孤独死、Apple Watch

数ヶ月悩んでいましたが、Apple Watchを、結局買いました。

 

時計としてではなく、健康管理のツールとして。つまり、腕時計ではなく、ヘルスメーターです。

 

久々にテレビ作品に関わると、その制作状況の厳しさ・過酷さと制作意識の違いゆえに、身も心も痛烈な打撃を喰らいます。ココロ的には、色々な考え方があるでしょうから、ここでテレビアニメーション論をぶちまけるつもりはありませんが、カラダ的には「どうすれば健康を維持できるか」は切実な課題となります。

 

自分の健康の「標準ツール」として、何らかのスマートウォッチを探していましたが、なんだかんだ迷いつつも、結果はいつものAppleチョイス。色々と物色してみて判ったのですが、iPhoneを含めた総合的なソリューションも含めると、Apple Watchに比肩する存在はないと判断し、ここ2週間の激務も後押しとなり、いつものAppleローンで買いました。‥‥ちょうど、iPad ProとMacBook Proのローンも終わるので、購入が容易だったこともあります。

 

 

制作状況を改善できれば、健康問題も改善できる‥‥というのはあるでしょう。しかし、「制作状況の解決策」なんていう都合の良い「特効薬」は存在しないのです。様々な要因が絡みつき、現状を作り出しているので、その様々な要因1つ1つを解決していくしかありません‥‥が、「言うは易く行うは難し」です。

 

クライアントの要求を無視してキャラデザインは描けないでしょうし、制作期間がどれだけ圧縮されるかを事前に予測して絵コンテの内容を止め口パクに限定することもできないでしょう。明らかに破綻している作画の内容を見ないふりしてサイン欄にサインだけして流すことは演出も作監もできませんし、かと言って、1カットごとキッチリと修正を入れられるほどの時間的余裕はありません。野原と土管と青空を描けば済む背景美術なんてほとんどないでしょうし、どんどん圧縮されるスケジュールの余波をもろに喰らうのは最後段の仕上げ・撮影スタッフでしょう。

 

品質要求が時代とともにエスカレートして、描く内容に手間がかかって技量を要求されるようになれば、対応できる作業者の数は減り、簡単にホイホイとカットを撒くことはできないでしょうし、そもそも作画の人材不足は深刻です。デザインが複雑になって1枚絵に多くの作業時間を消費するようになっても、作業費で作業者を拘束できる時間は以前と変わらないので、速書きにより絵がどんどん溶ける傾向が強くなりますが、溶けた絵を作監が修正するにも放映までに残された時間には限度があります。かと言って、のらくろやロボット三等兵みたいな簡素にまとめた絵柄だけのアニメだけにすれば良いのか‥‥と言えば、それがまかり通る現代社会ではないです。

 

ここ最近のテレビアニメ制作事情は過酷です。複数の話数が絡み合った数週間の作業でつくずく思い知りましたが、その過酷さを抑制する術は、少なくとも私には見つかりません。

 

私の作業範囲は作画もコンポジットも含むので、作画監督も撮影監督も経験しておりますが、撮影監督をしている時には「なぜ、最近の作画は中々上がらないんだ。なぜ、ここまで後ろにズレてくるんだ」と思うようなことがあっても、実際に作画監督をしてみれば「そりゃ、上がらないって」と理由が解ります。理由は簡単で、まず、作業依頼のタイミングがすでに放映間近に迫っていますし、さらには、描く絵の内容が大変すぎるのです。

 

線の多い作品の場合(影線も含む)、マルチョンでなく、1体ごと「後の工程がちゃんと拾えるように」描こうとすると15〜20分近く時間がかかるキャラが、1画面に3〜4人いたら、1枚描くのに1時間かかるということです。そりゃあ、昔みたいにサクサク上がらないですよネ。実際にストップウォッチで描く時間を計測してみて愕然としました。

 

‥‥で、その時間を消耗する現状をクリアするために、手数を間引けば絵の完成度にモロに影響が出ますし、睡眠時間はどんどん削られていきます。つまり、品質と健康に悪い影響が出る‥‥ということです。しかし、そこまでしても予定通りに上がらない作品もあります‥‥よネ。

 

 

そうした過酷さに流されるまま流されて、健康はないがしろ‥‥というのは、数日ほったらかしでも肌がツヤツヤしている20代の頃ならともかく、40代くらいになると、確実に「死」が垣間見えます。加えて、最近は20代・30代の孤独死も増えている‥‥ともネットで報じられていますよネ。「今、何か手を打ち始めないと、確実に孤独死するな‥‥」と自覚する人は多いと思います。

 

‥‥特にさ、自分の「好き」を職業に変えてきた映像制作の人間は、歳を喰ってから孤独死する可能性はとても高いと思うんだよネ。

 

 

私がテレビ作品のお手伝いで作監を担当して得た感慨は「自分の健康」と「作品の品質」をどう保持するか‥‥です。それに尽きます。

 

ゆえに、「もう迷っている余地はない。買う。」とApple Watch Series 2 を購入した次第です。

 

