20代の強み

このブログでよく「20代の若い頃に色々とやっとくのがイイ」と書いていますが、それは何処かからの受け売りでは全くなくて、しみじみとした実感なのです。‥‥で、このような人目に触れる場所で文字にして公言しているのは、20代の頃に色々な経験をした人材が未来に必要になると考えるから‥‥です。

20代の頃は、40代の3〜4倍の時間が与えられて入るんじゃないか‥‥とさえ思えます。体力、吸収力、社会的責任のある程度の免除(=若くして経営者にでもならなければ)‥‥など、色々な要素が加味されて、20代の頃は「実効的な時間」が多いのでしょう。‥‥なので、色んな事が出来るのです。

私は20代の頃、原画を描いて、一眼レフで写真を撮って、音楽を作って、バイクに乗って、コンピュータプログラムを覚えて‥‥と、少なくとも現在の3倍はバイタリティがあったなぁ‥‥と思います。今、あの頃のバイタリティがあれば‥‥と、何だか健康補助食品の宣伝文句みたいな事をよく考えます。

20代の頃って、「種まき」「植樹」が豊富にできる時期ですネ。自分の事を振り返っても、その頃に植えた若芽が30〜40代に成長して色々な収穫をもたらしているのが実感できます。逆に言えば、20代の頃に蒔かなかったものは、その後も芽を出さないし、収穫もありません。ただ、自分自身の過去を俯瞰視して興味深いのは、決して「先物買い」的な感覚で計画的に行動していたのではなく、「これは自分には必要だ」という必然性めいた何かに引き寄せられて行動していた事です。「無駄かどうか」「後で役に立つか」なんて、小器用な計算などせず、「今の自分に必要だと思う」ことをやっていただけでした。全く仕事には関係無い事でも、「今、触れて手にしておきたい」という事を、本業の合間で実践していました。

40代になってよく思うのは、「無駄は無駄ではなかった」「遠回りで巡った地は、実は穴場だらけだった」という事です。20代の頃から「無駄を省く」「できるだけ近道を選ぶ」ような行動をする人も多いでしょうけど、私が思うに「20代だったら、反って、無駄足を踏んどいた方が良い」と思うのです。だって、30代後半や40代、50代になったら、無駄足なんて状況的に許されなくなりますからネ。無駄足で得られる「様々なメタデータ」は、20代だからこそ得られるもの‥‥なのです。「近道」ばかり選択してたら、目的のもの「しか」得られず、偶発的な収穫なんて皆無ですよ。

20代の頃に、1つの作業工程に徹して他には目もくれず、仕事の合間や余暇はただ漠然と気晴らしをするような生活を送ってしまうと、その後の人生はその行動の通りにセットされてしまうように思います。20代の頃の行動は、その後の人生に大きな影響を及ぼす‥‥のでしょう。

ですので、20代の頃から何か1つの工程の「職人」を目指すのは、実はかなりの「大きな岐路」だったります。普遍的とも言える職種・工程ならば、早いうちから「職人の道」もアリでしょうが、アニメの場合はちょっと危険ですよね。実際、フィルム撮影台は消えてしまったし、セル用紙や絵具も消え、コンプレッサーとハンドピースも消えました。アニメ制作の「普遍的な工程」って保証されませんよネ。人類の歴史とともにある衣食住に関連する職種とは、大きく異なるわけです。

コンピュータベースで映像を作るのが、現在、そして未来です。映像作品を発表するには、コンピュータを避けて通れません。どんなに鉛筆と紙が好きでも、原画をそのまま、美術館に展示するのでもなければ、必ずコンピュータを経由する事になります。フィルムではなくコンピュータが基軸となっているわけですから、当然、今後のアニメの作り方もフィルム時代の慣習を抜け、徐々に変わっていくでしょう。そんな中で「普遍の工程」なんて考える方が空しいです。

