ゼロ戦を叩きのめした国だもの

新しいアニメーション技術において、やばい、随分先を越されてる‥‥と思うのは、日本国内ではなく、アメリカです。

 

さすがに、零戦登場のショックから冷静に状況を見極め、やがて零戦を完膚なきまでに叩きのめした国です。

 

日本人はある場面では非常に尊大で、自分たちこそが細やかな職人芸の頂点だと自負するようなところがあります。その反面として、アメリカは大雑把で粗野で不器用で完成度が低い‥‥的な物言いをする人も多いように感じます。

 

 

つーかさ‥‥。そんなにアメリカ人が不器用で大雑把だったら、トムキャットとかラプターとか開発できんでしょ。

 

与圧室をもったB-29に対抗できる高高度戦闘機をついに実用化できずに日本は負けたじゃん。

 

画面全体の統合的な色彩感、何重にも表現される奥行き感など、既に70年以上も前の作品「Bambi」で極めて豊かに繊細に表現してるし。

 

アメリカとは、恐るべき細やかな技術力と巨大な工業力を有する強大な国家、そして、その強大さを支える多民族国家だと思いますよ、私は。

 

 

その国家の性質は新しいアニメーション技術にも顕著で、「うわ‥‥ここまで来てんのか」と心が打ちのめされることも多いです。正直、新技術に関して、アメリカのマンパワーと運用力には現時点では太刀打ちできません。

 

なので、小国日本の私としては、アメリカには手が出せない要素を集めて、巧妙に構成して‥‥と、まあ、その先は語るまい。

 

 

怖いなあ‥‥アメリカ。

 

あそことあそこの部分に進出されたらヤバイぞ‥‥と恐怖する反面、アメリカの国民性としてそれはあるまい‥‥とタカをくくる私もいたりと、複雑な日々です。

 

やはり、日本人の武器は、「日本人であること」ですかね。日本人自ら言うのは奇妙ですが、「ジャポニズム」です。

 

合理性だ何だと宣っても、最後の決め手は、国それぞれの国民性=「血」なのかもな‥‥と思います。

 

 


クリスタのiOS版。

でましたね。

 

今までのProcreate一択だった状態から、今後はProcreateとクリスタの二強時代(=わたし的にです)が訪れる予感。

 

今日インストールしたばかりなので、細かいところは判りませんが、レイテンシーなどは特に気にならず、基本性能は上々みたいです。デフォルトで選択されている鉛筆ツールの描き味は、何のストレスも感じず、画具そのものと言った感触です。

 

パームリジェクションも、何も設定してませんが良好です。私は左利きなので、いずれインターフェイスの位置は調整するとは思いますが、ツールの上においても誤反応することはなかったです。

 

Procreate同様に、人差し指を消しゴムに割り当てる機能もあり、ジェスチャーの使い勝手も今日的で良好です。人差し指1本のスワイプの時は消しゴム、長押し後はスポイト、画面のスクロールは二本指のスワイプなど、その他にも細かくジェスチャーを使い分けられそうです。iOSはこれがないと、iOSの意味がないですもんね。

 

ちょっと使っただけでも、以前に比べてかなりの創作の幅が広がる予感をひしひしと感じます。

 

ただ、インターフェイスは、昔からのクリスタユーザを意識してか、全くiOSっぽさは無いです。良くも悪くも、MacかWindowsのサブモニタみたいです。旧態依然としたインターフェイスデザインは、今やiOS慣れしたわたし的には少々違和感もあります。

 

上と横に配置されたツールウィンドウの影響で、描画面は狭めです。これは13インチのMSPを弄った時にも感じた狭さで、もうちょっとだけでもiOSの利点をインターフェイスに活かせなかったものか、少し残念にも思いますが、もしかしたら「広く使うための工夫」があるかも知れないので、今後の使い込みで印象が変わるとも思います。機能が豊富ですと、簡単には評価できないですもんね。

 

月額980円の設定は、全然OKです。仕事でお金を稼ぐ原動力となるツールですから、そのくらいは支払って然るべし‥‥です。

 

ただ、未成年の少年少女には厳しくなり始める金額かも知れません。Mac/Windows版の「月額500円」は相当、エデュケーショナル的に威力がありましたもんね。

 

 

つい先日、とうとう自宅のiMac 5Kから、板タブを外してしまいました。最近はほとんど使っていないですし、描きは全てiPad Proでやって、「共有」機能=Air DropとかiCloudで受け渡しすれば済むので、Intuosの出番は全く無くなって久しいのです。

 

そんな矢先、クリスタのiOS版のリリースも相まって、もはや液タブでも繋がない限り、Mac/Windowsでペンタブを使うことはないでしょう。

 

iPad Proオンリーでの描き作業になれちゃうと、MacやWindowsのマシンを絵を描くためにいちいち起動するのが、「大仰」過ぎるような気持ちになってきます。「パソコン」に束縛されずに絵を描く感覚は、慣れてしまうと離れられません。パソコンの存在が重くてな‥‥。

 

クリスタまでiOSで使えるようになった今、自宅のiMac 5Kの使命は、母艦としての機能と、4K60pの映像制作、コンポジターとしての作業がメインとなります。パソコンで絵を描くのは、よほどの緊急対応でもない限り、しないと思います。

 

まずは、クリスタのiOS版リリースを素直に喜ぶことにします。

 


DNxHR!

DNxHRのコーデックを色々と検証していて、特に画質面で驚くことがありました。DNxHRは、素で、トーンジャンプを抑制する「仕込み」をしているようです。‥‥本当のところはわからないので、推測ですが。

 

普通、トーンジャンプ(バンディング、バンド、マッハバンドなどとも呼ばれる)を抑制するのは、コンポジターの役割です。ディザ拡散のような状態を作り出して、単純な画素構成を回避し、トーンジャンプ=画面のシマシマを未然に防ぐわけです。

 

単純なベタ面に単純なグラデーションを加味すると、状況によっては盛大にトーンジャンプが発生しますが、画素の成り立ちを複雑にすれば、ベタ面もグラデーションも複雑化し、単純パターンのトーンジャンプを抑制できるのです。

 

単純なベタ面に単純なグラデーション。‥‥つまり、今の日本のアニメ業界製の映像が陥りやすい画素構成ですが、各社各人、色々と工夫してトーンジャンプを防いでいます。

 

しかし、DNxHRはコーデック自体が、その演算の中で画素の値を拡散し、画素構成を複雑化させて、レンダリングするようです。

 

コーデック自体が値を拡散させてレンダリングする事例は、今は消え去った「Animo」くらいなもので、他には聞いたことがありません。

 

どのくらい拡散させているかというと、8bit換算で「+1」の値です。例えば、[127,127,127]というRGBデータの場合、DNxHRでレンダリングすると、[128,127,128], [127,127,128], [128,127,127]のように、値をRGB別々に(つまり色相方向に)拡散させて出力します。

 

*DNxHRの出力した、RGB値127のSolidLayerの1600%拡大図です。圧縮前提のJPEGだと意味がないので、可逆圧縮のPNGです。値拡散の様子は、ブラウザの表示だと判りにくいかも知れません。

*ブラウザの都合で、PNG画像は表示されない場合がありますので、ご容赦ください。

 

 

この効果は大きく、16bitですらトーンジャンプが発生していた状況でも、この画素値拡散の演算によって、シマシマ模様を抑制しています。

 

下図は、わずかなグラデーションを、DNxHDで出力したものです。よく見ると、横縞=トーンジャンプが見えます。

 

*誇張すれば縞模様が見えやすくなりますが、誇張したら検証にならないので、微妙なままイジってません。

 

同じグラデーションをDNxHRで出力すると、横縞は見えません。かわりに、マダラ模様が見えますが、図は1600%拡大なので、実寸では気になりません。

 

 

代償として、データ容量はかなり大きくなります。同じ内容(=画素値拡散を施した)ProRes4444のムービーファイルの2倍の容量になったのを確認しました。ProRes4444でも「容量がデカい」と言われてましたが、その2倍ですから、ファイルサーバの容量も相当喰うようになるはずです。

 

また、計算速度も相応に時間がかかるようになると思われます。まだ様々な条件の映像を実地で計測していないので、何とも言えませんが、画素1つずつを拡散させると、結構時間を喰うようになります。

 

でもまあ、そうした負荷の甲斐あって、絵そのものはかなり綺麗です。取り急ぎ実施したテスト結果から、DNxHDの画質を大きく改善しているのが読み取れます。DNxHDはかなり心許無い画質でしたが、DNxHRなら「大丈夫かも」知れません(現在のところ、予測しかできないので、「かも」です)。

 

 

ちなみに、DNxHRの出力する画素値拡散と同等の出力は、After Effects上で再現できます。‥‥なので、DNxHRを選ばずとも、綺麗なコーデックを選択すれば(ProRes4444とかCineFormとか)、DNxHRと同等のトーンジャンプ抑制機能は付加できます。

 

‥‥判りにくいですが、数はAfter Effects上でDNxHRの画素値拡散を真似てみたものです。

 

http://img-cdn.jg.jugem.jp/fd7/2754123/20171113_5292358.png

 

 

今回の参考画像は、どれも「微妙な差」ではありますが、こうした基礎技術を現場が有していないと、特に2Dアニメーションのような手作りの映像は、簡単に品質が上下してしまいます。

 

DNxHRのような「トーンジャンプ消し」効能があるコーデックを実際に使うかはともかくとしても、コンピュータの画像を主として扱うアニメーション映像制作にとっては、画素レベルのクオリティコントロールは、この先もずっとつきまとう命題ですネ。

 

 


透ける処理

髪の毛が透ける処理において、多重組み・複合組みを引き起こしやすいのは、特に仕上げ・撮影スタッフなら、痛いほど認識しています。私も多重組みの「独特のセル番号」のファイルを見ると、憂鬱になります。

 

しかし、原画を実際に作業してみれば解ることでもあるのですが、いくら多重組みを意識できていても、原画作業アップ後に演出チェックやラッシュチェックでシートのタイミングが修正されれば、原画マンの記述した多重組み対応のシートはあっという間に崩壊です。

 

現場運用の前提として、多重組みに対して、原画作業時に何をどう対応すべきか、明確になっているでしょうか?

 

要するに、一番問題なのは、「多重組み処理に対するガイドライン」が「存在しない」ことです。

 

ツイッターでは、「画の勉強をしろ」だの「シートをちゃんと書け」だの、色々とヒステリックな言葉を見かけますが、絵を勉強しようがシートをちゃんと書こうが、多重組みへの対応が各現場でバラバラですし、そもそも誰がどの段階でタイミングとセルワークをフィックスして多重組み対応のシートを記述できるのかもケースバイケース(原画?演出?作監?動画?動検?)ですから、様々な状況を想定して冷静に分析すべきでしょう。

*ちなみに、現状で私の知るところでは、多重組みをシートに反映させるのは撮影セクションで、仕上げさんの申し送りのメモ用紙を見ながら、間違わないように慎重に取り扱います。(対応の仕方は、色々あるようです)

 

「作画スタッフは撮影のことをもっと勉強してくれ」と言うのであれば、それを言った人はその逆、「作画にまつわる色々なことを勉強すべき」です。キャラ表を見て、絵コンテを見て、原画を描く作業を実際に経験してみれば、なぜ「多重組みが発生するのか」「多重組みであることを見落としやすいのか」が実感できると思います。

 

多重組みは髪の毛が透ける時だけでなく、髪の毛の影が肌に落ちる時にも発生します。ですから、「髪の毛は透けない」キャラデザインにしようと、多重組みの落とし穴は大きく口を開けて待ち構えています。

 

私は原画も作画監督も経験しましたし、撮影も撮影監督も経験しましたから、一方からの視点だけで多重組みをジャッジすることはないです。と言うか、したくないです。一方からだけの視点で判断するのはフェアじゃないからね。

 

ただ、一部の作画スタッフや演出さんが「多重組み」に対して全く野放図で他人事なのは、確かにムカつきますよね。もうちょっと気を使ってくれても良いでしょうよ‥‥と。

 

まあ、あと、キャラ表に「髪が透けるので、多重組みが頻発します。シートワークにご注意ください」とか一筆書いておけばよいのにな‥‥とも思います。

 

例えば、髪の毛が透けるキャラで、Aセルが顔本体、Bセルが目と眉と口、Cセルが髪の毛のなびきリピートだとして、以下のシートは配慮がなさすぎます。

 

 

あー、頭が痛い。異様に面倒な事になっとる。CセルがBセルを跨いでいるタイミングが頻発しているし。

 

髪の毛は透けないし、目や眉にかぶる影もなければ、上記シートでも通用します。しかし、髪の毛が透けるキャラで、影付け設定ではしっかりと髪の影が目と眉に被っている場合は、そりゃあもう、面倒なことになります。

 

腕試しに、上記のシートをもとに、多重組み対応後のシートをつけてみてはいかがでしょう。もの凄く複雑なシートになることが判ります。

 

表情変化のBセルの動きに合わせて、髪の毛のリピートの中で組みを切ることを事前に考えれば、こんなシートは打てないです。

 

だからと言って、まさかキャラ表を無視し、影付け設定も無視し、原画マンや雇われ作監の一存で、「髪透けない」「肌の影無し」にできるわけもなし‥‥です。

 

なので、せめて、こうしたいです。

 

 

こうすれば、少なくとも、「タイミングまたぎ」の複雑な多重組みは発生しません。

 

髪の毛はリピートだから、少しでも滑らかに動かしてリッチにしたい‥‥というキモチは判りますが、一方で、多重組みで「タイミングまたぎ」があると異様に面倒になりますから、セル構成を鑑みて、ここは3コマ打ちでグリッドに沿わせるシートにすべきです。

 

でも、そんな工夫をしても、ラッシュチェック後にタイミング修正があれば、多重組み対応の作業全てはやり直しです。

 

 

多重組みに苦心したスタッフからすれば、「ぐはっ‥‥」ですけど、これはもう、演出上で明確な理由がある場合はどうしようもないです。

 

まあ、多重組みであるにも関わらず、ちょっとした軽い気持ちや浮ついた雰囲気でタイミング変更をしようとするのなら、撮影監督の状況判断&監督権限をもって阻止しますけどね(切羽詰まったスケジュールの場合)。何のための「撮影工程」の責任職たる「撮影監督」か‥‥です。撮影監督は、監督や演出の「子分」でも「イエスマン」でもないですからね。監督・演出と撮影監督が信頼関係を築くと言うことは、「厳しいものは厳しい」こともちゃんと伝えられる関係性だと思います。

 

でもだからと言って、まさか、演出さんに「多重組みのカットは一切タイミングをいじってくれるな」なんて要求できるわけがないですよね。ラッシュチェックを見てからでないと判断できない‥‥なんていう素人みたいなことを言う人は「何のためのプロフェッショナルか」ですけど、やむにやまれずラッシュチェック後にタイミングを変更しなければならないこともありますから、これはもう、「髪の毛を透けさせることにした時点で、背負うことが決定した十字架」みたいなものです。

 

多重組み対応は大変だから‥‥ということを演出さんが認識していれば、機転をちょっと効かして、以下のようなシートにするはずです。

 

 

こうすれば、多重組みの作業で作った番外のセルは無駄にならないですし、After Effects上でも対応が簡単です。まあ、演出さんが気づかなくても、気の利く仕上げさんや撮影さんが、「Cセルの髪の毛も一緒にタイミングをズラせば、組み切りの再作業を節約できます」と進言すれば良いです。ぶっちゃけ、リピートのループ点が3コマ後ろにずれても、決定的な欠陥にはならないですし、「C1」ではなく「C6」からスタートしていることに気づく人はほぼ皆無‥‥でしょう。

 

多重組みは、タイミングを変えるとそのバランスが崩れる‥‥ということを知っていれば、やむをえずタイミングを変更する際に、演出さんは色々と知恵を絞ってくれるはずです。

 

 

 

でもなあ‥‥‥、多重組みに代表される現場の混乱って、結局、旧来現場の技術的限界そのものなんですよね。

 

もし、多重組み問題を本当に改善したい・払拭したいと思うのなら、新しい技術開発にも目を向けるべきです。旧来の技術に依存し続けているからこそ、旧来の限界を引きずり続けるし、新しい時代のニーズにも対応できないし、お金に関する様々な問題も解決の糸口すら見えてこないのです。

 

誰が犯人か‥‥なんて言ったら、多重組みに関して言えば、原作のキャラがそもそも透けさせて描いているから‥‥なんていう話に行き着きますよ。

 

内部抗争・内ゲバに費やす時間とエネルギーを、もっと他のこと〜未来の可能性と資質に注ぎたいと私は思います。

 

延々と内輪もめしてたって、何も未来には繋がっていかんからな。

 

 

 

 


髪の毛が透ける処理

アニメ制作関係者のちまたの話題で「多重組みに困っている」という話題をよく耳に(目に)します。原画マン(アニメーター)や演出チェックが気づかないのが悪い‥‥という論調になりがちですが、髪の毛のなびきと表情変化の組み合わせでありがちな多重組みの問題は、そもそもキャラクターデザインが多重組みの問題を頻発させる起点である‥‥のは、現場の人ならお判りですよね。

 

アニメのキャラデザインってさ‥‥。そもそも「作画枚数が多いことを最大限考慮」していたはずですし、「セル重ねの限界を考慮」していたはずです。

 

‥‥なのに、今は、原作がそうだからなんていう理由で、安易に髪の毛を透けさせるよね。原作の絵がどうであろうと、アニメ制作技術を考慮した上で、キャラデザインはおこなわれるべき‥‥ですが、そうもいかないのも「大人の事情」なんでしょう。アニメ現場のキャラデザイナーの主張が100%通るとは限りませんしネ。

 

私は作画もやりますしコンポジットもやりますから、今、自分の描いている「髪の毛が透ける処理」の原画が、セルワーク的に非常にめんどくさいことになるのを、描きながら自覚しています。‥‥が、髪の毛が透けるデザインであるがゆえに、そのめんどくささをどうしても回避することができません。できることといえば、髪の毛と表情変化のコマ打ちを揃えること‥‥くらいです。(髪の毛と表情変化の動きがズレていると、アホみたいに多重組みが複雑化します)

 

髪の毛が透けている風に描く処理=目と眉の線が髪の毛に描き込みの場合、考えるだに虫唾が走るめんどくささになります。顔本体をAセル、目と眉をBセルにして表情変化、髪の毛のなびきはCセルでリピート‥‥って、ハイ、多重組みのいっちょ上がりです。

*実際の処理は、二値化の利点を生かして、「合成」ではなく「組み」(=目と眉の部分がヌキになっていて、下のセルが透ける)で処理されることが多いようです。二値化ですと、階調トレスと違ってアンチエイリアスがないので、完全に合致するセル組みが可能です。

 

 

*体と顔の肌がAセル、目と眉と口がBセル、髪の毛がCセルです。

 

Cセルは、目と眉が描き込み(もしくはBセルと組み)なので、下図のような状態です。

 

 

表情変化をBセルで動かすと‥‥

 

 

Cセルも一緒に描き込みの目と眉を更新しないと、下図のように、髪の毛の中だけ、目と眉がズレてしまいます。

 

 

なので、下図のような意図した通りの絵に仕上げるには、

 

 

Cセルの髪の毛の中身も絵を更新しなければなりません。

 

 

‥‥一見、大したことがないように思えるかも知れませんが、髪の毛がなびいて動いていて、かつ表情にも動きがある場合、双方の動きの交差に合わせて合成(組み)をしなければならないので、とても面倒な処理になります。

 

原画マンが多重組みに無自覚な場合、タイムシートも当然、多重組みを反映していないシートになります。動画も髪の毛の中に透ける目と眉は仕上げ時に合成(組み切り)‥‥なんてスルーすると、仕上げさんのところでセル番号を修正する必要が出てきます。

 

で、その修正したセル番号が撮影で通用するのなら良いのですが、私が見た仕上げさんのファイル名=セル番号は例えば、「C_0001-B3.tga」「C_0001-B6.tga」みたいなAfter Effectsで扱えない番号表記(連番になっていない)になりがちです。B3の時のC1は「C1-B3」、B6の時のC1は「C1-B6」みたいな表記になって、イメージシーケンスとして全く破綻した連番になります。しかも、そのセル番号は、タイムシートには記述がないので、撮影時に解析しながら、番号を振り直して、シートを書き換える手間を背負うことになります。

*言葉で書くと、なぜそんなまどろこしいことをするのか、中々わかりにくいのが多重組みの「罠」です。実際に絵が動いてみれば、判るんですけどネ。

 

仕上げさんは多重組みを解決しようとパズルのような面倒な合成(組み切り)処理を作業する。撮影さんはファイル名とタイムシートを書き換えて正常に撮影できるように作業する。

 

じゃあ原画マンが手抜きをしているのか?‥‥と言えば、実際問題として、多重組みを盛り込んだタイムシートなんて原画時に書きようもないです。演出時にタイミングの変更をおこなえば、多重組みのシートなんてあっという間に崩壊しますもんね。作監チェックOK後でタイミングがフィックスした後でないと、多重組みのシートなんて書けません。

 

動画マンがシートを変更すれば良いのか‥‥とも言えそうですが、仮にラッシュチェック時に演出さんが「表情変化のタイミングの位置をズラします」なんて言ったら、「え〜〜〜!」という事になりますよね。多重組み対応のシートや合成(組み切り)はすべてオジャンです。

 

要は、髪の毛が透ける処理自体に、かなり問題がある‥‥ということです。

 

それにさ‥‥、猫も杓子も髪の毛を透けさせる傾向があるけど、‥‥ほんとにそれって綺麗な処理? もはや、惰性と化して久しいように感じます。

 

「髪の毛が透ける処理」1つとっても、私は「もう旧来の現場はダメだ」と思えてしまうのです。「透ける髪の毛の多重組み」を想像しただけで、頭が痛くなってきます。

 

どこかの誰かがズルしているのではなく、現場の構造や受発注のニーズが関わっている「現場全体の問題」の「エキス」のような存在が、「多重組みの問題」だからです。誰か一人が心を入れ替えて解決できる小規模な問題ではないのです。

 

 

じゃあ、新技術の新現場はどうか?‥‥というと、「いくらでも髪の毛は透けてOK」です。多重組みなど全く必要なしです。

 

なぜかというと、新技術では「髪の毛を実際に透けさせれば良い」からです。「透けてる風に髪の毛に目や眉を描きこむ必要がない」のです。いちいち髪の毛のセルに目や眉を合成するなんて面倒なことは無用です。

 

超簡単。しかも、絵的にも透明感のある仕上がりになります。

 

「拡大作画」もよく話題になりますが、新技術ベースはそもそもキャンバスサイズが大きいので、拡大作画などしなくても絵のクオリティは保たれます。「新型」の技術に拡大作画は無用です。

 

旧来作画現場での「拡大作画」の話を耳にするたびに、旧来品質の崖っぷち状態を痛感せずにいられません。性能不足と練度不足、システム崩壊の中で、バタバタと撃墜されるマリアナ沖海戦=「Turkey Shoot」と呼ばれた旧日本軍機の悲劇を思い起こします。

 

みんなで凄く頑張ってるのに、状況はむしろどんどん苦しい方向へと流れていき、勝つための戦争から、いつしか、負けないための戦争へと消耗の限りを尽くしていく‥‥という点が、太平洋戦争末期によく似ています。

 

 

 

旧来技術で構成された現場は、旧来の限界に束縛されがちです。多重組みや拡大作画などで「付け焼き刃的に」可能領域を広げようとしても、広げた反動でどこかにしわ寄せがいきます。

 

多重組みはその「限界と束縛」の最たる例です。

 

 

戦時中、プロペラ機に補助動力を追加しても、性能不足を解消できなかったように、旧来技術で運用する現場は、例えデジタル作画やデジタルペイントに切り替えても、技術の限界に束縛され続けます。デジタル作画に切り替えても、多重組みは存在し続けるでしょう。

 

私は「ジェット機」に乗り換えて、限界を突破しようと思います。今は色々と問題のあるジェットエンジンも、根気よく改良を進めていけば、必ず主戦力として使い物になると確信しています。

 

プロペラ機だろうが、ジェット機だろうが、パイロットは必要です。‥‥要するに、未来にどちらを選ぶか‥‥ということだけです。

 


タブレットの作画環境を気に入っている理由

私は、iMacの作業と、iPad Proの作業は、完全に分離していて、同じ机では作業しません。なぜかと言うと、操作が煩雑だからです。

 

iMacを使っているときは、マウスとキーボード中心です。板タブも繋がってはいますが、サブ要素でしかないです。AfterEffectsや文章書きなどは、iMacです。

 

iPad ProやFireを使っているときは、キーボードはBluetoothで使用可能であるもののほとんど使用せず、すべてApple Pencilと手=タッチ(ジェスチャー)だけです。絵を描く用途がメインです。

 

コンピュータでアニメを作る‥‥といっても、手の感覚が重要な作業はiPad Pro、数値入力を含めた全般の操作が必要な作業はiMacやMac Pro‥‥という住み分けが定着しています。

 

私が、作画机にモニタを置かずに、タブレットだけで構成しているのは、作業の動作の流れをできるだけ止めたく無いからです。設定資料のページをめくるのに、いちいちマウスに持ち替えるのは「大した手間でも無いように思える」のですが、実際、タブレットオンリーで、フリックやスワイプ、ピンチインアウトのジェスチャーに慣れると、マウスに改めて持ち変えるだけで「作業の腰を折る」ようなストレスを感じます。

 

タブレットのタッチ操作で統一する事で、作画机は格段に使いやすくなる‥‥と私は実感しております。

 

 

ちなみに、「スワイプで設定資料のページをめくるのって地道すぎない?」と思う人もいるかと思います。実は私も以前はそう思ってました。

 

しかし、以下の2つの方法で、マウスで検索するより快適になることを、作業上で学びました。

 

 

1・自分の使う設定資料だけを、PDFで編集しておく

 

これは大事です。自分の作業に要らないページを削除しておくことで、軽量でめくりやすいPDFになります。macOS添付の画像プレビューソフト「プレビュー」で簡単に編集可能です。

 

PDFやアルバムを指でめくるので、設定資料や本をめくるのと、同じ感覚とリズムで、作業に馴染みます。まあこれは「操作の好み」も大きいとは思います。

 

 

2・トリルの操作になれる

 

トリルとは例えばピアノで「ドレドレドレドレドレ...」と2つの音を2つの指(例えば人差し指と中指)で交互に演奏する奏法です。ギターにもフルートにもティンパニにもトリルはありますが、ここでのトリルとはピアノの奏法を指します。

 

スワイプ操作は、何も人差し指だけしか使っちゃいけないのではない‥‥のです。人差し指と中指を交互に動かせば、超速のスワイプが可能です。‥‥実際に、私はこの2年間近く、「トリルスワイプ」でいくつもの作品を設定をめくりまくりました。

 

ただ、ピアノの打鍵のトリルとは違って、指で引っ掻くようにトリルの動作をします。じゃないと、スワイプにならんから。

 

もしかしたら、3本指のトリル(3つの音の場合、トリルとは言わないですけど、話の流れで便宜上)だと、もっと速くなったりして。「ミレドミレドミレドミレドミレドミレド...」という感じに。‥‥私はそこまでせずに、2本指だけでやってます。

 

 

 

 

まあこれは、私の2年間の作業上の実感なので、絶対的なものでは一切無いです。

 

ただ、パソコン本体とパソコンモニタを、原画机や動画机に置くのは、ちょっと無理があるかもな‥‥と、色々な人々の環境をみて思います。タワー型のPCを机に置いているのをたまに見かけますが、あれは正直、「無い」です。作画机は、タワー型を置くようには全く想定されていないので、相当無理がありますよネ。作画をする人がコンピュータを導入した上で、机を広く使う工夫は、まだまだこれから先の課題‥‥ですかね。

 

ちなみに、タブレットだと4台置いても、そんなに狭くならないですよ。こんな感じで。

 

 

‥‥というか、数えてみたら、5台でしたね。写真では12.9インチが2台になっていますが、通常は10インチのが置いてあります。

 

しかし、これだけ置いてあると、AirDropも鬱陶しい。デビルマンのコミックの最終ページ「ゴゴゴゴゴゴゴ...」みたいです。

 

 

 

ちなみに、High SierraとiOS 11にしてから、ちゃんと各々の端末固有名が表示されるようになって、iPadがすべて「iPad」としか表示されないマヌケな仕様から改善された模様です。あ〜、良かった。(上図では端末名は非表示にしています)

 

 

タブレットの良いところは、USBやLightningの細いケーブルで繋がっているだけなので、いざとなれば、1分で机を全快にできる点です。

 

パソコンのモニタは重いし、電源ケーブルはぶっといし、下手するとDVIケーブルなんかだと最悪だし‥‥で、取り回しがキツイんですよね。

 

パソコンは据え置きで環境フィックスするもので、タブレットはちょっとした移動だったら軽快にできるのが、それぞれの特徴だと思います。

 

 

とりあえず、数年はこんな感じの作業環境で運用していくと思います。今までで一番ストレスの無い、コンピュータ作画環境ではあるので。

 

しかし、今後、タブレットやパソコンの進化で、未来はどうなっていくのか。‥‥作業環境も時代に応じて、変化していくことでしょうね。

 

 


支えるシステム

色々と未来の計画を進めていくと、やっぱり、自立管理型のソリューションを来年あたりから徐々にでも実働させるべきだ‥‥という結論に至ります。以前、私が撮影業務で土台に敷いていた「atDB」というシステムを、全ての作業工程に対応させる取り組みです。

 

しかしなあ‥‥、「自己連結型」=「作業のひな形を作らない、ひな形」という、謎々のようなシステムを目指しているので、私のプログラム能力では多分に持て余す内容なのです。

 

普通は作業開始の事前に、ワークフローを決めます。絵コンテ、作打ち、レイアウト、演出チェック、作監チェック、原画‥‥のようにです。これを静的ワークフローと私は呼んでいます。

 

しかし新時代のワークフローは動的=ダイナミックなワークフローが必須となります。一度決めたら融通の効かない静的=スタティックなワークフローは、無駄が無駄を呼ぶ高コスト構造へと簡単に呑み込まれます。1カットごとに、必要な工程を随時追加し、不必要な工程を省く、クレバーでフットワークの軽いワークフローを、コンピュータを使って管理・処理するのです。

 

これは管理構造にも適用されて、制作管理も「追っかけが必要か否か」でコストを管理するようになります。

 

自律的に作業が進展するデータベース支援型の工房型制作現場は、制作進行がつきっきりでなくてもどんどん循環するので、管理コストを大幅に抑えられます。一方、アウトソーシング=外注プロダクション・外注スタジオに作業を発注した場合は、それ相応の追っかけが必要になり、人的コスト=人足がどうしても必要になります。

 

レイアウトから作監アップまでを、まさか「作画」の一言で大雑把に管理する会社なんて存在しないように、制作の進行状況を管理する「制作進行」も、ちゃんとした「管理のジャンル分け」が必要だ‥‥ということです。

 

旧来のアニメ制作現場は、それこそほとんどの工程が外注・アウトソーシングだったので、制作進行はジャンルの区別なく「追っかけ」をする必要がありました。

 

しかし、新しい現場では、独自のデータベースに支援された「IT型」のインハウスの制作集団に至っては、素材の受け渡しや集計はどんどん自動で処理されていきますから、進行管理に人足を充てる必要がそもそも無いのです。IT型制作工房に制作進行を何人も配置するのは無用なコストとなるわけです。

 

新しい制作技術において、制作進行のなすべき仕事は、外注の進捗状況の管理、ポスプロやクライアントとの調停・折衝といった、プロダクション内部から見れば「外交面」に特化していきます。

 

「少数精鋭」とは、映像を直に触って作業する人々だけでなく、制作管理スタッフにも適用される言葉なのです。

 

 

しかし、そのためには、相応の基幹システムが必要です。

 

相当難しい‥‥です。

 

作業1つを「ジョブ」オブジェクトとし、自己連結型、自動組み換え型のバインドシステムを作る‥‥。オブジェクトには、様々なメタ情報が「自動記録」(=情報記録にいちいち手を煩わせない)され、もちろんコスト=金と時間もオブジェクト毎に管理され、ジョブ視点でも、カット視点でも、作品視点でも、スケジュール視点でも、制作費視点でも、様々な視点から様々な集計が可能=状況の評価が可能‥‥という、単なる集計システムとは格の違う「アニメ制作の情報技術全般」を網羅したシステム‥‥。

 

う〜ん。やばいな。今の私の手には負えそうもない‥‥。構想が大きすぎる‥‥。

 

でもまあ、条件を下げれば、できなくはなさそうです。自己連結型、自動組み換え型というハードルを下げて、任意連結型、組み換え操作型=連結や組み換えは手動でおこなう方式だったら、今の私のプログラム能力でもなんとかなりそうです。「自動記録」はもう随分前から実践しているので、2018年からは何を開発言語に使ってヘルパーソフトウェアを作るか‥‥という些細な問題だけです。

 

自動だろうが、手作業だろうが、何よりもまずはワークフローを固定型から可変型に変えるだけでも大きな前進です。

 

まあとにかく、4K60pの制作経験からフィードバックして、「atDB」を2020年代以降の新時代に適応させる取り組みを、ぼちぼち始めないとアカンです。‥‥でないと、どんどん面倒なことになってきます。

 

とっかかりは、基礎ライブラリ、ディクショナリの記述から始めて、新しいデータベースの構築を2018年から開始できるようにしないとね‥‥。すぐに着手するのは、macOSの何らかの開発言語、何らかのSQL、そして(私の都合で)PHPとHTMLによるフロントエンド‥‥となりそうです。フロントエンドとなれば、CSSもめんどくさがらずに掘らないとな‥‥。CSSって、大変ですよね‥‥。

 

‥‥で、ある程度、運用の自信がついたら、そこから先のプログラム開発は、「餅は餅屋」に任せたいと思っています。

 

 


お金のこと

「ゆとりちゃん」のMac版が終了して以来、家計簿をつけなくなってしまった私‥‥です。家計簿ソフトは圧倒的にWIndowsに選択の幅があり、一時はWindows版の家計簿を使ってはいたのですが、家計簿をつけるたびにWindows仮想環境を起動するのが億劫になり、途絶えてしまいました。

 

Macはこういうのは弱いよねえ‥‥。

 

まあ、Numbersで自作すれば良い‥‥とは思うのですが、日々の仕事に流されて、途絶えたままです。

 

しかし、自分のこともさることながら、作品作りにおいても、お金の問題からは逃げられません。

 

WindowsならExcelで‥‥となるところですが、Macの場合はNumbersを駆使して、お金の計算を習慣化することが必要に思います。

 

新しい技術による新しいアニメーション制作は、費目が旧来とは大きく異なるゆえに、いわゆる「制作予算表」の慣例がまったく通用しません。かなり周到にお金の計算をしておかないと、どんなに「少数精鋭」型制作現場でも破綻してしまいます。

 

旧来のアニメ制作現場が採り入れようにも採り入れられない「スケーリング」の構造を最初から導入し、単価面、人足面の両面から、精査して枠組みを練る必要があります。過去の慣習に思考を束縛されることなく、大胆な手法も取り入れなければならないでしょう。

 

やっぱり、運用技術面で大々的にコンピュータのパワーを導入するほかない‥‥というのが、率直なところです。アニメの場合、ほとんどが人件費ですから、ワークフロー管理を人力でおこなっていたら、把握しきれない情報量でオーバーフローする上に、人件費もかさみます。

 

コンビニのATMに銀行員が24時間体制で必ず一人常駐する‥‥なんていったら、とんでもない人件費がかかるでしょうから。

 

 

うまくやっていくしかないのは、新しい現場も旧来の現場も同じです。人件費で苦労するのは、技術が新しかろうが古かろうが同じです。

 

新しい現場は、その設計の新しさを武器とし、現在のインフォメーションテクノロジーのパワーをうまく活用して、気を許すとすぐにでも膨れ上がる人件費をできるだけ抑え込むしかないです。

 

ただし、人件費を抑えるのに、旧来現場が犯してきた過ちを踏襲するつもりは一切ありません。1枚のピザを100等分する「わびしい」料金体系を再演するような、同じ轍は踏まんです。‥‥だって、私は旧来現場の「一律単価制」に苦しめられてきた人間ですからね。

 

 

 

旧来のアニメ制作はさ‥‥、人を呼び込み過ぎなんですよね。エンドクレジットの名前の数を見れば、人が多すぎな事は誰でもわかるはずです。あれだけ多くても、まだ「名前さえ出してもらえない」人々も潜在しているのです。ゆえに、一人に与えられる金額が散り散りのハシタ金になってしまうのです。

 

旧来のアニメ制作現場にいる人々全員が、「休みも取れて、収入も十分」と実感できる額で、制作予算を試算すると、それはもう恐ろしい額になると思います。「休みもちゃんと取れるスケジュール」となると制作期間は長くなり、時間=金で、より一層、制作費は「うなぎのぼり」です。30分のアニメ1話だけで8千万〜1億とか平気でいっちゃうんじゃないですかね。

 

でも仮に、そうした制作費で作ったとしても、どの会社でも大体似たようなクオリティ‥‥となると、そもそも「価格に見合う価値がない」という本末転倒な状況に陥るのです。

 

私は以前、「どこの会社でも作っているような、同じ絵柄の同じ品質のものが、一番「お金を出す側は」困る」と話されたことがあります。‥‥私も「自分がお金を出す側で考えたら」同じように思います。代わり映えしない似たような商品は、平均価格・従来価格で買いたいですもん。

 

今のアニメ業界全般の挫折点は、わたし的にはもう分析できていて、「膨大な人足が必要な制作体制ゆえに、制作費を細切れにするしかなく、作業者に行き渡る報酬が少ないゆえに、新しいアイデアを生み出す余力はなく、新しい基軸を盛り込む機運も生まれず、平均的な内容に留まってしまう」のです。業界内で人的リソースを共有する構造も技術の均質化に拍車をかけ、どの会社も似たり寄ったりの「平均的な内容」となります。

 

その「平均的な内容の作業をすればOK」的な慣習が、「いつもと同じものしか作れない技術集団」を形成してしまい、いざ、高額の制作費を獲得できても、高額なりの価値を生み出せなくなる‥‥のです。

 

 

一方、私の進めている新技術の制作システムは、人足をできる限り抑える=少数精鋭のスタイルです。人数が少ないので、ピザは100等分ではなく、10等分で済む‥‥的な考え方です。

 

そんな都合良くいくのか?‥‥と考える人もおりましょうが、現に、私は原画だけでなく、一人で極めて絵の細かい動画200枚相当を1日で作業できたりもします。まあ、200枚ガチで描いているわけではないですけどネ。コンピュータのパワーを使いこなせば‥‥です。4K60pをフルモーションで動かすことも普通に可能です。

*もう少し丁寧に言うと、新しい現場では「動画枚数」という概念自体が無いのです。4K60pのフルモーションなんて、動画枚数換算にしたら、1枚200円でも制作費は破綻します。旧来の動画の概念は、新しい技術フィールドではまったく通用しません。

 

そんな話を聞けば、お金の問題なんて解決できそうに思える‥‥のは、少々早合点、浅い考えです。今まで1枚200円とかで人を動かしていた金銭感覚ではなく、ちゃんとした技術職に値する報酬を支払うようになるわけですから、人ひとりの金額ボリュームが大きくなって、思ったほどには人件費は軽くなりません。

 

運用には極めて慎重な金銭的な運用計画が必須となります。単価でバラまいていたやり方は、まったく通用しません。

 

「絵柄に制限がなく、どんな細かい絵柄でも動かそうと思えばフルモーションで動かせて、しかも少人数体制で完結する。しかし、作業者一人の作業責任と報酬は大きくなり、今までとは異なる時間と金銭の管理が必要となる。ワークフローの管理はとりわけ繊細でシビアになる」わけです。

 

とても高いハードルではありますが、これを超えられずして、新しい未来はない‥‥と私は思っています。

 

お金のハードルは、特に手強いですが、逃げずに取り組んでいこうと思います。

 

 

 

高いハードルだから超えられない?

 

難しいからできない?

 

私は作業しながらラジオがわりに、NetFlix配信の「プロジェクトX」(NHKの旧番組)を流してたりしますが、もちろんテレビ番組ならではの演出脚色はあるでしょうが、不可能を可能にしてきた人たちがいて、現在のスタンダードがかたち造られたことを、番組を見て感じ入っています。旧来アニメ技術だって、不可能を可能してきた繰り返しだったのです。

 

アニメ業界の人々は、いつから技術を革新することを忘れてしまったのか。

 

いつから、自画自賛の人々となってしまったのか。

 

そりゃあ、誰にだって「理由」はあるでしょう。でも、「理由があるから、できない」なんて言う人が全員だったら、時代とともに進化してきた身の回りのほとんどの物は存在しないんじゃないですかネ。

 

 

でもまあ、ぶっちゃけ、他人の無気力や挫折なんて、どうでもいいやって感じなのです。無気力な人・挫折した人を奮い立たせるほど、私は善人でもボランタリーでもないですしね。

 

幸いなことに、「アニメ業界という全体主義」に依存しなくても、新しいアニメーション技術と制作システムは前進できます。世界規模の映像技術の進化が、追い風になってもくれます。

 

気力のある人々、立ち上がって前進するのを恐れない人々と、一緒に未来を切り開いていければ、それだけで心強いのです。

 

 

なので、「お金のことを、うまくやる」のを正面から取り組んで、土台をしっかりと形作る所存です。どんなに気力がある人々が集結しても、相応の報酬が供給されなければ、プロジェクトは頓挫します。

 

精神論なんていうものは、自然発生的に自己の中から生まれ出でるものです。他人が強要すべきものではないです。ましてや、その精神論で現場を動かそうなどとは、愚の骨頂です。現場は金でこそ動き、新たな表現と品質こそ人間が作るのです。

 

「お金という土台」があってこそ、色々な困難にもチャレンジできると思うのです。

 

 

 


未来の不一致

「未来」とひとくちに言っても、アラウンド50の未来と、アラウンド30の未来では、その差20年も開きがあります。

 

未来に向けて、現場の状況を改善しよう!‥‥と声を上げても、残り10〜20年「逃げ切れば良い」未来と、これから40〜50年を「生き続ける」未来とでは、あまりにも内容が異なります。

 

本当に、ベテランアニメーターと若手アニメーターで、未来を変えようとする志、窮状に対する利害は、一致しているんでしょうかね?

 

私は、実は根本的にズレていると感じています。

 

技術面における、未来のビジョンが一致していません。

 

技術は旧式化すれど、あと10数年「保ってくれれば良い」という目論見と、自分たちの「未来を支える技術であってほしい」という目論見では、あまりにも実践すべき行動が異なります。

 

ぶっちゃけ、多くのベテランアニメーターは、紙と鉛筆のままでも良い‥‥と思っているはずです。何せ、今までそれで稼ぎ続けて確固たる技術的な自信があります。たとえ、未来がどのように変わろうと、自分たちが活動している間だけでも、紙と鉛筆が「保ってくれれば」なんとか生きていける‥‥という計算は、口には出さずとも、心の中に秘めているのではないでしょうか。

 

しかし、若い人間はどうでしょうか?

 

4K60pHDR、8K120pHDRの映像世界で、紙と鉛筆で、もしくは紙と鉛筆をタブレットに移し替えただけの「デジタル作画」で、40〜50年もこの先、本当に生きていけると思っているのでしょうか。

 

要するに、ベテランアニメーターは「今までのやりかたが変わらない程度に、少しでも改善できれば御の字」的な視座ですが、若手のアニメーターは「50年スパンの未来世界で生き残っていける、未来型のアニメーション技術」の視座が必要です。

 

技術的観点で見れば、老いと若きの利害は、全くと言って良いほど、一致していません。「マイナスとプラス」と言ってもオーバーではないほど、正反対です。

 

ベテランは「今までのハコが壊れるのはマズイ」のですが、若手は「今までのハコががっちりと固まってしまって、未来を変えられないのはマズイ」わけです。

 

今までのハコがね‥‥、労働条件的に恵まれているのなら、今のままが良いと思う人も多いでしょう。しかし現実は、ちまたの情報の通り=ブラック業界と言われるありさま‥‥です。しかも、世間の映像技術は、アニメのスタンダードからどんどん離れて高度化していきます。技術と労働の両面で、未来は行き詰まっていきます。ゆえに若手は、今のままの技術に乗っかり続けるだけでは、40〜50年間の長きに渡り窮状を我慢し続ける「耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ」未来が待っています。

 

 

こうした利害の不一致は、新しい変化に対応できない老いた世代と、新しい技術でもどんどん吸収できる若い世代の、「肉体的な都合」にも大きく関係します。

 

実は、ベテランアニメーターで一定数の人々は、「技術の転換」を非常に恐れているようにも思えます。「もう、自分の年齢からだと、新しい技術の習得は無理だ」と。

 

例えば、私がどんどん技術基盤の構築を推し進めている新しい技術は、絵コンテすら今までのようには描けません。新技術の得手不得手を反映した絵コンテを描けなければ、新現場の不必要な負担になるからです。「今までの感じで絵コンテを描かれても迷惑」なのです。

 

つまり、ベテランからすれば、新しい技術にシフトしていくと、自分たちは無用の長物と化していく‥‥という不安を、潜在的・暗黙のうちに感じているのではないでしょうか。ゆえに、単価や予算に関することは「改善していこう」と言うわりに、「技術をどんどん未来に向けて変えていこう」とは一切言い出さないのです。‥‥両方必要なのにネ。

 

自分たちが不要になる未来なんて、普通の感情として、受け入れ難いし、拒否したいですよネ。

 

でも若い人々はどうでしょうか。20代の吸収力の高い年代に、どんどん新しい技術を習得していけば、今までとは違う未来を切り開くチャンスを得られます。

 

旧来技術と新技術分け隔てなく、吸収できるものはどんどん吸収してこそ、技術的な選択肢が豊富で、報酬面でも有益な未来を手にできるでしょう。

 

若い人は、少年少女時代から家庭にパソコンやネットが普通にあり、中には、中学高校時代からタブレットで絵を描いていた人までいるでしょう。お父さんのペンタブで絵を描いているお子さんを、実際にお父さん本人から聞いたことがあります。

 

私も80年代当時は「新人類」「ニュータイプ」と言われた世代ではありますが、1990年代生まれ、そして2000年代生まれの人間は、まさに映像制作の「ニュータイプ」と言えます。コンピュータが普通に「身体感覚の内側にある」世代が、どんな風に技術を変えていくのか、予想しきれません。

 

実際、私が今、新しいアニメーション技術において欲している人材は、そうした柔軟性に富んだ人材です。そして、その人材が長きにわたって現場で力を振るうためにも、「辞めたくなるような低い賃金」から脱出できる新たな「お金の勘定」が必要にもなりましょう。

 

私らの新技術グループは、旧来技術には依存しない技術体系ゆえに、たとえ私が50代間近であっても、いわゆるベテランアニメーターの利害とは一致せず、むしろ、新技術で未来の仕事とお金の問題を切り開いていかねばならない「新世代の利害と一致」します。私にはもはや旧来現場には帰る場所はなく、新しい技術世界の現場にこそ、自分の半生があると覚悟しています。帰ったところで、過労死で死ぬだけだとも思いますしネ。

 

 

こと、作画の労働条件にしても、老いと若きは「一枚岩ではない」のです。それぞれの「未来の思惑」「未来の都合」があります。

 

「今をなんとかしよう」というのは解らないでもないです。しかし、「今」は必ず、「未来」へのきっかけとなり、「今と未来」は繋がっていきます。

 

「今を生き抜くために、今何をするのか」は、「守りの退歩」と「攻めの前進」で大きく変わります。

 

「過去のまま続いて欲しい」と思うのと、「未来を新しく変えていかねばならない」と思うのでは、その行動指針はまるで違ってきましょう。

 

現場を見ていて、例え20代の若手でも、「未来を感じられない」と思うのなら、そう思ったなりに行動すべきです。多分、その直感は外れてはいないです。

 

 

 

守りの現場にはそれ相応の雰囲気が漂いますし、未来へと進んでいく現場には相応の「勢い」があるものです。

 

何をどう誤魔化しても、「過去に生きようとする人間」と「未来に生きようとする人間」の思惑は一致しないもの‥‥なのです。

 

 


「一生物」の感覚

旧来のアニメ現場で、特に作画に従事している人に、かなり共通している特質として、「道具は一生物」という価値観があります。

 

作業の土台となる作画机は一生物、直線定規も円定規も一生物、鉛筆削りも故障しない限り一生物、蛍光灯は交換するけど台座となる装置は一生物‥‥と、多くの機材を「一生物」として扱ってきたので、コンピュータ機器のリプレースの感覚が理解しにくい人が多いように見受けられます。

 

加えて、レイアウト、原画、動画、ペイント‥‥というワークフローまで「一生物」と考えているフシすら感じ取れます。まあ、業界入りしてから今の今まで、基本的なワークフローに変動がなかったがゆえに、少なくとも現時点までは「一生物」だったのは事実ですもんネ。

 

アニメ制作現場の「これからの未来」を語るときに、労働や雇用の話題ばかりになって、技術的な要素にはほとんど無批判という傾向は、こうした「一生物」の感覚から無意識に呼び起こされているようにも思います。

 

アニメ作画従事者が、未来の技術を語る時に出てくるのは、他人任せの「自動中割り」「自動作画」の話題が主で、決して「自分たちの技術そのものを未来に合わせて改革していこう」という論調は出てきません。

 

一方で、今のアニメ現場を総合的に評価すると、「老化している」「未来に繋がる新しい要素がない」「構造疲労が蓄積するばかり」という意見は、いろいろな人から耳にします。

 

全体的な未来展望には暗い影を強く感じているのに、いざ自分たちの作業視点になると「一生物」の感覚に終始してしまう行動パターンは、実は物凄く深刻な「未来を阻む壁」だと思います。

 

 

私はそろそろ50代になろうとする年齢ですが、20年間はたっぷりコンピュータと付き合ってきたので、「一生物」なんていう感覚は全く消え失せました。

 

現在、倉庫の引越しをしているのですが、倉庫の奥から過去の道具の数々、Quadra650とか、Performa588とか、LC475とか、Performa6410とか、PowerMac8600/250とか、iMac Rev.Bとか、eMacとか、山ほど「リプレースしてきた道具」が出てきます。

 

コンピュータをメインウェポンにするのなら、道具は「乗り換えていくもの」であり、一生物なんていう感覚は通用しません。

 

長く使えるのは、コンピュータを置く机くらいなものです。(実際、iMac 5Kを置いている机は、30年以上使っています)

 

 

ソフトウェアにしても、月々の使用費で維持していく運用感覚が必要で、「一度ソフトを買ったら、できるだけ使い続ける」なんていうのは、あまりにも前時代的です。

 

「節約してこそ」と思うのは、その通りです。要するに、「節約の方法が全く異なる」のです。

 

パソコンもソフトウェアも、光熱費と同じように節約するわけです。決して、1度買ったら一生物で‥‥という節約ではなく。

 

 

この「一生物ではない道具」の感覚、「一定期間で道具を変えていく」感覚に、どうしても馴染めない人や集団は、コンピュータを扱って制作する映像産業には関与しないほうが良いのです。つまり、映像技術進化と決別して、過去へと遡って生きる道を選択すれば良いのです。

 

それこそ、幻灯機を携えて、大道芸のように各地を巡るような商売にすれば、コンピュータなどに頼らずアニメも作れましょう。

 

 

 

しかし、映像の技術がどんどん進化し、映像産業の「楽市楽座」にて映像データで商売しようとするのなら、コンピュータを遠ざけるよりは、身近で心強い味方にすべきだと思います。

 

コンピュータを味方にするのなら、「一生物」なんていう感覚は、とっとと捨てたほうが良いです。

 

 

 

今後、CS6を10年20年と使い続けるつもり? ‥‥10年後にCS6を使っている自分たちの姿を想像して、どう思いますか?

 

仮に、互換性云々を語るのなら、最新バージョンで統一するのが、一番互換性があると思いますけどネ。

 

撮影工程で用いられるのが、2017年の今でもCS5.5だCS6だ‥‥というのは、旧来アニメ制作現場の限界をありありと示していると思います。どう考えても、CS6は一生物ではない‥‥ですよね。

 

 

「一生物」の価値観を、「時代を意識した」価値観へと切り替えられるか否か‥‥が、進化し続ける映像産業における生き残りの「鍵」となります。


鍵を開けて、扉の向こうに踏み入れば、未来の世界へと進んでいけます。

 

鍵が無くて、扉が閉ざされたままでは、過去の世界で生き続けるのみ‥‥です。

 

どちらを選ぶかは、人それぞれです。

 

 

 



calendar

S M T W T F S
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM