Rec.709止まりから抜けよう

昔のアニメ作品〜フィルム時代の作品のリマスターの話題で、よく見かけるのは「本来はこんな色ではなかった」‥‥という論調です。

 

本来の色‥‥ってなんだろうと、思うのです。

 

まず、基本的な知識として、テレビやパソコンのモニタで見ている色は、フィルムの色域より狭いRec.709・sRGBです。特に緑やシアンはフィルム本来の彩度を大きく損なっています。

 

フィルムのオリジナル状態よりも狭い色域をもって、本来の色‥‥とすべきか否か。

 

多くの人はRec.709の狭く切り取られた色域の映像を「オリジナル」と思い込んでいますが、果たしてそれで良いのか。

 

まあ、テレビアニメなら16ミリフィルムでテレビ放送オンリーだったことを考えれば、Rec.709をマスターにすれば良いかな‥‥とは思います。16ミリフィルム特有のレンジの狭い色域と粗めのグレイン、フィルム面積の物理的小ささによる低い解像感は、そもそもテレビの狭い色域で放送することが最終形でしたし、BDやネット配信を見越して作っていたわけではありません。最新のHDRフィルムスキャンでリマスターしても、フィルムのポテンシャルを引き出す事自体が的を外している結果にもなりかねません。

 

一方、フィルム時代の劇場アニメ作品の場合は、DCI-P3やBT.2100(Rec.2020)の色域の広さに合わせて、Rec.709のテレビでは不可能だった、フィルム上映のポテンシャルを盛り込んでも良いと思います。

 

 

 

アニメ制作現場は、色彩に関する知識がRec.709で固着して停滞しているのを感じます。

 

でもそれは、仕方がないと言えば、仕方ないのです。毎日見ているモニタがRec.709・sRGB仕様であれば、知識と経験を広げようもないですし、今でも制作現場では多くの作品がRec.709・sRGBを基準として制作されています。

 

正直、私も、HDRの色域で最初から作品制作をするまでは、Rec.709でしか想像できませんでした。

 

HDRの1000nitsターゲットの仕事をして、痛感したのは、アニメの絵は「クリップありきで考えられている」ことです。

 

クリップとは、レベルオーバーしてポスタライズされることで、実は原画を描くときから「クリップ」した絵を想像してたりします。透過光の表現は、その最たるものです。透過光マスクを輪郭で描くこと自体がクリップの結果値です。

 

アニメの表現の多くが、レンジの狭い100nitsありきで成り立っていることを、1000nitsターゲットのカラーグレーディングで思い知りました。500nits、1000nits、2000nits時代にどのようにアニメの絵を作っていくか、正直、頭を抱え込んでしまいました。

 

窓外が透過光で白く光っている‥‥というアニメの表現は、その白い透過光を1000nitsにすべきか否か。

 

ホワイトアウト〜画面が白くフェードアウトするトランジションで、その白を10000nitsにするか否か。

 

「アニメ映像表現の定番」として定着していた手法は、100nitsのリミッターが効いていたからこそ、アクセル全開にできたのです。1000nitsでアクセル全開しようものなら、暴走も甚だしいです。

 

 

 

アニメはキャラの影付け自体がポスタライゼーションですし、透過光の素材を原動仕でベタ塗りで作ること自体がクリップありきの表現です。

 

後付けではなく、最初からHDRの仕事をすると、絵作りの思想自体が、テレビの都合=Rec.709に閉じ込められていたことを、ハッキリと認識できるようになります。色彩設計自体がデフォルトでRec.709の呪縛に囚われていたことがわかります。

 

*Rec.709はこんなにも狭い色域です。G=緑の狭さにつられて、シアン(水色)までかなり削られています。例えば、「黒字に緑色のコマンドラインが走る」‥‥という映像は、相当ショボい彩度に削られます。しかし、その色域のショボさを、毎日sRGBのモニタばかり見ていると自覚しにくいのです。

*おそらく、帯域の制限の中で、人の肌を違和感なく放映できるように配慮されていた‥‥んじゃないですかね。

 

 

 

フィルム時代の作品の場合、どういう状態を「オリジナルの状態」と呼べば良いのか‥‥は、Rec.709の観点だけでなく、DCI-P3やBT.2020も視野に入れて、考慮すべきでしょう。Rec.709準拠のテレビの知識しか持たないのなら、旧時代の偏った見識に依存することになります。

 

オリジナルの状態‥‥と言うけれど、テレビで見ていたのは、必ずしもオリジナルの状態を再生していたわけではないので、

 

フィルムに記録された状態をオリジナルとするか

 

当時のテレビ放送時の状態・状況をオリジナルとするか

 

‥‥くらいの、スタート地点の定義をした上で語り始めないと「水掛け論」になりやすいです。

 

テレビ放送オンリーのフィルム作品か、劇場公開のフィルム作品か‥‥によって、定義も変わってくると思います。

 

 

Rec.709だけが色域の基準だった旧時代の知識だけでなく、新時代の知識も獲得して、2020年、2030年、2040年‥‥と歩み続ける映像産業を見据えたいものです。

 

ブラウン管テレビでVHSソフトや録画を再生して映像を見ていた時代を、いつまでも自分の中の基準にしてはいけない‥‥と思います。

 

Rec.709止まりから抜ける意識を、そろそろ準備して良い頃です。

 

今は、90年代でも、10年代でもなく、20年代なのですから。

 

 


自宅作業

映像制作の環境において、中途半端な性能は銭失いの典型です。もし、非常事態宣言によって、自宅作業を余儀なくされる場合、適当なショップカスタムの安PCを買ったところで、映像制作には役に立ちません。ワードやエクセルで文字や数字を打つ仕事じゃないのは、解りますよね。

 

まあ、マシンは15万円くらいのできるだけ安いのに抑えても、液タブにはそれなりにお金がかかりますよね。場所もかなり占有しますし。

 

 

 

制作会社は、安易に機材なんて貸し出せません。なぜなら、サブスクリプションやライセンスの関係があるからです。

 

IDに紐づけられたライセンスやサブスクリプションは、簡単に他者に貸与できません。ライセンス違反になることすらあります。

 

マシン一式やiPad Proをどこか1社が貸し出したとして、作業者がかけもちで仕事をした場合、かけもった仕事が全部終わるまで機材の回収を待ってくれる‥‥なんていうのもあり得ませんしネ。

 

20年以上、仕事でMac/Winを使っていますが、貸し出されたマシンで仕事をして、終わったら返却する‥‥なんて、絶対にやりたくないですもん。すんごい面倒。1つの作品作業のために、環境設置、初期設定、運用、データの消去、撤収‥‥なんて、考えただけでもウンザリするわ。コンピュータ一式の環境作りって、大変なんですよ。

 

今まで紙で描いてきたフリーアニメーターは制作会社が機材を貸し出してくれないと作業ができない‥‥なんて言う人もいますが、設置と撤収の手間、回線速度、ライセンス運用の手間、仕事のかけもちの管理‥‥のことまで考えている発言とは思えません。異様に遅いネット回線の場合、アニメ制作会社が個人宅のネット工事の面倒と費用を全負担するはずは‥‥ないですよね。

 

筆記具を貸し借りするのとはわけが違うのです。

 

 

 

個人規模で、自宅でも作業できるように環境を新調して、その環境を活用して「自分の数年先まで潤す基盤」とするには、覚悟を決めた自己投資が必要です。

 

ざっと表計算で計算してみましょう。

 