ということは、「特定工程のプロフェッショナル」という立ち位置は、危うい事になります。変遷していく映像制作に対し、「自分はxx工程のプロだ、職人だ」と言っても、「その工程自体が無くなりました」という事態に対しては無力です。「今度はどんな作り方するの? ああ、そう。じゃあ、そんな感じで今回はいこか」と「自分の中身のフォーメーション」を変える事が多くなるでしょう。その際に、20代の頃の種まきや無駄足・回り道が活きてくるのです。

「特定工程の職人では、これから先、マズい」と事態を察知した時には、既に遅し‥‥かも知れません。特定以外の立ち回りができない人生を、今まで歩んできてしまったのですから。

30代、40代と歳を重ねるうちに、人はどんどん冷えて固まっていきます。どんなに歳を喰っても、また熱して柔らかくすれば‥‥と思いがちですが、その「熱源」・エネルギーはどこから調達するのでしょうか。また、周囲の人々は「ガッチリと固まっていて欲しい」と願うかも知れません。責任の羽交い締め‥‥です。‥‥やはり20代の頃の、エネルギー保有量(端的に言って体力‥‥ですネ)も大きく、周囲からも束縛されず、冷えて固まる前に、様々な要素を自身に取り込んでおいた方が「合理的」「効率的」なのです。

温かい液状のゼリーにはいくらでもフルーツを混ぜ込めますが、冷えて固まったゼリーの中にフルーツをブチ込むのは如何にも無茶です。やっぱり、仕込みに最適なタイミングはあるんだな‥‥と、40代の今だから振り返って客観視できます。

20代の貴重な時間を、ネットを巡回して暇つぶししている場合じゃありません。いくら、奇麗な写真をネットで閲覧しても、それはその写真を撮った人の主観経由の結果物であり、自分自身の経験にはなり得ません。自分自身のからだでその情景の中に立ち、様々な情報を体内に取り込む事で、まさに「体験」として蓄積されるのです。ネットで見た写真はすぐに忘れるかも知れませんが、自身の体に刻み込まれた情景はいつまでも残り、ある時に映像制作の「表現」として発露する事でしょう。

でもまあ、どんなことを言っても、動く奴は言われなくても行動し、動かない奴は言われても行動しない‥‥のが、世の常ではありますけどネ。

18年間

海外での最終仕上げも終了し、いよいよ帰国と相成りました。現地でBaselightを自在に扱うグレーダーのパトリスは頼りになる存在でしたし、その他、特にトラブルが発生する事もなく終了できたのは、無事何よりです。

今作との付き合いは、遥か18年前のパイロットフィルム制作で、私がAfter Effectsを扱う以前までさかのぼります。その当時、私の使っていたマシンは、Quadra650とGatewayのPentium160MHz近辺のマシン。Photoshopは3か4の頃です。実装メモリは128メガバイト前後で、現在の16〜64ギガの状況と比べて、何倍になるのやら。‥‥色々、感慨深いものがあります。

思えば、その頃から今までの18年間は、長い長い移行期だったのかも知れません。私は本当に、紙に絵を描いて動かすアニメが好きでしたからネ。そんな私が、「絵を動かす本質」に立ち戻り、タイムシートをはじめとした様々なアニメ業界の技法と袂を分かつ決心をするには、幼少の頃からアニメに親しんだ同じ年月が必要だったのでしょう。

これから先の18年間、どのように進展していくのか。「イメージを実現する」小さなサイクルを繰り返して、不可能のように思われていた事を現実にしてきた過去を振り返れば、多少の紆余曲折があろうと、大体、思った場所に行き着いているように思います。ただまあ、私の年齢からして、最後の18年間になるとは思いますが。

 

英語

そろそろ作業の終了する今回の欧米との合作に関しては、日本側プロダクションの担当制作陣が全員英語を喋れる事が、あらゆる場面で有効に作用しました。作品を実際に扱う制作スタッフが英語に通じているのは、とても心強かったです。‥‥私は子供の頃に9年間、英会話教室に通ってはいましたが、基本的には記憶はスッパリ抜け落ちています。スクリプトやプログラムの簡単な英文を用いたマニュアルは読解できますが、会話はまるでダメなので、あらゆる場面で制作諸氏に助けてもらいました。

