どうやったらよくなるか‥‥とか

「アニメ業界がどうやったらよくなるか」という話題を見かけたのですが、アニメ業界は言わば、色んな「宗教」「利害」を内包した「小さな世界」みたいなものですから、「アニメ業界がどうやったらよくなるか」は「世界はどうやったら平和になるか」と同じような「とりとめのない話題」です。‥‥と私個人は思います。

 

小さい頃、「なぜ戦争はなくならないのか」が不思議でした。単純に、疑問でした。皆がこれほど忌み嫌っている行為が、それこそ何度も幾度も繰り返されるのは「なぜ」なのかがシンプルに解りませんでした。

 

例えば、シリア内戦がどのような歴史的経緯を経て発生し現在に至るか‥‥を、日本の街行く大人たちに聞いて、どれだけ答えられるでしょうか。これが原因で、こうすれば解決する‥‥なんて、そうそう簡単に言いあらわせるものではありません。

 

でもまあ、シリア情勢はともかく、世界を平和にすることがどれだけ難しいかは、さすがに30〜50年も生きれば、よっぽど花畑で暮らしてきた人でもなければなんとなくわかるでしょう。多くの要素が絡み合い、到底解きほぐせない状態を引きずった上で、些細なほつれがいくつか重なったことがきっかけで、紛争は発生します。何かの思いつきの号令で始まるわけではなく、遠因を引きづりつつ近因が火種となって、始まるべくして始まるのが紛争・戦争です。たとえばグダニスク〜ダンツィヒの件(第二次世界大戦の火ぶたとなったポーランド侵攻に至る前段階)は、1930年代の限定期間の問題ではなく、ちょっと遡っただけでも1400〜1700年代に至ります。地政学の典型とも言えます。

 

アニメ業界の問題は、日本社会の縮図を見るようだ‥‥と、いくつもツイッターで見かけました。そうですよね‥‥、もっと言えば、「戦争がなくならない世界の構造」の1/144ミニスケールにも思えます。

 

アニメ業界‥‥というか、アニメを好きな人々には、それぞれ「自分のアニメ体験に基づく信仰」のようなものがあって、それすなわち、宗教・宗派と呼んでも大袈裟ではないような「当人にとっては根深い」思考形態・原点があります。特に「演出」「作画」のスタッフに色濃い要素です。「技術信仰」と言うべきか。

 

そのベースの上に、ビジネスが乗っかると、さらに状況や構造は複雑化します。アニメ制作におけるワークフロー=現場視点に限定しても、「技術と商売の方法」が各人で入り乱れて、いわば「宗教+経済」の泥沼の様相を引き起こします。

 

「紙」の是非ひとつとっても、「宗教戦争」に発展しかねませんし、ビジネス上の「直接的な単価」にも直結します。

 

私は紙だけでなく、今はほぼ100% iPad Proによる作画スタイルに切り替えて、CO/KF=カットアウト・キーフレームアニメーションを主体にしようと取り組みを続けていますが、たまに紙の仕事を引き受けると、その総合コストの大きさに改めて息をのみます。どう考えても、CO/KFでやったほうがクオリティもコストも高いカット内容を、紙を基盤にした現場は安い作業単価と膨大な時間をかけて紙で作り続けます。

 

場面に適した技術を用いるべき‥‥という、ごくごく自然で普通な考えは、旧来の慣習を継承した一般的なアニメの制作現場では、机上の空論なのです。現場を支配しているのは、合理性や生産性ではなく、作業の慣習やテンプレート=伝統なのです。まあ、日本人らしいスタンスと言えば、それまでですが。

 

「技術を切り替えればいいじゃん」と言って簡単に切り替わるほど、アニメの現場はフレキシブルでも合理的でもないです。

 

そして残念ながら、頭の柔らかさ・硬さは年齢に比例するとは言えず、若い人間でも古漬けの思考に染まっている人間もいるし、ベテランでも思考をスパっと変えられる人もいます。若いから思考が柔軟だ‥‥というのは実はなんとない願望であって、頭の古さは年にあまり関係がないです。ゆえに、時代から技術が置いてきぼりになって効率が低下しても、老いも若きも同様に気づけないのです。

 

‥‥で、こうした話は現場の氷山の一角です。戦後のアニメーション技術とビジネスから派生した色々な問題で溢れかえって、さらに世代論や各人の心情(信仰)も重なり合って、まるで、色々な宗教とビジネスが混沌と混じり合う「世界の縮図」のようです。

 

 

 

じゃあ、あきらめるのか?‥‥と言えば、そうではないです。

 

そもそも「業界」云々の論調が、飛躍しすぎている‥‥と思うのです。自分や自分たちの幸せを、世界平和に結線する短絡思考が‥‥です。

 

「現場の改善」の考え方を「業界の問題の解決」に寄せるからこそ、話がファンタジーに終始するのです。

 

「我が家は苦しい。貧乏だ。ここはひとつ、ジュネーブの国連に行って、国際紛争を解決し世界平和を実現してくれるうよう、かけあってくる」と言うようなものです。ファンタジー過ぎます。

 

貧乏で苦しいんだったら、国連に出向くよりも、身の丈で実践できることがいくらでもあるでしょう。自分の貧乏と国連の決議は、あまりにも遠すぎるのに、「自分の不幸は世界が平和じゃないからだ」と考えてしまうのは、結局のところ、「当人の思考の破綻」の現れだと思います。

 

どんなに現場の改善を望んでいても、紙から一向に離れられない、送り描きの動かし方でしかアニメを作れない、サーバとのやりとりは全て手作業(人間の操作)だ、制作進捗管理をエクセルで表に書き込んでいる、サブスクリプションの仕組みが受け入れられない‥‥なんて続けるばかりでは、新しい時代の新しい体質は獲得できません。

 