 

iMacで見積もったので、モニタはなくてOK。別体型(のほうが多いですが)の場合は、モニタの値段も加算されます。また、クラウドサービスやソフトウェアのサブスクリプションは毎月の請求なので試算に入っていません。HDDは、ベアドライブとUSBケースを別で買って、自分で組み立てます。

 

iMac(上記価格はi9 8コアにグレードアップした価格)はカメラもマイクもついているので、ネット会議は何も買わずに準備OKです。20万くらいのi9 8コアのデスクトップPCを買った場合、カメラとマイクは別途買い足しです。

*iMacのメモリ容量は、8GBの出荷時に加えて、32GB(16GBモジュールを2個)を自分で追加するので、40GBメインメモリとなります。とりあえずは40GBあれば大丈夫です。

 

まあ、やっぱり基本50〜60万円くらいです。Windowsの場合は、多少は減額できるでしょうが、40〜50万円くらいにはなりましょう。

 

10万円のPCとかあるじゃん。

 

‥‥と言いたいのはわかるんですが、事務ではなく映像制作をする用途で、絵をストレスなく描いて、さらには画像編集・映像編集もストレスなくおこなうのなら、このくらいの出費にはなります。

 

 

 

うわー、やっぱり無理。

 

と思う人が多いでしょう。

 

では何が「無理」と思わせるのでしょうか。

 

今までと同じ仕事を継続するのに、60万円なんて出費は無理。

 

‥‥ということだと思います。

 

同じ仕事「だけ」をするために、映像制作環境一式を揃えるなんて‥‥‥無駄が多いと私も思います。

 

 

 

今までのやりかたで走り切りたい人まで、60万の自己投資をする必要はないと思います。

 

しかし、2030年代、2040年代が控える人たちは、アニメ制作現場に共依存しちゃダメです。他の画業や映像制作業も兼任して、総合的な収益を増大することを計画すべきです。

 

そのための自分の自宅環境です。

 

アニメ制作現場に全てを捧げるための自宅環境じゃないです。

 

制作現場にも力を貸すけれど、自分の未来のための自宅環境です。

 

 

 

でもまあ‥‥これと同じようなことは、定期的に何年も前からこのブログで書いている気がします。

 

ぶっちゃけ、何もかも、結局は当人の運命‥‥としか言いようがないですよね。「気づくこと」も含めて、運命なんですよね。

 

 

 

私はiMac 5Kが登場した2014年に4年のローンを組んで、2018年に払い切りました。分割手数料はなかなかのもんでした。

 

自分の未来に絶対に必要だと思いましたので、ローンを組んででも手に入れました。‥‥で、実際、ものすごく役に立ちました。iPad ProとiMac 5Kは私の人生の方向性を変えたと言っても言い過ぎではないです。

 

一方で、買わなくていいものも買いました。トランプを一時期買い集めたのは、ココロのスキマ塞ぎだったなあ‥‥と思います。チプカシもあんなに買う必要は無かった‥‥。

 

いつも的確な判断ができるなんて申しません。

 

揺れ動く感情の中で、現実逃避に走った買い物をしたことはありましたが、一方では、これは確実に役に立った、これが無かったら自分の未来はどうなったことか‥‥と思うものは確実にありました。

 

 

 

コロナが落ち着くまで休業すっか‥‥という人はそれで良いでしょう。

 

コロナが去ったら、また昔のように働くぞ!‥‥という人もいるでしょう。

 

コロナで散々揺さぶられたけど、いろいろと気づくことがあって、いろいろと自分の可能性を試したのが、なんだか先に繋がってる‥‥という人も現れるんじゃないでしょうか。

 

 

 

自分の人生の運命を、氷河期やコロナウィルスやアニメ業界のせいばかりにして生きることがなければ、それだけでも良いと思います。

 

「何か」のせいで自分はこんな酷い目に‥‥なんて思い続けてたら、その人はずっとその「何か」を心底で恨み続けて、結局「何も」獲得できないかも知れません。

 

コロナをただのマイナスにしかできないのなら、人間の負け‥‥です。

 

コロナと戦うのなら、色んな意味で、勝ちましょう。

 

 

 


撒く。転がす。否。

令和になって、まるで昭和平成と続く流れを変えるような出来事がいくつも続きますね。

 

芸人ファースト‥‥というのも、今一度、原点に立ち返ることを思い起こさせる言葉です。

 

アニメでいうならば、クリエイティブファースト。

 

アニメの制作会社は、昭和平成とアニメを作り続けたがゆえに、自分の会社がアニメを作って成立していることを忘れかけているようにも感じます。

 

作業は「撒く」ものでしょうかね?

 

作品は「転がす」ものでしょうかね?

 

私もついつい「撒き先」などと口走ってしまいますが、「発注先」や「依頼先」であって決して「バラ撒く」イメージのものではないはず‥‥だと言うのは、「いい歳して甘っちょろい事、言ってやがる。現実を直視しろ」と言われるのでしょうかね。でも、その現実を変えてこなかったからこそ、窮状の変わらぬ「過去から今」があるのではないですかね。

 

作品は「運用」する、つまり手で持って「運ぶ」のだと思っています。決して、「転がす」ものではないと思います。転がすんなら、蹴っても転りますよネ。

 

しかし、「運ぶ」のであれば、よほど悪いヤツでも無い限り、蹴ることはないでしょう。

 

いまどきの現場にはどこか、アニメ制作慣れし過ぎて、アニメを作っているのにアニメをクリエイトしていないような雰囲気を感じます。「クリエティブ不在」「クリエイティブスレーブ(Slave)」で、アニメ作りがMaster(主)でない状況。

 

バラ撒いて蹴って転がして作った作品に、人の心を動かすパッションは宿るのでしょうか。

 

 

 

「パッションとか、青くせえこと、言ってんじゃねえよ。商売なんだよ。」とか嘯く人もおりましょう。

 

たしかに、パッションを必要としなくても、段取り作業を組み合わせれば、アニメの商業映像コンテンツは完成するでしょう。

 

そもそも‥‥、ぶっちゃけ、アニメなんて見なくても生命維持活動には支障ないですし、楽しみが欲しければ他の娯楽に移行すれば良いだけです。消化試合で作った作品など金を貰っても見る気がしません。時間の無駄だから。

 

でも、その「なんて」を、本気になって一生懸命作るのが、アニメを生業として選択した人間です。

 

制作者たる我々は、未来もアニメを作りたいんでしょ? 多くの人にアニメを見てほしいんでしょ?

 

だったら、アニメを転がすんじゃなくて、作りましょうよ。商業として、作りましょうよ。

 

 

 

お笑い芸人さんと興行会社のやりとりを見ていると、何か、すごい既視感を感じます。

 

アニメ制作現場にも似たようなことが昔からあって、最近はそのクリエイティブとプロデュースの溝がどんどん深まっているようにも感じます。昭和、平成‥‥と「ツケがたまりきった」感じで。

 

 

 

私も長年の業界生活で、つい習慣で「撒く」とか言っちゃいます。「撒く」という言葉は現場では一般化し過ぎているので、何も、言葉尻を捕まえて排除し、「言葉狩り」をしようというのではありません。

 

ただ、4KHDRの新しい技術を扱ううちに、やっぱり人こそがクリエイティブの中心だと再認識しました。慣れや惰性では作れない新しい取り組みだからこそ、「人間という存在のリアル」を感じます。創作・制作における全ての物事は人が関与するがゆえに成立していることを、4KHDRは技術が新しく未知な部分が多いがゆえに、改めて心に刻み込みました。

 

いや、ホントに、令和は激動の時代かも知れません。

 

