色々終了。

今まで、自己所有の複数マシンでAdobe CCを使うために、2つライセンスを契約していましたが、更新日を前に1つ解約し、ライセンスを減らしました。よくまあ、自腹で年間12万円(+税)もAdobeに貢いできた‥‥とは思いますが、今年度は色々と節目となる年なので、自己開発モードの負担を軽減し、現場作りの方にシフトしようと思います。

 

自腹で何台もマシンを所有し、色々なソフトをこれまた自腹でいくつも買い揃え、昼夜違わずモクモクコツコツと映像技術開発に勤しむ‥‥というライフパターンを、私自身、しかと見直す時期なのでしょう。内に蓄積したエネルギーを2020年代に向かって外へと放射する時代のタイミングでもあり、それをすべき自分の歳でもあり‥‥ということなんでしょうネ。

 

そのほか、ドメインのいくつかも更新終了。‥‥年間数千円なので大した額ではないですが、今や使用目的を消失したドメインを抱え続けていても意味がないので、逐次終了します。

 

お試しで使っていたAmazonのKindle Unlimitedも終了させます。私は本に関しては、そもそも読む周期にムラがありますし、購入して何冊も常時ストックしておきたいので、10冊制限のあるUnlimitedはどうも性に合わないようです。

 

あと‥‥やっぱり、旧来運用スタイルの仕事は、今引き受けている作業を最後にフェードアウトするように思います。何を言うても、ペーパーレスの完全デジタルデータ運用に移行すると、「紙」ベースの作業意識とは齟齬がどうしても増えてきます。

 

 

2020年代を前にして、終了するもの、継続するもの、そして新しく開始するもの‥‥と、3つの岐路が色々な物事に待ち構えているように思います。

 

 


単価?

単価制で無理があるのなら、拘束料金や社員雇用だ。‥‥というのは、大雑把でしょ。

 

単価制の限界だ‥‥なんて軽々しく言う人もいますけど、今までのアニメ業界において単価制の限界や可否を問えるほど、単価について色々なアプローチをしてきたでしょうか?

 

アニメ業界の大きな問題として、私がフリーランスの原画マンだった頃から捉えているのは、単価制そのものではなく、「均一単価制」、単一価格の単価制です。

 

アニメ業界の単価制は異常です。

 

例えば、どこのラーメン屋さんに、餃子3個、ラーメン、味玉ラーメン、チャーシューメン、チャーシューメン餃子セットの単価(売価)が全て同じ店があるでしょうか。普通、内容やグレードによって単価は分けるでしょ。

 

アニメ制作の場合、口パク1枚絵と、巨大ロボ3体1枚絵の単価が同一だ‥‥というのが異常過ぎるんですよ。

 

まあでも、今の現場では、何をどうやってグレードを分けたら良いかも判らんですよネ。多くの場合、「見た目のさじ加減」になってしまうでしょう。紙に描かれた絵の作業量を計量することはできませんもんネ。だから、ずっと単一単価制です。

 

一方で、制作期間中に単価では計り知れない作業を依頼する場合は、いわゆる「一式」料金の方法があります。前述の飲食店で例えれば、「食べ放題」価格のことですネ。仕事を依頼する側は、単価のつけようもない難易度の高いシーンを頼めるし、受ける側は自分の能力を期間中に発揮できるしで、金額の折り合いがつけば「均一単価」の悪所を回避できます。

 

でも、多くの場合、単価制がデフォルトで、「均一単価制」になります。

 

作画よりももっと酷いな‥‥と思うのは、撮影作業を単価で扱う時です。「秒単価」で内容の濃いアクションやスペクタクルシーンを依頼された時は、正直、殺意が芽生えたものです。「倍の単価? いい、いい。いらん、いらん。 元の単価=半分の単価でいいから、芝居のシーンをちょうだい。そっちの方が数倍稼げるからさ」‥‥なんて言うから、私は仕事を干されるんだろうけど、実際「撮影はもうやりたくない」なんていう中堅〜ベテランの人は結構周りにいるんですよネ。色んな経験と技量を蓄積すればするほど、どんどん割に合わない仕事が増えて‥‥という状況に辟易している人は、作画だけでなく撮影作業者でもいます。

 

表現力の技量が低く、簡単なシーンばかりを振られる人間ほど、作業実績が上がるシステム。‥‥誰だって、アホらしいキモチになって、やってられないでしょ?

