日和見の利息

自分にとって都合の良い状態は、いつしか崩れる。よって、崩壊を見越した行動の軸線を、絶えず実践すべし。‥‥というのが、私の基本的なものの考え方です。要は、安定した時期は長続きしないから、物事は変動することを基本にして、思考し行動しよう‥‥ということです。

大多数の側にいつも寄り添って、大きな傘の下に守られて、大方の動向に日和って生きる‥‥というのは、私から見ると、とても危うい生き方のように思えます。大多数の側につかなくても生きていける、大きな傘などなくても生きていける、日和らなくても生きていける‥‥というサバイバル能力が退化してしまうからです。

どんなに、大多数の中に紛れ込んで、日和って無難に生きていこうが、どこかの段階で必ず何らかの大きな問題に直面するのです。20〜30代の頃に大きな壁がドンと立ちはだかるのなら、乗り越えられるかもしれませんが、50〜60代に初めて直面したら、乗り越えるのは相当困難なように思います。

思うに、「日和見の利息」は、定期的に清算していかないと、累積する一方なのです。50〜60代まで日和見を続けて、一気に清算しなければならない事態に陥った時、とても清算できるような額面ではない‥‥かも知れません。

これは精神的な面でも言えて、「自分の人生って何だろう」なんて20〜30代くらいの頃に散々悩むべきで、50〜60代で初めて悩むような題材じゃないです。50〜60代では悩んだところでもう身動きが取れないでしょう。でも、それは仕方ないですよネ。20〜40代の頃に、そうした「悩んでブチ当たってもがく」ことから自分を遠ざけて生きてしまったのだから。‥‥恐ろしいほどの「日和見の精算額」を50〜70代で引き受けなければならないのです。

技術にしても同じです。自分の肉体の若さだけで成立するような働き方で50代まで突っ走ってしまったら、その後、肉体が衰えた時にどうするのでしょうか。技術を様々に発展させて体系立てる‥‥という取り組みを全く行わず、ただ単に自分の体力の勢いだけで進み続けた代償は、相当キツい「積もり積もったツケ」が突きつけられると思います。

「異なんか唱えず、和気藹々とやってればいいじゃん」「来た仕事をこなしてればいいじゃん」「難しいことなんて考えずに面白おかしく生きていけばいいじゃん」‥‥私には、こうしたスタンスや考え方は、猛烈に「未来への負の重荷」を背負わせているように思えてなりません。20代の頃なら、物事の道理を身をもって体得するために、ある種、享楽的に生きてみるのもありかもしれません。しかし、そのやり方では通用しなくなる時期が必ずやって来ます。

「いや。自分は50歳まで、そんな風に生きてきたけど?」‥‥というのだったら、今やエントロピーは猛烈に増大するベクトルに向いていて、「今までのやりかた」という秩序を崩壊させるきっかけを待っているだけです。「今までがそうだったから」という事実は、「未来もそうである」という何の保証にもなりません。肉体的なことだけを考えても、1〜50歳までの自分が、51〜100歳までの自分と同じであるわけがない‥‥ですよネ。肉体に限らず様々な事象は、古今東西必ず崩壊する過程を迎えています。

だったら‥‥です。崩壊や衰退を乗り越える体質を獲得できるよう、日頃から馴らしておけば良いのです。変化に弱い体質ではなく、変化に強い体質を‥‥です。

QuickTimeのWindows版終了も、AdobeのCS版開発終了も、「世の中の変化」です。アニメ業界の大多数に寄り添って日和って行動したからといって、世の中はアニメ業界を中心に回っているわけではないので、いくらでも状況の大変化はあり得ましょう。要は、QuickTime7に頼り、CS6に頼り続けたことに対する「清算」の時期が来ただけなんですよネ。

「安定」はやがて「不安定」な状態へと進むものです。そしてまた、安定した期間がおとずれます。そのサイクル‥‥いわば自然界の法則とも言える大原則を踏まえて行動して準備していれば、慌てず騒がず、「こんなこともあろうかと」と別軸の路線で切り抜けられます。QuickTimeのオンラインフローなんて、この10年ちょいの出来事です。「10年、よく支えてくれたね」程度の感慨であって、「じゃあ、未来はどうするか」と頭を切り替えれば良いだけです。

思うに、アニメ制作業は、国家公務と違って、格段に脆いです。世間の荒波に揉まれまくりです。

‥‥であるならば、その脆さを、何らかの手立てをもって、何重にも補強するか‥‥が、まさに制作集団の「強さ」を端的に示すことになろうと思います。

褒める。叱る。

ネットの記事を流し見していて、「褒めて育てる」の弊害の記事が色々あることに気付きました。少し興味が湧き、「褒めて育てる」で検索すると、「褒めて育てる」ことへのネガティブな情報がエントリーされます。なるほど、今は「褒めて育てる」に異を唱える風潮も多いのですネ。

ふーん。なるほど。

絵とか、楽器とかを子供の頃から嗜んでいると、自分の能力について、どこかで向き合わなければならないので、どんなに褒められようが、それが真か偽かを嗅ぎ分ける嗅覚が(多少の甘さはあっても)身につきます。その次の段階は、プロになれるかの選別、そして仕事が来るか否かの選別、難易度が高い高額の仕事の依頼が来るか否かの選別‥‥など、「テキトーに褒められようが、いつかは現実を突きつけられる」ので、日本流の甘く褒めて甘く育てる教育は、少なくとも映像などのエンターテイメント系の職業においては、どこかで化けの皮がはがれます。

絵も音楽も、直に結果物の表面に出ちゃうので、ごまかしがほとんど効かないんですよネ。

現場には「良いね」「OK」「R」「引き上げ」の4段階があり、どんなに自分が自信を持っていようと、この4段階で必ず評価されてしまいます。この4段階を噛み砕いて言うと「是非、次も仕事をお願いします」「結果はOKです」「やり直してほしい部分があります」「あなたには仕事を任せられません」と言う、仕事を請け負って生きていく職業においては非常に重要な評価の区分と言えます。

特に作画作業に作用する評価区分ですが、撮影などの工程も無縁ではありません。ただ、撮影は作業者当人の技術評価に直結することはあまりないので、作画作業者よりも辛辣なジャッジから「護られている」状態ではあります。実は私は、その点についてすごく不満もあるし、撮影作業がナメられる原因(=誰がやっても同じでしょ?的な)でもあると感じますが、作業時間があまりにも圧縮された実情として撮影作業者名指しでRが出ることはほとんどないですよネ。

この4段階は、現場の性質でもジャッジの基準が変わります。例えば、素朴な絵柄の現場と萌絵系の現場とリアル系の現場では、何に重きを置くがかなり異なるので、特に若い時は技術のバリエーションも狭いので、Aの現場ではもてはやされても、Bの現場ではコテンパンに打ちのめされる‥‥なんてことがよくあります。歳を重ねるごとに、どの現場でもまあまあ通用する技術が身についていきますが、それでも現場ごとのジャッジの性質は作用します。

「褒めて育てる」の可否について語ろうとは思いませんが、どんなに褒められようが、いつかは自分の能力や性質と向き合って、ダメな部分と良い部分をまざまざと見せつけられるのです。褒める側の「褒めて良い気分」、褒められる側の「褒められて良い気分」なんて、ほんの一時的な気分や気休めだと私は思っています。

「褒められて伸びる」ことがあるのは確かです。でもそれは、「褒めて伸びる部分が、当人の可能性として存在する場合」に伸びるのです。要は、褒める(=ポテンシャルを引き出す)行為を実践する側の、高い審美眼やジャッジ能力が必須なのです。年長者が若年者とコミュニケーションを穏便に済ますために褒めるだけに徹する‥‥なんて、もはや「褒めて育てる」意義の何一つも残っていないですよネ。

思うに、褒める教育、叱る教育のどちらの影響を受けようとも、人間は、結局は収まるところに収まる‥‥としか言いようがありません。まあ、ネットの記事で取り上げているのは、「大多数の傾向」だとは思いますけどネ。

私の時代は「偏差値教育」、そして現在は「ゆとり教育」などのフレーズが世間を飛び交いました。でも、どんな時代でも「上手くハマって、できる奴」になれるかどうか‥‥です。無条件に褒めたり叱ったりすればデキるようになるわけじゃなく、無条件に自信だけを持てば良いのではなく、「自分は何をもって能力的優位を発揮できるか」を、自分が成長していく年代ごとに見据えていくことが必須だと思います。

でもまあ‥‥です。周りが叱ろうが褒めようが、幼少期にFIXする性質は、ことさら重要です。幼子ではどうすることもできない「体験の運命」とも言えます。

三つ子の魂‥‥とは言いまして、幼少期の体験は、当人の技術の根本に作用するのです。例えば映像制作において、光や影、冷たさと暖かさ、風、匂い‥‥といった要素を、After Effectsというツールを用いて表現できる人間は、幼少期にそれら空間の要素に惹きつけられていた過去を持ちます。溜まった水の光の反射をずっと見ていた‥‥とか、窓から差し込む光が壁を照らして揺れる情景を、訳も分からず注視していた‥‥とか、幼児期の性質がかなり共通しています。そして近年になって認識したことですが、そうした人間は音にも敏感であることも判ってきました。日本人だけでなくカナダ人もそうだったので、絵と音は少なからず相互作用しているという実感を持っています。

そこに後天的な「偏差値教育」や「ゆとり教育」が作用して、様々な紆余曲折を辿ったとしても、さらにどんなに後天的な技術を盛り付けたとしても、ここぞという時に重要な足場となるのは、幼少期の体の奥底に植え付けられた「性質」なんですよネ。私にとっては、誉め殺しの世代がどうのこうのよりも、様々な根本的性質を持った人間が、どのように現場を組織するのか‥‥の方が重要です。

「褒められて育てられたがゆえに、誉め殺しのモスボール状態」にあるのなら、その繭を剥がしていけば良いですが、本人のRootはどうやったって他人が(もしかしたら本人でさえも)変えられるものではないですもん。

褒める。叱る。どちらかに極端なウェイトが作用していたとしても、「本番」では冷酷にジャッジされるだけです。その冷酷さは、すぐに現れることもあれば、長い年月を経て浮き彫りになることもあります。

でもさ‥‥、自分の能力に対する是非・可否は、回復能力の高い若い時に実践したほうが良いんだよネ。中年になって初めて自分の薄っぺらいプライドに気付くよりは、20代の頃に散々に叩き割っておいたほうが、起死回生のアプローチは豊富だもん。

起承転結の18年周期

私は素朴な実感として、自分を取り囲む物事の移り変わる周期は、ほぼ6年前後であると感じています。そして、最近は、その6年の周期を3回繰り返して18年前後で、大きなサイクルがひと回りするのかな‥‥と感じることが多々あります。

私は1996年にプレステ1の攻殻機動隊のゲームOPに参加したのが、アニメでコンピュータを本格的に使ったスタートでした。今から20年も前になるのですネ。その時はよもや自分がマウスばかり弄って1日を過ごす人間になろうとは、思いもしなかったものです。翌年の1997年は、本格的にAfter Effectsを使い始めてテイルズ・オブ・デスティニーのエフェクト作監とコンポジット(今で言うところの撮影)を担当し、1998年はサクラ大戦2だったかのオープニングをコンポジットしたはず‥‥です。1998年は本格的に劇場版Blood(2000年公開)の作業にも突入した年だったと思います。

では、1996年の18年後の2014年はどうだったか。

2014年から少し遡って、今から6年前の2010年は、アニメの「撮影」という役職から本格的に遠のいたターニングポイントの年でした。まさに、変動は6年周期ですネ。

アニメの枠に縛られず色々なジャンルに幅を広げた‥‥なんていえばカッコよく聞こえますが、要は「大量(短期)生産重視、クオリティ軽視」の風潮に反発した挙句に「撮影業務」を干された状態だったわけです。ゆえに、アニメだけでなく、色々な映像関連の仕事をこなしました。実はそのことが、その後に大きなプラスとなって表れるのです。ちなみに、現在はそうした「大量生産」で作られた作品のクオリティ損失を取り戻すビジュアルエフェクトやグレーディングの仕事が多いのは、何とも皮肉なことです。

‥‥で、2014年。大きな出来事は、ガルムのグレーディングをフィニッシュするために、カナダのラボで10日間(時差があるので実質は13〜14日くらい)作業したことです。海外の映像制作の一端を垣間見れたのは、大きい収穫でした。既に2014年の頃には、「実写もアニメも絵作りの観点でいえば、境界線は曖昧だな」と感じていましたが、ガルムは特にそんな感慨を抱く作風でした。

しかし私の中で2014年がひときわ思い出深いのは、4Kに思考を本格シフトした年だったことが大きいです。2014の末尾の「4」にゴロを合わせて「2014K」などと暗号めいた呼び方で、あくまで自主的な取り組みで進めていました。

2014年末にはiMac 5Kも登場し、2Kが急速に古びた過去のフォーマットのように見えたものです。‥‥これはまさに、1996年にフィルム撮影の制限事項が急速に古びて見えた事と酷似しています。

2014年末にiMac 5Kが自宅のメインマシンとなり、ドットバイドットで見た、生粋の4Kアニメ映像。iPad Proといい、iMac 5Kといい、私とメカとの巡り合わせのタイミングは、幸運だと思います。

記憶が曖昧ですが、何度も引用している女の子の絵は、確かiMac 5Kを導入した後に描いたはずです。旧来のアニメでは御法度とされてきた各種表現、そしてレタスの2値化では絶対にできない表現領域を意識したものです。


*アニメの場合、止め絵でどんなに美麗に仕上げても、動かせないんじゃしょうがないもんネ。この女の子の各種表現は、動かす前提で設計されています。

こうした水面下のテスト(上図の女の子はブログに載せているので、水面下ではないですが)を繰り返しつつ、去年2015年は幾つかの作品でコンポジット作業込みの原画作業もこなしつつ、Noblesseの撮影監督を久々に担当して業界の現状を垣間見もし、「未来への地ならしの年」となりました。「地ならし」という点で、1997年の頃の状況に良く似ています。

そして、2016年の今年。

18年前の1998年が、Bloodという、私のその後のベクトルを決める作品が動き出した年だったように、今年2016年は今までの様々な自己研究や実写も含めた知識と経験を十二分に活かせる、小粒ながら意欲的な作品がいくつも動きます。例えば、上図の女の子の「今までの作画方式ではとても描ききれないような」髪の毛の処理も、実際に作品のカットの中で普通に動かしますし、微細なニュアンスのトレス線が活きる見せ方も積極的に導入することになっています。

18年前、セル彩色とフィルム撮影では想像もできなかったアプローチで、想像もできなかった結果物を得られたように、2016年の今は、新時代の技術基盤に基づく新技法によって、新しい映像品質の結果物が得られるようになります。現在の現場が「ブレンド」「貼り込み」「キーイングによる各パーツのフレア表現」「手間数をつぎ込んだ眼球の描写」などを駆使してクオリティアップを図っても、それはもはや旧品質基準の枠内の出来事であって、昔の小さなどんぶりに無理矢理「メガ盛り」しているようにしか、私には見えて仕方ありません。‥‥こうした感慨も、1998年の頃に、嫌というほど、セル&フィルムの現場に感じていたことの繰り返しなんですよネ。

本当に、時代は繰り返している‥‥と強く思うこの頃です。

人々の関心の流れも含めて、よ〜く似ています。1998年の頃は、ほとんどの人がフィルムがなくなるなんて思ってもみなかったでしょ? 「デジタルアニメーション」と呼ばれていた当時の取り組みを、ほとんどの業界内スタッフは、怪訝そうな目で傍観してましたからネ。

ちなみに、1998年と2016年とで、大きく違うことはあります。私がこうして、日々感じていることを世界中からアクセスできる形で書き記していること‥‥です。

1998年は、どんなに痛感していようが、話す相手は現場のスタッフだけでしたからネ。

ともあれ、何か大きな物事の「起承転結」が1サイクルするには、18年前後の期間というのは、「ちょうどいい尺」なのかも知れませんネ。

潅水

何も生えていないまっさらな土に、ジョーロで水を給水する姿を見たら、どう思うでしょうか。普通に考えて、「種をまいて、水やりをしているんだな」と察しますよネ。

でも、そうした一般常識がなければ、全く何も生えてない土に毎日毎日潅水し続ける姿は、異様な光景として人々の目に映るでしょう。

発芽して茎がどんどん大きく長く成長しても、何も得るものはなく、それでも嬉々として潅水し続ける毎日。「不思議な行動をする、頭のおかしい人」のように人々は嘲笑します。

花が咲く光景を見て、ようやく、「あの不思議な行動は、この為だったのか」と人々は気付き始めます。そして実をたわわに実らせて収穫する姿を見ると、「あんないい思いをしてズルい」などと言い出したりします。

そして事もあろうに「そんなにいっぱい収穫できたのなら、自分たちにも分けてくれ。あなたも地域の一員だろう」みたいな、適当な因縁をつけて、過去に嘲笑していたことも忘れて、収穫の分配を要求したりします。

何だか、どこかの民話みたいな話ですネ。でも実際、自分の庭でトマトを栽培していた知り合いが、通りすがりの近所の見知らぬ人に「そんなにいっぱいあるのなら、(タダで)分けてくれ」とか言われたそうな。

その見知らぬ人は、通りすがるたびに、トマトの成長を楽しみにしていたとのこと‥‥ですが、それが「自分にも少しくらいは分けろ」というロジックに繋がるのが恐ろしいし怖いですネ。見ているだけで、育てている気分に錯覚したのでしょうか。

新しいシステムや技法の体系作りも、いわば大地に種を蒔くようなところから始まります。システムや技術によって「花が咲いて実がなる」までには、淡々と労力を費やし、出費が積み重なる毎日です。でも、なぜそんな、ある種リスキーとも言えるシステム作りと技術体系作りに没頭するのか? ‥‥答えは簡単で、新しいフィールドで未来を切り開きたいからです。

新しい取り組み、新しいシステム作り、新しい技術体系。最初は、多くの人に理解されず、頭のネジがずれた人のように嘲笑されることすらあるのです。

新しい何かを始める‥‥とは、そんなもんです。理解する人はほんのごくわずか。だからと言って、潅水をやめたら、そこでおしまいです。簡単に枯れて腐ります。


自分からは何も動かず、嘲笑する側にまわるのか。

自分なりに考えて、自分の出来る範囲だけでも行動してみるのか。

少なくとも、私が行動を共にしていきたいのは、後者のタイプの人です。未来を切り開く苦渋を共有できる人‥‥です。古き土地に残って耐え続けて未来を切り開く人、新しい土地をゼロから開墾して未来を切り開く人。どちらのスタンスでも、未来を切り開く意志のある人々と合力していきたいです。

また、2006〜7年以降の、速かろう、安かろう、大量生産だ!‥‥という大波に呑まれた際に、私のチームを少なからず擁護してくれた数少ない方々、そして監督の方々への恩義も忘れません。私ら「クオリティ重視」の作業班は、海兵隊よろしく、存在意義を問われた時期がありましてネ。その際にかのベテラン監督さんに少なからず擁護頂いたのです。まさにセンパーファイ、一番苦しい時に助けて頂いた方々に、もし欲していただけるのなら、恩義に報いるために持てる限りの知略で臨むでしょう。

自分らはアニメ業界に貢献してきたんだ。アニメ業界が自分らを見捨てるはずはない。‥‥そんな風に訴える人もいるかもしれませんが、ただ単にそれは、存在価値を認められて今まで安泰だった作業工程の言い草です。必要がなくなれば、あっけなく縮小、または消滅するものです。「陥落」の際は、誰しも自分の身を守るのが精一杯で、誰も助けてはくれませんヨ。私は上述の通り、何度も存在理由の危機に瀕したので、その辺の生き残りの戦術とサバイバル能力は獲得できましたがネ。ダーウィンじゃないですが、時代の進化を生き残るには変化に強い体質と思考を身につけるしかないです。

"Operation Frequent Wind" (ベトナム戦争の脱出作戦)の時のように、無様な逃げ際を晒すのは、誰しも望まないでしょう。でも、そもそも、首都陥落のタイミングに、サイゴンに居ること自体が、危機感の欠如ですよネ。

何かを咲かせて収穫したいのなら、育てなくちゃ。‥‥育てるためには、潅水しなくちゃ。‥‥そして、何よりもまずは種を蒔かなくちゃ。

小学校の朝顔栽培で学んだ、みんなが知っている基本的なことを、時と場所を変えて実践するだけで、新しい何かの手応えは得られるのです。

2DKの8人家族

現在のアニメ制作現場って、古い間取りの2DKの家に8人家族で暮らすようなもんだな‥‥と、ふと思いました。

祖父母、父母、子供3人、親戚1人。狭い6畳二間に計8人。その古い時代の間取りのまま、パソコンを持ち込んで‥‥。そりゃあ、まあ、色々と問題も噴出するわな。。。

アウトサイダーは言いがちです。「だったら、もっと大きい家に住めば良いのに」‥‥と。

お金が無いから、この小さい家に住んでいるので、大きい家なんて、現実的にありえないのです。大きい家を誰かが無償で寄付してくれるわけではあるまい。

今のアニメ業界制作現場の行き詰まりって、まさにコレですネ。大きい家には引っ越せない。人は減らせない。皆の稼ぎは増えないので、増築することもできない。でも、近代化の世間の波には、ある程度、追随しなければならない。

こんなことを書くと、社会的な支援が云々‥‥とか考えがちですが、まず、窮状を訴えるべきは、外側でなく内側です。内側の改善策・打開策を実践しないまま、外に向かって「助けてください」だなんて、虫が良すぎます。今までのアニメ業界の経緯を鑑みるに、たとえ何らかの支援があっても、結局現場の状況は何一つ改善しないと思います。‥‥実際、そうですよネ? 省庁の「クールジャパン」なんたらで何かしら現場は改善された? むしろ支援に甘やかされて堕落する一方では?

