昔も昔

ゴールデンタイム全盛期の昭和のアニメが懐かしい‥‥とは、iPad作画でカットアウトも使う私だって思います。自分のルーツは変わりません。

 

昭和。

 

私はど根性ガエル(初代アニメ)のひろしとピョン吉が子供の頃から大好きだったので、いつか16ミリを模した色域と3コマ4コマの動きで、あの当時の動きとテイストでアニメを作ってみたいと思っています。悪ノリして、編集点の歪みやパーフォレーションのガタまで入れたりしてネ。

*その昔、「江面君は、リアルなのより、そっち(デフォルメ)の方が向いてるよ」と言われたこともあります。‥‥たしかに、デフォルメ・ギャグ系・丸っこい系の方が、キモチ的に負荷なく描けますネ‥‥。

 

私は古いものに愛着が強いからこそ、全く新しいものに潔くチャレンジできると思っています。

 

 

 

私は、昭和よりも昔、1900年前後の古い年代の画家たちが好きです。ユーゲントシュティール、シンボリズム、プレラファエル。18世紀末の画家は、どの国も大好物です。

 

実際、私はそのあたりの画家に強い影響を受けていると思います。女キャラ(じょきゃら)の好みからして、ファムファタル系ですし。

 

昔も昔、昔過ぎて、もはや流行とか関係ないくらい古い画家の作品に今でも魅了され続けています。

 

せっかく、アドビのフレスコも出たことだし、今の仕事がフィニッシュしたら、私のもう1つのルーツとも言える、18世紀末スタイルっぽい絵(=大雑把なカテゴライズ)も描いてみたいと思ってます。

 

ど根性ガエルとファムファタル。‥‥私にとっては、どちらも等価でかけがえのないルーツなのです。

 

 

 

名画と比べてアニメの価値を軽視するのも馬鹿バカしいし、せっかく絵を描いているのにアニメの流行りの絵にしか興味を持たないのも、もったいないです。

 

気になった絵、ふと気になったスタイル、畑違いの技法。‥‥描き慣れた絵を描くだけでなく、何にでも化けるiPadとiOSのドローソフトで、やりたい放題、描きたい放題、描きましょう。

 

アニメ業界で2019年に生きているからって、流行のアニメ絵しか描いちゃいけない、‥‥わけじゃですもんネ。

 

 

 

 


昔を想ふと

テレビアニメにはたくさん思い出があります。少年時代からアニメーター時代まで、山ほど。

 

‥‥今と世代は違えど、テレビアニメが愛おしくないわけがないです。

 

でも、テレビアニメへの愛しさと思い出を、引き摺り続けて未来を生きるわけにはいかんのです。未来へ進むのに、後ろばかり見て後ろ歩きしても、つまずくばかりです。

 

 

 

みんな、おじいさん、あばあさんになって、やがて死ぬ。そして、懐かしいアニメも記憶の彼方に消え去っていく。

 

私の母方の祖父の家はもうありません。引き継ぐ人がおらず売却したので、二度と「おじいちゃんち」に行くことはできません。

 

少年の日の、夏の日の思い出がいっぱい「おじいちゃんの田舎」にありますが、もうその日には戻れないし、1970年代にテレビで流れていた16ミリフィルムの商業アニメも、もう作れません。今のアニメはもはや別物ですし、テレビ自体も大きく変わりました。

 

また、私が少年時代に暮らした郵政省の宿舎は、年々住む人が減り続けて、今は取り壊しを待つのみで、人は誰も住んでいません。あんなに子供たちが駆けずり回って賑やかで、各家庭のベランダは思い思いの草花で飾られていたのに、まさに廃墟、ゴーストタウンです。

 

私はそんなこんなで、思い出の場所がどんどん消滅しているのです。なので、今でも実家や祖父母宅が健在な人より、「もう戻らないこと」に対してリアルなのかも知れません。

 

昔を思い出してはしゃげるのは、まだそんなに思い出が遠くないからです。

 

もうどうしようもなく、あまりにも遠くなって、跡形すら存在すらしないと、悲しさと寂しさだけが胸を締め付けます。

 

