私がAEを使い続ける理由

Adobeが「CC」を発売開始して、以前では考えられないくらい安価に、フルスペックのAdobe製品を使用できるようになったのは、つい1年前くらいの事でした。

一方、Nukeなどのプロ現場で使われるソリューションも30万円代から買えるようになったり(1年前のキャンペーン価格)、Smokeが50万円代だったり、個人でも「買えなくもない」価格になってきました。

しかし、私は今のところ、「CC」で充分だと考えております。一番現実的なのはCCだ‥‥とも思っております。

ソフトウェアやハードウェアは、「一度買ったら、それで安泰」ではありません。維持費やメンテ費用を忘れてはならないのです。今度出るMac Proだって、数年後には低速なマシンになっているしょう。2012年のNukeを2020年に使い続けられるんでしょうか。‥‥つまり、買い換えやバージョンアップの費用を、「導入したら最後」、払い続けなければなりませんが、高スペックな初期導入費用の高価な環境ほど、相応に高額となり、少なくとも個人ではかなり維持がキツくなるでしょう。

なので、ビデオ編集の仕事を高回転で回すようなプロ向けスタジオでも無い限り、例え購入したとしても、最新スペックの状態を維持できないのが現状だと思います。(アドビが目をつけたのも、そのへんだよネ)

私はビデオ編集スタジオを主宰しているわけではないので、NukeやSmokeが数十万円へと価格改定して安価になっても、「今の価格ではナシだな」と思ってしまいます。販売元にしても、CC互角の1ライセンスあたり月5,000円換算なんて、ありえないでしょうし。

そして何よりも重要な事は、そのハリウッド系のプロ向けソリューションが、私のニーズに応えられるか?‥‥です。

例えば、「銃を構えている女性」の1枚絵を描いた線画オンリーの原稿(原画)があるとします。そこから「線画にセル画風に色を塗って、"駆け寄って銃を3発撃つ(で、残弾が0になる)" アニメーションを作る」という事がAfter Effectsでは可能です。こんな感じで。



上のムービーの制作時間は、全く素材がゼロ(注1)のとこからスタートして、1人足(=つまり私一人)で半日です。リギング(注2)が大雑把なんで、少々「止め絵」感がでちゃってますが、このくらいの事はAfter Effectsで普通に基本機能だけで(操作が簡単だとは言いませんが)可能です。Photoshopでの背景作成も込みで「セル画風の映像を、どれだけ短時間でできるか」を数年前にテストしたものです。
(注1)YouTube画質ではわからないかも知れませんが、線画は速描きしたのに加えて最近の定番の「ステッドラー」「こな雪」を使ってないので、線質がガサガサしてます。でも逆に、作風によっては「味」に使う事も可能でしょうネ。
(注2)2Dでもリグは重要で、リグ次第で制作時間やクオリティが大きく変わります。


Nukeとかって、線画のスキャン画像をポンと渡されて、完成映像まで作れるんだろうか。After Effectsは彩色はもちろん、いざとなれば背景だって描けますが、おそらくNukeとかはビジュアルエフェクトとか映像合成加工に特化してしまっていて、こんなキワモノ的活用法なんて考慮されてないんじゃないかな‥‥と思います。つーか、そんな事を想定しているソフトウェアって皆無だとは思いますが、少なくともAfter Effectsはその要求に応えてくれています。

私が今取り組んでいる映像の研究は、上のムービーのような「セル画時代のアニメの代用品」ではなく、ずっともっと先の意識、画具・画材としてのコンピュータの性能を活かしたアニメーション表現です。未来視点からすれば、上のムービーはまさに「極・初歩編」とも言えます。その「未来のアニメーション技術にとって初歩的な事」が、実質CCの何倍も維持費のかかるNukeに出来るのかな?

