機材的な話題

最近、紹介した4K視点のサンプル画像は、ほとんどがMac miniで作ったものです。下にズラリと並べてみましたが、2点のみ(銃を撃つ女性とクマの子)がMac miniを買う前に2008年製の古いMac ProやPowerMacG4で作業したもので、残りはMac miniで作業しました。Mac miniをメインとした自宅の環境は、本業よりも2〜3段はランクの低い環境ですが、レンダリングに時間がかかるだけで、作業は普通にできます。‥‥昔は自宅でも、タワー型で作業するのが普通でしたが、現在の観点だとうるさいし電気喰いなので、Mac Proのようなタワー型は出来るだけ起動しないで済ませています。


*上図サンプルは未紹介のもので、ペーパーレス・ベクターオンリーの5K解像度のものです。100%表示だとこんなに(下図)デカく寄っちゃいます(揺れるペンダント部分)。

*以下は既出のサンプルです。






*ついでに6年前に作ったクマの子(オリジナルはHD解像度)も、画風の参考として出しときます。

最近のMacはminiでも、相当やります。ぶっちゃけ、こんなに仕事の出来るやつだとは思ってませんでした。Mac miniをメインにするようになって、そろそろ1年くらい経ちますが、充分使えます。

構成はこんな感じです。




作業用マシン「Mac mini i7」の構成は、何の変哲もない構成に見えますが、完全なバックアップ体制のために、HDDを増強しているのがミソ、でしょうか。バックアップ間隔は1時間で、作業ミスでしょうもないデータ紛失をしても、1時間前には戻れる仕様になっています。いわゆるHourly Backupというヤツです。メモリはアマゾンで安く買った16GB(8GBx2)に変えてあります。現在のHD解像度ならともかく、UHD(4K)以上の作業は、最低でも16GBのメモリは必要ですヨ。本当は32GBにしたいんですが、Mac miniの上限は16GBなので、断念。

HDDの銘柄は、バックアップ用途はWDのGreenなどのコストの安いもの(=低速)、作業スペースはBlackなど7,200回転以上のモデルにしてあります。ThunderBoltで繋ぎたいけど、今のところはUSB3.0で凌いでいます。

ペンタブレットはIntuos5を常用し、Cintiqはあまり使いません。なまじ、ペン先と映像にズレを実感しちゃうよりは、Intuosの遠隔操作のほうが潔いと思っております。スキャナはフラットベッドとドキュメントスキャナの2種。ラフのスキャンは、ドキュメントスキャナが圧倒的に楽です。フラットベッドスキャナは、400dpiくらいまではスキャン速度があまり落ちないモデルが良いかと思います。プリンタは、絵を出力するのはガイドの線画程度なので、高級なのは要りません。Canonの5千円プリンタで充分すぎるくらいです。
*ドキュメントスキャナの文節にと、富士通のScanSnap最新モデルを検索してて驚いたのは、どうもローコスト化が画質に出ているらしい事です。‥‥なので、1世代前のモデルがお勧めです。‥‥売れ筋商品で定番化するとよくあるんですよネ。iMac(昔のオニギリ型のCRTモデル)も、モデルが刷新されるたびに故障しやすく(コンデンサとかのローコスト化で電源不良が相次いだ)なっていったし。アニメも、2013年と2003年では、金のかけ方や人材・時間の問題で、クオリティが必ずしも向上&進化しているとは言えませんもんね‥‥。

作業用サーバは、メインメモリ8GBですが、やはりデータのバックアップは完全に網羅してあり、バックアップ間隔は1時間〜3時間にしてあります。ぶら下がるのは私1人だけで、複数端末からの同時アクセスを高速に捌く能力は必要ないので、安いMac miniで充分です。逆に言えば、ぶら下がるのは映像制作用途だと2〜3人くらいが限界ですかネ。あくまでも「個人用のサーバ」です。ちなみに、モニタディスプレイやキーボードは繋がず、VNC(Macで言うところの画面共有)で遠隔モニタリングします。

LANはもちろん有線ギガビット。無線は使いません。将来に合わせて、10ギガビットの線を敷いてます。ケーブルだけだったら、10ギガ対応でもそんなに値段は変わりませんからネ。

‥‥とまあ、「こんな安っちいので、出来るのか」‥‥とか思われそうですが、2年ごとにメインマシンは買い換えなので、維持費は結構それなりにかかります。HDDのメンテ&管理(有り体に言えば適宜の買い換え)もできないといけません。

ちなみに、この環境で4K(実質は5K近い)をレンダリングすると、1フレームあたり1分前後です。つまり、48fpsだと1秒レンダリングするのに48分〜1時間近くかかるわけです。1フレームあたり2分くらいかかるのも珍しくありません。

しかし、考え方を変えれば、こんな安いマシンで次世代フォーマットのレンダリングが可能なんですから、要は運用次第ですね。個人制作レベルでも、工夫を凝らしてそれなりに「イケる」んじゃないでしょうか。プロの場合は長尺の作品をこなす必要性から、どうしても性能の高いマシンが必要ですが、個人制作の短編なら、見込みは充分あるんじゃないでしょうかネ。

ドイツの有名のお方のコトバで「人生はおよそ二種類のものがある。できるけれどもしない。したいけれどもできない。」というのがあります。‥‥ならば私は、「できることはしよう」と思うのです。

追記:Macには「買うタイミング」というものがあります。めんどくさいですが。‥‥10月現在は、様子を見たほうが良いかも知れません。

文字列変換マクロ

映像制作の際には、ファイル名やフォルダ名など、様々な文字列を適宜処理して、作業を進めます。ファイル命名規則において、全世界で統一されているのはファイル拡張子くらいなもの(ようやく‥‥ですが)で、他の文字は各国各社各セクション、バラバラです。

ファイル名を見れば、その持ち主が性格が解るくらい、「名は体を表す」のです。どのくらいの練度か、またどのくらいコンピュータを使いこなしているかも、大体判断できます。「人海戦術タイプ」とか、「手作業でやっつけるタイプ」「地道におっかけるタイプ」など、運用パターンも「たかだかファイル名」だけで見えてきます。

ファイルやフォルダの名前の文字列は、それを運用する人々の性質を反映しており、ポリシーがまちまちです。共同で作業する作品制作でも、ファイル名の命名規則は統一できません。統一するには、関与する人々全員に何か大きい「恩恵」「対価」が必要なのですが、現在のところ、その恩恵は見えてきません。同一セクションならともかく、他のセクションにファイル命名規則を強要する事は、現状では難しいのです。

しかし、作業状況を把握するには、何らかの管理法が必要です。ファイルやフォルダから取得する情報はとても有用ですが、名称がまちまちだと、ストレートに情報を得られません。

‥‥なので、私は以前から「名称変換式」という仕組みを作って、他者の規定した名称を、自分の管理するデータベースに最適な文字列へと変換する方法を採っています。毎回、他者の方式に合わせるのではなく、内部はガッチリとシステムを作っておいて、外部との受け渡しの際にだけ先方との整合性をとる‥‥というやり方です。

このやり方は、手作業だと二度手間・三度手間ですが、コンピュータの自動処理ならば、人の手間は増えません。

2005〜6年くらいから既に導入していますが、最近は使い勝手が悪く感じられるようになり、この度、全面的に変換式を刷新しました。ファイル名の名称変更以外にも幅広く活用できるよう、「名前変換式」ではなく「文字列変換マクロ」という位置づけにグレードアップし、あらゆる「難題」に対処できるように強化したのです。

まずAppleScript版から作り、JavaScript版もほぼ完成しました。同じ命令文でAppleScriptでもJavaScriptでも同じ動作をするので、「言語ごとに命令文を変える必要がない」のが特徴です。そんなに難しい事はしてないので、ShellScriptやPerl、Objective-Cなど他の言語でも実装できると思います。命令文は単純なテキストなので、ASCII文字列、日本語を使いたければUnicodeを記述できる媒体・データベースでOKです。

以下は模式図です。



作業者に配布されるヘルパーアプリは、この「文字列変換マクロ」のコンポーネントライブラリをサーバからロードし、同時に「マクロ命令文」もサーバから供給されます。作業者は特に煩わしい操作をする事なく、作品仕様に合致した「自動変換結果」を適用できるのです。

私の考える未来の制作方法は、皆が同じファイル命名方式をリレーして踏襲するので、このような「文字列変換マクロ」は不要になる予定です。その時の「マクロ命令文」は「?THRU」という命令文になります。‥‥とはいえ、まだ来ぬ未来に焦点を合わせ過ぎても現在が立ち往かなくなるので、基本「どんな名称でも」対応できるように作り込む所存です。

劇伴

ご存知の方も多いと思いますが、「サザエさん」の初のサントラCDが12月に発売されるようです。実は私、早速アマゾンで予約してしまいました。

サザエさんに格別の思い入れがあるわけではないのですが、小学生の頃には既に耳にしていた息の長いサントラですから、欲しくなったのです。もはや、メロディを口ずさめば、サザエさんの絵が想い浮かぶほど、一心同体となったサントラですよネ。

ハンス・ジマーやハワード・ショアも良いけど、「作品を体現」している点において、サザエさんのサントラもなかなかの優れものですよ。

松本零士 賛

萌え絵などの目の大きいキャラにはどうにも馴染めない私。以前の投稿記事の「ふさわしいキャラ」でもその様子が露呈しています。目が大きいのは、(わたし的に)バランスが取り辛くて、どうにもあかん。

私の少年時代は、萌えキャラというジャンルはなく、どこかイナたい少年漫画と洋菓子のような少女漫画の2択でした。スポ根ものがまだ主流の頃でしたから、男子なのに少女漫画を読むなんて事は「恥」という気風がありました。また、女キャラを愛でるなんていうのは、気恥ずかしくさえ思えたものです。

私の少年時代、女キャラの多くは控えめなサブキャラであり、まさにマスコットガールのような存在でしたが、松本零士氏、そして永井豪氏の描く女キャラだけは別格の存在感をもっていました。両氏の女キャラは、まさに主人公キャラを「喰う」勢いの強烈なインパクトを放っていたのです。

その後、高橋留美子氏のうる星やつらの登場が、現在の基礎をかたち作ったのは、誰もが認知しうる事でしょう。80年代のポップな風情に合わせて、カジュアルで手の届く「親しく可愛い」趣向へと変化していきました。以前のマスコット的なサブキャラと大きく違うのは、主役を張るだけの自由で活発な性格を与えられた事でしょうか。現在、電子書籍でうる星やつらを愛読していますが、原作者が女性だった事が「うる星やつら・らしさ」の最大のポイントだったとつくずく感じます。うる星やつらの女キャラは、皆が皆、「ままならない」「油断ならない」ですが(それがたまらない魅力ですが)、仮に男性が原作を描いてたら「男の想定内」にハマったハーレム漫画になっていたと思います。

現在は、顔の中身が「幼女・童女」レベルまで低年齢化していますが、なんでそこまでエスカレートしたかな‥‥と思うと、簡単に言うと、現代のニーズがそうだから‥‥でしょうネ。リアル女性の持つ「ままならない」「生易しくない」「手強い」「怖さ」の部分を削ぎ落として、甘み成分を凝縮した結果、どんどん顔は幼くなったのでしょう。顔は幼いままに、体だけは肉感的にセクシャルに描かれるのも、ニーズからくる性質が見事にキャラデザイン上に体現されています。「男の思い通りにならない」女キャラではなく、「男の想定の範疇におさまる、予定調和の」女キャラへと変貌していったのも特質すべき点です。「愛され」欲求が「即物的」に絵に表れているのかも知れません。

ただ、私はそうした今の風潮には、全くと言って良いほど、馴染めんのです。ゆえに目デカキャラも描けないのだと思います。やっぱり、性根が出ますからネ、絵には。

なぜ、馴染めないんだろう‥‥と考えてみますと、やはり松本・永井両氏の描いた女性像が、少年時代にインプリンティングされているからだと感じます。私が両氏のコミックに触れたのは、小学校低学年ですから、無意識のうちに「焼き付け」られていったのでしょう。私は松本零士氏のコミックを小学校1年の終わり頃から読み始めたので、相当な影響を受けている「はず」です。

松本零士氏の女キャラは、どことなく夏目漱石の女性像と共通している部分があります。華奢で壊れやすい身体を持つのに、精神的には優位に立つ‥‥という描写においてです。しかし、その精神的優位は明示されないがゆえに、つかみどころがなく、はぐらかされた状態を保ちます。‥‥つまりは、悩ましいわけですが、零士キャラはそうした性質をキャラデザイン上でまさに体現しています。

しかしながら、70年代当時の氏のコミックを読み返してみると、意外にも男キャラは威勢を張った描かれ方をしています。男自身の破滅を拒むかのように。‥‥ただ、「男の信念」「男のロマン」を劇中で強調すればするほど、反って、女キャラが不動の存在として浮き上がるのです。皮肉なものですが、子供の私はなんとなく、そんな構造を読み取っていたのかも知れません。「Das Ewig-Weibliche Zieht uns hinan.」(うまく日本語にできないので原文まま)的なニュアンス‥‥とでも言いましょうか。

私は少年時代に零士キャラをコミックを通して身近に置いたため、すっかり「それがキャラ表現のデフォルト」になってしまったようです。ゆえに今の「癒し・和み」ベースの風情とどうにも噛み合ず、キャラの好みも時代とズレたままです。まあ、もちろん、仕事では設定を見ながら今風の各種キャラを描きますけど、個人的な好みは「ココロ、ここにあらず」です。

温故知新‥‥というわけでもないですが、自分のルーツとなった漫画家たちの作風を今一度見直しすと、新鮮な驚きがあります。「キャラのルック」ついでに、松本零士風のキャラを新しい方式で表現するとどんなになるか、試してみました。そのまんま、既存の作品を模写するわけにはいかないので、自作の絵になっています‥‥が、零士キャラを強く意識しているのは一目瞭然ですよネ。この感じのキャラを描くのは、中学生以来‥‥なので、30年ぶりになりましょうか。一度だけ「ザ・コクピット」で松本零士作品に参加しましたが、Fw190Aばかりで女キャラは描きませんでしたので‥‥。

以下、いつもの「原画 to After Effects」にて制作しました。原寸は5K x 7Kですが、1/10に縮小しています。


*氏の漫画ゴラクの頃のイラストが好きなので、ベタ背景にしてみました。


*暗部に宇宙を合成。‥‥これをやれば、おのずと、松本零士風に近づきますネ。

うーむ‥‥。私の我を残した、どっちつかずの中途半端なキャラになってしまいましたね‥‥。熱中していた頃はスイスイと描けたものですが、今はかなり勘を失っているようで、ところどころ、処理とパーツの捌き方が違いますね‥‥。改めて氏のスタイルの独自性を痛感しました。長いまつ毛、細い身体、ボディにピッチリのスーツ、暗部に宇宙‥‥を表層的に真似しても、氏の絵にはならないのです。コミックを参考にしてもっと似せたほうが良かったかも知れませんが、単に模写になっちゃうのは意図(キャラのルックのテスト)から外れているので、「零士風」という事で良しとしました。

手順は、いつもの原画スキャン後にAfter Effectsで仕上げる方法です。



原画をスキャンしたら、After Effectsでメイクします。最終フィニッシュと色が違いますが、「カラーパレット」的な運用方法で基本色を制御し、適宜変更しているからです。彩色ソフトウェアのカラーパレットと同等の機能は、After Effectsの「Solid」機能を流用すれば可能です。



カラーパレット的運用で、全く違う色にも作り変える事ができます。


*髪とコスチュームの配色を全変更。全体のシチュエーションも全く別ものへと変更。



*目の色など各パーツの配色は、Afterなエフェクトではなく、カラーパレットによるベース部分の変更で、瞬時に操作可能です。

もちろん‥‥ですが、これはあくまで「キャラのルック」のテストの一環で、私の画風ではありません。さすがに上図の顔のバランス〜切れ長の目の終端に長いまつ毛など〜は、氏の専売特許でしょう。

私は子供時代に受けた氏の作風からの影響で、特に意識しなくとも、描けば自然と「かわいい」ではなく「きれい」方向の絵になってしまいます。もはや、手癖が「大人顔」なのです。例えば以下は、髪の毛の処理テスト(明るいブロンド・光る髪のテスト)からの抜粋ですが、大人顔になっています。After Effectsのいつもの「原画 to AE」でのスタイルで、4K48fpsの準備段階のものです。



*細かく色トレスを分けないと、光るブロンドの表現は難しいです。いくら色を明るくしても、トレスブラックの描線だと、髪の地色よりも線が勝ってしまいます。



*髪の毛の描写は、線の絶対量の多さから、真正面から取り組むと「動画不能」に陥っていまいます。ゆえに、髪の毛の省略表現手法が数々編み出されました。しかし、新しい方式では上図サンプルのような描写でもアニメーション可能です。とはいえ、扱いの難易度は高く、油断すると簡単にドツボにハマります。

絵柄は全く別ものですが、精神的な要素は「直系」ではないかと思っています。‥‥まあ、自分の中では、ですけど。

私は20代のアニメーター真っ盛りの頃、ふと「自分のルーツは何だろう」と考えた事がありました。毎日毎日、アニメ制作各社の様々な画風の作品を請け負いながら、さらには上手いアニメーターの人たちの絵に大きな刺激を受けながら、絵を変えて描く日々。仕事は仕事‥‥だとしても、では自分の絵とはなんだろう?‥‥と考えた時に、「自分を喪失」しかけている事に気付いたのです。「自分は、どんな絵を描きたかったんだっけ?」と、絵を描く根本がよくわからなくなっていたのです。「原画」という作業依頼なしでは「お題を考えられない」自分。‥‥とてもヤバいと思ったものでした。この調子で絵を描き続けていると、50〜60歳になっても、自分の絵がなく、他人にキャラをデザインしてもらわないと絵が描けない人間のまま‥‥だと恐ろしくなったのです。

松本零士・永井豪の両氏のコミック、いわさきちひろさんの絵本が、絵の出発点でしたが、その後、西洋絵画にも触れ、ダヴィンチやアングル、クリムトやモロー、ルドンやローランサン、クレー、故・金田伊巧氏や友永和秀氏、故・荒木伸吾氏、ラッカムやデュラック、松園国芳、さらには大友克洋氏やヴィラル氏も強い刺激となって、様々な画風が自分の中でドロドロと結合して形成されていました。写真家の作品(Helmut Newtonとか)、実写映画からの影響も色濃いと思います。池上遼一氏のスパイダーマンも好きだったなあ‥‥。

そうした自分の出自や生い立ちをそのままに、流行とかのバイアスを作用させずに絵に描いてみる事も、絵描きとして重要じゃないだろうか‥‥と思うに至ったのです。違う言い方をすれば、自分が取り入れてきた要素を、あらためて再確認し、全肯定した上で絵を描く‥‥という事でしょうか。威勢や虚勢で絵を描くのは無くてネ。

私は松本零士氏の作品を遠ざけた時期がありました。私が中学の頃の松本零士コンテンツの隆盛と衰退は、大きな幻滅だったのです。今になって思うと、まさに「ショービジネスの闇」だったんだなと思いますが、当時子供だった私には、毎年低下していくボルテージしか目に映らなかったのです。世間というのは、成功している時はイケイケとばかりにあおり立てるのに、陰りが見え始めて下降し始めると、黒歴史とばかりに腫れ物に触れるような態度へと豹変するのです。思えば、当時子供だった私は、そうした連中の一員だったのです。

松本零士ブームが終焉して何年も経過した頃、ふと、「なぜ遠ざけているか」と違和感を感じた事がありました。先に書いた「自分のルーツは何だろう」という思索にふけっていた同じ頃です。ショービジネスに翻弄されたあげくに自沈した事と、そもそも松本零士作品の持っていた美しさを、クソミソ一緒に扱う事はないだろう、と気付いたのです。同時に、世間の風潮にのっていた自分の恥ずべき部分も自覚しました。世間・世相って、「レッテルというラベル」を貼る事で、情報の大まかな整理をおこなうのです。経緯や内容の本質は精査しないんですよね。‥‥世間の構造はどうあれ、自分の感受性を世間の風潮にシンクロさせ、コロコロと豹変するのは愚かしい事だと、ハッキリと認識するに至ったのです。

