他人の影響で上手くなる

私はフリー原画マンの駆け出しの頃、賃貸アパートで1年ほど独りで原画を描いていた時期がありましたが、上達の速度が速いとはあまり言えませんでした。当時は無我夢中だったので、自分の上達速度など客観視できませんでしたが、その後にアニメ制作会社の「フリー溜まり」の一角に席を借り、色々な人々の色々な技巧を目にして、自分の「下手さ加減」と「技術の広がり」を嫌というほど認識すると、色んな方角の視界が開けてきて、「どんどん『見えて、解ってくる」自分」を実感できたものです。

私は新しいアニメーション制作方式を計画するにあたり、「知識を得る仕組み」もシステムに組み込みたいと思っています。‥‥システムとか言っちゃうと堅苦しいですが、要は「作業をこなすフォーメーション」です。今までの現場では普通だった事〜同じ部屋で新人が経験者と作業するうちに技術力を高めていく構造を、なんとなく期待するのではなく、「作業上の必然」としてシステムに組み入れるのです。

これだけだと誤解を受けそうですが、「新人を育てるために、ワークフローに余計な手間を加える」わけではありません。私の考える新しいワークフローは、絵と動きを描く作業者の作業内容が多岐に及ぶので、「アシスタント」をつけないと生産性が上がらない予測があるのです。そこに新人を配置し、経験豊かな作業者のアシストを担当する事で基礎技術や表現力を身につけるのです。

航空機ネタで申し訳ないですが、ベテランと新人のペアを、リーダー(長機)とウィングマン(僚機)の関係性に見立てているわけです。

まだ構想中の事なのであまり詳しくは書きませんが、否が応でもルーキーは「リアルでナマ」な技術を叩き込まれる事になるでしょう。ベテランも、ルーキーの練度に合わせたアシスト作業をどんどん供給していく裁量が必要となります。新人が、この「ベテラン&ルーキーのロッテフォーメーション」に組み込まれたら、After EffectsやPhotoshopをちょっとイジれるようになっただけで「オレってスゴい」とヌカ喜びしているレベルなど1週間でクリアできると思いますヨ。

ちなみに、ベテランとルーキーのペアは定期的に入れ替わり、ひとそれぞれの様々な技術経験が循環する事も考慮しています。また「フィンガーフォー」ではないですが、「ロッテフォーメーション」を結合してより大きなフォーメーションにし、「大作」にあたる事も構想しています。

もちろん‥‥ですが、作業者各々の「技術のキモ」はちゃんと保護する仕組みも考えています。今はさぁ‥‥プロジェクトを流用したりパラメータをコピペする事が可能ですが、そんな事をしても、当人の技量は一向に上がらないし、技術の大安売りは進行するしで、「その時誤摩化し」で「後に大きな利子付きで返済する」典型です。「技術のコピペ」って、私が思うにほぼ100%、「害」だと思ってます。他人が描いた絵をトレーシングペーパーで写し取って「自分は巧く描けた」なんて、絵の世界では絶対言わないし、言えないし、素人さんと同等に見られたりもします。新人が「コピペの手順だけ上達」しても「技術向上というテーマ的には全く意味が無い」ですし、むしろ現場の技術崩壊に繋がるので、「作業者の独立性の維持」は、相変わらず重要なテーマなのです。「現場全体を育てたいのなら、作業者の技術を保護すべし」です。安易にデータを流用しあう気風は、「同じスキルの平均的スタッフしか育たない」ブランド力を持たない生温い現場になるだけ‥‥です。

現場には、協調も必要ですが、競争も必要なんですヨ。それは「デジタルの現場」も同じだと思います。述懐するに、80〜90年代のアニメーターが高い技術を勝ち得たのは、協調よりも競争、負けん気が強かったからだと思います。

「ほっとけば新人は育つ」なんて暢気な事は、少なくとも2014年の現在、私は言えません。‥‥とは言うものの、今の業界の現状を顧みるに、新人を叱咤激励しても、空しく響く事も多々あるでしょう。ですから、何か新しい事を始める際には、現状を教訓として活かして、単に技術そのものに終始するのではなく、管理システムやデータベースなどの制作インフラ、アーカイブ、そして「作業共同体」の「身体」作りなど、多くの要素をせっせと準備しておくべきだと考えております。

日本てさ、アニメでも「技術立国」だと思うんですよネ。

現場のつながり

明確な規約文書もないまま、なぜアニメ業界は制作を続ける事ができたのか。‥‥考えてみれば不思議な事ではありますが、純然とした事実でもあります。道交法が制定されていなれば警察は交通を取り仕切れないかも知れませんが、アニメ業界はハッキリとした規約無しでも数えきれないほどのアニメを作り続けてきました。‥‥もの凄い、バイタリティ‥‥ですよネ。

私はまさにその渦中にいた人間ですが、自分自身を振り返って思い起こすと、同僚や先輩から様々な情報〜決めごとやしきたり、段取り、用語〜などを教えてもらう事で、作業を重ねるたびに知識が身についたのです。つまり、「現場の人のつながり」こそが、知識の「伝搬経路」だったわけです。

という事は、です。‥‥今は、「現場のつながり」が希薄になっているのでしょうか?

ふと、演出家の旧知の知人が、「最近はほとんど、電話打ち(電話での作画打ち合わせ)ばかりだ」と言っていたのを思い出します。私も電話打ち合わせは稀におこないますが、内容確認以外の「収穫」は何もない、素っ気ないものです。もし、新人や中堅どころが、電話打ち合わせ&自宅作業ばかりなのだとしたら、現場から得られるのは、単に「受発注でかろうじて繋がっている冷めた関係」だけで、色々なスタッフの色々な考え方に触れて知識を増やす機会は著しく減少するでしょう。

セル重ねが下からABCの順とは知らなかった‥‥とか、流PANとは何かを知らなかった‥‥など、現場での人の繋がりがあれば、あり得ない事です。「現場の人に聞けば良い」んですから。‥‥しかし、基本知識すら持たないアニメーターが各所に存在するという事は、基礎知識すら教えてもらえない環境で作業している‥‥という事です。素人さんだけのグループか、独りで作業しているか、そもそも現場に経験豊かな人が皆無なのか、状況はよくわかりませんが、とにかく「経験者から未経験者への知識の伝達が機能していない」事だけは解ります。

私は前に「アニメ業界の道交法」みたいな事を書きました。しかし、こうして色んな側面から状況を考察してみると、「業界の規約」をまとめて誰でも通読できるのが良いのか、それよりも「現場のつながり」を取り戻すのが良いのか、判断・評価が難しいです。どちらも超弩級に大変な取り組みで、相当なリソースを消費するはずです。

さらなる難題へと掘り下げると、「短期で作業基準の変わる『デジタル』」に対して、現場はどのように「知識のスタンダードを築いたら良いのか」という問題も浮上します。技術進化の速い映像の世界において、「アニメ業界の制作全書」や「現場のつながり」を確立した時には、既に内容が古くなっていた‥‥なんて、悲劇としか言いようがありません。

‥‥ゆえに、私がずっと以前から書き続けている事ではありますが、「今の型を存続したまま、マイナーチェンジで凌ぐやり方では、問題解決は難しい」と思っているのです。世の中はどんどん変わっていきますから、昔のやり方でもう1度やり直したとしても、上手くいくかは「ビミョー」じゃないですか。1970〜90年代と同じ手法が、2010年代に通用するとは、どうも思えない‥‥のです。

私は、何よりも「アニメーターが『デジタル』の外側に置かれている(置いている)」状況が、問題の根本なように思います。アニメーターのベテランや中堅は、「デジタル」に「シラけちゃって」いるんじゃないでしょうか。「時代の流れだから、仕方なく合わせている」的な。‥‥そうした「シラけ」は、表には出さなくても、全体の雰囲気として浸透していくのかも知れません。

アニメーターを「デジタルのオンラインにのせる」のは、今まさに取り組んでいる制作技法のメインテーマでもあります。アニメーターをオフラインにしたままでは、先には進めないとも思っています。

何回かに渡って書き続けている「この問題」。‥‥どうやら、業界の「特に」ムズカしい部分なのかも知れません。「意識」とか「やりがい」などメンタル面の要素が、世情や業界の状況と絡み合って、ともすれば「アニメを職業として選択する理由」みたいな話題にまでに進展しそう‥‥ですもんネ。

素材で絵を描く

本業が切羽詰まってくると、このブログのような類いは、更新が止まってしまいます。いやはや、何とも。

現在は実写作品(=詳細は公式の情報公開に譲ります)のカラーグレーディングが正念場で、残された期間でどれだけ絵を作り込めるか、自分との戦い‥‥といった状況です。自分が弱音を吐いたら、映像もシンクロして弱音を吐く事になるので、気が抜けません。

実写のグレーディング‥‥と言っても、私らのグループで担当するのは「最終的な絵の作り込み」をおこなう重要な作業局面です。一般的な「カラーグレーディング」とは内容が大きく異なるかも知れません。言わば「CGを絵としてフィニッシュする」ような、一見曖昧な作業内容にも受け取られがちな、しかしそれがないと「映画作りが成立しない」強烈な作用を持つ作業です。今そこにある素材だけで絵を作る‥‥というのは、苦しい局面も多いですが、裏返して考えれば、個人のスキル次第で映像に大きな変化が表れるので、楽しい作業でもあります。

この「ビジュアルエフェクト・グレーディング・ファイナライズ」全部入りの作業は、2014年現在でも「得体の知れない作業工程」と思われているようです。説明するより「工程前」「工程後」を見てもらえば解るのですが、現在作業中のはまだ作品公開前なので、図説ができないのですよネ‥‥。

素材を合成すれば、映像は完成‥‥のように素人さんは思いがちですが、そんなシンプルな段取りだけで作品独特の質感は生まれません。素材を合成すれば、その通りの「素材合成画」になるだけです。

映像作品が完成した暁には、言うまでもなく、「素材を合成した映像」ではなく、「映像作品」「映画」であるべきです。では「合成画像」と「絵」にはどんな差があるか?‥‥というと、要は作り手が「絵を描いているか否か」という取り組みや意識の差です。一生懸命に素材を合成しようとすれば、合成画像になるのは当たり前ですし、一方、絵筆を持たずとも絵を描こうと関われば、どんどん素材は絵へと変貌していきます。人間の意志の強さとは、真に不思議なものです。

アニメでもCGでも実写でも、「素材」が「絵」へと「成る」ためには、プロセスにおいて「画を作る執念」「絵描き度胸」が必要‥‥というわけです。

‥‥で、「絵描き度胸」のコンピュータ作業は、未来のアニメーション制作においても大きな柱の1つと考えています。人材育成はゼロからスタート‥‥になるでしょうが、仕方ないス。作画・3D・実写がクロスオーバーする未来の現場においては、何か1つの工程に特化するのは相応しくないので、「絵描き度胸」を軸足とした新しい意識の人材が必要なのだと強く感じます。

しかしまあ、新しいアニメーション制作を志すにあたって、実写作品の経験は「通らなければならない」重要なポイントなように思います。アニメの撮影を毎日やってた数年前の私を振り返ると、あまりにも特殊過ぎる「2値化&スムージング」に慣れ切って思考が固着し気味だった‥‥と感じます。

近い未来に「微細なニュアンス盛りだくさんのキャラ」が出現した際に、現アニメ業界の撮影技法よりも、実写や3DCGに対するグレーディング技法のほうが、使いどころが多いと予測します。レイヤーが統合されマスクも無いような状態で、どんな絵作りができるのか。‥‥案外、方法はいくらでもあるもの‥‥です。
 

小規模のチャンス

少人数によって何らかの試験的な映像を作る取り組みの際、単に映像内容面だけでなく、制作方式や制作システムも等しく試験すべきです。「小規模だから各自の記憶力や采配だけで作っちゃえ」というのでは、折角の「少人数で制作状況を制御する」チャンスをむざむざと逃す‥‥と考えるからです。

「デジタル」を導入してからの現場は瑣末な作業がどんどん増加する一方です。小規模だろうが、大規模だろうが、些末な雑事が多いのは同じです。「コンピュータにこき使われる」状況は、何の対抗措置もとらなければ、改善する事はありません。人員を増やしても、増やした人の数だけ「こき使われる」のです。

思えば、「作業の橋渡し」(パイプ)の労力を、「デジタルだから簡単」と軽く見積もったのが、悪運の始まりだったのでしょうネ。

でも、なんでまた、「コンピュータにこき使われる」状況を暢気に許容して、雑事を背負い続けているんでしょうか。逆に「コンピュータをこき使って」やればいいじゃないですか。

私は4K8Kの映像テストを自主的に繰り返していますが、「人が少ないから、テキトーにいい加減に運用する」のではなく、「人が少なく、当座は制作進行スタッフまで賄えないからこそ、新しい制作システムを研究開発する」という逆転の発想で取り組んでいます。そのへんのシステムに関しては、今まで散々書いてきたので省略しますが、近い将来、きっと役に立つはずです。規模の大小に関わらず、人的リソースの無駄遣いは極力避けるべきでしょうからネ。

自主制作というのは、映像云々だけでなく、未来のシステムの試金石でもあるのです。ごく限られた中から捻出した自分の金と時間は、できる限り無駄にはしたくないでしょう。‥‥であるならば、無駄にしないシステムを構築するしかありません。だらだらとAfter EffectsとPhotoshopをイジって、漠然と絵を描いて動かしているだけじゃ、アカンのです。

表計算や画像ソフトだけでなく、プログラムも早期から覚えて身につけ、パイプラインツールくらいは自主開発できないと、作業の橋渡しに想像以上の労力を割く事になります。自分たちにジャストフィットしたパイプラインツールなんて、自分らで作らなければ、永久に誰も作ってはくれません。もし自分たちのツールが作れない場合は、「自らの体で延々と支払う」しかないのです。
*「プログラム会社のプロに開発を依頼すれば良い」というのは、自分たちが一定のプログラムの知識を有しているからこそ有効な手段なのです。アニメ制作を知らないプログラマーは、現場ならではのニーズを理解しきれませんし、プログラムを知らないアニメ制作者は、プログラムで何がどこまでできるのかを想像する事ができません。つまり、別世界・別ジャンルの人々がタッグを組んでも、「他人の関係」に陥りやすく、毒にも薬にもならないようなツールに成り果ててしまう事が多いのです。

* * *

新しい何かを始める時、人で言えば「新生児から幼少の時期」において、どのような育まれ方をしたかで、「根本的な性質」が決定付けられます。現アニメ業界のシステムも、1960年代の「幼少期」の性質を、根強く継承していますよネ。

だとするならば、ゼロから始める新しいアニメーション制作も、「幼少の頃が肝心」という事ですネ。

では、成長しきった現アニメ制作システムは‥‥というと、もはや性質はどうにも変わらない、変えられないと思うんですよネ‥‥。だってね、「新しい時代に合わせて、根本の性質を直せ」なんて、無理な話だし、システム否定ですらありますもんネ。実際、その性格・性質ゆえに、長らく稼いでいるんですからネ。

文字の難しさ

文字の扱いは、当然の事でいまさら言う事でもないですが、とても難しいです。特にツイッターやブログなど、人目に触れるような状況の場合は、言い回しは結構重要だと考えています。ついつい、癖だけで書きがちなんですけどネ。‥‥なので、このブログは、文面の修正を結構チョコチョコとおこなっています。

「控えめな表現」のために「なくはない」と書くのだったら、「少しはある」と書いたほうが良いでしょう。私は何年もブログを書いてきましたが、斜め読みされがちなネットの文章において、2重否定のようなニュアンスを含んだ表現は適さないと考えるようになりました。

2重否定がエスカレートして、「YESとは思っていない人以外」なんて書くと、「結局、どのような状態だ?」と混乱しますわな。iTunesの複雑なスマートプレイリストとかメールの振り分けルールみたいになって、何度も読み返さないと理解できない一文になってしまいます。

「not NO」なんて書き方はせずに、素直に「YES」と書いたほうが、見通しが良く、キャッチされやすい文章になりますよネ。

私が書くブログには、あまり推敲もせず書き綴った読みにくい一節も相当含まれており、見かけるたびに修正はするのですが、中々‥‥。

ブログやツイッターは簡単に文章を発信できるかわりに、推敲がとても甘くなります。「きわどいな」と感じるヘヴィな内容は、少し寝かせて、推敲してから公開したほうが良いのでしょうネ。

文字は踊る

ツイッターやらブログやら、一般のごく普通の人々が世界中に文章を発信できるようになって、「文字に対する過信」を感じる事があります。文字の受け答えで意志の疎通をはかったり、文面を読んだだけで理解したと錯覚するような場面を見るにつけ。

文字って、そんなに万能じゃないよネ。でもみな、何か躍起になって、文字を打ちまくっているような印象があります。

例えば、4Kのアニメーション映像制作について、いくらツイッターで論議しても、4Kの具体的なイメージや実感を持たないままに「字面上だけ」で4Kを語るのだとしたら、これほど滑稽で空虚なことはありません。

また、ツイッターなどで展開される技術的な質疑応答なども、情報が古かったり憶測や勘違いがかなり混ざっています。間違った情報を元に会話が進み、そこから引用された文字情報により、さらなる混乱・デマが伝播する状況も決して珍しくないようです。公共のネットの場で整然とした書体で流布される事によって、技術者レベルの情報であるかにように化けてしまうという奇怪な現象。特に「デジタル」周りは状況の変化速度が速いので、「3年前のリアルは、現在のリアルではない」事もあり得ます。‥‥ぶっちゃけ、まさに「オンタイム」で技術の最前面で関わっている人から「以外」の情報〜見聞きした程度の情報は「ガセネタかも知れない」と警戒した方が良いです。

こうした事は特に数値関連の話題が一番危ういです。例えば、「テレビ作品は通常、200〜300dpiのスキャン解像度で作業している」という発言(文章)を見かけた事がありますが、この一文を読むと、一般の方々だけでなくスキャン解像度に特に接しなくても良い業界人も、「ふーん、そうなんだ」と情報を受け取ってしまいます。しかし「300dpi」が「通常でない」事は、「当事者」ならすぐに解る事です。A4用紙・5〜10%余白を持った100F(テレビの標準フレーム)のピクセル数を300dpiで計算すればすぐに解る事なんです‥‥が、「文字で提示される」事によって、素人さんは信用してしまうのです。現アニメ業界が「100F=26cm前後の横幅=300dpi=3Kオーバー」を量産できているのなら、4Kにこんなに当惑しておりませんヨ。
<もう少し詳しく>*仮に100Fの横幅が用紙上で254mmだとして計算すると、300dpiだと3000pxになります。実際はもう少し広い260mmくらいの幅があり、さらにペイント余白もありますから、300dpiだと3400〜3500px、3.5Kになります。現行HD基準(=1920pxで納品)のテレビアニメ制作から鑑みれば、300dpiなんてありえない事がすぐに解るのですが、そんな誤情報に「いいね!」とかついちゃうあたりに、そこはかとない危うさを感じ‥‥ますよネ。

まさに「文字の世界」の危うさ、です。これは文字そのものよりも、扱う人々の内面に因るのかも知れません。

文字や言葉で議論すると「物事が進んでいる」かのような、または「理解して解決できた」錯覚を得られるので、特に「難題」に打ち当たっている時には「会議をする事で、その場の皆の苦痛を和らげる」効果を求めて、言葉に言葉を重ねていきます。ツイッターでの会話も「プチ会議」みたいなものですからネ。

システムが普及して発達すると、行動を文字力ばかりに依存するようになりますネ。往々にして。

会話が不要だとは言いません。会話の必要性は重々承知していますが、これが飛躍し過ぎて、会話で物事を決着できるとか解決できるなどと思うのが「甘い」と考えるわけです。

文字って、それ以上でもそれ以下でもないよネ。見くびっても、期待をかけすぎても、アウト‥‥ですネ。文字は単なる「行動力のほんの1要素」に過ぎません。他の行動の要素も同時に活用しないと。

言葉を交わすだけで映像の才能が開花したり4Kアニメが完成するのなら、世界中の人々全員が映像作家になれるじゃんか。

話をしたいキモチは解るんです。不安を払拭したいのは、誰でも同じ事ですから。でも、コワいからと言って、文字に依存し過ぎるのは、結局は本末転倒、文字に依存し過ぎるが故に不安要素を呼び込む‥‥なんてこともあるのでしょう。

このブログも、まさに文字‥‥なわけですけどネ。‥‥でもまあ、私としては今後に対する「ログ」「裏付け」を「文字だけであっても」記録しておきたい‥‥と思っているのです。

真赤を真青に

シムシティで重工業と燃焼式発電所で真っ赤に染まった都市を、クリーンなハイテク都市へと生まれ変わらせるのは大変です。抜本的な方針の大転換と、それに伴う巧妙な資金運用が必須なので、タイミングや順番をミスると抜け出せない赤字地獄に陥ります。債権返済の為の債権発行‥‥なんて生き地獄スよ。

強気で大胆かつ慎重に丁寧に‥‥という「市長」の采配が最大に問われる局面です。

強気で大胆だけど大雑把では、新しく事を興してもボロが出てすぐに倒れちゃうし、丁寧かつ慎重だけど弱気で消極的では、流れは変えられないしネ。

真赤に染まった大気を少しでもクリーンにするために、地道に植樹しても効果はほんの申し訳程度です。手弁当でどんなに自助努力しても苦境打開には全く寄与しない‥‥という何ともイタい状況を疑似体験する事になります。

一方、ハイテクに移行しようと「清水の舞台から飛び降りる」覚悟で全てを投げ打っても、ライフラインレベルの基盤を持たなければ、ハイテク産業は根付かず、空きの用地が放置されるだけです。夢を実現する為に現実を直視して、然るべき行動計画を確実に実践していく事が求められます。

何だ。これって、色んな事に当てはまるやんか。

う〜ん。色々と感じ入るモノがあって、勉強になるなぁ。



 

拡散と絞り込み

私には、「拡散」と「絞り込み」との間を行き交うサイン波みたいな周期があります。昨日は大量のブツを倉庫に移動しましたが、そうした自らの「模様替え」「マシン換え」の行為から、自己のフェイズシフトを客観的に実感するのです。

自分の行動パターンで言うと、拡散した行動は言い換えれば「累積」、絞り込んだ行動は「順次」とも言えます。知っている人なら知っている「累積戦略」「順次戦略」のくだりです。長くなるから、ここでは割愛。

アニメ業界で言えば、順次的な取り組みは当該の作品作り、では累積的な取り組みに関しては?‥‥と言うと、「作業者間の横の繋がりでよろしく」的な感じです。

しかし、横の繋がりで済むのは、「横で繋がれる共通した土台」が業界にデンと存在するからです。ですから、業界にとって未知の「4K」は、横で繋がれません。

「アニメで4Kって言っても、何をやるの?」と色々な人から聞かれますが、まあ、たしかに、今のアニメ絵の延長線上で想像したら、改めて4Kでやることなんて想い浮かびませんよネ。

拡散してとっちらかった時期を経て、ようやく絞り込みが可能となるのです。それはワークフローや制作システムだけでなく、映像のイメージも同じです。アニメ業界の雰囲気を見ていると、「自分の歩いてきた延長線上の、順次的なもの」にとらわれ過ぎていて、視界をキツく自己制限し、同じフィールドイメージしか見れない状況に自ら墜ちているかのようです。

人は、自分が思っているほど、新しいイメージに切り替えられるものではありません。順次的な理屈で頭脳の表層を納得させても、頭脳の奥底や手足が、新しいイメージを拒否るのです。これは20代の若い人間でも同じようで、年齢は関係ないみたいです。

様々な累積のうちに「いつのまにか、自分のイメージは変わっていた」‥‥という事なのでしょう。

*でも、BBCのドキュメンタリー番組『7年ごとの記録「イギリス 56歳になりました」』を見るだに、根本的・根源的な性質はティーンになる前に確定しているようです。‥‥うん、私もそうだな。

男は(女も)黙ってHGST

「男は黙ってIBM」…というのは、2000年前後にHDDを購入する際の枕詞…だったかどうかは定かではないですが、ついさっき、ネットをダラダラと見てたら、「ああ、やっぱりなァ‥‥」という、経験を物語るグラフを見かけました。

 

http://gigazine.net/news/20140122-hdd-survival-rate/

空覚え‥‥ですが、いつだかに日立がIBMのHDD部門を買収したか何かで、IBMのHDD銘柄はHGST(ヒタチグローバルストレージテクノロジーズ)にそっくり引き継がれております。お馴染みの「デスクスター」や、企業向けの「ウルトラスター」、映像制作用に昔は「シネマスター」なんていうのもありました。

IBM時代の昔から、デスクスターなどのIBM製のHDDは、故障が少ないHDDとして、皆に何となく認知されていたのです。多少割高でも、安物買いに流れる事無く、ズンとお金を払ってIBM製を買っておけば、稼働時のリスクは低くなる‥‥という、噂ではなく、実感からくる認識でしたネ。

シーゲート‥‥。2TBのHDDを2台使っていますが、そのうちの1台だけ、買った当時(去年の春)から、イヤな音がするのよネ。カッツーン‥‥という突発的な音。キシャカシャキーン‥‥という、独り言みたいな音もするし。今まで100個以上のHDDと付き合ってきましたが(正確な数は解らないですが、100台くらいのマシンと付き合ってきたので)、こういう音を出すHDDって、昇天がはやめなんだよネェ。


*Seagateの生存率、使用後2年くらいから、かなりヤバし。
*WesternDigitalは初期不良を乗り切れば、安定動作するみたいスね。

記事はあくまで参考だとしても、HDDを何十台と使ってきた人なら、しみじみ納得するグラフすネ。

まあ、ぶっちゃけ、HDDの銘柄にこだわりが無いのなら、HGSTの7,200回転のDeskstarあたりを買っておけば、多用途だし、エラーを回避できる可能性が高まる‥‥のかも知れませんネ。

ちなみにHDDの銘柄と言えば、アマゾンでよく売れてるウェスタンデジタル(WD)の「Green」は、映像制作の作業用には全く向きません。Greenは「とりあえず大量のデータを倉庫にしまっておく」的な用途に生きるモデルで、リアルタイムにデータを読み出す編集ソフトや、頻繁にデータをリードしてキャッシュするAfter Effectsのようなソフトには不向きなのです。Final CutとかでGreenを使うと、SATAなどの高速バスに接続してても「ストレージの読み出し速度が遅過ぎるよ!」と警告を受けます。高速道路をトラックが走っているようなもので、レース車のような加速もトップスピードも無いのがGreenです。映像制作作業用途ですと、WDの場合ならば、単体ならBlack、RAIDならRedあたりが適しているのかも知れません。(1万回転の
VelociRaptorは使った事がないのでわかりませんが、おそらくHGSTのCinemastar的な感じじゃないか‥‥と)
*単に一般向け映像ファイル(H264とかMP4)を1ストリーム再生する用途なら、Greenでも全然充分です。ProResなどの高画質ムービーを複数ストリーム再生する際に、ストレージの速度が必要になるのです。


今回参考にした記事の一節、「「Western Digital Green」の3TBモデルや「Seagate LP」の2TBモデルなど一部の低消費電力モデルではトラブルが極めて多いことから、公平性の観点によりデータから除外している」‥‥というのも、ショッキング。公平さを欠くくらい、故障しとるんかいな。「Greenはトラブルが極めて多い」‥‥、‥‥まあ、確かに。

「大和」というネーミング

最近、「大和」という名称を、「フラッグシップの何か」に命名する「潜在的な意識」を考えてみた事があります。

戦艦大和は、世界最大の46cm主砲を装備し、まさに「俺たちの最高最強の」戦艦ではありますが、「艦船による艦隊決戦」という、時代からズレた感覚で計画・建造され、有効な戦略上の活躍もないまま最後は「特攻兵器」として出陣し、航空機勢によって撃沈された‥‥という、ある種「滅びゆくものの美」を背負った存在でもあります。

私は、人々が自分たちの何かに「あえて、大和と命名」する時、実は潜在意識の中に「最強かつ最後」という「終焉を予感するファクタ」が存在するのではないか‥‥と感じます。本人たちは無意識でも、「最高のものを用いて、最後の時を迎えるんだ」という「心中」の感情を、どこか「大和」という名前に託しているのではないか‥‥と。

私が過去から感じていた「大和」という名の持つ「不吉さ」は、その辺に由来するのかも知れません。ですから、私は自分の計画する新しいアニメーション制作システムに、間違っても「大和」なんていうネーミングをするわけもないですし、端末名にも命名する気分にはなれません。片道燃料の特攻作戦のイメージが強すぎちゃって‥‥。

別に「大和」は、戦艦固有の名前ではないのですが、戦艦大和の生い立ちと最後を子供の頃から書籍で読んでいたので、なおさら、「大和」という名前を避けがちなのかも知れませんネ。私が日本伝来の名前をチョイスするならば、スサノヲとかツクヨミとか、軍艦には無い名称を選ぶと思います‥‥恐らく。


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