ツールのメリハリ

私は20年以上前に購入したプラモデルキットを今でも倉庫に保管しており、最近いくつかをひっぱり出してきて制作しているのですが、かなり昔(多分30年近く前)のキットから懐かしい付属品が出てきました。



プラモについてた接着剤です。昔の男の子たちは、この接着剤を使って、プラモを組み立ててたのです。プラモのパーツはランナーから手でちぎり、ちぎった痕をハサミ(図工用の)で切り取って作りました。‥‥まあ、ハサミで痕を処理するのは「丁寧」なほうで、最悪そのまま組み立てて、「へその緒」がいくつも残った完成品になったものでした。

子供時代の自分を思い出し、「そりゃ、ブザマな出来になるわな」としみじみ思いました。

この接着剤、水飴のような粘性をもっており、貼り合わせの断面にトロリと塗って、パーツを貼り合わせて接着するものですが、そんなやり方で奇麗にできるわけもないです。食パンのジャムサンドみたいになります。ただ、「プラモはそういうふうに作るもんだ」とマインドが固着してたので、皆が皆、この水飴接着剤でプラモを作ってたのです。

そうして過去を振り返ると、自分が子供だった事もありますが、ニュートラルにジャッジしてみても、「ツールが悪い」のは事実です。図工用のハサミとカッター、水飴接着剤しかなければ、奇麗で繊細な模型なんて作れないです。最悪、切れ味の悪い刃物でケガをしちゃいます。

しかし、経済力ゼロの「養われ小学生」に、最適なツールを買い揃える事など不可能。そこにあるツールで作るしかありません。本来、図工用のハサミは、プラキットを切る目的では設計・製造されてないのですから、上手く使えなくてあたりまえなのですが、当時の私は「自分は指先が不器用だ」と消沈したものでした。

そして現在。今の私のプラモ制作ツールのメインメンバーは以下の通り。



何でも高いものを買い揃えているわけではありません。ハンディルータは1,500円のものもありますし(ルータは1〜3万円するのもザラです)、ヤスリに至っては3本セット100円のものを使っています。しかし、ニッパーにはお金をかけてまして、特に青い柄のものは3,500円します。もちろん、「ニッパーごとき」にそんなコストを払うのは、明確な理由があるから、です。

制作をしていれば自ずとそうなりますが、ツールのラインアップは「高いツールと安いツールのメリハリ」がつくようになっていきます。また、似たような見た目でも、様々な場面で使い分けするようになります。上の写真はニッパーが3つありますが、使い方がそれぞれ違います。横着して不適応な場面で一緒くたにツールを使うと、パーツとツールの両方を破損する事すらあります。

「高いのを買っとけばOK」と言うのも、ちょっと違うのです。作業工程や段取りによっては、高価なツールの性能が「全く活きない」のです。高価なツールにはそれ相応の「高いだけの理由」がありますが、高価なりの性能を使いこなしてこそ‥‥です。やけに高価なブランドツールで身の回りを固めるのがカッコ悪く見えるのって、要は「使いこなしていない感」が見えちゃうからですよネ。また、何から何まで100均のツールだけで揃えるのも、「時間と金を引き換える」事になり、大袈裟かもしれませんが、人生をディスカウントしているように思えます。

2,000円以上クラスのニッパーは、直接的に制作時間&クオリティに作用します。一方、1,000円のヤスリでなく、100均のヤスリでも、速度とクオリティにはほとんど影響が出ません。こうして、ツールにお金をかける部分のメリハリが利いてくるのです。プラモ用として「みくびった」500円前後のニッパーを使うと、後処理に余計な時間を消費して、ぶっちゃけ、人生の時間を無駄にします。時間と質を獲得するために、必要に応じて「ハイ&ロー」を使い分けるのです。

「ニッパーなんて100円ショップので充分じゃん」‥‥という人は、プラモを作ってない人、もしくはプラモをあえて作り辛く作る人でしょう。ツールには、使っている人間でないと判らない「ツールのクオリティ」というものがあるんス。

ちなみに、接着剤はこの通り。



接着剤にこんな種類が必要か?‥‥とか言われそうですが、必要なんス。どの製品も皆、特性・性質が違い、適材適所で用いる事によって、速く良く、キットを作る事ができます。もしこのラインアップが揃ってなければ、制作時間は数倍(そのほとんどが乾燥待ち時間)にふくれあがります。

これは映像制作のコンピュータにも言えて、何でもWindowsで済まそうとするのは、おそらく映像制作のビジョンが見えてないからだと思います。時間と質を犠牲にする事になります。映像制作本位で考えれば、WIndows、Mac、Linuxが混在するのは当然の結果であり、映像制作を犠牲にして管理の都合だけで考えれば、Windows一色になるでしょうネ。

話を戻して。

しかし今は100均とかあっていいよな。例えイマイチのニッパーでも、100円で買えるなら、プラモ制作には図工用ハサミより10倍マシですもん。私が子供の頃に、100均なんてあったら、嬉し過ぎて、足しげく通うだろうな‥‥。でもまあ、デザインナイフもダイソーにいけば100円で買えるわけなので、そうなってくると、子供たちに「ツールが身近にあるのに、何で奇麗に作れんのか?」と妙なプレッシャーがかかることになりますね。それはそれで、いきなり高いハードルで、可哀想。

現在はプラモを作る子供なんているのかな? 自分の指先を、子供のうちから沢山使っておくと、色々と可能性が広がると思うんですけどネ。スマートフォンのタップやスワイプだけじゃ、モノは作れんですからネ。

ディズニーの14年間

私は、ディズニーの昔のアニメ映画が好きです。誤解を避けるためにもう少し詳しく言いますと、「ディズニー映画の標榜する価値観に同意する事は少ないけれど、映像美を愛好している」とでも言いましょうか。

例えば、「わんわん物語」の一見「刺激の少なさそうな」画面も、実は巧妙な明暗設計が随所に仕掛けてあって、ただそれがクドくないので、見てる側が気にならないだけです。大胆な影落としとかもいっぱいありますヨ。‥‥ただし、ストーリー的には「トランプ‥‥。アウトローだったお前が、なぜ、いきなり鑑札を首からぶら下げてんの?」と釈然としない結末を迎えたりするので、イマイチ、作品全体を愛せなかったりします。

ディズニーを「アニメーション作品」の技術面から見た時、その「技術進化速度の速さ」に驚きます。

ミッキーマウスの登場する「蒸気船ウィリー」は1928年公開で、「観客席から見たような、横位置のレイアウト」的なカットが多く、黎明期の雰囲気を色濃く反映した作品です。モノクロフィルムですし、動きのタイミングも手探りな感じですネ。



それから7年後、初のカラー作品と言われる「The Band Concert」は、横位置カメラから開放され始めてますし、「ここまで動かせるようになった」という自信というか、作画の(良い意味での)エスカレートが感じられます。絵を動かすのが楽しい!‥‥という雰囲気が、作品から伝わってきます。



私は、同年代なら「Through The Mirror」の「可愛い顔してんのに、悪い奴」なミッキーの方が好きですネ。机の引き出しがバッと開いて、トランプが飛び出す動きのリアクション作画とか、この当時からカッコいいですし。「蒸気船ウィリー」から7年で、このレベルまで到達してたのは、驚きです。



ちなみに、この頃のミッキーは、白目のないデザインで「可愛い」んですが、性格的には「何をしでかすかわからない」アブナイ雰囲気も併せ持ってましたネ。少々「邪悪」なところがあると言うか。

で、「The Band Concert」の1935年から7年後。「蒸気船ウィリー」からは14年後‥‥には、もう1942年の「バンビ」を作ってます。「蒸気船ウィリー」からたった14年で、です。「ファンタジア」に関しては1940年なので、「蒸気船ウィリー」から12年後ですネ。

バンビやファンタジアは、YouTubeの映像では汚な過ぎますし、入手は容易でしょうから、リンクは貼っておりません。

私が「バンビ」や「ファンタジア」をちゃんと見たのは20代の頃で、アニメーターになってからですが、その映像の美麗さに驚いた直後に、「1940年代にこれが実現できてるのに、なぜ、今は?」と思ったものです。40代の現在の私は「自然の摂理」だと解釈してますが、当時は「技術は進化し続けないし、継承され続けるものでもないんだ」と気落ちしたものです。技術は進化した後に、退化する‥‥ようですネ。ちょうど、子供が大人に成長した後、老化するように。芽が出て葉が増えて、花が咲いた後に枯れるように。(自然の摂理の中には、花が咲いた後に実がなり、種が地に落ちて、また次のシーズンに芽を出すかも知れない‥‥という希望も含みますけども)

宇宙探査船ボイジャーのちょっとした笑い話を思い出しますが、「ボイジャー関連のデジタルデータについて、現在はそのデジタルデータのフォーマットを開発した職員が退職したので、データの意味が分からなくて読解不可能」だとか。笑い話とかいうと失礼かもしれませんが、まあ、「あるある」ネタです。

それに似たような感じで、アニメの技術も「技を編み出した当人が辞めちゃえば」、その技術は地球上から消えます。結果物だけは残りますけどネ。

ちょっと、話を戻して、ディズニーの14年間における、技術の猛烈な進化速度についてですが、「状況が噛み合されば、あり得る話」だと思います。

その「状況」での大きく重要な要素は、もの凄く簡単に言えば、「伸びシロがあった」と言う事です。「伸びシロ」は外にも内にもあって、社会的な伸びシロと個人的な伸びシロが、うまいこと噛み合った時に、異常なくらいに発展・エスカレートする‥‥ようです。個人的な伸びシロが社会的な伸びシロを通じて、複数人数に伝播して巻き込んでいくと、次第に大きな螺旋状の「ムーブメント」になるわけですネ。

私がアニメーターになる数年前に「暴走アニメーター」という言葉が現れましたが、あれもムーブメントの1つでした。もっと動かしたい、もっと動かせるはずだ、やってみたら出来た、ちまた(=いわゆるファン層や同業者の間)でウケた、もっとやってみたい‥‥というエスカレートにつぐエスカレート。‥‥で、「デジタルアニメ」も1997〜2006年くらいの間は、そんなエスカレート具合というか現場の雰囲気がありましたよネ。

今は、伸びシロ的にどうなんでしょうネ。 「萌え」を急速に消耗させた次に、何をする予定なのか。‥‥もっと簡単に言えば、未来にやってみたくてウズウズするような事を、自分の中に持ててますかネ? アニメ業界も個人の集合体ですから、その個人が「自分は何をやりたいんだろう」と考え込んじゃう時点で、かなり危ういと思うんですよ。「やりきれないほど、やりたい事がいっぱいある」くらいでないと。

そんなこんなを思索するに、ディズニーの「from 1928 to 1942」の状況は、色々な事を教えてくれますネ。

私は今、やりたい映像作品、やってみたい技術が、山ほどありますが、お膳立てがあるわけではないので、悶々とした日々を積み重ねております。満たされない、手に入れられない、持ちたいのに手からこぼれ落ちて持ちきれない‥‥と言うもどかしさと言いましょうか。

でも、振り返ると、「安泰だ」「満たされている」という実感は、滅びや崩壊の前兆だと感じます。充足しちゃったら、あとはもう、こぼれて減っていくしかないもんネ。

だから、私自身だけじゃなくて、他の人々の場合も、何か挫折感や閉塞感を感じる事があるとすれば、それはある種の福音なのかも知れない‥‥と思う事はあります。伸びきってベロベロに弛んでいくよりは、伸びシロを伸ばす空間を欲しているほうが‥‥です。‥‥まあ、伸びて緩むのが好きな人もいるとは思いますから、全員がそうだとは言いませんが‥‥。

ウィリーからバンビまで、14年か。‥‥感慨深いもんですネ。
 

MacOSXでミラーリング+拡張デスクトップ

MacOSXにはディスプレイのミラーリングとマルチデスクトップ(Macでは正式には拡張デスクトップと呼ぶらしい)の2種類がありますが、これを任意に組み合わせて使用する事ができます。要は、3台のモニタがあったら、「ミラーリング、ミラーリング、拡張」という組み合わせができるわけです。

ただ、これをどうやって設定したら良いかは、なぜだか、ネットでは検索し辛いです。「ミラーリングを実行したい場合は、環境設定でチェックボックスをチェックして」みたいな事しか検索できません。「ミラーリングと拡張デスクトップの混在」を指南している文献は少ないよう‥‥なので、私が。

簡単です。まず、ディスプレイ環境設定の「調整」タブにて、ミラーリングしていない設定状態(=拡張デスクトップの位置調整画面)にしておいて、おもむろにミラーリングしたいディスプレイの枠を「オプションキーを押しながらクリック」して、他のディスプレイの枠へと「オプションキーを押したまま重ね合わせる(ドラッグ&ドロップですネ)」すれば、良いのです。

そうすると、例えば、「2つのモニタはミラーリングモード、1つのサブモニタは拡張デスクトップ」という状態を作り出す事ができます。

単に「ディスプレイをミラーリング」チェックボックスをTRUEにするだけだと、繋がったモニタ全部がミラーリングしてしまいますが、上記の段取りを踏めば、ミラーリングと拡張の混在が可能です。

で、何で私がこの方法を知っているかと言うと、「もしかしたら、オプションキーを押しながら操作したら、設定できたりして」と何の知識もないままテキトーにイジってみたら、出来たのです。ぎゃふん。‥‥もしかしたら、かなり昔に、同じ操作をした事があって、体が覚えていたのかも知れませんが‥‥。

(全てのMacOSXは解りませんが)少なくともMacOSX 10.8では、2.5kの2つのモニタをミラーリング、作業用のサブモニタとして2kモニタを1つ追加‥‥のような、変則的な組み合わせも実現可能です。ただ、少し前のGPUだと、2.5k, 2.5k, 2kのモニタをぶら下げると(合計何kになるんだ?)、途端にコマ落ちするので、それ相応のグラフィック性能は必要です。でっかいモニタ総面積(モニタ面積の総計スね)にて、正常に動画を描画するには、GPUの高い性能も必須なのです。

