プラモのイメージ力

アニメーション映像制作において、3DCGの活用が浸透して久しい現在ですが、表現手法の選択肢が増えた事と、実際の表現内容は、全く別の話であって、実は「表現内容」に関しては昔とあまり代わり映えしていないように感じます。でもまあ考えてみれば、絵コンテを描く人間のイメージ力が過去現在変わらないのなら、それを作画にしようが3DCGにしようが、完成した映像の「見せ方」が変わるわけもないですよネ。変わるのは「立体がちゃんと描けてる」とか「中割りで崩れない」とか、実作業でのクオリティ&コストの部分です。

要は、技法やツールの進化とは別カテゴリで、自身のイメージ力は維持・発展させ続ける必要があるのです。「あーもして、こーもして」と頭の中で想い浮かぶ事は、作り手にとって「大前提」なわけですが、反面、あたまの中でイメージを繰り返し過ぎると、いつの間にか「自己模倣」に陥る危険性もあります。なので、ロケに行ったり、実物を見たり、「自分の頭の外」の要素も吸収する機会を設けて、「自身のイメージ生成プロセスに刺激を与える」わけです。

「でもさ、身近にはないものはどうすんのよ?」と思うかも知れません。‥‥なので、私は手軽に手元に置けるプラモデルを、「頭の外」の「刺激要素」の1つとして活用しています。ネットで検索収集した図像、資料本だけでは、所詮、「その図像の作者の視点を経由」した「借り物のイメージ」になります。他者の図像は「ディテール参考」「基本設定」におさえて、アングルの狙い方や構図は「自分でやる」のが良いです。

眼の前に、現実に存在する立体は、頭で考えたりネットで画像検索するよりも、格段に脳みそをグングン「挑発」してくるのです。


*お城のプラモデルなんかもありまして、安価ゆえ精密感はさほどではないですが、簡易見取図で立体把握に四苦八苦するくらいなら、プラモを見取図代わりにしちゃえば良い‥‥なんて考えもできますネ。

例えば、作品中にF/A-18Eという艦上戦闘攻撃機が登場するとして、ネットでF/A-18の写真を集めまくって、それをパッチワークのように組み合わせて絵コンテを描く事は出来るかも知れませんが、そういう作り方って往々にして「寄せ集め感」が観客に伝わってしまいます。「他人の資料を見て作りました」的な感じがでちゃうのよネ。さらには、写真にない部分は「絵的にしどろもどろ」になって、「積極的な見せ方から逃げる」ようなスタンスが滲み出てしまいます。

しかし、手元にタミヤかハセガワのF/A-18Eの1/72のプラモデルが1つあって眺めているだけで、色々な見せ方が「頼まれなくても浮かびあがって」きます。タミヤのキットなら本体価格1,300円(+税)スよ。そんなのも買えないくらい、制作予算に困る事はないでしょう。


*商品写真ス

「でもプラモデルって、買って組み立ててだけじゃ済まないじゃん。塗装とか大変だよ。」とも思われるかも知れませんが、「カメラアングルをイメージするのに、なぜ、塗装まで奇麗に仕上げた完璧なプラモデルが必要なの?」と私は疑問に思うわけです。メーカーの商品写真は、そりゃあ、かっこよく仕上げるでしょうが、カメラアングルや演技プランを練るのに、スケール感タップリのハイテク塗装術を駆使したプラモデルは全然必要ありません。ぶっちゃけ、瞬間接着剤メインで組み立てて、デカール(シール)を貼って、最後に半光沢の水性トップコートを吹き付けるだけ(接着剤やデカールの反射を抑える)で、充分、参考モデルになります。瞬間接着剤と流し込み接着剤は合計500円くらい、トップコートも500円くらい、ニッパーとカッターとヤスリで1,500円くらい、4時間くらいで完成できる(手先の器用な人なら2時間くらい)と思います。

映像制作における「モデルとしてのプラモ」は「最高傑作を作る必要はない」のです。しかし、汚く組んでもイメージが萎えるので、短時間で素組みで丁寧に組んで、最後はトップコート(=これが実はとても重要)で光沢を均質に仕上げると、何かと頼りになるモデルになってくれます。

まあ、欲を出して、「キャノピーをマスキングして枠だけでも塗装しよう」とか言い始めると、途端に組み立て時間が延びるので、サンプルと割り切る事が重要です。

私は、演技イメージ目的のプラモデルに留まらず、色々な活用法を考えているので、サーフェイサーを吹いて墨入れをする工程を追加しているがゆえに、手間はそこそこかかりますが、やはり完全塗装よりは格段に制作時間が短く済んでいます。


平行作業で2〜30機作っているので、サーフェイサーを吹く時も5〜6機まとめて吹いて、このような干物状態で干します。現行製品だけでなく、往年の製品も作る事が多く、写真右からF-5A、MIG-21、F-105はいずれもハセガワ1970〜80年製の「ベテランキット」です。F-105は私がまだガンダムZZとかの原画を描いてた頃(駆け出しの頃)に大泉学園のおもちゃ屋さんで買ったキットですが、四半世紀経過した現在に作っているのも何だか不思議です。

