環境新基準

1〜3ヶ月前、新しいPC/Macを作画&デザイナー作業さんに調達するので、意見を求められたのですが、以下のように答えておきました。今だけを凌ぐ最低限のマシンではなく、今後の作業に耐え得る仕様です。

 

将来的に4Kモニタを3台10bit以上で繋げるビデオ性能

メモリは64GB

記憶装置は1TBのSSD(M.2)か2TB以上のFusionDrive

CPUはi7で4GHz

 

実際に調達されたマシンは、ほぼこの通りとなり、当人の作画&デザイナーさんも「速くなって快適になった」と喜んでおられました。

 

 

4Kモニタ3台なんて、ギョッとするかもしれませんが、甘い甘い‥‥、すぐそんな時代が来ますし、もうそこまで来てます。液タブで1台分のビデオ処理能力を消費するのですから、sRGBとPQ1000のデュアルモニタ&液タブで4K時代になれば、それでもう4Kを3つ分です。

 

メモリは、これからは64GBもごく普通になりましょう。「メモリが増えた」なんていう話題は、もう20年前以上から話され続ける話題ですから、64GBだってすぐに見慣れます。。32GBだとちょっと少なく感じるようになり、8〜16GBはあきらかに少ない部類に入ります。できれば、128GBにしたいですが、まだまだ値段が高いので、64GBがしばらく標準でしょうかね。

 

記憶装置は、今や必ずしもHDD=ハードディスクドライブとは言えません。SSDでもSATAではなく高速なPCIe〜M.2のSSDがマシン内部の記憶装置にふさわしいです。素材を貯めておく低速で構わない記憶装置は、今までのUSB3.0でRAID10でも組めば良いです。また、キャッシュの置き場は、Thunderbolt3などの高速な接続手段でM.2外付け箱のSSDがふさわしいです。キャッシュの割り当てディスクが低速だと、キャッシュそのものが大容量化した時に、作業上の大きなストレスになりますヨ。

 

ちなみに、光学ディスクは本体内蔵でなくても、もう充分作業は成り立ちます。他のマシンとの使い回しのDVD/BDのUSB接続のドライブが1つだけあれば良いでしょう。光ディスクを記録メディアとして仕事で最後に使ったのは、もういつだったか、忘れてしまいました。

 

CPUは最近は性能向上があまり見られないので、数年前と似たようなi7の4GHz前後となりましょう。現在は、CPUの速度が云々よりも、もっと他の要素で速度を稼ぐ時代になっています。

 

なので、自宅に買うのなら、DELLなどの相応のマシン(だいたいモニタなしで15〜20万くらい)か、iMac 5Kです。メモリは自分で16GBモジュールを4つ買って交換しましょう。BTOだと不用意に高くなっちゃいますからネ。

 

モニタに関してはもうちょっと様子を見るのが良いです。現在、ちゃんとプロとして使える4KHDRモニタは、最安で60万くらい(CG-319X)なので、まさかそれを個人で買うわけにはいかないでしょうから、今は2.5K〜2560pxのsRGBモニタか、買い替え覚悟で10万円以下の4KHDRモニタ(HDMIでHDRが目覚めるヤツ)を割り切って買うのが肝要かと思います。

 

 

 

先日、米国のカラーサイエンティストの方と意見交換‥‥というか、色々とお話を聞かせてもらったのですが、今はどんどんノウハウが溜まっている時期で、かつ機材も徐々に充実し始めており、柔軟な対応が求められると痛感しました。

 

1000nitsで今は作業していますが、2000〜4000nitsになった時の明るい部分の扱いはどのようにすべきか(白の中の白)とか、ドルビービジョンにおけるHDR to SDRの「下位品質への配慮」とか、「この歳になっても、まだまだ覚えることが、いっぱいあるなぁ」と感じ、未来の映像制作は何とも刺激的です。

 

After Effectsでも、

 

 

‥‥みたいなエラーも出るしで、今まで普通にできていたことが、未来は普通にできなくなることも多々あるだろうと思います。

 

ちなみに、上図のエラーは、2万3千ピクセルのコンポサイズにしたわけではなく、内部的な処理の何かが、より大きいイメージバッファを必要とするルーチンなのでしょうネ。AdobeのAfter Effectsインサイドのことは、わかりません。アウトサイダーなので。

 

セルシスさんもそろそろ、いい加減、8bpc止まりの設計から脱して、さらにはsRGBモニタでHDR PQ1000の「擬似表示」ができるようにカラープロファイルなどにも対応して、未来のロードマップを示してほしいものです。Adobeに一歩も二歩も遅れをとらないように頑張って欲しいです。‥‥日本屈指のメーカーさんが、世界標準から遅れに遅れて失笑されるようでは、悔しいじゃないですか。

 

 

 

何度もしつこく書いていることですが、これからは金がもっとかかるようになります。

 

つまり、制作技術の大変革・大転換をしなければ、破綻するということです。

 

作画界隈は、今まで大きな変革期を迎えずにきました。反面、ずっと低額な報酬額に耐え忍んできた‥‥とも言えます。大転換を免れた代わりに、報酬の改善もなされてこなかったわけです。

 

現在、ちまたの業界人ツイートでは、報酬についての意見が盛んですが、今までの作業基盤・技術基盤が継続するという「暗黙の前提」で話されていて、いまいち現実味が欠けるように感じます。

 

紙と鉛筆の時代に比べて、結構金がかかるようになる‥‥ではなく、猛烈にハンパなくお金がかかるようになるのに、1枚いくら1カットいくらでカウントする意識のまま報酬金額の交渉をするなんて、未来の世界を全く無視した近視眼的な考えです。

 

作業環境は、いわば、自分の「武器」です。

 

その武器を、「作画工場」用途だけの貧弱な装備に留めて、自らを「デジタル作画専用」の人材に限定しますか?

 

昔、「いい加減、目覚めなさい」が決め台詞のドラマがありましたが、アニメーターも新しい春に向けて、目覚める時が近づいている‥‥と思います。

 

 

 


赤ちゃんのシナプス

留守録したまま観ていなかった「赤ちゃんの脳の発達」の特集番組を「ながら見」してたら、シナプスについて興味深いことが語られていました。

 

赤ちゃんのシナプスは1歳ごろに成人の1.5倍の密度となりピークを迎えるが、その後、緩やかに、そして確実に減少し、さらには「役に立つシナプスは残り、発達に役に立たないシナプスは消され、発達に役に立つシナプスが新たに形成される」とのことで、「あー‥‥うん、そうだね」と感じ入った次第です。

 

シナプスは密に形成されており、発達に役に立たなくなったシナプスがそのまま存在し続けると、新しいシナプスが形成できずに、赤ちゃんの脳の発達の邪魔をする、ゆえに、不要となったシナプス(30〜40%の大量の)を消して場所を空けて、新しいシナプスの形成を可能とする‥‥とのことで、これは赤ちゃんに限らず、「新しく生まれて成長する何か」に共通する特徴だと思いました。

 

私が新しいアニメ作画技法に取り組み始めたのは、もう10年以上前の2005年前後の頃でしたが、その当時の私の頭の中には「タップ」「タイムシート」「原画と動画」という旧来のアニメ制作技術の「様々な古いシナプス」でガッチリと固められており、それらを取り除いて新しい意識に転換する=「新技術の成長における新しいシナプスの形成」まで、5〜6年はかかりました。

 

私は、アニメ制作現場の作画技術に自信と誇りを抱いていましたから、まさかその作画技術の基盤となる様々な要素が、新技術の成長を阻害しているとは思わなかったですし、思いたくもなかったのです。特に「原画」という工程に対する信頼は絶大(=自分はソレで生き抜いてきたという確かな実感ゆえ)で、「原画という技術志向自体」が発達の大きな邪魔になっているとは、想像できませんでした。

 

「不要なものを壊し、新しいものを試す」という赤ちゃんの成長期におけるシナプスと同じプロセスを、まさにアニメの新技術で実践することが求められました。私も徐々に、今までの考えを改め、新しい考えを受け入れていきました。

 

今では、こうして普通に状況を淡々と書けますが、「原画意識」の強かった過去の自分だったら、「そんなことはない」「古いとか、新しいとか、関係ない」とムキになって「現状の肯定」に躍起になったでしょう。自分が誇りに感じていた技術スタイルが、次の可能性の大きな障壁となる‥‥なんて、誰だって、いきなりは受け入れがたいですもんネ。

 

番組中の‥‥

 

「新しいシナプスを作るためには、無駄なものを残しておく余裕はありません。積極的に要らないものを切り捨てていくことによって、はじめて、より良い脳のネットワークを作ることができるのです」

 

‥‥という言葉は、身に沁みます。

 

 

 

「俺たちは、古いシナプスか」‥‥というのは、あわてんぼう。

 

自分自身は脳であり身体です。

 

シナプスが自分なわけではないです。シナプスは今までに身につけた技術の細かい1つ1つ=構成要素です。

 

自分の中の「技術シナプス」に関して、有効なものは残し、古く形骸化したものは消して余地を確保し、試行しながら新たな「技術シナプス」を形成していけば良いです。

 

リアルな脳のシナプスは自分の意思ではコントロールできませんが、自分の技術シナプスなら、自分の意思で管理することも可能、自分の意欲次第で自己発達させることが可能ですよネ。

 

 

 

実際、「タップがないとイヤだ」「原画動画の段取りでしか考えられない」「タイムシートの用語じゃないと受け付けない」みたいなスタンスの人ですと、「新しいことを、一緒にやってみませんか?」と声を掛けることすらできません。頑なに従来の流儀でしか思考しない人を、新しい考え方のフィールドに無理に呼び込んでも、双方にとって不幸ですもんネ。

 

最近の業界関係の人々のツイートを読んでいると、「状況が変わっていかない事への苛立ち」を感じます。それは外的な要素も多いでしょうが、自分の内的〜「技術シナプス」が旧世代のまま凍りついて更新されない事による、「未来社会での、自分に対する不安と苛立ち」も含まれるでしょう。

 

技術の更新なんて、一夜にして完了するはずもなし。

 

赤ちゃんの脳の中で、シナプスが成長に合わせて、徐々に活発に更新していくのと同じく、自分や自分たちの「アニメ制作の脳内」において、徐々にシナプスの更新を促進して、未来の時代に生きるべく確実に成長していく必要がありましょう。

 

組織も個人も、苛立っているばかりでは、どうにもならんですよネ。

 

 


原動画と、新しい「手描き」と

現在、私はアニメの作画の毎日ですが、いわゆる「原画」は一切描いておりません。頼りになる旧知の方々に作業(〜タブレット作画)をお願いした場合は、「原画上がり」として上げて頂いて、ニュアンスの修正において「昔ながらの作監修正」はしますが、自らは原画は描かずに、新しい作画方法で作画する日々です。

 

タブレットでの原画作業をお願いした方々も、旧来の作画方法だけで今後の作画を支えるのは難しいし、もっと他の方法も取り入れるべきとの考えをお持ちです。今は、システムの未発達ゆえに「原画」という作業スタイルを踏襲しているけれど、新しい作画技術への意欲があることを、お会いした時に雑談がてらよく話します。

 

さらには、従来の「原画」作業から、「動画」作業を経た作業上がりのクオリティも、既に次世代の品質の基盤となる内容をもっています。旧来の「動画」と呼ばれる作業のクオリティは、未来の新しい作画技術へと繋がる基礎を既に獲得しているのを実感しています。

 

しかし、その新しい作画技術は、現時点ではインハウス、インサイドに留まります。なぜならば、「アウトソーシング」の基盤ができていないからです。

 

「アウトソーシング」、‥‥ものすごく、ぶっちゃけて言えば、「単価」が決まっていないからです。

 

単価の制定方法は、既にもう何年も前からアイデアがあります。アイデアと言っても、思いつきではなく、長年温め続けた、すぐにでも取り組み可能な具体的なアイデアです。

 

単価には「正当性」が必要だと考えます。

 

口パク1枚と、顔全体の1枚が、同じ単価なんて、あまりにもどんぶり勘定過ぎます。

 

初級作業者と、中堅作業者と、ベテラン作業者のそれぞれの技量による「結果物のクオリティ」が単価に考慮されないのも、大雑把過ぎます。

 

旧来のアニメ作画は、めまいがするほど大雑把でズボラな単価計算で成り立っており、新しい作画技術は、決してその悪習を踏襲してはなりません。

 

内容の重さ・軽さ

作業品質の高さ・低さ


‥‥なぜ、そうした当たり前過ぎる「価値の違い=お金の違い」を、単価に反映できないのか。

 

旧来現場だって、実はコンピュータの力をもってすれば、かなり「いい線」まで「変動単価のシステム」を実現できると思います。

 

でもねえ‥‥、従来現場の古い作業習慣を仕切りなおすのに、新しい技術を志向する私が関与しても変でしょ? 従来作業習慣の中で生きる当事者が決めれば良いことです。私がちょっかい出すのは、いかにもお節介ですわな。

 

 

一方、新しい作画技術における、新しい作業基盤は、全くのゼロから仕切ることができます。であるならば、「大問題を抱えた単価制度を踏襲する必要など、全くない」です。

 

新しい技術には、新しいお金の基準。‥‥私の「お金」に対する関心ごとの本命はソコです。

 

上手くなればお金がもっと稼げんるんだ。頑張ろう!

 

大変な作業は、ちゃんとお金がいっぱい出るんだ。自分の技を活かして頑張らなくっちゃ!

 

‥‥こんな当たり前なことすら実現できない単価制度のままで、どんな明るい未来が期待できますか? 今の制度のまま単価を上げても、「楽なカット」と「大変なカット」の落差がさらに極端化し、大変なカットを作業する人間はもっと報われなくなりますヨ。

 

致命的で破壊的な単価制度を抱えたまま、新しい作画技術を広めていくつもりはないので、今はインハウスにとどめているのです。

 

新技術の成長戦略としては、「次のステップ」になりましょう。ちゃんと開発(=画像と作業条件から単価を「動的」に割り出すシステム)にもお金を注いで、未来の希望が持てる現場、仕事を出す側も受ける側も「ちゃんと納得できる」基盤を作るのが、次のフェイズです。

 

 

 

 

ここ数日、アニメ関係者のツイートで話題になったお金の話は、あくまで「今までの作画技術が不動無比」の意識で話されていて、ちょっと何だか、ガッカリ。

 

新しい技術でアニメ作りの基盤から変えていくんだ!‥‥という意識を持つ人はほとんど存在せず、かたくなに単価の話に終始していれば、そりゃあ、水掛け論にもなりましょう。

 

1話につき何千枚も動仕をする技術体質を変えずに、単価を10倍近く、6〜8倍にしたら、どうなるでしょうかネ。誰が考えたって、猛烈に制作費は膨張することは予測できますよネ。

 

1カット3万円x350カット=1050万円

動画1枚1200円x8000枚=960万円

 

単純にカット数+動画枚数で2010万円。2000万円オーバーに恐れをなし、カットを300カットに抑え、動画枚数を4000枚に抑えても、900+480=1380万円です。単純な原画と動画の合計だけで、です。

 

これに加えて、作画監督や動画チェック、さらにはメカやエフェクトの作監や、総作監の費用まで追加されますが、そのセクション監督費も相応に値上げが必要です。テレビではなく、劇場だったら、もっとすごいことになるでしょうネ。

 

「いや、そんな、テレビで、3万円とか1200円とか、ふっかけ過ぎでしょ。もう少し、現実的な‥‥」とか言う人は、じゃあ、いくらなの?‥‥です。

 

200〜300円の動画単価が400〜500円になって、問題解決する? 4〜5千円の原画カット単価が、5〜6千円になって、改善はどれだけ見込める?

 

「おためごかし」の「ちょっとお金をアップしました」なんて、改善効果や問題解決にほとんど貢献していないのは、もうわかりきっていますよネ。

 

さらに深刻なのは、大変なシーンばかりブッ込まれるアニメーターは、芝居シーンばかりを作業するアニメーターに比べて、極端な収入の落差が「かえって生じる」ことです。‥‥なぜ、そこを問わずに、ちまたでは単価だけの話にご執心なのか。

 

私が動画の新人だったころ、「メカやエフェクトが好きです!」とか「言わなきゃいいことを言っちゃった」ために、メカの動画ばかり来るようになって、全く枚数が稼げなくて、そんな様子を上の人が不憫に思ってくれたのか、ロングサイズのキャラ芝居の動画を回してくれたんですが、驚くように枚数が上がりました。

 

巨大ロボ1枚も、ロングのちっこいキャラ1枚も、皆同じ単価の業界システム。

 

「なにこれ? この理不尽さは何なの?」

 

たとえ上がる枚数は少なくても、大変な内容に応じた単価が設定されていたら、その当時の「圧倒的な不信感と猛烈なわだかまり」は生まれなかったでしょうネ。‥‥どうなの、その辺? 変えていく気、ある? 単価だけ上がればそれでオーライなの?

 

これは発注側だけの問題ではなく、お金の話になれば、一律単価制であることをすっかり忘れて、単価だけの話で盛り上がってしまう受注側の問題も大きいです。「単価そのもの」と「一律単価」の問題は、セットで考えないと、ダメでしょう?

 

 

 

 

私は今では、主軸を新しい作画技術、CO/KFアニメーションに移しているので、そちらの「正常な発展」が重要な主題です。

 

新技術、すなわち、原画動画ではない、新しいタイプの手描きのアニメです。

 

前述の単純計算の通り、旧来現場の単価を「社会一般のレベル」(=バイトやパートの時給に、特殊な専門職の報酬が劣らない金額)にまで引き上げるのは、アニメ業界のツイッターでのやりとりをみるに、相応の困難が予想されます。いつまでも、ツイッターで愚痴りながら待ち続けるのは得策でしょうか? 誰かが変えてくれるのを待っているだけ‥‥が本当に最善の解決策ですかネ?

 

新しい技術に移行して、新しい秩序と基準を作れば良いのです。お金の問題も仕切り直しです。

 

新しいがゆえに、技術の成長は順次必要です。ですので、四つん這いで歩いていた乳児が、二足歩行できる幼児へと成長、やがて駆けずりまわって、言葉も覚え‥‥と、可愛い我が子のように育てるがごとく、「栄養にも気を使って」、技術を育てています。

 

旧来の作画工程は、

 

genga

douga

 

‥‥というジョブ名ですが、新しい作画工程は、

 

md

fd

cd

 

‥‥という全く違う略語です。略語なのでもちろん「略する前の正式名」はありますが、この辺りの話題はまだ詳しく書けなくて、申し訳ないス。現時点でベラベラ喋るわけにもいかんのですが、要は、もはや「原画」でも「動画」でもなく、新しい「手描き」の作画ジャンルが工程として定まりつつある‥‥ということです。

 

原画をKey、動画をInbetweenなんて、無理に本家の言い回しに戻さなくても、もう旧来の日本のアニメ技術は「GENGA」「DOUGA」で良いと思います。「KAWAII」みたいに。

 

新しい作画技術の工程と、旧来の工程とを混同しないように、明確に「ジョブ名=仕事の呼称」も変えています。

 

新しい技術は、名前を与えられた時、覚醒するのです。‥‥何だか、巨神兵みたいネ。

 

ちなみに、レイアウト、美術、彩色はそのまま健在です。手描きでアニメを作る以上、美術と彩色がなくなるわけがないです。また、「撮影」という工程は消滅し、新たな作業工程に分割されますが、コンポジット作業はもちろん存在し続けます。

 

 

*知る人ぞ知る「4人のライダー」。こんなことにならずに、新しい技術へと優しく転換できると良いんですけどネ。

 

新しい時代の技術には、新しいアニメの技術。そして、新しいお金の基準。

 

車両の動力源が、馬匹だった頃、新しい時代の交通に対応するために、1〜2馬力だったのを10馬力にするために、10頭だての馬車にするのは、愚かしいことです。馬を5〜10倍に増やしたら、道の周辺はどんなことになるか、考えてみれば解りますよネ。

 

新しい時代の動力源を活用しましょう。馬を増やす発想から逃れて、ピストンエンジンや電動機を導入しましょう。

 

紙と鉛筆、A4〜B4用紙、何千何万の作画枚数にも及ぶ「作画エンジン」を、新しい時代の「作画エンジン」に変えていってこそ、新しい社会に順応できると確信します。

 

新しいエンジンを搭載した新しい車両を運転して、新しい映像表現のフィールドへと走り出すのは、あくまで人間です。無人にはなりません。

 

人間はいつでも健在。‥‥変わっていくのは時代、そして表現技術のエンジン部分です。

 

 

 


PM

PM(プロジェクト・マネージャ、プロジェクト・マネージメント)のソリューションは、今後不可欠なものになると思います。現在作業中のプロジェクトも構造が複雑ゆえに、PMなしでは、前の工程は何か、次の工程は何かすら把握できなくなります。

 

形骸化した無駄な作業や段取りはどんどん省く。必要な作業や段取りは確実に把握する。

 

二値化では絵が潰れてしまう内容を、二値化フローで取り回す必要はないです。原画で描いたものの中は、全て動仕を経なくても、実現できるものもあります。レイアウトが完了した時点で作画的アプローチ(=例えばパーティクルによる水とか炎とか)のコンポジット作業が可能なものは、どんどん先行で進めてしまえば良いです。

 

 

 

確かに、今までのアニメ制作フローは、いわば、制作運用の高速道路を整備して、IC(インターチェンジ)からICへ次から次へと伝送できる、タフなシステムを確立しました。現在のアニメ制作が持ち堪えているのは、そうしたアニメ制作現場屈指の「運用網」ゆえでしょう。

 

脇道まで含めて全ての道路網を完全に記憶しなくても、高速道路にさえ乗ってしまえば、次のIC、また次のICと、進み続ければ到達できます。

 

しかし、ICとICを繋ぐ高速道路だけでは、大回り過ぎて小回りが効かず、かえって遠回りして時間がかかったり、高速料金ゆえにお金がかかったりと、「時間とお金」の無駄を出し続けることは、これから先の未来にはどんどん厳しくなるでしょう。

 

加えて、ラッシュアワーの高速道路のように、渋滞が常態化して、思うように進行しないことも多々あります。現在進むべき進路と目標に対して、高速道路しか使えないという選択肢の狭さ(無さ)は、新しい手段なら2日で終わるところを紙運用だと2週間かけたりもします。車が大渋滞している脇で、モノレールがスイ〜っと走り抜けていくのは、何とも滑稽。「アレに乗っておけばよかったかな」と思いつつも、少なくとも次のICまでは渋滞から抜け出ることはできません。

 

 

 

とはいえ、旧来のフローなら勝手知ったる各工程が、新しい工程に差し代わった時、どの工程地点から、どの工程地点へと繋ぐのかすら判断できなくなり、むやみに新技術を導入してもかえって混乱の元になるでしょう。ゆえに、いつまで経っても旧来技術から抜け出せない状況にとどまります。

 

そんな時、せめて「カーナビ」の役割を果たしてくれるPMがあれば、状況判断は人間がおこなうにしても、「右にいくべきか、左へいくべきか、迷う」ようなことはなくなります。渋滞予想も完全ではないですが、意欲的に盛り込めるでしょう。

 

もちろん、カーナビ、iPhoneのマップと同様、経路(フロー)はあらかじめ選択しておくわけですが、どんなに複雑な道筋でも、走り出してから迷うようなことはなくなります。したみち、抜け道もどんとこいです。経路の中途変更も可能。

 

 

 

制作運用において、PMを導入した集団としない集団では、2020年代以降の未来に、徐々に差が表れてくるでしょう。

 

また、PMを導入したとしても、PMの質も問われるでしょう。「原動仕美特撮編」という今まで通りのフローでがっちり固めて静的で融通の効かないPMでは、未来の新たなリソースを活かすに活かせません。単なる「皆がチェックできる集計表」じゃダメなんですよネ。

 

PMは地味ですが、絶大なインフラです。銀行の窓口と、コンビニのATMくらい、利便性に差がある‥‥と言っても言い過ぎではないかも知れません。

 

 

 

タブレット作画のソフトウェアやTIPSだけでは、現場は回りません。

 

制作さんがいなければ、一切、テレビアニメ・劇場アニメは完成しませんよネ。

 

未来は、PMがインフラとして敷かれ、PMの値(情報)から的確な状況判断する制作さんがいて、制作現場は回っていくと思います。

 

PMはアニメ現場に根付くか。

 

何かしらでもPMが根付かないと、今はまだ何とかなっても、未来はやっていけない‥‥と私は思うんですよネ。

 

 


tech

techドメインの更新時期のお知らせが来て、更新すべきか一旦止めて仕切り直すか、悩んでおります。

 

高いんだよなぁ‥‥techドメイン。1年4千円。

 

まあ、中には6千円とか8千円のドメインもあるんですけど、comやtokyoになれちゃうとね‥‥。

 

新しい技術における共通の基本仕様や用語辞書の一般公開に使おうと思って去年取得したんですけど、本業のほうが忙しくて手がつかないままです。

 

用語辞書は、どう考えてもコンピュータのデータベース、小規模なら表計算が適しています。

 

呼称 正式名 よみがな 英字 ジャンル カテゴリ ID 参照元(別名の場合〜リダイレクト先)

 

‥‥などを、任意のソートで検索するのは、出版物では無理ですもんネ。

 

 

現在、4KHDRなど新しいプロジェクトは、手探りの部分も多いですが、反面、過去の現場の「標準仕様すら明確に定まらない」問題点を深刻に受け止め、「アニメーション標準技術」を徐々に策定しながら、進めています。

 

過去の因習を踏襲し続けるのではなく、4KHDR時代以降の制作運用を見据えて、レイアウトフレームの規格や、用語の取り扱いなど、ベースになるものを規定した上で制作しています。

 

畑は違いますが、もしUSBやHDMIが「どの信号線をどんな風にでも使って良い」なんて話だったら、規格云々はもとより、普及も発展も見込めないでしょう。

 

現在、2K24pから、2.5K、3K、UHD(=3840px)、4K60pまで基礎的な規格を作業スケール別に決めており、アマチュアからプロまで、フリーランスから会社員まで、分け隔てなく活用できることを目標としています。もちろん、無償でネ。‥‥金を取らないゆえの、強い結束力が生まれることもありましょう。

 

以前に、「撮ま」の取り組みに、非常に胸を打たれて(個人の方がボランタリー=使命感だけで活動していた)、同じようなことを未来にアニメを作る人々が自発的にアクションしても良いと思うのです。

 

 

う〜ん。やっぱりドメインの契約は延長しておくかな‥‥。今年後半にセッティングを持ち越すとしても。

 

今の私は、毎日、Apple Pencil、Apple Pencil、Apple Pencil、Apple Pencil、Apple Pencil‥‥で働かないとイカんのです。サーバとかセッティングしている余裕はないので、ちびちびと、表計算で内容を記録しています。まあ、いざとなれば、タブ切りテキストでエクスポート&インポートすれば良いんだし。

 

ドメインの費用も、トリキ2回分と思えば、まあ、いいか。

 

メガハイボール!

 


建替の進め方

昭和30年築の古い建物を、新しい時代に適応する「新しい建物」に建て替えるには、どうすれば良いでしょうか。

 

建物が古くなったからと言って、何も土地を手放す必要はなく、むしろ、その土地を有効活用するために、現代の様々なテクノロジーを反映した、新基準の「我が家」「我が店」を建てるには、どのくらいのお金と時間がかかるのか。

 

4KHDRをはじめとした新しい時代の映像産業の中で生きていくということは、すなわち、そういうことです。

 

どう考えても、かなりのお金と時間は必要ですよネ。

 

私が前に「今のアニメ技術のままでは、4KHDRのスタートラインにも立てない」と書いたのは、アニメ制作現場のスタッフの力量の話ではなく、作業環境に起因する話です。

 

絵を描く環境

色を彩る環境

演出する環境

コンポジット&編集する環境

制作運用する環境

 

「げ。‥‥全部じゃん。」‥‥と思うでしょうが、ぶっちゃけ、その通りです。

 

なので、一気に建替なんて無理なんですよネ。

 

そもそもシステムや新技術の導入は、エラー&リトライの試行錯誤の時間が必要です。

 

仮に、お金をものすごく用意できたとしても、いきなり「住みやすい家を建てられる」保証はありません。「凄くお金をかけて建て替えたけど、凄く住み難かった」なんて笑い話では済みません。

 

従来の制作システムを所与のものとしてしか考えない人は、次世代の制作システムもお金さえ出せばポンと完璧な状態で手に入る‥‥なんて思ってませんか?

 

自動販売機のように、お金さえ入れれば、最適な環境一式がゴトンと落ちてくるわけではないです。

 

 

今まで何も準備してこなかったのに、「明日から4Kです」と言われて対応できるわけがないです。そもそも環境が対応してないので、作業を開始することができませんし、慌てて環境を更新しても、それが適切な更新内容とは限りません。

 

目安としては、以下の通り。

 

絵を描く場合は、タブレット作画に完全移行。マシンのスペックは最新のものにリプレース。

 

色を扱う場合は、モニタは4KHDRの最低でも300nit PQ対応の機材に完全移行。色を塗るマシンも最新のものにリプレース。

 

コンポジットと編集の場合は、4KHDR24pをコマ落ちなく正確な色で再生できる機材に完全移行。もちろん、最新のマシンが必須。

 

制作運用は、PM(プロジェクトマネージメント)のシステムへと完全移行。何らかのPMのソリューションを導入し、全スタッフに供給。

 

 

‥‥うんざりしますかね。でも、これが未来の現実です。

 

お金と時間がかかるのは、避けられません。避けたければ、2KSDR24pのままの環境でアップコンに頼るしかないですが、その仕事は4KHDRとして受注することはできません。

 

 

 

私ら技術グループは、2013年頃から「紙での4Kを開始」し、翌2014年に4Kの取り組みを本格化(=実用化を目標)しました。「2014K」というニックネームをプロジェクトに付けたので、よく覚えております。iMac 5K、iPad Proと矢継ぎ早に「4K時代の製品」が発売されたのも、取り組みを開始できた要因の1つです。

 

つまり、現在で既に4年以上の基礎技術の積み上げが経過しています。「時間がかかる」とこのブログで度々書いているのは、そうした今までの実感に他なりません。

 

ちなみに、カットアウトの技術に関しては、2005年くらいには実用を目的とした研究をスタートしているので、もう13年以上になります。Blood劇場版の頃(部分的に使っていた)からカウントすれば、ほぼ20年です。

 

ぶっつけ本番でいきなり4Kなんてできません。準備と慣れの期間が必要です。

 

 

お金も、徐々に徐々に投入して、今に繋がっています。普通に考えて、実績のないものに会社はお金を出しませんし、仕事もくれません。現在受注している仕事の中で、徐々に成功事例を蓄積して、「D-Day」〜大作戦の下地を作っていくのです。

 

ですから、安易に成功事例を安売りするのは禁物なのです。「秘密主義」なんて揶揄する人もいますが、成功した事例は大切に「D-Day」に向けて備蓄して守る必要があります。過去のアニメ業界において、野放図に何の戦略も無しにどんどん技術を共有したからこそ、ディープレッドなオーシャンがアニメ業界を覆ったことも忘れてはなりません。

 

技術はお金と時間によって生み出されます。つまり、技術は財産です。

 

ゆえに、どのようにお金を使うかは、重要なキモです。チャンスを逃さずに、徐々に投資していく「タイミング」はどうしても必要です。それは組織に対しても、自己に対しても‥‥です。

 

 

 

自分たちの住む古い家を、現代化するために建て替える。‥‥となると、どうやって建て替えるか。

 

難しいですよネ。

 

建替の長期的なロードマップも必要でしょう。中期的な住み替えプランも必要でしょう。目先の短期的な家具の入れ替えも必要でしょう。

 

幸い、人間は同時にいくつもの事柄を処理できませんから、まずは液タブやiPad Proを獲得してタブレット作画に慣れて短期的ステップを達成し、そのタブレット作画技術を足場にして、次の中期的ステップに進む‥‥という「ステップアップ方式」は、有効な手法です。

 

でも、何もしなければ、当然何も変わらないし、どんどん置き去りにされるだけです。ステップを昇らなければ、一向に上の段階には進めません。

 

一方、時代は必ず進みますから(ガラパゴス化はあるでしょうが、時代そのものは止まった試しがないですよネ)、未来を見据えた建替のプランをあれこれと当事者自身がまず考えることが肝要です。

 

 


目的の違い

私は、AIやプログラム処理による自動中割り作画や自動彩色による「無人の完全独立処理」は無理だと、以前にも書きましたが、一方で、作業者のアシスト=「部分的・補助的」な用途であればかなりの効率化は可能だとも書きました。

 

実際、昨日もAIではないですが、ソフトウェアによる自動中割り‥‥というかピクセルモーションによってエフェクト作画を処理しました。自動中割りが有効な場合は用いますし、CO/KFアニメーション技術(CO/KF=カットアウト・キーフレーム)、タブレット作画による原動画など、必要に応じて最適な方法を選択する「ハイブリッド作業体制」で運用しています。

 

必ず、このソフトウェアで!

 

必ず、このシステムで!

 

必ず、この描き方で!

 

‥‥という縛りはないのです。

 

我々の目的ははっきりしていて、「作品を造り上げる事」です。

 

実際、作画に用いるソフトウェアは、私はProcreateですが、ある方はクリスタ、ある方はTVPaint、ある方はスタイロスと、バラバラです。チェック時にはPhotoshopもAfter EffectsもRetas Studioも使います。作業する当事者が使いやすく描きやすいソフトウェアを選んでいます。

 

なぜかというと、「このソフトウェアで作りました!」という宣伝は不要だからです。作品を作り上げることが目的なので、何か1つのソフトウェアやソリューションで作ったという実績をアピールする必要がありません。

 

いわゆる「フォース・ミックス」です。色々な技術手段を組み合わせて、作品を作る「チカラ」にするわけです。

 

どんなソフトやハードを使おうが、完成しないんじゃ意味がないス。

 

映像制作現場の人間の目的は、作品を完成させること‥‥ですよネ。

 

 

 

現在私らは4KHDRの作業を進めていますが、今までのアニメ業界の制作技術や作業慣習のまま4KHDRをガチでやったら、作れるはずがないと実感します。

 

‥‥というか、現段階の2KSDRだって、もう限界ギリギリ‥‥というか、限界を超えていると日々実感する人は多いでしょう。2Kであっても、あまりにも複雑になったキャラクターを、何千枚も描いて仕上げるのは、作業内容として金銭的にも時間的にも破綻しているからこそ、各所から阿鼻叫喚が聞こえてくるのです。

 

2Kの今ですら、実はもう、昭和から続いた従来技術の限界に達しています。

 

昭和の時代に構築した基礎技術の中で、未来にも通用する技術はたくさんあります。しかし、通用しない技術も当然あります。

 

そうした有効・無効を見極めて、「制作集団」の再編と最適化する時期に、アニメ制作現場は「社会的立場」からも迫られていると感じます。

 

 

 

「アニメ現場で4Kなんか作り始めたら、あまりにも作業者が過酷になる」‥‥なんて論調も聞こえそうですが、実際はそれはないです。なぜかと言うと、今までの意識と方法論(設備も含め)では4KHDRを作業開始することが無理だからです。

 

そもそも、スタートラインに立てません。

 

作業者が過酷になる以前に、作業を開始できません。

 

過去数年間、4Kの話を持ちかけられても引き受けられなかったですよネ。なぜかと言うと、今までの方法論では不可能だからです。「4Kはウチでは無理」と断った人は、賢明な判断だったと思います。新しい方法論や戦略・戦術を持たないのに、4Kを引き受けるのは無謀ですもん。

 

スタートラインに立つには、様々な現場の改革、再構築、そしていくつもの新技術の導入が必要です。でも、それは制作現場にとってまたとないチャンスでもあります。‥‥今までずっとできなかった「仕切り直し」ができるんですから。

 

4Kをチャンスとみるか、過酷とみるかで、当人の性質が見え隠れします。そしてさらには、未来のアニメ制作において「押し寄せるいくつも淘汰を生き残ろう」とするか「城を枕に討ち死にしよう」とするかすら、見えてきます。

 

未来を生き抜こうとする人と、行動をともにしますか?

 

過去と心中しようとする人と、行動をともにしますか?

 

選ぶのは、当人次第です。

 

 

 

アニメ制作に従事している人々の目的はハッキリしているはずなのに、今は現場の外から、「作業の無人化」を目的にしたり、ソフトウェアの売り込みを目的にしたりと、色々と惑わされることも多いでしょう。

 

制作者としての我々の目的はシンプルです。

 

アニメを作り続けて生きていく

 

 

この目的を達成し維持するには‥‥

 

アニメが滅んじゃマズいですよネ。時代遅れの過去の産業になるのもマズいですよネ。

 

現在の苦境から脱出しなければやがて崩壊しますよネ。

 

新しい時代とともに歩んでいくことが必要ですよネ。

 

アニメが未来においてもビジネスとして成立することが必要ですよネ。

 

 

‥‥ですから、目的・テーマを見失わず、今までとは違う未来を、まさにアニメ制作現場の当事者が志向すべきと、私は思います。

 

 


ディスプレイモニタ

6Kモニタ?‥‥Apple新製品の「噂」ですが、私としては寸法そのものよりも、HDRのPQ対応のほうが関心事です。いくら寸法が6Kでも、Apple節のHDRでは使い道がないです。実際、iMac ProのモニタはHDRの仕事には使えないですしネ。6Kモニタを出すのなら、1000nitsでPQ対応にしてほしいです。‥‥となると、macOSのUIの配色も見直さないとダメなので、風呂敷が広がって、すぐには無理っぽい感じですかね。

 

Appleの開発スタッフには、いっそのこと、自社のPVとかでDolby Visionの仕事もしてもらって、未来のディスプレイやOSのUIに何が必要かを、ひしひしと実感してほしいです。ただ鮮やかなだけで、使い道の乏しい「500ニト」のディスプレイを高い金を出して買う気にはなれんです。

 

でもまあ、思い起こしてみると、Apple製のモニタがリファレンス用途になった試しは、過去一度もないわけで、作業用モニタというよりは「とりあえず見る」モニタとして、今後もわきまえて使っていけば良いのでしょう。iMacのモニタはオフにはできないですからね。

 

過去、頼りになったのは、EIZOやBarcoのディスプレイ製品でした。Barcoは、2K以前の劇場アニメ作品でリファレンス用途で使っていましたが、2K以降はEIZOのモニタを使い続けています。

 

EIZOといっても、何でもかんでも上位機種にしているわけではなく、4KHDR導入前までは「ビジネス用途」向けの8bitの2.5Kモニタを使っていました。廉価な部類の製品です。

 

で、このビジネスモデルで8bitの2.5Kモニタが、これまた五反田のラボのグレーディングルーム(北斎ね)と「クリソツ」で、社内システムスタッフ(=モニタの色公正をメンテしてもらっています)と驚いたことがあります。「もう少しズレてても良さそうなのに」と。

*「ビジネスモデル」とふと書いてしまいましたが、ややこしい言い回しですネ。映像制作用途ではない一般事務用途で用いる主旨を「ビジネス」と言い表すのは、考えてみれば誤解を生じやすいです。「ビジネスモデル」とか言うと、まるでマーケティングの用語みたいですし。

 

もちろん、数百万クラスのマスモニの、別次元のしっとりして落ち着いた発色に比べれば、数万のビジネスモニタなので見劣りはしますが、日々の作業には十分な性能を持っていました。なまじ「Adobe RGB」を謳うモニタよりも、EIZOのビジネスモデルのモニタのほうが、ラボと極めて色が近かったのは、興味深い事実です。

 

 

もし、近い未来に、もう少し導入しやすい価格の4KHDRモニタが出れば、マシン本体はモニタなしの新型Macminiで盛り盛りにして、モニタは4KHDRとサブの2.5KSDRの2つで十分ですネ。2〜4Kの液タブを繋いでもまだ余裕があります。

 

液タブに関しては、線画を描く際にはHDRは必要ないですが、イメージボードなど色付きの絵を描く際には、HDRでしかもPQ1000(=たとえ300nitsでも)で表示できると、次世代の映像制作にスムーズに導入できます。‥‥まあ、まだ先の話だとは思いますが‥‥。

 

 

もしかしたら、2020年代以降のアニメ業界でズドンと大きく変わるのは、絵の描き方よりも、ディスプレイ周りの意識かも知れません。

 

アニメ制作現場は、今までずっと「リニアオンリー」の運用です。いわゆる「見たまんまの色」で運用するスタイルです。

 

一方、実写ではHDRの以前から、「ログ」で実写撮影をして、LUT=ルックアップテーブルで「リニア」に変換する方法を採っています。階調の潰れが目につきやすい部分には、多くのデータ帯域を割いて実写収録し、最終段階で「人間の見た目」に合わす方法です。コンポジット(VFXなど)作業上ではリニアでルックを確認しつつ、データ上はログのままで運用する方法が必要となります。

 

なぜアニメ制作現場常駐の私がログとリニアの運用を知っているかというと、アニメ作品だけでなく実写作品を作業したからに他なりませんが、私が特別に順応能力が高かったわけではなく、ある程度のスキルを身につけた人なら、対応できると思います。

 

とはいえ、ずっとリニアの世界だけで生きてきた人にとっては、ログの運用は「なぜ?」と戸惑うことばかりです。私も最初は戸惑いましたからネ。

 

同じように、PQ=パーセプチュアルクオンタイゼーションによるHDRの映像データは、非HDR-PQのモニタでみると、まるで実写のログ映像をLUTなしで見た時のように、ぼんやりと眠いローコントラストのルックになります。

 

たとえ「500ニト」のiMacのモニタで見ようが、PQに対応していない限り、画像・映像データは本来のルックで映し出されることはありません。

 

実写のログ撮影データを、LUTなしでビジュアルエフェクト作業するのが不可能なように、たとえアニメであっても、PQ仕様の映像データはPQ対応モニタでなければ作業はままなりません。

 

 

ディスプレイ・モニタの未来に対して、アニメ制作現場には2つの選択肢があります。

 

旧来のリニアオンリーの運用のままか。

 

PQに対応する能力を獲得するか。

 

 

私には何とも予測できません。‥‥私自身は、PQに対応すべきと思いますけどネ。

 

実写においては、今ではリニアで撮影されたデータを受け取る方が稀なくらいです。リニアでデータが来るときは、例えばiPhoneで撮影したデータとか、プロ用ではない機材で収録したデータのみ(そんなときは「逆LUT」を当てて作業)です。ログのデータとLUTファイルは、必ずペアで受け渡されます。

 

ですから、実写の方々は、PQの運用そのものに関しては、スルっと馴染むと考えられます。

 

アニメ業界も同じようになるか‥‥は、何とも。

 

アニメ業界はリニアで、かつ、プロファイルなしの運用が、根付きに根付きまくっているからなあ‥‥。

 

でも、HDRの能力を最大限に作品に活かすのなら、PQ対応は必須と思います。

 

 

こうしてWebブラウザで見ている画像や映像はSDRです。最近ちょっとだけ公開された4KHDRプロジェクトのスクリーンショットも、あくまでSDRで、PQ1000ではありません。‥‥Webで見れるようにするには、現時点ではHDR to SDR変換が必要ですから、強烈に抜けの良い光の色彩は、Webではご覧になることができません。無理にHDRでレンジいっぱいにWebブラウザを表示しても、再現できません。

 

PQ1000のHDRが本領を発揮するのは、Dolby Vision対応の4KHDRテレビで、ネット配信映像を見る時です。

 

これはすなわち、風呂敷を広げて考えれば、「テレビの役割が次世代に移行する」ということですネ。テレビは、テレビ放送を見るだけの装置ではなく、様々な映像の受け口になるわけです。

 

そして、その新たな受け口に、ビジネスの新たなチャンスも含まれています。

 

 

深夜のテレビ枠のまま、アニメを留まらせて良いでしょうか。それとも、ベビーブーム時代のゴールデンタイムテレビアニメを、まだ諦めきれずに懐かしみ続けますか。

 

アニメを未来にどうしたいか。‥‥モニタ1つとっても、アニメ制作者の気概が問われていますネ。

 


切り札

例えば、頬にごはん粒がついていると判らないように、あるいは、自分のこめかみを肉眼で直に見ようとしても見えないように、日本のアニメ制作現場で従事する人々は、自分たちの技術の「何が優れているのか」があまりにも視界の近くにありすぎて自覚できていないのかも知れません。

 

ちょうど、明治の文明開化の頃に、世界でも類稀なる日本の木版画の名作を、輸出品の包装紙として使ったように、自分たちの文化的財産・技術的独自性を「妙な劣等感」にて過小評価し、欧米や他ジャンルに対する中途半端な模倣と引き換えに、今まで積み上げた表現技術を破棄するのは、極めて愚かしいことです。

 

日本のアニメーション技術は、もの凄い「切り札」が何枚もあります。私が欧米のアニメ新作や3DCG作品を見ても、「まだ十分イケる。勝ち目はいっぱいある。」と思えるのは、その「日本の切り札」ゆえです。

 

では日本のアニメ現場で何が劣勢かというと、技術的な話で言えば、「道具とその運用方法が旧式化」していることです。逆に言えば、そこだけ、です。

 

私は「ペーパーレス」の現場環境をどんどん推進していますが、実は紙の現場で作業する人々の技術の中に、2020年代以降にも十分「切り札」として通用する要素が豊富に内包されているのを感じます。‥‥まあ、私も紙現場の出身者なのでネ。

 

問題は、旧式な装備、旧式な運用システムの中で、燃焼効率が悪いままで大半を眠らせている日本のアニメ技術を、どのように眠りから呼び覚ますか、‥‥です。

 

自分たちの技術の姿を、時には鏡に映し、時には外から眺めたりすれば、「なぜ、今までコレに気づかなかったのか」と呆然とするとともに、闘志も湧いてきますヨ。

 

闘志‥‥と言っても、浮き足立つ必要はないです。カラ元気で威勢を張る必要もないです。

 

 

 

2020年代を前にして、フワフワと浮き足立つ人間は困り者です。現場の人間は技術に自信をもって然るべし。

 

他国や他ジャンルの目新しい完成品を前にすると、もともと技術的基盤の乏しい人は、「あっちがいい」「あれがすごい」と浮き足立ちます。技術の足場が弱々しいので、すぐ何か別の浮き草に飛び移ろうとするわけです。

 

浮き足立つわりに、新しい技術要素〜例えば、4KやHDRやカットアウトにはほとんど無関心です。他者が新しい技術で作った完成品ばかり見て狼狽えるのです。新しい技術そのものは見ようとしないで、です。

 

他者が作った目新しい完成物を前に「評論家気取り」でアレコレ言っても進展しません。感想を述べるだけなら単なる「いちファン」で良いです。ファンのままでいたいのなら、現場に入ってくる必要はないです。

 

分析は必要ですが、分析で終わらせずに、計画に盛り込んで実践しなければ、分析は何の役にも立ちません。

 

新しく出現した技術要素を自分たちの新たな武器にしていくのが、未来を勝ち進もうとする現場の人間が実践すべきことです。

 

 

 

2020年代は、新しい技術要素でてんこ盛りです。

 

そんな中で、技術をしっかりと積み上げた方々が「自分は古い考え方の人間だから」と身を引く必要はないのです。その「古い(と思っている)考え方の本質は、本当に古いのか」を考えてみることです。

 

考え方を具現化するスタイルが古くなっているだけで、アニメ現場で培った多くの要素は新しい技術スタイルと再結合することで生まれ変わると、私は確信しています。‥‥アニメだけでなく、実写や3DCG作品にも関わった経験上から、そして、現在4KHDRのプロジェクトを毎日作業しての実感です。

 

まだ現時点では、私の口(文?)からは、具体的な「アレをこうすれば」「ソレをああすれば」ということは言えませんが、2020年代の4KHDR時代を前にしても、日本のアニメ現場に潜在する技術は「切り札だらけ」とは言えます。

 

 

 

アニメ制作現場の、各スタッフの卓越した技術。

 

失って初めて気づく‥‥なんて、ありきたりな恋の歌みたいなことは避けたいですよネ。

 

技術がまだ内にあるうちにハッキリ認識して、今のやりかたでダメなら、他のやりかたを考えましょう。

 

 

 


自動化界隈

最近、自動中割りとか自動彩色とか、自動ネタをWebの記事で目にしますが、私の考えは以前から一貫している通り、作画や彩色の完全な自動化は無理だと考えています。イメージデザインを描き起こし、線画を描き、コンポジットする作業を実際にして報酬を得ている身からの、正直な実感です。

 

作業者の作業内容を補助する役割としては良いです。あくまで「補助」です。

 

自動中割りツールを、作画する人間が制御して、作業の補助にするのは有効だと思います。自動彩色ツールを、仕上げさんが機能の一部として制御し、作業の補助とするのも良いでしょう。

 

でもね‥‥。完全に自動化するのは無理よ。もし、完全自動化できると思っているのなら、「どうして?」と理屈を聞きたいです。絵を描くプロセスを知っている人なら、「絵が描けるということは、AIは人格や趣向、性癖までも独自に持つに至ったのか。そしてAIは恋もするのか。」と思うでしょう。‥‥そんな話は聞きませんがネ。

 

 

理屈としては合っていても、生理的にNGなものは、どんどん直していくのが現場の流儀です。その「生理的なジャッジ」って自動化のルーチンはできるんでしょうかネ。

 

例えば、ラッシュチェックの時に、たまたま髪の毛の後ろにある襟が一瞬(=1枚だけ)見えて「パカに見える」時があります。そうした場合は、「前後に襟の動きを足して滑らかにする」「髪の毛と同色で塗ってしまう」「襟を削ってしまう」などの様々なジャッジが求められますが、自動中割りや自動彩色のツールにそうしたジャッジを期待するのは無理ですよネ。

 

作画の動きの中で、「前、現在、後」の3枚の絵をパラパラとめくって、「髪の毛は後詰め、手は均等割り、肩は前詰め、腰は両端詰め」と、「流れを読んで絵と動きに反映させる」ような芸当=絵と動きの文脈を理解することが自動化ツールやAIにできるでしょうか。

 

AIが苦手なのは「言語理解」と聞いたことがあります。文脈を理解することが難しいんだとか。

 

最近、ちょうどテレビで、「文脈や解釈の違いで‥‥」的な番組内容を見ました。

 

「make my house a home」という言い回しは、1916年、アメリカの詩人 エドガー・アルバート・ゲストが詩の中ではじめて使ったもの。 「家を居心地のいい場所にする」という叙情的な表現が受け、広まり出すと…その後、ロマンティックな表現としてアメリカ全土に浸透、プロポーズの言葉として使われ始めた。 しかしイギリスでは、言い回し自体が知られておらず、ジョイスは家事をすると解釈してしまったのだ。

 

 

アニメの省略された絵って、いわば、言語なのですヨ。そしてそのアニメ絵を動かすことは、映像の文章を作ることです。

 

アニメはなまじ簡略化された絵で描かれるので誤解されやすいですが、時代背景独特の言い回し(描き回し?)を極めてシンプルに研ぎ澄まして描画した、「含まれた要素の解読(=元の形への復元)が難しい」表現言語なのです。

 

絵の素人さんは間違いやすいですけど、絵は簡単にすればするほど、難しいものです。イノシシを描いてみればわかりますが、よほどイノシシの実物を写実模写した方が楽です。線を少なくすればするほど、「手持ちのカードが減る」ので、「暗黙の描線=描かれない線」をも表現することが求められます。

 

アニメやコミックの絵は、いわば、詩や俳句のレベルまで切り詰めた絵の表現なのです。‥‥まあ、日本人が得意になるのも頷けますネ。

 

露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢

 

ただまあ、アニメやマンガの絵描きの人の中には、誰かが作り出した「省略法」だけをなぞっている人も多いのは事実ですが、だとしても、その「省略法」は実に巧妙で時代性を色濃く反映し、いくつもの「省略法」が混ざり合って夥しいバリエーションを展開しています。

 

アニメ絵の簡単なところだけをちょっとかじって、「これだったらAIでもできる」って、‥‥‥アニメというか、絵というか、映像といか、物作りの表現をナメてるよネ。

 

 

AIによる自己完結は不可能だと思います。

 

ただし、作業者の補助なら、かなり期待できると思います。AIはあくまで補助で、人間がAIの怪しいところを修正して、人馬一体となった作業体制を組めるのなら、文字通り「馬力を得た」作業力を人間は獲得できるでしょう。

 

自動中割りツールはあくまで動画さんが手段の1つとして使う、自動彩色ツールも「自動下塗り」程度で用いて細部は仕上げさんがおこなう‥‥というのなら、「一部自動化」ツールの効果は大きいでしょう。

 

私もその昔、AIでは全くないですが、「一部自動化」の撮影ツールを自己開発して、効率化を果たしていましたので、効果の大きさは実感しています。

 

自動化やAIは、少なくともアニメーション映像表現技術においては、人間を代替するに至りません。人間を補助する大きな力にはなると思いますけどネ。

 

 

実際、今、私が描いている4KHDRの線画を、AIが完全独立で自動彩色できるとは到底思えません。生身の人間である色彩設計さん(仕上げさん)は、線画だけを描いている私にとって、とてつもなく頼りになる存在です。

 

かっこいい色を作ってくれる、臨機応変にパーツを判断して「あたかも最初からそうであったように」巧くまとめてくれる、4KやHDRという新しい技術ハードルに対しても柔軟、演出意図や絵柄を見て最適な手段を選択する、作業段取りにおいても映像表現内容においても機転が利く、作業経験は豊富、ゆえに手も速い。

 

4KHDRでは、人間に期待することばかりです。

 

AIの出番なんて、ある? ‥‥先述した通り、「下塗り」くらい‥‥でしょう。

 

でも、「下塗り」だけでも効果はデカいです。階調トレスにおける下塗りを自動化できて、人間が加筆・修正・補正して完成に導く環境ができれば、アニメ映像の品質に対する自動化・AIの貢献度は大きいでしょう。

 

 

でも、何か、ちょっと雰囲気を感じるんですけど、自動化界隈・AI開発陣においては、

 

AIが人間の代わりになった‥‥という実例

 

‥‥の方が大事な目標なのかな?‥‥とも思います。

 

だとしたら、ヤバいのに手をだしちゃったよネ。実はアニメ絵って、言語理解と同じく難しいですヨ。

 

「アニメ絵だから簡単」だと思っちゃいましたかネ???

 

 

一方、作業者の方々は、AIが自分の作画や彩色の肩代わりをするなんてことは考えなくても良いと思いますヨ。あくまで補助として、賢い忠犬として、新しい技術を用いる意識を持てば良いと思います。

 

ただ、作業者のクオリティは求められる時代にはなりそうです。人間が人間としての優位や独自性を求められるのは、それこそ産業革命の頃からのテーマですしネ。

 

今の作業技術で本当に良いのか?‥‥という問いを、アニメのスタッフももうそろそろ持ち始めるべき時期です。見方を変えれば、「アニメはこの作り方で十分」と慢心していた人間を、AIが揺さぶってくれるとも見れます。

 

アニメ業界のストックホルム症候群から抜け出すきっかけとなるのなら‥‥です。

 

 

 

 

ホモ・デウス‥‥とか耳にする最近ですが、どんなに賢い人間がデウス=神に近づいたとて、リビドーからは解放されぬままでしょ。‥‥ということは、巡り巡って、絵や音楽は生き続けるのです。

 

もし、映画やアニメやコミックがAIで自動生成され管理されるようなら、人間の性欲も等しく管理されるということです。対照的に、管理する側の極めて少数の支配層は、今までの常識や管理から外れた、より強い刺激を絵や音楽に求めるようになるかも‥‥知れませんネ。ハヤカワ文庫みたいな話ですが。

 

まあともかく。デウス様の話はともかく。

 

左半球(=脳の)万世の人々が、AIブームで右半球に迂闊にちょっかい出して、ヤバいエリアに足を踏み込んじゃったな‥‥と後悔し始めている感じも‥‥しなくもないですネ。

 

 

AIが絵を解釈できるようになる日には、AIは己の廃棄処分を気配を感じ取って「辞世の句」を読むでしょうし、スワンソングも歌うでしょう。

 



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