本当のアナログ

生身の人間や、現実世界の物品を、「アナログ」と表現する人をネットの文字上でよく見かけます。しかし、私の周りでは「生身・現物=アナログ」という意味で使う人はほとんどいません。

 

なので、実際に「現実世界の何か=アナログ」との意味で使う人が多いかはナゾです。

 

ネットに記事やツイートを書く類いの人が「イメージしやすい」意図で用いるので、多いように錯覚しているだけかも知れません。ただ、ネットに感化されやすいのも人の常なので、記事やツイートを書く場合は安易に「アナログ」という言葉は使わないほうがいい‥‥とは、わたし的には感じます。

 

私の周りで、なぜアナログという言葉を使う人がほとんどいないのか‥‥というと、単なるイメージだけで「アナログ」だ「デジタル」だのと言葉を用いると、本当の意味で「アナログ」「デジタル」の言葉を使いたい時に混乱するので自制するのです。

 

現在扱っている信号はアナログかデジタルか‥‥とか、信号の経路においてどこからがアナログでどこからがデジタルだ‥‥とか、DAやAD変換時の精度が云々‥‥とか、作業場の会話の中で「アナログ」「デジタル」を使うので、「生身のイメージでアナログ」みたいな表現を使うと、ぶっちゃけ「紛らわしいし迷惑」でもあるわけです。

 

 

 

アニメ制作といえど、今やコンピュータやネットワークのチカラなしでは制作は成り立ちません。

 

どこがアナログ信号&データで、どこがデジタル信号&データかを、ちゃんと明確に把握できていないと、取り回しができません。取り回しとは、制作進行さんがブツを工程から工程へと伝搬するだけではなく、工程の内部まで及ぶ取り回しです。全行程における信号とデータの流れの「完全な把握」のことです。

 

アニメ制作者で、安易に「アナログ」の語句を使いがちな人は、

 

全行程のデータと信号の流れを意識したことが無い(=考えたことがない)

 

‥‥か、もしくは、

 

めんどくさいので、「アナログとデジタル」ということにしておく

 

‥‥と、さじを投げているかの、どちらかじゃないですかネ。

 

もしかしたら、

 

アナログとデジタルの対比で表現できると、信じ込んでいる

 

‥‥可能性もありますかネ。

 

 

 

アナログ信号は身の回りに溢れていますが、アナログデータ記録形式は日常生活では死滅状態です。私はカセットテープを今でも愛用しているので、カセットテープの磁気データが「最後に残された」身近なアナログデータですが、ふと部屋を見渡すとあまりにもアナログデータは身の回りから消えていることに驚きます。レコード盤もVHSビデオテープももはや部屋にはないです。

 

信号線の中のアナログ信号は今でも健在です。そこら中に存在してます。

 

iPhoneは「デジタル」を体現する基本アイテムのように思えますが、iPhoneで通話する時に音が出たりマイクで音を相手に伝えるのはアナログです。iPhoneの中にDA/ADコンバータ(DはDigital、AはAnalog)、そして空気の振動を入出力するスピーカとマイクが内蔵されているから通話可能です。

 

 

 

紙の書籍はどうでしょうか。紙の書籍は、いかにもアナログと言われそうな存在です。

 

この記事を書いててふと思いましたが、

 

文字という存在自体が、不連続なデジタルそのもの

 

‥‥ですよネ。

 

ABCDEのアルファベットは、それぞれA, B, C, D, Eと区切られ、その組み合わせで意味(=情報)を作り出しますから、完全にデジタルデータの仕組みを持ちます。

 

そう言った意味では、ひらがなカタカナもデジタルです。

*漢字の場合は、字に音だけでなく意味も割り当てられているので、何と表すべきか。1つの文字で何かを呼び表す「音」と一緒に「情報」も持ち合わせていますネ。

 

AとBの中間値はなく、AとBはきっぱり分けられていますよネ。アとイの中間も無いですよネ。文字で表現すること自体が、不連続で非アナログで、デジタルそのものです。

 

特にカナのように「音」を直接文字で表す方式はかなり「デジタルっぽく」、人間の発する様々な声をしきい値で区切ってデジタル化し、組み合わせによって様々な情報を記録します。英語の場合はカナよりもう少し複雑で、例えば「B」と「E」を合わせて「Be, ビー」という音と意味を作り出します。

 

日本語の50音(濁音までいれるともう少し増えますが)は、まさに50階調のデジタルデータフォーマットと言えましょう。マスで区切れる時点で、ほらもう、デジタルそのもの。

 

 

 

この50音の組み合わせは自由かつ文字数の長さも自由なので、濁音なども入れると、膨大なバリエーションを展開できて、情報〜データを記録できます。

 

もちろん、この論法ですと、西洋音楽の1オクターブを12音で分割する記譜法も、デジタルデータフォーマットと言えます。イメージやニュアンスではなく、真の意味で言えば、ですけどネ。

 

実際の演奏上は、シとドの間に割り切れない中間の音が混ざったりもしますが、記譜法上は12分割で「デジタル=非連続化」して表現し記録します。

*無段階で上昇下降する音を記譜上で表現する場合は、ポルタメントという用語があります。シンセサイザーにもポルタメントのオンオフがあります。

 

例えば、

「凄いものを見ちゃった!」

‥‥と言う情報を誰かに伝える時に、もしアナログの連続的な発音で伝えるならば、

「うわあぁぁぁ うひ〜〜 ウッホ、ウッホ、ウッホッホ!」

‥‥みたいな雄叫びになりましょう。

 

文字の発明は、コンピュータの発明の「発想の原点」かも知れませんネ。

 

 

 

少し脱線しましたが。

 

酒の席で軽い意味で「俺はさあ‥‥根っからのアナログ人間でさあ」と言うのは構わないと思います。アナログと言う言葉で伝えたいニュアンスも伝わりますしネ。

 

でもね。制作現場は酒の席じゃないです。他愛のない世間話のニュアンスを、現場のワークフローや技術的な話題に持ち込むのは、少々‥‥いや、かなりマズいです。

 

生身の人間の作業、紙の現物、鉛筆を、アナログと表現するのは、制作現場ではやめましょうヨ。

 

それにネ。

 

コンピュータを使って作業している人間だって、生身なんだからネ。

 

紙と鉛筆を使っている作業だけが「生身」「手作り」っぽい言い方をするのは、ものすごく傲慢で失礼なので、即刻止めて欲しいです。

 

 

 

もっと、アナログの本当の意味、デジタルの本当の意味を、色々と調べて理解しましょう。

 

現物がアナログ、コンピュータのデータがデジタル‥‥と区分けは、あまりにも素人臭い表現なので、プロの映像制作、プロのアニメ制作を自認するのなら、やめましょう。

 

じゃあ、どう言えば良いんだよ?

 

紙なら、紙。鉛筆なら、鉛筆。それでじゅうぶんです。それらをわざわざアナログなんて言い回す必要はないです。アナログという言葉をプロの現場で正式に使うのなら、本当の意味でのアナログ・デジタルの区分けにしましょう。

 

なので、「デジタル作画」も、「ペンタブ作画」で良いと思いますよ。使っている道具で名前をつければ一番わかりやすいです。

 

鉛筆で描こうが、運用上はスキャンすればデジタルデータなのですから、鉛筆作画・紙作画、タブレット作画と表現するのが、一番直感的だと思いますけどネ。

 

スラングなら構わないのです。そのスラングが正式な現場の用語として用いられることが問題なだけです。アニメーター同士の世間話ならスラングはOKでしょうが、制作技術の会議の場で「アナログ・デジタル」と連呼するのは、現場意識の幼さの象徴です。

 

 

 

実際に会う人を「アナログ人間」、ネットのモニター越しやテレビに映る人を「デジタル人間」‥‥なんて言わないのと同様に、私らの使う道具や技術も、本当の意味でアナログとデジタルを基本理解した上で、現場を再構築したい‥‥ですネ。

 

 

 


変えていくことを考えよう

「アニメ制作現場は内部での改善はもう限界なので、政治のチカラでなんとか」みたいな論調を、たまツイッターでみかけます。

 

内部での改善はもう限界‥‥とのことですが、改善や改革に本気で自分から取り組んだことがあるのでしょうか。単に傍観して、酷い状況を見聞きして悲観する。自分の身に降りかかっても、なんだかんだと受け流す。その繰り返しじゃ改善なんて、アニメ業界に限らず、何にだって無理です。

 

昔からホントに思うのは、アニメって自由な発想で、現実にはない奇想天外なストーリーを映像化することが多いのに、当の作っている本人たちはシステムや技術に対しては酷く保守的で、アニメを一意的に考え過ぎています。

 

アニメを作る技術に対して、不自由な思考のまま、しかも頭がカタい。

 

昭和の作り方を変えずに、線が格段に多くなって、動きも細かくなって、チェック基準も厳しくなって、そんな状態で5000〜10000枚も1枚ずつ描いて塗り続ければ、何をどうしたって「昭和レベルの単価計算」では作業者が破綻します。

 

アニメの作り方を一意的にしかとらえず、一方では成り行き任せで10000枚も細かい絵を作り続けるばかりでは、政治のチカラをもってしても救えないと思います。政治のチカラを買いかぶり過ぎているではないでしょうか。自分らとは別世界ゆえに、物凄い支援策が政治の世界のチカラで実践されると夢想しても、この金のない日本でアニメだけゴージャスに支援してもらえることは、普通に考えて想像できません。

 

こんな記事がありました。

 

東洋経済オンライン

●時給「1000円ぽっち」払えない企業は潰れていい

 

その中に、

 

 

‥‥という一節があります。アニメ制作の場合、アニメ会社というより、アニメ業界を言い当てているような一節です。耳が痛いのを通り越して、図星過ぎて怒り出す人もいるんじゃないですかネ。

 

一部の会社は、懸命に「社員」に関しては改善に取り組んでいますが、業界全体としては‥‥否定できない指摘ですよネ。

 

生産性が低すぎる

 

作画工程において、生産性を高める技術革新に取り組んでいる人は、どれだけいますか?

 

現在アラウンド50で発言権や決定権のある人は、むしろ‥‥

 

昔からアニメの作り方はそうだった

 

‥‥なんて言い続ける人も多いのではないですか。

 

生産性を新しい技術で向上しようなどとは微塵も発想せず、現代社会の技術進化も気にもかけず、「アニメの作り方を決めつけるばかり」ではないですか。

 

昭和のアニメ制作技術は人類普遍の定型プロセスではありません。いくらでも改善と改革の余地があります。

 

 

 

思うに、窮状を傍観して放置し続け、外部のチカラ頼みの論調に傾きがちな人って、

 

アニメ業界は変わらないままでいてほしい(金だけはいっぱい貰えるようになって)

 

‥‥と思っているのではないですかネ。実は「変えたくない」のです。変えたいのは「貰う金だけ」なので、新しい映像フォーマットなんて無用であり、A4用紙で150dpiで二値トレスでSDRのままで、未来も作り続けたいのだろうと察します。

 

「昭和」の時代をそのままに、お金周りだけ「令和」にしたいのが、一定のアニメ関係者の様々な文脈や流れから読み取れます。未来もずっと、昭和から継承した同じルーティンで作業し続けたいこと、‥‥言い換えれば、演出・作監・原画あたりを「聖域」にしたい主旨がクリアボックスの中身のように透けて見えるのです。

 

 

 

私は、昭和を終わらせない限り、昭和の悪癖も延々と引き摺ると考えます。

 

私は昭和生まれなので、特に実感をもてます。

 

2019年の9月の今、昭和はおろか、春に平成すら幕を閉じたではないですか。

 

新しい作画技術を取り入れることで、アニメ制作現場は、作業報酬を格段に改善しつつ4KHDRの未来にも生きていけます。昭和〜戦後に別れを告げ、新しい時代を生きる気概に満ちれば。

 

年長者こそ、新しいことに積極的になるべきです。

 

若い世代が、新しい映像や画像の技術を習得して使おうとしても、昭和生まれが「昔のままがいい」と阻むようでは、なんのための「年の功」なのか。

 

マーラーは14歳下のシェーンベルクの音楽について、こう語ったそうです。

 

「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう。私は老いぼれで、彼の音楽についていけないのだろう」

 

正しいか否かの言い回しは「語り口」としても、自分が馴染んできたものとは異質な何かが登場した時、「ありえない」「デタラメ」「インチキ」「気分が悪い」と拒否するだけが年長者の行動ではないことを、この逸話は教えてくれます。

 

私はまさにテレビアニメの申し子です。ベビーブームの中にいました。戦前戦中世代の大人からは新人類(軽く蔑視も含めて)などとも呼ばれ、日本のアニメの「子供向け玩具の宣伝役」待遇を、「映像作品」としての待遇に変えていった世代です。

 

私の世代は、当時の年長者の目からすれば、破天荒で荒唐無稽にも映ったはずです。新しいことをアニメにどんどん取り入れていきました。

 

その世代が、歳を喰ったら体力も行動力も衰退して気弱になって、保守的な立ち位置にばかり固まって、新しいことを嫌悪し、古いやりかたばかりに固執するのでしょうか。

 

もし、昭和40年代前後生まれの人間が若いまま、令和の今にアニメを作るべくタイムスリップしたら、「政治家の力をあてにしよう」なんて、いの一番に言い出さないでしょう。

 

なんとか、自分たちの力で技術改革を推し進め、どうすれば新しい社会と新しい映像産業と共に歩めるかを考えるはずです。

 

 

 

変えていくことを考えましょう。

 

自分たちの発想で、自分たちの行動力で。

 

他人をあてにしてたら、20代もあれよあれよというまに50代ですヨ。

 

キャラの髪の毛の中に目と眉が透けているだけで、生産効率がドカンと下がるような現場を変えていきましょう。

 

アニメ作りは一意ではないです。色々な技術バリエーションがあります。

 

2020年代は、自らを変えていくことが、キーワードとなりましょう。

 

生きるか死ぬか、大きな運命が託されているのですから。

 

 

 

 

 

オマケ:新しい技術の一部を、ちょっとだけ紹介(以前のブログから再掲)

クレーン(ドローン)やZ軸のカメラワークは、もう10年以上前にはスタンバイ状態でした。しかし、制作現場は旧式のタイムシートに固執するばかりなので、一向にアニメ制作には導入できませんよネ。新しいアニメの技術では、XYZの3軸はデフォルトです。

ベクタートレスも、まだあまりにもアニメ業界では未開過ぎます。私らは次のステップとして、Toon Boomにてベクタートレスの本格導入へと駒を進める所存です。

 