20代の中頃に、自分のルーツに関する自問自答をおこなって総括したので、その後はクリアな思考で絵を作れるようになりました。流行に関係なく、好きなものは好きとハッキリ言えて、影響を受けた事を肯定できるようになったのです。また、世間がどんな風潮であろうと、自分の価値観をブレさせない覚悟もできました。当時の私が、「自身を断罪する総括」ができたのは、やっぱり松本零士氏の作品群を少年時代に心底好きになったから‥‥かも知れません。

その後のどんな経緯を持とうが、「美しい」と感じた当時の自分の感情は不滅です。美しいと思う感情にウソは禁物です。ウソをつき始めると、そのウソがバレないようにさらなるウソをつく事になりますから。

70年代、暑苦しい少年漫画の中に、透明感のある冷たい肌の松本零士女性キャラが現れた時の衝撃は、誰も変える事ができない事実なのです。

A4かB4以上か、または‥‥

前回、色々な画風でのキャラのルックテストを紹介したのですが、作業上のスペックは「A4/600dpi」という内容でした。今の業界の標準が150〜200dpiくらいですから、かなりデータ量の大きいスペックで作業をおこなっているわけです。

しかし、どんなにスキャン時のdpiをあげようが、紙の大きさと描線との比率が変わるわけではありません。dpiの数値をあげたところで、「黒鉛粒子が紙の繊維と絡み付いているさま」が克明に描写されるだけで、線が繊細になるわけでもなければ、滑らかで流麗になるわけでもありません。

要は、スキャン解像度をあげるだけでなく、鉛筆・シャーペンの「繊細な使い方」と、紙の「繊維の滑らかさ」も、同時に向上させないと、単に描線の荒さが生々しく目立つようになるだけ‥‥なのです。

とはいえ、どんなに芯の先を尖らせて精密に線をひいても、「A4」の小さな紙に描いているがゆえに、限界はすぐにやってきます。4k以上の解像度にふさわしい描線を全てA4用紙で描き切る事は不可能だと、数年のテストを繰り返すうち悟りました。「A4用紙に線を描く」時点で、絵の繊細さはある程度決定してしまうのです。

今の業界フローでも、小さ過ぎて線が潰れてしまう場合は、拡大して作画し、撮影時に縮小するという方法が部分的に用いられています。4k8kではそうした「描線のマテリアル」問題が、いっきに表面化するのです。でも実は、現在でも既に表面化し始めてるとはおもうのですよネ。テレビでたまにCMでアニメ映像を見ると、線が太くて異質で、即座に「現業界産」だという事がわかってしまいます。レタスの線って、すぐわかっちゃうんだよねえ‥‥。

A4用紙に鉛筆で描くと、線があらくなる。もしくは太くなる。‥‥この問題に対し、解決方法はいくつかあります。

1・B4以上を用紙のスタンダードにする

紙の面積と鉛筆線の比率を、引き離そう‥‥という考えです。例えば線の太さを0.3ミリと仮定して計算すると、今までA4「297mm : 0.3mm」(990:1)だった比率が、JIS-B4「364mm : 0.3mm」(1213:1)となり、相対的に線が繊細になります。‥‥しかし、簡単そうに見えて、結構な高いハードルです。

全てのスキャナをB4以上のモデルに刷新しなければなりません。B4のスキャナは入手が困難ですから、都合A3スキャナになります。10万円クラスが最安になり、機材導入費としてかなりのパンチとなります。

そして何よりも作業スペースを広く確保する必要があります。スキャナが最低10万円だと嘆くよりも、こちらのほうが大打撃です。絵を描くスペース、スキャナを置くスペース、さらには用紙の単価(今よりも白色度の高い専用紙)も普及したA4よりも割高となります。描き終えた原画類の保管場所も、相応に広い場所を必要とします。現在発売されている事務用品のメインはA4サイズですから、度々、「B4対応製品の少なさ」に泣かされる事になるでしょう。(‥‥既にリサーチ済みです‥‥)


2・分割作画&スキャンする

原稿をA3で作画し、分割スキャンする方法です。これが一番、(少なくとも今は)現実的かも知れません。

どうせ分割スキャンする手間を負うのですから、B4なんて中途半端なサイズでなく、いっきにA3まで拡張できます。また、私の考える新方式ではリギングが必須ですが、分割スキャンする事がリグの単位と関連づけられるので、合理的に作業を進める事ができます。
 
レイアウト&ラフ原画=A4(後に拡大して用いる)
原稿(旧来の原画と動画に相当)=A4分割作画によるA3やA2サイズ
スキャン=A4/300dpi以上

難点は作画サイズが入り乱れる事、分割の手間が各所に波及する事などです。うまくフローを構築しないと、すぐに大混乱に陥るでしょう。上手く運用できれば、スキャナもプリンタ(作画のガイド等のプリント)もA4サイズで完結できます。


3・そもそも鉛筆と紙を使わない

これが一番合理的に思えますが、絵描きにとっては合理的ではない部分もあります。ペンタブレットが今でもヘタレなのが、最大のマイナス要因です。

10数万円出費して液晶タブレットを買っても、紙と鉛筆の正確さに匹敵できないのは、かなりイタい事実です。私は液晶タブレットを使っていますが、ガラス越しに絵を描いている感覚が今でも馴染めません。さらに座標のゆがみが存在するので、描いている時のストレスが相応にあります。タブレットを使った後で、鉛筆や筆を使うと、そのダイレクト感に今さらながらに驚きます。

しかし、道具の上手な使いこなしを模索するのも、フロー構築の醍醐味。原画を描く行程で「ペーパーレス」になれば、やはり一番合理的なフローになるのは明白です。

Adobe製品に限定せず、Clip Studio PaintとかSketchBookProなどもフローに組み込んで、ペンタブで絵を描く意識をデフォルトにした制作システムを考えても良いでしょう。‥‥まあ、統合的なシステム作りは相応に大変、ですけどネ。


4・ペンで描く

紙は使うが、鉛筆・シャーペンは使わず、丸ペンやコピックマルチライナーなどのペンで描く方法です。「うそぉ」と引かれそうですが、実はこれはかなり有効な方法です。A4用紙でも、格段に「高解像度感」を得られます。

弱点はズバリ、消しゴムで消せない事でしょうか。ただし、少々(いや、かなりの?)の修正はスキャン後に可能ですから、大間違いでも無い限りは問題にはならないですネ。

あとは、原画を描く人間が、ペンの扱いになれているか?‥‥ですネ。


‥‥とまあ、いくつかの方法を挙げてみました。一番現実的ですぐに実行できるのは「2・分割作画&スキャンする」でしょうが、他の方法も利点も難点もありますから、随時平行して研究していく所存です。

