意識作り

システムや機材の運用の話題を書くと、ある人にとっては、そのやり方はダメ、このやり方もダメ、アレもダメ、コレもダメ、ダメダメダメ‥‥と、ダメ尽くしで辟易することもありましょう。当人のおかれた環境によって、ダメだしされているようにも、答え合わせしているようにも、肯定されているようにも、いかようにも感じることでしょう。

 

私もその昔、アニメーター100%の生活だった頃に、コンピュータを用いた映像制作に飛び込んで、自分の意識が如何に「紙と鉛筆」止まりであったか‥‥を思い知らされました。「その考え方のままではダメだ」と。

 

アニメーターとしての仕事だけが自分の全てだった頃は、あまり問題にならなかったことが、コンピュータを用いた映像技術の当事者になって、知識不足と経験不足、そして何よりも「映像の最終形態」に対する意識不足を痛感したのです。

 

デジタルデータの様々な基礎知識、ビットマップ画像の特性、ラスター画像、RGBやYUVや色深度、インターレースとプログレッシブ、走査線、フレームとフィールド、ビットとバイト、バイナリデータの成り立ち、プログラミング、ネットワーク、サーバとクライアント、ディレクトリサービス、etc、etc‥‥‥‥‥。私が1996年から2003年の8年間に覚えた事柄は、自分自身でも信じられないほど多岐に渡りましたが、それはすなわち「それを覚えないと仕事にならなかった」からです。まあ、要するに「必死」だったわけですが、その「必死」を支えたのは、「これから自分の未来は、これで切り拓く」というのっぴきならない事情があり、若さゆえの頑張りも可能だった‥‥ということです。

 

これは何も、「知識自慢」「スペック馬鹿」になるのが目標ではないのです。

 

知識やスペックは、実用してこそ威力を発揮します。

 

デジタル映像技術の広範な知識を有していないと、例えば映像の中の細かいニュアンスを表現する際に、「知識不足が立ちはだかって、何をどうしたら良いか、お手上げになってしまう」からです。‥‥そんなの、悔しいじゃないですか。

 

全ては、自分たちの思い描く映像を具現化するために必要だからこそ、‥‥です。

 

 

高い機材を買えばソレで十分‥‥というわけではないです。

 

知識さえあれば、安い機材だけでもOK‥‥というわけでもないです。

 

 

廉価な機材と高価な機材を適材適所に配置し、各セクションの各チーフは映像技術の基礎知識を有した上で専門分野に特化し、しかるべき運用技術で映像制作を進める。

 

まあ、それが今は理想であることは承知の上ですが、やがて実現すべき命題でもあります。

 

 

現在の制作現場では、紙と鉛筆は現役です。

 

一方で、フィルム撮影台は消滅しました。

 

紙と鉛筆が今後消え去るかは、正直、自分には予測できませんが、商用の映像作品の現状を鑑みれば、全て「デジタル」に染まりきった現実があります。

 

アニメーション制作の全てのスタッフにとって、最終形態の完成映像は「デジタルデータによる映像」です。

 

であるなら、「デジタル」を見ないふりして誤魔化し続けるより、「デジタル」を理解して活用して味方につけたほうが、よほど、自分の思い描いた結果物を獲得できるでしょう。

 

それは日々の映像のイメージ作りにおいても、機材の選定についても、品質チェックの場面においても。

 

 

 

で、こういうことを書くと、「コンピュータの知識を網羅すれば、映像作品が作れるんだ」と逆の勘違いをしそうにもなります。

 

あるいは、例えばアニメーター出身者は、「アニメーターの経験と知識は、ごく限定的なエリアでしかなかった」と、自己嫌悪に陥ることすらあるかも知れません。

 

アニメ制作者の最終目的は、アニメ映像作品を完成させることです。

 

コンピュータの知識だけで映像作品は完成しません。一方で、アニメーターや演出などの専門知識と経験は決して無駄にはなりません。

 

コンピュータの知識を豊富に有する人は、さらに映像の知識、絵画の知識を取り込めば良いですし、絵や動きの知識を豊富に有する人は、デジタル映像技術の知識でさらに武装すれば良いのです。

 

我々はアニメーション映像を作っている‥‥と思えば、自ずと指針が浮かび上がりましょう。

 

 

 


20年前と今と

20年前、1990年代後半の話ですが、映像チェック(通称「ラッシュチェック」)の際に「色が違う」「エッジ感が違う」「ルックが違う」みたいなトラブルが蔓延したことがありました。

 

「何を信用したら良いか判らない」

 

‥‥ということでした。

 

でも、それは20年前にコンピュータを導入した頃の騒動で、その時点から5〜6年(2003年頃)で収束をみた事であり、2018年現在にまだそうした事でトラブる現場が存在するとすれば、ぶっちゃけ「20年、対応が遅れている」と言わざる得ません。

 

アニメ業界では、そうした「地域格差」が往々にして存在し、その格差を解消しようとしても、「人の問題」と「機材の問題」、すなわち「金の問題」が立ちはだかり、問題解決が困難なことが多いです。

 

