日和見さん

問題提起して改善を実践しようとする人、新たな方針を打ち出す人などは、往々にして「大半を占める日和見層」からは煙たがられます。さらには、日和見さんたちからは、「今は穏やかなんだから波風を立たせるな」とすらハッキリと苦言を言われたりもします。

でもね‥‥、そんな日和見さんたちの言葉には、実は何のビジョンもなく、今さえ良ければイイという感情で満たされているのです。志をもって立ち上がった人は、そんな言葉にいちいちヘコむ必要はないのです。

日和見層の存在は決して無視してはならないものですが、一方で、日和見層には進路を決める意思も問題を解決する力も持たない事も忘れてはなりません。意思決定や解決力を持たない代わりに、進路を決め障害を取り除けば、日和見層が物事を安定させる働きをもつのです。

日和見さんは、まさに日の当たる温かい場所を好むのですから、太陽の移動によって、どんどん位置を移動していくわけです。ですから、日和見さんの意見も等しく、状況によって大変動します。そんな日和見さんの言動に、翻弄されるべきではないのです。思考のフィールドが大きく異なるのですから。

自分なりの確信を抱き、改善や新方針を実践する人は孤独になりがちです。「何て損な役回りを自演しているんだろう」と悔しく惨めな思いに潰されそうになる事もあるでしょう。しかし、そうした「何かに突き動かされて行動する事」は、やがて「似たような意思を持つ人々」と出会うための足取りでもあるのです。日和っていては決して訪れない、必然的な運命とでもいいましょうか。

意思を貫く人は、やがて同じく、意思を貫く人たちと、出会う事になるのです。

孤独を恐れてはならないのです。嫌われる事を悲しんでいてはダメなのです。むしろ、楽しむくらいでないとネ。

どんなに気を払っても、全ての人間に好かれる事なんて無理なんです。賛同する人間もいれば、拒絶し非難する人間もいて、当たり前です。

私は、自分の成そうとしている事がどれだけユニークかを測る尺度として、「困惑」「嫌悪」「アンチ」の様子を密かに楽しみにしています。日和見層が同意すればするほど、その事柄が予定調和でマンネリで古びている証明ですから、多くの人が同意するような場合は、逆に不安だったりします。周囲に流されず自分なりの価値観と直感で生きる人に同意してもらうのは、嬉しいですけどネ。

日和見層に惑うのではなく、活用するくらいの意気でちょうど良いのです。

‥‥まあ、何はともあれ、頑張りましょうよ。やろうと決めたからには。

沈黙の臓器

最近、業界の状況について、「このままではマズい」「限界が近づいている」「手遅れになる前に手を打つべきだ」‥‥のような話題を、以前より格段に多く、耳にします。

何だか「沈黙の臓器」〜肝臓の障害に近いような状況。

以下、製薬会社のコラムからの抜粋です。
 
肝臓は本来ある程度の障害を受けても、代償作用が働いて、元に戻ることができます。

このような肝臓の性質を「肝臓の予備能」と言っています。肝臓は予備能があるため少々の障害では症状が現われません。そのために肝臓は
「沈黙の臓器」
と呼ばれています。しかし肝臓の障害が少しずつゆっくりと進行していても、自覚症状はありませんから、気がついたときには手遅れになっていることが多いので、注意が必要です。

警鐘を鳴らしてきた人々は、既に2005〜2008年くらいから「ヤバイ」「マズイ」と言っていたはず。そして、その人々は自分の関連する部署で「耳障りの悪い事を言う厄介な人」として扱われてきた事も多々あるでしょう。「そんな事より、今をどう乗り切るかのほうが大事だ」と。

最近はツイッターでも色々と業界の問題点を吐露する文章を見かけますが、自覚症状が出てきた時点で「痛い」「辛い」「マズい」と言っても、もう遅いのかも知れませんよ。「1原2原」「3日で本撮を撮り切り」なんていう常識(病状?)が確定した後では、もうどうにもならんです。少なくとも私の見解では、「もう昔の体に戻る事はない」と考えております。

2008年くらいまで(スカイクロラの頃ですネ)はさ‥‥、私も頑張ってたんですけどね‥‥。新しいインフラ構築や問題点の克服に同調してくれないんじゃ、どうにもならんです。

業界というのは、ある種、1つの生命体のようなものです。養分を摂取し代謝を繰り返し成長する‥‥という性質において。

その生命体の健康状態が「人に黙っていられないほど」低下しているゆえに、各所から色んな「症状を訴える言葉」が出てくるんじゃないでしょうかネ。

製薬会社のコラムには、こう書いてもあります。
 
肝臓の予備能の一つに肝細胞は再生能をもっていることが挙げられます。例えば肝臓の1/3を切除しますと、残っている肝臓の細胞が増殖し、1〜2ヶ月後にはもとの大きさに戻ります。この性質があるために生体肝移植が可能になります。

