ジェットエンジンだけぢゃジェット戦闘機にはならない

日本のアニメ制作技術が、欧米に比べて遅れをとっていると言うのは、確かに事実です。しかし、紙と鉛筆を捨て、「デジタルで今まで通りの原画と動画」を作業しても、欧米には全く追いつくことができません。

 

「作画作業用のコンピュータとペンタブ」を導入すれば、無条件に近代化できるわけではないのです。「欧米に比べて、日本は紙のままで、遅れをとっている」という論調は、実は全然、的を得ていません。私は自己研究の中で、線画までを紙で描き、動かす作業をコンピュータの各種機能でおこなっていましたから、「鉛筆だタブレットだ」というのは単なる入力メソッドに過ぎません。

 

要は、アニメの根本である、絵を動かす技術基盤を、コンピュータでリビルドしない限り、「欧米」には追いつけないのです。入力メソッドの入れ替えで解決する問題ではありません。

 

私が最近の「デジタル作画の盛り上げ」の風潮に全く気乗りもしなければ、同調もできないのは、その辺に由来します。

 

「日本は欧米に遅れをとっているから、デジタル作画で挽回すべし」というのは、いわば、零戦52型を無理やり改造して、ジェットエンジンを積んだ零戦71型を作るようなものです。そして、その零戦71型で編成されるのは、相変わらずの「特別攻撃隊」です。

 

だから、イヤなんだってば。

 

一番重要なのは、目先のペンタブやソフトの話ではなく、絵を動かす「技術の思想」そのものなんだってば。

 

私がもし零戦71型を「使い道アリ」と思うのならば、それは「どんな原型機でも良いから、ジェットを積んで試験飛行をする」とか、「旧型の機体にジェットエンジンを積んで、訓練飛行に使う」とかです。

 

実戦の、しかも主力装備として、ジェットエンジン型の零戦71型は、あまりにも虚しいと思っています。

 

 

零戦は何だか描く気がしないので(悲しい飛行機ですもんネ)、架空の日本機モドキで描きますが、現状の紙と鉛筆の作画を日本のレシプロ機に例えるなら‥‥

 

 

……のような感じです。いかにも小回りがきいて、ドッグファイトに強そうな感じです。

*ところどころ、柔らかそうなメカですけど。

 

そして、「原画と動画をデジタルで近代化だ」と言ってる未来像は、だいたい、こんな感じ。

 

ホントに、レシプロ戦闘機のエンジンを、ジェットに換装しただけです。用兵の思想も「格闘戦至上主義」を色濃く継承しています。

*実際、レシプロ機の絵の一部を消して描き直しただけです。

 

作画作業を、紙と鉛筆ではなく、タブレットで作業しよう‥‥というのは、「絵を生み出すエンジン」が「紙」から「コンピュータ」に変わっただけですから、別に何の嫌味でもなく、上図のような姿と言えます。実際、こういうレシプロ機の面影の濃いジェット機は実在しました。

 

飛行機をあまり知らない人は、上図のジェット機の「何がいけないのか」、よくわからないかも知れませんが、よりパワーの出るジェットエンジンの利点を全く活かせてない点が、イカんのです。「旧式な機体のスタイル」がジェットエンジンのポテンシャルを制限しちゃってるのです。

 

似たようなこと‥‥ですが、作画作業をコンピュータに移行しても、結局、実質的な内容が、紙と鉛筆の「作業スタイル」のままでは、コンピュータのパワーを活かせません。様々なコンピュータの機能を活用せず、紙と鉛筆の代用品にしている時点で、「ちょっと便利」くらいです。コピペが楽だな‥‥とか。

 

じゃあ、どんな機体のスタイル・デザインがジェットに適していたか‥‥というと、

 

 

‥‥のような後退角のデザインです。ジェット先進国のドイツで既に戦時中から研究が進んでいました。速度面で、レシプロ機の直線翼より効率的で有利でした。

 

作画に話を戻しますと、コンピュータのパワーにいち早く気づいたであろう欧米某国では、既に5〜6年以上前から「アニメ作画の後退翼」とも言える、様々な新しい作画技術を具現化したプロモーションビデオが完成していました。このブログでもちょっとだけ触れたことがあるかも知れませんが、当時仕事がらみで見て、かなりのショックを受けたものです。

 

欧米のソレは、ごく普通に、アニメの映像作品として成立していました。アニメの動かす新技術の合わせ技にとどまらず、カラースクリプトも徹底されていました。う〜ん、欧米パワー、恐るべし。日本でよく耳にした「Flashアニメ」とか言われていた映像とは、一線を画していたのです。それが5〜6年以上も前の話です。(多分、もっと前に映像は完成していたでしょうね)

 

私は当時(まあ、今も‥‥ですが)あくまで個人研究、欧米大手は会社のプロジェクトとして技術をどんどん構築していましたから、なんとも悲しく、侘しい感情に苛まれたものです。日本はいつまでたっても、発明と開発のできない国なんだなあ‥‥と。

*ちなみに、そのPVは、未だ世の中では公開されておりません。なので、私も詳しくは喋れません。

 

 

ジェットエンジンに動力源を変更するということは、様々な技術の革新が求められるのです。

 

同じく、作画の「エンジン」を、紙と鉛筆からコンピュータへと移行することも、様々な作画技術の革新が求められていきます。

 

単に「道具がペンタブになった。ソフトは何がいいかな」なんていうレベルを、「改革の目標」にしているようでは、はっきり言って、どうしようもない‥‥のです。

 

そして、先導役の人間たちが、「原画と動画をペンタブで作業しよう」なんて旗印を掲げているようでは、同じく、どうしようもありません。旗印は、「未来への行動の核心」を記すべきだと思うのです。

 

 

作画技術を近代化することは、原画と動画をペンタブで作業し、旧来のエコシステムの存続させることですか?