人の問題とは、まずスタッフそれぞれの「知識向上のための学習」です。これには相応に金がかかります。

 

人におけるさらなる問題は、「システムスタッフ」を常設するコストの問題です。これは永続的に人件費を要します。どんなに高価な機材を買っても、その機材が正常に機能するように、システム管理&メンテナンスのスタッフが不可欠です。

 

そして、機材。

 

テレビだけで映像をチェックしている事例はそれなりに聞こえてきますが、テレビはチェック基準にはなりません。テレビでみるのは、「ご家庭のテレビだと、どんなふうになっちゃうのか」を「みせしめ」的に見る用途であって、民生テレビは決して「マスモニ」にはなり得ません。どんな高いテレビでも…です。ましてや、20万程度の大画面テレビなど、プロのチェック用途に耐え得るはずもないです。

 

しかし、そうした曖昧で打算的なチェック環境で映像を見ながら、「ここはおかしい」「ここをもっと」みたいにチェックを繰り返しても、何とも残念な結果=「基準を満たさない環境で、基準を得ようとする」行為に終始します。

 

できれば200〜300万円、どんなに安くても60万円前後の「マスモニ」性能のモニタを常設し、テレビ作品の場合は民生テレビにも同時に出力する環境が求められます。そして、先述の通り、その60〜300万円のモニタを日常的にメンテできる優れたスタッフは必須です。高価な色彩計も必要でしょうし、色校正の技量も必要です。

*60万円前後のモニタは、あくまで基本性能の高いモニタであって、それを「マスモニ」として代用する‥‥という運用意識です。

 

ここをすご〜〜〜く甘く見ている会社はそれなりに(結構?)多く、これが映像制作会社のチェックルームか?‥‥と思うような設備の会社は、今でもそれなり多いと思われます。

 

しかし、その信頼できないチェック環境で、一生懸命、各セクションのチーフや作品の監督は、細部までこだわってチェックしようとします。

 

愚の骨頂としか言いようがありませんが、私も20年前にぶつかった問題ですので、「誰もが一度は通る道」なのかも知れませんネ。

 

 

 

日々繰り返される、チェックルームでの言葉の応酬。

 

その言葉の根底に、必要十分な映像技術の基礎知識はあるでしょうか。

 

また、正常なチェックを支えるための基準を、チェックルームの機材は提供してくれているでしょうか。

 

 

チェックに必要な基準や基礎を持ち得ないのなら、チェックの際に発せられる言葉は、単なる「曖昧な印象」「その場の雰囲気」「感情」「錯覚」「うろ覚え」に絶えず翻弄された「信頼できない言葉」です。

 

信頼できない言葉を、責任者たちが感情のままに吐き続けて、果たして、現場の正常な運用は可能?

 

不可能です。

 

信頼できるチェックは、信頼できるチェック環境でこそ可能。

 

私らが20年前にブチあたり、数年間の試行錯誤の末に体得したのは、まさに「チェックするには、チェックするに相応の機材と人が必要」ということ‥‥なのです。

 

 

 

追記:

もしアニメ制作会社で4K制作をおこなうようになると、チェックルームにはBVM-X300とかプロミネンスとかを入れるようになるんだろうか。チェック環境はまさに「映像制作の最後の砦」「虎の子機材」ですネ。

 

 


作画、ケーブルまみれ

その昔、iMacが初めて市場に姿を表した時、SCSIやシリアルやADBなど、様々な接続インターフェイスを廃止し、USB1つに絞ったのはパソコンユーザの間で大きな話題となりました。ディスク装置は読み込みオンリーのCDドライブで、データを外部に出力するためのフロッピードライブすら廃止し、「データなんかネットワーク経由でやりゃあいいじゃん」的なスタンスも併せて話題になりました。

 

 

その当時、ケーブルまみれになっていた過去のMacやPCを嘲笑うかのようなiMacのスタイルは、賛否両論を呼んだものですが、2018年の今となってみれば、ケーブルに限らず様々な要素が時代を先取りしていたことが判ります。

 

しかし。

 

コンピュータをケーブルから解放する‥‥というのは、未だ、道半ば。

 

たしかに過去に比べれば、接続形態はシンプルになってはいます。電源供給とデータ送受を併せ持つLightningケーブルやMicro/MiniUSBは電源ケーブルを排除しましたし、多くのガジェットが今ではWiFiやBluetooth経由でネットワークに接続します。

 

ただし、やっぱり、機材につき1本でもケーブル接続が必要となれば、機材の数が増えればこのありさま。

 

 

 

私の作画机のサイド部分です。USBの給電口を数えてみると、22個。

 

最近増設した8個口のUSB充電器のおかげで、他の充電器からケーブルを分散できましたが、以前はどの充電口にも目一杯接続されていました。

 

なりゆき増設なので、どんどんケーブルが絡まっていますが、春になったらどこかで整理しようと思ってます。8個口充電器のせっかくの給電表示も、こんな置き方では見えにくいですしネ。

 

*最近、USB給電口のアンペア数を表示する充電器が増えてますネ。「どのくらい腹が減ってるか」がわかるんで、結構便利です。

 

 

机の上は、それなりにスッキリしているんですが、2枚のiPad Proを交換するたびにケーブルが交錯するので、何か「絡まるのを防止する良い方法」がないか思案中です。

 

どんなに細くてしなやかなケーブルでも、やっぱり十数本あれば雑然としがちです。

 

でもまあ、以前のDVIケーブルとか電源ケーブルに比べれば、贅沢な悩み。Wacomの昔の液タブはそりゃあもう、ぶっといケーブルが2本+USBケーブルで、設置に自由度なんて望めなかったですもんネ。

 

LightningケーブルやMini USBの取り回しは格段に軽快なので、「作画机のケーブル整理術」を模索する日々です。

 

 

 


内製化の道

業界の状況を見聞きし、コンピュータを導入しても一向に効率化へと向かわない実情を鑑みるに、旧来のアニメ業界の「アウトソーシング」〜外注による作業運用スタイルを保持したままで新たな技術ムーブメントを実現するのは、やはり現実的には不可能だと思う今日この頃です。

 

何よりも、機材のスペックが統一できないので、会社間・作業グループ間で大きな処理能力の差異が生じます。実際、業界の状況って、「下合わせ」ですよネ。CS6問題に代表されるように、一番古い機材を使っているところに合わせる事例をいくつも見てきました。

 

冷静に考えりゃ、会社間・作業グループ間・フリーランス作業者間で機材統一なんてできるはずないじゃん。‥‥ちょっと考えれば、お金周りだけですぐにわかりますよネ。もし仮に、苦労の果てに機材統一が果たせたとして、その内容は現在時刻の世界規模の技術進化とあまりにもズレたガラパゴス状態に陥っているでしょう。

 

 

かと言って、ソフトウェアのバージョンやプラットフォーム(OS)に左右されない、汎用的な路線を見据えた、標準化・規格化を策定する動きは、全く見えてきません。

 

むしろ、「コンピュータを使い始めた初心者が陥る」状況、すなわち、「OSは何々で、ソフトウェアは何々で、バージョンは何々で、どのプラグインをインストールして、みんなで統一しよう」みたいな、およそワークフローにおけるデータやり取りの平坦化や汎用性など考えもしない素人みたいな行動に走ったりします。

 

しかも、扱うファイルはソフトウェア独自のファイルで、汎用性など全く頭になく、その独自ファイルを開いて見れば、あまりにもフリーダム過ぎるレイヤー構成やレイヤー名だったりと、「コンピュータを使い始めた初心の頃って、こうなりがち‥‥だよね」路線をまっしぐらです。

 

 

 

そうした中、ある程度の現場経験をもつ方々は、「現場のやりとりにおける、何らかの標準化」を構想し、中には実践してみた人もいるでしょう。

 

しかし、その取り組みは、セクション間、制作グループ間、会社間、そしてフリーランス作業者間の、何重もの「乗り越え難い壁」に直面します。

 

標準化の取り組みを会社の外部へと「拡張して跨る」際に、「標準化のコストは誰がもつ?」という、いつもの通りの、お金の問題で頓挫します。

 

少なくとも日本のアニメ業界の場合、皆がお金を出し合って、何かしらの標準化の形態を確立しよう‥‥というのは、現実的に無理だと思います。それが可能だったら、今までの数十年で一度くらいは実現できているはずです。現状打開に向けて戦った人は何人もいるのでしょうが、実現できずに敗れ去ったのです。しかも、「身内」に撃たれて‥‥です。

 

 

 

思うに、日本の「なんとない標準化」の「浸透スタイル」は、「成功例を模倣する」方法でしか、ありえないのでしょう。

 

その「成功例」は、単一の制作グループの内製化によって実現し、その内製化を他所が模倣することで、いつしか「結果、標準化」が形成される‥‥といった具合です。

 

しかし、まて。

 

‥‥それによって、いつまでも標準化の内容を明示した「標準規格仕様」は存在せず、やがては「安売り合戦」たる「レッドオーシャン」まっしぐらの道が待っています。

 

そうです。今までのアニメ業界が歩んだ「しゅらのみち」です。

 

ノー・モア・ティアーズ

 

同じ苦しみと悲しみと怒りと絶望を、判ってて繰り返すのは「大馬鹿」です。

 

野放図な共有路線や模倣路線が、どのような結果に至ったのか、私もあなたも、老若男女皆で、誤魔化さずに、過去を振り返るべきです。

 

 

 

内製化は、未来の新技術台頭のためには必須です。

 

一方、旧来のアニメ制作技術やシステムは、業界の共有スタイルで成り立っています。

 

 

アメリカの孤立主義の顛末は、「内製化の孤立主義の行き先」を暗示しているように思えます。

 

鉄のカーテンは、いつどこから綻びが始まったのでしょうか。

 

野放図ではない、情報管理を徹底した共有路線とは、いかなるものでしょうか。

 

自由競争の果てにあるものは、結局、何なのでしょうか。

 

内製化も、共有路線も、どちらにしても、難しい道であることは変わらないでしょう。

 

 

さて、どのようにこれから先の「未来の新しい道」を切り開くか。

 

内製化で技術体系を築き上げる当人らの意識が、何よりも重要な起点となるでしょう。

 

 

 


レイヤー分け過ぎ問題

私がレイヤー数999の話題に反応したのは、考えてみると、最近の「レイヤー分け過ぎ」問題に困っているから‥‥だと思います。

 

コンポジットなんかやってるとさ‥‥、前の工程の都合による「レイヤー数」が積算されて、ものすごいレイヤー数になってるファイルを受け取ることがあります。

 

いいよ。そんなに分けなくても。

 

整理してください。

 

自分の作業内でレイヤーを分けるのは全然構わないけど、次の工程に渡すときは、ちゃんとレイヤーを必要最小限に整理して出力してほしいです。必要最大限ではなく、必要最小限で。

 

昔は常識だったんだけどなあ‥‥。マシンやソフトの性能が上がって、箍が外れちゃったんだよね。

 

 

 

なんかね‥‥過剰なんですよ。

 

ワークフロー全体の意識で言えば、各工程ごとに演出さんや監督さんやセクションチーフが立ち会ってジャッジを下したのち、次の工程に進むわけじゃん。‥‥その時点で、各工程ごとにレイヤーはできるだけシンプルにまとめてください。

 

‥‥じゃないと、最終工程なんてものすごく膨れ上がって、「レイヤー階層掘り」と「前工程作業者の思考解読」からまず始めないと、作業に取りかかれないのです。

 

レイヤーの分け過ぎは、後段の作業者、特に最終工程に位置するコンポジターにとって、すごい負担になってます。ファイルを開くのもウンザリします。

 

 

 

ソフト上でそれが可能だからって、ワークフローが可能とは限るまい?

 

学生の自主制作じゃないんだからさ。プロ現場のワークフロー全体の負担軽減、荷重抑制を考えましょうヨ。

 

 

 

 

 


限界慣れ

セルシスのClipStudioのレイヤー数上限が999というのは、開発者が「とりあえず、それで大丈夫」と判断したからだとは思います。その数字「999」は、おそらく「さじ加減」のような気配を数字そのものから感じます。

 

ちなみに、私が原画作業で使っているProcreateは、A4用紙の200dpi(=ほぼ2.5K)ですと、128レイヤーが上限です。

 

で、その128レイヤー数で原画作業で困ったことはありません。いざとなれば、ファイルを分けちゃうしネ。

 

8K寸法で原画を描いた時には、Procreateはまさかの30レイヤー上限で驚きましたが、それでもちゃんと作業はフィニッシュしました。Procreateのファイルを3つに分けてPhotoshopに読み込んで合体させたのちに、仕上げさんに回しました。

*ちなみに、そのカットは新技術ベースで、階調トレスゆえに私が清書までおこないました。色彩設計さんがペイント作業も全て兼任してくれましたが、臨機応変の対応能力には度々頭が下がりました。やはり内製化は未来の指針ですネ。作業面でもお金の面でも。

 

私は、もう20年以上前からコンピュータでアニメ制作をおこなっているので、「コンピュータの能力は無限ではない」という意識が、体の底に染み付いています。ゆえに、コンピュータや主力ソフトが悲鳴を上げれば、とっとと方針を切り替える習慣がついています。

 

ここ10年くらいで「デジタル」でアニメの作業に従事した人は、その辺の「箍(たが)」が緩いのかも知れません。

 

 

ちなみに、2000年代の昔に使っていたアニメーション圧縮のロスレスQTファイルには画素数上限があって、1670万画素(2の24乗)を越えると正常に動作しなくなります。中間素材を作ってて困った記憶がありますが、そういう時も「はい、限界到達」と、すぐにQTでの出力をあきらめTIFFやPSDの連番に切り替えました。

*1670万の平方根は4100くらい、つまり4100x4100のキャンバスサイズで、ロスレス圧縮QTは限界だったのです。今となってはあきらかに限界が低いですが、D1程度の映像制作でしたので、あまり表沙汰にはなりませんでした。

 

アニメーション圧縮は8bitなので、トーンジャンプも発生しやすい弱点がありましたしネ。しかし、その8bit出力の制限のおかげで、基本的な「トーンジャンプ対策」のノウハウを獲得できました。

 

AfterEffectsにも2000年初期の頃まで、結構低めな画素数の制限がありましたが、あの手この手で切り抜けました。最近まで99fpsまでしか対応していませんでしたしネ。

 

その後、QTには様々なコーデックが出現し、各色8bitは10〜12bitとなり1670万画素の制限もなくなり、AfterEffectsの画素数も格段に増えましたし120fps(999fpsが上限。‥‥また999の数字を見た)にも対応しています。

 

なので、メーカーに要望を出すのは必要なアクションですが、一方で、自分らの制作手法を柔軟に切り替えるフットワークも大切です。

 

一度決めたワークフローや作業スタイルを、頑なに守り続けるだけが能じゃないです。コンピュータを使う時はむしろ、臨機応変に自らアクションして限界を乗り越えることが求められます。

 

 

思うに、この10年のアニメ業界の歴史は、マシンの性能がアニメ制作のスペックを上回っていた「マシン環境的には楽な10年」だったでしょう。その反映として、作業の内容は「マシン性能の高さに箍が外れた」意識が定着し、どんどん過酷で劣化してきた10年でもありました。

 

でも、未来は大きく異なると思います。

 

いまでも1.5Kで作業している会社は多いでしょうが、いつまでもそんな低解像度で作業し続けられると思ったら大間違い。

 

今、16mmフィルム時代のアニメの解像感が粗雑に見えるのと同じように、2020年代後半〜2030年代は1.5Kレタスのアニメは線質と撮処理があいまって粗雑に見えることでしょう。

 

どんなに絵の細かいキャラデザインのキャラを必死に描いて動かしても、どんなに塗り分けの多いキャラを必死に塗っても、どんなに貼り込みの多いキャラを撮影処理で頑張っても、解像度の低さはやがて時代遅れそのものになります。

 

日頃から4K60pの映像を見ている私らからすれば、1.5Kのレタス線の深夜アニメのクオリティ(おそらく、かなり動仕の状況がマズい)は、線画がぶっとくて粗雑感が克明に表面に表れていて、「このクオリティでは未来を乗り切れられない」と思うばかりです。

 

新しい映像技術の時代感覚なんて、ちょっとアンテナを張ってれば、わかることです。手持ちのiPhone8やXを持って、都心の情景や野山の風景を4K60p動画撮影してテレビやモニタに映せば、未来のクオリティの片鱗が簡単に判ろうというものです。

 

残念な話‥‥ですが、アニメ業界は4K時代の到来をできるだけ見えないように感じないようにしている暗黙の意思をひしひしと感じます。

 

 

 

世界規模の映像技術は確実に進歩し続け、アニメーション制作事情も無縁ではいられません。

 

やがて、今よりも高品質な結果物をアニメ制作現場が求められるようになった時、今までのマシンやソフトは確実に限界間近になります。

 

その時に、「このソフト使えねー」ばかりを連呼しお手上げになる「使えない自分」になるのか。

 

限界をわきまえ、限界の中で工夫して新しい表現や技術を具現化できる「使える自分」になるのか。

 

 

直近の10年はマシン的には快適で、マシンそのものに限界などあまり感じて来なかった2D手描きアニメの現場だったかも知れませんが、クリスタの999レイヤーはちょうどいい「限界慣れ」する機会だと思いますけどネ。

 

1670万レイヤー、10億レイヤー、687億レイヤーが上限です‥‥とかメーカーが対応するのを待つのではなく‥‥ネ。

 

目の前に立ちふさがる限界を、様々な戦術上の工夫で突破した経験は、新たな技術ムーブメント遭遇の際にも決して無駄になることはなく、むしろ強い自信となって自分を支えるのです。

 

 

 


本当に?

「デジタル作画」と言えば、ほぼ1年前に、にわかには信じ難いことを聞いたことがあります。「簡単なマスクなどの塗り作業はデジタル作画スタッフがやって、手がかかるキャラなどの塗りは彩色スタッフに任す」というようなことを‥‥。

 

それってさ、外道じゃん。下衆の所業じゃん。

 

1色のマスクの塗りは、手数が少なく、作業時間も短く、稼げる作業です。私も自主開発において、塗りもおこなうので、解ります。

 

「デジタル作画で塗りも作業する」‥‥とは聞いたことがありますが、簡単に稼げるペイント作業部分だけ「デジタル作画」が分捕って、残りのキツいペイント作業を後段の仕上げさんに押し付ける‥‥って、誰が聞いても異常過ぎて、本当にそんなことをする人間がいるのか、信じられません。事実だったら悪質過ぎるもんネ。

 

ただ、事の詳細は聞いてません。知り合いの彩色スタッフさんが嘆いてたのを聞いて唖然としただけで、調査はしていません。呑みの席で聞いた話を、別の会社で門外漢の私が調査するのも変な話ですしネ。

 

今でも、この話は信じられない気持ちです。だって、その悪質な作業行為をやらかした本人だけでなく、それを通した制作進行、それを受け入れた仕上げスタッフもいるわけで、どこかで「待った!」がかかると「普通は思い」ますもん。

 

 

この話には、いくつか注意すべき点があって‥‥

 

  • 1回だけのことなのか、常習なのか
  • 個人レベルの話なのか、組織ぐるみの話なのか

 

‥‥によって、その「悪質度」が変わってきます。

 

もし、ルーキーの動画マンが、どうにも煮詰まってしまって、1回だけやらかした‥‥というのなら、そこは情状酌量の余地はあるでしょう。経験の浅い若い人が、プロの仕事のプレッシャーに押しつぶされそうになって、しかもスケジュールも極小だったりすれば、パニックになることもありましょう。人間、誰しも、生涯に何度かはどうにもならない時ってあるものです。

 

まあ、誰かがその尻拭いをするのでしょうが、恩は恩で返せば良いのです。失敗をした人がそのトラウマゆえに、後になって、強い責任感をもって現場を切り盛りすることだって‥‥あるでしょうよ。往々にしてね。

 

ただ、そうではなく、「常習で組織ぐるみ」だとすると、かなり悪質極まりない‥‥です。

 

私はそんなことではないだろう‥‥と願うばかりですが、もし「常習で組織ぐるみ」で「楽な塗りだけデジタル作画で担当」なんていう行為が日常的に行われているのなら、もはや「デジタル作画は終わった」と言うべきでしょう。

 

ちゃんと作業しているグループの方が多い‥‥と思いますが、一方で、そうした愚劣なグループが存在するとしたら、もう「終わりの始まり」としか言いようがありません。

 

 

真相はどうなんですかね。現状はどうなんですかね。

 

個人の失敗談が、尾ひれはひれで大きな話になっただけ‥‥であることを願います。決して、常習で組織ぐるみでないことを祈って。

 

 

 

 


ショボくて、目覚める

ClipStudioでレイヤー数が999が上限ゆえに、作業ができなくなって困る‥‥というのをセルシスのWebの要望・不具合掲示板で見かけて、色々悩ましいもんだな‥‥と思いました。

 

でもさ‥‥素朴な疑問なんですけど、999レイヤーを超過する原画や動画の描き方・フロー・メソッドって、そもそも制作費やギャラの採算にあっているんですかね?

 

単に作業者いち個人が、何でもかんでもレイヤー分けしたくて、むやみにレイヤー数が増えてるのなら改善の余地もありましょう。しかし、制作技術やフロー自体が容易に999レイヤー以上を求めるのなら、それはレイヤー管理の手間的にもマシン環境的にも、そしてその作業コスト的にも、大問題ではないですかネ。

 

古今東西、制作費やギャラもわきまえず、テレビシリーズ程度の作業単価でどんどん作業を重くするような人々が、アニメ業界をここまで劣化させた大要因でもあります。私が経験してきたスンゴい内容の大変なカットは、相応に凄いお金を1カットに費やして作ってましたよ。

 

 

加えて、根本的な問題は金だけでなく、「紙時代の作業を再現する」ことの限界を暗示しています。

 

その昔、1カットの原画と動画合わせて1千枚前後、透明の衣装ケース(「おかもち」と呼ばれる)で持ち運んだようなカットがありました。まあ、劇場作品ゆえの語り草のカットですが、そんな1カットが出現した時に、ClipStudioは何レイヤー必要なんでしょうかね。

 

ペンタブによる「原画・動画」作業に移行しても、紙時代と完璧な互換性を得ることは難しく、決して同じことはできないんじゃないでしょうか。

 

紙時代の作業スタイルを「デジタル」へ移植しようとするプロジェクトそのものに難あり‥‥なんじゃないの?

 

 

さらには、未来の行き先も深刻です。

 

999レイヤーで限界だ‥‥って言ってるのって、2K24pでしかも2コマ3コマ打ちの「エコノミー」な作業形式で既に‥‥ですよネ。未来にどんどん家庭レベルの映像フォーマットが高品質化した時に、果たして、旧来の作業スタイルを踏襲するだけの思考で、2020、2030、2040年代の新時代に合わせたアニメーション制作なんて可能なの? どう考えても、無理だよね。今でも精一杯なんだからさ。

 

 

「今までの自分たちの作り方」を根本的に見直すことも必要でしょう。

 

 

限界はあってあたりまえだもん。1996〜2000年くらいの時期って、それはもう、コンピュータのスペックは何もかもショボかったよぉ。2000年のBlood劇場版の時って、劇場アニメなのにムービーチェックはD1サイズで絵のクオリティはドットバイドットの静止画でチェック、サーバは500GB(!!!現在はハンディHDDでさえ1TB)でしたよ。

 

それでも、大枚を叩いた設備だったのです。‥‥時代の限界、、、スね。

 

でも、それだからこそ、良かったのです。限界を乗り越える習慣ができて、強くなれた!‥‥と実感します。

 

 

このあたりは声を大にして言いますが、

 

ショボくて限界が立ちはだかるからこそ、新しい発想や技術が生まれる

 

‥‥のです。

 

現場がしょぼいがゆえに、目覚める能力もあるのです。

 

使いやすくて極楽極楽‥‥なんて環境では、決して新しいものは生まれず、旧来の何かにどんどん「トッピング」を盛るだけに終始します。

 

危機感があるからこそ、備えるし工夫するし開発もする‥‥のです。

 

危機感がなければ、グダグダのベロベロのユルユルに意識は野放図に緩むだけです。今のままで何がだめなの?‥‥てね。

 

 

 

999レイヤーあっても限界だ‥‥なんて話を聞くと、もはや、作画に対する基本的な概念の転換期だと感じずにはいられません。

 

旧来の「作画の基本方式」自体が時代に合わなくなってると感じます。

 

 

 

限界にブチあたったことで得られる、新しい「気づき」の機会を、作業集団がどのように扱うか‥‥で、未来の運命も分かれましょう。

 

もし、作業集団のリーダーやチーフが、その「気づき」を頑なに拒もうとするのなら、作業集団の未来はどうなるのか、考えてみることです。

 

