ちび丸のフジミ

アマゾンは、個人の購入履歴や閲覧履歴を活用して、「オススメ商品」をWebページやメールにどんどん推してくるのですが、今日のオススメは「ちび丸艦隊 赤城」でした。



4月下旬発売予定。

空母を丸くしたのは、初めてみました。艦載機もなかなかのモンですネ。

フジミ模型の「ちび丸」シリーズは、旧日本海軍の軍艦大和、武蔵、金剛型の他、最新の10式戦車(いきなり現代で陸上!)もラインアップされており、あまり一貫性のないところも逆に良かったりします。ブレているとかいないとか、どうでもよい事です。

ちなみに、私はシリーズNo.2の「武蔵」だけ、持っています。10式戦車はあやうく買いそうになりましたが、踏みとどまりました。今の私がこのシリーズを買っても、組み立てずに、積んどくだけにしかならないだろうから。‥‥もしかしたら、結局買うかもしれないけど。

ぺんてる999、いつのまにか廃番

私がスキャン原稿の清書時に絶大な信頼をおいていた、ぺんてるの炭素99.9%の鉛筆「999」が数年前に製造中止になっていたのを、数日前に知ってショックを受けております。でもまあ、どんなに大手の製品でも、結局は人間の作る物ですから、「色々あって、作るのやめました」と言われれば、大人しく引き下がるほかないス。

で、今、999に変わる鉛筆を物色していくつか注文しています。どうやら、なめらかで均質、硬さと黒さを持つタイプの鉛筆は、マークシート用のものがあてはまるらしく、数社のを試し買いしてみました。

私は、旧来のアニメ業界フローで原画を描く際は、鉛筆の銘柄など全く気にしません。むしろ、トンボ8900とかの廉価な事務用鉛筆が好みだったりします。過去には、小学生が使うようなマスコット柄入りの鉛筆(貰い物)を使っていた時期もありました。

しかし、線がそのまま完成物に反映されるような用途の場合は、作品の欲するニュアンスに合わせて、筆記具をあれこれ試します。故意に擦れて不規則な粒状の描線を欲する場合でも無い限りは、安定した出力の筆記具を用いて、意図通りの描線が実現するように気を使うのです。

999のような真っ黒くて描線にムラが出にくい鉛筆で紙に描いてスキャンした場合、修正の手間が大きく軽減されます。もちろん、紙の質も重要で、適切な紙と鉛筆を用いて線画を描くと、その後の処理が楽な上に、描いた本人の意図通りに仕上がるのです。

動画スタッフの美麗な清書ありき、2値化ありきの業界標準フローだと、いまいちピンとこないかも知れませんが、紙の上で描いた事が赤裸々に画面に出てしまうのが、私の新しいやり方なので、絵の入力方式〜「インプッドメソッド」は画風を左右しかねない重要なファクタなのです。

「AKIRA」が竹ペンで作画してたら、「北斗の拳」が丸ペンで作画してたら、あの作風にはならんですよネ。今のアニメはみな「2K」「レタス線」で共通ですから(ゆえに業界の横のつながりで作業を受発注できるんですが)「線で作風を主張する」なんて思いもよらないかも知れませんが、4K以上の繊細なディテールになるといくらでも線のニュアンスで作風を表現できるようになりますヨ。

マークシート鉛筆を物色するうちに知ったのですが、今は色々な面白い筆記具が増えているんですネ。例えば、パイロットの「フリクション」シリーズは、熱でインクが透明になるので、専用の消しゴムで擦ると、ボールペンやサインペンでも鉛筆のように消えるのだとか。‥‥もしかしたら、新しいフローで使えるかも‥‥と思い、買ってしまいました。

ペンタブレットを使う方法も平行して用いながら、筆記具を用いた味もそのまま活かして、未来に繋げていこうと思っています。

*しかし、今の動画さんの線って、細くて均質で奇麗ですよネェ。この高い能力を、単に現フローの動画行程に封じておくのは、もったいない事だ‥‥と常々思っています。

デジタルの向こう側

デジタル行程がアニメ制作に導入された後、「デジタルとはどのようなものか」と問うた時、前回書いたサザエさんのような「伝統を継承するストイックな使い方」はまさに特例で、多くの場合は「作業行程の省略やコストの軽減に用いるもの」との認識だと思います。デジタル導入初期の頃は「新たな表現技法の模索」が主目的でしたが、2004年以降の本格的なテレビアニメ制作「デジタル導入」により、一気に「量産目的」へと転じました。

ですから、2005年以降からアニメ業界に入ってきた若い人だと、デジタルの新たな可能性なんて意識できぬまま、単に「アニメ制作フローにおいて、高速化できる行程」としか認識できないかも知れません。それはある種、仕方のないことです。周りの雰囲気がそうなんですから。

デジタルは確実に、「難しい事が簡単に実現できる」と思われている風潮があります。「デジタルだと楽なんでしょ?‥‥だったらデジタルでやってよ」的な‥‥ネ。これがエスカレートして、「誰でもコンピュータを覚えれば、映像をクリエートできる」なんていう雰囲気も感じる事があります。

そんなわけ、ないじゃん。‥‥コンピュータを使ったからって、本人の美意識が別物へと変化するなんてありえませんし、キレの良いタイミングセンスが自動で身に付くわけでもありません。むしろコンピュータは、本人の特徴を誇張して「凄いモノはより凄く、無惨なモノはより無惨に」露呈させる残酷な一面すら有しています。
*例えば「画面ブレ」。画面がブレたり揺れたりする撮影技法ですが、これって、ダメな人はとことんダメです。ぶっちゃけ、アニメ作品の「画面ブレ」「画面揺れ」カットを見ると、当該アニメ撮影班の基礎的な技能レベルが解ります。画面ブレは、使いこなす能力を持つ人にとっては、即座に雰囲気を表現できる、とても使い勝手の良い技法なんですけどネ。

