映画館の存在

最近、ブルーレイ上映をおこなう映画館も出てきて、映画館の存在理由って何だろう‥‥と思いふけることがあります。もちろん、「大画面、大音響」は映画館ならではですが、映像そのものはRec.709だし50Mbps程度だしで、ご家庭感丸出しのスペックです。

 

しかも、最近の劇場アニメは、ちゃんと端正に作っているものはどんどん減って、テレビシリーズ感丸出しのものも多いです。加えて、1.5Kのレタスの二値トレスは、何を弁明しようが、物理的な要因により、線画のクオリティはどうしても低くなります。1.5Kを2Kにしても、どんぐりの背比べでしかありません。

*私は、超絶に綺麗な動画の線が、レタス二値線で見るも無残に凡庸になったのを、まさに撮影素材ファイルとカット袋の生の動画で、何度も見比べて確認してきました。しかし、それは仕上げさんの責任ではなく、あくまで「二値」というメカニズムの宿命、二値処理の原理ゆえです。私の知る彩色のスタッフさんたちは、二値という技術品質的ハンデの中でも、最良の結果が得られるよう、最善の作業をしてくれる人ばかりであることは、付け加えておきます。

 

映画館は、あらゆる面で、映像作品の上映環境としてスペシャルであってほしい‥‥と思いますが、現実的には難しいです。そもそも、もとになる映像作品のスペックが、特に日本のアニメは停滞して足踏み状態にありますもんネ。

 

じゃあ、映画館で上映するアニメのスペックは、どのようなものが未来にふさわしいか。ちょっと私なりに考えてみました。

 

  • 4K以上のビデオ解像度
  • 4K以上のビデオ解像度にふさわしい絵柄の密度・詳細度
  • 48fps以上のフレームレート
  • 500〜1000nitsくらいのHDR
  • 非圧縮と同レベルの画質を保つビデオコーデック
  • 上下左右前後の立体音響

 

いくつかはご家庭の4KHDRテレビでも実現可能な内容ですが、映画館でなければ無理だろう‥‥という内容も相応に含まれています。無論、劇場作品の予算でなければ到底制作不可能な内容でもあります。

 

仮に、「お金はいくらでも集めてくる。だから、上記スペックで映像を制作してほしい」‥‥と言われて、制作できる会社ってある? 

 

‥‥‥‥ないよね。残念ながら。

 

金をどんなに用意してもらっても、今のアニメ制作会社では無理です。「アップコン」では「作れた」とは言わないですしネ。タイムシートが24コマ縛りなのが、まず最初から「無理」な理由ですし。

 

 

私は上記スペックを実現する技術をどんどん進めてはいますが、残念ながら「長尺」はまだ無理です。技術構築や実戦経験が足りないです。

 

だからといって、テレビのブルーレイで観れる内容を、アマチュアの上映会みたいに、映画館で流す‥‥というのは、やっぱり寂しいものがあります。

 

狭い国土、資源の乏しい大地。ゆえに、日本は「技術立国」を目指したのではありませんか? そして、過去に成し遂げた時期もあったのではないですか?

 

その技術立国日本が、ブレーレイ上映会だなんて、私はとても悲しく感じます。映画館どうこうよりも、映画館で流すに値するスペシャルな映像を作れないアニメ業界の現実に、落胆すると同時に、沸々と闘志も湧いてくる想いです。

 

ブレーレイ程度の映像を作って、「ウチは商売できてる」と思う制作集団は、まあ、そのまま未来もいけば良いと思います。新技術勢力と競合しないので諍いを未然に防げますし、実際には新技術なしではHD24pが「できる範囲の全て」でしょうし。

 

新技術を今後の主力と定める私は、テレビならテレビ、ネットならネット、そして、映画館なら映画館と、それぞれの特性に合わせて、最適な完成像を作り出したいですし、今、技術が足りないのなら、未来に向かって確実に、技術を高めていけば良いです。

*現在の「デジタルアニメーション」(昔はそう呼ばれていました)の隆盛も、最初はほんの数社が「短尺」で技術と経験を積み上げ、やがて「長尺」も作れるようになった経緯を、まさに実地でリアルに関わっていました。今から20年前のこと‥‥ですネ。なので、「どうすれば良いか」また「どうするとマズいか」はよくわかります。

 

映像・音像でしか作れない作品を、その時代の最高の映像スペックで表現したいと思うのです。

 

 

 

言葉ですべて言い表せるなら、音はいらない

 

言葉ですべて言い表せるなら、絵はいらない

 

映像作品を作る意義は、

 

言葉では言い表せないものを、絵と音、映像と音像で、表現する

 

‥‥ことだと思います。それ以外に何か意義があるのだろうか。特に、作り手の心情として‥‥は。

 

 

 

2020年代の映画館、テレビ、ネット、それぞれのスペックを満遍なくドライブしきる映像作品を作っていきたいです。

 

拡大出力とかアップコンとか、作り手側の侘しい事情で、絵を決めてしまうのではなく‥‥です。打算的で限定的な制作に甘んじ続けるのではなく‥‥です。

 

ゆえに、限界見え見えの旧来のアニメ制作技術ではない、新しいアニメーション技術体系を2018年の今年もどんどん先に進めていこうと思います。

 

 

 

 

がらりと話は逸れますが、1967年生まれの私が今の歳になって、何かしみじみと感じ入るのは、ビートルズ〜マッカートニーの「The Long & Winding Road」〜「長く曲がりくねった道」という曲です。

 

映像の作品を作って生きていく‥‥というのは、ほんとに、「長く曲がりくねった道」ですネ。

 

本家ポールだけでなく、ジョージ・マイケルの歌声も、透き通っていて素敵ですヨ。

 

リアルな恋人を歌ったラブソングではないのは、まあ、歌詞全体を読めば明らかです。歌詞の中の「You」「Your」は「君」というよりは「あなた」。つまり、「創作しようとする何か」、もしくは「創作しようとする自分を惹きつけ続ける何か」と読めば良いです。特に、何かを本当に、真剣に作ろうとしている人間には、です。

 

でもまあ、今は感傷に浸る時期ではないので、ザクザクと進めて行きますヨ。

 


メロディ

最近、久々にCDを2枚、買いました。Apple Musicでは手に入らない音源なので。

 

これです。

 

 

