CCのコスト

AdobeのCCが発表された2012年、とびつく勢いですぐに契約しました。なぜかというと、バージョンアップの料金に毎年苦しんでいたからです。

 

記憶が曖昧ですが、メジャーバージョンアップが2.5〜3万円、マイナーバージョンアップが1.5〜2万円くらいだったように思います。それをメインのソフト=After EffectsとPhotoshopで2つをほぼ毎年、サブのソフト=Dreamweaverを2年間隔くらいで、更新するのは相当キツかったです。

 

キツいと言っても年間6万にはなりませんでしたが、その代わり、IllustratorやPremiereやInDesignやFlashはハナから諦め、Dreamweaverなどサブ使用のソフトは数年前の古いバージョンに甘んじなければなりませんでした。

 

Creative Suite=CSのセットをまず最初に買うには、手頃なセットで20万くらい、フルセットだと30万越えだったようにも記憶します。それでも単体で5〜15万円のソフトを個別に買うよりはずっとお得でしたが、そのセット内容を全部、年ごとのバージョンアップに対応させるのは、個人の自腹では相当厳しい状況でした。そのうちに虫食いバージョンアップになって、放置していたソフトはバージョンアップ有効期限を失効する‥‥なんていうオチになります。

 

つまり、そもそもイニシャルコストが捻出できず、無理してCSのセットを買っても、その後の維持=バージョンアップがままならず、節約すればそのぶん使うソフトと機能が限られ、どんどん状況が変化する映像産業の技術に追随しにくくなる‥‥という痛い箇所ばかりでした。

 

なので、月5千円=年間6万円とは言え、すべてのAdobeアプリケーションが、すべて最新版で使用できる、2012年の新しいソリューションの「CC」にとびついたのです。

 

 

 

年間6万円。‥‥微妙な値段です。安いとは言えず、むしろ高いとは思いますが、月5000円の引き落としでアドビの最新版フルセットが使えるのは、昔からそれなりのお金をつぎ込んで使ってきたユーザとしては、決してバカ高いわけではないです。

 

最近は同じ月5千円のアカウントで、iPadで使うiOS版のアドビのアプリも制限なく使えます。来年リリースとの公式アナウンスのあったiOS版Photoshopと、「ようやく」アドビが繰り出したドローソフト「Project Gemini」も、同じ提供形態になると思われます。

 

そうなんだよね‥‥。1ライセンスいくら‥‥で買ってた頃は、新しいアドビのソフトが発売されても、手が出せなかったんですよネ。だって、まず最初に5〜15万くらいかかるし、その後のバージョンアップ料金の負担も1ライセンス分増えますし。

 

 

 

今まで何度も書いてきましたが、コンピュータはかなりの金食い虫です。アドビの月5250円だけで済むわけではなく、クリスタもサブスクリプションですし、定期的なマシンや周辺機材の買い替えも毎月の支払いに換算すれば、相当な額に達します。

 

アニメの作画机が一生物だった頃とは、キッパリ大きく愕然と、状況が変わります。毎月、お金を「環境を維持するためだけに」吸い取られ続けます。

 

金を食われる状況に身を置くのなら、食われたぶん、自分の状況のプラスに作用させないと、ただの食われ損です。

 

コンピュータを導入する前と後では、たとえ個人レベルであっても、ビジネススキームの違いをハッキリと認識して、日々の仕事と作業に反映させることが重要です。じゃないと、単に趣味でコンピュータが好きな人に留まるだけです。

 

もしコンピュータを自分の絵や映像を作る仕事のツールとして導入したのなら、その導入が大きな実利をもたらすように、アクションを変えねばならないでしょう。

 

 

 

「自分はただ純粋に絵を描いていたいだけなんだ」と思う人もおりましょう。しかし、絵を描くのを趣味ではなく仕事にしちゃったのなら、仕事としての損得勘定、ビジネスとして展開上の「狡猾さ」は、どうしても必要です。

 

絵を描くことを職業に選ぶことは、決して、大人になっても子供の感覚のままで生きるための隠れ蓑ではないはずです。

 

「あなたの才能に惚れ込んだ。あなたは自由に絵を描いていればそれでいい。必要なお金は全部私が用意する。」‥‥みたいな、夢のようなパトロンでも出現しない限り、自分自身の行動によって、自分の仕事が有利に展開するように、戦略と戦術を練る必要があります。それが絵を描く本筋と隔たっていたとしても、ホビーをビジネスに変えた人間の宿命なのです。

 

 

 

Warez(今はほとんど聞かないスラングですね)で凌いできた人ならともかく、正規のルートで対価を支払ってソフトウェアを購入&維持してきた人は、そのコストがどれだけ積み重なって生活費に影響を及ぼすか、強い実感があるはずです。時には、ソフトウェアの更新に合わせて、予定になかったマシンの買い替えの必要性にすら迫られますしネ。

 

「私はアニメ業界のアニメーターです。」という旧来のスキームから抜け出して、アニメ以外の画業も自分で開発していかなければ、コンピュータ機材を主軸とした自分の作業環境を良好に維持するのは不可能です。アニメの作画料金だけで維持できるほど負荷は軽くないです。

 

他の出費を抑えて充てる‥‥という思考だけでなく、自分のビジネスとしての、画業のとしての、「生涯視野のスキーム」を再考する必要があるでしょう。たとえ社員として雇用された若いアニメーターでも、20〜40年後の自分はどうなっているかを考えれば、「会社に依存しきる」のはNGです。

 

自分の身を守ってくれるのは、会社でも業界でもなく、最後は自分ですもんネ。

 

CCをはじめとしたサブスクリプションを、どう自分の「生涯の仕事」に作用させていくか。

 

ストラテジーとか言うと大げさかも知れませんが、個人レベルでも戦略規模でものごとを思考して、確実かつ地道に実践していくことが必須だと思います。

 

 

まあ、メーカーとしてのアドビは、耳障りの良い宣伝文句ばかりを押し出してきますが、それはそれで適度に受け取って適度にスルーしておきましょう。「我が社の製品を導入すると、こんなに負担が増えますよ」なんて宣伝する企業は、どこにも存在しないですからネ。