描けばどんどん炎になる「リアルタイムエフェクト作画技法」とかも、旧来のアニメ制作フローでは全く取り回せないです。After Effectsだからって、撮影スタッフさんに炎の作画をしてもらうわけにはいかないでしょう。After Effectsを作画のツールとしても認識できる、新世代のアニメ制作技術と意識が必須です。

 

CSVでシートを反映することもできます。さらには、昔から「複合クミ」として問題になる「眉と目が透ける処理」も、簡単なマスクワークだけで下の目や眉を透かすことが可能です。髪の毛に目を描き込んで作画しちゃうなんて、あまりにも面倒で不毛です。

 

 


夢の機材

コンピュータは、特にアニメを作ろうと思う人にとっては、まさに夢を叶える機材です。これは堂々とハッキリと言えます。

 

私は小学生の頃からアニメを作りたくて、中高生の頃にも自主アニメを作りたいと思ったこともありましたが、できるのはパラパラマンガ止まりでした。セルに色を塗って撮影台で1コマずつ撮影して‥‥なんて、とてもとても出来ることではありませんでした。

 

セル用紙のそれはそれは高いことと言ったら。

 

セル彩色用具を一式揃えるなんて中高校生では不可能でした。

 

透過台(ライトボックス)すらない。ガラステーブルが作画机。

 

トレスマシン? ありえないです。どこにあんの? そんな専門のプロ機材。‥‥そもそもセル用紙とセル絵具が買えないわけだし。何とか数枚だけセルを描いて塗ったとしても、オールハンドトレスです。(セル絵具は水性モデルカラーで代用)

 

撮影台。‥‥8ミリフィルムでコマ撮り可能なカメラがあると聞いたことがありますが、もはや購入の可能性は絶望そのものです。

 

 

色付きの自主アニメなんて、な〜んもできない。

 

個人では絶対無理。フィルムでセルで紙だったころは。

 

大学のサークルでセル&フィルムアニメを作っていた人もいるらしいですし、高校にアニメ部があってアニメを作ったことがある‥‥と聞いたこともあります。つまり、自費の機材じゃないわな。

 

商業アニメのセルアニメだけがアニメじゃない。砂絵アニメだって、人形アニメだってある。

 

学生の頃に商業アニメを作ろうとは思ってはいませんでしたが、キャラを描いて、色を塗って、動いたアニメを作りたかったのです。それに砂絵アニメだって人形アニメだって、1コマずつ撮れるカメラ自体が学生では入手困難でしたので、無理でした。当時は公衆電話の時代で、iPhoneで1コマずつ撮影するとか「未来のSF」レベルの話でした。

 

要するに、

 

不可能でした。

 

まあ、2000年代以前はネ。

 

 

 

2019年の今は、作れます。その気になれば、プロと同等の品質で。

 

コンピュータとタブレットを使えば、です。

 

有り体にいえば、iMacとiPadがあれば、個人規模で作れます。Adobe CCまであれば、最強でしょう。

 

 

 

40年前の子供時代の自分に教えてやりたいです。

 

1980年から40年経った2020年代は、個人でもアニメが作れるほどに、コンピュータが高度に発達するんだよ。

 

‥‥とネ。

 

アニメを作りたい人間にとって、コンピュータは夢の機材そのものです。個人でも集団でも、趣味でもビジネスでも、分け隔てなく、コンピュータはアニメ作りの環境を提供します。

 

 

 

本当に夢が溢れんばかりの、コンピュータ。

 

お金持ちの裕福な大人や子供以外でも、何らかのタブレットとPCがあれば、映像制作機材の基本装備は揃えることができます。

 

高い機材だけ買い集めてご満悦のナリキンを他所目に、iPadとMac miniとApple Pencilでいくらでも打ってでることができます。

 

高価なプロ用機材がなければお話にならなかった昭和や2000年以前とは大きく違います。

 

パーセプションとかリアリティとか、たかだかD1解像度の24〜30fpsの映像を再生して編集するだけで、どんだけ高い金がかかったのか。

 

2019年の今は、2000年当時の再生機材より遥かに高画質で高詳細のProRes4444コーデックを、Mac miniやiMac 5Kで4K再生できるのです。アニメ業界は今でも画質の低いDNxHDやロスレスアニメーション圧縮で作り続けているくらいで、むしろプライベート制作やアマチュアのほうがコーデックの画質が高いことすらあります。

 

自分の能力さえどんどん高めて磨けば、いくらでも自由に映像を作れます。公開して発表する場も、世界規模です。

 

 

 

絵が描きたくても貧困の末にパトラッシュとともに息絶えたネロのように死ななくて=諦めなくて良いのです。

 

昔、500万円出してもスタート地点に立つことすら難しかったことが、5万円で始められます。

 

一番安い無印のiPadを手に入れる。Apple Pencilを買う。アニメーション機能がさらに充実する新バージョンのProcreateをiPadにインストールする。学生のうちからどんどん描きまくって上達して、順次ネットに公開する。

 

学生にとっては5万円は大金でしょう。夏冬休みにバイトするなり、何かの交換条件で親御さんに頼み込んで買ってもらうなり(期末テストの成績がクラスや学年で上位何番以内‥‥とか)、お父さんお母さんと共有機材にするなり、とにかく絵を描いて絵を動かせるタブレットを手に入れれば、アニメは作れるようになります。

 

40年前は、何をどうしようと、絶対に無理だったもんな。金持ちのボンボンならまだしも、庶民の子供は絶対にアニメの自主制作なんてあり得ないことでした。

 

今は、タブレットをどうにかすれば、アニメもイラストも作って、しかも全世界に公開できます。

 

夢、凄すぎるでしょ。

 

 

 

プロでも同じです。

 

アニメ制作現場の人々は、分業制がカッチリ区切られていて、ぶっちゃけ、一人でアニメを1カットだけでも作ることはできません。「俺はアニメーターだから線画までしか描かない」‥‥というように、たとえ1カット3秒でも、アニメをゼロからフィニッシュまで作ることは難しいです。

 

でも、iPad ProとiMac 5K、何らかのドローソフト、After Effects‥‥くらいがあれば、能力次第で一人で短尺を作ることは可能です。カットアウトの技術をマスターすれば、さらに現実的になります。

 

 

 

このくらいの簡素な絵柄なら、数時間〜半日でゼロからフィニッシュまで作れます。

 

リグを細かく分ければ、より一層、自分の思うように動かせます。もっとこうしたい、ああしたいというのを、フィードバックできます。

 

40年前は、いくらプロの原画マンでも、動画と彩色と背景と撮影と現像と上映まで、ひとりふたりではできなかったでしょ?

 

今はできるんですよ。コンピュータがあるから。

 

もちろん、使う技術と知識は不可欠ですが、逆に言えば、技術と知識があれば可能だということです。

 

何度も繰り返し書きますが、どんなに技術と知識があっても、コンピュータが今のように発達する以前は、個人規模では不可能でしたからネ。

 

 

 

夢を叶える機材を、横目に眺めているだけじゃあ‥‥‥、どんなに技量があっても、幸運は近づいてきませんよネ。

 

制作集団〜しかもプロとして、アニメを作る我々アニメ制作者は、2020年代にどのようにアニメを作っていくのか。

 

アニメ制作のプロ集団として、どのようなアドバンテージを発揮すべきか、何がプロとアマを分けるのか。‥‥それはもはや、機材ではないです。

 

改めて何もかも棚卸しして、やるべきこととできることを数え直して、慣習や惰性を捨て去って、新しい思考へとシフトすることになるでしょう。

 

 

 

 


コンピュータへの甘え

動画彩色兼任の話もそうですが、思うに初心者や知識の少ない人は、コンピュータを「何でもできる道具」として捉えて、コンピュータに甘えてしまうところがあるように思います。

 

例えば、アニメの作画の経験が全くない人間が、

 

iPad Proとクリスタを買ったぞ。明日から原画マンになるぞ。クリスタがあれば僕もデジタル原画の原画マンだ!

