シート

タイムシートって、テクニカルの「パワーリミッター」みたいなもんだな‥‥と最近つくづく感じます。

リミッターでパワーを制限しているから、昔ながらの生活道路でも事故を連発させずに破綻を防いでるんですよネ。馬力はせいぜい7馬力まで、49ccの排気量にあえて抑えて、最高速度も60km以上出ないようになっています。

もし、最新映像技術のパワーを解放して、大馬力・大排気量で昔ながらの狭路を爆走したら、重大事故の連続です。

どんなに最新技術パワーを発揮できるマシンやソフトウェアがあっても、タイムシートの規則に従う限りは、30〜60kmの速度制限と曲がり角の度に停止標識を守らなければなりません。タイムシートは事故防止の番人でもあるのですから。

今の作画方式でも、実は100馬力、1300ccくらいまで「エンジン」をチューンできるんですよネ。つまり、秘めたるパワーがあっても、走らせる場所がないのです。バイク乗りや車好きの人なら、この表現はよくお解りかと思います。

タイムシートを大改正して、道路区画も整理すれば、昭和30年代の未舗装路のような交通状況から一変できるとは思います。

このお話は、見方を変えれば、「いつから、タイムシートは進化が止まってしまったんだろう」と疑問に思う人が、業界にどれだけいるのか‥‥ということでもありますネ。疑問に思わない人が多ければ、たとえデジタル作画に移行しても、タイムシートの仕様にパワーをリミットされ続けます。

また中には、60km制限のままでいいよ‥‥という人もいるでしょう。私はもうのんびり暮らしたいだけだ‥‥と。

そういうことを考えると、技術基盤で「行政区画」を分けるのが適当だろう‥‥と思い至ります。「昔ながらの行政区」と「新時代の行政区」。でも、そうなると、業界はもはや「作業を融通し合う一枚岩」の状態ではなくなります。

そしておそらく、現在40〜60代の層と、30〜50代の層、20〜40代の層は、それぞれに独自の思惑のもと、業界内でクロスオーバーしていくことでしょう。

こうした様々な状況の変化が、今後の「タイムシート」のディテールとして現れるように思います。考えてみれば、タイムシートは「思惑の鏡」みたいなものですからね。

ちなみに私は、新しい制作技法ではタイムシート自体を廃止しています。なぜって、あの書式では技法の要約を表現できないからです。

‥‥そういうことも含め、やっぱりタイムシートは興味深い存在です。

4K60pのアニメの未来を考えてみる

UHDのBlu-rayとか、Thunderbolt3とか、時代はどんどん先に進んでいきますネ。

4Kで24pのアニメは、もう大体、落とし所は見えています。24pで作っちゃったものを60p変換なんて姑息なごまかしをせずに、制作当初から「24p on 60p」でやれば良いのです。
*ちなみに、たまに今でも、30p対応で「1234456788」みたいな解決法を目にしますが、それだと動きに引っ掛かりが出るのでNGなんですよネ。プルダウンなどのフィールド合成をレンダリングしちゃうのは、セパレートフレームが汚いので前時代の代物ですしネ。

でも、アニメの24pって、キャラなどのメインの被写体の動きは8〜12fpsですから、4K8fps、4K12fpsをUltra HDフォーマット上でやったところで、「キャラは4Kなの?」と4K効果をほとんどアピールできないでしょう。どんなに社会のテクノロジーが発達しても、アニメは8〜12fpsから進化できないんだな‥‥と見くびられそうです。

美麗に描きあげられた背景美術は、4Kでかなりの効果を発揮できると思います。日本のハイクオリティな背景美術はむしろ、4Kのポテンシャルを宿命的に欲していると言っても過言ではありません。しかし一方で、ストーリーの演者たるキャラの作画が、「線がちょっと繊細になったかな?」くらいの4K効果では、キャラだけがどんどん見劣りしていきます。日本のアニメーター自体の技術は高いのに、旧来技術体系のベース上ではそのハイテクが、4Kではうまく機能しないのです。

今の作画技術体系で、中途半端に4K対応をしたところで、その効果は著しく低い結果となる‥‥と思います。かかるお金の割に、効果が画面に出ません。

‥‥実際、今の作画内容が4Kで動いた時、どんな絵になるかを頭の中で想像しただけでも、「‥‥‥?」となりますよネ。現在のアニメ作画を4Kにしたところで、具体的な4K導入効果はイメージできないのではないでしょうか。

なので、現在アニメ業界で導入しようと画策している「デジタル作画」の未来展望に、イマイチ、私は関心が持てないんですよネ。描く行為がペンタブへと変わりこそすれ、アニメーションの根本技術は4Kのポテンシャルを引き出す進化を勝ち得ていないからです。
*ペンタブ作画の技術発展の「ロードマップ」って、どんなものを計画しているのでしょうかね。まさか、ロードマップなしに漠然とペンタブ作画を推進しているわけはないだろうし。

だったら、ペンタブで4Kならではの細密で美麗な絵を1枚ずつ描いて動かせば良い‥‥とか思いがちですが、それってギャラ的に可能? ‥‥今の制作予算枠では絶対に無理ですよネ。細密で美麗な絵を何千何万と描くのは、どう考えても現在のテレビや劇場の制作費では無理です。

それに、絵の密度を上げて美麗な仕上げにすると、今度は動きの8〜12fpsがショボく感じられるようになるのです。簡略化された絵だから、8〜12fpsがほどよくマッチするのであって、絵の密度をあげれば、動きの密度も等しく上げていく必要が生じます。これは実際に研究やテストをして、高密度の絵を動かしてみれば、実感できると思います。絵の密度(線の密度だけでなくフィニッシュの密度も)を細密にした場合、おそらく、作画上で24fpsは必要になると思います。つまり24コマベタ打ちのタイムシートです。

ますます、今の制作キャパでは無理ですよネ。作画で4Kを意識した途端、破綻が見え始めます。

つまり、社会のテクノロジ進化に歩調を合わせて進み続けた場合、今のアニメ作画の技術体系では様々な要素で「袋小路」にぶち当たるのです。作画陣営はやがて「私たちはこれ以上、先には進めません」という行き止まりに直面します。

これは別の言い方で言えば、今の作画技術体系を使い続ける限りは、社会のテクノロジ進化と決別し、どこかの時点で「伝統芸能化」して存続させるしかない‥‥とも言えます。古典芸能と同じ立ち位置に立ち、「世の中がどんなに変わっても、私たちはコレでやり続けます」と腹を決めて宣言するわけです。旧来デザインを現フォーマットに対応させた4K8fpsでいいじゃない、フィルム時代の2コマ3コマの動きが日本のアニメの原点であり美点だ!‥‥と居直る姿勢を明確にするのです。

4K60pなどの社会の技術進化をふんだんに活用する未来のアニメーション技術か、古典芸能として旧来技術を守り続けるアニメーション技術か。‥‥その、どちらを選ぶのか。

どちらも茨の道です。新しいアニメーション技法の技術体系と制作システムの構築は困難の連続でしょうし、旧来技術はどうやって「時代遅れではなく古典」の芸能・芸術として社会に認知され生き残っていくかが最大の課題となるでしょうし。

実はとてもキツい、究極の選択が近い未来に待ち受けているのかも知れませんネ。






 

ガンプラ。

私はプラモ好きながら、ガンプラはずっとスルーし続けています。まず、子供の頃にガンダムに馴染まなかったのが尾を引いているのです。さらに、プラモの人気は、軍用機、軍艦、戦車が主役だったのに、ガンプラに主役の座を奪われた‥‥と子供の頃に苦々しく思ったからでしょう。多分、ルサンチマンが私の中に存在するだと思います。

が、しかし。‥‥です。

今度発売される1/144のHGUCシリーズのガンダムMk.IIは、ちょっとスルーできないな‥‥と思うのです。どんな前置きがあるにせよ、これはすごいでしょ。





何が凄いか、判らんでしょうか。‥‥関節です。

「ああ、こうして描けばよかったのかな」と長年のナゾの答えを、ドヤ顏で示して見せる、出色の出来栄えです。上図のポーズをサンプルで出す時点で、メーカー側の強い自信が現れています。確かに、これはスゴいですネ。当時描いてたからよく解る‥‥。

Z、ZZの制作当時にコレがあれば、「スカートから出るフトモモの処理」とか悩まなくて済んだワ‥‥。

私は高校時代に友達の手伝いでZガンダムの動画を描いたことがあり、卒業後に途中からZZガンダムのローテーションに入りました。‥‥なので、このへんのメカには馴染みがあるのです。
*高校生が原画や動画を描く‥‥って、今では想像しにくいでしょうが、1980年代当時は、東京近郊に住んでいれば、よくある事でした。私と同年代の人には、結構そういう人はいて、「進行さんが高校まで原画を回収しに来た」なんて話も聞くくらいです。私はソコまでエグくはなかったでしたが。

