中庸

ネガティブな話題ばかりが駆け巡りがちなアニメ業界ですが、全ての現場やグループが防御戦や後退戦に四苦八苦しているわけではなく、様々な「野心的な」プロジェクトも動き出していて、未来は決して暗いものでもないと思えます。さすがに、発表前のプロジェクトのあれこれをインサイダーがリークするわけにもいきませんが、ネットで取り上げられる作画崩壊だの放送延期だのがアニメ制作現場の全ての姿ではない‥‥とだけは言えます。

 

ただ、そうした中、「中くらいの生産力と、中くらいの技術力」を併せ持つような中庸な性質のグループは、新しい流れに対して関与することが難しくなっていくとは思います。

 

「今までのアニメ現場の技術を組み合わせた、皆のよく知っている絵柄と動きのアニメなら、普通に作れます」‥‥というのは、先鋭的なプロジェクトにも積極的に参加できないし、技術の粋を集めたプロジェクトにも積極的に参加できないし‥‥で、「どっちつかずの弱点」が露呈しやすいのです。要するに、小規模な野心的な作品も、大規模で様々な技術リソースを集結させる作品も、どちらも主体的には引き受けられない「中庸である弱み」です。

 

その「中庸さ」が、この10年弱の「短期のアニメテレビシリーズ」の原動力になったのは、中規模アニメ関連会社が乱立したことからも伺い知れます。特に技術的ブランドを有していなくても、「アニメが作れる」ということが何よりも「売り」にできた時代‥‥といいますか。今後も「中庸に、原作をアニメ化する」流れは、ある種の定番として存続するとは思いますが、そうした旧来からの流れを尻目に、技術的特性を得た人間やグループは新しい流れにのって、どんどん稼げる方向へとシフトしていくでしょう。

 

技術的に言えば、中庸な作品を手堅く作るのは、実はとても広範で高い技術力が必要なのですが、中庸な制作力のフィールドは競争も激しく、皆似たような技術で背比べするので、必要な技術力の高さのわりに対価は低い現実があります。

 

中庸な制作力を旨とするグループは、近視眼的な技術の繰り返しと小変更に明け暮れやすい傾向があり、それがさらに新しい流れにのれない性質を作り出します。目立って欠落しているところもないけど、目立って突出しているところもないがゆえに、外部から見れば技術的特徴が希薄で、良くも悪くも「原作をアニメ化してくれるところ」としか認識されないのです。当然、技術の価格も激しい競争に晒されやすくなります。

 

中庸な性質に限界を感じ、「何か、売りになる特徴を自分たちも有するべきだ」と感じても、2年や3年の取り組みでは技術的特徴なんて周りにアピールできるほどに確立できるものではありません。4〜5年出費を重ね続けて、ようやく表に認知され始めるくらいの、地道な積み上げが必要です。‥‥ゆえに、現実的に難しいと考え、中庸な状態から抜け出せない‥‥という図式ができあがるのです。

 

「じゃあ、どうやって中庸状態から抜け出すんだ?」と思うわけですが、実は考え方1つです。「現実的に難しい」とさっさと諦める、その性根を叩き直せば良いだけです。

 

「現実的に難しい」なんてセリフを常用して物事を片付けてるから、結局、何も変わらないわけです。自分たちのアニメを作る技術を狭義に押し込め、アニメはこうあるものなどとレッテルを貼り付け、「原画マンたるもの」「アニメの撮影とは」なんて何の根拠かも定かではないプライドを持ち続け、財布の紐はいつだかに思い込んだ思想の延長線上でしか緩まない‥‥という、近視眼的マーケティングの典型を実践し続けるから、1万円の使い方一つ、新しいベクトルに作用していかないのです。

 

中庸に慣れきってしまうと、お金の使い方すら中庸で凡庸になります。

 

「今は現実的に難しいけど、どこからか、徐々にでも切り崩していって、制覇できないものかな」‥‥と考えたいですよネ。また、そういう思考をもつリーダーや仲間と一緒に未来を切り開いていきたいですよネ。

 

中庸さは大なり小なり不可欠な要素ですが、「中庸さしか取り柄がない」というのは、長期的なスパンでみれば、中々に厳しい現実と向き合うことになりましょう。特に、技術の入れ替わりが起こり得る時期においては‥‥です。30年間中庸で過ごせた事実が、未来20年を保証する担保では決してないことを、自覚すべしです。

 

どんなにネットを検索しても、毎日ツイートを気にしても、講習やイベントに参加しても、「いい勉強になったなあ」だけで終了して、実際に自分・自分たちで実践しなければ、何も始まらんよネ。ただ単に「耳年増」になっていくだけ。腕を組んで「現状はどうしたものか、困ったものですね」と世間話をするだけに終わります。

 

やりゃあ、いいんです。やりゃあ。

 

やらなければ、なーんも始まらん。

 

情報だけ見聞きしても、自分らの現状は変えられない。

 

自分たちが実際に動くから、物事も動く。

 

 

現在・現状が中庸だとしても、当人たち次第で、突破口は切り開けるものです。

 

何かしら行動を起こして、それを少しずつでも日々の「中庸さ」の「許容範囲」の中で実践していって、それが多少なりとも効果を発揮すれば、その次にすぐには反映されなくても、巡り巡って「次のオーダー」へと繋がります。当時は「徒花」と思えた特質的な技術でも、その後に徐々に芽吹かせて自分たちの武器となっていきます。「どうせ、やっても無駄だ」という人もいますが、無気力な人間に同調する必要はありません。他人からは「狂ってんのか?」「何かに取り憑かれているのか?」と揶揄されようが、「これはモノになる」という技術を1度や2度の失敗で心なんか折れてないで、継続し続ければ良いのです。

 

実際、自分のこなした作業が、次の仕事へと繋がっていく実感は、多少なりとも誰もが感じているはず。

 

その「仕事の繋がり」を、仕事の依頼がきて中庸にこなすというスタンスで用いるのか、未来の新しい「機会」への「橋頭堡」として次々に築くスタンスにするのか。

 

