夜が暗くなる

深夜まで頑張ったご褒美に、たまにリンガーハットのちゃんぽんを深夜営業の店で食べて帰ることがあります。なので、いつまでもデブが治らないのかも知れませんが、楽しみの1つでした。

 

しかし。

 

深夜営業の店は、1〜2年前からどんどん減り続け、今年2019年10月を境に、私がよく行くリンガーハットまで深夜営業をやめてしまいました。(全店かどうかは調べてないのでわかりません)

 

私はどこでもそうなのですが、あまりにも同じものばかり頼むので、リンガーハットでも店内スタッフの人に「いつものですか?」と聞かれるくらい「野菜たっぷりチャンポン」を食べていました。まあ、深夜の人の少ない時間帯、しかも決まって日曜の未明(土曜の26時くらい)に訪れるので、覚えやすいのかも知れませんが、「いつもの」が通用するのって、何だか嬉しいですよネ。

 

でも、そんなささやかな楽しみも嬉しさも10月で、終了。

 

環八も青梅街道も、昔に比べて、少しずつ暗くなっているように思います。

 

 

 

リンガーハットに限らず、最近は深夜営業の看板が消え、街がどんどん暗くなっているように思います。

 

深夜営業は、団塊ジュニアとともに去りぬ。

 

団塊ジュニアの人口の多い層に合わせて、世の中も変化するのかも知れません。波の高さを見るか、低さを見るか、‥‥だけの話ではありますが、人口の多い少ないに合わせて、産業も商業も推移しますよネ。

 

団塊ジュニアが子供の頃は子供向けのおもちゃ商売とおもちゃの宣伝アニメが流行って、高校生になればバンドブームやらなんやら、お金を稼げる歳になれば車やバイクに乗って行楽地のレジャーも流行って‥‥と、高波の移動に合わせて、景気の矛先が移動しているように思えます。

 

清里のかわりようは前にも書きましたが、確かに私が高校生の頃に「清里のペンション」というフレーズを何度も聞いた覚えがあります。

 

 

 

清里だけじゃないんですよネ。荒廃したのは。

 

私が子供の頃に暮らした郵政省(とはもう呼ばないが)の宿舎も廃墟になりました。かつての活気を知っている私から見れば、嘘のように静まりかえっています。

 

コンビニも何軒かなくなって、全く違うカテゴリの店舗(深夜は閉店)になったのを最近みかけました。

 

 

 

車で夜の街を走ると、年代とともに徐々に、街が暗くなっていくのがわかります。

 

団塊、そして団塊ジュニアに合わせて、社会が大きく広げた風呂敷を、これからは畳みつつ、違う風呂敷を規模に合わせて広げるんでしょうネ。

 

でも、それでいいじゃないですか。

 

人もいないのに、金もないのに、深夜に営業する必要はないもん。

 

 

 

私が小学生の頃は、夜の街はほんとに静かで暗かったです。私は自転車を買ってもらったのが嬉しすぎて、朝の3〜4時くらい(つまり学校が始まる前)に自転車を乗っていた「変な時期」があるのですが、子供だったせいもあるのでしょうが、神秘的(妖怪的?)とも思えるほど、夜の街はまさに「寝静まって」いました。

 

あの夜の静けさが戻るのは、そんなに悪いことではないです。

 

いっそのこと、24時間のテレビ放送もやめちゃえば良いのにネ。深夜2時くらいで終了して、朝4〜5時くらいからでよくない? 

 

アニメ制作業も深夜や円盤に活路を見出すばかりでは先がないのは、わかりきっていますしネ。もう何年も前から、内外で言われていることです。

 

24時間は昔に戻ってラジオ、そして新しきはネットで十分な気もします。

 

 

 

 

大きなレジャーシートを広げても、座って楽しむ人が少なければ、広く広げた意味がないです。

 

この先は、団塊ジュニア層ありきの思考は通用しないんでしょう。特に、小学生から30代に至る世代に対して、団塊ジュニア向けの習慣で商売を展開しようとしても、てごたえがないのは普通に考えれば判ります。

 

さて、今日も夜の街を走ろう。

 

 


ただ

私はコンピュータを使い始めた最初の頃、そのハイテクっぽいイメージに圧倒されて、ただただ凄い発明品であり、難解なものだと思い込んでいました。‥‥いや、凄い発明で難解であるのは確かなのですが、圧倒されて卑屈になる必要はないですよネ。

 

まず「コンピュータはデジタル」だと思い込んでいましたし、ビットの組み合わせだけがコンピュータのデータの形式だとも思い込んでいました。

 

しかし、コンピュータやデジタルデータへの理解が進んで、仕組みがわかるようになると、コンピュータは電気信号オンリーではなく、電力無しで木材の組み合わせで作ることも可能ですし(卓上サイズなら処理能力規模は極めて可愛いレベルですが)、ビット(0と1の二値)のデータ形式以外の方法も有り得ることも、だんだん判るようになってきました。

 

つまり、思い込みの呪縛が、徐々に解けていったわけです。

 

初心の頃は、ただ覚えることばかり。ゆえに、思い込みの罠にハマります。

 