プラモデルではなく、Google SketchUp(以後GSU)の豊富な3Dモデルでも、イメージを刺激する事は出来るのですが、プラモデルほどライブラリが豊富ではない事と、何よりも「あらゆる方向と距離から眺め回す」UIがプラモデルのような手持ちの実物に劣るので、私は「プラモとGSUは併用」が良いと考えています。実機メカの場合、プラモとGSUの両方があれば、プリプロでのイメージングは自在と言っても過言ではないですし、デジタルフローにも適応しやすいです。まあ、折りたたみの撮影ブースを用意しとけば、プラモデルでも充分、デジタルフローのラインに載せられますけどネ。

制作体制や制作ツールがどんなに進化しても、頭の中のイメージ力は進化しません。私はむしろ、ツールが進化すると、イメージ力が一層問われるようにも思います。ツールが進化して高性能化してくると、「アンタのイメージは、その程度か?」と逆に赤裸々にイメージ力が照らし出されて、「ツールの性能に責任転嫁できなくなる」のです。

映像制作のプロになると、「参考資料を用意してくれれば、適当に考えておく」的なスタンスをとり、さらに「少ない情報でもイメージを膨らますのがプロだ」みたいな意識を持つようになりますが、プロになったからって全知全能になれるわけではないので、大体は「鉄板」「定番」と言った「成功例の型」に当てはめて、半ば事務的に「体よくまとめる」だけです。‥‥私はそんなのイヤなんですよネ。作ってても、見てても、面白くないもん。

そんな時、イメージ作りに案外役に立つのが、昔ながらのプラモデルだったりするのです。
 

Flicker 追記

前回書いたフリッカーの話題ですが、映像における描き換え速度、つまりフレームレート、リフレッシュレートが変われば、当然、フリッカーの「立ち位置」も変わってきます。1秒間24コマでPANするのと、1秒間96コマでPANするのでは、PANの滑らかさが大きく変わってきますよネ。

止め絵を連続して再生するアニメにとって、フレームレートの向上は、「映像原理的には有利」に作用するのです。24コマにこだわり続けている以上は、どんなにフレームレートが高速化しようと無縁ですが、作画などアニメーションの動きの要素をフレームレートの向上に追随できれば、止め絵でも随分と滑らかに見えるようになります。

まあ、アニメ業界的には「24コマは絶対神」だった時期が長く(今も続く)、30フレームのビデオにも対応しなかった経緯がありますので、フレームレートの変更は未来も相当「ゴネる」とは思います。最近対応した作品でも、24コマを30フレに変換する際に、プルダウンか「12344」で変換するのを見かけましたから、相当に「剛情」ですよネ。実は、24コマでも30フレにプログレッシブで対応する方法はあるのに、今でも「フレーム合成」「プルダウン」「12344」で対処しているのは驚きました。ゲーム内のアニメパートのニーズにおいては、24コマ作画でも29.97NDFにプログレッシブで制作できますが、「12344」で対処してはあまりにも品質的にマズイ‥‥と思います。フリッカーとは別の理由で、PANがカクっちゃうからね。
*ちなみに、PSゲームの攻殻機動隊のOPを作っていた1996年頃は、30フレームのタイムシートによって作画から「ど直球」で30フレに対応していた時期がありましたが、横で繋がる現場の不評と反発の末、30コマシートによる制作は消滅していきました。「歩きの中3枚、中5枚」に代表される「作業の定番が崩れる」のが、一番の原因だったと聞き及びます。

アニメ業界の状況を見ていると、「絶対に24コマとは別れられない性(サガ)」を、根深く感じます。生まれた時から24コマだから、一生を24コマのまま続けたいのかなぁ‥‥とすら感じられます。

ただ、戦前のトーキーの映画が現代の人々の目には著しく古めかしいものに映るように、24コマも周囲の技術進化との相対で確実に古めかしいものに変わっていきます。作品の良さは映像技術の善し悪しで決まるものではないですが、作品も社会性を否が応でも背負わされるので、現代に「トーキー映画と同等の技術レベル」のものを「新作です」と発表しても、世間はもう認めてくれないわけです。結局、「人も作品も、現代に生きるしかない」のです。

フリッカーをちょっと掘り下げただけでも、色々な事が見えてくる、これからのアニメーション制作。フィルムによって鎖国されていた「アニメの江戸時代」は幕を下ろし、デジタル導入の移行期を経て、新しい時代へと進むように思います。サムライがカタナを外し、髷を切り落としたしたように。‥‥私はカタナの代わりに、アサルトライフルを身につけよう‥‥と思っとるのです。



*注記)「フリッカー」は前回も書いたように「ちらつき」の総称ですので、このブログを読んで「フリッカーとはカメラワークによってのみ発生する」とか思い込まないでください。色んなフリッカーがあります。エッジがシャープ過ぎる事によるテレビ上映でのフリッカー、付けPANのフリッカー、再生環境特有のフリッカー(他の再生環境では発生しない)、そして今回の無理なカメラワークによるフリッカーなどなど。たまに「フリッカーは1つの障害の事だけを指す」と思い込んでいる人がラッシュチェックに紛れ込んでたりしますが、‥‥また1から説明するのか‥‥と面倒くさくなります。

Flicker

私が、新しいアニメーション技法において「防ぎたい映像障害」の筆頭が「フリッカー」です。だた、フリッカーは意味が広すぎて(=「ちらつき」)要領を得ないので、もう少し具体的に言うと、「カメラワークによるフリッカー」です。全体をボカし過ぎるほどにボカす、俗称「アンチフリッカー」の事ではなく、「絵コンテの段階で既に発生が確定しているフリッカー」の事を今回は指します。

カメラワークでも特に「横PAN」「横Follow」の時に、フリッカーが発生しやすいです。条件はほぼ決まっていて、「24〜30fps映像内において、垂直に立つ図像を、残像を出さずに、横方向に一定以上の速さで移動させた」時に必ず発生します。これが見ていて「不快そのもの」なんですよ。例えば、垂直に立った電柱が左から右に流れていく時、「パカパカパカパカ」と不快な残像を目に残しながら移動しますが、ソレが今回の話題のフリッカーです。

実写でも数百分の1秒のシャッター速度で映像を記録すると、輪郭のハッキリした絵が「目にひっかかる」、フリッカーと同等の絵になります。それを逆手に取って緊迫感・現実感として活用したのが、「プライベート・ライアン」の冒頭、オマハビーチのシーンですネ。

要は、高速移動する物体を残像無しで映像化した際に、目に「カッチリとした絵が連続で焼き付けられて、見ていて不快になる」のを、フリッカーと言い表している‥‥のです。不快にならなければ、フリッカーとは呼ばれず、むしろ「シャープ」で「キレが良い」なんて言われたりします。

ではなぜ、アニメでフリッカーが気になるのか。それは映像の1フレームごとが「止め絵」だからです。残像が無い世界ゆえに、画面の全ての要素が「フリッカーのリスクと隣り合わせ」なのです。フリッキングの限界値を超えた時のみ「不快」に映るだけで、そこら中が「フリッカーの温床」なわけです。

恐らく、この「PANフリッカー」「Followフリッカー」を避けるための明確な指針は、アニメ業界の長い歴史の中でも未だに確立されていないと思います。ゆえに、絵コンテのノリで、いくらでも不快なフリッカーは「発生する危険」があります。フリッカーの障害云々以前に、「こんな速いPANだと不快に感じる」という理由で、経験的にフリッカーを「知らずのうちに」避けている演出さんはいます。しかし、技法としては明確化されてはいません。

もちろん、金と時間と技術(=ボカせば良いというものではないので)がある現場では、速い動きには残像を「デジタルで」付ける事によって、「残像のあるアニメ絵」を作り、フリッカーを除去または軽減する事は可能です。私も前世紀から、随分とモーションブラーを「フリッカー除去目的」で処理してきました。

しかし、どうしてもダメなものはあります。アニメにありがちな「説明的なPAN」とかネ。例えば、会場内に集まった客のモブ、横2〜3倍のフレームを、3秒でPANとか。‥‥立つ人々が「垂直の図像」なので、3秒でPANするとそれはもう、フリッカーが出るわ出るわ‥‥。だからと言って、「会場に集まった人々を見渡す意図」なので、モーションブラーを付けるわけにもいかんのですよ。見せるための被写体を、ボカして見えなくしてどうするのよ‥‥と。
*ちなみに、実写ではファインダーを覗いた段階で「3秒でPANすると速すぎる」と目視できるので、事前に避けられるのです。絵コンテは目視確認できないので、破綻したカメラワークをいくらでも書けてしまいます。

解決法は簡単。尺を倍以上に伸ばすか、そもそも違う構図や組み立てで表現する‥‥という事です。つまり、絵コンテや演出を変える‥‥という事ですネ。「尺を伸ばすと、テンポが悪くなる」のは解るんですが、それ以前に「そのカメラワークと尺のテンポ感の方が、そもそも‥‥」なんですけどネ。

でもまあ、これを今のアニメ制作現場に訴えても、「今まで良かったんだから、これから先も良いじゃん」となるのは明白なので、特に提言はしません。フリッカーも含めて「今までの日本のアニメのスタイル」だったので、それはそれで馴染んでいる層もいる事だし、アリでしょう。特に、敬愛する出崎統さんの作品群は、フリッカーも含めて「映像の力」だったりするので、全否定するつもりは毛頭ありません。

ただ、未来の4K8K、48〜120fpsのアニメーション作品では、効果とは別物の、みっともないフリッカーは「絶対に避けたい」です。少なくとも私は、です。‥‥折角、美麗な絵を作っても、カメラワークの障害で冷や水を浴びせかけてたら、台無しですもんネ。

コンピュータ上で「作画行為」をおこなう、私の準備中のアニメーション技法は、シャッター速度(か同等のあれこれ)の設定で、残像を制御する事ができます。フリッカー抑制のために残像を長めにしたり、絵にチカラを持たせるためにあえて残像を極小にしたり‥‥と、意図的な操作が可能です。これはキャラだけでなく、背景美術にも適用されます。「3DCG」じゃなくても、2Dでもできるんヨ。作画でできない事は、何でも「デジタル」「3DCG」に放り投げてダイインする脳みそだと、理解できないかも知れませんが‥‥。

実写だとあまり見かけないフリッカーですが、アニメーション作品も「見る側を世界に引き込む」ためには、フリッカーで「現実に引き戻してはいけない」と思うわけです。近い未来、周りが流麗な映像で満たされた時、アニメのフリッカー障害がどんな風に人々の生理に訴えかけるか‥‥、考えただけでも侘しくなります。

まあ、要は、習慣でアニメを作らず、新しいキャンバスの上で、美しいアニメーションを描きたいのです。

フリッカーは、障害ではなく、手管として使おう!‥‥という事です。

 

むしろ2Dアニメの方が

実写の4K映像とか見ていると、どうもピンとこない事が多く‥‥ありませんか? そのほとんどが、動きがまだ24〜30fpsのままでしょうがない部分もありますが、「あまり2Kと大差ない」と感じてしまう事が、店頭のデモとかでも多くないスか?