 

なので、宣伝文句ばかりに浮かれず、月5250円の負担を冷徹に捉えて、自分の仕事に作用させてどのように実利へと導いていくか。

 

その程度はあらかじめ考えておいても、「考えすぎ」にはならないと思ってます。

 

 


CSとCC

アニメ業界が今でもCS5.5やCS6を使っているのは、業界内部では広く知られた現状です。外部の一般の人にはあまり知られていないとは思いますが。

 

「なぜなの?」と普通の人は思うはず。CS6がサポート終了して結構経ちますし、いったいどれだけ前のバージョンかも忘れるくらい古いバージョンですが、理由はまあ、すごくシンプルに言えば、金がないからです。あらゆる方面において。

 

CS6を最新のCC2019にアップするためには、複数のハードルが存在します。

 

ライセンス買い切りではなく、定額の使用料金を、スタッフのアカウント分、支払い続けるための金

 

CCへの更新にともない、ハードウェアの性能=必要システム環境をアップするための、機材買い替えの金

 

CCへの更新にともない、別購入のプラグインの更新のための金

 

CCライセンスを整然と運用するためのシステムメンテナンススタッフを雇用するための金

 

最新のCCだとアニメの撮影ができなくなるという話では全くなく、PhotoshopやAfter Effectsを更新できない会社に合わせて、業界全体が引きずられているに過ぎません。

 

 

思うに、アニメに関わる会社が、AdobeのCCに更新できた時が、「大きな変化の象徴」だと感じます。

 

必要なお金を捻出できずに、昔のまま、作り続ける。

 

‥‥‥それって、AdobeのCCに限ったことではないですネ。原動画の一律で安い単価のまま作り続ける、アニメ業界の体質そのものにも通じることです。

 

「必要なお金を捻出できずに、昔のまま、作り続ける」状況が、「必要なお金をちゃんと捻出した上で、新しい社会や環境の基準に合わせて、作り方を変えていく」意識と実態に変わるということは、アニメの現場が変わり始めた象徴と言えるでしょう。

 

 

CS6を使い続けていれば、購入時以後のお金は発生せずに、相当なコスト抑制にはなりますが、新しい時代の新しい映像技術基準からはどんどん立ち遅れていき、前時代的作業環境と前時代的品質に留まることにもなります。

 

「じゃあ、どこかで一斉にCCにしちゃえばいいじゃん」とか思いがちですが、CCはCS6と違って「買い切りではない」ので、CCを使い続ける以上は延々とお金がかかります。今までのアニメ業界の「作画机を買ったら何十年でも使える」と言った「昔の作業環境の意識」のままでは、CCの料金制度は容認も許容もできない部分です。「ソフトを買って、その後はあまりバージョンアップしないで、費用を節約する」ということができなくなります。

 

 

一方で、ソフトウェアを作る会社側も、一度ソフトを売ったら、延々とバージョンアップとメンテナンスを無料で提供し続けるなんて、無理です。

 

「Windowsのバージョンが上がって動作しなくなったから、アップデータを無料で供給しろ!」と、最初にソフトウェア購入のお金だけしか払っていないユーザが主張するのは、「どんなに乗っても壊れない乗用車を売れ。もし壊れたら無償で修理しろ。」というようなものですから、それがどれだけ非常識なことか、お分かりかと思います。

 

ソフトウェア会社は霞を食って生きているわけではないです。霞では食えない‥‥はもう、お互い様‥‥ですよネ。

 

つまり、どういうことかというと、

 

アニメ業界内部の慣習や都合だけでエコシステムを形成する時代は終わろうとしている

 

‥‥のです。ハードウェア、ソフトウェア、ネットワークなどのインフラ、そして社会的な労働の基準も含め、過去のままでは済まないわけです。

 

その時代的変化を受け入れられるか、受け入れられないか、まさにCCの導入が象徴的に物語っています。

 

 

ものすごくバッサリ言うと、CCを導入できない制作集団は、過去から続く色々な物事を変えられない集団で、CCを導入できた制作集団は、新しく変わる可能性をもった集団‥‥とも言えるでしょう。CCを運用する時点で、お金の問題はクリアする必要がありますもんネ。まあ、CCを導入しても旧態依然とした作り方は可能なので、あくまでも「変わる可能性」ではあります。

 

しかしねえ‥‥‥。アニメ業界の暗部を知る人は、「まさか、CCの導入のために、人的コスト=報酬・単価を削ったりするんじゃないか」と嫌な予感を感じる人もおりましょう。‥‥たしかに、そういうことをしそうな業界なのは否定できません。

 

もしかしたら、10年後にPhotoshopがバージョン30だ!‥‥とか言ってる世の中で、アニメ業界はCS6を使い続けていたりして。

 

‥‥そこまでキモが座っていれば、それはそれで凄いのですが、アニメ業界って一方で「簡単に尻馬にのる」性質も持ち合わせているので、果たして2020年以降はどうなることか、歴史とともに歩むばかりです。

 

 


ループ中

Fireの10が4200円割引でお手頃価格で手に入りますネ。10/22までのセールのようです。

 

 

4200円割引だと、11780円。1920pxを10インチに詰め込んだ高詳細パネルで、操作感もきびきびと動くタブレットが、12,000円って、凄過ぎです。

 

64GBのSDカードを足して96GB仕様にしても、14,000円未満って、他では真似できない内容です。‥‥まあ、Amazon的にはビジネススキーム全体での目論見があるのでしょう。

 

 

「そう言えば、昔の8.9インチのFire HDは遅くてトロくて、結局使い物にならなかったなあ‥‥、今のFireはかなり頼りになる存在だなあ‥‥」と何気なく考えていたら、ふとデジャブのような不思議なキモチになりました。

 

前にもあったぞ。この感じ。

 

まさに、MC68040、PPC601、604、G3‥‥と、映像やグラフィック用途でどんどん「使い物になっていった」Macの歴史をトレースしています。Windowsの場合はどのようなプロセッサの経緯になるのか実感が薄いので、Macで例えておきますが、どうやら、私の中で体験がループしています。

 

来年にはPhotoshop CCの完全版がiPadで動作し、Mac/PCと横断作業ができるようになるなんて話を聞くと、一層、20年間の状況が姿を変えて再演してループしているのを感じます。

 

ぶっちゃけ、Mac/PCは行き詰まった感があります。よほど大きな何かでもなければ、今後、特筆すべき性能向上は無いように思います。画期的なプロセッサの出現とか、そもそもノイマン型など旧来アーキテクチャとは全く違うコンピュータの出現とか、現在の「速度盛り」「容量盛り」の流れとは違った「何か」が現れないと、「今度はiいくつ? 何GHz?」と言った小更新に留まるでしょう。

 

実際にiMac Proを使っていても、4K HDRでの制作には「足りない感」があり、コンピュータは最近ずっと、足踏み状態だなと感じます。‥‥やっていることがどんどんエスカレートして過多・過重になっているのもあるんですけどネ。

 

 

一方、iPad Pro。Fire。

 

私が使っている第2世代のiPad Proは、容量が512GBで「Display P3」の色域を持ちます。まあ、Appleの言う「Apple節のP3」はどのような仕様で何nitisかもナゾなんですが、プロクリやクリスタですいすい絵を描いても、膨大な容量の半分も使い切れません。

 

もちろん、iPadではAfter Effectsのようなソフトで重い作業をしないので、軽快さを保てているのでしょうが、タブレットPCの歴史だけで言えば、恐竜的進化の真っ只中です。iPad miniとかiPad 2とか、昔のMacで言うと鈍足なPPC601の6100や8100のごとくですが、現行機種は601〜604のPowerPCくらいの性能向上にはなっているでしょうかネ。

 

現行のFireも同じで、明らかに昔のFire HDとは、動作のキビキビ感が違います。2010年代前半のFire HD 8.9は、同時代のiPadに比べて動作が鈍く、「性能の差は値段の差か」と諦めたものですが、今は動作に関するストレスは感じません。ハードではなくソフト面、‥‥すなわち、Fire OSの機能の乏しさが目立つようになっています。まあ、本体の性能が向上したので、今度はOSが問われるようになった‥‥ということでしょうネ。

 

ふと自分を冷めた視点で見ると、自分がここまでiPadやFireに「熱中」しているのは、結局、1990〜2000年代に自分でもアホと思えるほどMac・PCに熱中したのと同じことを繰り返しているんだと思います。

 

現在はMac/PCは必要に応じて買い換える程度の頻度の低いローテーションに落ち着きましたが、その代わりに、iPadやFireを毎年のように買っているのですネ。外食や呑み代にお金を使わない程度の倹約で、十分、Fireは買えますし。

 

 

そうか‥‥。自分で言うのも何ですが、最近、据え置き型のコンピュータにあまり興味がなくなっていたのは、その性能向上の鈍さもあるけど、もっと大きな理由は、iPadのようなタブレット型PCに大きな可能性を感じて引き寄せられているからだった‥‥のです。

 

なんか、ちょっと考えればわかることで間の抜けた感じですが、自覚がなかった‥‥。今、気付くか? ソレを。

 

 


生死を忘れ

人間って、生きていることと、死ぬことを忘れがちな生き物ですよネ。‥‥いや、もしかしたら、猫や犬も同じかも知れません。生きているのが当たり前‥‥のように生きていくのが「生物」の常なんでしょうかね。

 

100年後の世界は存在するであろうに、私はその世界にはもういない。‥‥恐ろしい事実ですよネ。いつか自分が死ぬなんて。

 

生きているのは辛いけど、死ぬのは怖くない。

 

生きているのは楽しいけど、死ぬのは怖い。

 

どっちがましなのか。

 

 

「自分探し」ではなく、「自分失くし」をむしろすべき‥‥と、ラジオでみうらじゅんさんが話しているのを聞いて、そうだよなあ‥‥と思いました。色々なものを捨てて、最後に残るのはなにか。


実は私、そういう「自分失くし」の体験を20代のフリーアニメーター時代に通過しているので、肝はかなり座っていると自覚してます。「気分だけ」でなく、実際に生活まで闇に落ちた時代があったからこそ、最後に残ったものが解りました。

 

あのドス黒い闇の中から生還できたのは、自分ながら奇跡だったと思います。実際、お金が稼げずに、生活のインフラ=ライフラインが全て停止して真っ暗な夜をアパートで1〜2週間も過ごした(=一度ではなく何度も‥‥)ので、まさに闇の中そのもの‥‥でした。

 

思うに、そこまで落ちぶれ果てたからこそ、「生き死に」に関する「基本的な部分」をこじらせずにその後に済んでいるのでしょう。水道を止められれば、クソも流せないですが、そのクソを排泄したのは自分ですからネ。

 

 

毎月決まった額のお給料を貰える身分で、自己肯定ができない人

 

完全出来高で稼げなくてインフラも止められるような身分で、自己肯定を沸々とたぎらせている人

 

どっちがましなのか。

 

私にはよくわかりません。どっちがましか‥‥は。

 

ただ、自分の体験に由来する実感からすると、ライフラインが止まる生活まで追い込まれると、「自分の生きている状況」を、まざまざと実感します。「ライフラインは死んでるのに、オレは生きてる。‥‥なんだこれ???」と、月明かりがやけに明るく感じる窓外を見ながら、生きていることと死んでないことがリアルに刻々と身に染みるのです。

 

一生懸命取り組むほど金が稼げず、水道が止まってウンコも流せないほどのミジメな生活に落ちぶれて、でも、そのウンコを尻穴から絞り出して生きようとしている自分のカラダはあって‥‥と、「人生真っ暗闇」気分でもクソはするんだな‥‥と何とも滑稽に思えたものです。

 

自分の未来に何があると、錯覚していたのか。自分の中にどんな素晴らしいものが宿っていると、錯覚していたのか。‥‥妙なプライドは、クソと一緒にバケツの水で流れていきました。

 

ガラスのプライドを大切に守り続けて、どこか一部にヒビが入れば大騒ぎ。‥‥捨てちゃえば良いのですよ。そんな厄介なこわれものは。どうせ、遅かれ早かれ、ぶっ壊れるんだし。‥‥粉砕機にかけて粉々にしても良いくらいです。

 

でもねえ、やっぱり、捨てられない人は多いよネ。まず、そこまで状況的に追い詰められないもん。毎月定額の給料がもらえている時点で。

 

 

産まれて生きて死ぬ。己が、そうした人間の基本的な「生き死に」のトランスポート層の上にのっかっていることを、私は会社に所属するようになっても、忘れることはないです。人間の一生は、学校や会社や業界のコンテナに積まれ続けるわけではなく、やがて積み下ろしの時期も来ましょう。すべては終着点に向かう旅ですよネ。

 

生きてるんだったら、死ぬまでにどれだけできるか、それを考えることにしてます。

 

死んだら、何もできなくなりますもんネ。

 

 

*今回、排泄物の単語が何度も出てきましたが、私の当時の状況の吐露と解釈くださるよう、お願い申し上げます。

 

 

 


忠誠の習慣

日本のアニメーターは、類い稀なる突出した能力を有しているにも関わらず、「絵を描くことをハンデにしている」ような状況を感じます。

 

線画以外を描こうとしない

アニメの仕事以外をやろうとしない

ネットなどの現代のインフラを仕事の広がりに活用しない

アニメの仕事の形を変えようとしない

 

なぜ?‥‥なんでしょうね。

 

私のような1960年代生まれも、20代の若い1990年代生まれも、「学校で良い子」であることを子供の頃から叩き込まれて、「道」から外れることを「悪しき」とする思考が根付いちゃっているのかな‥‥と思います。

 

「なぜ、アニメーターは反乱しないのか」という記事を読んだことがありますが、反乱しないのはアニメーターに限らず、仕上げも撮影も同じで、もっと言えば日本で育って社会人になった人間の多くは「自分の仕事を所与の形として認識して、それを疑わない」気質と言えます。

 

‥‥で、何か指摘されたり注意されたりすると、容易に不快な気分になったりします。それはなぜかというと、「自分はこんなにルールを守っているのに」という意識が根底にあるからだと、常々考えています。

 

「おれはちゃんとやっている」‥‥の「ちゃんと」の実体とはなんなのでしょうネ。それはアニメーターで言えば、

 

線画だけに専心する

アニメの仕事だけをやる

昔からのアニメ業界のインフラだけで仕事をする

アニメの仕事の旧来の形を守り抜く

 

‥‥ということなのでしょう。

 

となれば、たしかに、どんなに絵の能力が高くても、線画の原画仕事以外に目はいかなくなりますよネ。

 

でもさ。

 

「アニメ業界の忠臣」を体現して、「主君からどれだけの恩給を与えられる」のでしょうか。「サムライジャパン」の気分に浸って、「アニメ業界のサムライ」とばかりにアニメの線画仕事だけに忠誠を誓って年月を重ね、‥‥で、手元に残ったものはなんでしょうか。貧困の老後?

 

手がけた多くの原画仕事の全ては自分の著作権を主張することは難しく(他人の考えたキャラとストーリーで、他人が書いた絵コンテに基づいて、原画を描いているのですから、著作権の主張は無理過ぎるでしょう)、かと言って、権利などなくてもどんどん稼げるほど作業単価が良いわけでもない。

 

そんな酷い現状の中、一体、何に対して、忠誠を誓っているのでしょうか。

 

子供の頃から植え付けられた「忠誠心の習慣」だけで行動しているんじゃないですか。

 

 

私は、もし群れがリーダーに付き従うとすれば、リーダーがアルファオオカミとしての何らかの強い実力をもつからだ‥‥と、いつも考えます。年功序列でもなければ管理職の肩書きでもないです。へっぽこなリーダーには群れは追随しません。

 

では、アニメ業界の暗黙のリーダー的存在、つまり、アニメ業界を束ねているシステムは、2020年代に果たして強い力で人々を惹きつけるリーダーになり得るでしょうか。

 

なり得ませんネ。システムが老いすぎて、ヘッポコになり過ぎているのです。

 

新しい映像技術が押し寄せる2020年代に、アニメ業界の内部は「一致団結して、困難に立ち向かう集団」たり得るでしょうか。それも「たり得ない」ですネ。今後はどんどん内部分裂が進んで、在りし日のアニメ業界のシステムはズタズタに寸断され、今よりさらに酷くなると思います。お金の一点だけとっても内部は不満だらけで、かろうじて束ねているのは「アニメが好き」という各人の「アニメに対する忠誠心」です。

 

忠誠心にも限界があります。「アニメに対する憧れ」を20代で体験したのちにアニメの職を辞める人は一層増えるでしょうし、中堅・ベテランのリタイアも加速するでしょう。

 

 

 

アニメ業界人にアンケートをとって集計して分析めいたことをしても、アニメ業界が一向に改善されないのは、この10年を見ててもわかりますよネ。雇用の状態が多少でも改善されたこともありましょうが、それは、ツイッターなどの討ち死に覚悟の個人の内部告発に、制作会社がビビり始めたからでしょ。決して業界団体の功績じゃないよネ。

 

「1つの何か=アニメへの愛着」に対しての、「極度の忠誠心」から解放されるべきです。

 

アニメーターではなく、絵描きとして自分を認識するのが良いです。アニメ業界に忠節を誓う家臣になる必要はないです。

 

 

 

‥‥で、iPad Pro。べつに、Surface ProでもMobile Studio Proでも良いかも知れませんが、私が実物を知った上で推薦できるのがiPad Proだというだけです。

 

お前はAppleの回し者か‥‥とか言われそうですが、現実問題、さっくりと持ち運べて、十分な性能と機能を持ち、仕事にも使えるのは、私個人の所有する機材の現状で言えば、iPad Proです。‥‥いや、実際、Appleは次は何をDisconするか怖い企業なので、ベッタリなのも怖いんですけどネ。

 

自宅にお絵描きパソコンセットを用意するんじゃダメです。必ず、そのパソコンの前に着座しないと絵が描けない‥‥なんていう縛りは、やがてパソコンが埃をかぶることになるでしょう。

 

行動のフットワークは軽く。

 

そして、自分の思考やアイデアのフットワークも軽く。

 

 

 

アニメ業界は暗黙のうちに、スタッフが「アニメじゃないと食っていけない」という依存状態を利用しているのです。スタッフ自身も「ギャラが安い。こんな業界はダメだ」と言いながら、実は共依存関係にドップリなのです。

 

アニメ業界の家来になり下がるのではなく、あくまで、アニメ業界の仕事は単なる選択肢の1つにしましょう。共依存からすぐに抜け出すことは無理でも、iPad Proなどでアニメ仕事以外の絵を描いて、依存関係から「まず自分から」抜け出す努力をすべきです。

 

子供の頃から植え付けられた「忠誠の習慣」から、一生そのまま抜け出さないのも人生ですし、自分で「起業精神」を発揮するのも人生です。

 

まあ、死ぬまでに、どうやって生きていきたいか、‥‥‥ただそれだけではあるんですけどネ。

 

 

 


AIにお願い

Photoshopをいじる時間が最近久々に増えたのですが、塗りつぶしツールが相変わらずの使いにくさで、20年前と何も変わってないな‥‥と色んな意味で驚きます。

 

Adobeさん。塗りつぶしや選択ツールに「新しい何か」を導入して、「今、どの範囲を塗れば良いか」を自動選択して、サックリさくさく、塗れるツールを作ってください。

 

例えばAI。

 

絵をAIに描かせるなんて宴会芸みたいなことに費やさず、人間の強力なアシスタントとなるようなことに、どうせならAIを使って欲しいですネ。

 

今、少なくとも私に必要なのは、使い道にこまる絵をAIに描かせることではなく、「人間なら、そこは普通、閉じた線と考えるだろ」と判断するのと同等の処理をしてくれるソフトウェアです。

 

 

 

自動中割りとか色々とAIに期待されていることも多いですが‥‥

 

人間が描いた絵の、最大の理解者は、人間だと思います。

 

なんか、大袈裟過ぎると思われますが、AIが完璧に原画を清書して中割りまでこなしたら、それはもう、新しい人類誕生ですヨ。アニメはさ、線が簡略化されているからナメられがちですけどネ。

 

絵ってさ、当人にとって、光であり、闇でもあるでしょ? 真剣に何年も取り組めば、そういう部分にブチあたりますよネ。

 

絵に対してろくに踏み込んだ事もない人間が、研究材料とばかりに「アニメ絵」に取り組んだところで、その光と闇のメカニズムの深淵に到達できるとは思えません。

 

 

 

「でもさ。光と闇とやらの、人間の意識や思考の奥底だって、解析すれば、云々」と思う人もいるでしょう。‥‥私も実はそう思うところはあります。

 

でもさ。解析できる? 解析できると思える?

 

解析できた!‥‥と言う人は、おそらく自分の心の謎も解析できてるはずですが、如何に。

 

 

 

 

絵を描く事って、実はそうした解析が困難な人間の部分と、無線(というのは例えですが)で繋がっちゃってるんですよネ。

 

なので、そういう部分にAIを無理に活用しようと目論むよりも、例えば「萌えキャラを細かくパーツ分解して、年代ごとの形状の変化の経緯もビッグデータ化して、次に受けそうな萌えキャラを自動生成する」とか、闇も光も無縁なルーチンに徹したほうが、商業的には良いと思いますヨ。

 

あとは、話を元に戻して、「途切れた線によって描かれた「暗黙のペイントエリア」がどこにあるのか、推測する」機能とか。

 

まあ、実際、Photoshopの塗りつぶしツールは、「そこは線が繋がっているものとして、解釈してよ!」と思うことしきりなので、コンピュータのルーチンが判断して簡単に塗りつぶせるようになったら、嬉しいですネ。

 

 

 

もし、AIのようなに未来の機能に私が望むことがあるとすれば、「今までコンピュータでは融通が効かなかった場面が減って、徐々に確実に、コンピュータが使いやすくなる」ことですかネ。

 

 


辺境は魔境

もう10年以上前に、After Effectsの米国の開発者の人々とお話したことがあるのですが、その際に「何か要望はあるかい?」的な話題になったので、「dpiを任意に設定できるようにしてほしい。Mac由来の72dpi固定ではなく。」と言ったら、「???? 何を言ってるんだい? 極東の人よ。」的な顔をされたことがありました。ファイナル段階の映像効果の際に印刷(スキャン)解像度など必要ないだろう?‥‥的な。

 

その話の流れの中で、当時(2000〜2004年くらい)としてはAfter Effectsは、まさに「アフターのエフェクト」な認識であり、米国本国の開発者の人々にとっては「実物の紙とデータのやりとり」のことなど想定外・Out of 眼中なのが感じられ、「After Effectsをアニメで使うなんて、隅っこの使い方」なのをひしひしと気取ったものです。

 

東洋の辺境の地で、After Effectsを「アニメとやら」に使い始めているらしいが、まあ、ご自由にどうぞ。日本のアニメで使うために特に機能強化やサポートはしないけど。‥‥的な空気を感じたわけです。

 

時は流れて、2018年。

 

今も変わってないよネ。その基本スタンスは。

 

でも、それで良いと思っています。

 

正式な機能としてAfter Effectsにタイムシートを!‥‥的な要望もあったと聞きます。私はそういう要望はしませんでしたけどネ。なぜかというと、After Effectsをアニメの撮影ソフトウェアに染めたくないからです。コアレタスのようになっては、絶対にイケないと考えていました。そんなことをしたら、After Effectsの良さが「アニメの作業慣習に毒されて」どんどん消えてしまうと思うからです。

 

After Effectsはボルトやナットからゼロから作れる、中庸・中道な「スクラッチ性」「カスタム性」が、実は1番の魅力なのです。アニメの撮影ソフトでも実写や3DのVFXソフトでもなく、アニメの撮影ソフトでも実写や3DのVFXソフトでもあり‥‥という、「のらりくらり」感が最高なのです。何らかのワークフローに縛られないところが良いのですヨ。

 

なので、72dpi(macOSの場合)固定の状況も、変わらず仕舞いで良いと今は思うようになりました。‥‥まあ、解像度の設定くらいはあってもバチはあたらないとは思いますが、無くても良し。

 

 

まあ、大体、どんなソフトウェアも「開発者の想定外」の使い方をユーザがし始めて、「真のポテンシャルが覚醒する」と思っていますから、アドビはAfter EffectsをAfter Effectsとして、世界規模の映像フォーマットの進化に追随するようにして、整然と開発し続けてもらえばそれだけで十分です。「思いもしない使いこなし」はユーザ側でやるので。

 

仮に、天地創造の神がいたとして、生物としては身体的弱者に属する人類が土や木を油をこねくり回して「人を乗せて空を飛ぶ金属」を作るようになるとは、まさか、思わなかったでしょう。

 

辺境・魔境の自分の立ち位置を、むしろ愉快痛快奇々怪々に楽しんでこそ。です。

 

そういった意味では、旧来アニメの本流から脱して、新しい取り組みに没頭するのも、これまた辺境・異境の境地、愉快痛快なAfter Effectsの使い方です。まさか、アドビも「こんなふうに」After Effectsで「アニメの作画のソフトウェアに魔改造」されるとは思ってもいまい。

 

 

まあねえ‥‥。アニメの撮影にAfter Effectsを使うのだって、昔は「物好き」のやることだったしね。未来はどうなるかよくわかんないですよネ。

 

 

 


描きたい絵

アニメーターとして毎日絵を描いているのに、自分の描きたい絵、自分の好きな絵が、自分自身でわからない‥‥という人は結構存在するように思います。逆にいえば、オーダーがなければ絵を描けない(=キャラ設定がなければ)、他人の原作の絵しか描けない‥‥ということです。

 

「プロのアニメーターだから、発注ありきで絵を描くのは当たり前だ」というカテゴリーミステイクな話で逸らす人もいるでしょうが、発注を元に絵を描くことと、自分の生涯の中で自分が描いてみたい絵を持つことは、別物ですので何の弁明にもなりません。発注された絵を描いてお金を稼いでいても、同時に、自分の描きたい絵を描くことだってできますので、二者択一では全くありません。

 

仕事は仕事。でも一方で、自分の描きたい絵を描く。‥‥そういうことに、あまりにもアニメーターは日頃から絵を描き過ぎていて、疎いのかも知れません。

 

私は2000年初頭から10年くらい、作画の方は寡作状態で、しばらく作画から離れていたこともあり、「絵を描く仕事」に対して物理的にクールダウンできました。同時に「アニメの様式」にも醒めた視点で関われるようにもなりました。アニメ独特の「内輪受けの場の雰囲気」に呑まれずに済むようにもなりました。

 

だからこそ、請け負いの仕事は仕事として、一方で、成し遂げたいアニメーション作画(=線画だけでなく色や効果も含む)表現も明確に意識できるようにもなりました。

 

自分が求めている絵とは何か‥‥を明確に自覚できるようになったわけです。

 

 

 

結局さあ‥‥。

 

アニメで何がやりたいわけ?

 

‥‥に尽きます。それに即答できずに、「やることは他者が与えてくれる」と思っているのなら、現場に呑まれている証拠です。

 

「どうせできない」と結果を先読みして打算し始めたら、その果てに「どうせ人間は死んじゃうんだし」と何もやる気がなくなりますよネ。むしろ「どうせ人間は生きてるうちにしか行動できないんだし」と考えるべきですよね、打算するにしても。

 

今は、iPad Proだってあるし、iMacや、今度出ると噂のMac miniの新型も控えていますし、いくらでも「自分の絵を育てる」ことは可能です。フィルム時代の「線画以外に手も足も出なかった頃」ではないのです。

 

作業をこなす歯車やネジ、使い捨ての人材に、自ら進んで堕ちてどうするのか。

 

今流行りの絵を、皆で一斉に描いて、皆が「自分はイケてる」と錯覚しても、その流行りが廃れた時に残るのは何でしょう。自分の絵を持たずに、他人の流行り絵ばかりに気を遣って怖気て生きて、自分の核を形成するに努めなかったとすれば、それほど残酷なものはないです。

 

絵を趣味止まりにできず、どうしても仕事にしたくて作画の作業者になったのです。仕事の絵だけではなく、自分の絵も描き続けて何らかの商売に結びつけるくらいの野心を秘めていても、誰も咎めないですヨ。「カネにもならないことを、よくもまあ」と笑いたい奴には笑わせとけば良いのです。自分の一生ですからネ。

 

アニメの日々の仕事ばかりに体力を使って、自分の絵など描く気力もない‥‥というのはありましょう。でも、そんな中での自分の頑張りは、未来、じわじわと効いてきます。

 

まあ、絵を描くのが好きじゃないんなら、しょうがないけどネ。

 

好きなのだったら、公私分け隔てなく、絵を描きゃあ、良いんです。描きたい絵をネ。

 

 

 

 


Twentieth Anniversary Macintosh

Xs Maxの18万という値段を見るだに、「Twentieth Anniversary Macintosh」=88万8千円の頃のAppleの悪夢を思い出します。

 

Twentieth Anniversary Macintosh

 

 

この「TAM」。リアルタイムで覚えています。私がちょうど、はじめて自分のお金でコンピュータを買おうと物色していた時期で、MacかWindowsを悩んでいた頃でもあります。

 

TAMは当時としても、CPUはエントリー機種の603eであり基本性能が乏しく(今でいうと、Core i5っぽい感じか)、Boseの高価なサウンドシステムで飾り立てても、少なくとも私はまず値段で、そして性能で、全く惹かれませんでした。コンピュータで色々と絵や映像を作ろうって時に、自宅のマシンとしてTAMを選択するなんて、「高価、低性能」ゆえにあり得ませんでした。

 

TAMは、コンピュータなんてどうでも良い人間が、金持ちのコレクターアイテムとして買うものだと考えていました。

 

伝聞の噂の域を脱し得ませんが、このTAMを贈られたジョブズは、窓から投げ捨てたとも言われます。1997年といえば、ジョブズがAppleに戻る戻らない的な時期であり、「暫定CEO」という呼び名も懐かしい頃でした。「ジョブズはいつまで暫定なんだろうねえ」と2000年の頃に話していた記憶があります。

 

このTAMの1年後=1998年にiMacが登場します。

 

TAMとiMac。‥‥あまりにも対照的ですよネ。「思い切った内容」にも、ここまで差が出るか‥‥と感じさせる、対照的な2製品です。悪趣味な成金風情のTAMからわずか1年でiMacが発売されるのですから、変革期というのは興味深いものです。

 

 

 

私はTAMが20万円そこそこまで投げ売りされていた頃でも買う気にならず、同じ603eでもPM5500を買い、iMacはリビジョンBを1999年の年明けに買いました。

 

年が前後しますが、結局、私が最初に買ったコンピュータは1998年の年明けのPM8600で、格段にメンテがしやすくなった筐体でした。当時私が仕事場で使っていたマシンはPM8500でメンテはかなり面倒で(まあ、慣れれば、慣れるのですが)、8600のメンテナンス性の変化だけ見ても、何か「Appleの内部が変わりはじめている」のを感じていました。明らかにばっさりと方針が変わっているのを、コンピュータの中身を開いただけでも判ったのです。

 

ジョブズがどれだけ絡んでいたかはよくわかりませんが、当時のAppleは1年ごとに、

 

  • PowerMacintosh8500(開けにくい筐体)
  • PowerMacintosh8600(開けやすい筐体)
  • PowerMacintoshMT(開けやすい筐体でG3)
  • PowerMacintoshG3(ブルー&ホワイトの筐体で開けやすさは継承)

 

‥‥という恐ろしいペースで進化の過程を邁進していました。

 

この機種更新を当時の私の作業事情に絡めると、

 

  • PowerMacintosh8500=攻殻PSゲーム作業後に、会社からはじめて私専用に配備されたマシン
  • PowerMacintosh8600=自腹で買った初めてのパソコン
  • PowerMacintoshMT=Blood the Last Vampireの制作開始頃
  • PowerMacintoshG3=Blood the Last Vampireの制作で実際に使用してAfter Effectsでレンダリングしたマシン

 

‥‥と、当時の「デジタルアニメーション」という現在のアニメ業界のスタンダードに繋がる黎明期とともに、Appleの製品が「吹き返し始めた」のを思い出します。この当時に実際に「デジタルアニメーション」を立ち上げた人々が、Apple製品、Mac製品に対する愛着が強いのも頷けます。

 

ちなみに、TAMが登場した頃は、Appleはお葬式ムードで、どの会社がAppleを買収するか‥‥なんていう話がごく普通になされていた時期でした。PM8500はちょうどそんな時期のマシンで、私は他の部屋にある牛柄のGatewayのWindowsマシンも併用してGRMのパイロットフィルムなどにも参加していました。Photoshopはバージョンが4になった頃で、After Effectsは3.1でした。

 

ホントに、あの時期〜1997年のAppleはフワフワユラユラしてましたよネ。

 

ですから、ジョブズがAppleに返り咲いて、Appleがどんどん変わって、どんどん息を吹き返してくるのを、リアルタイムで体験しました。ジョブズはプログラムコードも設計図も書かなかったかも知れませんが(少なくとも1997年の頃は)、確実にジョブズ前と後では、Appleは雲泥の差でした。

 

1998年のAppleと、1997年のAppleでは、「1年でここまで変わるか」と思うほどの変身ぶりでした。

 

 

 

そして、今のApple。18万円のiPhoneがご自慢のApple。

 

TAMとXs Maxを同一視するつもりはないですが、何か、変な感じ、嫌な感じなんですよネ‥‥。Apple製品と20年以上付き合ってきた上での、何か予感めいたニュアンスといいますか。Appleがダメな頃も、復活した頃も、絶頂な頃も、同時体験してきた「勘どころ」と言いますか‥‥。

 

1997年と2018年の今では、社会も、そしてAppleの経営状態も違いますから、同じ物差しで測ろうとも思わないのですが、何か、似たような違和感というか、胸騒ぎみたいなのを感じます。私個人の心配性だけなら良いですが。

 

どうなるのかな。

 

100年続いたコンピュータメーカーはどこにも存在しませんから、なんとも先は読めないですよネ。コンピュータメーカーの歴史は今、リアルタイムです。

 

それに、そもそも今は「アップルコンピュータ」ではなく「アップル」なんだよネ。

 

TAMが発売された時に、「ボーズのスピーカーがついたから何なんだよ」と率直に思いました。Xs Maxも「カメラの性能が上がったからって何なんだろう」と正直に思います。たしかにスマートHDRは魅力だけど、カメラ機能で他社競合と競うあたりで、Appleの強みってなんだったっけ‥‥と思います。ちょうど、PC/AT互換機と販売合戦に巻き込まれたスカリーの時代が思い起こされます。

 

TAMのような過装飾な何かではなく、革新的な何かを期待しております。

 

 

 

しかしなんだな‥‥、皆、Xs Maxをよくまあ、買えるよね。景気、良いの? スマホに18万もぶっこめるほど、多くの人が稼げてるんだとしたら、日本の今の状況って何なんだろうね‥‥。

 

18万円を一度に払えるほどの経済力はないし、新たにローンを増やすほどの余裕もないけれど、携帯の月々の支払いに組み込めば、18万円のスマホも買える。

 

バブル、サブプライムローンのようなトリックが、スマホのような身近な製品に姿を変えて人々を取り込んでいるようにも思える、今日この頃。

 

でも、Apple製品には売れていて欲しいです。Xs Maxもそこそこ売れているようで良かった‥‥。大外ししてAppleの調子が悪くなられても困るもんネ。売れなくなった頃のAppleって、そりゃあもう濡れ手に粟がついた腕で泥縄を引き寄せるような‥‥でしたからネ。

 

 


能力オブジェクト

自分の未来は自分で決める、将来は人それぞれ‥‥となると、「どうやって人を育てていけば良いんだ? 人それぞれなんて言い出したら、何も教えられないじゃないか」と考えがちです。ゆえに「役職をキッパリ区切って、その役職の技能を習得する」という思考になります。

 

たしかに、何一つ無し得ない者は、何者にもなれない‥‥とは私も思います。

 

だからといって、人間の素質や可能性を1つに限定するのは極論とも思います。人間は本来多様性を持つと考えるからです。

 

私が考える未来の制作現場は、役職オブジェクトではなく、能力オブジェクトによって構成されます。1人=1役職ではなく、1人=多能力と定義し、制作上のあらゆるジョブ=作業・仕事に、1役職の1人ではなく、1人の中の1つの能力を割り当てるわけです。

 

人材のマッピング(=割り当て)ではなく、能力のマッピングです。それが日本の未来の現場の姿と考えています。

 

1人の人間を、1つの役職に割り当てるなんて、なんという大雑把さ、なんという非効率の垂れ流しなんだろうと思います。国土も人口も少ない日本でやることか?‥‥と思います。

 

高度経済成長期の幻、ベビーブーム時代の幻影をいつまで引き摺り続ければ気が済むんだ?‥‥と思うのです。国土も、そして今や人口も減り続ける日本において、野放図に肥大化を繰り返してきたアニメ業界の構造も、もうそろそろ見直すべき‥‥というか、旧アニメ業界とは別立ての新しいアニメ業界を考えはじめても良いころだと思いますヨ。

 

 

 

あのさあ‥‥ぶっちゃけて書くけど、作画の仕事ひとすじに30年も費やすのは必要なこと?

 

原画の仕事をしながら、たとえばメカデザインや動物デザイン、後進のための技術指南書を書くことだって、可能ですよネ。原画の仕事をしながら、After Effectsでカットアウト・キーフレームアニメーションだって引き受けられますよネ。作画以外にも、例えば仕上げの仕事をしながら、衣装デザインやフェイスメイクデザインだって兼任できますよネ。

 

仕事を一人の人間の一つの役職で区切るから、肥大化もするんじゃないですかネ。1人ですむものを、2人にも3人にも役職で分割するから、どんどん大規模で大所帯で維持も大変になるのだと思いますヨ。

 

10〜100KB単位のデータを格納するのに、セクタを512KBで区切るようなもんだよ。

 

ひとりの人間の多様性と可能性を閉じ込めて封印するような制作構造は変えていくべきと思います。

 

古い頭の人は古いままでやがて引退してくれればそれで結構。ベビーブーム時代の幻想の中で死ぬのも当人次第。

 

それでは済まないと思う人間たちが、新しい頭で新しい制作システムを作り出すべきと思います。

 

「そんなの、管理が大変じゃん」という人もいましょうが、コンピュータを知らないの?‥‥と言いたいです。メールを読んで、ネットを眺めて、ゲームに熱中するだけがコンピュータじゃないからさ‥‥。

 

一人の人間のオブジェクトの中に複数の能力のオブジェクトを定義して、制作システムは能力オブジェクトに対してアクセスして、当人のキャパも計算し、運用の計画を立てるようにすれば良いのです。コンピュータはそういうことにこそ使うべきと思います。ゲームをやるだけじゃなくてさ。

 

 

 

「でもさ‥‥それって、コンピュータに自分の能力が管理されることになるんじゃないか?」と思うのは、ごもっとも。‥‥「他者による個人能力の管理」と受け取るか、「他者による能力のバリエーションの認識」と受け取るかは、色々と受け取り方が変わってくるでしょう。

 

仕事を受発注の際、たとえ今の「役職」単位であっても、「役職としての能力」を管理・把握されていますよネ。

 

仕事を発注するときに、どうやっても、作業者当人の能力は問われますし、他者による作業能力の認識は必要です。管理もされず、把握も認識も拒絶し、「私は謎の人物でいたい」なんてあり得ないのです。謎の人物に仕事は発注できないですもん。

 

 

 

あの人は線画専門だ。線画しか描けない。だから、線画の仕事しか頼めない。

 

それって、本意? 不本意?

 

そんな風に他者から自分を認識され続けて、単価の安い現在の原動画システムの中で、「アニメーター」の狭い枠の中で生き続けたいですか?

 

どっちにしろ他者から認識されるのなら、自分の能力の多様性を認識してもらって、線画以外の仕事もどんどんこなせば良いんじゃないですかネ。未来にアニメを作り続けたいのなら、新しいアニメーション技術の流れにも組みして、旧来の業界の構造問題から離脱するきっかけを作るべきだと思いますヨ。

 

 

 

旧来の業界は何を言っても、コストを何千何万枚で分割する方法から逃れられません。業界のお歴々がどうしても抜けられない思考の限界です。

 

先人が築き上げたシステムを踏襲することだけを考える人々は、新たな未来を切り開くこと自体が、土台、無理なんですヨ。綻びてガタがでてきたシステムをどう繕うか、お金の不満をどうなだめるか、そのことに終始して、「新しい何か切り開く」なんて「傍迷惑」にしか考えない人も、相応に多いです。

 

思考が古いまま凝り固まっているから、新しい何かを実践するなんて「無理」「できるはずがない」と言い続けるのですしネ。「デジタル作画」くらいの「代替技術」思考が、古い世代の限界です。

 

新しいドクトリンに基づく現場には、相応の人材育成のメソッドも生まれます。人それぞれの能力の多様性ありきで、自分の軸足となる工程をまず習得して、そこから応用と発展を重ねていけば良いのです。一生、原画マン人生‥‥だと、作画従事者の誰もが思い詰める必要はないと思いますヨ。

 

 



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