とは言っても、いつまでも助けてもらう訳にはいかないですし、どう考えても今後の展開として、日本だけをターゲットにしてたら行き詰まるのは確実なので、基本的な英語力くらいは復活させないとアカンでしょうネ。読むだけならば何とかなりますが、英文を作ったり喋ったりするのはハードルが高いです。

今は作品企画上の絡みから、ロシア語とドイツ語をのんびりと斜め読みの気楽さで学んでいるのですが、英語は結構本気で取り組むべき言語でしょうネ。若い人は、たとえアニメ作品の制作者を志していても、英語だけは早期から学んでいた方が良さそうです。世に出たいと思うなら、なおさら。

私も「英語で困る日が絶対に来る」‥‥と思っていましたが、今、まさにソレです。作業においては、通訳の方が間に立ってくれるので問題ないのですが、日頃の生活での会話は片言になってしまいますネ。まあ、それでも最終的には何とかはなるのですが、会話はごく普通にストレスなく通じた方が良いですもんね。

もし新しいアニメーションの新しい現場を作れたら、週に1度の短時間でも良いから、英語の達者な制作さんに協力してもらって、スタッフ皆で英会話レッスンが出来れば良いな‥‥と思います。だってさ、日本にいると、全く英語を喋らずに済んでしまうから、必要だと実感してても優先順は最後尾になっちゃうんですよネ。



 

そろそろ終了

現在作業している作品が完成した暁には、遅いお盆休みがとれれば良いなと思ってましたが、9月のゲームショー合わせの作品を急遽作業する事になったので、のんきな事を言ってられない状況になりました。その他、作業量は少ないですが2本ほど作業が待機しており、11月にはまた新たなグレーディングの作業が予定されているので、お盆休みは10月までおあずけ‥‥になりそうです。

どんな作品でもそうですが、作品制作が終了する間際には、様々な改善点や改良点が見えてくるものです。今作で言えば、ログの運用の利点は大きな収穫のうちの1つでしたが、その運用にふさわしい大画面のチェックモニタを設置する必要性もひしひしと感じました。ログによって高画質を維持した運用ができた反面で、27インチ程度のモニタではどうにも細部まで見渡せず、ラボの大画面投影にて気付く箇所があったのは、何とも心苦しい限りでした。よく見かける大画面テレビを補助モニタとして代用する方法だと、致命的に入力解像度が不足しているので、映画の2K(1920px以上)が収まりきりません。40インチクラスで最低でも2.5Kを表示できて、かつ特性もフラットなディスプレイが欲しいわけですが、‥‥この問題はすぐには解決しそうもありませんネ。 メーカーの今後の4K対応に期待‥‥です。

ProRes4444による運用は高画質ながらも低容量でフットワークも軽く、作業の高速化にかなり貢献しました。いくら低容量とはいえ、Avidの圧縮コーデック(DNxHD)を使用していたら、おそらく至る所で問題が発生していたと思いますが、ProRes4444は惚れ惚れするほどオリジナルDPXと一致しており、運用におけるコーデック上の不安を払拭してくれるものでした。ただし、編集さん側の大きな理解と対応が不可欠なので、まだ一般的ではない運用‥‥とは言えます。
*9月にやるゲーム絡みの映像のフォーマットがちょっと不安ではあります。まさか、今でもAVI納品(昔はゲームムービーはAVIで納品する事が多かった)なんだろうか。AVIはもういかにも時代遅れ(最後の最後でわざわざ低い画質に落とす必要ないじゃん?)だから、勘弁してほしいんですが‥‥。

あとは、やっぱりファイル等の「命名規則は大事」という事をしみじみ実感しました。もう十何年も言い続けている事ですが、やっぱり名前の混乱は、作業の混乱に繋がり、スケジュールの混乱にも繋がります。名前をピシッと標準化できれば、コストの削減に確実に繋がりますネ。無駄な段取りや作業が減るからネ。大袈裟な話では全く無く、ファイル命名規則って、「当人の理性」ひいては「集団の理性」みたいなもんだよネ。