 

 

「自分の健康」と「作品の品質」の2大要素は、要は「生と死」と「お金」とも言い換えられます。自分の健康に気を使う生活を実現できれば死のリスクを遠ざけることができますし、作品の品質を向上できる技量と状況を作り出せる人材となればより良い条件でお金を稼ぐことができます。‥‥とはいうものの、私は、テレビの作画に関与した場合、この2つを全うできる確固たる自信は持てません。逆に、持てる人っているのかな‥‥。必ず何かが犠牲になると思いますけどね‥‥。

 

「作品の品質」は別の機会に書くとして、「自分の健康」はどうすべきか。

 

 

まあ、とても雑な言い方ですが、「死なないこと」‥‥でしょうネ。

 

こんなことや、こんなことにならないように。

 

とは言え、人間はいつかは死にます。

 

なので、「死なないこと」とは、もう少し丁寧に言えば、「死にやすい状況に自分をハメこまないこと」でしょう。

 

でもまあ、実は、どんなに健康に気を使っていようが、結婚していようが子供がいようが、孤独死のリスクは「核家族化」が進んだ戦後の日本においては、兆しが見えていたとも思えます。

 

結婚していても、パートナーに先立たれて独り暮らしになれば孤独死の条件は揃います。子供がいても、同居していなければ、やはり突然死が発見されずに結果的に孤独死になり得ます。

 

 

ふと思ったのが、Apple Watchって、Appleのアラサー・アラフォー社員の「内なる声」も要素の1つとして、開発がスタートしたのかもな‥‥ということです。あくまで、想像ですが。

 

デスクワークが多いと座りっぱなしになります。‥‥で、デスクワークにおける病状の正式な名称はわかりませんが、「エコノミー症候群」的な体調悪化は、Apple社員でも例外ではないと思われます。くどいですが、あくまで想像です。

 

「健康管理をサポートするガジェット」としてコンピュータ開発製造を主たる業種とする会社が、社員目線で開発を考えたとすれば、合点がいくのです。Apple Watchを「時計」としてみると、バッテリーのもたない「できそこないの時計」ですが、「健康管理端末」として考えると、デスクワークの多い会社が「必要は発明の母」としてApple Watchのアイデアを想起したとして、何の不思議もありません。

 

デスクワークの多い人間が考える「あるといいな」が、Apple Watchには込められているように思うのです。

 

実際、作画机に縛られっぱなしの過酷なスケジュールのテレビ作品の作画作業において、私がApple Watchのヘルス関連の機能に注目したのは、偶然ではなく必然でした。

 

「何時間も座り続けて、緊張感と倦怠感と躁状態を繰り返していたら、いつかは、ポックリ逝くな」とひしひしと体が訴えかけてくるのですが、「じゃあ、どんなタイミングで、どんなことをすれば、身体への負荷蓄積を散らせるのか」はわからないのです。‥‥いや、多少は調べてみて「何をすべきかが何となく解って」いても、忘れがちになるのです。

 

Apple Watchは、腕に装着することは多少は煩わしいですが、「スタンド」や「深呼吸」のアプリが、「そろそろ立って、1分くらい体を動かしてみたら?」とか、「深呼吸してみない?」と、音と振動できっかけを教えてくれます。

 

私が欲しかったのは、まさにコレ。

 

 

* * *

 

仕事と生活と健康は密接に絡みついていますよネ。もし「現場を誰かが改善してくれるまで健康管理は考えない」とするならば、それは「死へのチケット」なのでしょう。

 

テレビアニメの現場制作費が3000〜5000万円になるまで健康管理はおあずけ? 人件費を圧縮することによって成り立っているとも言える昨今の制作事情を改善するには、まずはお金でしょうが、そんな簡単にお金なんて数倍に跳ねあげられるわけもなし‥‥です。

 

自分はこれからどのようなアニメーション制作を志すべきか、どのような現場を作っていくべきか‥‥という命題と、日々の健康管理は、分離して考えるのが現実的です。

 

 

私は「もし明日死ぬ」と判っていれば、あらかじめ準備していた段取りを実行するか(財産の整理や自分の死体の焼却段取りの委託)、準備がままならないのなら野山に座して死んで、肉はウジとハエとたぬきにでも喰われて体液は草木の肥やしになれば良いとも思いますが、そうはいくまい。そんなうまく逝くわけがない。

 

だとすれば、どのように死ぬか。どのように周りに面倒を見てもらうか‥‥ですよネ。

 

もっと言えば、どのようにして、自分も含めた「仲間」「戦友」の死を、死後24時間以内に発見するか・していただくか‥‥です。

 

独り暮らしの人間に限らず、誰にとっても、死は「もちつ、もたれつ」なのでしょう。結局はね。

 

かっこいい死、綺麗な死、面倒をかけない死‥‥なんて、独り暮らしでは「死んだ後の自分の始末は、自分ではできない」からこそ、何か「死ぬためのシステムネットワーク」を作らねばならんとも思います。

 

