新じゃが

面白半分でじゃがいもの切れ端を土に埋めておいたら、芽が出てにょきにょき育って、やがてヘナっと枯れたので、次の種を埋めるために根っこを掘り起こしたら、じゃがいもが収穫できました。

 

 

小さくて可愛いじゃがいも。

 

レンジで加熱して、食べました。味はごく普通でした。

 

 

園芸って、映像の仕事にも「間接的に」大いに参考になることが多いです。

 

  • 自然の摂理や自然界のシステムを無視して、独りよがりで栽培しようとしてもうまくいかない。
  • 必要な要素は、土、水、光、肥料だけじゃなく、風も必要
  • 栽培場所の条件にあった品種をチョイスしないと発育不良となる

 

‥‥うーん。言い得て妙。

 

植物が教えてくれることは、「デジタル」や「コンピュータ」や「制作システム」にも通用することが多いです。

 

 

いつか、バジルが元気に育つ土地と家に住みたいな。

 


技術の本命

カットアウトなどを始めとした、コンピュータを使って絵を動かす技術の本命は、わたし的には何といっても、4K8Kの高解像度で60fps以上のフルモーションで動かすことです。そこにHDRが加わるとさらに決定的にはなりますが、今は4K60pでも十分「本命」としての素性があります。

 

なぜ、4K60pフルモーションが新技術の当座の本命かと言うと、旧来の作画では絶対と言い切っても良いほど不可能な領域だからです。現在、紙と鉛筆と24コマタイムシートの仕事をしているので、4K60pで動いている新技術の映像とのギャップをまさに目の当たりにしています。4K60pフルモーションを現在の原画動画システムでやろうなんて、全く思いません。

 

そもそも、旧来の技術の限界(=新しい映像フォーマットとの乖離が進む現実)をほとほと痛感していたからこそ、新しい技術の模索がスタートしたのですから、旧来技術とのルック上のギャップがあるのは至極当然です。今までは、旧来技術に馴染むためにコマ落としなど故意にスペックを抑制してきましたが、最近ではできる範囲でスペック制限を解くようにしているので、一層、ルックのギャップは大きくなっています‥‥が、それも計画した上でのことです。

 

新技術を用いる新たな仕事も徐々に増えており、最近公開されたクロックワークプラネットのエンディングとは大きく毛色の異なる絵柄の作品も控えております。新技術は構造上の特性で、アニメのセル画以外の作風も容易に扱える性質があります。恐らく次の仕事は、イラスト・絵画指向、ドラマティック指向になると思います。新しい技術は、未開の平野のほんの片隅を開墾し始めた段階でしかなく、今後、どのような作風の仕事をこなしていくか、開拓の楽しみな技術でもあります。

 

* * *

 

思うに、これから先の10年間を見据えた時、「これを選択しておけば大丈夫」なんていう近視眼的技術論ではなく、視野を大きく広げた、柔軟な選択肢を有するアニメーション技術論が、新たな映像フォーマットに対応するため(=映像産業の未来展開)の基盤となるでしょう。

 

その際は、新技術だけでなく、旧来の技術も、改めて技術の「核心」「本質」「本命」を再認識することが必要になります。

 

なぜ「紙と鉛筆を使うのか」、「なぜペンタブで動きの1枚1枚を描くのか」、「ペイント」や「撮影」という工程の存在意義とは何か、アニメ作品を演出するとは結局どう言うことなのか。

 

その技術を選択する意味、技術の本質を改めて認識して、惰性ではなく確信をもって、自分らの技術と向き合う‥‥わけです。

 

「アニメはこのやりかたでしか作れなかったから」なんていう意識では、どんどん「違うやりかた」に侵食されるばかりです。

 

自分たちの扱う技術の「本命」とは何ぞや? ‥‥を再認識をして、存在理由と意義を改めて自覚できれば、どんな新技術が現れようと、容易にはブレない、明確な行動指針が得られましょう。

 

私は紙と鉛筆を今でも使いますし(むしろ最近、紙に戻る時間が増えた)、iPadで旧来フォーマットの作画もしますし、新しい技術を基盤としたアニメも作りますので、それぞれの「長所」と「急所」が作業の過程で浮き彫りになります。

 

旧来技術も新技術も、紙もペンタブも、技術論でフラットに精査すれば良いと考えます。色眼鏡なしで技術と向き合えば、その技術が持っている本質が邪魔されずにストレートに認識できます。

 

実際私は、旧来技術が4K60pで生き抜く方法を、新技術を模索する過程の副産物として得ることができました。「新技術こそは未来の技術だ」とか「従来技術こそアニメだ」みたいなバイアスのかかった捉え方をしていると、ぶっちゃけ、見失うことのほうが多いです。ポリシーなどに振り回されることなく、フラットに色眼鏡なしで、技術の特徴を捉えれば、「各技術の活かしどころ」が見えてくるのです。

 

 

自分たちの技術の本質・本命、長所と急所はいかなるものか。

 

アニメ業界の人々の意志だけでは、社会的な映像技術の進化を止めることはできません。明らかに、旧来アニメ制作技術とって不利な状況が、未来には待ち受けているでしょう。そんな中、技術の中身を技術論ではなく精神論にしてしまっていると、一層、進退窮まる状況に自ら陥っていきます。

 

自分たちの有する技術に対し、妙なプライドで褒め殺しにしたり急所を誤魔化すのではなく、恐れずに正視すれば、むしろ、旧来技術の中に新しさを見出すことも可能ですし、新技術が旧来技術に学ぶことも多々ある‥‥と思っております。

 

 


決戦兵器

ずいぶん前にも書いたことがあるのですが、紙の作画において、私には「決戦の武器」というべきものがありまして、コレです。

 

 

 

 

あと、コレも。

 

 

 

ただのシャーペンと芯ホルダーじゃん。‥‥というのは、たしかにそうなのですが、キモは「芯の径」です。

 

ステッドラーの925の方は「2ミリ」、コヒノール(コイノア)の方は「5.6ミリ」です。

 

 

これで描くと、「延々と描き続けられてしまう」のです。もっと違う言い方をすれば「アドレナリン筆記具」とでもいいましょうか。

 

芯が恐ろしく減らない(正確には、減っても、露出する部分が多いので、描き続けられる)ので、集中力が途切れず、頭の中のイメージを紙に放出し続けられるのです。

 

これはある意味、怖い。

 

体が疲れても、頭の中に絵のイメージが湧き続けることで、いつまでも止められずに描き続けてしまいます。

 

普通の鉛筆は、芯の露出が少ないので、ある一定のところで「鉛筆削りの小休止」が入り、テンションがちょい下がります。0.3〜0.7ミリのシャーペンに至っては、煩わしいほどに腰を折ってきます。

