テレビの未来。未来のテレビ。

ハリウッドの映画制作現場の人々が、テレビの補完機能によって改変された映像=「ソープオペラ」を嫌っているのを、とある打ち合わせの話題の中で耳にしました。そりゃそうだ。24コマのフィルムニュアンスありきで作っているのに、ビデオの質感にズタズタに変質しちゃうもんネ。なので、以下のような取り組みも配信会社では考えているようです。1ヶ月前くらいの記事です。

 

 

Netflixとソニー、“制作者の意図通りに表示”できる専用キャリブレーションモード

https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1135946.html

 

ソニー最上位有機EL「AF9」と液晶「ZF9」欧州発表。X1 Ultimate搭載BRAVIA MASTER

https://av.watch.impress.co.jp/docs/news/1135905.html

 

Sony introduce calibrated Netflix mode on new AF9 and ZF9 TVs

https://www.avforums.com/news/sony-introduce-calibrated-netflix-mode-on-new-af9-and-zf9-tvs.15169

 

 

今はまだ最上位機種での実装みたいですが、このような配信側と受信側のネゴシエーションが一般的になれば、映画は映画のニュアンスのまま、ご家庭で最良の状態で楽しめるようになるでしょう。

 

映像の未来は、4KHDRだけじゃないのです。未来に向けて、物事は色々と進行しています。

 

 

 

‥‥で、現在、私らが取り組んでいるスタンス〜新しいアニメーション技術が進む「その道」はいずこにありや?

 

「どちらでもどうぞ」です。

 

つまり24fpsでも120fpsでもどちらでもOKです。どっちで見てもらっても、それぞれのfpsで楽しめるように映像を作ります。テレビに補完してもらっても、補完せずにオリジナルに忠実な状態で見てもらっても、どちらでも楽しめる「1粒で何度も美味しい」技術を考えています。

 

最近は特に、自分が関わる映像ジャンルが「アニメで良かった」と実感しています。アニメ映像は実物と現実に依存しないがゆえに、絵の密度も動きも色も、自分たちの思うようにコントロールできるのですから。

 

 

たしかに、24コマで雰囲気を保っていた実写映画は、最新のテレビ技術で受けるダメージがハンパないです。私も色々と実写作品のブルーレイを買って見て「うわぁ‥‥‥‥」と思いますもん。「テレビドラマになっちゃった」‥‥と。

 

ゆえに、映画タイトルで24コマで見て欲しい時に、配信データのメタデータを家庭のテレビが受け取って、最良の状態に設定されるのは、決して悪いことではないです。家で映画を見る人だって、「うんうん。これが映画だ」と納得するマニア・ファンもそこそこ多いと思います。

 

 

しかし、一方で、テレビを買ってリビングに設置して、そのまま使い続ける人もおりましょう。そういう人々は、「動き」の設定が「滑らかモード」のままでも気にせずに見続けますが、まさか「映画を見るときは設定の階層が深くて変更が面倒でも、フィルムに合わせて設定をちゃんとを変えましょう」だなんて啓蒙するわけにもいくまい?

 

映画はたまにしか見ない。日頃は滑らかなほうが良い‥‥という人だって多いと思いますヨ。実際、YouTubeをテレビで映す時は、綺麗になって、恩恵のほうが大きいですからネ。

 

なので、制作者サイドとしては、「どの状態で見ても楽しめる」内容で作品を作ることだと思ってます。実写は色々と難しいかもしれませんが、アニメはそれができます。もちろん、新しい思考で技術を考え直せば‥‥ですが。

 

思うに、「フィルムの24コマだけが私の(俺の)世界」とか、自分で自分を制限しないことでしょう。まず、そこから、頭の中身を変えていくべきと思います。フィルムの24コマは「映像の絶対神」じゃないんですから。

 

 

私はねえ‥‥。フィルムは大好きですよ。フィルム一眼レフ時代に夥しい枚数を撮影して、一眼レフは自分の体の一部とすら思えたものです。

 

でも、フィルムに縛られることはないです。だってさあ‥‥‥4KもHDRも、60pも120fpsも、もの凄く面白いもんネ。大変だけど、絵を作っていてめっぽう楽しいし、これから先に表現をどんなに広げていけるかを想像するだにワクワクします。

 

昔の牙城を必死に守る人がいても良いです。一方で、新しいことをどんどん実践して、アニメってこんなに面白い!‥‥と次々と新機軸を繰り出す人もいて良いと思います。

 

 

アニメは、実写と違って、実存するものに左右されない、スゴい特徴があるのです。なぜ、そこに気づかないんでしょうかね。その「極めて根本的な原点」に立ち戻ってアニメを考えてみれば、いくらだってやりようはありますヨ。テレビアニメの習慣でしか物事を捉えないから、未来の高品質映像フォーマットに対して「何もできない気分」になってくるのです。

 

テレビ製品の状況は、今後どんどん面白くなっていくでしょう。反面、困惑する映像業界人も出てくると思いますが、困惑してブーたれても未来は切り拓けまい?

 

新しい映像技術を楽しむくらいの器量をもって然るべし。です。

 

 

4KHDRの具体的な話というよりは、テレビ機器の現在と未来の話で、いわば日常の話題の1つですから、ちょっと触れてみました。未来は必ず来る‥‥のは、ある意味、ヘヴィな話題ですが、当然の話題でもありますもんネ。

 

 


りんごのイベント

iPhoneXのでっかいやつが出ましたネ。ディスプレイのピクセル数は2.7K。もはや、2Kの映像制作のモニタ(2560pxとか)よりもピクセル数が多いです。カメラ機能はかなり強化されており、4Kの60p撮影はもちろん、「拡張ダイナミックレンジ」による30fpsの撮影など、スマホの「ホ」の字は「フォン」の頭文字なのをすっかり忘れるようなカメラ機能です。

 

ぶっちゃけ、光量の少ない場面では、汚く60pで撮るよりは、綺麗に30pで撮っておけば、120fpsまで4KHDRテレビで補完しますから、そっちの方が良いのかも。‥‥デモにあった、日の出(日の入り?)の光量の少ない場面で「これだけ綺麗に撮れます」は、どれほど実感として観衆に伝わったのかは微妙ですが(=日頃から色々な撮影をしていないと、光量不足は実感としてわかりにくい)、スマートHDRは日頃の写真撮影には地味に重宝しそうですね。

 

Apple Watchは事前の予想通り、セラミック裏蓋の心電図が計測できるヤツでした。やっぱり、リークするもんなのでしょうかね。情報って。‥‥シリーズは「4」になって、9/21発売。

 

iOS 12は9/18に、macOS Mojaveは9/25に登場。

 

そして、やはりここ数日の予想通り、Mac miniとiPad Proは発表されず‥‥でしたネ。でも実は、今、iPad Proのデカいほうが出ても、すぐには買えないな‥‥と思っていたので、わたし的にはちょうど良かったです。出たら欲しくなるもんネ。

 

アニメの描きの仕事は、今でも初代iPad Proで十分作業できています。今日も一日中、使いました。

 

 

新しいiPad ProやMac miniは、年末か来春の楽しみにとっておいて、今あるiPad Pro初期型と2型で、ずんずん仕事をこなすのだ。

 

 


雑感。

ブログを書いてきて、同じ内容の繰り返しになっているのを感じているのですが、かと言って、現在進行中のアレコレをベラベラここで喋る(書く)わけにもいかず、書けることだけに終始すると、やっぱり同じ内容の繰り返しになります。

 

もう何度も4KやHDRや60pの題材でブログも書いてはきましたが、業界平均の現環境はRec.709がほとんどである状況を鑑みれば、4KHDR60pにおける手法や技法に触れる話題を書いたところで、独り相撲のようにも思えます。

 

来年、再来年と時代が進めば、なるほどと合点が行くことも、2018年の現段階では荒唐無稽にも思えましょう。

 

 

 

1990年代終わり頃もそうでしたし、2000年代中頃もそうでした。新しい技術に対応できない人と集団は消えて去り、新しい技術を使いこなす人と集団が台頭する。‥‥同じことがまた未来も繰り返されます。今回だけ例外‥‥だなんてことはないです。

 

2020年代の4K60pHDR時代に、特にアニメーターはどう生きていくのか。誰かが助けてくれても、それは一時的な救済措置でしかなく、結局はアニメーター自分自身で未来の高品質映像技術に立ち向かっていくほかありません。それができない人間やグループは、過去の存在として忘却の彼方に消え去るのみです。セル画やフィルム撮影台と同じように。

 

すぐにでも新しいことはできます。たとえ個人レベルであっても、そのアクションが未来に大きな発展の原点となります。

 

逆に、古いことに執着して閉じこもることもできます。たとえ集団レベルであっても、です。

 

「どっちの道を選べば良い?」‥‥とか言いがちですが、何故、どちらか2択に固執するのでしょうかネ。移行期に完全にどちらか「だけ」にシフトすることなんて不可能ですヨ。両足を突っ込むしかないです。

 

でも、「未来はかならず来る」ことだけはわかりきっています。だったら、今、何をしつつ、何に手をつけるべきか、事細かく言われなくても判りますよネ。‥‥ということも散々書いてきたことだから、もういいか。

 

 

 

ふと頭をよぎるのは、「シフトできなかった人」「新しいムーブメントに乗り込めなかった人」は、未来にどうなるのか‥‥ということです。引退と同時に年金生活にシフトして、「昔のやりかたのまま」逃げ切れる年齢の人はまだ良いでしょう。そうじゃない人はどうする? アニメは、「若き日の夢の思い出」にして、全く別の職業に転職しますか?

 

以前、ツイッターで「アニメ業界という毒ガスの中にいる苦しみ」という文言を目にして、何だか私の考えている「燃焼効率」というテーマとも妙にオーバーラップして、言い得て妙だと思いました。

 

昔から今に続くアニメ制作現場の「制作エンジン」は極めて燃焼効率が悪いです。制作現場それ自体が毒ガスなのではなく、制作現場を動かすエンジンが毒ガスを発生させやすい構造であることを、目をそらさず、両眼で見据えるべきでしょう。

 

制作エンジンたる現場の「動力設計」そのものが、すでに「反時代的」「反社会的」とも言えるのです。だからブラックブラックブラック‥‥と連呼されるのですヨ。ブラックとは、現場の「毒ガスエンジン」が排出した煤の色でもあるのです。

 

ガソリン1リットルで2kmしか走れないエンジン。パワーを出すために燃費を犠牲にして、真っ黒な排気ガスを撒き散らして走る自動車が、未来社会に受け入れられるでしょうか。アニメ制作でも、全く同じです。大量の人員を使い捨てるような勢いで制作するエンジンをそのまま許容し続けるべきでしょうか。