 

‥‥と言い出したら、周りは止めますよネ。

 

「ズブの素人ができることじゃない」

 

‥‥と。

 

コンピュータのハードウェアとソフトウェアが「機能として」作画ツールを用意していても、専門の知識なしにプロになれるわけないです。作画に限らず、彩色をはじめとした他の工程も同じです。

 

ソフトウェアの機能と、実際の技術と経験は、切り分けて取り扱うのが、何よりもの基本です。

 

例えば、作画に限らず、コンポジットの作業も受注しようと思うのなら、当然コンポジットの知識は不可欠です。Adobe CCをインストールしてあるだけで、色んなプロの仕事が可能になるわけではないのは、お判りでしょう。

 

「可能になる可能性」をコンピュータが提供してくれるだけで、コンピュータさえあれば無条件に可能になるわけじゃないです。

 

 

 

コンピュータって、昔から、「何でもやってくれると思われがち」「甘えられがち」「過度に期待されがち」なところがあります。

 

どんなに高額なコンピュータや機材を購入して所有しても、使う本人の能力はどうしても問われます。使いこなしてこそ、高額なコンピュータもそれに応えます。

 

コンピュータを所有したところで、誰もがクリエイターになれるわけではないです。

 

コンピュータは、当人の能力を拡張する「かけ算」のような存在です。

 

10x10は100になりますが、0x10は0です。

 

 

 

そんな夢のないことを‥‥とある人は言うかも知れません。

 

いえいえ、夢に溢れてますよ。

 

もし、自分の能力を育てて、0を1に、1を3に、3を12にすれば、それぞれ、10を掛けて拡張すれば、10, 30, 120になるのですから。

 

自分の能力次第でコンピュータは自分の実行能力を、何倍も何十倍にもしてくれます。昭和のアニメーターができなかったことが、平成、そして令和のアニメーターは実現できる可能性があるのです。

 

夢だらけじゃないですか。

 

 

 

コンピュータはある意味、冷徹で非情で残酷です。何も持たない人には、何も持ち上げて拡張してくれません。

 

どんなにコンピュータにお金を使っても、当人の能力が低ければ、コンピュータは「お前では、私を使いこなせまい?」と当人の才能の欠如ばかりを突いてくるでしょう。

 

でも、そのクールさをもって、何かを持ち得た人には、何倍もの拡張を実現してくれます。考え方によっては、怖い存在です。

 

メフィストフェレスのように、最後はファウストの命を奪うかも知れません。まあ、そもそも絵で人間を描いて動かそうとするあたり、ファウストの創りしホムンクルスの如きですしネ。

 

そうした特性をよくよく理解し、コンピュータと契られ給へ。

 

 

 

コンピュータに甘えても、無経験の専門作業ができるわけではないです。「クリエイティブ・エコノミー」分野ならなおさら、当人のクリエイティブが求められます。

 

むしろ、コンピュータは、ロデムやロプロスやポセイドンのように、頼もしいしもべにして、地と空と海を駆け巡りましょう。

 

 

 

 


専門職の品質基準

動画スタッフさんが、彩色作業を兼任して受注する場合、前々回にも書きましたが、「プロの彩色スタッフと同等の作業品質を満たしている場合」に限られるでしょう。もしその条件をクリアしているのなら全く問題はないですが、複数の方々から、デジタル動画兼任の仕上げ上がりは、塗りミス、はみ出し、塗り残しが多いと以前聞いたことがあります。彩色のプロスタッフの作業上がりと見分けがつかないくらいの品質を実現しなければ、外注〜アウトソーシングとしての彩色兼任は現実的には中々難しいように思います。

 

専門の知識と経験があるからこそ、まさに専門職なのです。

 

つまり、作業経験を積んで、専門の知識を体得すれば、どんな役職も兼任できます。

 

実際、少人数の内製化を果たして、各スタッフが何役もこなして、一人の人間を役職に束縛しないで、効率化を果たしている‥‥という成功例を聞いたことがあります。成功して、ちゃんと完成できれば、誰も文句は言わないでしょう。

 

内製化の利点を活かして、制作集団内部でエラーとリトライの自己同期が果たされれば、どんどん集団のポテンシャルは向上するでしょうし。

 

 

 

内製化では済まない、アウトソーシングの関係性において、デジタル動画が兼任した彩色作業に色々なテクニカルエラーが散見されれば、仕上げ検査の人だって黙って見過ごすわけにはいかないでしょう。

 

おそらく、動画経験オンリーでは見過ごしがちな、彩色作業上の色々な技術的な未熟さが、そのまま修正されずに次の工程へと渡されて、色々と障害が発生しているんじゃないですかネ。「作業上がりが酷い」となれば、問題にもなりましょう。

 

 

 

ひとり何役‥‥というのは、決して悪いことではないです。私は以前から、アニメーターにしろ、彩色スタッフにしろ、コンポジター(撮影スタッフ)にしろ、未来は色々な役職を兼任して、収入のバリエーションを増やすべきと考えていますし、そうした「ジョブ型」システム(=フロー型ではなくジョブ主観のシステム)も作ろうとしています。単価・作業費アップだけに頼るのではなく、そもそもできることを増やそうというわけです。

 

「専門職としての作業品質」です。そこが何よりも重要。

 

 

 

ソフトウェア上でペイントも可能だからといって、彩色のプロ経験もない人が、塗り残しや塗りミスを頻発していて「作業アップしました」なんて、生粋の専門職の人々が怒るのも当たりまえです。

 

彩色を兼任するなら、彩色のプロと同等の品質を実現すれば、誰も文句は言わないし、言えないんじゃないですかネ。

 

 

 

自主制作はともかくとして、対価が発生するプロの仕事については、作業品質が問われるので、多くの場合は「餅は餅屋」ということになるのです。

 

餅は誰が作ろうと自由です。餅の中に髪の毛が混ざっていた!‥‥なんてことなく、ちゃんと「餅として売り物にさえなっていれば」‥‥です。

 

 


彩る仕事

何やら、「動画単価は安いから、彩色も一緒に作業して単価を上げる」みたいな話を、随分前から聞きます。

 

え? 計算できない人なの?

 

動画の作業費と彩色の作業費を合わせれば、当然ながら合計額は増えます。

 

そういうのは、「単価が上がったとはいわない」でしょ。合計額が上がっただけでしょ。‥‥マジで、計算ができない人の言い分だよな‥‥‥‥。

 

動画の単価・作業費を上げるのなら、動画だけの作業で上げることを考えましょう。他の作業も追加して仕事を増やして「単価を上げた」と言い張るなんて失笑にもほどがあります。

 

 

 

私は、以前からこのブログでも書いているように、彩色の仕事は、彩色のプロがやるべきだと思っています。

 

数々の作品経験に裏付けられた、作業の「品質」「精度」が段違いに優れていますから。‥‥私は自費の自主制作でもない限り、彩色を自分でやることはありません。自費の開発研究自主制作だって、本当は知り合いの色彩設計さんに頼みたいところです。

 

色彩設計さん、彩色スタッフさんは、それこそ毎日、彩る仕事をしているのです。

 

線画描きがにわかに、ソフトをちょっとイジってみたからって、太刀打ちできるわけないでしょ。普通に考えてわかるはず。

 

 

 

またこれも、以前から書いていることですが、色彩設計さんには衣裳デザインも担当して欲しいと考えています。もちろん、衣裳デザインの報酬は別途、ですよ。

 

色彩と組み合わせて、最適な衣装を考えられるのは、色彩設計さん以外に思い浮かびません。もしくは美術監督さん。

 

なので、将来的には、色彩設計さん兼衣裳デザインさんには、iPad Proを供給して、日頃からデザインと配色をイメージしていただけるよう、制作現場を整備したいと構想しています。

 

 

 

彩る仕事、なのです。

 

私はこのブログでは彩色の仕事のことをほとんど書きません。なぜなら、私は彩色をプロとして作業した経験がないので、知った口を叩くわけにはいかない‥‥と思うからです。

 

しかし、色彩設計さんや彩色さんは、ものすごく頼りにしています。彩る事を毎日のように考えて作業している人に、まさに仕事をお願いしたいのです。

 

色だけではありません。線の成り立ち、線の最終ルックに関しても、彩色スタッフさんは重要な役どころを担っています。

 

色と線を扱う、数々の経験と知識があるがゆえに、様々なケースに対応し、しかも作業の手がとても速いです。

 

 

 

もし彩色作業を、動画スタッフさんが兼任する場合、当然のことながら、彩色の本職の人と相応の技術を有している場合のみ、です。

 

‥‥嫌な話を聞いたことがあります。

 

簡単なマスク塗りだけ「デジタル動画」で塗って仕上げ料金を請求、塗るのに手間がかかるキャラのセルだけ彩色スタッフさんに押し付けた‥‥みたいな、とんでもなく酷い悪質な事例。

 

あ〜あ、こんなことをしだしたら、「デジタル作画」もおしまいだな‥‥と思った次第です。極めて稀な悪質な例‥‥だと良いですが。

 

 

 

まあ、とにかく、私は今後もアニメ制作に関わり続ける以上、色彩設計さん・彩色スタッフさんに色彩関連をお願いし続ける所存です。そして衣裳も。

 

「映える色」を「絵のチカラ」にするためには、やっぱり、「色のプロ」に頼みたいですもん。

 

 


未来は。

4Kはとかく解像度ばかりに目がいきがちですが、アニメ業界的に何よりも重要な点は、4Kをきっかけにして今までの現場の体質を大幅に改善できることです。

 

4KHDRでアニメを作ることは、単にペンタブを導入して画像ファイルの寸法をUHDに合わせるだけでなく、4Kで作るために「作画受発注の1番の元凶」だった「作業報酬のあまりの低さ」が根本から見直される点にあります。

 

制作現場にとっては、何よりもソコが重要なのです。

 

4Kなんて過剰なスペックだ、4Kなんていらない、アニメは今の解像度で十分。‥‥つまり、そういう論調は、回り回って現実として、作画のあまりにも酷すぎる作業単価をそのまま黙認して未来も作り続けろと言うのと同じなのです。

 

2Kの今の時点でも、相当過酷です。

 

女の子を可愛く装飾するために、髪の毛3色ぬりわけでノーマルと影色、ハイライトを足して、合計7色、目の中には様々なディテールが描き込まれ、髪の毛の中は透けて目が描き込まれている‥‥と、その過剰な線の多さを1枚200円ちょいで動画を描く時代です。可愛いキャラのアニメに関わろうものなら、そのディテールの多さから、出来高でカウントしたら散々に低い報酬額にとどまります。

 

「今のままの単価で作り続けろ」とは言ってない。いつか改善したい。

 

‥‥と言うのでしょうが、じゃあ、それはいつ? そして、おいくらに改善するつもり?

 

「いつか」とは、実質的には永遠にやってこない未来

 

‥‥です。憂慮するふりだけみせて、今の制作体制に従順に加担するだけ‥‥なんて、まだ続けるのでしょうか。

 

憂慮する人、「いつか」と言う人は、単価や報酬が「ちゃんと見合う」ように、何かしら向上する取り組みや改善活動をしてますか???

 

ツイートするだけじゃ現場は変わらんのですよ。

 

 

 

タブレット完全移行と4KHDRとハイブリッド作画。この4Kとカットアウトの組み合わせ以外に作画の現場の改善案を思いつきません。

 

紙で2Kで数千数万動画枚数の作画方式は、既に「今までその金額で作ってきたよね。今後も同じ金額で続けてくれ。」と言われてしまう過去の前例を、各社各人、夥しく大量に作ってしまいました。2Kはもう手遅れです。2Kで作り続ける限り、カットアウトでも従来現場の状況は挽回できません。

 

 

 

正直、私は今、カットアウト作画技術を有する作業者がいなくて、酷く苦労しています。物量のプレッシャーに押しつぶされそうになります。

 

しかし、それでも乗り越えようと、気概は充分にあります。だって、その先には未来があるからです。

 

カットアウトを扱えるアニメーターが日本にも増えたら、状況は大きく改善できることを確信しています。カットアウトで作画部分の70%を賄いつつ、残りの30%を旧来技術で作業する作画スタッフには、格段に向上した報酬額を設定できるでしょう。効率の良いカットアウトと技術蓄積に優れた従来技術のハイブリッド方式なら、未来のそろばんも弾けます。

 

そのためにも、今は事例を増やすことに専心します。

 

 

 

逆に。

 

今までの何千何枚枚と描く旧来技術だけで4Kでやろうものなら、確実に破綻します。お金も時間も手間も、何もかも足りなくなるでしょう。これはキッパリと予告・予言できます。4Kの動画単価を今までのテレビの単価で引き受けたら、それはまさにアニメ業界の「終わりの終わり」を意味します。最悪最凶(最狂?)の業界に成り果てるでしょう。

 

私はそんなこと=旧来技術だけで4Kに取り組むことは絶対にオススメしません。新技術と4Kはペアで導入するのが必定です。

 

 

 

今後のアニメの制作現場、およびアニメ産業について、未来をどのように思い描いていますか?

 

2Kの現在においても、色んな状況を目にしますし、実際に過去に関わったこともあります。

 

後動検、二原動仕、拡大作画の乱発、仮本撮、複合組み・多重組み、ゼロ原から4原、一話につき十数人もクレジットされる作画監督。

 

これらはみな、明るい未来の希望を感じる、発展性の豊かな現場が取り入れたことでしょうか?

 

私はそうは思えません。どんどん、なし崩し的に作業体制が変質したに過ぎないでしょう。この流れのまま、いつしかまともに制作現場を運用できる人間が僅かになって、自滅するように思うのです。

 

自滅して消え去った産業は他にもありますよネ。

 

 

 

自滅したい人間なんていないはず‥‥と思います。ヤケクソにでもなっている人以外は、未来も生き続けたいと考えるでしょう。

 

だったら、生き続けるため、作り続けるために、考えて考えて、たとえ最初の一歩は小さくても、実践しましょう。私の4Kの取り組み開始は、2014年当時の10万円のMac miniとA4の廉価スキャナとAdobe CCでした。

 

「できる手応え」を自分・自分たちで掴むほか、きっかけは得られません。

 

他者が手を差し伸べるにしても、自分たちで作り出す未来の可能性の発露は必要です。そもそも当人が諦めて見込みのないものに、他者は関わろうとしません。

 

当人が可能性を見出して、何らかの結果物を成すからこそ、その次、そしてまた次へと繋がっていくのです。

 

 

 

どうせできるわけない、どうせダメだ、どうせ無駄だ‥‥なんて言い続ける人は、死ぬまでそう言い続けていれば良いのです。そんな「ダメ、無駄、不可能」を思考のベースにしている人と、未来に一緒に仕事しようと思うのなら、ご自由にどうぞ。

 

私は、できそうだ、やってやれないことはない、うまくいく方法はある、扉の鍵は必ずみつかるはずだ‥‥と思う人々と、一緒に仕事をしていきたいです。

 

 

 

 


思い立ち

思いつくことは、実現できる可能性が高い。‥‥と、私は経験上でしみじみ感じます。

 

逆に言えば、思いつかないことはできません。

 

普通に考えて、自分の脳内で想像できないことは、やらないし、できないですよネ、

 

しかし、想像できることは、できそうな予感がします。さらには、今の時代を生きる世界のどこかの人間は、同じことを考えていて、それが「同業者の共時性」みたいな状況となります。

 

10年以上前に、カットアウト(当時はそうは呼んでいませんでしたが)に取り組み始めて、個人所有の性能の低いPowerMac G4で格闘していた頃、海の向こうの欧米で会社規模で作ったカットアウトの短編を観た際、「‥‥やっぱり、同じことを考える人はいるよな。だって道具はあるんだもんな。」と驚くと同時に、日本のアニメ業界の「内弁慶」な状況に悲観したものでした。日本は個人規模の研究、あちらは着実に会社規模でコマを進めてビジネスの機運を伺っており、日本はいつも「こうなんだよな」と悲しくなったのを思い出します。

 

でもまあ、日本人の特性を恨んだところで何のプラスにもなりません。夜はなぜ暗いんだ!‥‥と叫んだところで昼になることはないです。合理性や先進性よりも精神性を重んじる「お国柄」を嘆いたところで、アニメ業界がどうこうなるものでもなし。

 

むしろ、「思い立てた」こと、「想像できたこと」を純粋に喜ぶべきでしょう。「できそうだ」と発想できたことを、今までの経験の積み重ねゆえと、感謝すべきです。

 

 

 

ただ、人間の人生は短いです。思い立ったことを全て実現して完成させられるほど長くはありません。

 

また、人間には「旬」と「熟成」ともいうべき、「実行するには良い時」が確実にあります。思い立ったら吉日とは、昔の人はよくいったものですネ。

 

人生100年の時代とは言われますが、その100年の間の時間は等価ではありません。楽器や絵画を覚える時、身体能力を身につける時、思考能力を身につける時‥‥と、自分の中の「最適」な「旬」の時期は確実にあります。「旬」を逃すとうまくいかないことも多々あります。

 

しかし、「旬」を過ぎても、実は「熟成」の時期が一定期間の後にやってくるので、その時も「チャンス」なのです。

 

そして、自分の中の多様な要素は、それぞれ旬と熟成の時期が時間差で波状で到来します。春に咲く花もあれば、冬に咲く花もあり、夏野菜もあれば、秋野菜、冬野菜、春野菜もあります。唐辛子は収穫したのちに熟成させることで旨味と辛さが増す‥‥そうですヨ。

 

 

 

一番マズイのは、

 

26歳の時に、「自分が16歳の頃にやってみたかった‥‥」と後悔し

36歳の時に、「自分が26歳の頃にやっておけばよかった‥‥」と後悔し

46歳の時に、「自分が36歳の頃にやるべきだった‥‥」と後悔し

56歳の時に、「自分が46歳の頃にやらずのままだった‥‥」と後悔し

結局、自分自身の無難路線の枠から一歩も出ずに、66歳を迎えて「自分の人生は何だったのか‥‥」と呆然とする

 

‥‥ようなことです。後悔が10年ごとに繰り返される人生。

 

過ぎ去った時間に未練だけが残り、結果に後悔してばかり‥‥という状況は、まるで自分が乗るべき電車を間違えて、予定とはまるで違う場所にたどり着いて途方にくれるが如く‥‥でしょう。その時々の自分の「旬」と「熟成」を懸命に見つけようとしなかった結果を受けて、さらに今の自分の「旬」を見失う最悪のループ。

 

もし電車を乗り間違えたのなら、見も知らない場所で、逆に何かを獲得すれば良いのです。

 

皆が同じレールで同じ目的地に向かっているのですから、考え方によっては、自分の想定外の到着場所は「皆が知らない物事が盛りだくさんで豊富」とも言えるわけです。私は一時期、アニメ制作現場から干されたような実質の期間がありましたが、今思えば、アニメ制作現場では得難い貴重な体験と知識を得ました。実写作品に関わって、本当に良かった‥‥!

 

人生って、少なからず、フォレストガンプみたいな話‥‥です。

 

 

 

思い立つ‥‥ということは、何らかの片鱗が見えている証しだ‥‥と、嬉しく感じるべきなんですよネ。

 

今、思い立つことを、いろいろと調べて研究して実践してみて、すぐにはモノにならなくても、何かが何かに繋がるように思います。

 

私自身、「普通そんなことはやらない」みたいな言葉ばかりに準じてたら、「普通の枠」に収まり続けて何も新しいことはできなかったと思いますし。‥‥アニメ業界のプリズン・セルに閉じ込められたままだったと実感します。

 

会社や政府に期待して、それで未来に返ってくるのなら良いですが、そんな他人任せよりも、「自分が、自分自身に「旬の収穫」を返してくれる」のを期待した方が確実なように思います。自己同期が一番結果を出しやすく、その結果が新たなフェイズへと導いてくれます。

 

アニメーターなら、iPadなどのタブレットで、自分の絵を、自分のために描いてみましょう。アニメ業界のためだけに絵を描くのではなく。

 

まずはソコから。

 

 

 

 


令和、2020年代の、影のかたち

旧来、そして現在のアニメ制作現場の状況ゆえに、例えば親戚から「子供がアニメーターを目指している」と相談されたら、「それは良い。安心して飛び込んで来てください」とは絶対に言えない業界の現実があります。自分の在籍する業界や職種に対して「来ない方がいい」としか言えないなんて、考えてみれば「とても悲しい」ことです。

 

しかし、カットアウトが導入されて飛躍的な効率化と、従来作画の大幅な報酬増強を実現できれば、周囲に対して「ちゃんとお金をもらえる業界です」と言えるようになると思っています。そのくらい、カットアウトの導入効果は劇的です。

 

‥‥が、簡単に習得できるものではありません。従来の作画を学び、さらにコンピュータの各種ソフトウェアを学び、さらにはスクリプトなどの簡単なプログラムを作れるように、10年規模の習得プログラムを体制側が構築する必要があります。

 

しかし、そうした専門技術の数々を習得し、作品作りにおける代え難い存在となるからこそ、正当で正常な報酬を得られる存在になるのです。

 

これはキビしいことでも何でもなくて、「技術を習得し、経験を積み、自分の技量がアップすれば、報酬もアップするんだ」と「頑張れる希望」があるということです。

 

今の作画の現場で、色々と経験を積んだ上で、さらに頑張れる希望を持っている人って、ほんの僅かなひと握りだけでしょう。いわゆる「売れてる作品のキャラデザか総作監」です。しかし、あんなに売れた作品の作画監督が今はわびしく過去の人で、老いぼれたら出来高で稼げなくなって、安いアパートで単身で孤独死で特殊清掃のお世話になって‥‥なんていう未来を予想する人だって、決して少なくないはずです。

 

ほんとに、今のままでいいのか? ‥‥って思います。

 

‥‥え? 思わない? ‥‥‥そうなんだ‥‥。なぜ?

