作る。こなす。

作品は「作るもの」であって、「こなすもの」ではないです。

 

これはちょうど、食事が「食べるもの」であって、「消化するもの」ではないのと同じです。料理人が、「はい、消化するものをご用意しました」とお客さんに出したらギョッとしますよネ。

 

そんなことは、だれでも判っていることでしょう。しかしプロとして「作る」行為を仕事にして、しかも生産フローのいち工程に組み込まれると、いつしか「作るもの」が「こなすもの」へと結果物も意識もどんどん変質していきます。

 

一方で、「作る」行為を要求できるほど、例えば動画1枚の料金は相応で適切な金額設定かと言うと、これも誰もが「不適切」だと判るでしょう。

 

新人や見習いの期間に、「こなす」のではなく「作る」意識を習得するのは、ごく自然なことです。しかし、キャリアを積んで新人から抜け出ても、現在の作品内容だと動画だけでは収入が成り立たない現実もあり、例えば「完全出来高で月5万」なんていうケースも世間に知れ渡り、「作る」を要求できるほどの報酬が設定されていないことは白日のもとに晒されています。

 

ぶっちゃけ、教育・指導する側も、こと、動画に至っては、「プロの品質」「作る行為」を肯定的な要素として指導できない「現実」がありましょう。

 

例えばベテランのアニメーターの中で、現在の動画の内容と単価で、テレビ作品の動画作業だけで完全出来高で20万円を稼げる人はどれだけいるでしょうか。昔話ではなく、「今のアニメの内容」で、月1000枚‥‥です。

 

つまり、「動画をプロの仕事にする」という一方で、「プロの仕事にはできない料金システム」という、痛烈なジレンマを抱えています。

 

 

無経験、未経験の人間が、最初からプロの報酬を得られるわけもないです。少子化の世代は、ベビーブーム世代の昔よりも大事に扱われて、「世界で1つだけの存在」などとおだてられて育ってしまったこともあるかも知れませんが、仕事場においてプロフェッショナルとして一目おかれてプロ相応に扱われるには、相応の能力が必要になります。生きてるだけじゃ、どうにも価値など見出せません。

 

しかし一方で、アニメ業界の、特に動画の料金システムはあまりにも酷いままで、「プロを自認できるほどの報酬がない」のは「現場を形成する構造」の「大問題・大欠陥」です。意識はプロでも、お金はプロじゃない。‥‥これは昔からの問題ではありましたが、近年のアニメの傾向〜複雑で線が多く、クオリティ基準も厳しくなった作画内容において、問題は極めて深刻化しています。昔話をして済む話じゃないです。

 

 

 

こなすのではなく、作るんだ

 

‥‥この「あたりまえのこと」を、現場においてあたりまえの事として意識するのは、旧来構造のままで突き進むアニメ制作現場では中々難しいようです。

 

どのような現場を新しく作れば、作品を「こなす」のではなく「作る」現場を形成できるのか。

 

難しいことではありますが、本気で取り組んで余りある、有意義な目標だと思っています。

 

 


雑感

「デジタルアニメーション」にアニメ業界が染まって以降、様々な作業上の仕様や作業感覚までもsRGBやRec.709に染まりました。若い世代の多くは、sRGBや709、良くてもApple RGBしか知りません。存在しないものは体験しようがないからです。

 

HDRの時代が到来して、今までの狭い、もはやワーストケースとまで言われるsRGBや709から解放される段階に、アニメ業界も近づきつつあります。HDRを受け入れるか無視するかは、当人たちの判断と感情次第‥‥ではありますが、体験すらできなかった時代とはサヨナラできます。

 

新しいことをする時は、泥縄になることも多いです。

 

というか、知り得ない未知のことに対して、何でも完璧に予測することなど不可能です。知識も経験も存在しない未知のプロジェクトは、あたってくだけて組み立て直すことが必須です。

 

では、誰もが未経験で稚拙な状態にある時、何をして「賢さ」を発揮すれば良いのでしょうか?

 

私の痛烈な実感‥‥ですが、

 

知ったふりをしないこと

無知を隠さないこと

自分の無知を知って、知識と経験の蓄積に努めること

間違っていることを認められること

 

‥‥ですかネ。なんか、道徳の授業みたいでアレですが、ぶっちゃけ、そんなところです。

 

逆にダメダメな行為は、

 

何でも知っているふりをすること

無知を隠して、自分のステータスやプライドを維持すること

自分の無知状態を改善しようとせずに、過去の経験に固執すること

間違っていることを認めずに頑固になること

 

‥‥でしょうかね。

 

知らないこと、未経験なことは、決して恥ずべきことではないと思います。

 

恥ずべきは、「知らない状態を放置すること」「自身では知識の蓄積に努めず、他人の助力ばかりをあてにすること」「知らないことが自分の地位や名誉を傷つけると思い込むこと=何でも知っているふりをすること」です。

 

何か新しい物事につまずいて、周囲のどなたかがヒントや助言をくれた時、「え〜、そういう仕組みだったんですか? 知りませんでした。勉強になりました。ありがとうございます。自分でも掘りさげて研究します。」でいいじゃないのさ。たとえ、ジジババの年齢になっても、何でも知っているふりをする必要はないです。逆に、歳食っても学び続けられる自分に誇りを持つべきでしょ。

 

ベテラン=何でも知っている‥‥なんて言う認識なら、何とも堅苦しいステータスですよネ。

 

学びに制限が設けられるようなステータスなど不要です。

 

どんなに歳をとっても、知らないことはたくさんあって、学び続けるのだ‥‥と思っておけば良いですネ。

 

 


999の35mmフィルム上映

銀河鉄道999の2本立てが、35mmフィルムで1週間限定で目黒シネマで上映されるとのことです。

 

https://twitter.com/megurocinema/status/1035134398679539713

 

Rec.709の狭い色域のブルーレイとは違う、35mmフィルムの上映ですから、「違いの判る大人」は見にいきましょう。懐かしさも含めてネ。

 

 

他人のことはわからないので、自分のことだけで思い起こしますが、考えてみれば、私のアニメーションへの執着・執念は、映画の999から始まったのだと思います。

 

もちろん、マジンガーZやキューティハニーなど私が小学1年生の頃にみたテレビアニメにも大きな影響を受けてはいますが、明確に「テレビマンガ」から「アニメ」「アニメーション」を意識したのは、私が小学6年生の時に観た映画の999からです。

 

当時のアニメ雑誌がもたらした情報の影響も大きく、りんたろうさんの絵コンテをはじめ、制作内部の中間素材(キャラ設定や色見本や美術ボードなど)を記事で紹介していました。私が初めて買ったアニメ雑誌は、アニメージュの1979年7月号で、映画の999を特集した記事が載っていました。

 

そもそもテレビではなく劇場のフィルム上映によって、「まんがまつり」ではない「作品としてのアニメ」を見ることも、私の中での大きな変化でした。

 

アニメーションは色のついた絵で画面が満たされ、音とともに上映されるものですが、アニメーターの作画技術が作品の大きな要素となっていることは、小学生の私にも理解できました。当時のアニメ雑誌も、荒木伸吾さんや安彦良和さんの特集を組んでおり、アニメ好きの同級生も同様にアニメーターに注目したものです。

 

一方で、映画館で観た映像の美しさは何によるのものか、線画が原点になっているのは判るとしても、線画だけでは成し得ない要素が数多く存在することも、子供ながらに何となく意識していました。背景美術、セルの色彩設計、そして撮影技術。

 

アニメ雑誌やムック本でたまに紹介されていたアニメ撮影台の技術に、私は中学生になった頃から興味を抱き始めました。中学2年生の頃に「さよなら銀河鉄道999」が劇場公開されましたが、その頃は作画と撮影の両方に注目して鑑賞していました。‥‥情報の影響はデカいものですネ。

 

「さよなら銀河鉄道999」は撮影技術が目に飛び込む映像で盛りだくさんですが、例えば、ラーメタル星で鉄朗をパルチザンが助けるシーンでの崖上に並ぶパルチザンたちのカットの撮影は、今見ても奇跡的な光学操作のなせる技です。

 

なんだかね‥‥、こうして改めて記述してみると、今の自分の立ち位置は、子供の頃に確定していたとも思えます。

 

 

 

35mmフィルム上映の銀河鉄道999の2本立て。

 

当時を知る人も、知らない人も、Rec.709が映像の全てではないことを改めて認識するためにも、ぜひご鑑賞ください。

 

sRGBやRec.709の抜けの悪い緑にずっと騙され続けてきた20年からようやく解放される今、映画館で35mmフィルムのアニメを改めて自分の目で確かめて観るのも、良い「区切り」だと思ってます。

 

 


ケーブル

機器を結線するために用いる配線材。すなわち、「コード」や「ケーブル」ですが、8〜12年の周期くらいでどっさりと廃棄処分になります。なぜかというと、機器の更新に伴って、ケーブルが必要な規格基準を満たさなくなるからです。