毎日触るパソコンや携帯電話・スマートフォンを24〜48時間以上操作しなかったら、仲間たちのメールアドレスにメールが発信される‥‥とか、人間を含めたネットワークとハード&ソフトウェアがこれから先に必要になってくると思うのですが、それは考えすぎでしょうか。私の危機管理の感覚で言えば、考えすぎだとは思わないんですよネ‥‥。

 

 

確かに、アニメーターやコンポジターなどの映像制作に関わるスタッフは、映像制作現場に飛び込んで、自分が好きで選択した仕事を毎日してお金を稼いで、ある意味、自由に生きてきたかもしれません。しかし、普通の公務員や会社員が想像もしないほどの辛い作業や現実も同時に味わってきたのです。

 

そして、最後は孤独死で腐乱して、「迷惑な人だ」でフィニッシュですか。‥‥私は、そんな結末を許容できません。少なくとも、自分と苦楽を共にした仲間を腐乱させたくはないです。

 

 

良い作品を作ってお金を稼いで、快適で生産的な制作現場を作る‥‥と闘志に燃えても、それは全て「生きていること」が前提です。死んだら何もできません。

 

私は制作現場で共に一喜一憂し辛酸も美酒も嘗めた同僚を過去に3人亡くしていますが、その人らが「アンタはまだ命があるんだからさ。それをうまく使いこなさないとネ。」と冗談交じりに話しかけてくるように思うことがあります。

 

テレビシリーズは過酷だけれど、自分にとって「何が大切なのか」を乱暴なまでに表に引きずり出して、「よく見ろ!」と再認識させてくれもします。

 

 

‥‥うん。よく判りましたヨ。これからの自分たちの方針が‥‥です。


釣り

さっき来たメール。

 

‥‥‥‥フィッシングかな?

 

 

MUFGカードWEBサービスご登録確認

 

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誘導する先は、mufg.onlineのドメイン、http://のセキュアなしのアドレス。

 

mufg〜三菱東京UFJ銀行の系列は調べてみると、JPアドレスのようです。mufg.onlineというドメインは三菱UFJ系列ではみあたらないなあ。

 

どうなんでしょうかネ。私は三菱UFJ系列を使ってないからわからんですけど。

 

この手のメールは、注意したいですネ。

 

 

追記:調べてみたら、フィッシングのようです。ご注意をば。「mufg」だけで判断しちゃダメよ。セゾンカードでも同じ文面のフィッシングメールが去年送られているようです。アカウント文字列(=メールアドレスの場合が多いですよネ)とパスワードの組み合わせを釣り上げる典型的な手口ですネ。


WWDC

ワールドワイド・デベロッパーズ・カンファレンス。全世界開発者会議。‥‥全世界とはいうものの、要は「Appleの開発者懇談会」みたいな内容で、新製品の発表やAppleのロードマップが示されるイベントでもあります。開発者のApple詣でのようなイベントですネ。

 

今年のWWDCで噂されるのは、iPadやiMacの新型で、様々なプロフェッショナルにアピールする8Kのディスプレイを搭載したiMacすら噂されているようです。‥‥8Kすか。ホントだったら、スゴいですネ。どんどん時代は進んでいきます。

 

4K出力が可能なAppleTVも噂され、AppleTVに限らず、時代は普通に4Kへと流れていきます。私の実家の2Kテレビはそろそろぶっ壊れる兆しがあって、買い換えるときには4Kになることでしょう。40〜50インチで10万円台前半の4Kテレビが四人家族の一般家庭の狙い目かなと思いますから(昔の37インチテレビよりも枠部分が細くなったので、同じ面積でもうちょっとだけ大画面が設置できる)、今は2Kでも次の買い替えは4Kになることはごく普通に予想されます。

 

映像の仕事には全く関係のない人でも、「2Kって近くで見てみると、そんなに細かくないんだね」と言ってるのを最近聞いて、「ああ、そういう時代になったか」としみじみ感じました。スマホの高詳細液晶ばかり見てれば、そりゃあ、37インチの2Kの解像感なんて、荒いですもんネ。

 

Apple WatchやMac Proなどの新型は、今年秋から来年だと言われているようです。実は最近、Apple Watch シリーズ2を買いかけたのですが、踏みとどまり中です。Apple Watchを常用したら、チプカシの出番がなくなる‥‥というのもありますし、そもそも私にApple Watchが必要かも判断しかねているところに、今年の秋の可能性も考えると、なかなか判断に迷うところです。実際、部屋にこもって作業作業作業作業......の毎日で、Apple Watchがあっても当座は活躍しなさそう‥‥。Suicaやカレンダー連動やMapの機能は魅力なんですけどネ。

 

 

WWDCのように、一社のイベントが注目されるのって、実はあまりないですよネ。ひと昔前は、Appleのシェアは風前の灯火なんて言われたこともありますが、見渡せば周りはiPhoneばかりだし、打ち合わせや会議ではMacBookとiPadが多いし、会社の各所に置いてあるマシンはWindowsのどこかのメーカー製でも、自分と距離が近い製品はApple製という人は結構多いんですよネ。‥‥なので、シェアの数字って、実際の生活感とはあまり結びつかない実感があります。

 

WWDCが注目されなくなったら、Appleも黄昏時なのかも知れませんが、今のところは大丈夫そうです。2017年のWWDCはどんなかな?