そこでストップする人も多いでしょうが、分析癖、観察癖を持っている人は、「なぜ、そうなんだろう」と考え、覚えたことを1つずつ分析して仕組みを知りたがります。そして、どこかの時点で「ああ、そういうことか」と「次の扉」が開くのです。

 

これって、コンピュータだけでなく、何にでも言えることですよネ。

 

 

 

1オクターブが12音からなる西洋音楽は、例えるならノイマン型コンピュータのアーキテクチャです。

 

単なるアーキテクチャの1種であって、音楽の全てを12音の黒鍵5個白鍵7個に絶対に限定しなくても、別に良いんですよ。

 

1オクターブという単位も、1オクターブを12分割する仕組みも、頑なに「それが音楽だ」と思い込んで厳守しなくても良いのです。

 

実際に、1オクターブ内を12分割以上に分割する鍵盤楽器も製作されたことがあるらしいです。アフリカや中近東や東洋の音楽アーキテクチャが、西洋の12音ではないことはよく知られています。

 

一方で、ノイマン型がそうであるように、西洋の12音の音楽アーキテクチャは、とても使いやすいですよネ。その方式を使うだけでも、色んな表現ができます。ゆえに世界中に普及しています。

 

西洋の人は、人々をある意味「支配」するシステムや構造を作るのが上手ですよネ。

 

しかし、12音絶対主義とばかりに思い込む必要はないです。バンドを組んだ若い人が「クラシック音楽なんかクソ食らえ。俺たちは自由に音楽を作る!」というのなら、まず音階の新しい仕組みや新しい楽器の製作から始めても良いのです。楽器屋さんでクラシック音楽標準の12音の楽器(エレキギターとかシンセとかも)を無批判で買う必要もないのです。

 

私はノイマン型も12音も大のお気に入りなので、活用させてもらいますけど、絶対神のように思い込んではいないです。

 

 

 

思い込みから脱出する。構造や仕組みを知る。そして、あえて普及した構造や仕組みを用いて使いこなす。

 

このサイクルに目覚めれば、コンピュータをひとまとめに「デジタル」なんて言うのは笑けてしまうはずです。紙と鉛筆を「アナログ」と呼ぶ気も自然とおきないでしょう。

 

良いものは使う。それでいいじゃんか。

 

アナログやデジタルをご本尊のように崇めて、信者のように崇拝する必要などないです。

 

ぶっちゃけ、私もあなたも、紙も鉛筆もコンピュータも、地球上〜宇宙の物質から生み出されているのですから、もうそれだけで血縁関係みたいなものです。‥‥と、中2みたいなことを言い出しますが、妙な思い込みで分け隔てするのは、不毛だと思うのです。

 

各世帯に4KHDRのテレビが普及した社会において、アニメ制作会社やフリーランス作業者とて、未来の映像娯楽産業の中で生きていくわけじゃないですか。

 

だったら、そうした未来社会でポテンシャルを発揮する道具と方法を選べば良いのです。デジタルがどうの、アナログがどうのと、こじらせて同じ場所でループするんじゃなくて。

 

 

 

今、何かを成そうとする時に、良いものをどんどん取り入れて使いこなす。ただ、それだけのことなんですよネ。

 

 


本当のアナログ

生身の人間や、現実世界の物品を、「アナログ」と表現する人をネットの文字上でよく見かけます。しかし、私の周りでは「生身・現物=アナログ」という意味で使う人はほとんどいません。

 

なので、実際に「現実世界の何か=アナログ」との意味で使う人が多いかはナゾです。

 

ネットに記事やツイートを書く類いの人が「イメージしやすい」意図で用いるので、多いように錯覚しているだけかも知れません。ただ、ネットに感化されやすいのも人の常なので、記事やツイートを書く場合は安易に「アナログ」という言葉は使わないほうがいい‥‥とは、わたし的には感じます。

 

私の周りで、なぜアナログという言葉を使う人がほとんどいないのか‥‥というと、単なるイメージだけで「アナログ」だ「デジタル」だのと言葉を用いると、本当の意味で「アナログ」「デジタル」の言葉を使いたい時に混乱するので自制するのです。

 

現在扱っている信号はアナログかデジタルか‥‥とか、信号の経路においてどこからがアナログでどこからがデジタルだ‥‥とか、DAやAD変換時の精度が云々‥‥とか、作業場の会話の中で「アナログ」「デジタル」を使うので、「生身のイメージでアナログ」みたいな表現を使うと、ぶっちゃけ「紛らわしいし迷惑」でもあるわけです。

 

 

 

アニメ制作といえど、今やコンピュータやネットワークのチカラなしでは制作は成り立ちません。

 

どこがアナログ信号&データで、どこがデジタル信号&データかを、ちゃんと明確に把握できていないと、取り回しができません。取り回しとは、制作進行さんがブツを工程から工程へと伝搬するだけではなく、工程の内部まで及ぶ取り回しです。全行程における信号とデータの流れの「完全な把握」のことです。

 

アニメ制作者で、安易に「アナログ」の語句を使いがちな人は、

 

全行程のデータと信号の流れを意識したことが無い(=考えたことがない)

 

‥‥か、もしくは、

 

めんどくさいので、「アナログとデジタル」ということにしておく

 

‥‥と、さじを投げているかの、どちらかじゃないですかネ。

 

もしかしたら、

 

アナログとデジタルの対比で表現できると、信じ込んでいる

 

‥‥可能性もありますかネ。

 

 

 

アナログ信号は身の回りに溢れていますが、アナログデータ記録形式は日常生活では死滅状態です。私はカセットテープを今でも愛用しているので、カセットテープの磁気データが「最後に残された」身近なアナログデータですが、ふと部屋を見渡すとあまりにもアナログデータは身の回りから消えていることに驚きます。レコード盤もVHSビデオテープももはや部屋にはないです。

 

信号線の中のアナログ信号は今でも健在です。そこら中に存在してます。

 

iPhoneは「デジタル」を体現する基本アイテムのように思えますが、iPhoneで通話する時に音が出たりマイクで音を相手に伝えるのはアナログです。iPhoneの中にDA/ADコンバータ(DはDigital、AはAnalog)、そして空気の振動を入出力するスピーカとマイクが内蔵されているから通話可能です。

 

 

 

紙の書籍はどうでしょうか。紙の書籍は、いかにもアナログと言われそうな存在です。

 

この記事を書いててふと思いましたが、

 

文字という存在自体が、不連続なデジタルそのもの

 

‥‥ですよネ。

 

ABCDEのアルファベットは、それぞれA, B, C, D, Eと区切られ、その組み合わせで意味(=情報)を作り出しますから、完全にデジタルデータの仕組みを持ちます。

 

そう言った意味では、ひらがなカタカナもデジタルです。

*漢字の場合は、字に音だけでなく意味も割り当てられているので、何と表すべきか。1つの文字で何かを呼び表す「音」と一緒に「情報」も持ち合わせていますネ。

 

AとBの中間値はなく、AとBはきっぱり分けられていますよネ。アとイの中間も無いですよネ。文字で表現すること自体が、不連続で非アナログで、デジタルそのものです。

 

特にカナのように「音」を直接文字で表す方式はかなり「デジタルっぽく」、人間の発する様々な声をしきい値で区切ってデジタル化し、組み合わせによって様々な情報を記録します。英語の場合はカナよりもう少し複雑で、例えば「B」と「E」を合わせて「Be, ビー」という音と意味を作り出します。

 

日本語の50音(濁音までいれるともう少し増えますが)は、まさに50階調のデジタルデータフォーマットと言えましょう。マスで区切れる時点で、ほらもう、デジタルそのもの。

 

 

 

この50音の組み合わせは自由かつ文字数の長さも自由なので、濁音なども入れると、膨大なバリエーションを展開できて、情報〜データを記録できます。

 

もちろん、この論法ですと、西洋音楽の1オクターブを12音で分割する記譜法も、デジタルデータフォーマットと言えます。イメージやニュアンスではなく、真の意味で言えば、ですけどネ。

 

実際の演奏上は、シとドの間に割り切れない中間の音が混ざったりもしますが、記譜法上は12分割で「デジタル=非連続化」して表現し記録します。

*無段階で上昇下降する音を記譜上で表現する場合は、ポルタメントという用語があります。シンセサイザーにもポルタメントのオンオフがあります。

 

例えば、

「凄いものを見ちゃった!」

‥‥と言う情報を誰かに伝える時に、もしアナログの連続的な発音で伝えるならば、

「うわあぁぁぁ うひ〜〜 ウッホ、ウッホ、ウッホッホ!」

‥‥みたいな雄叫びになりましょう。

 

文字の発明は、コンピュータの発明の「発想の原点」かも知れませんネ。

 

 

 

少し脱線しましたが。

 

酒の席で軽い意味で「俺はさあ‥‥根っからのアナログ人間でさあ」と言うのは構わないと思います。アナログと言う言葉で伝えたいニュアンスも伝わりますしネ。

 

でもね。制作現場は酒の席じゃないです。他愛のない世間話のニュアンスを、現場のワークフローや技術的な話題に持ち込むのは、少々‥‥いや、かなりマズいです。

 

生身の人間の作業、紙の現物、鉛筆を、アナログと表現するのは、制作現場ではやめましょうヨ。

 

それにネ。

 

コンピュータを使って作業している人間だって、生身なんだからネ。

 

紙と鉛筆を使っている作業だけが「生身」「手作り」っぽい言い方をするのは、ものすごく傲慢で失礼なので、即刻止めて欲しいです。

 

 

 

もっと、アナログの本当の意味、デジタルの本当の意味を、色々と調べて理解しましょう。

 

現物がアナログ、コンピュータのデータがデジタル‥‥と区分けは、あまりにも素人臭い表現なので、プロの映像制作、プロのアニメ制作を自認するのなら、やめましょう。

 

じゃあ、どう言えば良いんだよ?