 

昔懐かしいSCSIケーブルは大量に処分しましたし、民生のビデオケーブルももはや使う機会があまりにも少なく、「いざという時のために少しだけ残して」大半は捨てました。

 

最近また、そんなフェイズに差し掛かっているケーブル規格があります。

 

HDMI、DP(ディスプレイポート)の旧規格のケーブルです。

 

HDMIは2.0か2.0a以上、DPは1.2以上が明確に必要になります。そうしたバージョンが明記されていない、「Hi-Speed」表記や「4K対応」表記は、あてにならないどころか、混乱の原因です。

 

HDMI2.0未満のケーブルでもHi-Speedとか4K対応とか、パッケージやネット通販の説明に書いてありますが、実際はHi-Speedでも18Gbps未満の以前の規格バージョンだったり、4K対応でも30Hzどまりだったりと、かなり注意して購入しないと意図せぬ残念な結果になります。

 

でね‥‥。これは商売の常‥‥なんでしょうが、現在最新ではない規格のケーブルのパッケージや購入ページには、HDMI2.0非対応!‥‥とか、4Kですが30Hz止まり!‥‥とか、わざわざマイナス要素を書くことは少ないのです。

 

現在店頭やネット通販で「売上ナンバーワン」のケーブルが、必ずしも最新である保証はありません。

 

HDMIに関しては、4K HDR 60pで映像を映し出したい場合は、

 

解像度

リフレッシュレート

 

‥‥の全てを確認する必要があります。規格を満たしていないと、どれかが期待しない結果となります。買う際に、スペックの表記ではなく、「2.0」というHDMIのバージョン(DPなら1.2)が明確に記述してあるケーブルを買ったほうが手っ取り早いです。そして、購入して実際に結線したら、上記の3要素を必ずチェックすべし!‥‥です。

*DPは1.3や1.4があるようですが、現在普及しているのは1.2ばかりです。

 

厄介なのは、解像度とリフレッシュレートは、2.0未満のHDMIでもしばしば4K60Hzを伝送できることです。それで「4kHDR60pに対応している」と早合点しがちになりますし、実際にメーカーがどんなケーブル材を使っているかなんてアウトサイダーにはわかりません。

 

最近、ケーブル1本の規格が原因で色のトラブルがありましたが、幸い、複数台のミラーリングと、ちょうどトラブルが判りやすい色味だったので、すぐに気づきました。もし、シングルモニタだったら、ケーブルの旧規格が原因で色がズレて表示されても、「そういう色なんだ」と思い込んで、オリジナルのカラーデータのほうをイジってしまう「一番マズい状態」に陥ります。

 

なので、大量に廃棄。今すぐじゃなくても、いずれは廃棄。

 

いつ買ったのか、どのような経緯で買ったのか、バージョンがいくつかもわからない(ケーブルに記述があれば良いのですが‥‥。ネットワークケーブルのように、Cat.5eとか6とか)、覚えてなくて紛らわしい、昔のケーブルは厄介のもとです。

 

現在、私が自分でケーブルを買ったり、作業場で購入する場合は、非常に「ケーブルのバージョン」を気にして、ピリピリしながら買いますし、購入をお願いする場合は明確に仕様と規格を伝えます。まあ、システムスタッフさんは、その辺は勝手知ったるで、私以上にピリピリっとしていますから安心ではあるのですが、一応、私のほうでも「ケーブルは何が必要なのか」を理解しておくことも含めて、事前に色々と調べてから買うようにしています。

 

 

 

旧規格のHDMIケーブルやDPケーブルは、近い未来に一気にゴミと化すぞ‥‥。

 

今さ‥‥100baseのネットワークケーブルって、もうどうにもならんじゃん。「いやいや、ご家庭のネットワークはそもそもWAN側が50Mbpsにも達していないことが多いから、使い道はある」‥‥とも言えるのですが、少なくとも、新しく買うのは最低でも1Gbps対応の5eでしょう。

 

2年前くらい(2016年頃)に、実家のテレビラックの後ろから、10baseのハブが出てきて驚愕しました。ケーブルテレビのネット回線を使っているので、30Mbpsくらいは出るのに、10baseのハブで全て台無しにしていた‥‥という。

 

2016年まで、10baseの同軸までついているハブを使い続けてた‥‥って、スゴいですよネ。

 

ご家庭ならば笑い話になりますが、映像制作のプロの仕事ではそうはいきません。

 

