512

前々回書いたメンコの話題がてら、いくつかの「スーパーカー」のメンコの中にふと「フェラーリ512」の姿を見つけたのですが、「512? おお、何だかピッタリでシックリくる数字」と感じる私は、随分とコンピュータ漬けのヒト。

256の倍、1024の半分。512は区切りの良い数字です。今は何だか「1000」とか「500」とかはキモチ悪く、「250」なんて「あと6足してピッタリにして!」とか思いがちです。

で、フェラーリの512。

調べてみたら、2進法とはほとんど関係ありませんでした。

512とは「5リットルの排気量」で「12気筒」の意味なんだそうな。ゆえに「5・12」。

全然関係無い‥‥と書きかけたんですが、気筒数は2の倍数なので、多少は2進法と関係なくもない‥‥ですネ。V型12気筒の4942ccであると、Wikipediaには書いてありました。

ちなみに、私の小学生時代の机の真ん中には「ボディが黒と赤、目がオレンジの512BB」の大きなシールが貼ってありました。一番メジャーな「Berlinetta Boxer」ですネ。

あと、カウンタックLP500の「シングルレコード」も持ってました。‥‥何だか、スーパーカーブームに踊らされていた子供そのものでしたね、私。

車のレコードなんて、今の感覚だと変ですけど、‥‥いや、当時から変なレコードだと感じてました。A面にはLP500の各種操作音(レバーの音とか、ガラスの開閉音とか)〜いわゆる音響で言う「フォーリー」みたいな音が、延々と録音されていました。B面は走行音のみ。‥‥やっぱり妙な商品スね。

レコードはまだどこかに残っているはずなので(5年前くらいに見かけた)、今度出てきたら、USB経由で録音しておこう。

レガシーアイテム・QD

私は「うる星やつら・オンリユー」の時に中学卒業というタイミングの世代です。うる星やつらがシンセサイザーを多用したサウンドトラックなのはご存知の通り、ちまたではYMOが流行っていたこともあり、私もご多分に漏れずシンセサイザー音楽に興味を持ちました。

友だちの買った「CS01」と「ダブルカセットラジカセ」を使って、ピンポン録音で音楽を作ったのは高校1年生の頃です。当時の私のお小遣いは「エレキとアニメ」に消えていたので、シンセサイザーなんてとても買えませんでした。

ヤマハCS01

*今でもヤマハのWebにはCS01の紹介ページがあります。「作り捨て」のメーカーが多い中、凄く嬉しい事ですネ。


同時に1音しか発音できない「モノフォニック」仕様なので(当時はこの価格「3万円前後」だと当然の仕様)「ドミソ」の和音を鳴らすには、「ド」を録音した後に、「ド」を再生しながら「ミ」を弾いて録音、さらに「ドミ」を再生しながら、「ソ」を弾いて録音する‥‥という2つのカセットテープを「ピンポン」しながら和音を演奏していました。

こんなことをしていれば、和音を演奏するよりも、ポリフォニックや対位法に興味がいくのも時間の問題。‥‥やはりご多分に漏れず、バッハなどのポリフォニックな音楽にハマっていったのです。‥‥と同時に、「メカで表現」する事にも慣れていったのだと述懐します。

前置きが長くなりましたが、私はこうして「シンセサイザーのようなメカ」に慣れていき、その後にアニメーターになって原画でお金が稼げるようになると「MIDI」に手を出していったのです。さらに付け加えれば、「コンピュータに対する抵抗感が薄かった」のは、こうした「シンセ・MIDI好きの経緯」があったから‥‥だとも思います。

私が高校生の頃に規格が世に出て、今でもまだ生きている規格「MIDI」は、シンセサイザーやコンピュータ(シーケンサー)をケーブルでつないで演奏するための規格で、例えば3台(=複数台)のシンセサイザーを同時に鳴らしたり、コンピュータによるシンセサイザーの自動演奏などが可能です。

そこで、今回のコレ。



ヤマハの「MDF1」です。名機「DX-7」を模した配色がニクいですネ。‥‥あ、そうか、ヤマハ発の「ハツネミク」の色使いもコレですネ。

これは、MIDIの演奏データや音色データを記録ディスクに読み書きするための、「ディスクドライブユニット」です。

記録ディスクは磁気ディスク。でもフロッピーディスクや光磁気ディスク「MO」ではありません。

磁気ディスクの名は「クイックディスク」、略して「QD」です。容量は片面64キロバイト、両面合わせて128キロバイト。‥‥恐るべき低容量ですが、それでも、カセットテープに「ガジガジジジガガガガガ」と記録するよりは、百倍はマシでした。







このQDの「マイナス方向にステキ」なところは、「円盤なのに、ランダムアクセス不可能」な仕様でした。

「ランダムアクセス」とは、その名の通り、ランダムにアクセスすることです。古くはレコード盤がランダムアクセスの記録メディアでしたネ。レコードプレーヤーのアームの先端(=レコード針)を任意の場所に落とせば、その地点からの音楽再生が可能なのが、レコード盤でしたよネ。

一方、「カセットテープ」は現在地点から早送りか巻き戻しをしないと、任意の場所にはたどり着けませんでした。これを「シーケンシャルアクセス」と言い、「リニア(線状に記録する)」とも表現できます。

カセットテープはハウジングから記録テープを引き出すと、まさに一本のテープで、見ての通りの「リニア・直線」状態です。

QDは、見た目は円盤なのに、実は「リニア」。要は「カセットテープを渦巻き状に巻いた」ようなものです。「円盤である理由が無いじゃん」と思うでしょうし、私もそう思うのですが、「保存の際にかさばらない」のはテープメディアにはない特徴でした。

QDを使っていた当時、コンピュータで使っていた大判の5インチディスクとか3.5インチフロッピーは「高嶺の花」でしたネ。MIDI機器の記録メディア選びって、裏目に出る事が多くて、QDの他に「普及せずに知る人ぞ知るレベルで消えていった」ディスク規格としては「MD DATA」(MDデータディスク)なんていうのもありました。
*ちなみに「MD」と「MD DATA」は違う規格です。MD DATAディスクはMDのマルチトラッカーの記録メディアでしたが、他に何かで使われたのかな‥‥?。

前回書いた「メンコ」の箱の横に、ポツンと忘れ去られて放置されていた、この「MDF1」。今では何の値打ちもありませんが、捨てるかどうかの判断は、‥‥まあ、もうちょっと保留しておきます。

 

レガシーアイテム・めんこ

私は「熱しやすく冷めにくい」人間のようで、過去に好いたモノは、今でも好きなままです。つまりは、歳を喰うごとに身が重くなってしまうわけですが、そこはそれ、日本の住宅事情に合わせて、「厳選してアーカイブ」するように心がけています。

家には「メンコ」(面子)が木箱一杯に残っており、恐らく死ぬまで保存する事になるでしょう。私が小さい頃、兄がメンコの猛者だったので、家にはメンコが沢山あり、その中であげたり捨てずにおいたものが、40年近く経った今でも残っているのです。

メンコは「くみき」(積み木ではなく、組み木)の木箱に保管してあります。今となっては、この木箱も相当にアレなアイテムです。現在だと「確実にアウト」ですネ。



中身はこんな感じ。私が保育園から小学6年生くらいまでに放映された特撮やアニメのメンコです。



‥‥あ、アイドル(フィンガー5)もいますネ。「ジャンボマックス」は、カテゴリー的には「バラエティ」になるんですかネ。



お馴染みのマジンガーZ。マジンガーZの本放送は、確か私が小学校1年の頃だったと思います。新しめの999や「さらばヤマト」も見えますネ。



ロボコンやら、キャシャーン(の敵キャラ)、ど根性ガエル、ウルトラマンタロウ、ミラーマン、聖徳太子のお札、デスラー、メーテル、森雪とアナライザー。‥‥闇鍋状態ですが、出自のわからないモノ(握り拳の男とショートカットの女)もありますネ。

この頃の小学生は皆、テレビアニメを見ており、学校の休み時間の、共通の話題でした。「オタク」なんていう言葉はなく、子供らは分け隔てなくアニメが好きだったので、(前にも書いた事がありますが)小学6年生の頃に同級生たちと高田馬場の「手塚プロ」に「アポ無し見学」を決行した事がありました。手塚プロの人は優しくて、「今日は見学日じゃないから、見学はできないけど、これをあげよう」と「バンダーブック」のセル画を皆にくれたのです。‥‥ええ、時代やね。

ヤケて黄ばんだメンコを眺めながら、「もう2度と、あの頃のアニメが復活する事はないんだな‥‥」とやや感傷的な気分にひたりつつも、「今は今で、成すべき事がある」とキモチが引き締まるのでした。

ファイル名という規約

私が最近作業している作品では、作品全体における明確な「ファイル命名規則」が存在しません。そして、最終局面において、足をちょいちょい引っ張って、煩わしい問題の原因となっているのが、やはりファイル名です。

部署ごとに統一されていれば、まだ収拾は可能なのですが、同じ作業工程を複数の会社が請け負っていて、命名規則がバラバラだったりすると、誰でもお解りとは思いますが、まず何よりも「クリップを名前でソートできない!」‥‥のです。もちろん、そうした状況に対応すべく、色々な仕組みを考えて実行はしていますが、それは「腐ったものに消臭剤を撒く」ような対処であり、「最初から腐らないようにすれば良い」のは明白‥‥ですが、今回はそうした基本原理を中々実行できない状況でした。

「いつも、ファイル名は大事だと言ってたあなたが、なぜ、そんな体たらくなのか」と言われそうですが、私がファイル名やワークフロー作りなどのリーダーシップを発揮できるのは、私が「責任者」として任命されている作品のみで、そうでない場合は「でしゃばれない」のです。

でもまあ、どんな理由があろうが、ファイル名を甘くみると、やっぱりダメですね。コンピュータのオンライン作業における基本中の基本は、命名規則により統一されたファイル名である‥‥という事が、作業中の作品でしみじみ、そして深く、再認識できました。倭人だけでなく、コーカソイドが相手でも、ファイル命名規則はキッチリと規約を発布して、遵守させるのが、作品制作の「要石」ですな。

どんなに各作業者のスキルが高くても、運用が「寄せ集めの民兵レベル」では、戦力は消耗するばかりです。歴史読本ではよく「農兵や民兵の反乱が、正規軍によって鎮圧された」ようなエピソードが語られますが、その要因は、武器個々の性能差ではなく、戦闘行動中のフォーメーションや情報伝達などの「組織力」の優劣によります。

個人のスキルが個人レベルに終始するのが、農兵・民兵レベルだとしたら、個人のスキルが複数人数のフォーメーションと情報伝達によって「かけ算」的に強化されるのが正規兵レベルです。このレベルの差は、解っている人ほど重要視します。そして、正規兵レベルを実現するための基礎中の基礎は「命名規則」です。名前が曖昧に変化するのでは、どの部隊がどの地域に展開しているかなんて、把握しようもないですもんネ。

ファイル名が統一できてない現場は、グズグズになる。

昔から実感していた事ですが、2014年のコンピュータが飛躍的に高性能化した今でも同じようです。

規約はいずこにありや

前回書いたアニメ制作のお約束についての話題〜アニメ制作の「道交法」的なお話ですが、よくよく考えてみれば、「アニメ制作全書」とか「アニメ制作法」みたいなキッチリとした文書もないまま、よくもまあアニメ業界は制作運用を続けられたのだと、色んな意味で驚きます。

ちなみにホンモノの道交法はここで読めます。

電子政府の総合窓口:e-Gov〜道路交通法

では、アニメ業界はどうでしょうか。タイムシートの記述法や、作画の基礎的な決めごとなど、アニメ業界には明確な規約や文書は存在しません。‥‥私は30年近く業界にいますが、一度も「全書」「規約書」的なものは目にしたことはなく、学生時代にいくつかの指南書で覚えたり、現場に入って作業の中で慣習として身につけていったに過ぎません。

我流で突き進める仕事なら、「自分自身が規約だ」と言い張って、自己完結で「終わりよければ全て良し」と豪語もできるでしょう。しかし、アニメ業界は、会社の横の繋がりで、作業を分担する事がほとんどなので、我流では通りません。何かしらの「決めごと」が必要です。

ゆえに、20年に一度くらいの確立で、「どこかの誰かが、危機感を抱いて、無償で『手引書』としてまとめ」て、業界の皆はそれを指針としてきた‥‥のでしょう。

考えてみれば、ヒドい状態を放置してきたものです。慣習だけで作法を覚えた業界の人々は、何か「明確な作業指針がある」ように振る舞っているけれど、実は論拠を示す規約文書は何も存在しない‥‥という。「手引書」が「規約書」代わり‥‥というわけです。

規約文書がなければ、そりゃあ、ブレるわな。混乱するわな。

しかも、業界人の慣習の多くは「フィルム時代」に基づく内容で、フィルムが消滅した現在では形骸化も甚だしかったりします。

時代からどんどん取り残される老いた制作システム。規約が明示されないまま何十年も続いた現場。ゆえに、新人が習得すべき技術や知識の基準もブレて曖昧、中堅やベテランが新人教育を持て余す。現場は、人手を補うために、未熟な人材と解っていながら仕事を発注する。

うーむ。何だか、どんどん暗いキモチになります。

でも私が大きな限界を感じているのも、まさにその根幹の問題部分、「暗黙の規約の、形骸化」です。「姿の無いものが消えかかっている」‥‥って、なんて言うか‥‥、もう手のつけようがないです。

私はやっぱり、老いてしまった制作システムをアンチエージングで若返らせる手助けよりも、新生児たる新しい制作システムを育てたいんですよね。困難は多いかも知れませんが、苦労がシステムの身になると思えば、苦とは感じません。

今の業界のための規約を策定したり、データベースを運用するのは、何かとても「無駄」なような気がしています。もう何年も前から‥‥です。規約なんて「反って迷惑」に感じて嫌がる人も多いでしょうからネ。今の業界は、自分らの好きなように、誰からも苦言を言われずに、行きたい方向に行けば良いのです。

でもまあ、誰もが結局は、自分の進みたい方向に進むだけ‥‥なのかも知れませんネ。ただし、アニメ業界はその量産のニーズゆえに「周囲とある程度、歩調を合わせなければならなかった」ので、今のような状態なのでしょう。私の制作技法・運用技法は、現アニメ業界の作業工程を一切使わないので、歩調を合わせる必要がありません。ゆえに自由な進路を採る事ができるのです。

「TVアニメが、子供たちの共通の娯楽で、ゴールデンタイムを独占していた」のは、もう30年以上前の70〜80年代、過去の甘い夢なのです。アニメ業界は、「過去の甘い思い出を忘れられず、自閉症の傾向が強かった」のかも知れません。フィルムが消滅した後も、フィルム時代の作り方から離れようとしないのが、端的に「業界のキモチ」を表していると思います。2014年現在の各所から聞こえてくる「酷い状況」は、実は「夢から覚める」きっかけとなる「現実世界の物音」なのかも知れませんネ。しかし、そのきっかけをどう使うかは、人それぞれ‥‥でもあるんでしょうネ。

アニメの道交法

前回、私は「業界を変えるよりも、ゼロスタートで新しいフィールドを」的な事を書いたわけですが、一方では、例えば「撮ま!」のような「散らかった現状をまとめる取り組み」は、私の指向するベクトルとは違えど、影ながら支援したいと思っています。(つーか、ここで書いてれば、影ながらにはならんですが)

アニメ制作の「行政」的な話題も語られるべき大きな問題ではありますが、等しく、「道交法」が大きく乱れている状況も、放置できない大問題です。「一方通行を逆走する車」や「交差点のど真ん中で駐車」するような行為は、「本来回避できる事故をひきおこす」状況にあると思うからです。