 

紙なら、紙。鉛筆なら、鉛筆。それでじゅうぶんです。それらをわざわざアナログなんて言い回す必要はないです。アナログという言葉をプロの現場で正式に使うのなら、本当の意味でのアナログ・デジタルの区分けにしましょう。

 

なので、「デジタル作画」も、「ペンタブ作画」で良いと思いますよ。使っている道具で名前をつければ一番わかりやすいです。

 

鉛筆で描こうが、運用上はスキャンすればデジタルデータなのですから、鉛筆作画・紙作画、タブレット作画と表現するのが、一番直感的だと思いますけどネ。

 

スラングなら構わないのです。そのスラングが正式な現場の用語として用いられることが問題なだけです。アニメーター同士の世間話ならスラングはOKでしょうが、制作技術の会議の場で「アナログ・デジタル」と連呼するのは、現場意識の幼さの象徴です。

 

 

 

実際に会う人を「アナログ人間」、ネットのモニター越しやテレビに映る人を「デジタル人間」‥‥なんて言わないのと同様に、私らの使う道具や技術も、本当の意味でアナログとデジタルを基本理解した上で、現場を再構築したい‥‥ですネ。

 

 

 


描いて塗って動かしてコンポして

自分で描いて、自分で塗って、自分で動かして、自分でレンダリングする。‥‥これはアニメの制作現場だと相当特殊な事例ですが、個人制作では当たり前です。考えてみれば、アニメの作り方は状況によって両極端と言えます。

 

アニメーターは商業に関わる時だけアニメーター‥‥と言うわけではなく、「いつでもアニメーター」なのです。自分のチカラを特定の条件に限定することは、考えてみれば不自由なマインドセットです。

 

何から何まで自分で作る‥‥ということを、プロのアニメーターも体験してみれば良いのに。

 

そうすれば、色々なアイデアも浮かんで、新しい制作技法やビジネススタイルのきっかけにもなるかも知れませんヨ。

 

iPad Pro、iMac、ProcreateやFresco、そしてAdobe CCがあれば、たとえ短尺でも自分ひとりで作り出すことが可能です‥‥というか、可能性が生まれます。(実際に行動しなければ、可能性のままなので)

 

 

 

下図は、カットアウトなど新しい技術(=日本国内では)の説明に使う素材として、iPad Pro、Procreate、iMac、After Effectsの4つだけで作った絵です。カットアウト用素材なので、動かすことを前提として描いています。

 

 

 

同時期に描いたものですが、テイストは両極端ですネ。4Kサイズで、かつ階調トレスなので生っぽい線です。Procreateで線画を描いて、After Effectsでペイントとコンポジット、メイク(化粧)をしています。

 

制作時間は数時間です。女の子のほうは、かなり短時間でゼロからフィニッシュまでできます。アニメーターが休日の自宅で、自分の取り組み=著作として描けます。

*あまり時間のことは書きたくないのですが(=曲解する人がいるので)、限られたプライベートの時間をどう使うかは最大のテーマですので書きました。

*曲解する人 〜例えば音楽で、3分で演奏が終わる曲だからって、演奏者・アーティストに対して3分ぶんの時給換算のお金しか払わない‥‥なんてわけないじゃん?

 

アニメーターは、30代くらいになったら、線画の枠外にも踏み出して、「線画としてのアニメではなく映像としてのアニメ」を強く意識することが必要だと感じます。もちろん、全員参加の必要はないですが、アニメーターの誰もが線画オンリーなのは、ぶっちゃけ才能がもったいないです。

 

 

 

やっぱり、なんだかんだ言っても、iPad(Apple Pencilの使える)を手にすることが第一歩でしょう。

 

一番安上がりだもん。

 

コストパフォーマンスは最強なんじゃないでしょうかね。

 

紙に留まる以上、上図のような絵を、ゼロからフィニッシュまでアニメーターひとりが作り上げることは難しいですが、iPadとiMacの組み合わせならば、ぶっちゃけ数時間で上図は描いて塗ってコンポジットできます。

 

iPadとApple Pencilで、自分の中の眠り続けている能力を目覚めさせること。

 

最近、新しい廉価なiPadが出ましたが、新モデルなのでApple Pencilも使えます。小型ゆえに仕事で使うには役不足ですが、きっかけをつかむために、お試しで使い始めるにはちょうど良い価格です。

 

 

*絵描きの人間にとって、書き味向上シートは必須中の必須です。販売店もApple Pencilと一緒にデモするなら、こういうタイプのシートを貼って店頭に置いて欲しいですネ。シートが貼っていないだけで、ポテンシャルが低いように勘違いされます。

 

 

 

しかし、前述の2枚のサンプル絵。

 

リアル系の男より、線の少ない女の子の方が、圧倒的にゼロからフィニッシュまでの時間は速いです。

 

単純に線の多さ、そして、その線の多さにまつわるデザイン上の問題です。

 

特に線の多さは、全ての工程に影響を及ぼしますネ。

 

「撮影は関係ないのでは?」とか思いがちですが、線の多いリアル系のキャラだと、まさか後ろを水玉とグラデ背で終わらすわけにはいかないので、コンポジットも作業に時間がかかりがちです。巷のアニメ制作は、絵柄に関係なく、ほとんど同じ作業価格なのは、考えてみれば変な話だよねえ‥‥。