行動の選択は、当人らの自由です。どうすべきかは、自分たちのビジョン、ロードマップ次第でしょう。

 

「誰でもどこでもいいから」という仕事と、「あなたがたに是非」という仕事は、次第に、そして確実に、状況の明暗を分けていきます。いやらしくは「金額」として‥‥です。

 

水面下で様々な野心的な取り組みが進行するのを目の当たりにする中、「舵取り」がまさに未来の行き先を大きく変えていくのを、ひしひしと実感し続けています。

 


快適は楽じゃない

現代社会をして、よく、「快適さと豊かさを求めて社会は発達したのに、ちっとも生活は楽にならない」という言い草があります。

 

しかし、よ〜く考えてみれば、快適で豊かな日常を作り出すためには、それ相応の多大な労力が必要になるわけです。「快適==楽」ではなく、「快適<>楽」「豊かさ!=楽」なのです。

 

例えば、映像品質に一層の豊かさを盛り込むためには、一層の技術開発と現場の丁寧な作品作りが要求されるでしょう。つまり、豊かさを手にいれるためには、様々なコスト(お金、労力、時間、設備)が必要になりますし、結果的に市場の様々な形態の価格にも反映されるのは、当然至極。

 

安易に「快適で豊かになったから、日々の生活も楽になるだろう」と思うのは、実は甚だしい見当違い‥‥なのかも知れません。

 

私がフリーアニメーターでキャリアをスタートした1986(か1987。覚えてない)年に、1ヶ月に要したインフラのコストは、

 

家賃32000円

電気代数千円

電話代3千円前後

水道代は家賃込み

ガス代2000円前後

 

‥‥とまあ、今から考えると、「なにそれ?」な低いコストですよネ。基本、5万スよ。そこに食費だのを足していけば、生活できたのです。

*その当時の物件には、「トイレ・流し台共同・18,000円」とか、2万円台の物件もありました。状態的に、かなり「げ(下)」の物件でしたけど。‥‥「トイレ・流し台共同」って、「四畳半シリーズ」のノリですネ。

 

しかし、スマホはない、パソコンもない、無論インターネットもない、デジカメはない‥‥というか、デジタルデータの画像すら身近にない、ネットがないからネット通販はもちろんなし、世間は涼しかったからクーラーなし、蛇口からはお湯は出ない、トイレはまさかの和式(水洗でしたけど)、当然ウォッシュレットはない、テレビは14型、ビデオデッキはあったけどSDサイズ、録画できても画質はショボい。

 

今は上記の全てが満たされて「豊か」になっていますよネ。当然、生活維持にかかるコストが増大します。しないほうがおかしい。

 

現代は30年前と比べて「豊か」になりましたが、その「豊かさ」を得るために、より多くの「お金」が必要になったわけです。そして、その増えた分のお金を稼ぐ必要が生じた。‥‥何のヒネリもない、理屈ですよネ。「タダで豊かさが手に入るわけがない」のです。

 

 

とは言え、80年代の私が「不便だな」「貧しいな」と思っていたかというと、全くそうではなかったです。

 

当時の私は、自分のアパートにテレビとビデオデッキと電話があって、ガス水道電気のインフラが整っているだけで、「豊か」だなと感じていました。「電気使いたい放題!」「電話でいつでも友達と話せる!」とウハウハでした。‥‥もちろん対価(電気電話料金)は支払いますけど。

 

ちなみに、私はプッシュ回線だったので、基本料金が1980円だった記憶がありますが、自分専用のプッシュ回線なんて、すごくリッチな気分でした。仕事をするために必要だったがゆえですが、最初に電話加入権だかで8万円前後の金額を支払った記憶もあります。

*でも実は、プッシュ回線の利点で思い起こせるのはほとんどなくて、割り込み通話の「キャッチホン」くらいだったかな‥‥。

 

私の子供の頃は、電話のない家もいくつかあって、「xxさん方」みたいに、ご近所の電話を借りていたご家庭もありました。まさに「三丁目の夕日」の世界。昭和40年代生まれの私ではありますが、昭和30年代の雰囲気はまだ残っていました。

 

そんな少年時代を経て、アニメーターでアパートを借りて、インフラ完備(当時のネ)、自分専用のテレビもビデオデッキも電話もある。まさに、夢のような快適さ‥‥ですが、もちろん、そのインフラのコストと家電のコストは前の世代の人より多く支払っていたわけで、快適さにお金を支払うために稼がなければならない構造そのものは、今と何も変わっていなかった‥‥と思い起こされます。

 

ただ、80〜90〜00〜10年代と時代が進行するに従って、個人の持つお金を引き剥がしていく傾向は強くなっているでしょうネ。どんどんお金が消えていくから、どんどん稼がなければ‥‥というループから抜け出せず、結果、「楽じゃない」という実感が生まれるのでしょう‥‥ね。

 

これは私もしみじみ実感します。私はフリーアニメーターで稼ぎ始めた当時18歳、平均で14万くらいの原画料金の報酬(70カット分、源泉徴収差し引き済み)でしたが、その金額で現代の家賃とインフラ全てを賄うのは、かなりギリギリです。自分の技量を高める美術専門書なんて、とても買えないでしょう。現代において、月5万円で家賃含めたインフラが成立するなんて、ありえんですもん。

 

 

つまり、ぼやくにしても正しくは(ぼやきに正誤があるかはナゾですが)「社会が快適になり、自分の身の回りも快適になった。しかし、その快適さを支えるために、「楽」さはどんどん消えていったなあ‥‥」ということなんでしょうネ。「社会が快適になっても、決して楽にはならない」ということでしょう。「便利」にはなるでしょうけどネ。‥‥「便利」は「楽」の同義語ではないですもんネ。

 

 

社会は否が応でも「一蓮托生」。「快適上昇気流」から抜け出すには、世捨て人になるくらいの決心が必要です。

 

