小規模のチャンス

少人数によって何らかの試験的な映像を作る取り組みの際、単に映像内容面だけでなく、制作方式や制作システムも等しく試験すべきです。「小規模だから各自の記憶力や采配だけで作っちゃえ」というのでは、折角の「少人数で制作状況を制御する」チャンスをむざむざと逃す‥‥と考えるからです。

「デジタル」を導入してからの現場は瑣末な作業がどんどん増加する一方です。小規模だろうが、大規模だろうが、些末な雑事が多いのは同じです。「コンピュータにこき使われる」状況は、何の対抗措置もとらなければ、改善する事はありません。人員を増やしても、増やした人の数だけ「こき使われる」のです。

思えば、「作業の橋渡し」(パイプ)の労力を、「デジタルだから簡単」と軽く見積もったのが、悪運の始まりだったのでしょうネ。

でも、なんでまた、「コンピュータにこき使われる」状況を暢気に許容して、雑事を背負い続けているんでしょうか。逆に「コンピュータをこき使って」やればいいじゃないですか。

私は4K8Kの映像テストを自主的に繰り返していますが、「人が少ないから、テキトーにいい加減に運用する」のではなく、「人が少なく、当座は制作進行スタッフまで賄えないからこそ、新しい制作システムを研究開発する」という逆転の発想で取り組んでいます。そのへんのシステムに関しては、今まで散々書いてきたので省略しますが、近い将来、きっと役に立つはずです。規模の大小に関わらず、人的リソースの無駄遣いは極力避けるべきでしょうからネ。

自主制作というのは、映像云々だけでなく、未来のシステムの試金石でもあるのです。ごく限られた中から捻出した自分の金と時間は、できる限り無駄にはしたくないでしょう。‥‥であるならば、無駄にしないシステムを構築するしかありません。だらだらとAfter EffectsとPhotoshopをイジって、漠然と絵を描いて動かしているだけじゃ、アカンのです。

表計算や画像ソフトだけでなく、プログラムも早期から覚えて身につけ、パイプラインツールくらいは自主開発できないと、作業の橋渡しに想像以上の労力を割く事になります。自分たちにジャストフィットしたパイプラインツールなんて、自分らで作らなければ、永久に誰も作ってはくれません。もし自分たちのツールが作れない場合は、「自らの体で延々と支払う」しかないのです。
*「プログラム会社のプロに開発を依頼すれば良い」というのは、自分たちが一定のプログラムの知識を有しているからこそ有効な手段なのです。アニメ制作を知らないプログラマーは、現場ならではのニーズを理解しきれませんし、プログラムを知らないアニメ制作者は、プログラムで何がどこまでできるのかを想像する事ができません。つまり、別世界・別ジャンルの人々がタッグを組んでも、「他人の関係」に陥りやすく、毒にも薬にもならないようなツールに成り果ててしまう事が多いのです。

* * *

新しい何かを始める時、人で言えば「新生児から幼少の時期」において、どのような育まれ方をしたかで、「根本的な性質」が決定付けられます。現アニメ業界のシステムも、1960年代の「幼少期」の性質を、根強く継承していますよネ。

だとするならば、ゼロから始める新しいアニメーション制作も、「幼少の頃が肝心」という事ですネ。

では、成長しきった現アニメ制作システムは‥‥というと、もはや性質はどうにも変わらない、変えられないと思うんですよネ‥‥。だってね、「新しい時代に合わせて、根本の性質を直せ」なんて、無理な話だし、システム否定ですらありますもんネ。実際、その性格・性質ゆえに、長らく稼いでいるんですからネ。

文字の難しさ

文字の扱いは、当然の事でいまさら言う事でもないですが、とても難しいです。特にツイッターやブログなど、人目に触れるような状況の場合は、言い回しは結構重要だと考えています。ついつい、癖だけで書きがちなんですけどネ。‥‥なので、このブログは、文面の修正を結構チョコチョコとおこなっています。

「控えめな表現」のために「なくはない」と書くのだったら、「少しはある」と書いたほうが良いでしょう。私は何年もブログを書いてきましたが、斜め読みされがちなネットの文章において、2重否定のようなニュアンスを含んだ表現は適さないと考えるようになりました。