昭和で育って、平成で実がなって、令和で枯れ腐って落ちて、やがて新しい春が来て、地面から新芽が出る‥‥のかも知れませんネ。

 

 

 

 


夢のシート確認

アニメ業界の制作現場は、言うなれば、デスクワークの修羅場なので、実写現場のような「ハイ!ここからここまで!」(=撮影地や撮影スタジオの時間制限でネ)というキッパリとした区切りが「見た目」上はあまりなく、ズルズル、ズルズル、ズルズルと24時間絶え間なく進行していきます。

 

もちろん、ケツ(考えてみれば、老若男女「ケツ」「ケツ」言う現場ですネ、アニメ業界は。)は決まっているので、キッパリと区切りはあるのですが、立ってしゃがんで走って登って‥‥という実写現場の「体を動かす系」ではないので、徐々に電流が大きくなっていく責め苦の電気イスのごとくです。

 

アニメの撮影(=要はコンポジットですが)を引き受けると、そりゃあもう、最後のあたりは大変です。「ケツのケツ」(プロダクションのケツ〜ポスプロ前)ですからね。仕上げさんも相当地獄だと察しますが、撮影はさらにその後なので、「間に合っていないことは絶対に許されない」というプレッシャーの中、不眠不休の作業を余儀なくされます。

 

私は数年前に短編の撮影監督を最後に、以後、撮影監督は引き受けていません。‥‥体力的に限界ス。

 

そんな、最後の撮影監督の時に、今だから笑って話せるようなことも体験しました。

 

 

 

まず、夢のシート確認。

 

シートを確認するのが、人生の夢だった‥‥という話ではございません。

 

パクズレのリテークで、再撮するカットのシートを進行さんから「修正箇所は赤で書き込んであります」と言われてカット袋を受け取りました。「どれどれ」とカット袋の中からシートを取り出して、2つ折りのシートを開いて確認するのですが、何だか文字がボヤけて読めません。

 

「?」‥‥と思いながら、何度も何度もシートを読もうとするのですが、緑色のシートの中身がボヤ〜っとして一向に読めないのです。

 

ふと、目が開いて、目が覚めました。

 

‥‥どうやらカット袋を抱いたままイスで寝落ちして、夢の中でシートを読もうとしていたようです。

 

進行さんから、「はい」とカット袋を受け取って、膝の上に乗せてボンヤリしているうちに、眠ったようです。‥‥他人事みたいな言い方ですが、そうみたいです。

 

「そりゃあ、夢の中じゃ、シートは確認できんわ。」

 

‥‥と思いました。

 

 

 

そして、滑らかブラー1時間。

 

アニメによくある超能力的な表現で、色んなAfter Effectsのエフェクトを組み合わせて処理するカットがありました。放射ブラーとか、セルをブラシっぽく見せる何段階かの滑らかブラーとか。

 

何重にも及ぶエフェクト効果で、手間も手数もたくさん、疲労もいっぱいで、意識が朦朧としながら、最後にたまりがちな大変なカット(原動仕的にも大変なカットは後ろに詰まる)を作業していました。

 

深夜に及ぶ作業を繰り返す中、夜の9時ごろに、エフェクトのブラーメニューから「滑らかブラー」を選択して、レイヤーに適用しました。

 

操作の通り、滑らかブラーの効果がレイヤーに追加されました。

 

ふとメニューバーの時計を見たら、夜の10時。

 

どうやら、滑らかブラーを選択して適用するのに、1時間かかったようです。

 

ふと、瞬きをした時に、寝落ちしたのでしょうネ。たぶん、おそらく。

 

猛烈に眠い時は、目を閉じたら最後だよネ。その姿勢のまま、10分は眠れる。なので、1時間もありえる。

 

 

 

この2件の珍事件(?)をもって、「私はもう、アニメの撮影監督は無理だ」と悟りました。

 

技術云々、表現云々ではなく、もう体力が、従来のアニメ現場向きではない‥‥と痛感したのです。撮影に限らず、作画においても、20代、30代の自分ではないことを痛感したのです。

 

技術の積み重ねも、経験の蓄積も、役に立ちません。従来のアニメ撮影の修羅場に必要なのは24時間戦える人間と人海戦術。ピークに合わせて人をたくさん雇って待機させる、コストのかかる構造をどう「やりくり」するかです。

 

今、20代の人は、自分が40〜50代になって、同じ仕事をしている自分を想像できますか?

 

作画も、撮影も、同じ作業ペースで50代もずっと生きていけると当人が思うのなら、アニメ業界には珍しい、恵まれた環境でしょうが、そういう現場はどれだけ存在するでしょうか。ぶっちゃけ、「このままの働きかたで50代まで続けたら、老後前に死ぬだろうな」と思う人は多いんじゃないでしょうか。

 

読むと100日寿命が縮むという恐怖新聞。最後にボロボロになって死んだ、主人公の鬼形礼。昔、子供の頃に読んだ漫画を思い出します。鬼形礼君が、腐っていく自分の体と、自分が生きるか死ぬかの中で、激しく葛藤するストーリーを今でも思い出します。

 

もし撮影セクションが作画と同じ完全な単価制度で、しかもその単価が安かったら、作画と同じ離職率になるかも知れませんネ。

 

 

 

従来のアニメ制作現場で考えれば、もはや品質や作品表現を考えるのはナンセンスなのかも知れません。内情を知っていれば、作画崩壊とか笑う気にはならないはず。

 

しかし、今のアニメ制作現場の作り方では、QCの厳しい未来の映像産業には到底対応できません。今までの作り方を続けるために、QCの緩いクライアント相手の仕事を探すようになっても不思議ではないです。

 

最後にドカドカッと「やっつける」方法では、品質が下がり、QCにもひっかかり、人の消耗も改善できませんよネ。当事者ならわかりますよネ。

 

 

 

なので、新しい技術による新しい道へと進んでいます。

 

正直、新しい道は困難の連続です。

 

一番厳しいのは、新技術を扱える人間が極めて少ないこと。

 

例えば、作画作業の70%を新技術で2人で引き受け、残りの30%は従来技術で10数人で作業する。‥‥いくら新技術の威力が絶大でも、この作業人員の不均衡は如何ともしがたいです。

 

その10数人のうち、数人で良いから、新技術のほうにも分けてくださいよ‥‥と言いたい気分です。

 

2020年代には、「時代の色々な波」におされて従来作画はものすごくお金がかかるようになるだろう‥‥というのが、偽らざる実感です。かと言って、アニメ業界は平成に留まって、2010年代に留まって、過去の技術と品質の中で生きていくわけにもいかないでしょう。

 

もし、新しい技術を扱える人間が増えれば、状況も大きく変わって、お金の面も飛躍的に改善できるのにな‥‥と思いますが、‥‥まあ、この辺りの話はまたいずれ‥‥。多方面に関与する話なので、風呂敷がでかいです。

 

困難はあれど、新技術の先に光が見えるのは良いです。

 

同じ険しい道でも、先が見えずに暗い道より、明るい光が見える道へと進みます。

 

 

 

夢でシートを確認する‥‥なんて、今でこそ、自分自身の笑い話ですけどネ。

 

生きているから、笑うこともできる‥‥というのはあります。

 

2020年代はまさに、アニメ業界の正念場なように思います。

 

生まれ変われる集団、生まれ変われない集団、それぞれの明暗が、嫌でも浮き彫りになる10年間でしょう。

 

 

 

 


AirDropとPMの使い分け

現在、私らのワークグループでは、PM(プロジェクトマネージャ)とAirDrop、そして従来のファイルサーバを使い分けて運用しています。

 

ファイルサーバは「ご存知の通り」無法地帯になりやすいです。どんなに規則を決めても、その規則はまず全員に告知されずに浸透しませんし、強制力も実質存在しません。漠然と敷地を公開して、白線だけ引いて、「ここからは駐輪場、ここは待合スペース、ここはバイク置き場」と決めるようなものです。「ベビーカーは? 荷下ろしの場所は?」など定義していない場合は、駐輪場などに溢れ出してすぐに破綻します。

 

そうした場合、「もっと徹底するために看板を立てよう」とか「ペナルティをもうけよう」「管理人を常駐させよう」などとするのは、全くダメダメな運用論。

 

漠然と更地に白線を引いただけで区切っている、運用側・管理側の「策の無さ」が大原因なわけです。漠然とした管理方法は、漠とした状態へと帰すのです。整然と管理したいんなら、管理方法のアイデアに手を抜くなよ、ということです。

 

 

 

私は前々から、ファイルサーバを皆で共有する管理方法には限界を感じていました。人災のるつぼだからです。

 

例えば、大きな金庫を1つ用意して、そこに銀行員の自己管理能力で「お金を保管」するような管理方法だったら、銀行の業務はどうなるでしょうか。言うまでもなく、早々に大混乱、破綻、崩壊しますよネ。

 

作品制作も同じです。ファイルサーバを作業者に公開しただけでは、いくらフォルダ構成を練っても、ほころびが生じます。

 

 

 

●作品制作のクリエイティブに関するファイルの受け渡しはPMでおこない、直にファイルサーバでの受け渡しはおこなわない。

 

●カットごとの作業上がりは、PMがファイルサーバへのアップ&ダウンロードをおこない、必ず規定された場所に存在している。どこに何があるのか、日付のフォルダで中身が見えない‥‥などの悪しき運用から逃れ、整然とした中間素材管理をコンピュータの処理能力によって達成する。

 

●前の工程が完了しない限り、次の工程には進めず、必ず「作業完了」のフラグが立ってから、次の工程へと進める仕組みを持つ。

 

●例えば、背景が未アップ、検査前の仮色でタイミング撮をコンポジットするのなら、ちゃんとそのように工程を組んで、ワークフローとして確定する。例外のワークフローは例外としてちゃんと定義する。

 

 

こうしたことを徹底できるのは、人間同士の曖昧な示し合わせだけでは、不可能です。だから、PMが必要になります。

 

一方、作業同士のオフラインのやり取りは、AirDropを使って、サーバを経由しない方法を採っています。オフラインのやり取りを野放図に拡大するとワークフローはまた管理不能な状態に陥りますが、PMを介さないやり取りは作業者にとっても不利益=作業をアップしたことにならない=無報酬なので、自ずと「オンラインとオフラインの使い分け」ができるようになります。

 

ただ、AirDropが可能なのはmacOSとiOSに限定されます。また、PMを社内外の全作業者に普及できるほどアニメ制作会社は発展していませんから、旧体制への互換性を保つために、ファイルサーバでのやり取りも一部残す‥‥というのは現在の私らの状況です。

 

 

 

PM、AirDrop、ファイルサーバ。‥‥どれもファイルの受け渡しをする手段なので、最初はどのように使い分けたら良いか、私も実感に乏しかったです。

 

しかし、運用を始めると、受け渡し手段の切り分けが肌身で理解できるようになりました。

 

会議室で話す内容と、日々の雑談は、切り分けますもんネ。

 

 

 

ちなみに、PMはシステムスタッフの開発者の方にお願いして、自社開発したものです。ワークフローをカットごとに最適化して如何様にでも自由に再編成できる仕様で、形骸化した工程を取り除き、今までの常識では計れなくても必要な工程は柔軟に組み込める仕組みです。

 

もちろん、コンピュータの冷徹無比なPMが存在する以上、工程の「誤魔化し」は一切できず、整然とワークフローを流していくことが求められます。‥‥そういった意味では、戦後アニメ史上、最悪なまでに劣化した現在のテレビシリーズ(テレビ枠フォーマット)制作事情には、あまり合わないかも知れません。

 

でも、それで良いと思っています。劣化した状況に合わせ続けたのが、今のアニメ業界の制作事情なわけで、そこからどうやって脱出するかを、ベテランから新人まで当事者意識で取り組むべき未来の達成目標だとも思います。

 

 

 

目下の悩みは、WindowsにAirDrop的なソリューションが存在しないことです。

 

カットアウトをToon Boomで作業する場合、Windowsの環境はやや安く揃えられるので(60万が50万くらいには)、Windowsマシンも編成プランとして考えているのですが、AirDropやiOSとの連携などで足枷が生じます。

 

ちょっと確認してほしい程度の、1GBくらいのサンプルムービーを、いちいちサーバにアップして遠回りするのは、はっきり言って、もうウザいです。パッパ、パッパと、AirDropで小回りに動いて、正式な工程を踏む場合は、PMに任せたいです。

 

味見してもらうくらいの段取りに、いちいち申請書を出したり、稟議を通すのは、過剰な管理ですもんネ。ちょっとした会話をするにも、会議室を予約する必要があるのか。

 

雑談だけで重要な決定事項を決めるのはNGですが、雑談そのものをすべて会議で取り上げるのも馬鹿げてます。‥‥TPOが肝要です。

 

日頃の意思疎通や認識の共有に、AirDropは適しています。WindowsにもAirDrop的なものが出来て、クロスプラットフォームでやり取りできれば良いのにネ。

 

Macだけで現場が染まるのは、Macを長年使っている私もちょっと怖いです。色々な理由で。‥‥しかし、Windowsしか知らない現場もそれはそれで怖いです。凄く無駄な遠回りをさせられる現場になりそうで。

 

映像の未来に多様性を求めるのなら、現場の機材も多様性が必要です。WinもMacも適度に混ざっている現場が好ましいと私は考えます。

 

パソコンの管理の風下に、映像制作の作業を置く会社は、もはや映像制作会社ではなく、パソコン運用会社だよネ。

 

アニメ会社はさ。パソコンを管理する会社ではなくて、映像を作り出す会社なんだから。

 

色々な道具を駆使して、色々な面白い映像を作れる会社〜制作集団を目指したいですネ。

 

 


雑感

昔のフィルム時代の話とか、紙で一枚ずつ描いて動かすのは凄いとか、思い出話や賞賛はそれとして、我々は商業でアニメを作っている立場の人間ですから、その「凄い」ものを今後「いくらで作る」つもりなのか、ただ「懐かしい」「凄い」と口走るだけでなく、お金のことも同時に考えましょう。

 

紙時代における上手いアニメーターの仕事が凄いのは解ってます。何度も繰りかえさなくても、今のようにネットで色々紹介されてれば、十分認識されてます。

 

じゃあ、その凄い仕事を、未来、いくらで受発注するの?

 

恐ろしく細かい絵柄を、ニュアンスたっぷりに、何千何万枚も絵を描いて動かす、その1枚の値段は、未来、いくらに価格設定するのか。

 

もうそろそろ、「当人たち」が、そういう話に移行し始めても良いんじゃないの?

 

アニメはブラックとか言いがちですが、アニメ制作に関わる作業者、特に原画や作監や演出は、ブラックから抜け出したいのか、ブラックに身を潜めたいのか、ハッキリと自分の意識と立場を決めるべきです。

 

 

 

今のままの紙由来の技術では、「未来は無理」だと思います。最近、特に実感があります。

 

思うに、描かれている内容に見合う作業料金を支払うと、テレビ1話分で5〜6千万くらいは必要になります。動画工程の予算だけで1000万は軽く超えるでしょう。原画動画作監動検を全て「まともな金額」にすると、作画周りだけで1話で3千万近くになると思いますよ。2Kのテレビシリーズでもネ。

 

でも、そんなの無理ですよね。テレビ1話分で5〜6千万もお金が出せる日本の会社やテレビ局は存在するでしょうか。ゆえに、お歴々が集まる業界団体会議では、お金のリアルな話に触れずに、忖度会議に終始するのでしょう。そして、何も決められず、双方の出方ばかり伺って時間を無為に消費するのです。

 

原画動画という技術は、技術そのものは高度に発展したものの、産業としてはもう限界です。お金の面で純粋に、時代遅れです。お金を湯水のように使って、時間も湯水のように使えるのなら、話は別ですが。

 

旧来の作画技術に頼っている人々は、電卓なんて見るのも嫌でしょうが、未来の社会の中で自分たちがどんなことになるのか、電卓を弾くだけで見えてきますよ。

 

 

 

ゆえに、アニメ業界全体が未来を生き残れるとは、私は思っていません。

 

新しい技術に乗り移れなくて、置いていかれて立ち行かなくて終末を迎える会社や個人は、必ずでてくるでしょう。まるでサイゴンの落日の、脱出のチャーター機に乗れなかった旧政府の人々のように。

 

でもそれはしょうがない。

 

新しい時代へと思考を転換すべき時に昔話に花を咲かせ、行動すべき時に意固地になって石のように動かないのですから。

*当人が嫌がるのを、無理強いして、「未来を意識して進みましょう」なんてできませんしネ。進むのも留まるのも本人の自由です。

 

 

 

今の作りかたのままで、各作業者の報酬を「まとも」に設定して、電卓で計算してみてください。

 

絶望的な数字が出ます。

 

少なくともテレビ枠は制作費が高騰しすぎて死滅するでしょう。

 

今の作りかたのままでは、作業者が絶望するか、市場が絶望するか、未来は2択です。

 

昔の夢ばかりに逃避しないで、今までの作りかたを変えることを考えましょう。

 

 

 

幻が消え去り、現実のビジョンが見えれば、いよいよ覚悟はできるんじゃないの?

 

紙にこだわり続けても、どんどん未来が遠くなるばかりです。

 

「いざ!」という時に、紙しか使えないようでは、その「いざ!」という時を逃します。

 

アニメーターであれば、自分の未来は、「自分がどれだけ上手く絵を描けるか」にかかっていますが、自分「たち」の未来は、「自分たちがどれだけ上手くコンピュータを使いこなせるか」にかかっています。

 

上手く絵を描き、上手くコンピュータを使う。‥‥ペンタブですよネ、有り体に言えば。

 

ペンタブを手に、「未来」を「あるべき現実」へと変えていきましょう。

 

 


基礎知識

いつも仕事をしている方々はともかく、たまに初対面の人、特に作画の人と話した時に、「??」となるのは、コンピュータの基礎的な知識の部分です。ツイートでも見かけますネ。

 

まず、ストレージとメモリの混同

 

メモリは2TBあれば十分ですか?

 

このような場合、言った本人は、ストレージの容量を指しているのは明白です。RAMの容量で2019年現在、少なくともパーソナルコンピュータで2TBは存在しえないからです。

 

メモリは512GBあれば十分ですか?

 

これもRAMではなく、SSD、フラッシュメモリを指しているものと思われます。512GBのRAMは2019年現在でパソコンではないですよネ。研究機関の特殊なコンピュータは知りませんけど。

 

またHDD=ハードディスクドライブではないことも、2019年の状況からして察することが可能でしょう。0.5TBのハードディスクを2019年にわざわざ買い求める状況は、想定が難しいですもんネ。

 

512GBの場合、2019年の今なら、SSD〜フラッシュメモリを指しましょう。

 

難しいのは、SSDといえど、512GBなら、iPadでもありえるしパソコンでもありえるので、「何の記憶容量ですか? iPadですかコンピュータですか?」と確認しないと話題の対象が特定できません。

 

メモリは64GBあれば十分ですか?

 

これはちょっと迷います。iPadの下位モデルだと、ストレージの数値でありえるし、4つのメモリモジュールスロットを持ったiMacやWinのマシンにおいては16GBメモリモジュールx4=64GBでRAMの容量としてもありえます。

 

そもそも「メモリ」という言葉の幅広さに由来する混同だと言えます。勘違いしても仕方ないですよね。「メモリ=記憶」という一般的な意味で考えれば、なかなか悩ましい用語です。

 

HDDもSSDもRAMも、データを記憶=データを溜め置いて保持することには変わりはないので、コンピュータ機器の仕組みをある程度理解していなければ、初心の頃は混同してもやむなしです。

 

それに、書いてて思いましたけど、「RAM」という言い草も、なかなか古い言い回しですネ。言葉の意味を考えてみると‥‥。ランダムアクセスじゃない記憶装置って、今あるんかな?

 

ランダムアクセス‥‥。昔「QD」というのがあってな‥‥、MIDIのデータを外部記録保存する時に、シーケンシャルアクセスQD=クイックディスクを使っていて、ランダムアクセスのFD=フロッピーディスクに装置を換えた時に、とても嬉しかった‥‥なんていうのは、50代のオジサンの思い出話だわな。

 

話を戻して。

 

コンピュータはおおまかに、演算処理の際にデータを一時記憶する、とても高速な記憶エリアと、速度よりも容量が重視されるストレージのエリアの、2つに大別されます。

 

ややこしいのは、演算処理に用いる高速な記憶エリアでも、ストレージとして使うこともありますし(=昔、RAMディスクなどと呼ばれた)、演算処理の一時的な記憶エリアでも、ストレージのエリアを使うこともありますから(=キャッシュと呼ばれる)、大別して概要を理解した後は、「いろんな使い方があるんだな」と事例を徐々に覚えていくのが現実的です。

 

M.2の高速なストレージは、処理計算の一時記憶エリア=キャッシュには最適ですしネ。

 

 

 

GB‥‥という単位でありがちなのはビットとバイトの混同です。

 

例えば、通信速度で、

 

GB/s

Gbps

 

‥‥は、8倍もの差があります。これは1バイトが8ビットをひと固まりと定められたからです。バイトは無条件に8bitか?‥‥というとそうではなく、情報を形成する1単位であって、昔は4ビットも6ビットも1バイトとして扱われた歴史があるようです。

 

調べてみると、意外にも1バイトが8ビットと明記されたのは2008年のことらしいです。

 

成り行きはそう言うこととして、日常会話で混同しがちなのは、

 

通信速度は1ギガだ

 

‥‥という、バイトかビットかわかりにくい言い回しです。ギガまでしか言わなければ、バイトかビットかは不明ですよネ。

 

まあ、数字慣れした人で、ネットの速度の話題なら、

 

1Gbpsのことだな

 

‥‥と推し量るのですが、外部のUSBやThunderboltの実測通信速度の話題においては、ビットかバイトのどちらを指しているか、よくわからないことも多いです。なので、「bpsか否か」を結構頻繁に確認し合うことになります。

 

「通信速度」と「転送速度」の言葉の違いも、実は結構明確に使い分けられていて、話の要領を得るには、必要なキーとなる言葉ですよネ。「通信速度」はWANやLANなどのネットワーク関係の言葉として使われがちです。一方「転送速度」は昔はSCSI、今はUSBやThunderboltなどのローカルデータストレージのデータ送受の速度として使われがちです。

 

とはいえ、10Gbpsの高速線ともなると、ローカルでのデータストレージをネットワークに置き換えるようなことも未来には可能になりますから、その際は「通信」と「転送」のどちらを使うことになるんでしょうネ‥‥。

 

 

 

アニメ現場で耳にしがちなのは、解像度のしくみの理解不足です。

 

何dpiで作業すれば良いですか?

 

‥‥という言葉が端的に物語っています。dpiが絶対的な画像の寸法を指し示すと勘違いしている人は、結構多いように思います。

 

dpi(ppi)の略語の意味を考えれば、ピクセル寸法と同等の言葉ではないのはわかるはずです。

 

ドット(ピクセル)・パー・インチ=インチあたりのドット数

 

つまり、現実世界の実寸=何インチに、何ドットが割り当てられているかが、ピクセル寸法を決定します。

 

100Fを150dpi

 

‥‥と言っても、肝心の100Fの縦横の寸法が判らなければ、ピクセル寸法は永遠にナゾのままです。

 

制作現場には、B4用紙100Fの作品もあれば、A4用紙100Fの作品もあります。そして、各社でA4用紙の100Fの横幅もバラバラです。

 

dpiだけでは話が通じません。ドット・パー・インチと言うのですから、実物の実寸=レイアウト用紙の100Fの横幅と、dpiの数値をセットで伝えないと、必ずと言って良いほど、

 

dpiは了解しました。

すみませんが、加えて、100Fの横と縦の実寸をミリで教えてください。

 

‥‥との問い合わせが必要になります。

 

コンピュータによる画像処理の基礎知識があれば、dpiだけ伝えても要領を得ないことはすぐに解るはずです。でも、dpiだけを知りたがる作画の人間は結構多く接してきました。

 

今でも基礎知識の浸透が、特に作画の人間には不十分だということの表れでしょう。

 

彩色さんや撮影さんは、解像度にはピリピリして作業するので(=素材の解像度がバラバラだと作業に支障がでるから)浸透していますが、「デジタルは後任せ」で今まで経過した作画の現場は、dpiだけで話が通じると誤解することが多いように感じます。

 

ちなみに、実寸とdpiからのピクセル数の算出は、暗算では中々難しいので、スクリプトを作っておけば簡単に数値が算出できます。私はAppleScriptで作っていますが、ESTKでも簡単に作れますヨ。

 

まずミリをインチに変換し、ドット(ピクセル)・パー・インチからピクセル数を算出するだけの、とても簡単なスクリプト文です。

 

main();

function main(){
    var length=prompt("実寸をミリ単位で入力してください.","0");
    if(!length){return;}
    var dpi=prompt("dpi (ppi) を入力してください.","0");
    if(!dpi){return;}
    var result=length/25.4*dpi;
    var intResult=Math.round(result);
    var evenResult="";
    if(intResult%2){evenResult="¥r偶数値だと「"+Math.ceil(result)+"」です.";}
    prompt("ピクセル数は「"+result+"」です.¥r整数値だと「"+intResult+"」です."+evenResult,intResult);
}

*「¥」は実際はバックスラッシュです。うまく動作しない場合は「¥」をバックスラッシュ(macOSの場合、「option+¥」で入力可能)に置換してください。

 

上記スクリプト文をESTKのエディタにコピペして実行すると、以下のようになります。対話式で数値を入力します。

 

 

 

 

 

これから先の未来、作画の人間は、むしろ誰よりも最初に、最終的なビデオ解像度を確認し、作画作業では何ピクセルの寸法で作業するのか、時には、作業時にそもそもdpiというスキャン解像度の定義が必要な作品か否かも含めて、理解しなければならない立場になるでしょう。

 

一生懸命作画したのに、「リテークです。ピクセル寸法が半分しかありません。線がボケて拾えませんので、書き直してください。」なんて言われたら、気絶しそうになりますもんネ。

 

「誰よりも真っ先に、作業する際のピクセル寸法を確認して、確かな返答が得られるまで、作業に入るべきではなかった」

 

‥‥と、作画の人間が痛感する日も近いでしょう。

 

そのためには、解像度とはなんぞや、解像度とはどのような意味の言葉なのかを、ちゃんと基礎知識として知っておく必要があります。

 

 

 

ちなみに、レタス系の固定解像度のソフトウェアに慣れている、現在のアニメ制作現場ですが、異なるピクセル寸法の素材を「故意に混在させるテクニック」も未来には求められます。

 

例えば、クイックズーム(現場では通称で「Q.T.U」)のあとで尺(秒数)が長いカットの場合、何も考えずに単純計算で4Kで組むと、こんな凄いピクセル寸法になります。

 

*図ではわかりやすく4000pxと記述していますが、実際の規格サイズは、3840(UHD)か、4096(4Kシネマ)です。

 

およそ、3万ピクセル‥‥だなんて、まあ‥‥無理ですよネ。静止画の版権ならまだしも。

 

寄った後のフレームを正規の4Kにするため、逆算で引きのサイズを単純に計算すると、こうした、あまりにも巨大なコンポサイズとなり、実質的に取り扱いが困難になります。(2019年現在のマシンスペックでは)

 

ソフトウェアの動作が鈍足になるどころか、エフェクトの処理の重さによっては「イメージバッファが足りません」とレンダリング不可能に陥ることすらあります。

 

かと言って、引きフレームを4Kで組むと、フレームが寄った後で明らかに解像度不足になります。寄った後の顔のアップで間が長く続く場合、とてもではないですが、品質が低すぎます。

 

顔に寄った後の品質を無視して計算しても、破綻します。

 

困った状況を打開するには、昔から存在するテクニック〜解像度の混在を用います。

 

以下のように、ピクセル寸法を混在させて、映像の内容と運用の現実を踏まえた「最適解」を導きだせば良いのです。要は、解像度を切り分けてコントロールするわけですネ。

 

この図を見て「5Kと6Kと4Kの縮尺がおかしい」と思う人は、ラスタライズして配置するコンポジットに慣れきってしまった人です。部分的に解像度を変えるテクニックは、実は前世紀から存在しています。画面の中の要所で、縮尺が動的に変わるコンポジットは、未来の大画面時代においても必須のテクニックです。

 

After Effectsの場合、「コラップストランスフォーム」で、この方法が実現できます。解像度を混在できないソフトウェアでは、この方法は全く無駄になるので、どんなソフトウェアでもできることではないことを念頭においてくださいネ。

 

クイックズームなので、ズーム途中は像が目まぐるしく変化して、解像度の荒れなど気になりません。つまり、カット内容を鑑みて、「実のある」作業計画を立てて対処すれば良いです。

 

ただ注意すべきは、この方法が普及していない現場もそれなりに多いでしょうから、「ブログで読んだ!」とか自己の判断で勝手に作画しないようにお願いしますネ。「解像度混在のテクニック」は示し合わせをしないと通用しないことがあるので、事前に撮影監督さんと仕上げチーフさんと美術監督さんと演出さんと作画監督さん(つまり全員)に相談してから、実際の作業にインしましょう。

 

そうすることで、実は工程間の垣根が徐々に取り除かれ、新しい時代を迎えるにあたり、セクションを超えて結びつくきっかけにもなり得ます。アニメ制作は個人作家でもない限り、共同作業であって、独裁体制は通用しません。少なくとも、新しい技術が旺盛に盛り込まれる未来においてはネ。

 

ゆえに、コンピュータの基礎知識を、セクションを通じた「共通言語」として捉えて、会話で齟齬が生じないように努めるのが肝要です。未来に、「アニメ業界はむしろ先進的な運用をしている」と言わせるべき状況の基盤を作るのです。

 

アニメ業界は他に比べて2歩も3歩も遅れている‥‥なんて、未来もずっと言われ続けないように、頑張りましょう。

 

 

 

未来、作画の人間は、コンポジットの技術も少なからず知識に加えて、作画時に最適な内容で作画することが求められます。フィルム時代の知識はソレはソレで「温故知新」としてとっておいて、新たな知識もどんどん覚えて未来に備えましょう。そして、自分の技術蓄積を担保に、相応の報酬を得る「裏付け」を形成するのです。

 

凄く乱暴な言い方をすれば、基礎知識のない現場は、どんどんトラブって、「安さ爆発の映像制作の方針」が破綻すれば、業界も「このままではいけない」と気づくこともありましょう。

 

ダメな現場と良い現場の分離は必要であり、自然界のソレと同じく、自然淘汰はどうしても未来に生じましょう。

 

スタッフ個人の視野で言えば、相応の基礎技術と専門技術を身につけた人間が相応の対価として報酬を得るには、現場も相応のレベルに到達する必要があります。紙の時代の慣習を引きずって開き直るような現場は、未来の発展とスタッフの引き留めは難しいと思います。

 

頑張れば報われる。

 

レベルを上げれば、報酬もアップする。

 

そんな現場を目指しましょうヨ。

 

 

 


PMがないと無理

未来の‥‥というか、今からでも、コストを有効に活用しようと思うのなら、PM〜プロジェクトマネージメントは絶対に不可欠です。絶対にネ。

 

PMはその字の通り、プロジェクトをマネージメントすることなので、今までは(今でも多くの現場が)人間の管理能力と采配で実践していました。しかし一方で、「人が暗記できるように、簡略化したシステムが必要」でもありました。ゆえに、3日で済む内容を、3週間も浪費して処理するような事例も数多く見られました。すぐそこの隣町までいくのに、わざわざ高速道路を使うようなものです。

 

かならず、高速道路を使って、簡潔な経路を選択することだけが、「明快な管理」ではあるまい。

 

たしかにインターチェンジとサービスエリアだけを覚えれば良いのなら、管理も暗記も楽ですが、高速料金はどんどん消費するし、皆が同じ高速道路に殺到するので、信号がないだけが取り柄の「低速道路」に成り下がるような状況もあるでしょう。

 

先人の作り上げたアニメ制作の基幹となる「高速道路」は、テレビシリーズを毎週納品するには適していたかも知れませんが、未来も同じ高速道路だけの運用でうまくいくとは到底思えません。何をするにも高速道路を使うやりかたは、もう時代に合わなくなっていると思います。

 

一般道をうまく使わなきゃ。

 

しかし、現実がそうであるように、カーナビなしでは、複雑に入り組む一般道を間違わずに、最短で目的地に着くことは難しいでしょう。

 

だから、PM。

 

現在、制作状況がどのような状態にあるかを把握できるPMのソリューションが必要です。

 

PMをナメてると、未来にはさらなる莫大な人件費、制作費、時間を浪費するようになる‥‥と確信します。

 

 

 

‥‥ということを書くくらいなので、私は昔からプロジェクトマネージメントをサーバと端末で実践してきました。「アニメ撮影」に最適化した「atDB」「xtools」という自己開発のソリューションです。

 

今はアニメ制作工程全体を把握し運用するためのPMを、システム開発の方にお願いしてゼロから作ってもらい、日々の作業で活用しています。節目ごとでフィードバックして、より使いやすいPMに育てていこうと考えています。

 

ぶっちゃけ、4KHDRのような未来の映像制作には、PMなしでは運用そのものが無理です。

 

今までの大味な高速道路仕切りの運用形態では、4KでHDRになったら、どれほどコストがかさむのか、想像もつきません。でっかい荷物を大量に運ぶ巨大トラックが高速道路に殺到して、渋滞がさらなる渋滞を引き起こすでしょう。その渋滞の規模は、計り知れません。

 

どんなにお金の問題が改善されても、PMなしで大味な運用を続けていれば、お金をドブに次から次へと捨てるようなものです。

 

 

 

アニメ業界は周囲からそうとう「見縊られて」います。侮られています。

 

コンピュータの苦手な人間の巣窟で、サーバを活用するのもファイル置き場だけ、PMなんて考えたこともない、どんなに非効率だろうが働かせるだけ働かせておけば良い‥‥なんて思われているのなら、そりゃあ、できるだけ安く作らせとけば良いとお金を出し渋られますよネ。

 

コンピュータを活用すれば、あれが改善できる、これが効率化できる‥‥というのは、やがては働き方の根本に目がいくことでもあります。コンピュータの活用の是非は、すなわち、ビジネスの是非と言っても過言ではないです。だって我々は、映像の電気信号、しかもデジタルデータによって組成した成果物で飯を食っているわけですから、まさにコンピュータの使い方が明暗を分けます。

 

周囲に窮状を訴えるのも良いでしょうし、労働問題の改善も必要でしょうが、自分たちのビジネス音痴も相当に直していかなければ、空回りするだけです。1970年代から続く現場の意識はもう終わりにして、2020年代からは積極的に認識をリプレースして、現代のビジネスにおけるコンピュータの使い方を実践しましょう。

 

「学のない労働者の集合体」みたいに扱われるなんて、甚だ屈辱的でしょう? 私は嫌ですよ。そんな周囲の認識からできるだけ早く脱出したいです。

 

コンピュータを賢く使って、自分たちのチカラに変えていきましょう。

 

アニメ制作現場は、他の業種と比べて、コンピュータやネットワークの使い方が1歩も2歩も進んでいる‥‥と言われるくらいでちょうど良いと思っています。

 

 


クロス引き・スーパー

‥‥というのも、今や昔の常識、消えた常識ですネ。

 

現在はコンピュータでのソフトウェアによるコンポジットなので、クロス引きも、タップの干渉も全くノープレブレム。何のことやらさっぱりわからない人もいると思います。

 

でも、もし大判の作画用紙があるなら、数枚用意して、80度、90度、100度、180度とそれぞれ重ね合わせて同時にスライドしてみれば、「タップをどう固定してスライドすれば良いか」わからなくなるでしょう。物理的に現物をスライドさせると、どのような制限が発生するか、紙でシミュレーションすればわかりますよネ。

 

ですから、コンピュータでコンポジットするようになって、何が一番自由になったかというと、異なるスライド方向の混在、そしてタップ位置の制限からの解放でした。

 

しかも、Bセルだけ「TU」=拡大することまで可能になって、「オプチカルに頼らずに済むなんて、なんて凄い」と当時思ったものです。

 

カメラワークの自由度が格段に増したのは、1990年代後半のコンピュータによる彩色とコンポジットの「隠れた大革命」でした。

 

コンポジットの機能でいえば、フレーム内にタップがあろうが、全く問題ありません。現在制作中の4KHDRの作品では、タップのために余白を設けるとそれだけで結構なピクセル数を消費することもあり、また、タップがなくても十分に位置を合わせることが可能なので、タップ自体を廃止しました。それでも全然問題は生じません。‥‥まあ、タップは紙作業との互換性が主たる目的ですから、ペーパレスの現場にはもはやタップがなくても運用可能だ‥‥ということを現在証明し続けて制作しております。

 

 

ちなみに、フィルム時代の昔から、宇宙空間のシーンで、静止画の宇宙船やロボットをTUなりTBして前後移動しているようにみせかける技術があります。

 

これは「スーパー」という撮影技術によるもので、まず1回目に宇宙の背景だけを撮影して、2回目にメカのセルにカメラワークをつけて撮影して実現していました。今でいうと、セルを「スクリーン合成モード」にしたような内容です。

 

1.jpg

 

2.jpg

*雑な絵でスマンす。前回、前々回に引き続き、これもiPad miniです。

 

 

しかし、よ〜く見ると、セルの部分だけ星が描いていないのに気づくことでしょう。加えて、何か、メカがかすかに白く浮いて見えることもあります。

 

これには明確な理由があります。背景に星がまんべんなく描いてあると、スーパー撮影した時にメカの中に星が透けて見えてしまうからです。また、黒で塗られた背景部分も、実際は少し明るい黒なので、メカの暗部が影響を受けて明るくなってしまうのです。

 

3.jpg

 

4.jpg

*スーパー(スクリーン合成モード)だからさ‥‥仕方ないよネ。

*この例は、星の透けだけで、「黒浮き」は再現していません。

 

 

なので、現場の人間が見ると、映像作品中で、星が描いてない部分を見るとすぐに「この部分に宇宙船が近づいてくる」と察知するわけです。

 

‥‥なんだか、壊れる建物だけがセル描きで「壊れる部分が、壊れる前からモロバレする」のと、ちょっと似ていますネ。

 

あたかも、「たまたま、その部分には星が少ないんだよ〜ん」というていで、難局を乗り切っていたのですネ。昔の人々は、ホントにバイタリティがありますよネ。

 

今みたいに、「なんでできないんだ! デジタルなんだろ?!」みたいなコドモみたいなダダをこねるのではなく、「できないのなら、こうしよう」とリソースが乏しいがゆえのアイデアをどんどん生み出していった先人には尊敬と畏敬の念が絶えません。

 

 

 

コンピュータソフトウェアによるコンポジットが導入されて、実は地味に、カメラワークの大革命が起きていたことを、今やもう、語る人は少ないでしょう。‥‥なので、不肖私が、ここに書いておきます。

 

ちなみに、拡大縮小に関しては「デジタルTU(TB)」「D.T.U(D.T.B)」なんて用語をひねり出したのに、「デジタルスライド」「デジタル引き」とは言わなんだネ。

 

クロス引き制限の解消は、アニメ映像表現の大きな転機だったのに。

 

 

 

クロス引きの大きな制限、個別の拡大縮小はさらに大きな制限、セルの透明度が100%でないばかりにセル重ねで色は変化し、セル影も「ニュートン」も出て‥‥と、今では発生するはずもない数々の制限の中、先人たちは名作と呼ばれる数々のアニメを作ってきたのですよネ。

 

凄い。

 

考えてみれば、私も、そうした先人たちの仕事に直接的にも間接的にも感銘を受けて、今の仕事を選んだのです。

 

先人に学ぶべきは、習慣や作法ではなく、数々の技法と表現を開拓した「折れない、強いココロ」です。

 

一方で、お金や労働の問題は、ほとんど改善されぬまま、今まで来ました。思うに、作業習慣がお金の習慣まで引きずり続けているのでしょう。

 

4KHDRの映像データをネットワークで配信して視聴する時代に、昔の16ミリや35ミリフィルム時代アニメ制作の猿真似をしても滑稽です。

 

先人の習慣を学ぶと、変なことになります。

 

学ぶべきは、先人の開拓精神であり、一方で、変えていくべきは習慣〜お金や労働の問題ですネ。

 

 


規則の順番

ファイル名なりレイヤー名なりレイヤー構造なり、制作現場で整然と運用するためには、何らかの規定が必要です。皆が皆、めいめいに自由な独自規則で作業したら、あらゆる面で弊害が発生します。作業現場の歴史は、作業規則の確立と崩壊の歴史‥‥とも言えそうです。

 

なので、ある程度経験を積んだ人々は、「作業を開始する前に規則を決めるぞ」と意気込みます。作業経験ゆえの、当然の流れでしょう。

 

しかし一方で、新しいタイプのワークフローや作業規則の計画を思い描いて実施する時、最初のひと筆から迷いなく清書状態で描き始められるものではありません。絵と同様に、運用計画図にも必ず、下絵やスケッチ、下書きが必要です。

 

ある程度の経験‥‥ではなく、何度も新しい取り組みを経験して成功も失敗も経た人間なら、「規則を決める順番」のバッファをあらかじめ用意しておくものです。

 

規則を決めるにも順番というか手順のループがあります。

 

Observe

Orient

Decide

Act

 

新しいワークフローや技術を実施する際は、上記のループ〜OODA(ウーダ)ループで、「初めてのことばかりで予測が難しく、どこに飛んでいくかわからない」物事をしっかり捕捉することが求められます。既存の現場でPDCAを回すのとは、異なります。

 

技術的にも運用的にも新しいことばかりのプロジェクトでは、過去の経験と知識は充分活きますが、過去の決め型や定番は通用しないことが多いです。戦闘機パイロットが、今までの敵機とは一味も二味も違う新型戦闘機と遭遇するようなもので、OODAの2度目のループの「Observe」は貴重な「次の手がかり」となります。

 

今までこれでうまくいってたんだから‥‥なんて、OODAループには通用しません。どんどん頭を切り替えて、有効な手を繰り出していきます。

 

ですので、最初から大軍団で、例えば4KHDRなどは制作不可能です。今までの「軍隊」のドクトリンと装備では対応できないことも多く、色々と難しい局面に立たされるからです。‥‥だから、今でもアニメ業界の多くの現場は4KHDRなどの新しい映像制作にはに手を出せないままですし、いまだに「デジタル作画」すら取り扱いに難儀していますよね。

 

1発でうまくいく、新たな規則などありません。新しい物事が試行錯誤の連続なら、新しい規則も試行錯誤の繰り返しです。

 

観察し、仮説を立て、暫定判断し、実行、その結果を、観察し、新たな仮説を立て、‥‥の繰り返しを行いながら、徐々に「使える規則」へと育てていくわけです。

 

 

 

下書きなしで描けるのは、以前描いた絵だからです。特徴も勝手も分かっていれば、下書きなしで描けることも多いでしょうが、一度も描いたことがないものを下書きやスケッチなしで描き始めて満足のいく仕上がりにするのは、実質無理です。

 

なので、新しい技術やプロジェクトを、いきなり大きなハコからスタートするのは、まあ、無謀ですよネ。戦い方を解っていない素人的な発想です。

 

新しい規則は、二転三転しますが、それは無計画だからとは言い切れず、むしろ新しい規則を決める時にはいくつも「読みきれない要素」が含まれていると認識しましょう。そうした「フワフワした状態」であることを、ヘッドメンバーはいつも実感し、OODAループにて改良を積み重ねることに力を注げば良いのです。

 

はっきり正直に言えば、「読みきれない要素」が多く、「フワフワした状態」は、不安が多いです。ゆえに、その不安から逃れようと、「昔取った杵柄」を持ち出したくなります。しかしそれはあまり良い結果を招きません。昔取った杵柄が、テクノロジーを過去へと引き戻す「本末転倒」を呼び寄せやすいからです。

 

経験のある年長者なら、昔の杵柄で威勢を張るのではなく、経験の多さをもって動じない恰幅の広さを示すべきでしょう。

 

「新しい未知の物事でトラブル? であるなら、これこれこういう風に事態の解決を実践しよう」とパニックにならない重心の低さを活かしてこそ、「年の功」ですよネ。

 

 

 



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