 

時代の変化に合わせて、エンジンも変わるべきだと、私は思います。人間が内包するエネルギーを、今までの制作技術構造に投入していたら、いつまでも毒ガスを撒き散らすでしょう。人間のエネルギーは、燃焼効率を飛躍的に高めた新しいエンジンでこそ、活用されるべきと私は思います。

 

‥‥と、これも、今まで何度も書いてきたこと‥‥でしたね。繰り返しになってますネ。

 

 

 

未来に何をすべきかは、個人の自由ですし、集団の選択次第です。

 

映像作品作りは技術の塊です。しかし「塊」は「固まり」ではないです。塊を構成する要素は常に変化し続けて、ある一定期間で大きな転換期がきます。フィルムからデジタルデータへの転換期を経験していなくても、30代の多くの人はSDアナログ波からHDデジタル波の転換期の現場を体験しているでしょう。同じような転換期は数年後に確実に来ます。アニメ業界に都合よく2K 24p SDRのままで固まることはないです。

 

個人の自由、集団の選択。

 

その自由と選択によって、自分と自分たちの未来は大きく変わります。

 

 

 

とまあ、繰り返しばかりになるので、しばらくはこのへんの話題は取り上げないで、ライトテイストな話題に切り替えようと思います。ヘヴィなテイストをいくら持ち出そうが、核心に関わる内容やコンフィデンシャルな事柄はここでは書けないですもん。あくまでブログですもんネ。ブログやツイッターには忖度が付きまといますもんネ。

 

AdobeやAppleの新しい何々がどうだ‥‥とか、何々を買ったみたら案外良かったよー‥‥とか、そのくらいがちょうど良いのかな‥‥とも思うこの頃。

 

変わる時がくれば、何を書いても書かなくても、結局は慣性の法則の通りに、変わるんだし。

 

 

 


雑感

「デジタルアニメーション」にアニメ業界が染まって以降、様々な作業上の仕様や作業感覚までもsRGBやRec.709に染まりました。若い世代の多くは、sRGBや709、良くてもApple RGBしか知りません。存在しないものは体験しようがないからです。

 

HDRの時代が到来して、今までの狭い、もはやワーストケースとまで言われるsRGBや709から解放される段階に、アニメ業界も近づきつつあります。HDRを受け入れるか無視するかは、当人たちの判断と感情次第‥‥ではありますが、体験すらできなかった時代とはサヨナラできます。

 

新しいことをする時は、泥縄になることも多いです。

 

というか、知り得ない未知のことに対して、何でも完璧に予測することなど不可能です。知識も経験も存在しない未知のプロジェクトは、あたってくだけて組み立て直すことが必須です。

 

では、誰もが未経験で稚拙な状態にある時、何をして「賢さ」を発揮すれば良いのでしょうか?

 

私の痛烈な実感‥‥ですが、

 

知ったふりをしないこと

無知を隠さないこと

自分の無知を知って、知識と経験の蓄積に努めること

間違っていることを認められること

 

‥‥ですかネ。なんか、道徳の授業みたいでアレですが、ぶっちゃけ、そんなところです。

 

逆にダメダメな行為は、

 

何でも知っているふりをすること

無知を隠して、自分のステータスやプライドを維持すること

自分の無知状態を改善しようとせずに、過去の経験に固執すること

間違っていることを認めずに頑固になること

 

‥‥でしょうかね。

 

知らないこと、未経験なことは、決して恥ずべきことではないと思います。

 

恥ずべきは、「知らない状態を放置すること」「自身では知識の蓄積に努めず、他人の助力ばかりをあてにすること」「知らないことが自分の地位や名誉を傷つけると思い込むこと=何でも知っているふりをすること」です。

 

何か新しい物事につまずいて、周囲のどなたかがヒントや助言をくれた時、「え〜、そういう仕組みだったんですか? 知りませんでした。勉強になりました。ありがとうございます。自分でも掘りさげて研究します。」でいいじゃないのさ。たとえ、ジジババの年齢になっても、何でも知っているふりをする必要はないです。逆に、歳食っても学び続けられる自分に誇りを持つべきでしょ。

 

ベテラン=何でも知っている‥‥なんて言う認識なら、何とも堅苦しいステータスですよネ。

 

学びに制限が設けられるようなステータスなど不要です。

 

どんなに歳をとっても、知らないことはたくさんあって、学び続けるのだ‥‥と思っておけば良いですネ。

 

 


4K8K本放送

ひさびさに休日にテレビを見ていて、NHKで「今年12月1日から、4Kと8Kの放送が始まります」的な宣伝を見かけました。最近は猛烈に忙しくてテレビを見る余裕などなく、自宅の録画機も予約録画が溜まるばかりでしたので、昨日初めて知りました。

 

たしか、去年か一昨年に見聞きした話では、2018年の12月から放送を開始するロードマップでしたから、それが予定通りに実現するのですネ。

 

一方で最近、アニメ業界関連の記事で「3年での離職率が9割」みたいな記事も見かけましたが(今は何かの事情で削除されてますネ。「9割」の情報の信憑性が問われたのかな?)、それと同じくらい‥‥いや、もっと深刻な、「新しい時代の映像フォーマットにアニメはどのように対応するのか」の問題があります。そちらは全くと言って良いほど話題にのぼりませんが、新時代の高品質フォーマットに対応できるスタッフはおろか、会社の体力すら根本的に問われる「大問題」です。