 

 


新じゃが

面白半分でじゃがいもの切れ端を土に埋めておいたら、芽が出てにょきにょき育って、やがてヘナっと枯れたので、次の種を埋めるために根っこを掘り起こしたら、じゃがいもが収穫できました。

 

 

小さくて可愛いじゃがいも。

 

レンジで加熱して、食べました。味はごく普通でした。

 

 

園芸って、映像の仕事にも「間接的に」大いに参考になることが多いです。

 

  • 自然の摂理や自然界のシステムを無視して、独りよがりで栽培しようとしてもうまくいかない。
  • 必要な要素は、土、水、光、肥料だけじゃなく、風も必要
  • 栽培場所の条件にあった品種をチョイスしないと発育不良となる

 

‥‥うーん。言い得て妙。

 

植物が教えてくれることは、「デジタル」や「コンピュータ」や「制作システム」にも通用することが多いです。

 

 

いつか、バジルが元気に育つ土地と家に住みたいな。

 


否定されるとキレる人

わたくし、ツイッターはやりませんが、楽しみにしているアカウントはあります。見るだけツイッター。

 

全然、縁もゆかりもない職種の人(と思われる)の日々の言葉を読むのは、中々に楽しいです。考え方や価値観や、生活習慣も大きく異なるので、読んでてとても面白いし、勉強(作劇上の)にもなります。

 

しかし、たまにそういう人が発したツイートが多くの人の関心を呼び(いわゆる炎上)、いろいろと言葉を返してくるのを見ていると、「人間」を感じずにはいられません。

 

ツイートの内容が特定の人間をネガティブ寄りに指し示すと、その特定の人間から猛反発がかえってきて、「否定されるの大嫌い人間」がこの世には多いことを思い知らされます。

 

でも、ツイッターにいそしむ人間なんて、総人口からすれば、大した数ではないでしょうから、ツイッター上では目立つだけ‥‥なのだとは思いたいですけど。

 

 

否定されるのってさ、ある種、良いことだと思うんですけどネ。

 

自分が知らず知らずのうちにハマリ始めている軽めの自己洗脳を解いてくれるから。

 

「え、NO? うそ。 そんなことない。 だってさ、こういう理屈でさぁ。‥‥そう? そうかな‥‥‥? そうかもな。 そういう面もあるかもな。 その方面から考えて見たことは、たしかに今まで無かったかも。」

 

‥‥という感じで、気づきのきっかけが得られるじゃん。

 

 

自分はいつも、これが自分にとって良き選択だと判断した道筋を進んでいるわけで、別の道筋なんて、中々見えてこないもんです。私なんか、その典型です。

 

だからこそ、自分にとってネガティブに聞こえる言葉にも、許容を有しておかないと、道筋を誤ることもあり得ましょう。

 

否定されたその時は「うっ」となっても、最低でも10秒間はプールして、冷ましてから考えてみることが必要だと思います。相手がたとえ経験の浅い年下だろうが、その「NO」の理由や構造を考える許容範囲は、常日頃から用意しておきたいものです。自分は経験も知識も多いから、年下の反対意見なんて全て愚そのものだ‥‥なんていう事こそ、まさに愚の骨頂です。

 

 

否定されるとキレる人って、単にツイッターだけで目立つだけかな。現実社会では、そんなに目にしないんだけどなぁ‥‥。

 


どうでもいいことかもしんないけど

最近見かけた「帰還した爆撃機のダメージの統計を考慮して、爆撃機のどの部分を強化すべきか」という記事・ツイートは、日々の現場運用においても示唆に富む内容です。さらには、自分の作業経験を、未来にどう活かすか‥‥という命題にも、大いに刺激になるものです。

 

‥‥一方。

 

小学生の頃からの飛行機好きの私は、「これ、輸送機じゃん。爆撃機じゃないじゃん。」と1発目に思ってしまったのは、どうでもよいことでしょうかネ。

 

これです。ハセガワのプラモデル組み立て説明書。

 

 

「帰還した爆撃機のダメージの統計」の飛行機の絵は、DC-3・C-47系の輸送機のように見えます。ただ、エンジンは液冷っぽいですネ。上図の説明書の機体は、DC-3のオーソドックスな空冷エンジンです。細かい仕様はわかりませんが、いずれにせよ飛行機好きなら、輸送機のシルエットであることは、すぐにわかるはず。

 

‥‥こんなことばっかり言ってるから、オタク疲れするのかな。

 

 

原作本の図説が、テキトーにアメリカの双発機を流用したのか、よく解らんのですけど、実際、ほぼ丸腰に近い輸送機と銃座のハリネズミのような爆撃機とでは、戦闘機に捕捉され銃撃されて損傷する部分に差異が生じると思うんですよネ。

*戦時中の軍用型DC-3は、色々と防御武装のバリエーションがありますが、キモチの上で、銃座がないよりはあったほうが‥‥というような申し訳程度の武装‥‥ですネ。

 

まあ、重要なのはソコではなく、「データをどう捉えるか」ですから、ぶっちゃけ、どうでもいいことなんですけど。

 

 

ちなみに、DC-3。

 

DC-3をライセンス生産したL2D「零式輸送機」は、上図の通り、日の丸をつけて、戦時中に飛んでました。ソビエトでも、Li-2という名でライセンス生産&改造されて、2000機も製造されたそうな。

 

ちなみに、零式輸送機はハセガワから1/200が、Li-2はズベズダから同じく1/200のちっちゃいスケールのプラモが発売されてます。ハセガワの1/200の旅客機シリーズと並べられます。


ものごとは複雑だな

特徴を捉えて、単純明快に‥‥という強迫観念は、こと、短く文章が区切られるツイッターの出現によって、より一層、拍車がかかったように思います。

 

スパッと言い当てたり、グサッと核心をついたり‥‥という、言葉の快感を求めて、無理にでも「何々はこうである」と数行でまとめようとするのは、実は、とても的外れなことじゃないかと思うことがあります。

 

人間や、物事や、社会や自然界の仕組みって、そんなに単純で明快かな‥‥。私には、とてもそう思えないのです。

 

ひとりの人間って、そんなに単純じゃないぞ。極めて、複雑だぞ。

 

例えば、「人間は外見のイメージに反する内面を持っている。人とはそういうものだ。」‥‥なんていう格言めいた言葉を聞くと、「そうかもなあ」と思ってしまいますが、実際のところ、「人間は、外見のイメージ通りの内面と、イメージとは違う内面との、多様な内面を持つ」のではないでしょうかネ。「外面に反する内面」だけを語っても、「人とはそういうものだ」とは言えません。

 

ツイッターでは、文を短く切らなければならないので、「自分でも思ってもいないような浅はかな判断で言い切ってしまう」落とし穴がそこら中に待ち受けていると思うのです。ですから「そんなつもりで書いたわけじゃない」なんていう、書いてしまった後からの言い訳をツイートする事例が、そこかしこに発生してるんでしょう。

 

言葉で要約できることは要約すれば良いですけど、なんでもかんでも要約する必要はないですよネ。要約できないものを無理に言葉で要約しても、クオリティの低い(=信頼度や確実性の低い)情報が錯綜するだけだもん。

 

 

私が感じるに、言葉で単純明快に言い表わせることの方が、世の中には少ないと思います。人間だけでなく、ネコと暮らしても、そう思いましたもん。ネコとて、生まれ出でた瞬間から様々な状況に影響され、複雑な人格(猫格?)を有しますからネ。ネットの誰かさんの言葉よりも、一緒に暮らしたネコが私に投げかけた眼差しの方が、この世の色々なことを要約して教えてくれたように思います。

 

 

毎日、核心を言い当てたように吐き出される言葉の数々に対して、いちいち関心して「真実を知った」なんて思い込んでばかりいたら、カラダとココロがいくつあっても足りんです。その「ありがたい格言」を聞いたところで、今日から自分が生まれ変われるか?‥‥と言ったら、残念だけどNOですよネ。人は簡単には変われない‥‥です。「いい言葉を聞いて参考になった」とか言いながら、数年後にはサッパリ忘れてたりするでしょ。

 

自分の中に、本当に心に残り続ける言葉なんて、簡単にネットじゃ手に入らないですよネ。

 

悩み苦しみ傲りヘコみ怒り悲しみ喜びながら、謙虚に傲慢にフラフラよろめいて、ぶざまで複雑な自分と死ぬまで一緒に生きていく覚悟で、日々を送っていくだけです。

 

 


エッセンシャルオイル

オタク疲れ。‥‥ああ、確かにそういう面はありますネ。

 

 

 

まあな‥‥。アニメを制作するという本質が、リアルな世界(世間一般的な世界)から少し距離を置いているような部分がありますから、何とも。

 

「主人公の性格的に、こういうポーズでこんな演技は云々」なんて、少なくとも私の両親が熱く議論しているのを見たことは一度もありませんでしたからネ。50歳近くになって、美少女キャラのハイライトのフォルムの変化に、After Effectsのディストーションエフェクトを駆使する‥‥なんて仕事、あまりにも特殊だもんネ。

 

 

ちょうど今日、作品に滲み出す表現というのは、大量に知識がある中から絞り出されてくる一滴のエッセンシャルオイルのようなものだ‥‥と話していました。

 

たまに、「とってつけたような表現」ってあるじゃないですか。‥‥あれって、自分の中からは絞り出てこないから、「型」を誰かのどこかの作品から拝借した結果だと思うのです。そんな話を仕事仲間と話しておりました。

 

例えば、ハードな香りのするミリタリー表現って、ネットでいくら検索しても醸し出せるものではなく、本人がどれだけミリタリー関連の知識を貯め続けて、そこから絞り出てくる「数滴」のエッセンシャルオイルを垂らせるか‥‥が、「雰囲気」のキモになってきます。