 

 

ゴールデンタイムのアニメか‥‥。

 

懐かしいですネ。

 

でも、アニメがゴールデン帯に放送されていた頃の社会の姿は、もう今は存在しないのです。

 

もう戻らない昔を、世代の皆で懐かしんで、盛り上がれば盛り上がるほど、その後に押し寄せる喪失感に、無性に寂しくなるでしょう。

 

なので、そっとしておくのが良いと、最近は考えるのです。

 

むしろ、昔にはできなかったこと、今、そして未来にできることに目を向けるべきと考えます。

 

 

 

私はこのところ、仕事をし続けて相当滅入っています。なので、自分でも自覚しますが、少々気弱です。

 

世間一般のまとまった休みなんて、無縁だったもんな‥‥。我ながら流石に消耗の激しさを実感しています。感傷的な気分にもなり易いです。

 

でも、昔を懐かしんで、殻には閉じこもるつもりはないです。それをやったら、自死と同じと判るからです。

 

ゴールデンタイムのアニメが消えても、それならそれで時代の流れと受け止めます。悲しむより、少年時代に夢中になったテレビアニメに感謝するキモチのほうが勝ります。

 

昔のアニメが愛しいからって、令和の今に、昭和っぽいアニメごっこをしてもしょうがないです。昭和のマネは余興で十分です。

 

昭和の、1970年代のアニメは、昔を懐かしんで作ったものではないはずです。永井豪さんも松本零士さんも乗りに乗りまくって原作を描き、アニメ制作会社は前例のない作品制作を切り開いていったことでしょう。

 

であるのなら、令和、2020年代に、昭和を再現するのではなく、今作るにふさわしいアニメを作れば良いです。

 

 

 

私としては、はやく今の仕事をフィニッシュして、小さな旅にでも出たいです。

 

擦り切れすぎると、感傷的になったり、弱気になったりしますが、逆に、擦り傷は、療養すれば治る傷でもありますからネ。

 

 


ゴールデン枠、完全消滅

アニメがテレビのゴールデン枠から、完全消滅したそうな。

 

進むアニメの「テレビ離れ」 ゴールデン帯から番組消失

https://www.asahi.com/articles/ASM9T7FXDM9TUCVL03S.html?iref=com_rnavi_arank_nr05

 

 

私はまさにアニメがゴールデン帯の主役だった頃の世代です。今でもよく覚えていますが、土曜日は夜8時半になってもアニメを放送していたくらいです。1973年の「キューティーハニー」です。

 

1970年代。今は2020年代目前。‥‥ほぼ、50年前ですネ。

 

子供にターゲットを合わせたアニメが当時の主流でしたが、今のアニメは玩具を売る宣伝としてのアニメのほうが珍しいですし、子供も少ないですし、アニメ以外の娯楽で盛りだくさんです。

 

そして、そもそも、テレビ自体が、テレビ放送を見るためだけに存在するものではなくなりました。映像娯楽コンテンツを映すためのプラットフォームであり、私も1ヶ月でテレビ放送を見る時間は10時間に満たないこともあります。

 

とりあえず何でもテレビをつけて流しておく‥‥みたいな生活ではなくなりました。戦後昭和とは大きく異なります。

 

 

 

まあ、仕方ないんじゃないでしょうか。こればっかりは。

 

ゴールデンにアニメを戻そう!‥‥なんて言っても、結局は私の世代=ベビーブーム世代のノスタルジーでしかないのです。「戻す必要性は何?なぜ?」と言われて終了です。

 

テレビ放送が無かった江戸や明治大正にはアニメ番組も無かったわけです。‥‥つまり、アニメは普遍の存在でも何でもなかったのです。

 

アニメを作っている側からすれば、未来も普遍であって欲しいと願うでしょうし、私のような生まれた時からアニメ番組テレビ放送が存在していた世代はアニメが普遍であると勘違いしやすいです。しかし、戦後の日本でアニメ番組が花開いたのは、戦前から兆しを見せていた映像の科学技術が、世界的な戦後復興の勢いを追い風にして飛躍的に発達した、強い影響下にあるのは否めないでしょう。

 

つまり、社会を形成する人口の層と経済によって、技術も、そしてその技術から生み出される娯楽産業も、強い影響を受けるのです。

 

社会の技術と経済の変化、それに伴う人々の生活の変化。

 

思うに、深夜のアニメだって、この先どうなるかはわからないですよネ。深夜だけは安泰だ‥‥なんて誰も保証できないでしょ。

 

深夜に流して円盤を売る。‥‥そうしたビジネスモデルが今後行き詰まりを見せるのは必至ですし(もう何年も前から言われてますよネ)、深夜枠&円盤ビジネス感覚のまま、未来の映像フォーマット基準のアニメなんてとても作れるものではないです。衣の付く製作も、付かない制作も、両者とも覚悟すべし。

 

 

 

2020年代、2030年代、2040年代と、時間は確実に進行します。

 

1970年代をいくら懐かしんでも、時間は戻りません。未来は「2010年代はアニメをやたらと深夜に放送してたよなあ」と懐かしく思う日も来ましょう。

 

 

 

2020年代も自分らの未来を見据えて何をすべきかを考えれば良いだけのことです。難しく考える必要はないです。

 

アニメがゴールデン枠から消えたなら、その事実とその先の未来を見据えましょう。

 

 

 


ふれすこ

出てましたネ。Fresco。

 

今はイジる時間もないので、インストールだけしました。

 

パッと線を引いてみた感じだと、レイテンシーを感じさせない筆致のダイレクト感に驚きました。描き心地に優れたProcreateに比べても、Frescoのほうがペンの追随が若干速いです。

 

iPadならではのレイテンシーの低さを満喫できそうな予感です。

 

インストールしたのは、初代のiPad Proで、OSは新しいiPadOS 13.1です。初代でも全然遜色のない描き心地です。

 

 

 

もしAdobe CCを契約していて、Apple Pencilを常用しているのなら、Frescoを使わないのはもったいないですネ。

 

Adobe CC無しだと、1080円の月額サブスクリプションで使えるようです。

 

 

 

* * *

 

 

サラサラシートを貼ったiPadとApple Pencilで、実際にFrescoで数本だけ線を描いてみるだけでも、現代のテクノロジーの片鱗を窺い知ることができます。

 

一方、アニメ業界の制作技術は、どんどん現代から遠のくばかり。どんなに新しい技術とハードとソフトが現れても、それを活用することができないのは、魅力的な機能が溢れているほどかえってそれを使えないミジメさと悲しさが増します。私はこの数年自費を少なからず投入して、なんとか新しい未来を切り開こう・機運を盛り上げようと気を吐いてきましたが、正直疲れてきました。業界が新しい4KやHDRに未来を見れないのなら、もうそのまま=地デジ2K止まりのフォーマットのまま今後何十年と作り続ける制作会社があっても、それはそれで良いのでしょう。無理強いすることでもなし。

 

Frescoがリリースされたのに、なんだか弱気になっているのは、Frescoがどんなに新しい基軸をひっさげて登場しても、びた一円もアニメ業界には恵みがないことが判るからです。恵みがない‥‥というよりは、そもそも新たな恵みを得ようとしない気風がガッチリと根付きすぎちゃって変わらないのです。

 

せっかくFrescoやProcreateやConceptsがあるのなら、そうした新世代の画具と画法が活きる全く別の何かを考えたほうが良いのかも知れない‥‥とも思う今日この頃。今の私に必要なのは、しがらみを一切断つ、最大限の「Think Different」なのかも知れません。

 

 


雑感

インパール作戦の大将は、毎朝、戦勝祈願の祝詞をあげていた‥‥とNHKの戦争ドキュメンタリーで見たことがあります。まあ、宗教は人それぞれでしょうが「インパールを陥とさせ給え」みたいな、あまりにも具体的なお願いをされては、神様も困っちゃいますネ。

 

普段から信心深い人のココロの拠り所とか、何かの節目の行事としてなら、決して否定しませんが、にわか「神頼み」はまさに、破滅が近づいている象徴ですわな。つまりは「もう神様しか頼るものがなくなったので、にわか信心を装って、神に頼む」という状況。

 

いやぁ‥‥‥うまくいかんわなあ‥‥そんなの。

 

私は神頼みなんてしないです。

 

というか、今の自分の存在自体が、運命というか、宇宙と地球の不思議な出来事のように思います。進化論を信じるのならば、私の祖先はアミノ酸なんでしょ? 凄くないすか、ソレって。

 

もし私が200年前の日本に生まれていたら、アニメなんて作れなかったはず。

 

もし私が200年後の日本に生まれたのなら、アニメなんて作れる平和な社会じゃないかも知れません。

 

もし私が他の国に生まれたら、アニメを作れる地域社会ではなかったかも知れません。

 

 

もし、神様を信じるにしても、この「アニメを作れる状況を与えてくれた」ことだけで十分感謝できます。そしてそれを可能にする様々な人々と巡り会ったこと、これから巡り会うであろうことも、まさに神秘的な運命とも思えます。

 

 

 

まあ、私はそもそも神様を信じているかというとビミョーなんですが、風呂敷をドバっと広げて、太陽の周りを一年かけて回る地球自体に「神がかり的なもの」を感じます。金星でも火星でもなく、地球がそもそも神がかった星ですよネ。‥‥なんでまあ、地球に誕生できちゃったかな、人類は。

 

地球の立ち位置‥‥というか、太陽系における地球の周回軌道って、絶妙の位置ですよネ。

 

もうそれだけで「神様的なもの」は充分です。さらにこれ以上の「奇跡」を神様に頼もうなんて思いませんわ。

 

 

 

打算。

 

それが先行すると、神頼みしたり、手段と目的が入れ替わったり、主目的を隠してすり替えたりと、ウソが多くなりますよネ。

 

どうか、神様。私に宝くじを当たらせ給え。できれば、何千万円クラスの。

 

とか、

 

どうか神様。私に結婚相手と巡り会わせ給え。できれば若くて従順でなんでもいうことを聞く人を。

 

とか、打算まみれの神頼みなんて、どこの神様が願いを聞き入れてくれるのか、「よこしま(邪)」そのものですよネ。打算まみれで欲深しても成就しないんではしょうがないでしょう。

 

私は信心なんてほとんど持ち合わせていないですが、もし神様に日頃お願いすると仮定したら、

 

どんな辛く厳しいことがあっても、私がくじけないように、見守っていてください

 

‥‥くらいの「漠としたこと」で良いと思います。

 

それこそ、地球の軌道が或る日突然外れて太陽からどんどん離れて氷の星にならないだけでも、宇宙の物理法則に感謝します。

 

まあ、インパールの大将もそうですが、信心的な本人の行動って、その人の考え方、三つ子の魂そのものですネ。

 

そうした当人の奥底の心情や考え方は、映像作品作りにも、どんなに行動の表面を装って繕っていても、表れます。有名になってお金が欲しくて異性にモテたいから、作品を作る‥‥なんて、「どらまつるぎだいみょうじん」(故・わたなべぢゅんいちさん命名)が許してくれるわけないですヨ。

 

達観しきった仙人や聖人になる必要はないですが、目的と手段を錯誤して打算まみれの生き方は、何よりも当人が不幸になるので、避けたいですネ。

 

 

 

自分は何を求めているのか。それを何よりもまず自分にウソをつかずにストレートに直視すれば、神頼みなんてせずとも、神様仏様に対して日本の風土としてつきあっていけますよネ。

 

神頼みなどせず、自分と仲間と、そして今はもういないけれど、かつて一緒に生きた人や猫らの存在を感じながら、これからも励もうと思います。

 

 


瓢箪からアイデア

前回、色彩設計さんと彩色スタッフさんの重要性を書いてて、ふと、いいことを思いつきました。色彩設計さんをアニメ限定にしておくのは、考えてみれば、とても勿体無いことです。

 

今の仕事が終わったら、皆で相談してみようかな。

 

瓢箪から駒‥‥ほどは突飛ではないですが、絵を作る3人が力を合わせれば、アニメ制作の延長線上にはなかった色々なことができそうです。

 

思いついたアイデアを形にできれば、その形からまたさらに新しい形が生まれます。

 

今は首がまわらないほど忙しいですが、瓢箪からぽろんとアイデアが飛び出すのは、時と場所を選びませんな。

 

仕事をこなしつつ、考えを温めてみよう。

 

 

 


みのり

きっかけを何で掴むか、そしてどこに向かうか。なんやかんや言っても、結局は当人の意思、そして呼び込む運次第です。

 

運とかいうとギャンブルみたいですけど、そうじゃなくて、成功の確率を高める行動です。

 

草木の種だって、発芽率100%ではないですもんネ。しかし、発芽率をほぼ100%にするテクニックはあるわけです。一方で、異様に発芽率の悪い的外れな育てかたもありますし。

 

個人だけでなく、集団も、そして業界も、「次のきっかけ」を何で掴んで、どこへと向かうのか。

 

色々な種を蒔いて、発芽させて、育てて、やがて収穫の秋を迎えたいものですネ。

 

*今年は唐辛子が豊作です。キッチンはさみを用意しておけば、ハサミで刻んでトッピングして、何かと重宝する香辛料になります。生でも乾燥させても美味いです。乾燥させると辛さが数倍に跳ね上がります。

 

 


根気と知性

ツイッターで「根性と知性の衝突〜中年と若手の対決」みたいな話をみかけたんだけど、私が常々思うに‥‥

 

根気と知性は両方必要

 

‥‥です。どっちかがどっちかに勝るわけではないからさあ‥‥。

 

根気(根性)と知性をあたかも同じカテゴリーとしてミステイクして、売り言葉に買い言葉の論調にもっていく時点で、根気と知性の両方が欠如しているとも思えます。

 

たとえば、表計算のエクセルを「作表」ソフトと誤認するのは、おっさんでも若いヤツでも等しく存在しますよネ。エクセルは表計算ソフトであって、作表は都合上でできるけど、本来の目的ではないです。小さい頃からコンピュータに触れているのにセル内の計算式も作れない若いヤツもいるし、長く生きているわりにセル内の計算式も作れないオッサンもいるしで、知性や知識の欠如に老若男女は関係ないように思います。相手を悪く貶す文言や方法に老若の境なし。

*エクセルで集計表の枠を作って、集計結果をiPhoneの電卓で計算して、数字をセルに書き込む‥‥みたいな話です。

 

楽器演奏や絵描きもそうですが、マニュアル本や解説本だけ読んでも弾けたり描けたりできるようにはなりません。解るのは、機能や名称や段取りの流れだけです。実際に演奏や絵が描けるようになるには、どうしても、根気が必要な基礎練習の積み重ねは必要です。美しい音や絵を作り出すには、表現を支える広範な知性が必要です。

 

根気と知性って、兄弟・姉妹、卵の黄身と卵白、コインの裏表みたいなもんだよ。知性を得るには根気がいるし、根気があるからこそ知性と呼べるレベルまで到達できるし。

 

ピアノを弾けない人が、バッハのインベンションの第1番ハ長調を弾けるようになるには、根気はまず必要です。鍵盤を弾いたことがなければ、両手各指が分離して動かないもんネ。頑張って弾けるようになれば、肌身で対位法の知性に触れることができます。

 

世代で分けて、どっちが知性があって、どっちが根性があって‥‥みたいなことを語るのは、どんなに若かろうが歳を重ねていようが、愚かとしか言いようがないです。「世代論」に持ち込む時点で、老いも若きもヘナチョコなんだと思います。

 

 

 

世代って、たしかに傾向や特性はありますが、当人の本質をラッピングしてるコンテナみたいなもんでしょ?

 

どんなに歳を食っていても、どんなに若くてフレッシュでも、飽きっぽい人、妙に固執する人、ポジティブな人、ネガティブな人、色々いますよネ。

 

私の直近の話で言えば、カットアウトを本気でやってくれるアニメーターに、老若男女国籍の隔てなしです。ただし、カットアウトの習得には「根気と知性」はどうしても必要です。自分の感性や知識を、ソフトウェアのプロパティやアトリビュートに翻訳する冷静さ(知性)と執念(根気)は必須だからです。

 

 

 

世代論も、根性vs知性論も、ほどほどにしておきたいですネ。

 

自分で抱えきれない物事を、周囲の何かに転嫁したいキモチもわからないでもないです。しかし、その「キモチの散らし方」では自分の内なる問題は解決しません。例えば絵描きならば、絵の上手さ下手さを世代のせいにしても解決できんです。

 

最終的に問われているのは、当人=自分ですよネ。

 

 


Apple Watch

ふと見ると、Apple Watchを使っている人が増えてて、意外な感じです。iPhoneはともかく、Apple Watchは生活必需品というほどではないと感じますし、「日々こまめに充電してるんだなあ‥‥」と苦労を偲ぶキモチになります。‥‥でもまあ、iPhoneやiPadの充電が日々の習慣として慣れているのなら、Apple Watchも似たようなもんですけどネ。

 

という私も、Apple Watchを使っていますが、iPhoneやiPadやMacを使っているのとは全く違う理由です。以前テレビシリーズの作監を手伝った時にあまりのスケジュールの過酷さに死にそうになって、「健康管理」上の目的で腕につけるようにしたのです。「そろそろ体を動かしたら?」「深呼吸しましょう」と、「机の前から動いてない」ことを教えてくれるだけでもApple Watchが必要と思ったのです。

 

周りを見渡すと、仕事でほうぼう動き回っている人の腕に、Apple Watchを見かけます。電車などの交通機関、頻繁な打ち合わせなどのスケジュール、とっさの電話応対など重宝するんでしょうかね。‥‥どう使っているか聞いたことがないのでわかりませんが、「タスクをどんどんこなす」意識というか強迫観念が、Apple Watchのようなスマートウォッチのニーズのもとなのかな‥‥と想像してます。作業場のフロアを移動する時、いちいちタスク確認のためにiPhoneを持ち歩くのも面倒ですもんネ。

 

 

私は基本的に机から離れない業種なので、逆に椅子に座りっぱなしを警告してくれる目的で、Apple Watchを使っています。腕にはめたApple Watchがブルブルとくすぐるので、「ああそうか、動いてないか。」と気づくのです。

 

体の調子が異常な時も、Apple Watchで簡易に確認できます。自分としては平常のつもりでも、なんか体が重くて疲れてダルいなと思う時はApple Watchの心拍数グラフを確認すれば、「この2時間、110bpmのままじゃん!」と異常に気づきます。アニメ制作現場の場合、だいたいは疲労による風邪ひきの兆候ですわな。

 

平常時の自分の心拍数をいつも目で見て知っておけば、異常な心拍数がすぐに判別できます。

 

私はたまにしか電車に乗らないので、Apple Watchが交通機関で大活躍というわけではないですが、たまにだからこそ、券売機でモタモタせずにApple Watchでピピッと改札できるのが便利です。交通機関は事前に「いくら」かを調べて乗車券を買うのが面倒ですよネ。SUICAにWalletでチャージしておけば、まさか東京都内の移動で何千円も乗車で引き落とされることはないので、移動の手間と時間の節約にもなります。

 

乗り場売店のフルーツジュースも飲めるし、駅そばのファーストフードも会計できるしで、なんだかんだとApple Watchを使ってます。

 

 

 

私のApple Watchは「2」です。今月に新しい「5」が出るとの噂ですが、私は「2」のままで十分です。私の使い方の範疇であれば、「2」のままで機能に不足なしです。

 

ただまあ、新しく買うのなら、新型発表直前に旧型を買うよりも、新型が良いですよネ。もしくは型落ちした1世代前を安く買うとか。(Appleは旧型の値段を下げて売ることがよくあるので)

 

私はiPad ProとApple Pencilは同業者に勧めますが、Apple Watchを勧めたことはありません。生活や仕事を劇的に変えるほどではないからです。

 

ただ、2年くらい使い続けた感じですと、「ないより、あったほうが、便利」とは言えます。世の中が「そういう社会」になっていますもんネ。

 

また、健康が気になる人は、iPhoneなどと連携して自分の体の基礎計測をするのも良いと思います。私は人に教えられるほど活用していませんが、心拍数だけでも把握しておけば、自分の平常時と異常時の判断がしやすくなります。

 

9月のAppleイベントで発表されると噂のApple Watch。

 

私はスルーしますが、気になる人はチェックしてみてはいかがでしょうか。

 

*ちまたの時計に男性用と女性用があるように、Apple Watchにも40mmと44mmがあります。ベルトはたしか、長短の2種類が同梱してあったはずです。

数々のチプカシは今でも使っています。私にとって、Apple Watchは時計というよりガジェットなので。

 

 

 

 


138億年で一度きり

ビッグバン後の宇宙の年齢は138億年と推測されています。私は特に宇宙の知識に詳しいわけではないので、その数値はともかく、人間のような80年のちっぽけな寿命しかもてない存在でも、その人間の体験は138億年で一度きり‥‥と思えば、感慨深いです。

 

日本だけのユルい信仰なのかはわかりませんが、「生まれ変わり」「前世」の話題は昔から耳にします。

 

私は、生まれ変わりに関しては、子供の頃から「無いな」と思ってきました。だって、「前世」の記憶がないのですから、信じろと言われても信じられないです。未来、死ぬまで「生まれ変わり」があるだなんて思い直すことはないでしょう。

 

一方で、仮に宇宙が138億年、地球が46億年、人類が400万年だとしても、私の一生は一度きりで、何の代替もきかない唯一の存在だということは、肌身で実感できます。というか、それしか自分で知覚できませんもんネ。

 

であるならば、人生は極めて希少で代え難いものと思えてきます。

 

あくまで恐らく‥‥ですが、今の文明はやがて滅亡して、地球も砕けて、一生懸命作ったアニメ作品も星屑と化すのでしょう。

 

でも、だからこそ、アニメを一生懸命作りたいと思えるのです。どうせ星屑になるからこそ、今、アニメを‥‥です。

 

はっきり言って、「後世の評価」とかどうでも良いです。昔から思っていましたが、死後にどんなに評価されようが、「うわ〜嬉しい」と知覚できる自分は既に消滅しているのですから、生きているうちこそ全てだと感じます。

 

 

 

NHKの私が好きな番組で「ネコメンタリー」という作家さんと猫の生活を映したドキュメンタリー(というのかな?)があります。

 

空気感、距離感、光の捉え方が、なんとも心地よく、留守録したのを何度も見返してしまいます。

 

猫と暮らす日々の様々なニュアンスが、ただひたすら優しく映像に捉えれていて、カメラに写ったその瞬間、瞬間が、まさに138億年に一度きりの瞬間なのだと、しみじみと心に染みわたります。

 

何の変哲もない日常が、138億年を経て得た、奇跡の連続だったことを、カメラはその撮影の結果物にて、私たちに教えてくれます。

 

 

 

絵も同じ‥‥ですね。

 

絵を描くことも。

 

自分の描いたキャラの1つ1つの表情が、まさに138億年で一度きりの表情です。描く人間が138億年で一人きりなのに、その人間がさらにたくさんの架空のキャラの表情を生み出していくのですから、果てしなくとりとめのない気分になります。

 

でも、果てしなくて、とりとめなくて、それで良いとも思います。

 

私はディズニー1942年公開の「Bambi」が好きで、そのフィルムの1フレーム1フレームが愛おしいです。シーンの合間に描写される森の自然描写は、作画から撮影まで全てが「奇跡のフレーム」としか言いようがないです。

 

 

 

人は皆同じではないですから、138億年に一度きり‥‥なんて考えるのもウザくて面倒な人はいるでしょう。でも、それはそれで、良いのだと思います。皆が日頃から、自分も文明も消え失せて、地球が星屑になる日を考えていたら、ぶっちゃけ、社会は回りませんもんね。

 

なので、ふと映画やアニメやコミックなどを読んで、その奥底にある「刹那的な何か」を感じれば良いのでしょうネ。

 

 



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