ストリートビュー、航空写真

Googleのストリートビューって、専用車で街を徘徊しているだけかと思ったら、水上バス・遊覧船の航路もイケるんですね。知らなかった。



しかし、GoogleMap。航空写真で航空基地まで閲覧できるので、色々と参考になります。駐機の様子なんて、中々解らないですもんネ。

下図は、極東のMig-31(だと思う)です。たしかに、アラスカ経由で来襲する米軍を迎撃するなら、この位置、この機種、ですネ。


アマゾンの画像関連付けが錯乱している案件

私は子供の頃、オバケのQ太郎と21エモンが好きだったのですが、今日、アマゾンで何となく検索したら‥‥。






‥‥‥。

一瞬、「アンソロジー」物かと思たよ。






オ‥‥オバケのQ太郎‥‥。21,000円。ちょっと似てなくもないけど、わざと間違えてないか?

アマゾンって、膨大なシステムだろうから、まあ、こんな事もあるでしょうネ。
 

新MacPro

去年末くらいに注文した人には、そろそろ届いている頃の新型MacPro、通称「ゴミ箱」ですが、私も本日、ビデオ性能を確かめてみました。MacProにはThunderbolt6つとHDMI1つがありますので、少なくとも3つのモニタには接続できる事を確認しました。

2560x1440のモニタを2つ、1920x1200のモニタを1つで、合計3つ。メインとなる2650pxモニタは2つとも60Hzのリフレッシュレートが必須ですが、接続方法が適切でないと30Hzにダウンしてしまいます。DVI接続はデュアルリンクが必要だったり高性能で高価な変換アダプタが必須だったりと、ハードルが意外に高いので、結果的には、Thunderbolt to DisplayPort(ミニじゃないヤツね)で接続するのが、一番面倒無いようです。

またHDMI1.4のビデオ出力もあるので、HDMI経由で2Kオーバーの解像度も出せるようです。ただ、接続形態(DVIアダプタをかますとか)によっては、本来の性能が出ないようなので、私の環境では1920x1200(16:10)でおさめています。

2ヶ月以上待たされたMacProを来週から本格的に使い始められるので、旧型MacProで苦労していた実写関連の仕事も、ようやく波に乗れそうです。

HDアニメのコンポジット・ビジュアルエフェクトでは遜色を感じなかった旧型MacProも、2Kのエグい実写ビジュアルエフェクトやグレーディングでは、もはや役不足を否めません。昔はあんなにアニメ撮影で活躍したのに驚くばかりです。実際、今のiMacの方(i7で32GBメモリ)が、旧型のMacPro(Early 2009とか)の2倍近いパフォーマンスを発揮する事すらあります。

でもまあ、アニメでこの先もレタス方式を続けるならば、4K/24fpsであっても旧型MacProも決して役不足とは言えません。現役で使えます。レタスの2値データは、データ量が極めて小さいので、HD解像度でも取り回しが楽なのです。現在、まれにレタス方式のペイントデータを扱うと、その動作の軽さに驚きます。今でも「キロバイト」単位のデータ量ですから、マシン速度で苦しむ事は少ない…と思います。

このような事を書くと、ハイスペックマシンこそが次世代高品質の「面白い」作品の制作必須アイテム‥‥のように響いちゃうのですが、「ハイスペックは面白さとイコールなのか」‥‥とよく考えます。‥‥まあ、すぐに「そんな事はない」と答えが出るわけですが。

16ミリフィルムの過去テレビ作品でも面白い作品は山とありますし、80年代の劇場アニメなどは今のリテーク基準では絶対にスルーしない信じ難いようなミスも放置されたままですが、それで作品の輝きが大幅に失われるか?‥‥というと、そんな事は決してないわけです。リテークを細かく潰して小奇麗に仕上げた現在の作品よりも、昭和40〜50年代の作品の方が、「魅力」の点で勝る事も往々にしてあり得るのです。

作品を作るビジョンやパッションは、高性能な作業環境や細かいリテーク潰しで補完できるものではない‥‥と私は思っています。作り手のビジョンやパッションを作品にロスなく浸透させるために、高性能な作業環境やリテーク処理があるわけです。

最近、実写の48fps作品の評判を聞いたり、新型マシンに触れたりすると、作品映像の魅力の大小は、決してマシンやフォーマットのスペックでは無いな‥‥としみじみ思います。48fpsをいくら使ったところで、作る側に48fpsの活用アイデアが無ければ、ただ単にヌルヌル動くだけでしょうし、4K8Kもただ単に解像度が高いだけに終始するでしょう。

48〜120fpsだから表現できる、4K8Kだから表現できる、このマシン性能だったら妥協を減らして一層表現に磨きがかかる‥‥のような、「作る側の強烈な意思やビジョン」が無ければ、いくら高スペックの環境を揃えても、使いこなせないままで持ち腐れて終わりです。性能の高いマシンや次世代フォーマットを用いれば、誰でも凄い作品が作れるなんて、あるわけないですもんネ。高い鉛筆と用紙を買えば誰でもうまい絵が描けるわけじゃないし、スポーツカーを買えば誰でもレーサーレベルの操縦技術になるわけではないのは、それこそ誰もが理解できる事ですが、コンピュータやデジタル絡みになると、その辺がゴマかされて幻想を抱きやすいんですよネ。コンピュータが本格的に普及し始めた頃、ハード&ソフトを売る側が「誰でもプロ並み」と喧伝した影響が、今でも根深く残留しているのかも知れません。その幻想の残留物は、デジタルでマトモに作ろうとしている人にとっては、実はとても迷惑な事(=根拠無しに雰囲気で、デジタルは楽だと憶測される)なんですが、どうしても払拭できないのよネ。