ハリウッド由来の高価な機材にココロを動かされるのは、もちろんあります。しかし、結局は総合的な判断で、After Effectsが一番「何でもできそうだ」というキモチに落ち着きます。

ただNukeとかも、「私がAfter Effectsに馴染んだ、同じぶんだけ」使い込めば、ひょっとしたら、キワモノ的操作ができるのかも知れません。‥‥しかし、それにはAdobe CCくらい安くならないと、私は手を出せないでしょう。ハリウッド系機材に数十万も使って高い維持費を払うのなら、他の創作活動に投資したほうが「自分のタメになる」とも考えてしまうのです。

職場のハリウッド系機材で「お仕事」はできると思います。しかし、創作活動の日々のうねりの中で愛用されるのは、Adobe CCのような安価なソフトウェアだと思っているのです。

私は、AdobeがCCソリューションを始めたがゆえに、若い人の中から、やがて天才が現れる‥‥とすら思っています。「身近にある」というのは、それほど重要な事だ‥‥と考えています。

校正

不定期に書き続けているこのブログ。読み返すと、変な文(接続詞とか同じ言葉の繰り返しなど)をちらほら発見します。なぜ、書いてる時に気づかんのか。

修正前:
「Finderの検索対象から、起動ディスク直下の「ライブラリ」「システム」から外されて久しい」
修正後:
「Finderの検索対象から、起動ディスク直下の「ライブラリ」「システム」外されて久しい」

順次、発見したものからチクチク直していますが、修正箇所が多いのがイタい。

面倒な最近のOSX


MacOSXは、バージョンを重ねるごとに、システム関連のフォルダやファイルをユーザから「隠す」ように仕様を変更してきています。

Mountain Lionでは、ユーザフォルダのライブラリも隠してしまったので、いちいち面倒です。
*ちなみに、Mountain LionでユーザのライブラリフォルダにFinderで潜る場合は、Finderの「移動」メニューから「フォルダへ移動...」を選び、「/Users/自分のユーザ名/Library/」を入力して「移動」ボタンをクリックすれば、フォルダのウィンドウが開きます。自分のユーザ名はホームフォルダの名前を確認すれば良いすネ。/varや/etcもこの方法でFinderでフォルダにアクセスできます。

また、いつの頃からか、Finderの検索対象から、起動ディスク直下の「ライブラリ」「システム」が外されて久しいです。これも凄く面倒。「/var」「/etc」を隠したいキモチは、MacOSからの経緯を考えれば解るんですが、ライブラリのプリファレンシスくらいは検索させてくれよ‥‥と思います。

もちろん、findコマンドで検索すれば、あっけなく検索できます。(要su,sudo

つまりは、ターミナルを使う類いの人とそうでない類いの人を、明確に線引きしとるんだね‥‥という事です。「ターミナルを常用してないような人は、システム関連書類を迂闊にイジるな」という無言の威圧を感じます。

「ここから先は"Mac"ではなくて"UNIX"だ」との無言の警告は、「/var」「/etc」あたりを不可視にしている事で解りますし、実際、MacOSノリでイジってはならない書類がわんさか収納されています。MacOS時代にはなかった書類群ですから、MacOS9からのユーザの移行を考えれば、当然の処置だったとは思います。

しかしなあ‥‥システムの「初期設定」「機能拡張」フォルダくらいは、MacOSで検索や操作をしたいものです。まあ、今でも「場所さえ解っていれば」管理者権限で操作は可能なんですが、「場所を検索する際に対象から外されている」ので、探す際にどうしてもターミナルの出番となります。

私はMac68kのNetBSDでコマンドラインを扱ったのであまり苦には感じませんが、常用はしておりません。フォルダの中身を見渡すのは、Finderで普通に操作しますし、複製や削除もFinderです。apacheの設定書類をいじる時でも、miやTextEditを使うクチです。viは操作法を忘れがちなもので‥‥。システム書類だろうが、出来るだけFinderなどMacOS定番の操作方法で完結したいのです。

しかしMacOSXはバージョンを重ねるごとに、ユーザの能力をどんどん「低く見積もった」仕様へと変更していきます。「あんたら、システムなんて手に負えないでしょ?」と言わんばかり。

ターミナルがあるからいいか‥‥と思う反面、軽く屈辱的なキモチ。

プラグインの場所

MacOSXのAfter Effectsは(他のもかも知れませんが)、アプリケーション同階層の「Plug-ins」の他に、プラグインをインストールする場所があります。

CS6なら、
/Library/Application Support/Adobe/Common/Plug-ins/CS6/MediaCore/

CC(CS7?)なら
/Library/Application Support/Adobe/Common/Plug-ins/7.0/MediaCore/

です。

既にインストール済みの昔のプラグインをCCで流用したい場合は、ここらへんをコチョコチョッとすれば良いスね。32bitやPPCバイナリだとNGですけども。

しかし、なんちゅーか、Adobeも呼称がややこしいですネ。

After Effects CC(2013年夏現在)は、

 After Effects 12.0‥‥であり、
 CCのファーストバージョン‥‥だが、それはすなわち7.0で、
 なぜ7.0かというと、CS6の次のバージョンだから

‥‥という事で、ややこし! 販売形態を刷新した新しい「CC」のバージョンが7.0というのが、何とも。経緯を知らなければ、ナゾですよネ。

まあ、After Effects 3.1をリリースしてた頃は、未来がこんなふうになるなんて、予測もできなかったでしょうが。

核の傘の子

私は小さい頃から飛行機が好きですが、では飛行機好きがどの世代もみな同じ趣向かというと、大きく違うと思っています。銀翼・単葉・低翼・固定脚にみなノスタルジーを感じるかというと、そうでも無いような気がするのです。‥‥実際、確実に私は、大戦間の飛行機にはノスタルジーを感じません。

私がノスタルジーを感じるのは、センチュリーシリーズくらい以降の時代です。センチュリーシリーズとは、F-100からF-110(=F-4)の「100番台のアメリカジェット戦闘機」の事です。F-86とかはちょっとまだ遠いんですよね。

F-100
F-101
F-102 F-104
F-105
F-106
*F-110は改名によりF-4(有名な"ファントム"です)となりましたし、F-103, 107, 108, 109は試作&計画のみですから、実質はF-106までがセンチュリーシリーズと言えますネ。

もちろん、「プラモデルで昔の飛行機に馴染む」という道筋はあるのですが、少年期に「時代から受け取る雰囲気」と共鳴するのは、自身が生まれる10〜15年前の飛行機が限度だと思います。

私が少年時代の頃はまだ、「いつ第3次世界大戦が起こるか」「核攻撃の後、世界はどうなる?」と言った話題が、まさに「現役」でした。真綿のように吸収力の高い少年期において、時代の風潮や空気感は、当人に強い影響を及ぼすでしょう。私が小中学生だった頃は、夏休みともなれば必ず「世界の軍事兵器」的な番組があり、エンディングは「イマジン」で閉める‥‥というのが定石でした。NATOとワルシャワ条約機構軍、戦術核の使用、水爆は1発で関東一円を壊滅させる、核よりも怖い中性子爆弾‥‥などと散々恐怖を煽っておいて、最後にイマジンを流されてもなあ‥‥と、子供心に釈然としない感情を抱いたものです。

怖い時代ですが、表面的には平和でした。そんな曖昧な時代の空気が、私のノスタルジーと一致しているようです。私にとって銀翼は「死の鳥」のイメージです。良い要素ばかりがノスタルジーの中核を成しているとは限りませんもんネ。「田園に死す」もそうですけど。

ちなみに、アニメは時代(や地域)の空気を、制作当時には意図していなかった角度から伝えてくれる事があります。ディズニーの短編では、ドナルドが「かちかちタマゴ」(中に何が入っているかは‥‥)を掴んで爆発し、地球の裏側まで穴が空いて落ちていく‥‥なんていう話がありました。‥‥ウソ?と思いますが、50年代のアメリカらしいスタンスと言えます。マジンガーZでは、暴走したミネルバXが向かうのは原発でしたが、すなわち、「ブッ壊れたら絶対にOUT」という意識はもうその頃からあった‥‥という証ですね。