 

 

私の考える未来の現場は、均一単価制は廃止です。苦労して技術を磨いた人間がバカを見る制度なんて、新しい現場で継承するわけがないです。新しい現場を組む時に、なぜ自分が辛酸を舐めた状況を、新しい現場作りに導入しちゃうのよ。普通、過ちは繰り返すまい‥‥とするでしょ。

 

ではどのように単価のランク付けをするか‥‥ですが、作画に関しては既に具体的なアイデアがあります。何なら、自分でソフトウェアのプログラムコードを書くこともできます。私はあくまでサンデープログラマーレベルなので、自分で作った画像処理プログラムが高速に動作するかは別として‥‥ですけどネ。

 

事前の単価分けが難しい場合は、やはり「一式」方式が基本となりましょう。一式料金の場合、受発注両者の合意の上で金額を決めていく「人と人との関係」は一層重要です。

 

ただまあ、今のところ、アウトソーシングをするつもりはなく、内製化で体制を作るので、変動単価制はもうちょっと先の話です。

 

 

自分の能力が上がると、お金がより多く貰えるようになるんだ。

 

大変なカットをやれば、普通のカットの数倍、十数倍、数十倍、お金が出るんだ。

 

‥‥そんな、あまりにも普通のことを、未来の新しい現場で実現しないでどうする。

 

変動単価制はそれこそ私が20代の頃に監督と話していましたし、今から10年前には違う切り口で実現できそうなアイデアも思いついていました。ただ、それは旧来現場の色々なしがらみで出来ませんでした。恐らく今でも、旧来から様々な因習を継承する現場では、変動単価性は、感情的にもシステム的にも技術的にも無理だと思います。たとえ「デジタル作画」に変えても、です。

 

でも、新しい技術体系でゼロから作れる現場なら、因習を断ち切れますし、昔の常識は亡きものにできます。ルールも意識も違います、過去の常識はここにはありません‥‥と、新しい技術体系の現場なら言い切れるでしょう。デジタルデータを基盤とする運用スタイルであれば、データを総当たりで解析することだって、コンピュータが高速処理化した2020年目前の今なら出来るのです。

 

 

もう2年待たずに2020年代です。

 

ゼロから組み立てることで育っていく新技術の現場ならば、色んなことを仕切り直せると確信しています。私は残りの半生を新しい現場に注ぎ込む覚悟です。

 

一方、旧来の慣習を引き継がないと成立しない現場は、長きに渡る大問題を根本解決したいのなら、一旦全部要素を取り外してバラして、ゼロからの組み立て直し‥‥になるんでしょうけど、それはもう、大変なことですネ。誰がそれに着手するのか。それとも誰もしないのか。

 

未来の様相は様々‥‥ですネ。

 

 

 


現場

現状の限界を突破する時、最後は自分だけが頼りなのは言うまでもないことです。そこは誰にも甘えられません。

 

しかし、限界を突破して自分のポテンシャルを拡張する経過において、経験者や年長者がアドバイスや助言によって果たす役割も重要なファクタとなりましょう。ひとりでどんなに悩みぬいても、思考の死角は必ず存在しますからネ。

 

現在のアニメ制作工程の各現場に、そうした技術や経験の交流や継承の機会って、どれだけあるでしょうか。

 

ただ単に、個人単位で、黙々と作業をこなしてたって、決め型の作業工程の手際がよくなるだけで、映像表現力が高まるわけではないです。

 

だからって、交流会を開催したところで、単なる酒の肴どまりで、技術や思想に感じ入って体の中にじんわりと浸透することはないです。技術や思考の手ほどきは、日々徒然に何十・何百時間もかかるものです。

 

 

私は20代の頃に、作業現場で同僚や年長者の方々から、毎日、本当に色々なことを学びました。方々の中には、既に他界した人もいますが、私の中で技術や思想として生き続けています。

 

そういう繋がりって、今の現場にどれだけあるんでしょうね。

 

 

まあ、他の現場は、どのような気風であれ構いません。

 

自分らの現場を、技術や思考、経験の継承や交流の場にすれば良いのです。

 

当座の作業進行の即物的で近視眼的な視野だけでなく、先人から伝わったこと、自分が今までに得たこと、色々を伝えつつ、年少者の考えも興味深く受け入れる‥‥という知的コミューンは、未来に何かを生み出そうとする現場に形成されて然るべしです。

 

 

現場は仕事を消化する場所であると同時に、アイデアの発生エリアでもあります。

 

ゆえに、現場は大切に育てるべき‥‥だと思っています。

 

 

 


実情と開発と

こんな記事を見ました。

 

□若手アニメーター、月給10万円未満が50%超 「死に体で支えている」苛酷な生活実態とは(調査結果)

https://www.huffingtonpost.jp/2017/02/25/animator-working-environment-02_n_15011282.html

 

私が10代の頃〜30年以上前から変わっていない実情です。

 

なぜ、変わらないんでしょうか。‥‥誰かが状況を変えるのを怠っているから? その「誰か」とは誰?

 

マンガやアニメみたく、わかりやすい「悪の権化」「ラスボス」がいれば良いのですが、まあ、そんな簡単な構造じゃないのは、ちょっと内部に詳しくなれば誰でもわかることです。

 

私個人の見解‥‥ですが、変えられない根本的な構造理由があるから‥‥だと思っています。

 

 

 

細かい絵柄を1枚1枚動かして、数千枚。‥‥どう考えたってお金はかかりますよネ。

 

絵を1枚1枚描いて塗って、5千枚、1万枚‥‥だなんて、莫大な労力とお金がかかって当然です。でも、莫大なお金をそう易々と調達できるわけがないです。


思うに、まともな作画単価を設定すると、1話22分で6〜8千万くらいの制作費は必要だと思いますが、そのお金をかけただけ、全ての作品が売れまくるのでしょうか。

 

作るのに8千万円x12話=9億6千万円かかったテレビ作品が、1億円分しか売れなかったら、8億6千万円の損失です。

 

ゆえに、1話の「相場」は多少の大小はあれ、決まってきます。

 

 

 

1話につき何千枚も作画して塗って、膨大な人手が必要で、一方では制作費には限りがある。

 

私は30年以上、アニメ業界に関わっていますが、その難問を解決する答えは全く見出せません。計算式がそもそも30年以上前から破綻していると思うからです。

 

線のメチャクチャ多い巨大ロボットが2体、これまた線の多い巨大バイクにタンデムしてるような絵を、1枚120円で描かされりゃ、いくら無知な若者でも「こりゃ破綻してるわ」と思いますよ。それが30年以上前の物価の安かった社会での出来事でも。

 

 

 

すなわち、計算式を根本から考え直す必要があるのです。

 

ポアンカレ予想のペレルマンじゃないですが、皆が皆、トポロジーを使って難題を解こうとしている中、微分幾何学で解くアプローチが必要なのでしょう。

 

皆、40年前以上に確立されたアニメの作り方に思考や行動を縛られすぎていませんか。旧来のアニメ制作技術には無批判・棚上げで、制作費や単価のことばかり突いても「埒が明かない」です。

 

原動仕のシステムは自然の摂理じゃないんです。やりかたを変えても天罰などくだりません。

 

自分たちの足元がぬかるんで、底なしの泥沼だということを、昔からそうだったなんて言わずに、しっかりと見つめる時期だと思います。

 

 

 

「じゃあ、お前はどうなんだ」と言われるかも知れません。‥‥なので、もう10年以上前から仲間と共に「別の計算式」に取り組んでいます。他者からは荒唐無稽にしか見えない開発でしたから、当然、自費、自腹です。

 

しかし、ようやく、4KHDRの時代の流れに合わせて、取り組みを本格化できる段階に漕ぎ着けた‥‥と思います。

 

4K60pHDRは旧来のアニメ現場にとっては「泣きっ面に蜂」かも知れませんが、私らにとっては「この上ない福音」です。やっと、技術と時代とのランデブーポイントに辿り着ける‥‥と意気も揚々です。

 

 

アニメ現場を改善したい? ‥‥であるのなら、次の時代をしっかりと見据えて、然るべき技術開発に取り組むべきです。

 

いつまでも、先人の築いた遺産にすがるのではなく。

 

改善、改革、創造、開発‥‥なんて、どれも結局は「やったもの勝ち」なんですから。

 

 

 


BG透過光

HDRで使えなくなる演出&作画技法は色々ありますが、特に「BG透過光」はその筆頭です。

 

イメージ・心象としてのBG透過光は使い方次第でHDRでもイケると思いますが、「露出オーバーで白とびして透過光」というのはダメです。BG透過光がむやみに目に刺さるだけです。

 

そもそも「露出オーバー表現のBG透過光」は、暗部から明部に至るダイナミックレンジ=DRが狭いゆえに、暗い部分に露出を合わせたら、明るい部分が露出過多になってフレアを伴って白くとんじゃった‥‥という表現の簡略表現ですから、DRがHigh=HDRになった映像技術・フォーマットにおいては「意味不明」になりやすいのです。

 

HDRで眩しいから‥‥といって明るさを鈍く抑えたら、なぜ白くとばしているのかコンセプトが崩れますし、300〜1000nitsのレンジをもつHDRでレベルオーバー表現をしようものなら、視聴者の目を殺す気か‥‥ということになります。安易にBG透過光など使おうものなら、見てて眩しくて疲れます。

 

「露出オーバー表現のBG透過光」は、やがて「SDR時代の遺物」となりましょう。

 

例えば、心情のショック表現で赤色のBG透過光‥‥というのは、HDRでもありでしょうネ。アニメーションの画面設計は、グラフィックデザインとしての一面も担いますから、なんでもかんでも現実に縛られる必要もないので、「心象のデザイン」としてのBG透過光はHDR時代でもアリだと思います。透過光の色も、心象の表現ならば、必ずしも目に刺さる眩しい色にしなくても表現は成立しますしネ。

 

BG透過光に限らず、すぐ先の未来の高性能・高品質の映像フォーマットにおいては、今までのアニメ作画や演出の手練手管は、通用しなくなるものも結構増えると思います。

 

新しい表現技術は、旧時代の慣習を引き合いに出して「何がOK、何がNG」という比較によって獲得するのではなく、あくまでHDRや4K、そして60pの特性を鑑みた上で、新たに構築していくものです。「昔と比べることばかり」の思考では、新しい技術を積極的・効果的に作劇に取り入れることなど、ままならないですからネ。

 

新しい技術に「対応」しようとする人は、ぶっちゃけ、古いタイプの人です。「対応」という考えが根っこにある時点で、やがてフェードアウトしていく類いの人でしょう。必要な意識は、「対応」じゃなくて、「活用」ですからね。

 

BG透過光をHDRで見て、「ああ、この表現はもう使えないね。HDRならではの新しい表現を考えよう。」と即座に頭を切り替えられる人こそが、新しい技術で新しい時代を切り開ける人です。

 

そういった意味で、ここ5〜6年の期間は、そこら中に「未来への試金石」が転がっています。そのいくつもの試金石を前にして、先に進める人、立ち止まる人、去る人‥‥を分けていくでしょう。

 

 


CG319X

やっと発表されましたネ。CG319X。(つーか、型番は今日知ったんですけど)

 

 

 

「いつ出るか」とヤキモキしていましたが、職場のシステムの方から「今日発表」と知らせてもらって、胸を撫で下ろしています。今年の夏、秋‥‥とかだったらどうしようかと思ってましたが、6月には出回る感じですかね。

 

ぶっちゃけ、4KでHDRで作業用モニタ‥‥‥って、選択肢が極めて少ないのですヨ。4Kテレビはあくまで家庭用テレビで、作業用モニタにはなりませんし、24インチじゃ小さいし、PQやHLGに対応となると、かなり製品数が限られます。

 

まあ、アニメ会社の作業場は、ポスプロさんの「お洒落でラグジュアリー」な空間はのぞめないものの、部屋の照明に気を使って間接照明にしたり、「お部屋のマスモニ」をちゃんと置いたりと、当人たちの意識があればできるだけのことはできるはず‥‥です。

 

アニメーターは作画のプロではあるが、映像のプロではない

撮影スタッフはアニメ撮影のプロではあるが、映像のプロではない

 

‥‥とか、どれもイヤじゃないですか。アニメーターも撮影スタッフも、映像プロフェッショナルの集合の中に居るべきと思います。少なくとも2020年代の未来においては、です。

 

ちゃんとしたモニタで映像を見る習慣を「あたりまえ」にする環境は、これから先の未来は必須でしょう。テレビでラッシュチェックして喧々囂々なんて、(何度も書きますが)揺れる小舟の上で水平の基準を得ようとするがごとくです。

 

今のアニメの現場はRec.709やsRGBでまだ済んでいますが、未来はそうはいきません。アニメの全ての現場にBT.2100とかST 2084が必要とされるのはまだ先のことかも知れませんが、今度の「リプレース」の際はテレビで誤魔化すんじゃなくて、せめてカラーマネージメント系のモニタを購入すべきでしょうネ。

 

そして、制作環境をプロ基準たらしめるシステムスタッフも、アニメ制作には重要な存在となりましょう。

 

 


運動不足

耳にタコができるほど、私のような職業は「運動不足に気をつけろ」とは言われます。実際のところ、机に座れば座るほど、仕事が進む職業ですから、体を動かす運動とは真逆のオーダーに支配された生活です。

 

それに、「気をつける」と言っても、「気をつける」ことで解消される問題じゃないでしょ。運動不足は。

 

気をつけるレベルでどうこうなるものでもないです。

 

ガチで、どれだけ体を動かすか‥‥です。

 

 

‥‥‥と、言うのを、最近、実写の仕事で痛感しました。

 

実写はなんだかんだ言っても、体を動かしてばかりいます。もちろん、演者さんではなく、スタッフの役職でも‥‥です。朝から晩まで、休憩をこまめに挟んだとしても、機材をセットしたり変更したりバラしたり、構えて撮ってと、体を動かし続けるのですから、私のような作画机とOA机の周辺に生えたモヤシのような人間は、ヘバらないわけがないです。

 

しかも実写は、超・リアルタイム系の仕事です。「あとで」はなく、「今やる」ことばかりです。時間進行の多少の遅れはあっても、キッチリ、その日のうちに収束しなければなりません。

 

実写にリテークなし。

 

テイクはあるけど、リテイクはなし。

 

うまくいかなかったら、後日、Rで対応‥‥なんて、ありません。

 

アニメ現場になれちゃうと安易にリテークばかりに頼りますが、実写にその慣習や甘えは通用しません。その場その時のミスを放置すると、後日にとんでもない損害を作品制作に被らせてしまいます。

 

例えば、春に撮影した映像の内容に、数ヶ月後にリテークじゃないと直せない部分が発覚したところで、もう世の中の風景は夏。‥‥ゆえに、撮影当日に現場で確実に「ショット=撃ち取る」必要があり、アニメ現場とは全く異質の緊張感が現場を支配します。「今、この時じゃないと撮れない」というキワキワの緊張感がベースにあります。「うまくいかなかったね」じゃ済まされません。

 

実写現場の歴戦のスタッフの方々と違い、私は前述した通りの「もやし者」なので、そりゃあもう、ペースについていくだけでも汗だくです。スチルカメラでコンポジットに必要な役者さんや小道具を撮る役回りでしたが、「撃ち漏らし」がないようにあらゆる可能性を考えて撮影するので、体は動きっぱなしで、滝のように汗が出ました。

 

 

 

で、帰って泥のように眠って翌日。

 

筋肉痛‥‥とか思いきや、これがまた、すっきりと爽快。体が軽い。各所に溜まっていた老廃物が掻き出されたかのような、スッキリ感。

 

体をほとんど動かさず、毎日机にヘバりついて、ズモ〜ンドヨ〜ンと重く疲れて眠る‥‥なんていう繰り返しの日々では得られなかった、眠り明けの爽快感の「なんと新鮮な」ことよ。

 

「うわあ‥‥やばい。‥‥今まで、真逆の対応してたかも‥‥」

 

‥‥と背筋が寒くなりました。体力を温存する行為が、結局、体の疲労グセを助長していた‥‥のかと。

 

 

 

そうか。

 

体をとことん動かして、疲れて眠るようなことも、人間には必要なんだな。

 

‥‥と、「今、それ?」と言われるような認識をする私。

 

しかし‥‥今の私にとっては新鮮です。「体を運動でヘトヘトに疲れさせることが、実は強いリフレッシュ効果を生み出す」という実感。もしかしたら、オフロードバイクを乗り回していた昔には実感していたこと‥‥かも知れませんが、最近はもうメッキリ、バイクにも乗らず‥‥でしたからね‥‥。

 

 

 

でもさ‥‥、じゃあ、何の運動をする?

 

一眼レフカメラを持って、ハイキングかなあ‥‥。

 

歩くのは一番‥‥といいますしネ。

 

ただ、それで汗だくになれるか? 服を着ているのも鬱陶しくなるほど、ツユダクに汗をかけるか?

 

うーむ。。。

 

 

 

 


意気込みの盲点

自分たちが実現するんだ! 自分たちこそソレを可能にできるんだ! ‥‥という意気込みは、特に新しい何かを掴みかけている時には、作業時のテンションも上がり、現場のモチベーションも高くなります。

 

しかし、それが一方で「孤立主義」に傾倒するのなら、「調子にのるなよ」と自ら醒めて、自ら冷や水を浴びせる意識も必要です。

 

昔、ベータマックスがどんどんソニーの孤立主義に傾き、やがて消滅したのをリアルタイムで見ていたので、「技術の自信が孤立を生む」危うさの教訓として思い出すようにしています。

 

ベータに限らず、色々な技術の産物を見ていて、技術的な過信かは判りませんが孤立するメーカーのプロダクトが絵に描いたように終息に向かっていくのを見て、「普通、そうなるわな」と10〜20代の頃の私でも思ったものです。

 

でもまあ、勝者のVHSも今では社会から姿を決して久しいので、「長いものにまかれりゃ、安泰」というのも不正解なんですけどネ。ベータには勝ったVHSですが、時代には勝てず、今やVHSで録画しようなんていう人は相当珍しいくらい、社会から忘れ去られています。「D-VHS」なんてのもありましたが、もはや民生の意識はビデオ「テープ」から離れており、「デジタルデータ化」しようが消滅は必至だったと思います。

 

アニメの作り方で言えば、新技術を過信するのも危ういし、旧来技術に巻かれたままでも社会の流れから取り残されるし‥‥で、ええ感じの舵取りは必要になりましょう。

 

意気込みや自信、あるいは打算や習慣だけでは、未来は切り開けんです。

 

 

「でもさ。Appleの事例もあるじゃん」‥‥という人はおりましょう。

 

たしかにね‥‥、Appleはとても強いですよネ。今のところは。

 