逆に言えば、強烈なビジョンを持っている人にとっては、高品質フォーマットや高スペックマシンは、アイデアのおもちゃ箱のように働きかけるのだと思います。かつての90年代のAfter EffectsやPhotoshopが、アイデア次第で色んな事が実現できたように。

要は「次世代に欲情できているか否か」だと思います。

で、新型Mac Pro。2.5Kの2モニタ同時映像再生(ProRes422HQ)は、難なくクリア。直近の現実的なお話しでは、旧型だと24時間と予測時間が出るレンダリングを、新型MacProは果たして、何時間でレンダリングするのか。

PowerMac8500/180、メモリ160MBでAfter Effects 3.1Jを使っていた頃が遥か昔に感じられますが、新型MacProもしばらく後には、懐かしいマシンになるのでしょうネ。
 

ジョバンニの島、公開

今日、2/22から「ジョバンニの島」(以後、ジョバンニ)の劇場公開がスタートしましたネ。ジョバンニは「作画&背景美術 押し」作品ではありますが、全カットもれなくビジュアルエフェクトが入っておりますので、空気感や季節感の質感表現にも注目して頂けたらと思います。「タイムシートには記述指定できない」ニュアンス表現を具現化するのはビジュアルエフェクトの大きな仕事の1つですが、例え作画中心のアニメであっても、映画のような長尺には必要なんだなあ‥‥と実感しました。

実は、「並撮」のようなシンプルな内容のシーン・カットほど、技術的なバックボーンが必須なのです。キャラと背景を組み合わせるのって、極めて基礎的でシンプルですから、逆に難しいわけです。「デジタルでは何もしていないくらい、普通に見える」のが、ジョバンニのスタンダードシーンの「正解」ですから、「ビジュアルエフェクトって、普通のシーンでは何をしてたの?」‥‥でバッチリOKなのです。

今回、私が担当したのは、いくつかの撮影ボード(撮影見本のようなもの)、バンク素材作成のいくつか、特殊なカットの撮影(クレジットには出ておりませんが)を少々、ビジュアルエフェクト&グレーディング(私を含めた全2名で全カット)と言った内容です。一見、キャラと背景だけのように見えるカットでも、シーンごとにフォーカス(輪郭表現)やシャドー、距離感などビジュアルエフェクトが加味されており、改めて、映画の絵作りのなんたるかを認識しました。私が気に入っているのは「吹雪」のシーンですが、雪そのものではなく、むしろカラーリング(色彩・明暗)やフォーカシングに「臨場感」のウェイトがかかっていると再認識しました。やっぱり、基本は、トーンカーブでどれだけ「空気」を表現できるか、ですネ。

今回のジョバンニは、以前にも増して、西久保監督のオーダーが繊細になっており、ビジュアルエフェクト&グレーディングの「性能」をとことんドライブされておりました。私らのグレーディングの後に、1日だけイマジカ・ラボサイドのグレーディングも実施しており、もしかしたら、アニメーション監督で一番グレーディングを使いこなしているのは、西久保さんかも知れませんネ。

ジョバンニの話を受けた当初、「作画アニメ」でどれだけビジュアルエフェクトの出番があるのか、懐疑的な心持ちでしたが、ふたを開けてみれば、全カットにエフェクトをかけないと「作品がまとまらない」事が解りました。まあ、よく考えてみれば、セルと背景を組み合わせただけじゃ、「収まりが悪い」スもんネ。だからと言って、「ディフュージョンの1番、2番」みたいな大雑把な質感の仕切りでは、「大きなテレビ作品」になっちゃいますし、ちゃんと真正面から「効果の大小こそあれ」ビジュアルエフェクトでがっつり表現しにいかないと、映画の質感にはならないようです。要は「画像データを映画の絵に仕立てる」勘所が必要なわけです。ビジュアルエフェクトの派手な作品よりも、より一層の技術経験値を必要とするのが、ジョバンニだったかも知れません。

しかし何だ、西久保監督は実は「家族愛」的な作品が得意なのかも知れませんネ。2年前の某CMもご一緒しましたが、あれも話題になりましたし。また、戦争ものって、往々にして教訓的、説教的、ある種「見た者への精神的懲罰」的なスタンスになりやすいですが、西久保さんのバランスが、そうなるのを絶妙に回避していたように思います。過度に感情的に流れず、淡々と感情と事物の進行を追う事が、逆に大きな作品効果を生み出しているんだなあ…と、グレーディングで何度も映像を見ながら感じておりました。

あと、ジョバンニは音楽も良いです。メロディを大切に紡いでいくさまは、まさに「日本のサントラの美意識」と言えましょう。ハリウッド調の「アクセントを過度に強調した」音楽とは一線を画す、美しさが際立つ劇伴です。基本主題を変奏して、物語の進行と結びつけていく様子は感動的です。ジョバンニの基本主題は何度も姿を変えて現れ、観客の心理を誘導していきます。わたし的には、純平とのデートのシーンで、ターニャの悲しげな主題(悲しき天使)が、幸福感で満ちた長調で変奏されるくだりは、お気に入りです。そのシーンのビジュアルエフェクトは私が担当した事もあり、絵だけでは手にできない、「音楽による映像の力」を実感しました。

しばらく、ロードショー公開していると思いますので、興味のある方は、是非劇場へ。。。

慣れれば、慣れる

何故、平安時代にジェット機を生産できなかったんでしょうか。平安時代にはジェット機を生産するための、根本的な資材〜もっとさかのぼって言えば、元素が地球上に存在しなかったんでしょうかネ。‥‥そんな事はないわけで、要は総合的なテクノロジーが発達してなかったからですよネ、大雑把に言えば。

思うに、昔の人の知能や身体能力がことさら低かったわけではなく、全世界規模の技術基盤や文化などが複雑に入り組んで「時代」を形成し、人々はその強烈な影響化にあったのだと思います。1935年生まれの戦前の新生児をタイムマシンで現在につれてきて、現代社会で育てれば、まさに「現代人」になると思います。人は「状況に慣れる」性質を持つ‥‥のかも知れません。

もっと個人レベルの視点で考えてみると、なぜ、子供・学生の頃は「下手」なのか。10代の身体に致命的な弱点があるわけでもないのに。「自身の肉体」という道具は存在したのに、何かしらの要因や意識が不足していて、「上手くできない」のです。

人が「慣れるイキモノ」だとするならば、古いものに慣れ親しむばかりでなく、新しいものに慣れる事にも、その性質を発揮したいところです。

「できるのに、できない」事は、次世代映像制作の取り組みをしていると、痛烈に実感します。「1年前に、このやり方が、なぜ想い浮かばなかったのかな‥‥」とか「妙に、昔の作法に縛られて、思考が凝り固まっていたな」‥‥などと、自身の発想の不自由さに歯がゆくなる事があります。

After Effectsで動きを作る事は、今の私には「できる事」です。ずいぶん昔のAfter Effectsでも動きは制御可能でしたから、要は今まで自分の中で「できないことにしていた」だけです。一般的に見れば、「撮影」という行程では、動きをAfter Effectsで作り出すなんて、じゅうぶん変則的ですし、旧式の撮影行程で撮影スタッフが動きに関与するのは御法度(動きのクオリティで考えて)です。しかし、動きの経験と知識を持った人間が、撮影とは全く別の視点でAfter Effectsを用いてアニメーションするのであれば、状態が全く異なります。

「できる事とできない事」の組み合わせは、言うなれば「de facto standard」です。実勢によって事実上の標準とみなされるようになった」とは言い得て妙で、自分自身・自分の身の回りの技術・趣向などにおいても、自らの認識で「実勢によって事実上の標準」とみなしています。そして人は、いつの頃からか「自分の実勢」の更新をストップし、「自分とはこういうもの」とばかりに、グローバル定数のように固定して設定しがちなのかも知れません。

でも、過去全てにおいて、実勢に甘んじて何もアクションしない人によって世界が満たされていたら、まだ石器時代以前のままかも知れませんネ。飛行機も飛ばないし、電話もテレビもない。もちろん、アニメも、After Effectsも存在しないスね。

個人レベルで言えば、自己の「de facto standard」は、言い換えれば、「閉塞感の自作自演」とも言えます。自分の行動パターンをバックサイドで適度に設定しておきながら、「このごろ、自分自身の行動に閉塞感を感じる」などとは、滑稽にもほどがあります。

でも、自分の性質、趣向なんて、そうやすやすと変えられないじゃんか。‥‥まあ、そうかも知れません。

だったら、趣向はそのままで、別腹で新しい事をしてみて、それに慣れちゃえば良い‥‥のです。ある時期から「自分が得意だ」と決めつけた以外の、自分にとっての新しい事をすれば良いです。新しい事に着手するのに、「今までのをナシにする」とか、極論に走る必要がありますか。

かと言って、新しい事をするだけではダメで、「慣れるところ」まで習熟しないとダメッすネ。‥‥で、「慣れるところ」までいくには、状況を作る必要があります。まあ、自身を振り返ると、この「状況を作る」方法が若い頃には解らないのよねェ‥‥。

思うに、「自分はこの程度だ」と達観する事が、自己の発展を阻んでいたと述懐します。私は今では普通に、カラーボード・イメージボード類を仕事で描いたりしますし、ビジュアルエフェクトやグレーディングで微妙な色の操作をして画面作りをしますが、実は過去の私は「色彩は不得意だ」 と思っており、20代中頃まではずっと敬遠していました。そんな私が、メルセデスCMや2000年のBLOOD劇場ではカラーイメージボードを描き、ジョバンニではイマジカのグレーディングに立ち会うようになるのですから、要は過去に自ら「できるのに、できない」状況を生み出していたわけです。私が「本質的かつ宿命的に色彩に向いていない」なら、じゃあ、今なぜ、このような仕事をしてるのか‥‥という事です。今だからキッパリ言えますが、「できない」と自虐的に思考していただけです。そしてその自虐思考が、プラス要因を丁寧に1つずつ潰していく「負のジェネレータ」になっていたのです。

After Effectsで絵を動かすなんて、そんな果てしない事を‥‥。もしできたとしても、手描きに比べて、相当にヘナチョコなんじゃないか‥‥。数年前はそんな迷いもありましたが、実際に着手して作業に慣れてくると、「まだまだいけそうな予感」をひしひしを実感できるようになりました。日本のアニメーターの技量はハイパークラスですから、肩を並べるにはほど遠いヨチヨチ歩きですが、今のアニメーターのシステムでは全く手の届かないフィールドがもう見えていますし、今後の成長を加味すると、ある種、楽観できるのです。アニメ作画やアニメ撮影はまさに真っ赤なレッドオーシャンですが、夏の木陰から涼しげなブルーオーシャンが見える思いです。‥‥これも構想だけではダメで、「慣れる」ところまでやってみて、初めて実感できる事です。

慣れれば、慣れるもんです。逆に、慣れるまでつきあわなければ、いつまでたっても、変化は訪れません‥‥というか、相対的には時間の進行に置いていかれて後退していきます。

今のアニメの制作方式。「新しいフォーマットについていけなくなったら、心中するまでよ」と自虐思考に陥ってたりしませんか。それこそは、過去に消えていった娯楽産業と同じ末路を、自ら好んで進むようなものです。紙に鉛筆で原動画を描くスタイルを存続させたい‥‥とするなら、それを「実勢」と達観せずに、何かしら新しい突破口を志向することが必要でしょう。‥‥つーても、何だかんだ言って「今のシステムがいい」という人が多いこの業界、‥‥変われるタイミングも極めて見つけ辛いのかも知れません。
 

斬れる刃

頭の切れる人の事‥‥ではなく、本物の刃物の話、です。



アニメスタジオの机に無造作に転がっているカッターナイフって、大体、切れないスよネ。往々にして、切れ味が悪い。カッターの刃を1コマ、パキンと折って、刃を新しくしたのはいつだったか‥‥覚えてます?

切れない刃物ほど、危険なものは無いです。私は20代の頃、定規から刃がそれて、自分の指をブスリとやった事があります。切れないカッターだったので、力が余計に込められており、肉に深く刺さり、それはもう、血だらけの作画机になりました。思い出すだけで、背筋が寒くなります。

なぜゆえ、刃を切味の悪くなったままに放置するのか。

自分の胸に手をあてて、よく考えてみますと、私の場合は‥‥ですが、「折った刃の処分に困る」からです。折った刃は、そこらに放り出すと危険な感じだし、燃えないゴミで処分するにしても、一旦何かでくるんで捨てたいものです。自治体によっては、「危険ゴミ」にカテゴライズされる事も多いですよネ。ぶっちゃけ、プロセスが多くて面倒。‥‥だから、です。

しかしながら、わたくし、現在は全然面倒じゃありません。

これのおかげで。

 

こんなのもあります。携帯用。

 

こやつらのおかげで、カッターはいつも切れ味最新。

カッターの刃を折る役目と、カッターの棺桶の役目の、2役です。中は開けられないようになっていて、中から古い刃が出てくる事は機構上ゼロと言って過言ではありません。そこそこの大きさがあるので(円の直径5〜6cm)、よっぽどカッターを使う人(1日1回、カッターの刃を折るような)でない限り、すぐに満タンになる事はないでしょう。

一般の「折るタイプ」のカッター替え刃だけでなく、デザインナイフなどの刃も捨てられます。要は、小型の替え刃だったら、大体捨てられるのです。

ちなみに、カッターの刃をちゃんと折るコツは、当然と言えば当然ですが、カッター刃の切込み線の無い面(=裏面)のほうに曲げて折る事です。逆方向に折ると、妙に力が必要だし、垂直に折れちゃってダメです。

400円未満の品を身近におかないばかりに、カッターの刃を折るのが面倒。毎回、切れ味の悪いカッターでプチ苦労する。‥‥アホらしいじゃないですか。

 

強力な換気扇が

色々あって、現在はアナログからデジタルまで目まぐるしく活動しておるのですが、最近悟ったのは、アナログとデジタルはほどよく調合してこそ吉、と言う事です。何となく‥‥ではなく、明確にバランス取りしないと、どちらかに偏りがちになります。コンピュータだけイジってるとイメージがどんどん「コンピュータの都合の良いもの」へと萎えていくし、デジタルの力なしに紙と鉛筆だけではもはや映像作品は作れませんので、程よい協和・調和が必要なんだと「割としみじみ」実感しています。

デジタルの「誰かが作ったプリセット」を組み合わせて「自分の表現だ」と主張するのはやっぱり「お寒い」ですし、紙や絵具で描いた1枚絵だって、ネットで公開したり製本する際には、デジタルデータです。思うに、何か個人的な怨念感情〜ルサンチマンや劣等感、敗北感、羨望や嫉妬に因る憎悪が作用すると、「デジタル至上主義」「アナログ至上主義」に陥りやすいのだと思います。怨念感情が道具の使い方を不自由にするわけです。

何で作ったか? ではなく、何を作ったか?‥‥ですよネ。

私はデジタルツールを毎日使っているわけですが、デジタルデータやコンピュータを崇拝しているわけではありません。人生の限られた時間の中で、どのように作品を「できるだけ妥協せず」「沢山」作り上げるか?‥‥という命題に対しての、あくまで私自身のスタンスなのです。私はデジタルを駆使しても、寿命が200年足りないと思っているのに、アナログオンリーにしてしまったら、400年寿命が足らんです。アナログはさ、絵具が乾くのを待たなきゃいけないじゃん?‥‥アナログ時代ののんびりした作り方は、今の私には許されんのです。

アナログは、「技術的には出来るけど、状況的には出来ない」事が沢山あるのです。これは私が1996年前後、「デジタルアニメーション」へと転向した直接的なきっかけでもありました。どんなに壮大な構想が頭の中にあろうと、どんな名画が頭の中でひしめいていても、それを具現化できなければ、何も無いのと同じです。

とまあ、デジタルをツールの主軸に据えている私ではありますが、デジタルに頼ってはいけない場面も多々あります。ストーリーを考える時、シーンをイメージする時、構図を狙う時、ググッた画像と3Dモデルだけで思考するのは、何といいますか、「あからさまに凡庸な予定調和へと引きずりおろされる」感じがして、もっと「ナマ」な感覚が欲しくなります。画像をどんなに沢山、ネットで収集したところで、手に取るような実感って得られないじゃないスか。‥‥近頃、よく感じるのは、「ネットで集めた画像資料」って、逆にイマジネーションを萎縮させるんじゃないか?‥‥と言う事です。

もちろん、南極の情景や、月面から見た地球なんて、とても現実に見れるものではないですから、資料写真・資料映像に頼る事になるでしょう。しかし、「ネットは便利だ。ネットで画像は何でも手に入る。ネットの画像で充分。」みたいなスタンスに陥るのは、「コンピュータにとって都合の良い方向へと人間が誘導される」最大の原因だと感じてます。ネット検索の「甘い罠」は、検索語句を入力して得られた結果をさも「自分の成果」「自分のイメージ」のように思い込む事‥‥ですよネ。

なので今は、自室で完結する「リアル」な立体造形〜ありていにいえばプラモデルやドールをプライベートで作って、イメージ作りに役立てています。私の特性なのかも知れませんが、立体データと現実の立体物を比較した際、後者のほうが俄然イメージが湧くのです。




前置きが長くなりましたが、今回のタイトル、「強力な換気扇」は、まさにアナログの弱点〜次のプロセスへの待ち時間をできるだけ短縮するために必要なものです。サーフェイサーや塗料などシンナー系・エナメル系の用具を使うと、部屋の中がシンナー臭くなってキツいですが、その臭気を強制排出するために換気扇が必要なのです。

今の季節(都心で大雪が降るほど真冬)は特にしんどくて、強烈なシンナー臭と換気の寒気で風邪をひきそうになります。風邪で体調を崩すのが、人生の最大の「しょうもないロス」です。クレオスのスーパーブースを使ってはいますが、製品的に1日に大量生産するのは想定外なのか、役不足の感が否めません。本当は休日には10両前後の車両をとっとと塗装したいのに、シンナー臭でイヤになって、4〜5両が限界です。さらに塗装後の1〜2時間は、残り香で部屋を正常に使えません。



なので、もはやホビーメーカーの換気製品では手ぬるいので、自作しようかと計画しています。D2(デイツー)のエアコンフィルターやクレオスのハニカムフィルターとかは有用ですから、既存の交換部品はそのまま活かして、ファン部分を強力にしようと考えています。



25cmクラスの換気扇くらいが良いかと。このくらいの迫力のある「本格的な換気扇」じゃないとダメかと。

パッと見、「デカ!」と感じますが、つべこべ言ってる状況ではないので、性能重視で組もうと思います。ただ、換気扇だけ強力なものに換えても、室内のエアフローを考えないとうまく空気を排出できませんし、最悪、臭気が逆流して流入する可能性もあります。(というか、今はそれに近いです)

まずは、色々リサーチして、Google SketchUpで事前に組んでみて、部材を調達しようかと考えています。


1枚絵を紙と絵具で、スローペースで描くやり方もあるでしょう。それも言わば「生き方」の1つだと思います。ただ、そのやり方では絶対に立ち入れないフィールドがあります。私はそのフィールドに立ち入って、そこで作品を作りたいので、どうしても、のんびりと「絵具が乾く待ち時間」に人生を消費できないのです。‥‥忙しい生き方、生き急いでるんじゃないかと、自嘲的に感じる事もありますが、‥‥まあ、しょうがないッスね。

AfterEffectsからTSV

映像作品におけるシーンの構成をおこなう際、私はFinal CutでもPremierでもなく、毎度のAfter Effectsを用いてムービーを作ります。いわゆるムービーコンテ、プレビズのムービーは、結構その場で要素を作っちゃう事も多いので、Final Cutのような編集ソフトウェアよりは、ビジュアルエフェクト向きのソフトウェアの方が、何かと融通が利くのです。

で、After Effectsを編集ソフトウェアのような使い方をした時に何が面倒かって、EDL的な編集点を記述したファイルが出力できない事です。プレビズのムービーが完成した、さて、各カットはどんな名前でどんな並び順でどんな尺なのか‥‥と言った事が、簡単に集計できないのです。

After Effectsを編集ソフトとして使うのですから、やっぱり、EDLは出力できたほうが便利です。EDLの書式の基本は簡素ですから、テキストファイルの読み書きをプログラムできるAdobeのESTK(Extend Script Tool Kit)なら、自前で作れない事もないです。(実際に作って、グレーディング作業で使った事があります)

EDLは出力できると便利‥‥なのですが、私の直近のニーズは、プレビズ(例えるなら絵コンテすね)後に、「各カット制作を本格開始する」際に必要な「カットリスト」をAfter Effectsから直に出す事です。EDLを書き出してそこからカットリストに変換するよりも、ダイレクトにカットリストをAfter Effectsから生成したい‥‥という事ですネ。

ぶっちゃけ、プレビズは絵コンテ同様に荒い絵なので、プレビズ時の各カットの尺は暫定的であり、EDLを書き出してもそのまま使える事のほうが少ないです。だったら、プレビズ直後はEDLなんて直接的なファイルではなく、運用の元になるカットリストテキストファイルのほうが、実質的だと感じています。

カットリスト。要は、CSV(comma-separated values)かTSV(tab-separated values)で書き出すテキストファイルです。CSVかTSVだったら、ExcelだろうがNumbersだろうが、Open Officeだろうが、どんなプラットフォームでも読み込みできます。思うにカットリストには、「タブは一般的な名称・呼称に使われる事が少ない」ので、CSVよりもTSVを使うのが適当なように感じます。TAB〜ASCIIナンバー9のいわゆる「水平タブ」は、ファイル名やフォルダ名、カット名に使われた事例が今まで皆無でしたので、カンマよりは「経験的に安全」だと言えます。

で、そのカットリストのTSV。書式は簡単‥‥なものしか、思い浮かびません。
 
編集並び番号(TAB)カット名(TAB)尺

例えば、
 
1(TAB)001(TAB)6+0
2(TAB)002(TAB)5+0
3(TAB)003A(TAB)4+12
4(TAB)003B(TAB)5+18
5(TAB)004(TAB)3+12
.....

‥‥的な。

編集並び番号は行番号から読むんでいいじゃん(プログラム的には改行コードで分解して得た配列のインデックス)‥‥とか思いかけますが、そうすると空白行の挿入やコメントアウトとか面倒になりますし、何よりも視認性が悪くなる(行番号表示のできるテキストエディタじゃないと判り辛い)ので、通し番号はあると良いと考えています。

まあ、こんな規模の内容なので、After Effectsのレイヤークラス、コンプアイテムクラスの情報を読み取って、テキストに書き出すだけのかわいいプログラムです。‥‥でも、そんなかわいいツールでも、あれば便利、無ければメンドくさい手と目による作業になります。コンピュータで簡単にできる事を、人間が必死こいてやる状況は、何としても避けないとアカンですからネ。

数日内に必要になりそうなので、ちょっとトライしてみます。テキストファイルは文字コードまわりが「単純に面倒」なんですが、ASCIIコード外の文字を使う事はなさそうなので、あまり手はかからなそうな予感。リラックマVer.2

ツールのメリハリ

私は20年以上前に購入したプラモデルキットを今でも倉庫に保管しており、最近いくつかをひっぱり出してきて制作しているのですが、かなり昔(多分30年近く前)のキットから懐かしい付属品が出てきました。



プラモについてた接着剤です。昔の男の子たちは、この接着剤を使って、プラモを組み立ててたのです。プラモのパーツはランナーから手でちぎり、ちぎった痕をハサミ(図工用の)で切り取って作りました。‥‥まあ、ハサミで痕を処理するのは「丁寧」なほうで、最悪そのまま組み立てて、「へその緒」がいくつも残った完成品になったものでした。

子供時代の自分を思い出し、「そりゃ、ブザマな出来になるわな」としみじみ思いました。

この接着剤、水飴のような粘性をもっており、貼り合わせの断面にトロリと塗って、パーツを貼り合わせて接着するものですが、そんなやり方で奇麗にできるわけもないです。食パンのジャムサンドみたいになります。ただ、「プラモはそういうふうに作るもんだ」とマインドが固着してたので、皆が皆、この水飴接着剤でプラモを作ってたのです。

そうして過去を振り返ると、自分が子供だった事もありますが、ニュートラルにジャッジしてみても、「ツールが悪い」のは事実です。図工用のハサミとカッター、水飴接着剤しかなければ、奇麗で繊細な模型なんて作れないです。最悪、切れ味の悪い刃物でケガをしちゃいます。

しかし、経済力ゼロの「養われ小学生」に、最適なツールを買い揃える事など不可能。そこにあるツールで作るしかありません。本来、図工用のハサミは、プラキットを切る目的では設計・製造されてないのですから、上手く使えなくてあたりまえなのですが、当時の私は「自分は指先が不器用だ」と消沈したものでした。

そして現在。今の私のプラモ制作ツールのメインメンバーは以下の通り。



何でも高いものを買い揃えているわけではありません。ハンディルータは1,500円のものもありますし(ルータは1〜3万円するのもザラです)、ヤスリに至っては3本セット100円のものを使っています。しかし、ニッパーにはお金をかけてまして、特に青い柄のものは3,500円します。もちろん、「ニッパーごとき」にそんなコストを払うのは、明確な理由があるから、です。

制作をしていれば自ずとそうなりますが、ツールのラインアップは「高いツールと安いツールのメリハリ」がつくようになっていきます。また、似たような見た目でも、様々な場面で使い分けするようになります。上の写真はニッパーが3つありますが、使い方がそれぞれ違います。横着して不適応な場面で一緒くたにツールを使うと、パーツとツールの両方を破損する事すらあります。

「高いのを買っとけばOK」と言うのも、ちょっと違うのです。作業工程や段取りによっては、高価なツールの性能が「全く活きない」のです。高価なツールにはそれ相応の「高いだけの理由」がありますが、高価なりの性能を使いこなしてこそ‥‥です。やけに高価なブランドツールで身の回りを固めるのがカッコ悪く見えるのって、要は「使いこなしていない感」が見えちゃうからですよネ。また、何から何まで100均のツールだけで揃えるのも、「時間と金を引き換える」事になり、大袈裟かもしれませんが、人生をディスカウントしているように思えます。

2,000円以上クラスのニッパーは、直接的に制作時間&クオリティに作用します。一方、1,000円のヤスリでなく、100均のヤスリでも、速度とクオリティにはほとんど影響が出ません。こうして、ツールにお金をかける部分のメリハリが利いてくるのです。プラモ用として「みくびった」500円前後のニッパーを使うと、後処理に余計な時間を消費して、ぶっちゃけ、人生の時間を無駄にします。時間と質を獲得するために、必要に応じて「ハイ&ロー」を使い分けるのです。

「ニッパーなんて100円ショップので充分じゃん」‥‥という人は、プラモを作ってない人、もしくはプラモをあえて作り辛く作る人でしょう。ツールには、使っている人間でないと判らない「ツールのクオリティ」というものがあるんス。

ちなみに、接着剤はこの通り。



接着剤にこんな種類が必要か?‥‥とか言われそうですが、必要なんス。どの製品も皆、特性・性質が違い、適材適所で用いる事によって、速く良く、キットを作る事ができます。もしこのラインアップが揃ってなければ、制作時間は数倍(そのほとんどが乾燥待ち時間)にふくれあがります。

これは映像制作のコンピュータにも言えて、何でもWindowsで済まそうとするのは、おそらく映像制作のビジョンが見えてないからだと思います。時間と質を犠牲にする事になります。映像制作本位で考えれば、WIndows、Mac、Linuxが混在するのは当然の結果であり、映像制作を犠牲にして管理の都合だけで考えれば、Windows一色になるでしょうネ。

話を戻して。

しかし今は100均とかあっていいよな。例えイマイチのニッパーでも、100円で買えるなら、プラモ制作には図工用ハサミより10倍マシですもん。私が子供の頃に、100均なんてあったら、嬉し過ぎて、足しげく通うだろうな‥‥。でもまあ、デザインナイフもダイソーにいけば100円で買えるわけなので、そうなってくると、子供たちに「ツールが身近にあるのに、何で奇麗に作れんのか?」と妙なプレッシャーがかかることになりますね。それはそれで、いきなり高いハードルで、可哀想。

現在はプラモを作る子供なんているのかな? 自分の指先を、子供のうちから沢山使っておくと、色々と可能性が広がると思うんですけどネ。スマートフォンのタップやスワイプだけじゃ、モノは作れんですからネ。

ディズニーの14年間

私は、ディズニーの昔のアニメ映画が好きです。誤解を避けるためにもう少し詳しく言いますと、「ディズニー映画の標榜する価値観に同意する事は少ないけれど、映像美を愛好している」とでも言いましょうか。

例えば、「わんわん物語」の一見「刺激の少なさそうな」画面も、実は巧妙な明暗設計が随所に仕掛けてあって、ただそれがクドくないので、見てる側が気にならないだけです。大胆な影落としとかもいっぱいありますヨ。‥‥ただし、ストーリー的には「トランプ‥‥。アウトローだったお前が、なぜ、いきなり鑑札を首からぶら下げてんの?」と釈然としない結末を迎えたりするので、イマイチ、作品全体を愛せなかったりします。

ディズニーを「アニメーション作品」の技術面から見た時、その「技術進化速度の速さ」に驚きます。

ミッキーマウスの登場する「蒸気船ウィリー」は1928年公開で、「観客席から見たような、横位置のレイアウト」的なカットが多く、黎明期の雰囲気を色濃く反映した作品です。モノクロフィルムですし、動きのタイミングも手探りな感じですネ。



それから7年後、初のカラー作品と言われる「The Band Concert」は、横位置カメラから開放され始めてますし、「ここまで動かせるようになった」という自信というか、作画の(良い意味での)エスカレートが感じられます。絵を動かすのが楽しい!‥‥という雰囲気が、作品から伝わってきます。



私は、同年代なら「Through The Mirror」の「可愛い顔してんのに、悪い奴」なミッキーの方が好きですネ。机の引き出しがバッと開いて、トランプが飛び出す動きのリアクション作画とか、この当時からカッコいいですし。「蒸気船ウィリー」から7年で、このレベルまで到達してたのは、驚きです。



ちなみに、この頃のミッキーは、白目のないデザインで「可愛い」んですが、性格的には「何をしでかすかわからない」アブナイ雰囲気も併せ持ってましたネ。少々「邪悪」なところがあると言うか。

で、「The Band Concert」の1935年から7年後。「蒸気船ウィリー」からは14年後‥‥には、もう1942年の「バンビ」を作ってます。「蒸気船ウィリー」からたった14年で、です。「ファンタジア」に関しては1940年なので、「蒸気船ウィリー」から12年後ですネ。

バンビやファンタジアは、YouTubeの映像では汚な過ぎますし、入手は容易でしょうから、リンクは貼っておりません。

私が「バンビ」や「ファンタジア」をちゃんと見たのは20代の頃で、アニメーターになってからですが、その映像の美麗さに驚いた直後に、「1940年代にこれが実現できてるのに、なぜ、今は?」と思ったものです。40代の現在の私は「自然の摂理」だと解釈してますが、当時は「技術は進化し続けないし、継承され続けるものでもないんだ」と気落ちしたものです。技術は進化した後に、退化する‥‥ようですネ。ちょうど、子供が大人に成長した後、老化するように。芽が出て葉が増えて、花が咲いた後に枯れるように。(自然の摂理の中には、花が咲いた後に実がなり、種が地に落ちて、また次のシーズンに芽を出すかも知れない‥‥という希望も含みますけども)

宇宙探査船ボイジャーのちょっとした笑い話を思い出しますが、「ボイジャー関連のデジタルデータについて、現在はそのデジタルデータのフォーマットを開発した職員が退職したので、データの意味が分からなくて読解不可能」だとか。笑い話とかいうと失礼かもしれませんが、まあ、「あるある」ネタです。

それに似たような感じで、アニメの技術も「技を編み出した当人が辞めちゃえば」、その技術は地球上から消えます。結果物だけは残りますけどネ。

ちょっと、話を戻して、ディズニーの14年間における、技術の猛烈な進化速度についてですが、「状況が噛み合されば、あり得る話」だと思います。

その「状況」での大きく重要な要素は、もの凄く簡単に言えば、「伸びシロがあった」と言う事です。「伸びシロ」は外にも内にもあって、社会的な伸びシロと個人的な伸びシロが、うまいこと噛み合った時に、異常なくらいに発展・エスカレートする‥‥ようです。個人的な伸びシロが社会的な伸びシロを通じて、複数人数に伝播して巻き込んでいくと、次第に大きな螺旋状の「ムーブメント」になるわけですネ。

私がアニメーターになる数年前に「暴走アニメーター」という言葉が現れましたが、あれもムーブメントの1つでした。もっと動かしたい、もっと動かせるはずだ、やってみたら出来た、ちまた(=いわゆるファン層や同業者の間)でウケた、もっとやってみたい‥‥というエスカレートにつぐエスカレート。‥‥で、「デジタルアニメ」も1997〜2006年くらいの間は、そんなエスカレート具合というか現場の雰囲気がありましたよネ。

今は、伸びシロ的にどうなんでしょうネ。 「萌え」を急速に消耗させた次に、何をする予定なのか。‥‥もっと簡単に言えば、未来にやってみたくてウズウズするような事を、自分の中に持ててますかネ? アニメ業界も個人の集合体ですから、その個人が「自分は何をやりたいんだろう」と考え込んじゃう時点で、かなり危ういと思うんですよ。「やりきれないほど、やりたい事がいっぱいある」くらいでないと。

そんなこんなを思索するに、ディズニーの「from 1928 to 1942」の状況は、色々な事を教えてくれますネ。

私は今、やりたい映像作品、やってみたい技術が、山ほどありますが、お膳立てがあるわけではないので、悶々とした日々を積み重ねております。満たされない、手に入れられない、持ちたいのに手からこぼれ落ちて持ちきれない‥‥と言うもどかしさと言いましょうか。

でも、振り返ると、「安泰だ」「満たされている」という実感は、滅びや崩壊の前兆だと感じます。充足しちゃったら、あとはもう、こぼれて減っていくしかないもんネ。

だから、私自身だけじゃなくて、他の人々の場合も、何か挫折感や閉塞感を感じる事があるとすれば、それはある種の福音なのかも知れない‥‥と思う事はあります。伸びきってベロベロに弛んでいくよりは、伸びシロを伸ばす空間を欲しているほうが‥‥です。‥‥まあ、伸びて緩むのが好きな人もいるとは思いますから、全員がそうだとは言いませんが‥‥。

ウィリーからバンビまで、14年か。‥‥感慨深いもんですネ。
 


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