フィリックス・ザ・四白眼

マンガのカリカチュア化されたスタイルで特に好きなのが、黒目の四方に白目がある「四白眼(という言葉があるかどうかは不明ですが)」のキャラです。見たら最後、どうにも心が惹き付けられます。‥‥なので、シンプソンズのキャラは見た時から魅了されましたし、小さい頃はフィリックス・ザ・キャット(当時は正式名は知らなかったのですが)のガムが好きでした。

以下は完璧な四白眼です。



う〜ん。いいなあ。アメリカのキャラクターって、戦前の白黒時代のほうが、私は好きなんですよネ。

という事で、フィリックスつながりでVFA-31「トムキャッターズ」はどうにも気にかかる存在です。具体的には、以下の写真です。

F/A-18はともかく、F-14は、ロービジなんだかハイビジなんだか、訳がわからんです。国籍マークだけロービジで、効果あるんかいな。臨時行事の地上展示用とか何か訳ありかな?
追記:「その訳」が後日、検索してたら解りました。なんとVFA-31は「ロービジなんてイヤだ!」と、無彩色な塗装に頑強に抵抗していた部隊だったらしいです。「士気が下がる」との理由で。
イイネ!‥‥実にイイ。ますますVFA-31が好きになる。









しかし、これと似たような事を、日本のキャラで自衛隊機に施すと、‥‥こうはならんよなァ。アメリカのは、キャラが図形に近いからサマになるのかな。今の日本の萌えキャラを尾翼に描こうものなら、痛車みたいになっちゃう‥‥よね。ドラえもんでも結構違和感あるだろうし。‥‥それとも見慣れればイケるんだろうか。

さえずり

ブログは日記、ツイッターはつぶやき、‥‥とか言われますけど、普通、日記やつぶやきって私的な範囲に限られるものであって、不特定多数の人々に流布するものじゃないですよネ。つまり、結局は「みんなに聞いて欲しい、見て欲しい」事を公開するのが、ブログやツイッターなわけです。

「このブログは私の日記であって、ごく私的で内密なものだ」なんて言いつつブログを書いて公開する人がいたら、白々しいにもほどがあるというものです。私的なものを全世界に公開した時点から、それは私的なものではなく、実質的に公的なものになります。なので、私はブログやツイッターを、「プライベートな日記」や「つぶやき」だなんて、とても思えないのです。

しかしまあ、ブログやツイッターへの「日本人らしい扱い方」に至るキモチはわかります。「自分からは言いたくないけど、それとなく気付いて欲しい」というキモチ。ツイートが「つぶやき」なんて呼ばれる事自体、「大きな声では言えないけど、私の言葉を聞いて」というキモチの表れなんでしょう。日本人の平均的なキモチを表した和訳ですよネ。

「tweet」って普通に訳すと「さえずり」ですよね。さえずりって、鳥同士がコミュニケーションするために使うのですから、決して「つぶやき」なんかじゃなく、短文による情報伝達です。

つまりは、どんなに気軽なスタンスであろうが、ツイッターやブログって、特定対象に向かって限定的に送信するメールとは明らかに違って、全世界の人々に自分の言葉を流布する「公言」行為ですよね。どんなに砕いたスタイルの文だろうが、どんなに短い文章だろうが。

今年の夏は、ツイッターで色々あったみたいですが、その発信源の人々はおそらく、漠然とツイッターを「気軽」に身の近くにおいて、漠然と使っていたんだろうな‥‥と思います。

しかし、漠然‥‥と言いましても、実は心の底で、自己顕示の欲望のバイアスが作用していたとは思います。自分を他者に意識して欲しい、知って欲しい‥‥というキモチが皆無な人は、このような公開の場で言葉1つ発する事はないでしょうから。

ツイッター、ブログの類いは、公開処理を実行した時点で、「誰かに受け取って欲しい」という前提ありきです。この事を掘り下げて考えてみると、ほんの少しだけ、作品表現行為と重なる部分がある‥‥とも言えます。ただし、「他者に自分を見せたという"覚悟"」には大きな差がある‥‥とは思います。

絵を描く、作品を世に出す‥‥なんて行為は、自己顕示の「ハイテンション・ザ・ベストテン」みたいなものです。私は小さい頃から絵を描いて人に見せていましたが、絵を見た人が「良いね」と言ってくれるのが最高に嬉しかったものです。絵の中で自己を顕示して、「良いね」と言われればまるで自分が好かれたかのように嬉しくなり、「良くないね」と言われれば存在を否定されたかのように落胆する。‥‥「人に何かを見せる」というのは、そういう性質の行為だと思っています。

「創作行為は、自己の表現であって、他者なんか関係無い」という人は、わざわざ他人に自分の創作物を見せる必要はないですよネ。自分だけで楽しむ創作行為は全くアリです。しかし、そういう場合は自分の部屋だけに飾っておけば良いのです。「人に見せてもいい」「見せたい」と感じた時点で、すでに「他人を意識」しているわけです。でもまあ、「他人を意識してばっかりいる」と逆に「愛されない」原因にもなりますから、難しいのですけれども。‥‥自己露出の押し引き、駆け引きが難しい。
*他人の好みばかりを気にして、自己を顕示しないのは、結局「嘘つき」ディテールを増す事に繋がります。また一方では、自己を顕示するには、顕示する相手・対象が必要です。自己の表現を研ぎすます事は、決して他人を排除する事ではなく、むしろ目に見えぬ他者との強烈なシンクロニシティを獲得する事でもあります。それらをバランスする事は、とても難しい事でしょう。‥‥まあ、いずれいつか、そんな話題にも触れられたら‥‥と思います。

このブログはもちろん、他人の視点を常に意識しています。公開してるんだから、当たり前の事ですよネ。同感だけでなく、反論や嫌悪感も意識しております。現時点では、むしろ、同意・同感してくれる人のほうが圧倒的に少ないとすら思っております。人口全体の中で多数を占めるのは、中道やや体制寄りの日和見層でしょうから、私が書き綴っている事は、耳障りの悪い事が多いでしょう。その点も「覚悟」しております。

ブログは文の推敲が出来ますが、気軽に発信できるツイッターのほうがむしろ難易度が高いと思います。「文責」という面において。‥‥即行で「文責込みの短文を作る」のって異様に難易度が高くありませんか? ‥‥まあ、ツイッターごときと油断して文責など考えた事もないガードの緩い人が、話題にのぼりがちになるんでしょうけども。

だから、ツイッターを「上手く利用する」人々って、ちゃんと「体制」を組んでいますよね。戦略に基づいた「つぶやき」。故意に話題を呼ぶ書き方をする人もいるでしょうし、それも戦術・技術なのでしょう。一般人が「気軽なつぶやきツール」と思い込んでいる状況を上手く利用して‥‥ね。

ツイッターもブログも、公開した時点で「自分を全世界公開」する行為です。‥‥考えてみれば、凄い事です。しかし、それゆえに、言葉が好意的にも批判的にも受け取られます。どんな「つぶやき」でも、他者が絡んできます。公開までのプロセスは簡易ではありますが、実質はシビアな事だと思います。

ちなみに‥‥このブログのカテゴリ「大きなひとりごと」は、「つぶやき」に相対するカテゴリとして設定しております。ほんとに独り言をつぶやきたいなら、わざわざブログで文字を使って書かんですわな。誰かに読んで欲しいから書くのです。

ナゾの挙動

少し前から、AppleScriptの原因不明のトラブルに見舞われておりましたが、今日、ようやく「シッポ」を掴む事ができました。あくまで、シッポだけ、ですが。

トラブルとは、ドラッグ&ドロップのアプリケーションが正常に動作しない‥‥というもので、何が正常に動作しないかというと、ドロップした項目のうち数項目が無視される‥‥という内容のものです。

「またまた。単なるコード上のミスでしょ」とか思われるでしょうし、私も何度もコードを読み返しましたが、原因が掴めません。しょうがないので、「ドロップした項目数を確認する」ルーチンを組み込んでみたら、かろうじてナゾの挙動の「シッポ」を掴む事ができました。

シッポをもっとギュギュッと掴むために、ネズミ捕りのスクリプトを作ってみました。以下のコードでドロップレットを作って動作させてみたら、唖然とする結果が得られました。

on open theItems
    display dialog (length of theItems) as text
end open

変数theItemsには、ドロップした項目が代入されています。theItemsはリスト(一般的には配列と呼ばれるもの)なので、lengthで項目数を数える事ができます。

10個の項目(ファイルやフォルダ)をドロップすれば、当然、表示されるダイアログには「10」と出るはずです。しかし、トラブルが発生している環境で動作させると「7」とか「8」「9」などと数が減って表示されます。‥‥つまり、Finder操作でドロップした項目数が、on openで受け取っている項目数と食い違っているわけです。

ショック! 基盤を揺るがす大問題!

プログラムをやっている人なら、その重大さがお解りかと思います。ドロップした項目のうち、ランダムで受け渡されない項目が発生する‥‥なんて、ドロップレット作りの根幹に関わるトラブルです。

悩ましいのは、同じ動作を繰り返すと、やがて正常な数が表示される事です。10個ドロップして「8」と出た数秒後に、同じ動作でドロップすると今度は「10」と出る。ふえええ‥‥。

他でもMountain Lionは使ってるけど、こんな事、初めてだなあ‥‥と思い、自宅のMoutain Lion環境で試したら、何度やっても全く問題の無い正常な動作です。

自宅環境とトラブルが出る環境との違いは、思い当たるところ、マシンがiMac Late2012である事と、ドロップした項目がUSB3.0外付HDDの中にあるファイルだ‥‥という事くらいです。‥‥そんな事で、こげなトラブルが発生するか?

ファイルシステム上の何かがトラブっている? しかし、同じ場所に並んで同じ環境(iMac&USB3.0HDD)が2つありますが、2つとも同じトラブル見舞われているので、個体差ではないように思います。同じ構成のiMac環境で同じトラブルが出る。他のMac環境では発生しない。うーむ。具体的なような、そうでないような。

でもまあ、シッポを捕まえたので、逃がさないように手繰っていけば、トラブルの姿が見えてくるはずです。なんで、もうちょっとネバってみようと思います。

いんふら

ようやく、新しいデータベース「atDBx」を基幹とした運用システムを動かしはじめました。余裕のある設計にしておいたので、どんな類いの作品でも情報記録が可能となりました。今は部分的な運用ではありますが、既に新設計の恩恵を感じております。

作品ごとの「完全に独立した用語辞書」を設定できる仕組みにしたので、キーワードや略語で困る事が皆無となりました。作業工程の全要素を記録する事が可能です。また、作業用のアプリケーションソフトウェア(ヘルパー的なもの)がデータベースにリンクしているので、情報を手で入力する必要はなく、作業者の作業進捗にシンクロして情報も自動記録されます。

データベースは、ファイルサーバとも連携しており、各作業のマネージメントの他、作業進捗上のアーカイブも情報管理できます。当然ですが、Webサーバも連携し、情報(画像も含む)をブラウザで確認できる仕組みになっています。

iPadなどの普及した今でも印刷物は重要なアイテムですが、データベース管轄の印刷用ファイルには、すべてバーコードが刻印してあり、キーボード入力に頼らずとも各種情報の検索が可能です。まあ、バーコードの本格運用はまだまだ先でしょうが、ISBNのごとく仕様としてバーコード表記が定められているので、使う使わないに限らず印刷物には刻印されるのです。バーコードの読み出しは数千円のバーコードリーダで簡単に読み出せます。

また、現在はまだアクティヴにはなっていませんが、各種コスト情報(時間・難易度・金額など)の記録も可能です。標準仕様として既に設定されております。

こうしたインフラ構築の取り組みは、作業を快適にするため‥‥と言ってしまえば簡単ですが、では「快適な作業環境」とは何かと考えれば、ストレスなく作業に没頭できる環境の事です。これは、作業者本人の快適性だけでなく、作品全体のコスト面でも重要な事なのです。例えば、作業の前段階でインフラが整ってないがために作業に入れず、本来の作業をストップして、トラブル収拾のために何時間も充てた‥‥となると、コスト損失は明らかです。

インフラの構築。‥‥まあ、気の遠くなるような事なんですけどネ。でも、チクチクと作り続けていれば、案外、積み上がっていくもの‥‥でもあるんですよ。

多分‥‥ですが、アニメ業界仕様のアウトソース(外製)の作業進捗マネージメントツールって、永久に現れないような気がします。何故かって、ソリューションを売る側が商売にならんでしょうからネ。対費用の問題で、売る側と買う側の折り合いがつく事は無いと思うのですヨ。制作運用マネージメントツール〜アニメ制作専用のITアウトソーシングなんていう「24時間対応の責任重大なもの」を、アニメ業界の「期待する安値」で売って展開できるわけがありません。仮に買う側が大決断して、初期導入時に大枚を叩いても、その後のメンテ・維持の費用捻出がツラくなると思います。

結局はインソースしか無いと思ってます。「制作運用システムも、自分たちの強力な武器である」と意識する事が肝要かと思います。バトルオブブリテンでイギリスを守ったのはスピットファイア単体だけじゃないのは、ちょっと戦史をかじっていれば周知の事実でしょう。

Original Album Classics

長い事、似たようなジャンルの音楽を好んで聴き続けていても、ポッカリと「なぜか聴いていなかった」楽曲があります。

私は、中学生の頃に「Blow By Blow」を聴いて以来、Jeff Beckを好んで聴いていますし、私の世代ではありがちではありますがドラムスのCozy Powellは何だかんだ言って好きです。と言う事は、どう考えても、第2期のJeff Beck Groupをどこかで聴いていてもおかしくないのに、CDを買ってない事にまったく無自覚でした。不思議なもんで。

YouTubeで第2期のJeff Beck Groupを見てたら(映像と音が1拍ズレてて、異様にキモチわるですが)聴いてみたくなり、Amazonで探して購入。その際、様々な60〜80年代の音源が「Original Album Classics」と称して、5枚組2,300円くらいで売り出している事を知りました。

要は、アーティストが過去に順次リリースしたアルバムを、えいやと5枚セットで「まとめ売り」する企画モノです。アルバム1枚あたり500円未満なので、iTunesで買うよりお安いですネ。

ぶっちゃけ、手を出しあぐねていたアーティストも、この値段なら買って聴いてみようか‥‥という気になります。私はMahavishnu OrchestraとかSoftMachineなど、普段なら手をださないようなのを買ってみました。

現役のヒトから懐かしいヒトまで、かなり豊富なラインアップ。今はほとんど耳にしないコトバとなった「フュージョン」や「クロスオーヴァー」なども沢山あります。


私はまさにロックやフュージョン、ハードロック、ニューウェイブオブヘビーメタルの世代ですが、実は「家にロックを持ち込んだ」のは兄なのです。小学生の子供が、素でレッドツェッペリンやディープパープル、ヴァンヘイレンなんて聴くかいな。私はそれまで、子供らしく、アニメ主題歌やおよげたいやきくんとか、ビューティフルサンデーを聴いてたわけで。‥‥真綿のような子供時代は、簡単に何色にでも染まる‥‥ようですネ。

ちなみに‥‥。「凄い」をカタカナで言い表す時、「ハードだな」というのは70年代の風味、完璧にオッサンですな。「ヘヴィ」というのはバックトゥザフューチャーでお馴染みの80年代風。90年代以降の「クール」とか言うのは、正直、私は世代がズレてて恥ずかしくて言えません。私は「ハード」か「ヘヴィ」だけで一生充分です。

でもまあ、何でもハードを付ければ良いってもんじゃありません。ヴァンヘイレンの「Somebody Get Me A Doctor」の邦題が、「必殺のハード・ラブ」だったのは、当時中学生だった私も、さすがに恥ずかしいと思いました。


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