 

作画技術やシステムそのものを、未来の映像技術に適応させて、時代とともにアニメを産業として成立させ、アニメを末長く作り続けることではないですか?

 

 

私は、旧来の枠組みを取り払って、コンピュータのポテンシャルを引き出す新時代のアニメ制作技術を、地道に積んでいくことだと思っています。

 

今までのワークフローに固執し、枠組みに執着している以上、どんなに新しい「エンジン」が新開発されても、旧来の限界を突破することはできないでしょう。

 

旧来の枠組みを守りたいのなら、旧来のお金の問題もずっと引きずっていくしかないです。「日本のアニメーターは貧乏」なんていうフレーズを少なくとも私は30年前以上から聞き続けていましたが、それは原画と動画をペンタブで作画しても変わることはありません。デジタル作画だからって、単価が極めて優遇されるわけでも、5倍の効率を手に入れられるわけでもないわけですからネ。マシンのイニシャル&ランニングコストで、僅かな効率アップも相殺されるので、下手をすると、紙時代よりもマイナスに転じるフリーアニメーターも出てくるんじゃないですかネ。「デジタル作画」の話題の時は、そういう部分には綺麗に蓋をするよね‥‥。

 

 

旧来のセクショナリズムを撤廃した上で、コンピュータを導入してその優位点をふんだんに活用すれば、技術も、報酬も、大きく様変わりします。実際、私は今月後半から来月頭にかけて、短尺パッケージの原画全てと動画1200〜1500枚相当をひとりで作業することになりますが、それを今までの原動画技術でおこなうのは全く不可能ですもん。新技術だから引き受けられる仕事です。もちろん、報酬はその物量に対してのものなので、相応な額が出ます。

*ちなみに、技術の安易なコピペと流出を、「共有」とか「セクショナリズムの撤廃」とすり替えるのは、一番マズいので、取り扱いには十分注意したいですネ。流出によって技術を受け取った人は、それを「タダで手に入った」としか思わないもの‥‥なんですヨ。タダで手に入ったので、タダでさらにバラ撒いて、技術開発に金がかかるなんて全く思わない人種は、残念ながらそこそこ多数存在するのです。

 

しかも、キャラの中割りでのキャラ崩れもなければ、割りミスも色パカもなく、動きは中枚数など全く気にせずいくらでも滑らかに描写でき、今まであまりにも大変で避けてきた繊細な描写も可能‥‥と、作業する側も完成物を手にする側も、良好な相互関係を築けます。

 

私が進めている、そうした作画技術の発展計画を、上図の流れで飛行機に例えるならば、前述のコレを‥‥

 

 

下図のような‥‥

 

‥‥デザインへ進化させることを第1段階目標とします。

 

今までの「ドッグファイト用の機関砲」、つまり作画で動かす技術と同時に、ミサイルという新兵器、つまりトランスフォームやディストーション、ボーンや三角メッシュで作画する「新世代の武装」も併設し、機体はあらゆる空気抵抗を減らすため、より流線的に洗練=ワークフローを洗練させていきます。エンジンのパワーを速度に直結させるため、後退翼はいわずもがな‥‥です。

 

次は、データベースをガッチリ組んで、「全天候型レーダー」的な作業ができる‥‥

 

 

‥‥のような形態へと進化したいです。

*これでも、まだ日本機モドキのパーツはかろうじて残っています。胴体のパネルの一部‥‥とか。

 

そして、できれば6〜8年以内に、もはやレシプロ機の面影などどこにもない‥‥

 

 

‥‥のようなレベルまで進化できたらと思います。これでも、まだまだジェット機の歴史で例えれば、ジェット第2世代くらい‥‥ですもんネ。

*原型の日本機モドキからは何も流用せず、全部消して描いたら、こんな粗うなってしまいました。

 

F-14や15、F-16や18、フランカーやラプターやF-35なんて、高望みなんてしません。まずは第2世代のジェット機レベルまで、アニメの技術を進化させるだけでも、2020年代前半は上出来と思います。

 

 

このブログは文字で書くがゆえに、文字で何かを伝えるメディアですが、こうした「発展の理想」は、何よりも作品の表現で日々実践していけば良いと思います。

 

今年は去年以上に、色々と発展できそうな予感。やっぱり、ピンチの時代はチャンスの時代なのです。

 

もう、可愛いキャラでも、リアル風なキャラでも、キュートでもハードでもヘヴィでもクールでもkawaiiでも、何でも実践するものは実践していきます。自己研究はそろそろ切り上げて、次なるフェイズに突入せねば‥‥です。

 

「業界の総意」がどういう意向や流れでも、結局は自分たちの会社、自分たちのグループ、そして自分‥‥ですよネ。まず、そこを大事にして発展させていかないと。

 

 

 

 


Fire 40秒。

古いiPadやFireは、もっぱら設定やコンテのビュワーです。

 

古いけれど、9インチに2560pxをブっこんだFire HDXは、設定ビュワーとしてはスペックオーバーとも言えるタブレットです。

 

なぜ、Amazonはこのハイエンドタブレットの製品ラインをやめてしまったのか‥‥と思いますが、おそらくコストを含めた品質上の問題と思われます。私のHDXは、驚くべきことに、ディスプレイ表面が何かに押し上げられるように湾曲し、本体とディスプレイ表面に隙間が生じています。

 

9インチに2.5K(2560x1600)を詰め込んだ高密度液晶のタブレットを、5万円以下で売る‥‥という無理がタタったんじゃないでしょうか。画面が剥がれて反り返ったり、液晶のバックライトのムラはどんどん酷くなるし(設定を見るぶんには全く問題ないです)で、本体の崩壊が始まっております。

 

「いつか、壊れるだろうな」と思いながら、実用上はとりあえず問題ないので、そのまま使っています。

 

‥‥が、今日、作業に入ろうと思ったら、電源が入りません。画面が真っ暗。

 

「うわー、ついに来たか」と思いましたが、とりあえずそこそこ高価なタブレット(HDX 8.9, 32GBモデル 45,800円)だったので、対応策を検索してみたら、アマゾン本家にありました。

 

クイックヘルプ:画面の反応が遅い、またはフリーズした場合

 

Fireの場合、「電源ボタンの40秒の長押し」で、再起動できるようです。

 

 

端末アクセサリ(カバーも含む)を全て外して、電源長押しすること40秒くらい。

 

見事に電源が入りました。画面に映し出されたのは、いつもの300ppi越えの綺麗なディスプレイ。

 

ほんの10分くらいでトラブルは解決。平常作業〜。

 

 


柔軟路線

前回、コンピュータを外国の食材に例えて、「異国の新しい食材を、新しい調理法で」‥‥のような例えを書きましたが、異国ならではの調理法だと、イマイチ馴染みというかレスポンスが芳しくないのを感じます。日本には、アニメの表現域の余裕がまだまだたっぷりあって、様々なスタイルを模索するのが新技術の醍醐味ですが、新しい表現スタイルは確立するまでそれなりの時間を要します。幾度とないエラー&リトライが必要です。

 

なので、最近は「和風のアレンジ」、いわゆる「柔軟路線」も考えるようになりました。

 

「和風アレンジ」は、西洋の食べ物が日本に入ってきた頃、盛んにおこなわれましたよネ。

 

まさにその「和風アレンジ」アニメ技術版の柔軟路線を現在制作中。

 

しかし、新しい食材を和風にしすぎて、「これ、里芋? 大根? イワシ?」と思われては、新しい食材を調理する「技術者」の気概もシオシオですから、うまいこと、新技術の旨味も凝縮させたいと思っています。

 

「和風」の絵は、やっぱり、落とし所が見つけやすくて、絵になりやすいので、良いですネ。

 

ただ、せっかくなので、ディテールの端々に、「トラディショナルスタイル」他から抽出した様々な新機軸を盛り込む所存です。

 

和風伝統の、綺麗で可愛いキャラをより綺麗で可愛くするために。


時代は幾度となく

「デジタル作画」の話題を書いていると、1996年に私が「デジタルアニメーション」の現場に参加した時のことが、頻繁にフラッシュバックします。

 

当時の状況は、「コンピュータでアニメの工程の一部をリプレース」し、Photoshop的な「逆光」とか「変形」などコテコテの「CG要素」が2Dの「新しい技」、加えて、3DCGとの「合わせ技」が、まさに「デジタルアニメーションの真骨頂」とでも言わんばかりで、「絵全体のかっこよさ、美しさ」はまるで眼中にないような絵作りでした。ゆえに「コンピュータを導入しても、最終的にこんな画面を作ってちゃ意味ないだろ」と思っていました。私が1996年のそうした「デジタルアニメーション」の現場に呼ばれたのは、まさに「そこ」を改善する役割として‥‥でした。

 

日本の料理しか食べたことのない人々のところへ、外国帰りの人が「これが新しい食材だ」とばかりに、日本には存在しなかった異国の食材をただ単に皿に盛って出すのだけれど、箸でつついて食べて見ても「一向に美味しく感じない」‥‥というようなことが、当時の「デジタル」黎明期に発生していたのです。どんなに新しい食材で美味しさのポテンシャルを秘めていても、料理もしないでドンと皿に盛るだけじゃどうにもならないのを、「素材は調達できても、料理はできない」人にはわからなかったのです。

 

新しい素材を手に入れたのなら、新しい調理法で料理を作って、対価を支払うお客さんに新しい味覚を味ってもらって、「でしょでしょ? 美味しいでしょ?」と作った側も受け取る側も共に喜びたいと思うのです。

 

 

以下、マーケティングの古典からの引用です。

 

産業活動とは、製品を生産するプロセスではなく、顧客を満足させるプロセスであることを、すべてのビジネスマンは理解しなければならない。

 

 

「自分たちの作っているのは、製品ではない。作品だ。」と言いたい人も中にはいるでしょう。

 

しかし、その「作品」とて、「人が見て、対価を支払うこと」が大前提です。特に、市場に流通する「アニメ作品」の場合は、「作品は製品として」人々の手に届きます。

 

「アニメ作品」は、作った本人がどんな考え方であろうと、「アニメ商品」の宿命を帯びています。

 

作品は「アーティスト」の作る「純粋な」創作行為の成果物であって、お金の儲けは全く関係ない。どんな人が何人見ようが全然関係ない。極論、誰も見てくれなくてもいい‥‥とでもいうのでしょうか。‥‥少なくとも、私はそんなことを言い出す監督さんを「キャリアの乏しい新人以外」では見たことがないです。

 

ある程度の長い年月、映像制作の現場で、作品作りに参加した人ならば、商品として流通する創作物には、作品と商品の「扱いにくい二面性」があることは承知していますよネ。ですから、映像作品・映像商品を作ることになる我々は、創作とマーケティングの2要素を、頭の中で、そして作りあげる過程において、葛藤させるわけです。

 

その時の都合に合わせて、「アーティストだ」「商人だ」「作業者だ」「表現者だ」と自分の立ち位置をコロコロ変えるのではなく、それらを全て併せ持ったキメラだと覚悟すれば良いだけです。

 

なので、上記引用文を言い換えるならば‥‥

 

作品制作活動とは、作品を創作するプロセスではなく、作品によって観客を魅了するプロセスであることを、すべての制作者は理解しなければならない。

 

‥‥とも言えます。「魅了」とは必ずしも「明るくハッピー」なだけでなく、「ズーンと心に重く響いた」「とても切なく悲しい気持ちになった」「深く考えさせられた」でも、魅了と言えます。そしてその「魅了」が「次なる創作」と「産業の流れ」に結びついていくのです。

 

 

‥‥で、アニメ作品を「商品」と「作品」の両面で捉えた時、「デジタル作画」は「商品製造的に」どのようなメリットがあるのか、「作品創作的に」どのようなメリットがあるのか。

 

「商品的」「作品的」の2つに対して、「デジタル作画」が果たす役割は、かなり曖昧です。

 

 

しかし、「デジタル作画」を「過程」と見るならば、存在意義はあります。絵描きの人間が、道具としてのコンピュータに慣れる‥‥という効能において。

 

そして、「デジタル作画」をきっかけとして育成した若い作画スタッフが、その後の新時代のアニメーション作画の「エバンジェリスト」として未来に機能するのなら、過渡的な「デジタル作画」とて、決して「徒花」ではないでしょう。

 

とにかく現場の少数でもコンピュータの「様々な扱い」に慣れなくては、「デジタルデータ」時代の映像制作における、次世代フォーマットの新しい技術によるアニメーション制作なんて、作品づくりにしても商品づくりにしても、実質的に進展しないですもんネ。

 

だから、業界をあげて、デジタル作画に移行しようなんて、妙なナショナリズムをぶち上げるのは、わたし的には不信だし懐疑的です。やりたくない人まで巻き込む必要はなしです。やりたい人だけがやればいいのです。

 

時代は幾度となく、再現します。‥‥だとするなら、技術の発展や浸透は、あくまで競争の原理で高めていけば良いと思います。

 

 


デジタル作画に対する判断

「デジタル作画」に利点を感じないのであれば、無理に導入する必要など無いと思ってます。実際、私の主力は「コンピュータで絵を描いて動かす」技術であって、決して「デジタル作画」では無いです。何度も書いてきていることですが、原画や動画を単純にコンピュータへと移行した「デジタル作画」で何か劇的な導入効果が得られるか?‥‥と言えば、私の見解では「No」のまま変わりません。

 

しかし、「コンピュータによるアニメーション制作統合環境(APIE)」の一環の中で、旧来の原画スタイルの作業も可能なので、ぼちぼち引き受けています。互換機能を使って、です。

 

実際に私が引き受ける「高額な」仕事は、「デジタル作画」では一切なく、コンピュータ作画統合技術によるものです。

 

 

実際、「デジタル作画」を標榜する人々が、どのような現場の収益モデルを思い描いているのか、よくわからんのです。

 

そして、その「デジタル作画」が顧客(アニメ作品のフォロワー)に対して、どのようなユーザエクスペリエンスを提供すると考えているのか、その辺もよく伝わりません。そもそも、現場の内輪だけの話で、アニメ作品を手にする人々のことなど、考えてもいないフシを感じます。手描きで何千枚も描く以上、やっぱり細かい絵はキツいし、枚数の制限は依然として存在しますから、成果物は紙の時代と何も変わらないのです。

 

何か、「現場をデジタルにすることだけが意義」のようにすら、受け取れるのです。公の文書(ネットのテキストも含む)を読む以上は、「作画までデジタルに移行することで、現場、制作者、そして顧客に、何のメリットがあるのか」が不明瞭なんですよネ。

 

 

何度も何度も書いていますが、コンピュータは相当悪質な金食い虫なので、相応の効率的な映像制作システムを有し得なければ、何をどう考えても「原画動画を高価なコンピュータ機器で作業するだけ」では大した収益など得られないと思います。

 

その昔に放映した「プロジェクトX」の「Suicaカード」のエピソードを今一度、見返して欲しいですが(流石にネットでは見れないので、こちらのPDFを)、「デジタル作画」を導入することで何の利点が存在するのか、真剣に見直す時期がきているでしょうネ。

 

 

実際、「デジタル作画の利点って、何?」

 

 

私が見た「その筋」の資料によると、「欧米に比べて、日本は紙のままで、遅れをとっている」みたいな言い草ばかりが目につき、なるほどと思えるような要素が希薄でした。「なぜ、紙のままだと遅れをとっていると言えるのか?」の納得できる説明が見当たらなかったのです。

 

何か、コンピュータを使わないと退歩的で「悪し」で、コンピュータを使えば進歩的で「良し」みたいな、当事者の勝手な思い込みすら感じます。

 

それに、「デジタル作画」が従来の作画作業の「代替」であるのなら、その時点で負けていると思います。いかにも、近視眼的過ぎますもん。

 

 

 

なぜ、「デジタル作画」を、いくつかの協会団体は推進しようとするのでしょうかね? 協会で進めるべきことなのかな。

 

 

ある人は言っておりました。「自分は老眼が進行して、もう紙じゃ描けないから、デジタルで描きたい」と。

 

私は、紙を取り回す労力よりも、iPadで拡大縮小回転上下左右でグリグリとキャンバスを動かしながら、多彩な機能で絵を描く利点を知っているので、事あるごとに「iPad作画」の良さをこのブログで書きますし、紙運用の煩わしさも書きます。しかしそれは、「デジタル作画が良い」と肯定しているのではないのです。あくまで、「コンピュータで絵を描く際の利点」なのです。

 

むしろ、私が「デジタル作画」に期待するのは、(数日前に書きましたが)「破壊神」としての側面です。

 

 

私は間髪を入れずに、コンピュータ作画統合技術の利点を即答できますし、過去のいくつかの作品・作業事例、もしくは現在展開中の作品の「数字」で解説もできます。現在、ここ数年の努力の甲斐もあって、「作画の新技術」〜コンピュータ作画統合技術の仕事は徐々に増えてきており、同時に少人数制作の経験値も着々と積み重ねています。

 

片手に余るメインスタッフだけで、映像がどんどん出来上がっていく新しい制作システムは、旧来の大人足の作業システムと比べて、特徴的です。しかしそれは、「どういう映像を作りたいか(=売りたいか)」という発想が原点であり、現場の都合の打算で生まれたものではありません。

 

4K60pや8K120p、HDRという新しい映像フォーマットの中で、日本が培ってきた美意識の潮流を具現化したいと思うがゆえに、どうしても新しい作画技術が必要なのです。A4やB4の紙と鉛筆では到達できない、原画動画のスキームでは達し得ない、新たなフィールドを実感するからこそ、そのフィールドでアニメーション映像を創作し、新たなマーケティングを展開していきたいのです。

 

一方、去年に旧来技術主体の作品にメインとして参加した際は、ほとんど「コンピュータ」と「ネットワーク」の利点が活きませんでした。一部を「デジタル」で作業したところで、効果は薄いものでした。都合、「いつもの感じ」の制作状況に引きずり込まれていきました。

 

 

やはり、「デジタル作画」を推進する人に、「なぜ、デジタル作画を推進するのか」聞いてみるのが一番でしょうネ。そこで、納得できる返答が帰ってこないのなら、「あれ? なんか危なっかしいぞ?」と感じて、早急な判断をしないで、それで良いと思います。

 

数年前は、「デジタル作画」という言葉のインパクトで煙に巻くようなところがあったかも知れません。しかし、2017年現在は、そんなに皆、何も知らないわけじゃないし、「デジタル作画」の厄介な側面も実感しはじめていますよネ。

 

 

私は、あくまで「会社単位」「グループ単位」で構わないと思っています。業界全体を誘導しようなんて、必要なのかな?

 

とある制作会社が「見たことのない、新種の映像」を打ち出してきて、それに負けじと触発されて、他の会社も技術開発に取り組む‥‥みたいな「競争」こそが必要だと思います。

 

今の「デジタル」の撮影だってペイントの普及だって、業界の協会団体が音頭をとったわけじゃないしさ。

 

会社同士の、作品同士の、水をあけてあけられて‥‥の競争でいいじゃん。それで十分、発達していくと思います。あくまで、私論ですけど。

 


絵描きのマーケティング

前回引用した「マーケティング近視眼」の話題は、企業に限ったことではありません。部署でも、個人でも、同じ構造をもちます。

 

アニメーターが自分を「原画マン」と自認するか、「絵描き」として自認するかによって、当人の境遇や処遇、発展性も大きく様変わりするでしょう。

 

あくまで私の持論ですが、アニメーターは、30代以降は「絵描き」として自らを捉え直し、「アニメ作画の近視眼」から抜け出ないと、単価オンリー・定型の工程オンリーの仕事からいつまで経っても脱出することはできないと思います。高度な専門技術を有するにも関わらず、30〜40歳になっても、月10万円台前半の収入しか得られない状況に甘んじることになりましょう。そして、今後はさらに過酷になっていくことも容易に予測できます。

 

確かに単価の安さはあるでしょう。しかし、一方で、自分自身はどれだけ自分の能力を多岐に渡って、活用する取り組みを実践してきたでしょうか?

 

自分の能力を別の方面に活かすために、どれだけ行動してきたでしょうか。

 

「だって、依頼がないんだもん」‥‥というのは、まさに「マーケティング近視眼」で衰退していった事例の典型です。

 

「マーケティング近視眼」的に言えば、アニメーターは「自分はアニメの作画専門だ」と自ら限定することで、映像制作全般やネットワークコンテンツ産業で展開される様々な「絵を必要とする仕事」に乗り出せないのです。あくまで、線画だけで収入を得ようとし、自己限定、自己抑制、自己制限の枠から踏み出しません。

 

そんなの、あからさまに「行き詰まる」の、みえみえ‥‥ですよネ。

 

他業種に関しては、「古いやり方ばかり続けてても、時代は流れていくんだから、応じて、商売の方法も変えていかないとダメだよね」なんていうわりに、自分らの作業スタイルに関しては「不問」「無批判」なのは、滑稽過ぎます。

 

 

誰かが「カタ=型」を作ってくれるまで動けない‥‥という習慣は、それこそ1960年代生まれの私の世代でも、ありがちな傾向です。いわゆる無意識なシステム依存です。

 

重要なことですが、「型」は自分たちでも作れるんですよ。

 

 

「でも、アニメ業界の型はそう簡単には変えられないじゃん」という人もいましょうが、いきなりなぜ、型がいかにも変えられなさそうな相手を選ぶんでしょうかネ。

 

広大な太平洋の向こう側の土地ばかり夢見て、自分の足元にある土地は草ボーボーなのが気づかんかの。

 

自分ひとりや自分の仲間の小規模の取り組みで、新しい型を実践して、それは結果、アニメ業界のお盆の上でなくてもかまわないじゃないですか。アニメ作画に従事したら、外出禁止令や交際禁止令を厳守せねばならんのかネ?

 

 

日本人の美徳は規則正しく秩序を守って‥‥だとは思います。しかしその美徳が、ビジネス開拓の気概を著しく「去勢」しているのだとしたら、なんという悲劇、そして喜劇。

 

 

日本のアニメーターってさ‥‥ぶっちゃけ、上手い人だらけじゃん? 世界的にも見ても、相当レベルが高いのは、言われるまでもなく‥‥ですよネ。

 

その上手い人たちがアニメの作画机やペンタブの前から飛び出して、自分のリラックスできる場所で、iPad Proの12.9インチとApple Pencilを手にして、まずは色付きのイラストでも描き始めたら、どういうことになるのよ? ‥‥という話です。

 

1発目、なんともヒサンな色付きイラストになっても、大丈夫。失敗は本人以外、誰も見てないし、失敗作は誰にも見せなければ良いんだから。

 

うまく描けたのだけ、世に出せばいいのです。さも、「こんなのタイシタコトナイ」的な顔してネ。

 

‥‥で、「あ、自分って、イラストも結構イケるかも」と自分の能力の「拡張性」に気づいたら、あとは、その拡張した能力を、どう売り込んで、どうビジネスに変えて行くか‥‥だと思いますヨ。

 

 

日本人の職人気質は、紛れもなく日本人の高い技術を象徴する美徳でしょう。

 

その職人の型の中にビジネスを閉じ込めてしまうのか、職人気質から得た技術をビジネスで発展させるのかによって、あまりにも大きな差が生じます。

 

高い技術を有するには、職人に徹して、ひたすら技術向上を目指す期間も必要です。でもだからといって、死ぬまで限定された作業枠で生き続けるべきかは、当人の判断で良いと思います。「アニメーターは線画ひと筋」なんていう気風に縛られる必要はないでしょ。

 

 

制作費、単価の問題は、その議題そのもので取り組んでいけば良いのであって、それに自分の運命を託すべきものではないです。制作費、単価の問題とは別に、たとえアニメの現場が揺らいでも、他の技術ネットワークで生きていけるタフさを、「絵描き」「映像を作る人間」として勝ち得ていけば良いのです。


デジタルの効能

実際に原画作業をiPadでやってみて、「デジタル作画」の普及はまだまだ小規模で、紙が主流であることを思い知ります。でもまあ、その理由は単純に「コスト」の問題でもあるように思います。それなりの経済力をもつベテランのアニメーターの中には既に自腹で購入してイジりはじめているひとも多いですし、紙の作画の傍で「デジタル作画」のセクションを併設できる会社も存在するからです。

 

「デジタル化」の実際として、「撮影」工程でも似たようなコストの問題があります。知り合いから聞いた話では、撮影で今でもAfter Effects CS6を使い続けているのは大多数のようで、要は、After Effectsだけでなく、プラグインのバージョンアップ、マシンの更新など、様々なコストの問題で、CC2017には結果的に更新できないのだと思います。ちょっと試算しただけでも、CS6から作業環境全体を最新にするには相当な額になりますもんネ。規模が大きいグループほど深刻です。

 

アニメ業界を離れれば、After Effectsは最新版がスタンダードです。なぜって、最新版でやりとりすればバージョンの細々とした問題を回避できるからです。CS6に合わせて、バージョンダウンを何度も繰り返す手間は、最新版で統一している現場にとっては、無駄なコストとなります。私はトラブルの元となるAfter EffectsのAEPのやりとり自体を極力避けますが、AEPのやりとりが避けられない場合は最新版でお願いしています。もしそれで「NO。CS6で。」と言われた場合は、作業自体をご辞退させてもらっています。実際、私の作業マシンは、CC2017未満のアドビ製品はアンイストールしているので、CS6までのバージョンダウンはできないのです。

 

ちなみに、After Effects CC 2017でも、アニメの撮影は何の問題もなく可能です。機能的な障害はありません。ではなぜアニメ業界の撮影はCS6のままなのか‥‥というと、CC自体の導入の問題とか(定額費用)、CS6時代のプラグインが動作しないとか(プラグインの更新費用)、マシンやOSの要件がCS6時代から引き上げられているとか(本体&周辺機器の買い替え費用)、結局は環境を更新できない経済状態が障害だと思われます。CS6より以前のCS5のところもあると聞き及びます。

*撮影工程の名誉のために付け加えておきますが、中には「CCも導入済みで使えるけど、CS6のままの会社に合わせて、あえて標準はCS6にしている」ところもあります。しかし、結果的に撮影はCS6以前のままであることには、変わりありません。

 

「デジタル」に移行して10年以上経過した「撮影」セクションですら、5年前のバージョンから更新できない状況です。「デジタル作画」のコスト問題がどのようになるのかは、先達のありさまを見れば、想像に難くないでしょう。

 

コスト問題に加え、運用やメンテナンス面も加わって、「デジタル作画」は、もっと混沌とした状況になると思うのです。

 

「今だけ動けば良い」とばかりに導入した数十台の最低スペックのマシンに、いつインストールしたかも覚えてない旧バージョンのソフトウェア。ぐずぐずなアカウントとライセンスの管理。秩序なきサーバのディレクトリやファイルの運用。‥‥そのわりに、各社間で作業力の融通をし合うものだから、各社の内部の混乱が、各社間で錯綜して「感染」し、まさに絵に描いたような「エントロピーの増大」が予測されます。

 

正直、作画を含め「オールデジタル」にした際の、イニシャルコスト、ランニングコスト、メンテナンスのコスト、リプレースのコストを、どれだけ、試算できてるでしょうか。

 

そんなのやってみなければわからない」なんて答えるのだとしたら、相当ヤバいように思います。最初から負けがみえている‥‥と言っても過言ではないです。だって、イニシャル・ランニング・リプレースなんて、最低限の試算であって、もっと大きな枠組み・スキームまで計画できていないと、ダラダラと金を消費する「猛烈な金食い虫」に化けるのがコンピュータ関連なのです。

 

 

でも‥‥です。

 

迂闊な判断も、アニメ制作の未来を考えれば、ある意味、「一興」です。

 

猛烈な金食い虫だと知らず、「動画の人がペイントまでやってくれるらしいよ」なんていかにも他人事でマヌケな判断で手を出して、波状攻撃で襲ってくるコンピュータの「コスト消費攻勢」に持ち堪えられなくなって、会社を畳む‥‥なんてことがあったとしても、それは「自然淘汰」と見るべきです。アニメ制作共同体を1つの体とするならば、機能障害を防ぎ、自己で治癒する、「自浄作用」なのです。

 

アニメ制作共同体は、相当に疲弊しています。1970年代に本格化したテレビアニメのシステムは疲労蓄積が甚だしい。

 

そこで2つの選択肢が生まれます。1つは、疲労回復。もう1つは新たな共同体の誕生。

 

「デジタル作画」は、言うまでもなく、前者の「疲労回復」のカテゴリ。「デジタル作画」によって、今までの業界の疲労蓄積をショック療法で「手放したくないものまで」削ぎ落とし、裸一貫から再スタートを切るきっかけになれる‥‥かも知れません。

 

CS6から更新できない経済状態。最低限スペックのマシンしか初期導入できない資金。その状態からオールデジタルに突進して、まさに「生き残るところは生き残り、死ぬところは死ぬ」状況が、制作共同体全体の自浄作用となるのなら、疲労蓄積を払拭する「またとない機運」とも言えます。

 

いくつもの深刻な持病を持ち続けて、「あと何年生きられるか」なんて恐怖に怯えながら貯金の残高を計算するのと、イチかバチかでも大手術に賭けてみるか‥‥の、どちらを選ぶかは、個人、グループ、会社でそれぞれ考えていけばよいです。

 

私の場合、「まったなしの決断」を今から8年前に実行して、なんやかんやありながらも、うまく生き残って、現在があります。「あの時、決断せずに、閉鎖空間の中に閉じこもり続けていたら、今はかなりヤバかっただろうな」と強く、強く、実感します。失うものも多かったですが、それに増して、得たもののほうが多かったと、しみじみ思います。

 

 

私が「デジタル作画」「オールデジタルのアニメ制作現場」の機運に期待するのは、「デジタルをどう使いこなすか」などの目先のことではなく、「デジタルによって淘汰される現場」です。

 

「デジタル」で現場が大きく揺さぶられることによって生じる、「崩壊と新興」こそが、実は一番重要な要素だと思っています。

 

 


iPadで描いた後に。

昨日は、紙の絵コンテを指でスワイプして、次のページへめくろうとしてしまいました。

 

何だか、心よりも体が先に、どんどんiPadに慣らされていきます。

 

もはや、わたし的には、iPad作画環境に全く不都合を感じなていないがゆえに、カラダが無意識にiPadの流儀をどんどん受け入れているんでしょうネ。

 

一方、周りの人たちもiPad Proで色々仕事をしていて、iPad普及率に結構驚きます。監督さん、演出さん、脚本家さん、制作さん、etc...。

 

PC本体が必要ない、ソリューションがデジタル作画に限定されない、絵だけでなく色んな使い方ができる、軽い、薄い、持ち運べる‥‥というのが、様々な役職のスタッフにちょうど良いのだと思います。そして、手頃な価格(MobileStudio ProやSurface Proに比べて)なのも、個人的な導入のハードルを下げているのでしょうかね。

 

 

ただ、原画など、定型作業の出力の際は、バッチやスクリプトが使えるMacが必須ですネ。

 

要は、「iPadで描いた後の雑事」をどうするか‥‥です。

 

レイヤー名に基づいて、定型の原画出力を自動でおこなうスクリプトは、はやいところ作らねばなりません。会社によってレイアウト用紙の規格が違うので、手作業でその違いに対応しているとアホみたいに時間がかかります。

 

レイアウト用紙ファイルの規格を決めて、レイヤー名で処理を分岐するスクリプトを作れば、どんな会社のレイアウト用紙にも対応できます。‥‥このあたりのノウハウは、昔にアニメ撮影のツールを作った時に体得しました。会社ごとのプロパティ(どういうファイル命名規則でファイルを出力するか‥‥とか)を読み出す仕組みも取り入れても良いでしょうネ。

 

Photoshopは、スクリプト制御とアクションが併用できるので、ぶっちゃけ、Photoshopのルーチンワークはほとんどアプリケーション化できます。スクリプトの命令では届かない部分はアクションを作っておき、スクリプトはそのアクションを呼び出して実行すれば良いのです。スクリプトとアクションの連携で様々な自動化が可能です。

 

Macの場合、PhotoshopやAfter Effectsのスクリプトは、AppleScriptのアプリケーション形式(スクリプトファイルではなく、アプリケーションとして動作する)で書き出せば良いので、一度作っておけば、ドラッグ&ドロップかダブルクリックで自動処理が実行可能です。

 

 

何よりも、自分のために、自動出力アプリを作らねば。

 

やっぱり、原画作業は、絵を描いて動かすためだけにほとんどの労力を使いたいですもんネ。

 

 


2月に入った。

2月に入りました。正月の休みが懐かしい。

 

昨日までに1月いっぱいスケジュールのコンポジ・エフェクト関係の仕事はひと区切り、2月からは怒涛のiPad作画の日々です。こなすべき作業量は結構なものですが、どんなに描いても机が散らからず汚れないiPadによる作画は、精神的な負担が軽いです。

 

作業場が荒むとさ‥‥、心も荒むものです。

 

 

でもまあ正直なところ、iPad ProとApple Pencilで作画関連の仕事をするなんて、前例がないがゆえに(登場してまだ2年くらいですもんね)「成立するかな〜」と思ってはいましたが、一方で、「これだけ、普通に絵が描ける道具で、絵の仕事ができないわけがない」とも確信してもいました。

 

結果、iPadでの作画の仕事は、今では、抑えなければ溢れるくらいの作業量になっております。

 

やっぱり、人も道具も、使いよう‥‥ですネ。

 

 

* * *

 

来た仕事をこなす。‥‥基本的な仕事のスタンスです。

 

しかし、来た仕事を一生懸命こなし続けるだけでは、開いていかない作業の方向性というものがあります。

 

仕事を導く。‥‥これも仕事の重要なスタンスの1つです。

 

自分の能力や性質が今まで以上に活きるような新しい方面を開拓する、「仕事を作りだす」ことも重要な取り組みなのです。

 

周りが自分の能力に気づいてくれるのを待っていたら、それこそ死ぬまで気づいてもらえないかも知れません。周囲が「この人にこんなことをやらせてみると面白いんじゃないか」と思えるような状況を、来た仕事を足場に作りだす、ある種の「したたかさ」は絶対に必要なのです。

 

いわゆる、「結果物による暗黙の売り込み」です。

 

要は、現在の仕事で、未来のための「布石を打つ」わけです。

 

 

そして、布石を打つには、能力が必要です。

 

絵で様々な仕事を引き受ける人間になりたいのなら、絵を描く能力が不可欠です。映像で様々な仕事を引き受ける人間になりたいのなら、映像をコントロールできる能力が不可欠です。

 

基礎技術、応用技術を習得することなしに、「テンプレート」をいくら暗記しても、豊かな広がりは得られません。「テンプレ」だけでこなせる現在の仕事が延々と続くだけです。そして、その「テンプレ」の仕事が廃れてきたら、終焉に巻き込まれて心中するしかなくなります。

 

基礎力って、ホント、後になって効いてきます。「テンプレ」が揺らいでも、基礎力があれば応用も可能で、なんとか倒れずにすみますもん。

 

 

ゆえに、20代はとにかく基礎的な能力をできる限り高めて、30代は応用技術、40代はシステム作り、50代は事業‥‥という「ものつくり人生の設計」に備えるのです。20代に基礎技術を獲得しておかなければ、いくら40代、50代で焦って「建物」を作ろうとしても、強度不足や手抜き工事の耐震偽装建築となり、ちょっと大きな揺れに遭遇するだけで倒壊してしまいます。

 

私は、こうした「ものごとの長期的構造」に気づくのがやや遅くて、体感で5〜6年、遅れている実感があります。20〜30代の目標は見据えていましたが、40〜50〜60代にすべきことを明確に捉えていなかった‥‥と言いましょうか。40代前半でなすべきことを、40代後半の今、取り組んでいる‥‥という遅れです。

 

私の甘さに因る5年の遅れが致命的となるかは、実は、今後の社会の歴史によって、大きく変わってくると思います。社会の趨勢が「アゲンスト」になるか、「フォロー」になるか‥‥で、私に限らず、様々な人の運命が左右されます‥‥もんネ。

 

私は(こんなことを書くくらいですから)楽観的な見方もしていて、結構強い「フォロー」の社会の風を感じています。「コンピュータを道具にして良かった」と今になって思います。遅れを完全に相殺できるかはわかりませんが、追い風であるのはひしひしと感じます。

 

 

* * *

 

2月の仕事の様相は、ふと考えてみれば、今までの「布石」のあれこれを反映した内容です。原画もあり、イメージボードもあり、デザインもあり、コンポジットもあり、片手にあまるような極めて少人数で映像を作り上げる仕事もあり‥‥で、要は、このブログで徒然に触れてきた技術関連が、実際にリアルに、仕事として動いています。

 

私はアナリストでも解説者でも評論家でもないですから、リアルに体感していない技術の話題は、ここじゃ書きませんもん。

 

‥‥で、リアルに体感している「イケそうな」技術は、必ず、仕事になって、「報酬」と「次へのステップ」を与えてくれます。それは今までのレールと遠く離れていても‥‥です。

 

 

未来の社会における、アニメ制作各社の「レール=路線」って、どれだけ発展・維持されていくのでしょうネ。全てが「廃線」にならずとも、破綻して廃線同然になるグループも出てくるとは思います。

 

レールがあるならそれで良い、でも、たとえレールがなくなってもなんとかなる‥‥ようなことを、「絵や映像でメシを食っていく」のなら、布石をいくつも打って、状況・フィールドを作っておく必要があると思います。

 

今すぐには効果が見えなくても‥‥です。

 

そして、その「効果が出るまでの待ち時間」に耐えられるか否かで、当人の人生も、作品作りの流れも、大きく変わってくるんだと思います。


色々、準備

ネットワーク型のタイムシートとか、ネットワーク対応型の作業計画&進捗状況表(=集計表を兼ねる)とか、色々準備しています。小規模な仕事なのをいいことに、大型作品やテレビシリーズ本編では「やらせてもらえない」アイデアの、試行錯誤を内輪規模で実践できます。

 

しかし、何と言っても、悩みのタネは、「オフライン」。

 

一時的に紙に出力して、オフラインになるのが、結構‥‥いや、かなりツラい。メンドい。

 

作画用紙や伝票を旧来の紙運用に分岐することで、一気に、ネットワークオンライン型の「オールデジタル」の構造が乱れます。でもまあ、これは言ってもしょうがないことなので(合理性だけで人が動くわけではないのが現実)、なんとか策を講じます。ネットワークをあくまで主軸にして、紙は「アマゾンの印刷伝票」くらいに「一時的なもの」として「派生」させる程度に収めます。

 

要は、紙へのOUTPUTはしても、紙からのINPUTはしない‥‥という基本体制で乗り切る。‥‥のです。紙はあくまで「ダミー」もしくは「エイリアス」ということです。(まあ、紙の場合、オリジナルの変更にシンクロするわけではないから、エイリアス‥‥というのは、あくまで「一時的な化身」というイメージですけどネ)

 

このあたり(全データだけでなく情報管理のネットワークオンライン化)は、業界・現場で機運が高まるは、先の先の先の先‥‥くらいかなぁ‥‥。



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