「ひよっこ」のサントラです。1と2が発売されていて、各3000円と、現在の感覚では少々お高い感じですが、迷わずポチっと決済しました。

 

サントラは、ミュージシャンのCDと違って、作品が話題になっている時しか流通しないことも多く、プラモと同じで「ある時に買う」のが鉄則ですからネ。

 

 

 

本編の「ひよっこ」は途中から見始めたのですが、私が生まれた頃の話で、次第に愛着が湧いてきて、最後の方はBD-Rに録画するほどでした。

 

私が思うに、「ひよっこ」の放つ何とも言えない「60年代の郷愁」は、音楽によって大幅に増幅していました。

 

1960年代当時は、米軍の持ち込んだ大量のJazzやBluesの響きに加えて、「ヨーロッパ映画」のお洒落な響きも加わり、地盤となる日本人好みの節回しもあって‥‥と、様々な音楽の趣向がクロスオーバーした時代でした。

 

「ひよっこ」のサントラは、宮川彬良さんで、言わずと知れた宮川泰さんの息子さん‥‥ですが、ことさらにそうしたキャプションを引用しなくても、旋律が心に残る素晴らしい音楽を書かれる作曲家さんです。

 

 

 

ここしばらくさ‥‥‥劇伴ってさ、SE=効果音のような音楽ばかりが席巻しているじゃないですか。

 

メロディ不在のサントラばかりで、映画やドラマを見た後に、音楽と一緒にシーンを思い出すことなんて、めっきり少なくなりました。

 

たしかに、SEのような音楽は、映像制作側からすれば「使いやすい」かも知れません。当たり障りがないですもんネ。「ズズズズズ…ドン!‥シャンシャンシャン‥‥‥」みたいな音楽は、音楽SEですよネ。‥‥‥だから、バラエティ番組とかで、何度も繰り返し使い回されるんでしょう。

 

もし、宮川泰さんのヤマトの音楽、宮川彬良さんのひよっこの音楽を、バラエティ番組で使おうものなら、「なんでヤマト?」「なんでひよっこ?」‥‥と音楽が出っ張り過ぎちゃうもんネ。だから、SEみたいにメロディのない音楽が「使いやすい」として特に制作者サイドに受け入れられ、あちこちで耳にするのでしょう。

 

でもさ‥‥‥、そんなのつまんないじゃん。

 

映像やストーリーが音楽のメロディを受けて立ち、互いに刺激しあって、「この作品と言えばコレ!」と、音楽を聴いただけで映像が浮かび上がるようなのが、最高じゃん。‥‥‥まあ、人ぞれぞれの好みはありましょうが。

 

サントラにメロディはあって良いと思います。きっぱり。

 

‥‥なので、日頃から仕事仲間に「メロディを復活させませんか? 例えば、ニーノ・ロータくらいまでの」と話しています。今の時代、ニーノ・ロータはぎょっとするくらい濃いですが、むしろ、そのくらい濃い方が‥‥と思ってはいます。エンニオ・モリコーネミシェル・ルグランもいいよネ。

 

でもまあ、実際、作曲家がどんなにメロディを書きたくても、監督やプロデューサーが安全牌に終始していれば、作曲家の独断では中々難しいですよネ。

 

 

 

「ひよっこ」のサントラは、とにかく楽しい。音楽の喜びに溢れていて、それが本編のシーン=登場人物や情景の様々を浮かび上がらせてくれます。

 

確実に、作品の重要な構成要素になっていたと思います。音楽が宮川彬良さんじゃなかったら、全く別の作品になっていたでしょう。そういった意味で、他の作曲家や楽曲では代わることができない、作品のための唯一の音楽です。

 

「ひよっこ」のサントラCDを買って、音楽だけ聴いてみて、やっぱり、メロディのある劇伴っていいな‥‥と再確認しました。

 

「ひよっこ」のサントラが良いのは、郷愁を感じさせる音楽でありながら、現代の要素もあって、決して「昔のシミュレーション」になっておらず、2017年のサントラの良質さを兼ね備えているところです。音もクリアで聴いてて心地良いです。

 

 

 

ちなみに、私が前世紀から今に至るまで好きで聴き続けているのは、カリキュラマシーンのサントラです。無論、宮川泰さんの楽曲です。ユーモアに富んだ遊び心たっぷりの音楽で、60〜70年代のテイストもあり、聴いてて心が和みます。

 


共有の悪

ライターの人から以前聞いた話ですが、とある世界有数の自動車メーカーの研究施設に取材にいくと、写真撮影が制限されるのはもちろん、施設内を見て歩くだけでも所員が先回りして置いてある物品に布を被せてから人を通したり、たとえ撮影可の物品でも撮影する角度が決められていたり‥‥と、厳しく情報管理されているようです。

 

私らの開発するアニメーションの新技術ももちろん、同等に情報管理や技術の取り扱いは厳しいです。「共有」とか「カット合わせ」なんて名目でプロジェクトが流出することはあり得ません。

 

本気で真剣に、お金も時間も使って開発していれば、当然のことですよネ。

 

 

一方、ここ10年のアニメ業界の歴史を見ていると、「共有と言う名のディスカウント」によって自滅寸前になっていると、率直に感じます。同じソフトを使っているから、簡単に「共有」できると思っている人は、それこそ沢山います。

 

「タダで手に入れた技術は、簡単に又貸しして、タダでばら撒かれる」のを、沢山見てきました。

 

「タダで手に入れた技術」は、「誰かによってタダで作られた」と思っているんでしょうネ。だから簡単に、誰かから好意で受け取った(もしくは無断で複製した)技術を「タダ」でばら撒くのです。

 

技術開発にどれだけお金と時間と苦しみと情熱が込められているのか、タダで「共有してもらえる」と思っている人々はまるで解らないし、解ろうともしません。

 

タダのものは、全てタダ。‥‥開発の苦しさを知らない人は、そう思って疑いません。

 

 

もし、これから未来にアニメ業界が「正常になりたい」のなら、技術情報の管理もしっかりとおこなうべきです。

 

技術に「タダ」なんてあり得ないんだ‥‥とハッキリ認識すべきです。

 

みんなで技術をタダで共有すれば、みんなが幸せになれる‥‥なんていうのは、とんでもない幻想、大ウソです。皆で同じ技術レベルになったら、技術における競争原理も作用しないし、安売り合戦の繰り返しです。同じ技術なら、どれだけ安く売れるかで勝負だ!‥‥なんてことになりますし、実際に今のアニメ業界はそうなっていますよネ。