うーん。患者は現アニメ制作システム(=アニメ業界一般)だとして、「ドナー」にあたる存在は何なのか。今の業界は生体移植して再生できる状態にあるのか、もはや症状が進行し過ぎて手遅れなのか。

ただ、確実に言える事は、「このまま行動すると必ず、寿命を全うせずに死ぬ」という事です。臓器への負担はそのまま、一方で代謝の不足した状態で何年持ちこたえる? 十数年後のアニメーターの状態はどうなっている? メカやレイアウト、さらにはエフェクト作画まで3Dに明け渡した人材の10年、20年後は? 作画後のスケジュールは今以上に圧縮される?

「今までのアニメの作り方」を愛しているのなら、そのアニメを作り出している「生命体」たるアニメ制作システムを「いたわって」あげないと。

もし望みを捨てていないのなら、すぐに手の着くところから行動すべきでしょう。ツイートはきっかけにはなりますが、実行力は何も保証されていません。血肉を払ってでも、未来の「生」のために自らの肉体をもって行動を開始したほうが良いのでは? ‥‥実際に行動を開始している人もいますが、極々少数ですよネ。

その「生」は、「再生」によって手に入れるものなのか、または、「新しい生命体」(新しいアニメーション制作システム)に遺伝子を継承するのか。

分岐のタイミングが刻々と近づいてきているように思います。どちらに進むかは個人の思うところに委ねるべきですが、どちらに進んでも「大変な事業」であることは変わり無さそうですネ。

旅の装備

注文したMacBook Proも数日中に届く運びとなり、今回の渡航に合わせてスーツケースも新調しました。‥‥いや、新調というよりは初めて購入した‥‥と言うべきか。今までずっと、実家から巨大なスーツケースを借りていたんですが、35Lのコンパクト型を自分で買う事にしたのです。「イノベーター」というやつで、あまり調べもせずに、デザインだけで買いました。

矢吹丈みたいに「サンドバッグ型」の手荷物だけで行こうかとも考えましたが、MacBookだのiPadだのかさばるものも多いし、日数もそこそこあるので、日頃の置き場所に困って鬱陶しいのは承知の上で、大人しくスーツケースにしといたのです。片道9時間かかると聞いているので、MacBookでシムシティでもやらないと間がもたんス。

その他、MacBookに給電できるモバイルバッテリーとか、無難なユニクロの服とか‥‥、何やら、小刻みに出費がかさみます。MacBookに充電可能なバッテリーとなると、16,000〜21,000mAhで16Vの電圧が必要らしく、どんなに安くても8千円前後するようです。そこに「MagSafe2」とやらのApple独自の電源コネクタ形状への変換も必要となり、バッテリーとコネクタ類で合計13,000円前後のコストがかかり、ちょいちょいイイ金額が飛んでいきます。‥‥総計すると、結構な金額を出費している事となり、今年の夏は散財が激しい‥‥。

ちなみに、私が最後に外国に行ったのは、10年以上前の韓国が最後です。イノセンスのイベント絡みで。

なので、もうすっかり、飛行機とか海外の(特に欧米の)アレコレを忘れております。もともと渡航回数が多いわけでもないところにきて、10年以上ぶりなので、「チップの渡し方」とかのWebコラムを読むとどんどん不安になってきます。‥‥まあ、海外経験の豊かな人たちと行くので、色々と教えてもらおう‥‥。

向こうでの「仕事」に関しては、全然不安はないんですけどネ。いつもイマジカやソニーPCLでやってる事を、普段通りにやるだけだし。相手が日本人であろうがなかろうが、やるべき事には変わりなしです。

まあ、何よりも、国内の仕事を想定通りの内容に仕上げて、スッキリとしたキモチで渡航する所存です。最近のAfter Effectsは、どうにも安定性が落ちており、予断を許さない状況ではありますが‥‥。

「繋がり過ぎ社会」

‥‥という言葉を聞いて、「つながる」をマイナス要素として語る論調も出てきたんだな‥‥と、ちょっと安心しました。「接続過剰」なんて言い回しもあるのネ。

地域によっては、「子供は午後9時以降にスマホ禁止」なんていう自治体もあるそうですが、意外にも、子供の中には「それでOK」な意見も多いとか。「ネットワークでのやり取りがいつまでも終わらず、‥‥かと言って、抜け出すと、仲間はずれにされる」ので、自治体に時間制限を設けてもらうと、子供らに「抜け出る理由」ができる‥‥らしいです。