現代社会において、携帯電話をもたず、ネットも契約せず、エアコンもテレビ(モニタ)も買わず‥‥なんて、かなり難しいです。少なくとも、エアコンを使わなければ、熱中症で死にます。窓を開けて風通しをよくしても、その風が熱風なんですもん。住宅が密集している地域は、みんなでがんがんエアコンを使うもんだから、30年前に比べて格段に暑くなっていますよネ。

 

社会の技術進化によって様々な快適さが生まれ、その旨味を享受し、現代技術に支えられた社会システムありきで仕事をしようと思うのなら、「楽にならない」なんて言うのは往生際が悪すぎるのでしょう。

 

スマホを捨て、ネットを捨て、都心や都心近郊から離れれば、今よりグンとコスト消費は抑えられるでしょう。お金がかかる生活が楽じゃないと本気で思うのなら、お金がかからない生活を本気で目指すしかないです。

*ただし、お金のかからない生活を支えるために、どのような仕事を見つけるか‥‥は、なかなか難しいと思われます。

 

 

私は映像制作という現代社会の申し子のような職業を選択しているので、現代社会から脱皮したお金のかからない生活を目指すのは無理です。節約はできますけど、現代のインフラを拒絶することは不可能です。

 

スマホを肌身離さず持っていて、何かというとスマホばかり覗き込んでいるような人間が、「なんで自分の生活は金がどんどん消えていくんだろう」というのは、少々滑稽です。スマホを常用し、スマホのソリューションを成立させるインフラを利用している時点で、潔く、「金のかからない生活」なんていう妄想はあきらめましょ。

 

私はぶっちゃけ、携帯電話やスマホは嫌いなのですが(何か、首に縄をつけられているようで)、そんな私でもスマホはいつも持ち歩くようになりました。「現代の社会システム」と一蓮托生です。私が携帯電話を持っていないと、色んな方面に面倒がでますから、これはもう、「しょうがない」です。

 

その代わり、「金がかかるとわかりきっているからこそ」、コストを抑える取り組みに目が向いていくのです。「金がかかる」と嘆いているだけじゃ何も解決しませんが、「金がかかるのは不可避である。だったら、その金のかけ方を工夫してみよう。」と肝を据えれば、色々なアイデアはでてくるものです。

 

アニメ制作現場の「オールデジタル時代」の未来も、「コストに対する覚悟」が意識を左右し、同じお金のかけ方でも、プアな現場とリッチな現場とを大きく分けていくと思います。

 

 

快適さを捨て、山にこもるか。

 

快適さを求めて、街に住むか。

 

現代人に対する恫喝」とすら思える極論ですが、なんだかんだ言おうが、結局はソコ‥‥だと思います。

 


アロマのもの

現場は様々な緊張感でいっぱいです。品質的、物量的、時間的、包括的責任、特定的責任、etc...。

 

私が作業場の温度湿度、香りに気を使うようになったのは、そうした緊張感からは逃れられない現場だからこそ、緩和する要素を現場の中に取り入れたいからです。

 

香りは、目に見えない緩和要素の1つです。

 

最近、ユーカリのアロマオイルがなくなったので、今度はどどんと100mlの「大人買い」で「ブルーガム」を補充しました。ユーカリは、作業場の定番と言って良い香りなので(あくまで、私の見解ですが)、どうせ消耗するのなら‥‥と、容量まとめ買いしました。空になった瓶に詰め変えて使います。

 

 

ユーカリには、ブルーガムやらラディアータやら種類があるようで、よくわからないのでラディアータのほうは10mlの小瓶で買ってみました。今まで「ユーカリ」としか認識しておりませんでした。

 

香りの世界も奥が深いですネ。

 

 

作業場の「アロマ」の代表格といえば、コーヒーでしょう。‥‥とはいえ、大量にドリップして作り置きしておくコーヒーは、アロマというより苦味。

 

私は20代の頃は、コーヒーの良さがわからなくて、いわゆる「オモチャコーヒー」=砂糖とミルクで「ほぼ乳飲料」みたいなコーヒーしか飲めませんでした。ブラックのどこが良いのか、全く解りませんでした。

 

しかし、コーヒー好きの人に、香り豊かで甘みをうっすらと感じるブラックコーヒーを飲ませてもらってから、一気に開眼し、「コーヒーとは、本来、とても繊細な「香り」のものなんだな」と思い知ったのです。

 

まあ、モンドセレクション受賞の缶コーヒーも、それはそれで1ジャンルだとは思いますが、風味豊かな豆をゆっくりドリップするブラックコーヒーは、全く別のジャンルの飲み物だったとわかりました。

 

それ以来、コーヒーは作業場の定番「環境」アイテム。

 

モカベースのイタリアンロースト、ブラジル、マンデリン、マンデリンのフレンチロースト、ケニア、マイルドブレンドなど、少人数の部屋なのを利点として、その時の気分に合わせて、酸味・苦味、深煎り・浅煎り、ライト・フルなど、様々な豆をドリップしております。(私はあまり豆自体のことは覚えてませんが、室内のメンバーが皆コーヒー好きなので、経験則的に豆を購入しています。皆、深煎りでフルボディが好きみたいです。)

 

同時に、「すぐ飲みたい」用にネスカフェのバリスタも用意。葉っぱから出したお茶と抹茶をお湯でとかしたお茶が全く異なるように、挽いた豆をドリップしたコーヒーとインスタント粉末のコーヒーは全く別物ですが、電源ONから1分以内に飲めるバリスタの存在価値は、忙しい時に高まります。今年になって導入したバリスタアイはBluetoothで濃さを調整できたりと、まさにコンピュータを主力装備としたスタジオにはうってつけ。

 

こだわりのオヤジさんが半ば趣味でやっている個人経営の喫茶店には全く及ばないけれど(今でも忘れられないお店があります)、やっぱり、苦いだけのコーヒーはキビしい。特に、キワキワの責任の所在を問われる作業の最中だと、心にあまり余裕がないので、ひと息つけるコーヒーや紅茶にはこだわりたいです。そうした意味では、時間に余裕がない現場でも、香り高いコーヒーや紅茶は必須だと思います。

 

適度な照明の加減、適度な湿度と温度の空調、日々のアロマ、そして香りの良いコーヒーやお茶は、それだけで気分をポジティブに傾かせてくれるので、重宝しています。ギスギスしている時は大抵、コーヒーの香りに感情を傾ける余裕もないものです。そうした時にあえて、コーヒーの良い香りを差し挟むことで、感情に余裕が生まれます。

 

目には見えない、温度や湿度、香りという要素に気を配る。

 

タコ部屋なんて言われていた過去にピリオドをうって、未来の現場を作るにはかかせない要素だと確信しています。

 

 

 


寝る

忙しいス。

 

Apple Pencilのペン先も、みるみる減っていきます。ハイペースで使うと、1ヶ月もたない可能性もアリです。

 

*滑らかな曲線を帯びていたペン先も、使ううちに、鋭利な円錐状に変化します。

 

ペン先は4個セットで大体2400円(税込)くらい。アマゾンはApple製品に弱いみたいなので、割高な値段の出品が多いですが、ヨドバシやAppleストアとかで買えば、2370円くらいなので、/4で、1つ592円。中クラスの鉛筆1ダース分ですネ。

 

私は猛烈に鉛筆で描きまくっていた時、1〜2日で鉛筆1本を消費していましたから、大体1ヶ月で12本=1ダース、つまり似たようなランニングコスト‥‥ですネ。

 

ただ、私はなぜか、原画を描くときは「安い鉛筆が好き」だったので、実は1ダース400円未満だったりします。

 

*自分の鉛筆線をそのまま使用する場合(=動画工程を挟まない〜版権など)は、上図の8900では品質的にNGなので、1000円前後のグレードのものを使っていました。

 

 

とは言え、Apple Pencilは、鉛筆としての役割だけでなく、筆やペンとしての役割も兼任するので、原画だけで鉛筆を使う状況よりも過酷です。

 

大面積をガシガシと塗りつぶしたり、筆致の勢いで色彩を描いたり、「描く用途全て」を引き受けるので、考えてみれば、減りが速いのは当然ですネ。

 

* * *

 

仕事が忙しくなって、目まぐるしい日々が続くと、睡眠も「場当たり」的になってきます。しかし、「寝る時間も惜しんで」睡眠をおろそかにすると、結局、日々をおろそかにすることになり、本末転倒です。

 

私自身、公私共に「こなすべきミッション」がたくさん有りすぎて(というか、盛り込みすぎて)、「寝る時間がもったいない」強迫観念にかられております。‥‥だからといって、実際に「中途半端に、隙間で睡眠」すると、心身共に低調となり、結局はペースが維持できず生産性が落ちます。

 

最近、久々にちゃんとした寝具で1日10時間近く、土日で合計20時間くらい寝たんですけど、起きたらスゴい。いろんな事柄がポジティブに思えたのです。

 

現代社会、深刻な体調不良がでないまでも、「仮性鬱」「鬱予備軍」の人はかなりいると思われます。どんなに「自分の好きなことを仕事にできて、それで食べていけて、ラッキー」と表層では思っていても、椅子をリクライニングして仮眠2〜3時間で作業を続行してたら、体だけでなく、ココロの深層でもネガティブなベクトルへと誘導されてしまいます。

 

私の場合、自宅でもそんな感じで色々なプロジェクトを進めていたので、睡眠をとって起き抜け一番でも「ネガティブ」などんよりとした重さを感じていました。実際、残された寿命をカウントすると、「寝てられない」実感が強すぎて、寝起きで既にこなすべきミッションを想像してドヨンとしていたのです。

 

でもね、やっぱり、寝とかんと。たーんと。

 

休日にたっぷり寝るだけで、かなりのダメージ回復が可能‥‥なことを、最近、しみじみ実感しました。1日10時間なんて「寝貯め」みたいで非現実的ですけど、連続で5〜6時間は寝るべきだな‥‥と思います。

 

 

自分の作業・創造性を「売り物」にするということは、すなわち「自分自身を結果物という溶媒を通して売る」ようなものです。そして、色々な評価を下され、作業費の金額で価値を決められるのですから、「不安」や「戸惑い」、「歓喜」や「有頂天」を感じないはずがありません。つまりは、物を作って売るということは、「躁鬱」とあらかじめセットなのです。

 

何かを作って、他者に見せる(売る)‥‥ということは、「躁鬱」で当人を疲弊させる性質を、宿命的に有しているわけです。もし、そうした「躁鬱」から逃れたいのなら、あくまで趣味で自分だけで作って自分ひとりで楽しんで、誰にも見せなければ良いのです。

 

自分の能力をガチで売り物にして対価を得る以上、自分の能力が査定されるのは、致し方ないことです。原画は一律単価が設定されていますが、原画や動画の作業から一歩外に出れば、いやらしいほどの「値踏み」に翻弄されることになります。

 

作業そのもので疲弊し、その作業の評価で精神的に「躁鬱」となって疲弊し、睡眠もろくに取らずに体力が回復しない‥‥なんて、「地獄への片道切符」ですよネ。

 

 

しかし‥‥‥なあ。

 

日頃から良い睡眠をとるには、どのようにすれば良いのか。

 

まあ、「良い睡眠」という命題克服が中々難しいから、あの手この手の、寝具や健康のグッズが商売として成立するんでしょうネ。

 

 

ちなみに、私は「躁鬱」でお医者さんにかかったこともないし、処方薬をのんだこともないですが、自分自身をかたち作れずにユラユラフラフラしていた20代のころは、いつ潰れてもおかしくない状態でした。Kindleコミックの「うつヌケ」の冒頭とかを読むと、似たような状況だった…と思い起こされます。

 

ただ私は基本的に持久の体力があったのと、根源的に「生きるのが好き」だったので、「死」のベクトルには向かなかったのが幸いしたのでしょう。その当時に実際、私とは正反対の、ふっと消えてしまいそうな生命感のか細い人が、ポジティブを振舞ってもどうしてもネガティブから抜けられないのを知っておりますから、ココロとカラダはまさに一心同体なのでしょう。

 

どんなにココロが持ち堪えようとしても、カラダから突き崩されることは、よくあることです。才気を感じる若い人でも、ガタイが華奢だと、それだけで心配してしまうのは、私の経験ゆえ‥‥です。だってさ、アニメ業界って、特に過酷じゃん? 全行程のスケジュールのおとしまえをつけさせられるコンポジットも、どんな内容でもゼロからカタチにしなければならない作画も、どんな素材でも塗り切らなければならないペイントも、全ての工程を追いかける制作も、その他いろんな工程がさ‥‥。

 

だから、まずは睡眠。どんなに過酷でも睡眠。

 

寝なければ、どんなに喰っても、馬力など発揮できないです。ただ、デブるだけ。

 

でも、ココロが弱っていると、カラダが眠れなくなるのも、また、人間の難しいところ‥‥ですネ。睡眠障害って、自分の体ながら、ホントにむかつくよね。私の場合は、単に「やろうとして、焦って、それで眠れない」ことが多いだけですけども。

 

 

でもまあ、人間には最大最強の「憂鬱なこと」が存在しますよネ。「必ず、死ぬ」という事実・現実。

 

私はそれだけで、いっぱいいっぱい‥‥です。だから、生きているうちに、精一杯いろんなことを成そうとして、無理をして‥‥という、なんとまあ、マヌケなサイクルから抜け出せないんですけどネ。

 

 


雑感。

「デジタル」、つまりコンピュータやその周辺のリソースを制作現場に活かすのって、映像表現技法の拡充や発展とともに、現場の肥大化を抑えるのも、大きなテーマの1つなんだよネ。

 

だから、デジタル作画にしました、人員は今まで通りかそれ以上です、メンテ要員も増えました‥‥なんて、破滅街道まっしぐらです。

 

人員を減らす。その代わり、人ひとりに渡る金を増やす。

 

「デジタル」の運用の本命はソコ‥‥です。

 

* * *

 

そう遠くない未来、団塊、そして団塊ジュニア世代の要職の人間が、引退を始める頃、その世代の人々から仕事を発注してもらっていた同じく団塊&団塊ジュニア世代の作業者の仕事は、徐々に減り始めます。‥‥普通に考えて。

*例えば、自分は上の世代の人に、同世代と全く同じように、気さくに、気楽に、仕事をお願いできるか?‥‥と思えば、やっぱり多少なりとも、「かしこまって」しまいますよネ。同世代でしか共有できない連帯感みたいなものは、どの世代でもあるのです。

 

作業者だけでなく、発注側の人間も老いるのです。

 

50代の作業者にとって、同世代の制作側の人間は、今や現場のトップでしょう。しかし、死ぬまでトップなわけではなく、引退が始まります。

 

つまり、横のつながりが消え始めます。

 

20代の頃に感じた10年後と、40代・50代の頃に感じる10年後は、まるで違います‥‥よネ。

 

 

ホントに、これから先の5〜6年は重要。今から数年先まで実践する取り組み次第で、当人の未来の30数年の運命が決まる‥‥とすら思っております。

 

「状況作り」をミスると、寿命を待たずに首をくくるしかない状況まで追い込まれるんじゃないですかね。冗談ではなく、そう思います。少なくとも私は、そういう危機管理で動いています。

 

 

一方、今の20代、30代の人間は、現在のアニメ業界の規模と発展が、10年後、20年後、30年後に続くかどうかを、意識しなければならないでしょう。

 

社会とともに生きていくのがアニメという娯楽産業ですから、社会が変わるのに合わせて、アニメも変わっていくことを拒絶できません。下手をすると、「俺(私)の若い頃にはね、アニメという娯楽があってね、手で一枚一枚絵を描いて動かしてたんだ」「へー、そんな大変なこと、よくできたね。すごく手間とお金がかかりそうだね。」「うん。だから、皆、長い時間働いて、とても安い値段で一枚の絵を描いてたんだ」‥‥なんて、昔話になることだって、普通に考えられます。時代の流れから外れて、経済的に破綻して、廃れた産業は数多い‥‥ですもんネ。

 

俺たちの時代が来た!‥‥という頃には、スカスカでボロボロな状態になっている可能性だって‥‥ありえますもんネ。今後の行動と取り組み次第では。

 

 

 

みんなで1つの「方舟」を作る必要はないです。それぞれのグループが、それぞれの「方舟」を作って、「淘汰という大洪水」を逃れれば良い。みんなが乗れる巨大な方舟なんて、設計段階で頓挫するのは見え見え‥‥ですよネ。だったら、必ず完成する小中規模の方舟を作るのが肝要です。

 

洪水なんて水が見えてから対策をとるのでは遅すぎる‥‥のは、誰でもわかること。

 

たとえ、今が平穏でも(‥‥ということもないか、既に)、生きつつ、備えつつ、たくましく生きて行きたい‥‥ものです。結局、洪水の規模がそんなに大きくなくても、備えをうまく使って、有利に展開できますもんネ。

 

 

皆で絶望して傷を舐めあおう‥‥というのではなく、どうせ困難が訪れるのであれば、どうやってその困難を乗り切ろうか? ‥‥というポジティブな思考をもってこそ‥‥ですネ。


雑感。

2月は猛烈に忙しなることが確定なので、もぐっちみーたんを今のうちに買っておきました。

 

 

購入した理由は、前々から多用途クッションとして、注目していたのです。

 

 

 

おそらく、2月は毎日、来る日も来る日も、iPad作画、iPad作画、iPad作画‥‥。

 

今、カウントできるだけで、4つ、iPad系(?)の仕事が重なってるので、マウスよりはApple Pencilを持っている時間の方が長そうです。

 

 

今から、20年以上前に、Photoshopを初めてイジった時に、「これを仕事にして、お金が稼げる」と思ったものですが、iPad ProとApple Pencilは、その時と同じか、それ以上の手応えを感じています。

 

イヤラシイ言い方をすれば、iPadは「道具としての、お金の匂いを発散している」とでも言いましょうか。既に百万単位の利潤の元はiPad Proが作り出していますしネ。

 