ですが、現アニメフローは伝統手法で手堅くまとめる土台を持っているので、技術的な多少のバラつきは丸め込んでアニメ作品の態を成す事が可能です。これは先人たちの大発明と呼ぶにふさわしいものです。その作品表現基盤の上に、トッピング的にパーティクルだのデジタルTB&TUだの、境界ぼかしだのテクスチャ貼り込みなどを付け加えたのが、今のアニメのスタイルです。‥‥そして、その程度で良しと現場でも判断され、現在の状況があります。

私は、デジタルが「デジタル然」として扱われているうちは、アニメ作品表現の「バーター」にしか成り得ないと感じています。作画メインの抱き合わせとしてのデジタル表現。ですから、いつまでもお手軽に扱われます。
*バーターは色々と意味があるようですが、「芸能界の業界用語。束(たば)を逆に読んだ「ばた」から来たとのが有力で、「抱き合わせ出演」の意味。ドラマ・映画などのメイン出演者と同じ所属事務所の新人俳優、女優を出演させる事。」Wikipedia〜の意味でここでは使っています。

アニメ業界においては、まさにデジタルは「デジタル」。デジタルとそうでないものを分けて呼び表している時点で、どのくらいの活用レベルがわかりますよネ。しかし、今のアニメ業界フローは、今くらいのデジタル活用術が限界だというのも、フローの内実を鑑みれば、しみじみ納得できるのです。

一方、私の考える「デジタル」は、全く異なります。「付け加えるもの」ではなく、「最初からそこにあって基盤となるもの」です。私の準備している「デジタル活用術」は、各スタッフの高い技能が必要となる、「簡単ではない」「手軽ではない」デジタルです。手描きのアニメーターと同様、才能が必要です。しかし、当初からデジタルありきで設計したシステムなので、「手軽ではない」けれど、「システム規模は大きくはない」のです。

新しい制作技術では、「デジタル」という単語を改めて使う必要がない‥‥のです。「デジタル」が「共通の分母」になるのは言わずもがななので、通分する手間自体が存在しないわけです。行程にいちいち「デジタル何たら」なんて命名するのは、単に文字数の無駄なのです。

「じゃあ、人の手の介在しない、冷たいデジタルのアニメを作るつもりなのか」とか言われそうですけど、「デジタルだと人のぬくもりが無い」と定義しちゃう感覚自体が、未開人なのよネ。たしかにデジタルは使い方によっては無機質なデジタル臭漂う絵になる事もありますが、現在においては、それは単に使う人間の技量の問題です。‥‥それに人の手は、デジタルでも山ほど介在しますしネ。

前世紀末は、故意にデジタルの無機質さを煽って表現に結びつけた作風もありました。コンピュータ機器の未発達を逆手に取った演出法‥‥ですよネ。

しかし2014年現在はそうした演出で未熟さをカバーする必要がないほどに、コンピュータのパワーは格段に向上しています。そのパワーを用いて、とても生っぽい絵を描けるようにもなってきました。マティエール、スフマートといった私が学生時代に慣れ親しんだ絵画技法も、今では新しいアニメーション制作技法の1つです。これら新技法(‥‥絵画の世界では古くからの伝統技法ですが)は、Blood劇場版やイノセンスの頃のコンピュータパワーではとても実現出来なかったですし、解像度も全然足りなかったのですが、今なら8万円の Mac mini でも「技量さえあれば」可能です。私は時に、After Effectsでパスやマスク、トーンカーブやブラーを用いていながら、水彩や油彩を描いている感覚に陥る事すらあります。

私の考えるアニメとは、「絵が動いてお話になる」作品です。

絵は面白い。本当に面白い。その絵が、動いて喋って泣いて笑って、お話になる‥‥だなんて、愉快痛快奇々怪々ですよ。そのアニメを作る際に、なんでデジタルのパワーを最大限に引き出さないのか。なぜ、旧いフローにがんじがらめになっているのか。新しい作品を作るのに、なぜ、過去の絵のスタイルを踏襲し続けなければならないのか。

ノリにノって作画用紙に描いている時に、紙と鉛筆の存在をいちいち認識しますか? ‥‥同様に、デジタルを使いこなす能力が高くなるほどに、「これはデジタルだ」なんていちいち意識しなくなると思います。「絵が動いてお話になる」という本質がどんどん浮かび上がってくると感じます。

デジタルの柵を超えなければ、デジタルは「超えなければならない障害」として、いつまでも目の前に存在し続けますが、跨いで乗り越えちゃえば、もはや柵は背後に遠ざかり、視界から消えます。

ですが、デジタルの向こう側に行ったからと言って、人が無能で済むなんてあり得ません。全く逆で、今のアニメより一層、当人の美的感覚、動きの感覚、美の探求が要求されるのです。デジタルの向こう側には、自分を守ってくれる既存の風習や伝統など無いのですから。

デジタルは楽なものじゃありません。私がこれから先、一緒に歩みたいのは、デジタル・アナログの境界線を超えて辛辣な状況に身を置いても、アニメーションの楽しさを実感し享受できる、「新たな世代」なのです。

