとしていたBloodの頃を思い出しますが、その頃の私はマシン4台(Mac1台、Win3台)を輪番的に使って、マシンの性能の低さを台数でカバーしていました。

 

加えて、4K60pのフルモーションは、そもそも動画で一枚一枚動かすことは実質として不可能です。お金の問題(=時間もスタッフ個々の技術もお金として換算)をクリアできません。仮に、お金を膨大に注ぎ込んだとしても、品質的にみて、手描きでで一枚一枚動かすことを「常用」するのは具合が悪いです。ゆえに4K60pの時代になっても、動画で一枚ずつ動かす技術の実質は12fpsが限度でしょう。

 

現在でも24コマフルモーションで動かすのは特別なカットに限定され、その動きは「24コマで動かしてまっせー!」というある種の「一生懸命感」が出てしまい、滑らかさよりも気迫が全面に押し出されてしまいます。芝居のシーンでさりげなくフルモーションを使う技術は、エコノミーアニメーションで発展した日本では全くと言って良いほどノウハウがありません

 

4K60pの「60p」は、「動きの枚数が増えた」なんていう視点では、ただただ、持て余すばかりです。「24コマ」感覚に凝り固まったままでは「60p」の意味も意義も理解できません。

 

私は10年くらいかけて、「24コマ脳」から現在の「60pでもOKな脳」に変えていったので、しみじみ実感できるのです。2005〜6年の頃の私の頭は、新しい技術のきっかけを感じながらも、まだまだアニメ現場の慣習や慣例に思考が固着しており、柔軟な技術の捉え方ができなかったのを思い出します。

 

実際にキャラクターの芝居を60pで動かしてみて、そのニュアンスをどのように演出技法に、もっと言えば、企画時点でどのように活かすか、根本的な意識の変化が求められます。

 

* * *

 

2年くらい制作期間がかかる作品は、当然のことながら、完成するのは2年後です。今からだと、だいたい、2019〜2020年ですよネ。

 

2020年代に、現在の技術の標準で作って、どれだけ映像技術的な関心を呼ぶでしょうか。特筆すべきものはないでしょう。周りに似たような仕様の作品はいくらでもあります。

 

技術には「時差」があり、その「時差」を計算して開発しなければなりません。

 

つまり、技術は開発が始まった時には「荒唐無稽」「非現実的」と言われるくらいの斬新さが必要なのです。‥‥でなければ、数年後に完成した際には、技術的な特徴はほとんど何もアピールできずに終わります。

 

周りが容易に理解できるものは、その時点で既にありふれた性質を持ち、技術の新しさはありません。

 

でも‥‥です。何とも難しいことがありまして、「荒唐無稽」「非現実的」「理解困難」なものにお金を出してくれるところはありません。周囲から見て、理解し難い中にも、「未来の現実」が垣間見えなければ、プロジェクトは発動しないのです。

 

周りにとって「今は必要性を感じない」物事を、言葉だけ説明しても、「それならやってみよう」と同意してはくれません。言葉だけで説明したり、簡単なテスト的な絵柄で動かしても、周囲は「これ、いけそうだね」とは思わないのです。

 

むしろ、準備が不完全でビジョンの不明瞭なプレゼンは、かえって「不必要なもの」として認識される危険すらあり、開発プロジェクトの未来を失速させることすらあります。

 

「デジタルアニメーション」と呼ばれた2000年前後の技術更新の際、ほんの数社が実現した成功例があったからこそ、業界全体がフィルムを捨てセル絵具を捨ててでも「デジタル」に移行したのです。そして、その先行した数社も、内部的にはほんの少数派=マイノリティが、小さな成功例を積み上げたからこそ、本腰を入れるようになったのです。さらには、その小さな成功例は、「こんな感じのを作ってみたんですけど」と本番同様の絵や映像でプレゼンして、「面白そうですね。じゃあ、試しにこのカットをその方法でやってみましょうか。」と「最初のGOサイン」が出たのが「始まりの始まり」だったのです。

 

* * *

 

技術には、前倒しの時間感覚が必要です。そして、その技術が浮上するための順次戦略と累積戦略の両戦略が必要です。

 

絵を作りもしないのに、ロジックだけで先走っても、周りは納得しません。逆に、絵だけ作っても、ロジックが伴わなければ「まぐれあたり」にしか思われません。

 

でも、そうした周囲の反応は当然のことであって、周囲が持続して興味を持たざる得ないような要素を発散できていない時点で、開発プロジェクトには何か不足点や欠陥があると考えるべきでしょう。「理解してくれない」なんて周りを恨む暇があるのなら、技術開発プロジェクト内の自己同期・自己更新(OODA, PDCA)を推し進めればよいのです。

 

10回50回100回の周囲の無理解に心折れるようなら、最初から開発なんて手を出すべきではないのです。おとなしく、旧来技術の枠内で生きていけば良いです。

 

開発プロジェクトにおいてダメダメな典型は、中心人物がフワフワしている時です。確信がないので、目標地点もロードマップも示せず、問題提起だけに終始し(←コレ、本当によくある光景です)、危機感だけを募らせて、具現化のあてなきマニフェストを連発するのです。批判されただけで簡単に弱気になって、方針を何度も変更しがちです。足場がユラユラしてたら、技術要素を積み上げることはできないのに、やみくもに焦れば焦るほど技術は一向に形にならず、地道な基礎開発をすっとばして秘密兵器や特効薬を夢見るようになる‥‥という、まさに「開発でやってはいけない何カ条」を全て踏襲する路線を展開します。

 

風当たりなどにたじろがず、この技術はイケると確信できる人間が、映像開発をやれば良いのです。

 

今の目の前にある映像表現のきっかけを、どうしても1つの技術として確立したい「具体的なビジョン」がある人々が中心になって開発を進めない限り、開発はうまくいきません。私は制作現場30年のキャリアの中で、うまくいったプロジェクトも頓挫したプロジェクトも目にしてきたので、強い実感があります。一番マズいのは、「時代の流れについていけない」という漠然とした、実体が曖昧な焦燥感だけで開発プロジェクトを立ち上げることです。

 

情熱なきプロジェクトはエンジンを持たない車に等しく、どんなにエクステリアもインテリアも充実していようが、エンジンがなければ走り出せません。でも結構、定期的に、特定の人間たちはそういう形骸化した開発に夢をみるのですよネ。外見ばかり、世間を気にした仕様ばかりに、気をとられがちです。

 

世間の流れは利用すべきもので、決して囚われるべきではないと、特に開発に関しては思います。

 

焦燥感でも危機感でもなく、ましてや打算などでは決してなく、「これぜったいイイじゃん」「コレ、もっと見てみたい」「これが実現すれば凄いよな」とまずは本人たちが夢中になれる根本=情熱が開発プロジェクトには必要です。

 

でもまあ、そういう情熱の熱量も含めて、各社各グループ各人の腕の見せ所ではあります。

 

今、目指すは2020年代。‥‥です。

 

 


増幅器としてのデジタル

私はアニメ制作技術にコンピュータ活用を推進してやまない立場ですが、一方で、いち個人が技術向上を果たす上で「デジタル」が「逃げ道」として使われるのは避けるべきとも考えます。どんなにソフトウェアの機能を駆使しても、本人の画力までは補ってくれませんから、基礎的な知識と技術の習得はどんな道具を使おうと必須です。

 

平面構成の知識、パース技法の知識、人体の知識など、基礎的な技量を身につけるのは、相応に努力と精進が必要ですが、そこから逃れるためにコンピュータや周辺機器やソフトウェアを揃えても、当人の技量を補ってはくれません。

 

「ソフトのバージョンが古いから、俺は絵が下手なのか?」「環境設定をミスってるから、私はうまく描けないのかな?」‥‥‥無い無い無い無い。自分の能力の低さを、コンピュータの何らかの要素に転化する‥‥、それこそが、「逃げ道としてのデジタル」の最たるものです。

 

「コンピュータがあれば、不可能が可能になる」というのは確かにそうですが(例えば、フィルム時代では機材的に不可能でしたが、コンピュータとペンタブとネット環境があれば、一人で自主アニメを作って全世界公開することも可能になりますもんネ)、「無能が有能になる」ことはないのです。

 

自分は線画しか描けない人間だと思っていたけど、色付きイラストをペンタブで描いてみたら、結構いい感じにハマって好評だった‥‥というのは、そもそもその当人が絵が描ける能力を有し、コンピュータがその能力をさらに拡張して展開したからです。自分は絵なんて描いたこともないけど、コンピュータを使えばひょっとして上手い絵が描けるかも‥‥というのは無いです。

 

コンピュータは当人の「状態を拡大」する道具であって、無いものを補う道具でないのです。むしろ、当人の良い部分を拡張してくれると同時に、悪い部分も拡張してしまう、考えてみれば「恐ろしい」道具です。

 

環境を用意する側は、「これだけ性能の高いハードとソフトで固めれば、さぞやクオリティの高い映像が」と思いがちですが、それは半分YESで、半分NOです。作業環境だけで品質の高い映像が作れるのなら、環境だけ整えて、そこらへんを歩いている人に声をかけて雇えば良い‥‥なんて話にもなろうというものです。まあ、それは極論だとしても、程度の差こそあれ、コンピュータを使ったからといって、いきなり映像表現の基礎力が向上するはずもないです。

 

しかし、コンピュータが当人の性質を拡張する‥‥ということは、基礎力に開眼して努力し始めたら、その努力を拡張してくれる頼もしいパートナーにもなり得ます。手が苦手なら、様々な手の形はネット検索で容易に画像が得られますし、体の筋肉や骨格を色んな角度から見たければアートモデル専門のWebでモデル単位で全方位画像を購入もできますし、ネットの決済が嫌ならAmazonの代引きで購入して汎用の画像ビュワーで見ることもできます。いつ形成したかもわからぬ根拠の乏しいプライドで絵を描き続けるのではなく、それこそなぞってトレースするくらい人体を模写しまくれば、得るものは大きいです。

 

でもねえ‥‥「熱中して努力できること自体が、実は当人の資質の根本だ」なんて話になると、こと映像表現に至っては、コンピュータは、そもそも当人が努力できる人間か否かを選り分ける「キビしい選別機」とも言えます。

 

やっぱり、「アニメが好き」なだけでは作画やコンポジターで30,40,50,60代と生きて抜けないですよネ。「アニメが好きなのがきっかけだった」のは良いのですけど、そのきっかけから発展していかないと、正直、40代以降は厳しくなるように思います。

 

ただでさえ「苦しい」「ヤバい」と噂されるアニメの現場に飛び込むのですから、当人がアニメ好きなのは何の付加価値にもならない「当然の前提」です。そうした前提の先には、絵が上手でないと作画では喰っていけないし、映像の動きや光と影に敏感でなければコンポジターとして映像表現の中心的役割は果たせないでしょう。

 

 

コンピュータをプラス増幅器にするか、マイナス増幅器にするか、またはゼロかけるゼロでゼロのままか、当人の気概次第でコロコロと状況は変わります。私は「コンピュータのそういうところ」が何とも憎らしくて、気に入ってる部分でもあるのです。

 


AirDropのトラブル

iPadとMacを橋渡しするには、AirDropが便利です。しかし、そのAirDropが結構「使えなく」なるのです。

 

iPadからiMacが見えない、MacProからiPadが見えない、‥‥ということはよくあります。‥‥‥‥‥よくあるのは、困るんですけどネ。

 

どうすれば直るか‥‥というと、再起動が手っ取り早いんですが、再起動をおこなうにはやりかけのアプリケーションを一旦終了したりと面倒です。

 

なので、何か「AirDrop復活」の方法はないかと色々試してみたところ、以下の3種類の操作で大体直ることがわかってきました。

 

  • Bluetoothの入・切
  • WiFiの入・切
  • AirDropウィンドウの開き直し

 

AirDropはWiFiだけでなく、Bluetoothも使っているので、BluetoothのON/OFFだけでも直ることもあります。

 

‥‥で、なぜAirDropが不具合を起こすのかは、理屈的なところは解ってません。まあ、治ればいいか。‥‥という感じで、深刻に考えるのはヤメています。深刻な問題は、他にも色々あるし。

 

 


テレビこそ

現在、色々な仕事をチャンポンで作業していますが、やはりテレビは過酷です。仕事の依頼を受けた時点でスケジュールがないことも多いですし、作監をお手伝いしようものなら中々にハードな内容(パースから直すような根本的な直し)も多々ありますし、劇場や短尺を丁寧に作る仕事とは全く内容も作業意識も異なります。

 

で、テレビを作業してみて思うのは、テレビシリーズこそ、iPad作画などの「デジタル」作業仕様が活きる‥‥ということです。テレビシリーズのようなスピード重視の制作体制でどれだけカットを「底上げできるか」という作業目的においては、様々なコンピュータの利点を作画作業でも最大限に活かせます。

 

ただまあ、既に紙で流れているカットに、途中からiPad作画を介在させるのは、かなり面倒です。なので、「紙ベースの作品は、基本、紙で」の方針は変わりませんが、作監をやりつつ片手間でレイアウト(=絵コンテから描き起こす最初の工程)を作業する際は、タップ貼りのロスを差し引いても、iPadで作画したほうが格段に作業が速くなるのを実感しました。

 

特に、パースのアシスト機能は超便利。パース技法を習得済みで、パースの原理さえ解っていれば、こんなに便利ツールはなく、乱立する高層建築などもスイスイ描けます。定規でVP(Vanishing Point=消失点)に合わせながら描く手際を、Procreateが「定規の動作」をアシストしてくれるので、フリーハンド一発で建築構造物が描けます。キャラの位置を微調整してカメラ位置(ホリゾンタルライン、VP)の調整も容易です。

 

ただねえ‥‥フローがね。

 

紙とデジタルデータの混在は厄介至極。何の制作ドクトリンもなしに、混在できるほど甘いものではないです。

 

原画周りだけ作業性が良好でも、全体の取り回し的にNGでは、立ち行きません。なので、今はまだダメかな。流れの具合が悪い。

 

 

ただ、遅かれ早かれ、紙はその物理的限界により、未来の映像フォーマットには対応できず、なし崩し的に「デジタル」へと移行するようにも思います。時代がアニメ業界の台所事情に都合よく2Kのままストップするわけないのです。

 

紙に鉛筆で描くのは、「鉛筆の持ち味」を活かすような高級なニュアンス(もちろん、階調トレスだよね、その場合は)を必要とする作品以外では使われなくなっていくと感じます。「線画のインプットメソッド」として捉えるのなら、作業性においても品質的な観点でみても、今のA4〜B4サイズの作画は2Kが終着駅で、紙の時代は「旅の終わり」に近づいています。まさかA3用紙を標準フレームにするわけにはいくまい? でも実は、「拡大作画」で似たこと(=作業サイズを部分的にアップする)はかなり前から実施されており、映像フォーマットと作業サイズの不整合は「拡大作画」を以って、既に未来を暗示しているのです。

 

 

私は数年後に公開する作品においては、2Kで作品を作るべきではないと考えています。数年後の2020年代に発表される作品が2Kだったら、その時点で随分と見劣りすることになるからです。鳴り物入りで公開される2020年の作品が2Kだったら、ショボいの一言です。一生懸命作っていた当時は2Kは妥当でも、完成した時には既に古いものと化していた‥‥なんて、悲劇ではなく喜劇です。最低でも4K24pあたりでしょうネ。未来を着地点とする技術開発や作品制作は、その当時は「非常識」「非現実的」「荒唐無稽」といわれるくらいで「丁度良い」のです。

 

これから先、アニメ制作は、どんな技術展開を見せていくのか。

 

以前の時と同じく、大型の高予算作品から切り替わっていくのか、それとも利便性に気づいてテレビから切り替わっていくのか。どちらにしても、「新しい作り方を確立」したグループが台頭することでしょう。

 

 


新じゃが

面白半分でじゃがいもの切れ端を土に埋めておいたら、芽が出てにょきにょき育って、やがてヘナっと枯れたので、次の種を埋めるために根っこを掘り起こしたら、じゃがいもが収穫できました。

 

 

小さくて可愛いじゃがいも。

 

レンジで加熱して、食べました。味はごく普通でした。

 

 

園芸って、映像の仕事にも「間接的に」大いに参考になることが多いです。

 

  • 自然の摂理や自然界のシステムを無視して、独りよがりで栽培しようとしてもうまくいかない。
  • 必要な要素は、土、水、光、肥料だけじゃなく、風も必要
  • 栽培場所の条件にあった品種をチョイスしないと発育不良となる

 

‥‥うーん。言い得て妙。

 

植物が教えてくれることは、「デジタル」や「コンピュータ」や「制作システム」にも通用することが多いです。

 

 

いつか、バジルが元気に育つ土地と家に住みたいな。

 


技術の本命

カットアウトなどを始めとした、コンピュータを使って絵を動かす技術の本命は、わたし的には何といっても、4K8Kの高解像度で60fps以上のフルモーションで動かすことです。そこにHDRが加わるとさらに決定的にはなりますが、今は4K60pでも十分「本命」としての素性があります。

 

なぜ、4K60pフルモーションが新技術の当座の本命かと言うと、旧来の作画では絶対と言い切っても良いほど不可能な領域だからです。現在、紙と鉛筆と24コマタイムシートの仕事をしているので、4K60pで動いている新技術の映像とのギャップをまさに目の当たりにしています。4K60pフルモーションを現在の原画動画システムでやろうなんて、全く思いません。

 

そもそも、旧来の技術の限界(=新しい映像フォーマットとの乖離が進む現実)をほとほと痛感していたからこそ、新しい技術の模索がスタートしたのですから、旧来技術とのルック上のギャップがあるのは至極当然です。今までは、旧来技術に馴染むためにコマ落としなど故意にスペックを抑制してきましたが、最近ではできる範囲でスペック制限を解くようにしているので、一層、ルックのギャップは大きくなっています‥‥が、それも計画した上でのことです。

 

新技術を用いる新たな仕事も徐々に増えており、最近公開されたクロックワークプラネットのエンディングとは大きく毛色の異なる絵柄の作品も控えております。新技術は構造上の特性で、アニメのセル画以外の作風も容易に扱える性質があります。恐らく次の仕事は、イラスト・絵画指向、ドラマティック指向になると思います。新しい技術は、未開の平野のほんの片隅を開墾し始めた段階でしかなく、今後、どのような作風の仕事をこなしていくか、開拓の楽しみな技術でもあります。

 

* * *

 

思うに、これから先の10年間を見据えた時、「これを選択しておけば大丈夫」なんていう近視眼的技術論ではなく、視野を大きく広げた、柔軟な選択肢を有するアニメーション技術論が、新たな映像フォーマットに対応するため(=映像産業の未来展開)の基盤となるでしょう。

 

その際は、新技術だけでなく、旧来の技術も、改めて技術の「核心」「本質」「本命」を再認識することが必要になります。

 

なぜ「紙と鉛筆を使うのか」、「なぜペンタブで動きの1枚1枚を描くのか」、「ペイント」や「撮影」という工程の存在意義とは何か、アニメ作品を演出するとは結局どう言うことなのか。

 

その技術を選択する意味、技術の本質を改めて認識して、惰性ではなく確信をもって、自分らの技術と向き合う‥‥わけです。

 

「アニメはこのやりかたでしか作れなかったから」なんていう意識では、どんどん「違うやりかた」に侵食されるばかりです。

 

自分たちの扱う技術の「本命」とは何ぞや? ‥‥を再認識をして、存在理由と意義を改めて自覚できれば、どんな新技術が現れようと、容易にはブレない、明確な行動指針が得られましょう。

 

私は紙と鉛筆を今でも使いますし(むしろ最近、紙に戻る時間が増えた)、iPadで旧来フォーマットの作画もしますし、新しい技術を基盤としたアニメも作りますので、それぞれの「長所」と「急所」が作業の過程で浮き彫りになります。

 

旧来技術も新技術も、紙もペンタブも、技術論でフラットに精査すれば良いと考えます。色眼鏡なしで技術と向き合えば、その技術が持っている本質が邪魔されずにストレートに認識できます。

 

実際私は、旧来技術が4K60pで生き抜く方法を、新技術を模索する過程の副産物として得ることができました。「新技術こそは未来の技術だ」とか「従来技術こそアニメだ」みたいなバイアスのかかった捉え方をしていると、ぶっちゃけ、見失うことのほうが多いです。ポリシーなどに振り回されることなく、フラットに色眼鏡なしで、技術の特徴を捉えれば、「各技術の活かしどころ」が見えてくるのです。

 

 

自分たちの技術の本質・本命、長所と急所はいかなるものか。

 

アニメ業界の人々の意志だけでは、社会的な映像技術の進化を止めることはできません。明らかに、旧来アニメ制作技術とって不利な状況が、未来には待ち受けているでしょう。そんな中、技術の中身を技術論ではなく精神論にしてしまっていると、一層、進退窮まる状況に自ら陥っていきます。

 

自分たちの有する技術に対し、妙なプライドで褒め殺しにしたり急所を誤魔化すのではなく、恐れずに正視すれば、むしろ、旧来技術の中に新しさを見出すことも可能ですし、新技術が旧来技術に学ぶことも多々ある‥‥と思っております。

 

 



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