しかし、その強さゆえに、崩れ始めると連鎖崩壊するような危うさを、私はずっと製品を使い続けながら感じています。伸び続ける成長なんてありえません。成長の行き詰まりや技術信仰の限界を、どこでどうシフトしていくのか、アウトサイダーの私としては、Appleの今後を見守るほかないですネ。‥‥まあ、今はうまくいってる気なのでよいですが、お手本にはならんですネ。

 

 

今年度は、私ら新技術を推進するグループにとって、大きな飛躍の年になりましょう。しかし、その飛躍の爽快感に我を忘れるようでは、行き先は危ういです。

 

艦載機は空母から発艦して攻撃目標を攻略するだけはダメです。ちゃんと、着艦の進入コースをしかるべきノットで進み、アレスティングフックがワイヤーを掴んで着艦するまでが、ミッションの全行程です。さらに言うならば、戦果の報告、そして艦載機部隊を積んだ空母が次の「戦地」へと進路を変えるところまでが、ミッションの全て‥‥とも言えましょう。

 

こんなではコマるわけです。

 

 

 

跳んだら、ちゃんと着地する。そして、その次も続けて跳ぶ。

 

ソニーやAppleなど、「いい意味でもわるい意味でも」お手本にすべき過去をもつ企業、そして歴史上の人物や国の興亡を、最良の教訓として活かしつつ、今年2018年、そして2019、2020年‥‥と粛々と進んでいくのが肝要。

 

と、日記には書いておこう。

 

 


思考の限界、変える限界

予定調和、今までの感じ、‥‥という誘惑は、特に仕事の本数が多くて心身ともに疲労している時に、悪魔のように耳元で囁いてきます。

 

しかし、予定調和路線、今までの感じで片付けちゃった先には、良いことだけでなく、悪いことも踏襲し続ける未来が待っています。

 

何かを変えるには、想像よりも遥かに大変な労力を必要とします。簡単には、物事は変わらないのです。ゆえに、当座の辛さにメゲることなく、大局を見極めて行動していくことが必要になりましょう‥‥と、自分を励ましておきます。

 

 

 

何かを大きく変えようと思うのなら、予測しきれない大変な労力を必要としましょう。土台から変えるには、土台の上にのっかってきた様々な古いものを全部どかして、さらに土台を掘り返して地ならしをする必要があるのですから、考えるだに大変です。だから、多くの人は、そんなことには着手しません。

 

ゆえに、マイナーチェンジに終始します。

 

でも、アニメの現場に必要なのは、根本的な問題解決と未来発展技術ですよネ。

 

使用するソフトウェアを変えようが、描いている絵柄が旧態依然とした内容ならば、未来の映像技術世界においては見劣りも甚だしいです。ソフトウェアで効率化を実践しても、その効率化が支えるアニメーション作品が古い感覚で制作されるならば、やがて時代の流れに遅れをとるでしょう。

 

 

 

やっぱり、物事を変える源は、人間の脳、思考そのものなんだよな。

 

だから、物事を変える「変え方」も「規模」も「内容」も、当人の脳内の思考に大きく依存するのです。コンピュータにインストールするソフトウェアを変えれば状況が変わる!‥‥と思う人間は、そうした脳・思考しか持ち合わせていない‥‥ということなのでしょう。

 

当人の思考の限界は、物事を変える限界と、強く深く結びついています。

 

 

 

思うに、物事の大変化って、小さなワンルーム規模で始まることが多いです。それは当人たちの思考が源になって、広がっていくからです。

 

フリーランスアニメーターの作画机エリアの一角、喫煙スペース、独立した特殊な部署、なんとなく浮いてしまったスタッフが身を寄せ合う狭い作業場。

 

‥‥そんな場所の、ちょっとした雑談から、新しい発想は生まれることが多いのです。

 

決して「大工場」の「大部屋」ではないです。

 