 

でもまあ、それは作品の作風の問題ですので、「アニメはこうあるべき」なんていう古めかしい骨董品的な思考で縛るより、現代の様々な技術を応用して「現代に生きる人間が作る」アニメをもっと追求して良いと思ってます。もちろん、お金もちゃんと追求してネ。

 

 

 

 


昔も昔

ゴールデンタイム全盛期の昭和のアニメが懐かしい‥‥とは、iPad作画でカットアウトも使う私だって思います。自分のルーツは変わりません。

 

昭和。

 

私はど根性ガエル(初代アニメ)のひろしとピョン吉が子供の頃から大好きだったので、いつか16ミリを模した色域と3コマ4コマの動きで、あの当時の動きとテイストでアニメを作ってみたいと思っています。悪ノリして、編集点の歪みやパーフォレーションのガタまで入れたりしてネ。

*その昔、「江面君は、リアルなのより、そっち(デフォルメ)の方が向いてるよ」と言われたこともあります。‥‥たしかに、デフォルメ・ギャグ系・丸っこい系の方が、キモチ的に負荷なく描けますネ‥‥。

 

私は古いものに愛着が強いからこそ、全く新しいものに潔くチャレンジできると思っています。

 

 

 

私は、昭和よりも昔、1900年前後の古い年代の画家たちが好きです。ユーゲントシュティール、シンボリズム、プレラファエル。18世紀末の画家は、どの国も大好物です。

 

実際、私はそのあたりの画家に強い影響を受けていると思います。女キャラ(じょきゃら)の好みからして、ファムファタル系ですし。

 

昔も昔、昔過ぎて、もはや流行とか関係ないくらい古い画家の作品に今でも魅了され続けています。

 

せっかく、アドビのフレスコも出たことだし、今の仕事がフィニッシュしたら、私のもう1つのルーツとも言える、18世紀末スタイルっぽい絵(=大雑把なカテゴライズ)も描いてみたいと思ってます。

 

ど根性ガエルとファムファタル。‥‥私にとっては、どちらも等価でかけがえのないルーツなのです。

 

 

 

名画と比べてアニメの価値を軽視するのも馬鹿バカしいし、せっかく絵を描いているのにアニメの流行りの絵にしか興味を持たないのも、もったいないです。

 

気になった絵、ふと気になったスタイル、畑違いの技法。‥‥描き慣れた絵を描くだけでなく、何にでも化けるiPadとiOSのドローソフトで、やりたい放題、描きたい放題、描きましょう。

 

アニメ業界で2019年に生きているからって、流行のアニメ絵しか描いちゃいけない、‥‥わけじゃですもんネ。

 

 

 

 


昔を想ふと

テレビアニメにはたくさん思い出があります。少年時代からアニメーター時代まで、山ほど。

 

‥‥今と世代は違えど、テレビアニメが愛おしくないわけがないです。

 

でも、テレビアニメへの愛しさと思い出を、引き摺り続けて未来を生きるわけにはいかんのです。未来へ進むのに、後ろばかり見て後ろ歩きしても、つまずくばかりです。

 

 

 

みんな、おじいさん、あばあさんになって、やがて死ぬ。そして、懐かしいアニメも記憶の彼方に消え去っていく。

 

私の母方の祖父の家はもうありません。引き継ぐ人がおらず売却したので、二度と「おじいちゃんち」に行くことはできません。

 

少年の日の、夏の日の思い出がいっぱい「おじいちゃんの田舎」にありますが、もうその日には戻れないし、1970年代にテレビで流れていた16ミリフィルムの商業アニメも、もう作れません。今のアニメはもはや別物ですし、テレビ自体も大きく変わりました。

 

また、私が少年時代に暮らした郵政省の宿舎は、年々住む人が減り続けて、今は取り壊しを待つのみで、人は誰も住んでいません。あんなに子供たちが駆けずり回って賑やかで、各家庭のベランダは思い思いの草花で飾られていたのに、まさに廃墟、ゴーストタウンです。

 

私はそんなこんなで、思い出の場所がどんどん消滅しているのです。なので、今でも実家や祖父母宅が健在な人より、「もう戻らないこと」に対してリアルなのかも知れません。

 

昔を思い出してはしゃげるのは、まだそんなに思い出が遠くないからです。

 

もうどうしようもなく、あまりにも遠くなって、跡形すら存在すらしないと、悲しさと寂しさだけが胸を締め付けます。

 

 

 

ゴールデンタイムのアニメか‥‥。

 

懐かしいですネ。

 

でも、アニメがゴールデン帯に放送されていた頃の社会の姿は、もう今は存在しないのです。

 

もう戻らない昔を、世代の皆で懐かしんで、盛り上がれば盛り上がるほど、その後に押し寄せる喪失感に、無性に寂しくなるでしょう。

 

なので、そっとしておくのが良いと、最近は考えるのです。

 

むしろ、昔にはできなかったこと、今、そして未来にできることに目を向けるべきと考えます。

 

 

 

私はこのところ、仕事をし続けて相当滅入っています。なので、自分でも自覚しますが、少々気弱です。

 

世間一般のまとまった休みなんて、無縁だったもんな‥‥。我ながら流石に消耗の激しさを実感しています。感傷的な気分にもなり易いです。

 

でも、昔を懐かしんで、殻には閉じこもるつもりはないです。それをやったら、自死と同じと判るからです。

 

ゴールデンタイムのアニメが消えても、それならそれで時代の流れと受け止めます。悲しむより、少年時代に夢中になったテレビアニメに感謝するキモチのほうが勝ります。

 

昔のアニメが愛しいからって、令和の今に、昭和っぽいアニメごっこをしてもしょうがないです。昭和のマネは余興で十分です。

 

昭和の、1970年代のアニメは、昔を懐かしんで作ったものではないはずです。永井豪さんも松本零士さんも乗りに乗りまくって原作を描き、アニメ制作会社は前例のない作品制作を切り開いていったことでしょう。

 

であるのなら、令和、2020年代に、昭和を再現するのではなく、今作るにふさわしいアニメを作れば良いです。

 

 

 

私としては、はやく今の仕事をフィニッシュして、小さな旅にでも出たいです。

 

擦り切れすぎると、感傷的になったり、弱気になったりしますが、逆に、擦り傷は、療養すれば治る傷でもありますからネ。

 

 


ゴールデン枠、完全消滅

アニメがテレビのゴールデン枠から、完全消滅したそうな。

 

進むアニメの「テレビ離れ」 ゴールデン帯から番組消失

https://www.asahi.com/articles/ASM9T7FXDM9TUCVL03S.html?iref=com_rnavi_arank_nr05

 

 

私はまさにアニメがゴールデン帯の主役だった頃の世代です。今でもよく覚えていますが、土曜日は夜8時半になってもアニメを放送していたくらいです。1973年の「キューティーハニー」です。

 

1970年代。今は2020年代目前。‥‥ほぼ、50年前ですネ。

 

子供にターゲットを合わせたアニメが当時の主流でしたが、今のアニメは玩具を売る宣伝としてのアニメのほうが珍しいですし、子供も少ないですし、アニメ以外の娯楽で盛りだくさんです。

 

そして、そもそも、テレビ自体が、テレビ放送を見るためだけに存在するものではなくなりました。映像娯楽コンテンツを映すためのプラットフォームであり、私も1ヶ月でテレビ放送を見る時間は10時間に満たないこともあります。

 

とりあえず何でもテレビをつけて流しておく‥‥みたいな生活ではなくなりました。戦後昭和とは大きく異なります。

 

 

 

まあ、仕方ないんじゃないでしょうか。こればっかりは。

 

ゴールデンにアニメを戻そう!‥‥なんて言っても、結局は私の世代=ベビーブーム世代のノスタルジーでしかないのです。「戻す必要性は何?なぜ?」と言われて終了です。

 

テレビ放送が無かった江戸や明治大正にはアニメ番組も無かったわけです。‥‥つまり、アニメは普遍の存在でも何でもなかったのです。

 

アニメを作っている側からすれば、未来も普遍であって欲しいと願うでしょうし、私のような生まれた時からアニメ番組テレビ放送が存在していた世代はアニメが普遍であると勘違いしやすいです。しかし、戦後の日本でアニメ番組が花開いたのは、戦前から兆しを見せていた映像の科学技術が、世界的な戦後復興の勢いを追い風にして飛躍的に発達した、強い影響下にあるのは否めないでしょう。

 

つまり、社会を形成する人口の層と経済によって、技術も、そしてその技術から生み出される娯楽産業も、強い影響を受けるのです。

 

社会の技術と経済の変化、それに伴う人々の生活の変化。

 

思うに、深夜のアニメだって、この先どうなるかはわからないですよネ。深夜だけは安泰だ‥‥なんて誰も保証できないでしょ。

 

深夜に流して円盤を売る。‥‥そうしたビジネスモデルが今後行き詰まりを見せるのは必至ですし(もう何年も前から言われてますよネ)、深夜枠&円盤ビジネス感覚のまま、未来の映像フォーマット基準のアニメなんてとても作れるものではないです。衣の付く製作も、付かない制作も、両者とも覚悟すべし。

 

 

 

2020年代、2030年代、2040年代と、時間は確実に進行します。

 

1970年代をいくら懐かしんでも、時間は戻りません。未来は「2010年代はアニメをやたらと深夜に放送してたよなあ」と懐かしく思う日も来ましょう。

 

 

 

2020年代も自分らの未来を見据えて何をすべきかを考えれば良いだけのことです。難しく考える必要はないです。

 

アニメがゴールデン枠から消えたなら、その事実とその先の未来を見据えましょう。

 

 

 


クリスタのTIFF

クリスタの使用頻度が徐々に増えるようになって、色々と改善点を感じるようになりました。

 

今回ハマったのは、アニメーションセルの出力における落とし穴です。

 

なぜか、TIFFにアルファチャンネルがつかない

 

‥‥というナゾ仕様です。TIFFはごく普通にアルファチャンネルが持てるファイルフォーマットで、アルファチャンネル付きで書き出す代表的なフォーマットです。

 

しかし、現バージョンのmacOS版のクリスタはTIFFにはアルファチャンネルがつきません。どうして???

 

PNGやTARGAではアルファチャンネルが付きます。TIFFにアルファチャンネルがつかずに白背景になるのは、どういう根拠に基づく書き出し仕様なのか、理解できません。本当はアルファがつくはずなのにバグ? 内部事情なので外部からはわかりません。

 

そもそも、「アニメーションセル」出力での各ファイルフォーマットのオプションが指定できない仕様は、無駄なエラー&リトライをユーザに強いることにもなりましょう。After Effectsの出力モジュールのように設定できれば、仕様なのか設定ミスなのかバグなのかがすぐに判別できます。

 

初心者向けに、細かいオプションを省いて使いやすくする‥‥という意図もありましょう。しかし、ペンタブで作画するアニメーターは「プロ」であって初心者ではないので、ファイルフォーマットのオプションくらいは普通に知識として有すべきですし、「知らない方が知識不足でNG」なので、ユーザをひとまとめに初心者扱いせずに、普通にフォーマットオプションは設定できるようにしてほしいです。

 

macOS版のクリスタを使う限りでは、容量を節約しつつアルファチャンネルを持てるのは「PNG」ファイルフォーマットを選択した場合です。しかしそれはあくまでクリスタの設計上の問題で、一般的にはTIFFでもPNGと同等の容量削減(LZW圧縮にて)とアルファ保持は可能です。

 

 

 

ちなみに、エフェクト系の作画なら、煙や火など色数が限られているので、After Effectsで無理やり「二値化風の255透明化」は可能です。

 

トーンカーブで色を極端化して二値化の準備をして、ポスタリゼーションで色数(255の白も色数にカウント)を入力し二値化と同等処理した後で、逆カーブのトーンカーブや色置換系エフェクトで色を元に戻す‥‥というプロセスで、あたかも二値化のペイント素材のようにできます。‥‥おそらく、この処理が可能なのはエフェクトのみで、キャラには難しいと思います。

 

運悪くTIFFで書き出して「クリスタの出力にはアルファがつかない!!」と思い込んだ場合(=私)は、チカラ技でAfter Effectsで処理することはできますが‥‥

 

TIFFにもアルファをつける

アルファを持たせるか否か、圧縮形式など、ファイルオプションで指定できる

 

‥‥ようにクリスタがセル出力できれば、何の不具合もトラブルもないです。

 

書き出したファイルを眺めて内容をうっすら把握できる‥‥というのではなく、最初からオプションまで指定して書き出して明示的に状況を把握したいです。

 

 

 

でもまあ、クリスタもまだバージョンは1.9.x。

 

バージョン1=初期バージョンゆえの試行錯誤の期間として、ユーザともども、未発達な状態を承知して使うくらいのキモチで良いのでしょう。色々と行き届かないのはバージョン1の特徴として、温かく見守る恰幅がユーザサイドに求められましょう。

 

TIFFにはなぜかアルファチャンネルがつきませんが、PNGやTARGAならアルファ付きで連番出力できますので、TIFFを避けてPNGで書き出すようにします。そうすれば、階調トレスで直描きしたエフェクト作画などを、そのまま劣化させずにセル素材として出力してAfter Effectsに読み込めます。

 

バージョン2や3に思いを馳せつつ、今のバージョンで切りぬけようと思います。

 

 


ふれすこ2

移動中の時間を利用して、Adobe Frescoをもう少しイジってみました。

 

何だか、Amazon Music UHDで凄い良い凄いと連発した後で気が引けますが、

 

Fresco、凄く良いぞ。

 

Adobeのことだから、色々と機能を盛り込んで重くなって書き味が犠牲になってるのかも‥‥と推測してたのですが、邪推というか、全くの逆でした。

 

ペンの軽快さは随一。ビットマップの鉛筆は、最高レベルじゃないでしょうか。

 

最後発ということでライバルが多い中、一番ハードルが高そうな、まさか書き味のダイレクト感で勝負してくるとは。

 

そして‥‥

 

ベクターペンも最高。

 

申し分なくプロ仕事ができます。

 

ビットマップ(ラスター)ペンもベクターペンも、両方ともとても描き心地が良いです。最後発のプレッシャーを見事跳ね返して、描いた瞬間から良さを実感できます。

 

まさに、

 

絵が描きたくなるApp。

 

ですよ。試し描きしている間、年甲斐もなく、惚れ惚れしちゃって困りました。

 

macOSアプリと液タブでは太刀打ちできない書き味の良さ、軽快さ。iPadならではの世界です。

 

 

 

‥‥macOSにしろ、Windowsにしろ、あのレイテンシーの大きさ、ペンの筆致の遅延が、わたし的には憂鬱なんですよネ。iPadに慣れてしまうと、久々にCintiqを使った時に、レイテンシーでまず違和感を感じてしまって、慣れるのに苦労するのです。

 

iOS 13(iPad OS 13)のプレビューの時にプレゼンしていた「さらにレイテンシーが小さくなって、9ms」が、Frescoの書き味にも貢献しているのでしょうか。技術的な内側はわかりませんが、とにもかくにも、書き味はとても良いです。Procreateと比較しましたが、ビットマップ描画同士ならFrescoの方が筆致が一層ダイレクトです。Procreateのペン(ビットマップ)とFrescoのベクターペンが、ちょうど同等の速さのように感じられます。

 

 

 

ビットマップのペンは、様々な質感が用意されていて、画具をたくさん取り揃えたような気分になります。絵だけでなく、カリグラフも楽しいと思います。つたない文字で済まんですが、かすれ具合も気持ちい、カリグラフペン風のプリセットで書いてみました。

 

 

ビットマップなので、拡大すると(1291%)、当然ドットが表れて荒れます。

 

 

ベクターのペンと比較すると、一目瞭然。

 

 

 

ベクターのペンの動作も軽快です。ビットマップのペンの筆致がとてもダイレクトなので、それよりは遅い感じはしますが、他のドローソフトのビットマップ描画と同等レベルで十分高速です。

 

今さら説明するまでもないですが、ベクターの真骨頂はまさに下図の通り。

 

 

ベクター線の優位性はいわずもがなですが、Frescoで驚くのは、「ベクター臭くない」ことです。

 

他のドローソフトですと、「ベクターの事情」が見え隠れするのですが、Frescoのベクター線はそれを感じることがかなり少ないです。

 

凄く綺麗に描かれたペンのような自然さです。十分、インク系のペン用途の清書に活躍するでしょう。これを使わない手はないですネ。

 

 

 

Frescoは、ProcreateにもConceptsにも、もちろんクリスタにも、他のドローソフトにはない部分をまるっと埋めてくれるので、わたし的にはかなり嬉しいドローソフトです。

 

鉛筆線のルックではどうしても様にならないジャンルがあって、ProcreateでもConceptsでもペン設定を色々と模索していたのですが、Frescoのベクタートレスであっけなく解決しそうな予感です。

 

しかもベクターなので解像度フリーです。さらには、どんなに線を重ねて高速で描き進めても、重くなったりもしません。以前のベクタートレスは「絵の内容を手加減」する必要が少なからずありましたが、Frescoは手加減なしにベクターの恩恵だけをプラスできそうです。

 

 

 

こんなに出来栄えが良いとは、思いませんでした(=失礼な言い方)。まだまだiPadもiOSのAppも「伸びしろ」があることを痛感します。そして、Adobeの提供するソフトウェアも、PhotoshopやIllustratorやAfter Effectsだけが絵を描く人間のためのソフトではないことを、改めて認識しました。Frescoは全世界の絵を描く人に訴えるAppですネ。

 

今まで以上にダイレクト感に優れた書き味のドローソフトが、2019年の秋に出現するとは、嬉しい誤算です。

 

 

 


ふれすこ

出てましたネ。Fresco。

 

今はイジる時間もないので、インストールだけしました。

 

パッと線を引いてみた感じだと、レイテンシーを感じさせない筆致のダイレクト感に驚きました。描き心地に優れたProcreateに比べても、Frescoのほうがペンの追随が若干速いです。

 

iPadならではのレイテンシーの低さを満喫できそうな予感です。

 

インストールしたのは、初代のiPad Proで、OSは新しいiPadOS 13.1です。初代でも全然遜色のない描き心地です。

 

 

 

もしAdobe CCを契約していて、Apple Pencilを常用しているのなら、Frescoを使わないのはもったいないですネ。

 

Adobe CC無しだと、1080円の月額サブスクリプションで使えるようです。

 

 

 

* * *

 

 

サラサラシートを貼ったiPadとApple Pencilで、実際にFrescoで数本だけ線を描いてみるだけでも、現代のテクノロジーの片鱗を窺い知ることができます。

 

一方、アニメ業界の制作技術は、どんどん現代から遠のくばかり。どんなに新しい技術とハードとソフトが現れても、それを活用することができないのは、魅力的な機能が溢れているほどかえってそれを使えないミジメさと悲しさが増します。私はこの数年自費を少なからず投入して、なんとか新しい未来を切り開こう・機運を盛り上げようと気を吐いてきましたが、正直疲れてきました。業界が新しい4KやHDRに未来を見れないのなら、もうそのまま=地デジ2K止まりのフォーマットのまま今後何十年と作り続ける制作会社があっても、それはそれで良いのでしょう。無理強いすることでもなし。

 

Frescoがリリースされたのに、なんだか弱気になっているのは、Frescoがどんなに新しい基軸をひっさげて登場しても、びた一円もアニメ業界には恵みがないことが判るからです。恵みがない‥‥というよりは、そもそも新たな恵みを得ようとしない気風がガッチリと根付きすぎちゃって変わらないのです。

 

せっかくFrescoやProcreateやConceptsがあるのなら、そうした新世代の画具と画法が活きる全く別の何かを考えたほうが良いのかも知れない‥‥とも思う今日この頃。今の私に必要なのは、しがらみを一切断つ、最大限の「Think Different」なのかも知れません。

 

 



calendar

S M T W T F S
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< October 2019 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM