零戦と今

最近、自動録画されていたNHKの零戦の前後編のドキュメントを、前編を見逃していた事もあり、改めて、前後編通して見ました。率直な感想としては、日本人て今も昔も変わらないんだなァ‥‥と言う事です。

格闘戦により大空の覇者となった零戦は、大戦当初、米軍やアジア地域のイギリス軍に絶対的優位を誇りました。しかし、米軍により、零戦への対処法が編み出されると次第に劣勢へと転じ始め、パイロットの酷使も相まって航空隊の勢力も徐々に削がれ、後継機種も登場しないまま大戦末期まで最前線で戦い、最後は肉弾攻撃を実施するに至りました。その様は、まるで‥‥。

サムライが剣術とカタナの切れ味をどれほど自負しようと、自動小銃や突撃銃の支配する戦場では、精神面しか役に立ちません。零戦も、格闘戦に敵がのってこなければ、残るのは脆弱な機体強度と防弾皆無の丸裸のパイロットだけです。

メンタルとシステムを分離して思考できなかった悲劇を見る想いです。

10年前からさして進化のないテレビアニメの制作システム、新たなフォーマットたる4K8Kの捉え方、「デジタル作画」というスタンス。変わりゆく時代を掴めず、技術更新もままならず、新たな技術ムーブメントに対しても旧来のメンタルを覆いかぶせようとするさま。‥‥なんだ、零戦の足取りをそのまま、業界は踏襲するつもりなのか。

しかし一方で、戦後生まれの我々としては、アメリカが実践した零戦に勝つ方法も知っているわけです。‥‥本当に、歴史は良い先生ですネ。

ソート

人と人との繋がりは、短期的には「烏合」「呉越同舟」のような状態をとったとしても、時間とともに次第に合理的な様相へと変化していくものです。キザな言い方をすれば「人と人は出会うべくして出会う」という事ですが、これは運命とか奇跡とか言う次元ではなく、とても明快で単純な理屈で、パソコン的な例えで言えば、単に一定の条件で「ソート」されるからです。

各人が持つ様々なプロパティのうち、例えば映像制作のポリシーというプロパティでソートした場合、似たポリシー同士の人間がバブルのように浮かび上がり、グループの再編ごとに選り分けられ、固まるわけです。実際はもう少し複雑で、複数の条件でソートされますが、過去を振り返ると、バブルソートとクイックソートを組み合わせてソートしてきたような状況だったんだな…と思います。

私は実家が映像業界の関係者だったわけでもないし、何か強力なアイテム(例えば金の力とか)があったわけでもないし、自分の本意を曲げてでも権力者にへつらって取り入る才能に長けていたわけでもないので、まさに自分の意志と結果だけでソートされて現在があります。自分の属性が作用して、いくつものソートを経てきたわけですネ。

人との出会いや結びつきは、年功序列でも組織の階級でも肩書きでも年齢や性別や国籍でもありません。単に本人の強い意志が源です。何の後ろ盾もコネもないところからスタートした私の、強い実感です。

出会いも決して偶然ではなく、出会うべくして出会うものだと実感します。何かの目的をもって行動し「そこに行く」のであれば、既にその時点で「ソートされる配列の中に含まれた」事になり、その後、目的が重なる人々と結びついていくのです。

‥‥なので、途中で心が折れると、途端に出会う可能性や結びつきも消滅していきます。逆に、時間の大小の差はあれど、本人の意思と行動のベクトル通り、結びついていきます。

なので、私は「誰でも仲間」だなんて口が裂けても言えません。人は「結びつくべき人としか、結びつかない」と、25年以上の業界経験が物語っているのです。ただ、逆に高々25年でもあるので、最初から決め付けで判断すべきではない‥‥とも思っています。

もし運命が作用するならば、そうした出会いや結びつきが、「いつ」起こるか‥‥という事だけですネ。

アイホン

新しいMacOSX「ヨセミテ」はどうなったかな‥‥とAppleのWebをブラブラと眺めていて、ふと、iPhone6のページを斜め読みしてたら、iPhone6のデカいほうって、解像度が1920x1080もある事を知って驚きました。値段も凄くて、128GBモデルだと、99,800円! ‥‥‥私は当分、iPhone4Sでいきます。