 

しかし、2ミリや5.6ミリは、1回のクリックでかなり持続し、5.6ミリに至っては1〜2時間は余裕でノークリック・無休で描き続けられます。

 

 

まあ、芯の径からして、イメージボードやレイアウトに使うのが適しており、いまどきの細密な瞳をもつキャラの原画には使えません。しかし、イメージを描き留める用途だと、恐ろしい適合性を発揮します。

 

ぶっちゃけ、これを持って、仕事したくない‥‥というのが本音です。「生気を吸い取られる」といいますか、すんごい速度で自分の体の中から紙にエネルギーが吸い取られていくのがわかるのです。‥‥まあ、表現は、あくまでイメージですけど。

 

しかしねえ‥‥いまどきの制作事情は、この決戦兵器を使わないとダメぽな感じがします。

 

 

多分‥‥ですが、うまくプリセットが作れれば、この2ミリと5.6ミリと同じ感触の筆記具が、Procreateでも作れそうな気はします。ただそれは、もうちょっと先にしておこう。iPadでの作業は、「そういうアレ」にしたくないので‥‥。

 

 


フルモーション

アニメの新技術の中には、いろいろなカテゴリがありますが、コンピュータで描き絵を動かす技術を、何でもかんでも「カットアウトアニメーション」ということにしてしまうのは、なんともキモチが悪いです。ラーメンやスパゲティやニョッキを「うどん」というくらい、しっくり来ません。「小麦粉をコネて茹でれば、それはみんな、うどんだ」というのは雑すぎますもんネ。

 

本日放映されたクロックワークプラネットのED(エンディング)は、ビジュアルコンセプトから絵コンテ・演出・ビジュアルエフェクト・編集・グレーディング(‥‥あと、鬼のような歯車の背景)を齋藤瑛さんがひとりで担当し、キャラの色彩とペイント(階調トレス)を田中美穂さんがやはりひとりだけで担当、私はキャラの線画をiPadでひたすら描き、After Effectsで動かす作業に徹しました。作業者のメインは三人、総作監さんやプロデューサーさんをいれても、ガチで五人だけの現場です。

 

私の作業した内容で言えば、レイアウトや原画作業だけでなく、コンピュータで動画作業と同等のことをするので、動画枚数は無制限‥‥というか、動画枚数という概念自体が消滅し、「動きそのもの」だけに集中できたのが特徴です。動きを「もっとああしたい、こうしたい」というのはありますが、それは言いっこなし、今回の許容では妥当だと思っております。

 

「カットアウト系」。‥‥でもまあ、呼び名は、ぶっちゃけ、今現在はどうでも良いです。まずは、フルモーションの動きを少しでも人目に晒すことが重要です。

 

 

まあね‥‥。2コマ抜いて、3コマ打ち=8fpsにすれば「アニメっぽい動き」になるのは重々承知しておるのですよ。

 

同じ映像内で他が3コマで動いていて、馴染ませるために3コマにする‥‥というのは、私もよくわかるし、そうすべきと思います。

 

しかし90秒の短編といえども、1つの独立した映像作品内でフルモーションで完結するなら、わざわざ、3コマに動きをカクカクさせて、クオリティを下げる必要はないです。技術の持つ特性を、クリアにストレートに発揮すべきです。

 

日本のアニメの「3コマ動き」の多くは、「リミテッド=表現」ではなく「エコノミー=費用」が理由です。私の敬愛するアニメーターさんは、まさに「3コマの使い手」だったりしますが、多くの現場においては、「3コマ独特の動きを駆使して」ではなく、「3コマだとコストオーバーを防げるから」が理由です。

 

そして、その「エコノミーなルック」が、アニメのデフォルトになっています。

 

要は、作る側・見る側が3コマを「アニメっぽい」としていて、今までのアニメの慣習に無意識に落ち着いちゃっているだけです。アニメは必ず3コマで作らなければならない自然界の掟があるわけではないです。映像のフォーマットも映像系家電もどんどん進化してきて、アニメもその進化に新技術で追随できるのに、古い習慣・感覚が邪魔して先に進めないのは、何とも歯がゆいです。

 

ちなみに、試しに4K60pバージョンで1カットを出力して見てみたら‥‥、まあ、なんとも「表面を覆っていた膜がとれたような」クリアで滑らかなでデリケートなニュアンスが映像全体に発散されてました。実は、新技術のアニメーション技術の真骨頂は、4K60pの「みたことのない境地」=手描きの中割り動画ではできないアニメーション表現なんですよネ。

 

 

でもまあ、カットアウト系をはじめとしたアニメーションの数々の新技術は、まだまだヨチヨチ歩き。

 

これから、どのように幼い新技術を育て上げていくか、先行きが大変ですけれど、技術内容的にも、そしてお金的(作業者のギャラの改善ネ)にも、未来が楽しみが技術ジャンルでもあります。

 

クロプラEDのキャラのモーションは、iPad ProのProcreate、macOSのPhotoshopと、After Effectsの3つだけで作っていますが、中でも難しかったのは、リューズさん(ヒロイン)の横顔からの振り向きです。しかしそれでも、普通に原画動画ペイントするよりは格段にコストパフォーマンスは高いです。もし普通に作画で、フルモーションで5秒間、複雑な装飾と処理で動かすとなったら、どれだけの工数と人員が必要になるか‥‥を考えれば、「ぐえ。そんなエグい内容をAfter Effectsをやってんの?」と言われようが全然苦ではないです。

*試しに試算すると、(5+0)=5秒のカットで、24x5=120フレーム、これをフルモーションだと120枚の動画ですが、キャラの後ろの半透明の羽衣、キャラ、キャラの半透明のパーツ、手前の半透明の羽衣で、合計は120枚の4倍で480枚。5秒のカットでほぼ500枚‥‥なんて、まあ、やる前から他の手段を考えますよネ。そもそも、手書きの動画作業で5秒間丸々フルアニメーションの24コマでシートなんか書かないし。‥‥つまりは、最初からそんなカット内容を考えないわけですが、新しい技術の基盤があれば、NGがOKに変わってくるのです。これがもし60pフルモーションだったら‥‥ですが、新技術はそれにも対応できるのです。

 

少人数で映像を作り上げて、ちゃんとお金も貰う。‥‥今のアニメ制作実情の真逆を目指すわけです。

 

 

 

課題は、技術の体系化。そのことに尽きます。

 

現場のワンセクションの中にいると取り立てて感じることはありませんが、日本の現在のアニメ制作は、極めて高度に体系化されています。‥‥でなければ、1話あたり数千枚も絵を描いては塗る作業を完了して、放映にのせることなんてできません。冷静に考えてみれば、ものスゴくタフで高レベルな技術体系がアニメ制作現場には根付いているのです。

 

それをしみじみ実感しているからこそ、新しい技術体系の幼さは身に沁みます。

 

 

 

とにかく、1つ1つ、今までできなかったことをできることに変えていって、地道に、地道に、レンガを積んでいくしかないです。技術は、コンピュータが絡んでいようと、結局は手作りですもんネ。

 

 

 

ちなみに‥‥。

 

絵をフルモーションと動かすと「3D」と言われるのは、もう10年くらい前からなので慣れました。3Dの絵は、モデリングという逃れられないメカニズムがあり、2Dの描き絵は「人間が手で描く」という逃れられないメカニズムがありますが、その特徴を直感で見分けられる人は専門知識などなくても「3Dとはなにか違う」ことがわかってもらえることもこの10年で知っているので、2017年の今では全く気にしません。‥‥まあ、参考にはしますけどね、「もうちょっと絵っぽいニュアンスを残した方が良いかな」とかネ。

 

描いた絵は、現実など問答無用で、「その絵の快感」で描けちゃいますから、どんなにディテールが細かくてもフルモーションでも、描き絵の特性が出るんですよネ。

 

フルモーション=3Dという誤った判断基準を過去のものにするためにも、3コマ打ちの8fpsなんかで新技術を展開してはいけないのだ‥‥とは常々思います。

 

 


ナマの道具

既にそこにある紙。‥‥いくらiPad作画が快適でも、そこにある紙に何らかの修正を入れる場合は、スキャンする必要があります。

 

スキャンして、iPad作画して、プリントアウトしてタップ穴を貼り付けて‥‥。う〜〜〜ん、大量の処理は不可能ですね。

 

タップ穴の貼り付けは大変です。前にも書きましたが、どんなに紙にタップ穴を開ける精度を高めても、それぞれのプリントアウトの印刷位置がズレてれば、タップ穴はズレます。

 

私の結論は、印刷されたタップ穴に合わせて、紙タップを貼る。それが一番、手堅いです。‥‥でもこれがまた、時間がかかるんだわ。貼りまくるうちに手際はよくなりますが、決して「慣れれば楽になるよ」なんて言えない作業です。たまに、制作さんが見かねて、タップ貼りを引き受けてくれることがありますが、それはあくまで特例で、基本はやっぱり「自分で貼る」‥‥です。

 

 

作画の出発点が自分にあるのなら、タップ穴貼りの労力を呑んででも、iPad作画の利点を採ります。しかし、既に紙の原画が存在する場合は、やはり「from 紙 to 紙」が一番円滑です。

 

最近、そうした「紙ありき」の作業が増えてきたので、ここはひとつ、再度、紙にも対応しようと、奥にしまった道具を厳選したのちに復活しました。

 

さらに、新しい道具や銘柄も購入しました。

 

1つは老眼鏡。

 

線が見えなきゃ、仕事はできぬ。

 

「老」の1文字は、私のような40〜50代で、実際に体のセンサー類や可動部分を使って仕事をする人には、恐怖の文字ではありますが、だからといって、いつまでも拒絶してても「体は正直」です。何か、エロい言い方ですが。

 

私が購入したのは1.0と1.5の老眼鏡で、事前に自分の老眼進行度をPDFの印刷物で簡易測定して、アマゾンで購入しました。

 

 

「うわ〜〜〜見える。クッキリハッキリ見える。」‥‥というのが、率直な感想です。紙で絵が描きやすくなりました、格段に。

 

iPad作画だと、全く老眼鏡は必要ないんですけどネ。紙のようにリアル世界の縮尺だと、視力の補助器具を用いて、クリアな視界で絵を描いた方が、全然快適です。

 

 

その他は、昔ながらの道具の再購入です。新しく買ったのは、「電消し」=電動消しゴムと、鉛筆削りです。

電消しはメーカーは違えど、もう30年前から使ってはいる定番アイテムなのですが、倉庫にしまっちゃって出すのが面倒なので、新品を買いました。

 

モーターはトルクが強く、パワフルに回転して、小さい箇所でも綺麗に消してくれます。細かい絵柄のアニメには必需品です。電池はアマゾンの充電池を使っているので、電池を買い置きする必要もなく、どんどん使用済みの電池のゴミが増えていくことも防げます。

 

 

鉛筆削りは、据え置き型ではなく小型の簡易型を買いました。

 

 

実際に使って見ると、予想に反して、とてもパワフルです。そして、とても尖る。

 

据え置き型の「削りすぎストップ」がついている機種より、格段にとがります。その代わり、際限なくどんどん削ってしまうので、「勘」で鉛筆を引き抜かないと、鉛筆の消耗は激しくなるかもしれません。

 

 

 

まあ、私のメインはあくまでもiPadなどの「コンピュータ機器での作画」なのですが、別に一神教をやっているわけではないので、状況に応じて、いくらでも道具は持ち替えて対応します。作業場が煩雑になるのでできるだけ装備は一本化したいキモチはありますが、現状は現状。状況を判断して、柔軟でベターな選択をしていくつもりです。

 

紙はね‥‥、やっぱり、そんな簡単にはコンピュータに切り替わらないですネ。よほどのコストパフォーマンスの優位を、「デジタル作画」が実現してみせる‥‥とか、次世代の映像フォーマットに対応しなければならなくなる‥‥とかでもなければ。

 

ベトナム戦争の際、ジェット機へと機種転換したアメリカ海軍でも、レシプロのA-1スカイレイダーを直協の攻撃機として現役で使っていましたしネ。

 

 

 

しかし、習慣とは恐ろしいもので、この1〜2年はiPad作画でも、紙で絵を子供の頃から描き続けてきて、アニメーターとしても長い間、鉛筆で描き続けてきたので、あっというまに「癖」は戻ります。

 

iPad作画で影付けする際に、一連の動作で思わず、三菱の7700硬質色鉛筆でiPad画面に描きそうになったのは、自分でも驚きました。

 

紙の道具もまだまだ使いつつ、新しいアニメーションの可能性もどんどん模索していく‥‥という、ジェットとプロペラが混在した1945〜1955年の航空機の感覚で、日々を進めていく感じ‥‥でしょうかネ。

 

 


画面設計、プロジェクトマネージメント、技術責任者、ROE

アニメ作品制作は、一見、大人数の多行程で進行するがゆえに、工場の生産管理を想像しがちです。しかし、工場で生産される製品の1つ1つは大きく仕様がことなる「ワンオフ」品ではなく、たとえBTOでも、既存のパーツを組み合わせたバリエーション展開に過ぎません。アニメの1カットと工業製品の1個体は、全く性質の異なるものです。

 