たしかに奇麗ではあるんだけど、その奇麗さがあまり伝わってこない‥‥というか、カメラの意識が従来の映画やHDのままで、4Kのポテンシャルがあまり活かされていないように感じられます。例えばアクションのシーンで、SD〜HDでは有効だった「ハンディブレ」の表現も、むしろ4Kでは「スケールダウン」する方向へと傾いているように思います。

3DCGのカットは特にその傾向が顕著であり、加えて、4Kドットバイドットでは作っていないように思われるフォーカスの甘い絵が多いので、余計に「4K感」が薄いです。

つまりひとことで言えば、4Kのわりには、「絵が緻密だ」という印象が「希薄」なのです。

構図の作り方やカメラワーク、尺の感覚などが、ぶっちゃけ、旧態依然のまま‥‥なんでしょうネ。いくらコンピュータに負荷をかけても、思想が旧いままだと、4Kは活かせないのでしょう。

その昔、テレビドラマが16mmフィルムからビデオカメラに変わった時に、演出法やカメラワークが16mmの意識のままで、ビデオカメラの長所よりも弱点ばかりが出てしまっていたのを思い出します。または、レコード盤からCDに移行した際の「間をどうやって埋めたら良いか戸惑った」事‥‥とか。遥か時を過ぎた今だと、当時はビデオカメラやデジタルオーディオの活用法が確立されてなかった‥‥とオトナ顔で述懐できますけども。

4K8Kも同じで、従来の見せ方のままでは、ポテンシャルを引き出せるとは思えません。でもまあ、移行期って往々にして、そういうの(ポテンシャルを持て余す作品)がいっぱい出てくるもの‥‥ではあるんですけどネ。

思うに、2Dアニメのほうが、素早く、4Kのポテンシャルを引き出せるんじゃないスかね。何よりも、「絵である事が有利に働く」と思うんですよ。‥‥もちろん、1280pxの絵をアップコンなんて論外ですが、4Kに相応しい絵作りをすれば、2Dアニメのほうが緻密さや鮮明さを強くアピールできると思います。だって、作り出した元々の状態が凄く鮮明で緻密なんですから。

実は2K〜HDでも、作り方や意識が変われば、ボヤけた皮が何枚も剥けたように、緻密で繊細になります。‥‥今、同室でとあるOPの「作り変え」の作業をしていますが(私はノータッチ)、意識の違う人間が作れば、同じ素材でも、デリケートかつインパクトのある画面に仕上がります。本来の「HD」の姿とでも言いましょうか。

4Kではなおさら、意識の差が画面にありありと浮かび上がる事でしょう。アニメなのに「ボケて不鮮明な4K」を作る人々も出てくるとは思いますが、それもまあ、全体としては必要な要素ではあります。価格に応じて、様々な品質の上下があって、全体は成り立つのですから。

私は以前、2007〜2009年頃に、新しい技法を盛り込んだ実験的なPVを制作していましたが、当時は新技法も未発達でしたし4Kなんて考えもしなかったので、やはり「そのような意識の映像」になっています。なので、今はいくつかをチョイスして再作業(というか作り直し)をしています。前にも書きましたが、技術や思考が1年も経たずに色褪せるほど、現在は技術の進化速度が速いです。

戦時は技術が格段に進歩すると言いますが、そういった意味では、戦争はもう既に始まっているのかも知れませんネ。

あとは、フレームレートが48,60に上がってくれれば、さらに「戦争が有利」に進められる‥‥んですがね。インフラがもうちょい、整わないとなあ‥‥。

アイヲッチ

セイコー製のがあったんか。




ニッセンのカタログで見たヨ。先行発売か。

‥‥というのは冗談ですが、 しかしまあ、アップルウォッチと上のを比べると、質感や細部の精密さに、かなりの差がありますネ。セイコー製のは、商品写真ですら、リムの黒い部分の仕上げが雑ですもんネ。

AppleWatchは、さすがに仕上げは奇麗です。この辺は、Appleの独壇場ですネ。



果たしてアップルウォッチ、来年のいつ頃販売開始して、どのくらい売れるんでしょうかネ。

一番気になるのは、充電です。この「時計」はどのくらいバッテリーが持つんでしょうか。まさか、朝に充電完了したのに、その日のうちに出先でバッテリー切れなんて‥‥ありえないですよネ。

最近、人々って「バッテリー切れ」の煩わしさにつきまとわれて生きているようなフシがあります。もちろん、それと引き換えに便利な生活を手に入れてはいるのですが。

カメラなんかも、昔は1〜2年放っておいても普通に写真が撮れましたが(装填済みのフィルムの状態は、あまりほったらかしにすると、ヤバいかも知れませんが)、今はバッテリーが放電して使えない事がほとんどです。まあ、それと引き換えに、フィルムの煩わしさ(フィルムの購入・装填・現像)から全て開放されたのですけども。

実は私、前から時計が欲しいと思ってたので、タイミングが合えば、このAppleWatchでもいいかな‥‥とは思っているのですが、性能が時計以下だったらどうしようかな‥‥とも思います。ディスプレイの省電力のため、現在時刻を確認するたびにスリープ解除操作しなければならない‥‥とか、そもそも頻繁に充電しないとダメだとか、バッテリーで熱くなるとか。時計の基本事項をクリアできているかが心配ではありますが、まあ邪推はほどほどにして、2015年の発売をまずは待ちましょうかネ。

情熱溢るる

USBのハブが原因(だと思われ)の「たまにHDDがアンマウントされる」トラブルに対処すべく、VL811を搭載したハブを購入、同時にUSBケーブルにも番号ラベルを貼って整理し、現在めでたく安定動作中です。今使っているロジテックの4発のハコ、ハブはサンワサプライのものですが、USB3.0の外付けディスクは、ハコとハブの選定がとにかく重要ですネ。

で、ハブの設置に絡んで、HDDのマウント・アンマウントを繰り返している中で、HDDの中身を無作為に掘ってたら、昔のデータが色々と出てきました。PC98のマルチペイントで描いたイタズラ描きとか、10代の終わり頃に作ったオープンリールMTRの楽曲のキャプチャとか‥‥。2000年劇場版Bloodのパイロットフィルムを作る時に、音楽制作も担当したのですが、その際の初期段階の音楽スケッチとかも出てきましたし、Blood終了後に企画を動かしていた作品のパイロットフィルムの音楽とかも出てきました。

Bloodパイロットフィルムの音楽スケッチは、公開されたバージョンではなく、重く這うような雰囲気の楽曲で、およそ短尺向きのものではないのですが、今聴き直すと「やりたい事をやった」内容で、自分ながら何だか微笑ましいような感じです。もう一方の企画の音楽はもっと顕著で、「やりたい事をやってみたけど、どうしても力不足だった」事が、今聴くとありありと感じ取れます。力不足とは、当時の自分の技術、機材的な限界、そして何よりも「ジャッジ能力」の低さ‥‥でしょうか。Bloodの頃が27才前後、その後の企画の時が30才前後ですが、まあ、「いっぱいいっぱい」だったのです。

ただ、改善すべき点は所々にあれど、訴えかけようとする「情熱」は溢れていて、「安全牌」で作っていないところは、自分で言うのも何ですが、とても良い感じです。歳喰うとさ‥‥、もの作りの段取りに慣れ切って、不遜・傲慢になって、それが作品に如実にでちゃうじゃないですか。「鉄板」とか「今どきのウケる路線」とかネ。‥‥そういうのが、無いのよネ。流行で作ろうともしてないですし。

そんなこんなを考えるうちに、当時の企画のパイロットの音楽を、今の機材と視野で作り直してみようとかな‥‥と考えてます。もちろん、本業の隙間で‥‥ですけど。14年経過して、ようやく振り返って、見直す気になった‥‥とでも言いましょうか。

その当時、分不相応にも、拡大した四管編成(金管を増強)で作っており、私の能力をオーバーフローするばかりか、機材の限界をも超え、クライマックス部分の処理が追いつかず発音で遅延が発生して、今聴くとかなり「音が雪崩れて」おります。当時は鳴ってほしいように鳴ってくれなくて、もどかしさでいっぱいでしたが、今だったらまず、マシンの性能が桁違いに上がってますし、どのようにすれば鳴るのか大体解ってきた事もあり、もうちょっとマシなものが作れるように思います。昔は、鳴らそうともがいて、要素を足すばかりで、引く事ができなかったんですネ。結局、「構造を見てるつもりで、見てなかった」のかも知れません。

人の生きる世は、情熱がたっぷりある時には技術や環境が足りず、技術力も向上して環境が快適になると情熱が冷めていく‥‥と言う、何とも残酷なベクトルを示すものですが、今の私には手強い新たな攻略目標たる4K8Kもあるし、ライトモティーフに基づく作品作りもあまり出来ていないしで、当分の間は情熱が冷める事はなさそうです。私は「劇伴ではない音楽」「塗り絵ではない色彩」を、描画やストーリーと同列に用いて、示導動機としてポリフォニックに扱う語法を20代の頃からイメージしていますが、昔作った音楽を聴くと、その当時の情熱が沸々と沸き上がってくるのです。もしかしたら、40代の現在、各種デジタル技術が発達している今、ピースがようやく揃おうとしているのかも知れませんネ。

ゼンハイザーのヘッドセット

以前2,000円前後で購入したPC周辺機器メーカー製のヘッドセットのイヤーパッドが崩壊してしまったため(=ボロボロに粉々になる)、ヘッドセットを新調しました。イヤーパッドを交換すれば済む話かも知れませんが、とにかく音質が「不快なくらい悪い」ヘッドセットだったので、これを機に買い替えることにしたのです。