401ppiの解像度を持ち、1920x1080を表示する携帯電話型の端末。何やら、凄い時代になってきましたね。手のひらにのる液晶画面がHDサイズの画素数を持つ一方で、40インチ前後のテレビで見るテレビ放送もHDサイズ。もはや、40インチに1920px程度の密度では「HD=ハイディフィニッション」とは呼べない雰囲気に、周りから固められてきてますネ。

iPad mini Retinaも、Kindle Fire HDX 8.9も、もはやHDサイズ以上の解像度を有しており、テレビだけが「ヌルく引き延ばした」映像に甘んじている状況‥‥と言えるかも知れません。

たまにテレビで放映しているアニメを見ると、解像度の低さに愕然とする事があります。A4用紙に150dpi前後のスキャン解像度、2値化トレス‥‥という制作基準は、どんどん時代の流れから遅れをとっている‥‥と、シンプルに映像を見て思うのです。

オールドとモダンを分ける最初のカギも、その辺‥‥かも知れません。「ブツ切りトレス線」を「大きく引き延ばして観る」スタイルに馴れて気にならない人々と、粗雑さを感じてしょうがない人々の間で、境界がやがて線引きされるように思います。

私はすぐ先の未来に、映像にもスケーラビリティが必要だと感じています。iPhoneが高密度パネルを有したからといって、絶対的な面積が小さい事には変わりありません。高密度パネルを有したiPhoneやiPadで映像を鑑賞してもらうなら、大画面テレビとは違う「別ディレクション」版をリリースしたいと思うわけです。「原版を作ったら、そこから色々なメディアに変換して」という考え方自体が、「映像を見るのは、映画館かテレビ」という旧い世代の「固着した考え」だと思うのです。ただ、今のアニメ制作方法だと、もともとの解像度が低く事実上不可能ですので、スケーラビリティを当初から想定した新しいアニメーション制作技法が必要になってきます。

iPhone6 Plusのスペックを見るにつけ、確実に変わりつつある「映像の常識」を感じずにはいられません‥‥ネ。

ネットブック

私は1台、「ネットブック」と呼ばれる小型ノートパソコンを持っています。買ったのは、2008年前後だったと思いますが、ほとんど使わないまま、現在に至ります。

ちまたでは、今や「ネットブック」という呼び名は「死語」となって久しい状況ですが、2008年当時に既に「ネットブックは早々に廃れる」と予言していたアナリストもいました。ネットブックの「性能が中途半端で、どんな用途にも役不足」な点を「廃れる理由」として挙げていましたが、私が購入後早々に使わなくなったのも、まさにその点でした。‥‥いや、ほんとに、早々に廃れましたネ。

それに‥‥やっぱり、ノートパソコンで3万円前後の価格帯って、キツいですよネ。様々な箇所にローコストの影響が出ていて、低品質ゆえの使いづらさが、いちいちストレスに直結しておりました。私の買ったのはEee PCですが、タッチパッドの出来が「安かろう悪かろう」で、パソコン操作の一番の基礎部分が使いづらいので、どうにも我慢できず、マウスは必需品になってしまいました。‥‥コンパクトさを最大の売りにする商品としては、本末転倒だネ。

ネットブックって、結局、「プア」な部分だけが浮き彫りになってしまって、小型高性能にも、バッサリ割り切った設計にも、成りきれなかったんですネ。

それでも私が、今でも捨てずにすぐに使えるようにしている理由は、「Linux」マシンとして存在理由を維持しているから‥‥です。私のEee PCはUbuntuをインストールしてありますが、HFSも標準でサポートするUbuntuのディストリビューションは、いざという時のデータサルベージに重宝するのですヨ‥‥。

なので、ほとんど使わないのは、わたし的には「良い」のです。私のEee PCの出番が来る‥‥という事は、何か深刻なトラブルが発生した‥‥という事なので‥‥。

 

ペスト

14世紀のペストの記事を読んでいると、東西の交易によってもたらされたペストが、やがて夥しい屍(ヨーロッパだけでも3000〜4000万人とも言われます)を積み上げた末に中世を崩壊させ、結果的に、新しいヨーロッパへと導いたようにも思えます。