 

そんなアニメ業界の厳しい事情とは裏腹に、4K8Kの本放送開始。

 

そろそろ、根本的な事を考え直す時期です。

 

今やアニメ的なシチュエーションは実写作品で可能になっています。3DCGのセルルックのアニメもどんどん台頭しています。「アニメの表現技術が他の映像ジャンルに食われた」と危機感を抱く人もそこそこ多いのではないでしょうか。

 

しかし私は、実写や3DCGが「アニメを模倣」している時こそ、手描きのアニメのチャンスだと思っています。他の映像ジャンルが「アニメっぽい」ことに寄り道して遠回りしてくれているのですから、手描きのアニメ制作陣営としては新しい技術を確立する時間が稼げます。

 

でもさ‥‥。当のアニメ制作者が、過去のアニメの刷り直しばかりしてたら、そりゃあ‥‥追い越されますよネ。過去しか見てないんだもん。

 

 

根本的な事を考え直す時期です。

 

手で絵を描くことの「本質」を見極めて、コンピュータを賢く使うことです。

 

 

しかし、それは「デジタル作画」ではありません。「紙と鉛筆をペンタブに変えて、今までと同じことを繰り返す」のは、決して賢い方法ではないです。紙と鉛筆ではないコンピュータ関連機器で絵を描くことに慣れる‥‥くらいの効果、移行期における過渡的な手段として認識するくらいがちょうど良いです。

 

「デジタル作画」で得た報酬は? 1カット4000〜5000円?動画1枚200円そこそこ?‥‥だったら、紙作業の単価と同じですよネ。単価に変動がないのなら、効率はどうでしょうか。 出来高で月5万円だった動画マンがデジタル作画に変えたら出来高で25万円稼げるように‥‥はなっていませんよね。 加えて、ソフトやハードの保守費用を補って余る生産効果が「デジタル作画」にありますか?

*出来高ではなく固定給に変えて20数万円の稼ぎ‥‥というのは、デジタル作画の効果ではなく、雇用改善の効果ですよネ。すり替えないで考えましょう。

*もちろん、「デジタル作画」は単なる繋ぎで本命ではないのを重々承知して作業しておられる人もおりましょう。

 

キャンバスが3〜4Kになった時に、今までと同じペースで作業が進みますか? キャンバスが今までの4倍になったのに、昔と同じ絵を描いていて、4Kの効果をどれだけ使いこなせると思いますか? 競合の映像ジャンルはどんどん進化していく中で、どれだけ競争力を維持できると思いますか?

 

たしかに、アニメ制作を取り巻く状況は厳しいです。でも一方で、アニメ制作者当人も、旧来の技術基盤に慢心しきって思考停止しているのですから、より一層厳しいです。周りの状況だけでなく、自分たち本人の技術が危ういのです。その「厳しさ」「危うさ」の象徴がまさに「デジタル作画」です。何か「未来」の話をする時に、旧来の制作フローを大前提で話を始める時点で、既に未来はないです。

 

機関砲陣地に向かって、軍刀をかざして突撃すれば、ミンチ肉と化す未来が待つだけです。軍刀がボルトアクションのライフルに変わったところで、ミンチ肉に変わりはありません。世界の技術が新しく変わろうとしているのに、昔の「必勝パターン」にすがりついて、いくらたて直そうとしても無駄です。2020年代は1970年代ではないです。今のアニメの基本体制を築いてから、50年以上が経過していることに気がつくべきです。

 

 

アニメこそ、4K8Kを活かすべきです。そして、その方法はいくつもあります。

 

もし方法が見えないのだとしたら、旧来のアニメ制作技術の強い洗脳にかけられているのです。若い人間だけでなく、中堅もベテランも。

 

時代は御構い無しに、どんどん高品質映像フォーマットへと進んでいきます。アニメ業界の意思や期待など全く関係ないです。

 

2018年12月の4K8K放送開始は静かな「次世代」の幕開けです。アニメの制作者も、2020年代の次世代を見据えていきましょう。

 

 

 

 


未来は現在

昨日に「明日」だと思っていた未来が、今日は現在。‥‥そんなの、あたりまえすぎることですが、未来がやがて現在になるのは、日々自覚していなくても、現実そのものです。

 

一方で、過去は絶対に現在にはなりません。過去はどんどん遠く、過ぎ去っていくものです。

 

ですから、アニメ制作業において、過去のノスタルジーに浸って、過去に制作した作品をどんなに懐かしく思い出しても、それは思い出話に過ぎず、たまに「酒の肴」にする程度がよろしいのです。

 

では、リアルタイムに進行する「今を生きる」とはどういうものか。「今だけ」を生きることもありましょうし、「未来に繋がる今に生きる」こともありましょう。そして「過去に生き続けて、今を過ごす」こともありましょう。

 

それは個人の生き方、考え方、価値観だけに止まらず、身の回りの物品、アニメ映像制作ならソフトやハードウェアにも現れます。

 

私は今でもカセットテープを再生可能にしていますが、それは全くの「過去に生きる」趣味です。カセットテープにはノスタルジーしかなく、未来など何も求めていません。カセットテープをラジカセで聴くことが、70〜80年代の私の少年期を思い出す「過去への扉」を開けてくれるのです。

 

 

でも、それは趣味だけ。‥‥仕事では、そういうことは一切しません。

 

仕事に過去のノスタルジーを持ち込むことは、あまりにも「ひとりよがり」だと思います。20代の若いスタッフだっているのです。アラウンド50の懐古趣味を仕事に持ち込んで、若い人間もろとも「過去に引きずり込んで」しまうのは、私としては「とても非道いこと」だと思っています。

 

私自身は、仕事にノスタルジーを持ち込む気にはなりません。本に挟んだ押し花やドライフラワーではなく、今咲いている花、そして未来に咲く花の蕾を、水やりしながら楽しく眺めたほうが、私は嬉しいし幸せだからです。そして、嬉しさと幸せは、現在進行して未来へと進むベクトルと一致しやすい性質でもあるので、私自身の感慨だけでなく、制作現場の技術発展と良い具合にシンクロします。

 

人は自身の不遇を感じる時には特に、過去の追憶に身を沈めます。時間が死んでしまった、決して再び蘇ることのない、思い出の亡骸をどんなに眺めても、ふと現実に戻れば、いっそう悲しみは増すばかりなのにね。今の不遇によって過去の思い出に閉じこもる人が制作現場の主要人物やキーマンだったら、その「悲しみ」を反映する現場にもなりましょう。

 

 

実際、アニメ制作は、結構色んな部分が「過去に生き続けている」ように思います。30代半ばですでに過去の技術だけに生きる人もいるんじゃないでしょうか。

 

旧来のアニメ制作技術が過去の技術の刷り直しばかりなら、そりゃあ、未来は「今だけを生きた延長線上」にしか存在しないでしょうし、気がついたら同じことをし続けて50代になっていた‥‥なんてことにもなりましょう。

 

未来に達成すべき目標がやまほどあれば、不遇を感じている隙間もないです。未来がどんどんやって来て、どんどん現在になっていく逼迫感と強迫観念に打ち勝つためには、過去のノスタルジーに囚われている暇もないですし、同じことを繰り返している余裕もないです。

 

 

未来は刻一刻と現在になります。

 

人間の思惑やキモチなど御構い無しに、時間はどんどんやってきて、過ぎ去っていきます。そんな当たり前すぎることを、改めてしみじみと実感すれば、自分が何をすべきかは個人ごとに見えてくる‥‥と思います。

 

今をのりきるためだけに、今の時間を使い続ければ、今と同じ未来が繰り返されます。自分の肉体だけが時間経過の影響をモロにうけて老いていくだけです。やがて、新しい時代の中で、衰弱して淘汰されるかも知れません。

 

過去のノスタルジーで今を埋め続ければ、未来も過去のループの中に埋没するでしょう。死して再び蘇ることのない過去と同化するなら、本人もやがて死と同化する日が訪れましょう。

 

未来を「新しい現在」とするには、何よりも「新しい未来」をつかもうとする意志が必要です。新しい未来を欲して行動するからこそ、新しい現在にどんどん置き換わります。

 

アニメはまだまだやれることがたくさんあります。新しい技術世代でアニメは作り続けられます。未来だと考えていた事物が、現在の現実にどんどん置き換わっていきます。新しい未来は、新しい未来を掴もうとアクションした人々にこそ、訪れます。

 

 

 

 


おじいちゃんの思い出

夏休みの作文みたいな表題ですまんす。今回は思い出話です。

 

私の父方の祖父母は、戦死および終戦まもなくの病死で、私は一度もあったことがありません。私が生まれるはるか昔に死んでしまったからです。祖父が亡くなったのは1945年、祖母は1947年か48年です。

 

一方、母方の祖父母は健在でした。天寿を全うして今は存在しませんが、私が小さい頃は、夏休みと冬休みには必ず母方の実家=祖父母の家に帰っていました。

 

祖父は非常に厳しい人で、私と兄の、ある意味、「恐怖のまと」でした。孫を甘やかすタイプとは真逆で、口数が少なく、怒ることも少ないですが、厳しさが滲み出るタイプの人でした。浅草生まれで、大空襲を避けて疎開するまでは高円寺に住んでいましたから、今にして思うと、喋り言葉が「江戸弁」の語尾だったのを思い出します。

 

私の家系はなぜか教員が多く、祖父も教員で小学校(もしかしたら中学校かも)で教えていた‥‥と記憶します。「曲がった道理には融通しない」性格から、学校の教員仲間からは「偏屈」と呼ばれていた‥‥と母が言っていました。私と兄は「現代っ子」でしたから、「曲がった道理」はともかくとして、夏だとアイスは食べたいし、歩くのはイヤでバスに乗りたいしと、隙あらば甘えん坊を発揮しようとしていましたが祖父は全く動じず、私ら兄弟にとっては、むしろ夏休みに田舎に帰るほうが「厳しい毎日」のような感じでした。

 

そんな祖父の性格でしたから、人にへつらったりご機嫌をとるようなことはなく、「遊び仲間」みたいな人を目撃したこともありませんでした。「友達が少ないのかな‥‥」とか思っていましたが、正月になるとかつての教え子のおじさんたちが年始の挨拶に来て、普段はほとんど笑わない祖父も、教え子たちに囲まれて、自分からベラベラ喋りはしないものの終始笑顔だったのを思い出します。

 

そんな祖父の死後、遺品を整理していたら、数多くの小学校教員時代の自筆による指導用ノートが出て来ました。

 

書道が得意な人だったので、特に習字の書き順や注意点など、指導の実践のような内容が細かく書かれていました。同じノートの中に、クラスの名簿のような名前の羅列があって、何人かの名前に「牛乳」「新聞」‥‥という書き添えを見つけました。

 

おそらく、戦後の苦しい時代、小・中学生でも家計を助けるために早朝に働いている子供も多かったのでしょう。「牛乳」「新聞」のメモは、どの子が登校前に働いているか、事前に把握しておくためだったのだと思います。

 

普通に考えれば容易に想像できますが、早朝にひと仕事を終えて登校した子供と、普通に起きて登校した子供では、すでに朝の1時限目からコンディションが違いますよね。祖父の性格から考えて、むやみに甘やかすことは無いにしても、子供の状況を踏まえた上で、学習指導をしていたのだと思われます。

 

別の話ですが、私のいとこの三姉妹が祖父母の家に遊びに行った時、お昼時に孫たちにインスタントラーメンを作ってくれたそうですが、その際に、3姉妹のラーメンの分量が全て同じになるように計りで計って3つのドンブリに分配していたとか。‥‥普通、そこまでやる? 軽量してグラムを同じにする‥‥なんていうインスタントラーメンの分配。

 

祖父は料理が得意でしたから(浅草で料理人をやっていたこともあるらしい)、目分量でちゃちゃっと分配しても良さそうなのに、3人の孫たちには公平であるべき‥‥との考えだったのでしょうネ。同じく、「牛乳」「新聞」配達の教え子たちにも、「労働の差分を差し引いた上で」公平であろうと心がけたのかも知れません。

 

祖父の死後に見た学習指導ノート、そして私が子供の頃に正月に垣間見た、(かつての)教え子のおじさんたちと祖父の笑顔。三姉妹の孫たちに作ったラーメンの計量。‥‥何だか、全てが繋がったように思えました。

 

実際、私や兄は、祖父の厳しさを恐れていたものの、不信感を抱きようもありませんでした。「じいちゃんだって、ズルしてんじゃん」みたいにツッコめる隙が全くなかったのです。厳しさを自ら体現していた祖父だからこそ、説得力があったのです。

 

 

そんな祖父も最晩年に入院するようになって意識がボヤけてくると、皆が驚くようなワガママを言うようになった‥‥と母から聞きました。

 

私はそれを聞いて、失望するどころか、余計に心を打たれました。祖父は何も天然で=素の状態で、偏屈で厳しかったわけではなく、自分で意識して厳しく行動を律していたのが、改めて解ったからです。意識がボケてきて、律していたものが外れたのでしょう。

 

同じく最晩年の入院中に、兄が病院に見舞いに表れると、たいそう喜んだそうです。確かに、私の子供の頃の記憶をたどると、夏や冬休みが終わりに近づいて田舎から家に帰る時に、駅まで見送りに来てくれていた祖母も祖父も、笑顔で送ってくれていたのを思いだします。

 

厳しいフリして、実は愛情たっぷりの人だったのかも知れません。もう本人に確かめる術はないですが。

 

 

夏が来ると、背筋の伸びた姿勢で立つ、ワイシャツとズボンと帽子の、祖父の姿を思い出します。

 

祖父のような厳しい人間にはなれないけど、確実に影響を受けているのを、今の歳になると実感できます。

 

「あれをやれ、これをやれ」などと細かく言わず、声を荒げた姿など思い出せない、言葉の少ない祖父でした。そう思うと、言葉の多い少ないって、実はあまり関係ないんだな‥‥と思います。‥‥私はこうしてブログでベラベラ喋り(=書き)ますけど。

 

祖父の「その存在自体」がね‥‥。孫たちに色んなことを「言葉ではない方法で」伝えていたのだと、今だと解るのです。

 

 

 

 


今日の日

今日は終戦の日です。‥‥ですが、戦史に興味のある人は、8月15日にキッパリと戦闘状態が各地で停止したわけではないのは、ご存知でしょう。8月20日の真岡郵便局の出来事敦化事件三船殉難事件など、Wikipediaでも検索できます。

 

withnewsの「8月15日=終戦」なぜ定着?法的に別の候補日も 玉音放送の存在」の記事にもあります。

 

 

 

夏になると、戦争に絡む色々なことが特集されるのですが、逆に言えば、夏にならないと多くの人はあまり戦争のことを思い浮かべない‥‥とも言えましょう。

 

まあ、普通に考えて、私らがアニメを作ってられるのは、現在、日本が戦争をしていないからです。「何を言っているんだ。人間社会なんて日々戦争みたいなものだ。」とか広義の意味ではなく、国家の戦争状態そのもの=「ガチで戦争」のことです。

 

戦争になったら、アニメも利用されて、「戦意高揚アニメ」を作る会社も出て来るでしょうネ。私は、このブログでは政治的なことは書かないと決めているので、それ以上の言及は避けますが、世間は自粛ムードが漂い、アニメの話の筋も「戦中の新聞の内容」みたいなのを再演するでしょう。

 

アニメ制作現場、アニメ業界にも問題は山積みですが、なんだかんだ言っても、とりあえず、戦争だけはしてない世の中なので、アニメも作れるんですよネ。

 

 

withnewsの女子挺身隊と思われる写真に写る女性の表情は、悲しみと悔しさと怒りと諦めの、全てが入り混じったような表情のように私には見えます。写真は1枚ですが、そこに写り込んだ人々は、今までの色々な過去の経緯があって、その時系列ゆえの表情の瞬間をカメラは捉えています。

 

The Way It Goesとか言うのは軽すぎるかも知れませんが、実際、国家全体が戦争に包み込まれて抜け出せなくなっていたのですから、いち個人の感情や行動では、その戦争状態をどうすることもできなかったのでしょう。

 

私の父は、陸軍に召集された父親(=私の祖父にあたる)を1945年7月1日付でカンギポット山での戦死で失い、後を追うようにして母親(=私の祖母にあたる)を終戦後まもなく病死で失っています。小中学生だった子供だった父に、その当時に何ができたというのでしょうね。

 

両親を失った父の人生は、大きく、その未来が変わってしまったことでしょう。まあ、同じような境遇にあっても、人はそれぞれだと思いますが、父は2018年の今まで、両親の墓地に墓石を建てようとしません。

 

 

「悲しみと悔しさと怒りと諦め」。‥‥今のアニメ制作の実情も似たようなものですよネ。

 

でも、70数年前の日本の大戦争と違って、自分たちでちょっとずつでも状況は変えられます。反逆罪に問われることはないのです。

 

なのに、なぜ、限界アリアリの旧来制作システムに「ギャラが安い」と言うだけで、自分たちで技術とシステムそのものを変えていこうとしないのですか?

 

原動仕の流れはアニメ作りの「宿命」では「全く無い」ですよ。原動仕の極めて重大な問題点にメスを入れることは、自分たちが主導となって可能です。

 

「親方日の丸」=「業界の総意に従属」なんていう意識はキッパリ捨てられるのです。こと、アニメ制作に至っては、です。

 

 

終戦の日に、何を思うのか。または、思わないのか。

 

まあ、人が何を思おうが自由です。そして、過去の歴史の何を糧とするかも、人それぞれです。

 

滅びる人は滅びる。生き残る人は生き残る。ただそれだけかも知れません。

 

‥‥でも。

 

淘汰のメカニズムは様々ですが、自分で淘汰を生き残る可能性を選択できるなら、その可能性に賭けてみても良いんじゃないですか。

 

死んだら、手も足も、口も出せないヨ。

 

 

 

 


砂城

人は誰しも、「生まれ変わり」とか「死後の世界」とか、大小の差はあれ、どことなく考えているようなフシを感じます。もっと現実的な話で言えば、「自分の遺伝子」とか「相続」とか「家系」とか、自分の生まれる前と死んだ後を、誰しも少なからず考えると思います。私も、自分がどこから来たのか、そしてどこへいくのか、「血」の継承だけでなく、「知」=情報の継承も含めて、自分の遺伝子の行く末に思いを馳せることがあります。

 

でもねえ。‥‥生まれる前のことなんて全く記憶にないし、死んだら手も足も出ないし。

 

思索すると、余計、空虚な心持ちになります。

 

自分の祖先は、どの星屑だったんでしょうかね。1万年後に自分の墓石はどうなってるんでしょうね。

 

遺伝子を遡って遡り切ると、どこまで過去に戻れるんだろう‥‥とか、一生懸命家系や血筋を維持しようと努めても、果たしてどこまで継続するんだろう‥‥とか、冷静に白けて考えると、「そんな果てしないことに思いを巡らせたって、永遠(=自分の人生の期間)に理解できそうもないわ」と観念します。

 

特にね‥‥歴史の浅い商業アニメ制作に関わっていると、「現在と未来をどう切り開くか、それだけだ」と思えてくるのです。アニメ産業は200年300年前には存在しなかった、とても新しい産業ですから、移ろいやすい存在の代表格みたいなもんです。

 

移ろいやすい存在だと自覚せずに、たかだか数十年の期間の出来事を「伝統」「定番」「あるべき姿」とか思い込んじゃうから、話が面倒になるのです。アニメはまだまだこれから先変わっていくでしょうし、下手をすれば死滅もしましょう。

 

自分の存在だって、どんなに長くても100年ちょいでしょう。自分も、自分の遺伝子や家系も、アニメ産業も、そもそも文明や世界全体が、結局は「砂の城」なのかなと思うことはあります。

 

でも‥‥、砂浜に作った砂の城が、たとえ打ち寄せる波にさらわれて崩れゆくものだと解っていても、その砂の城を作るのが楽しいんですよネ。

 

人は、「これで安泰だ」とか「これが決定版」とか言いがちですが、いや〜‥‥‥そんなもん、ないでしょ。全ては変わっていくのだと感じます。‥‥というか、全てが変わってきたからこそ、自分はここに存在するし、アニメも生まれたし、アニメを生業にもできたのです。江戸時代に生まれたら、アニメなんて作れないもんネ。

 

素直に、変わること、移ろいゆくことを受け入れ、今と未来をどう生きるか、です。

 

 

過去のアニメ業界の「カンブリア爆発」をいくら懐かしんで永遠のものにしようとしても、虚しく望みのない悪あがきです。現在のアニメの作り方、例えば、After Effectsで撮影してQucikTimeで出力するのだって、20年にすら満たない「一時期的な仕様」です。全然「普遍」でも「定石」でもないです。ほんの10年ちょいの作業仕様です。

 

アニメ制作にも大きな「変動」の周期があって、日本の事情で言えば、まず「アニメを作り始めた頃」〜戦前でしょうかね。次にテレビアニメを作り始めた1960年代中頃、そして、フィルムを必要としなくなったコンピュータのデジタル映像データ時代〜1990年代後半。