時代に流されるまま、昔の家の大きさのままで8人家族まで膨れ上がった。‥‥だったら、時代に流されないで、むしろ時代を活用すれば良いのです。結局、自分たち自身で状況を大きく変えるしか、血路は見出せないのです。

1980年代と根底の意識が変わらないまま、コンピュータを1980年代技術の代用品にしているから、こうなるんだと思いますヨ。

住み替えの準備を、各人、粛々と進めておくのが肝要です。お互い、頑張りましょう。

穏便では収束できなかった

今の状況が良いだなんて、誰も思っていないんだから、わざわざブログで書くことでもなかろうに‥‥と、思う人もいらっしゃるでしょう。しかし、その「事を穏便に済ませよう」としてきたツケが、今の状況だと思っています。事を荒立てないことで、事態が収束しているのならまだしも、全く逆で、悪化の一途をたどっています。フローの一番尻の撮影を作業していると、ここ10年の凄まじい劣化の経緯が、リアルに感じられます。

穏便に済ませておけば、いつか事は治る。‥‥それがウソだと言うことがこの10年で証明されたわけです。

一昨年原画を作業した際、とっとと作打ちして3〜4ヶ月前に原画をあげて、撮影入れがどれだけ前倒しになるか、試してみたこともあるのです。結果は、早く原画をあげても、何の効果もなかったのです。もうシステムが麻痺しているとしか思えない。‥‥現在は、納品寸前にドカンと撮影する劣化スケジュールが業界全体に根付いているのかも知れませんネ。

黙って一生懸命耐えて、作業をどんなにこなしても、「いつか改善する」なんてありえませんヨ。「やればできるじゃん」という認識がさらに上塗りされて、より一層の凶暴な劣化が待ち受けているだけです。

でもなあ‥‥色々なことを思うと、最低最悪の状態まで落ちるしか、やり直しのきっかけって生まれないのかな‥‥とも思うのです。デジタル作画を「もっと速く、もっと安く」(そのような喧伝記事を以前見ました)に巻き込んで、今の流行も次第に失速してアニメの神通力が弱まり、借金を返済するためにさらに借金をして‥‥みたいなことを続けて、もう逃げ場がなくなって追い詰められることでしか、復興の兆しは見えてこない‥‥と思うことがあります。

復興プロジェクトはやぶさかではない。しかし、それを頼みの綱にしてもダメなんだと思います。前にも書きましたが、別軸のプロジェクトを何本も用意して進めておかなければ。

いい歳こいての徹夜の連続は、死に直結するって。

甘い思い出との決別

作監20人とか、本撮1日とか、門外漢の人なら「ゴージャスですね」「そこまで速度アップできるよう技術が進化しましたか」と思う人もいるかも知れませんが、現場の人間でそのようなレスポンスをする人はいません。だって、皆、解っているから。

とうとうここまで来てしまった‥‥と。状況に、劣化に劣化を重ねて、そんな事例が出るところまで、来てしまった‥‥と。

だから、内部の人間なら、誰も今の状態が「商売繁盛の表れ」だなんて思わないのです。

落ちるところまで落ちて、いつか「どこの誰がヤラかすのか」、自分らの現場にキツいお灸をすえるためのキッカケとなる「生贄」「人身御供」を待っている‥‥のかも知れませんネ。その生贄には自分らはなりたくない‥‥と思いながら。

日本の国民性かも知れませんが、日本人の集団性って、自分からは「自分が悪かった」と言い出せない性質・風潮がありますヨネ。先の大戦だって、「自分たちは悪くない。戦争が悪かったんだ」ととてもズルい逃げ方をしてますし。‥‥だから、アニメ業界の場合も、「状況」のせいにして、自らを総括する習慣自体がない‥‥のでしょう。ゆえに、「悲惨極まりない、可哀想な生贄」がいつか登場して、「ああなったら最後だ」的な「強烈なきっかけ」を待っているかも知れません。
*私も作画だけをしていたアニメーター専業の頃はそんな日本人らしい日本人‥‥でしたが、「デジタルアニメーション」や新しいアニメーション技法に取り組むようになると、そもそも技術基盤が曖昧で、作業完了した自分の作業の総括・問題点の洗い出しをしないと、技術体系が構築できない弱みがあったので、自然と「総括癖」「フィードバック癖」がついたのです。現在のアニメ業界の作業は従来のアニメ制作システムに支えられているので、総括などしなくても生きていけるがゆえに、どんなに劣悪な状況になっても、アニメ制作システムや技法を信じて疑わないのかもしれませんネ。

1980年代前半のアニメ雑誌には「週30本を超えた! この乱造乱作の状態をなんとかしなければ!」的なスタッフ座談会の記事がありましたが、現在はそれをはるかに上回る本数だと聞きます。

でも、現在の60本とも70本とも言われる作品数の内訳は、30年前の1980年代とは大きく異なります。昔は、そのほとんどがゴールデンタイムのアニメで、最低でも半年放映の規模でした。今はゴールデンの方が超珍しいですよネ。しかも1クール(1/4年)の作品も多いです。

現在、現場のベテランと言われる世代(ヤマト、999、ハイジ、ジョー、うる星やつら世代)の人間は、ゴールデン時代のアニメが忘れられないのかな‥‥と思うことがあります。現在の状況においては週何本だ‥‥なんていうカウントは虚しいばかりなのに、商売の基準を今でもゴールデン時代の慣習で捉えようとしているのかも知れません。これは言い換えれば、テレビが茶の間の中心だった頃の、昭和・平成初期の価値観の「なんとない慣習」です。

もちろん、ガンダムやドラゴンボールなど、今でも続く、恐るべき通算本数の作品はあります。でもそれはあくまでひとにぎりで、しかも、大量生産のノウハウを持つ大手の仕事だったりします。

昔の甘い思い出や、数少ない大手の仕事ぶりを基準にして、現在の自分らの劣勢をなだめる鎮痛剤にしても、何も解決しないよネ。何度も書くことですが、自分の身の回りにある現場の状況に、直接、メスを入れていかないと、解決の糸口は見えてきません。

少なくとも私の考えはハッキリしています。ゴールデン時代の昔の思い出は、きっぱり忘れよう!‥‥ということです。もう戻らない過去に、どんなに未練を抱いても、手に入るのは悲しく空しい感情だけです。過去の思い出に生きるのではなく、今、そして未来を生きなきゃ‥‥と思うのです。アニメが深夜専門のような状況に変化している現在、昔のように本数でカウントしても、商売繁盛の是非はまるで見えてきませんもん。

じゃあ、どうすんのよ‥‥て、そんな簡単に答えなど見つかりません。これから未来はどうすんのよ‥‥という言葉は自分自身に投げかけるものであって、他人に迫って詰問するものではないです。

所与のシステムに今まで依存し続けてきたんです。ゆえに、「どうすんのよ」なんて他人に聞いて依存する習慣が根付いちゃっているのです。これから先の未来、その「どうすんのよ」的スタンス、既存システム依存のスタンス自体を変えていかなければ‥‥と思います。

ビジネスモデルまでは手に余るかも知れませんが、少なくとも自分たちの現場のシステムモデルは、現場の人間たち本人が新たに作る気概を持って、そろそろ良い時期なんだと思います。

どうすんのよ‥‥ではなく、こうします!‥‥とビジョンを持ってネ。

忙しさのベクトル

仕事が忙しい‥‥ということは、多くの場合「繁盛している」バロメーターのように語られます。しかし、歴史を紐解いてみると、忙しさは決して発展のベクトルだけでなく、滅びのベクトルでも起こりえます。

アニメの本数が増えて人手が足りない‥‥なんて話を耳にすることが多いですが、作監20人とか1日で300カット本撮テイク1とか、これはどう聞いても商売繁盛の「発展のベクトルが示す状況」とは言えず、むしろ先の大戦での敗戦間際の日本やドイツの状況〜「滅びのベクトル」を想起します。もし商売繁盛のベクトルにあるのだったら、少なくとも、金回りは良いはずじゃん?

金無い、時間無い、品質低い‥‥のどこが、商売繁盛の表れなのか。‥‥作業歴30年の私の経験から鑑みるに、異様に安い作業費を設定する会社って、大体「姿を消して」いますヨ(もしくは大きく傾いている)。実名は出さないですが何社も知ってますし、原画料未払いのままの知り合いもいます。

めちゃくちゃに破壊された現場を、最低限機能するように修復しつつ、未熟な人員まで戦力にカウントして投入する状況。新技術の開発にお金を回す余裕はなく、旧式の技術のまま総動員令で増産し続けてなんとか現場に送り出すも、消耗が激しく、どんどん劣勢へと追い込まれていく。あれれ‥‥これってさ‥‥、いつのどこの話? 太平洋戦争末期の日本?‥‥それとも‥‥? 

‥‥なるほど。‥‥ホントに歴史には学ぶべきことは多いですネ。

新しい体制をスタートするには、古い体制は亡ばなければならない‥‥のでしょう。現在、業界から聞こえる劣悪な作業状況は、一旦滅ぶための必要不可欠なプロセスなのだと思います。人が老いて死ぬ時って、大抵は何らかの病気にかかるじゃないですか。「xx不全」とか。現在の現場の機能不全って、そういう類いだと常々感じています。

死の次には、新しい生があります。

歴史は、「崩壊しても、その次がある」‥‥ということも教えてくれます。戦争に負けた人々がそのまま世界から消滅した‥‥わけではないのは、歴史の示す通りです。日本もドイツも技術立国としての地位を、悲惨な敗戦のがれきの中から築き上げましたよネ。ポーランドのように、一度は地図から消滅した国が、復活した事例もあるくらいです。

国の呼び名が消えて、国は消滅しても、人々は生き残って、現在があります。

こうした歴史的事実を楽観的に捉えるのならば、業界の体制が滅んでも、アニメを作り続けようとする人々がいる限り、アニメは生き続けられる可能性があります。まあ、あくまで可能性です‥‥が、私は残りの人生をそこに注ぎ込もうと思っています。

ぶっちゃけ、作監20人とか、本撮1日とか耳にしても、驚きはしても、嘆く気も批判する気もありません。「あ、なるほど。今はそういう状態なんだ」と状況認識して崩壊の進行度を試算するのみです。

「苦しい中でも一生懸命やってるんだ!」‥‥とは、それ即ち、感情論です。「一生懸命さ」を「良し悪しの天秤」の基準にしたら、途方もない水掛け論の始まりです。「一生懸命ならば良い」とは、現場に一番導入してはいけない価値観・論調です。「一生懸命」で事態が解決するのならまだしも、一生懸命さがかえって破滅のベクトルへと邁進することだって、山とあるのですから。指導者はいかなる時でも現場の感情に流されず、事態を客観視できるクールさが必要です。

現場の混乱が各所から聞こえてくる中、現在の権益を維持したい勢力は、「デジタル作画」をもって新時代を掌握する軸にしたいのかな‥‥と思えるフシがあります。でも、それってまるで「旧帝国陸軍的な発想」ですよネ。「戦陣訓」を唱え続ける性根が残る限り、世界的な技術ムーブメントの潮流には追随できないと思います。「デジタル作画で新しく築き直すアニメ業界の未来」的なものは、築き上げた時点で既に旧式化して時代性との乖離が深刻になっているでしょう。業界がもし新生できるとすれば、それはブレインの入れ替えがあって始めて‥‥でしょうけど、実はブレインを入れ替えずにどうやって未来を手中に収めるかが権益勢のテーマなので、‥‥まあ無理なのです。

業界のシステムに慣れきって、そのお膳立ての上で仕事をしているのならば、業界の動向は気になるところでしょう。でも、それって、業界と運命を共にして、最悪の場合は心中する‥‥ということです。「共依存」の関係要素はできるだけ断ち切っておいたほうが良いです。絵を描く、映像を作る‥‥という技能を、「原画」や「撮影」などのアニメ業界仕様の仕事だけに限定する必要はないのです。

「業界がダメになったら自分はおしまいだ」なんて言うのではなく、自分の能力を足場にして色んなことをどんどん仕事に変えて、逞しく生き残っていく「変化に強い」性質が、これから求められていくのだ‥‥と思っています。

技術力と体力の乏しい会社が淘汰され、大手と気鋭の新グループが、余分を削ぎ落とした上で体制を立て直すのか。はたまた、一旦バラバラになって、再編成と新秩序が生まれるのか。もしくは生き馬の目を抜くような群雄割拠の時代が訪れるのか。

‥‥どのような道筋を辿るかは予測しきれませんが、現在の「本数がたくさんある」状況が、未来への何の担保にもならないことは、私の経験からして予測できます。むしろ、現在の本数の多さは、「無差別な振るい分け」のプロセスであり、より一層の明暗が浮き彫りになるように思えるのです。

ネットのいろいろな統計の情報を眺めると、企業設立から5年で8割の会社が倒産する‥‥とか、10年後の生存率は5%‥‥とか、10年後に3割、20年後には5割が倒産する‥‥とか、数字がバラバラではありますが、いずれにせよ、多くの会社が維持困難に陥り廃業し、入れ替わるようにして多くの新しい会社が毎年生まれる‥‥ということなのでしょう。30年続いた老舗だって、決して安泰ではないことを様々な資料が示しています。新興の会社においては、推して知るべし。

大きな流れをいち個人では変えらえないのは事実。しかし、大きい流れに身を任すだけが能ではありません。母体の大小に関わらず、状況に慢心せず、常に推移を監視して、複数進行させている「どの軸を用いるのか」を判断して、状況の中で生き残っていくしかないのだと思います。

フィルム時代の末期を思い出してください。新しい技術ムーブメントを前にして、システムの終焉なんてあっけないものです。アニメ業界の旧来システムが盤石だなんて、今の状態をして、誰が言えるのでしょうか。実はそのことだけを見ても、未来に向けてやるべきことは見え過ぎるくらいに見えている‥‥と思うのです。

正念場と修羅場と糞地獄

あまりにも忙しすぎて、仕事量の濁流に溺れ死にそうになるような状況は、どんな現場でもあると思います。人はそれを「正念場」と言ったり、「修羅場」と言ったり、フルメタルジャケットではないですが「クソ地獄」などと呼んだりもします。

正念場。プラスイメージな言葉ですネ。今を乗り切れば未来が開ける‥‥とか、攻めて「勝ち」を取りにいくような時に、使われることの多い言葉です。正直、アニメ現場では「正念場」なんていう言葉をあまり聞かなくなったように思います。

修羅場。「修羅」なんていう言葉から、惨憺たる様相を連想します。大方、マイナスなイメージですが、「自分は修羅場を生き抜いたんだ」というある種の自負も含めて感じるので、マイナスの中にプラス要素も見え隠れする言葉のように思います。アニメ現場では、よく耳にする言葉です。苦しい今を乗り切っても、新しい何かがあるとは思えない‥‥というやるせない感情の中、今を生きていくために必要な闘いだ‥‥という逞しさも感じる言葉です。

クソ地獄。‥‥まさに神も仏もない、一筋の希望すら見えない状態を連想します。今を生き抜いても、同じ地獄が続くだけ。もしかしたら死んでしまった方がいっそ‥‥などと考えることすらあるかも知れません。マイナスもマイナス、プラス要素などどこにもなく、地獄さながらの状況を生き抜いても、何のプライドも達成感も得られず、どんどんダークな感情に落ち込んでいくだけ‥‥です。

アニメ業界には、上記3つとも存在します。私は過去30年の中で、どれも経験しました。これは必ずしも状況に巻き込まれるシチュエーションだけでなく、自身の感情や性向によって自らの内面側に生み出してしまうこともあります。

でも、どんな場合でも、解りきっていることは1つ。クソ地獄からだけは脱出すべき‥‥ですよネ。

クソ地獄だって1度くらいは経験しておいても‥‥なんていうのは、生還した人の言い草で、そのまま消えてしまうことだって往々にしてあり得る、危険な状態だと思います。ホントに、何もかもが無意味のように思えて、どんな励ましの言葉も皮膚でポロンと跳ね返ってしまうような状態は、超絶ヤバいです。それでも、腹は空くし排泄はするし眠りもする、体の生理だけが鬱陶しく、生きているのは生理現象の作用だけ。しかも金はどんどん消費されていくのに大した稼ぎは得られない‥‥。嗚呼、糞地獄。‥‥生活を改善するとか、良いところ探しとか、そんな甘っちょろい対応策ではなく(安全地帯に慣れきった周囲の人間はそのように言いがちです)、スッキリサッパリ、手荒い手段を使ってでも、脱出するしかないのです。

考え方の角度を変えれば、クソ地獄と修羅場の差は、命綱があるかないかの差‥‥とも言えます。地獄のような状況でも、命綱があれば生還できますからネ。じゃあ、何が命綱たり得るか?‥‥ということですが、それは人によってそれぞれ大きく違います。

20代中頃の私の場合は、幼い頃からのアニメへの憧れ‥‥でしたネ。シンプルですけども。

すごく細い、ミシン糸のような命綱でしたが、その糸の存在に気づいて、糸を手繰っているうちにクソ地獄からの出口に辿り着いたのです。いつ切れてもおかしくない細い糸でしたがネ。

今の私の命綱は、新しいアニメーションへの取り組みです。

新しいアニメ技法やシステムへの取り組みなら、どんなに忙しくても、それは地獄でも修羅場でもなく、正念場です。

今のアニメ業界になんとなく歩調を合わせて、なりゆくままに生きて行くしかないんだ‥‥なんて思ってたら、とっくの昔に絶望してます。それに、今の業界の破滅スケジュールがどんどん進行して、しかも自分はどんどんオジイさんオバアさんになっていくのだとしたら、絶望云々以前に、物理的に生活が破綻して心中するしかなくなります。

人間というのは、キモチに大きく左右される生き物だと思います。同じ肉体的負荷でも、その負荷の向こうに、プラスを感じているか、マイナスを感じているかで、大きく人は変わってきます。そして、当人を取り巻く未来も変わってくるのでしょうネ。

 

真実と嘘

真実を貫き通すのは辛く険しいことだ‥‥とはよく言いますが、別の面から見れば、真実はある意味「楽」なのです。嘘をつかなくて良いから。

真実はシンプルに、リニア(直線)で貫き通せば良いのですが、嘘は捏造のクオリティに波があるので、状況によって変動が激しいのです。

「なんだかんだ言っても、大丈夫。この先もなんとかなるよ」なんてことを、このブログで私がどうしても書けないのは、それがウソだと思うがゆえです。「なんとかなるよ」は業界的にはすなわち「問題を先送りにできるよ」ですから、「大丈夫ですヨ。この先も今までと同じように、問題を先送りにして生きていけますヨ」なんて、どうしても書く気になれないですもんネ。

ウソってさ、ウソを吐き続けなければ、いつかはバレるじゃん? でも真実はさ、別に何のフォローやリカバーも必要ないもんネ。

真実を貫き通したがゆえに、たとえ一時的に不利な状況や不利益を被ったとしても、やがてウソの波高が下がった際に真実が自然と浮き彫りになります。誰かが誰かを貶めようとして、罵詈雑言ネガティブキャンペーンを張ったとて、ウソが息切れた時に、「あれ、何かおかしいぞ」と周囲は勘づくのです。

よく言いますよネ。嘘をつくと、その嘘がバレないように、さらなる嘘をつくようになる‥‥と。

その点、真実はとても楽です。あるがままでいいんだもん。

例えば、私はここでよくApple製品の話題を取り上げますが、それは単純に使い易い製品がAppleには多いからです。使いにくいものを無理してサクラのように持ち上げるような嘘はツラいですもんネ。iPad ProとApple Pencilの使い方に慣れ、旧来のペンタブと比較して、作業効率が飛躍的に向上したことは以前にも書きましたが、どんなに長年Wacom製品を使い続けた経緯があっても、Wacom液タブとiPad Pro・Apple Pencilを比較した際の「実感に嘘はつけない」です。

コンピュータを使った色々な未来への取り組みにしたって、私が実物を使ってガチで実感していることを書いているだけです。できないものはできない、できるものはできる、ただそれだけの真実です。

また、各所の知り合いから耳にする現場の状況、そして自分が実際に作画や撮影監督などの作業を通して感じる実感、そして映像の技術の移り変わりを肌身で感じ、さらに自分の年齢に起因する様々な影響をも加味した時、「このままで大丈夫」なんて嘘はどうしてもつけないですよネ。

ただ、「嘘も方便」とは言います。つまり、方便程度にとどめておくのが吉。‥‥ということでしょう。

未来へ向かって進む、大切な舵取りにおいて、嘘は「大破綻」の引き金になることだってありましょう。先の大戦で日本人が国家ぐるみの嘘を経験し、今なお、その傷跡が体の奥底でジンジン痛んでいることを、忘るるべからず。負けているのに、勝っているなんていう嘘は、もうこりごり‥‥ですよネ。


calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< June 2019 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM