パワーゲームをしない選択

海を見たことがなければ、海の広さや深さ、そして海産物の豊かさなど、実感を持って理解することは不可能です。その「海」にあたるのが、未来の映像フォーマットによる映像ビジネスのフィールドです。アニメ業界の多くの人々は、池や沼、広くても湖しか知らない人が多く、「海」を知らないがゆえに「海でビジネスする」イメージを持てないのは、アニメ業界の現状としてはしょうがないことだとは承知しています。

 

では、勝手知ったる池や湖で、どれだけ楽しく豊かに商売できているか‥‥と言えば、最近の報道〜業界のブラック事情からも解る通り、どんどん限界点が迫ってきているのを、少なくとも業界で作業している人なら実感しているはずです。今の状況は悪くなることは予想できても、良くなることは考えにくいです。それこそ、「乱獲」しすぎて、「死の沼」になることすら思い浮かびます。

 

池や湖での生活はどんどん苦しくなる。かと言って、海に乗り出す準備など全くしていない。

 

しかも、今まで力を貸してくれていた外国の労働力は、「自分の国で商売すれば良い」ことに気がつき始めた‥‥となると、至るところ、弱味だらけです。

 

 

でもね‥‥、「どんなに劣勢だと解っていても、もう止められない」のは、今も昔も同じ。まるで、太平洋戦争末期日本における断末魔の様相です。

 

戦争末期と同じ状況は、今のアニメ業界でも等しく繰り返されています。「神風(しんぷう)特別攻撃隊」「ゾンダーコマンド・エルベ」が編成される時点でその国の「負けが確定」するのと同じく、新入の人材が「若い時期に数年だけアニメ業界で働いて健康状態を著しく壊して辞める」というのは、アニメ制作の「特攻」による「戦死」であって、未来のアニメ業界の破綻を予言しています。はっきり申しまして、私が20代だった20〜30年前より、現在は格段に過酷です。

 

私はもう、そうした特攻作戦の指揮官になるのも嫌ですし、特攻部隊の隊長になるのも嫌です。ちゃんと任務完了して生還して、次の戦いで経験値を活かして、もっと強く闘える軍団を作りたいです。

 

ゆえに、血で染まっていない海=ブルーオーシャンでビジネスをしたいわけですが、自覚なしに今までと同じ戦い方をしたら、あっという間に海に血が流れ出してレッドオーシャンへと汚染されるでしょう。海をブルーなまま維持するよう、最大限の注意と努力が必要です。

 

そのためには、互いに相手の体を刀で切り刻み合って血だらけになる「パワーゲーム」に陥らないことです。

 

「正々堂々勝負しろ」と相手が刀を振りかざして突進してきたら、対人地雷とアサルトライフルで対抗すれば良いです。相手を近づけさせない戦い方‥‥です。なぜ、相手と同じ武器や戦法で戦わなければいけないのか、ビジネスや作品作りは「競技じゃない」んですから、自分らの強みと最新技術を駆使した武器を選択すれば良いことです。

 

それに‥‥です。為す術もなく累々と特攻の戦死者の屍を積み上げている当時者は、決して「正々堂々」とは言えない‥‥ですよね。

 

進め一億火の玉、一人十殺、一人百殺、海ゆかば水漬く屍、山ゆかば草むす屍‥‥が正義で力=パワーなのだとしたら、私はそんなパワーゲームではなく、現在と未来の世界的な技術進化を武器にした戦い方で勝ちに獲りに行きたいと思います。

 

大量生産、短期生産、作画枚数競争、値引きディスカウント競争‥‥と言ったパワーゲームに巻き込まれて久しい、現在のアニメ業界。

 

そうしたパワーゲームからいち抜けして、全く違うアプローチ・価値観で対峙する方法こそ、小国日本が選択すべき最善の道だと確信しています。

 

 

 


新型スーパーカブ

今年の秋に、スーパーカブの新型が発売されました。トゥデイ(50ccスクーター)が腐って処分して「ファミリーバイク特約」の枠が空いていることもあり、まずはカタログを取り寄せてみました。他のバイクのカタログと一緒に。

 

で、ホンダから送られてきた封筒にはスーパーカブのカタログは同梱されておらず、他のバイクのカタログだけでした。

 

「カタログ切れのため、カタログが増刷され次第、送ります」とのこと。

 

人気なのかな。新型スーパーカブ。

 

 

文句なしに可愛い、黄色い新型スーパーカブ。

 

残念ながら、110ccには黄色はありません。代わりに、白が良さげです。

 

 

まあ、スーパーカブと言えば、緑か青でしょ‥‥という人もおりましょう。いかにも、カブ!‥‥という感じです。

 

 

ヘッドライトがLED化され、デザインは丸っこいレトロな感じに戻りました。

 

 

しかしまあ、スーパーカブも値段が高くなりましたね。110ccを買うのに、28万円かかります。

 

どうせ28万円かかるのなら、来年くらい‥‥と噂のある「新型CC110」、クロスカブ・ハンターカブでも良いような気もします。オフ車ばかり乗っていた私には、CC110のデュアルパーパス風のタイヤを見ただけで、安心しちゃうんですよね‥‥。

 

 

ここのところ、低迷だったバイク市場も、「今どき、こんなレーサータイプが売れるのか?」との予想に反してCBR250RRが大きな売り上げを見せたり、125ccにスポーツタイプが増えたりと、「お気楽スクーター」が席巻して無難街道まっしぐらだった小型〜中型バイクのカテゴリーに、新たな変化が表れているようです。

 

*CB125R。いくらで販売されるんでしょうね。

 

 

中でも、CBR250RRの40馬力路線復活は、とても嬉しいところです。

 

やっぱりさ、パワーは必要よ。なんでもかんでも去勢して、無難にまとめれば良いとは、私は思わないですもん。

 

 


作画枚数、作業枚数

前回試算した「10分の短編」の「のべ枚数」の計算は、全ての工程を枚数でカウントするというかなり大雑把な計算でしたが、単純に「枚数のイメージ」を頭に思い浮かべるために、あえて計算してみました。口パクの1枚と街並みの背景美術の1枚が大きく異なることはご承知と思いますし、リテークを全くカウントしていないので、あくまで「作業の膨大さ」をシンプルにイメージするための計算でした。

 

ただ、たまに見かける、恐らく現場門外漢の人の、「分x24」が作画枚数‥‥という計算方法は、「絶えず作画で動かし続けるわけではない」「3コマ、2コマでシートを打つので、そもそも1秒間24枚ではない」「セル重ねを考慮していない」などの理由、しかも「動画しかカウントしていない」点で、甚だしく作業の実情とかけ離れます。

 

ゆえに、雑な計算ではありますが、現場の各スタッフの作業合計が少なく見積もってもどのくらいの膨大な枚数になるかを、計算してみた次第です。原画を枚数でカウントしたり、背景を枚数でカウントするのは、大雑把過ぎる計算方法ですが、それでも「10分で5000枚くらい」の数は合計で生み出しているのには、「そりゃあ、時間がかかって当たり前だよな」と再認識しました。

 

その他、絵コンテだって絵をいっぱい描きますしね。各工程のチェックもあります。キャラ設定、メカ設定、美術設定、プロップ設定なども、たくさんの絵を描きます。

 

今も昔も、動きを1枚1枚手で描いて動かすアニメ技法が、完成映像をそう簡単には作れない理由です。あれよあれよと言う間に、作業枚数が膨れ上がっていくのです。

 

「作画枚数」と、「作業枚数」は、違うのです。

 

巷で言う「1話の作画枚数何千枚」というのは、動画枚数のみをカウントしています。しかし、その裏側では、原画や背景や仕上げなど、「作画枚数」にはカウントされない「作業枚数」がひしめいています。

 

動画枚数で作品の作業の重さを計るのは、一定の目安にはなりますが、その「作画枚数」を完成させるためにどれだけの総体的な作業が発生するかまでは示せません。イニシャルコスト(設定画など)はまるで含まれていませんしネ。

 

でもまあ、一般の「ただ映像作品を楽しむ目的」の人々にとって、「原画と動画の違い」「動画枚数と仕上げ枚数の違い」などの内部的な知識や事情は、ぶっちゃけ、どうでもよいことです。制作現場の内部で、運用の如何を問う時に、当事者たちが認識していれば良いのです。

 

 

ただ、一般の人々にとって、「作画」とは「画を作る」ことであって、決して「作画工程」「作画セクション」を決め打ちで呼び示しているわけではない‥‥のは、現場の人間は重々承知しておくべきでしょう。

 

現場にいると、「作画」と聞くと、「レイアウトと原画と動画」周りのことだと無意識に受け取ってしまいますが、一般の人々にとっての「作画」とは「絵作り全体」のことを指します。でもまあ、そりゃそうだよね。「作」「画」と書き表す文字の通りに、一般の人は受け取って当然です。

 

これはすなわち、作品の絵は「絵作り全体で評価されている」ということを暗黙のうちに示しています。原画だけが良ければいい‥‥という話ではないということです。

 

作品作り全体で、作品は総合評価される‥‥のは、制作者なら絶えず肝に命じておくべき事柄でしょうね。

 

 

新しいアニメーション技術は、その辺も強く意識してワークフローを形成します。「原画」「動画」「仕上げ」「美術」「撮影」という隔絶されたセクションではなく、「作画系」「彩色系」「美術系」「コンポジット系」という「自分の専門分野+アルファ」でワークフローを上下左右に動き回るよう計画しています。

 

作業者が「マルチロール」「マルチシフト」に作業することによって、作品に対して限定された関わりではなく、広範に関わることが可能になります。それによって、「絵作り」の本質に近づけもしますし、「お金」的にも有利に作用します。

 

部分的に関わるだけで、果たして完成像はどうなるか判らない‥‥なんて、もう嫌だとは思わないですか。

 

自分の手空きの時間を、さらにアニメ制作に活用して色々な工程を兼任して、今以上に稼ぎたいとは思いませんか。

 

「そんなの大変じゃん。多少非効率でも、工程は区切った方が、」と思われるかも知れませんが、なんのためのコンピュータなのよ‥‥という話です。「IT」なんて言葉が出現してもう何年も経過するのに、未だ、制作管理にコンピュータを駆使しようとしないのも、アニメ業界のダメな部分ですよね。

 

横軸が工程の進行、縦軸が作業カットだとして、「作品を完成させるためのマトリクス」をどう1つずつ埋めていくかを考えるべきであって、旧来のセクショナリズムを固守するのは、2020年代の未来に果たして有効な手段だろうか‥‥と、私は考えています。

 

管理が面倒で煩雑になるのは解っております。しかし、管理を簡素化するために、作業者の能力と報酬が犠牲になっているのだとしたら、私は管理方法にメスを入れるべきと考えます。

 

 

新技術を導入しようがしまいが、アニメ作りは大変です。大変なことに生涯を投じるのなら、できるだけ良い出来の作品を作りたいし、その報酬としていっぱいお金を貰いたい‥‥ですよね。

 

 


アニメ制作の厚く高い壁

ほんとに根本的なこと‥‥ですが、アニメを制作する上で、プロだろうがアマだろうが、1番の難敵は「物量」です。アニメ制作に関する様々な物量が、分厚く、高くそびえ立つ、越え難い壁となって往く先を阻みます。

 

今や、iMacとiPad ProとAdobe CCとProcreateまたはClip Studioさえあれば、「テレビや映画と全く同等」のアニメ映像が作れます。これは10年、20年前からすれば、とんでもない技術革新です。

 

しかし、機材があるだけでは映像は作れません。

 

そして、技術があるだけでも映像は作れません。

 

現在のアニメ制作内容だと、夥しい物量がのしかかるからです。

 

原画を描くところまでは、iPad ProとProcreateで何とでもなりましょう。Clip Studioと液タブでも「原画」は描けますよね。

 

しかし、その後は、綺麗に清書して動きを1枚1枚追いかけて動かす、過酷な「大物量」作業が待ち構えています。そして、さらにダメ押しで、これまた1枚1枚ペイントする作業が待っています。

 

その1枚1枚の作業は、大物量だからと言って雑に作業してよいわけではなく、あくまで丁寧に1枚ずつ取り扱う必要があります。

 

 

アニメを作るのは、少なくとも今の日本の方法だと、恐ろしくお金と時間がかかるのです。

 

 

例えば、8〜10分=100カットの短編を作ろうと計画した時、どのくらいの物量を覚悟すれば良いでしょうか。

 

原画は、枚数で計上しない作業ですが、仮に1カット6枚くらいの原画枚数だとして‥‥

 

原画作業 => レイアウト1枚、原画枚数6枚(随分大雑把な計算ですがとりあえず、です)

 

原画作業合計 =>レイアウト100枚、原画600枚(100カットで想定)

 

‥‥となります。でもまあ、私の実感として、1カット6枚の原画はちょっと少ない見積もりのような気がしますが、そこはおいときます。兼用カットもあるでしょうから、レイアウトの枚数は90枚くらいになるのかな‥‥とも思いますが、それもおいときます。

 

で、動画枚数です。現在のアニメは22分で5000枚くらい平気で使いますが、多少エコノミーに考えて、10分2000枚で想定しましょう。すなわち、逆算で‥‥

 

動画作業 => 1カットあたり20枚

 

動画作業合計 => 2000枚(100カットで想定)

 

次に、ペイント枚数。動画と同じ数なのはもちろん、マスクなどの追加作業もカウントすると、10〜20%増しくらいにはなることもあります。極力、マスクは別作業にしないように抑えて、10%増しくらいで計算します。

 

ペイント作業合計 => 2000枚+各種素材200枚=2200枚

 

さらに背景を100カット分、計上すると‥‥

 

背景作業合計 => 100枚

 

‥‥と大雑把でかなり甘い見積もりですが、それを承知で「作業枚数」を全部合計すると、

 

100+600+2000+2200+100=5000枚

 

‥‥となります。

 

1枚1枚の作業の重さは大きく異なるので、いくらなんでも雑な計算‥‥ですが、単純に枚数だけで、作業の規模を曖昧にイメージすると、平気で「のべ5000枚の作業」の勢いです。10分の映像を作るだけで、です。

 

もちろん、演出の方々は、実際の現場作業においては、どのように枚数を減らすかの手練手管をもっていらっしいますし、大勢で分担作業によって処理するので、作画枚数やペイント枚数が膨大でも作品作業が完結できるのですが、個人や数人程度の作業規模レベルでは目眩がするほどの物量です。

 

あまり動かさないようにして、半分の「のべ2500枚」に抑えたとしても、自主制作で個人だと気が遠くなる作業量です。

 

Procreate? クリスタ? Toonz?

 

どんなにソフトウェアが安価でも、結局は、既存の制作現場がなければ、アニメなんて作れないですよね。

 

原画マンが、クリスタを買って独りでできることと言えば、自身の担当分の「原撮」くらいなものです。アニメーターがコンピュータ一式を揃えても、旧来技術で制作する以上は、完成映像とはほど遠いペンシルテストどまりの映像しか、実際のところ実現できません。

 

つまり、現業界の標準技術の線上で思考する限りは、大集団作業でしかアニメは作れないのです。そうした技術上の弱み=人的リソースの大消費構造を、現場の人々は暗黙のうちに解っているからこそ、現在の状況を壊して新しく作り変えるような「次のステップ」に進めないのです。

 

私が以前からもったいぶって書いている「新しい技術」とは、まさにその物量問題を根本的に解決する内容です。もったいぶるには理由があって、軽はずみにブログなんぞで新技術の内容を書くと、未来に悪い影響が出ると言っても過言ではないからです。技術の内容を理解されないまま、曲解されて広まるのを避けたいからです。‥‥なので、例え話しかできませんが、ご容赦ください。

 

新しい技術は、例え1秒間60フレームだろうが、画像の面積が4Kだろうが、さして問題ではないです。上述の枚数計算とは大きく異なるコストで計画して制作します。絵を動かす「動力源」が違うので、今までの「馬力」の計算方法が異なるのです。

 

 

 

「馬」という手段を用いた場合、乗馬する人数も29人になりますし、「馬のメンテ」も29頭分になります。29頭の馬を運用するための所要時間も相応に消費します。馬を繋いでおく小屋もかなり広い場所が必要で、乗馬する29人の詰め所も大掛かりになりましょう。

 

旧来のアニメ制作現場は、1人の作業者が1頭の馬にまたがって作業しているような状態です。そりゃあ、現場はごった返すし、お金はかかるし、待ち時間も段取りにも時間がかかりますよね。

 

かと言って、馬を減らして、乗馬する人員を減らすと、もろに「馬力削減が作品に反映され」てしまいます。

 

旧来アニメ制作現場は、こうした「1頭の馬=1人の騎手=1馬力の作業量」に縛られ続けています。どんなに現場の窮状を訴えようが、コストが猛烈に嵩む構造なのですから、改善の目処など立ちません。

 

しかし、動力源を変えればどうでしょうか。

 

馬に跨るのではなく、バイクに跨がれば、さらには、自動車を導入して操縦すれば、状況は劇的に改善されます。

 

上図のバイクの例のように、新しいテクノロジーの馬力は絶大です。

 

「1台のバイク=1人のライダー=29馬力の作業量」‥‥はちょっと「ふっかけ過ぎ」ですが、まあ、概念はそんな感じです。今は「1台のバイク=1人のライダー=15馬力の作業量」くらいにしておきましょうかね‥‥。

 

 

‥‥まあ、例え話ばかりで申し訳ないですが、概念としては、そういうことです。

 

今後、世界は4Kや60pの時代へと自然な流れで移行していきます。そうなれば、29頭の馬では全然足らずに、120頭でも足らないかも知れません。

 

2020年代の商業映像の分野において、もはや、馬に跨る時代は終わった‥‥と私は思っています。

 

もちろん、乗馬クラブのように、馬を愛でる商業があっても良いとは思います。しかし、馬が交通の表舞台から消えたように、何千何万と絵を描いて動かす方式は、新時代の映像フォーマットの舞台に一時的には乗れたとしても(アップコンとかで)、他の新勢力に押されて徐々に姿を消していくでしょう。

 

‥‥だってさ、「今のままじゃ無理」だと、誰でも冷静になれば判りますよね。旧来の方法で、4K8K時代を生き抜くなんてさ。

 


若い世代は、その年齢ゆえに、新しい技術に目覚めて使いこなす可能性を持ちます。それは単に与えられた時間が多いからで、どんなに時間があっても目覚めようとしなければ、いつまでも古い技術で物量に悶え苦しみ続けるでしょう。若い世代は、成功は確約されていませんが(成功は当人の行動とその時と場の状況次第ですからね)、可能性だけは担保されています。

 

一方、私のような40代50代の世代は、残された時間をどれだけ有効に使うか、それが最重要です。

 

 

新しい動力源、新しい技術の力、新しいコミュニケーション、そして新時代の映像フィールド。

 

新しい要素が豊富にある中、その気になれば、「色々なプロジェクト」を開始できるはず‥‥ですよ。

 

 


非Apple Music

Apple Musicにはないもの。それは、こういう音源。

 

*私が好きなのは、野沢雅子さんが歌う「大ちゃん大好きソング」と、愛川欽也さんの「大ちゃん音頭」です。大ちゃん音頭のサビの「大ちゃん音頭はバカ囃子」って皆で合唱するのがね‥‥、なんとも言えず好きなんですよ。今でも油断していると口ずさんでしまいます。マシンのメンテをしている時とか‥‥。

 

コロムビアの音源は、レアなものが多く、Apple Musicにはほんの一部しか提供されておりません。

 

コロムビアの豊富で貴重な音源を、今後もどんどんリリースしてほしい一方、絶版状態も解消してくれると嬉しいんですけどね。いつの間にか、(わたし的に)物凄く欲しかった音源が発売されて絶版になっているケースも多いので‥‥。

 

まだまだ手に入らない音源は多いです。

 

例えば、アンドレ・プレヴィンはオーケストラの指揮だけでなく作曲も手がけるのですが、1960年代の映画「The Four Horsemen of the Apocalypse」(「黙示録の四騎士」‥‥とは、中々かっこいいタイトルです。松本零士氏のコミックを彷彿とさせます。)の同氏のサントラはCD化されないままでした。なので、レコードから自分でデジタル録音した音源を聞いていましたが、最近、「Handmade」の「完全版」が出ていることを知り、Amazonで購入しました。

 

レコード未収録の音源も網羅していることから、いわゆる「海賊版」ではなく、限定生産の小規模リリースなんでしょうかね。

 

「Main Title」はブラームスの交響曲第1番の序奏を思わせる(ティンパニが四分音符を刻むあたり)重厚な構成で、ここんところずっと流行ってるハンス・ジマー系とは全く異なる響きが魅力です。

 

ほとんど入手困難な音源ですが、同サントラの「Love Theme」だけはパールマン(ヴァイオリン)とジョン・ウィリアムス指揮の演奏で、Apple Musicでかろうじて聴けます。

 

 

この「Rhino Handmade」社製のCD、現在は2万円以上のプレミア価格で、買う気も失せますネ。私は何とか、常識的な値段で買えたのでよかったです。

 

プラモでも何でも、買う時期を失すると、とんでもないことになります。1/35の再販「センチュリオン」は、まだマシなほうかな‥‥。

 

 

Apple Musicは聴いたこともない音源を次々に聴ける一方、昔馴染みの音源はスカッと存在しなかったりで、要は実物とクラウドは使い分けてこそ‥‥ですネ。

 

そういえば、コロムビアのAnimaxシリーズといえば、私が小さい頃に聴いていた、これまたレア(というか、陽の目をみなさそう)な「みなしごハッチ・挿入歌集」も発売されています。

 

 

これを子供の頃に聴いてた!‥‥と言う人に、一度も出会ったことがないです。

 

私は、このレコードで徹底的に「泣きの四度進行」を叩き込まれた‥‥と、聴き直してみて痛感しました。あと、気分をここぞ!とグッと泣きにもっていく時にメジャーに転ずる(Amだったら、A7にする例のアレ)のに反応する私の性質も、この「ハッチ挿入歌」が原点だと思われます。小学校に上がる前の幼児の頃によく聴いてたからなー。

*上記YouTube引用の「パリの散歩道」は四度進行だけでメインメロディーを走りきる「四度進行のお手本」のような曲ですネ。Am-Dm7-G7-Cmaj7-Fmaj7-Bmb5-E7-Am‥‥と、四度上昇するだけでトニックコードに戻って、メインメロディを形成します。

 

今でも「虫のチャチャチャ」(陽気な旋律)が、つい無意識に口からこぼれたりします。

 

 

 

この頃のアニメって、「みなしご」ネタが異様に多いですが、それはまさに時代性ですかね。終戦時に子供だった人が、ちょうどテレビアニメの黎明期や発展期に、企画制作(製作)に関わる年齢だったのだと思います。戦争孤児が制作者にとってリアルだった時代‥‥ですね。

 

私は昭和40年代の子供時代(〜小学校)ながらに、「父母を探し求める」「みなしご」の作品設定の多さが不思議でした。ゆえに、「うる星やつら」が登場した時に、「暗さが微塵もない」作風こそが自分にしっくりくる‥‥と中学生になった当時に感じたものです。

 

 

2017年12月現在、Amazonでは、「みんなで歌おう!みなしごハッチ」もプレミアがついて3,000円ですか。‥‥欲しいと思ったら、定価の時期(1,300円)に買っとかないと、コロムビアの音源はヤバイですね。

 


世代

ちまたでよく耳にする「XXの世代は云々」「OO世代だから」のような「世代性に関連付けた論調」を耳にすると、少なからず違和感を若い頃から感じてきました。

 

「ロスジェネ世代は不幸」なんていう論調も最近は頻繁に見聞きしますが、まさにロスジェネ世代の人が「私はロスジェネなんて括られたくない。ロスジェネだからと卑屈になっている人間と同一視されたくない。」と言い切っているのをリアルに聞いたことがあります。

 

そうなのよ。私の世代も「バブル世代」とか「新人類」とか言われましたが、同世代の人間がまるで同じ性質を持っているかのように括られるのは、強い違和感を感じていました。

 

 

全てのオジサン・オバサンが、事なかれ主義で穏便に事を済まそうとしているわけではないですよ。

 

全ての若い男女が、革新的な物事の捉え方で斬新な思考を獲得できているわけではないですよ。

 

慣習に依存し、日和って荒波立てずに物事を流そうとする人間は、それこそ、老若男女、全ての年齢層に存在します。

 

その逆に、全ての世代において、「今のままじゃダメだ」「もっと方法があるはずだ」と考える人間も、相応に含まれています。

 

 

まあ、たしかに、「世代別に分類して、対決する構造」でものを考えた方が「やりやすい」とは思いますが、仮想敵をファンタジックにでっち上げることは、果たして、行動の良き指針となりえますかね?

 

怒りは原動力になりますから、「若い人間はなっとらん」とか「オッサンが俺たちの邪魔をする」と考えたほうが、テンションも上がるでしょうが、それは「当人が闘争本能を盛り上げるための気分」でしかないと思います。

 

オッサンオバハン層も、若者層も、全然、一枚岩ではないのです。

 

現在の鬱屈した状況を打破するには、若者たちで結束して、未来を変えるぞー!‥‥と意気揚々と盛り上がるすぐ脇で、状況が悪くなったらいつでも日寄れる準備を整えている若者も多いのです。保守的で因習的なものの考え方をする若い人間が多いのは、まさにSNSが示す通りです。‥‥でな、それは何世代にも渡って繰り返されているので、私の若い頃にもあった話です。

 

世代論で物事を図ろう(謀ろう?)とする限り、同じ回廊をぐるぐるとさまよい続けるだけです。

 

 

例えば、危機意識に目覚めた若い20代のひとりの男(女)が、拳を振り上げて「未来を変えるぞ!」と行動して、どれだけ、同世代の他の人間が合力してくれますか? し〜〜〜ん‥‥となって、ひとり虚しく立つばかりではないですか? たとえ賛同してくれたとしても、それは口だけ(今だとSNSですね)で、実際に力を合わせて行動してくれる人がどれだけ現れるでしょうか。

 

‥‥要は、同じ意志を持つ人間たちこそが重要で、世代が「意志の条件」を満たしているわけじゃないですよネ。

 

私は、そうした意味で、自分の世代を含めた、どの世代にも絶望しています。しかし、どの世代にも希望は捨てていません。そもそも人間を世代でくくろうなどとは思いませんので、同じ意志を分かち合える人間と「出会う運命」に、絶望も希望ももっているわけです。

 

 

私は、各世代に点在する、革新を求める人間たちをネットワークしたいと思っています。重要なのは世代・年齢別ではなく、各世代に分散する「異なった考え方ができる」人間たちです。懐かしい言葉ですが「Think Different」な資質を素で持ち合わせている人‥‥ですネ。

 

突出した考えを持つ人間たちが、現代の社会の状況の中で、どのようにネットワークし、どのように姿をあらわすか‥‥が肝です。ゆえに、現代日本の社会の状況は重要な要素です。一方、OO世代だからXXだ‥‥など、さして重要なことではありません。

 

 

全世界で8,000万人(!!!)の死者を数えた未曾有のカタストロフ「第二次世界大戦」が終わった後の、戦後の復興期・高度成長期を、今の時代と比べて何になりましょう。戦後の高度経済成長期と現在が同じであるわけがないのです。

 

地球だってさ‥‥、46億年と言われる時間の経過の中、色々な気候変動を経て、現人類が台頭したわけじゃん? 地球の話を持ち出すと風呂敷を広げ過ぎとも思いますが、「時代の変化に合わせて新しい何かが台頭する」という基本構造は同じです。

 


時代・社会は、ハンデや足枷にするのではなく、ブースターや踏み台にしてこそです。

 

どんな世代の中にも、時代をうまく使える人と使えない人がいて、その国の経済は「うまく使える人」の数で決まるのかも知れません。

 

まあ、確かに、今の日本はそうした観点では「劣勢」かも知れませんね。こと、アニメ制作にしても、です。過去の技術を「デジタル」でトレースしただけでは、決してThink Differentではないです。

 

結局は、今、何を進めているのか、未来のために何に取り組んでいるのか、準備しているのか。その内容が重要です。そして、その水面下の動きのなかで、世代などに拘らず、人間をネットワークすることを徐々に図っていくだけです。

 

 

 

ただ、ぼけ〜っと「俺は50代だ」「僕は20代だ」「私は30代だ」なんて生きてるだけだと、世代論の打算的な甘い誘惑に呑み込まれるように思います。

 

結局は自分、そして人間たちのネットワーク。

 

その自分、そのネットワークは、クレイジーで良いと思いますけどね。

 

‥‥ああでも、そうか。クレイジーの「実践方法」も今の時代に合わせて思案しなきゃ‥‥ですね。色々あるもんね。

 

でも、時代がどうであれ、クレイジーであることは何も変えなくて良いのです。

 

 


おさかな

どんどん新しい技術を積み上げて、もっともっと美しい映像作品を作りたい‥‥と思うのなら、それ相応の体のコンディションは必須です。体が不健康で、創作活動など続けられるものか‥‥と、誰もが判る理屈です。

 

しかし、現在の私は決して、合理的な状況とは言えません。もっと真剣に自分の体のことも考えねばならんです。

 

まあ、見るからに即座に、不健康なわけではないですが、最近疲れやすいし、アホみたいに寝れるし、明らかにロスは増えているのが自覚できます。

 

合理、合理と、常日頃から宣う私が、非合理な健康状態でどうするのか。外食産業の肉中心の献立のせいにばかりしている時ではないです。

 

私の体質の変化かも知れませんが、どうやら最近は、肉よりも魚を食べてたほうが、体調は良いんですよね。内臓が軽く感じる‥‥といいますか。‥‥昔は肉ばっかり喰ってたのに。

 

外食とは言え、吉祥寺の「ビストロ魚金」は良いなあ。魚がいっぱい美味しく食べれるから。‥‥ああいう店が、三鷹にもあれば良いのにな‥‥。

 

 


Mac mini 2006

実家でほぼ忘れ去られていたMac mini 2006を、新たに「iTunes サーバ」として活用すべく、HDDの交換をおこないました。

 

 

iTunesの音楽データを「ホームシェアリング」するのはとても簡単。iTunesの「共有」設定を「ローカルネットワーク上でライブラリを共有する」をONにするだけです。

 

実は、Linuxで動作するNASでもライブラリは共有しているのですが、共有先の端末での表示速度が遅いのがネックですし、やはり「互換品」の常ゆえに「ただ単に、データを共有するだけ」で、色々なiTunesの機能を各端末に引き継げないのが寂しい点です。生粋のMacのほうがホームシェアリングの使い勝手は良いです。

 

交換は色々なサイトで手順が紹介されているので、ここでは特に紹介しなくても良い‥‥ですよね。もんじゃのヘラじゃなくても、なにか適当な薄い金属板(幅広が良い)があれば開腹は可能です。

 

*う〜ん、汚い。ホコリとヤニが組み合わさると厄介です。

 

*左が古い120GBのHDD、右が新しい1TBのHDD

 

ただ、年季の入ったMacは、筐体の樹脂のしなやかさが失われて、破損しやすくなる傾向が昔からあります。因果関係はよくわからないのであくまで実感だけの印象ですが、タバコの煙に晒されて黄ばんだ樹脂パーツは、どうも脆くなる印象があります。実家のMac miniも相応に黄ばんでいましたので、クラックが入ったりと一筋縄ではいきませんでした。

(ちなみに実家の面々は今は皆タバコを吸わないので、「ヤニ+ホコリ=故障の大原因」のリスクは解消されております。ヤニとホコリが結託すると、ありとあらゆる電気製品の故障のリスクとなります‥‥よね。)

 

でもまあ、特に大惨事に陥ることもなく、交換は終了。HDDの容量はオリジナルパーツの120GBから1TBに増大しました。

 

ちなみに購入したHDDは、TOSHIBAの1TBのコレです。交換しただけで、「認識させるためにどうこう」などの手順も不要で、何のトラブルもなく普通に使えました。

 

 

Apple MusicやPrime Musicが登場した今、CDが増えることはほとんど無くなりました。私はCDをそこそこいっぱい買った人間でしたから、自分の変化にまず驚きます。ここまでCDを買わなくなったか‥‥と。

 

ゆえに、購入したCDをiTunesに読み込むこと自体がかなり少なくなりました。私は、10数年前にMP3で320Mbpsで読み込んだCDをALAC(ロスレス)で読み込み直す「自己プロジェクト」を進めているので、まだまだデータは増えますが、1TBもあれば十分だと思われます。

 

ただ、Apple Musicは全世界の膨大な音楽ライブラリからすれば、ほんの一部だけしか網羅していません。コロムビアのアニメの音源など、Apple Musicではほんの断片だけで望むべくもないのが現状です。

 

Apple MusicやPrime Musicと、自分の過去のライブラリは、別の頭で考えて、切り分けて管理するのが肝要かと思います。

 

その際、たとえ10年以上前の古いMacで、Snow LeopardまでしかインストールできないMac miniでも、役にたってくれます。ライブラリを切り分けて混ぜずに管理したい場合に、小さくて静かで省電力のMac miniは重宝しますヨ。

 

 


OmniGraffle

昔から愛用していたオムニグラフがmacOSをHigh Sierraにアップデートしたらクラッシュして起動できなくなっていました。オムニグラフは使わない時は全く使わないので、今頃になって気づきました。

 

 

まあ、いつバージョンアップしたかも忘れるほど昔のバージョンなので、さっくりと更新。2017年12月現在のバージョンは、7.5です。

 

ユーザー向け優待アップデートで6,000円でした。

 

インターフェイスが大幅に更新され、馴染むのに少々時間がかかりそうですが、基本機能は変わっていないので戸惑うことはないです。

 

オムニグラフは、模式図や構成図を作るほかにも、要素を並べ立てて「ひとりブレインストーミング」にも使えます。色々な図形を線でちょちょいと結ぶ機能は、PhotoshopやIllustratorにはないですもんね。Photoshopで構成図を作っているのなら、オムニグラフを使ったほうが格段に楽です。

 

*図の一例です。OmniGraffleは、こうした模式・工程・構成などの図を簡単に作図できます。

 

 

* *

 

そういえば、Omnigraffleの更新がてら、Pixelmatorの「Pro」版をApp Storeを見かけました。

 

Pro? ‥‥どんな部分が無印版に比べて機能向上したのか、全然調べていないので解りませんが、昔からPixelmatorを併用していた私としては、Pro版は気になるところです。

 

 


本番

映像制作のいざ本番‥‥という大事な時に、「素人状態」なのは色々な面でマズイがゆえに、私は事前に色々と準備して「素人状態」から実質的に脱しておくようにしています。恐らく、昔の楽器演奏のトラウマではないかと思います。本番演奏の時にブザマなことにならないように、「まぐれで弾けた」のではなく、「いつでも弾ける」ように、本番前に入念に練習しておくわけですね。

 

私が最近意識的に、新しいアニメーション技術が‥‥とこのブログで平然と書くようになったのは、表に出すまでに事前の準備をして、「まぐれ」ではなく「確実」に技術が積み上がってきた実感があるからです。

 

新しいアニメーション技術を、始めて本番カットで使ったのは、2008年のテレビ作品でした。もう10年も前になるのですが、その時点では特に新技術を売り込むようなことはしませんでした。本番で自信をもって運用するにはまだまだ未熟だったからです。

 

でも、その2008年のテレビ作品も「本番」なわけですから、本番に用いる以前のさらに3〜4年前に自主研究制作のクローズドなフィールドでテストを開始していました。当時自宅のPowerMac 8600/250をG4に改造したマシンではいよいよ厳しくなり、PowerMac G4の最終モデル(=ミラードライブドア)を最後の「売り切り」の時(G5が登場して値段がぐんと下がった)に購入したのを覚えております。168,000円くらいだったような記憶があります。

 

そのG4で、髪の毛のレンダリングを2日がかりでやった記憶があります。3Dじゃなくて、2DのAfter Effectsで数十時間=2日かかっていたので、相当負荷が大きかったのだと思いますが、そうした「マシン運用の場数を踏む」のも「本番素人状態」からの脱出の一環でした。その当時はまだ未開の「HD=2K」にチャレンジしていたのも、過負荷の要因だったと思います。

 

思うに、事前に準備しておく行為は、「本番の度胸を事前につけておく」事なのだと思います。例えば、「髪の毛をこれだけ細かく徹底的に動かすと、こんなにも仕込みに時間がかかって、マシンに負荷がかかるんだ」と、「事前に驚いておく」ことで、本番ではパニックにならずにすむわけです。

 

人前で緊張して舞い上がって、「練習の時は上手く弾けてたのに!」と地団駄を踏んでもアカンのです。多少のトラブルがあろうと、余裕を持って弾きこなせるほどの充分な練習を積んでおく‥‥というのは、実は映像制作にも応用できるスタンスだと思っています。

 

なので、準備段階で上手くいっていないのなら、まあ、ほぼ確実に、本番でコケますよね。

 

ゆえに、4K60pHDRを「弾きこなせる」ように基礎から積み上げる日々です。‥‥まあ、弾きこなすなんて、まだまだなんですけど。

 

「まぐれ当たり」は当たったうちには入らないのは、どんなことでも同じことが言えるんじゃないですかね。確実に仕留める技術を順次標準化しないと‥‥です。

 

 

作業場に4K60pのモニタも導入できたし、来月にはiMac Proが発売されるし、来年あたりにはMac miniの新型も期待できるし、ソフトウェアも4K時代へとどんどん進化しているし、4Kテレビはどんどん安くなってるし‥‥で、周辺の状況は良いことのほうが多いので、後は粛々、粛々、粛々、粛々‥‥と、事を先にぬかりなく進めるのみです。

 

 

 

 

練習‥‥といえば、

 

以下は、パルティータ・ハ短調の最初の曲「シンフォニア」の対位法旋律部分を練習するグールドさんです。一旦演奏を止めて窓際に立つあたり、カット割りがちょっと嘘っぽいですけど、好きな映像です。(レーザーディスク持ってました)

 

 



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