お金と時間

お金と時間。使い方次第で様々に作用するもの、ですね。

私は、量ではなく構造にお金を使うのが良いと思っています。今どきの話題で言えば、4Kモニタにお金を使うのではなく、4Kを制作する基礎構造にお金を使う‥‥という感じでしょうか。清水の舞台から飛び降りる覚悟で現在の高価な4Kモニタを買うのだったら、今は2.5Kのモニタでやり過ごして、お金はもっと他の4K対応の「地味な足回り」に投じるべきだと考えています。4Kモニタを買ったところで、4Kの映像作品を作るノウハウやストラクチャが手に入るわけではないですもんネ。

これをプラモで例えると、「プレミアのついたキットに大金を投じる」のは「量」にお金を使うやり方で、「切れ味の鋭いニッパやルータに地味にお金を使う」のが「構造」にお金を使うやり方‥‥と言えるかと思います。無理して高価なキットを買っても、それを作る技術や基礎環境がなければ、どうにもなりません。それに、プレミア価格4,800円のキットは、やがて再販されれば定価1,200円になって流通します。であれば、一時的な衝動にお金を使うのではなく、プレミアと普及の差分、4,800 - 1,200 = 3,600円のお金を「価値あるもの」にしたいと考えるのです。

時は金なりと言いますが、直接的に「今欲しいからお金を使って手に入れる」のも「時は金なり」だと思いますし、多角的に「攻勢のタイミングを計って、お金と時間を使う」のも「時は金なり」だと思います。私は後者を選ぶようにしています。

「大戦略」という戦略ゲームがありますが、「状況の表面」に反応して動くだけでは「大勝利」条件をクリアする事はできません。前線で戦車部隊が壊滅的被害を受けたから、後方で戦車を増産しよう‥‥とか、敵爆撃隊が飛来したから、戦闘機部隊を振り向けよう‥‥とか、理屈にあった行動のように見えますが、これはいわゆる「前線に振り回されている」状態で、‥‥まあ、勝てないですわな。戦車部隊が壊滅的被害を受ける状況、爆撃機が飛来しただけで混乱する状況。‥‥そんな状況を作る事自体が、アカんですネ。

「わざと膠着状態を作る」のも戦いのテクニックなのです。戦い方は、パッと見が華々しい「正面突撃」だけでなく、有利な地形を選んで故意に「防御戦を仕掛け(変な言い方ですが)」つつ、攻撃ラインを別に設け、タイミングを図った大攻勢により勝利に導く方法もあるのです。‥‥まあ、ゲーム上の話ですが、90ターンで設定されている戦略マップを20ターン強で勝利する事ができます。この方法は、お金と時間を使う様々な事例に応用する事ができます。

大きな目標を大金と大パワーで突破する‥‥なんて方法は、少なくとも日本人の私には考えられません。目標のウィークポイントを探して、様々な角度から仕掛けを作り、同時爆破で大きな障壁を倒壊させて、目標に辿り着く方法は考えつきますが。

なので、私がお金をかけたいのは、構造、仕掛けの道具なのです。4Kモニタを数十万で買うくらいなら、ワークグループサーバや自動処理マシンを構成したり、新たなソフトウェアの運用方法を模索するのに使いたいです。プラモならよく切れるニッパ(2000円くらいのネ)とか、ハンディルータとか。4Kモニタだけがあってもそこに映るのがショボい映像じゃ情けないし、どんなに高価なキットでもまともに作る道具がなければ台無しですからネ。

ただ、「周りが熟れるまで、待って居よう」と何もせずに日和見をするつもりはありません。日和った結果、何が待っているかというと、‥‥まあ、いいか、この話は。

プレミア事物にお金を投じるのは、「プレミアへの幻想」が多少なりとも作用すると感じます。「それを手に入れれば、スゴい事が出来るかも知れない」という幻想。私は、「ミラクルには、種も仕掛けもある」と考えている人間なので、何か単品のプレミア物品が、自分の願いを叶えてくれるなんて、思えないのです。

大収穫は、地道な土作りから取り組んだからこそ‥‥ですヨネ。

ネットの言葉

ネットに向けて自分の言葉を発信するには、ブログなど色々な手段がありますけど、中でもツイッターは難易度が高いと感じます。スマートフォンで気楽に言動を発信できますが、言葉の音感や抑揚がすっぱり抜け落ちて、活字だけが表示されるわけですから、最悪の場合、伝えたい内容と真逆の受け取られ方をする事だってありえますし、実際にそのような事例も多いですよネ。

social networking service〜ツイッターとかフェイスブックって、まさにネットワーク、「繋がる」が合言葉のようですが、これも良い事ばかりではなくて、悪い事も相応にあると感じてます。例えば、誰かがツイッターで「誰かを軽く嘲る」ひとことを発信し、面白がった人々がどんどん参加して「嘲笑自慢大会」に花を咲かせていく‥‥というのも、まさに「繋がってる」と言う事なんでしょうが、大勢が個人を嘲り笑って繋がる姿って、‥‥気持ちいいもの‥‥ですかね?

人名をわざと誤変換して「チョイ嘲り」するのも、ネットではありがちですが、私はその行為を実行した人の「心の状態」が端的に見えるようで、辛くて読むのを止めてしまいます。侮辱以外の何ものでもない(=意図して誤変換しているのですから)自らの発言に対し、「ツイッターだからジョークっぽく偽装できる」という発言者当人の計算が見えてしまうのも辛いです。何か含みのある誤記を面白がって、サッと寄ってサッと離れる連中の関心は、短期間引き寄せられるでしょう。しかしその代償は大きいと感じます。実際、「人の名前を、解っていながら誤記して、からかってみせる」人を、信頼できるのでしょうか。

アカウント単位で繋がっている状態って、逆に言えば、アカウントを削除すれば簡単に切れる繋がり‥‥ですよネ。そんなアカウントの数ほしさに、本当に大切な繋がりや信頼を捨ててしまうくらいなら、‥‥少なくとも私はアカウントベースの繋がりなんていらないと思います。

言葉には、意図が作用するものだと思います。しかしツイッターって、意図や意志が、場当たり的な口語調によって歪められるし、会話になると「売り言葉に買い言葉」の泥仕合になりやすいように見えます。何か「人間の弱点の増幅装置」なような気がして、今でも手を出してはいません。

私はブログのような、推敲と編集ができるスタイルがちょうど良いです。このブログのアニメ制作関連記事で、たまに、ある種「一定の人々に嫌われる」ような内容を書いたりしますが、それは当然、意図したものです。キツい上り坂を進むのか、楽な下り坂を進むのか、ここを終点として立ち止まるか、後ろを振り返って戻るか、‥‥という岐路を前に、誰もが喜ぶ進路選択なんて実現不可能だと思いますから、「来るのか来ないのか」「行くのか行かないのか」バッサリとした意志を文に反映させているのです。‥‥なので、私にはツイッターよりブログのほうが適しているのでしょう。

ツイッターは、もともと長文を分割発言する事を想定してはおらず、テキトーな短い会話でヌルく繋がるのが本来の目的だったんでしょうね。とは言え、誰もいない場所で打ったツイッターの1文字は、誰もいない場所で口から発した1音とは、明らかに重みが違う‥‥んですよネェ。

タミヤとピットロード

ここ数日、訳あってプラモデル作りに集中しております。人気機種はタミヤ、マイナー機種はピットロードやファインモールドなどの製品を購入して、ちくちくと作っております。

タミヤとピットロード。どちらも日本の特質を体現しているメーカーだと思います。

タミヤは惚れボレするほどの「おもてなし」品質。作りやすい‥‥と言うより、作りやす過ぎると言っても過言ではありません。例えば、左右対称また左右で2つ似たパーツがある場合は、必ず、差し込み穴の形状が変えてあって、いい加減に組み立てても間違わないよう工夫されています。モールドはシャープで繊細、誰が作っても一定以上の完成度となります。誰もが品質の高い完成品を得られるように、心配りが随所に行き届いています。

一方、ピットロードは、「手先の器用な人」向けの暗黙の威圧感を感じるキットが多いです。ルーズゆえに組み立てにくいキットは外国製品(特に欧州製品)に多いですが、ピットロードは「手先の器用な人」合わせゆえに組み立て難易度が高いのです。日本人は昔から手先が器用だと言いますが、「日本人ならこのくらい作ってみなさいよ」とプレッシャーをかけられているようです。超極小のパーツが多い割に、決して部品の精度は高くないので、ルーペと各種モーターツールでの削り出しは必須です。しかし、幾多の苦難を乗り越えると、タミヤ製品では得られない極めて細密感のある完成品となります。

タミヤ製品だと1日に1〜3個は完成させる事ができる(立体把握&撮影用のサーフェイス状態)のですが、ピットロードはそんなに甘くないです。矢継ぎ早にタミヤ製品を完成させた後、勢いにのってピットロード製品も完成させようと思いましたが、ガクンとペースダウン、息継ぎしながら制作しております。

ピットロードはその昔、作画サンプルとして艦船模型を購入した事がありました。米駆逐艦とか護衛空母とか、日本の大手メーカーが無視していた機種をどんどん製品化してくれてたので、重宝していたのです。戦記物ってさ…大和と零戦、タイガー戦車だけじゃ薄っぺらくなっちゃうのよネ…。20数年前に関わった架空戦記物は、絵コンテがロボットアニメクオリティ(ヒーローメカ&ヤラレメカ的な)だったので、ミリタリーの持つ物騒な感じがまるで出なかったのですが、いつかまたやる時はその辺の不満を払拭したいものです。でもまあ、機種選定も重要ですが、結局はレイアウトと尺‥‥なのよネ。
*ロボットアニメクオリティ‥‥についてですが、前にもどこかで書きましたが、「空母が被弾して沈没する(3+0)」にはまいりました。空母のような巨大船舶が爆発炎上して沈むのに3秒???‥‥ロボットアニメの見過ぎ‥‥というよりはヤリ過ぎか。6秒で3隻の駆逐艦に魚雷が命中して沈没‥‥とか、絵コンテの内容が無茶苦茶でした。リアルミリタリーでは、被弾したら円のヌリ同トレブレ‥‥という訳にはいかないんだからさ。

今作っているのは、AFV〜戦闘装甲車両〜のモデルです。AFVと言えば、香港のドラゴン、中国のトランペッターもよく購入しています。ドラゴンもトラペも、いいチョイスしてくるんですよネェ。

年明けぬ

年が明けて、通常業務を再開しました。

ふと現実を直視すると、仕事は山積み。私はプロセスを同時に走らせるタイプではない(というか、走らせられない)ので、複数のタスクを交互に走らせて、疑似マルチタスクで事にあたるほかありません。カレンダー(iCalすね)を上手く使って自己管理して、自分自身をマネージメントせんと。

作業に用いるプラモなんぞは、「自分の隙をついて」作らないと、時間が足りません。救いは、タミヤの最近のキットがパーツ数が少なく組みやすい割に精密感が高いので、時間短縮になって助かります。写真は偵察隊のバイクですが、その昔のタミヤ1/35ツェンダップのような飴が溶けたような感じではなく、キリッとシャープなキットです。反面、よく切れるニッパとデザインナイフ、ルーペ、モーターツールなどの準備がないと、とても短時間では完成できないですけども。

コンピュータのほうは、例の黒いゴミ箱を使う事になると思います。‥‥つーてもね、4Kモニタとかはまだまだ手軽に手に入るわけではないので、リアルタイム処理能力のほうに期待しております。絵を見て話しながらビジュアルエフェクト&グレーディングをするスタイルの作業がわんさか控えているので‥‥。

あとは、CLIP STUDIOをもう1ライセンス契約しようかな‥‥と思っております。今年以降は、AfterEffectsオンリーではなく、様々なソフトウェアをふんだんに使いたいと企んでいます。

正月休みの半分くらいは、ぬぼーっと過ごせたので、心機一転、高回転でこなしていこうと思います。

201[4]

2014年が明けました。おめでとうございます。

無事に年を越せて、ひとまず安心です。新年の豊富は‥‥有り過ぎて鬱陶しいので、できるだけ手短に。

HDで高解像度はひと段落なんて考えてたら、もう既に次の波が見えてきたようです。しかし、4K8Kだと電力村周辺が盛り上げようとしても、出し物が無ければ空のハコです。当分、4K8Kは実写オンリー?‥‥まあ、確かにリアリティが格段に向上した4K8Kの実写映像は呼び物の1つかも知れませんが、反面、「目視の代用品」としての性質が浮き彫りになるのかも知れません。目視の現実世界とは明らかに異なるのに、「現実感」「リアリティ」でジャッジされるのだとしたら、何とも分が悪い話ですが、実写ゆえの宿命とも言えそうです。
*「実写だから現実だ」なんて薄い話をしたいんじゃなくて(実写映画だって作りもの、ですからネ)、「一般的に、実写は現実と比較されがち」という話の事‥‥です。

私の作りたいのは、現実世界には存在しない、アニメーション映像作品です。リアリティが格段に向上した映像フォーマットで、非リアルなアニメーション作品を作るという、何とも愉快な創作。画像がきめ細やかで、動きがキモチ悪いほどに滑らかなのに、映っているのはあくまで人の手による創造物の絵。私の目指しているのは、「リアルなのにリアルじゃない」という境地なのです。

ですから、今の商業アニメーションを4K8Kでトレースしようなんて、全く思っていません。表現も技術も売り方も「振り出しからスタート」です。

なので、この新しい取り組みは、今のところ、クリエーターもエンジニアもプロデューサーもスポンサーも、自分1人でやらなければ、先に進みません。役割分担が成立するのは、前例(というか成功例)がある場合のみ、なのです。

いくつかの「点」と「点」が繋がって「線」になり、「線」と「線」が集まって「面」になり、「面」と「面」が組み合わさって「立体」になる‥‥という手順に対し、個人が「正攻法」でトライしたところで、成すべき事の多さに挫折するのは必至です。私は現場肌の人間なので、異なった発想による「工法」を編み出す事で、高く何重もあるハードルをクリアしたいと考えています。

「新工法」を考える‥‥と言っても、もはや技術だけに固執するつもりはありません。技術という局所だけを見つめ続けていると、ダシを染み出させるばかりで、それ以上は何も発展しない‥‥ですからネ。‥‥まあ、これ以上は申しますまい。

やろうとする事の広さや高さ深さを前にして、ダメになる理由・できるはずがない理由を考えたらきりがない‥‥ですが、私はそんなに悲観的ではありません。何故かと言うと、私が成そうとしている事が「人の手でいかようにでも描ける、アニメ」を作る事だから‥‥です。

この世界は広くて色んな人々がいますから、私なんぞが手出しできない事は沢山ありますが、絵を動かしてお話を作る事には、どうやら手が届きそうなのです。絵を描こうとする意志と、コンピュータのお陰で。

あ、結局、手短にはならなかった‥‥。

ではまた1年、頑張ります。

ジョバンニ

ここのところ、ブログがご無沙汰だったのは、「ジョバンニの島」というアニメーション映画のビジュアルエフェクト・グレーディングに大忙しだったからです。

 

私の作業内容は、いつも肩書きで悩むのですが、今回はコレ(ビジュアルエフェクト・グレーディング)で。

私ら作業グループの作業内容は、撮影ボード、バンク素材の作成、いくつかの特殊カットの撮影、全カットのファイナルエフェクトとグレーディング‥‥といった内容で、最後の追い込みはキツかったですが、作業品質を妥協せずに物量もこなせたので、良い経験値となりました。

ひと段落して思うのは、やっぱり、映画は「映画を作る」という事に尽きる‥‥のですネ。変な言い方ですが。

タイムシートの指示通りに素材を画像合成した映像は、言うなれば「素材合成画」となるわけですが、どのようにすれば「素材合成画」ではなく「映画」になるのかを、改めて実感しました。大きな事から小さな事まで、「合成」を「絵」に昇華させる「行為」が必要なのです。

私はアニメーション映画を作るのならば、「大画面のテレビ作品」にはしたくないと考えています。テレビはテレビの良さがあり、映画には映画の良さがあります。映画館に限定せず自宅の大画面の「ホームシアター」でも同様で、要は「映画としての風格」をどのように体現するか‥‥と言う事なのです。映画をブルーレイ&大画面テレビでみても、テレビ作品とは一線を画さないといけません。

コンポジット、ビジュアルエフェクトの技術で言えば、「映画とテレビの境」は確実にあって、映画向けのコンポジット技術・エフェクト技術を駆使する事によって、背景とセルの合成画像は「映画の絵」になるのです。特に高いマシンもソフトもプラグインも必要はありませんが、要素の取り扱い‥‥もっとさかのぼって言えば、作業意識と品質基準が大きく違うんですよネ。今回はiMacで全て作業しましたから、機材の話ではなく、技術の話なのです。
*iMac‥‥もちろん、モニタは別に用意してありますヨ。iMac本体のディスプレイでは映画制作には不適当ですから‥‥。

作業を進めるうちに確信したのは、映画を作るのならファイナルエフェクト&グレーディングは必須だな‥‥と言う事です。バラバラに撮影された各カットのクリップが、直列に繋げてすんなり繋がるわけないですもん。ファイナル段階でエフェクトをかけて、さらにグレーディングも同時におこなって色や明暗を調整しないと、思うように絵がまとまりません。‥‥実は2003年の「イノセンス」ではポスプロの「ドミノ」という処理工程が作品の統一感をより一層高める働きをしていましたが、2013年はそれがプロダクション内で可能になった‥‥という事ですネ。

「ファイナルエフェクト&グレーディング」が「撮影のエフェクト処理」と違うのは、監督と映像を見ながらリアルタイムで映像に処理を加えるところです。ラッシュチェックでリテークを出して再撮するのではなく、その場でどんどん絵を作り込んでいくので、時間的なロスが極小で、かつ監督のイメージを具現化しやすいのが特質です。

ですので、映像のイメージを持つ監督、演出指示をリアルタイムでオペレーションできる作業者でないと、作業システム自体が成り立ちません。監督・演出も作業者も「悩んで止まる」ようではダメなのです。