ある人は「でも、iPadで仕事する「くち」なんて、どこにも見当たらないんだけど」と言うでしょう。‥‥既存のシステムがないと何もできないんか‥‥という話です。

 

仕事とは、誰かがシステムを作ってくれるのをまって、型が出来上がるのをまって、受注するのではなく、こういうことができます、ああいうことをしましょう、こんなことをしてみましょう‥‥と状況を作り出すものでもあるのです。仕事のカタチなんていうものは、既存のものに加えて、自分でも作っていくものです。

 

でもまあ、そんな「お説教」めいたことなど、ぶっちゃけ、どうでもいいこと。当人の行動指針やバイタリティの問題でもありますしネ。

 

 

実際、私の作業割合の中で、iPad作業の比重がどんどん大きくなっているのは、事実です。iPadを打ち合わせや会議に使うだけでは、実感も湧きにくいでしょうが、実際にiPad Proで作り出したものが即物的にお金に変わっていけば、「金を生み出す道具」としての実感を強く持てます。今後数年、積み重なって、千万単位の利潤の元になるのは、ほぼ確実です。

 

iPadで絵コンテを描く人もいますし、私は線画だけでなく色を使ったボードも描きますから、使い方はその人次第。

 

厚さ7ミリで700gの薄っぺらく軽いiPadが、まさか、私の仕事の中心まで深く喰い込んで来ようとは、数年前では予測できなかったことです。

 

全く大袈裟なことではなく、私の今後の「仕事人生」をも変えていくポテンシャルを、iPadとその周辺のソリューションは秘めています。

 

 

絵を描く人間、映像を作る人間にとって、道具とはそれほど、大きな存在なのです。今まで、紙と鉛筆で作画してきたアニメーターが、その紙と鉛筆でどれだけの多くのお金を稼いだかを考えれば、紙と鉛筆って、めちゃくちゃ凄いな‥‥と改めて思いますよネ。

 

 

 


文字情報

現在はツイッターなどの情報通信網が飛躍的に発達して、あっという間に情報が伝播して世界を駆け抜けます。情報を目にした人間は、それが数行の文字情報であっても、自分の今までの経験と掛け合わせて、まるでその目で現実を見たかのように情報を自分の中にインプットしてしまうこともあるでしょう。

 

文字はたとえそれが数文字でも、場合によってはかなりのインパクトを、見て受け取る人間側に与えます。ゆえに、ツイッターが出現する遥か昔から、専門の文章作りのプロが存在するわけです。

 

私はツイートしませんが(アカウントは取得しているけど一度も使ったことはない)、ツイッターの情報はツイッターをやってなくてもどんどんWebに流れ込んでくるので、頻繁に目にします。その際に一番気をつけているのは「早とちり」「鵜呑み」の防止です。

 

ここ数回書いている「自動中割り」の5文字も、作画の現場にしてみれば、ものすごい「インパクト」ですよネ。ゆえに、拡大解釈が方々で発生し、「自動中割り」が独り歩きしたような感があります。知り合いの原画さんが「自動中割りってどこまで進んでんの?」と聞いてきて、驚いたことがあります。

 

「自動中割り」は、アニメ制作現場の人間が期待する「コンピュータ動画マン」とは程遠いものですが、「自動中割り」なんてきくと、昨今のコンピュータ性能向上と絡ませて、「近い未来にコンピュータ動画マンが出現する」なんていうとんでもない飛躍した期待を抱いてしまうのです。

 

嗚呼。ほんの数文字の文字情報の、なんと罪作りなことよ。

 

 

誤解、誤認を防ぐのは、ごく簡単なことです。

 

現物をみれば、納得。誤解も晴れます。

 

まずはネット上ではなく、現物を見ましょう。現物を扱っている人間に実演してもらいましょう。実演する側の用意した素材ではなく、自分から素材を持ち込むのも良いでしょう。その際に、その現物がいかなるものか、状況がいかなるものか、見極めましょう。

 

そうすれば、自分の想像していたイメージと、情報発信側の本意との「ズレ」を、肌身で感じることができます。「ああ、自動‥‥って言っても、そういう意味の自動‥‥だったのか。自分のイメージしていた自動とは、全然違うんだな。」と。

 

もし近くに現物も当事者も存在しないのであれば、そもそも「話半分」として真に受けないこと‥‥ですよネ。数行の文字情報だけで信じ込まないことでしょうネ。

 

 

じゃあ、私の書いている、この文字の羅列はどうなのよ?‥‥ということです。

 

例えば、私の取り組んでいる新技術に関して言えば、実際に仕事で関わった人々に徐々に手応えとして伝播するくらいで、ちょうど良いと考えています。ゆえに、日々の雑感に絡めて、状況を小出しに語るくらいで、文字情報としては十分だと考えます。それで結果、話半分と思われても構わず、むしろ、話半分と思われていた方が「動きやすい」というのもあるのです。

 

だってさ、話半分として油断していただいたほうが、ドーンと繰り出すほうにしても、意外性が打ち出せて、痛快で、好都合だもんネ。

 

それに‥‥です。ある程度の技術を得た人間同士、完成したブツをみれば、「今はどのくらいの進展度なのか、どのくらいの開発規模なのか」が解ろうというものです。After Effectsのプロジェクトなんて開かなくても、映像を見ただけで、どんなことをやっているかなんて、技術を持ったもの同士なら解るじゃん?

 

「Fw190、1941年に突如、ドーバー海峡に現る!」‥‥みたいな、時にはショッキングな開発競争があってこそ、技術はどんどん進化していきます。

 

技術開発競争など、色々な思惑が蠢く中、ツイッターの数文字の字面に揺動させられるのではなく、その文字情報の奥を読み込むくらいの気概でちょうど良いのだと感じます。

 


何時間描けば上手くなる?

たまに、絵を描く話題で、「1週間何日、1日何時間かけば上手くなれますか」なんていう話がありますが、これは絵に限った話ではなく、何かしらの技術を獲得した人間たちからすれば、ある種、笑い話のようなものです。絵や音楽(楽器演奏)によくある「何時間やれば」パターンです。

 

そして、「1日何時間かけば上手くなれるか?」なんていう思考をする人が陥りがちなのが、「どうすれば監督になれますか」という役職やポジションを自分の目標にしてしまうこと‥‥で、これもある種の笑い話です。

 

この2つの共通点は何か? ‥‥というと、結果物が不在な点です。

 

絵を描けるようになった自分、監督になった自分。

 

‥‥つまり、描いた絵ではなく、作った作品でもなく、自分の価値や評価を主題にすると、「何時間、自分を犠牲にすれば、得られるのか」とか、「どのような対価を払えば、役職をもらえるのか」的な行動パターンになるわけです。

 

 

ふと、自分目線ではなく、他人からの目線で考えてみましょう。

 

あなたが「自分は何者になれるのか」を成就させるために、周りの人々は動いてくれるものでしょうか。

 

あなたの結果物が欲しくて、そしてその結果物を継続的に活用したいがために、周囲の人々はあなたの存在を欲するのです。あなたが「何者になりたいのか」を具現化するために周りが存在するのではありません。

 

 

「1週間何日、1日何時間かけば上手くなれますか」‥‥なんて考える人は、本当に絵が描けるようになりたいのでしょうか。「絵がかける自分」に憧れているだけではないでしょうか。そういう人にとって、行動の目標・対象は「絵」ではなく「自分」なのです。

 

私は絵を描きます」と言う人に対し、周りが何を期待し何を欲するのか、「私は」の部分ではなく、「絵を」の部分ですよネ。とても簡単な事です。

 

 

‥‥で、最初に戻って、「1週間何日、1日何時間かけば絵が上手くなれますか」と言う問いの答えは、あまりにもシンプルです。

 

「描けるようになるまで描く」‥‥です。

 

 

1週間に何日、1日に何時間なんて制限は設けず、描けるようになるまで無我夢中に描くのです。描けない現実が悔しくて、「描けた!」と思えるようになるまで、それこそ取り憑かれたように描くわけです。

 

なので、時間の融通のきく学生時代に、基礎的な取り組みをやっておくのが最適なのです。

 

 

1週間に何日、1日に何時間‥‥なんて考えること自体、「あなた、本当に絵が描きたいと思っているの?」と言うことなのです。何だか、「絵そのものが描けることよりも、絵を描ける自分にはなりたいので、その代償として、自分の時間を何時間捧げなければならないのか」なんて言う、貢物や交換条件みたいな発想です。

 

「結果物よりも自分を優先的に考えてしまう」ことの表れは、絵に限らず、なんにでも当てはまります。そして、自覚していなくても行動に表れて、わかってしまう人には簡単に気取られてしまいます。結果物を自分の遥か風下においている様子は、結果物が大事な周囲にとって、不利益な状況ですからネ。

 

根本的な考え方に由来する態度は、何とも皮肉なことに、その当人の処遇に影響します。「結果物よりも自分を優先的に考えてしまう」思考があるがために、「周囲があなたに対する優先度をどんどん下げていく」事態を引き起こします。‥‥つまり、まるで逆効果なわけです。

 

結果物を大事にすれば、その結果物を生み出した人間の処遇も変わってきます。自分の情念や技能を絵に込めれば、「この絵、誰が描いたの?」と注目されるきっかけを生みます。そしていつしか「この人が描いてくれるのなら大丈夫」と、周囲が「想定」してくれる構造も得られるでしょう。

 

そうした基本的なプロセスなしに、いきなり「自分のことを大切に想ってください!」なんて、‥‥じゃあ、あなたは他人に対して結果物度外視で、人となりや見た目のインスピレーションだけで評価を下しているのか?‥‥なんて話にもなりましょう。

 

 

まあ、アニメ業界の根深い問題は、結果物本位で行動して評価を得ても、十分な対価が支払われない貧困構造ではありましょう。

 

とはいえ、私はフリーランスも会社所属も両方経験しておりますが、結果物で評価され「のし上がっていく」基本は同じです。周囲が「この人に作品作りに参加して欲しい」と思わせるのは、「その人がもたらす結果物に期待する」からです。

 

その点を踏まえれば、自分の行動指針も見えてきましょう。

 

ただ、行動指針というものは根本的にはそう易々とは変えられないのは、人間だけでなく猫を見ていても痛感します。幼い頃の刷り込みは相当根深いです。現在がどんな境遇であれ、幼い頃の刷り込みは現在の当人に作用し続けます。簡単に人は変わらないのです。

 

「己の存在を保証する愛情への渇望」をどのようなアプローチで満たそうとするのか。

 

当人の根本に関わってくる問題と言えるので、そう簡単にアドバイスできるものでもないのです。

 

 

ただ経験的に言えるのは、「絵を描く自分」ではなく、「描いた絵そのもの」に対する執念を燃やせば、絵は短期で上達します。逆に、3年描き続けても絵が上達しない人は、「絵ではなく自分」を見つめ続けているのかも‥‥知れませんネ。

 

 


アマゾン、実質、クレカ一択のお店に。

アマゾンがペイジー支払いで何かをヤラかしたようで(ヤラかされたようで)、ペイジーサービスがアマゾンだけ使えなくなっている状況(ヨドバシなどの他の店は普通に使えます)は、以前書いた通りで、今でも停止中です。

 

ペイジーが停止した現在のアマゾンは、クレジットカードと代引き、そしてコンビニなどのATMや端末での支払いが可能ですが、私のように「調達の手間を最大限に省きたい」人間は、実質クレジットカード1択のみとなり、アマゾンは「クレカ専用ショップ」となってしまいました。

 

代引きは手数料が加算される上に、宅配ボックスがあっても不在時の受け取りが不可能となり、非常に不便です。

 

また、コンビニ払いは、実際にやってみると、地味に段取りが嵩んで、面倒です。

 

  1. 支払う代金をあらかじめ現金で用意しておき
  2. コンビニに足を運び
  3. 端末で番号を入力し
  4. 代金支払いレシートを発行し
  5. レジで現金で支払い
  6. 取扱明細がレジでプリントアウトされ領収書として受け取って
  7. その後、払込確認のメールを待ち発送連絡を待つ(結構時間がかかります)

 

‥‥うーむ。これは中々、キビしい。

 

こんな段取りがしたくないから、ネット通販を利用しているのに、台無しですネ。

 

‥‥よって、アマゾンは、現実的に(& わたし的に)、クレジットカードのみの決済と考えた方が良さそうです。

 

はじめて「コンビニ端末での支払い」をしてみましたが、捨てるタイミングに困る、こんな大仰な「取扱明細兼領収書」をレジで受け取るハメになります。A4の半分なので、A5サイズです。

 

*結構、デカいサイズの領収書。

 

 

まあ、クレカで決済すれば「普通にアマゾン」なので、アマゾンがセキュリティを復旧して、ペイジーが復活するまでは、クレカ決済だけのお店として利用する‥‥ということになります。

 

クレカって、どの決済がどのタイミングでおこなわれるのか、把握しにくいので、定期便とか自分で決めた枠内の買い物以外は、ペイジーでお金の流れを把握するようにしていたのですが、そんなこんなで、アマゾンでは支払いの使い分けできなくなっちゃいました。

 

でもまあ、いいか。それはそれで。

 

あまりお買い物せずに、ストックを減らそう。

 


雑感。

「大艦巨砲主義」。当代随一の強力な砲を積んだ戦艦で、ライバルの国々を圧倒する「軍事力合戦」の一番わかりやすい形態です。

 

戦艦大和の建造費は、最近の説によると現在のお金に換算して「3兆円」だとか。つまりは、大艦巨砲主義は、お金や技術力も全てコミコミの「国力の象徴」だったのでしょう。どんなにお金を持っていても技術力がなければ自国で大戦艦など建造できませんし、その技術力を有するようになるには、長い年月と夥しい資金が必要だったでしょう。

 

しかし大艦巨砲主義によって建造された戦艦が、はるかにコストの低い航空機戦力によって撃沈される事態が、第2次世界大戦中に数多く発生しました。日本人にとって有名なのは、マレー沖海戦でイギリスの新鋭戦艦であるプリンスオブウェールズが、日本軍の攻撃機によって撃沈され海の藻屑と消え去った出来事でしょう。

 

 

ドイツ海軍最強を誇る戦艦ビスマルクが、事もあろうに旧式な複葉機のソードフィッシュの放った魚雷によって致命傷を負い、進退極まった末にイギリス軍艦に包囲されタコ殴りで最後を迎えたのも、大艦巨砲主義の幕を象徴しています。

 

 

でもまあ、ビスマルクやマレー沖のプリンスオブウェールズよりも、日本人にとっての大艦巨砲主義終焉の象徴は、大和と武蔵でしょう。両方とも米機動部隊の航空戦力によって沈没しています。

 

 

アニメ制作における「大艦巨砲主義」。すなわち、大予算を組んで、各方面の腕の良いアニメ制作スタッフを招集して、全国の劇場何百館で公開し‥‥という形態に、今でも夢を見る人は大勢いるように思います。戦艦が男の子の憧れだったように。

 

大予算を獲得するには、制作会社の信用がまず必要で、その信用を獲得するには、高い技術力と生産力で歴代の作品を作り続けた実績が必要です。まさに「国力」ならぬ「社力」が必要になります。テレビ作品相当品質を大スクリーンで投影したのとは格が違う、「大劇場作品」を作る能力が制作会社に求められます。

 

今でも劇場に足を運ぶ人がそれなりに存在して、「大劇場作品」に夢を抱くのも、それはそれで構わないと思います。

 

しかし、私自身の感慨で言えば、「大劇場作品」にしても「大人気テレビシリーズ」にしても、何かもう「遠いもの」のように思えてなりません。特にテレビの主戦場は今や「深夜」ですから、70〜80年代の隆盛は見る影もないです。

 

劇場という枠組み、テレビシリーズという枠組みは今後も存続するのかも知れません。しかしそれらがアニメの「巨砲主義」を体現していた時代は、収縮していくばかりに思うのです。先人が築いたスキームは、まさに先人の生きた時代の「リアル」な産物と思うからです。今はもう、平成の終盤、決して昭和のど真ん中ではありません。

 

歴歴の座組みで盛り上がる大型の劇場やテレビは、私にとっては「大戦艦」に見えます。未来に目指すべきは、大戦艦の大艦隊ではなく、だからと言ってゲリラやパルチザンの地下組織でもないように思えます。例えば、ゲバラが2020年に存在したとしても革命は成功しなかったでしょう。1950年代だから革命は成功したのだと思います。

 

大艦巨砲主義もゲリラの革命も、2020年代にはそぐわない気がしています。2020年代をうまく利用する方法があるはずですが、それには利用する知識と直感力は不可欠でしょうネ。

 

最新の技術をフットワークも軽く、少人数制によるシフトを巧みに使い、大戦艦もゲリラも手の届かなかったフィールドを飛び石で活用していくのが、「技術力を持つ弱者」のこれからの戦術のように思います。

 

 

「大戦艦」の「乗組員」として一生を全うできるのなら、それはそれで本望でしょう。でも、本当にこれから先の未来、全うさせてくれる安定した状況は続くのか‥‥、危うい感じはしますよネ。

 

劇場やテレビに寄り添うだけで、未来も変わらずに、生き続けていけるのか。今までのアニメ制作の形態に準じて、本当に安泰なのか。

 

プリンスオブウェールズ(キングジョージ五世級)の後継艦のヴァンガードは実戦を経験することなく除籍・スクラップ。世界は、戦艦を必要としなくなった時代へと変わっていき、各国の戦艦は皆スクラップか博物館行きとなりました。

 

さて、アニメを作る人々は、未来の世界において、どれだけ思考をシフトできるでしょうか。海軍が自らの象徴とも言える戦艦に対し、「戦艦不要」を決断し思考を変えていったのと同じことを、アニメ制作関係者は出来得るのか、これからの成り行きは如何に? ‥‥ですネ。



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