悪魔・魔女裁判などに関連する猫の殺害(=ネズミが徘徊する)なども要因の1つとされますが、何よりも、上下水道などのインフラの未発達と旧時代の生活習慣が、ペスト大流行の原因だと思われます。つまりは、中世ヨーロッパにおいては、いつか大量死の引き金が引かれることは「宿命」だったのでしょう。

しかしながら、ヨーロッパで3000万人、全世界で8000万人とも伝えられる14世紀の大量死においても、生き残った人はいたわけです。

不吉な話‥‥ではありますが、アニメ制作の業界でも似たような事が起こるのではないか‥‥と感じるのです。20代のフリー時代に養った「勘」、もしかしたら幼少の頃から何となく身に付けていた「虫のしらせ」的な感覚で‥‥です。

これから先の近い未来、4Kの過酷な作画に耐えた人と、新しい作画習慣を身につけた人が、生き延びていくように思うんですよネ。インフラもままならない、作業費の見直しも棚上げした状態で、よりディテールの細かい絵をペンタブ作画で何千枚も動かす、厳しい状況に耐える人々、そして一方では、旧来の習慣を捨て新しいサバイバル能力を獲得し、新しい作画の概念で4K8Kの新世界にネイティブに順応していく人々。

中世でタフであった人が生き残るとは決して限らない。旧世界の強者も弱者も富者も貧者も、関係無く無差別に殺していく。それが新世界の特徴なのでしょう。

ペストがそうであったように、4Kの持つダークサイドは、人々を無慈悲にフィルタする役割を担うのかも知れません。

時計が出た

今日発表されたアップルウォッチは、結構前から予言されてた製品で、‥‥という事はどこかの誰かが内部情報をリークした‥‥という事ですね。アップルが時計型のガジェットを開発している噂は、結構前からネットで見かけましたもんネ。‥‥そんなこんなを考えると、アニメ業界の人々って、口が堅いスよね。例のジブリの件だって随分前から内側には流れてたのに、全然オモテには出なかったですもん。

アップルウォッチに関しては、スマートフォンの機能を使い倒している人ならば、魅力を感じるものなのかも知れませんネ。私はiPhone6が発表された今でもiPhone4SでiOS6、よく電池切れで放置してたりするくらいの人間なので、アップルウォッチに高い興味があるかと言うとビミョーです。ただ、お気に入りの登山用時計の電池が切れて久しいので、Mac/PCで管理できる時計があってもそれはそれで良いかも‥‥くらいには興味があります。あまり積極的に使っていないiPhone4Sだって、やっぱり便利なのは事実で、生活の一部と化していますもんネ。同じく、アップルウォッチが手元にあれば、それなりに生活に取り入れちゃうんだろうな‥‥とは予想します。「イノベーション」と呼べるまで私の生活がアップルウォッチで変わるとは思えませんが、確実に「あればあったで、使っちゃう」ガジェットだとは思います。



頻繁に外を走りまわる人にとっては、iPhone6やAppleWatchは魅力的なのかな。私はじと〜っと机にへばりついて、ものを作る商売なので、快活に動き回る「企業戦士」とは真逆のディテール。アクティブに動くのは頭の中がほとんどで、身体は運動不足が深刻なくらいに動かしません‥‥。‥‥なので、「室内で起こるイノベーション」をもたらす製品じゃないと、結構「隣町のお祭り」のような感じです。

‥‥で、やはりと言えばやはり‥‥、「放置プレイ続行中」のMac miniラインアップの更新はナシでした。昨日の時点でMac miniのアップルストアでの表示が「出荷24時間以内」になっていたので、「今回は無いだろうな」と思ってました。もしかしたら、ひっそりとクロック数だけ上がって、近々更新される可能性もありますが(アップルの更新パターンとして)、それも実際のところはインサイダーしか解らん事でしょうネ。

でもまあ、Appleに限らず、最近のデスクトップコンピュータは、派手な性能向上はご無沙汰です。ぶっちゃけ、ゴミ箱型のMac Proだって、見た目は斬新ですが中身とその性能は「見た目ほど」ではないですからネ。映像制作のプロ現場では、性能の小さな差が積もり積もって大きな差になりますが、一般家庭レベルではそもそも「積もり積もるような生産はしない」事がほとんどなので、iMacなどのコンシューマ向けのi7製品で充分です。40万円も出して個人が6コアのMac Proを買っても、その「対費用効果」は薄く感じられるでしょうネ。BTOでi7の最高速にしてメモリ満タン32GBにしたiMacはかなり速いですから(=「ジョバンニの島」の特殊撮影&グレーディングはそれで全て作業しましたしネ)