技術集団の未来を、その集団に属する人間が、年の若さに関係なく、しかと見極める必要があります。

 

一生の中で一番才能が伸ばせる20〜30代の時期を、どんな人と集団と一緒に過ごすか‥‥は、極めて重要な自分自身の問題です。

 

 

 

 


道具の誉れ

残念ながら‥‥と申しましょうか、どんなに愛着をもってコンピュータ機材を扱おうと、1990年代からずっと使い続けている機材は皆無です。ケーブルすら全てリプレース‥‥です。

 

コンピュータ機材は、リプレース・入れ替えが宿命。

 

コンピュータ本体はダメ、モニターもダメ、ケーブル=モニタケーブル(私はD-sub15pinはもう使っておりません)、USB(1.1ね)、LAN(10baseとか)、ADBやシリアル、SCSIやIDE全部ダメ、マウスもダメ、キーボードもダメ。

 

あきれるくらい、全部ダメ、全部入れ替えです。

 

音声ケーブルだけは生き残っていますが、そもそもPC関連のケーブルじゃないし。

 

まあ、20年前のPC/AT互換機のキーボードや、D-subケーブルが辛うじて生き残っている人もいるかも知れませんが、macOSやiOS環境では20年前の機材は何も残っていません。

 

コンピュータの宿命ですね。これはガーガー言ってもどうなるもんでもない。

 

そういうもんだと思って観念して、コンピュータ機材なりの運用意識が必要です。

 

この辺にどうしても順応できないのがまさにアニメ業界で、昔の機材を使い続けるためのCS6止まりとか、そもそも道具に対する永続的維持費という概念がないのでサブスクリプションに納得できなかったり‥‥と、雇用や制作費の問題だけでなく、アニメ業界の「お金の闇」は深いです。

 

 

しかし、気持ちも判らなくもない。

 

私だって、コンピュータの「金食い悪魔」の流儀に慣れるのは、相当時間がかかりましたもん。

 

一度買ったら、道具は一生モノ‥‥という習慣をきっぱり捨て、時代の現用技術に合わせて道具を更新し、道具の運用コストも制作費に含める‥‥という思考は、そう簡単には受け入れられません。

 

日本人の美意識、職人技術者・実演者の意識として、道具は永く大切に使うもの‥‥ですもんネ。

 

 

しかし、現在の映像制作はほぼ100%、デジタルのデータが最終形態ですので、どう粘っても、どう足掻いても、最終的にはコンピュータの流儀を受け入れるのが肝要です。どれだけ個人が「反コンピュータ」を標榜しようと、その後で全てコンピュータのお世話になりますし、振り込まれるギャラだって銀行のネットワークでデータでやり取りされて口座に振り込まれて生活できてるんですからネ。

 

自分の描いた生の絵の現物を、号あたり何万で売るのでもなければ、コンピュータと「悪魔の契約」をするほかないです。そして、悪魔と契約したからには、悪魔をこき使う気概くらいが相応です。

 

コンピュータに金たま(失敬)を握られているようなヘナチョコのままでは、コンピュータに生命を吸い上げられて終わりです。

 

そういった意味で、4K60pHDRのアニメ制作は、コンピュータを馬車馬の如くコキ使うのにピッタリ!‥‥です。コンピュータは休む暇もないからネ。今まで高速だったコンピュータは「くっそトロく」なります。

 

 

 

 

で、ここまで書いといてなんですが、私とて何もかも道具のすべてをコンピュータへと移行させたわけではないです。

 

コンピュータが道具として活躍するのは、あくまでデジタルデータが支配するフィールドだけです。

 

デジタルデータを介在しないモノに関しては、コンピュータは無力です。

 

そんな中、最近ふと「惚れ惚れ」したのは、筆洗い。

 

‥‥これです。

 

 

*アマゾンでは10個まとめ売りです。いくら惚れ惚れしようと、10個はいらんな、10個は。‥‥なので、ペンテルなどの他の製品も考慮しても良いかも‥‥です。私はいつ買ったかもわからない、昔のやつを、死ぬまで使い続けると思われ。

 

 

サクラの「筆洗」。500円に満たない低価格。

 

それでも、数万、十数万、数十万するコンピュータ機器より、格段に長持ち。いつまでも、愛用し続けられます。

 

この「3重筆洗」は、容量といい、収納性といい、そもそも3重にした使い勝手の良さといい、まことに感服します。ダテに、私が子供の頃からのロングラン製品じゃないです。生き残るには意味があります。

 

私の使っているのは、厚紙のパッケージに入ってた頃の昔のもので、「サクラ」のロゴシールが貼られています。現行製品にも貼られているのかな?

 

 

 

もし、この製品の仕様が、3重ではなく、2重だったら、もう1組買うなど、面倒なことになっていたでしょう。

 

展開すると三槽になることで‥‥

 

  • 1槽目=筆の汚れを最初に落とす、水が一番汚れる槽
  • 2槽目=筆をささっとゆすぐ、さほど水が汚れない槽
  • 3槽目=筆ゆすぎの仕上げ、または、絵具を薄める用途に使う、水が一番きれいな槽

 

‥‥という必要十分な使い方が可能です。

 

各槽の容量も絶妙で、少なすぎず‥‥です。

 

大面積や十数枚など、多量の絵具を使う場合は、もっと大容量の筆洗が適していますが、私のプラモ・アクリル塗料用途では、そのコンパクトさゆえに場所もとらず、十分な洗浄力も提供してくれて、「なんてデキる子なんだ」と愛着が止みません。

 

*「重ねて収納」するため‥‥かもしれませんが、中央槽の「ちょっと大き目で多めの水の量」も絶妙。筆をすすぐ時に、水は多い方が良いですからネ。

 

 

しかも、中央槽にハンドルがついているので、重ねてコンパクトに収納できるだけで終わらず、ハンドルをSカンに引っ掛けて、「空中」に収納することも可能です。これが「なくさない」し、「邪魔にならない」しで、いいことずくめ。

 

 

 

このサクラ筆洗を下回るコンピュータ機器なんて、いくらでもあるわな。

 

すぐ故障する、大して役に立たずに旧式化する、設計のマズさから使うだけでストレスがたまる‥‥とか、コンピュータ関連機器がいくらCPUや集積回路を使って高価なシロモノだろうが、サクラ筆洗の「運用実績」に歯が立たないものは‥‥多いです。

 

比べること自体が間違っている‥‥なんて言われそうですが、道具を使ってモノを作る人間にとっては、「道具は道具」です。

 

道具に貴賎なし。

 

 

願わくば、私が使うコンピュータ機器も、サクラ筆洗と同じくらい、愛着と信頼をもてる道具でありますように。

 

 

 


Apple Pencilのチップ買い足し

Apple Pencilのチップが、作業場で残り1つになったので、買い足しました。‥‥4つ1パックで2300円くらいするので、こまめに買ってはいますが、どうせ消耗品だし、お金の余裕のある時に5〜6パックまとめ買いしても良さそうです。

 

 

同時にマウス「M187」も買い足し。ストック用です。意外に妙なタイミングでマウスって壊れますので、安い時に買い溜めておくのが一番。未開封新品のM187は現在2つ確保しております。

 

また、Apple Pencil充電用のケーブルも買い足し。現在、私の作画机にはUSB充電口が合計20個以上(!)あるので、Apple Pencil用に消費しても全然余裕があります。なので、現在Apple Pencilを2本常備して使っていることもあり、充電ケーブルを買い足しました。

 

 

現在、私は4本のApple Pencilを所有していますが、iPad1枚につき1本、かつ、場所にもそれぞれ‥‥なので、どうしても本数が多くなります。後生大事に1本のApple Pencilを使い続ける‥‥なんてことはないです。ちょうど、ギタリストのギターのように、数本を使い分けるのが、融通が利いてよろしいです。

 

ここまでiPadとApple Pencilへの依存度が高くなってくると、次期のiPad Proはどうしても期待してしまいます。マイナーチェンジでもない限り、即買いするでしょう。だって、iPad ProとApple Pencilでガチに金を稼いでるんですもんネ。性能が一新されて使い勝手が向上すれば、ダイレクトに仕事に反映されますから、新製品は期待して当然です。iMac Proならいざ知らず、iPad Proくらいの価格なら、仕事で使ってれば短期でペイしますしネ。


ドットバイドットでないにせよ、6Kくらいなら全然ストレスを感じずに作業に没頭できますから、4K仕事にも十分対応できます。iOSとmacOSの連携に慣れると、いちいちサーバ越しのやりとりが時間の浪費に思えます。

 

で、新バージョン登場でお役御免になったiPad Proは、依然として「普通のiPadとして」第2のお役目を割り当てられます。多少世代が古くなってもタブレットとしての性能は遜色ないですから、設定ビュワーなんかには贅沢とも言えるほどです。

 

iPad ProとApple Pencilって、高い買い物のように思いがちですが、実は対費用効果がとても大きいと実感します。他のタブレットに比べて多少高くても、iPad Proを使い続けているのは、実感に基づく大きな理由があるのです。

 

薄くて軽くて、取り回しが軽快で、作画机の棚にポンと置けるiPad Proは、少なくとも私にとっては「紙からタブレットへ」移行する最適の手段でした。我が物顔で机を占拠する巨大で底厚の液晶ペンタブレットは、どうしても使う気にはなれませんでした。

 

「紙に絵を描く姿勢」の延長線上にあったのは、まぎれもなく、薄型軽量のiPad Proでした。

 

 

一方、Wacomの薄型軽量の雄、Cintiq Proは、ちまたのSNSを垣間見るに色々と障害が発生しているようで、メーカーの誠実な対応が望まれます。

 

AppleとWacomのどちらが生き残るか‥‥‥なんて、ユーザにとっては不毛な戦いです。やっぱり、CintiqはCintiqでどんどん進化して欲しいもんネ。Appleは薄情なところがあって、5年後、10年後にiPad ProとApple Pencilを製造し続けている保証なんてないもんな。

 

 



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