国民的アニメ

つい先ほど、たまたま実家リビングのテレビで流れていた「デジタル化」した「サザエさん」を見たんですけど、長年のシリーズ制作で培った「サザエさんスタンダード」は「デジタルペイント&撮影」導入後も全くブレておらず、敬服してしまいました。

デジタルを導入して小ズルい作画ショートカットで誤摩化す作品が多い中、サザエさんは昔と変わらぬ作劇法を貫いており、デジタルが全く鼻につきません。デジタル導入による改善点だけが際立つ結果となっています。

今日見たサザエさんで、デジタルによって確実に改善された点を思い起こすと‥‥
 
  • 塗りムラ
  • トレスマシンの粒荒れ
  • セル影
  • セル原料のくすみによる退色
  • フィルム由来のシャープネスの低さ
  • フィルム由来のグレインの荒さ
  • フィルム由来の狭い色域
  • 編集点のたわみ
  • パーフォレーションのガタ

‥‥など、多くの点が挙げられます。逆に言えば、16mmフィルム(未確認〜テレビなので16mmだったと思います)撮影台を基軸とした制作システムは、ちょっと挙げただけでも上記の劣化要素を抱えていたわけですネ。

デジタルフローを導入したサザエさんは、まず、全体の色調がフィルム時代の落ち着いた色調を引き継ぎつつも、くすみのないクリアな発色なのがとてもきれいですし、動きの要素もデジタル臭い部分がありません。ワイプマスクもちゃんと手描きで3コマ動画。画面に出る文字もデジタルフォントを使わない手描き。‥‥こういう部分を過去からニュアンスを変えずに一貫できているのは、とても凄い事です。そしてそれが、ちゃんとサザエさんの作風を護る事に繋がっているのが素晴らしいですネ。

ワイプや文字など、他のアニメだったら、みんな「デジタル任せ」で済ませて、結果、出てくる言葉は「今は楽になった」‥‥だけです。単に楽な方に流れるベクトルに身を任せる現場が多いですが、もしかしたら‥‥いや、確実に、今のアニメ現場は急速に、過去の高度な技術を継承する意識も低く、安易な価値判断で廃棄処分しているのでしょう。例えば、メカを3Dスタッフに任せて「作画が楽になった」だなんて、それはすなわち、メカを描けるアニメーターを率先して減らしているわけです。今や、細かい模様は全て「撮影貼り込み」ですが、それは言うならば、「動画なりに、サイズなりに、省略して描く知恵を放棄している」のです。

そんなアニメ現場の風潮を目の当たりにして、サザエさん本編をふと見ると、「デジタル時代のいやらしさ、まるでゼロ」で、伝統を継承するとはこういう事か‥‥と感動に近い感情が生まれます。原料的ノイズ・装置的ノイズだけが除去され、作品表現はそのまま残った今のサザエさんなら、大画面テレビで見ても全く気にならないですし、もしかしたら、未来にも24コマが生き残る1つのケースになりうるかも知れません。

前回「原動画とセルがなくなるフロー」を書いた私ではありますが、それは「デジタルを用いたアニメーション作品制作」のドクトリンの1つであり、サザエさんのような「伝統的表現を維持する」アニメ制作手法も多いにアリだと思います。私が幻滅しているのは、技術や表現を場当たりに使い捨てする風潮であり、新旧そのものは関係ないのです。

サザエさん。‥‥表現技術は確立し得る事を、まさに体現している作品です。やはり、なんだかんだ言っても、作品表現のみなもとは、アニメーターから撮影・制作進行まで現場全ての人間の「志」なんでしょうネ。

*ちなみに余談ですが、故意に16mm時代のTVアニメ質感が欲しい場合は、前述の「改善された点」全てをAfterEffectsでシミュレーションして追加すれば、かなり「それっぽく」なります。細かい点ですが、編集点(カットの継ぎ目)のたわみは是非入れましょう。「フィルム傷エフェクト」でフィルムっぽさが出るなんて、今は素人さんでもやらんですもんネ。
 

縮尺

4Kそして8K周りが徐々に動きを見せ始める中、私も自己の「兵器開発研究」のレベルを1段引き上げて、「実弾演習」レベルへと移行しています。私の考える新しいワークフローは根本的に動的〜固定した段取りで作業をおこなわない方法〜ではありますが、2014年の「混沌とした状況」においては、まずはワークフローの標準的仕様を設定して「とっかかり」を得やすいように切り替えています。

私の考える2014年以降仕様のワークフローには、もはや「原画」「動画」そして「セル」という用語は消滅しています。タイムシートには1秒24コマのグリッドはなく、セルの代わりに「エレメント」という「被写要素=映像に登場する要素」を言い表す用語が新設されています。

レイアウト作業はそのまま生きるのですが、その直後に「エレメントデザイン」という行程が配置され、3D空間にどのように被写要素が配置されるかを設計(=デザイン)します。「3D? 立体視?」とか思われそうですが、意図はステレオグラムの実現にあるわけではなく(もちろん、ステレオグラムにも流用可能ですが)、多段マルチ台の超強化版たる「空間配置」を実現するためのものです。エレメントデザインの設計内容次第で、画面は平面的にも立体的にも表現でき、結果的に「コスト」も調整できます。60段マルチとかを組めばコストはもちろん増大しますし、昔でいう「セルと背景のベタ置き並撮」ならばコストは低く抑えられます。

‥‥とまあ、こんなような新機軸がフローの各所において導入されており、目新しい用語ばかりがフローチャートを占めています。2014年版フローを設計した時に考慮したのは、作業&コストのスケーリング自由度です。「必ず膨大な手間がかかる」とか「極めて多額の予算が必須となる」事を避け、状況に応じたスケーラビリティを選択・設定できるように考えているのです。

スケーラビリティ。Wikipediaによれば、「スケーラビリティ(scalability)とは電気通信やソフトウェア工学において、システムまたはネットワークまたはアルゴリズムの、持つべき望ましい特性の1つで、利用者や仕事の増大に適応できる能力・度合いのこと。」‥‥との事です。この説明文の細かい点をつつけば、「増大」ではなく「増減」というべきでしょうネ。規模を小さくするのだって、スケーラビリティの大要点ですからネ。

企業が何かプロジェクトを発足推進させようとする時、相応の人員予算を投入するでしょう。そして、その「スケール」に見合った「ハコ」を用意するでしょう。‥‥という事は、「使った大金に応じた大成果」も暗黙のうちに求められる‥‥という事です。

未知の領域に踏み込むプロジェクトにおいて、「何が大成果なのか」も実感できない状況なのに「大成果というカタチ」は当初から求められる‥‥のって辛辣ですが、企業レベルのプロジェクトは往々にして、そうなりがちです。「ハッピーな旅行にしよう!」と資金片手に意気込んで車を発進させたものの、旅の目的地について実は誰も決めてない・決められない‥‥という。

私は昔、個人で研究を進める状況〜人手も金もない状況〜を、当然の事ではありますが、弱点・ハンデのように感じていました。しかし、個人サイクルで研究の成果を逐一実感できて、順次フィードバック可能‥‥だと言う事は、スケーラビリティ視点で言えば「極小」であり、大事業大失敗の恐怖に怯える事なく、頭も体もフットワーク軽く、様々な可能性を試せる事なんだと、実感するようになりました。

私が月日を経るにつれ、自由に発想を転換できたのは、ぶっちゃけ、個人研究だったからです。これはものすごい実感があります。何度も「今まで積み上げた理論や方向性」を反故にして、自ら仕切り直しましたからネ。「作画」「セル」「背景」という言葉を捨てて、「エレメント」という新語を導入できたのは、個人研究レベルだったからです。

でも、大所帯の企業レベルのプロジェクトだったら、どうなってたか‥‥。大金が動いて大人数を巻き込んだプロジェクトを白紙に戻すのって‥‥ツラいですもんネ。保守的な人もいれば、先進的な人もいる、日和見を決め込んでいる層も大勢いる‥‥という中で、「新機軸」「新発明」って、根本的に実現できないと感じます。「新」という言葉に反する体制ですもんネ。「気分だけNEW」じゃどうにもならんス。結果から逐次フィードバックする事すら、いちいち会議を必要とする‥‥なんてのも、いかにも‥‥。

例えば、前回書いた「インプッドメソッド」というコトバ。過去の私はアニメーター出自ゆえに「原画作業」という形態に、どこか固執していたのですが、今では「描線と動きは分ける」という思考に至っています。これは個人レベルだから「割り切れた」「吹っ切れた」のかも知れません。既存の業界ワークフローに限定するスタンスや、動き出して資金も消費したプロジェクトに関わってしまっていたら、「原画作業」というカタチは様々なしがらみにより放棄できなかったと思います。しかし、個人レベルだから誰への遠慮もなく決断できて即行動できた‥‥のいうのは、研究成果としてかなりデカいです。

個人だからできる事を、最大に活かす方法を考えたのです。個人が企業のマネゴトをしたって、あっという間にマンパワーで限界に達します。しかし同じように、企業は個人のマネゴトもできないのです。企業は個人の上位互換ではないのです。

要は個人戦と団体戦の得手不得手を見極める‥‥という事なんでしょうネ。

忘れてはならないのは、個人と団体との関係性にもスケーラビリティは作用している事‥‥です。個人か団体か‥‥という二元論ではなく、「個人 thru 団体」の中間スケールを適所でどのように旨く活用するか‥‥なんでしょうネ。

4Kと8Kのアニメ。各所で悩んでいる今こそ、実は、渡りに船‥‥かも知れませんヨ。でも、船で漕ぎ出す強い個人になるためには、普通の個人と同じ行動してちゃダメだよネ。

描線のインプットメソッド

最近よく耳にするようになったのは、「タブレット作画」というコトバです。作画を、紙と鉛筆ではなく、タブレットでおこなう作業を指すようです。私が初めて「組織的なタブレット作画」に出会ったのは10年ほど前の事ですから、ペンタブレットの進化とともに、地道に根付いていったのかも知れません。

タブレットで原画・動画をおこなえば、紙のサイズ問題はいっきに解決しますネ。4K対応の作画もスペック的には可能です。送り描きのアニメーションスタイルで4K以上に対応するには、結局のところタブレット作画しか選択肢は無いように思います。

私は紙の描き味が好きなので、「いかにして、4K8K時代に紙と鉛筆を『インプッドメソッド』として使うか」を以前から研究していますが、今のところ「最低A3サイズの作画」が必要だと結論付けております。‥‥実は、ちゃんと「鉛筆線をきれいに表現する」ならば、A2相当のサイズが必要だとも実感しております。高解像度の世界では、もはや、A4用紙に鉛筆で細かく描く限界を超えているのです。‥‥今だって、解像不足で線がぶっといですし、ゆえにロングショットなどでは「拡大作画」が常用されるようになったのですよネ。A4用紙を600dpiでスキャンしたって、元が荒いからダメなんですヨ。

私の場合は、「送り描きスタイル」を今後のメインとしていないので、A2サイズでも運用できなくはないですが、旧来の常識で言えば「A3、A2なんて、絶対に無理」ですよネ。私だってもちろん、素でA2用紙に描いているわけではありません。A2なんてリアル世界じゃデカすぎて扱えないです。

鉛筆の黒鉛粒子の限界は、人の手ではどうする事もできません。「消しゴムで消えるから鉛筆が良い」なんて笑えない冗談です。もし高解像度で鉛筆を用いるのなら、「鉛筆の粒子を全肯定」する覚悟が必要なのです。鉛筆の描線を活かす路線を導きださなければ、単に黒鉛粒子のハンデに悩まされるだけです。

一方、タブレットで描けば、スキャナのサイズを気にする事はありません。タブレットで描くイラストだったら、既に10K(1万ピクセル以上)で描いてる人も多いんじゃないでしょうか。アニメーターがタブレット作画に切り替えれば、「4K高解像度問題」は技術的にクリアできると思います。運用的には、まだハードルが高いとは思いますが。

しかし、フレームレート問題はそのまんま残ります。私は、高解像度問題よりフレームレートの問題のほうが深刻だと思っています。いわゆる「アニメ絵」はピクセルモーションに向かないので、フレーム補完でかさを増やすのも難しいです。
*だからといって、「コンピュータ中割り」しやすいような絵や動きを人が描くようにでもなったら、何の為に手で描いているのか、根本的な意義を失い、それこそ本末転倒ですヨネ。

タブレット作画に切り替えて、高解像度の障壁をクリアした後に、より突破の難しいフレームレートの障壁が立ちはだかるでしょう。「描き送りのアニメは未来どうなるの?」ともし聞かれたら、私だったら、「描き送りのアニメは、48コマ/秒が『終点』だと思う」と偽りなく答えます。もしかしたら今の24コマが終点かも知れない可能性だってあるくらい‥‥です。

未来のアニメーション制作は、何か1つの大発明で転換したり問題解決するものではない‥‥と感じています。旧アニメスタイルの「ステップアップ」はやがて限界に達して停止し、代わりに、新たな基礎技術の集合体が徐々に姿を表すと思います。

話をインプットメソッドに戻して。

タブレット作画に変えて‥‥と言っても、アニメーター全員がタブレット作画に対応できるとは思えない‥‥ですよネ。生理的に受け付けない人は、相当数、存在するはず。
*‥‥実は私も、こんだけ長く使っていながら、どこか生理的に受け付けない部分が残っています。

ですから、1原2原のシステム(賛否両論あるとは思いますが)を逆手に取って、2原担当作業者が「デジタイズ作業」を兼ねるようになるかも知れませんネ。効率から言って、1原後の作監はいつもの黄色い紙で良いでしょうが、2原後の作監はタブレット作画を要するでしょう。‥‥うーむ、以前から感じていた事ですが、フィルム時代のアニメ制作方式をデジタルで武装する方法論って、結局、作業費の増大を免れないように思いますネ。もうずいぶん前から、フィルム時代の「システム延命措置」は、構造疲労が激しく各所に無理が生じる‥‥とは思っているのです。

ちなみに私の本命とする新しいアニメーション制作方式では、「絵の入力方式」として鉛筆だけでなく、コピックのマルチライナーや、ステッドラーのシャープペンの各サイズ(0.3〜2mm)といったアナログツールの他、ペンタブによるAutodeskのSketchBookProやセルシスのClip Studio Paint EXなど、様々な入力方法を作風に合わせて変えています。入力後の処理も諧調付きのビットマップや2値ビットマップ、ベクターなどを、やはり作風に合わせてチョイスしています。「線を描く」という行為を一元論に押し込めて束縛するのは、フィルム&セル時代の昔ならともかく、現代では正直「もったいない」と思ってます。

今のアニメは、みな「レタス線」でニュアンスに大差がありません。しかし、様々なインプットメソッドが用いられるようになると、作風を左右するくらいの描線の変化が、映像に表れるようになるかも‥‥知れませんネ。

‥‥タブレットで思い出しましたが、私はIntuos付属の太いペンではなく、鉛筆やシャーペンに近い細身のクラシックペン(下の写真)というのを愛用しています。考えてみれば、タブレット付属のペンて、鉛筆とはほど遠いぶっといペンばかりで、アニメーターが手にした時に「なんか、これじゃない」感を感じる原因の1つだとも思います。


問題のない映画

私が20代の頃にレーザーディスクで繰り返し観て、強烈に影響を受けたケン・ラッセルの映画があるのですが、その作品はヨーロッパでは「問題作」扱いされているがゆえに、今でも日本では入手がしづらく、何とか入手したDVDはPALでリージョン2の輸入DVDです。PALのDVDは再生にちょっとしたコツがいるので、面倒ですがしょうがない。

ついさっき、久々にその「問題作」を観たのですが、‥‥いやぁ、今でも「特濃」で、しばらく呆然としてしまいました。デレク・ジャーマンの美術もズンズン突き刺さりますし、もちろん若きケン・ラッセルも「ぐーでパンチ」級のカットをスタミナ切れをおこさずにどんどん繰り出すし、レッドグレイヴの演技は凄いしで、映画慣れした傲慢なワタシを否応無しに蹂躙してきます。

時代が進んで、映画技術もアップしたから、昔よりスゴい映画が作れる‥‥なんてウソだよネ。作品を生み出そうとする強烈なエネルギーの前には、進化した技術で装飾しても蛇足にしかならないですもんネ。

私は前世紀の早期から「デジタル」アニメーションに関与して、「デジタル」の優位性や利便性も多く活用してきたのですが、映像作りのつまるところは、「表現者そのもの」に行き着くのだと、まざまざと実感しております。「デジタル」は手段であって、目的ではない‥‥のは、もう何度も書いた事ですけども、私が思うに、「映像の仕事を依頼され、全うできる」ための最大要素は、まさに「イメージできること」だと思っています。「オーダーに合わせて作業して」‥‥なんていうスタンスで関わっていたら、まさに「一定の技術レベルであれば誰でもできる流れ作業」になってしまいます。「映像製品工場の歯車」ではなく、「映像を生み出す制作者」でありたいのなら、まずは「イメージする」根源が必要なのです。

ただ、その「イメージ」と、今の世との「関係性」は、いつでも「うまくいく」とは限らないので、ケン・ラッセルの「問題作」のように西欧で上映禁止になったり演者がイタリアに入国できなかったりと(カトリックの本場‥‥だもんネ)、命運はそれぞれではあります。

ここ10年のヒットした邦画を見ると、今の日本がわかる‥‥とは、知り合いの映像制作プロデューサーが言っていた事ですが、たしかに。‥‥「ストレスフリー」「問題フリー」な映画が占めていて、まさに「今の社会システムは壊さずに、ちょっとだけドキドキワクワクしたい」とか、「社会システムを支えるのは実は結構シンドイから、私を癒して」的なものなどが、そこかしこにいっぱいありますネ。発展したシステムの中で自主規制して生き、皆で平均的な個性を装いつつも、実は他人とは違う自分を心の底で求めている‥‥と言う感情の欲するところは、「自己啓発」的なエッセンスを適量やや少なめに混ぜ込んだ、「問題のほぼない」「話題作」といった感じ‥‥でしょうか。

まあ、映画の宿命、「作品でもあり、商品でもある、ダブルスタンダード」は過去現在未来と変わる事はないでしょうから、その辺(=客受け視点)の話題をツツいても水掛け論になるだけです。立場によって、視点や論点も変わるしネ。

ただ映像作品に限らず、「世間の要素」が、「葛藤やストレスを避けて通る」類いで占められていくのは、わたし的は「危ういなあ」と思います。砂の城を、永遠の牙城と思い込みたい心理は解りますけども。



‥‥しかし、DVDで映画を観かえして、レッドグレイヴのネオテニーじゃないオトナ顔は、何だかとても好きだなぁ‥‥としみじみ思いました。イギリスのプレラファエルの絵画みたいなんだよネ、顔つきが。

今のアニメは、キャラ発想のきっかけが、萌絵に染まり過ぎていて、わたし的には「もっと様々な、他のタイプもあっても、いいんじゃな?い」と思うんですけど、結局、「今はそれが売れ線だから」と言う事なんでしょうネ。

ふと振り返れば、アニメの女キャラは今、ほとんどがネオテニー。30代の女性も、おばあちゃんも、みんなネオテニー。昔はほっそりした顔のキャラもいたはずなのに、今は壊滅に近い状態ですネ。ネオテニーの代え難い魅力も解りますし好きではありますが、女キャラの顔がそれだけで独占されるのは‥‥。

美しさを感じる心の中までは、「流行というナショナリズム」に強制されたくはないですよネ。

男は(女も)黙ってHGST

「男は黙ってIBM」…というのは、2000年前後にHDDを購入する際の枕詞…だったかどうかは定かではないですが、ついさっき、ネットをダラダラと見てたら、「ああ、やっぱりなァ‥‥」という、経験を物語るグラフを見かけました。

 

http://gigazine.net/news/20140122-hdd-survival-rate/

空覚え‥‥ですが、いつだかに日立がIBMのHDD部門を買収したか何かで、IBMのHDD銘柄はHGST(ヒタチグローバルストレージテクノロジーズ)にそっくり引き継がれております。お馴染みの「デスクスター」や、企業向けの「ウルトラスター」、映像制作用に昔は「シネマスター」なんていうのもありました。

IBM時代の昔から、デスクスターなどのIBM製のHDDは、故障が少ないHDDとして、皆に何となく認知されていたのです。多少割高でも、安物買いに流れる事無く、ズンとお金を払ってIBM製を買っておけば、稼働時のリスクは低くなる‥‥という、噂ではなく、実感からくる認識でしたネ。

シーゲート‥‥。2TBのHDDを2台使っていますが、そのうちの1台だけ、買った当時(去年の春)から、イヤな音がするのよネ。カッツーン‥‥という突発的な音。キシャカシャキーン‥‥という、独り言みたいな音もするし。今まで100個以上のHDDと付き合ってきましたが(正確な数は解らないですが、100台くらいのマシンと付き合ってきたので)、こういう音を出すHDDって、昇天がはやめなんだよネェ。


*Seagateの生存率、使用後2年くらいから、かなりヤバし。
*WesternDigitalは初期不良を乗り切れば、安定動作するみたいスね。

記事はあくまで参考だとしても、HDDを何十台と使ってきた人なら、しみじみ納得するグラフすネ。

まあ、ぶっちゃけ、HDDの銘柄にこだわりが無いのなら、HGSTの7,200回転のDeskstarあたりを買っておけば、多用途だし、エラーを回避できる可能性が高まる‥‥のかも知れませんネ。

ちなみにHDDの銘柄と言えば、アマゾンでよく売れてるウェスタンデジタル(WD)の「Green」は、映像制作の作業用には全く向きません。Greenは「とりあえず大量のデータを倉庫にしまっておく」的な用途に生きるモデルで、リアルタイムにデータを読み出す編集ソフトや、頻繁にデータをリードしてキャッシュするAfter Effectsのようなソフトには不向きなのです。Final CutとかでGreenを使うと、SATAなどの高速バスに接続してても「ストレージの読み出し速度が遅過ぎるよ!」と警告を受けます。高速道路をトラックが走っているようなもので、レース車のような加速もトップスピードも無いのがGreenです。映像制作作業用途ですと、WDの場合ならば、単体ならBlack、RAIDならRedあたりが適しているのかも知れません。(1万回転の
VelociRaptorは使った事がないのでわかりませんが、おそらくHGSTのCinemastar的な感じじゃないか‥‥と)
*単に一般向け映像ファイル(H264とかMP4)を1ストリーム再生する用途なら、Greenでも全然充分です。ProResなどの高画質ムービーを複数ストリーム再生する際に、ストレージの速度が必要になるのです。


今回参考にした記事の一節、「「Western Digital Green」の3TBモデルや「Seagate LP」の2TBモデルなど一部の低消費電力モデルではトラブルが極めて多いことから、公平性の観点によりデータから除外している」‥‥というのも、ショッキング。公平さを欠くくらい、故障しとるんかいな。「Greenはトラブルが極めて多い」‥‥、‥‥まあ、確かに。

宅環境のバックアップシステム

3D(ステレオグラム)の時は、ぶっちゃけ「他人事」ではありましたが、4K8Kはまさに「自分事」なので、世間の動向は気になります。情勢を鑑み、私も自己ロードマップに修正を加えて、「配分」を少々変更しようと思っています。恐らく今年以降、各社各所で色々な4Kアニメが試作されると思いますが、私のターゲットは既に定まっているので、より具体的な作業システムの構築へと駒を進めようと考えています。

ふと、活動の基盤となる自宅のサーバを改めて点検してみると、外付けのHDDは全部が低価格大容量の「WD Green」。意識してGreenを購入したつもりはありませんでしたが、ディスクユーティリティで型番を見てみると、見事に全て「EZRX」です。あちゃー‥‥。これは単純に運用資金の問題ですネ。価格面から、何となくGreenを選んじゃったのでしょう。‥‥個人レベルのイタさではあります。金に余裕があれば、Greenなんて買わないですもん。タイの洪水が尾を引いてて、HGST(日立)のHDDとかも高騰していた時期だったかも知れません。‥‥でもまあ、購入当時にGreenがサーバ向きではない事を知らなかった私自身、ぶざまではあります。
*ちなみに、私の周りには「Greenにやられた」という人は結構居ます。まあ、製品の品質だけでなく、輸送経路にも問題はあるのでしょうが。

Greenすべてを一度にRed7,200rpmのDeskstarに置き換えるほどの資金的馬力は無いので、HDD現物はおいおい置き換えていくとして、まずはディスクの構成を変更して、RAID0+1風な履歴バックアップ環境へと組み直しています(GreenはRAID向きでは無い…との製造元のアナウンスもありますが)。バックアップ用にRAID0(もしくはRAID5)を組んでタイムマシンバックアップするので、「RAID0+1」「RAID1+0」ではなく、「RAID0+1風」なのです。

私の経験ですが、バックアップするデータ合計が、既存のHDD最大容量を超過する場合は、ディスク分割して細切れバックアップするのではなく、必要な容量になるように連結したRAID(もしくはJBOD)とタイムマシンでバックアップしたほうが、結果的に信頼性が高いようです。もちろん、あくまで「個人レベル」の話、ですけど。
*ここで言う「バックアップ」は常時作動するバックアップシステムの事をさしています。データをコピーした後、非作動にして保管するバックアップ(アーカイブ)とは別です。

バックアップソフトって、結局はシステムを不安定にして、本末転倒になりやすいように思います。これはもう、20年近くの経験で‥‥。タイムマシンだけでもそこそこ負担なのに、それに加えてバックアップソフトを併用するのは、リスキーな感じがします。‥‥というか、リスキーだと悟りました(=体験済み)。

個人で構築できるバックアップシステムって、数十万円するラックマウントのストレージではないですよネ。エンターブライズではない一般流通のHDDの中からチョイスし、4発のUSB3.0箱に組み込んで、バックアップ基盤を作るのが現実だと思います。個人のバックアップシステムとは結局、そうした現実の中でどのように「耐障害性」と「安定性」を獲得するか‥‥という言う事なのでしょう。

その時に必要になるのが、「何を買って」「どのように組むか」と言う知識と経験です。この辺の情報って、意外にネットにはほとんど出回ってないのよネ。これとこれを買って組んで、このようにシステムを設定すれば、個人映像制作の保守はバッチリだ!‥‥なんて情報、見た事がないス。個人ごとのマシン環境によって、YESがNOに変わる事も往々にしてあるから、「これでキマリ!」なんていう事は公言できないのかも知れませんネ。なので、各個人が「相性の良い」機材や運用法を見つけていくしかない‥‥のだと思います。

今のところの私の定番は、データを保存するHDDはシングルモード(RAIDなどディスクのArrayを組まない)、バックアップ先はディスク連結による大容量パーティション‥‥のような感じです。HDDの銘柄は、HGSTの7,200rpmあたりが良いと考えています。箱の選定は実は一番難しくて、今のところ、ロジテックの4発が健常に動作してはいますが、どんな環境でも安定動作するとは限りません。買った製品が正常に動作してくれるかどうか解らないのが、この手の箱の怖いところです。‥‥自宅の押し入れには、2〜3個の「安定動作しなかったUSB3.0の箱」が眠っておりますから‥‥。
*SCSIだろうが、FireWireだろうが、ドツボにハマる時はハマりますよネ。USBは障害の頻度が高いように感じはしますが‥‥。

これから先の未来、アニメーション制作において「絵を描く人」には「作画技術」はもちろんのこと、「映像技術」も必須になることでしょう。こんにちまでのアニメーターは「作画のプロ」である事は多く望まれましたが、「映像のプロ」である必要性は暗黙のうちに免除されてきたフシがあります。しかし、4K48fpsのような次世代のフォーマットやテクノロジーを自由自在に使いこなすようなアニメーターになるには、「映像のプロ」の素養も必要になる事でしょう。だとすれば、「映像を具現化する媒体であるコンピュータ」に関する知識も併せて必要になるのは明白です。

分け隔てなく、システムクラッシュやHDD障害など「キングボンビー級の災難」は誰にでも襲来しますから、その際に「多くを、または全てを失う」事になるのか、「1日のロスで復旧できるのか」は、まさに「コンピュータに関する知識」がモノを言う事になるのでしょう。

4Kは本当に来るのか

4Kのフォーマットは、未来のスタンダードとして、本当に定着するのか?‥‥と言う疑問は、誰もが感じる事だと思います。私も、「世のインフラ」の点で多少の疑問が浮かびます。H.265などの次世代圧縮技術を用いたとしても、世間を這い回るビットレートが現在よりある程度高速化しないと、配信自体が不可能です。数百Mbpsを可能にした次世代ディスクとディスク再生装置だけで映像を売る方法も、如何にも伸び悩みそうです。

4Kの未来を語る時、よく引き合いに出されるのが「3Dテレビ」です。「3Dテレビは、家庭のスタンダードにはなっていない」と。‥‥しかし、4Kと3Dテレビは発想の基点が大きく違います。もし引き合いに出すのだとすれば、「SD」(昔の地上アナログ派やVHSビデオ)を出すべきでしょう。

3Dテレビの是非については、色んな事情があって、あまりここでは触れられないので、書きません。スミマセン‥‥。ただ1つ書ける事があるとすれば、3Dステレオグラムの本命は、部屋の一角に設置して映像を再生する機器ではなく、視界を全て覆うHMDのような機器だと思っています。普通に考えて、リビングの一角だけ立体視なのって、‥‥まあ、いいや、それは。‥‥ただ、現在のHMDは人間の視覚能力に比べてまだまだ性能不足だと思いますので、より一層の技術発展が必要だとは感じています。

4Kのフォーマットは、平面のテレビに、平面のフォーマットが高機能化する「伝統的な進化系」なので、「普及する可能性は高い」と感じます。というか、いつのまにか普及させられていた‥‥のようなオチのような気もします。

私は今では、HD&30pの映像を見ても、「なんかもっさりしているな」と感じるようになってしまいました。特に「動き」が気になってしょうがありません。「1秒間に24〜30枚の画なんて、いかにも分解能が低過ぎる」と感じてしまうのです。48fps以上の動きを知ってしまった現在、「テレビの映像とはこういうもの(=30fps以下)だ」と括っていた頃には、もう戻れなくなっているわけです。‥‥それは、48p, 60pに慣れた人間なら、誰もが感じる感覚だと思います。

人の能力を凌駕してしまうほどの「過剰な高スペック」なら、「そんなの要らない」となりますが、現在のHDフォーマット(2K)は人の視覚能力よりも遥かに下のスペックです。潜在的なフリッカー障害(=動きが何らかの理由でチラついたりガタついて、視覚上の大きなストレスとなる)を喜ぶ一般の人は稀で、普通はストレスの無いほうに向かうと思います。フリッカーを喜ぶのは、24コマフィルム好きの映画マニアくらい‥‥かなぁ。(=私も実はその気がありますが‥‥)

4K48fps以上の映像は、ぶっちゃけ、ストレスが少ないのです。コマ落ちの動きに、視覚能力をフォーカスしなくて良いので。

しかし‥‥。今、4Kとしてデモしている映像って、24〜30fpsが相当紛れ込んでないか? ‥‥これじゃあ、訴求力に事欠きますよネ。上映するものが無いからって、中途半端なコンテンツで4Kをデモするのは、4K8Kにとって、甚だしく逆効果なように思います。色んな事情はあるとは思いますが‥‥。ハッキリいって、ビデオ解像度を4Kにアップしただけで、フレームレートが今のままでは、効果はほぼ感じられません。映像演出は何も変わらないまま4K24p〜30pでは、プラシーボ効果と揶揄されても、致し方あるまい。

ハード技術だけ進歩しても、ソフト〜「出し物」が無ければ、あっという間に息切れしますよネ。「ゲーム機大戦」じゃないですけど。また、インフラや社会情勢〜世間の状態も極めて重要なファクタです。

3Dテレビとちがって、4K8Kは「人間の生理面」だけで考えても、充分普及する可能性は高いです。明確に気付いていないだけで、現HD映像でも、人々は相当なストレスを受け流しているのですから、そのストレスが減少する未来のフォーマットを拒絶する理由は見当たりません。人々はストレスの少ないほうに「必ず」流れるわけで、もし4Kにストレスがあるとすれば、まずは「その導入価格」でしょうネ。

 


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