色々あるけど

ぶう垂れてても、状況が好転するわけもなし。未開の地を開墾するには、鍬を振り下ろして、耕さないとネ。

現状がどうにもならないから、未来もどうにも出来ないのか。‥‥まあ、そんな事を言ってたら、何も成し得んわな。

デフラグ

私は資料目的でプラモデルを制作するのですが、前に書いた「コスモタイガー2」などは資料ではなく、いわば趣味の部類です。‥‥ただ、趣味といっても、作ったプラモデルを飾る事を予め想像しているわけではありません。ただ、なんとなく、作ってみたくなり、漠然と作るのです。製作時には改造したりと頭の中で考える要素も多いですが、目的は希薄です。

資料目的のプラモデルは、目的がはっきりとして、かつ製作手順も必要最小限です。塗装も独特で、「立体資料になる塗装」を施します。完成後は飾らずに、定型のコンテナ(実を言うと、ヨドバシのミニダンボール箱)に収納して保管します。

しかし、ヤマトとか、資料とは言えないプラモデルなどは、「何で作るんだろう」と自分に問うてみると、おそらく、無心になって製作する事が、脳内のデフラグ効果を生み出しているんだと思います。デフラグとは、記憶媒体において四方に散らばったデータを整頓する処理の事ですが、人間の脳も、あまりに複数の事を同時に処理していると、デフラグ的な事が必要になります。

わたし的にもっと近いニュアンスで言えば、水中で舞い上がった様々な物質が、しばらく静かにしておくと、沈殿して水中がクリアになる‥‥というか。「散らかった。掃除しなきゃ。」と言って、バタバタと動き回ると、余計ホコリが舞い上がって収拾がつかなくなる‥‥ので、あえて動かず、現状が鎮静するのを待つ‥‥ような感じですかネ。

黙々と作業する類いのものなら何でも良いか‥‥というと、どうもそうではないみたいです。プログラムのコードを書いている時は、脳のCPUメータは結構真っ赤ですし、読書も文を読むのに脳を使います。楽器演奏は「弾き馴れた曲」ならば脳を動かさずに済みますが、それでも稼働率はやや高めです。私にとっての楽器演奏は、鎮静というよりは、ブロワで吹き飛ばすような印象でしょうか。結局、「起きているのに、脳の働きが穏やか」なのは、私の場合は、プラモの時くらいしか、思い浮かばないですネ。

脳内でアプリを立ち上げたら、Quitせずにサスペンドしたまま、何本も同時進行している‥‥ような事が、私に限らず、現代の人々は多々あるんじゃないでしょうか。何らかの方法で、「メモリをクリア」する自分なりの方法は、仕事を効率的にこなすのに、実はとても重要な気がします。

ヤマトの航空機

最近、バンダイから往年の「宇宙戦艦ヤマト」のプラモデルシリーズが再販され(いわゆる、現在展開中の作品とのアレか?)、私もまんまと術中にハマって購入したわけですが、さすがに年代が旧いキットゆえ、そのまま作るのはためらう内容です。

しかし、プロポーションは決して悪くないので、各所をちょっと手を入れれば、それなりの出来にはなりそうです。新しいEXシリーズのものより、旧いキットのほうが本編(初代や「さらば」)に近いので、買うなら(私なら)旧版ですネ。

コスモタイガー2は、アマゾンではなぜか品薄で、妙なプレミア価格なのもありますが、ヨドバシなら(今なら)定価+割引で買えます。まず第1の加工箇所は、操縦席周りですネ。何だか、こたつの座椅子みたいな処理なので、臆せずブッた切って、通常のイスへと作り変えましょう。あと、主脚は収納部がどうにもディテール不足ですが、翼が薄いので彫り込んでディテールアップもままなりません。飛行状態で組むか(もちろん、加工が必要です)、主脚を胴体から出すか‥‥の判断が迫られます。このタイプの航空機は、主翼から脚は出さないように思うんですが、‥‥まあ、いいか、そんな現実っぽい事は。

コスモタイガーって、今見ると、幅広の胴体が浮力を生み出す、いわゆるリフティングボディのようなデザインなのネ。F-15の「片翼を完全に失っても飛行して帰還した」話は有名ですが、似たように空力を生み出しそうなボディです。まあ、宇宙空間の飛行時は、関係ないのかも知れないですが。

コスモタイガーのキットは、増槽が5つも付いているので、何だか違和感を感じます。「リアルに考える必要無し」と思う反面、「増槽」というリアルなパーツの扱いに困惑するのです。2つくらいはミサイルか何かに換えようか‥‥と思ったすぐ後、「そう言えば、コスモタイガーって、ミサイルを発射するカットの記憶が無い‥‥」と思い出しました。なんと機銃(劇中いわくパルスレーザー)が唯一の兵装なのネ。たしかに、ミサイルなんか乱発したら、空中戦の描写に支障が出るよネ。ドメルの艦上航空機群も、ミサイルというよりは爆弾・魚雷でしたネ。

ブラックタイガーとコスモゼロは、プロポーションは良好ながら、細部はコスモタイガー以上に手を入れる必要があります。操縦席はまさかのバスロマン状態。1日の疲れを癒すかのような、たっぷりとした湯に浸かったパイロット。ブラックタイガーに至っては、何の予告も無しに複座! ‥‥いつから、ブラックタイガーは複座になったのか。‥‥まあ、昔のプラモは、こういう表現はあったよね。なので、面白がりこそすれ、怒る場面ではありません。