この「道交法」の乱れは、直接的にアニメ業界の「行政」的な部分に打撃を与えているのではないでしょうかネ。秩序を失いかけた「交通事情」によって、制作システムに一層の負担がかかり、老朽化に拍車がかかっているのは、実感している人も多いはず‥‥です。

そりゃね、道なんて逆走しようが何しようが、目的地には到着できるかも知れませんが、道交法を無視するあまりに、各所で事故だらけでは、やがて「街はボロボロになる」でしょう。ただでさえ、制作システム確立から何十年も経とうとしているのに、より一層「雑にシステムを使って」この先、どんだけ持つのか?

街の道路を無秩序に車が走り、事故がそこら中で多発してたら、街の発展はおろか、衰退に直結するんじゃないのかな。

社会が機能している要因の1つとして、整備された交通網が挙げられると思いますが、その交通網が機能するには、道交法が不可欠です。同じく、アニメ業界が機能するには、業界の作業経路が整備・維持されている必要がありますが、今は「作業の取り決め事項」がデジタルによる機能拡張や目先の利便性で野方図状態にあり、細かい機能不全が各所で頻発しているようです。

私が以前に撮影監督を担当した作品ではマニュアル的なものも作りましたし、おそらく各作品の撮影監督さんも自分のテリトリーの中で機能回復を図っていると思われます。でも、そうした行動は、どうしてもローカルの範疇から脱し得ないのです。私が1998〜2003年くらいに書いた作画とデジタルエフェクト連携のTIPS文書なんか、とっくの昔に忘れ去られていますしネ。

アニメーターにしても、制作進行スタッフにしても、「従来技法の再確認」と「デジタル時代における再定義・新定義」に関して、「明示している何か」が存在しなかったので、何となく自己流で進めるしか無かった‥‥のだとも思います。

そんな中、「撮ま!」の特徴は、ローカルで終始しがちな「取り決め事項」「技法」的なものを、できるだけ汎用的な内容にとどめて「公開文書」としてまとめた事でしょう。これには冷静かつ俯瞰視のジャッジが必要で、特殊技法の解説よりも、実は難しい事です。

アニメのギャラ問題に目を向けるのと同じ重さで、システムの構造論や、アニメ作業流通に関する「道交法」的な話題にも、目を向けるべきだと思うのですが、‥‥「今は何とかなっているから良い」と後回しにされ続けて、もう10年以上は経ちましょうか‥‥。

*ちなみに「撮ま」の「協力者リスト」の筆頭に私の名前がありますが、それは単に50音順であって、貢献度とは無縁です。‥‥私が記述に関して貢献できた事と言えば‥‥‥、うーむ、言えない。とても。

工場型について

私はもう30年近くアニメ業界で作業をしてきて、アニメ業界の「工場型流れ作業」を「所与の業界スタイル」として受け入れて作業してきました。

しかし、ここ10年は疑念ばかりが頭をもたげ、近年は「工場型からの脱皮」を明確なテーマとしています。

でも実は、この疑念は10年よりもっと前、私が20代の頃から抱いていた「アニメ制作への不信」そのものだったとも思います。

工場との大きな違いは何か。

アニメ制作で作り出される映像クリップは、「みな内容が異なる」という事です。

例えば、自動車工場で生産される「プリウチュ・C-5型」という製品があったとして、その自動車は計画通りに「全車の性能が等しく生産される」事がベストです。1台ごとに内容が大きく変わっていたら、製品として大問題です。「座席シートのしわの感じが違う」といっても、それは製造上の誤差であって、「必要とされる個性」ではありません。

コンビニ弁当も同じでしょう。できるだけ「味や量が同じになるように」唐揚げ弁当は作られるはずです。もちろん、鶏肉など具材のバラつきはあったとしても、「出来る限り、皆同じ」内容である事が望まれます。お弁当1つずつの個性など、意図もされなければ、計画もされません。

で、アニメのカット。例えばテレビで250のカットがあったとします。これは「全て同じ内容のカットを250ファイル、レンダリングして生成する」わけではありません。みな、違う内容です。お話の進行に合わせて、カットの内容が変わるのですから、当然ですよネ。

同じ自動車を250台製造する生産ラインでもなく、同じネジを250個つくるオーダーでもなく、「違うカットを250カット作る作業」なのです。‥‥全然、工場生産型じゃないじゃん。

共通しているのは「流れ作業」という作業風景だけで、「生産される製品の性質」は工場型とは全く異なるものです。

工場制手工業も家内制手工業も、「同じ内容のもの(製品)を生産する」のが標準ですよネ。でも、アニメのような映像作品の生産作業は「違う内容のものを生産」するのが標準です。全く同内容の兼用カットのほうが珍しいくらいですよネ?

内容も大きく違えば、作業難易度も大きく違う、必要な技術も大きく違う、そんな作業を「工場生産と同じくくり」でやってきたツケが、今まさに、40年越しのすんごい利子とともに業界に回ってきてるんじゃないですかネ。細切れの「見かけ上の人海戦術」や常軌を逸したスケジュールなど、業界の知人達から聞く話は、もはや末期的なものばかりです。

しかしながら、業界の長年の作業で出来上がってしまった慣習は、ガチガチに固く、変えようがないほどに硬化しているのも事実です。問題点を痛感しながらも、固い外殻に阻まれ核心部にはメスの刃が届かず、むなしく時だけが過ぎていくのを傍観するしか無い人も、業界内には相応に存在するのではないでしょうか。

とはいえ‥‥です。アニメ業界が工場生産型の意識で支えられているのも、やはり事実です。アニメが制作完了するのは、工場生産型の生産ラインあってこそとも思います。

工場生産型に痛み苦しめられながらも、工場生産型のおかげで生きられる。‥‥なんと言う自己矛盾。

‥‥で、私が得た結論は、「工場生産型の現場を変えようなんて甘い夢は見ず」に、「新たなスタイルの現場をゼロスタートで小規模から模索していく」という事です。10年以上に渡り、何度も何度も何度も何度も何度も何度も考えましたが、今の現場の意識を変えるのは、無理だと判断しております。

私だけでなく他の方々も、現システムの構造が老朽化し、主要な骨組みの作り替えが必要だと判っていても、手を触れると倒壊するかも知れない‥‥と、心のどこかで解っているはず。‥‥倒壊してガレキと化すくらいなら、ガタが来ているのを我慢してでも、そっとして、今のままで使い続けよう‥‥という判断もあるでしょう。

私の指向するベクトルは、「小規模の弱者」の進む道そのものですが、その際の心強い味方となってくれるのは、実は4Kなどの新しい映像フォーマットなのです。身軽な小規模グループと新しいモノは、思考の柔軟さ(OODAループの速さとも言うべきか)とフットワークの軽さにおいて、相性が良いのです。もちろん、新しい事ずくめで、思わぬ落とし穴も数多く存在する事でしょうが。

どっちの道を選んでも「苦しい事には変わりない」のですネ。‥‥まあ、要は「2つとも苦しいのなら、どちらを選ぶ?」という事なのでしょうネ。

タブレットの再生能力はどうか

前回紹介した「フレーム落ち確認用QT」のうち、1920x1080の48p, 60pのテストQTを今日届いた「iPad mini Retina」(64bit A7 / 2048px幅の解像度)で再生したところ、とりあえずはフレーム落ちはありませんでした。ちゃんと60fpsも再生できるんだネ。‥‥ただ、うっかりしてましたが、いつもの癖でH.264を書き出す時に12Mbps程度に抑えてしまったので、ちょっと「甘め」の内容のQTにしてしまいました。48p, 60pで考えれば、ハードルの低いビットレートでしたネ。単純計算ではありますが、最低でも24〜30Mbpsくらいで書き出しておくべきでした。

50Mbpsくらいを上限として、Kindle HDXとiPad mini Retinaでどれだけちゃんと再生できるか、もう少し細かい検証をしてみようと思っています。

ちなみに、いつもは4K/ProRes4444(オフライン素材はProRes422のProxyかLT)で作業しているので、イマイチ、タブレット端末上での動作は実感がないのです。HDでH.264だとどのくらい絵が劣化してヌルくなるのかは、まだまだテストが浅いです。

40Mbps・2048〜2560pxのQTが、iPadかHDXで奇麗にフレーム落ちなく動いてくれれば、とても嬉しいんですけど、さてどうかな‥‥。

私は去年あたりから4Kを標準に据えているので、1920pxにこだわる感覚は希薄で、iPad miniだったら2048、HDXだったら2560…と、機種ごとに最適化したムービーを書き出すのがデフォルトの運用法です。現在のHDフォーマットも「4Kマスターからのダウンコンの1種」にしか過ぎません。ぶっちゃけて言うと、「折角苦労して絵を描いてアニメーションを作るのなら、奇麗な4Kで作りたい」のです。現行のアニメ業界方式はともかく、自分で精魂込めて作るオリジナル(=自身の売り物)は「最低でも4K」です。
*みんなで4Kアニメを作ろう!‥‥と言ってるわけではないので、誤解なきよう。4Kアニメは「それが自分たちのウリになる=未来の発展につながる」と確信した人だけが作ればよいです。

‥‥しかしまあ、まさかHDサイズが「ヌルくなってモッサリするダウンコン対象」になる日が、こんなに早く来るとは思いもしませんでした。「地デジに切り替え」とか言ってたのは、数年前だったような記憶が。。。



 

マシンの動画再生能力テスト

どんなに奇麗な映像を作っても、再生側で奇麗に上映できなければ、全く意味なしです。

画面サイズだけでなく、フレームレートもちゃんと全フレーム再生できてこその、次世代映像フォーマットです。しかし、単に映像を見るだけでは「本当にキッチリ再生できているか」は確認し辛いですし、タイムコードを表記しても数字をちゃんと読むのは48fps以上になってくると至難の技です。

そこで、フレーム番号を2フレもしくは3フレ毎に左右・左中右に割り振り、数字の残像で見分ける方法を考えてみました。うたた寝している時に、ふと思いつきました。



正常に再生されていれば、残像は奇麗に同じ濃さで画面に表れますが、フレーム落ちしていると不均等な残像、もしくは全く残像が出ない(=文字自体が全く映し出されていない)事になります。

iPadやiPhoneなどのiTunes越しのQT再生で、どれだけフレーム落ちせずに再生できるかを確認するのが主目的ですが、Web経由での再生もテスト可能です。なので、ちょっとここでテスト。

このブログではQTを埋め込む事が出来なかったので、別のページにQT上映ページを作ってみました。480pxまで縮小した2MB未満のミニサイズです。

http://www.ezura.asia/mov/test.html

上記URLに貼付けたQTを、私のMac miniで表示すると、残像の濃度が奇麗に整って再生されました。つまり、フレーム落ちはしていないという事です。

HDサイズのテストムービーは以下です。H.264で12Mbps程度に抑えています。

http://www.ezura.asia/mov/1920-48fps_h264.mov
http://www.ezura.asia/mov/1920-59.94fps_h264.mov

上記URLのムービー再生において、フレーム落ちしたり、そもそも再生自体がギクシャクする場合は、残念ながらお使いのマシンが性能不足‥‥と言う事です。上記テストムービーはいつものHDサイズですが、4Kの3840pxもしくは4096pxの世界はもっとキツくなります。

ちなみに、YouTubeに送信したアップロード映像を再生すると、これまた奇麗にフレームが欠落しています。‥‥というか、30fpsでYouTubeは打ち止めなんでしょうネ。

48fpsのムービーは、右の数字しか上映されません。YouTubeのサーバサイドでの変換時に間引かれたのだと思います。



59.94(60)fpsのムービーは一見、数字が表示されているように見えますが、実はとびとびで再生されていて、数字の残像濃度がバラバラです。


まあ、YouTubeは世情からして、このくらいでちょうど良いかも‥‥ですネ。以前にHDに対応したように、時代とともに、ハイフレームレートにも順次対応していく事でしょう。

WebでのQT配信は、各個人のマシン性能に大きく依存するでしょうから、60fpsの映像を作っても奇麗に映像再生できるかは全く保証できない状況です。家電としての映像再生機がさらなるハイディフィニッション&ハイフレームレートに対応するまでは、まだまだ水モノ‥‥でしょうネ。

ただ、水モノの時こそ、状況を掌握しやすいのも事実なのです。出来上がって型が固まった後では、その固さゆえに「手出しができなくなる」事も多いのです。自分自身を振り返るに、「物事が柔らかい内」にあれこれ手を出していたがゆえに、映像作りの根幹に関与できる立ち位置を確保できたのだと思います。カタチが固まってからだと、もう内部には立ち入れなかったりしますからネ。戦いの基本は、固い正面ではなく、柔らかい側面を突くもの‥‥なのですヨ。

まあ、とりあえずは、Kindle HDXやRetinaのiPadなどハイスペック表示性能のタブレット端末でどのように上映されるか、各種テストしてみようと思います。

ちなみに、どんなにコンピュータの処理能力が高くても、低いリフレッシュレートのモニタに接続して上映している場合は、フレーム落ちします。コンピュータから秒間60フレームを送り出しても、秒間30で処理するモニタで受け取ってたら、絵が欠落するのは当たり前‥‥ですネ。

山下毅雄さんのルパン

私は子供の頃、ルパンのファーストシリーズ前半期のもつ「曖昧でけだるいニュアンス」が好きだったのですが、山下毅雄さんの音楽がそのニュアンス表現に絶大な力を発揮していた事を、高校くらいに音楽のアナライズをするようになって強く実感しました。

山下毅雄さんの音楽の特徴は、何よりもその和声進行です。テンションノートはほとんど使わず、コード進行だけであの「けだるさ」を表現しているのです。ルパンのエンディング曲は、その特徴をよく表しています。

主調はBmですが、ふわっとCmajへ移動しGmajへ(弱進行)、その後Emaj、Fmaj、B7からE7へのドミナント進行、E7に行けた‥‥という事はAmにもドミナント進行できるのでAmに移動し、いつのまにかキーがAmへとすり替わったカタチとなりますが、またうまいようにはぐらかされて、Bmに戻ります。この戻しかたもイイんですよネぇ。

Bm(しばらくの延々と)〜足もとに絡みつく‥‥‥

C    Cm  G 〜マシンが叫ぶ

E7         F(F7にするかはお好みで)〜狂った朝の

B7         E7 〜光にもにた

Am        Dm 〜ワルサーP38

Bb Bbm  F   F#7(Bmに戻るためのドミナントですネ)〜この手の中に

Bm(しばらくの間)〜抱かれたものは‥‥‥

D     E     F#(F#7ではなくストレートなF#のほうが感じが出ます)〜ルパン3世

コード自体はとても簡単なものばかりですが、う〜んスゴい。進行がスゴい。少しでも作曲をかじった人ならば、この曲のユニーク(独特)さがお解りでしょう。ドミナントモーションをさりげなく使って、曖昧で気怠い世界に聴き手をどんどん誘いこむ手法は見事としか言いようがないです。まさに「大隅ルパン」のかっこいいルパン、さらには、謎めいていてズルくてカワイイ不二子のようなファムファタル的な印象の楽曲です。

今振り返ると、歌詞も相当カッコいいですし、ルパンが当初「どんな感じを目指していたか」が楽曲にもよく表れていますネ。

ちなみにガンバの音楽も山下毅雄さんで、ガンバのエンディング曲のコード進行も中々にエグくてイイですヨ。

こんな感じの曲、かっこよくて良いなあ‥‥と思っても、それは「その時代の宝」として、そっとしておくのが良いですネ。ルパンの山下毅雄さんの音楽は、まさに「その時代の雰囲気」ですから、2014年現在に音の響きを再現しても「ウソになってしまう」でしょうネ。


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