 

で、今度は、そのデジタル映像データの大変革の時期です。四半世紀周期の大波です。どんなに大きな堤防を作ったつもりでも、易々と大波は乗り越えてくるでしょう。その「堤防」の概念自体が過去の基準で古いのですから、防いで防ぎきれるもんじゃないです。前の大変革の時だって、あれだけ長いこと使い続けたフィルムとセル絵具が、あれよあれよという間に実質上消滅しましたもんネ。

 

2020年代に、今までの砂の城は、一旦、波にさらわれます。普遍と思い込んで疑わなかった要素が、あれよあれよという間に実質上消滅する様子を、前回と同じように、リアルに自分たちの目で見ることになりましょう。

 

1990年代には、自分の感慨を容易に書き留めて公開するブログなんて存在しませんでしたから、ごく内輪での認識に留まっていました。でも今は、こうして「ある程度は」自分の考えを公開できます。2020年代を目前にして、四半世紀前と同じ大変動の兆しをひしひしと実感すること‥‥くらいは、このブログでも書けます。

 

でもねえ‥‥、いつでも、多くの人はのんびりしてるんですよねえ。‥‥波が見えても、おもちゃセットを砂の城から取り上げないままで、砂の城が崩れるばかりでなく、色々なおもちゃを波にさらわれて失うんですよネ。砂が波にさらわれるのは仕方ないとしても、自分のおもちゃセットは救い出して、また新しく砂の城を作るときに使いましょうヨ。

 

おもちゃセットとは、すなわち自分の技術です。そしてその技術は生きているうちに活用してこそ‥‥ですよネ。

 

 

 

 

 


夜明け前

今までの役職ありき、今までの工程不動のままで、「デジタル化」を導入するのは、業界にありがちな傾向です。しかし、その「デジタル」の実体=コンピュータ機材やソフトウェアやネットワークの本来の「ポテンシャル」を有効に活用できるか否かは、必ずしも今までの役職や工程を踏襲するだけでは「YES」「TRUE」とは言えません。

 

今まで役職名や作業項目の先頭に「デジタル」を付与する行動、すなわち‥‥

 

デジタル演出

デジタル作画

デジタル美術

デジタル彩色

デジタル撮影

デジタル編集

デジタル制作

 

‥‥なんていう命名は、コンピュータの有効活用の是非よりも、今までの慣習に染まりきって思考停止した人々の姿が浮かび上がります。

 

そのうちに‥‥

 

デジタルカット袋

デジタル作画用紙

デジタルタップ

デジタル修正

デジタル差し替え

デジタルリテーク

デジタル納品

 

‥‥と、何でもお構いなしに「デジタル」を付与するようになるかも‥‥知れませんネ。

 

さらには、子育て家庭で「在宅ワーク」が導入され、サーバにアクセスして作業を開始したログが記録されると‥‥

 

デジタル出社

 

‥‥とか言い出しかねませんし、コンピュータやiPadやスマホで、音声や映像のチャットで打ち合わせをするのを‥‥

 

デジタル打ち合わせ

 

‥‥とか言い出して、さらには、何かをやらかして、サーバにアクセス禁止のパーミッション設定処置を取られたアカウントのユーザは‥‥

 

デジタル出禁

 

‥‥とか言うようになるかも知れませんネ。

 

まあ、安易に「デジタル」を使うことが、どれだけ「幼い」行為であるかが判ろうと言うものです。

 

 

 

私が本格的にコンピュータを導入したアニメ制作に関わり始めた1990年代後半、「デジタルアニメーション」と命名されて紹介されていました。そのネーミング自体が、コンピュータ導入の黎明期、「夜明け前」、「技術が幼い頃」の象徴だったと思います。

 

20年が経過した、2018年の今。

 

まだ「デジタル何々」なんて言ってんのか。長いなぁ‥‥。

 

つまり、いつまで経っても、アニメ業界の「次の日の朝」は明けない‥‥ということでしょう。

 

 

 

別によくないですか? コンピュータを使おうと、「作画」「演出」の素のままで。

 

Adobe CCがあれば、PhotoshopもAfter EffectsもIllustratorもPremiereもAuditionも全部使えますし、無償版のDaVinci Resolveだってありますよネ。それらソフトウェアを使って、映像を作れば良いことです。「デジタル」なんて言葉は、どこにも必要ありません。

 

映像だけでなく音にアニメ映像を合わすのだって、After EffectsやDaVinciに音声データを読み込んでタイムラインに並べて、波形の形と実際の出音に合わせりゃ良いだけだし。‥‥難しいことなんて、何もないでしょ。むしろ、以前より格段に簡単になりましたよ。

 

何でも「デジタル」を語句の先頭に据えたい人って、何をもったいぶって、自らめんどくさく、遠回りしようとしてるんでしょうかネ。

 

 

 

「人の一生は重き荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」

 

コンピュータを主軸に据えたアニメ制作の道のりは、まだまだ未来へ続きます。「デジタル」の語句で事を済まそうとする光景も、淘汰の潮流の中に消えゆく情景の1つだと思えば、それはそれで、傍観してれば良いんだな‥‥と思います。

 

「デジタル」なんていう語句に惑わされることなく、未来への道を一歩ずつ、踏みしめて参りましょう。

 

 



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