 

私は今のままではダメだとはっきり思いますヨ。

 

おそらく、作画の現場から一旦離れて、コンポジットや実写などの作業もして、業界の作画の現場を客観視していた時期があるので、余計に対比で解るのです。

 

 

 

手で絵を描くことを辞めるわけではないのです。カットアウトはむしろ、自分の描いた絵を直接動かせる技術でもあります。背景とペイントを自分で作業するのならば、個人規模で数分のアニメを最後まで作りきることも可能になります。

 

それはどういうことか?‥‥というと、色んなアイデアをどんどんカタチにできるということです。

 

たとえ自主制作とは言え、個人が千枚規模の動仕を完結できますかね? 相当な困難と相応の金(=自腹)と時間が必要になります。1カットではなく1分、3カットではなく3分ならば、従来の原動仕システムを一人で賄うことは実質無理ですよネ。もちろん、止め絵のPANではなく、ちゃんと動いて‥‥ですよ。

 

カットアウトならば、まずは自分で1分くらいの映像を自宅制作で作り、そこからプレゼンなどをして広げていくことも可能です。20分、1時間となれば、やはり「軍団」は必要となりますが、アイデアの出発点ならば1人や数人で可能になります。

 

 

 

切り口が一辺倒なのを打開したいとは思いませんか。

 

今までだってそうだったんだから、未来も同じで「仕方ない」のでしょうか。

 

口では改善したいと言っても、実践が伴わないのでは、窮状を容認しているのと同じです。

 

変えていく意志を本当にもっているのなら、ネガティブなキモチに支配され続けるだけでなく、変えていけることの1つ1つを実践して行動しましょう。

 

 

 

欧米のカットアウトは凄いことになってきています。くるりんと360度回転して、あっちこっちを走り回って、‥‥マジか、と思います。

 

「日本のアニメは最高!」と賞賛される一方で、日本のアニメ業界全般で新しい技術開発と若い世代の育成を怠ってきたツケが溜まっています。

 

ツケが溜まっている? ‥‥だったら、払って返して、2020年代はプラスにしていけば良いです。借金は返さないとゼロには戻りません。新たなスタート地点にまず立ち直ることを考えるのです。借金やツケを残したままで、自画自賛に酔いしれてばかりを2020年代に繰り返すのではなく、築き上げた高い技術をもとでに、新しい戦い方を意識的に畳みかけて実践しましょう。

 

なまじ「最高。もう改善する余地がない。」なんていう伸びしろが見当たらない状況よりも、色々と改善すれば良くなることが解っている成長段階のほうが、未来に夢を託せます。

 

 

 

アニメが好きなんですよね? アニメを作り続けたいんでしょ?

 

私はアニメが大好きなので、色んなアニメを作って寿命を全うしたいです。一部の趣向や日本の地域的な流行にとどまらず、色々な表現の可能性を、世界的な視野で商業的な現実へと変えていきたいです。

 

だったら、旧来の方式に縛られることばかりでなく、新しい「実現方法」を実践しましょう。

 

やり方・作り方を「増やせば」良いのです。

 

可能性を感じられなくなって状況に甘んじるだけが令和の時代なのだとしたら絶望の時代です。

 

老若男女問わず、可能性をリアルなカタチにしていきましょう。

 

 

 

アニメ業界はいわば、制作現場で働いて作品を作る人々の「影」のようなものだと思います。決して、アニメ業界が絶対的に支配して君臨しているのではなく、単なる「人々の影」です。自分たちの影を見てモンスターだと恐れる必要はないのです。

 

ですから、人々の動き方が変われば、影の形も変わります。

 

現在の「影の形」には嘆きも絶望感もありますが、決して人そのものに絶望しているわけでないです。人々の動きが変われば、影の形も必ず変わると確信します。

 

最初に新しいことを始めれば叩かれるのは毎度のこと。20年前の「デジタルアニメーション」だって全く同じで、「フィルムと違ってキモチ悪い!違和感が凄い!」なんて言われたのを昨日のように思い出します。そりゃあもう内外から色々言われたもんですが、逆にそれが新しさのバロメーターにもなります。

 

今でも16ミリフィルムでアニメを作りたければ作れば良いのに、技術が浸透して定着した後は、昔吐いた罵詈雑言は無かったことにしてますよネ。

 

私は可能性を信じて一緒に仕事をしてくれた人々を忘れませんし、ニュートラルな位置を貫いた人々も信頼しますし、都合に合わせて日和見して主張をコロコロ変えた人々も記憶しています。

 

そうした人々全員の影が、まさにアニメ業界。

 

令和、そして2020年代において、日本のアニメ業界は、どんな影の形を社会に映していくのか、自分の目でしっかり見つめていこうと思います。

 

 

 

 


未来と、動画と、

私が欧米のカットアウトを積極的に導入しようとするのは色々な理由がありますが、表現内容ではなく制作現場的に言えば、従来の動画の作業費=単価が、あまりにも現実の生活水準と乖離しているがゆえに、新しい動画技術の導入が必須だと痛感するからです。今のままのアニメ業界の業態では、「人が働く産業」として成立しにくい性質がどんどん色濃くなるだろうと予測します。

 

動画という工程がなければ、アニメは画面に絵を表すことができません。よほどの特殊な処理でもない限り、動画の工程を経て、ペイントされコンポジットされて、映像として具現化します。

 

アニメ業界全般の動画単価は、テレビシリーズ(1.5〜2Kの解像度)でだいたい200〜300円台です。たまに400円台を設定する作品もありますが、平均では200円台です。

 

一方、数年のキャリアを持つ動画作業者は、1日に何枚描けるか?‥‥というと、作品の絵柄にもよりますが、いまどきの可愛く装飾された女の子キャラ(髪の塗りわけが7色とか)ですと、10〜20枚がやっと‥‥と聞きます。簡単な内容のカットが混ざれば枚数が稼げますが、基本的にはどの作品も線が多く繊細で、たとえ2Kであってもコンスタントに何十枚も描ける内容ではありません。

 

例えば、1日15枚としましょう。単価を250円としましょう。

 

250x15=3750円

 

一方、日曜は必ず休むとして、1ヶ月25日とすると、

 

3750x25=93750円

 

‥‥という出来高になります。

 

1日15枚描けない日もあるでしょう。理由は明白で、カットによって内容の重さが大きく変わるからです。作品によっては、7〜8枚平均になってしまう場合もあります。5枚に満たない日もあるでしょう。どんどん手取りの額は下がっていきます。

 

会社によって、ベースの料金を設定して、出来高を上乗せするところもありますが、根本的な単価の設定額の低さは、明らかに重大なアニメ制作産業の欠点です。それこそ、20〜30年も前から‥‥です。さらに近年は絵柄が細かくなったがゆえに、異常さに拍車がかかっています。たまにツイッターで流出する月ごとの支払い明細の額面(1ヶ月の支払額が6万とか8万とか)は、まさにアニメ業界の変わらぬ現実を示しています。

私の動画時代(30年以上前)は「月1000枚を目標とせよ」という時代でしたが、単価は120円前後で「完全出来高制」だったので、1000枚描いても12万円(マイナス源泉徴収で10万円切り)でした。私は10日で300枚以上描けたこともありますが、面接や紹介時に「メカが好きで得意です!」と変なことをアピールしたために線の多い動画が回ってくることが多く、コンスタントに1日30〜40枚など描けるものではありませんでした。当時に手取り20万円を動画で稼ぐには、2000枚くらいは描かなければならず‥‥、まあ、ありえませんでした。1980年代後半でドカンとアニメの線の量が増えた後でしたからね。

同じく30年前の当時、よく言われたのは「以前は2000枚が目標だったんだ。もっと前は3000枚描く人もいたぞ。」という「前の時代はもっといっぱいできた」という文言です。私は純粋に「そんなに描けるのは凄いなあ」と思ったものですが、宇宙大空母とか、巨大メカが二人乗りで巨大バイクに乗るとか、大量に線のある細かい絵を描くことがなければ、枚数もいっぱい上げられるだろうとは今はクールに判断できます。事実、簡略化した簡素な絵柄なら、動画も原画もいっぱい描けるんですよ。今のアニメの可愛い女の子キャラは昔のメカ並みに線が多いです。線の量は直接的に、動画も原画も、作業効率に対して痛烈な打撃となります。だからと言って、未来のアニメは作り手の都合でみんなノラクロのような絵柄にしますか?‥‥できないですよネ。

 

 

つまり、今の一枚ずつ動きを追って描くアニメ技術は、こうした動画作業の苦しみの上に成り立ち続けています。中堅からベテランアニメーターは「動画時代はみんなが通ってきた道だ」とその動画の報酬の異常さを、同じ作業区分の作画の人間でありながら、事実上、容認し続けています。

 

もうほんとにぶっちゃけ、「みんな、一緒にアニメの作画をしようよ」と若い人たちに声をかけられないのです。

 

作画作業に誘えないのです。テレビアニメの動画単価1枚200〜300円で、どうやって、アニメ作りの現場に誘えるというのでしょうか。

 

それとも、動画工程は下積み時代の作業項目とでも言うのでしょうか。‥‥違いますよね。動画はれっきとした必要不可欠な工程であり技能者が必要な部門です。

 

さらには、そうした単価が安くて内容が大変な現状を、大きく改善して打開するアイデアもない‥‥ですよネ。今までのままのアニメ作画技術を踏襲し、今までのままの制作費ならば、未来に大激変して飛躍的に動画の単価が向上することは、普通に予測してありえそうにないでしょう。

 

 

 

手描きで1枚1枚動きを作ることを「美徳」と考える人は、制作者側にもファン側にもいます。たしかに1枚1枚動きを描くのは、楽しいし面白いし痛快で、描く側も見る側もアニメに魅了されます。

 

しかし、その魅力の「内実」は、どのような状況の上に成り立ち続けているのか。‥‥その美徳は、まるで生体から皮を剥ぎ取って毛皮のコートにするかごとくの、残酷な美とは言えませんか?

 

手描きの動きを賞賛するのは悪いことではないですが、他のアニメの技術〜手描きの絵を他の方法で動かすカットアウトも導入して技術を発達させないと、マジメに、業界の未来は危ないと思います。

 

未来の映像産業の技術進化と共に歩み、手で絵を描くことをやめずに、動かす技術を進化させるには、タブレットへの移行とカットアウトの導入は必然です。

 

4Kをまさか、何千何万枚もの動画単価200〜300円の延長線上で作ることになったら、いよいよ崩壊します。でも、4Kに限らず、2Kのままでも、1日10枚も描けないような作品の動画単価が200円台なのは、もう大破綻ですよネ。

 

それとも、従来アニメの「美徳」を主張する人は、安い単価で何千何万枚も描く方式を未来も受け入れろと言うのでしょうか。お金が稼げなくても文句を言うな‥‥と?

 

 

 

カットアウトの作画技術は、動画枚数で作業をカウントしません。手描きで描いた絵を動かす際は、Toon BoomなりAfter EffectsなりMohoなりで作るのですから、動画枚数でカウントすること自体が難しいです。カットアウトは、ラフや線画清書やリグやアニメーション(=モーション)などの新しいジャンルで作業が分類されます。

 

では、全てをカットアウトに乗り換えるのかというと、そんな簡単なことではありません。1枚1枚動きを追って描いた方が良い内容ならば、無理にカットアウトで何でもかんでも処理する必要はないです。

 

要は、従来作画とカットアウトのハイブリッドです。

 

カットアウトでカット数を稼ぐ傍で、従来の作画が向いているカットは動画作業も並行しておこないます。カットアウトによる高効率化の恩恵を、従来作画の報酬増強に充てるのです。

 

枚数でアニメのものごとを測る方法は、もう未来はダメです。枚数ではなく、作業内容の重度軽度で測る方法に切り替えれば、1枚1枚動きを描く作業の「大変さがはじめて評価」されます。

 

動画スタッフが「こんなに技量を高めて、こんなに働いているのに」という実質を、作業体制側がちゃんとお金に表して評価していくことが必要です。それが今までのアニメ制作ではできていないからこそ、アニメ制作に絶望する人が後を絶ちません。私も若い頃に絶望しかけてダメになる寸前までいったことがあるのでネ。

 

 

 

カットアウトは絵柄を選びません。いわゆる萌え系のキャラだって動かせますし、リアル系のかっこいいキャラもイケますし、私はラッカムやデュラックのような絵柄で日本限定よりは世界に向けて作りたいとも思っています。

 

表現の広がりに加えて、産業としてのアニメ制作を発展させるには、まずはカットアウトを日本に広めつつ、従来の動画の価値を正当に評価した金額にアップすることです。

 

動画スタッフを20万円台の月給で雇用している会社は、その動画スタッフの「動画1枚単価換算」はいくらなのか、月々の集計で簡単に算出できますよネ。相当良い額になりますよね。‥‥なのに、外注に出す時は、まさか200〜400円? ‥‥あんまりですよネ。

 

 

 

今のままのアニメ制作現場の状態で、動画単価を10倍近くも跳ね上げる「策」をもっているのなら良いですが、‥‥実際どうでしょう?

 

動画を請け負うちゃんとした技量を持つスタッフが最低でも10万円台後半、普通に考えて20万円台以上の月額報酬を得る秘策をお持ちでしょうか?

 

私は今ままでの制作技術では無理だと思います。新しい制作技術を導入しない限りは、単に日々の不満と状況を受け流し続けたアニメ業界のままで停滞するのは、目に見えています。

 

なので、カットアウトをやりましょう。

 

日本人の素晴らしい性質である「可能性を各所から見いだし、オリジナルよりも発展させる」能力を、カットアウトでも発揮するのです。

 

アニメ制作現場を、「アニメ好きゆえに、貧乏を我慢して関わり続ける」現場から、「専門の技術に対して正当な報酬を与える」現場へと、明確に変えていきましょうよ。

 

 

 

今までの技術のままが良い‥‥というのは、つまりは、今までの貧乏のままで我慢せよ‥‥ということと同義である現実を直視しましょう。

 

世界の映像技術は、今までがそうであったように、2020年代も進化し続けます。進化の潮流の中でアニメ制作を続けるためにも、カットアウトと従来技術のハイブリッドは必須だと確信しています。

 

 

 

 



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