現場の改善に「わかりやすい特効薬などない」です。地道で細かい改善の積み重ねを果たした集団が、旧来の構造から徐々に抜け出すことができる、‥‥ただそれだけだと私は思います。

 

業界ではなく、現場を見ましょう。そこにはフィルムカメラもセル用紙も絵具もなく、代わりにネットワークで繋がったコンピュータがあります。現代の状況と特徴を無視して、現場の改善を語るなんて、ありえません。

 

業界を改善しよう‥‥なんて思うのではなく、自分たちの現場を改善すれば良いのです。そのために、新しい時代の新しい技術をどんどん導入すれば良いのです。1.5Kを4Kにアップコンして誤魔化す方法を考えるのではなく、最初から4K時代の新技術に取り組めば良いのです。過去の慣習や思考の殻から脱皮すれば良いのです。

 

 

 

「アニメ制作現場」は、これから先、世界市場の映像技術変化に対応して、時代性と共に歩んでいきます。アニメの映像品質だけ2010年代のままで良いと社会から容認されるわけではなく、周囲の進化する映像産業との厳しい比較の目に晒されるでしょう。

 

「アニメ制作現場」とは言わず、百歩譲って「アニメ業界」が、「どうやったらよくなるか」を語るとしても、過去からの問題点と等しく、未来に起こり得る問題も重大な要素です。どこかのツイートで「制作上のファイル容量計算」を見ましたが、2KでSDRの試算であって、未来の映像フォーマットでは試算されていませんでした。中間ファイルの試算も抜けているようでしたしネ。

 

なぜ、未来予測がすっぽ抜けるのか‥‥、いつでもよくある「典型的な見落とし」です。

 

でもまあ、そんなこんなも全部ひっくるめて、溶けて混沌とした上で、次のカタチが出来上がっていくんじゃないかな‥‥と最近はよく考えるのです。

 

かっこよい脱出方法などなく、進歩派も穏健派も旧体制派も、皆、ぬかるみに足を取られて泥だらけになりつつ、思わぬところで思わぬ協力体制ができあがったりもして、「なんとか生き残れて、未来行きの列車に乗り込めたみたいだ」と後になって気づく‥‥ような感じかも知れません。もちろん、相当な数の脱落もあるでしょう。

 

 

 

考えてみれば、2010年代も今年が最後の1年。

 

最近では、アニメは数兆円規模の市場と言われますが、思うに2010年代の制作現場の価格破壊が、相当「貢献」したことでしょう。

 

皮肉な話ですが、現場サイドからみれば、発展というよりは破壊に至った10年と言えるのかも知れません。

 

しかし、破壊は創生の前段階とも思えますから、2020年代を死滅の年代にするも誕生の年代にするも、自分と自分たちの現場次第です。

 

「業界」なんて全くアテになりません。ぶっちゃけ、業界って誰?‥‥って話です。実体がないです。「影」に話しかけたところで、何も答えてくれません。問題を延々とたらい回しにして、時間を無駄にするだけです。「影」から得られる情報は、「影」がどんな形をしているか、それだけです。

 

まあ、影の形で光が差す方向を推測することもできましょう。しかし、その光は日没前の太陽かも知れませんし、フィルムの亡霊の幻光‥‥平家落ち武者の怨霊(耳なし芳一〜昼だと思って戸をあけたら夜中だった)かも知れません。

 

皆の影が寄り集まった「業界」ではなく、あくまで、自分たちの実体で形成する「現場」こそが、未来のよりどころだと思います。

 

業界の光と陰に過剰な信頼や思い入れをするのではなく、あくまでも「計測の基準点の1つ」として捉えるだけで十分です。

 

「どうやったらよくなるか」については、わたし的には、「淘汰を経て、新しい現場の新しい共生のカタチが出来上がる」だけだと思っています。画期的な延命策などありません。新しい技術をどんどん実用する一方で、全体的な淘汰を受け入れ、生き残りをかけるのです。今までの構造のまま、どこかの誰かがうなるようなお金をバラ撒いてくれて皆ハッピー‥‥なんてあり得ません。

 

滅ぶものは滅び、生き残るものは生き残り、新しい何かを取り入れて、混沌としたのちに、新しいアニメ制作の体質が出来上がっていくのでしょう。少なくとも私は、そう思えるのです。

 

 

 

 


2019年

2019年です。

 

今年は、色々なものが溶けて、ぐちゃぐちゃ・とろとろになるように予感してます。

 

過去から現在への色々な「伏線」が織りなして未来を編む‥‥のがカッコよくて良いんですけど、どうもそうなる気配は感じません。織りなすというよりは、混ざり合って溶けて再形成するような感じ。まるで蛹の内部で体組織がドロドロに溶けるように。

 

こんなに苦労して積み上げてきたのに‥‥と思うようなことでも、きっぱり潔く、トロトロに溶かしてペースト状にして、次の段階に進むべき年なのかなとも思います。前の形を惜しむばかりでは、どうしようもない。

 

映像から電子出版まで、コンピュータのデジタルデータ限定でも、色々な表現・ものつくりの手段が豊富なのが、まさに2010〜2020年代の技術世界の様相です。そうした豊富な要素を、一旦溶かして混ぜてみようと考えつつ、正月もあいかわらず机で仕事する私です。

 

今年の干支はイノシシらしいので、Procreateで作業のあいまに、ずちゃちゃっと描いてみました。

 

本年はどんな年号になるのか、楽しみです。

 

皆さま、本年もどうぞ宜しくお願いします。

 

 


iPadで色々作ろう

iPadは、Proじゃなく無印iPadでも、今やパソコンの機能の一部を代替できるほどの、高い性能と機能性を持ち合わせています。

 

Apple Pencilが使える無印iPadは、Apple Pencilを使ってのスケッチや作打ちはもちろん、例えば、以下のように極めて小規模な音楽環境を構築することもできます。

