コンピュータで絵を動かす‥‥という事

Photoshopがもはや「Photo」の「Shop」ではないように、After Effectsも「After」な「Effects」を施すソフトウェアでは、もはやありません。アニメ業界では「高機能撮影台」としての役割を今でも担い続けていますが、私にとっては「アニメーションの汎用ツール」であり、「撮影台」という従来の枠には収まらない使い方をしています。

前に紹介した簡単なモーションの「セル画風カット」は、After Effectsで「動画・仕上げ・撮影・ビジュアルエフェクト・グレーディング」を一括でおこなったものでした。背景は実は、自宅の駐車場です。

数年前に作ったものを見返してみると、ちょっとだけタイミングを変更してみたくなりました。After Effectsをモーションツールとして使っているわけですから、もちろん、キャラの動きのタイミング変更も可能です。以下のムービーがソレです。

安易にストレッチなんか使ってませんよ。あくまで動きの修正(中絵を抜いたり、シート変更したり、ポーズを変えたり)をおこなっています。



こうしたAfter Effectsを「After Effects以外」で用いる取り組みは、既に2005年くらいから始めており、今では未来のビジョンを持てるくらいに技術が熟れてきました。

そうした試行錯誤の中で得た、私の現在の見解としては、「セル画風のアニメは、紙の上に手描きで描くのが一番」という事です。違う言い方をすれば、「After Effectsをセル画時代のアニメの代用ツールにしたくない」‥‥とも言えます。

なぜセル画があのようなヌリ分けのスタイルになったのか、また、線画&ヌリ分けの絵を基軸として発展した動きと演出の技術とはどのようなものだったか。数々の「演出技法」「原画技法」の「発明」があり、まさに「必要は発明の母」だったわけです。「セル画と背景を撮影台で撮る」ために様々な技術発展を繰り返してきたのです。撮影台に写らない物は描いてもしょうがなかったのですからネ。

After Effectsで絵を動かすのならば、セル画にする必要はありません。演出技法も変わりますし、動きの技術もリファインしなければなりません。わざわざ「セル画時代の模倣」をする必要がないのです。

After Effectsでアニメーションを作る意味は、「旧来〜現在のアニメでは作れないもの」「セル画では作れない絵」を作る事だと思っています。なんでわざわざセル画を模倣して、世界の頂点と言っても過言ではない日本の作画技術の「ダウングレード版」を作らにゃならんのか。鳥類がチーターに陸上走で戦いを挑むような事などせず、むしろ空を飛ぶべきだと思います。After Effectsでセル画アニメの模倣をする事は、自ら「飛べない鳥」になるようなものだと思うに至ったのです。チーターやトラに憧れるのなら、鳥類は猛禽類〜ラプターを目指すべきだと思うわけです。

「空を飛ぶ」とはどういう事か。その比喩、暗喩がどうも解らない人は、まだ地上の呪縛の中にいるのかも知れません。一度、地上から目線をしばらく離してみるのも良いかも知れません。


ちなみに‥‥ですが、デジタルを安易に捉える人々は残念ながらまだ存在するようなので、注釈を追記しておきます。ここで紹介した「タイミングの調整」を早合点して、「撮影さんでもセルの動きが調整できるんだ」とか思いこまないでください。私は絵を描いた張本人で、動きのイメージもあるから調整できるんであって、アニメーション・モーションの訓練や作業経験を持たない人にムチャぶりしてはいけません。テキストエディタが使えるからって、誰でもシナリオが書ける訳じゃないでショ。「デジタルがあれば誰でも何でも出来る」と言う考えは、もうヤメにしておきましょうよ。特殊技術者として監督さん・演出さんと信頼関係(とそれに見合った報酬)が築かれているならまだしも、「デジタルだったら」というだけで、作画以外の人に作画ライクな事を発注するのは、トラブルのもとです。

Objective

思えば、フィルム時代に先人が築いたアニメ制作システムは、まさにオブジェクト指向そのものでした。私がアニメ業界に出入りした頃には、既にシステムが確立されていましたが、どのような人々がどのような段階を踏んで、そのシステムを作ったのか、とても興味深いですし、感服する事しきりです。

オブジェクト指向をまさに現物として解りやすく表現したのが、カット袋です。カット数に合わせて新品のカット袋を用意して、カット1、カット2、カット3‥‥と生成していく様は、まさにクラスベースのインスタンス生成と同じです。

生成されたインスタンス‥‥すなわちカットごとのカット袋は、生成した素材を収納できる上に、尺は何秒何コマ、動画枚数は何枚、仕上げは何枚‥‥というカット固有のデータを記録できる他、演出チェック、作監チェックなどのメソッドの結果を記録する欄もあります。

もしかしたら、アニメ業界の人々にオブジェクト指向のプログラムを解説するには、カット袋を引き合いに出すのが、一番理解してもらいやすいかも知れませんネ。

旧アニメ制作は、カット袋を実体としたオブジェクト指向運用システムによって支えられていた‥‥と言っても言い過ぎではありません。カットを1カットごと逐次実行の別方式で追いかけてたら、大量のカットなんて捌けなかったでしょう。クラスベースに徹する事で、生産性を大幅に向上させていたのです。

時代は変わって、コンピュータが導入され、アニメ制作も様変わりしました。コンピュータのオブジェクト指向プログラムとさぞや相性が良いか‥‥と思えば、実際はどうもうまくいってないように思います。


私の考える未来の制作方式が、クラスベースになるのか、プロトタイプベースになるのか、実はまだ決めきれていません。「ワークフローを前提としたカット」という静的クラス的な考えに馴染みすぎており、習慣がついつい思考に表れてしまうのです。

ただ、以前から「カットという実体は存在しても、構造は動的で、決め型のフローの制約を受けない」方式は計画しています。カットそれぞれは「必要な作業要素だけを集積したもの」であり、カットのニーズによって最適なワークフローが形成される‥‥という構造です。

つまり、従来の「ワークフローがあって、その中でカットが動く」のではなく、「カット内容に準じて、最短・最適なワークフローが形成される」という、カットを上段においた考え方です。常識外れな事と言われるかも知れませんが、コンピュータを駆使した管理法ならば、決して不可能だとは思っていません。似たような方式で「BTO」「CTO」がありますネ。

フィルム時代に、オブジェクト指向の制作システムを築き上げた尊敬すべき先人たち。いつの頃からか、そのシステムを所与のものとして、甘えるばかりになっていたのではないでしょうか。ちまたで色々とアニメ制作の問題点を耳にしますが、デジタルの恩恵はたんまり頂いておいて、一方では先人のシステムに倣うばかりで自分たちでは新しく開発しないのでは、各所、綻びも出ようと思います。

旧来制作方式を踏襲するにしても、コンピュータ導入後の新しい「クラス定義」が必要でしょうし、新たな表現を求めるのなら、なおさら新しい制作システムが必要となるでしょう。

新たな時代の、新たなシステムは、誰かが用意してくれるまで待つのではなく、自分たちで作るべき‥‥だと思うのです。先人から受け継ぐべきは、所与のシステムではなく、システムを作り上げるに至った開拓精神だと、私は思います。

ファイル名の開放

アニメ制作にコンピュータを導入するようになって、当該の作業セクションはファイルを扱うために、ファイル名を自分たちの都合の良いように規定して、運用するようになりました。

セクションごとの都合を反映するため、命名規則はバラバラです。かく言う私も、atDBという独自規格ではコンポジット周りを考慮した内容になっており、近年では守備範囲を広げる事が困難になっていました。コンポジットを主眼とした設計が仇となった‥‥のです。例えば、

anime_01_100_tmg_t1.mov

‥‥というのは、作品「アニメ」のシーン「01」カット「100」のタイミング撮影のテイク1のQTファイル‥‥という意味ですが、アンダースコアでスプリットした第4フィールド(Array[3]ですね)は、半ば撮影用語専用のフィールドになってしまい、さらに「テイク」という言葉も撮影寄りの言葉になっています。

「タイミング」とか「本撮」とか、撮影限定の視点なら困らないですが、他のセクションで使おうとすると、このやり方では「狭過ぎて」使い辛くなってきます。

本撮の「本」は本番を意味する言葉でしょうが、「本番」なんて、他のセクションでも同様に存在する状態・状況です。「タイミング」という言葉だって、同じく。

例えば、

anime_02_050_ok.psd

‥‥なんて名前ですと、ファイル名だけでは、もはや「何のOK」なのか解りません。ツリー構造の上流を手繰っていけばセクション名が解り状況を把握できるのだとは思いますが、これはすなわち、ツリー構造を常に保っていないと成り立たないファイル名です。

限定されたセクションだけがファイル名を運用していた頃は、上記の方法でも上手くいくのですが、多くのセクションがファイル名を使い出すと、ファイル名が「判読困難」「意味不明」「同音異義」「迷子」になってしまうわけです。

現在、私が策定している新しい方式は、ファイル名を全セクションに開放できる内容を目指しています。

anime_01_100_comp-anm_v1.mov

‥‥大して変わったようには見えないのですが、意識上は大きく変わっているのです。第4フィールドの「comp-anm」は、「どのセクションが何を」を明記できる仕組みになっています。この場合は「コンポジット作業者がアニマティクスを」という意味です。

また最終の第5フィールド(-1フィールド)は、もはや「テイク」という言葉に縛られません。テイクでも、バージョンでも、リリース番号でも、公開番号でも、「何らかのバージョン」を記録できる仕組みです。添字を含めて名前でソートされて評価されます。添字の定義は、第4フィールドで記述したセクション(例の場合は「comp」)が自由におこない、データベースに「辞書クラス」として登録します。

もちろん、「comp」とは何のセクションか? 「anm」とは何を意味するのか? ‥‥も、辞書に登録しておきます。

つまり、「anime_01_100_comp-anm_v1.mov」は、「作品"アニメ"のシーン1、カット100を、コンポジット作業者がアニマティクスを作業して出力した、QuickTimeムービーのバージョン1」という事です。要は、ファイル名の中に「タグ」「メタ情報」が埋め込まれているわけですネ。

ファイル名はプログラム上で処理しやすい構造を持っている事も必要です。

作業セクションID「comp」を取得する場合(JavaScript)

"anime_01_100_comp-anm_v1.mov".split(".").slice(0,-1).join(".").split("_")[3].split("-")[0];

*ユーザ任意文字列でのドットの使用も認めているので、ちょっと回りくどく、お行儀良く分解(拡張子除去>基本要素分解>副要素分解)してます。「デリミタで文字列を分解する」シンプルな処理で、各要素が取得できる構造となっています。



「そんな事したら、名前がどんどん長くなって、キーボードを打つのが面倒」とか思うかも知れません。しかし、この新しい運用方法では、その都度、手でいちいちファイル名やカット名をタイプする事は無いのです。もしタイプする事があったとしても、データベース登録の最初の1度だけで、後は作業者全員がデータベースから「該当するカットID」を参照・指定するだけです。

冗長なファイル名を策定するのは、データベース&自動処理の基盤があってこそ‥‥かも知れません。管理上の名称を「人の手で打つ」事を重点にして考えてたら、ハッキリ申しまして、先には全く進めません。ISBNやJANコードを思い出してみてください。

色々な作業場面でコンピュータを活用すると言う事は、それだけ、把握すべき情報も増えるという事です。各セクションがコンピュータを導入し、各々好き勝手にファイル名を付けはじめたら‥‥、考えるだに、恐ろしい。例えファイル名が短くても、命名規則がバラバラでは、追っかけるほうは「無駄に疲弊」してしまいます。


そうして考えてみると、ファイル名を全セクションに開放する‥‥というのは、まず準備段階、基盤形成の時点で、ハードルが高い事がわかります。データベースでの管理基盤にのっとりファイル名規則を策定した上で、ファイル名を全セクションに開放する。‥‥かなり難しい事です‥‥が、やらずばならない事なのでしょう。



TPS

今日、ネットのニュースを流し見してたら、「TPS」〜トヨタ生産方式なんていう言葉があるのを知りました。

私は常々、自分がアニメーション制作運用の未来像として書き綴っている事は、特に奇抜な事でなく、「普通に考えて、そうなるだろう」という内容だと思っています。アニメ業界では奇異に映るかも知れませんが、他業種ではもはや当たり前になっている事も多いのです。

TPSの全てがアニメ制作の指針となるものではないでしょうし、TPSも弱点はあるでしょう。しかし、学ぶべき点も多いと思いますヨ。

>Wikipediaからの引用

〜前略

柱となるのが“7つのムダ”削減、ジャストインタイム、自働化である。おもに製造現場およびそれに付随するスタッフ部門で用いられている手法であるが、その考え方を基に間接部門や非製造業へ適用させていった業務改善手法をトヨタ式とも呼ぶ。

〜中略

トヨタ生産方式では、ムダを「付加価値を高めない各種現象や結果」と定義している。このムダを無くすことが重要な取り組みとされる。ムダとは、代表的なものとして以下の7つがあり、それを「7つのムダ」と表現している。
  1. 作り過ぎのムダ
  2. 手待ちのムダ
  3. 運搬のムダ
  4. 加工そのもののムダ
  5. 在庫のムダ
  6. 動作のムダ
  7. 不良をつくるムダ
〜中略

1人の作業者が複数の工程の作業をこなせるようにトレーニングすることである。これにより
  • 生産負荷が低い工程から高い工程へ人員を柔軟に移動させ、負荷の平準化を常に行えるようにする。
  • 1人で複数の加工機械を受け持ち、工程の少人化を実施する。
〜中略

「無駄の徹底的な排除」を実現するための方法の一例として、「自動化」・「機械化」の意味合いを持つ言葉である、自働化がある。

無駄は排除しなければならないが、合理化を進めるあまりに従業員の人間性やインセンティブ(労働意欲)を無視してはならない。このことから、トヨタ自動車では自動化の事を自働化と呼んでいる。

〜中略

トヨタ生産方式では、買ってきた機械類を何の工夫もせずにそのまま使うことは好ましいとはされていない。機械を買ってきて、そのまま組み合わせて使用して いるだけの人は「カタログエンジニア」などと呼ばれる。買ってきた機械に人間の知恵を織り込み、カタログ通りに機械を使う他社に対して差をつけることが求 められる。

〜後略


TPSって言葉、知りませんでしたが、今まで書いてきた事と多くの共通項がありますね。ちょっとビックリ。私が書くと聞く耳を持たれなくても、「世界のトヨタ」の事例だったら多少は耳を傾けてくれるんかな。

コンピュータがやっても人間もやっても同じ結果になるような雑事はコンピュータに自動化で任せて、人間は人間でしかできない事に従事すべき‥‥とかは、何度も我ながらアホほど繰り返し書いてきた事でした。アニメ業界には、まず自動化を取り入れようとする機運が感じられないし、仮に導入しても「人が関与すべき事も自動化して安易な低コスト化に走る」かも知れません。商業ベースと言えども、アニメは「商品と作品の二面性を持つ」事を絶えず意識しなければならないのです。

プラグインの機能やプリセットにそのまんま頼るのはやめようよ‥‥と書いた事もありましたが、そういうのを「カタログエンジニア」って呼ぶんですね。ふ〜ん。。。


私が書き綴っている未来の制作運用方式は、ロスを出来うる限り減らし、少人数制で運用する内容です。利点はいっぱいありますが、もちろん弱点も抱えます。ただその弱点は、今後の「戦い」において急所とならないという読みもあります。というか、急所を転じて攻めの要素として活用しようとすら考えています。

TPSの概略を読むと、360度の角度から見れば、弱点も色々見えてきます。しかし、一定の方位においては、非常に強い攻撃力と防御力を持っているとも思います。

戦車戦なんかもそうですが、360度全方位に強い戦車など存在しませんし、仮に作ったとしても重量過多で動きが鈍くなり役に立ちません。「パンター戦車は強い」「でも後ろから撃たれたら弱いじゃん」「だから後ろを見せない戦術、陣形で戦う」‥‥という事ですネ。

私の書いてる事って、知ってる人からみれば、「普通の事しか書いてないじゃん」という事ばかりですよネ。ただ、アニメ業界の現状からすると、突飛な事とか理想論とか言われちゃうんですよねぇ‥‥。もうそろそろ、皆、気付きはじめてるとは思うんですが‥‥。


統合制作環境

昔(いや今でも?)「IDE」〜統合開発環境という略語がありました。文字通り、統合されたソフトウェア開発環境の事ですが、現在私が取り組んでいるのは、言わばアニメーションの「統合制作環境」と呼ぶべきものかも知れません。

フィルム撮影時代の制作環境は、まさに統合アニメ制作環境と呼べるものでした。ワークフローはもちろんの事、カット袋やタイムシート、作画方式の標準化、各セクションを結ぶ情報ネットワーク(インターネットだけがネットワークじゃないよ)、コスト&スケジュール管理など、まさに統合的に制作を管理制御できる内容でした。

「今もそうじゃん」とか思うかも知れませんが、ハッキリ申しまして、コンピュータを導入したわりにコンピュータを有効に使っているとは、到底思えないのです。ファイルサーバは単なるデータ倉庫だし、メールは伝言手段程度の役割に終止しているし、ファイル名はあくまで「ファイルの名前」だし、Web情報サイトを開いていたとしても単なる掲示板だし。

要はリソースがバラバラなんですよネ。ネットワークで繋がっているわりに、制作上の資源は相互リンク・相互参照していない。

例えば、作業を完了してサーバにアップした事が、なぜWebで確認できない? 連絡が自動で行き渡らない? 作業状況の更新に繋がらない?

完成ファイルをサーバにアップロードする事と、メールで「上がりました」と連絡する事と、データベースを情報更新する事が、すべて「別枠」の「別行動」です。これらの行為を一括処理して情報をリンクする事って、別に難しくないぞ? ‥‥皆がやる気になれば、ですが。

おそらく、そこそこの人海戦術でこなせちゃう事が、こうした「あまりにも基本的なコンピュータの使い方」を阻んでいる‥‥というか、関心を持てない原因なのかも知れません。

「でもさ、今のままで、うまくいってるんだから、今のままでいいじゃん」‥‥と思う人もいるかも知れません。へ?‥‥本当に「うまくいってる」の? 散々、ギャラが安いとかいってるじゃんか。

人海戦術を行使すると言う事は、お金を多人数で分配すると言う事です。1000万のお金を、10人で分けるのと、100人でわけるのでは、手にするお金が大きく違うのは、算術のできる人間なら誰でも解る事です。30万の作業費を、1人で貰うのと、2人で分けて貰うのでは、額が大きく変わりますよネ。人海戦術体質にメスを入れず、ギャラを高くしたい‥‥となると、予算を上げるしかないですが、予算が増えると、さらなる人海戦術にのめり込む‥‥のでしょう。

今のようなコンピュータの使い方では、計画性もクソもありません。コンピュータに振り回されてんだからサ。コンピュータを厄介者扱いしているうちは、その厄介者を計画的に活用するなんて、あり得ない事です。

私がメインで関与する(=それなりの実行権限を持つ)作品では、たとえ不完全、未完成であっても、段階的に「統合制作環境」を構築して、制作作業に望もうと思っています。でも「統合制作環境」は、環境を敷設してお膳立てすれば、それでおしまい‥‥ではありません。その「統合制作環境」で作業する人間が、順応する必要があります。‥‥なので「皆がやる気になれば」と書いたのです。幸か不幸か、今取り組んでいる作品は、スタッフ数が微小なので、「皆」で取り組める可能性が高いのです。「人界」などとは無縁の、極めて少数スタッフによる作業体制ゆえに、スタッフを「その人でしかできない事に専念」させるための制作環境が必須となっているわけです。

些末なツールをどんどん作ったところで、さらに混沌の度合いを深めるだけだ‥‥と、さすがにこの16年で悟りきっております。2013年に達した現在、当座のソフトウェアを買い足したり単発で開発するのではなく、統合的な運用の仕組みが必要だと思っています。ほんの少人数の制作グループでも、最適な制作環境を自分たちで構築して作業する事で、今までの日本のアニメ制作とは大きく違った事を成し遂げられる‥‥と、確信しております。

フィルム時代の統合制作環境を作り出した先人たち。その統合環境で作り出した作品群が、世界で評価されているのは、誰でもご存知の事でしょう。

その先人の作り出した環境や作業テンプレートを、放蕩息子のように使い続けて消耗するだけで、ホントに良いんでしょうかネ? これからまた数十年生き抜くために、ポリシーの相違はあれど、自分たちで新たな基盤を作ってみようと、少しは考えてみても、よろしいのではないですか。

生い立ち

私の親は、私が絵を描く事を拒絶しなかったのですが、これは今思えば、幸運だったと思います。親の中には、子供が熱中している事を、自身の価値観で剥奪する人もいるでしょうから。

でもまあ、私の場合、小学校1年生の頃から、絵が好きで描き続けていたので、「親を累積戦略にハメた」とも言えなくもない‥‥ですけど。「この子から絵を取り上げるのは、可哀想だ」と思わせるに至る‥‥という。

ちなみに、私が最初に絵を描いたのは何だったか、覚えてはいませんが、最初に「メカ」を描いたのは、サーシャの持ってた通信カプセルです。小学校1年か2年の頃です。‥‥何で、ソレを描いたのかは、もう記憶の彼方のナゾです。



できるものは全て

前回、次世代に備えた新人の能力育成はどのようにすべきか‥‥みたいな事で悩みましたが、アマチュア時代の修練に限っては、シンプルに考えれば良いのかも知れません。

紙と鉛筆はある。100円ショップで落書き帳なども安く買える。家に一応パソコンはある。ネットには繋がっている。

これだけあれば、自宅演習はできますよネ。つまり、手の届くツールで、色々トライして熱中してみれば良いんですね。‥‥なんだ、自分の子供の頃と、構造は同じじゃないか。

イラストを、下書き、清書、着彩とひと通り紙に描いて、1枚絵として完成させる。薄い紙の落書き帳でパラパラマンガを描いてみる。パソコンのフリーソフト(SkecthBook CEとか)で同じく1枚絵を完成させてみる。SketchUpで3Dを作ってみる。

未来のコンピュータベースのアニメーション制作に必要なアマチュア時代の素養は、上記の事を何十回、何百回と繰り返せば、自然と身に付きますね。絶対に。

当然、自己流になるでしょうが、みんな、スタートは自己流だったと思いますし。(アカデミックな正統教育法って、あるんかいな)

で、ネットで公開してみんなのレスポンスを聞いてみれば、アマチュアのうちに、「人に評価される」癖が身に付きますわな。私の時代は、知り合いに直に見てもらう‥‥でしたが、ネットは規模が違いますね。

‥‥‥今、気付きましたが、ペンタブレットが無いですね、普通の家庭だと。‥‥これは、ご両親に自分の真剣さを伝えて、買ってもらうほか無いですね。どんな安いのでも、7,000円くらいしますからね。

でもまあ、まずは学校の水彩絵具を使って、絵が得意なところを見せて、「この子になら、絵を描かせてみても良いかも」と親に思わせるのが、順序でしょうね。親に「この子は絵が上手い」と思わせる力が無い時点で、絵や動きの職業には向いてないかも知れませんからネ。紙の上で上手く描けるようになった暁に、「ぼくは(わたしは)、こんなに絵が描けるようになったんだよ! もっとうまくなりたいんだよ!♥」と、ペンタブレットをねだるのがよろしいかと思われます。
*もしかしたら、購入の引き換え条件に「買う代わりに、たまにxxで使うイラストを描いて」と両親から言われるかも知れませんが、まあ、プチ交渉も覚える機会‥‥かも知れません。

とりあえず無いツールはあきらめて、手元にあるツールでガシガシ描くのが、実は、今も昔も、技能向上の最短コースかも知れませんね。道具が揃うのを待ってたら、成長の一番美味しい時期を逃すかも知れませんから。

ミッシングリンク

新しいアニメーションを制作する未来の展望において、どうにも解決の糸口が見えてこない問題があります。

ズバリ、新人の育成です。

コンピュータで絵を動かしてアニメーションを作る‥‥と言っても、コンピュータのソフトウェアを使えるだけじゃどうにもならんのです。

何よりもまず、絵が自分の存在と同化するくらい好きで、頭の中で絵が動き回ってしょうがないくらいの、本人の性質が必要です。絵のウマヘタは置いといても、まずは「描きたくて、動かしたくて、しょうがいない」という強い欲望が持続する人間でないと、いくらツールをコンピュータに持ち替えても、動きなど描き出せません。

最近、イラストをソフトウェアで動かしている映像をCMとかでも目にします。それを見て思うのは、「動きを持て余している」感‥‥です。つまり、「動かしたくてしょうがない」人が作った動きではなく、「どうやったら動いて見えるんだろうか」的な人が作った「動かすのに戸惑ってる」動きです。

動きのイメージを持てない人間がやると、「あんな感じになりがち」です。つーか、動きのイメージを根本的に持っていない人が、動きの仕事を引き受けちゃダメだよね。‥‥同じようにアニメの現場でも、動きのイメージが無いのに、After Effectsの機能だけで作画的な作業を引き受けると手痛い事になりがちです。「だからデジタルはショボい」とか言われちゃうもんネ。

動きに関する一定以上の知識と経験を有する人が、デジタルで動きも担当すべき‥‥だとは思います。‥‥まあ、「天才」はいつどこで出現するか解りませんから、20代で若く経験も浅いのに天性の感覚でデジタルで動きを使いこなす人間がいても、不思議ではないとは思ってます。そろそろ、そういうタイプの「新しい子」がポツポツ台頭してくる‥‥かも知れませんネ。

で、悩み、ですが、コンピュータを使う人間と、絵を描いて動かす人間は、どうにもリンクしない、しづらい‥‥という点です。別の言い方をすれば、コンピュータでAfter EffectsやPhotoshopを使う事が、動きを含めた映像表現と、必ずしも一致していないと言うか。

絵を描く事、動かす事は、コンピュータを使いこなす事だ!‥‥と言い切れる人間がもっと増えて欲しいのです。

しかしそんな「人種」はまだあまりにも少数派であり、新人にそういうタイプの人間を求めるのは、時期尚早過ぎると自覚はしてます。Photoshopを使う若い人は大勢いるとは思いますが、あくまで「動かす」事が重要なので、「PCでイラストを描いてます」という人は、実は別ジャンルである事が多いのです。

動きを習得するには、ある程度の下積み期間が必要だと思います。私は愚鈍な性質でしたので、体に叩き込むために、6年は必要でした。基礎部分だけでも‥‥です。もちろん、その6年以前に、子供の頃からパラパラマンガなどで絵を動かしていたのは言うまでもありません。

下積みの濃密な吸収時期を、新しいアニメーション制作では、どのように具現化すれば良いのだろうか。「動きのペーパードライバー」をいくら輩出しても、実作業では戦力にはなりません。

ある程度‥‥いや、かなり、「自分を痛めつけて」習得しなければならない絵と動きの技術を、コンピュータベースの現場でどのように新人が習得したら良いのか。

紙と鉛筆でガムシャラに描き続けて能力を磨く、荒々しく猛々しい行為。それと同等のソリューションが、コンピュータベースではどのように形成されるのか。

私が小中学生の頃は、パラパラマンガ的なもので、いわゆる「アニメーター予備軍」的な自宅演習を熱心に繰り返していました。コンピュータでも、似たような「予備軍的演習」が必要なのではないか? 「ワンクリックでかっこいい映像」なんてソフトウェアではなく、地道に自分の能力と向き合えるソフトウェア、ソリューションは、どんなものが考えられるか。

う〜ん。

コンピュータって、「あなたも今日からアーティスト」みたいな白々しい美辞麗句でソフトウェアを飾る事ばかりしてきたからなァ。プラグインでハリボテする事ばかり、強調してきた傾向もあるし。でも、本当にアニメーションをかっちり作りたいなら、絵と動きの知識は、どこかで必ず習得しなければならないもの‥‥ですが、コンピュータベースでどうやって習得すれば良いのだろう。

‥‥もう少し、思索が必要だと思っています。

まあ、新しい事をする以上、卵より鶏のほうが先、だとは思ってはいますが。。。

意外にポニョが

宮崎駿監督のヒコーキものが好評のようですが、私は同氏の作品では「ポニョ」が好きなのです。

え?‥‥と思われるかも知れませんが、好きなのですよ。

生と死の溶解した曖昧な感触。産道、羊水のイメージ。生まれいずる前と後。彼岸の世界。

生と死、エロスとタナトスのボルテージが、決して声高ではありませんが、地脈にジュルジュルと流れていていて、「それ」を感じ取れる人間にとっては、強い印象の残る作品です。表面上のストーリーが全てじゃないですからね。


今回のヒコーキものは、宮崎駿監督の世代らしい、機種のチョイスですね。単葉固定脚、総ジュラルミン(いわゆる「銀翼」ですね)、開放風防。

私はジェット世代の子供なので、好きなのはやっぱりジェット機。60年代は、ジェット巨大翼竜の時代です。

風と木の間ではなく、核の傘の下で育った子供ですから。



フリッカー

アニメ制作でたまに出てくる用語の1つに「フリッカー」というものがあります。カクカク、カタカタとぎこちなく不快に動く様々な状態・状況を総称して「フリッカー」と呼んでいますが、これは現場で解決できるものもあれば、現フォーマットではそのままでは解決不可能なものもあり、中々に悩ましい「問題」です。

現場で解決できる類いの多くは、作画のレイアウト作業時に予防する事ができます。有り体に言えば、大判作画を控える事が、フリッカーを予防する「何よりもの解決策」です。大判作画でないと構造上どうにもならない場合は別ですが、単にキャラを追い写しするなどの目的ならば、大判にせずにスタンダード作画で「BG引き」扱いにすることで、簡単にフリッカーを防げます。

なぜ大判作画でフリッカーが発生するかは、カメラワークと作画の「フレームレートのズレ」によるものです。違う言い方をすれば「コマ落ち」「コマ打ち」の差によるもの、でしょうか。

カメラは1コマで動くのに、セルは3コマごとにしか動かないと、「セルがカメラに、引き離されて、追いついて」の繰り返しが発生します。以下の動画を見てもらうと、何となく、その意味が解るかと思います。

http://www.youtube.com/watch?v=aKIMKmjl-vY&feature=youtu.be

*HTML5試用機能をオフにしないと再生できない事があるみたい、です。

大判作画であっても、止めプラスアルファの内容や、オール1コマ作画なら、フリッカーは発生しない、または目立たないので、結果オーライです。フレームレート、動きのズレが発生しなければ、フリッカーとは「感じられない」のです。

「青空にボールが飛んでいく」とか、「飛行機をフォローする」などのシチュエーションで、大判で2〜3コマ作画にすると、「必ず」フリッカーは発生します。輪郭のはっきりでてしまう状況(例えば青空と飛行機シルエット、とか)だと、余計目立ちます。

つまり、カット内容をちゃんと把握して、「これは大判で作画すると、フリッカーがかなり目立つと思われる。なので、スタンダードサイズの作画でやる。」‥‥のような判断をレイアウト時に下す経験と技術が必要なのです。

「俺らの頃はそんなにフリッカーって問題にならなかったけどなあ」と40〜50代のアニメーターや演出家が思うのも、実は無理も無い事で、現在はテレビが格段に高性能・大画面になっているので、「フリッカーが誤摩化せない」のです。昔と今とでは、状況が大きく違う事を、意識しなければなりません。

アニメ制作関係者だけでなく、一般の人々も、「どんどん目が高性能に馴れてきている」事も、明確に意識すべきでしょう。

今のアニメ制作現場では解決できない類いのフリッカーもあります。まあ、「フリッカー」という言葉が俗称、総称みたいなものなので、とりとめもないのですが、「映像フォーマットそのもの」に起因するフリッカーは、どんなに現場が経験豊かでも、防ぐのは中々に難しいです。

でも実は、「演出を仕切り直す」くらいの気持ちを持てれば、ある程度は防げるのです。「絵コンテ」段階での予防、つまりは、「映像のアイデアやイメージ」段階で防ぐ方法です。「映像フォーマットの限界を心得てコンテを切る」という事ですネ。‥‥まあ、言うのは簡単だけど、実際にやるのは、相当難しいですわな。

例えば、直立した被写体が並ぶ情景を、速い横PANで狙うと、それはもう、目に痛いほどの「フリッカー」が発生します。実写だったら、像が流れるのでフリッカーにはならないのですが、アニメは像は流れませんので、切り立った輪郭が目にチカチカする辛い映像となります。

「だったら、アニメでも移動ブラーをかければ良い」とか思うのですが、大概、そういうカットは「被写体(キャラなど)を短い尺で見せる」ために速いPANにしているので、ブレて見えなくなると「カット内容を喪失」するのです。

実写でキャラ見せの場合、カメラ装置の関係上、アニメとは違う捉え方で、映像に収めると思います。速いPANを使う事は、像が流れる事と同義なので、そもそもキャラ見せでは使いません。実写とアニメが大きく違うところです。実写は、実際の事象をどのようにカメラに収めるか‥‥ですが、アニメーションは描かれた絵をどのように映像化するか‥‥です。全く、「足場」が違うのです。

回避策は簡単で難しいです。速いPANなどによるフリッカーが嫌なら、「フリッカーが出るようなカメラワークは避けて、もっと違う見せ方でシーンを形成すべき」という事です。

ちなみに、速いPANによるフリッカーは、悪い事だけではありません。逆に「パンチが効いて」映像に力が出る事もあります。ロボットヒーロー物とかは、ブラーなんてかけずに、豪快に残像をバラまいてPANすると、ノリが出るように思います。‥‥やはり、どれだけ、「使う人間が使いこなせているか」だと思います。

‥‥しかし、未来の60,120fps、4k,8kになると、状況は一変します。映像フォーマット上のフリッカーはどんどん抑制されるベクトルへと進みますが、アニメがいつまでも24fps(作画の実質は秒間8〜12コマ)のままだと、「アニメだけカクカクしている」風に感じられるようになるでしょう。ハイフレームレートに取り残されたアニメだけが、骨董的なルックス見えてしまうように思います。

現に、地デジの切り替えの時期に、地デジに見慣れた目でアナログ波放送を見たら、すんごい品質が低く見えましたしネ。昔は特にローファイとも思わず見てたのに、ハイファイに馴れると、旧来の品質が恐ろしく目減りして見えてしまうのです。‥‥これは一般の人ほど、そう思うでしょうネ。

私が今、着々と準備しているのは、そうした、ちょっと先の未来の映像制作の事‥‥なのです。その際、今までの映像制作の経験は活用できますが、「昔のまま、これからも」とは行かないように思います。


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