林檎さん

2000年に入った頃、私は、知人が聴いてた椎名林檎さんの楽曲を聴いて、一気にファンになりました。ヨーロッパ映画音楽の時と同様に、純粋に音楽が面白いと思ったからです。

林檎さんの楽曲も、相当(良い意味で)ヒネくれてて、一筋縄ではいかないですよネ。当時、私が好きになるきっかけとなった「虚言症」という曲がありますが、メロディは覚えやすく口ずさみやすいし、曲の感じも覚えやすいのに、実際はかなり「捕まえにくい」、独特なテンションを持っている事に、強く惹き付けられたのです。

試しにコードで音を拾ってみると‥‥

| B, Baug | B6, C#9 | C#m7, D#m7 | D#m7-5, G#7 |
C#m7, G#7 onD# | E, A7(13) | D#m7, D7 | C#m7, F#7-9 :| Cmaj7
*A7(13)は9thも入れてオープン気味で(じゃないと、雰囲気が出ない)

‥‥と、歌のメイン部分の進行を、何とかコードにまとめると、こんな感じです。コードで書くとなんだかギコちないですが、しょうがない。オリジナル曲のバランスを表現するには、五線譜で明確にボイシングを書き表さないと、キツいかも知れませんネ。A7(13)は特にカッコいい和音なので、(1,7,9,10,13)か、9thを1oct上げて、(1,7,10,13,16)のフォームでキメたいところです。

「D#m7, D7, C#m7, F#7-9」のくだりは、かっこいいですよねェ。他の箇所もそうですが、この曲のテンションノートは重要な役割を担っています。

根本的にコードの構成が定番に落ち着くのを拒否しているようなきらいがあり、さらには、サビで動き回るベースが聴く側の調性の感覚を見失なわせて、どんどん危ういテンションへと誘い込んでいきます。ストリングスの動きも、「C##,D#,E,D#」の半音進行の動きで、糸の切れた凧のような危うい浮遊感を醸し出して、聴く側を惑わせます。

ある種、聴く側を挑発して引き込む様でもあり、当時から世相の「癒し」に辟易していた私に、その不敵とも言えるスタンスの楽曲が、ちょうどよくハマったのかも知れませんネ。

‥‥この曲も2000年発売のCDで、すでに13年前か‥‥。

調べてみたら、「勝訴ストリップ」って、世間で結構売れたんですネ。こんなに激しいのに。

この楽曲を聴いて、イイと感じた人々は、今、どんな気分で生きてるんだろうか。

ヨーロッパ映画と幼少の私

前回、小さい頃にヨーロッパ映画音楽に親しんだ‥‥と書きましたが、それだけを読むと「マセたガキだな」みたいに思われちゃうんですが、実は「映画音楽だけを知ってて、映画そのものは知らなかった」りします。音楽そのものと、レコードジャケットとその冊子だけで、あれやこれや、イメージしてたのです。

実際に内容を小学生(低学年〜1年か2年だった記憶が)の時に知ったのは、日曜の昼過ぎにテレビで見た「シェルブールの雨傘」くらいなもので、「道」も「太陽がいっぱい」も「男と女」「ロシアより愛をこめて(007)」も、映画の内容は全く知らず、でした。
*最近、「シェルブールの雨傘」を見ましたが、映像制作に関わっている今の私からすると、「よく、作りきったなあ」とまず驚嘆します。セリフが全部、歌ですからネ。劇中音楽の尺は映画の尺と同じ‥‥という。カメラワークの尺との兼ね合いとか、コントロールが大変過ぎます。作りきるバイタリティがすごい。
*作品を障害無く大量生産できるシステムも必要かも知れませんが、見た数日後に忘れてしまうようなのは寂しいですネ。「シェルブールの雨傘」など、「語り草」がいくつもあるような作品は、得てして、見る人間の心を圧倒するものだと思います。


親の好みは、子供に少なからず影響を与えますが、家には、ヨーロッパ映画音楽のレコード(といってもベスト版)と、ホームクラシック(クラシックの全集モノ)、欧米のポップス・イージーリスニング、ラテン音楽などがありました。一方、ヒッピームーヴメントの匂いのするものはほとんど存在せず、またコテコテのアメリカ音楽(カントリーや白人のブルースとか)もあまり数がありませんでした。

ヨーロッパ映画音楽のオムニバス版の冊子(封入の小ページの解説)には、今思えば、フランスの女優さんが一杯載ってました。当時はフランスもイタリアもアメリカも見分けがつきませんでしたが‥‥。

カトリーヌ・ドヌーヴ、アヌーク・エーメ、シルヴィ・ヴァルタン‥‥、子供のレコードに無作為に混ざってたので、何の意識もなく、普通に眺めてました。仮面ライダーV3のジャケットと一緒に。

世情とか流行とかありますが、実は家庭内環境が一番子供に影響を与えるんじゃないかと思います。流行を家に持ち込む・持ち込まない、どんなものを家に持ち込むかなど、親の行動に結構なウェイトがかかっています。子供にとっては、特に、5歳までのいわゆる「情操教育」的な期間に見聞きした事が、その後の人生のルート(root)になるように思います。味覚の趣向なんかも、その時期に基本が形成されるようですしネ。

けだるく、解決を引き延ばしたような、曖昧なニュアンス。子供の私は、まんまとその雰囲気にハマっていったのかも知れません。ちょうどその頃、ルパンのファーストシリーズが何度も再放送されてて、山下毅雄さん(大野雄二さんの新ルパンではなく)の音楽も好きでしたネ。

‥‥セビアン。


*レナウン娘は、おなじみ小林亜星さんの、あっけらかんとしたメロディですネ。

ヨーロッパ映画の音楽

私は小さい頃(小学校に上がる前くらい)、家にあった「ヨーロッパスクリーンミュージック」のレコードをよく聴いていました。今でもたまに聴きたくなって、iTunesで聴くのですが、改めて聴くと、半音階進行の多い独特の曲調で、最近あまり日本では耳にしなくなったニュアンスだと実感します。

今の日本で流行しているタイプの曲調って、いわゆるパッヘルベルのカノン的なコード進行、例えばキーがCだと‥‥

C, G7 on B, Am, Em7 on G, F, C on E, Dm7, G7 ...
*Dm7をD7にしてもアリですネ

‥‥のようなコード進行で、童謡などにも見られるタイプ、ある種の「癒し系」(童心を喚起する)とも言えます。これを短調に替えても(短調に変えるとラピュタの主題歌になります)同じです。ベースが行儀良く音階下降していく(ドシラソファミレ)事で、素朴で素直な味わいと、そこから醸し出される「華飾を廃した、本当の自分」的なニュアンスが、現代日本に受けるのかも知れません。

‥‥が、しかし。

私は小さい頃からヨーロッパ映画音楽、特にフランス・イタリア映画音楽の響きに親しんでいたので、この手の響きはさほど「こない」のです。どっちかというと、「ああ、またか‥‥」と食傷気味ですらあります。‥‥別に気取ってる訳じゃなくて、私の子供の頃は、ヨーロッパ映画が流行ってたので、仕方ないのです。

現代にウケてる響きは、どうもスリルが無いというか、安心できちゃうと言うか。ジラすようなところが無いというか、先が読めるというか。激しくにぎやかで悪ノリしても、決してワクからはハミださないと言うか。‥‥まあ、上記コード進行の根本的な性質ゆえ‥‥なんでしょうけど。

一方、昔のヨーロッパ映画、フランシス・レイの「パリのめぐり逢い」のテーマは、小さい頃頻繁に聴いていましたが、どこに流されていくのか掴みづらい雰囲気を持っていて、中々にアンニュイなコード進行です。幼いながらに、「不思議な雰囲気の曲だなあ」と思っていました。

Gmaj7, --, F#sus7, F#7, Gmaj7, --, F#sus7, F#7, Fmaj7, --, Esus7, E7, Bm7, E79, Amaj7
*1コード=1小節(3拍)です
*--は直前のコードを繰り返しです
*E79はE9とも呼ばれますが、7thの音を省略するとNGなので、あえて79と書きました
*原曲を聴いてみたら、メロディの出だしはDbmaj7でした。上のコードから、-6トランスポーズですネ。