その他、映像表現面でも色々な収穫がありましたが、どんなに機材が発達しても映像表現に関わる人間こそが作品を左右するのだと言う事を再確認しました。実写の撮影、小道具、大道具、3Dのモデルやアニメーション、3Dのカメラ、エフェクト・グレーディング、編集‥‥など各場面で人の手が加わり、作品へと影響していきます。‥‥なので、機材も大事ですが、若い人材の能力をどれだけ高められるかで、今後のプロダクションの盛衰が大きく変わってくるのでしょうネ。

これから先、アニメに限らず映像作品の未来には、様々な展開があるとは思いますが、やはり「1作品ごと必ず収穫を得て、確実に未来の足場にして、前に進む事」が重要です。作品を「消化試合」のようにして発展せずに時を送るのは、「いつのまにか歳をとっていた」浦島太郎にもなりかねません。たとえ、社会システムの消費のベクトル上であっても、「何かしら」を未来につなげるべき‥‥です。

街のスナップ

日本と13時間も時差がある地で作業をしていると、日付の感覚が危うくなってきます。さらには、こちらの人々は朝8時から仕事が始まり夕方には切り上げるサイクルで、気候的にも夜8時でも空が明るかったりするので、体内時計もいつしかこちらのペースにハマっていきます。こうしてブログを書くと、日本の日時での投稿になるので、多少は感覚が戻るのですが…。

私ら作品スタッフが宿泊している周辺は、金融街のようなところで、近代的なビルが立ち並びますが、所々に昔のヨーロッパスタイルの建物が残っており、歴史の積み重なりを感じます。







少し離れた旧市街には、まさにディズニーの古いアニメに出てくるような昔の建物が並び、金融街周辺とはガラリと表情を変えます。








*移動中に撮影したものなので、見上げる構図ばかりですが‥‥。

食べ物は安かったり高かったりです。生鮮市場に出ていくと、トマトが特に安く、日本では考えられない安価(大きなバケツ山盛りで1000円とか)で売ってたりしますし、トマトの種類も豊富です。スーパーマーケットで目を引くのは、チーズの種類の豊富さとその安さで、日本で買う1/3〜1/5くらいの価格でウォッシュ系をはじめとした様々なチーズが買えます。一方、日本では安い肉の代名詞である鳥のムネ肉が2枚で600円だったり、卵が10個パックで300円以上したりと、何でも安いわけではないようです。ムネ肉よりモモ肉のほうが安いのは、日本的感覚からすると不思議です。

日頃は英語とフランス語が混ざった雑踏の中を移動する事が多く、相手も気を使って英語で喋ってくれるのですが、生鮮市場ではほとんどフランス語なので、数字すら聞き取りが出来ません。こちらは税がなんやかんやと20%くらい加算されるので、表示価格ではなくレジの電光表示で支払額を確認するのですが、市場の手渡しによるフランス語のやり取りだと全く額がわかりません。‥‥なので、10ドル超えの場合、20ドル札で渡しておつりを貰うのが面倒がないのですが、反面、どんどん小銭が増えていきます。ハウスキーピングのチップでは到底消費できない小銭の量です。

仕事のほうは順調で滞りなく進行しております。予定通りに数日後には帰国し、9月に入ってからはまた別の「急ぎ働き」の仕事が待っております。まあ、時差の方は、日本にいても「貫徹作業で周囲との時差が発生する」のはよくある事で、都合、「時差を直し慣れている」ので、特にボケる事なく通常に戻せるでしょう。
 

腕時計がない

渡航前に、ふと「現在使える腕時計がない」事に気付き、アマゾンのお急ぎ便で購入しました。「iPhoneで見りゃいいじゃん」とか言われそうですが、腕にくっついててサッと見れる「専用品」に比べて取り回しが鈍いので、腕時計のほうが私は好きなのです。以前使っていた登山用(私は登山をしませんが…)の時計は電池切れで動かないままなので、とりあえず、安い「間に合わせ」のものを買いました。