 

エッセンシャルオイルって、大量の材料から驚くほど少量しか抽出できなくて、ゆえに数滴でアロマディフューザーで香りが拡散できるのです。作品の中に滲み出す「香り」も似たようなものだと思います。

 

知識の蓄積って、何段階もあって、例えば音楽で表現すると‥‥

 

  1. この曲いいな。‥‥と気になって、好きになり始める
  2. 一般的な「ベスト盤」を買う
  3. 各アルバムを買い集めるようになる
  4. 演奏者のソロアルバムなんかにも手を出す
  5. 演奏者と同時代のアルバムにも手を出してジャンル全体に興味が湧く
  6. そのジャンルのアルバムもアレコレと買い始める
  7. 好きになった演奏者や楽曲が影響を受けた楽曲にも興味がわく
  8. 音楽の「潮流」的なものにも興味が湧く
  9. 何十年にも渡る音楽の変遷を知るようになる
  10. 買うアルバムがどんどん増える

 

‥‥とまあ、嗚呼、まさに「オタク疲れ」の世界。

 

でもこうした蓄積があってこそ、ほんの1パッセージで時代性も聴き分けられるようになります。モーツァルトの時代に、ラフマニノフスクリャービンのフレーズや和音が登場しない理屈がわかりますし、モーツァルトの前にJ.C.バッハがいて、J.C.バッハのお父さんは「大バッハ=J.S.Bach」みたいな、ポリフォニーからホモフォニーへと変遷していく流れも、楽曲の音使いで解るようになってきます。

 

もしアニメで、フランス革命前夜の貴族の館で、いかにもSteinwayのような鋼鉄フレーム製ピアノの響きが流れてくるシーンが出てきたら、「ああ、このシーンの香り作りは諦めたんだな」と感じるでしょう。平均律でどんな調でも響きが一律で、産業革命の申し子のような近代ピアノの響きは、音色だけで時代を表現できます。ハープシコード、フォルテピアノ・ハンマークラヴィーア‥‥といった鍵盤楽器の変遷を知っていれば‥‥です。

 

ミリタリーも、イーグル1機で表現できるニュアンスというものがありますが、そのニュアンスを自由に操作するには、付け焼き刃の知識ではどうにもならんのです。スパローかアムラームか‥‥なんてところでも色々と表現できますが、「ミサイル」としてしか認識していないんじゃ、香りもへったくれもないです。

 

「そんなの、世界の人間の全員がマニアじゃないんだから、関係ねえよ」と思いがちなのですが、あくまで「香り」として作用するものなので、ぽたりと落ちたエッセンシャルオイル単体に目を向けて議論しても埒が明きません。むしろ、世界中の人間がマニアではないからこそ、香りを嗅がせる手練手管を如何に駆使するか‥‥という話です。

 

作品の「香り」を諦めてしまうか否かは、制作者サイドの知識量から滲み出すエッセンシャルオイルの有無が深く関わってきます。

 

マニアと同等の知識を持たない人でも、なんとなく解るニュアンスというものがあって、「なんか、妙にリアルな物々しさがある」とか、「理屈はよくわからないけど、劇中の独特の雰囲気を感じる」みたいな、作品中の「香り」を嗅ぐことができます。

 

制作者側としては、いざという時に、最適なエッセンシャルオイルを垂らせるのが理想ですよネ。

 

 

なので、制作側のスタッフには、いろんなジャンルの「好き者」が必要なのです。皆が戦闘機・戦車オタクばかりではジャンルが狭過ぎてアカンですが、服飾、トラディショナルな模様、時計などの工業製品、武具、ドレス、髪型、制服、絵画、歴史、動物、鳥類、魚類、etc‥‥と、色んなマニア・オタクがいてこそ‥‥です。

 

まあ、だから、「XX作品のOOというキャラが大好きです!」なんていうアニメオタク要素は現場にはさして有効には作用しません。それは自分の胸のうちに秘めておけば良いことで、仕事にそれを持ち出す機会もないでしょう。‥‥まあ、間接的には影響する(自分の技術スタイルの根っこなどに)とは思いますけどネ。私は自分自身の中に、永井豪さん、松本零士さん、吾妻ひでおさん、水木しげるさんと言った幼少の頃に読んだ漫画家さんからの強い影響を感じますし、旧作ど根性ガエルのAプロ系の動きに今でも深い愛着がありますが、それは胸の内で良いのです。

 

制作サイドのスタッフであれば、ぜひ、「好き者一直線」を貫いてもらって、色々な知識の集合体として作業現場を形成できたらいいな‥‥と思っています。

 

 

ちなみに「こだわりのモノたちばかり集めても、そのアイテムが日の目を見なければ意味がないかも・・・」なんて診断されてますが、その辺は大丈夫。日々、次から次へと、繰り出しておりますから。

 

‥‥私の歳くらいになると、蓄積から放出へと向かうのかも知れませんネ。

 

 