 

 

 

音楽ソフトはGarageband、ミキサーはヤマハのAG06、キーボードはコルグのnanoKey、ヘッドフォンはソニーのMDR-V6と、音楽を作る環境が低価格で組めます。大編成オーケストレーションのサントラは無理でも、ちょっとしたBGMならこのセットで作れます。

 

カメラアダプタでUSB接続を可能にして、USB2.0ハブをかまして接続口を増やした後、ミキサーやら鍵盤やら、時には有線LANアダプタでネットワークを安定させて、まるでパソコンのように使うことができます。

 

いざ持ち運ぶ際には、Lightningコネクタを外せばiPad単体で持ち出せます。MacBook Proも所有して使っていますが、フットワークは断然iPadのほうが軽いです。MacBookはやっぱりなんだかんだ言っても、重いし、電力消費は大きいしで、iPadよりは手間がかかります。

 

ヤマハのAG06を介してヘッドフォンで音を聴くと、回路の余裕の差か、iPadのヘッドフォンジャックに比べて、さすがに音は良くなります。24bit/192KHzの音源ではなく、Apple MusicやAmazon Prime Musicの圧縮の強い音源でも、差は表れます。AG06まで入力数が必要ないなら、幅がコンパクトなAG03でも良いですネ。

 

*作画机に置くなら、AG03でも良いかも。

 

 

iPadが初めて登場した時は、「非力ゆえの出来ることの限界」がありありと見えていましたが、最近のiPadはどんどん性能が強力になってきて、軽めの宅録〜その昔にカセットMTRでやっていた音楽制作くらいなら難なくこなします。AG03や06とGarageBandがあれば、生音源を収録してメモやスケッチもできます。ミキサー機能だけでなく、USBのオーディオインターフェイスを兼ねているのが利点です。

 

nanoKeyも割り切って使えば、親しみも湧いてきます。nanoKeyの鍵盤に過度な期待をする方が変なので、あくまで「音階のスイッチ」として使えば、和声進行の分析とかには十分役立ちます。Apple Musicの音と同時に演奏できるので、音楽を聴いてて気になった和声進行やベースの動きを、さっとnanoKeyを取り出して音を拾ってみることも可能です。とにかく小さい鍵盤なので、どこかの隙間にしまっておけるんですよネ。

 

*nanoKeyの「あの鍵盤がどうしてもイヤ」という人は、同じコルグの「microKey」もあります。でもまあ、フルサイズの鍵盤じゃない時点で、どっちも似たようなもの‥‥だと私は感じますけどネ。

 

 

 

iPadを「でっかいiPhone」として使うだけじゃ、宝のもちぐされです。

 

年末年始のまとまった休みに、仕事とは関係ない自分の好きな絵を描いたり、音楽を作ってみたり、iPadで色々と楽しむのも一興かと思います。

 

‥‥まあ、私は正月休み返上でキリキリ仕事せんといかんのですが、その仕事でもiPad(Pro)が活躍しておりまして、iPadが存在しなかった昔と比べて、創作活動や作業の基本形態にはあまりにも大きな差があります。

 

何でもかんでもiPadで‥‥というわけにはいきませんが、何でもかんでも据え置きのMac/PCに固執する必要もないです。要は、「創作環境のスケーリング」です。時と場合に合わせて、環境をチョイスすれば良いです。

 

モノを作りたいけど、作るのが面倒だ‥‥なんて、笑い話のようですが、環境がいちいち大袈裟だとありがちな話です。

 

1980年代はもちろん、2000年前後の時代でも、iPadのようなガジェット&ソリューションは存在しませんでしたが、今は存在します。古い意識に囚われず、「時代の良いところ」を新鮮に意識して、積極的に活用したいもの‥‥ですネ。

 

 

 

 

 

 


柔軟路線

新しい技術を扱う、新しい人材は、作画技術や映像ソフトウェアの使用経験はもちろん、コンピュータ全般に対する広範な知識が必要です。

 

‥‥と、こうやって書くと、技術の習得課題の話題に発展しがちですが、実は一番重要な根本が必要です。

 

絵と動きがとことん好きか

 

アニメや実写などの映像作品が好きで好きでたまらないか

 

コンピュータにワクワクできるか

 

この根源的で揺るぎない「核」が自分の中にないと、新しい技術の習得は難しいです。「作画+映像文法+コンピュータ」という山盛り3倍・大食い選手権のような技術習得が必要なので、骨太の中心核が自分の中にないとギブアップしてしまうのです。

 

雇用の問題、報酬の問題、色々ありますし、「好きだけでお金になるのなら世話はない」わけですが、どんな理由があろうと、根本の部分で「絵と映像そのもの」に人並みならない執着がなければ、お金の段階に発展すらできません。報酬に対する作業の性質、例えば、伝票を100枚処理するのと、100枚の絵を描くのとでは、そもそも根本的な性質が異なります。

 

そして、たとえ「絵が好きでアニメが好き」であっても、単に作画や映像の表層のスタイルに憧れているだけでは、「その次のステップ」で失速することになります。

 

「萌えキャラが描きたい」

>他のスタイルのキャラは描いてみたいと思う?思わない?

 

「アニメの作画がしたい」

>空気遠近や色彩学などの絵画技法に興味を持てる?

 

「アニメのコンポジットをやってみたい」

>レイアウトの技法や、パースや物理法則の習得はできそう?

 

「アニメが作りたい」

>実写なども含めた映像の文法はどれだけ研究してる?

>TCP/IPやプログラムなどのコンピュータの仕組みに興味は持てる?