ですから、生産業のプロジェクトマネージメントの方法論を、アニメ制作現場に導入するには、よ〜く噛み砕いてアニメの事情に適応させる必要があります。そのままでは使えないのです。

 

私は以前、生産業のプロジェクトマネージメントに大いなる刺激を受けたことがあり、少なからず導入できる要素を感じておりますが、アニメ作品とその制作行程、そしてスタッフの特性を鑑みて、「アニメ作品制作ならではのプロジェクトマネージメント」として成立することが必須だと認識しております。

 

生産業において、実際の設備や工員の技術を度外視して、机上の技術論を展開しても、プロジェクトマネージメントが成り立たないように、アニメのプロジェクトマネージメントも作画や美術やペイントや撮影などの各スタッフの技術的なよりどころや価値観、そして各工程の機材の特性を無視して、理想論だけのプロジェクトマネージメントを展開しようとしても、空振りの連続どころか、現場からプロジェクトマネージメント自体が疎まれるようになります。

 

表現と技術の結びつきを理解していてこそ、現場に必要なプロジェクトマネージメントも実行可能です。

 

絵だけ作れてもダメ。

 

機材やソフトウェアの知識だけでもダメ。

 

つまり、プロジェクトマネージメントはそれこそ総合的・包括的な経験と知識が必要なだけでなく、映像の表現者としての恰幅も往々にして必要とされるわけです。

 

 

 

プロジェクトマネージメントを実践するには、「なぜ、その技術がこの作品に必要なのか」を理解し、実践することが必要です。その実践の中には、監督・演出からのオーダーに盲目的に応えるだけでなく、「代替案を示して、障壁を突破する」ミッションも含まれます。

 

アニメ作品の技術は何に用いられるか? ‥‥当然のことですが、作品作りですよネ。特にウェイトが重いのは「絵作り」です。

 

すなわち、プロジェクトマネージャーを引き受ける人間は、アニメ行程に関する全ての知識と技術と絵と動きの技量をたっぷり蓄えていなければ、全うできない役職です。

 

 

んな、アホな。

 

そんな人材、どこにいる?

 

非現実的です。

 

 

私は画面設計もやり、ラボとの技術的な話もたくさんしてきましたが、専門は作画と撮影(コンポジット・VFX)です。

 

美術の制作現場、色彩・ペイントの作業現場のことは、間接的にしか知りません。実際に美術専門のプロとして担当したことはないですし、ペイント作業で稼いだこともないです。やりとりのなかで知っているだけです。

 

プロジェクトマネージメントの肩書きを持つために、全ての行程に精通しなければならない‥‥なんて、とても実現できることではないですし、もしそれが出来るというのなら、それはとても「傲慢」なことですらあります。各工程の各専門分野をナメている証しとすら思えます。

 

 

現在の私の見解としては、プロジェクトマネージメントは、主要な工程の監督責任者らと共同で取り仕切るのが、現実的な路線だと思います。

 

専任でピン(独りで成立する)のプロジェクトマネージャーなんて有りえません。

 

 

ですが、プロジェクトマネージメントを束ねるには、誰かが取りまとめ役をおこなわなければ、エネルギーが分散して立ち往生します。要は、プロジェクトマネージメントのチーフが必要なわけですが、その人間は、相応の技量を示さなければなりません。

 

プロジェクトマネージメントを共同でおこない、もしチーフなどの先導役・仕切り役として立つならば、画面設計の技術は必須です。「この作品の映像を、こんな完成像を目指して、こんな感じに技術を使うんだ」という意思表示ができなければ、周りが理解もしなければ納得もしません。ゆえに、イメージボード、コンセプトボードを描く(もしくは作る)技量はどうしても必要です。狼の群れを統率するにはアルファクラスの狼が必要です。

 

じゃあ、絵描きしかプロジェクトマネージメントのチーフにはなれないのか?‥‥というと、そんなことはないです。強い意思を持つコンセプトボードが制作できれば、直に絵を描く必要はありません。実際にアニメーターではなく、コンポジターからキャリアをスタートしたスタッフが、イメージコンセプトを担っている事例はまさに身近にあります。

 

一眼レフで撮影した写真や軽めの3DCGを用い、時にはiPadでニュアンスや小部分を描き足して、PhotoshopやAfter Effectsで画像や映像に仕上げて具現化できれば、十分、作品の映像コンセプトを提示できるでしょう。

 

 

 

一番まずいのは、現場に「デジタル」の知識が足りないからと言って、付け焼き刃的に技術責任者を配置することです。これは何度も失敗例を目撃しています。

 

技術の様々な要素はアニメの作品表現のために必要となるのです。技術のために作品があるのではなく、作品のために技術があります。

 

そんな当たり前こと‥‥ですが、作品無き技術論を展開して、作品無き制作技術の管理・統制をおこなうようになると、主従が逆転し始めます。

 

ソフトウェアやハードウェアの「ジャッジ」だけできてもしょうがないのです。下されるジャッジが作品制作の根本から発するものでなければ、ただの作業環境の整頓係にしかなりません。整理整頓が一人歩きして、作業環境の維持のためにアニメを作るようになったら、本末転倒も甚だしく、技術責任者が作品作りの厄介者になってしまうことすらあるのです。

 

「作業段取りはこうしよう」「ファイル名はこんな風に決めよう」という1つ1つの決め事に対し、皆が「たしかに作品を確実に完成へと導くには、必要な取り組みだ」と自覚できる、必然的なプロジェクトマネージメントが必要です。そして、現場に制作管理技術が必要だと認識させる、エバンジェリストとしての役割も‥‥です。

 

「面倒な決め事ばかりで、負担を倍増させやがって」と思われてしまうのは、ごくごく単純に言えば、プロジェクトマネージメントの力量不足が気取られているからです。経験の浅さ、見識の低さ、表現力の狭さが、日々の振る舞いで、経験豊かなスタッフたちにバレちゃうような人間が、責任職を振りかざす形になると、そりゃあもう、現場は反発します。形骸化した年功序列や組織の上下関係に従うほど、現場の人間は飼いならされておりません。

 

力量不足ゆえに信頼されない人間が、技術の責任者だ‥‥なんて、現場は到底、納得できないでしょう。「なんで、あんな奴の言うことに従わなければならないんだ」と。

 

 

 

プロジェクト、フローの設計、映像表現、各方面の専門技術。

 

プロジェクトマネージメントは、特にアニメにおいては、かなり難易度の高い取り組みです。

 

「みんなが頼れる」技術の責任者なんて簡単に現場に現れないし、プロジェクトマネージメントをひとりで何から何まで仕切れる人間なんて夢の人材です。そんな得難い人材を各作品に各話ごとに何人探し出せば良いのでしょうか。

 

 

 

ではなぜ、いままでのアニメ制作では、プロジェクトマネージメントや統括技術責任者がいなくても、作品制作が機能していたのでしょうか。

 

要は、各セクションの監督職が、セクション固有の技術責任を理解し、実践していたからです。言わば、作業セクションごとの「ROE=Rules of Engagement」を確立していたわけです。

 

しかし、「デジタル」という要素が新たに入ってきた時に、「デジタル」を自分らの管轄外にしたまま、現在まで引きずり続けて、ある種、「デジタル運用周辺が無法地帯」になることも、まだまだ多いんじゃないでしょうか。ファイル名の付け方すら、全く統一できない現場。

 

「デジタル」は後付けで、自分らの従来の作業責任とは別枠だ‥‥と考え続けていては、いつまでたっても今まで通りの顛末を繰り返すばかりです。

 

映像制作「軍集団」と考えた場合、各「師団」ごと、各「大隊」ごと、自分らの「部隊行動基準」の中にあらかじめ「デジタル」の要素も取り入れるのが、まずは最初の一歩。

 

まずはそこから‥‥だと思います。

 

 

 

 

とはいうものの。

 

う〜〜ん。できるかな‥‥。現状として、中々実現できる取り組みではないのは承知しております。紙が主流な作業行程では、どうしても「蚊帳の外」の要素なんですよネ、デジタルは。

 

現場が欲するのは、実際に肌身で感じられる合理性や効率性です。しかし、紙の現場の合理性や効率性は、「デジタル」のそれとはなかなか一致しません。

 

 

私自身は、オブジェクト指向型小規模ワークフローも、プロジェクトマネージメントも不可能ではないと考えています。実際、チャンスがあれば、短尺作品で実践もしています。

 

でも、今の現場に無理強いをするつもりはないです。

 

まだ、パズルのピースが揃ってないのです。残念ですが、その足りないピースが見つかるのは、もうちょっと先の話です。どんなに地団駄を踏んでも、時間は早送りできません。時を待つことも、必要です。

 

足りないピースで今、何ができるのか?‥‥と言えば、「とび石作戦」です。要は、ピースが足りないからと言って、パズルを全く組み立てないでボケ〜と待っている必要はないですよネ。組み立てられるものは組み立てておけばいいです。

 

待っている時間は、他の準備に使う。‥‥なんだ、簡単なことじゃないか。

 

 


ちなみに転送速度

まあ、常識ではあるのですが、規格に記述されている転送速度はあくまで理論値であって、実際は、ものすご〜〜〜〜〜〜〜く遅いものです。

 

今でもSATA規格の内蔵&外付けHDDで作業しているケースが、特にアニメ業界の作業場ではほとんどだと思いますが、一度試しに、作業用のHDDの速度を計測してみると、結構、愕然とすると思います。

 

USB-CだThunderboltだ‥‥と言ってるご時世に、自分の環境はどうなの?‥‥ということです。

 

速度単位はbps=ビットパーセコンドとB/s=バイトパーセコンドの2種類があり、容量単位もM=メガとG=ギガがあるので、その辺は読み間違わないように注意します。

 

 

 

‥‥で、計測してみるとわかるのですが、コンスタントに3Gbps付近の速度を叩き出す大容量HDD(SSDではなく)は、相当アレコレと機材構成に気を使わないと実現できせません。内蔵のSATAにポコンと繋いだHDDなんて思っていた以上に遅いですし(SATAの理論値からすれば)、USB3.0に繋いだ単体HDDなんて大容量だけが取り柄です。USB3.0で高速!‥‥なんて喧伝されますが、HDDが低速なのは「こそっ」としか製品ページには記載しないですよネ。

 

ちなみに、ポータブル2.5インチのUSB3.0接続のHDDは、大概0.1Gbpsくらいです。猛烈に遅いですが、2Kのm4vあたりだったら余裕で再生できる速度でもあります。地デジのビットレートは0.02Gbpsくらい、BDでも0.05Gbpsですから、圧縮済みの2K映像の1ストリーム程度なら、ポータブルのUSB3.0HDDでも再生が可能‥‥というわけです。

 

 

Thunderbolt3の理論値が40Gbpsだ!‥‥と言ってる横で、HDDでRAID0を組んでもたかだか3Gbpsの実測値か‥‥と思いがちですが、実はそれなりにハードルが高いものなのです。3Gbpsあれば、4KのProRes4444だって難なく再生(24fpsなら一層)できますしネ。

 

SSDは速いは速いですが、大容量はまだまだ高価で、たっぷりな作業スペースを確保するには至りません。素材置き場にするよりも、高速なキャッシュ用途で使いたいですネ。iMacやMacProの内蔵SSD(やFusion Drive)の速度は、そりゃあもう、速いんですが、容量に限りがありますからネ。

 

ちなみに、私の作業場のMacProの作業用HDD構成は‥‥

 

Thunderbolt2のHDD箱に4個の3TB 7,200RPMのHDD(WDのREDだったと思う)を詰める

MacOS側のソフトウェアRAID0で2個ずつ結合

結合後の2つ(のように見える)のディスクを、1つは作業用、1つはタイムマシン用に設定

結果、RAID01に似た構成で構築

 

‥‥のような構成で速度とローカルのバックアップ体制を両立しています。しかもHourlyバックアップ! RAID01や10にしちゃうと、それそのものではHourlyにはできないですもんネ。Hourlyバックアップには、何度も何度も助けられましたよ。‥‥そそっかしいから。

*Hourlyバックアップとは、1時間ごとに履歴バックアップしてくれる機能です。間違って消しちゃった! 上書きしちゃった! アップデートしたら不具合がでるようになっちゃった! ‥‥というトラブル(人災)を、「トラブルが無かった時点まで、時間を巻き戻せる」のです。私はこの機能、手放すことができません。

 

 

 

2000年当時のマシンが、今では映像制作では全く使い物にならないように、2010年代に買ったマシン環境も、未来では役不足感を甚だしく感じるようになるでしょう。

 

まずは、今の自分の作業環境の各ディスクの速度を計測してみると、そのマシンの「未来への持ちこたえ度」がなんとなくでもわかってきます。起動ディスクではなく、作業用エリアのディスクの「実測値」が1Gbpsを下回るようだと、‥‥まあ、数年後に買い替えが必要になってくるかも‥‥‥ですネ。映像ファイルの再生落ちが頻発するような環境では、作業は難しいですもんネ。

 


サンダーボルト

Cintiq Pro 16が発売(予約開始)されて、色々判明してきた事の中で、一番イタタの部分は、Thunderbolt3(USB-C)でしか4K表示ができない点です。つまり、出力側のビデオ性能が4Kスタンバイでも、USB-C/Thunderbolt3を装備していなければ4Kタブレットにはならないということです。

 

これは「現在の観点」で言えば、中々にキツい条件ですネ。

 

 

Thunderbolt3。USB-C

 

一部の最新型Mac(MacBook)やWindows機がようやく搭載し始めた高速転送の規格です。

 

Thunderbolt3の転送速度は40Gbps(理論値)で、映像屋の視点で言えば、4Kの映像を何トラックもストリームするのに適した規格と言えます。‥‥もちろん、送り出し側に極めて高速な送出速度が求められますが。

 

ちなみに、今でも現役のUSB2.0は0.5Gbps、USB3.0ですら5Gbpsです。Mac標準のThunderbolt2は20Gbpsで、私の作業場のMac ProはThunderbolt2のRAID0を組んであり、4KのProRes4444の60fpsをなんとか再生できるスペックです(=HDDのRAIDなので、規格の理論値が20Gbpsでも、2〜3Gbpsの実測値しかでません。SSDのRAIDなら速度が期待できますが、容量がな‥‥‥)

 

4K8K時代の映像制作を鑑みれば、たしかにThunderbolt3の40Gbpsの速度は妥当とも思えますが、現実と理想は常にギャップがあるものです。実際、転送速度だけ速くなっても、送り出し側の速度がイマイチついていけず、実がともなわない感があって、Thunderbolt3は盛り上がりに欠けていました。

 

Thunderbolt2で満足していた2014年に、次期規格としてThunderbolt3のスペックを見た時には、「未来のケーブル(要は規格ですネ)、きたー!」と思いましたが、「アニメの現場にこれが入ってくるのは、数年は待たないとダメだろうな。」とも思いました。

 

 

 

MacBookやiMacって、往々にして現在の標準より前倒しで規格を盛り込む傾向があって、まだフロッピーが活躍していた頃にフロッピードライブやSCSIを廃止してCD-ROMやUSBオンリーにしたり、CDやDVDドライブの廃止=データを何か固有の媒体で提供する概念自体を廃止したりと、「極端過ぎる」と「常識派」から難色を示されてきた経緯があります。結果的には、「常識派」の支持していたものは廃れていき、Apple製品が示したチョイスの多くは世の中の主流を先取りしていたと言わざる得ません。

 

去年2016年からMacBook ProはThunderbolt3を搭載し始めました。オルタネートモードによりUSB-Cとの共通性・互換性があるので、以前より融通が効きそうです。

 

Thinderbolt3・USB-Cは、一層の高速データ転送の未来において、有力な選択肢なのだとは思います。実際、Thunderbolt規格とUSB-C規格の差異を意識せずに周辺機器が接続できるようになれば、すごく楽ですよネ。

 

しかし、Apple製品でもThunderbolt3は最新型のMacBookしか搭載しておらず、Cintiq Pro 16は、さらにそこから「ペンタブで絵を描く人」に絞り込むわけですから、2017年4月現在では、中々な「狭き門」です。

 

 

USB-Cは確かに便利。しかし、普及加減はまだまだなので、ユーザ側の反応はいかなるものか。

 

Cintiq Pro 16の売りの4K性能は、今しばらく「おあずけ=マシンを買い換える時まで」ということでしょうネ。

 

 

 

まあでも、4K性能がおあずけでアダプタ経由の2.5Kでも、十分絵は描けると思いますけどネ。

 

2.8KのiPad Proで6Kの原画も問題なく描けているので、ドットバイドットでなくても、高詳細液晶パネルで快適に絵は描けるんじゃないかと推測します。

 

単体で使うMobile Studio Pro 16と違って、メインディスプレイと併用するのが一般的でしょうから、邪魔なツールウィンドウはPCモニタ側において、必要なツールウィンドウだけを16インチ側におくようにすれば、広く使えることでしょう。

 

ちなみに、私の作業場のMacProは「トリプルモニタ」です。しかも、2台の2.5Kモニタがミラーリングで、1台が2Kモニタという変則的な構成で、これがまた、ワコムのペンタブドライバの不具合のタネになるのです。ゆえに、板タブすら通常はOFFにしているくらいです。‥‥なので、今の作業環境にさらにCintiqを追加するのは相当ムチャな話で、今のところ、Cintiq Pro 16の導入は考えておりません。

 

どうしてもクリスタをCintiq Pro 16で使いたい!‥‥というニーズが高まってきた際には、マシンの調達も含めて考えようかと思っていますが、一方でiPad作画が相当使い勝手に優れているのも実感しているので、もう少し先の話‥‥ですネ。秋頃と噂されるiMacの新型がUSB-Cを搭載した頃に、妄想を膨らませてみようかと思います。

 

 

でもまあ、なんやかんやいっても、テクノロジーの発達はわくわくするものです。

 

Blood劇場版やイノセンスを作ってたときに、4K60pHDRなんて考えもしなかったですもん。PC/Macにフロッピーの挿入口がついている光景は普通なことでしたしネ。DVD-Rに自分でオーサリングしたDVDコンテンツを焼いて、家電のDVDプレイヤーで29インチブラウン管テレビで見る‥‥なんてことが「すごい時代になった」と思ってたのが、今や‥‥です。

 

私の作業グループではもはや4Kは「来たらやりますよ」くらいな感触になり始めてますし、実写でも3DCGでもないアニメの60pのモーションにも慣れてきています。

 

「アニメとはこうあるべき」なんて宣う「常識派」の格言なんて、その格言が吐かれる時点ですでに骨董レベルになり始めているのです。

 

ほんの10年ちょい前、SD(地上波アナログ)に慣れきった人々が、「HDなんてオーバースペックな高詳細フォーマットで、アニメは何を作れば良いんだ」‥‥なんてセリフをぼやいていましたが、いまそれを言う人、居る?

 

同じような性質の人々が、今度は「4Kで何を作れば良いのか、わからん」などと同じ事を繰り返して言ってるんだよな。

 

* * *

 

ビデオ解像度で一歩遅れをとり続けていた液タブでしたが、Cintiq Proは一気に現代的なスペックまで引き上げました。USB-Cというのが、やや「引き上げすぎた」感もあるのでしょうけどネ。

 

Cintiq Pro 16は、4Kで繋げない面を強調するよりも、先行投資と考えて、今は2.5Kで使うけど、2〜3年後にマシンを買い換えたときに本来の4Kで使う‥‥という考え方もアリでしょう。

 

高詳細液晶に直に絵を描く感覚は、結構マジメに、未来のスタンダードになるような気がしています。

 

現在、紙の作監作業を久々に引き受けたりしてますが、iPad作画を経験した後では、紙の良さを感じるよりも、紙の欠点のほうが目立つようになりました。iPadならば、拡大表示すれば視力とか関係ないし、黒鉛や消しゴムの物理的精度も関係ない、どんなに描いても先端が丸くならずに細い線を維持できる、自分の腕の動きに合わせて紙(=キャンバス)を自由にジェスチャーで移動ズーム回転できる‥‥など、「デジタルのやりにくさ」を相殺するにあまりある利点がiPad作画にはあります。クリスタやTVPでも同じことが言えると思われます。

 

ただそうした利点は、作業者レベルの限定した範疇で、作画システム自体を揺り動かすほどではありません。何度も書きますが、新しい時代の新しい技術基盤の新しいニーズが生まれてきた時、ようやく「包括的な」コンピュータベースの作画システムの必要性が認識されるのだと思います。

 

 

 

で、CIntiq Pro 16。

 

iPad作画を常用している私としては、「いいじゃん。当面は2.5KのCintiq Pro 16でも。」という感じでしょうかネ。

 

マシンはどうせ買い換えることになります。その時に、Cintiqを4Kで表示できるマシンを調達すれば良いのです。

 

4Kでなく2.5Kか‥‥と意気消沈するキモチもありましょうが、それよりも、高詳細液晶に絵を直に描くという体験をし、常用レベルまで習熟するほうが、よほど未来の実りに繋がっていく‥‥と感じます。

 

 


否定されるとキレる人

わたくし、ツイッターはやりませんが、楽しみにしているアカウントはあります。見るだけツイッター。

 

全然、縁もゆかりもない職種の人(と思われる)の日々の言葉を読むのは、中々に楽しいです。考え方や価値観や、生活習慣も大きく異なるので、読んでてとても面白いし、勉強(作劇上の)にもなります。

 

しかし、たまにそういう人が発したツイートが多くの人の関心を呼び(いわゆる炎上)、いろいろと言葉を返してくるのを見ていると、「人間」を感じずにはいられません。

 

ツイートの内容が特定の人間をネガティブ寄りに指し示すと、その特定の人間から猛反発がかえってきて、「否定されるの大嫌い人間」がこの世には多いことを思い知らされます。

 

でも、ツイッターにいそしむ人間なんて、総人口からすれば、大した数ではないでしょうから、ツイッター上では目立つだけ‥‥なのだとは思いたいですけど。

 

 

否定されるのってさ、ある種、良いことだと思うんですけどネ。

 

自分が知らず知らずのうちにハマリ始めている軽めの自己洗脳を解いてくれるから。

 

「え、NO? うそ。 そんなことない。 だってさ、こういう理屈でさぁ。‥‥そう? そうかな‥‥‥? そうかもな。 そういう面もあるかもな。 その方面から考えて見たことは、たしかに今まで無かったかも。」

 

‥‥という感じで、気づきのきっかけが得られるじゃん。

 

 

自分はいつも、これが自分にとって良き選択だと判断した道筋を進んでいるわけで、別の道筋なんて、中々見えてこないもんです。私なんか、その典型です。

 

だからこそ、自分にとってネガティブに聞こえる言葉にも、許容を有しておかないと、道筋を誤ることもあり得ましょう。

 

否定されたその時は「うっ」となっても、最低でも10秒間はプールして、冷ましてから考えてみることが必要だと思います。相手がたとえ経験の浅い年下だろうが、その「NO」の理由や構造を考える許容範囲は、常日頃から用意しておきたいものです。自分は経験も知識も多いから、年下の反対意見なんて全て愚そのものだ‥‥なんていう事こそ、まさに愚の骨頂です。

 

 

否定されるとキレる人って、単にツイッターだけで目立つだけかな。現実社会では、そんなに目にしないんだけどなぁ‥‥。

 


「デジタル」の基礎/解像度

「デジタル」の基礎知識など、必要がなければ、一向に覚えません。あたりまえのことです。

 

また、基礎知識と言いながら、実際は「暗記する約束事」にしてしまいがちな場面を多く目にします。

 

例えば、解像度の話題で、約束事として暗記だけしている人と話していても、イマイチ話が噛み合わないことがありますが、それは当人が「暗記だけして、原理を理解していない」からです。

 

解像度は、映像制作の場合、大きく分けて2種類あります。「ビデオ解像度」と「スキャン&印刷解像度」です。しかし、どちらも解像度には変わりありません。

 

「解像度」と何気なく口にするものの、実のところ、「解像度」ってどう言う意味か、考えたことはあるでしょうか。まずソコの時点から理解してなければ、解像度の話題なんてしたところで、打ち寄せる波にさらわれる砂の城のごときです。暗記モノの単語としての「解像度」を覚えている程度では、基礎を習得したとは言えません。

 

「解像度」は、漢字がまさに意味を表していますよネ。

 

「像を分解する度合い」です。

 

画像ならば、その画像をどのように分解するのか。1インチあたり150ドット(ドット=画素=ピクセル)で分解すれば、150ドットパーインチ=150dpiです。

*扱われるケースによって、ピクセルパーインチ=ppiで表すこともあります。

 

画面全体ならば、その画面をどのように分解するのか。SD/DVDは横幅を720個の画素に分解していますし、HD/BDは1920個の画素に分解しています。

 

この「分解してデータに収める仕組み」は、画像だけでなく、音や動きにもそのまま適用できます。ただ、音や動きの場合は「解像度」という言葉を使用せずに、サンプルレートとかフレームレートなどの専用の用語を用いているだけです。

 

 

こうしたことを仕組みや原理で覚えるのではなく、知識を暗記モノで構成してしまうと、すごく頑固で応用も融通もきかない人間になります。‥‥ぶっちゃけ、です。

 

それは、「暗記したものが正しい」と思い混んで、思い込んだ要素が増えれば増えるほど、自己洗脳に拍車がかかるからです。

 

暗記ではなく、約束事でもなく、知識を仕組みや原理で覚えれば、違う仕組みや原理と遭遇した際に、「なるほど」と柔軟に受け入れられます。

 

 

例えば、アニメ制作で解像度を「仕事の流儀や慣習」「機材の性質」だけで覚え込んでしまうと、「解像度の使い方」も通り一遍になってしまい、応用が利かなくなります。

 

解像度は、縦横必ず同じ数値とは限りません。アニメ現場のスキャン解像度は縦横等倍のいわゆる「正方形ピクセル」が慣習ですが、世の中には縦と横の解像度が異なる場面も少なくありません。ゆえに「ピクセル縦横比」なんていう用語もあるのです。

 

実際、JPEGのEXIFのタグ(当該画像の情報を記録するデータ)の中には、縦と横の解像度を記録するタグがあります。

 

XResolution =横幅の解像度 ;0x011A ;Rational型
YResolution =縦幅の解像度 ;0x011B ;Rational型

 

 

なので、「1000px x 1000px」の縦横同じピクセル数の画像でも、

 

X解像度:100dpi, Y解像度:200dpi

=横254ミリ 縦127ミリの横長の画像

 

‥‥というような使い方もできます。

 

その昔、SDで16:9を扱っていた頃は、720x480(486)で16:9の画面を収めていました。現在の地デジも1440x1080で16:9ですよネ。352x480なんていう規格もありましたかネ。計算してみれば判りますが、720x480や1440x1080はそのままでは決して16:9ではないですが、解像度を縦横別々に扱うことによって、ちゃんと16:9に映し出せるわけです。

 

ビデオの場合、こうした縦横の幅を変えた=縦横比を変えた映像記録方式を、「アナモフィック(アナモルフィック)」「スクイーズ」と呼び表します。フィルム時代であっても、アナモルフィックレンズを用いて、スクイーズ状態でフィルムに記録していたのは、今となっては驚きですよネ。

 

 

最近、「デジタル作画」の影響か、「作画さんもデジタルの知識を覚えるべき」というのを目や耳にしますが、一方で、アニメ業界の「デジタルの知識」って結構丸暗記物です。

 

暗記物スタイルで「デジタル」の知識を増やしたって、応用や機転なんて利かないですよ。

 

ファイル形式とコーデックのそもそもの違いもわからないのに、ファイル形式はMXFで‥‥だの、コーデックはAvidのDNxHDの‥‥だの、名称を暗記しただけで知識が増えたと勘違いする人も映像業界全般に多いものです。そしてそういう人の多くはインハウスの定型フローだけで純粋培養された箱入り息子&娘だったりもします。

 

かく言う私もかつては、アニメ業界しか知らない箱入り息子だったし、現場の慣習をまるで万物の法のように信じ込んでいた「痴れ者」だったがゆえに、しみじみ解るのです。

 

アニメ業界の「デジタルの知識」とは、いかなるものか、その辺が慣習上のなんとない暗記物で、定義も出自も曖昧ならば、ちゃんと覚えるきっかけは掴めません。

 

 

ではなぜ、私が基礎知識を原理から習得するに至ったかは‥‥、まさに「必要」だったからです。

 

玄関を入ると綺麗なロビーと受付があって、大きな試写室で映像を見た後に、綺麗な会議室で専門分野の方々に専門分野ガチの話題をされて、それにちゃんと映像制作プロダクション側の人間として疎通するためには、どうしても「共通の映像技術の原理の理解」が不可欠だったのです。

 

つい去年までアニメの作画机しか知らなかった人間が、現像所の専門スタッフとフィルムレコーディングの云々を話すためには、「餅は餅屋」の知識には及ばないまでも、最低限の基礎知識は仕組みから理解している必要があったのです。1990年代後半のころ‥‥です。

 

なので、この記事の一番最初に、

 

「デジタル」の基礎知識など、必要がなければ、一向に覚えません。

 

‥‥と書いたのです。

 

廃品を廊下に放置するようなルーズな現場で、ルーズな知識レベルでルーズな話をしている範疇ならば、知識なんて原理から覚える必要もないでしょう。何の責任も生じないルーズな場での雑談なのですから。

 

しかし、言った言葉に責任が生じ、その言葉で現場が動いてしまうような性質をもつのなら、言葉の中に含まれる単語の1つ1つは、「できうる限り」原理や仕組みを理解しておくべきでしょう。‥‥でなければ、無理に専門用語など使う必要なし!‥‥です。

 

実際、私が基礎的なアレコレを覚えられたのは、五反田の有名なラボとやり取りするためでした。そう言った意味で言えば、私は五反田のラボのスタッフさんに「間接的に」育てて頂いたようなものです。

 

 

「デジタルの基礎知識」‥‥‥か。

 

ただでさえ作画の知識でも広範なのに、ビデオの知識、光学レンズの知識、コンピュータ本体の知識、ソフトウェアプログラムの知識、データの知識、ネットワークの知識、ワークフローの知識‥‥と、ありあまる知識をブッコむのは相当キツいですが、でもまあ、それはしょうがないス。中堅になり始めたら、自分の将来のためにも作画以外の他ジャンルの覚えていかんとダメでしょう。

 

未来の行き先が心細いのはイヤですもんネ。痛いのはイヤですもんネ。

 

義務感ではなく、モラルでもなく、今の自分のため、そして未来の自分のために、です。

 

 

「デジタル作画」のアニメーターに対して、どんなに義務感やモラルを強調しても、アニメーターたちが必然的に「デジタルの知識を身につけなければ、自分が痛い目にあう」と、文字どおり「痛感」しなければ、善き人でも「暗記物」に終始するでしょう。

 

解像度を間違えたまま描いて、全描き直しになる‥‥とか、自分の知識の低さゆえに完成した映像で大恥をかく‥‥とか、痛い目にあってはじめて人と状況は動いていくものです。

 

作画以外のすでに「デジタル化」が浸透したセクション、例えば撮影のスタッフが、映像の基礎知識を自分の経験値の中に取り込んでいくのだって、ある種、自分の身を守るためですからネ。何か、高潔な理想のもとに、「デジタルの基礎知識」を覚えているわけではないです。

 

 

加えて、実質として、アニメの作画の現場に、作画の知識も豊富な上で、作画観点から「デジタルの知識」を教えられる先輩って、どれだけいるでしょうか。まあ、少ないですよね、ぶっちゃけ。

 

なので、「デジタルの知識」が足りてないがゆえに、作画現場の先輩からNGを出されて描き直しを食らう‥‥なんてこともないのです。

 

また、膨大なNOやfalseの中から、バブルソートのように、YESやtrueが浮かび上がってくるほど、デジタル作画案件は多くないですから、「知識向上」「経験値向上」が構造的に難しいのが現状と言えましょう。

 

 

私の意見としては、業界全体を改善するような途方もない大風呂敷を広げるよりも、自分の周辺を改善し進化させていくことが何よりも重要な取り組みだと思います。ツイッターやブログで呼びかけるのも「一円貯金」的な累積戦略として全く無駄とは思いませんが、それよりも今、自分が関わったカットで、直接、修正を依頼する方が実効的でしょう。今の自分の仕事の中で、改善案や未来の展望を地道に実践するのが、結局は手堅い方法だと思ってます。

*実際、このブログは私の中では「累積戦略」の位置付けです。即効性や実効力はありませんよネ。

 

皆が自分の現場を改善し進化させていけば、業界も成り行き的に動いていきます。業界は主体性という自らの姿を持たない、業界の人々のシルエットが重なり合って形成される、大きなシルエット=影なのです。

 

ダメな人やグループや会社は消え、未来に順応するものだけが生き残って、全体の姿を変えいくのです。

 

 



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