滅びの哲学

今から72年前の1945年の3月10日。爆弾(焼夷弾)をしこたま抱えた飛行機の大編隊が、日本人をひとりでも多く殺す目的で、空の向こうからやって来て、東京を火の海にして去っていきました。私の母の一家は、1944年当時、高円寺に居を構えており、母は幼いながら、空襲で真っ赤になった夜空を見た‥‥と記憶しているようですが、なにぶん幼かったので、1945年の3月は既に疎開して地方都市の空襲を見たのか、まだ疎開しておらずに東京の空襲を見たのかは、確かな記憶はない‥‥とのことです。

 

よくよく想像してみると、「空の向こうから、自分たちを殺す目的で、爆弾を抱えて飛行機がやってくる」って、スゴいこと‥‥ですよネ。

 

しかし、近代戦争だけが残酷なわけではありません。NHK大河で度々取り上げられる安土桃山の戦国時代だって、かなり、エグいです。

 

甲冑武者や日本刀を見ると、これらの道具が、どれだけの人間の血肉を切り刻んだのか、戦場を駆け巡る武者たちの残忍な姿を想像せずにはいられません。

 

戦車や戦闘機をかっこいいというのは不謹慎で、鎧の戦国武者をかっこいいというのは日本情緒があってOK‥‥という感覚は、私は全く同調できません。現代も近代も中世も、どの兵器も等しく、残酷なものでしょう。流鏑馬を見て、「日本の武士はいいわね〜」なんて言うひともいるでしょうが、戦場だったら、的はモロに生身の人間ですからネ。

 

しかし、武器は、敵を打ち倒して自分は勝ち残るという、闘争本能の権化であるからこそ、おしなべて、冷酷な機能美を体現している‥‥とも思います。

 

 

 

‥‥‥あ、のっけから脱線した。

 

今回書こうと思い立ったのは、全然別のベクトルの話題です。

 

日本人には、「ダメだとわかっていても、滅ぶ運命と共に、殉死する性質」があるのだろうか?‥‥という話です。

 

 

1945年3月10日に、東京をあれだけ焼け野原にされても、すぐには戦争をやめられなかったし、もっと酷いことになるであろう本土決戦の準備を着々と進めていた当時の日本人たち。

 

「状況が酷い事はわかっているし、劣勢なのもわかりきっている」のに、方針を転換できなかったどころか、より一層、まるで無理心中のその瞬間まで戦い続けるんだという狂気が、ごく普通に毎日の生活の中に浸透していたであろう、1945年の日本。一般の人々は虚偽の情報に欺かれていた‥‥とは言いますが、一夜にして東京が焼け野原になって、なぜ情報のウソに気づけなかったのか。

 

日本人には何か、「たとえダメだとわかっていても、最後までやり通すんだ」という「滅びの美学」のようなものが、ず〜〜〜っと心の奥底に存在し続けている‥‥のでしょうかね?

 

軍国教育、軍国社会の強い影響下に、日本人は洗脳されていた‥‥というのは、果たして正解でしょうか。

 

 

私は、現代の日本社会を見ていると、決して軍国教育だけが1945年までの日本人の行動指針を決定づけていたとは思えません。

 

そもそも、日本人には、土地と共に生き、土地と共に死ぬ‥‥という土着の精神が深く根付いているのではないでしょうかネ。

 

そして現代社会においては、その「土地」が、ひと昔前は「会社」や「組織」であったり、アニメ制作の場合は「アニメ業界」であったりするだけ‥‥だと感じます。

 

 

動画単価は一時期200円台まで上がっていて、私が新人の頃(1980年代後半)の2倍までにはかろうじてなった‥‥という認識でいました。‥‥なので、人から話を聞くまで、再度200円を下回った単価(190円とか)が存在するなんて、夢にも思いませんでした。仕上げだと160円とか。‥‥正直、耳を疑いました。

 

なんで、単価が下がってんの?

 

だってさ、昔より遥かにキツくなっているんですよ。動画の品質要求は。

 

明らかに破綻していますよネ。確実に破滅の道を進んでいますよネ。単価は上がりこそすれ、決して下がってはいけないと思うのに、内容の高い要求水準に反して、単価が下がっていく状況は、まさに業界の「終わりの象徴」とすら感じます。

 

動画の人が6万円でキツくて辞めた‥‥という話題がちょっと前にツイッターで話題になりましたが、それはその動画の人が所属していた会社云々の問題ではなく、業界全体の問題です。

 

 

東京は大空襲で焼け野原になったけど、日本が負けたわけじゃない。

 

 

‥‥これと同じことを、アニメ業界は繰り返そうとしているだと思います。

 

東京が大空襲で焼け野原になった時点で、日本は気付くべきだったのです。そうすれば、私の祖父もカンギポット山で終戦1ヶ月前間際に死ぬこともなかったのです。

 

核爆弾を2発、大都市に投下されて、ようやく、「もうそろそろ終わりにしないとヤバい」と動き出すのは遅すぎた‥‥と思うのです。

 

 

大東亜戦争の子や孫たちは、同じ構造の「滅びの哲学」を、あいも変わらずに「同トレス」しようとしている‥‥のでしょうか。

 

 

 

既に死んでしまった監督演出のわたなべぢゅんいちさんが、その昔、私が20代前半の若い頃に教えてくれた日本のポップスで、前にも紹介した「夏への扉」の一節が思い起こされます。

 

 

あきらめてしまうには まだはやすぎる

 

扉の鍵を みつけよう

 

 

 

 

みなさんは、「扉の鍵」をみつけようとしていますか。

 

扉から外に出て、生きるか死ぬかも判らないのなら、いっそ、馴染み深いこの部屋の中で死ぬんだ‥‥とばかりに、未来を閉ざされた部屋に閉じこもり続けて、何になりましょう。今、生きているのに、今、死ぬことを決めちゃうんですか?

 

負けは負けと早々に認めて、今まで積み上げたプライドなんか捨ててしまって、まるで幼子のころに戻って、新しい道を模索すればいいのです。

 

私は全然、1%足りとも、未来を諦めてはおりません。

 

 


生き詰まり

先日、耳にした話で、動画や仕上げの単価が徐々に下がる傾向は続いており、動画は200円を切る場合もあったり、仕上げは160円なんていう単価もあるようです。

 

私が学校を卒業して18歳でアニメーターになった時の、動画の単価は120〜130円。80年代後期、線の量のエスカレートした作品が急激に増え、月千枚をコンスタントに描くのはかなり厳しく、家賃三万円台の物件が豊富にあった私の時代ですら、月6〜8万円ではまともに生きていけないことは判明していました。

 

で、2017年の今は、遥かに線が多く、クオリティも要求される状況。

 

 

 

完全に行き詰まっていますよネ。日本のアニメの作り方。

 

 

 

でも私は、「行き詰まり」というよりは、「生き詰まり」‥‥と思うのですよ。永遠に成長し、永遠に機能を維持できて、永遠に生き続けられるものって、存在しないと思うからです。

 

老いは受け入れるべきで、それはアニメ業界も同じことです。

 

人間は歳を重ねるごとに、知識も経験も増え、相応にやることも増え、やったことに対する責任も増え‥‥と、どんどん重荷が増していきます。そして、いつしか、老人となり、第一線を離れ、仕事を辞め、隠居する‥‥という流れです。

 

アニメ制作も同じではないですかね。

 

年代が進むごとに、知識と経験が蓄積してアニメ制作技術が向上し、色々な作風のアニメを作るようになり、品質に対するハードルもあがり、どんどん、どんどん、重荷が増して‥‥。

 

このままのベクトルで進み続ける「わけがない」ですよネ。

 

いつかどこかで、限界値に達して、縮小へと転じるはずです。

 

アラウンド50のスタッフなら、「ああ、自分の身に置き換えれば、思い当たる節がいくつも」と感じるはずです。日頃から「自分の体力に過度に期待する方針は、どこかでストップしなければ」と思っている‥‥でしょう?

 

アニメ業界も同じじゃないですかネ。アニメ業界自身の「体力に過度に依存する」やりかたは、もう通用しなくなるのだと思います。なにものでもなく、アニメ業界「自身」が老いたからです。

 

アニメ業界は、自分自身の体力に過大な自信を持つがゆえに、自分の知識と経験を継承する「子供」を作らなかったし、育てようともしなかった節があります。

 

つまり、アニメ業界の技術は、このまま、「老いを認めない」で行動し続けると、冗談抜きで「一代限り」で消滅する可能性は高いです。

 

 

 

既にそうした危機感をリアルに感じている聡明な方々は、たとえ今はよちよち歩きで幼くても、新しい技術に自分らの「技術の遺伝子」を継承させるべく行動していることでしょう。私も微力で小規模ではありますが、幼い新技術を育てております。

 

現時点では立って歩くこともままならない幼子ですが、今のアニメ業界の技術だって、生まれた頃は同じだったじゃないですか。恐ろしく幼かった‥‥ですよネ。

 

 

積み上げたものをバラして壊すのは、「せっかくここまで積み上げたのに‥‥」と切ないでしょうし、得た技術は手離したくないのも人情でしょう。

 

でもね、‥‥老いたのです。アニメ業界の、思想も技術もシステムもノウハウも。

 

老いて機能が低下し、劣化してしまったからだで、どんなに欲張っても、もう若い頃のように、ウフフキャッキャとはしゃぐことはできないのです。

 

目をそらさず、その事実と向き合わなければ、老いた先でとんでもない破綻がまっているかも知れません。

 

老いた自分自身に全く気がつきもせず、若い世代に老いた思想で洗脳を試みて、大量の脱出者が毎年出る‥‥なんて、あと何年何十年、続けるつもりなのか。

 

 

業界の老いを認めて「覚悟」してしまえば、逆にポジティブな発想も浮かんでくるのではないでしょうか。

 

絵コンテ? 原画? 作監? 動画? 撮影? ‥‥その制作システムの老いを認めた上で、若い層、中堅、ベテランともども、「新しい何かを始める」のが良いと、私は思います。



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