 

 

流行のキャラの立ち姿やバストショットを線画で何千枚と描いても、「作画全般+映像文法+コンピュータ」の強固なハードルは越えることができません。

 

例えば、作画をプロとして10年続けて現在に至って、クリスタやPhotoshopやAfter Effectsを使えるようになっても、

 

  • ファイルのデータ構造はどのような内容を持つか
  • コンピュータがネットワークで繋がる仕組みを理解しているか
  • スクリプトを「自分の言語」として使いこなせているか

 

‥‥かは、ぶっちゃけ、非常に危ういでしょう。

 

「そんなの知らなくても、ソフトの使い方だけ知ってれば大丈夫だろ」というのは、これもまた、表層的です。ちょっとネットワークが繋がらなくなった程度で何もできなくなったり、スクリプトを知っていれば数行のプログラム文で解決できることが「不可能扱い」になったりします。「作画技術の習得と同じくらいの情熱で、コンピュータを習得」していないからこそ、あっけなく「できない」「難しい」判定を安易に下すのです。

 

新しい技術の体現者となるには、作画技術にコンピュータ知識をトッピングした程度では、未来を切り開くのは難しい‥‥と、私は考えていました。

 

しかし。

 

自分の過去を振り返ると、最初から作画経験が豊富だったわけではなく、映像のカット割りとマンガのコマ割りの差もわからず、コンピュータの電源の入れ方すらわからなかった自分がいます。

 

最初から高い技術習得条件を課していたら、とても「完食」できる内容ではなく、ギブアップしていたと、自分でも思います。ですから、新しい技術の新しいスタッフは「最初はトッピング」程度でも、徐々に、徐々に、技術と知識を習得していく「現場の恰幅の広さ」が必要だと最近強く考えるようになりました。

 

では、その「現場の恰幅の広さ」はどのように実現していけば良いか。‥‥それは来年からの課題です。場合によっては、制作会社の垣根を越えることも必要だと感じています。

 

 

とはいえ、現場が用意できるのは、あくまで「環境」です。「当人の根本」「絵や映像に対する深い執着」は他者が用意できるものではないです。

 

アニメの仕事は段取りの習得に陥りやすい側面を持ちます。歩きは中3枚、振り向いた後に髪の毛のリアクション、ディフュージョンやフォギーの撮処理、影中グラデ処理、etc。‥‥これらをいくら数をこなしても、実は「作画全般+映像文法+コンピュータ」の技術経験も知識も向上しないです。覚えられるのは「慣習」のみ。

 

アニメの「作業の型」ではなく、本当に絵や映像「そのもの」が好きならば‥‥

 

皆が惰性で描いてるような決まり切った表現は嫌だ。歩きや振り向きだって、軟調効果やグラデにだって、まだまだ色々な表現が可能なはずだ。

 

アニメの作り方って、本当にこのままで良いのか? 他にもっと方法があるんじゃないのか?

 

‥‥と考えると思います。アニメの表層が好きなのではなく、アニメを構成する根本=絵や映像をとことん好きであるのなら‥‥です。

 

 

 

今のアニメに満足する人もいましょう。今のアニメに満足しているのなら、今の現場で作業を続ければ良いです。

 

しかし一方で、今のアニメでは満足できない人もいましょう。新しいアニメ映像表現を作画とコンピュータで切り開きたいと思っている人は、結局、どこへ行けば良いのか

 

そうした「作画も好き。コンピュータもどんどん使いたい。今まで作れなかったアニメを作りたい。」と強い欲求を持つ人と、新しいアニメーション技術を志向する現場とが、もっと柔軟に交わる「柔軟路線」を来年からは模索しようと思います。

 

私はPhotoshopの起動のしかたも知らないほどコンピュータに無知でしたが、一度Photoshopが立ち上がりさえすれば、トーンカーブとマスク(アルファチャンネル)だけで色々な「自分の作ってみたいイメージ」を取り憑かれたように作っていました。コンピュータには音痴でしたが、欲求はものすごくありました。

 

それに、その当時(1990年代中頃)は、私は社員ではなくフリーランスでしたから、会社の垣根を超えたところからスタートしたのです。ガッチガチの社員限定や組織構造だったら、ダメだったと思います。

 

当時の私を受け入れてくれたような恰幅の広い現場を、2019年から明確に意識して作るべきだと考えます。

 

なので、ある程度業界でやってきて、自分の能力にもある程度自信ができて、何か表現や技術の閉塞感を感じている人は、まずはお声がけください。さすがに素人さんですと基礎技術が足りなくて難しいとは思いますが、プロの現場で研鑽を積んだ人なら、当人の意志次第で次のステップには進めるはず‥‥です。

 

 

 


平成最後の年末に

今年も残りあとわずか‥‥というか、「平成最後の年末」だと思うと感慨深いです。私の祖父は明治生まれで随分と昔の人のように感じていましたが、今では昭和生まれの私が似たような立場になるのだと考えると、確実に時代は流れていくんだなとしみじみ思います。

 

仕事の話で言えば、映像の品質基準はもちろんのこと、作業に使うハードやソフトもどんどん時代とともに変わっていきます。「パソコンソフト」を「パソコンショップ」で箱のパッケージで買って、製品添付のシリアルナンバーとCD-ROMでインストールしていた時代は、過去の話です。現在はどんどんサブスクリプションに移行して、ネット経由でソフトウェアを購入&更新するのが標準になりつつあります。

 

本を読んだり音楽を聴くのも、印刷した紙の本や光学ディスクから離れて、デジタルデータによる端末への配信形態へと変化しています。私は350冊程度ですが、職場の同僚は数千冊を電子書籍で所有してたりします。

 

私は単純に置き場所の問題で、今ではできる限り紙の本は買わないようにしていますし、特にマニュアル本の類いは内容がすぐに古くなるので、紙の高い本を買うのはあまりにもリスクが大きいと考えるようになりました。コンピュータのソフトウェア解説本(=コンピュータを使いながら読む本)なんて、もはや紙で出版する意味は著者や出版元だけの利点であって、購入者にとってはマイナス面のほうばかりが目立ちます。ちょっとした内容のアップデートも紙の本では不可能です。

 

パソコンショップでソフトを買うのが良かった。本屋さんで本を買うのが良かった。レコード屋さんでLPレコードを買うのが良かった。

 

私も箱買いのソフトや紙の本やLPやEPやCDには思い入れが深いですが、昔の出来事は昔話であって、未来に持ち出して語るものではない‥‥と思います。

 

 

 

 

腸内の健康状態は、日和見菌が握っているとか。以前にそんな記事を読んで、妙に納得したことがあります。

 

「善玉菌にも悪玉菌にも当てはまらないけど、強い方につきます」という菌なのです。

善玉菌が強い時には善玉菌側、悪玉菌が強い時には悪玉菌側になってしまう、とても面倒な菌なのです。

 

 

善とか悪とか関係なく、ちまたには、「何を選ぶか」を迷うようなことも多々ありましょう。「昼食にラーメン食おうか、パスタ食おうか」を迷う程度なら他愛ないですが、自分の仕事、自分たちの業種の進む道を前にした時に、業界全体の迷う人々はちょうど日和見菌のような役割を演じます。

 

ある時、著名なベテランのミュージシャンが「ハイレゾなど不要だ」と言えば「そうか、そうか。そうだよな。」と「ハイクオリティ不要論」に染まってみたり、またある時には、技術展示会のような催しで新技術や新製品を目の当たりにすれば「そうか、そうなんだ。新しい時代についていかなきゃ。」と「にわか先進技術推進者」になってみたり、自分の行動のポリシーが揺れて定まらないのです。それはすなわち、感情的、反射的、刹那的に物事を捉えているからでしょう。

 

 

過去に作られた創作物は、過去の時間の中でリアルタイムな技術を活用して作られたものです。例えばディープパープルレッドツェッペリンの音楽は、演奏だけでなく、当時の録音装置と技術も「込み」で完成されている‥‥と長年のファンの私は思います。

 

でもさ。

 

現代、そして未来の技術が、昔の技術の再現で良いとは全く思いません。過去は過去で技術の限りを尽くしたのですから、現代は現代で同じく、技術の限りを尽くせば良いのです。

 

自分たちの進むべき道の話をしているのなら、それはすなわち、「未来の話」でしょ?

 

昔の創作物をレストアして生きていくわけじゃないでしょ? 過去の模造品ではなく、新しく作品を作っていくわけでしょ?

 

過去の作品は、過去=当時の技術で作られました。同じく、未来の作品は未来の技術で作るのです。

 

もし、ベテランや御大が「昔のままでいい」というのなら、それは当人が「過去の中で生きている」からです。過去の思い出の価値観で生きる人と、新しい未来のビジョンは共有できるはずもなし‥‥です。

 

視点を「未来」に据えて考えれば、「日和って迷うようなことはない」と思うんですがネ。でもこれがまた、絵に描いたように日和る‥‥んだよなあ‥‥‥。

 

ちなみに‥‥

 

死滅した菌にも役割があります。

腸内にいる善玉菌の餌になったり、免疫力を高める作用があります。

 

‥‥ですって。‥‥中々に意味のある一節ですネ。

 

 

 

 

Adobeのサブスクリプションの値上げは、許容できる上げ幅のようで、それはそれで良かったです。1.5倍とか2倍じゃなくて、とりあえずは、良かった‥‥。

 

ソフトウェア開発会社の人々だけでなく、どこの誰だって、霞を食って生きているわけではないのですから、ソフトウェアを使い続ける以上、サブスクリプションの仕組みを受け入れざる得ない未来はすぐに来るでしょう。もしお金を払えないというのなら、使わないようにするしかないです。

 

「一度ソフトを買ったら、ずっと使える」なんていう時代では、今はもうない‥‥のです。

 

西陣織のフロッピーの話も、フロッピーが消滅してソフトウェアが使えなくなることばかりに論調が向きがちですが、そもそも時代の流れに歩調を合わせて、制作システムの足場を段階的に移行できなかったことに問題があるのです。‥‥アニメ業界も全く同じ状態ですけど。

 

お金が払えないからCS6までしか使えない。だったら、未来は廃業するしかないでしょう。どんどん映像の品質基準も変わって制作環境のパワー向上が必要になる未来に、CS6では生きていけませんよ、マジで。

 

サブスクリプションに対応できる「会社の体質」を作っておかないとさ‥‥‥、未来はないよ。

 

サブスクリプションの全面導入でそれまで以上にお金がかかるようになるのは事実ですが、それをハンデにしかできない制作会社や作業者の弱点・欠点もこれまた真実なり‥‥です。

 

旧時代の慣習や思考や金銭感覚を捨て去ることを、アニメ制作業態の「生まれ変わり」のきっかけとして捉えれば、決して悪いことではなく、転換当初は辛くてもやがて新しい未来世界で生き残る足場となりましょう。悪玉菌に日和っていた過去から抜け出す機運となれば‥‥です。

 

 

 

平成最後の年末、「平成にも色々あったなあ‥‥」と思いを馳せつつ、2020年代の新しい時代に向けて、上げ潮じゃー。

 

 

 


2018年最後の雑感

2020年代のアニメは、2010年代のアニメとは違うものになるのは、過去を振り返れば想像に難くないです。

 

2000年代のアニメと2018年の今のアニメでは、技術的な面だけ見ても違いますもんネ。2000年代にアニメを作っていて、まさか髪の毛の塗り分けが7色になるなんてリアルに想像できんかったでしょ。3色グラデ+かげ色3色+Hiで7色で、しかもキャラごとに色が違って(あたりまえだけど)、3人並んだ時には21色か。

 

ですから、突然更新が止まって、2020年代以降のアニメが2018年の今と同じであることのほうが想像できないです。変わって当然。

 

1960年代のアニメは、絵も違えば、音も違うし、タイミング(尺感覚・間)も大きく違います。1990年代のアニメも今とは大きく違いますよネ。アニメを作る総合技術がまるで違います。

 

4K HDRへの移行は、考えてみれば、技術的には妥当な流れです。2000年後の20年前は皆、ブラウン管テレビのSDサイズで、しかもテレシネしたフィルム撮影のアニメを見ていたことを忘れちゃならんす。10年前は「地デジ化」で、SDからHD・ハイビジョンへ移行しましたよネ。‥‥結構な荒波を超えて、アニメは生き残っています。

 

 

移り変わりの時期は、色々と場が乱れますが、だからこそ、チャンスでもあります。

 

淘汰と台頭は、1枚のジョーカーが握っている‥‥とも思える今日この頃。

 

未来を現状維持の観点で捉える人にとってジョーカーは、ババ抜きのババになるでしょう。しかし、未来を新しい視点で捉える人にとってのジョーカーは、ポーカーゲームのワイルドカードのごとく、3カードを4カードにも、ツーペアをフルハウスにも、そして1,10,12,13の不揃いをロイヤルストレート(A-ハイストレート)にもできるでしょう。

 

新しい技術世代のジョーカーを、ババにするのか、ワイルドカードにするのかは、アニメをリアルに作っている自分たち次第‥‥です。

 

 

 


カメラ出っ張り問題・解決

何度かに渡って書いたiPad Pro 12.9 第3世代=3型のカメラ出っ張り問題ですが、ESRのケースを購入し、簡単な改造をして装着したところ、気持ち良いくらいにズバッと解決しました。

 

*まさにこんな気分。

 

 

ケースは、コレです。保護ガラスやフィルムでおなじみのESRです。

 

 

見ての通り、Apple Pencilが吸い付くように、マグネット部分を切り欠いた設計です。

 

ケースに入れたらApple Pencilが充電できなくなるなんて、iPad Pro 3型の売りが台無しですから、「強度のあるハードケースで、Apple Pencil装着対応のもの」を探して、コレになりました。

 

この新品のケースを、届くやいなや、

 

 

と、

 

 

で、

 

 

スパッと、両断。

 

フラップを切り離して、本体装着側だけの状態に改造します。‥‥改造というほどの内容ではないですが。

 

素材は意外に柔らかかったので、紙を切るかのごとく、綺麗に切断できました。ただ、切る前にカッターの刃は点検して、定規も切断作業に適したもの(カッティング定規など金属の補強がしてあるもの)を用います。

 

*カッターの刃をいつ折ったか忘れてるくらいなら、作業前に「ポキ」で折って切れ味をリフレッシュしておきましょう。

 

 

実際にiPad Pro 3型をハメてみると、こんな感じです。

 

*USB-Cのコネクタはもちろん、Apple Pencilのひっつき充電もばっちり。

 

ケースは、出っ張ったカメラの高さよりわずかに厚みがあるので、妙にブ厚くなることもなく理想的に高さを補完してくれます。また、ケースを固定するために本体を咬む「コの字」の部分(ラッチ?)も小さいので、作画作業時の邪魔になることもなさそうです。

 

 

まさに望んでいたベストな状態。ESRのケースを選んで正解でした。

 

ひとつだけ難があるとすれば、ケースの背面が滑りやすいので、生でiPad Proを机に置いていた時よりも滑りやすくなっています。まあ、作画机は傾斜がある上にガラス面だったりしますから、元から滑りやすいんですけどネ。

 

なので、ダイソーで滑り止めになりそうな薄いシールを見つけて、ケースの裏の何箇所かに貼ろうかと思っています。

 

 

ちなみに、ケース装着後の厚みに関しては、このくらいの差があります。

 

*左が初代、右がケースに収めた3型です。

 

 

こうして写真で見ると、ずいぶん厚くなっちゃった感じですね。

 

5.9ミリの薄さが台無し‥‥ではありますが、そもそもiPad Pro 3型の設計自体に無理があるので、これで良しです。カメラの出っ張りにストレスを抱え続けて、傾いて使うより全然マシです。

 

iPadはiPhoneじゃないので、机にベタ置きして作業することも想定すべきでしょうね。iPad Pro 3型のカメラの出っ張りは、商品が届いて現物を見た時、ホントに「え〜‥‥」と落胆してしまいましたヨ。「ありえない」とすら思いました。

 

無理に無理を重ねて薄くするより、今のテクノロジーの安牌で設計してもらった方が、少なくとも私は嬉しいです。全体の薄さは6ミリを喧伝してるけど、実はカメラ部分の厚さは7ミリで‥‥とか、薄くしたら折れやすくなった‥‥なんて、設計上の欠陥といっても言い過ぎではないでしょ。

 

カメラ部分の厚みはともかく、持ち運んでいただけで本体が曲がってしまった‥‥なんて、「リコール」レベルだと思うんですよネ。家電の世界にはリコールってほとんどないですけど‥‥。

 

私が以前乗っていたバイクで「D-Tracker」というカワサキのバイクがあるのですが、車体前部のハーネスの取り回しに問題があり、ハンドルを動かすたびにハーネスがメインフレームに擦れてケーブルの皮膜が剥がれて、芯線がメインフレーム(=伝導体)と直に接触してショートする(結果、ヒューズが飛ぶ)‥‥というトラブルがありましたが、調べてみたら「リコール」対象でちゃんとメーカー側が届け出ていました。

 

家電のリコールはあまり話題にならないので(器具が発火するとか重大なものでも無い限り)、設計する側・メーカー側も甘いんでしょうかね‥‥。以前、パナソニックの掃除機で必ずゴミパックの蓋のラッチが破損する製品を買ってしまったことがありますが、リコールはなかったもんネ。(=しょうがないので、自分で改造して使っています)

 

まあ、文句言ってても先に進まないので、ユーザサイドで欠点を補いましょう。現実的にはソレしか方法はないス。

 

 


AE雑感

最近、ツイッターでUnmult(After Effectsのプラグイン)の話題を見かけたのですが、私はUnmultを日頃使っていないので、Unmultって何するプラグインだったっけ?‥‥というくらい、疎いです。Unmultはたまに3DCGスタッフさんから受け取るAEPで適用されていることがあり、互換性を保つためにだけインストールしてあります。「とりあえずインストールしてある」というだけです。

 

Unmultを追加でインストールして、WinやMacのバージョンがどうだとか、CS6やCCがどうだとかで、ワイワイ騒ぐくらいなら、最初からAfter EffectsにインストールされているKeylightで十分事足りると思うんですが、どうしてもUnmultじゃないとダメな理由があるんでしょうかネ。

 

黒バックを抜く程度の処理なら、Keylightで簡単にできますけどネ。しかも、細かく追い込もうと思えば、各種パラメータを操作できますし、逆に簡単に済ませたいのなら、「Unmlut風」というffxを作って保存しておけば良いですし。

 

アニメの制作現場には「キーイング」という概念がほぼゼロ(=素材を作ると同時にマスクが出来る)なので、Keylightを使う機会もないとは思いますが、After Effectsはアニメの撮影だけのソフトウェアではなく、むしろ実写方面に強いソフトウェアですから、色々と便利な機能が実装されており、黒抜き程度なら追加プラグインなどわざわざインストールしなくても色々な処理アプローチが可能です。

 

もちろん黒のグラデーションに沿ってマスクを抜けますヨ。フリンジの扱いも各種パラメータが用意されていますから、素材に適した抜き方が可能です。アニメや3DCGの素材のような、バック(合成マット色)がゆらぎ・ムラのない単一色の「超理想的な状態」なら、実写に比べて遥かに処理しやすいです。

 

 

 

 


カメラ出っ張り問題

作画をする時、iPad Proは出来るだけ薄い状態のまま使うのが、描きやすくて良いです。つまり、ケースは不要‥‥ということです。

 

私はiPad Pro 12.9の第1〜3世代(=つまり全世代)を所有しており、どれもケース無しで使っています。

 

‥‥が、前回の記事にも書いたように、最新の第3世代は、カメラの出っ張りが全てのトラブルの発端となり、絵を描く上で色々と問題が生じます。

 

現在はプニプニシール(キャスティングシールと呼ぶらしい)をカメラの対称位置(横置きに合わせて)に貼ることで、高さを平行に修正して使っています。

 

*こうしたプニプニしたシールを貼ることで、傾きの応急処置は可能です。

*上手が下図のようになります。プニプニシール(ピンクの部分)を貼る応急処置でも大丈夫です。

 

 

しかし、この方法=2辺の高さを修正しただけでは、縦か横かどちらかの置き方しか処置できません。

 

私はアニメの作画用途がメインなので、横長の16:9〜シネスコ合わせで横置きでの使い勝手を優先しますが、コミック用途だと縦置きの方が優先されるでしょう。

 

つまり、縦でも横でも自由に机に置ける、以前の1〜2世代の状態を、最新第3世代のiPad Proでも実現するには、4つのカド、四辺を同じ高さにしなければ、傾いてしまいます。

 

*Procreateにはテキスト機能がないので、手書きの読みにくい文字でスミマセン。

*横着して左手で字を書くと、こんな感じの図形のような文字になるのです。(私は絵は左手、字は右手で書く習慣が子供の頃に根付いちゃったのですが、絵を描いている時は字も左手で「描く」のです。)

 

 

一方で、「iPad Pro 3型のアルミ筐体の強度が弱くて曲がる件」も気になります。

 

プニプニシールで「下駄を履かせて」、絵を描くために腕を乗せたら、下図のようにならないとも限りません。‥‥疑心暗鬼は果てしなく。

 

 

iPad Pro 3型でそれなりに量を描いた現時点で歪んで無いので、大丈夫だと思いますけど、心配し始めたら不安は拭えません。万が一、歪んでしまったら、画具として使い物にならなくなるのは、容易に想像できます。

 

私はiPad Pro 3型がこんな問題を抱えているとは思っていなかったので、Apple Careには未加入のまま、加入可能期間を過ぎてしまったので、ついうっかりでも「曲げるわけにはいかない」のです。有償修理でどれだけお金を請求されるのか、たまったもんじゃありません。

 

なので、カメラの厚みを打ち消して、背面を覆う専用カバーを探しました。

 

‥‥が、現時点では良いものがみつかりません。どれもイマイチな感じです。

 

カバーをつけたらApple Pencilが充電できなくなった‥‥では困りますしネ。

 

 

ゆえに、Apple Pencil充電可能でフラップ付きのハードケースを買って、フラップを自分で切り取る方法を考え中です。

 

 

新品を切り刻むのは気がひけますが、ぶっちゃけ、作画専用(=多用途ではなく専門用途)にするのなら、フラップは邪魔なだけですので、強力なカッターで綺麗に切り取ってしまおうと思っております。

 

まあ、最初からフラップなしのハードケースがあれば良いのですが、「Apple Pencil充電不可」だったり「ソフトビニールでヨレてたり」と、適応する商品が今は無いようなので、改造して対応します。

 

カバーをつけるとせっかくの薄型が台無しですが、傾いたり歪んだりするよりも、厚みが増す方を選びます。ケースに入れても、もともと薄型なので、絵を描くには十分の薄さを保つと予測しています。

 

 

iPad Pro 3型は、使う方側からすれば、結構情けない部分でつまずいていますが、性能そのものは「CPU 8コア、GPU 7コア」だったり、「600ニト」=600nitsのP3で高輝度・広色域ディスプレイだったりと、スペックはかなり高いです。

*Appleの言うP3が、そのままDCI-P3の基準に合致するかは不明。

 

なので、せっかくの高性能を活かすためにも、ここはひとつ、Appleには期待せず、ユーザ側で工夫して「使える新型」に変えていこうと思います。

 

 

 


iPad Pro 3型の問題点

iPad Pro 12.9インチの第3世代を導入して、作画もろもろで使っております。しかし、残念ながら、設計上の欠陥が連鎖を巻き起こして、使用する上で問題点が結構‥‥てんこもりで、悩ましい日々です。

 

設計上の欠陥とは、カメラのでっぱり。商品が届いて開封して実物を見た時、唖然としてしまいました。

 

 

 

このカメラの出っ張りが災いして、絵を描くときに机に置くと、傾きます。横においても、縦においても、カメラ一箇所だけが出っ張っているので、必ず傾くのです。しかも、「気になるくらい、ハッキリと」です。

 

 

 

正直、製品開発の基準や判断における、当事者の「神経」を疑います。Appleの開発者の中には、絵を嗜む人間は一人もいないのか? ‥‥絵を描く人間だったら、机の上にiPad Proを置いた時の「明らかな傾き」は、到底黙認できんでしょ。新型のApple Pencilと抱き合わせで売り込む=筆記具で描く・書くことを前提にしている割には、あまりにもお粗末と言わざる得ません。

 

で、ムカムカタイムはこの辺で終了。

 

実物がそうなんだもん。なんとかするしかないでしょ。文句言ってても始まらん。

 

まあ、要は、1箇所だけ浮き上がっているから傾くのであって、もう1箇所が浮き上がっていれば、新型5.9ミリのご自慢の薄さは消えて無くなりますが、平行には置けます。

 

なので、こんな感じで。

 

*イチゴのケーキのプニプニシールが、優しくふっくらと平行感を取り戻してくれます。

 

肉厚のプニプニシールを貼って、とりあえず「傾き問題」は解決。

 

こんなこともあろうかと、プニプニシールを常備しておいてよかったよ。

 

 

*以前、ダイソーで衝動買いした「キャスティングシール」

 

 

しかし、横置きで2点を浮き上がらせたがために、USB-Cの端子が、必ず右にくるようになってしまいました。‥‥私の机は左側に充電ケーブルを集中配置しているので、ケーブル長が足りなくて届かなくなるわ、もし届いたとしても机のど真ん中をケーブルが横断するわで、Apple馬鹿野郎様様です。どんなにディスプレイ内部で画面が回転できて左右天地無用でも、カメラのでっぱりが原因となって設置方法が固定され、ケーブルのジャックも固定されれば、冴えない昔のPCのケーブル取り回しの再演です。

 

結局、机の右側にもUSB給電口を設置しました。カメラのでっぱりがあるがゆえに、色々と融通が利かなくなって、iPad Pro 3型の設計のマズさを多々リカバーするような顛末となりました。

 

でもまあ、傾きさえ払拭すれば、作画業務は継続できる‥‥と、今は問題もひと段落して、作業しています。

 

 

 

しかしまだ傾き問題は完全には解決できていません。

 

カメラが出っ張っているから‥‥と、対称位置にプニプニシールを貼って、横置きでの傾きは解決できましたが、縦置きで使う時には、また傾きが発生します。

 

つまり、横置き、縦置きの両方で、傾きを解決したいのなら、4つの角の全てにプニプニシールを貼る必要が生じます。

 

あー、面倒。

 

本当にさ‥‥‥‥‥‥。iPad Proの第3世代の設計は、売りの機能のために、現実での使い勝手を犠牲にしています。

 

しかも、筐体のアルミの強度が弱めで、持ち運びでバッグに入れてると湾曲することもあるらしいじゃん。‥‥それってさ‥‥‥、自動車やバイクの業界だったら、「リコール」の対象にすらなりえるでしょ。あきらかな基本性能・耐久性の欠陥だもんネ。

*ちなみに、私のiPad Pro 3型は曲がっている様子は無いです。よく曲がると評判(?)のiPhone6 Plusも長いこと使ってましたが、全く曲がっていません。持ち運べば必ず曲がる‥‥ということでもなさそうです。ただ、曲がる事例が報告されている以上、Apple Careには加入したほうが良さそうです。そんな貧弱な製品を作るようなメーカーの製品は、どんどん曲げて、どんどん無償交換させましょう。

*私としては、何回か体験したバッテリー膨張のほうが、iPadやiPhone、Fireでも起こりえるので恐怖です。ケーブル挿しっぱなしはせずに、適度に放電させるようにしてます。

 

 

‥‥というわけで、現在私は、iPad Pro 12.9インチ 第3世代を使っているものの、横置きオンリー(カメラフレームは横長なので困ることはないです)で、おとなしく机の上だけで使っています。持ち運びはほとんどしません。せっかく4K60pのムービー機能もあるのにネ。

 

思うに、アニメやコミックやイラストの作画をするのなら、iPad Proの2型(第2世代)で十分です。私は最近までiPad Proの初代=1型で、なんの不都合もなく作画してましたから、色々と問題を抱えたiPad Pro3型を無理に購入する必要もないかな‥‥と感じてます。

 

まあ、私は買っちゃったので、なんとか戦力として使いますが、周りの方々にオススメできるかはなんとも微妙。値段も以前よりも高くなっちゃいましたしネ。

 

iPad Proそのものの存在は良いけど、3型はちょっと苦労するかも‥‥です。

 

 

 

 



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