何だ、子供たちも「めんどくせえなあ」と思ってんのネ。今は、スマホが普及したお陰で、嫌でも「輪に入る事を強要」されるんでしょうかネ。‥‥それって、凄い不幸な事ですね。

私は子供の頃から、「人の輪の無為の悪意」が嫌いで、ぶっちゃけ、「関わりがめんどくせえなあ」と思っておりました。でも、私には「大親友」と呼べる友が、子供の頃(高校も含む)にいました。人の輪に入らないと、友達が出来ないなんてウソだと思います。

「人の繋がり」って、スマホで接続すれば得られる「即物的なもの」なんでしょうか? 私は、そんなレベルのものまで、「人の繋がり」だなんて思いたくないのです。スマホのデータ通信程度の繋がりなんて、状況次第で簡単に「切断」されると思いますよ。‥‥そんなのでも、人は「繋がり」が欲しいんでしょうかネ。

「人の繋がり」とは、心の隙間を埋める「暇つぶし」なんでしょうか。

私は過去に3人、とても身近な同僚(‥‥「同僚」と言う単語を改めて使うと何だかよそよそしいですが)を病気で無くしております。文字通り「同じ釜の飯を食べた」、同じ室内に並んで座って苦楽を共にした仲で、3人の当時の表情は今でも鮮明に思い出す事ができます。私はその3人が地上から消えた今も、「心のどこかで繋がり続けている」と感じるのです。スマホのデータ通信で繋がるよりも、ツイッターで繋がるよりも、より深い繋がりを。

私が「アート」に逃げたくない理由、意地でも「商業アニメーション」に拘る理由は、その3人の存在が大きいのです。みんなさ‥‥、なんだかんだ言っても結局は、アニメが大好きな仲間だったから。

心で繋がっている‥‥という確信には、スマホもSNSも必要ありません。


「別に何でもいいけど、今はスマホが便利だから」って言う人は、冷めた視点で距離を置いて接するだろうし、ツイッターやLINEなどに過度な期待もしないでしょう。周囲に強要する事もないでしょう。私は今以上にイベントを増やしたくないのでSNSと呼ばれるものには手を出していませんが、周りから「使用を強要されて困った」事は1度もありません。まあ、みんなオトナだからネ。

でもねえ、防御手段の少ない子供は、正直、気の毒だよねェ。LINEをやらないとシカト‥‥だなんて、阿呆みたいな価値観の中に、嫌でも放り込まれるからネェ‥‥。さらには、子供の頃の「友達との会話の思い出」が定型フォントと質の荒い画像だ‥‥なんて、「世の中が便利になっても、何やら不幸」だよ‥‥ねえ‥‥。

若い頃は、色んな人と接して、色んな考えに触れる事は、とても有用な事です。しかし、それはあくまで過渡的なもので、人間の繋がりはやがて、絞られていくのです。人間関係を拡大しても、「信頼できる人」「頼りになる奴」は、ほんのひとにぎりにフィルタリングされます。

私がこのブログでコメント欄をOFFにしているのは、「無差別会話」を避けるためです。素性の解らない匿名の人と会話しても、時間を多く浪費するだけだと思うからです。話すのならば、面会して飯でも喰いながら意見交換すれば良いし、会えないならば、お互いに素性を名乗りあって、メールをやり取りすれば良いと思います。

何か不都合があれば、クモの子を散らすようにさっと引いていく1000人分のアカウントよりも、最後の最後まで粘って共に戦う1人の友のほうが、私は大事だと思うのです。まあ、古風な考えかも知れませんが、私は死ぬまでそれで良いです。

プリン体の「説」

たまに耳にする「鶏卵もイクラも、1つの卵の中に含有するプリン体は1つ。だから、卵の数が沢山あるイクラは、高プリン体の食品だ。」というフレーズ。私も特にプリン体に興味が無かった頃は、「へー、確かにイクラは無数とも言える卵の数だから、プリン体も比例して物凄い事になってるんだろう」と思ってたのです。

みなさんも「イクラなどの魚卵は、プリン体がめちゃくちゃ多い」と思い込んでいるんじゃないでしょうか。

なぜ???

‥‥私もそうですが、ロクに調べもしないで、「イクラはプリン体が多い」と思い込んでおります。イクラのプリン体は以下です。

プリン体が極めて少ない食品
http://tufu.sakura.ne.jp/purinsyokuhin5.html


抜粋:イクラ=4mg, スジコ=16mg, カズノコ=22mg

文献により多少の数値のバラつきはありますが、どの文献も「極めて少ない=50mg以下」にイクラやスジコは属しています。ちなみに、魚卵で多めなのは「タラコ」(121mg)ですが、「納豆」(114mg)と同程度のプリン体の量です。

イクラのプリン体が多い‥‥なんて言い出したのは、誰ですか‥‥。

ネットで調べたら、「枝豆はプリン体が多い」とか、「豆腐は避けた方が良い」とか、「ビールのプリン体は決して多くはないのに、犯人扱いされている」「酒そのものが、尿酸による障害を引き起こす」etc... と、まあ、かなりの混迷状態。何を信じたらよいか、まさに当人のジャッジ能力が試されるわけですが、知識の少ないジャンルほどジャッジが甘めになりがちです。

これに限らず、人というものは、度々、誤情報や事実誤認に「踊らされ」ますよネ。私もすっかり「イクラはプリン体がめっちゃ多いウワサ」に踊らされてしまいました。‥‥でもまあ、イクラなんて高価で、もともと喰えないんですけどネ。

思考の「バックドア」って怖いよネ。「思考のセキュリティ」を白っとスルーして、簡単に入り込む。。。

しかし、こうした事は、映像の制作現場でもよくあることです。‥‥なので、「できるだけ踊らされない」ようにするために、技術と経験の積み重ねが活きてくるわけです。場数の足りない新人ほど、特に作品制作の終盤で取り乱して浅知恵を連発する傾向にありますが(もちろんそうでない人もいますが、全体の傾向として)、そこはそれ、経験豊富な年長者が腰を据えて大局を見極め、作品制作が転覆しないように努めるのです。長(おさ)まで混乱して取り乱していたら、それはもう、絵に描いたような「負け戦」ですからネ。

ちなみに、イクラ。「イクラ自体のプリン体は極めて少ないが、ついつい量を摂りがちなので、コレステロールを多量に摂取するのがマズい」とも。さらには、「かに味噌、ウニなどをたくさん食べ続けるのは避けるべきです。」だとも。イクラやウニを「ついつい量を摂りがち」「食べ続ける」のって、どんな状況?? ‥‥‥一生に一度でいいから、そんな高価な食品、山ほど食べてみたいわ。

ズレ

私は現在、「アニメの撮影」という作業をほとんどしておりません。10年以上前の「撮影と呼ばれるセクションにまだ表現の伸びしろがあった頃」ならともかく、今の「アニメ撮影現場」には他のジャンルの映像技術やコンピュータの能力を映像表現に活用できる場面がほとんどない‥‥と感じられるからです。もっと言えば、同じアニメ現場の技術であっても、撮影セクションと他のセクションの技術は「効率重視」ゆえに隔絶されており、「技術を相乗的に発展させる」気運が消え失せて久しく、色々な作業を経験してきた私の技量を活かす場面も無いから‥‥です。「撮影は撮影の部署だけで技術を完結させる」「面倒な作画の要素を、3Dや撮影に代行させる」みたいな事しかおこなわれなくなった現場の状況との隔たりが、戻せないほどに決定的になってしまった‥‥のでしょうネ。

パラとフレア、ハイライトにグロー、ソフトフィルター。‥‥絵作りと言うよりは「段取り」と言ったほうがピッタリ来る「定型作業」。パラやフレアって、本来は「明暗や色彩のレイアウト」の「作図の手段」として使うものなのに、今は「これがデジタルアニメのお約束」って感じです。低解像度の2値トレスを誤摩化すためには、ある程度は仕方ない‥‥とは思うんですけど、「業界の総意」として、この方法を未来もずーっと続けていくつもりなのかな‥‥。

「お約束」が出来上がってしまった映像表現‥‥ゆえかも知れませんが、最近の「突出した個性を嫌がる」傾向も、私はどうにも好かんのです。協調性だけがウリの人材を求めていながら、一方で「新しいアイデアが欲しい」‥‥なんて虫の良い話だとも思いますしネ。予定調和の人材から出てくるアイデアや完成物は、やっぱり予定調和の域を出ないものです。4Kアニメに取り組んでも、冒険をしない無難な人材でスタッフが構成されていれば、「大きなサイズのSD時代のアニメ」になるのは、どうしても避けられないですよネ。
*注)SD〜地デジに移行する以前、ビデオ解像度が「720x480(486)」ピクセルサイズだった、今となってはミニサイズのDV/DVD(D1)規格

自分の能力に自負がある人間は、アマチュアや新卒であろうが、それなりの「プライド」を持っているものです。新人とは言え、そこそこの自負があるのは、今まで自分の技量を「周囲の人間と比較」してきた(されてきた)からこそ‥‥ですから、ある種の「特別意識」を持っているのは当たり前なのです。プライドとは、過去の切磋琢磨の反映なのですから。

新人のプライドや自主性・独創性が「邪魔だ」と感じる時点で、もはやその作業グループの伸びシロがほとんど無い事を公言
しているようなものですし、グループリーダーが「弱いアルファオオカミ」である事をゲロしているようなものです。自分なりには腕に自信を持つ、鼻っ柱の強い新人が、自分の稚拙さを肌身で感じ、敬服せざる得ないような「高い技術を持った作業現場」こそが、これから先の大変動を切り開ける可能性があると感じます。過去、エポックやブランドを生み出してきた数々の現場とは、まさにそのようなものでしたしネ。

でも、現在作業している人の中にも、「自分の才能をこの枠の中で終わらせるのはイヤだ」とか「発展の可能性をもはや感じない」と実感している人も、そこそこ居るような気もします。今の業界の状況から考えて、ネ。‥‥しかし、そういった「限界を感じている人々」の多くは自分の属する職場で仕事を反復する日々なので、どうにもならない「閉塞感」「絶望感」で心が一杯になる事も多いでしょう。‥‥ですから、このブログは、「才能を燻らせている人たちよ。絶望するにはまだ早い。」とアナウンスしたくて、書き続けているキモチも大きいのです。私もね‥‥、道無き平野を切り開く事業は、「心が折れそうになる事、しきり」なんですが、似たようなキモチの人々と間もなく合流できると予測(=とてもシンプルな物理計算上で)しているので、ブログを書いてキモチを奮い立たせているのです。

まあ‥‥、こうした色々な事は、違う言い方をすれば、私の考える「アニメ制作の未来像」が、「業界の暗黙の総意」や「業界が何となく向かっている方向」と大きくズレたから‥‥とも言えるでしょうネ。現業界の現場と意識がズレてなければ、現場で一生懸命頑張るだけで1日が満たされ、違和感や閉塞感など感じないハズですからネ。‥‥過去にズレてない時期もあったから、解るんよ。

今のアニメ業界が「未来の新しい何か」を手に入れる為に、4Kにチャレンジすると言っても、紙と鉛筆をタブレットに持ち替えて、今まで通りの撮影処理でフィニッシュするだけ‥‥では、結果物に「大きな変化」が反映されるとは思えません。つまり、「新しくないもの」を4Kサイズで手に入れるだけです。ちょっと頭で想像すれば解る事ですが、「今のアニメの解像度が4Kにアップしたら、どれだけ良いモノになるか」を想像できますか?‥‥できないですよネ。だって、4Kにアップしただけじゃあ、絵がちょっと緻密になった程度で、ほとんど何も変わって見えないもんネ。そんな程度の事に、業界の皆は、今まで以上に過酷な作業を引き受けていくのだろうか?

これから先の未来、少なくとも私は、今までとは「大きくズレたい」のです。そんな事なんで、もはや通常の作画や撮影には戻れないんですネ。‥‥むしろ、「今、ズレておかないと、後で大きなハンデとなる」ようなキモチが大きいのです。

街路とハイウェイ

アニメーション制作の色々を考える日々ではありますが、私の指向するところは、要は「アニメ制作ハイウェイ」を使わないでアニメを作る‥‥という事なんですよネ。

先人の作ったアニメ制作の専用道路は、「標準規格のコンテンツ」の「大量高速輸送」が出来て、「同じに目的地にどんどん送り込む」ぶんには高い効率を発揮します。ゆえに、荷物の規格サイズが決まっていて、経路を選択するバリエーションもシンプルです。ハンドルを握って、道なりに走れば、目的地に着く事ができます。

反面、どんなに渋滞しようが、ハイウェイを途中で降りるわけにはいきません。コンクリの壁で覆われた専用道路は、簡単に入ったり出たりできず、皆同じ「料金所」「インターチェンジ」「ジャンクション」を通過しなければなりません。ゆえに、皆同じ地点で渋滞に巻き込まれ、同じ区間で「速度超過」で激走します。現在は「必ず大渋滞する料金所」「事故多発地域」があったりもしますよネ。また、「運べるコンテンツの種類は決められている」ので、「強烈なブランド」を発揮させる事が難しいです。

では一方、ハイウェイを使わない‥‥とはどういう事か?‥‥と言うと、「大量高速輸送」が出来ず、「同じに目的地にどんどん送り込む」事も出来ない‥‥という事だと思います。‥‥でも、それってさ、考え方によっては「凄い利点」だよネ。

20代の頃から30代の半ばまで、私は「アニメ制作ハイウェイ」でどのように作業を「流通」するかを考えてきましたし、取り組んでもきました。しかし、道は1つではないし、作り手から受け手に届ける品も1種類だけではなく多彩な広がりを持つ‥‥という「考えてみればあたりまえの事」に、「アニメとは異なる映像制作」に触れるようになって、徐々に気がついたのです。通常のアニメの仕事しかしていなかったら、「ハイウェイを外から客観視する」事もできなかっただろうし、「GPSがあれば見知らぬ街路でも走れる」とは思わなかったでしょう。

もちろん、「アニメ制作ハイウェイ」の利点及び問題点、そして「別の道筋」を認識しているのは、私だけではなくて、様々な作業をこなした人ほど、似たような状況認識をしているようです。作画にも2Dにも3Dにも「慎重なスタンス」を持つ点も共通しています。「ハイウェイの料金所で深刻な大渋滞」が起こる事も、「街路には交差点と信号がいっぱいある」事も認識できている‥‥のは、やはり「色んな道を走ったから」でしょうネ。

街路を走っても渋滞は存在するし信号待ちもあります。つまりは「ハイウェイの交通量に限界を感じたから街路を走る」というのは的外れな選択です。今までの「アニメ制作の交通量を保持」したいのなら、入りくんだ街路には出るべきではないですし、大人しく渋滞を徐行したほうが結果的に速いです。ハイウェイしか知らない人間が地図もGPSも無しに、簡易なコンパスだけで街路に走り出たところで、迷走して余計に時間を喰うだけです。「交通量」とは全く違う理由〜「ハイウェイとは大きく異なる出発点や経由地や目的地を走るために、街路を使う」事こそに「街路を走る」意義があるわけです。

でもまあ、「あえて街路を走ろう」なんて考える人は、まだ少数派でしょう。街路が幹線道路に発達するのは、一定以上の経済効果が実証できてからだろうし。それに、少数派だからこそ、色んな事が「混雑無しに」出来るんだろうしネ。

紙でやろうが、ペンタブレットでやろうが、「中割り」で何千枚、何万枚と描き続けていたら、構造は何も変わらない‥‥と少なくとも私は思います。「中を割る」と言う発想自体がネ‥‥。「ペンタブで描くようになりました。しかし、数千枚描く事は昔と同じです。」‥‥というやり方に、皆は「明るい未来」を感じるのかな。ペンタブに持ち替えても、なお、「アニメ制作ハイウェイを不眠で走り続ける」んでしょうかね‥‥。

 

他人の影響で上手くなる

私はフリー原画マンの駆け出しの頃、賃貸アパートで1年ほど独りで原画を描いていた時期がありましたが、上達の速度が速いとはあまり言えませんでした。当時は無我夢中だったので、自分の上達速度など客観視できませんでしたが、その後にアニメ制作会社の「フリー溜まり」の一角に席を借り、色々な人々の色々な技巧を目にして、自分の「下手さ加減」と「技術の広がり」を嫌というほど認識すると、色んな方角の視界が開けてきて、「どんどん『見えて、解ってくる」自分」を実感できたものです。

私は新しいアニメーション制作方式を計画するにあたり、「知識を得る仕組み」もシステムに組み込みたいと思っています。‥‥システムとか言っちゃうと堅苦しいですが、要は「作業をこなすフォーメーション」です。今までの現場では普通だった事〜同じ部屋で新人が経験者と作業するうちに技術力を高めていく構造を、なんとなく期待するのではなく、「作業上の必然」としてシステムに組み入れるのです。

これだけだと誤解を受けそうですが、「新人を育てるために、ワークフローに余計な手間を加える」わけではありません。私の考える新しいワークフローは、絵と動きを描く作業者の作業内容が多岐に及ぶので、「アシスタント」をつけないと生産性が上がらない予測があるのです。そこに新人を配置し、経験豊かな作業者のアシストを担当する事で基礎技術や表現力を身につけるのです。

航空機ネタで申し訳ないですが、ベテランと新人のペアを、リーダー(長機)とウィングマン(僚機)の関係性に見立てているわけです。

まだ構想中の事なのであまり詳しくは書きませんが、否が応でもルーキーは「リアルでナマ」な技術を叩き込まれる事になるでしょう。ベテランも、ルーキーの練度に合わせたアシスト作業をどんどん供給していく裁量が必要となります。新人が、この「ベテラン&ルーキーのロッテフォーメーション」に組み込まれたら、After EffectsやPhotoshopをちょっとイジれるようになっただけで「オレってスゴい」とヌカ喜びしているレベルなど1週間でクリアできると思いますヨ。

ちなみに、ベテランとルーキーのペアは定期的に入れ替わり、ひとそれぞれの様々な技術経験が循環する事も考慮しています。また「フィンガーフォー」ではないですが、「ロッテフォーメーション」を結合してより大きなフォーメーションにし、「大作」にあたる事も構想しています。

もちろん‥‥ですが、作業者各々の「技術のキモ」はちゃんと保護する仕組みも考えています。今はさぁ‥‥プロジェクトを流用したりパラメータをコピペする事が可能ですが、そんな事をしても、当人の技量は一向に上がらないし、技術の大安売りは進行するしで、「その時誤摩化し」で「後に大きな利子付きで返済する」典型です。「技術のコピペ」って、私が思うにほぼ100%、「害」だと思ってます。他人が描いた絵をトレーシングペーパーで写し取って「自分は巧く描けた」なんて、絵の世界では絶対言わないし、言えないし、素人さんと同等に見られたりもします。新人が「コピペの手順だけ上達」しても「技術向上というテーマ的には全く意味が無い」ですし、むしろ現場の技術崩壊に繋がるので、「作業者の独立性の維持」は、相変わらず重要なテーマなのです。「現場全体を育てたいのなら、作業者の技術を保護すべし」です。安易にデータを流用しあう気風は、「同じスキルの平均的スタッフしか育たない」ブランド力を持たない生温い現場になるだけ‥‥です。

現場には、協調も必要ですが、競争も必要なんですヨ。それは「デジタルの現場」も同じだと思います。述懐するに、80〜90年代のアニメーターが高い技術を勝ち得たのは、協調よりも競争、負けん気が強かったからだと思います。

「ほっとけば新人は育つ」なんて暢気な事は、少なくとも2014年の現在、私は言えません。‥‥とは言うものの、今の業界の現状を顧みるに、新人を叱咤激励しても、空しく響く事も多々あるでしょう。ですから、何か新しい事を始める際には、現状を教訓として活かして、単に技術そのものに終始するのではなく、管理システムやデータベースなどの制作インフラ、アーカイブ、そして「作業共同体」の「身体」作りなど、多くの要素をせっせと準備しておくべきだと考えております。

日本てさ、アニメでも「技術立国」だと思うんですよネ。

現場のつながり

明確な規約文書もないまま、なぜアニメ業界は制作を続ける事ができたのか。‥‥考えてみれば不思議な事ではありますが、純然とした事実でもあります。道交法が制定されていなれば警察は交通を取り仕切れないかも知れませんが、アニメ業界はハッキリとした規約無しでも数えきれないほどのアニメを作り続けてきました。‥‥もの凄い、バイタリティ‥‥ですよネ。

私はまさにその渦中にいた人間ですが、自分自身を振り返って思い起こすと、同僚や先輩から様々な情報〜決めごとやしきたり、段取り、用語〜などを教えてもらう事で、作業を重ねるたびに知識が身についたのです。つまり、「現場の人のつながり」こそが、知識の「伝搬経路」だったわけです。

という事は、です。‥‥今は、「現場のつながり」が希薄になっているのでしょうか?

ふと、演出家の旧知の知人が、「最近はほとんど、電話打ち(電話での作画打ち合わせ)ばかりだ」と言っていたのを思い出します。私も電話打ち合わせは稀におこないますが、内容確認以外の「収穫」は何もない、素っ気ないものです。もし、新人や中堅どころが、電話打ち合わせ&自宅作業ばかりなのだとしたら、現場から得られるのは、単に「受発注でかろうじて繋がっている冷めた関係」だけで、色々なスタッフの色々な考え方に触れて知識を増やす機会は著しく減少するでしょう。

セル重ねが下からABCの順とは知らなかった‥‥とか、流PANとは何かを知らなかった‥‥など、現場での人の繋がりがあれば、あり得ない事です。「現場の人に聞けば良い」んですから。‥‥しかし、基本知識すら持たないアニメーターが各所に存在するという事は、基礎知識すら教えてもらえない環境で作業している‥‥という事です。素人さんだけのグループか、独りで作業しているか、そもそも現場に経験豊かな人が皆無なのか、状況はよくわかりませんが、とにかく「経験者から未経験者への知識の伝達が機能していない」事だけは解ります。

私は前に「アニメ業界の道交法」みたいな事を書きました。しかし、こうして色んな側面から状況を考察してみると、「業界の規約」をまとめて誰でも通読できるのが良いのか、それよりも「現場のつながり」を取り戻すのが良いのか、判断・評価が難しいです。どちらも超弩級に大変な取り組みで、相当なリソースを消費するはずです。

さらなる難題へと掘り下げると、「短期で作業基準の変わる『デジタル』」に対して、現場はどのように「知識のスタンダードを築いたら良いのか」という問題も浮上します。技術進化の速い映像の世界において、「アニメ業界の制作全書」や「現場のつながり」を確立した時には、既に内容が古くなっていた‥‥なんて、悲劇としか言いようがありません。

‥‥ゆえに、私がずっと以前から書き続けている事ではありますが、「今の型を存続したまま、マイナーチェンジで凌ぐやり方では、問題解決は難しい」と思っているのです。世の中はどんどん変わっていきますから、昔のやり方でもう1度やり直したとしても、上手くいくかは「ビミョー」じゃないですか。1970〜90年代と同じ手法が、2010年代に通用するとは、どうも思えない‥‥のです。

私は、何よりも「アニメーターが『デジタル』の外側に置かれている(置いている)」状況が、問題の根本なように思います。アニメーターのベテランや中堅は、「デジタル」に「シラけちゃって」いるんじゃないでしょうか。「時代の流れだから、仕方なく合わせている」的な。‥‥そうした「シラけ」は、表には出さなくても、全体の雰囲気として浸透していくのかも知れません。

アニメーターを「デジタルのオンラインにのせる」のは、今まさに取り組んでいる制作技法のメインテーマでもあります。アニメーターをオフラインにしたままでは、先には進めないとも思っています。

何回かに渡って書き続けている「この問題」。‥‥どうやら、業界の「特に」ムズカしい部分なのかも知れません。「意識」とか「やりがい」などメンタル面の要素が、世情や業界の状況と絡み合って、ともすれば「アニメを職業として選択する理由」みたいな話題にまでに進展しそう‥‥ですもんネ。

素材で絵を描く

本業が切羽詰まってくると、このブログのような類いは、更新が止まってしまいます。いやはや、何とも。

現在は実写作品(=詳細は公式の情報公開に譲ります)のカラーグレーディングが正念場で、残された期間でどれだけ絵を作り込めるか、自分との戦い‥‥といった状況です。自分が弱音を吐いたら、映像もシンクロして弱音を吐く事になるので、気が抜けません。

実写のグレーディング‥‥と言っても、私らのグループで担当するのは「最終的な絵の作り込み」をおこなう重要な作業局面です。一般的な「カラーグレーディング」とは内容が大きく異なるかも知れません。言わば「CGを絵としてフィニッシュする」ような、一見曖昧な作業内容にも受け取られがちな、しかしそれがないと「映画作りが成立しない」強烈な作用を持つ作業です。今そこにある素材だけで絵を作る‥‥というのは、苦しい局面も多いですが、裏返して考えれば、個人のスキル次第で映像に大きな変化が表れるので、楽しい作業でもあります。

この「ビジュアルエフェクト・グレーディング・ファイナライズ」全部入りの作業は、2014年現在でも「得体の知れない作業工程」と思われているようです。説明するより「工程前」「工程後」を見てもらえば解るのですが、現在作業中のはまだ作品公開前なので、図説ができないのですよネ‥‥。

素材を合成すれば、映像は完成‥‥のように素人さんは思いがちですが、そんなシンプルな段取りだけで作品独特の質感は生まれません。素材を合成すれば、その通りの「素材合成画」になるだけです。

映像作品が完成した暁には、言うまでもなく、「素材を合成した映像」ではなく、「映像作品」「映画」であるべきです。では「合成画像」と「絵」にはどんな差があるか?‥‥というと、要は作り手が「絵を描いているか否か」という取り組みや意識の差です。一生懸命に素材を合成しようとすれば、合成画像になるのは当たり前ですし、一方、絵筆を持たずとも絵を描こうと関われば、どんどん素材は絵へと変貌していきます。人間の意志の強さとは、真に不思議なものです。

アニメでもCGでも実写でも、「素材」が「絵」へと「成る」ためには、プロセスにおいて「画を作る執念」「絵描き度胸」が必要‥‥というわけです。

‥‥で、「絵描き度胸」のコンピュータ作業は、未来のアニメーション制作においても大きな柱の1つと考えています。人材育成はゼロからスタート‥‥になるでしょうが、仕方ないス。作画・3D・実写がクロスオーバーする未来の現場においては、何か1つの工程に特化するのは相応しくないので、「絵描き度胸」を軸足とした新しい意識の人材が必要なのだと強く感じます。

しかしまあ、新しいアニメーション制作を志すにあたって、実写作品の経験は「通らなければならない」重要なポイントなように思います。アニメの撮影を毎日やってた数年前の私を振り返ると、あまりにも特殊過ぎる「2値化&スムージング」に慣れ切って思考が固着し気味だった‥‥と感じます。

近い未来に「微細なニュアンス盛りだくさんのキャラ」が出現した際に、現アニメ業界の撮影技法よりも、実写や3DCGに対するグレーディング技法のほうが、使いどころが多いと予測します。レイヤーが統合されマスクも無いような状態で、どんな絵作りができるのか。‥‥案外、方法はいくらでもあるもの‥‥です。
 


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