という事で、ブラックタイガーとコスモゼロは、コックピットはフルスクラッチ決定です。まあ、本編中でも軽装で搭乗していますから、ゴツいインジェクションシートにする必要は無いですネ。パイロットもあえて「あの服」でエポキシパテで自作したいです。

モールドは凸と凹の混合です。凸はヤスリがけで消えますから、適宜スジ彫りし直しです。実機があるわけではないので、気が楽だし、どんなディテールにしようかと楽しめます。ちょっと高価ですが、クレオスのラインチゼルを使うと、手先がそんなに器用でなくても、奇麗にスジ彫りができますヨ。罫書き針やカッターを使うより、断面も線質も奇麗に仕上がります。

ちなみに、近年出たディテールアップ版のコスモタイガーは、私はどうも‥‥。ちまたの作例を見て、「尾翼にYAMATOなんてマーキングするの、逆にどうなの?」と思ってましたが、メーカーのデカールだったのネ‥‥。峠のバイクじゃ無いんだからさ‥‥。本体を細かくディテールアップしているんだったら、マーキングも相応に考えれば良いのにネ。最大の難点は、1/100という点でしょうか。タミヤのミニジェットしか近くに置けないスよ。1/72にしてくれればさ‥‥。

旧版の600円のコスモタイガーでも、それなりに手をいれれば、もとのプロポーションが良いので、かっこよく仕上がりますよ。

バックヤード

私が何度も「新しいアニメーション制作」「新しい作り方」などの語句をブログで書くわりに、その結果物である映像やTIPSを公開しないのは、明確な理由・方針があるがゆえ、です。

過去のメイキングコンテンツを振り返ると、「作品が出るたびにタネ明かし」した事は果たして、良い結果を招いたのか?‥‥と思います。技術の取り扱いを確立する前にネタばらしして、結果、安売り合戦の要因の1つになっていたのではないか‥‥と、最近は考えます。一般的なTIPSならともかく、「この作品はこうして作りました」なんて、あまりやるべきじゃないと思うのですよ、最近は。「パブリック」の思想なんて、結局はコストダウンの都合の良いようにしか、使われていないのです。

同様に、技術が生まれたそばから、公開・公表する事も、非常に危ういです。技術を作った人間は、ポリシーや理想も込みで、技術を確立して用いようとします。しかし、「出来上がったもの」を使うだけの人間は、出来るだけ安く速く、流用しようとします。

私の準備している「新しいやり方」は、作画の根本を変えてしまう性質を持ちます。その技術は、新しいコスト構造と切り離せないものです。しかし、「新しいやり方の都合の良い部分」だけを、今のアニメ制作に「悪用」すると、とんでもなく「悲惨な未来」となるでしょう。現在のアニメ制作のコスト構造そのままに、新しい技術を徐々に浸透させるなんて、あり得ないのです。今のアニメ制作は、そのコストゆえに、今の技術止まりで充分です。

また、「戦い」において、一番マズい戦術は、場当たり的に反応して、小競り合いを続ける事です。すなわち、まるで「モグラ叩き」かのごとく、「的が現れたら対処する」という、ビジョンの無い行動です。将棋でも戦略ゲームでも、このやり方では勝てないんですよ。単に「目の前の敵と戦えば良い」のなら、軍師も戦術もいらんわな。すべては、史実が物語っています。

戦い方がマズいと、30日で勝てる戦が、90日かかっても講和にしかならない事が、多々あるわけです。まあ、策に溺れても勝てないんですが、無策では絶対に勝てません。消耗して終わるだけです。

つまり、「攻勢のメカニズム」が整うまで、戦っちゃいけないのです。もっと言えば、攻勢の後の、長期的なプランも。

しかし、同時に「攻勢のタイミング」も重要です。メカニズムに完璧さを求めるがあまり、時間をかけ過ぎて、好機を逸する事もあります。このへんは、よくよく自分に言い聞かす部分でもあるのですが‥‥。

私は、よく歴史上の戦史を参考にします。日本って、あまりこういう事(=戦争から学ぶ)を奨励しない雰囲気ですが、‥‥‥まあ、いいや、この辺の話は。わたし的には、あまりこの部分には、(競合を増やしたくないので)触れたくないですしネ。

まあとにかく、「ビジョンなく」「準備が整う前に」動くのはやめようと思っているのです。逆に言えば、映像を公開する‥‥という事は、そのバックヤードでは「後続の戦術」「兵站の基礎」が出来上がっている‥‥とも言えますネ。

1000年女王の撮影技術

私が中学生だった頃、松本零士ブームの流れで「1000年女王」が劇場公開されたのですが、ストーリーはともかく、撮影技術に魅了され、「撮影」を意識するきっかけとなった作品でした。

私の第一の目当ては、まずは金田伊功さんの作画でした。しかし、至る場面での撮影技術にも、心を大きく動かされました。純粋に、「きれいだなあ」と思ったのです。最近、DVDを見たのですが、‥‥う〜ん、自分がかなり影響を受けている事を認識しました。距離感の作り方とか、濃度の出し方とか‥‥、特に関東平野が浮上するくだりは、「自分も同じような素材で雰囲気を作るだろう」と共感する表現でした。‥‥というかさ、共感するも何も、この作品で「インプリンティング」されたようなものだから、可笑しい言い草ですネ。子供が親を見て、「あなた、私に似ている!」と言うようなもんで‥‥。

作品本題のほうは、‥‥まあ、いいじゃない。当時から、「ハコブネは関東だけ?」とか疑問が多過ぎる作品でしたしネ。「隅つつき」ではなく、「ど真ん中」の要素だったんで、さすがに、気になったんだよねえ‥‥。「関東だけ生き残れば、それで良いんか!」と誰もがツっこむと言う‥‥。さらには、作劇上のディテールの端々に「優等生」「良い子」な感じが見えるのも、何か、当時の私としてはイヤでした。松本零士作品から毒を抜いて安全にしちゃった感じが、私には合わなかったのです。でも、デカいテレビ作品ではなく、ちゃんと映画の貫禄はありましたね。女優陣もゴールデンメンバーで、メーテルもプロメシュームも森雪も総出演。今見返すと、話の筋やアイデアには、良い部分も沢山あると感じるんですけどネ。現在の「現実の積み重ね」で見せるやりかたではなく、「夢をドカンと実現して見せる」やり方のほうが、逆にインパクトがあるかも知れないですネ。

ただ、この頃の松本零士作品は、作品同士に何か関係を持たせようとしたのか、同じ名前の設定が出てきます。‥‥思うに、そのやり方って、あまり受け手は興味が無い‥‥というか、作り手側の思い込みが強いような気がして、当時から「別建ての話にしてくれた方が良かった」と子供ながらに感じました。

撮影技術に話を戻しますと、当時のアニメージュ別冊「1000年女王・ロマンアルバム」に、撮影ギミックの解説が載ってました。「重箱」なんてとても理解できませんでしたが、何やら、難しい工夫を凝らして、画面を作っていた事だけは読み取りました。

作画ならともかく、撮影は中学生の自分では模倣などできません。家にあるのは、ブライトフレームの普及型カメラのみで、三脚すらなく、アニメ撮影台の模倣なんて、全くもって不可能でした。私が「疑似撮影台」を手中にできたのは、アニメーターになって、そこそこお金が自由にできるようになって、一眼レフとレンズ一式、光学フィルター、コピースタンドを購入してからでした。

1000年女王の撮影技術を見ると、やっぱり映像は「構成力」だなと痛感します。いくら高価なプラグインでトッピングしても、構成は誤摩化せないよネ。物理的に不利な、昔の撮影台でも、構成がしっかりしていると、今見ても、危うさを感じません。BOOK引き1つとっても、構成力は映像に「説得力」として反映される(されちゃう)んだなと思います。

また、この当時の劇場作品は、建築物の崩壊とか、大変なカットを逃げずに何カットも重ねて描写していますネ。今のアニメだと、「大変」なのでできるだけカット数を減らして逃げちゃうんですが、逆にそれが、「大きなスクリーンで上映するテレビ作品」になる所以なんでしょうネ。1000年女王は、作画も仕上げも背景も撮影も全て大変なのが、いくつもあります。同じ素材を使って、自分でもコンポジットしてみたくなるカット(もちろん空想ですが)がいくつもあります。作業が大変でも、その大変さが報われるのは、やっぱり嬉しいのです。

1000年女王・劇場版。作品的には、特に他人に勧める類いのものではないですが、私個人としては、撮影技術のエポックとなった、思い出深い作品なのです。

封印の森

現アニメ制作現場にコンピュータが導入されて、「撮影」と呼ばれるセクションの技術バリエーションも幅広くなりました。しかし、どこまで技術を現制作フローに「導入してよいか」は話が別です。

私が新しい道を模索するに至ったのは、野方図な技術の安売り合戦に、限界を感じたからです。「デジタルはタダ」と思っている人々が制作現場にはそこそこ存在する現状に、怒りを通り越して、「あきらめの境地」に達したからです。

でもまた同時に、アニメ業界の体質として、「安く引き受ける」事で活路を見出す習慣が根底にあって、難易度の高い技術や大変な作業をとんでもない安値で引き受けてしまう現状にも、等しく限界を感じたのです。予算が安いだの、「手塚治虫が悪い」だの、他人のせいにするまえに、高価なCMや劇場クラスの技術をみようみまねで安価なテレビ単価で引き受けるのを、「まずは」やめるべき‥‥なんですが、そうは出来てないですよネ。テレビ単価でも問題ない「安く実現できる」技術ならともかく、あきらかにどんどんオーバーワーク・コストオーバーのベクトルに邁進してますからネ。テレビで「貼りこみ」なんかホイホイやっちゃダメですよ。

そんなこんなで、現TVアニメ制作のコンポジット周りにおいて、私が「出来るけどやらない」技術〜つまり意識的に封印している技術があります。以下。

・スクラッチ
スクラッチって、色々な使い方があると思いますが、ここでの意味は「ゼロから作る」です。After Effectsの機能を持ってすれば、煙や火などのエフェクト作画をAfter Effectsで「作画的に」(=プラグインではなく)作る事は可能です。原画で描いている事を、After Effectsのツールでやればいいだけです。しかし、これはつまりは「作画料金よこせ!」ですから、安価な撮影秒単価でやるべきではありません。実は、キャラだって作画できますよ、After Effectsで。‥‥でも、今のキャパじゃ無理だし、安い秒単価で作画までやらされたんじゃ、たまらないです。「After Effectsだったら出来るでしょ?」とふっかけられたら、「今の作業単価では無理です」ときっぱり断るべき‥‥ですネ。

・マスクワークやトラッキング
これは、レタスペイントからのカラーキーではなく、実写ライクなマスクワーク〜キーイングの事です。After Effectsはアニメ専用ではないですから、実写で必要なマスク抽出機能も有しています。特定の要素で絞り込んで、さらには手で追って、マスクを作り出す事は可能です。しかし、これもテレビでは絶対にオーバーワークになりますから、引き受けてはならない作業です。
救いは、ほとんどニーズが無い事ですが、たまに「書き込みのセルから一部を抽出」するようなオーダーがあります。しかし、カラーキーで抜けない手切りのマスク(の連番)は、引き受けない事にしています。それを引き受けたら、その後どんな事になるか(どんな事が常識になっちゃうか)、‥‥お分かりですよネ? 「撮影でも抜き出せるんなら、どんどん書き込みにして、動画枚数を減らそう」(=撮影の手間を価格据え置きで増やそう)という事になっちゃいますヨ。

・難易度の高い「貼りこみ」
画像をセルに貼付ける(合成する)テクニックですが、動く場合は安易に引き受けるべきでは無いです。作画の知識を持たない人間、濃度の調整ができない人間が作業すると、反ってチープになりますし、一番問題なのは、作業が大変過ぎる事です。オーバーワークの代表例ですネ。「貼りこみ」の安売りの原因は、ほとんどが、演出の知識不足によるものです。どんな方法で貼り込むのか、作画の動きに合わせるのがどんだけ大変かを、全然知らないゆえに、乱発するんだと思います。しかも、効果の薄いカットで「カット合わせ」とかの理由だけで作業を強要するんだよネ。オプチカルよろしく、貼りこみも、処理単価を極端に上げないと、今後さらにエスカレートすると思いますよ‥‥。動画への貼り込みは、現状の予算では、予算の高い劇場やCMにしか使えないと思うんですが、どうか。

・難易度の高いプラグインの処理
TrapcodeのFormやMir、Perticularなどは、ツッコみはじめるとカッコいい映像が作れますが、誰かのプリセットでも流用しない限りは簡単にホイと出来るものではなく、非常にオペレーションが難しいです。しかも、プラグインの導入費用はそこそこ高価です。誰か「Form使い」「Mir使い」のようなスタッフがいて、特別単価で作業するのなら話は別ですが、通常業務の一環で「高度なプラグイン」を安易・安価に使うのは、私は反対です。通常の単価では引き受けたくないですネ。
でもまあ、Formなどを使っている作品を見た「内情を知らない」演出家が、「うちでもコレやって」とか簡単に言っちゃうのも大問題なんだよネ。デジタルはタダで、言えば何でもできると思っているのが、‥‥多いんだよねえ‥‥‥かなり‥‥。他で出来る事が自分のところでも出来るとは限らない‥‥というのをキモに命じてほしいです。少なくとも「あれと同じ事がしたいんだけど、まず可能かどうか。可能だとしたら、どのくらいコストがかかるか。」を監督・演出・現場プロデューサーの人が「まず最初に気を使う」べきで、相応のコストを予算から割かないとダメですネ。

私が長年一緒にやっている監督さんや演出さんは、ここら辺をよくわきまえてくれます。「無茶ブリ」もしますが、その場(作品の規模)とか、代償というか、コストも同時に考えてくれます。

‥‥でも、テレビって、結構野方図だよネ。コストのかかる技術だろうが、専門知識が必要な技術だろうが、何でも取り入れて、どんどん安くしてしまう。‥‥だからさ、現場が「現場の窮状を訴える」とか言っても、あまり説得力が無いんだよな。自分たちでかなり、「窮状を呼び寄せている」んだから。

技術の値段‥‥も、考えないとダメだと思うのです。「昔、高コストだったのが、低コストになって、使いやすくなるのが、技術の発展だ」と言うのならば、それを支えるスタッフを衰弱させるなよ‥‥です。「技術の発展」なんて「耳障り」の良い言葉で誤摩化すのは、実際に作業してない人ですわな。

しかし、制作フローの流れの中にいると、「加担せざる得ない」状況も事実です。動き出してしまったものに意義を申し立てても、どうにも覆せないものです。また、特別単価で作業している事は、表にはアナウンスなどしないですから、「通常の作業費で作業している」と誤解される事も多々あるでしょう。

‥‥なので、After Effectsで、様々な新しい表現が可能な事はわかっていても、今のアニメ制作体質では、予算やフローの問題で封印せざる得ません。

新しいアニメーション制作方式は、表現方法も格段に幅広い上に、未来社会の技術にも対応でき、さらには予算コストダウンと各人のギャラアップを同時に実現できるという、大きな希望がひしめいているのですが、その技術を今のアニメ業界で流用する事は出来ません。色々な意味で、業界の「シャーシ」が、新しい「エンジン」に、致命的なまでに適合しないからです。「シャーシ」を作り直す事は、すなわち、業界をバラす(死んで生まれ変わる)‥‥という事なので、まあ、できないですよネ。一時的であれ、死にたい人なんて、誰もいないもんね。

まあ、こんな辺境のブログで書き綴ったところで、何が変わる訳もないでしょう。でも、何も言わなければ、何も伝わらなず、否定も共感もないです。なので、懲りもせず書き続けてはいます。

変えられないのなら、新しく作ろうと思っているのです。


追記:
「予算コストダウンと各人のギャラアップ」は矛盾しているように見えますが、それは今の視点で考えるからです。この辺については、いずれ、時期がきたら。
‥‥今のアニメのマズい点って、現場は金がないと言ってるのに、コンテンツとしては金がかかるシロモノ‥‥な点ですよネ。実際、何をするにも大仰なフローで回して、延べ人数が増えて、金がかかります。従来売れ線・安全パイ・萌絵から抜け出せず、新しい路線を開拓できないのは、制作の体質にも一因はあると思います。
先人が築いた「アニメ制作高速道路」は、今や、金がかかる割に渋滞続きです。そんな高速道路、使うのやめて、「情報」を駆使して「空いてる下道」でスイスイ走れば良いじゃん?

トラック

撮影台時代を象徴する用語、T.B, T.U〜トラックアップ・トラックバックは、実は今後も有用な用語かも知れないです。トラック、すなわち、台、土台という言葉は、レイヤーなどに当てはめても使えるからです。

「ズーム」「スケール(拡大縮小)」と差別化できる点が特に良いです。現在のアニメ業界では、ズームとトラックアップ&バックは実質的に同義語ですが、私の考える新しいやり方では明確に使い分けます。映像の結果が異なるので、当然の措置です。

新しい方法では、コンポジットのフィールドはXYZ軸から成り立っています。旧来アニメ技法ではカメラはあくまで固定で、素材を設置した台座を動かしてカメラワークを実現しますが、私の方法では、カメラも台座も自由に動き回ります。実写でのドリーやクレーンに似た手法も旺盛に取り入れています。

アニメ業界のフローでは決して伝達する事のできない(=シートに記述しきれない)内容もできます。例えば、各台座(トラック)が動きつつ、クレーンでカメラを動かし、カメラ本体はズームを操作する‥‥なんていう芸当も可能です。これ、今のシートや撮影用語では無理ですよネ。根本的に、Z軸を扱う機能(Z軸の座標だけでなく、レンズ画角も含め)を持っていないですからネ。

トラックアップ・バックという用語は、死語になるかと思ってましたが、使用しても問題ないんだなと言う事が解ってきました。コンポジットの用語を完全にデジタルへとシフトしても、案外、「トラック」という言葉は生き残るかも知れません。編集やグレーディングでも「トラック」という言葉は用いますし、もちろん音楽でも用います。「トラック」という言葉は便利で、「オブジェクト」や「レイヤー」「チャンネル」よりも使いやすく感じます。

私は、実写の技法をアニメーションに導入するのはやぶさかではないと同時に、実写に従属するのは断固拒否したい考えです。何のために、絵で描いてるのよ?‥‥と思うからです。ゆえに、絵をコンポジットする際に、ことさらに「カメラ装置」を意識するのはやめたいと考えてはいますが、一方で「視点としてのカメラ」は有効に用いたいと考えます。

カメラ、シャッター、トラック、etc‥‥。コンピュータの中には存在しない旧い呼び名と解っていても、便宜上使いやすい言葉はいっぱいありますよネ。

用語って難しくて、使用中のソフトウェアの用語をそのまま流用すると、狭義に陥って使い勝手の悪いもの(局所の人間しか喜ばない)になりますし、旧来の用語を流用すると「意味がよく解らない」用語になりやすい(意味を知らないまま使い続ける手もありますが)ですし、もどかしいです。意味だけを追い求めて用語を命名しても、解りやすくなるとは限りません。例えば「従属性」と言われて、「すげー解りやすい」と思う人はほとんどいないと思いますし。現在、私は現場で確信犯的に「セル」という言葉を使いますが、これはいわば「ログ」(丸太)と言う言葉と同じようなスタンスです。

新しいアニメーション制作を本格化する際は、用語のソサエティも必要でしょうね。ネットの本部サイトで検索すれば、正しい用語(というか、Standardizationされている用語)が解ると言う。‥‥旧来アニメ業界の用語のマズい点は、出自・出典が曖昧で、「誰も正確・正当にジャッジできない」点でしょうから。可哀想な「誰が親か解らない、みなし児」の用語にしちゃうんではなく、用語が「出生」した時点で、専門機関が「認知」すれば良いんじゃないですかネ。

実は、私が内輪で運用している「atDB」(アニメーション技術データベース)は、用語等のデータベース化・標準化を記すもので、用語だけでなく略語、俗語、スラングまでも網羅しようと取り組んでいます。新しい制作方法は、コンピュータを基盤としますから、「変な用語の使い方」はソフトウェア上で修正もしくは排除できます。ソフトウェア上のジャッジでのよりどころとして、データベースが必要な訳ですネ。

用語をキチンと制定するのは甚だしくキツい事ですから、当初から大風呂敷を広げちゃって、早々に頓挫する事も容易に想像できます。なので、私はまずは、用語を記録し、仮運用するところから始めています。作った用語が作業にハマるか‥‥なんて、いくら机上で話し合っても読み切れるものではないですからネ。

無駄な大判、足りない大判

付けPANの話題で思い出しましたが、オープニングとかの作画などは特に、無駄な大判セルで作画しているのを見かけます。かと思うと、セルバレが発生する大判とかネ。

何でしょうか。大判で作画すると、ゴージャス感を満喫できるのかな? 特にBG組みも無ければ、厳密な位置合わせも必要ないのに、なぜか大判で作画する付けPANが、定数存在しますよネ。意味の無い大判は、描いた本人が舞い上がっているだけで、後続のセクションは不幸の連鎖です。

大判の作画をすると、「デカいサイズだから豪華」と勘違いしやすいですが、実のところ、数多くのリスクを呼び寄せる結果となります。これは原画マンに知っておいてほしい知識です。

まず何よりも作業が重くなるので、スケジュールを浪費し、結果、やっつけ仕事ベクトルへ傾いていきます。安易に大判を選択したがゆえに、各セクションの作業時間が長くなり、後段のセクションほど「短期で上げる」事を要求されます。必至こいて作画した大判のカットが、大判ゆえに、スケジュール最後期にろくな作業時間もとれずにヤッツケで処理されるのです。誰も得してないですネ。

大判の付けPANの場合、「フリッカー(俗語)」が発生します。フリッカーとは、セルの動きがカメラワークとの関係で、「甚だしくカクカクする」障害です。大判でBG組みがあり3コマタイミングの場合などは不可避です。BG組みが無い場合は、「しょうがないので」撮影・コンポジットで「フリッカーが出ないように処理」します。ラッシュを見て作画や演出が「フリッカーが出ている」とか撮影リテークを出しますが、フリッカーが出たのは演出と作画の見落としなのを、はっきりと自覚すべきでしょう。まず何よりも、フリッカーが出ない作画プランを施すべきです。ちなみに、「フリッカーが出ないように処理」とは、大判をスタンダードフレームで切り取って、「スタンダードサイズの付けPAN」に作り変える事で凌げます。‥‥だったらさ、作画の時点ですべき、だよネ。

大判「トラジディ」の極めつけは、「フレームに写ってない」‥‥です。原画の時はある程度計算していたものの、動画の中割りやカメラのイーズインアウト(フェアリング)の要素で、「被写体がフレームから外れてしまう」事がたまにあります。スタンダードフレームで絵を捉えながら作画すると、絶対発生しないミスですが、大きく描いたものをカメラワークでフレームに捉える方法ですと、フレーム指示が悪い(計算しきれてない)と、被写体がフレームアウトしちゃうんですネ。皆で苦労してせっかく作った絵が、カメラに写ってない‥‥、何と言う悲劇。

最後は些細なミスですが大きな問題‥‥、バレ、です。大判サイズはとにかく絵を描ききるのが大変なので、たまに四隅が描ききれてないミスも発生します。しかし、このミスはサイズが規格外という事もあり、撮影するまで発覚しない事があります。時間があれば作画まで遡って直しますが、時間がない場合は、「バレないようにカメラワークを変更」する事で対処します。最初のプランと違っても、「絵が無いんだから」どうしようも無いです。バレは、回転やカーブを伴ったカメラワークに頻発します。

私は、作画オンリーではなく、背景を作ったり、キャラ素材を塗ったり、コンポジットしたり、編集したりと、全ての行程を経験しているので、たとえダイナミックなカメラワークだとしても、安易に大判は選びません。‥‥単純に、作業が大変だから、です。特に「紙が大きくなるのは、超大変」です。

どうしても不可避な大判はあります。‥‥ですから、避けられる大判は、極力避けるべきでしょうネ。

このような無駄な大判、計算不足でバレる大判などは、新人から中堅の20代〜30代前半アニメーターに多いのではと推測します。負の構造だなと思うのは、スケジュールが切羽詰まっているので、演出内容変更や撮影で対応する事がほとんどで、描いたアニメーターは自分のミスには一向に気付かず、むしろ「自分のやりかたで上手く出来ている」と思い込んじゃう点です。

さらに、ベテランアニメーターも、キャリアの中途で撮影台からコンピュータへとオールシフトしたので、「デジタルはよくわからないので苦手」という意識を持つ人が多く、後進の指導において「曖昧な要素」を抱えたままになっている事が、結構あるんじゃないでしょうかネ。私は、2000年に入った当時、作画とコンポジットの距離が近くなり新しい表現が出来ると考えていましたが、業界全体が撮影台を捨てコンピュータに切り替えた結果、どうやら、時代は全く逆のベクトル〜アナログとデジタルの間に大きな断層ができた〜へと、進んだように思います。

‥‥でもまあ、もう、私がことさらに書く話題でも、無いか‥‥。

用語

ちまたでカメラ用語云々の話題が交わされていますが、私のスタンスとしては、結局はうまくまとまらない(規定できない)と考えています。方言はやむなし、です。「達観してんの?」と言われれば、そうかも知れないですネ。

私は作画と撮影・コンポジットの両方をやりますし、編集やグレーディングもやりますから、各セクション内の意識の差異を肌身で感じています。「セクション独特の方言」の滑稽さが笑い話を通り越して、実害となって身にふりかかる事すらあります。

「これは演出指示の曖昧さが引き金だな」とか、「原画マンがシートで指示しきれてない」とか、「これだけちゃんとした素材があるのに、撮影できないのか」など、双方の落ち度を目の当たりにしてきました。故に「用語がもうちょっとしっかりしてれば」と考えた過去はありましたが、一方で「用語はどこまで『ちゃんと規定』できるんだろうか?」‥‥と疑問を感じたのです。「ちゃんと」とは、業界で右左を決めるだけでなく、用語の本来の意味も「ちゃんと」内包しているか否か、です。

PANという言葉は、パノマラから来ているそうですが、そのパノラマ自体がもともと画家の造語だとの情報もあります。Wikipediaによると、PANはカメラを振る事、とありますが、私は一方で、見渡すという意味も含まれていると考えています。PANフォーカスなんて言葉が、良い例です。

つまりは、PANという言葉1つとっても、装置の動作をさすのか、演出意図・目的をさすのか、いまいち、はっきりしません。

‥‥でもさ、PANと言う言葉が、どこでどのように生まれたかを考えれば、用語を統一はほどほどにしか達成できない事が予測できると思うんですよ。おそらく、古くの撮影所での現場ノリが慣習化して確立されたものだと思われますから、世界規模の映画連盟的な機関が厳密な用語として既に規定済みでもない限りは、ぬかるんだ土地に杭を打ち込んで建築するような行為に終止すると思います。

で、アニメ業界。前にも書きましたが、付けPANとFollowPANは、一方がスタンダードでもう一方が大判‥‥なんて、なんか、可笑しい話ですよネ。これをまさか、業界標準にする?‥‥「付ける」と「Followする」で用紙サイズが変わるんだ、ふ〜ん‥‥。

例えば打ち合わせで、「このカットは、カメラがキャラをフォローして」というのと、「このカットは、キャラにカメラを付けて」というのが、作業方法の違いを意味しちゃうんですかネ???

「Follow」も「付け」も、要は「被写体をフレームに捉え続ける」事であって、様々な状況(表現内容、スタッフの技量、技術的問題、金&時間のコスト)を判断して、大判かスタンダードかを決めて作業すれば良いと思ってました。しかし‥‥、まさか日本語で「付け」が出た時点で、大判決定なのですかネ? ‥‥じゃあ、「カメラがキャラを追って」とか言ったら、どうなるんでしょうか? ‥‥いやあ、アホらしい。言葉遊びもいい加減にしないと。

まあ、D.T.Uなんていう用語を生み出すアニメ業界ですからネ。まあ、驚かんですが。

私は「Follow」も「付け」も「意図を表す用語」であり、実際にどのようなメカニズムでカット内容を実現するかは、シートと素材で体現すべき‥‥という見解です。素材と基礎的なシート指示で撮影できるのがベスト、特にシート上ではコンポジットソフトウェアの動作・操作に関する記述を徹底すればよろしい‥‥と考えています。「Follow」か「付け」などの言葉の差異にクオリティを託すのではなく、フレーム指示通りに組めばそれすなわち「追い写し」になってれば問題ないでしょ。
*ちなみに、私は、付けPANの類いは皆、シート上では「フレーム指示」です。何を意図したフレーム指示かを伝えるために、例えば「BG目盛りスライド(付けPAN)」と括弧で書き添えますが、付けPANを知らない新入3ヶ月のスタッフでもシート通りに撮影すれば意図した結果になるように、作画してシートを書きます。

だってねぇ‥‥。既にフィルム撮影台時代の昔の段階で、Followとかシートに書き込むすぐ傍で、TrackUpとかTrackBackとか書くわけじゃん。アニメの場合、Followは「演出作画意図・イメージ」で、実際はBGのスライド〜台引きです。本当にセル画をフォローしているわけじゃありません。かと思うと、トラックアップなんていう実作業システム(撮影台)上の動作を表記したりします。

私は、ちゃんと規定したいのなら、「意図」カテゴリの用語と、「動作」カテゴリの用語など、キッチリと分類して網羅すべきだと思います。「今、何となく、用語が曖昧だから、ちょっと手を入れよう」なんて場当たり的な事はしたくないですネ。

要は、意図カテゴリと動作カテゴリの用語表現を、ごちゃまぜにして使っているから混乱する‥‥のでしょうが、ある程度の経験を積めば、当該の用語が「どういった意味合いで使われているか」は判断できます。継ぎ接ぎでここまで運用してきたシステムだと言う事も認識しておく必要(=改善策を施した際のリスクも考慮)もあります。

そんなこんなで、私は旧体制に関しては、手を触れない方針でいます。過去の矛盾点や問題点を払拭する新しい取り組みは、新しいシステム・体制でしか実現できないと、ほとほと実感しました。シートが真っ白なのはさすがに怒りますが、ある程度のシート表記の「用語上の不整合」はやむなし、、、でしょう。

クリエイティヴのお国柄

二次大戦中の軍用機の呼称は、各国、記述の形式が違うのですが、ふとその違いにお国柄を感じる事があります。自分らの「創作物」の名前から、関与した人々の性質が窺い知れると言いますか。‥‥ちょうど、新生児が親や親類に囲まれて、結果、どのような名前になったか‥‥というのに似てます。

自分が作った開発物に対して、自分はどのような名前を付けるか‥‥と想像してみれば、どれだけ「名前が意識を反映しているか」が解ると思います。自作スクリプトやビルドしたソフトウェアに、どのような名前をつけて、バージョン管理し、愛用していくか‥‥。まあ、作ったものが2〜3個なら、特に考え無しでテキトーな名前でも良いですが、数十〜数百ともなると、何かしらの命名形式が必要になります。そして、苦労して作ったものほど、「12番目のソフト」なんて名前にはしないものです。

つまり、創作物の呼称で、作った本人の意識が浮かびあがるわけです。これは個人でも、団体でも、ですネ。

日本海軍・陸軍は、「九七式」「零式」「四式」など、まず正式採用(または開発発注)年の末尾があって、その後に種別、つまり「局地戦闘機」とか「艦上爆撃機」「司令部偵察機」などの記述があります。その後に、必ずではないですが、愛称が付与されます。「彗星」とか「疾風」とか、「月光」「彩雲」「隼」、さらには「鍾馗」「屠龍」など、愛称の一貫性は特にないようです。ちなみに、「97」「0」「4」などの数字は、西暦ではなく「皇紀」の末尾です。
*海軍の「A6M」「N1K2-J」などの表記、陸軍の「キ」表記に関しては、長くなるのでここでは割愛しますネ。

アメリカは、陸軍航空隊(当時は空軍ではない)と海軍で命名形式が違います。陸軍航空隊は、最初に種別を表すアルファベットが来て、その後にハイフン、そして開発番号です。「B-17」は17番目の爆撃機、「P-51」は51番目の戦闘機という塩梅です。その後に愛称が続きます。「サンダーボルト」「ミッチェル」「フライングフォートレス」などで、やはり一貫性はあまり感じません。この形式の優れているところは、先頭の数文字で、概要が解る点です。

アメリカ海軍は陸軍航空隊の記述にさらに情報を上乗せした形式ですが、やや難解。種別後、さらに開発元の略号が列記されます。ややこしいのは、開発番号などの表記があったり無かったりという点です。‥‥で、最後に愛称が表記されます。「F6Fヘルキャット」はグラマンが「開発した6番目の戦闘機『ヘルキャット』」です。「TBFアベンジャー」はグラマン製雷撃機アベンジャー、「TBMアベンジャー」はゼネラルモーターズ製雷撃機アベンジャー。何だか、こまめなのか大雑把なのか、よくわからない命名形式ですネ。愛称は、海に関するものとか、攻撃的な印象のものとかが多いように思いますが、グラマンは猫シリーズだったりするので、厳密な規定は無いようです。

ドイツは上記の国々とは大きく異なり、会社(設計者)略号と開発番号です。戦闘機か輸送機かとかは全く解らず、「誰々さんが作った、何番目の飛行機」という事だけがドンと誇示されます。「Me262」はメッサーシュミットの製造した262番目の飛行機、「Ta154」はタンク博士の設計した154番目の飛行機‥‥という感じです。Me262は戦闘機、Ta154は双発夜間戦闘機‥‥という情報は、各人が頭の中でマッピングする必要があります。

イギリスは愛称にこだわるようで、まず愛称が来て、その後に種別とマークナンバーを記述します。「スピットファイア Mk.V」と言ったおおらかな表記がある一方で、種別を事細かく分類した表記「スピットファイア HF VIII」(高々度戦闘機の8型)とかもあります。愛称はある程度の慣習というかユルい規則が機能しており、名前を聞けば大体察しがつくようになっています。「ハリファックス」は爆撃機(イギリスの地名)、「ソードフィッシュ」は海軍の攻撃機的なもの(魚の名前)でしょ?‥‥とか。

‥‥といったように、同じ目的を欲した場合でも、軍用機の名前は、各国でかなり差があります。

日本は「何年に作った、どんな機種か?」が重要みたいで、年を経て技術が発展し作り上げていく自分らの誇りのようなものを感じます。

アメリカは、1つ1つの達成感というよりは、開発と運用をどのように管理していくかが主眼で、大国の貫禄を感じます。海軍の開発元を記述方法も、開発者を尊重する意図というよりは、調達するシステム的な意図を感じます。

ドイツは、技術者気質・マイスターの現れのような命名法ですネ。「どこの誰が作ったか?」が一番重要だという。Fw190と言う航空機が何なのか、名前からは全くわからんですが、フォッケウルフさんの所で作ってんのネ‥‥というのはすぐ解ります。大戦後期からは、会社略号ではなく、設計者の略号へと記述が変更(たとえばフォッケウルフ社のTa(タンク博士)154とか)されたのは、日本人の私からすれば、極端なようにも感じるくらいです。
*ちなみに、イタリアも会社名の略号と開発番号ですネ。

イギリスは、「マシン愛」が強いですネ。さすが蒸気機関と産業革命の本家。「きかんしゃトーマス」は伊達じゃない。イギリスは今でも走行可能な汽車が沢山ありますネ。まず、マシンの愛称が誇示され、その後、任務や開発順がわかるという、何か「擬人化」のニュアンスすら感じます。イギリスの技術力は凄いですが、技術者とその国家の気風は、ドイツとは非なるものみたいです。

色々な航空機に接していると、名称も興味深く思えてきます。そして、戦争に勝ったか負けたかも、何か暗黙のうちに示唆しているようにも‥‥。総力戦に持ち込まれたら、技術偏向の性質は仇となるかも知れませんネ。
*イギリスは、海がなかったら、ヤバかったよネ。

で、私はどの国のタイプに似ているかな‥‥と考えると、どうもイギリスタイプですネ。海に囲まれた孤島でキバると、似た性質になるのかな‥‥。


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