コンピュータ製品自体が行き詰まっているのかな‥‥。でも、家電業界でワサワサしてる4K8Kに対応(=高速な生産・運用)するならば、今のMac Proですら、性能が大きく足りてないですもんネ。しかしまあ、今までの10年間がたまたま「楽」(アニメ業界の映像スペックと比して)だっただけで、「マシン性能とやりたい事とのせめぎ合い」の状態にまた戻るのならそれでもOK。横ばいの現状が続いて「時間とお金の安売り」合戦を繰り広げて、「皆で貧乏になるのなら我慢する」という未来よりも、知恵を振り絞り、高い技術力を勝ち得たグループが、良い条件を獲得し頭角を現すほうが「苦労する甲斐があり」ますもんネ。

Mac miniの更新は、あるとすれば10月後半なのかな。‥‥小更新でもいいから、はよしてチョ。

第1志望‥‥

就職の話題が聞こえてくるシーズンになってよく思うのは、新人・新卒の人は、第1志望の場所に行かないほうが、結果的に良いんじゃないか‥‥と言う事です。遅かれ早かれ、若年の頃の理想や夢なんていうのは、ブチ壊れるんだから、第1志望のところにストレートに進んで、そこで決定的な挫折をするよりも、キャリアをある程度蓄積してから第1志望だった「本質」にカブりついた方が良い結果になる‥‥と、色々な出来事を見ていて思うのです。

だってさ、第1志望のところに行ったって、幻滅や失望は必ずあるもん。

しかも、自分の目標を「第1志望に合格する」なんて設定しちゃうと、受かった時点で「終了」じゃないすか。‥‥なんて、寂しい事だろうか。

希望する会社に入れないと自分の夢は実現できない‥‥なんて、「会社を買いかぶり過ぎ」です。むしろ、枠にハメられて身動きができなくなって、辞めていく人間が多いんじゃなかろうか。もしくは自分の夢とは裏腹に、「それ専用」の人間としてしか生きていけなくなったり。

私はそれこそ、「吹けば飛ぶような新人のフリーアニメーター」として第一歩を踏み出しましたが、まずは「自分に作業依頼が絶え間なく来るように、上手くなる」のが目標でした。会社とか作品とか、全然関係無く‥‥です。強力なコネがあったわけでもなく、親類のツテを頼ったわけでもありません。「次もお願いします」と言われるように努めて作業しただけです。裏技も隠しアイテムもありません。

自分の作業結果が周囲の興味をそそるものであれば、いやでも「周囲から評価される」ので大丈夫です。‥‥逆に、第1志望の会社に入っても、評価されずに埋もれる人も沢山いるのです。第1志望のところに進んで枠組みに組み込まれて頭角も現せずに失望して辞めるのと、着実にキャリアを積んで名をあげて「かつて第1志望だったところの人たち」と一緒に仕事をするようになるとの、どっちが良いんでしょうか。

新人の頃は作業そのものがままならないわけですが、新人が基礎的な技量を取得するには、第1志望の会社である必然性も無いです。基礎を覚えたら、後は自分の技術の発展に尽力すれば、放っておいても「周りは目を向けて」くれるものです。「無視できない技量」を勝ち得れば、自ずと、です。

第1志望か否か‥‥なんて、キャリアスタート時点の「お飾り」みたいなもんです。第1志望の会社に入れば、無条件に技量が上がるわけじゃないですし、要は当人次第なんです。

よく勘違いされる事ですが、「会社に入って、仲良しになれば仕事が来る」というのは大きな間違いです。どんなに仲良しでも技量が低ければ、仕事の依頼はありません。コネは「実技」によって形成されるのであって、「仲良しか否か」でコネができるのは「学生の頃」までです。だって、作品プロジェクトにおける責任職の人間が、単に仲が良いからと言って、重要な作業を依頼できるわけないじゃん? 技術を持ったもの同士が、お互いの技量を認め合う事によって、はじめて「コネ」が生まれるのです。

現場に入った事のない学生が、よりどころの1つとして「第1志望」を掲げるのは、状況としては理解できます。でも「決定的な要素では、まるでない」事も認識しておくべきです。‥‥何度も言いますが、第1志望に進んだからって、上手くいくとは「全く言えない」のですから。

私は「新卒で入社したまま、1つの部署で純粋培養される」事のほうが、「ものつくり」として危機感を感じます。その会社の流儀しか知らずに歳を重ねて、40〜50歳の頃にビッグウェーブが来たら、あまりにもツブしが効かずにパニック状態に陥るんじゃないか‥‥と。

そんなこんなを考えるに、アニメ作品制作のような「自分の芸を売る」のが根底にある職種は、最初から第1志望で思い詰めずに、むしろ遍歴を重ねたほうが、実は良いのではないか‥‥と、少なくとも私は思うのです。

バイク

前回、「20代の頃に色々な事を」みたいな内容を書いたのですが、色々な事をするには「足が長い」ほうが良い、つまり「移動手段の選択肢は広いほうが良い」のは、ちょっと想像すれば解ります。私は、周囲のフリーアニメーターの方々がバイクに乗っていた事に触発されて、22才くらい(20年以上前)の頃に初めて原付バイクの免許をとり、TLM50というバイクで走り回るようになりました。



「ギア付きなんて絶対無理」だと思っていた私が、TLM50のようなトライアル車にのるようになったのは、「当初買おうと思っていたビーウィズというオフロード寄りスクーターが生産中止だった」事と、「たまたまバイク屋に置いてあった」事の2つの理由です。
*2014年現在、ビーウィズ(BW'S)は新車としてラインアップに復活しております。

TLM50で本当に、色々なところに行きました。特に一緒に行動してたのは、故わたなべぢゅんいちさんで、ふたりとも金もないのに、毎週のようにバイクで遠方まで走り回っていました。ちなみにわたなべさんはKSR-IIというカワサキの80cc2スト小型バイクでした。遅い私のTLM50に、スピードを加減して走ってくれてました。

原付49ccで4.8馬力、山には弱いと言われる2ストエンジンのTLM50で、1日にいくつも峠を越え、イワナの塩焼きだけを食べて帰ってくる‥‥ような、およそ「観光」とは呼べないシロモノでしたが、逆にそれが良かったんですネ。観光にしてしまうと、情景が遠くなってしまってね‥‥。雑で乱暴で無計画だったからこそ、その土地ごとの光や空気をナマで体感できたと思います。また、バイクではなく乗用車だと、ガラス越しのスクリーン映写のようになってしまいますしネ。

峠道に入ると、木々が何十段もの「密着マルチ」(=用語が解らない人は「撮ま!」で調べてください)のPANのように変化し、独特の森林の空気に包まれます。日常の練馬区〜武蔵野市近辺では、決して体験できない情景です。走行途中でエンジンを切ると、風の音と車輪の空走する音だけになり、視界に飛び込むのは緑の木々のみ。長時間の走行でお尻は痛くなりましたが、かえがたい色々なものがありました。

その後、色々なバイクを乗り継ぎましたが、わたなべさんと一緒に走っていた頃、非力なTLM50で色んなところに行ってた頃が、一番充実して良かったのかも‥‥と思うことがあります。あの頃の体験〜記憶した情景の数々は、そのまま今でも様々な作業場面に反映されてます。

ちなみに、今は「オフロードバイクの冬の時代」で機種の選択肢が乏しい状況です。国内メーカーでは、トライアル車の市販モデルなんて皆無、50ccオフロード車も全滅、中型のオフロード車すら危ういです。スズキにおいてはオフ車全滅状態(2014年現在)で、新車でオフっぽいのに乗りたい人は「バンバン200」に乗るしかありません。スズキのオフ車はバンバンが支えておるのです。

50ccのオフ車が全滅の今だと、125ccの「KLX125」「D-Tracker 125」あたりが維持費が安くて手頃なところでしょうか。実車を街中で見かけますが、すごくコンパクトで、初心者でも手の内に収めて乗れそうです。パワーは10馬力ととりあえずは間にあいそうですし、シート高もオフ車にしては低めです。



写真だと大きそうに見えますが、意外に実車は小さく、まさにKLXシリーズ末弟と呼べる車格です。

また、ホンダの「グロム」は生粋のオフ車とは呼べないものの、オフ走行もこなせそうな雰囲気です。小さな車体に10馬力あるので、無難に何でもカバーできそうです。KLXと同じく125ccなので維持費も安いですしネ。



でもまあ、グロムで良いのなら、「クロスカブ」(110cc)でも良さそうな気も。



‥‥と色々と紹介しましたが、私自身、今はバイクが腐った状態でしばらく走行しておりません。また、乗りたいと思う反面、20代の頃ほど自由が利く身でもないので、もうしばらく我慢‥‥といったところです。

バイクで駆け回って色々な情景に触れるのなら、やっぱり20代に‥‥ですネ。

20代の強み

このブログでよく「20代の若い頃に色々とやっとくのがイイ」と書いていますが、それは何処かからの受け売りでは全くなくて、しみじみとした実感なのです。‥‥で、このような人目に触れる場所で文字にして公言しているのは、20代の頃に色々な経験をした人材が未来に必要になると考えるから‥‥です。

20代の頃は、40代の3〜4倍の時間が与えられて入るんじゃないか‥‥とさえ思えます。体力、吸収力、社会的責任のある程度の免除(=若くして経営者にでもならなければ)‥‥など、色々な要素が加味されて、20代の頃は「実効的な時間」が多いのでしょう。‥‥なので、色んな事が出来るのです。

私は20代の頃、原画を描いて、一眼レフで写真を撮って、音楽を作って、バイクに乗って、コンピュータプログラムを覚えて‥‥と、少なくとも現在の3倍はバイタリティがあったなぁ‥‥と思います。今、あの頃のバイタリティがあれば‥‥と、何だか健康補助食品の宣伝文句みたいな事をよく考えます。

20代の頃って、「種まき」「植樹」が豊富にできる時期ですネ。自分の事を振り返っても、その頃に植えた若芽が30〜40代に成長して色々な収穫をもたらしているのが実感できます。逆に言えば、20代の頃に蒔かなかったものは、その後も芽を出さないし、収穫もありません。ただ、自分自身の過去を俯瞰視して興味深いのは、決して「先物買い」的な感覚で計画的に行動していたのではなく、「これは自分には必要だ」という必然性めいた何かに引き寄せられて行動していた事です。「無駄かどうか」「後で役に立つか」なんて、小器用な計算などせず、「今の自分に必要だと思う」ことをやっていただけでした。全く仕事には関係無い事でも、「今、触れて手にしておきたい」という事を、本業の合間で実践していました。

40代になってよく思うのは、「無駄は無駄ではなかった」「遠回りで巡った地は、実は穴場だらけだった」という事です。20代の頃から「無駄を省く」「できるだけ近道を選ぶ」ような行動をする人も多いでしょうけど、私が思うに「20代だったら、反って、無駄足を踏んどいた方が良い」と思うのです。だって、30代後半や40代、50代になったら、無駄足なんて状況的に許されなくなりますからネ。無駄足で得られる「様々なメタデータ」は、20代だからこそ得られるもの‥‥なのです。「近道」ばかり選択してたら、目的のもの「しか」得られず、偶発的な収穫なんて皆無ですよ。

20代の頃に、1つの作業工程に徹して他には目もくれず、仕事の合間や余暇はただ漠然と気晴らしをするような生活を送ってしまうと、その後の人生はその行動の通りにセットされてしまうように思います。20代の頃の行動は、その後の人生に大きな影響を及ぼす‥‥のでしょう。

ですので、20代の頃から何か1つの工程の「職人」を目指すのは、実はかなりの「大きな岐路」だったります。普遍的とも言える職種・工程ならば、早いうちから「職人の道」もアリでしょうが、アニメの場合はちょっと危険ですよね。実際、フィルム撮影台は消えてしまったし、セル用紙や絵具も消え、コンプレッサーとハンドピースも消えました。アニメ制作の「普遍的な工程」って保証されませんよネ。人類の歴史とともにある衣食住に関連する職種とは、大きく異なるわけです。

コンピュータベースで映像を作るのが、現在、そして未来です。映像作品を発表するには、コンピュータを避けて通れません。どんなに鉛筆と紙が好きでも、原画をそのまま、美術館に展示するのでもなければ、必ずコンピュータを経由する事になります。フィルムではなくコンピュータが基軸となっているわけですから、当然、今後のアニメの作り方もフィルム時代の慣習を抜け、徐々に変わっていくでしょう。そんな中で「普遍の工程」なんて考える方が空しいです。

ということは、「特定工程のプロフェッショナル」という立ち位置は、危うい事になります。変遷していく映像制作に対し、「自分はxx工程のプロだ、職人だ」と言っても、「その工程自体が無くなりました」という事態に対しては無力です。「今度はどんな作り方するの? ああ、そう。じゃあ、そんな感じで今回はいこか」と「自分の中身のフォーメーション」を変える事が多くなるでしょう。その際に、20代の頃の種まきや無駄足・回り道が活きてくるのです。

「特定工程の職人では、これから先、マズい」と事態を察知した時には、既に遅し‥‥かも知れません。特定以外の立ち回りができない人生を、今まで歩んできてしまったのですから。

30代、40代と歳を重ねるうちに、人はどんどん冷えて固まっていきます。どんなに歳を喰っても、また熱して柔らかくすれば‥‥と思いがちですが、その「熱源」・エネルギーはどこから調達するのでしょうか。また、周囲の人々は「ガッチリと固まっていて欲しい」と願うかも知れません。責任の羽交い締め‥‥です。‥‥やはり20代の頃の、エネルギー保有量(端的に言って体力‥‥ですネ)も大きく、周囲からも束縛されず、冷えて固まる前に、様々な要素を自身に取り込んでおいた方が「合理的」「効率的」なのです。

温かい液状のゼリーにはいくらでもフルーツを混ぜ込めますが、冷えて固まったゼリーの中にフルーツをブチ込むのは如何にも無茶です。やっぱり、仕込みに最適なタイミングはあるんだな‥‥と、40代の今だから振り返って客観視できます。

20代の貴重な時間を、ネットを巡回して暇つぶししている場合じゃありません。いくら、奇麗な写真をネットで閲覧しても、それはその写真を撮った人の主観経由の結果物であり、自分自身の経験にはなり得ません。自分自身のからだでその情景の中に立ち、様々な情報を体内に取り込む事で、まさに「体験」として蓄積されるのです。ネットで見た写真はすぐに忘れるかも知れませんが、自身の体に刻み込まれた情景はいつまでも残り、ある時に映像制作の「表現」として発露する事でしょう。

でもまあ、どんなことを言っても、動く奴は言われなくても行動し、動かない奴は言われても行動しない‥‥のが、世の常ではありますけどネ。

18年間

海外での最終仕上げも終了し、いよいよ帰国と相成りました。現地でBaselightを自在に扱うグレーダーのパトリスは頼りになる存在でしたし、その他、特にトラブルが発生する事もなく終了できたのは、無事何よりです。

今作との付き合いは、遥か18年前のパイロットフィルム制作で、私がAfter Effectsを扱う以前までさかのぼります。その当時、私の使っていたマシンは、Quadra650とGatewayのPentium160MHz近辺のマシン。Photoshopは3か4の頃です。実装メモリは128メガバイト前後で、現在の16〜64ギガの状況と比べて、何倍になるのやら。‥‥色々、感慨深いものがあります。

思えば、その頃から今までの18年間は、長い長い移行期だったのかも知れません。私は本当に、紙に絵を描いて動かすアニメが好きでしたからネ。そんな私が、「絵を動かす本質」に立ち戻り、タイムシートをはじめとした様々なアニメ業界の技法と袂を分かつ決心をするには、幼少の頃からアニメに親しんだ同じ年月が必要だったのでしょう。

これから先の18年間、どのように進展していくのか。「イメージを実現する」小さなサイクルを繰り返して、不可能のように思われていた事を現実にしてきた過去を振り返れば、多少の紆余曲折があろうと、大体、思った場所に行き着いているように思います。ただまあ、私の年齢からして、最後の18年間になるとは思いますが。

 


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