予定調和とは、逆に言えば、調和を乱さない従来規範の人間たちの思考の集合体であり、当然ながら「調和を乱す」言動や人間は、調和の中には存在できません。ゆえに、大工場の大部屋の予定調和の中から、「革新的な何か」なんて生まれ出るはずもないのです。

 

みんなで意見を出し合う大会議や、大きな組織単位で行動する規模で、物事を大きく変える新しい発想は生まれでないです。少なくとも、私が見てきた事例は、打算にまみれて鋭さも切れもない凡庸な結果となったものばかりです。皆がふところに「予定調和、今までの感じ」を忍ばせて参加するから、当然といえば当然です。

 

 

「予定調和、今までの感じ」などバッサリ切り捨て、新しい思考ができる人間など、大所帯では無理です。

 

なので、真に新しいことを始めるのなら、少人数が必定。

 

ゆえに、少人数それぞれにのしかかる「物事を変える労力」の負担は、かなり大きなものとなりますが、‥‥その負担は言わば、物事を変えることができる「プログラムコード」でもあるのです。

 

プログラムのコードがたとえ小規模でも完成しなければ、プログラムを実行することは‥‥ままならないですもんネ。

 

 


モニタ

4K環境に移行するとき、特にiMac Proのような機材だと、環境全体のモニタ構成には気を配る必要があります。

 

iMac Proのモニタは決してキャリブレーターもなければ、各色域(sRGBや709やDCI P3や2020/2100など)をプリセットで切り替える機能もなさそうなので、都合、4K HDRのプロ仕様(なんか曖昧な表現ですが)のモニタが必要になってきます。

 

ということは、5K&4K。結構、ビデオ性能をいっぱいに使います。2Kのモニタに換算すれば、モニタ8台分以上のビデオ出力です。

 

4Kや5Kのモニタは、外見は2〜2.5Kのモニタと変わらなくても、消費するビデオ性能は格段に大きいです。

 

ゆえに、いくらThinderboltコネクタに空きがあり、以前使っていた2〜2.5Kモニタがあっても、安易に繋ぐと各モニタへの出力が支障が出るケースもあります。実際、私らの使っているMac Pro 2013は、4096pxの4Kモニタを2台繋ぎ、さらに1440pxのプチモニタを繋いだら、全体のリフレッシュレートが30Hzに落ちてしまった‥‥なんてことがありました。ギリギリだったんですネ。

 

iMac Proは、

 

  • 4台の外部ディスプレイで3,840 x 2,160ピクセル解像度(4K UHD)、60Hz、十億色対応
  • 4台の外部ディスプレイで4,096 x 2,304ピクセル解像度(4K)、60Hz、数百万色以上対応

 

‥‥とのことなので、性能に余裕がありますが、私らが使いたい解像度は3840と4096の両方なので、何をきっかけに十億色が数百万色にダウンするのかは知っておきたいところです。

 

 

ちなみに、今でも8bit出力&入力の環境は主流で、sRGB&Rec.709を運用している分にはあまり問題にもなりませんでしたが、次世代の色域になると、8bitは過去の遺物となります。テレビの4K自体が、HDR10(10bit)、Dolby Vision(12bit)、HLG(10bit)と10bit以上の時代に移行する成り行きですから、現在の機材〜特にモニタとマシンはどんどん古くなっていきます。

 

お茶の間のテレビより、アニメ制作現場のモニタの色数が低くてどうする。‥‥という未来は、やがてやってくるでしょう。

 

ただ、ツールウィンドウをおいておくモニタに4K HDRなど必要ないですから、既存の2Kや2.5Kのモニタを廃棄する必要もないのです。

 

4Kモニタの性能の足をひっぱらないように、旧時代のモニタを接続・設置すれば、作業スペースを広々と使えるリッチな環境となりましょう。

 

 

 

移行期においては習慣では乗り切れないことも多く、新たに覚えるべき知識も増え、考え方を一新する必要性も生じますが、それはもう「世の常」ですので、さっくりと意識を移行するのが肝要でしょう。どうせ、世の中は変わるもんなんだし。

 

 

 



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