これです。

 

届いて現品を見たら、さすがに1480円のクオリティ。至る所に「安いにはワケがある」仕上がりになっております。特に爬虫類風の合成皮があまりにもチープ。黄色と赤しか安いのがなかったので黄色にしましたが、フェイク皮のレリーフが明るい黄色にそれはもうミスマッチで‥‥。いっそのこと、ハードルを下げて単色ベタのデザインにしてくれれば良かったのに。

海外作業期間だけ保てばいい‥‥と思って安物を購入したこともあり、時計の機能的には何も不満はないので、チープさをググンとアップさせているフェイク皮の部分にヴィンテージ加工を施しました。



色調を落ち着かせて馴染ませる事、フェイクというよりは「風味」に振る事で、根本的なクオリティはかわらないものの、チープさは多少落ち着きました。何だか、時計にもグレーディングしている気分。

ヴィンテージ加工は、いつものプラモ技術を応用‥‥というか、そのまま使いました。タミヤのエナメル薄墨で墨入れ&ウォッシング、同じくタミヤのウェザリングマスターで汚しを入れて、こんな感じになりました。もっと手をかければ、よりダークな世界観になるのですが、一時しのぎの品にそこまでしなくても良いということで、これで完了。

時計かァ‥‥。もういい歳なんだし、奇麗なヤツも1つは持っておきたいですね‥‥。

ジョバンニの島と生涯功労賞

「ジョバンニの島」のDVD/Blu-rayチェックをしたのは、たしか初夏の頃くらいでしたが、製品が8月あたまに発売開始されたようです。

特にBlu-rayのクオリティは安定しており、「ラッシュチェックルームからお茶の間へ」といったくらいに、画像が鮮明で、絵ににごりがありません。繊細なニュアンスもそのまま伝わる良ディスクなので、興味のある方は是非。

カナダのモントリオールの映画祭「ファンタジア国際映画祭」で、ジョバンニの島が「今敏賞」(!)と「観客賞」を獲得したらしく、何はともあれ良かったですネ。ジョバンニの島のような作品は、作品の主題からして、爆発的ヒットのような売れ方はしない類いのものですから、長期的スパンで息長く見守りたいです。短期制作・短期回収のような作品ばかりでは、良い意味でのブランド戦略は成り立ちませんもんネ。‥‥しかし何だ、製品の帯を見ると、受賞歴はハデですネ。
*実は、ひらめきを短期のうちに形にするケースもあるので、必ずしも時間をかけて丁寧に作れば良いとは限らないわけですが、現在の殺人的なスケジュール圧縮は決して「ひらめき」によるものではないので、ほぼ100%、品質を下げるベクトルに作用します。

ジョバンニの島では、私ら「グレーディングチーム」は、内容の難しい「撮影」カットと、全カットのグレーディングを主に担当しました。また、撮影作業前に事前にバンク素材を用意したり、撮影ボード(撮影処理の見本)も作成しています。西久保監督が我々の能力を把握しておられるので、色々な活用アイデアを作品制作において実行してくれたのです。

一方、押井監督は「生涯功労賞」とな。「生涯」とはこれまた中々。

ヒコーキ

渡航を前にして、あれもこれもと必要以上に準備に気を巡らす一方で、「片道13時間の海の向こうにあるイマジカ」と思えば、何だかスッキリと気持ちが落ち着きます。

しかし搭乗する飛行機を調べていて「Booking Reference」だの、日本の日常生活では耳慣れない用語を前にすると、やはり一抹の不安は残ります。「予約番号」みたいな意味らしいんですが‥‥。英語圏とフランス語圏のある国で、私が向かうのはフランス語圏の都市なので、それもまたどうにも‥‥。

私は飛行機が子供の頃から好きなので、フライトに関しては毎回変わらずワクワクしたキモチです。今回乗る「機材」も調べてみましたが、国際線はボーイング社の787-8型機、国内線はエアバスA320とA321のようです。私は旅客機にはあまり詳しくないので、色々と調べてみましたが、ボーイング787って最近就役した新型機(初飛行2009年・運用開始2011年)だったんですネ。787は新型ゆえに事故歴はエアバスA320と比較して格段に少ないようですが(運用期間が短いので当たり前ですが)、色々と開発テスト期間にゴタゴタがあったようで、地上の乗り物とはやはり異質なモノだと改めて感じました。

顔が可愛いのは、A320系のほうですネ。


エアバス・A320の横顔〜ふっくらしたマズルが可愛い

一念岩をも徹す」というのはまさしく‥‥で、私が20代の頃から心に思って行動し続けた色々な事が、色々な経緯を辿り、何だかんだと逐次、現実になっています。ほんのひと昔前では鼻で笑われたような事ですが。‥‥今回の渡航も、昔から「イメージ」していた中の1つです。

違う考え方をすると、私は「出来る事しかイメージできない」人間なんだと思います。「たまたま買った1枚の宝くじで1億円当たった」とか「誰も考えもしなかった儲かる商売」なんて全くイメージできないですが、「あの技術とこの技術とあの機材を組み合わせれば、こんな事ができそうだ」「複数の状況が絡み合うとどのように進展するか」みたいなイメージはどんどん膨らみます。「夢」というよりは「仮想」なんですネ。

なので、現時点、「プライベートで飛行機の楽しい旅をする自分」が全く想像できないところからして、恐らくその通りになるんでしょうネ‥‥。たまに仕事で飛行機に乗る事はあっても、基本的には地を這いながら、仕事万世で生きていくんだろうな‥‥。たまには旅行でもしてみたいとは思うのですが、少なくとも今は、旅行している自分の姿がリアルに想像できないのです‥‥。

日和見さん

問題提起して改善を実践しようとする人、新たな方針を打ち出す人などは、往々にして「大半を占める日和見層」からは煙たがられます。さらには、日和見さんたちからは、「今は穏やかなんだから波風を立たせるな」とすらハッキリと苦言を言われたりもします。

でもね‥‥、そんな日和見さんたちの言葉には、実は何のビジョンもなく、今さえ良ければイイという感情で満たされているのです。志をもって立ち上がった人は、そんな言葉にいちいちヘコむ必要はないのです。

日和見層の存在は決して無視してはならないものですが、一方で、日和見層には進路を決める意思も問題を解決する力も持たない事も忘れてはなりません。意思決定や解決力を持たない代わりに、進路を決め障害を取り除けば、日和見層が物事を安定させる働きをもつのです。

日和見さんは、まさに日の当たる温かい場所を好むのですから、太陽の移動によって、どんどん位置を移動していくわけです。ですから、日和見さんの意見も等しく、状況によって大変動します。そんな日和見さんの言動に、翻弄されるべきではないのです。思考のフィールドが大きく異なるのですから。

自分なりの確信を抱き、改善や新方針を実践する人は孤独になりがちです。「何て損な役回りを自演しているんだろう」と悔しく惨めな思いに潰されそうになる事もあるでしょう。しかし、そうした「何かに突き動かされて行動する事」は、やがて「似たような意思を持つ人々」と出会うための足取りでもあるのです。日和っていては決して訪れない、必然的な運命とでもいいましょうか。

意思を貫く人は、やがて同じく、意思を貫く人たちと、出会う事になるのです。

孤独を恐れてはならないのです。嫌われる事を悲しんでいてはダメなのです。むしろ、楽しむくらいでないとネ。

どんなに気を払っても、全ての人間に好かれる事なんて無理なんです。賛同する人間もいれば、拒絶し非難する人間もいて、当たり前です。

私は、自分の成そうとしている事がどれだけユニークかを測る尺度として、「困惑」「嫌悪」「アンチ」の様子を密かに楽しみにしています。日和見層が同意すればするほど、その事柄が予定調和でマンネリで古びている証明ですから、多くの人が同意するような場合は、逆に不安だったりします。周囲に流されず自分なりの価値観と直感で生きる人に同意してもらうのは、嬉しいですけどネ。

日和見層に惑うのではなく、活用するくらいの意気でちょうど良いのです。

‥‥まあ、何はともあれ、頑張りましょうよ。やろうと決めたからには。

沈黙の臓器

最近、業界の状況について、「このままではマズい」「限界が近づいている」「手遅れになる前に手を打つべきだ」‥‥のような話題を、以前より格段に多く、耳にします。

何だか「沈黙の臓器」〜肝臓の障害に近いような状況。

以下、製薬会社のコラムからの抜粋です。
 
肝臓は本来ある程度の障害を受けても、代償作用が働いて、元に戻ることができます。

このような肝臓の性質を「肝臓の予備能」と言っています。肝臓は予備能があるため少々の障害では症状が現われません。そのために肝臓は
「沈黙の臓器」
と呼ばれています。しかし肝臓の障害が少しずつゆっくりと進行していても、自覚症状はありませんから、気がついたときには手遅れになっていることが多いので、注意が必要です。

警鐘を鳴らしてきた人々は、既に2005〜2008年くらいから「ヤバイ」「マズイ」と言っていたはず。そして、その人々は自分の関連する部署で「耳障りの悪い事を言う厄介な人」として扱われてきた事も多々あるでしょう。「そんな事より、今をどう乗り切るかのほうが大事だ」と。

最近はツイッターでも色々と業界の問題点を吐露する文章を見かけますが、自覚症状が出てきた時点で「痛い」「辛い」「マズい」と言っても、もう遅いのかも知れませんよ。「1原2原」「3日で本撮を撮り切り」なんていう常識(病状?)が確定した後では、もうどうにもならんです。少なくとも私の見解では、「もう昔の体に戻る事はない」と考えております。

2008年くらいまで(スカイクロラの頃ですネ)はさ‥‥、私も頑張ってたんですけどね‥‥。新しいインフラ構築や問題点の克服に同調してくれないんじゃ、どうにもならんです。

業界というのは、ある種、1つの生命体のようなものです。養分を摂取し代謝を繰り返し成長する‥‥という性質において。

その生命体の健康状態が「人に黙っていられないほど」低下しているゆえに、各所から色んな「症状を訴える言葉」が出てくるんじゃないでしょうかネ。

製薬会社のコラムには、こう書いてもあります。
 
肝臓の予備能の一つに肝細胞は再生能をもっていることが挙げられます。例えば肝臓の1/3を切除しますと、残っている肝臓の細胞が増殖し、1〜2ヶ月後にはもとの大きさに戻ります。この性質があるために生体肝移植が可能になります。

うーん。患者は現アニメ制作システム(=アニメ業界一般)だとして、「ドナー」にあたる存在は何なのか。今の業界は生体移植して再生できる状態にあるのか、もはや症状が進行し過ぎて手遅れなのか。

ただ、確実に言える事は、「このまま行動すると必ず、寿命を全うせずに死ぬ」という事です。臓器への負担はそのまま、一方で代謝の不足した状態で何年持ちこたえる? 十数年後のアニメーターの状態はどうなっている? メカやレイアウト、さらにはエフェクト作画まで3Dに明け渡した人材の10年、20年後は? 作画後のスケジュールは今以上に圧縮される?

「今までのアニメの作り方」を愛しているのなら、そのアニメを作り出している「生命体」たるアニメ制作システムを「いたわって」あげないと。

もし望みを捨てていないのなら、すぐに手の着くところから行動すべきでしょう。ツイートはきっかけにはなりますが、実行力は何も保証されていません。血肉を払ってでも、未来の「生」のために自らの肉体をもって行動を開始したほうが良いのでは? ‥‥実際に行動を開始している人もいますが、極々少数ですよネ。

その「生」は、「再生」によって手に入れるものなのか、または、「新しい生命体」(新しいアニメーション制作システム)に遺伝子を継承するのか。

分岐のタイミングが刻々と近づいてきているように思います。どちらに進むかは個人の思うところに委ねるべきですが、どちらに進んでも「大変な事業」であることは変わり無さそうですネ。


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