それに、ティターンズ仕様のダークネイビーグレーのガンダムMk.IIは、やっぱりかっこいいよネ。ガンダムそのものに幼少の頃の苦い思い出があろうと。


*ちょっと金田さんぽいポーズ‥‥ですネ。当時(ZやZZガンダムの頃)はご法度だったように記憶します。金田モドキは禁止だったような。


‥‥なので、アマゾンで予約してしまいました。ちなみにハマーンさんの搭乗していたキュベレイも12月末に新キットが出るようです。キュベレイって不思議なデザインで、当時若かった私(10代でしたな‥‥)にはとても描ききれるようなシロモノではなかったです。各部をどう処理したら良いか、迷いまくりました。



*なだらかな曲線が多用されていて、遠近感を出しにくかったのを記憶しています。まあ、私がヘタだっただけですが。


上記の予約商品に限らず、既に発売済みのガンプラ「HGUC」シリーズは、私が子供の頃に見たガンプラとはかけはなれた超弩級の進化を遂げており、ガンプラという色眼鏡なしに「製品」としてみた際、そのユーザエクスペリエンスのレベルの高さは、同価格帯の軍用機などのキットを遥かに上回っています。

まず、ランナーに並んだ出で立ちが美しいです。箱を開けた時の印象が良いのです。また、組立説明書もサイドストーリーなどを盛り込んで読み物として楽しめる構成になっており、「このキットを手にしたユーザが、どんなキモチになるか」までちゃんと練って製品を作っているのが、ヒシヒシと伝わってきます。「ユーザエクスペリエンス」がまさに製品に体現されています。

アカン‥‥。これに比べたら、ハセガワなどの旧キットのユーザエクスペリエンスなんて‥‥全く太刀打ちできないスね‥‥。現在発売中のスケールキット群の多くは、旧製品の刷り直しばかりで、ユーザに対する情熱を失っています。
*スケールキット(=スケールモデル)とは、実物(戦車や戦闘機など)のプラモの総称です。

ガンプラのキット内容はまさにオンタイムです。スケールキットは、昔の思い出に頼るばかり‥‥です。

でも、最近のタミヤの零戦とかは、ガンプラに負けてません。スケールモデルの問題は、そうした「ホットな製品」があまり発売されなくなって久しい事‥‥です。


*このタミヤ1/72の零戦はオススメです。ディテールの細かさ、パーツの精密さに絶句せよ。

「ファンが喜ぶ製品」‥‥この基本的な製品作りのスタンスが、ガンプラには豊富に含まれていて、スケールキットには(タミヤの一部の良い商品を除き)忘れ去られているのです。

スケールキットが時代と共に衰退しても、製品自体の問題で、しょうがないのかもなあ‥‥と、ガンプラとの対比でつくづく感じた次第です。

ガンプラ人気は堅調だと聞きます。そういう「売れてる」「売れない」などの話題をすると、業界ズレした人は、なんやかんやと何処かで聞いたような論説を展開しますが、ガンプラの製品そのものを見れば、「売れて納得」です。ユーザの製品体験を大切にしているのが、何も聞かずとも製品からグングン伝わってきますもん。ここまで工夫を盛り込んでいるガンプラが売れないのだとしたら、市場は闇です。堅調なのは何よりです。

まあ、私はこれから先もスケールモデルが主ですが(資料としても必要なので)、ガンプラの製品作りの姿勢は、学ぶところも大きいですネ。

倒れる

ここ2回くらい、深刻な話題を書きましたが、期せずして、アニメ会社の倒産の記事をネットで見ました。

実は私、20歳半ばの頃に、自分の席があった会社が倒産したことがありました。小さな会社でしたから、社長さんとの距離も近く、スタッフ皆で家に呼んでもらったこともありました。倒産の半年まえくらいから、お金の支払いが乱れ始めて、不渡りが発覚する前夜には役員の人が高価なビデオ編集機などを運び出したりして、「倒産の現場」をリアルに経験しました。

倒産した後、私はフリーアニメーターで社員ではありませんでしたが、酷くみじめな気持ちになったものです。作品制作を引き取ってくれた制作会社のプロデューサーの方が以前に仕事でお付き合いがあったり、何よりも同業のフリーアニメーター(原画や作監)の方々がごく普通に接してくれた事は救いでした。一方、動画の何人かには「こんなのやりたくねーなー」とか明からさまに嫌味を言われたりしましたけどネ。