ベースの動きを見ても解りますが、半音の動きが特徴的です。「G-F#-G-F#-F-E」。最後はドミナントモーションで締め‥‥ですが、多くを占めるのは、アンニュイな半音の動きとメジャーセブンスの響きで、まさに「あの頃の感じ」ですネ。

ミシェル・ルグランもそうですし、ニュアンスは異なりますが、ニーノ・ロータも半音階の動きが出てきますネ。「シェルブールの雨傘」の最初にドヌーブが登場するシーンの歌いだしの旋律なんかは、Eb,Bb,Aのフレーズ全体がどんどん半音下降してきてクラクラします。

まだ、1980年代中頃までは、こうした響きがお茶の間に存在していたのですが、1980年代終わり頃から、もっとシンプルな響きで明快なもの、もしくは先ほどの「パッヘルベルのカノン」的なコード進行を多用した楽曲が増えていったと記憶します。もしかしたら、現在の私が「パッヘルベルのカノン」的なものに食傷気味なのと同じく、その当時の人は「ヨーロピアンテイスト+JAZZYな響き」に飽きて、明快単純なテイストを求めたのかも知れません。

思えば、松本零士コミックに代表される痩身でミステリアスな女性像がフェードアウトして、明朗快活でフレンドリーな女の子キャラが主流となったのも、80年代中頃ですかネ。で、今はさらに女キャラの低年齢化(設定ではなく容姿ネ)が進み、萌えキャラが主流のようになっている‥‥と。

流行は巡る‥‥と言いますが、そろそろ一巡しても良い頃かなあ‥‥と思っています。

コンビニの食品やファーストフードのように手軽で食べやすいものに対し、「もっともっと、食べやすくしてほしい」となるのか、何か別の因子が作用して、どこかで価値観がはじけて「食べにくくても、違うものが欲しい」となるのか。


PostScript...

ミシェル・ルグランと言えば、「Arrivée des camionneurs」なんかは最高にカッコいいですネ。しかし、この曲のカバーは難しいよネェ。中々ハネてる演奏にお目にかかれません。バディ・リッチの「Time Check」なんかと同じでネ。




しかし、フランス・イタリア・イギリス・アメリカのこの頃の映画音楽って、お国柄が曲調やアレンジに、よ〜く出てますよネ。

陸自の広報センター

朝霞に陸上自衛隊の広報センターがあります。ここには歴代の主力戦車、装甲車両などが展示され、「兵器の異様さ」に身を持って触れる事ができる、貴重な場所です。入場料は無料で、駐車場も数台はありますので、平日の昼に取材として見学しにいくのがオススメです。

屋内に90式戦車や攻撃ヘリ、偵察バイクなどの展示があり、防弾服の試着などもできます。

屋外では、74式の他に、新たに10式戦車も展示されているようです。最新の10式はさすがにベタベタとは触れないようにチェーンで策が施してあるようですが、他の車両は駐車場の乗用車のように間近で見れます。軽機動車に至っては、車内に乗り込めます。

身の丈から感じる兵器。体験してみても良いと思います。

こんなのが街中を走ってたら異様だよな‥‥とか、こんなぶっ太い大砲で撃たれたら死んじゃうよ‥‥とか、身の丈で兵器を実感するには、YouTubeや書籍じゃダメです。実物を見ないと。まずは。


兵器へのルサンチマン

人間の英知を結集して生み出される兵器。ゆえに兵器は機能美を持ち、闘争本能を具現化した威容を誇るのです。「目的に対し極めて忠実な機能の美」「闘争本能を具現化した威容」‥‥この2点は、ミリタリーメカニックを描く上で、絶対に外してはならない超重要な要素だと、少なくとも私は考えています。

そして、優れた兵器であるほど、より多くの人間を殺傷します。これもとても重要な要素です。

鎌倉時代からの名刀など、能く斬れる刀が、陶酔するほどの光沢・色彩を見せつけて、博物館に展示されていますが、単に造形の美しさだけはなく、美と同化した「血」の匂いも圧倒的に放射しており、思わず立ち尽くして凝視してしまいます。

軍用機も装甲戦闘車両も同じです。民間航空機と戦闘機の違いは、実機の前にたてば、説明されなくても、否応無しに伝わってきます。何が圧倒的に違うって、戦闘機は「殺す気満々」なんです。

WW2戦時中のアメリカで制作された、某大御所アニメスタジオによる「 Victory Through Air Power」も、そうした兵器に対するある種の憧れ・畏怖の感情が映像表現として表れています。レイアウトの取り方だけでも、それはお解りになるでしょう。



日本語で書かれた看板の家屋を、どんどん破壊していく様は、アメリカが「結局はその気だった」事が伺いしれますね。まあ、戦争をやれば、どの国も上品な事ばかりではないでしょうけど。

幼少の頃はともかく、ミリタリーに興味を持ち続けて、ある程度の歳になれば、単純に「カッコいい」だけで接する事はなくなります。機能美、闘争本能への憧れの他に、どこか怨念感情も同居した、絵に描いたような「アンビバレンツ」なスタンスを持って接する事になります。

ただ、歳‥‥というのは、どれだけ兵器の暗部を避けずに来たかで、上下します。まあ、これは兵器だけに限らず、犬や猫などの「ペット」なんかでも同じで、生きたぬいぐるみとして接するだけでは、どんなに歳を喰っても浅はかなままでしょうしネ。排泄物、病気と老衰、そして死と向き合う事をしなければ、ネ。

私は、砲弾の飛んでいった向こう側の事も、どうしても想像してしまう人間になってしまいました。かっこいいだけの思考では終われない人間‥‥というか。ですので、アニメにはありがちな、打ち上げ花火のような戦闘シーンは嫌悪感を感じますし、萌えキャラのアクセサリのようにミリタリーを扱う作品も私自身としては「できれば関わりたくない」のです。

でもまあ、そうした作品・シーンのシナリオを、良い歳になって子供に説教するような大人が書いているのも、まさに「世の中のダークサイド」ではありますネ。

私は戦友とも言うべき同僚を、既に3人亡くしています。ゆえに、ミリタリーや人の死を、カジュアルでポップに、他人事のように扱えないのです。死者数で数える人の死もありますが、苦楽を共にした人間の死は、数では推し量れません。おそらく‥‥ですが、軽い死を書く人って、現実でも未経験なんだろうなと思います。

闘争心、もっと言えば、生存しようとする本能に、兵器の本質はバックグラウンドで強固にリンクしています。「人殺しの道具」として簡単に片付けるようでは、本質は見抜けないし、根源を意識する事もできないでしょう。闘争、つまり争う事とはどういう事なのか、争った時に勝って生き残りたいか、負けて死にたいのか、‥‥そういうプリミティブな要素を棚上げして、戦争や兵器を語っても、早々に頓挫しますよネ。

私は、台湾にも韓国にも中国にも知人がいます。私の接した子(歳下なんで愛着を込めて)は、みんな頑張り屋で努力家、できればずっと同じ現場で仕事をして行きたかった人たちです。その人たちの顔を思い浮かべれば、国家間の武力の付随した争いなんて、到底ありえないものだと感じます。でも現実は?

そのような状況の中に、「兵器」は存在し続けます。

‥‥だからさ、かっこいいだけでF-15とか出してちゃダメなんだよネ。‥‥と、私自身は考え、未来の作品群にそうした意思を反映していこうと思っています。

3.10

3.10は、「3.11の前日」なんでしょうか。

3.10は、東京大空襲の日です。1945.3.9に日本へ接近したB-29の大編隊は、一旦日本空域から離脱するフリを見せますが、日付の変わった3.10に東京上空へと突入、爆撃を開始しました。日本の建築物や関東大震災の研究結果を最大限発揮した作戦内容により、結果的には大震災に勝るとも劣らない被害〜一夜にして死者10万人以上を数える被害を日本に与えました。‥‥とんでもない大惨事だったのは、数字だけでもおわかりでしょう。

今日、起きて新聞を見ると、東京大空襲の記事はどこにも見当たりません。皆、3.11関連です。テレビ欄を見ても、同じ。

‥‥。

3.10も3.11も等しく重要でしょう? どちらも、記憶を維持し続けるべきもの‥‥でしょう?

明日が東日本大震災で、今日が東京大空襲という状況。何も、東京大空襲をオミットするやりかたでなくて、相乗的に扱うやりかただって、充分に成立するでしょう。

正直、がっかりです。音頭取りの新聞や民放がこんな事では、未来も同じ、ですネ。

昔の事より、今の事を優先すべき。‥‥というのなら、3.11もやがてそうなるんでしょう。

テレビや新聞が一斉にこの有様じゃさ‥‥、「3.10は、東日本大震災の前日だと、記憶する」というのが、まるで「総意」みたいじゃん‥‥。

ナショナリズムというか、国民の総意というか、「みんなはそうしているんだ。お前もそれに準じろ。従え。」という気風は、危ういよねぇ。煽動されていく構造も危ないし、のっかっちゃって興奮状態になって暴走するのも危うい。自己冷却システムを自分の中に確立しておこないとネ。

アニメなんかもさ、「アニメとはこうあるべき」とか言う人、少なからず、いるじゃん? ‥‥まあ、なので、私は「じゃあ、アニメじゃなくていいや。映像作品という事で成立すれば良い」と思うのですけどネ。

+ + + +

今日は3.11の前日ではなくて、「東京大空襲の日」です。

ネットを手にした我々としては、3.10に何が起こったか、Googleサーチで色々調べてみる日、ですネ。

ちなみに、私の身の回り‥‥でお話ししますと。。。

日本では悪名高いルメイ司令(焼夷弾による民間居住区への無差別爆撃を立案)の前任、ヘンセル准将の指揮による日本への空襲は、軍需関連の目標に対する精密爆撃(ルメイと違い、ヘンセルは民間居住区を攻撃目標とはしなかった)でした。三鷹の中島飛行機の工場へも何度となく空襲を繰り返していますが、実はその時、私の母方の祖父がその工場に勤務していました。その後、中島飛行機を辞め疎開し、疎開先で教員となっています。

戦争絡み‥‥の身近な話題ですと、私の父の父〜つまり父方の祖父は陸軍に徴用され、南方作戦に赴くべく輸送船で移動中、魚雷攻撃を受けて沈没し戦死しました。終戦まであと3ヶ月でした。終戦後まもなく母(私の祖母ですね)も病死、私の父は両親の戦死・戦争関連死により、いわゆる「戦争孤児」となったのです。

戦争を3ヶ月早く終わらせる事は可能だった事(=負け・降伏を免れない事を自覚していた事)が、その後の様々な調査で浮き彫りとなったのは、戦史に興味のある方なら周知の事実。中枢の人間たちは、「どうすれば奇麗に終わらせられるか」を考え、ずっと決断しかねていたのです。これは別に驚く事でもなくて、みなさんも身近にあるでしょう、そんな「ダメだと言い出すには、タイミングが必要だ」なんて事は。「そんなチンケな理由なの?」と驚かれるかも知れませんが、結局、「エリートさん」も保身が大事の、只の人の子だったわけです。でもまあ、間接的にその人らの凡人ぶりが作用して、私の父方の祖父は死んでおります。

運命をどうこう言うつもりはありません。ただ、父方の祖父母が健在であったら、父の人生も、そして私の人生も違うものになったであろう‥‥ことは容易に想像がつきます。



FPS

私は最近、FPS(フレームス・パー・セコンド=1秒あたりのフレーム数)ではなく、無段階で秒間を意識できないかなと考えています。ぶっちゃけ、そういう機能がAfter Effectsにあれば良いのにな‥‥と最近よく思います。

でもまあ、実際は、After Effectsは秒(time)を浮遊小数点(Floating-Point Value)で扱っているので、既に無段階であると言っても差し支えないのですが、明示的に無段階で扱えたら使いやすいなあ‥‥と感じています。

*知っている人は、よく知っている‥‥とは思いますが、After Effectsは24コマや30フレの場合でも、1秒=1で扱います。24コマにしたからって、秒の基準が24になるわけではありません。1コマは0.04166666...です。なので、スクリプトを組むときに、誤差の扱いに工夫が必要なんですよネ。詳しくは、スクリプティングガイドを参照。


今ですと、1秒間は99フレームしか入力できません。少なくとも、120、できれば240や300まで入力できるようになると、良いのにな。そうすれば、随分、ステップが細かくなって、無段階風にはなります。

高精度で作っておいて、あとで各種メディアに合わせてダウングレードして最適化する‥‥という事が、今のAfter Effectsでは解像度と色数くらい(後は圧縮関連か)しかできないですネ。

もちろん、ダウングレードにはそれなりの手間はかかります。単にFPSを下げただけじゃあ、ちょうど良い絵(かっこよい絵)がフレームにおさまるとは限りません。ちゃんと、「最適化」の作業を施さないと、ヌルい映像になってしまいます。

まあ、プリコンポジションしても、透過的に「秒の浮遊小数点な扱い」は継承されるので、「荒く作っておいて、後で細かく」というのもできなくはないんですが、荒いキャンバスからスタートすると、後々の加筆修正がめんどいのです。例えとして、320pxで描いた絵を、3200pxに拡大して、ジャギを消す‥‥なんて作業、したくないですからネ。最初から3200pxで描けば良いのです。

「そうは言っても、動画の段階で、A1,A2みたいにコマ割りの絵じゃないか」と考える人もいるかと思います。‥‥ですから、そういう「FPSに従属した」やり方は、よほどの特例をのぞいて、もう「無い」のです。新しい方式において、動画は、もっと違う役割(=アシスタントアニメーター)となるでしょうネ。私が24コマタイムシートのデータ運用を随分前に放棄した理由も、そういう事なのです。もちろん、メンテナンスモードでは今でも継続はしていますが。。。

CompressorのProResCodecはいずこ?

App Storeで購入するようになった最近のCompressorは、イヤラしい事に、ProResコーデックをライブラリにインストールしません。つまり、QuickTime PlayerやAfter EffectsからはProResコーデックを利用できないと言う事です。

で、Compressorが使っているQuickTimeのコンポーネントはどこにあるの?‥‥というと、

/Applications/Compressor.app/Contents/PlugIns/Compressor/CompressorKit.bundle/Contents/PlugIns/ProMediaIO/Components

‥‥です。

Compressorはアプリ単体で600MBあります。その状況だけで、ピピッとくる人は、「コイツは、何もかんも、パッケージの中に持っているに違いない」と感じるわけです。

で、パッケージを開いて、それらしい項目をホジってみると、案の定、QuickTimeのcomponentsもあると。

そいでもって、いつもの、/Library/QuickTime/の中にコンポーネントがあれば、After Effectsからも使えるわけで。

以上、参考までに。

ソフトウェアとの‥‥

ちまたでソフトウェアの「ユーザーレビュー」とかを参考に読んでいると、うすら寒いレビューを見かける事があります。自分が上手く使えないのを‥‥というか、ちょっと使って使いこなせないだけで、「最低のソフト!」と罵る類いのユーザレビューです。

もちろん、ソフトウェアを使いにくくしている、悪いUIは存在します。基本的に「人が使う事をイメージできてない」UI‥‥というヤツです。特に技術者・アマチュアプログラマーが「とりあえず作った」ていのUIは非常に使いづらく、「昔はこのくらいの質素なUIだったんだ。我慢して使え」的なスタンスもちらほら見えたりして、げんなりしてしまいます。「なんでここに、このボタンがあるんですか?」と聞くと、「特に意味はない。場所が空いてたから。」とか、‥‥最悪です。

AppleのCompressorというソフトウェアがあります。別にUIに大きな問題があるとは思えません。‥‥しかし、Compressor。これがもう、結構な酷評。

そんなに使えないソフトか?‥‥と思いつつ、レビューを読んでみると、‥‥あれまあ、実は酷評とは、使い方が解らない人々の阿鼻叫喚だったのネ‥‥。

まあ、Appleも悪い。Compressorはともかく、バックグラウンドでクラスタ処理するQmasterなんて、大した説明もなくホイホイと安易に安価で素人さんに売るなよ‥‥って感じです。解んなくて当然ですよ。‥‥で、Compressorなんて、クラスタ処理してナンボなんだから、そりゃあ、クラスタ処理無しの素の状態でCompressorを使った人は、「何だこりゃ?」と思いますわな。

でもなあ‥‥、大してソフトを使ってみるまでもなく、簡単に「これは使えねえ」って判断を下す人も、どっちもどっちだと思うんですよ。日本人って、前からこんなに傲慢だったっけか? 道具を使いこなせるようになるまでは、それ相応の時間はかかるものだ‥‥という気風の国民だったんじゃないのかネ?

私がFinalCutを本格的に使い始めたFCP6の頃には、既にCompressorから投げる分散処理システムはありました。当時は、8コアとか16コアを使いこなせるソフトは、Qmasterにジョブを投げられるCompressorなど、数点しか存在しなかったです。After Effectsがいつまでたってもマルチコアを上手く使えない頃に、悠然とコア数を使いまくってたのは、私の環境の場合、Compressorくらいでしたネ。

そもそも分散処理とはどのようなカラクリで‥‥みたいな調べものから始まり、当時一緒にやってた奥野君と一喜一憂しながら、「わかった!」「やっぱダメか‥‥」「今度はどうだ?」とか言いながら、覚えていったのです。

インストールして起動するたびクラッシュするようなソフトだったら、そりゃあ、罵倒の1つも吐きたくなりますが、単に自身のスキルの低さを棚に上げて使いこなせないのを「このソフトは使えねえ」と言うのって、‥‥もうさ‥‥それ以上の進展はないよネ。話すだけ無駄。

プロとしての年数が長くなったり、数をこなしたりすると、傲慢になりやすいものです。

Compressorのレビューは、よくよく、胸に刻んでおこう‥‥。

ISO的なもの

アニメ業界の撮影技法には、ナゾが少なからず存在し、地域によって定義がまちまちなものがあります。

例えば、「付けPAN」と「FollowPAN」の問題。

2つは「同じだ」という現場と、「使い分けるべきだ」という現場で、まちまちです。

私が聞いた事があるのが、大判が付けPANで、スタンダードサイズがFollowPANだ、‥‥という俗説です。そんな事を平然という人は、AVCHDのムービーカメラを持って、実際に撮影して、実写から学んでください。

付けるという日本語、Followという英語。何だか、くだらん「言葉遊び」のレベルです。

しかし、誰も明確に定義しないので、何となく毎回受け流して、結果オーライで何十年も続けてきたのです。日本人って、ある意味、すごいよネ。

でも、新しいアニメーション制作では、そんな事はないように標準化機構を働かせようと考えています。中規模の工房レベルであっても、毅然とした用語の統一はなされるべきでしょう。もちろん、用語だけでなく、様々な事も‥‥です。例え、小さな路地であっても、迷わずにスッと目的地に行けたほうが良いですよネ。

情景を左から右へと眺める時、PAN(カメラを振る‥‥という意味)でも良いし、ドリーで移動しても良いし、ドリーで移動しつつPANしても良いし、色々な方法があります。しかし、どれも見た目の雰囲気はかなり異なりますから、演出的意味合いも差異が生まれます。

新しいアニメーション作品のフレームワークは、まさに作品を作るために存在するのですから、演出的な要素を具体的に記述するための用語辞書は必須です。人それぞれで解釈の大きく異なる曖昧な用語を、何となく許可して放置するなんて、ありえません。

制作の骨組み、フレームワークが足手まといになるなんて、笑い話ですからネ。

‥‥でもまあ、最近私が思うのは、絵という世界の中で、何でもかんでも「カメラでものを考える」のも、なんか妙な話だな‥‥という事です。絵をわざわざカメラの限界の中に封じ込めるのって、過渡的なアプローチだよな‥‥と思います。まあ、今までずっとカメラでものを考えてきたので、カメラのファインダーの癖はそうそう抜けないんですが、もっと他のアプローチがあると考えています。

ただ、一方で、私の頭の中で動く映像は、どこか実写と絵の「アンドロギュニュス」的な容姿を持つので、カメラやファインダーという視点は、「ホルモンバランス」として残しておいても有用ではないか‥‥と思う事もあります。

フレームワークは、そうした「作品表現の振れ幅」も含めて、形を成していくべきだとは思います。まあ、未知な要素を先読みで配置するのが難しいのは、重々承知していますが。

*ちなみに、PANはカメラを左右に振る事‥‥としていますが、意訳である事はご承知ください。PANには、「見渡す・眺める」的な意味合いも含まれると思いますが、ここでは物理的な動作のみをピックアップして、用語として引用しています。


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