2重否定がエスカレートして、「YESとは思っていない人以外」なんて書くと、「結局、どのような状態だ?」と混乱しますわな。iTunesの複雑なスマートプレイリストとかメールの振り分けルールみたいになって、何度も読み返さないと理解できない一文になってしまいます。

「not NO」なんて書き方はせずに、素直に「YES」と書いたほうが、見通しが良く、キャッチされやすい文章になりますよネ。

私が書くブログには、あまり推敲もせず書き綴った読みにくい一節も相当含まれており、見かけるたびに修正はするのですが、中々‥‥。

ブログやツイッターは簡単に文章を発信できるかわりに、推敲がとても甘くなります。「きわどいな」と感じるヘヴィな内容は、少し寝かせて、推敲してから公開したほうが良いのでしょうネ。

文字は踊る

ツイッターやらブログやら、一般のごく普通の人々が世界中に文章を発信できるようになって、「文字に対する過信」を感じる事があります。文字の受け答えで意志の疎通をはかったり、文面を読んだだけで理解したと錯覚するような場面を見るにつけ。

文字って、そんなに万能じゃないよネ。でもみな、何か躍起になって、文字を打ちまくっているような印象があります。

例えば、4Kのアニメーション映像制作について、いくらツイッターで論議しても、4Kの具体的なイメージや実感を持たないままに「字面上だけ」で4Kを語るのだとしたら、これほど滑稽で空虚なことはありません。

また、ツイッターなどで展開される技術的な質疑応答なども、情報が古かったり憶測や勘違いがかなり混ざっています。間違った情報を元に会話が進み、そこから引用された文字情報により、さらなる混乱・デマが伝播する状況も決して珍しくないようです。公共のネットの場で整然とした書体で流布される事によって、技術者レベルの情報であるかにように化けてしまうという奇怪な現象。特に「デジタル」周りは状況の変化速度が速いので、「3年前のリアルは、現在のリアルではない」事もあり得ます。‥‥ぶっちゃけ、まさに「オンタイム」で技術の最前面で関わっている人から「以外」の情報〜見聞きした程度の情報は「ガセネタかも知れない」と警戒した方が良いです。

こうした事は特に数値関連の話題が一番危ういです。例えば、「テレビ作品は通常、200〜300dpiのスキャン解像度で作業している」という発言(文章)を見かけた事がありますが、この一文を読むと、一般の方々だけでなくスキャン解像度に特に接しなくても良い業界人も、「ふーん、そうなんだ」と情報を受け取ってしまいます。しかし「300dpi」が「通常でない」事は、「当事者」ならすぐに解る事です。A4用紙・5〜10%余白を持った100F(テレビの標準フレーム)のピクセル数を300dpiで計算すればすぐに解る事なんです‥‥が、「文字で提示される」事によって、素人さんは信用してしまうのです。現アニメ業界が「100F=26cm前後の横幅=300dpi=3Kオーバー」を量産できているのなら、4Kにこんなに当惑しておりませんヨ。
<もう少し詳しく>*仮に100Fの横幅が用紙上で254mmだとして計算すると、300dpiだと3000pxになります。実際はもう少し広い260mmくらいの幅があり、さらにペイント余白もありますから、300dpiだと3400〜3500px、3.5Kになります。現行HD基準(=1920pxで納品)のテレビアニメ制作から鑑みれば、300dpiなんてありえない事がすぐに解るのですが、そんな誤情報に「いいね!」とかついちゃうあたりに、そこはかとない危うさを感じ‥‥ますよネ。

まさに「文字の世界」の危うさ、です。これは文字そのものよりも、扱う人々の内面に因るのかも知れません。

文字や言葉で議論すると「物事が進んでいる」かのような、または「理解して解決できた」錯覚を得られるので、特に「難題」に打ち当たっている時には「会議をする事で、その場の皆の苦痛を和らげる」効果を求めて、言葉に言葉を重ねていきます。ツイッターでの会話も「プチ会議」みたいなものですからネ。

システムが普及して発達すると、行動を文字力ばかりに依存するようになりますネ。往々にして。

会話が不要だとは言いません。会話の必要性は重々承知していますが、これが飛躍し過ぎて、会話で物事を決着できるとか解決できるなどと思うのが「甘い」と考えるわけです。

文字って、それ以上でもそれ以下でもないよネ。見くびっても、期待をかけすぎても、アウト‥‥ですネ。文字は単なる「行動力のほんの1要素」に過ぎません。他の行動の要素も同時に活用しないと。

言葉を交わすだけで映像の才能が開花したり4Kアニメが完成するのなら、世界中の人々全員が映像作家になれるじゃんか。

話をしたいキモチは解るんです。不安を払拭したいのは、誰でも同じ事ですから。でも、コワいからと言って、文字に依存し過ぎるのは、結局は本末転倒、文字に依存し過ぎるが故に不安要素を呼び込む‥‥なんてこともあるのでしょう。

このブログも、まさに文字‥‥なわけですけどネ。‥‥でもまあ、私としては今後に対する「ログ」「裏付け」を「文字だけであっても」記録しておきたい‥‥と思っているのです。

真赤を真青に

シムシティで重工業と燃焼式発電所で真っ赤に染まった都市を、クリーンなハイテク都市へと生まれ変わらせるのは大変です。抜本的な方針の大転換と、それに伴う巧妙な資金運用が必須なので、タイミングや順番をミスると抜け出せない赤字地獄に陥ります。債権返済の為の債権発行‥‥なんて生き地獄スよ。

強気で大胆かつ慎重に丁寧に‥‥という「市長」の采配が最大に問われる局面です。

強気で大胆だけど大雑把では、新しく事を興してもボロが出てすぐに倒れちゃうし、丁寧かつ慎重だけど弱気で消極的では、流れは変えられないしネ。

真赤に染まった大気を少しでもクリーンにするために、地道に植樹しても効果はほんの申し訳程度です。手弁当でどんなに自助努力しても苦境打開には全く寄与しない‥‥という何ともイタい状況を疑似体験する事になります。

一方、ハイテクに移行しようと「清水の舞台から飛び降りる」覚悟で全てを投げ打っても、ライフラインレベルの基盤を持たなければ、ハイテク産業は根付かず、空きの用地が放置されるだけです。夢を実現する為に現実を直視して、然るべき行動計画を確実に実践していく事が求められます。

何だ。これって、色んな事に当てはまるやんか。

う〜ん。色々と感じ入るモノがあって、勉強になるなぁ。



 

拡散と絞り込み

私には、「拡散」と「絞り込み」との間を行き交うサイン波みたいな周期があります。昨日は大量のブツを倉庫に移動しましたが、そうした自らの「模様替え」「マシン換え」の行為から、自己のフェイズシフトを客観的に実感するのです。

自分の行動パターンで言うと、拡散した行動は言い換えれば「累積」、絞り込んだ行動は「順次」とも言えます。知っている人なら知っている「累積戦略」「順次戦略」のくだりです。長くなるから、ここでは割愛。

アニメ業界で言えば、順次的な取り組みは当該の作品作り、では累積的な取り組みに関しては?‥‥と言うと、「作業者間の横の繋がりでよろしく」的な感じです。

しかし、横の繋がりで済むのは、「横で繋がれる共通した土台」が業界にデンと存在するからです。ですから、業界にとって未知の「4K」は、横で繋がれません。

「アニメで4Kって言っても、何をやるの?」と色々な人から聞かれますが、まあ、たしかに、今のアニメ絵の延長線上で想像したら、改めて4Kでやることなんて想い浮かびませんよネ。

拡散してとっちらかった時期を経て、ようやく絞り込みが可能となるのです。それはワークフローや制作システムだけでなく、映像のイメージも同じです。アニメ業界の雰囲気を見ていると、「自分の歩いてきた延長線上の、順次的なもの」にとらわれ過ぎていて、視界をキツく自己制限し、同じフィールドイメージしか見れない状況に自ら墜ちているかのようです。

人は、自分が思っているほど、新しいイメージに切り替えられるものではありません。順次的な理屈で頭脳の表層を納得させても、頭脳の奥底や手足が、新しいイメージを拒否るのです。これは20代の若い人間でも同じようで、年齢は関係ないみたいです。

様々な累積のうちに「いつのまにか、自分のイメージは変わっていた」‥‥という事なのでしょう。

*でも、BBCのドキュメンタリー番組『7年ごとの記録「イギリス 56歳になりました」』を見るだに、根本的・根源的な性質はティーンになる前に確定しているようです。‥‥うん、私もそうだな。