買ったのは「PC8」というヘッドセットで、メーカーはゼンハイザー、ヘッドフォンではお馴染みのメーカーです。ただ、老舗のメーカーとは言え、ヘッドフォンの本流から外れる「ヘッドセット」は「音は聞こえてればそれでイイ」とばかりに、周辺機器メーカーのと大差ないショボい音質かもしれない‥‥と、買う前から覚悟して購入してみました。ゼンハイザーがどれだけのものか、4,000円を賭けてみたのです。



商品が届いて、USBに差してMacOSXの環境設定で「Sennheiser USB headset」を選択し、実際に音を聴いてみると、何よりもまず最初に、「音楽的な」印象に驚きました。たまたまiTunesで「Tristan und Isolde」の前奏曲が再生され、「ヘッドセットじゃだめだろうな」と最初は見くびっていたのですが、例えば、チープな音質だと「蚊の鳴くような音」になりやすい弦楽セクションの音も、ふくよかな曲線を思わせる「真ん中から下」のニュアンスも拾っており、明らかに「ヘッドセットのイメージとは異なる音質」を出力していました。事前にカタログスペックをWebで調べて「42 - 17,000 Hz」である事(=あまりレンジは広くない)は確認しておりましたが、カタログスペック以上の「音楽的な雰囲気」をもっています。

日頃からAKGやSONYのスタジオヘッドフォンを使っていると、音の上下に余裕がないのは感じますが(つまりカタログスペック通り)、決してそれが弱点になっておらず、むしろ、聴き疲れしない方向にまとめられているのが、非常に好印象です。刺激的な高音が丸まっているのが、「コモり」のようなマイナス要素に感じられないので、「まあ、こういうのもアリか」という気持ちになるのです。ただ、管弦楽に限らず、ロックやポップス、ジャズなどにおいても、低音の「絶対量」は控えめに感じるので、iTunesですと「イコライザ」で低音を持ち上げると補えます。ただし、音楽の雰囲気はイコライザなしでPC8オンリーでも充分伝わりますので、私はイコライザ無しで聴いています。

音場は広くはなく、コンパクトな印象ですが、オンイヤー型としては標準的なレベルだと思います。オンイヤー型なので、耳への乗せ方のちょっとした差で、低音の量が変わります。とにかく「音圧重視」で、かつ、分厚い低音が必需品の人は、このPC8では物足りなくなると思いますが、でもこれ、ヘッドフォンじゃなくてあくまでヘッドセットですし、音声会話の待ち時間に音楽を聴きながら仕事に集中するには、充分な性能を持っていると思います。

以前の周辺機器メーカーのヘッドセットは、とても音楽を聴く気にはなれないものでしたが、ゼンハイザー製のPC8は普通に音楽鑑賞が可能なのがまさに「ヘッドフォンメーカーとしての面目躍如」と言った感じです。マイクを回転させて収納してしまえば、普通のヘッドフォンの見た目に近くなりますしネ。少なくとも、私が今まで手にしたUSB接続タイプのヘッドセットの中では一番良いです。

ちなみに、イヤーパッドはいつかは必ずボロボロになるものですが、ゼンハイザーのオンイヤー型「PX100」のパッドがソニーの「EP-G2」で代替可能な事から、このPC8もEP-G2でイケると思われます(=未確認)。純正イヤーパッドだと1,500円前後しますが、EP-G2ですとヨドバシカメラの即日配達・送料無料で260円くらいで買えますので、イヤーパッド交換に関しては心配しなくても良さそうです。

アイホン

新しいMacOSX「ヨセミテ」はどうなったかな‥‥とAppleのWebをブラブラと眺めていて、ふと、iPhone6のページを斜め読みしてたら、iPhone6のデカいほうって、解像度が1920x1080もある事を知って驚きました。値段も凄くて、128GBモデルだと、99,800円! ‥‥‥私は当分、iPhone4Sでいきます。

401ppiの解像度を持ち、1920x1080を表示する携帯電話型の端末。何やら、凄い時代になってきましたね。手のひらにのる液晶画面がHDサイズの画素数を持つ一方で、40インチ前後のテレビで見るテレビ放送もHDサイズ。もはや、40インチに1920px程度の密度では「HD=ハイディフィニッション」とは呼べない雰囲気に、周りから固められてきてますネ。

iPad mini Retinaも、Kindle Fire HDX 8.9も、もはやHDサイズ以上の解像度を有しており、テレビだけが「ヌルく引き延ばした」映像に甘んじている状況‥‥と言えるかも知れません。

たまにテレビで放映しているアニメを見ると、解像度の低さに愕然とする事があります。A4用紙に150dpi前後のスキャン解像度、2値化トレス‥‥という制作基準は、どんどん時代の流れから遅れをとっている‥‥と、シンプルに映像を見て思うのです。

オールドとモダンを分ける最初のカギも、その辺‥‥かも知れません。「ブツ切りトレス線」を「大きく引き延ばして観る」スタイルに馴れて気にならない人々と、粗雑さを感じてしょうがない人々の間で、境界がやがて線引きされるように思います。

私はすぐ先の未来に、映像にもスケーラビリティが必要だと感じています。iPhoneが高密度パネルを有したからといって、絶対的な面積が小さい事には変わりありません。高密度パネルを有したiPhoneやiPadで映像を鑑賞してもらうなら、大画面テレビとは違う「別ディレクション」版をリリースしたいと思うわけです。「原版を作ったら、そこから色々なメディアに変換して」という考え方自体が、「映像を見るのは、映画館かテレビ」という旧い世代の「固着した考え」だと思うのです。ただ、今のアニメ制作方法だと、もともとの解像度が低く事実上不可能ですので、スケーラビリティを当初から想定した新しいアニメーション制作技法が必要になってきます。

iPhone6 Plusのスペックを見るにつけ、確実に変わりつつある「映像の常識」を感じずにはいられません‥‥ネ。

MacBookスタンド

MacBook Pro 15インチモデルをデスクトップマシンとして使うスタンドを自作してみました。ホームセンターで売っている安い端材でチャチャッと仕上げました。

以前から書いている通り、最近のMacBookは16GBのメモリを実装したモデルだと、デスクトップ機にひけをとらない処理能力を持つので、「デスクトップ機として使えるように」と、縦置きするスタンドを作ってみました。15インチのMacBook Proをベタッと机に置くとひどく邪魔なので、縦置きにすれば机の隙間に収納できます。折角のRetinaディスプレイは確かに繊細ではありますが、作業するには15インチは小さいので、蓋を閉じて外付けのディスプレイにつなぐ事にします。

こんな感じに。



要は、「最小まで閉じたブックエンド」を作れば良いわけですネ。100円の端材を3つ買ってきて、以下のように組みました。MacBookの厚みに合うように寸法合わせさえ慎重にすれば、後は電動工具で簡単に出来上がります。



木材のささくれは刺さると痛いのでヤスリがけして除去して、MacBookの触れる部分にはフェルトシートを貼り付けてあります。塗装とかオイルフィニッシュは面倒なので一切無し。買ってきた端材を切りもせず、単に組み立てただけなので、工作時間は正味15分くらいでした。お店で端材を「あーでもない、こーでもない」と選んでいた時間の方が長かったくらいです。ちなみに、直立しているパーツの側面に波の加工を施してあるのは、特に何の理由もありません。買った端材がもともとそうなってたからです。

材料代は、端材3つ(檜なので良い香り)300円、フェルトシートは600円とお高いですが使うのは半分以下なので300円程度、サラ木ネジはストックしてあるユニクロームのものを4本、仮止めに使ったボンドもストックなので特に出費無し‥‥で、総計600円前後といったところでしょうか。フェルトシートは100円ショップの安いのを買ってボンドで接着すれば200円はコストダウンできますネ。



フェルトを貼っておくと、MacBook表面にキズがつくのを防ぐばかりか、伸縮してガタつきを抑える効果もあります。下の写真のように、しっかり密着して、MacBookを支えます。



今回の工作で使った電動工具は以下。左上の小皿はたまたま写ってしまったもので(プラモの塗料皿)、工作には関係ないです。



真ん中の青い電動ドリルはタミヤ製の「電動ドリルキット」ですが、これがまた隠れた逸品で、見た目のチープさに反して、色々な場面で活躍しております。今回はネジの下穴をあける為に使いました。左の白い電動ドライバーは、ホームセンターで800円前後で売ってた乾電池式の簡素なもので、下穴加工済みの穴に木ネジをネジ込むくらいのトルクは充分あります。右のはリョービのドリルで、サラネジの「サラ受け」加工に使いましたが、特にコイツを持ち出さなくてもデザインナイフで可能です。いずれの電動道具も「短時間で作業を済ませる」ためのもので、手動でも手間と時間は増えますが可能です。



うむ。雑な加工ですが、雑然とした自宅の作業場で使う用途なので、今回は気にしません。大径のドリルを使えばサラ受けの加工も1カ所3秒で済みます。

このスタンドを作ったお陰で、MacBookを定住させる場所が出来ました。ケーブル類は全て奥側(MacBookの左側)に集約し、右側の端子(USB, HDMI, SDカードスロット)は前面端子として任意の接続に使います。2つあるThunderbolt端子はギガビットの有線イーサネットとD-sub(モニタの端子がそれしか空いてなかったので)変換コネクタを接続、USBは切り替え機を経由してキーボード、無線マウス、タブレットに繋がっています。

今までの私の感覚(映像制作用途)ですと、「ノートパソコンなんて、移動用のその場凌ぎで、長期的には大して役に立たない」とナメてましたが、i7/16GBメモリの高性能に加え、デスクトップマシンとしての置き場所も確定したことで、すっかり認識が逆転、頼りになるセカンドマシンになりました。

以前のCore2DuoのMacBookは買った当時からイマイチなヤツでしたが、今回のi7+16GBのMacBookは、ホントに使い物になりますヨ。最近の「新生」Vaioとかの上位モデルのスペックを見ても、今でもノートパソコンは二流の性能をあてがわれるんだな‥‥と気の毒になりますが、MacBookの15インチは「どんどんレンダリングをブッ込める」大した性能に仕上がっています。2.8Kの本体モニタ、外部に2.5Kモニタを2台同時接続可能、もしくは4Kモニタにも繋げて、20GbpsのThunderbolt2の超高速RAIDも接続できる‥‥という、ふとスペックを見れば、デスクトップマシン相応のスペックをMacBookは誇っています。‥‥とか書くと、「Mac信者」とか言われるんだろうけど、実際のところ、使い物になるマシンをチョイスしているだけなんですけどネ。ちなみに私はWindowsをMacにインストールして、MacもWinも使ってますし。
*Macに限らず、「信者」っていう言葉を持ち出して他人を中傷する人って、往々にして、そのヒト本人が何かの「信者」であって、ゆえに「宗教戦争」をしたがるんですよネェ。もっと、自由になればいいのにネ。

最近の高性能なMacBookを使っている人は、自作でスタンドを作って、デスクトップマシンとして使うのは、結構イケるのでオススメですヨ。

2Kが狭い

動画サイトでガルムのトレーラーが公開開始されましたネ。荒い解像度なので、パッと見の印象しか伝わりませんが、絵作りの意図は何となくでもお解り頂けるかと思います。「実写映画」と言うよりは「実写ベース」と言ったほうがしっくりくるガルムの映像制作でしたが、特にランス(Lance Henriksen)さんのショットは絵作りにおいて「煮て良し、焼いて良し」で、作ってて楽しかったです。どんな風にしても、絵になるんだよネェ。公式な情報開示の少ないガルムではありますが、演者のランスさんをはじめ、メラニーさん、ジョーダンさん、サマーちゃんも一斉にツイートしてますネ。

ガルムの色々は公式サイトの今後に任せるとして、ガルムを経た最近の私の実感ですが、映画を描くキャンバスとしてもはや2Kは狭く感じる事が多くなってきました。ちまたでよく見かける意見は「4K8Kなんて高画質は必要無い」というものですが、私は4K8Kになれば「欠損せずに伝えられる」ので願ったり叶ったりで、むしろ、今まであきらめていた事が可能になる「標準画質」だと考えています。多くの人は、映像作品は「情報の欠落した低品質のものを見るもの」と定義しているのかどうか知りませんが、わたし的には、実際の肉眼の感覚に近くなるほど「標準」であり、今までが技術の都合に「甘んじていただけ」だと考えているのです。

もちろん、「フィルムの絵作り」(グレインや色再現性の特性)の良さは重々承知ですが(過去の私がアホほどフィルムカメラに執着していた事を知る人はもはや少ないですが)、フィルムが消えた今は、全く違う「脳」で絵作りをしたいと思いますし、その為にはデジタルカメラと同じような高画素・高画質の基盤は必要だと考えています。さらには、より一層高速なフレームレートも必要です。

私は未来もアニメーション作品を制作し続ける所存ですが、そんな私が未来の「実際の肉眼の感覚に近くなる」映像技術を基盤とする事を語ると、「肉眼の感覚に近いアニメって、変じゃないか? そもそもアニメは実際には存在しない映像なのだから」‥‥という矛盾を感じる人もいるかも知れません。

そうなんですよネ。だから、とても「面白い」んです。「肉眼の感覚に近くなる映像フォーマット」の上で「作りもののアニメ」を作るなんて、アリスじゃないですがまさに「curiouser and curiouser」、「絵を動かす根本的な好奇心」がいや増します。

多くの人の手によって何度も刷り直され見慣れたものを、自分の想像の及ぶ範囲で繰り返し作り続けて面白いですか? 現実には動くはずもない絵が、新しい技術基盤のもとに、作っている本人たちですら予測し得ず「見た事もない、映像の印象」を発散する‥‥なんて面白過ぎます。まさにアメージングディスカバリの連続であり、その興奮や躍動は、作品を通じて観る側に否が応でも伝わっていきます。

4K8Kは大画面でも有効ですが、24〜27インチの高密度ディスプレイ(Retinaのような)でも威力を発揮するでしょう。4K8Kを大画面用と考えるのは、どちらかというと旧い考え方で、「今までと同じ面積に、沢山の画素」と考えたほうがイメージしやすいと思います。人間が眼で画素数を認識していた昔の延長線上ではなく、感覚的・生理的に画素数を知覚する‥‥とでもいいましょうか。2K程度ではまだ「人間の知覚能力を凌駕するには至ってない」のは、デジカメの画素数の歴史を振り返ればよく解りますよネ。4Kでようやく「まだまだイケそうだけど、そこそこいい感じになってきた」という印象だと思います。

とはいえ、4Kを持て余している人々もいるでしょうし、4K8Kを今の常識で推し量る人も多いでしょう。新しい技術って、旧来の延長線上で把握しようとすればするほど、理解不能となり、嫌悪や拒絶の態度をとるようになります。まあ、それはそれで構わないし、実は、そういう層は「対比として」必要でもあります。革新は「全員にとって必須ではない」ので、事の成り行きに任せまひょ。過去20年を観察してれば判る通り、結局は物事は収まるところに収まっていく‥‥のです。

「どうしたら良いか見当もつかない」4K、「待ち望んでいる」4K。受け取る人々の人間模様は様々ですが、経緯を見守りつつ、粛々と成すべき事を成していけば良い‥‥のでしょう。


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