物量と品質の拮抗

新しい技法・技術は発展の渦中ゆえ、更新速度が速く、数ヶ月前のものでも旧さを感じ、1年前だと幼さすら感じるありさまです。データ量もどんどんエスカレートしてキツくなる一方で、線画に関しては今ではA3/400dpi相当(6K)が妥当・スタンダードと感じるようになってしまいました。線の質がA4/200dpi程度だと明らかに見劣りするのです。ベクターではなくビットマップの場合、ですが。

でもこうした傾向は、作業速度にモロに影響します。特にレンダリングの時間がヤバい。最近やった8K出力(もちろん素材も8Kオーバー)だと、私のMac miniの場合(この機種でやるのもどうかと思うが)、1フレーム10分かかります。でもまあ、ヤギが鳴かないだけ(After Effectsはレンダリングに失敗すると、ヤギがキューを喰っちまうのです)、マシなんですがネ。

ただでさえ人手が足らないのに、マシンまでスロースピードでは、見込みが困難です。「HDサイズでやれば」とか言われそうなんですが、2Kは如何にもミニサイズでツブシが効きません。しかも24FPSだった場合は、「その場限り」のクオリティです。例えるなら、地デジに切り替わる頃に、SDサイズで映像を作るようなものです。コンポジットして出力してしまったら、後ではどうにもならないもんね‥‥。今、SDサイズを見ると酷く小さく感じますが、似たようなものです。

8Kは非現実的だとしても、4K/60FPSでも相当キツいです。これは個人レベルでなく、プロダクションレベルでも、です。‥‥だって、作業機材の性能はどうにもならんですからネ。300〜600万もするような作業システムを何十セットも制作会社が気軽に調達できるわけないじゃん?‥‥都合、プロもアマも20〜40万のハードウェアで作業する事になります。ハッキリ申しますと、適切なチョイスをおこなえば、「機材面では」プロもアマももはや境界線はなく、腕前次第でハイクオリティな映像クリップは作れます。

4K/60FPSでキツいのは解っているのですが、だからといって、2K/24FPSでは如何にも旧い。何の目新しさも無いです。特に「作画と撮影」の二元論で突き進み、HDフォーマットで映像を仕上げた場合、どんなに大変な事をしても、「いつもの感じ」どまりです。

しかしね、大きな風呂敷を広げすぎて、完成できないんじゃ、これもまたNG。

何か、パンターとT-34の戦いを見るようです。私は当然の事ながら、ドイツ的指向が強いよな‥‥。基本的に技術偏向で、兵器同士の戦いには勝っても、戦術的な勝利以上には中々発展しない‥‥。技術的な優位性を、楽観論に結びつけるのも、良くない傾向です。

現在、新たなPVの準備をしていますが、素材は8Kで作るとしても、コンポジットを4K/60FPSでやるか、旧さを承知で2K/24FPSでやるか、ここ数日悩んでおります。「戦い」と言っても、量と量とのぶつかり合いではなく、技術の先進性をアピールできるか否かの戦いですから、やっぱり4Kか‥‥とも思うそのすぐ後に、「でも数が揃わないのでは戦いにならない」と悩んだりします。

愛読書「パンターvsT-34 / ウクライナ1943」には、こうあります。

・1943年〜ドイツ、2000両に満たないパンターを生産<->ソ連、1万5812両のT-34/76を生産
・未知の新型戦車にリソースを注ぐドイツ<->ぎりぎりまで生産を切り替えないソ連
・高性能により人的消耗の少ないドイツ<->性能の低さを人的消耗で補うソ連

‥‥やだなあ。

特に人的消耗(戦死です、つまりは)に関しては、目も当てられない対比が独ソにあります。兵器の撃破損失数も、ほぼ独1:ソ10(1943年の夏〜冬)。つまり、勝つために人を消耗品のように扱い、兵器もどんどん生産して送り込む‥‥というやり方で、ソビエトは優位に立っていたのです。

‥‥やだなあ。。。

2K、4Kの映像品質の選択・決定以上に、何か、制作全般の展望すら示唆していますネ。

少なくとも、私は、仮に消耗戦で勝てたとしても、使い捨てを宿命付けられた未来はやだな。消耗の限りを尽くして、戦争に勝ってウハウハなのは誰? 戦争をアニメ制作に置き換えてみましょうよ。誰がウハウハ? 消耗品のように扱われて、誰が泣く?

今の新しい方法を模索している大きな理由の1つに、アニメ業界の消耗戦体質・バンザイ突撃体質から脱却したい‥‥というのがあります。著作などの権利云々まで細かく分配できないでしょうが、だったら、それに変わる報酬の手だて・糸口を考えるべきでしょう。消耗するという事は大量に安く使われるという事です。それがいやなら、待っているだけでなく、何かアクションしなければネ。
*「業界を改善したい」とか言う人は多いけど、一方で消耗体質に関してはノープロブレムな態度を見ると、単に二枚舌にしか見えないのよネ。予算の分配方法を考え直そう‥‥とか、根幹にはメスを入れずに、取り分だけを操作しよう‥‥なんて、もう‥‥長屋の痴話レベルだよな‥‥。

なので、現在だけでなく未来のイロイロを考慮すると、戦域を縮小してでも、やはりPV的な映像は、最低でも4K/60FPSにすべきなのかも知れません。‥‥うーん。

デザインナイフの愛用品

私は立体工作も映像作りの一環としておこないます。絵作りの資料として用いるほか、素材として用いる事もあります。つまり、見て楽しむ趣味の用途ではなく、まさに実用品なので、壊れないように丈夫に作るのはもちろん、できるだけ「仕事に役立つ」ように作ります。「仕事に役立つ」とは、プロポーションやディテールが正確である事が理想、そして「必要な時に出来上がっている」事でしょうか。製作に凝り過ぎて、時間がかかるのは、何よりもNGです。

適度な正確さ、製作時間の短さを欲する時、製作に用いるツールは、非常に大きなファクタとなります。自分の思った通りに扱える道具の存在は必須です。なので、罫書き針やデザインナイフなどの「ミスの許されない」行程の道具は、特に気に入った愛用の品を使っています。

デザインナイフは、素材を削るのに必須の道具ですが、私の愛用するのは曲線刃のものです。よく見かけるオルファタミヤの細身のボディと刃ではなく、アートナイフプロというやや太めのボディに、弧を描いた形状の刃を装着したものです。

この曲線刃の何が良いかと言うと、先端は鋭角、先端からちょっと下は一般的なデザインナイフの刃、さらに下がると平刃のような使い心地‥‥と、1本で万能に使いわける事が可能な点です。一番下のほぼまっすぐな刃の部分は、カンナがけのように使えるので、はみ出しをこそぎ落とすのに重宝します。

オルファの曲線刃は、3本で300円と値段が張りますが、切れ味はよく、一般的な刃よりも長持ちします。材質が違うからなのか、広い刃の部分を使い分けるので全般として長持ちするのか、よくわかりませんが、デザインナイフの小さな刃よりは確実に使用時間は長いです。

罫書き針は、罫書きというよりは、モールドの彫り直しに用います。いわゆる、スジ彫りです。私はあまり器用なほうではないので、スジ彫りなんかは特に不得意だったりしますが、クレオスの専用品「ラインチゼル」を使うようになってからは、及第点くらいの事はできるようになりました。線を引く時はもちろんガイドを貼り付けますが、私はそれでも上手くいかない事がありましたが、ラインチゼルを使うようになってからは、奇麗な線が引けるようになりました。おそらく、素材上の断面が針を使った時に比べてシャープなので、ミクロの差ではありますが、仕上がりに大きく影響するのだと思います。

まあ、なければないで、困るものではないのですが、あればあったで「ひと皮むけた」ように作業の質と速度が上がります。ただ、道具は何と言っても「本人との相性」ですね。

絵も立体造形も、優れた道具を傍に揃えられたら、後は「視力」でしょう。実はこれ、かなり重要です。指先は歳を喰っても、意外に正確に動くものですが、視力が悪いと道具も手も思い通りに機能しません。「指先がおぼつかない」のは、視力の低下が原因だと、ここ数年で悟りました。なので、私の作業環境にはルーペ付きライトスタンドは必須なのです。


鳥と魚

アニメーター真盛りだった20代の頃、自分の画力に自信が備わっていく反面、自分の絵の下手さも認識し劣等感も増大していた時期があります。私はいわゆる「フォルム」重視の人間のようで、立体認識のしっかりとした絵が苦手な人間でした。でした‥‥というか、今もそうかも知れんですネ。

中規模・大手のアニメ制作会社に詰めて作業するようになると、それはもう、あらゆる方面の「巧い」人たちの絵を毎日のように垣間みる事になります。学校や地域で「上手い」なんて言われてた自分の過去なんて屁みたいなもので、恐るべき才能をいやと言うほど見せつけられる事になります。学生時代の成績や賞状なんて、何のよりどころにもなりません。

自分の持ち合わせていない才能に溢れた絵を見ると、羨望と劣等感のダブルパンチで、ほとほと気が落ちます。後天的(20代以降)に備わる類いの要素なら、それほど落胆もしないのですが、決定的に「生き物レベルで違う」事を悟り、その優位性を叩き付けられると、どうにもならない気持ちになるのです。

例えるならば、魚が水面から顔だけ出して空を仰ぎ、飛ぶ鳥をみて羨むようなものです。

「自分もあんな風に空を飛べたら、どれだけ凄いだろう」‥‥と羨望を通り越して、悲しくなってしまう。

で、魚は一生懸命、自分なりに飛ぶ訓練をして、「トビウオ」くらいには飛べるようになるのですが、鳥の飛行とは似ても似つかないものです。ヒレをどんなに伸ばしても、羽にはならんのです。

魚は、水面から顔を出して空を見上げるばかりですが、自分の体の下〜海の中に、おびただしいほど広大な空間がある事に一向に気付きません。空ばかりに憧れ、空を飛ぶ事だけを熱望します。

空の高さを羨み、海の深さに気付かず。

若さとは愚かなり‥‥ですネ。でもそれはしょうがない。自分に自信が持てない直中の年頃ですから。

私が空を見上げるのをやめ、深い海の中を自由に泳ごうと決心できたのは、20代の後半です。決心の後押しをしたのは、鳥は海の中深くには潜れない事を知ったから‥‥かもしれません。お互いの「姿」は、海面を境とした反転像だという事に気付いたからです。海に潜るウトウのような人もいますが、1〜2分間しか泳げません。私は何時間でも泳げます。‥‥それに気付くまでが、葛藤の連続だったんですネ。

海中でも、空同様XYZ軸があります。なので、空と違って海だと楽だ‥‥なんて事は一切なく、空を飛ぶのと同じ難易度の、高い技量が要求されます。しかし、自分は魚ゆえに、訓練すればするほど、海の中を自由に泳ぎ回れるようになります。魚が空を飛んだり、鳥が海を潜水するのとは大違いです。

でもまあ、自分を肯定して、自身の能力を活かす意識に到達するには、何度かの大きい敗北感や挫折が必要なのかも知れません。魚が鳥の飛ぶ姿を見て、「なるほど」と感じ入って、自分の泳ぎに応用する‥‥ような事ができるとすれば、それは猛烈に「空に憧れた」経緯があるからかも、知れませんネ。

まずは、おびただしい量の絵を描いて、「自分は何ものか」を知る事でしょうね。鳥か魚か‥‥なんて話は、気が狂れるくらい作画した、その先です。

最後のアップデート

現行のアニメ制作フローにおける、コンポジット支援アプリの「xtools」は、コツコツとアップデートを重ねてきたものの、まだいくつか改善の余地があり、そろそろ決着をつけようかと思っております。ここ1〜2年は、いわゆる「撮影」作業工程に関する仕事は以前ほどなく、別ジャンルの仕事が増えています。「xtools」の出番はかなり少なくなっています。

アニメのコンポジット周りの仕事は、どうやっても、価格破壊のイタチごっこのような構造から抜け出せないと、少なくとも私は実感しています。つい最近の仕事もそうでしたしネ。「xtools」は薄利多売のツールとして作ったわけでは無いですし、現状の風潮にさらに適応させたところで、状況は一層、悪い方にエスカレートするでしょうから、これ以上の開発はヤメるのです。

24fpsベースの作画を起点とする現行のフローの10年後、20年後の展望について、みんなどう考えているんだろうか。単に「このままの状況が続く」と思っているのだろうか。秒間60〜120フレームの世界に馴れた近未来の一般人からは、秒間8〜12枚の作画アニメは、さぞカクカク動いて不自然な、古びたものに見えると思います。昔のトーキー映画とまではいわないけれど、アンティークな風情をどうしても感じてしまう事でしょう。現行のアニメ制作の「手描きで1枚ずつ、動きを紙に描いていく」方法を、まさか枚数を2倍4倍に増やしてやり続けるのでしょうか。そうなると、今以上に予算が厳しくなりますよネ。‥‥未来のビジョンは?

そんなこんなを考えると、現行方式に対する技術開発にリソースを割くのは、あまり妥当とは思えないのです。「xtools」は自己開発のソフトウェアですが、ゆえに、限りある自分の時間を、これ以上「以前のツール」の開発にダラダラ消費されるのを防ぐためにも、最終のアップデートは完了しておこうと思っております。ソフトウェアの使用期限を2050年とかにセットして、開発を終了するのです。

「xtools」に関する最後のアップデートは、「アニメ制作でありがちな連番ファイル」の読み込みに関する一層の効率化・単純化、いくつかのバグフィックスです。After Effectsをグレーディング作業で使いやすくするように準備する「xtools」の「GX」(xtoolsはツールの集合体なのです)というのがあるのですが、それは今後も使うでしょうから、「分家」しても良いかもしれません。

でも、実のところ、「xtools」という名称はそのまま受け継いで、全く新しく仕切り直したものをゼロから開発しようと考えています。旧来アニメ制作対応型の「xtools」を開発終了するだけで、新型ツールは必要なのです。新しい制作方式は、人間の成すべき事以外の雑事は、全部コンピュータに処理させないと、到底実現できるレベルでは無いのです。

開発したツールを納めたフォルダを眺めていると、私の情熱と失望が見て取れます。この10年でアニメ制作のコンポジット周辺は、価格と時間の競争でズタボロになってしまった。まあ、これはアニメに限った事ではなくて、世の常なのでしょうから、誰を恨むわけではありませんが、教訓はしっかり胸に刻んで、次の新しい方法では「予防策」をいくつも張り巡らせようと思っています。

もしかしたら、今やっている作品が、最後の「昔ながらのアニメ」の作業になるのだろうか。セル絵具のアニメから本格的に離れた1996〜97年も、こんなキモチだったように思い出します。

ワスプ・メジャー

ワスプ・メジャーという、ピストンエンジンがあります。ピストンエンジンとは、一般的なバイクや車などに搭載されている普及したエンジンで、「何らかの力でピストンを動かし、そのエネルギーを取り出す」方式です。現在はほとんどがガソリンの爆発力を用いてピストンを動かす「ガソリンエンジン」です。

一般的に、原付バイクだと5〜6馬力、中型バイクだと20〜50馬力、軽自動車だと50〜60馬力、乗用車は100〜200馬力くらいでしょうか。

ワスプメジャーは何と3000馬力。しかも、最終型のスーパーチャージャー付きは4000馬力以上ありました。なんだそりゃ? という数値です。

B-29の改良型のB-50、そして後継機のB-36に装備され、巨大な爆撃機を高速で飛ばす原動力となりました。

4000馬力という、信じがたい、鬼のような馬力。気筒(ピストンの納まった筒)の数も半端無く、28気筒。7つの気筒を放射状に並べた星形エンジンを、4重に連結した強烈な外見です。Wikipediaによると「始動方法を誤ると56個全ての点火プラグが汚れて(「かぶって」)しまい、こうなると清掃または交換にかなりの時間を要することとなった」との事。別の文献によると、始動時にかぶるとエンジン清掃に時間がかかり過ぎるので、丸ごと交換する整備体制だった‥‥ともあります。

豪快です。豪快すぎます。

飛行機が飛ぶようになって、ピストンエンジン(レシプロエンジン)搭載機が花形となり、最後期、アメリカが究極のエンジン「ワスプメジャー」を作って、ピストンエンジンの開発競争は幕を閉じたかたちとなりました。

なぜ幕を閉じたか? ‥‥それはワスプメジャーを搭載した飛行機のスペックを見れば、明らかです。特に解りやすいのは、速度性能です。

B-36:最大速度685km/h

意外なほど、低速です。エンジン馬力の絶大な向上に対し、速度は気が抜けるほど向上しておりません。

とはいえ、戦時中のレベルから考えれば充分過ぎるほど高速です。しかし、時代はどんどん先へと進み続けており、数年前では素晴らしい性能であった速度685kmは、急速に魅力を失っていったのです。

ピストンエンジンの頭打ち、です。正確には、ピストンエンジン搭載の航空機の限界‥‥でしょうか。

ジェット爆撃機のB-52の出現によって、ピストンエンジン爆撃機最高峰のB-36は短い就役期間に終わります。プロペラ機最速(最高速900kmオーバー)のソビエトのTu-95は、ピストンエンジンに見えますが、ジェットの親戚「ターボプロップエンジン」です。

さらに時代は進化し続け、古本で買った1960年代初頭の航空誌では「ミサイル技術の進化により爆撃機は不要、F-104スターファイターが有人による最後の戦闘機となり、ミサイル全盛の時代になる」と言い切っておりましたが、‥‥残念ながら、そこまでにはならなかったですネ。

有人による飛行機はまだ飛び続けています。なぜ、これだけ進化した時代に、有人の軍用機が残り続けているのかは、簡単な事です。「人間が介在する必要がある」からです。20〜30万馬力相当のジェット推力を持つ戦闘機も、人が操縦し続けています。

航空機におけるピストンエンジンの愛好家は世界中に沢山居て、今でもピストンエンジンは愛され続けています。ただし、主流ではなくなり、数も激減しました。ある種の「伝統芸」としてのピストンエンジンが残り続けているだけで、主流に返り咲く事は「終末後に残された世界」にでもならない限り、訪れないでしょう。

最高峰を作り上げる‥‥というのは、もしかしたら、ろうそくの最後のまばゆい輝き‥‥なのかも知れませんネ。

脅威

何かしらの作品を世に出そうとする時、一番気にするのは、「やりたい事がかぶっている」他の作品です。ストーリー、絵、映像‥‥いずれの要素も、他人とかぶりたくはありませんし、もしかぶっているならば、他よりも先に世界に発表したいと思います。

私がやろうとしている新しいアニメーションの技術で、根底の技術が「もろかぶり」の映像を見た事があります。1年前の話です。仕事で接したものなので、内部の設計・構造まで見たのですが、「やっぱり、普通にコンピュータを手にしたら、この段階に進むよなぁ」と同感すると同時に、強い焦りも感じました。‥‥なぜなら、垣間みたその技術は、太平洋の向こうの国力のある某大国のものだったから‥‥です。国内だったら「意地比べ」で拮抗しますが、某大国は「底力の差」(70年ほど前、大負けしたよネ)が歴然です。

‥‥やっぱり、「向こう」の人間は往々にしてプロジェクトやシステムに対し思考が柔軟で、かつ合理的だよね。なんかね‥‥、米英独が相応の規模を投じてジェット機を開発している時に、日本ではジェット機などまるで頭になくて、既に限界の見えているレシプロ機で手一杯だった‥‥という、戦時中の状況がかぶって、やるせない挫折感を感じます。こちらは自己研究レベル、あちらは大手でちゃんと予算を投入してスタッフも割いている‥‥、何だ、また負けるんか。

唯一の救いというか、勝機もある事はあります。あまりおおっぴらに言えないですが、国民性‥‥ですかネ。同じ技術を手にしても、やりたい事が全然違うので、そこだけは安心です。ただ、その勝機も、同じ土台の上に立てた場合ですから、今の日本のアニメ制作基盤ではどうにもならぬ、です。

日本では「アニメとは、紙の上に絵を描いて動かし、それをセルに転写して彩色し、レイアウトをもとに背景を描き、それらをカメラ撮影台で撮影するのが、これすなわちアニメである」と信じ込まれており、今は彩色・背景がペイントソフト、撮影がコンポジットソフトにマイナーチェンジした状態です。いくらコンピュータがあろうと、その段取り、‥‥いわゆる「道」は変わる事がありません。

私が垣間みた「向こうのアニメ映像」は、「絵を描く、絵を動かす、今はコンピュータがある、だからこのようにアニメを作る」‥‥という、とても明快な思想を体現した内容です。日本だと前例が無い、で蹴られてしまうような事を、なぜ、欧米は具現化できるんだろう。

日本は、いわゆる「サムライ的思考」が、良くも悪くも残り続けています。悪く‥‥とは、自分の武器に対し過剰なまでに傾倒する事です。自分の武器を信頼するのは何も悪い事ではありませんが、反動として、他の可能性をあまりにも軽視するのです。

私はこうした「サムライ的思考」は、個々の技術の進歩や高レベル維持においては、非常に有用に作用すると感じますが、システム的観点では「変化する事を嫌う」「新しい要素を受け入れない」という「殻に閉じこもる」原因とも感じます。鎖国状態ならそれでも通用するんでしょうが。。。

私の最大の脅威は、国内ではなく、某大国です。1年前にあのレベルに達しているんだったら‥‥と考えると、とても不安な気持ちになります。あのやり方だったら、簡易ではあるけどステレオグラムにも対応できますし、4K,8K,60FPS,120FPSも段階的に対応できるでしょう。私が構想している事と基礎技術はほとんど同じで、このブログで書いてきた事は、「向こうさん」は既にプロダクションレベルでやり始めている‥‥とは、なんともやるせないし、悔しいよネ。

もしサムライが、新しいシステムを受け入れ、その中で卓越したサムライ魂を発揮できたら、どれだけ強力か、と思いますが、新しさを受け入れる事自体がサムライゆえにありえない仮定‥‥なのかも知れません。

70年近く経っても、結局同じ事の繰り返し、か。クールジャパンとかさ‥‥、今のまま自画自賛しているような状態じゃ、クールの意味が「クソサブい」に変化するような気もしますネ。

スクリプトを書くとソフトを覚える

何か逆説的な言い方ですが、私がコンピュータに詳しくなっていったのは、スクリプトを書いたからかも知れません。「スクリプトって、コンピュータに詳しい人が書けるものなんじゃないの?」とか思われるかも知れません。‥‥が、みんなが超能力者や諜報機関の人間じゃないので、他人が作った仕様を何もなしに理解などできません。誰もが、開発者サイドの用意した文献なりヘルプなりを読みながら、スクリプトやプログラムを書きます。

つまり、スクリプトを書く過程で、否が応でも、ソフトウェアの仕組みを覚えてしまうのです。スクリプトの書き始めは基礎的な知識しか無くても、書き進むうちに、ソフトウェアやコンピュータの事を覚え、さらには、ソフトウェアの内部構造を知ると、スクリプトの書き方が改良され、「上昇気流」にのるようにどんどん総合スキルが上がっていきます。

スクリプトがわからない‥‥と言っているうちは、実は、コンピュータもわからず仕舞い‥‥なのかも知れません。極論めいた響きではありますが。 「スタートアップガイド」を丸暗記しても、コンピュータを使えるようになったとは言い難いですもんネ。
*‥‥ただ、昔からコンピュータをいじっている人は、時代的に、プログラムやスクリプト、マクロといったものと無縁ではいられなかったでしょうから、コンピュータとはどんなものかは、嫌でも知っている事とは思います。

例えば、Finderのウィンドウ。ただ漠然と接しているだけだと、「ただのウィンドウ」としか言いようのないものです。しかし、ウィンドウ絡みのスクリプトを書くと、ウィンドウに関する色々な事柄に触れる事になります。

target, position, bounds, current view, statusbar visible, sidebar width

これらは、ウィンドウの見た目を制御するプロパティです。これらの値を変えると、ウィンドウも呼応して変化します。ウィンドウの姿がどのように制御されているかを知る事になります。

class:icon view options, arrangement:arranged by name, icon size:64, shows item info:false, shows icon preview:true, text size:12, label position:bottom, background picture:missing value, color:{65535, 65535, 65535}

これは、アイコン表示時のウィンドウのプロパティです。icon size を64から128にすると、アイコンの表示サイズが倍になります。

こうして、スクリプトを書くうちに、Finderや、PhotoshopやAfter Effectsなどの内部構造を、「知ってしまう」わけです。

After Effectsでは色々な要素を扱いますが、各要素はどのような関係性をもっているのか? フッテージとは? レイヤーとは? ‥‥AVレイヤー、ソリッドレイヤー、テキストレイヤー‥‥みな同じレイヤーですが、After Effectsの内部的には、扱いは大きく異なります。

実は私は、スクリプトを書くまで、そんなにAfter Effectsの内部を知っていたわけでなく、単に経験則で「こんな構造なんだろうな」と考えていただけです。しかし、スクリプトを書く事で、After Effectsの「融通の良さ・悪さ」に対して「合点が行った」わけです。

他人が書いたエクスプレッションをコピペしてるだけじゃ、After Effectsは深く理解できんです。自分で書いてみないと。 ‥‥同じように、コンピュータのスペックだけ詳しくても、単に「コンピュータが好きな人」なだけで、駆使する能力は身につきません。

スクリプトとコンピュータの知識って、右足と左足のようなもんで、片方ずつ繰り出して進んでいくもんですネ。

作業環境マネージャ

小刻みな仕事を多くこなしていると、フォルダやファイルの管理というか、作業環境がルーズになってきます。‥‥とは言え、そうじゃない人もいるでしょうから、私は特に‥‥と言っておきましょう。

アニメの撮影だけやってた頃は、あまり乱れなかったんですが、多種多様な作業をおこなうようになって、自分でも嫌になるほどフォルダ構成がルーズになってしまいました。「このファイルはどんな名前のフォルダに入れて整理しておけばいいんだ?」とか、「そもそもこのファイルのカテゴリは何だ?」とか、迷ううちにテキトーな名前を付けてテキトーな名前のフォルダに入れて、そして後で探しまわる事になる‥‥と。

「検索すればいいじゃん」とか思うのですが、テキトーな名前ゆえ、検索文字列すら思い起こせないので、検索が解決案とはならないのです。例えば「.psd」で検索してたら、色んなファイルが引っかかりますしネ。

ここ数ヶ月、こまめな仕事をしていて、とりあえずプロジェクトごとのフォルダには収まっているものの、中身は混沌としてしまって、昨夜、「まだ記憶が残っているうちに」整理しました。

‥‥で、整理をしてて、「これって、コンピュータでヘルプ可能だよな」と、ふと感じました。

まあ、もともと私がコンピュータに期待して、プログラムを習得したのは、こうした自分自身の欠点〜整理が苦手〜を、「作業に足枷にならない程度に改善したい」という目的があったからでした。

その昔、OSのウィンドウが散らかるのがイヤで、「どのフォルダのウィンドウを、どのような表示形式で、どの位置とサイズで開くか」を記憶するアプリケーションを作った事がありました。自分で使い易いように各ウィンドウを整頓して並べて、その状態をテキストファイルに記録し、適宜呼び出す‥‥というものです。ウィンドウの整頓は、Finderのスクリプトで誰もが一度はやる内容かも知れませんが、その自作アプリは各ウィンドウの状態を独自のテキスト書式で読み書きするのがミソでした。「ウィンドウマネージャー」とでも言いましょうか。

それに似た事を、フォルダのツリー構造でやれば良いんですネ。テキストファイルの書式やごく簡単なマクロ言語を決めちゃえば、そんなに難しい事ではないです。MacOSXは素でShellが使えるので、正規表現も流用可能ですし。

作業環境マネージメントのソフトウェアを作り、そのひな形を何種類か用意しておいて、通常はそのひな形を使って整理し、ちょっと変わった仕様の作品には、ひな形を適宜書き換えて用いる‥‥という具合です。ひな形はテキストファイルで、汎用テキストエディタで編集可能とします。わざわざバイナリデータにする必要ないですネ。

アプリ作成は、やっぱりAppleScriptかなぁ。手軽なJavaScriptよりも、さらに手軽ですからネ。Shellも巻き込んじゃえば、ひと通りの事はできちゃいますしネ。


色彩設計と衣裳

アニメ作品において、キャラデザインの衣装は、原作ありのものはそれを踏襲、オリジナル衣装の場合は、アニメーターが考えてデザインします。

まあ、明らかに限界がありますよネ。アニメーターは、まさにアニメーターであって、衣装デザイナーやコーディネーターでは無いですから。どんなに頑張ったって、衣裳に関わっている時間の差が表れちゃいますよネ。

私は画面作りの初段階でイメージを作る事が多いですが、「キャラと衣裳が、情景を呼び寄せる」方法論も多いにアリ、だと感じます。違う言い方をすれば、衣裳を纏ったキャラクターが、存在感を放射する‥‥とでも言うか。

現在のアニメ制作は、実制作に入ると、「線画ありき」「背景合わせ」の色彩がほとんどで、キャラと衣裳、その色彩がシーン・カットの中心的存在になる事は、ほぼ皆無と言っても良いでしょう。例え、プリプロのキャラ基本色の設計で、精彩な色彩を施したとしても、実際のシーン・カットで巧く扱われなければ、威力は半減してしまいます。「巧く」あるためには、背景にキャラの色を合わせるだけでなく、キャラを中心にして背景が色を合わせるベクトルだって必要です。今のアニメ制作だと、必ず「背景が先手」ですよネ。

私は白いキャンバスから完成に至るまでを描く事も多いので、「線画ありき」「色彩は後で考える」的なアプローチでは得られない、キャラの存在感が画面を圧倒する類いの絵作りも存在する事を承知しております。「キャラの表情、衣裳の色彩」がまず強烈に思い浮かび、背景や線画の処理はその後に招集される‥‥といった具合です。

ただ、その方法論は、実際に現場でやろうとすると、現在の作業システム上で無理が生じますし、何よりも、スタッフが見当たらなくて実現できません。まあ、それは当然。そんな役割など、今まで無かったのですから。

おしゃれな服をチョイスして集めれば良いという訳では、全くないのです。いわゆる、観るものの眼球を通して、脳に刻印するかのごとくの、完全にイメージされた衣裳が欲しいのです。それを表現できるスタッフが欲しい。

私は近い将来、色彩設計というペイント行程で色を決める人が、その役職を兼任してくれたら良いな‥‥と前々から考えています。もちろん、アニメのペイントの知識は必要ですが、それ以上に衣裳の知識、デザイン能力も兼ね備えて欲しいのです。なぜ、ペイント行程の色彩設計さんが?‥‥というのは、ペイント上の限界や作業時間を「読める」からです。実写のままではなく、ペイント・CGという枠組みの知識を踏まえた、衣裳デザインが必要なのです。

まあ、今のアニメ業界のシステムでは、行程的にも予算的にもNGでしょう。ですから、今は単に「夢想」の段階です。

でもね‥‥、アニメ業界ズレした視野でなく、ごく普通に映像作り、作品作りを考えるならば、卓越した衣裳はどうしても必要ですヨ。

以前、北村道子さんと仕事をご一緒した事がありますが、‥‥あんな人が居てくれたら、どんなに作品は豊かで鋭くなる事か。

最初と最後

私はコンポジットの作業者として、各種素材を合成して映像を組み上げる作業を、数多くこなしてきました。また、ビジュアルエフェクトとして、通常のアニメの撮影とは異なったニュアンスの映像を作る役職も長く請け負ってきました。

最後の最後で、「ミラクルな何かを期待される」のは、まあ、ありがちな話です。特効薬としてのビジュアルエフェクト、です。しかし、病人が薬ひとつで快活なスポーツマンのような健康体になるわけも無し。人々の心を振り向かせる映像は、最後の特効薬では成し得ません。

「最後」だけでなく、「最初」もとても重要なのです。この点がよく解ってくれている人は、作品の絵作りの始まりで、声をかけてくれます。つまり、「からくり」を解っているからです。

マジックにはちゃんと仕掛けがあって、大掛かりなものほど、手の込んだ仕掛けとなります。イメージボードという作業は、「からくり」「仕掛け」を仕込む、重要な作業です。

でもまあ、イメージボードと言っても、その捉え方は多種多様で、いわゆる「気分だけ」「気休め」のイメージボードも存在します。描いてはみたものの、あまり役に立たない類いのイメージボードです。

私が重要な要素として捉えるイメージボードは、そのシーン・カットの「マイルストーン」となる役割のものです。もっと強く言うならば、映像が流されないように「くさびを打ち込む」役割、でしょうか。「こんな絵を作ろう」などと言った気分的なものではなく、あからさまに「仕掛けに行く」内容のものです。いわば「時計塔の歯車の構成」を示すレベルにイメージボードが初段で機能しないと、からくりは成立しないのです。

最初と最後を押さえると、多少の出来不出来の上下はあれ、「からくり」は作品に作用し、作風を形成していきます。まるで水路に導かれる水のごとく、映像が意図したベクトルへと進み始めるのです。

これは去年やった作品でも強く実感できた事で、正直、自分でもその効果に(今更ながら)驚きました。美術監督と共同でイメージボードを作る事で土台が強く形成され、その後のプロダクション作業においてあまりイメージボードが持ち出されなくとも、「くさび」として潜在的に作用したのです。もちろん、フィニッシュのAfter Effectsでは、既に「計算ずく」の作業が可能だったのは、言うまでもありません。もしイメージボードで最初にくさびを打ち込んでおかなかったら、作風はどんどん中庸なものへと流されていった事でしょう。

アニメ制作は、絵を作る作業が複数人数で分断されます。ゆえに、全体として「絵を描きあげる」感覚が希薄で、個々の作業者は「絵のパーツを作っている」感覚が支配的になります。

通常、絵を描く間は、絵全体を見渡し、行程を最初から最後まで、考えながら絵を描きます。絵をイメージする人間、下書きを描く人間、色を塗る人間、最終的に仕上げる人間は、同一人物です。ゆえに、からくりが全部見える‥‥というか、からくり構造がリアルに手中にあり、構想から実働、制御までを1人でおこないます。

アニメは1人では作れないので、作業分担する事になりますが、「結局、絵がどのようになるか、誰も解っていない」状態で作業が進み、最後のおとしまえを撮影・ビジュアルエフェクトがつける‥‥というのが、「よくある」話です。しかし、そんな後手の手法、何となくやっつけちゃう方法では、絵の「求心力」は一定のレベルで頭打ちになりますし、何よりも「やっつけた感」が画面から滲みだします。

これは例えるなら、旅行で、やりたい事だけを列挙して、目的地を決めないで、出発するようなものです。‥‥で、なんとなく車を走らせて、行き着いた場所で、「やりたい事に沿うように現地調達する」のです。

あてど無い気ままな一人旅‥‥なら良いですが、大所帯で金もかかる旅行で、行き先を決めずに方角だけ決めて出発するなんて、現実世界では誰もが「そんな事しないよ、普通」と言うでしょう。

最後に「やっつける」ばかりでなく、最初に「期待する結果の通りに、からくりを仕込む」事は、一定レベル以上の作品を造るためには、必須の事なのです。

イメージボード、画面設計って、潜在的に作用するものなので、作品制作が終了すると、その「効能」をほとんどの人が忘れ去ります。「影のファクター」とも言うべきイメージボード関連の作業は顧みられません。

素材だけ渡されて、「あの作品のように」と言われても、同じになるわけがない。まあ、腕試しと思って作業はしますが、事前の仕込みとからくりなしでは、「派手な一発芸」にしかならんのです。


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