今日の今日まで作業していた会社が倒産したり、苦楽を共にした人が職場で倒れて帰らない人になったり。‥‥生きていくうちには、色々な事があるものです。

ネットがいくら発達しても、経験だけは手に入れられません。悲報‥‥なんていう決まりきった単語を見かけるけど、何が解った上での「悲しみ」なんだろうな‥‥と思います。

倒産前日の最後に会った、社長さんのこわばった表情は忘れられないし、隣に座っていた演出さんが急死した際の、すべての力が抜け切った死顔も忘れられません。

前回の続きみたい‥‥になりますが、そんな人たちの顔を思い浮かべれば、経験は100%、否、120%、未来に活かしたいと思うのです。

過去

妙な自尊心に囚われていると、冷静かつ大局的な判断ができなくなるのは、まさに70年前の日本人が身を以て示してくれた事です。過去の作品や業績の栄光にすがり続けていると、事態の変化を見落とし、合理的な判断ができなくなります。

過去の経験と知識は強力な武器です。しかし、その武器をショーケースに展示して、「昔は凄かったでしょ」なんて、まさに公家と化した武士のようです。

昔の業績、フィルモグラフィなんて、振り返らなくても良いのです。重要なのは未来です。

もし、昔の事ばかり懐かしむのだとしたら、その人はもう刀が折れてしまったのです。

蓄積した経験と知識を、さらなる前進の橋頭堡にして、戦い生き抜き、切り開こうとする時、過去を懐かしんでいる暇などありません。教訓や足場にするのはいいけど、懐かしんで座り込んじゃダメです。

これから先、世界は変わり続け、アニメ制作も変わり続けるでしょう。自分たちはどう進むのか、または止まるのか、‥‥自分たちで決めていくしかないです。

今は相変わらず忙しいかも知れません。しかし、その「忙しさの質」は変わってきていますよネ。忙しさは安泰のバロメーターではありません。好景気の時も、大戦争に負ける寸前の時も、忙しいという状況は同じです。

アニメ業界の全体像を、忙しさに惑わされず、ここ5年、10年、20年の経緯を冷静に分析して評価してみましょう。さらに世界の技術の進化をリサーチしましょう。そして合理的に判断してみましょう。現実を見るのは嫌だとか、オレの時代はこうだったとか、目をそらさずに、あくまでクールに合理的に。

冷静に合理的にジャッジできる、クリアな視力と脳みそならば、同じく、どのように今後行動し展開すれば良いかは見えてくると思います。

武勇伝なんて、未来にとって何の糧にもならない、単なる思い出話です。

今が忙しいからと言って、未来が保証されているわけではありません。

過去、そして現在とどう向き合うか、当人のスタンス次第で、当人の未来も、当人の関わる周囲の未来も、大きく変わってしまうものなのでしょう。

わたくしとアップル

私が一番最初にメインで使ったApple製品は、Macintosh Quadra650で、某クライアントからの貸与品でした。その次はPower Macintosh 8500/180、同時にWindowsはGatewayの100数十メガHzのCPUのものも使っていました。

そして、初めて「パソコン」を買ったのが、コンピュータを仕事でイジりだしてから1年ほど経過した頃のPower Macintosh 8600/250です。1997年当時、パソコンのハードウェアについて疎かった私は、買う直前までWindowsかMacかを悩み続けていました。最終的になぜMacに落ち着いたかというと、アップルスクリプトや機能拡張マネージャーなど、若干ではありますが、ユーザにフレンドリーな気がしたからです。他愛のない話かも知れませんが、Osakaなどフォントが親しみやすかったというのもありますし、何でもアイコンをつけるスタイルも「ビジネスぽくなくて」好感が持てたのです。

しかし、その当時は、アップルに不穏なウワサが少なからず流れていて、「買収される」「倒産する」など、ユーザの不安を煽る状況を、よく雑誌などで目にしたものです。スカリー時代に、ビジネスユーザへの売り込みで決定的な敗北を喫して以来、迷走を続けるアップルは、現在の2000億円の社屋を建てたり、CEOが中国国家主席と直に話すような世界有数の企業ではなく、いつ消滅してもおかしくない危ない状態を続けていたのです。1990年代後半、リアルタイムでそれをヒシヒシと感じておりました。

そしてジョブズの復帰(一度、アップルを追い出されて、自分で会社を立ち上げて、瀕死のアップルに帰ってきた)してからのサクセスストーリーは、ジョブズ時代から始まった「i」製品が示す通りです。iMac、iPod、iTunes、iPhone‥‥と「あの瀕死のアップルがよく‥‥」と長年のユーザーですら目と耳を疑う復活劇を成し遂げたわけです。

思えば‥‥です。アップルって、ビジネス戦争に負けて、瀕死になったのが、結局良かったんでしょう。

もしマイクロソフト&IBM陣営との戦いに勝利して、一般企業のビジネス用途に広く普及していたら、今のアップルは確実に有りえなかったと思います。どうやって生き残りをかけるか‥‥という企業としての闘争本能は発揮できないまま凡庸なOSとして「飼い殺し」みたいな状態になっていたかも知れません。

2000年初頭に「サウンドジャム」の開発元や「ロジック」のEmagic社を買収したアップルの動きを見たとき、「なるほど。そっちの方面に完全にシフトしたんだな」と思ったのです。大負けしたビジネス用途でのシェアにはもう手を出さない代わりに、人々のプライヴェート用途をごっそり取りにいく戦略に切り替えたんだな‥‥と、買収した会社のメンツを見て感じたのです。買収した会社の一覧を見れば、その当時のアップルの野望が見えてきますよネ。

今度のiPad ProとApple Pencilは、どうなるのか。アップルが「何を獲得しようとしているのか」は、「Windows版に負けない、素晴らしい会計ソフトを開発しました」ではなく、デザイナーやアーティスト、クリエーター、映像制作者に訴えかけるガジェットをリリースすることから、おぼろげに浮かび上がってきます。

まだイジっていないので、iPad ProとApple Pencilの性能は未知ではあるのですが、Appleは「良くも悪くも」プライドの高い会社なので、Wacomが既に存在している以上、失笑を買うようなブザマなものは出してこないでしょう。

だって、わざわざ、このタイミングで「液タブ」版iPadですもん。後発の常として、先発を凌駕しにかかってくるのは、当然でしょう。

おそらく、ペンタブが事実上のWacomの独占市場になった時、ペンタブの進化は鈍化してしまったのでしょう。10万円以上する液晶タブレットの性能がイマイチ、イマニ、イマサンくらいで、数年後にちょっと性能の向上した10万円以上する新しいモデルを出しました!‥‥と言われても、「もう買わないよ‥‥懲りたから‥‥」としか言えませんもん。

アップルは社内に大勢のデザイナーを抱えているでしょうから、Wacom製品の如何ともしがたい状況は「デザイナーの不満」として、もしかしたらアップル内部で声が上がっていたかも知れませんね。あくまで想像ですが。‥‥アップル内部に対するアイブ(デザイナー上がりの人スね)の影響力を考えれば、「自分たちで未来の鉛筆を開発しよう」と考えたとしても不思議ではありません。

私も最近、ペンタブによる清書をおこないましたが、アシスト機能を持たないPhotoshopでの清書は「苦行」以外のなにものでもないです。せめて、ペンタブに新しい技術の波が来てくれたなら、もっと状況は変わるのに‥‥と痛いほど実感しました。

下世話な話ですが、アップルくらいの「大金持ち」でなければ、「新世代の電子鉛筆」は作れないのかも知れませんネ。

まあ、こんな話を書くと、昔の人は「アップル信者」と思うのかも知れませんけど、私が信じているのはアップルではなく、「人とコンピュータのちから」です。映像作品・映像商品を作る用途において、人がコンピュータと共に作業する際に、現在一番「勝手が良い」のがアップル製品だというだけです。ビジネスユーザが無理してiMacを使うのは滑稽ですが、デザイナーやクリエーターが無理して汎用Windowsマシンを使うのも同様に「遠回り」なように思います。

ただ‥‥ねえ、アップルが変な気をおこして、「昔負けたビジネス戦争に勝ってみたい」とか思わなければ良いんですけどネ。もういいじゃないの、ビジネスの市場は。


で、気になるiPad Pro&Apple Pencilのお値段は‥‥。

128GBで15万以下だと嬉しいなあ‥‥と、思って調べてみたら、大体128GBモデルが12万、Pencilが2万で、合計14万円くらいのようです。‥‥発売が開始したら、速攻で買いますワ。すぐに私の仕事やプロジェクトに活きますもん。

iPadで動作するPhotoshop Fixとやらもリリースされるようですし、絵を描く人間にとって、しばらくはiPad Pro周辺は気になるところ‥‥です。

炭水化物系とタンパク質系の知識

業界の独特な時間進行に慣れきって、さらにはパソコンに向かう毎日を続けて、人生40余年。そろそろ生活習慣にワンシフト加えたいキモチになってきました。食事も、少なくとも炭水化物(ひいては糖質)の摂取量に気が回ってくるようになりました。

また、技術の転換期を迎えようとする中、ふと、技術って、炭水化物的な知識と、タンパク質的な技術があって、両方は似ているようで機能は全く異なるんだな‥‥としみじみ思いました。

炭水化物系の技術‥‥すなわち、即、エネルギーとして活用される知識や技術は、業界に入ってからたくさん「摂取」するようになりました。炭水化物や糖のように、今すぐ必要で即効で役に立つ知識は、作業現場で得ることができます。

では、タンパク質的な技術や知識ってなんだろう‥‥と考えると、オフライン(=プライベートな時間)の趣味とか、当座は仕事に関連しないけど、「そのうち役にたつ」であろう知識です。

すなわち、仕事で目一杯になる社会人になると、炭水化物系の技術はどんどん摂取し消費するけども、タンパク質系の技術は中々蓄積していかない‥‥とも言えます。

つまり、タンパク質系技術を摂取するのは、子供の頃、学生の頃がメインになると言うことです。

‥‥で、中堅の作業者になってくると、現場で消費される技術だけでは頭角をあらわすことは難しく(数だけが物言う現場や年功序列な現場ならまだしも)、以前に身につけておいた筋力、要はタンパク質を摂取した子供時代・学生時代の蓄積が、ものを言うようになるわけです。

ここはこんな見せ方が良い、こんな表現もある‥‥と、アイデアが湧き出してくるのは、子供の頃に好きだった絵本や学生時代に取り組んだ自由課題が源泉だったりするのです。

炭水化物系の知識だけだと、人生の中期以降に息切れしてきます。現場促成の技術で経験値は積むことはできても、「アイデア力」「発想力」といったキーマンに要求される素養は一向に身につかず、単に「出来高だけを期待される戦力」としての自分しか見出すことが出来ません。40〜50代に誰しも実感することでしょう。

おそらく、40〜50代に求められる「現場の資質」とは、アイデア力と現場の豊富な経験値に支えられた統率力だと思います。炭水化物系知識だけでなく、日頃からタンパク質系知識も意識的に摂取しておかないと、映像制作者としての身体は形成できません。

今、つくづく、子供の頃に絵本やレコードに親しんでいて良かったと思いますし、市の図書館に画集があって良かったと思いますし、学生時代に油絵やバンドをやっていて良かったと思います。全部、モロに今の自分に活きていますもんネ。

学生時代に焦って、「即戦力になろう!」と頑張るのは、実は私がそう思い込んでたのでよくわかるのですが、アマチュア時代の人聞きの即戦力知識など大した役には立ちません。現場に入れば半年で生身で覚えられるのですから。
*アマチュア時代って、会社の求める「即戦力」のフレーズを深刻に受け止めすぎちゃうのですが、ぶっちゃけ、実際の仕事をすれば「イヤでも覚えざる得ない」ので、アマチュア時代にやっておくべき事って、即戦力のための勉強じゃないんだよね。それに、「新人募集」しておいて「即戦力」なんてあり得ないわけですから(だったら、最初から「経験者に限る」と書くよね)、「即戦力」って要は「即戦力になれるくらいのガッツと、機転の利く人間がイイ」と言ってるわけです。

逆に今の私に、とてつもなく重要な知識は、あらゆる時代のあらゆる国の画家たちの画集を図書館から借りまくった事や、業界に入ってから趣味でフィルム写真をアホほど撮りまくった事、音楽のアナリーゼらしきものに熱中した事です。仕事には直接結びつかない色々な事が、今の自分の役どころを支えているのです。

ただまあ、999の鉄朗くんが大人たちの言葉に上の空だったように、当時の私も、がむしゃらに走るだけだった‥‥とは思います。

それでもあえて言うのなら、ひと言。‥‥走り続けたいのなら「タンパク質を摂れ」‥‥です。

Amazon中古ストア

古本‥‥ではなくて、様々な中古商品を取り扱い始めたようです。その名も「アマゾン中古ストア」。‥‥と言っても、中身を覗いてみると、単に今まで扱っていたショップ委託販売の中古商品を集めているだけのような‥‥。

しかし、改めてアマゾンのラインアップを覗いてみると、何と乗用車まで取り扱っているんですネ。33万円の平成17年型のマーチとか。

33万円のマーチ。関東への配送料無料。2〜3週間以内に発送。‥‥普通の商品と扱われ方が同じなのが、何とも。

陸運局とかへの登録とかは自分でやるんでしょうかね。「コミコミ価格」はどこまでコミコミなのか。

エレキギターやエフェクターの中古もあるようですが、ボリュームポットの交換等をいざとなれば自分で出来る人じゃないと、結構コワい気がします。あからさまに消耗パーツですもんネ。MXRの「ダイナコンプ」が8,000円か‥‥。とびきり安いわけではないスね。

シンセは、やっぱりと言えばやっぱり、ビンテージ系はそんなに安くはないですネ。JUNO-6とかSH-101とかが10万円、MONOPOLYは17万円。デジタル波形のシンセは当時の価格の1/10以下とかでも売ってますが、アナログシンセは根強い人気があります。アナログシンセの「電気回路に通電して音を出してる」感は、デジタルには無い魅力ですもんネ。

DX-7は24,800円か。初音ミクのオリジナルカラーになったシンセですよネ。オンタイムだった私は何よりも「TOTO」を思い出します。DX-21とか27でなく(DX-21は持ってた)、「80年代の音」を体現するDX-7はいつか欲しいんですけど、道楽以外の何物でもないので(本当に音が必要だったらLogicなどで呼び出し可能なエミュレータを買うべき)、今は我慢しときます。

中古のデジカメとかは、「ちゃんと動いてくれれば」結構お得な買い物かも知れません。よほど画素数が低くなければ、メモカメラ程度には十分使えますもんネ。実際、私がブログに写真をアップする際に、手元に置いてあるメモ用カメラは、もう7年くらい前のデジカメです。

実店舗という存在がどんどん希薄になっていきますが、それは商品販売全体に言える、時代が進んで変化するがゆえの宿命とも言えます。ただ、どんなに通販が発達しても、店舗じゃないと手に入らないものもあります。通販は万能ではないですもんネ。

パントリーといい、ビデオ配信サービスといい、アマゾンはどこまで手を広げるんでしょうね。

Amazon パントリー

「Amazonパントリー」なる新サービスが始まったようです。どんな小物でも定型の箱に詰められるだけ詰めて、送料290円で配送してくれるサービスです。

今まで小物過ぎて、通販だと買い難かった商品も、まとめ買いする事で手軽にサービスを活用できる‥‥というわけです。それぞれの商品には箱の占有率を示す「%表示」があるので、100%以内ならどんどん詰めていけるという注文の仕組みなんでしょうネ。

気になる単体の商品のお値段ですが‥‥

サントリーの金麦350mlが130円
クリネックスティッシュが5箱パックで248円

‥‥と、スーパーの通常価格を知っていれば、「特売には負けるけど、安めではある」感じなのが分かります。
*私はスーパーが好きで、旅行をするとその地元のスーパーに行くのを楽しみにしております。また、伊丹監督で好きな映画は「スーパーの女」で、サントラの楽しい音楽も良いですネ。

まあ、生鮮食品は通常配送(クール便ではない)なので無理でしょうから、頻繁にスーパーに行く人にはあまり響かないサービスかもしれませんが、20〜30代で働き盛りの独身・一人暮らしの人は、結構便利なサービスのようにも思います。また、過疎地で豊富に物品が手に入らないような地域でも、もしかしたら使い道があるかも知れませんネ。

ただ、まだ扱う品目が少なく、例えばキャットフードは「サイエンスダイエット」「ロイヤルカナン」などを網羅しておらず、アマゾンプライムや他のショップとの併用が必要でしょう。

しかしまあ、どんどんサービスが増えて便利なって、社会も少しずつ変化していきますネ。

思い起こせば、変化しなかった社会などなかったわけです。昭和が良かったという人もいれば、その昔は明治は良かったなんて言う人もいたでしょう。江戸時代生まれの人から見れば、明治生まれの人間は開国で浮かれているようにも見えたかも知れません。

自分の生まれ育った時代に愛着をもつのはごく自然なことですが、一方で、どのように時代が変化しているのかも、フラットにクールに見定める必要があるんでしょうネ。

Wikipedia

Wikipediaは現代の辞書ともいうべき、頼りになる知識の宝庫ですが、私は利用する際に必ず気をつけている事があります。それは、内容が不正確なことも多々存在し、文責の所在があいまいで希薄だという事です。内容の信憑性が低い可能性があり、文責の所在がはっきりしない‥‥というのは、そもそも参考文献として致命的ではあるのですが、Wikipediaはそうした致命的な部分を逆手にとって内容の充実を図っているとも思えますので、あくまで「Wikipediaを参照する側のスタンス」が問われると感じています。

例えば、アニメ作品の記述で「HD解像度で作業された」などの記述をたまに見かけますが、少なくとも2007〜8年までは劇場アニメに関してはHDではなくアメリカンビスタの画面縦横比で作業される事も多く、またラボや劇場も上映サイズはあくまでビスタかシネスコで、HDの16:9の場合は、僅かなレターボックスになる事が多かったのです。そして、HDの「解像度」でスキャン当初から作業している制作会社は稀で、「HD解像度で作業された」と書くと事実と異なってしまう事例も数多く存在します。実際、私が画像解像度の出力寸法制定に関わった作品でも、「HD解像度で制作された」と書かれているのを見かけた事があり、Wikipediaの記述を全面的に信頼して鵜呑みにするのは、危険な事だな‥‥と感じた事がありました。

自分の関わった物事に関する記事は内容の相違をジャッジできますが、他の記事に関しては知る由もありません。

つまり、Wikipediaを使う際は、他の文献も複数検証して、内容の「共通性」を確認したのちに用いるか、そもそも「話半分」くらいのスタンスで用いるか、使う側の冷静さが必要になってくるのでしょう。

以前に引用したインパール作戦のWikipediaの一節で、牟田口陸軍第15軍司令官が口頭で訓示したと記述される箇所に関して、私は最初、目を疑ったのですが、それは「本当にこんなヤツが司令官だったのか? 喋った内容は本当に確かなのか?」という信憑性の可否によるものでした。ごく普通に、冷静に考えて、以下引用のような事を泣きながら訓示するような人間が、軍集団の「司令官に任命される人事が実行されたこと」が、まず何よりも信じられなかったからです。

 

7月10日、司令官であった牟田口は、自らが建立させた遥拝所に幹部を集め、泣きながら次のように訓示した。

「諸君、佐藤烈兵団長は、軍命に背きコヒマ方面の戦線を放棄した。食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。これが皇軍か。皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」[37]

退却戦に入っても日本軍兵士達は飢えに苦しみ、陸と空からイギリス軍の攻撃を受け、衰弱してマラリア赤痢に罹患した者は、次々と脱落していった。退却路に沿って延々と続く、の湧いた餓死者の腐乱死体や、風雨に洗われた白骨が横たわるむごたらしい有様を、日本兵は「白骨街道」若しくは「靖国街道」と呼んだと三村秀氏は主張している。イギリス軍の機動兵力で後退路はしばしば寸断される中、力尽きた戦友の白骨が後続部隊の道しるべになることすらあった。



この文面の「口語風」の文章は、誰がどのように聞き取ったのか? 映像か音声が現存していて、そこからの文字起こしなのか? その場に居合わせた人間の回想だとしたら、その記憶はどれだけ正確か?

この牟田口氏の「訓示」を読んで、「ムキー!」となる人は多いでしょうが、まずムキッとなる前に、この文章の信憑性についての許容を自分の中にバッファしておかなければならないでしょう。私が信頼してきた年長の方は、何を吹聴されても同調せず、まずは事実を確認しようとします。私もそうでありたいと思うのです。

この口頭による訓示は、「責任なき戦場」206頁に記載されている‥‥とWikipediaの脚注は引用元を示していますが、その書籍「責任なき戦場」は同名のNHK特集の放映後、角川出版から出版されたもののようです。つまり、多少のバイアスは作用しているとみたほうが、自然でしょう。
*1994年放送の「責任なき戦場」は私も視聴しており、8mmビデオに録画して何回か見たので、記憶に残っています。

インパール作戦の概要と歴史的事実、そしてNHK特集の平均的な信頼性を鑑みて、「おおむね、牟田口氏の言った内容は、そんな感じだった」くらいには考えて良い‥‥とは思えるわけです。

まあ、要はWikipediaも、他のネットの情報と同様、最終的には情報を使う側のジャッジ能力と運用能力が問われるのでしょうネ。


しかし‥‥なあ、インパール作戦。作戦トップの司令官である牟田口中将の個人の責任と人間性・才能の問題は、私が思うに原因の3〜5割くらいに思えます。何よりも、牟田口氏を司令官として作戦トップに据えた人事とその人事に至る組織構造が、原因の7割くらいを占めると思いますヨ。人を悪者にするのは容易いですが、その悪者を許容し権限を与え物事を実行させた「組織の悪」が、一番、凶悪で凶暴なんじゃないでしょうかネ。

その「組織の悪」は、その組織構造ゆえに同じ事を人と品を変えて延々と繰り返すのです。「であるならば、構造改革を」とか言いますが、バカを言ってはいけません。その組織は、自らを滅ぼす改革などを受け入れるわけはないのですから、構造が変わるときは組織が完全に解体される時なのです。思うに、構造は「改革する」ものではなく、「解体して、作り直す」ものなのです。それは無条件降伏と占領政策を経た戦後を生きる我々が、一番よく知っている事ではないですか。

私も「構造改革」を夢見た時期はありましたが、どうも「ダメポ」ですネ。そもそも、時代の技術的なムーブメントによって、構造の足場が地崩れしそうな未来だからです。どんなに家の中身を住みやすく変えても、家自体が波に流されて倒壊するのだとしたら、新しい場所に新しい家を建てるしかないですもんネ。


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