「ファイナルエフェクト&グレーディング」は、微細なニュアンスも監督と一緒にその場で確認して絵を作れますので、「並撮」っぽいカットでも、すべて「作品作りのニュアンスエフェクト」を加える事ができます。「かかってるか、かかってないかわからない」微妙な空気感エフェクトでも、実は浸透圧的に観る人々に伝播していくものですから、映画的には重要なエフェクトなのです。
*「何もエフェクトをかけず、スキャンしてペイントした素材を撮影するのが、本来の姿だ」と思う人(特に作画の人)は多いのですが、それは大きな見当違いです。シンプルなフィルム時代の「並撮」(背景とセルだけを撮影する)であっても、光学レンズ、照明、空気(空気中の乱反射体)、フィルム特性という「効果(エフェクト)」が自然と加味されて、あのようなルックになっていたのを忘れてはいけません。また、スキャナによるスキャンも「原画の本来の姿」を読み取っているわけではありません。何の処理もせずに、ペイントデータと背景画像を合成する事ほど、粗雑で乱暴な行為はないのです。何も処理をしなければ、そこにあるのは、ちぐはぐな素材の重ね合わせだけ‥‥です。

今回のジョバンニは、「アニメーションの映画」とは何かを、改めて実感した作品でした。やっぱり、大きな部分はもちろん、小さな部分、極小の部分もおろそかにしてはいけない‥‥という事をしみじみ感じました。

Kindle Fire HDX 8.9

Kindle Fire HDX 8.9。‥‥う〜ん、呼び名が長い。以後は「HDX8.9」「HDX」でスミマセン。

HDX7の「青グラデ」問題に衝撃を受けた私は、結局、お高いHDX8.9を買ったのですが、HD8.9とはハードウェア面で大きく進化しており、満足しております。

HD8.9は、安くなった今を狙って別途購入しましたので、HDX8.9との比較ができるのです。HDはしっかりとした重さを感じるのですが、HDXは軽いし薄いです。HDXは梱包を解いて手にした途端に「軽い薄い」と実感しましたが、HDのほうは、HDXを先に手にしていた事もあって、石版のような重さを感じました。

肝心の絵のほうですが、HDX8.9はかなりきれいで、テスト映像を作った私自身の目からでも「このレベルで映るのなら、かなりイイ」と感じるクオリティです。HD8.9のほうも十分きれいではあるのですが、既に前iPadを所有している事もあって、感動は薄め‥‥でした。

ただ、細かいテストはまだしておりません。本業が修羅場に突入しておるので、イジる時間がありません。正月休みで色々テストしてみようと思います。
 
  1. グレーのバー(=帯域別に変なよじれが無いか)
  2. ブラックのバー(どこまで暗さを表現できているか)
  3. ホワイトのバー(どこまで明るさを表現できているか)
  4. いくつかのサンプル画像(目視判断‥‥色彩計は自前で所有してないので)
  5. 映像のビデオ解像度の上限
  6. 映像のフレームレート上限
  7. 許容するファイル形式及びコーデック
  8. いくつかのサンプル映像

‥‥あたりをまずはテストしてみて、HDX8.9の基本スペックを調べたいと思っています。過度な期待はしていませんが、良い結果になるといいな‥‥。

HDX8.9は確かにきれいですが、型落ちのiPadくらいの値段がするので、「Kindleは安い」という印象は薄いです。また、iPadの機能を全部まかなえるわけでもありません。iPadからKindleに乗り換え‥‥とは中々いかないように思います。

ただ、「セカンドパッド」的な役割なら、十分こなすと思います。iPadと同じ機能を持てないという事は、逆に考えれば、身軽にできるという事でもあります。何でもかんでも詰め込もう‥‥という気にならないので、「魔Pad」にならずに済みます。

HDX8.9のようなディスプレイ品質の高いデバイスが各家庭に広まっていけば、少なくとも2Kまでは、高密度映像を配信できる可能性が生まれる‥‥という事です。2Kをビロ〜ンと引き延ばして40インチに映し出すのではなく、引き締まった絵で9インチに映し出すほうが、わたし的には好印象なんですけどネ。

(諸事情で何度も使い回しで申し訳ないですが)下図の2.5Kダウンサイズ版をHDX8.9で移し出してみたところ、髪の毛の1本ずつのニュアンスがちゃんと出てくれて、繊細に描写できていました。



このブログの縮小版画像(540px幅が上限)よりは、遥かに奇麗な描写がHDX8.9で実現できていたので、今後のテストの期待も膨らみます。

4Kは恐らく、2Kに縮小しないとHDX8.9では映像再生できないと予測していますが、2Kでも家庭用テレビで見るよりは意図したイメージに近くなります。今のアニメでは定番の「チラつき防止のボカシ」を入れずに、シャープで克明なまま、ユーザに配信できるかも知れません。「繊細な絵が、繊細に動く」のをまず最初に体験できるのは、現時点で高価な4Kテレビや4Kモニタではなく、入手しやすいKindleやiPadなのかな??

でもまあ、ハードウェアのテストも必要ですが、同時に「演し物」も必要です。どんどん先に進まねば‥‥。


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