男は(女も)黙ってHGST

「男は黙ってIBM」…というのは、2000年前後にHDDを購入する際の枕詞…だったかどうかは定かではないですが、ついさっき、ネットをダラダラと見てたら、「ああ、やっぱりなァ‥‥」という、経験を物語るグラフを見かけました。

 

http://gigazine.net/news/20140122-hdd-survival-rate/

空覚え‥‥ですが、いつだかに日立がIBMのHDD部門を買収したか何かで、IBMのHDD銘柄はHGST(ヒタチグローバルストレージテクノロジーズ)にそっくり引き継がれております。お馴染みの「デスクスター」や、企業向けの「ウルトラスター」、映像制作用に昔は「シネマスター」なんていうのもありました。

IBM時代の昔から、デスクスターなどのIBM製のHDDは、故障が少ないHDDとして、皆に何となく認知されていたのです。多少割高でも、安物買いに流れる事無く、ズンとお金を払ってIBM製を買っておけば、稼働時のリスクは低くなる‥‥という、噂ではなく、実感からくる認識でしたネ。

シーゲート‥‥。2TBのHDDを2台使っていますが、そのうちの1台だけ、買った当時(去年の春)から、イヤな音がするのよネ。カッツーン‥‥という突発的な音。キシャカシャキーン‥‥という、独り言みたいな音もするし。今まで100個以上のHDDと付き合ってきましたが(正確な数は解らないですが、100台くらいのマシンと付き合ってきたので)、こういう音を出すHDDって、昇天がはやめなんだよネェ。


*Seagateの生存率、使用後2年くらいから、かなりヤバし。
*WesternDigitalは初期不良を乗り切れば、安定動作するみたいスね。

記事はあくまで参考だとしても、HDDを何十台と使ってきた人なら、しみじみ納得するグラフすネ。

まあ、ぶっちゃけ、HDDの銘柄にこだわりが無いのなら、HGSTの7,200回転のDeskstarあたりを買っておけば、多用途だし、エラーを回避できる可能性が高まる‥‥のかも知れませんネ。

ちなみにHDDの銘柄と言えば、アマゾンでよく売れてるウェスタンデジタル(WD)の「Green」は、映像制作の作業用には全く向きません。Greenは「とりあえず大量のデータを倉庫にしまっておく」的な用途に生きるモデルで、リアルタイムにデータを読み出す編集ソフトや、頻繁にデータをリードしてキャッシュするAfter Effectsのようなソフトには不向きなのです。Final CutとかでGreenを使うと、SATAなどの高速バスに接続してても「ストレージの読み出し速度が遅過ぎるよ!」と警告を受けます。高速道路をトラックが走っているようなもので、レース車のような加速もトップスピードも無いのがGreenです。映像制作作業用途ですと、WDの場合ならば、単体ならBlack、RAIDならRedあたりが適しているのかも知れません。(1万回転の
VelociRaptorは使った事がないのでわかりませんが、おそらくHGSTのCinemastar的な感じじゃないか‥‥と)
*単に一般向け映像ファイル(H264とかMP4)を1ストリーム再生する用途なら、Greenでも全然充分です。ProResなどの高画質ムービーを複数ストリーム再生する際に、ストレージの速度が必要になるのです。


今回参考にした記事の一節、「「Western Digital Green」の3TBモデルや「Seagate LP」の2TBモデルなど一部の低消費電力モデルではトラブルが極めて多いことから、公平性の観点によりデータから除外している」‥‥というのも、ショッキング。公平さを欠くくらい、故障しとるんかいな。「Greenはトラブルが極めて多い」‥‥、‥‥まあ、確かに。

「大和」というネーミング

最近、「大和」という名称を、「フラッグシップの何か」に命名する「潜在的な意識」を考えてみた事があります。

戦艦大和は、世界最大の46cm主砲を装備し、まさに「俺たちの最高最強の」戦艦ではありますが、「艦船による艦隊決戦」という、時代からズレた感覚で計画・建造され、有効な戦略上の活躍もないまま最後は「特攻兵器」として出陣し、航空機勢によって撃沈された‥‥という、ある種「滅びゆくものの美」を背負った存在でもあります。

私は、人々が自分たちの何かに「あえて、大和と命名」する時、実は潜在意識の中に「最強かつ最後」という「終焉を予感するファクタ」が存在するのではないか‥‥と感じます。本人たちは無意識でも、「最高のものを用いて、最後の時を迎えるんだ」という「心中」の感情を、どこか「大和」という名前に託しているのではないか‥‥と。

私が過去から感じていた「大和」という名の持つ「不吉さ」は、その辺に由来するのかも知れません。ですから、私は自分の計画する新しいアニメーション制作システムに、間違っても「大和」なんていうネーミングをするわけもないですし、端末名にも命名する気分にはなれません。片道燃料の特攻作戦のイメージが強すぎちゃって‥‥。

別に「大和」は、戦艦固有の名前ではないのですが、戦艦大和の生い立ちと最後を子供の頃から書籍で読んでいたので、なおさら、「大和」という名前を避けがちなのかも知れませんネ。私が日本伝来の名前をチョイスするならば、スサノヲとかツクヨミとか、軍艦には無い名称を選ぶと思います‥‥恐らく。

慣れれば、慣れる

何故、平安時代にジェット機を生産できなかったんでしょうか。平安時代にはジェット機を生産するための、根本的な資材〜もっとさかのぼって言えば、元素が地球上に存在しなかったんでしょうかネ。‥‥そんな事はないわけで、要は総合的なテクノロジーが発達してなかったからですよネ、大雑把に言えば。

思うに、昔の人の知能や身体能力がことさら低かったわけではなく、全世界規模の技術基盤や文化などが複雑に入り組んで「時代」を形成し、人々はその強烈な影響化にあったのだと思います。1935年生まれの戦前の新生児をタイムマシンで現在につれてきて、現代社会で育てれば、まさに「現代人」になると思います。人は「状況に慣れる」性質を持つ‥‥のかも知れません。

もっと個人レベルの視点で考えてみると、なぜ、子供・学生の頃は「下手」なのか。10代の身体に致命的な弱点があるわけでもないのに。「自身の肉体」という道具は存在したのに、何かしらの要因や意識が不足していて、「上手くできない」のです。

人が「慣れるイキモノ」だとするならば、古いものに慣れ親しむばかりでなく、新しいものに慣れる事にも、その性質を発揮したいところです。

「できるのに、できない」事は、次世代映像制作の取り組みをしていると、痛烈に実感します。「1年前に、このやり方が、なぜ想い浮かばなかったのかな‥‥」とか「妙に、昔の作法に縛られて、思考が凝り固まっていたな」‥‥などと、自身の発想の不自由さに歯がゆくなる事があります。

After Effectsで動きを作る事は、今の私には「できる事」です。ずいぶん昔のAfter Effectsでも動きは制御可能でしたから、要は今まで自分の中で「できないことにしていた」だけです。一般的に見れば、「撮影」という行程では、動きをAfter Effectsで作り出すなんて、じゅうぶん変則的ですし、旧式の撮影行程で撮影スタッフが動きに関与するのは御法度(動きのクオリティで考えて)です。しかし、動きの経験と知識を持った人間が、撮影とは全く別の視点でAfter Effectsを用いてアニメーションするのであれば、状態が全く異なります。

「できる事とできない事」の組み合わせは、言うなれば「de facto standard」です。実勢によって事実上の標準とみなされるようになった」とは言い得て妙で、自分自身・自分の身の回りの技術・趣向などにおいても、自らの認識で「実勢によって事実上の標準」とみなしています。そして人は、いつの頃からか「自分の実勢」の更新をストップし、「自分とはこういうもの」とばかりに、グローバル定数のように固定して設定しがちなのかも知れません。

でも、過去全てにおいて、実勢に甘んじて何もアクションしない人によって世界が満たされていたら、まだ石器時代以前のままかも知れませんネ。飛行機も飛ばないし、電話もテレビもない。もちろん、アニメも、After Effectsも存在しないスね。

個人レベルで言えば、自己の「de facto standard」は、言い換えれば、「閉塞感の自作自演」とも言えます。自分の行動パターンをバックサイドで適度に設定しておきながら、「このごろ、自分自身の行動に閉塞感を感じる」などとは、滑稽にもほどがあります。

でも、自分の性質、趣向なんて、そうやすやすと変えられないじゃんか。‥‥まあ、そうかも知れません。

だったら、趣向はそのままで、別腹で新しい事をしてみて、それに慣れちゃえば良い‥‥のです。ある時期から「自分が得意だ」と決めつけた以外の、自分にとっての新しい事をすれば良いです。新しい事に着手するのに、「今までのをナシにする」とか、極論に走る必要がありますか。

かと言って、新しい事をするだけではダメで、「慣れるところ」まで習熟しないとダメッすネ。‥‥で、「慣れるところ」までいくには、状況を作る必要があります。まあ、自身を振り返ると、この「状況を作る」方法が若い頃には解らないのよねェ‥‥。

思うに、「自分はこの程度だ」と達観する事が、自己の発展を阻んでいたと述懐します。私は今では普通に、カラーボード・イメージボード類を仕事で描いたりしますし、ビジュアルエフェクトやグレーディングで微妙な色の操作をして画面作りをしますが、実は過去の私は「色彩は不得意だ」 と思っており、20代中頃まではずっと敬遠していました。そんな私が、メルセデスCMや2000年のBLOOD劇場ではカラーイメージボードを描き、ジョバンニではイマジカのグレーディングに立ち会うようになるのですから、要は過去に自ら「できるのに、できない」状況を生み出していたわけです。私が「本質的かつ宿命的に色彩に向いていない」なら、じゃあ、今なぜ、このような仕事をしてるのか‥‥という事です。今だからキッパリ言えますが、「できない」と自虐的に思考していただけです。そしてその自虐思考が、プラス要因を丁寧に1つずつ潰していく「負のジェネレータ」になっていたのです。

After Effectsで絵を動かすなんて、そんな果てしない事を‥‥。もしできたとしても、手描きに比べて、相当にヘナチョコなんじゃないか‥‥。数年前はそんな迷いもありましたが、実際に着手して作業に慣れてくると、「まだまだいけそうな予感」をひしひしを実感できるようになりました。日本のアニメーターの技量はハイパークラスですから、肩を並べるにはほど遠いヨチヨチ歩きですが、今のアニメーターのシステムでは全く手の届かないフィールドがもう見えていますし、今後の成長を加味すると、ある種、楽観できるのです。アニメ作画やアニメ撮影はまさに真っ赤なレッドオーシャンですが、夏の木陰から涼しげなブルーオーシャンが見える思いです。‥‥これも構想だけではダメで、「慣れる」ところまでやってみて、初めて実感できる事です。

慣れれば、慣れるもんです。逆に、慣れるまでつきあわなければ、いつまでたっても、変化は訪れません‥‥というか、相対的には時間の進行に置いていかれて後退していきます。

今のアニメの制作方式。「新しいフォーマットについていけなくなったら、心中するまでよ」と自虐思考に陥ってたりしませんか。それこそは、過去に消えていった娯楽産業と同じ末路を、自ら好んで進むようなものです。紙に鉛筆で原動画を描くスタイルを存続させたい‥‥とするなら、それを「実勢」と達観せずに、何かしら新しい突破口を志向することが必要でしょう。‥‥つーても、何だかんだ言って「今のシステムがいい」という人が多いこの業界、‥‥変われるタイミングも極めて見つけ辛いのかも知れません。
 

ツールのメリハリ

私は20年以上前に購入したプラモデルキットを今でも倉庫に保管しており、最近いくつかをひっぱり出してきて制作しているのですが、かなり昔(多分30年近く前)のキットから懐かしい付属品が出てきました。



プラモについてた接着剤です。昔の男の子たちは、この接着剤を使って、プラモを組み立ててたのです。プラモのパーツはランナーから手でちぎり、ちぎった痕をハサミ(図工用の)で切り取って作りました。‥‥まあ、ハサミで痕を処理するのは「丁寧」なほうで、最悪そのまま組み立てて、「へその緒」がいくつも残った完成品になったものでした。

子供時代の自分を思い出し、「そりゃ、ブザマな出来になるわな」としみじみ思いました。

この接着剤、水飴のような粘性をもっており、貼り合わせの断面にトロリと塗って、パーツを貼り合わせて接着するものですが、そんなやり方で奇麗にできるわけもないです。食パンのジャムサンドみたいになります。ただ、「プラモはそういうふうに作るもんだ」とマインドが固着してたので、皆が皆、この水飴接着剤でプラモを作ってたのです。

そうして過去を振り返ると、自分が子供だった事もありますが、ニュートラルにジャッジしてみても、「ツールが悪い」のは事実です。図工用のハサミとカッター、水飴接着剤しかなければ、奇麗で繊細な模型なんて作れないです。最悪、切れ味の悪い刃物でケガをしちゃいます。

しかし、経済力ゼロの「養われ小学生」に、最適なツールを買い揃える事など不可能。そこにあるツールで作るしかありません。本来、図工用のハサミは、プラキットを切る目的では設計・製造されてないのですから、上手く使えなくてあたりまえなのですが、当時の私は「自分は指先が不器用だ」と消沈したものでした。

そして現在。今の私のプラモ制作ツールのメインメンバーは以下の通り。



何でも高いものを買い揃えているわけではありません。ハンディルータは1,500円のものもありますし(ルータは1〜3万円するのもザラです)、ヤスリに至っては3本セット100円のものを使っています。しかし、ニッパーにはお金をかけてまして、特に青い柄のものは3,500円します。もちろん、「ニッパーごとき」にそんなコストを払うのは、明確な理由があるから、です。

制作をしていれば自ずとそうなりますが、ツールのラインアップは「高いツールと安いツールのメリハリ」がつくようになっていきます。また、似たような見た目でも、様々な場面で使い分けするようになります。上の写真はニッパーが3つありますが、使い方がそれぞれ違います。横着して不適応な場面で一緒くたにツールを使うと、パーツとツールの両方を破損する事すらあります。

「高いのを買っとけばOK」と言うのも、ちょっと違うのです。作業工程や段取りによっては、高価なツールの性能が「全く活きない」のです。高価なツールにはそれ相応の「高いだけの理由」がありますが、高価なりの性能を使いこなしてこそ‥‥です。やけに高価なブランドツールで身の回りを固めるのがカッコ悪く見えるのって、要は「使いこなしていない感」が見えちゃうからですよネ。また、何から何まで100均のツールだけで揃えるのも、「時間と金を引き換える」事になり、大袈裟かもしれませんが、人生をディスカウントしているように思えます。

2,000円以上クラスのニッパーは、直接的に制作時間&クオリティに作用します。一方、1,000円のヤスリでなく、100均のヤスリでも、速度とクオリティにはほとんど影響が出ません。こうして、ツールにお金をかける部分のメリハリが利いてくるのです。プラモ用として「みくびった」500円前後のニッパーを使うと、後処理に余計な時間を消費して、ぶっちゃけ、人生の時間を無駄にします。時間と質を獲得するために、必要に応じて「ハイ&ロー」を使い分けるのです。

「ニッパーなんて100円ショップので充分じゃん」‥‥という人は、プラモを作ってない人、もしくはプラモをあえて作り辛く作る人でしょう。ツールには、使っている人間でないと判らない「ツールのクオリティ」というものがあるんス。

ちなみに、接着剤はこの通り。



接着剤にこんな種類が必要か?‥‥とか言われそうですが、必要なんス。どの製品も皆、特性・性質が違い、適材適所で用いる事によって、速く良く、キットを作る事ができます。もしこのラインアップが揃ってなければ、制作時間は数倍(そのほとんどが乾燥待ち時間)にふくれあがります。

これは映像制作のコンピュータにも言えて、何でもWindowsで済まそうとするのは、おそらく映像制作のビジョンが見えてないからだと思います。時間と質を犠牲にする事になります。映像制作本位で考えれば、WIndows、Mac、Linuxが混在するのは当然の結果であり、映像制作を犠牲にして管理の都合だけで考えれば、Windows一色になるでしょうネ。

話を戻して。

しかし今は100均とかあっていいよな。例えイマイチのニッパーでも、100円で買えるなら、プラモ制作には図工用ハサミより10倍マシですもん。私が子供の頃に、100均なんてあったら、嬉し過ぎて、足しげく通うだろうな‥‥。でもまあ、デザインナイフもダイソーにいけば100円で買えるわけなので、そうなってくると、子供たちに「ツールが身近にあるのに、何で奇麗に作れんのか?」と妙なプレッシャーがかかることになりますね。それはそれで、いきなり高いハードルで、可哀想。

現在はプラモを作る子供なんているのかな? 自分の指先を、子供のうちから沢山使っておくと、色々と可能性が広がると思うんですけどネ。スマートフォンのタップやスワイプだけじゃ、モノは作れんですからネ。

お金と時間

お金と時間。使い方次第で様々に作用するもの、ですね。

私は、量ではなく構造にお金を使うのが良いと思っています。今どきの話題で言えば、4Kモニタにお金を使うのではなく、4Kを制作する基礎構造にお金を使う‥‥という感じでしょうか。清水の舞台から飛び降りる覚悟で現在の高価な4Kモニタを買うのだったら、今は2.5Kのモニタでやり過ごして、お金はもっと他の4K対応の「地味な足回り」に投じるべきだと考えています。4Kモニタを買ったところで、4Kの映像作品を作るノウハウやストラクチャが手に入るわけではないですもんネ。

これをプラモで例えると、「プレミアのついたキットに大金を投じる」のは「量」にお金を使うやり方で、「切れ味の鋭いニッパやルータに地味にお金を使う」のが「構造」にお金を使うやり方‥‥と言えるかと思います。無理して高価なキットを買っても、それを作る技術や基礎環境がなければ、どうにもなりません。それに、プレミア価格4,800円のキットは、やがて再販されれば定価1,200円になって流通します。であれば、一時的な衝動にお金を使うのではなく、プレミアと普及の差分、4,800 - 1,200 = 3,600円のお金を「価値あるもの」にしたいと考えるのです。

時は金なりと言いますが、直接的に「今欲しいからお金を使って手に入れる」のも「時は金なり」だと思いますし、多角的に「攻勢のタイミングを計って、お金と時間を使う」のも「時は金なり」だと思います。私は後者を選ぶようにしています。

「大戦略」という戦略ゲームがありますが、「状況の表面」に反応して動くだけでは「大勝利」条件をクリアする事はできません。前線で戦車部隊が壊滅的被害を受けたから、後方で戦車を増産しよう‥‥とか、敵爆撃隊が飛来したから、戦闘機部隊を振り向けよう‥‥とか、理屈にあった行動のように見えますが、これはいわゆる「前線に振り回されている」状態で、‥‥まあ、勝てないですわな。戦車部隊が壊滅的被害を受ける状況、爆撃機が飛来しただけで混乱する状況。‥‥そんな状況を作る事自体が、アカんですネ。

「わざと膠着状態を作る」のも戦いのテクニックなのです。戦い方は、パッと見が華々しい「正面突撃」だけでなく、有利な地形を選んで故意に「防御戦を仕掛け(変な言い方ですが)」つつ、攻撃ラインを別に設け、タイミングを図った大攻勢により勝利に導く方法もあるのです。‥‥まあ、ゲーム上の話ですが、90ターンで設定されている戦略マップを20ターン強で勝利する事ができます。この方法は、お金と時間を使う様々な事例に応用する事ができます。

大きな目標を大金と大パワーで突破する‥‥なんて方法は、少なくとも日本人の私には考えられません。目標のウィークポイントを探して、様々な角度から仕掛けを作り、同時爆破で大きな障壁を倒壊させて、目標に辿り着く方法は考えつきますが。

なので、私がお金をかけたいのは、構造、仕掛けの道具なのです。4Kモニタを数十万で買うくらいなら、ワークグループサーバや自動処理マシンを構成したり、新たなソフトウェアの運用方法を模索するのに使いたいです。プラモならよく切れるニッパ(2000円くらいのネ)とか、ハンディルータとか。4Kモニタだけがあってもそこに映るのがショボい映像じゃ情けないし、どんなに高価なキットでもまともに作る道具がなければ台無しですからネ。

ただ、「周りが熟れるまで、待って居よう」と何もせずに日和見をするつもりはありません。日和った結果、何が待っているかというと、‥‥まあ、いいか、この話は。

プレミア事物にお金を投じるのは、「プレミアへの幻想」が多少なりとも作用すると感じます。「それを手に入れれば、スゴい事が出来るかも知れない」という幻想。私は、「ミラクルには、種も仕掛けもある」と考えている人間なので、何か単品のプレミア物品が、自分の願いを叶えてくれるなんて、思えないのです。

大収穫は、地道な土作りから取り組んだからこそ‥‥ですヨネ。


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