 

 

標準規格を業界で定めて、標準仕様に必要な技術はオープンソースにしょう‥‥というのは良いことだと思います。

 

マズいのは、標準技術と特殊な固有技術の差もわきまえず、「欲しいと言えば何でも手に入る」と思い込むバカさ加減です。各技術者・技術グループ個々の特殊技術まで、「共有して」といえば何でも共有してもらえると考える甘さは、いったいどこから来るんでしょうネ。

 

受発注の基本は、発注に対する完成物の納品です。どこの世界に、完成物と一緒に全設計書類を手渡すマヌケなお人好しがいるんだよ。高精度な部品を製造する工場が、部品を納品するだけでなく、高レベルなノウハウや技術書まで納品する? ‥‥当然、しないでしょ。

 

‥‥でも、アニメ業界はそういうこと、平気でやろうとするよネ。誰が率先しているのか知らないけど、バカだよネ。その辺は昔っから。‥‥そして、自分たちは安売り合戦に巻き込まれてお金がないんです‥‥って、自作自演の愉快犯じゃないですか。

 

 

それにさ‥‥、技術を「共有」したがるのは、往々にして「技術的弱者」です。自費を投じて長い時間をかけて技術を確立した人間からすれば、大して技術開発に時間も金も割かずに他者の技術共有を欲する「技術的弱者」は随分と虫が良いように思えます。

 

まさにガチで研究中の技術に「布を被せて隠す」のなんて当たり前です。それを都合の良い「ブラックボックス」なんていう言葉で揶揄する前に、まずは自分たちで研究開発に精一杯の努力と情熱と可能な限りのコストを注ぎ込むべきです。新技術に関しては私はもう10年以上も自費でずっとやってますし、私に限らず、技術開発を自分ごととして捉えている人は、少なからず自分に対して投資して、自分の時間を割いて研究開発しています。プロだろうがアマだろうが、自分の技術開発の結果物で勝負すれば良いだけです。

 

仮に技術を他からデータコピーしたところで、自分たちの「技術開発力」が育って向上するわけではないのです。他者からかすめ取って、ハリボテの技術力を騙っているだけに過ぎません。

 

むしろ、他の人間たちが作ったスゴい映像を見て、自分たちなりに模倣して同等の品質を獲得するようになれば、それがまさに自分たちの技術力になります。やがて、模倣から発展してオリジナルの技術を開発する機運が生まれるでしょうし、自主開発を可能とする手応えを手に入れられるでしょう。「共有」なんていう安直な手段に頼らなければ‥‥です。

 

なぜ、日本のアニメーターの技術力が秀でているのか。それは徹底的な模倣から自分の技術体系をスタートし、やがて独自技術の発展形を実現したからです。模倣する段階で多くのことを学べるからです。

 

他から技術を「まるごとデータ共有」して「複製流用」しているうちは、人も集団も育ちません。おねだりの手練手管に磨きがかかるだけです。そりゃあ、どうやっているのか数値まで含めて盗用すれば「複製」は楽でしょうが、それで自分の将来は大丈夫?

 

解らないことだらけで困難の連続でも、模写・模倣を繰り返して、自分なりの技法を次第に確立した方が、未来何十年にも及ぶ映像制作人生の心強い糧となるでしょう。

 

 

技術開発の困難にメゲずしぶとく喰らいついているうちに、技術的弱者はいつしか技術的強者へと変わっていくのです。最初から強者だった人間なんて、いませんもん。

 

ものすごく明快でフェアじゃないですか。性別も年齢も国籍も容姿も傷跡も関係なく、技術だけが支配するフィールドって。

 

 

少なくとも私は、誰かに作業を依頼した時に、その人に「何から何までよこせ」なんて言いません。もし、その人の技術が必要ならば、その人との関係を良好に保ち、その人に仕事を入れ続ければ良いのです。「あなたの技術は素晴らしい。この次もよろしくお願いします」と。

 

依頼する側は、個々の技術力による産物で作品を高品質に作り上げ、受注する側は、自分の技術力に相応なギャラが支払われて商売が成り立ち‥‥と、「技術の対価」という関係性は、ベテランでも中堅でも若手でも変わりません

 

相手が20代の若手でも、その若手なりの特性が、どのように当人の技術体系として発展していくかが、技術集団の「性能」の一翼を担います。技術集団は、コンピュータのプリセットではなく、人間たちによって形成されるのです。「おまえのかわりなんて、いくらでもいる」なんていう人間は、そもそも存在しないのが技術集団なのです。

 

人間がひとり居なくなるということは、総合技術体系のいち部分が大きく欠落することを意味します。ゆえに、年齢やキャリアに限らず、技術者の技術領域と特性を保護することで、ひいては映像制作組織全体の利潤・発展にも繋がると確信します。

 

 

一方、ディスカウントしたくてウズウズしている人は、1回だけ高レベル技術者に仕事を依頼して、完成物だけでなく中間物まで提出させて、その次からは手下の安くコキ扱える人間たちに技術をコピーさせて劣化運用させて、はい、技術の大安売りのいっちょあがり‥‥とご満悦なわけです。そして出てくる言葉は、「現場の低コスト化に貢献した」‥‥です。

 

そういう安易な共有感覚に基づく、因習化したディスカウント感覚は、アニメ業界を技術低評価=低額作業費へと邁進させる元凶になっていると思いますし、どんなに技術を高めてもこの業界では報われないんだ‥‥という絶望感にも繋がっているとも思います。

 

 

 

アニメ業界は、色々な部分で綻びが生じています。でも、自分自身まで、自分たちの技術集団まで、綻びを共にする必要はありません。業界の破綻構造まで共有する必要はないです。

 

まずは自分たちの集団から、技術の取り扱いの是非を実践していくのが肝要です。

 

大風呂敷を広げて挫折するのではなく、身の回りから地道に固めていけば良いのです。

 

 

 


謹賀新年

2018年が明けました。

 

今年もよろしくおねがいします。

 

本年も変わらず、アニメを中心とした映像制作に関わりますが、アニメの制作事情は、インターネットが定着して久しい昨今においては作業の実情が情報として広く伝播し、批判の的になることも多く、私としては、何年も前から取り組んでいる新しいアニメの作り方に今年も変わらず取り組んでいく所存です。