機材を4K時代の最新機器にリプレースしたのなら、今まで使っていたケーブルは再検証して、ダメなものは潔く「2Kまで対応」と書かれたダンボールに詰めて一定期間保管したのちに、潔くリサイクルに出すべし‥‥です。少なくとも私個人はそうしないと、部屋がどんどん、昔の使えない物品で圧迫されます。

 

新しいケーブルの購入費用も新規機材費として、ぬかりなく計上すべし!‥‥です。

 

 

大量消費社会にうんざりする‥‥でしょうか。私も、ふと、「後から後から次々と新しいものに乗り換える」日常に疑念を抱きかけることもあります。

 

しかし、抱きかける‥‥だけで、決心するには至りません。まさにアニメそのものが「大量消費社会の寵児」だと再認識するからです。

 

どんなにエコを気取っていても、現代社会で電気を使い電車にのって会社に行って仕事して‥‥という時点で、消費社会の一員です。どのくらい「表面上は手を汚していないか」だけのレベルで、例えば、豚肉のソテーを食べられるのだって、豚ちゃんを誰かが屠殺しているから‥‥であって、豚肉を食している時点で豚を殺しているのと同義です。だからって、豚肉やまぐろは誰でも食べるでしょう?

 

アニメを作る‥‥なんていう仕事は、大量消費社会を自ら体現しているようなものでしょう。紙時代だって、口パクの閉じ口だけで紙1枚を使って、不要になったら大量の産廃‥‥ですからネ。アニメーターになったころに、「アニメは随分と紙を使い捨てる産業なんだな」と思ったものです。そして今は、コンピュータはその処理能力ゆえに電力消費と排熱がすごくて、その冷却のために空調でガンガン冷却して電気を消費する様を毎日見ています。

 

そもそもアニメは電気がないと成立しない産業です。そして、大量消費のスキームの中で商品を売ります。

 

であるならば、高性能な機材を少数人数で使いこなして、制作を成立させるような「エネルギー効率の高い現場」を目指すしかないと思っています。その一環には、「しかるべきケーブルを購入し、機材のポテンシャルを必要十分に引き出し、人間の能力の拡張につなげていく」ことも含まれましょう。

 

そういう意味では、旧来の現場の「人間が生み出すエネルギーの燃焼効率」は極めて低いと言えます。曲がりなりにも、絵が上手いと少年少女の時代から言われてきて、さらに研鑽を積んで高レベル技術者にもなろうという人間が、動画で月5万円しか稼げない燃焼効率って、いったい、どれだけエネルギー損失率が酷いんだよ???と思います。

 

ケーブルをこれだけ大量に廃棄処分にして、旧式化した機材の累々とした残骸の上に立つのなら、より良き作品制作とより良き現場を志したいと、真に思うわけです。

 

 

 


SVHS。

スタジオに籠って「仕事仕事仕事」なので、世間〜特に大阪の方面が大変なことになっていたことに、いまさら気がつきました。車がコロコロと風で飛ばされるなんて‥‥。

 

今日は、日常の仕事の他に、眠っていたVHSデッキをUSB&HDMIで蘇らせるべく、場所を移動して設置しました。これ。

 

 

 

見ての通り、ちゃんと回転して動作しております。今となっては貴重なSVHSデッキ。

 

もちろん、SVHSですので、Sビデオアウトから、USBとHDMIにそれぞれ変換しています。昔のビデオデッキは出力が2つあるので、2系統の出力が可能です。

 

USBはBlackmagicのホーム向け製品の「Video Recorder」(現在は販売終了)に繋いで動作を確認しました。HDMIはExtreme 4K StudioのHDMIキャプチャINに繋いでもらう予定です。

 

こうした昔の機器を引っ張り出して何か新しいことをするわけでなく、単にライブラリ用途です。作業場には仕事の性質上、せっかく高性能な機器があるので、端子が余っているのなら繋いでおこうと思いまして。

 

 

昔を省みることも必要だとは思います。でもそれは、現在から未来へと進み続ける時系列とは違う次元の中に存在し、決して蘇ることはないです。VHSテープが全盛になることなんて、あり得ませんもんネ。

 

私は今でも昔の色々なものが好きですが、そうした自分の思い入れを未来と混同することはないです。過去を引きずっても未来のためにはならないですし、昔のそっとしておきたい記憶も現代の価値観でズタズタに切り裂かれてしまいます。

 

昔と今と未来は、それぞれ住み分けて、善し。ですネ。

 

 


自助努力の可否

皆が自助努力で頑張れば、制作はうまくいく。これは経験の浅い、もしくは初心者を抜け出た頃に陥る思考の、よくある例です。

 

実際のところ、自助努力のスコープはローカルに限定されます。つまり、自助努力の効果が発揮されるのは自分自身どまり(=自分の中だけで全ての采配が完結する範囲)であって、複数人数の自助努力を結集しても、制作進行はうまく進むどころか、無駄につぐ無駄を呼び、破綻すら招きます。

 

例えば、こなすべきミッションが‥‥

 

1、2、3、4

 

‥‥とあったとして、皆の自助努力のターゲットが、

 

Aさん 1、2、3

 

Bさん 1、2、4

 

Cさん 2、3

 

Dさん 1、2、3

 

Eさん 1、3

 

‥‥となった場合、結果は‥‥

 

1の合計=4

 

2の合計=4

 

3の合計=4

 

4の合計=1

 

‥‥と、ものすごい偏りがでることがあります。

 

ではなぜ、1、2、3に「皆の自助努力」が集中したのでしょうか。

 

1、2、3の作業がやりがいがあったり報酬が良かったりするからです。反して、4はめんどくさくて厄介な作業で「割に合わない」ので、だれもやりたがらずに放置されてしまったのです。

 

自助努力を集団作業に期待する罠」の典型も典型で、笑い話レベルです。

 

「5人もいて、なぜ、1人しか第4工程に着手してないんだよ!」なんていうのは、自助努力に現場を委ねたこともかなり悪いのです。

 

これはたとえエクセルで表をつけて、皆で状況を監視していても同じです。皆が「これ、だれがやるんだろう」と放置すれば、エクセルの進行表が公開されようと同じです。

 

作画で言えば、日常芝居の会話シーンと、モブが乱闘してビルが倒壊するシーンとで、どっちが先に「売れるか」なんて判り切ってますよネ。同じギャラなら会話シーンに決まっています。

 

これを自助努力でなんとかしようとしても、どうにもなるもんでもないです。‥‥そもそも、担当者が決まらないのですから。

 

 

未来に必要なのは、マネージメントシステムであって、自助努力の名のもとに皆が表計算のリストを眺めることではないです。

 

そして、そのマネージメントシステムがタフでダイナミックであっても、最後に決め手となるのは人間だと私は思います。マネージメントシステムは、スタッフとの会話の「声のトーン」から状況を把握できますか? ‥‥できませんよネ。

 

プロの現場で自助努力なんて言い出すのは、相当危ういです。その言葉が出た時点で、現場のコントロール機能は失われつつあって、統制を欠くことを意味しているからです。

 

10揃えば足りるところに作業者の自助努力で50も集まる一方で、10必要なのに1しか揃ってない‥‥なんていうのは、まさに「自助努力という名の現場放置プレイ」です。

 

高度なマネージメントシステムが確立されたとしても、そのバリュー=値をジャッジするのは、人間です。

 

要は、コンピュータだけでなく、人間だけでもなく、コンピュータと人間で制作を支えていくのが、未来の制作スタイルだと思っています。

 

 


自分のジャンルと他人のジャンル

なぜ、人は「他のジャンル」になると、今まで自分が積み重ねてきた労力や努力を忘れ、「どうせ簡単なことだろう」と思いがちだったり、その逆に「想像が及ばない凄くて近寄れないもの」と思うのでしょうネ?

 

絵を描く時、プロなら、その描線の1つ1つが積み重なって、プロの絵になることを熟知しているし、痛感しているはずです。線1本を軽視すると全体像は思うようにならずに崩れるし、線1本に固執しすぎて全体に目がいかなければ全体像はバランスを欠きます。

 

地道な積み重ねがプロをプロたる技術へと押し上げますし、様々な視点をもって広範囲に観察するからこそ色々な絵が描けるようにもなります。

 

そうした、自分が心血を注いで築き上げてきた「自分のジャンル」に対して、他者から浅い見識と軽率な状況把握によって不当に低評価を下されたりすれば、ものすごく不快な気分になるでしょう。

 

逆に、まるで神様扱いされて、「あなたの生まれながらの才能は素晴らしい」なんて言われても、「何もわかっちゃいない。センスだけでここまで技術を高められるわけないだろう? 相応の努力をしてきたんだよ」と、同じく不快な気分にもなるでしょう。

 

でも、自分のジャンルではなく、他のジャンルに対して、同じことをしがちになる人は、結構存在するのです。

 

本当によくありがちなのは、「絵で描くのは大変だけど、『デジタル』や『3D』だと簡単なんでしょ?」と思う作画の人間ネ。

 

なぜ、自分のジャンルを築くに至った今までの苦労と格闘の経緯を、他のジャンルに対して思いやれないのでしょう?

 

自分の関わるジャンルだけが尊いでも思っているのでしょうか。

 

 

思うに、そうした「自分のジャンルはすごい」「他者は楽してるんだろうから、他のジャンルは大したことない」と考える人間が、ワークグループに存在する時点で、「アニメ現場の明るい未来」は永久に来ません。‥‥少なくとも私はそう思います。

 

自分のジャンルで大変だった事柄を、他人のジャンルで軽々とこなしている「ようにみえる部分だけ」を見て、「簡単にできちゃうんだ」と考えがちなのは、本当によくあることです。そして、「あんなに簡単にできるのなら、どんどん安いお金で引き受けてもらおう」だなんて考え始めます。

 

アニメーターが下描きもせずに、一発描きで絵をサラサラと描くのを他者がみて、「そんなに簡単に絵が描けるのなら、安く沢山描いてよ」なんて言ったらどうします? 馬鹿野郎!‥‥でしょ?

 

さも簡単そうに見える動作のバックボーンに、色々な技術と経験がぎゅうっと詰まっていることを知っていれば、「サラサラとスピーディーにこなす」ことが「楽」「簡単」「安い」ことと同義ではないのが判りますよネ。自分の結果物が、経験と技術と才覚の結晶だということを知っていれば、他者の結果物にだって同じ思いを抱けるはず‥‥なんですけどネ。

 

 

以前、作画の人がAfter Effectsで撮影まで兼任して独自の映像をコンポジットする‥‥みたいなことに、ちょっとだけアシストしたことがあります。その時、「テクスチャの貼り込みはできないので、やってください」と言われて、驚いて唖然としました。

 

撮影まで自分でやって自分の原画担当シーンをコンポジットしたいのなら、貼り込みの作業も自分でやらないとダメでしょ。

 

そんな事例に限らず、作画の人の中にはどうやら「テクスチャの貼り込みは簡単にできる」「テクスチャの貼り込みはソフトが自動でやっている」と思っている人がいるようです。自分でいじったこともないのに、よくもまあ、他者の作業を「簡単だ」とか思えるよネ。

 

他のジャンルの人間が作画作業に割り込んできて、「自分は顔だけが描きたいから、他の部分は作画さんがフォローしてください」なんて言いだしたら、どう思います? ‥‥そして「エフェクト作画や小物類の作画なんて遊びみたいなもんで、顔を描くのに比べれば楽チンなんでしょ?」なんて、作画の素人が言いだしたら、どうでしょう?

 

未経験で何も知らないお前が、簡単だとか勝手に決めるな!‥‥と思うはずです。

 

 

でもさ‥‥「デジタル」が作画にも及んで来て、各ジャンル相互の理解が深まるどころか、他のジャンルをいっそう軽視して、簡単な部分だけを「つまみ食い」するような状況にすら及び始めているように思います。

 

いかにもダメな「技術認識の甘さ」、「内輪モメ」の典型ですが、これを改善する見込みは、私は「ない」と考えています。江戸幕府が継続する以上、「士農工商」が撤廃できなかったのと同じく。

 

でもまあ、やがて何隻も「黒船」がやってきます。江戸幕府はその際に「新政権」に再編成されることもあり得るでしょう。その時が「変われるチャンス」です。

 

 

思うに、今までの「作業工程生粋で育った人間」が工場生産ラインで繋がっている現場の様相は、一旦終息することでしか、仕切り直しはできないのだと思います。それは具体的に言えば、旧現場感覚の人間たちが「引退」することでしょう。もし現場感覚を変えられるのなら、とうの昔に変えられていたはずですからネ。

 

かと言って、年齢だけ若くても、考え方が旧現場感覚なら、20代でも50代でも同じです。頭の中身がおじいちゃんおばあちゃんならば、新しい現場感覚や意識なんて芽生えようもないです。

 

アニメーション制作の各工程を実際にプロクオリティ(=品質に対する責任)で兼任してこそ、各工程の相互理解が深まります。最初から「自分は何用の人間か」を決めつけるのではなく、あらゆる制作作業の中で「自分が何者か」を確立していくのです。そのためには、セクション単位ではなくジョブ単位でフローするダイナミックな制作管理システムも新しい現場の基盤として必要でしょう。

 

未来に向けてやることはやまほどあります。でもそれは、未来もアニメを作り続けたい‥‥と思えばこそ、ですよネ。

 

 


過去の春と、未来の春

温度差はあって当たり前です。前世紀末も、セルやフィルムと並行してコンピュータによるペイントとコンポジット技術が徐々に進行していきましたし、DVDが出ても相変わらずレーザーディスクを買っていた人もおりましょう。

 

どうやら、理屈ではなく愛着が色々なものに作用して、温度差が生じるように思います。キャリアに関係なく、知識や見識にも関係なく、本人の感情が大きく作用するのでしょう。

 

特に仕事に関わる物品で、当人が何を買うかで、当人の温度を客観的に伺い知ることができる‥‥とも言えます。

 

 

思うに、2KのSDRの季節は収穫の秋が終わり、冬の季節を迎えようとしていますから、今すべきことは「次の春に備えること」です。

 

今、夏に育つ苗を買っても、冬に枯れます。2K SDRの苗を買っても、次の季節には育ちません。自然の摂理を応用して考えれば、すぐにわかるのですが、老いが重なると、もう2度と来ない過去の夏を懐かしんで、秋にひまわりのタネを撒くような行為にふけるのです。

 

体は老いても、心や頭は老いたくないもの‥‥ですネ。だって心が老いたら、哀れですし、ミジメですし、周囲の若い人間や若い心をもった人にも面倒をかけます。

 

来年の夏は2019年の夏であって、1984年でも1999年でも、2010年でもないのです。

 

 

私はぶっちゃけ、今は個人で映像機器を買う気にはなれません。2Kはもう終焉が目に見えているし、4KでPQで300nitsの環境は個人で購入できるレベルには下がってきていないからです。買う気になれないのは、買えるものがないから‥‥です。

 

個人レベルで言えば、今はiMac 5Kを1台買うくらいに留めて、次の春の兆しが来るまでお金を貯めるのが、ちょうど良い時期なんじゃないですかネ。今ある2K機材にiMac 5Kや次期Mac miniをプラスして4Kに慣れておいて、いよいよ「未来の春」が近づいて4K機材もなんとか買えるレベルまで手頃になってきたら、「タネを蒔く」のが良いと思ってます。

 

まあ、個人ではなく会社規模なら、「ビニールハウス」的規模で、「先もの獲り」を始められることもありましょう。

 

 

2000年にレーザーディスクを買うような行為は愚かしい‥‥と今なら判りますよネ。2009年(=地デジ化の2年前)にブラウン管の720〜1680pxしか出せない業務用モニタを数十万円(下手すれば百万単位)で買うのは愚かしい‥‥とも今なら判りますよネ。

 

同じく、2020年を間近に控えた今、2KでSDRの機材に高いお金を投資するのは、個人なら酔狂、会社なら背任とすら言えるかも知れません。映像制作の専門機材を扱う専門職にありながら、ほどなく旧式化する高価な機材を、自分の過去の経験と思い入れだけを優先し、先進性や時代性(現代性)を顧みずに導入を推した‥‥という点において。

 

故障して補充するのならともかく、2020年代まで2年を切った今の時期に、もはや高価な2K機材のリプレースは不要でしょう。映像のプロなら、個人でも会社でも、お金の使い方にセンシティブになる時期と言えます。今はもう、2018年の9月‥‥ですもんネ。

 

 

とはいえ、アニメ業界の人間は、作画の限界点を無意識にでも意識して、2Kに思い入れてしまう傾向はあるかも知れないです。でも、時代が進んだ後で振り返れば、「あの時、もっと潔く、未来を認めて受け入れればよかった」と思うのかも‥‥知れませんよ。

 

まあ、引退するつもりの人は、過去に咲いた花を押し花にでもして眺めて、昔を懐かしんで余生を送れば良いです。

 

引退するつもりがない、もしくはまだ自分は若いんだ‥‥と思うのなら、次の春を目指して、色々と準備しましょう。

 

 


9月13日にiPad Proは?

‥‥でるのでしょうか。

 

もし、iPad Pro 12.9インチの新型が出て、その性能や機能が大きく刷新されたのなら、買わずばなるまい。

 

12.9インチの後継が出ないのなら、買わないと思います。また、描画に関連するアップデートも希薄なら、やっぱり買わないかな‥‥。買う理由に乏しければ買えないですよネ。

 

ぶっちゃけ、12.9インチは仕事にしか使ってないので、イーモジとか顔認証とか私にとってはどーでもいいです。ベゼルが薄くなって面積が広くなるとか、色域が広がるとか、反応速度が240Hzになるとか、そう言うのでもない限り。

 

 

一方で、Mac mini Pro(???)の噂もありますよネ。

 

そっちも楽しみです。

 

 

一般社会的に基調講演が注目される企業ってAppleと数社くらいなものですよネ。基調講演で新機種が出るとNHKのニュースにもなったりしますから、時代も変わったものです。ガゼーとかアメリオの頃のAppleをリアルタイムで体験した人々は隔世の感がありますネ。

 

ちなみに、私の倉庫にはUMAXのMac互換機が眠っています。PowerPC603eの頃のモデルで、「Appleが潰れる」と皆が普通に思っていた頃の製品なので、感慨深いです。

 

 


PQ、1000nits。ピーキー。

1000nitsの、しかもPQの新時代の色彩制御は、「まあ、S字カーブ、つまりピーキーな特性に操作感覚を合わせればいい」とやや軽めに考えていました。

 

しかし。

 

超〜〜難しい!!!

 

でも。

 

 

 

今までのRec.709やsRGBの「鉄板」の方法は、まるで通用しなくなりますが、その喪失分を補って余りある楽しさと美しさに満ちています。

 

1000nitsは「パワーバンド」がめっちゃ広いので、例えば、100nitsリミットで通用していたグロー系の技法は「仕切り直し」、今までの方法だと大雑把過ぎてすぐにコントロールを失います。どれだけ100nitsのリミッターに助けられていたかが、あり余る1000nitsを扱うようになると実感できます。

 

 

ピーキー。

 

そう‥‥まるで、100馬力の2スト400ccモトクロッサー(なんて実在しないし、乗ったこともないですが)のようです。「じゃじゃ馬」も「じゃじゃ馬」。ある一定の回転域からいきなりパワーが出るので、アクセルワークをぞんざいに扱おうものなら、すぐに前輪が浮いてしまう、在りし日の2ストハイパワーバイクのようです。

 

RMXに乗ってた頃を思い出すわ〜。(RMXは40馬力で250ccですけどネ)

 

 

しかし、そんなピーキーな色域のP3/PQ1000でも、12〜16bitの豊かな諧調があれば、簡単にはトーンジャンプなど発生しません。余裕があります。

 

上は伸びるところまでグングン伸びてさらにまだ上まで伸びて、一見狭く思える下の部分も実はタップリある。

 

今までのように255の白までおとなしく明るくなる特性ではないので、コントロールは難しいですが、使いこなし甲斐のある色域です。

 

美術、色彩設計、そしてコンポジット(旧撮影)と、色を扱うセクションは、少なからず戸惑うことでしょうが、ルーチンワークで腰掛けて惰性で作業するのでなければ、必ずや使いこなせるようになるでしょう。

 

実際、四六時中「最大の白」を表示しているわけじゃないですし、バイクや車もそうですが、どんなにハイパワーでも街中で180kmで暴走はしませんよネ。アクセルなどの操作が「ベタ踏み」から「デリケートな操作」に変わるだけでです。同じく、輝度や彩度の扱いを、HDR時代に合わせてデリケートに変えれば良いです。

 

いざという時、ここぞという時に、300〜1000nitsを使えるのは、相当、表現の幅が広がります。明るいシーンだけでなく、ふんわりと柔らかい質感も、今までの100nitsの濁った色彩から精彩な1000nitsに変わることで、自在に表現できるようになります。

 

 

PQ1000nitsは最初は戸惑うことも多いですが、バイクと同じように、跨って走らせてこそ、「体で理解」できる‥‥ということを実感しております。

 

バイクの免許をとって、50ccから250ccのハイパワーなオフローダーや400cc以上のロードバイクに乗り換えると、もう50ccには戻れなくなりますよネ。原付バイクの30kmの速度制限なんて冗談みたいな話ですし。

 

同じように、HDR PQ1000nitsのパワーを知ってしまうと、SDR 100nitsには戻れなくなるでしょう。たとえパワーは抑えて控えめでも、「底力の大きさ」「馬力の余裕」で「映像作りに幅が出て、融通が利く」ようにもなります。観る側も早々にHDRの輝度や色域に慣れるでしょう。

 

願わくば、300〜1000nitsのPCモニタが、近い未来に「個人のプロ」でも買える値段に下がってくれば良いですネ。ブラビアなどの民生テレビは、500nits前後まで出せる製品も今どきは増えているみたいですヨ。

 

 

 



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