「1・B4以上を用紙のスタンダードにする」方法は、東京集中型の作業スタイルだとキツいものがあります。A3スキャナって、小振りの仏壇なみの専有面積を欲しますからねえ‥‥。なので、実は新方式に絡めて、地域分散型の制作方法も込みで考えているのです。作業場所の拡充を考慮すれば、当然の成り行き‥‥ですよネ。地方の安い地代でアニメが作れれば、コストを他に充当したり還元できるもんね。東京って不用意に人が多いよねえ‥‥‥。そいでもって、ふらちなほど、物価が高いよねえ。「都市集中・地方過疎化に歯止めを」って、30年前から言ってるわりに、全然ダメじゃんね。

ちなみに‥‥、私は祖先が浅草界隈なので、先祖代々の実家に戻って‥‥という方法はできないのです。まとまった広い敷地なんて、ありゃしません。お寺は青山の善光寺ですが、そこだけスポット的に都市化を免れていて、周囲は都会の喧噪そのものです。地価も相当なもんだろなあ‥‥(他人事)。‥‥なので、私の代から日本のどこかで土地持ちになるほかありません。まさに「アニメバカ一代」。素手で牛を倒すかわりに、4Kの短編を1人でこなしたろうか。

先祖代々‥‥でふと思い出しましたが、年初め正月1日の朝食は必ず「小豆のおしるこ」でした。お餅の入ったお雑煮ではなくて、朝っぱらから甘〜いおしるこです。なぜ、おしるこなのかと言うと、小豆の皮が中央部で真横に割けている様子から、「いつでも腹を切れる用意をしておけ」という1年最初の訓だったのです。おしるこは必ず祖父(=料理が得意だった)が作っていました。腹切りとは「腹を切るほどの覚悟」、すなわち「命をかけて物事にあたれ」という意味ですわな。

ふさわしいキャラ

女(じょ)キャラはまさにアニメ作品の華‥‥ですが、そのキャラのデザインは、紙で作画してペイントするという工程上の制限を反映して「今の感じになっている」のは、周知の事実です。ですから、現アニメワークフローとは全く異なったフローでアニメを作るのであれば、今のデザインを踏襲する「技術的必然性」はありません。もし必然性があるとすれば、「慣習」があるのみ、です。

慣習とはなんだろう?‥‥と考えると、まずは「描き手の慣れ」があり、さらには作品を受け取る人々の「慣習的な嗜好」もあります。「アニメっていえば、コレだよね」という暗黙の合意とでも言いましょうか。

現在のキャラデザインのアプローチとして、目を大きく描く「ロリ顔」が慣習化している‥‥というか、発想する時点で幼女顔にデフォルトがセットされちゃっているように感じます。ごく少数、「普通顔」「大人顔」のキャラも存続はしているようですが、大半は「ロリ顔」ですよネ。

「アニメと言えば、目のデカいキャラ」という認識から、少なくとも私は抜け出したいと思っています。萌え絵もあっていい、しかし、それ以外の作風も沢山あればいいのに‥‥と思うわけです。

‥‥なので、アニメのトレンドとか慣習とか、1度リセットした上で、
新しい方式で表現可能なキャラとはどのような広がりがあるのか、目の大きいキャラも小さいキャラも選り好みせずに、色々とテストしています。私が素で描くと、目の大きいキャラは敬遠がちになりますので。


以下は、同じポーズによるルック&デザインのバリエーションで、原画を描いた後に直にAfter Effectsに持ち込む「原画 to After Effects」の作業スタイルで作成したものです。オリジナルは「4.5k x 6.5k」のサイズですが、1/10サイズに縮小しています。

【1】それ系

線画をAfter Effectsに持ち込んだ状態が以下です。鉛筆画をAfter Effects上でベクタートレスに変換しています。




これをさらに、After Effectsでアレコレと作り込むと、以下のようになります。



‥‥無理しております。借り物のスタイルです。自分から素でこういう絵は出てきません。色んな箇所に無理が見えます。こういう絵は、「好きこそ物の‥‥」で、何も無理せず素で描ける人が描くべきですネ。

このスタイルは、今の業界フロー〜特に撮影部門に自動化を取り入れ技術向上させれば、今のままの作画スタイルでもとりあえずは実現可能でしょう。48fps以上に対応するには、かなりの効率化が求められますが、できなくはない‥‥と思います。

‥‥ですから、新方式でこれをやる意義はかなり低いと判断しています


サンプルを作ってみて‥‥、こういうスタイルの絵は、所詮、私には不似合いだと言う事を改めて確認しました(苦)。出来のマズさを承知で晒しております。パッションの薄さが、絵に表れており、小手先のテクニックで誤摩化そうとしているさまが、過装飾によってモロバレだ‥‥という事もゲロしておきます。大いなるパッションを持って、もっと上手く描ける人は大勢いると思います。

目の処理(下図)とか、色々試してみたんですが、
どうイジっても一定以上にはならんですネ。昔から解っていた事ですが、情熱が無いのなら、やらないに限る‥‥と思いました。



わたし的には‥‥



‥‥のくらいで充分だと思えてしまうのです。スッキリしてて、私はこっちのスタイルのほうが好きです。‥‥でも、この絵柄なら、なおさら、旧来の作り方で全く問題無さそうですネ。



【2】ちょっとそれ系

今度は目を大きく描く事をあまり意識せず、頭身も少し高くした絵柄です。とは言っても、充分、目は大きいですが、2013年現在の風潮では控えめなほう‥‥でしょうか。技術的には、鉛筆のニュアンス活かした、いわゆる諧調トレス線で処理してみました。今のアニメ業界は、ほとんどが2値トレス線(白黒オンリーで中間調を殺す方式)ですが、私の考える方式のデフォルトはこの諧調トレス線です。




After Effectsで色づけやら、グラデーションを加味します。今回の絵は、影の半分以上がグラデーションによる表現です。顔の影のディテールは、後のビジュアルエフェクトなどの効果を先読みして、適度な影付けをおこないます。原画・彩色で「ドンピシャ」にする必要はありません。照明によって顔のニュアンスはかなり変わります。

ビジュアルエフェクト・グレーディング等を追加して完成させたのが以下のサンプルです。3パターン作りました。


・柔らかいトーン


・色、濃いめ〜やや逆光


・逆光

1番目の「それ系」と似たような感じですが、私としては、こちらのほうが素に近い状態で描けます。おそらく、目の面積の問題なんでしょうね。あと、頭身や首の太さ、髪の毛の量など。こちらは、普段より目を大きめに描いて鼻や口を淡白に処理すれば良いので、ココロの負担が軽くて済みます。

グラデーションを影付けに多用して各所を処理しているので、今の業界フローではちょっと難しいかも知れません。グラデーションがキャラのニュアンスの大きな要素となっていますが、紙の作画時には指定のしようがありません。各所のグラデーションは、それぞれ濃淡の幅が違っており、
単純にボカせば良いというものではないので、今の業界フローでは「誰がグラデを操作するのか」が特定できず、フローが頓挫します。

私の考える新しい方式では、絵を描いた本人がグラデ操作をおこなうので、特に不都合は発生しないのです。線画だけを描くアニメーター‥‥という概念は、新方式においては、もう存在しないのです。



【3】私の素のスタイル(特に流行を意識せず)

特に何かを意識するわけでなく、気楽に描いたサンプルです。流行とは全く無縁のスタイルだと思います。前の2点に比べると、リアルバランスに見えるかも知れませんが、全然、マンガのバランスです。
諧調トレス線の持つ強弱を活かして、手描き感をより一層強調した方式です。




この方式では、もはや「トレス線が途切れないように、一定の濃さで無機質に描く」必要はありません。むしろ、たっぷりとした黒鉛(鉛筆やシャーペン)の表情が要求されます。これをAfter Effects上で、いくつかのアプローチにて作った3種類が以下です。


・中庸なニュアンス


・逆光&ソフトフォーカス〜彩度の高いパステルカラー


・荒びたフィニッシュ&線画の味わいを強調〜彩度低め
〜寄るとこんな線画のニュアンスです(下図)


私が無理せず、このスタイルの絵を描く時、いつも頭に想い浮かぶのは、ラッカムデュラックなどの、ほぼ100年前の絵本画家たちです。時代性からすれば、私の頭の中では「何百年も古くて良い」感じなのです。現在の特徴的な萌え絵や作画スタイルだって、10〜20年後には相応に古くなっているはず。‥‥であるのならば、仕事で設定に合わせて絵を描くのならしょうがないとしても、自分の絵を描く時は、流行に振り回されて絵をかくのではなく、ウソをつかずに絵を描くのが良いと思うんですよネ。ブームの尻馬にのって描いた絵は、廃れた際にファンが離れるのもはやいですもんネ。(もちろん、尻馬ではなく、ブームの本家本元は、根強いファンがつきますけども)

技術的には、2番目のサンプルとさほど変わりません。ペイント時にグラデーションを多用する事、ビジュアルエフェクト時に照明や陰影をコントロールする事、フォーカスの操作など、キャラの感じは違いますが、技術の基盤は同じです。もちろん、After Effectsで48fpsなどのハイフレームレートで動かせます。

線画の行程から微細なニュアンスが要求されますので、今のような夥しい人海戦術による量産には不向きだと思われます。一方、新方式は極めて少人数で制作が可能なので、キャラ崩れを起こす事なく、作品を作る事は可能だと思います。




【4】淡彩風

新方式の守備範囲の広さが発揮されるルックです。私は
いわさきちひろさんも大好きなので、こういう方向性も考えてみました。

線画はかなり自由な描き方です。こんな描き方でも、新方式は対応できます。以下は、スキャン後の状態です。




線がかすれて輪郭の曖昧な描き方は今の業界では御法度(というか対応不可)ですが、新方式では全然構いません。これをAfter Effectsに読み込んで、ちひろさんを思い浮かべながら、あれやこれやと作り込んでいくと、以下のような淡彩風の絵になります。After Effectsが単なる「素材ありきの画像合成」のコンポジットツールでなく、「絵を描く」という積極的なアプローチにも充分使える事がお解りだと思います。



これを背景と一緒に、ビジュアルエフェクト・グレーディング(‥‥この作業内容をVFXやグレーディングと呼ぶのはやめたいんですが)で「絵を描いてフィニッシュ」すると、以下のようになります。3パターン作りました。







ドロー風なテイストですが、描画ツール(ブラシなど)は使わず、すべてAfter Effectsのパスやエフェクトで作っていますので、48fpsだろうが96fpsだろうが動かせます。‥‥ただ、この絵柄に48fps以上のハイフレームレートモーションがしっくりくるかは、検討の余地があるでしょう。また、長尺には適さないのでは‥‥とも思います。絵本くらいのボリュームがちょうど良いかも。

このくらい「アニメ絵」と遠くなると、もはや今の業界フローでは全く対応できないスタイルです。もちろん、業界内に在籍していても、業界フローを用いなければ、色々な事はできる‥‥んですけどネ。現業界フローから「決別」しないと、こういう絵の表現の広がりは得られません。

また、「ペイント」という作業の呼び名も、もはや過去の意識となってきます。領域をクリックしてベタヌリするペイントではなく、水彩画と同等の神経を費やす作業ですから、「彩画」と呼んだほうがしっくりきますネ。今のレタス互換方式とは、似ても似つかない技法なので、一緒くたに「ペイント」と呼ぶのは、あまりにも大雑把過ぎます。

絵の特質からして、やはり、今のような夥しい量産には不向きだと思われますが、短尺ならば問題ないでしょう。



‥‥とまあ、色々と試してみました。まだまだ画風・スタイルはいくらでも模索できるでしょう。視界一面が水平線のように広がる未開拓のフィールドは、セル画時代の制限に縛られる事のない自由な広がり‥‥と言えますが、逆に「自由過ぎて何から始めたら良いかわからない」とも言えます。また、自由を支えるための、平野を開墾するための、しっかりとした技術基盤が必要でもあります。


つまりは、絵を描きたい・動かしたいという何にも代え難いパッションが根底にあって、それをどのように実現させるか‥‥という事に尽きるのでしょう。新方式においては、「アニメとはこういうもの」という固定概念はなく、「どんな絵を動かして、どんな話をつくりたいか」という、アニメーション作品における「Root」(根っこ・出発点)が何よりも重要なのです。それがなければ、何も始まらない、です。

私が未来に作りたいと思うアニメは、おそらく、萌え顔好きのファンの人々には、アピールできないものと想定しています。自分にウソをついて萌え絵ぽい絵を描いて、現在のファンの人々に取り入ろうとしても、そんな浅いウソはすぐに見破られるでしょうからネ。

私の考える未来の方式は、マンガと同等まではいわないまでも、初動段階のコストをかなり低く抑える事ができます。つまりは、リスクを抑えつつ、今までとは違う層に、違うカタチでアピールできるチャンスを持つ‥‥という事です。
60代に至る老若男女まで、もはや鉄腕アトム以降のアニメ世代だと言う事は、忘れてはならない事実です。

そんなこんなを考えた時、やり方はまだいくらでも開けていると感じるのです。「
サルまんの予言」がどんどん的中していく昨今、アニメはもはやティーンのものだけではないと、今さらながらに考えるのです。

老眼

ここ最近、数人の方から「今、ベテランのアニメーターは、老眼になって、自信を喪失している人が多い」‥‥と言う内容の話を聞いた事があります。複数の別々の場所で聞いたので、局所的ではなく、そこそこ広範囲の話題だと感じました。

たしかに。‥‥ある日突然、老眼がやってきて、今まで見えていた鉛筆の先の絵が、極端に見え辛くなるのって、かなりのショックですよね。

老眼の「老」は、からだ1つで自分の運命を切り開いてきた絵描きにとって、耳にしたくない、目にしたくない、1文字です。仕事の受発注のシステム上、老いを受容できないのです。

しかも、今のアニメ作画は、キャラがどんどん細かくなって、余計にマクロ視力を必要とします。

視力低下と細密なキャラデザインを前にして、自分がどんどん取り残されていくような不安や苛立ちが、感情の圧迫するとしても、致し方ない状況と言えます。

老いぼれたらThe End‥‥という、暗黙の価値観がアニメ業界にはあると思います。特にアニメーターは、そういう強迫観念が強いのではないでしょうか。白紙に描線をひいて、絵をゼロから描き起こすプレッシャーとともに生きてきたわけですから。

ですから、どんなに自分の感覚を磨き続けても、体が勝手に老いぼれていく現実は、絶対に受け入れがたい事なのです。老眼を認めたくない、あるいは、周りに言えない事も多いのではないでしょうか。

私は以前、アニメ業界は「老いを想定していないシステムだ」とブログで書いた事がありました。アニメーターに限らず、撮影などの他のセクションであっても、「20代の君は、30年後にどうなっているか、想像できるか?」と聞いて、具体的に答えられる人はあまりいないと思います。個々の生き様の話ではなくて、業界に在籍し続けた30年後の状態の事です。‥‥おそらく「今のまま、作業を続けている‥‥んじゃないかな‥‥」という漠然とした答になると思いますが、身体は30年後に「今のまま」であるはずがない、です。

アニメ業界の標準作業システム・ワークフローは、「ベテランー中堅ー新人」の技能を無視したフローとも言えます。作業内容の難易度を無視して、単価を一律に設定しているのが、その何よりもの証拠。技能の伝授に対しても「適当に内輪でやってよ」的なスタンスで、システムとしては何ら考慮されていません。

新人にベテランと同じ作業内容を要求して「ダメなやつだ」と罵る。同じく、50代と20代の体力を同じに考えて、捌ければいいやと、内容無視で仕事を撒く。どちらも、「‥‥」ですよネ。

私は「工房型」のワークグループを計画していますが、それには「ベテランー中堅ー新人」の技能サイクルの構想も含まれています。‥‥普通さ、誰でもそう、システムを考えないかな。特に変な事を言ってるとも思えないんだけど。

しかし、現実問題として、業界は「そう」(=「ベテランー中堅ー新人」を一律で扱う)なのです。前にも書いた事ですが、業界の枠組みが「そう」だから、今までアニメを量産し続けられたのかも知れません。しかし、個人に突きつけられる現実は、老眼がまるで死刑宣告のように響く辛辣なものです。

旧来アニメ業界のシステムはもう変えられないと思っています。しかし、新方式でアニメを作る新しい場所は、老眼なんぞで気落ちしない、技能ピラミッドをベースにしたシステムを構築したいと考えています。

「けッ。口で言うのは簡単だろ」と罵る声が聞こえてきそうです。しかし、「口で言うのは簡単だ。実際は難しい。」と言ってる人も、結局は口で言ってるだけ‥‥ですよネ。達観してみせて、自分は何も動かない。誰かが変えてくれるのを待っている。誰かが救ってくれるのを待っている。自分はつぶやくだけ。

「会議」や「議論」するだけじゃダメなんです。「会議」ってコワいんですよ。会議だけで何か成し遂げた気分になりますから。実質は何も進展していないのにネ。

要は行動を起こしているか、否か、です。‥‥私は、もう数年前から開発を自己資金で進めてますがネ。達観できるほどの経験と技術があるなら、それを元手に、具体的に行動せよ!‥‥です。

老眼になった事で、絶望的な気分になる、今の業界。

‥‥実は私も、数年前から老眼が忍び寄ってきています。数年後には老眼フルタイムになる事でしょう。老眼の兆候をはじめて感じ取った時は「これが老眼と言うやつか」と少々ショックでしたが、まもなく「視力が落ちたのなら、そのように対処すればいい。『老いのスケジュール』を組むべし!」とキモチを切り替えました。嘆く事にカロリーを費やすよりも、どうやって未来を切り開くかにカロリーを活用したほうが、有意義じゃないすか。

外堀から

先月、米Amazonから新しい「Kindle HDX」が発売されました。7インチスクリーンの「iPad mini」相当のモデルが1920x1200、8.9インチの「iPad」相当モデルが2560x1600と、高密度な画素数を持つモニタを搭載しています。

7インチの大きさに、一般的な作業用モニタの解像度がギュッと詰まっていると思えば、その高密度ぶりがイメージできます。一方、8.9インチモデルは27インチモニタの画素が詰まっているわけで、これも中々に恐るべきスペックです。

順次、H.265などの次世代コーデックも取り込んで、次世代コンテンツの足場が形成されていく事でしょう。高解像度、ハイフレームレートのコンテンツが出てきた際に、現コーデックでは転送量が増大するばかりですから、映像の圧縮技術も比例して向上していくと思われます。H.265のスペックを読むと、「まだ圧縮する隙があったんか」と驚く事しきりです。

また、AdobeがEncore(DVDやBDのオーサリングソフトウェア)の開発をCS6で中止したのは、ご承知の方も多いでしょう。要は、AdobeはもうDVDやBDなどの光学ディスクを「レガシー(過去の遺産)」だとカテゴライズしたわけです。

水面下の動きって、アウトサイダーからはほとんど見えません。たまに水面に波紋がでたり、ちょっとだけ一部が水上へと露出するのみです。

一般の人々なら、地上から眺めているだけで良いでしょう。しかしねえ‥‥アニメ業界は、曲がりなりにも映像コンテンツのビルダー・ベンダーですから、水中に視野を持って然るべき‥‥なはずです。しかし実際はそうでもないですよネ。

「クールジャパン」とおだてられながら、実際は最新テクノロジの恩寵からは離れた存在。おミソです。しかし、アニメ業界自体も「これ以上のハイクオリティは必要無い」と言わんばかりの状況ですから、ある意味、バランスしているのかも知れませんが。

アニメ業界の「総意」がどうあろうと、外堀からどんどん埋められていきます。タブレットで2.5kの時代ですもん。その後、三の丸、二の丸と追いつめられて、内堀を超えられ、本丸に火がついた時点でようやく事態の深刻さに気付く‥‥なんて、イヤですよネ。自分たちがほとほとレガシーな存在に成り果てた事を、最後になってようやく悟り、まさか、「もはやこれまで」と腹を召されるご所存か。‥‥まあ、本丸まで篭城して生き残る事はあまりないですわな。

‥‥なので、篭城しては絶対にアウト!‥‥なんですが、今のところは、篭城路線を歩んでいるように思えます。機先を制す‥‥なんていうニュアンスは感じられない。

私はアニメ業界があったがゆえに、様々な技術を身につけ、現在に至りました。耳障りの良い事を書いてもその場限りの鎮静剤にしかならないでしょうから、こんな風な「耳に痛い」ような事を書いてますが、正直、業界への愛着は消えません。

私は過去25年の間に、3人の「戦友」と呼べる身近な人たちを死によって失っています。みな、アニメ業界にフリーとして在籍していた人です。その人たちは皆アニメが好きでした。その人たちの身体は無くなりましたが、技術や思想は私の中で生き続けています。‥‥私は命の代わりに、自費(1K万くらいはいってるんじゃないだろうか‥‥)をつぎ込んでいるようですネ。その3人が、私を後押ししているようにも思えるのです。

以前、48fpsテストの際にちょっとしたAfter Effects上の作業ミスから、紙の作画方式での「生き残り策」が垣間見えた事がありました。大幅な増強は必要ですが、「城」を存続させる可能性が感じられたのです。しかし、その城の当の住人・兵たちが、次世代フォーマットを意識しない限りは、どうにもなりません。新しい事に取り組むがゆえに、旧来技術の新しいメソッドも見えてくるのです。

機動力は、活用できる時期に用いないと‥‥さ。追いつめられた後では、機動戦も夾撃も遊撃も不可能なのですから。

デザインとモーション

絵のスタイルは、モーションにも深く影響します。絵の「カリカチュア度」は、動きの「カリカチュア度」と密接に絡んでいるのです。

新しい表現が可能な新方式によるアニメ制作においては、キャラクターのデザインの幅も広くなります。セル画時代のスタイルを踏襲する必要は「技術的には」必要ないわけです。

と言う事は、動きも呼応して変化していくはずです。「デザインが期待するモーション」または「モーションが期待するデザイン」とでも言いましょうか、何でも一律に今まで通りに動かせば好結果が得られるわけではなく、デザインに適した動きが求められます。

モーションが48fpsフルになった場合、絵に対する要求度も相応にシビアになります。時間軸の解像度が高くなったぶん、絵も動きもそのままでは済まされない‥‥という事です。24コマ時代に培った技術は足場にはなりますが、そのままでは全く使えません。

私もご多分に漏れず、24コマフィルムのマインドセットが強固なものですから、48fps以上の動きになると、どうにも持て余し気味になってしまう‥‥というか、使いこなせているとはまだ全然思えません。これから3年くらいのさらなる研究は必要だと痛感しています。

以下はいつもの「原画 to After Effects」‥‥というか「ラフ画 to After Effects」です。ちょっとした顔の動きですら、48fpsですと「取り扱いが今までと大きく違う」感が満杯で、一層の精進が求められます。







*たったこれだけの顔の傾きだけでも、様々な予備動作やリアクションを入れないと、著しくCG臭いモーションになるのが、48fps世界の特徴です。8〜12fps(今のアニメ)では考えられないモーションになるのです。
*髪のモーションは未付けです。髪の毛のリギングは結構面倒なので、ラフモーションでは手をつけない事が多いのです。
*上図の状態に淡彩風に着彩する事も可能です。‥‥という事は、絵のスタイルによっては、必ずしもレタスペイント互換の「スキャンに都合の良い線で描く」必要もないのです。新しい方式においては、絵・映像のスタイルは膨大なのです。

研究を進めて強く実感するのは、「デザインとモーションは一心同体」だという事です。「原案別人、キャラデザ別人、原画別人、動画別人」という作業スタイルは、今の分業スタイルに適した方法だと思います。しかし、モーションのシビアなハイフレームレート、ディテールの克明な4K以上の描画においては、デザイナーはモーションの知識を「それなり以上」に有している必要がある‥‥と実感します。「俺はキャラの原案を描くだけだから、それ以降の面倒は知らね」では、成り立たない‥‥というか、モーションが後付け感満載の「紙芝居」レベルになってしまいます。「動かす事」と「デザインする事」が常に2重連星のように引きつけ合い、軌道を運行していく必要があるのです。

そんな要求基準の高そげな事を‥‥と思うかも知れませんが、仕方ねいです。旧来の「知識」は色々な場面で応用可能ですが、「常識」は通用しなくなっていくのが、未来の特徴かも知れませんネ。

Kindle HDXの8.9インチは、もはや2560px〜2.5kの解像度を持つみたいです。27インチクラスのピクセル寸法が8.9インチスクリーンに収まる! ‥‥どんどん常識が変わっていく昨今です。

YouTubeがな

今の私の自己研究は、キラーカット(グッとくるカット)の研究、ひと通りの演技を網羅しメソッド化する課題、関連性のある作品群のPV的な映像、極少数人数による分担作業システムの開発、etc...といったところです。

私の甘い考えでは、そうこうしているうちにYouTubeの仕様がさらに高品質になる事を予想しています。

今のYouTubeでは、例えば前回のような絵作りの映像をアップしても、解像度とフレームレートの制限により、見た人に「何だ、イラストっぽいディテールのが動いてるだけか」と思われて終了!‥‥だと予測しています。スフマート技法による絵作りの映像がちょっと進化しただけだ‥‥と思われるのは、絶対に避けたい‥‥のですが、今のYouTubeのクオリティじゃどうにもならないですし、もっと言えば、Retina的な高密度液晶がある程度浸透した後でないと、こちらの意図するクオリティを伝えられないと考えています。

前回、前々回のサンプル静止画も、縮小サイズと言えど、できれば1000pxくらいでドン!と出したかったのですが、このブログのテンプレートが500pxちょいくらいの幅なので、仕方なくあのサイズになったのです。

実寸は以下のサイズで、500px前後だと指先しか入りません。



YouTubeでも、HD(2K)が出せるんだからいいじゃん‥‥とか思う事もあるのですが、フレームレートが30fpsどまりなのが、どうにも。

加えて、HD解像度で送信しても、YouTubeのサーバサイドで低解像度も同時に生成して、多くの場合は360とか480px幅がデフォルトとして提供されてしまいます。全ての人が映像スペックマニアなわけではないですから、いちいち解像度を切り替えて見るなんて事はしないでしょう。生粋の4K48fps作品においては、それはもう絶対にNG‥‥なのです。品質の格差が売りなわけですから。

ただ、YouTubeを悪く思う気はありません。現在の落としどころとして、YouTubeの仕様は妥当だと思います。4K48fpsは現インフラを考慮すれば、オーバースペック以外のなにものでもありません。

でもまあ、折角、テレビ放送網ではなく、インターネットという仕様の広がりのあるメディアなので、国営放送や民放に先駆けて、4Kで48〜60pのストリームを開始して欲しい‥‥とは思っています。今やYouTubeの影響力は絶大なものがありますからね。




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