 

アニメ業界の未来について、それこそ私が小学生・中学生だった40年前から、アニメージュでは「どうなる・どうする」みたいな記事が載っていました。年末か新年のアニメ雑誌記事に、スタッフ座談会の記事が載っていたことを思い出します。

 

2018年現在は、SNSで情報が一般に出回るようになったゆえに頻繁に見聞きするようになっただけで、根本は変わんないすネ。つまり、商業アニメ、特にテレビアニメの、そもそもの制作構造に無理があったとも思えます。何千枚も描いて塗って、テレビの制作費予算枠に収める‥‥という根本のカタチ自体が、金のかかるアメリカンアニメーション方式を継承した日本のアニメ制作では既に制作設計時点で破綻していたのかも知れません。

 

そろそろ潮時かなと思っています。

 

従来のアニメ制作技術に関しては潔く開発終了し、昔ながらのニーズに対しては「メンテナンスモード」で保持、開発の主力は新技術体系に移行すべきと(少なくとも私は)考えます。

 

とはいえ、「デジタル作画」は新技術ではないです。道具をペンタブに持ち替えただけのバージョンアップにしか過ぎません。

 

最近のアニメ制作で「デジタルへ移行」とか言っている人々のほとんどは、「デジタル作画」、いわゆるペンタブ作画で次世代に対応しようとしているのでしょうが、ハッキリ申しまして、そんなんでは次世代には対応できません。4K時代に対しペンタブ作画で何千何万と描くのですか? 60p時代に対し、24コマの3コマ打ちシートでどうやって対応するのですか? アップコンで視聴者を誤魔化そうとしても、新時代の新しいアニメ品質が台頭してきた時に、酷い落差で、その前時代的な旧品質が明らかになってしまいます。

 

4K60pHDRのスペックなんて、ちょっとネットで調べれば、画面寸法もフレームレートも色域も簡単に情報を得られるのに、アニメ業界スタッフの多くは「その辺の難しいことは苦手」と自嘲して、故意に「未来の映像技術を知ろうとしない」フシがあります。

 

多くのアニメ業界関係者は、どうしても「プロペラが回っていないと空を飛べない」と無意識に考えてしまうようです。なので、ジェット機なんて想像できないのかも知れません。

 

*誰もが認めるレシプロ機の傑作、P-51。決してプロペラ機がダメなわけではなく、時代の進化に追随できなくなっただけの事‥‥ですが、それがすなわち、技術の世代交代なのです。ジェット時代になって、P-51(大戦後はF-51と改称)は第一線の戦闘機から外され、戦闘爆撃機や地上攻撃機など支援用途へと役割を変えていきました。

 

加えて、未来の技術スペックやロードマップを知ってしまうと、自分たちの作っているアニメ技術の行く先が不安になるから‥‥だとも思います。

 

 

今、正しいとされていることが、未来に正しいとは限らない。

 

「正しい」の定義は色々あるでしょうから、「正しいか否か」を持ち出したいわけじゃありません。現在「普通」とか「主流」とか言われているものは、未来で等しく「普通」で「主流」とは限らない‥‥と思うのです。

 

作画の低賃金に喧々囂々する以前に、何千何万と描いて動かす技術基盤そのものをまず疑いたいと思います。「アニメを作るには、このやり方が正しい」なんて思い込んで盲信したくないわけです。

 

それにアニメ業界は、いわゆるアニメ制作者集合体であって、国家行政機関でも大財閥でもありません。集合体の構成要素個々に目を向ければ、例え会社規模でもあっけなく倒れる存在にしか過ぎません。また一方で、「今までアニメは安く作り過ぎたので、これからはテレビ1話8千万円で受注します」なんてやったら、アニメを作ろうとする機運は激減するでしょう。

 

アニメ制作に関わる個人も会社も、今までの「正しい」「普通」「主流」は「メンテナンスモード」に入った過去のものとして、新しい業態・ビジネスモデル・制作技術体系を模索するのが、アニメ制作を生業として生き残る唯一の道だと確信します。

 

まあ、今はね‥‥、新しい技術体系や制作システムは、広く一般に理解されなくても全然構わないと思ってます。逆に、旧来の脳で考える人々が困惑したり懐疑的に思ってくれた方が良いくらいです。古い人たちの怪訝な態度は、新しさのバロメータになります。‥‥簡単に理解されちゃったら、それは新しくもなんともない‥‥ということですもんネ。

 

 

さあ、今年もジェット機をどんどん飛ばしていこう。しばらくは、プロペラ機と一緒に。

 


タミヤのラッカー塗料

プラモデルのラッカー塗料は、クレオスの一強時代が長らく続いていて、クレオスの虚を衝く商品展開でガイアカラーが近年好評を博している状況です。そこにきて、今、なぜか、タミヤがラッカー塗料に新規参入してきました。

 

 

私はプラモ色塗りのほとんどの作業を、アクリル筆塗りに切り替えたので、ラッカー塗料の新製品で出てもいまさら‥‥とも思ったのですが、タミヤが強豪の支配する市場にあえて新規参入するのだから、何か今までとは違う要素があるんだろう‥‥と期待しました。

 

今までのタミヤの傾向からして、キットでもツールでもそうですが、「ユーザビリティ」を積極的に高める「ユーザ思い」の商品開発が、ラッカー塗料にも活かされているのではないか‥‥と予測しました。

 

クレオスなどのラッカー系塗料で、何が一番キツいか‥‥というと、強烈なシンナー臭です。

 

つまり、タミヤが今わざわざラッカー塗料を発売するのなら、匂いを抑えたラッカー塗料で押し出してくるのではないか‥‥と。

 

で、興味本位で、基本色あたりをまずは買ってみました。

 

*アマゾンではまだ在庫していないようです。私はヨドバシで買いました。

 

蓋を開けて、恐る恐る匂いを嗅いでみたところ‥‥やっぱり‥‥

 

あんまり臭くない!

 

今頃になってタミヤがラッカー塗料を発売するのは、何らかの改善点が盛り込まれているだろうと踏んでいましたが、臭気の抑制はとても判りやすい改善点です。

 

水性のように‥‥とは言わないまでも、ラッカー系塗料の悩みのタネだった「あの独特の強いシンナー臭」が格段に抑えられております。

 

匂いの雰囲気は、ホームセンターのペンキのような感じで、刺激の強い鋭い匂いというよりは、どんよりと鈍い匂いです。

 

実のところ、タミヤのアクリルも、アクリルならではの独特の臭気がしますが、強烈なシンナー臭ではないので我慢できています。同じように、新しいタミヤのラッカーも、アクリルより強めの臭気ですが、クレオスのシンナー臭より相当マシです。

 

ただし、全部の色が同じ匂いではなく、匂い抑え気味の赤や黄色に比べて、シルバーはシンナー臭が若干強めでした。とは言え、クレオスよりは弱い匂いで、色によって臭気の大小はあるようです。

 

 

ラッカーは、アクリルやエナメルによって溶けて侵食されない性質があるので、下塗りには最適です。今まで臭気の問題だけで下塗りもアクリルを使っていましたが、タミヤのラッカーなら臭気も我慢できるレベルなので、試しにテキトーなキットを使って下塗りをテストしてみます。

 

私の下塗りの段取りは、油彩などの絵画技法をもとにプラモに応用したもので、金属系の2〜3色を故意にムラ塗りして下地とします。

 

基本色の赤青黄を調色して、銀や黒なども混ぜて、私の標準下塗り色である「黒銀」「赤銀」「青銀」を作りました。

 

*タミヤのスペアボトルを使っているので、瓶の大きさが既成の塗料と同じです。

 

 

その昔、一生懸命「プラモデルの作り方を踏襲」しようとしていた頃は、ペイントを「塗装」のように捉えておりましたが、今では発想法をきっぱりと変えて「彩色」と考えてペイントしています。数年前にたまたまアマゾンで見かけて読んだ「田中克自流飛行機模型筆塗り塗装術」のおかげで、色々と頭が柔らかくなりました。

 

要は、プラモデルを「実機のミニチュア」と考えるか、「立体の絵画」と考えるかの、思想の違いです。どちらの考え方でも構わないと思いますが、私は今のところ、後者のアプローチが気に入っています。

 

下塗りをしてみたのは、3つ。ハセガワの1/72スケールの「P-51D」モデルコレクトの同じく1/72の「E-50対空戦車」「E-100超重戦車」です。

 

*P-51はタミヤエアフィックスなど良キットが多いですネ。このハセガワのキットもちょっとだけバリがありますが(金型が古いんでしょうかネ)、繊細なキットです。

 

*ちょっとマニアックな「E-50系列」戦車の対空砲バージョンです。E-50(計画車両)は、末期ドイツでの量産性を上げるために足回りの転輪構成がスカッとしていますネ。

 

 

下塗りは、故意にムラを作って、本塗りの下から表情が垣間見えた時にええ感じに色彩が混ざる効果を狙います。綺麗にムラなく塗ると逆効果になります。

 

プラの成型色も1色と考え、ムラ塗りします。私は最初に「赤銀」から塗り始めます。

 

 

 

マティエールが交差することを考えて、方向性を意識しながら塗ります。

 

「赤銀」でムラ塗りしたあとは、「黒銀」を使ってマティエールが交差するように、同じくムラ塗りします。ラッカーは乾くのが速いので、スイスイ作業が進みます。

 

*赤銀、黒銀と呼んでいる割に、ラベルには銀ではなく、「鉄」と書いているのを、自分ながら今さら気付きました。

 

黒銀は、マットブラックとシルバーとグレーにほんの少量のブルーとイエローを混ぜれば、ええ感じの黒光りの銀になります。もし既成のカラーならば、メタリックグレーやダークアイアン、黒鉄色あたりで代用できます。

 

 

 

マティエールの重なり具合も相まって、たった2色で様々な色を含む下地が出来上がりました。この下塗りは、実際は直接見えなくなるのですが、ペタっとした下地の上に本塗りをするより、下地が微妙にスケて複雑な色味になって、深み・奥行きがでます。(=筆塗り技法においてです。エアブラシの場合は、薄く重ね吹きするスタイルであれば、下地効果を発揮できると思います)

*こうした重ね塗りの技法は、水彩や油彩、アクリル画では、ごく普通の定番の技法です。

 

実は、タミヤ製のラッカー溶剤を買い忘れた!‥‥ので、塗料瓶の初期状態の粘度で塗っており、ちょっと皮膜が厚くなっています。「お好み焼き」の粉溶きよりも薄い粘度の「たこ焼き」の粉溶き=サラサラ状態で塗るのがベストです。通常は、溶剤を足して、粘度がほとんどないメディウム(=サラサラで速乾のメディウムが混ざった絵具のような状態)で重ね塗りしたほうが良いです。

 

今回の場合は、軽く800〜1200番のペーパーで均せば大丈夫だと思います。(幸い、全部、スジ彫りのキットでした)

 

で、ここまでで、ラッカーによる下地塗りはお終いです。下塗りに使う筆は、ダイソーの100円筆セットの筆で十分です。その分、面相筆は高いのを買って、丁寧に塗ります。

 

「田中式塗装術」から着想を得たアクリル重ね塗り技法は「むやみに同じ場所で筆を動かさない」のがポイントですので、下地がアクリルでも問題ないのですが、やはり「溶け出さないラッカー」だと安心感がありますネ。

 

 

 

タミヤの新製品「タミヤ ラッカー塗料」を2時間くらい使ってみた感想ですが、さすがにいくら臭気が抑えられていても、長時間連続で使うとラッカーの匂いはしんどくなってきます。私は歳喰ってから、特にラッカーの匂いがダメになったので、下塗りで1時間くらい使うのがちょうど良いです。‥‥あくまでも私の場合、ですけど。

 

一方、クレオスの従来のラッカー系塗料ですと、1時間も塗っていると部屋に臭気が充満し、3時間は換気しないと部屋が元に戻らなかった事を考えると、タミヤのラッカー塗料はとても使いやすい製品です。

 

ラッカーで下塗り‥‥という選択肢が生まれて、タミヤさんに感謝です。

 

 

 


どんどん先に進める

如何ともしがたい現場の現状をあーだこーだ言ってても、僅かばかりの改善や進展しかしないのなら、明らかに進展する道筋へと方角を定めてどんどん進めば良いです。

 

誰でも考えつくようなシンプルな方針とは言え、「慣習」「習慣」に慣れ切ってしまうと、実践するのは中々難しいものですネ。

 

でも、徴兵されているわけではないのですから、自分の発起次第でもあります。自分ではアクションせず、いつか誰かが改善してくれるなんて他人事にしてたら、何も変わらないどころか、バンザイチャージにいつか巻き込まれます。

 

 

昨日自動録画されていたNHK特集の「戦慄の記録 インパール」の完全版を見たんですけど、やっぱり胸糞悪いですネ。昔から、日本のぐだぐだ加減って、なんも変わらないんだと痛感します。今、アニメ業界は四方でインパール作戦ばかりですもんネ。

 

最前線(死傷者続出の戦域)の師団長の電報

師団はいまや糧絶え

山砲および歩兵重火器弾薬も

ことごとく消耗するに至れるを以て

コヒマを撤退し

補給を受け得る地点まで移動せんとす

 

 

後方司令部(安全地域)の司令官の返答

貴師団が補給の困難を理由に

コヒマを放棄せんとするは

了解に苦しむところなり

 

 

以上、番組から引用。

 

あーあ。って感じです。日本人は時代が変わっても懲りないよねぇ‥‥。

 

弾薬が尽きたなら、腕で殴って足で蹴って、手足がやられたら嚙みつけ!‥‥とかアホなことを司令部の最高トップが言うような作戦がインパールでしたけど、昔話だからって笑ってられないですよ。2017年のアニメ業界だって、睡眠という補給なしで24時間戦うような現場だってあるでしょ。

 

歴史から学ぶことは多く大きいです。

 

 

ここ2〜3年の「自分のブログ」「自分のツイート」の「歴史」を振り返ってみても、同じようなことをずっと嘆いてるんだとすれば、もうその論題は好転の望みがほとんどない‥‥ということです。

 

何年も同じことを嘆きながら、新しい可能性は自分たちでは一向に開拓せず、旧体制の枠の中で収まっていたい‥‥のならば、それはもはや、旧体制の大本営と同じ穴のムジナということです。ホントにそれで良いのですかネ。

 

 

どんどん可能性のある方向に進んで、どんどん実践して、どんどん力を蓄えましょう。

 

地面に種を埋めて、たまに水をやるだけじゃ、思うように発芽しませんし、発育は運任せだし、収穫も覚束無いです。苗ポットに然るべき土を詰めて、種を埋めて、発芽しやすい温度の室内で発芽させて、ある程度育ったら、さらに大きく発育するように植え替えをする‥‥なんていうのは、ちょっと園芸をかじれば誰でも知り得ることです。

 

みなさんは、ほんとに真剣に、自分の未来を発芽させて育てる気がありますか。‥‥あるのだったら、そのようにアクションしましょ。

 

私も2018年来年は、昔のダメダメさではなく、新しい可能性に関することを多く、このブログで書いていくようにしよう。

 

 

 

 


/はPerじゃないの?

タイムシートのタイムシート枚数記述欄に、「/」しか表示されていない場合、「/」は「分数」「Per」の略記で、例えば、全3枚の1枚目は「1/3」と書くのが正しいと同業の先人から私は教えられましたし、国際的・世間一般の表記でも「1/3」と書くのが正しいと思っています。‥‥しかしどうやら、アニメ業界の中には、「総枚数/現在の枚数」と書くのが正しいと思っている流派もあるようで、「まあ、アニメ業界って、一事が万事、こうだよな」としみじみ思いました。

 

同じように「/」の使い方で、スライド指定で「K/0.5ミリ」なんていう表記もアニメ業界では見かけました。今でもあるのかな? 昔はよく見たけど。

 

3分の1を、日本語の読み順に合わせて「3/1」と書く奴は居まい。時速50キロを「h/50km」と書く奴は居まい。

 

しかし、なぜだか、アニメ業界は「パー=Per」の使い方・表記が逆になる傾向が昔からありますよネ。

 

もちろん、世間一般、世界的な標準は、いまさら言うほどのことではなく「分子/分母」です。fpsは「Frames Per Second」、Mbpsは「megabits per second」、MB/sは「megabytes per second」で、皆、分母が「per」「/」の後にきます。国際的な表記の基本です。

 

 

この他にもアニメ業界の表記はナゾが多くて、「ブラック」を「Blackの頭文字」をとって「BL」「BL.」と略字で書くのはわかるのですが、結構頻繁に「B.L」と書かれているのを見かけます。「B」と「L」の中間にある「.」は何を意味するんだろう‥‥と昔から疑問です。何か2つの単語の組み合わせ、「Black ほにゃらら」‥‥の略なんでしょうか。それとも、「B.L」はBlackとは無縁の、何か別の単語の略字なのでしょうか。「B.L」の謎は今でも未解決のままです。

 

 

でも、もうやだな。アニメ業界のこういう曖昧なところ。

 

3分の1、3枚目中の1枚目を、「1/3」ではなく、「3/1」なんて書くことを、上の人間が指導しているような現場。

 

例えば、学生時代に数学とか工業で「スラッシュ」を分数の表記として、ごく一般的な使い方をしてきた新人が、現場の「分母/分子」の表記を見て‥‥

 

新人「そもそも、この表記方法、おかしくないスか?」

 

ベテラン「そんなことはない。アニメ業界ではこれが正しい」

 

新人「しかし、分母がスラッシュ=perの前に来るのって‥‥」

 

ベテラン「この斜め線は分数のパーではない。ただの区切り記号だ」

 

新人「だったら、なにもわざわざ混乱を招くスラッシュなど使わないほうが‥‥」

 

ベテラン「何だ、お前? 経験豊富でベテランである俺に、ど新人のお前ごときが刃向かうのか?」

 

‥‥とまあ、最後は「俺に(私に)盾突くのか?」で「完」です。理性もへったくれも知識もありません。世界標準の表記(数式)ルールにベテランも新人もないでしょ。

 

「経験者としての面子の都合」もあって、ベテランは今さら訂正できず、新人も釈然としないまま慣習に飲み込まれ、みっともない「分母/分子」の表記が延々と繰り返される‥‥のでしょう。「/」に限らず、よくある情景ですネ。ダメな現場の典型。

 

 

何よりもさあ‥‥‥、タイムシートの原稿を作成する人間がさ、「/」なんかで省略せず「   枚目/全 枚」のようにちゃんと文字を表記すれば済むことじゃん。小さいフォントで薄文字にすれば枠内も窮屈にならないって。‥‥そうすれば、書き間違わないでしょ。

 

タイムシート原稿を作る際に、ちょっとした気遣い、危険予測が効いていないと、いかようにもで誤記される伝票が出来上がります。

 

 

 

アニメ業界の馴れ合いの暗黙のルールなんて、糞(失敬)食らえです。昔からアニメ業界には、標準化・Standardizationという言葉がゴッソリ欠落しているのです。

 

そうした現場の標準化をさ、現場の先輩後輩の口頭の伝承だけで済まそう‥‥っていうのが、「部活ノリ」のまんまだよネ。いつまで学生気分の運用スタイルを続けるつもりか。日々の気分は学生、日々の作業は地獄‥‥って?

 

 

ちなみに、私はそういうのはイヤなので、新しい制作技術においては、かなり前から「用語辞書」をデータベースに記録しています。10年以上前に開発した「atDB」でも、開発の骨格は「アニメの技術をどのように言葉として記述し規定するか」でした。なので「animation technical DataBase」の略=atDBと名付けたのです。

 

新しい技術においては、タイムシート(と昔呼ばれていたもの)は全てネットワークのドキュメントに記述されるので、そもそも入力ミスがあると警告、またはエラーが出るので、入力ミスを未然に防げます。

 

約束事や規定は、今の時代ならネットワークのドキュメント(としてのフロントエンドにて)で共有できますから、新しい現場は、瑣末な雑事の自動化とともに、各種規定や規約の確認がネットワークで可能なように情報のインフラを整備すべきです。‥‥というか、常識だよな、コンピュータを使ってるんだから。

 

 

 

しかし、旧来のアニメ現場は、共同作業なのに約束事が明確に規定されてもいないし、確実な情報を確認するすべもなく、よくまあそれで何十年間も作り続けたと、過去を省みて、逆に恐れ入ってしまいます。

 

でも、それは異常だわな。‥‥そして、その異常な状態を正すことは難しいでしょう。従来の曖昧な運用方法ゆえに、小さなロスが積もり積もって、効率の頭打ちに直面しているんだとも言えます。

 

今の現場は、どんなに「デジタル作画だ」と言っても、紙ベースのタイムシート(か、そのスキャン)だったりしますから、何らかのアプリで記述チェックを自動処理することもできません。そして、いくつもの「流派」が存在して、ややこしく絡み合った今の現場の状況は、途中で手を加えたからと言って、良き方向に修正できるとは思えません。様々な人々の思惑が介在しすぎるから。

 

今の現場の状況は、どんどん行き着くところまでいって、破綻して全て失って、しがらみも慣習も捨てて、ゼロから作り直すしかないのかな‥‥と前々から思っていますし、実際、私だけでなく同じように考える人もそれなりに多いです。でもまあ、それは今の現場の人々が執り行っていけば良いことです。

 

 

しかしなあ‥‥「分母/分子」の表記は、昔からアニメ業界にある「闇」のほんの一部で、2017年現在でもずっと続いているんですネ。アニメ業界の未来全体も、まさにその通り‥‥でしょう。

 

アニメ業界なんかをことさらに意識しなくても、これから先はアニメ映像作品は様々な技法・技術で作れるんですから、自分たちの未来の選択を、会社や個人ともども、丁寧に慎重に考えていったほうが良い‥‥と私は強く思います。

 

このままではマズイ、この方法ではヤバい‥‥と思ったら、それは旧来アニメ業界の現場ではなく、新しい自分たちの現場で実践しましょう。そうすれば、横槍も干渉もやっかみも皆無です。旧来アニメ業界では難しい、新しいアイデアや改善策をどんどん実行できます。

 

 


地球をコロコロ

私は自宅だけでなく作業場にも「地球儀」を置いています。理由は単純で、「立体的に世界を把握できる」からです。

 

 

 

Google Mapは重宝します。しかし、立体的には把握できません。

 

まあ、上図のような30cmのものでなくても、13cm、20cmのミニサイズで十分、日本を囲む世界の様子が立体の距離感でわかります。

 

日本人がよく見る平面地図は、日本列島が中心位置ですが、様々な経済の流れ、国家間の紛争、政治のさやあてなど、地球儀を回しながら「地政学」的に世界を眺めれば、色々なことが直感的に解ってきます。

 

 

‥‥というのは70年代の歌謡曲ですが、実際に地球は丸いことを、地球儀はドデンと鎮座して見る側に訴えかけます。

 

私は世界各国の都市の灯りが光る、素敵な地球儀を自宅においていたのですが、部屋の模様替えで置く場所がなくなり、今は倉庫の中です。代わりに、13cmの串刺し型の地球儀に入れ替えました。13cmでも、机に置くと、存在感タップリですヨ。

 

 

私のこのブログのアドレスは、独自ドメイン「ezura.asia」ですが、自分の国がアジアの中に存在することをしっかりと自覚し、とかく「欧米かぶれ」になりがちな経緯を断ち切って、「アジア」を打ち出していきたいがゆえに、「.com」ではなく、「.jp」でもなく、「.asia」にしました。

 

以前、ツイッターのアニメ業界関連のアンケートで、「待遇に恵まれた仕事が海外(たとえばヨーロッパ)でできるならば、日本を出て海外に行くか?」‥‥のような質問を見かけたことがありますが、私は設問そのものではなく、「海外(たとえばヨーロッパ)」と書かれた文面に、釈然としない思いを強く抱きました。

 

設問者が期待する回答に票が集まることを無自覚的でも自覚的にでも意識して、「アジアを外した」のかな‥‥と私は感じ取りました。「海外(アジアやヨーロッパ)」と書いたら、票の数は確実に落ちたでしょうしネ。「海外=おしゃれなヨーロッパ」の方がウケは良いよネ。

 

それに‥‥、戦中ではなく、現代のアニメ業界人でも、アジアに対する負い目は少なからずあるように思います。

 

‥‥そりゃあ、日本のアニメ業界はアジアに相当キツい仕事を投げまくっていますもんねえ‥‥。

 

 

でもさ、日本がアジアの中に位置する状況は変えられないのよ。

 

地球儀を見れば一目瞭然の通りに。‥‥地殻変動で大陸が大きく変わる何億年先まで待つ?

 

アジアに位置する日本ならば、アジアを否定するのではなく、真正面からアジアを肯定しないと。

 

私は台湾にも中国にも韓国にも仕事を通じた知人・友人がいますが、皆、とても誠実で一生懸命な人ばかりでした。海を越えて、アニメのために日本にやってくる人たちですもん。関東在住の人間がアニメの仕事をやるのとは状況が違う‥‥のでしょう。

 

 

ネットワークがどんなに発達しようと、地球の形までは変えられないです。

 

ネットワークは強力な武器ですが、その武器の強さに甘えて、傲慢になっては「事」を為損じます。

 

 

わたし的には、「.asia」よりも広い、「.earth」「.gaia」アカウントでも良いくらいです。

 

‥‥て、「.earth」ってあったんだね。今、検索して気づきました。昔、独自ドメインを取得した時にはなかったような‥‥。調べて見たら、2015年からの新規のドメインみたいです。

 

 

とまあ、地球儀をコロコロ回して世界を眺めていると、色々なイメージや感慨が湧いてきます。

 

しかし、いくら地球儀とは言え、以下のようなのはインテリアの装飾になり過ぎて、NG‥‥ですかネ。‥‥可愛いですけど。

 


どっち

iPad ProとCintiq Proは同じ価格帯ですが、ちまたでは「どっちが良いか」なんてよく比較されます。

 

どっちが良い?

 

どっちも良いよ。

 

決定的な性能差なんて、無いです。

 

瑣末な差をあげつらって、どっちが優れているか‥‥なんて、目くそ鼻くそ(失敬)です。技量でカバーできる僅差でしかありません。どちらかでないと自分は絵が上手に描けない‥‥なんて言う人は、そもそも絵が下手な人だと思います。キッパリ。

 

ストラトだとめちゃ上手く弾けて、レスポールだと全然弾けない‥‥なんてギタリストはいないでしょう。

 

 

*指板の感触や出音の好みはありますよネ。でも、それは単に好みであって、上手く弾けるか否かを分けるものではありません。ちなみに、私はハイフレットの弾きやすさで、ストラトをよく使います。

 

 

ぶっちゃけ、圧倒的にレイテンシーもペン先との距離感も無いのは、あくまで実際の鉛筆やペンや筆で、iPad ProとCintiq Proはどうしてもコンピュータのプロセスが介在するので、違和感は拭えません。お高いMobile Studio Proでも、現実の画具の「リアル感」(=あたりまえですが)には遠く及びません。

 

そうした違和感が大前提〜現実の画具・筆記具とは違うことが前提で、iPad ProとCintiq Pro、Mobile Studio Proなど、自分の運用において最適なものを選べばよいだけです。

 

私がiPad Proを選んでいるのは、iOSがベースにあって、操作性がマウスやキーボードに依存しないタッチ操作であること、そしてmacOSとの連携によって運用が円滑であることです。そこにProcreateなどのタッチ操作でどんどん生産性が上がるソフトウェアもあって、iPad Proに落ち着いています。

 

 

つい最近、実体顕微鏡を買いましたが、精度云々のレベルで言えば、iPad ProもCintiq Pro, Mobile Studio Proも目くそ鼻くそ(2回目失敬)です。

 

 

実体顕微鏡を覗きながら超極細面相筆でペイントするのに比べれば、ペンタブの精度なんぞおおらかで可愛いものです。

 

でも、その可愛いレベルでも、使い方や運用を洗練させることで、強力なツールになります。

 

絵が下手で、運用も下手な人々が、自分のヘタレを棚に上げて、道具に責任転嫁しているに過ぎません。安易に道具のせいにする奴って、下手くそが多いんだよな‥‥。音楽でもさ‥‥、大して練習もしないのに、すぐにギターのせいにする奴って、軽蔑されてたもん。

 

3〜4万の低解像度液タブはともかく、iPad ProやCintiq Proくらいの性能があれば、十分、プロの仕事はできますヨ。実際、私はiPad Proだけで描きの仕事を全てこなしていますし、今や世界的に有名なイラストレーターのあの方(名前は伏せときます)もiPad Proを常用しております。Cintiqを使ってプロの仕事をしている人も数多いでしょう。

 

 

 

私はコンピュータに繋ぐのが前提のCintiqよりも、ふわっと軽いフットワークのiPad Proを好んで使っていますが、Cintiq Proしか存在しないのなら、Cintiq Proを迷わず使っているでしょう。

 

描いた絵をそのまま山のように詰め込んで、外に持ち出して人に見せられるiPad Proの軽快さが気に入っていますが、Cintiq Proしかなければ、別の方法でフットワークを稼ぎます。

 

 

どっちが良いか? ‥‥なんだろうね、その贅沢な悩み。

 

むしろ、iPad Proもあって、Cintiq Proもある2017年現在を喜ぶべきだと思います。持ち出したければiPad Pro、コンピュータに繋ぎっぱなしで動かさないのならCintiq Pro‥‥くらいのざっくりとした分類で良いと思います。上手く描けるか否かなんて、関係無しです。

 

 

10年前に同じこと、できた? ‥‥それを考えれば、それこそ「やりたい放題」じゃないですか。

 

 

 


言葉

結局のところ、作業単価の問題にしても、ソフトウェア更新問題にしても、アニメ業界旧来の枠内で喧々囂々しているだけの話で、プランテーションで働く農奴という構造には何も変わりがありません。

 

新しい構造を得るためには、旧来の構造の中で境遇を嘆くばかりでは、何も進展しません。

 

今までのシステムを捨てる。

 

新しい作り方で、新しい品質を実現し、新しい商売の方法を確立する。

 

そうした覚悟ができない人々が、新しい何かを求めたところで、言葉だけの虚しい水掛け論に終始するばかりです。

 

新たな目標を定め、実際に行動しているか。そこが重要です。

 

 

言葉の魔力は怖くて、何か言葉で書き表すと相応の達成感が得られ、「何かを実行した気分」になります。

 

でも、実際は何も進展していません。言葉だけが駆け巡るだけ。

 

 

言葉はきっかけにはなりましょう。

 

「あの人は、こんなことを既に実践して進めているのか。自分も自分なりの未来への取り組みを始めなければ。」

 

しかし、「始めなければ」と思ったところで、実際に行動しなければ何も始まりません。

 

 

言葉を放つ後ろ側で、実際に何を準備しているかが重要です。

 

 

 

 

 



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