コンポーネント

たとえ小さなスクリプトを作成する際にも、同じサブルーチンを何度も繰り返し書くのは非効率である上に、メンテナンスも煩雑になります。

 

例えば再帰処理を毎回書くのはいかにも面倒ですよネ。なので、共通したルーチンは、コンポーネント化して集約します。

 

AppleScriptは他の言語同様、外部のスクリプトを読み込んで活用できます。以下みたいに。

 

set myCOMP to load script file "Macintosh:components.scpt"

display dialog myCOMP's getFileList(folder "Macintosh:Folder:")

 

とは言うものの、最近のmacOSは、昔のようにユーザが自由にイジれる仕様ではなくなっています。以前は可視だったシステム関連のフォルダは不可視になって久しいです。

 

たとえば、クイックアクションで使うルーチンのコンポーネントをどこに置いておけば良いか。

 

簡単な方法としては、クイックアクションのファイルと同階層に置くのがいかにもわかりやすいです。

 

しかし、果たしてクイックアクションのファイルから見て「同階層」とはどこになるのか。クイックアクションに内包されるAppleScriptから呼び出すので、「ユーザ/Library/Services/」を示す結果となるのか。

 

 

‥‥‥‥。どこ?

 

おそらく、Automatorのパッケージファイルの中の深いところでしょう。

 

そりゃそうか。クイックアクションのファイルはそれ自体は実行ファイルじゃないもんな。「path to me」すれば、実行ファイル自身のパスを取得するのは当然か。

 

runner.xpcという実行ファイルに頼っているようですネ。でもまさか、Automatorのフレームワークの中に私独自のファイルを置くわけにはいくまい。アップデートのたびに消される可能性大。

 

う〜ん、どうしようか。

 

 

 

コンポーネントをどこかにおいて呼び出すことは簡単ですが、どうせなら、Application Supportとかに置いて、クイックアクションだけでなくスクリプトメニューやレンダー庭園(仮名)とも共用したいです。

 

しかし、従来のApplication Supportだと、マシンローカルに限定されます。Catalina以降は色々と実行許可もキビしいし。

 

むしろ、Apple IDを活用して、iCloudの特定場所にしたほうが良いかな。

 

そうすれば、同一のApple IDを使う限り、どのマシンでもコンポーネントが呼び出せます。

 

 

 

では、iCloudって、どんなパスになるんでしょう。

 

/Users/ローカルのアカウント/Library/Mobile Documents/com~apple~CloudDocs/

 

「com~apple~CloudDocs」というのが、見慣れないですが、Finderが認識できるiCloudのパスはソコみたいですネ。

 

なので、「home」(AppleScriptでのユーザホームフォルダのエイリアス)でユーザのローカルパスを取得して、「Library/Mobile Documents/com~apple~CloudDocs/」を連結し、あとはコンポーネントファイルの以下のパスを連結すれば、毎回変わらず特定できそうです。

 

/Users/ローカルのアカウント/Library/Mobile Documents/com~apple~CloudDocs/コンポーネントのパス

 

これでiMacからもMacBookからもMac miniからも、コンポーネントが呼び出せて、コンポーネントを編集して機能アップすれば、全台のMac端末に反映されます。

 

試しにTIFFの変換スクリプトを移植がてら、正常に動作するか試してみました。

 

 

 

無事、TIFFファイルが書き出されました。

 

 

 

随分と自由なファイル名ですが、クォーティング(quated form)してShellに投げるので、正常に処理されます。もちろん、仕事の時は、こんな名前は一切出しませんし、仕事用のリネームスクリプトも色々用意しています。それこそ、CODE39の文字に丸めるスクリプトとかネ。

 

クイックアクションはいっそのこと、Library/Servicesもクラウドで共有できると楽なんですが、まずはそこまでしなくても良いか。

 

今頃になって、Automatorを使い始めるのも何ですが、右クリックで素早くJPEGやTIFF、連番リネーム、項目のリストなどが取得できると、作業が地道に捗ってストレスが軽減されます。

 

「こんな感じの絵です」みたいな途中経過の画像をメールで送る時に、まさかPhotoshopを立ち上げてJPEGに変換するなんて大げさな手間はしたくないですよネ。右クリックでJPEG変換できれば楽です。

 

クイックアクセス用途だけでも、まずはAutomator重宝。

 

 

 


有利とか不利とか。

何を選んで、何を覚えて習得すると、後々有利か。

 

そんなことばかり考えている人は、そこそこ多いように思います。

 

でも、一番不利なのは、

 

何が後々有利かを考え続けて、結局何も身に付かず、5年10年経過すること。

 

だと思うんですよネ。

 

2000年代の10年間に何ができた?

 

2010年代の10年間に何が身についた?

 

「これがいいかも知れない」「あっちのほうが有利かもしれない」と、何ひとつ成果を出さぬまま、目移りするだけの年月は、有利不利で言うならば、かなり不利ですよネ。まさに「利」を得られなくて、耳の大年増になっただけ。

 

 

 

たとえ、40、50代になっても、10年の浪費はキツいわ。取り返しがつきません。

 

20、30代もせっかくの吸収力の大きい時期に足踏みしているだけなんて、自分の人生のリアルをずいぶんと無駄にしています。

 

「これはいけるかもしれない」

 

‥‥と思ったら、たとえ1年間だけでも、熱中して取り組んでみるのが良いです。他人から「こっちのほうが有利だよ」とか言われても、まずは取り組んだことで成果を達成することです。もちろん、自己満足で終わらないように、ちゃんと実用化して表に出しましょう。5カットでも10カットでも、自分の取り組んだものごとの成果を作品に表しましょう。

 

やっぱり、言われた通りに、あっちのほうが有利だったかも‥‥

 

‥‥と後々で思っても、実は1つの取り組みを成し遂げた経験は、その後の新しい取り組みに極めて有用となります。尻切れトンボで終始していては得られない、大きなノウハウを自分にもたらします。

 

私はスクリプトはAppleScript、GUI付きのソフトウェアのプログラミングはREALbasicで覚えました。今から20年前の話で、アニメーターとコンポジターの本職の傍らで習得しました。

 

AppleScriptなんて今では隅っこも隅っこ。REALbasicって今でも存在しているのか判らないほどです。でも、その2つを習得して色々なプログラムを自作した後で、他のXcodeとかPHPとかAfter Effectsのエクスプレッションやスクリプトなどを使った時に、

 

あれ? これ、何が書いてあるか、何を書けば良いか、解るぞ。

 

‥‥と自分でも驚くくらいに内容が理解できました。つまり、「読解力」「構成力」がAppleScriptとREALbasicを通して、知らぬ間に身についていたのです。

 

 

 

最初のうちは右も左もわからんです。

 

何をすれば良いのか、何を選べば良いかで、色々と迷うものです。

 

しかし、迷うことに2年も3年もグズグズ費やして、振り返ってみたら、10年間、何も覚えられないままだった‥‥なんていうのが、一番悪いです。

 

良き方向を模索して、むしろ、悪しき方向に進む

何が良いかで悩み続けて、どんどん悪くなる

 

そんなことになるのだったら、たとえ最短の直線距離で到達できなくても、何度も曲がって確実にたどり着いたほうが良いです。

 

 

 

周りを気にしてばかりいると、結局、何も得られず、おこぼれしかありつけませんよ。

 

一家言とまではいかないにせよ、目標を達成できたノウハウがあれば、次に繋がっていきます。

 

2020年代の10年間を、また目移りだけで過ごしてしまって、良いのでしょうか。

 

「デジタル作画」だって、ソフトウェアを日常の仕事道具にする、ペンタブで絵を描いてお金を稼ぐ‥‥というノウハウを得られるわけですから、決して紙作画の刷り直し的な面だけでなく、善き点も多く含んでいます。「デジタル作画」でコンピュータとペンタブの扱いに慣れれば、次にはもっと大きなステップアップが可能になるでしょう。

 

揶揄ばかりして何も行動しないのが、一番マズい。

 

展示会にいって現在の動向を見聞きするのは良いですが、それだけで満足しては何も進展しません。

 

アニメーターの人ならわかると思うけど、見聞きしただけで絵が上手く描けるようになった? 他のジャンルだって同じです。見聞きしただけで上達したり習得できるほどチョロいもんじゃないです。

 

 

 

損得は後でも調整できます。路線変更も後で可能です。しかし「行動すること」は、今開始しないと何も始まりません。

 

今のご時世、世代や時代や社会に関連付けた「できない理由」を取り上げる記事やツイートが多いように思いますけど、自分の運命は自分でも大きく変えられます。

*例えば、「ロスジェネ」=「こんなに酷い目にあったから社会に復讐だ」みたいなツイートではなく、むしろ同世代の励みになる「ロスジェネで辛酸も舐めたけど、今はこういう新しいことで道が開けた」みたいなツイートをしたほうがどれだけ有用か。私だって、「アニメ業界にいたからバブルなんて関係なかった。バブル世代がみな勝手放題だったなんて事実誤認の幻想だ。」みたいな記事を延々としつこく続けて書かんですよ。むしろ、アニメ業界の悲惨な作画単価があったがゆえに、どう言う風に思考して新しい方法論を実践してきたかを書き続けています。

 

自分自身で行動を開始して頑張りましょう。そうすれば、自ずと、そういう人たちが集まって、新たな何かが始まります。私は今まで、そういう体験を何度もしてきたので、2020年代も同じことが起きることが普通に予感できます。昔を振り返って、「よくまあ、あの狭いスペースにそうそうたるメンツが肩を並べていたもんだな。」と思っても、実はそれは偶然ではなく必然なのです。

 

私はまた色々な新しいことを始めようと思っています。昔から温めたアイデアを形に変えていくには、2020年はちょうど良い年です。もちろん、従来の仕事〜原画の仕事はすぐに控えているし、劇場のVFXの仕事もありますし、不思議なテレビの仕事も準備中ですが、それとは別に、新しいことはやります。

 

何かやろうと思っているのなら、老若男女分け隔てなく、2020年は良いスタートの時期ですヨ。

 

 

 


フレーム補完と自動中割りの共通限界点

Dain-Appという興味深い技術が紹介されていますネ。

 

AIを駆使してアニメや映画をヌルヌル動かしてくれるフレーム補間ソフト「Dain-App」

https://gigazine.net/news/20200121-dain-app/

 

自動中割りというよりは、フレーム補完技術の流れですが、テレビの60fps補完機能と違うのは、もともと3コマ打ち=「8fps on 24fps」の映像まで60fpsに補完している点です。

 

従来のアリゴリズムですと、24fps映像の中に部分的に8fpsが含まれていると、カメラワークだけが60fps化されるなど、画面の中で8fpsと60fpsが混在する補完になっていましたが、Dain-Appのデモを見ると、3コマ打ちシートのキャラの動きも60fpsで動いていますよネ。正直、ソレができるとは思ってませんでした。AIのなせる技?‥‥なんですかね。どんどん技術は進歩しますネ。

 

映像内容を細かく観察して、

 

背景のスライドは24fps

 

だと認識し、一方、画像の特定部分=人物の部分とかは、

 

111222333444555666777888の3コマ打ち=8fps

 

‥‥と、同じ絵を3回使いまわしている動きであることは、少なくとも人間の知能なら分析できます。

 

同じ分析をDain-AppのAIでおこなっているかは、アウトサイダーなので不明ですが、映像を見る限りは達成しているように見えます。

 

この点は純粋に評価すべき点と思いますヨ。

 

 

 

‥‥で、制作現場で現役のアニメーターなら、すぐに目につきますよネ。

 

均等割りになってしまっていること

 

割り間違いが随所に散見されること

 

‥‥を、です。

 

実は、これは自動中割りでも同じ障害がありまして、ゆえに、私は自動中割り(ピクセルモーションによる画像補完)を現段階では極めて限定的にしか使わないのです。‥‥ちなみにカットアウトは自動中割りとは別の技術ですよ。

 

自動中割りと、Dain-Appが、同じ限界でつまずいていることは、注目すべきことです。

 

自動中割りのデモでたまに見るのが、炎の動きが下に送られて、上下上下を繰り返す動きになっているテクニカルエラーです。千切れた炎は下には戻らんですが、形が似ているから、間違うんですよネ。

 

 

 

‥‥で。

 

人間も同じミスをすることがあります。

 

人間でも、初心者や、やっつけ仕事のタップ割り・均等割りだと、同じ結果になるのです。

 

上述の炎の中割りも、新人が理屈も考えずに、周辺の似た形に中割りしてしまい、動画チーフに「普通に燃えてる炎って、下や真横に向かって動くかい?」と指導されます。昔からエフェクト作画で新人がやらかす「あるある」ネタです。

 

下図は極端ですけど、割りミス・割り間違いの典型です。

正しい動きは下図。

 

 

同じミスをするのに、人間もコンピュータも隔てなし。

 

興味深いですネ。

 

人間だと、こんな中割りはしない!‥‥とか言いがちですが、人間でも知識と経験が及ばないと、自動中割りやDain-Appと同じ結果物を作ってしまうのです。

 

例えば、キャラの各パーツそれぞれ異なる動きの流れ(それぞれのツメ)を見極めることって、動画作業者の中堅以上のキャリアでないと難しいです。

 

ゆえに、自動中割りもDain-Appも、そして初心段階の人間の動画作業者も、中割りは均等で綺麗なんだけど、動きがチグハグになるのです。

 

 

 

実は、初心者から中堅以上のレベルに上がるためには、「自分の中の、技術的特異点を通過する」必要があります。

 

あ‥‥なんか、解ったかも。

 

‥‥と、突き抜けて、向こう側へと繋がった感覚‥‥とでもいいましょうか。

 

オカルトみたいな表現ではなく、もう少し現実的な表現で言うと、動き=運動には、近似性があって、重量やスケールの大小こそあれど、皆、似た形や運動をしていることに「まるで一線を越えたように、すっと理解できる瞬間」があって、その近似性を応用できることにも気づく‥‥といいましょうか。

 

もっと言えば、別のジャンルに思える、絵のレイアウト、絵の色彩、映像の抑揚、音楽の旋律やリズムは、みな近似しているのです。‥‥あれ、もっとわからなくなっちゃいましたかね‥‥。

 

After Effectsのキーフレームのカーブを設定する時、初心者の人はめちゃくちゃなカーブを設定しがちですが、見ていて心地よい映像は、キーフレームのカーブだって、まるで猫の背中のカーブを描くようにゆったりと滑らかなんですヨ。

 

 

*キーフレームのカーブは、絵を描くのと同じです。激しい変化を求めていないのに、ちぐはぐでガタガタなカーブになれば、映像だってガタガタで不自然になります。猫の滑らかなボディカーブが描けるのなら、その描き方を頭の奥でイメージして応用すれば良いのです。

 

 

「間(空白)を表現する」「様々な動きの中に、自然界法則の暗喩を見る」ということを、AIにも学んでもらわないと、その先の「人間だけが表現していた領域」には踏み込めません。

 

やっつけ仕事の粗い内容はAIにもできるでしょうが、監督・演出の人に「そうそう!この雰囲気が欲しかったんだよ!」と言ってもらえる完成物には、ほど遠いものになります。

 

 

 

AIではないですが、「フレーム補完」「自動中割り」について、ずいぶん前に、こんな映像をテストしたことがあります。

 

技術的なハードルは高くて、原画から動画へと映像を作れるか‥‥というお題です。

 

原画の絵のタイムラインはこうです。

 

 

 

期待する結果はこうですよネ。24fpsフルモーションの場合。‥‥カットアウトで動かしているので、普通に動きます。

 

 

8fps(3コマ打ちの場合)では、以下のようにパタパタとした可愛い感じに動きます。これもカットアウトです。

 

 

 

でも実際に「自動中割り」「フレーム補完」で処理してみると、以下のようになりました。原画のコマの絵から、ピクセルモーションで「自動中割り」した結果です。原画枚数だと絵(フレーム)が少ないので、「中割りの絵に大問題」が発生していますネ。

 

 

まあ、面白いっちゃあ面白いんですけど、リテークですネ。

 

でも、この結果を笑ってもいられないですよ。80年代のアニメで、ハンドルを切る手の動き(手を交差させて回転させる動き)で、腕が3本になった動画(当然、人間が描いた)が放送されたことがあるらしいです。昔話じゃなくて現在でも、キツめな「作画崩壊」は似たような状況ですよネ。

 

動画を自動化する「無人動画」‥‥なんて期待している人もいるかも知れませんが、原画枚数を描きまくって、処理アルゴリズムが正常に処理できるようにしないと、無残な結果に終わります。動画工程は、清書する時にも、絵を動かす時にも、極めて「人間の処理能力」を要するのです。

 

ちなみに、既に8fps=3コマ均等に動かしたのちに、ピクセルモーションで24fpsに補完すると、キビしい部分はまだあるものの、相当マシになります。Dain-Appはこのジャンル(低いフレームレートを補完する目的。アニメ作画の自動中割り目的ではない。)の進化系と言えそうです。

 

 

ゆっくり動いている部分は、ミスなく「中割り」してますネ。‥‥あ、空との輪郭部分は、ちょっとブルブル震えて危ういですネ‥‥。

 

 

 

‥‥なので、60pを目指すのなら、最初からクリエイティブの人間が、60pを意識して作品を作るのが良いでしょう。

 

60pはものすごく難しいですよ。3コマうちでパタパタ動かしておいたほうが、ぶっちゃけ「様になり」ます。

 

60pでアニメの絵を動かすのは、アニメーターにとって前人未到の領域と言っても、大袈裟ではありません。

 

フルアニメーションを作りたいなら、最初から24fpsや60pの動きをアニメーターが作り出さないと、単に中枚数だけが増えた「チカラのない映像」になります。

 

3コマの動きが描けたからって、フルアニメーションで上手く描けるとは限りませんよネ。

 

ぐりんぐりんカメラが回り込んで背動で‥‥みたいな派手なカットは24コマのフルも映えますが、日常芝居で24コマや60pを自然に見せるには、相当の経験と知識が必要です。

 

でも、できないことはないと思っています。経験と知識が必要なら、積めば良いのです。‥‥今までだって、そうやって克服して自分たちのパワーにしてきたんだもん。できないことはないはずです。‥‥が、4KHDR60pでは、さすがに紙で一枚ずつ描くのは、もう無理ですけどネ。

 

 

 

私はDain-Appをむやみに否定しようとは思いません。使い所だと思います。

 

とはいえ、深夜枠のアニメを60pに変換する用途なら、Dain-Appはなんと悲劇的な宿命を負わされていることか。スマートアップスケーリングと中間フレーム画像補完に頼るアニメ業界になるのなら、もう自滅を待つばかりとも思います。

 

現場の作り手側も、Daim-Appの映像を見て、単に拒否反応しか沸かないのなら、既に発想力の老化が始まっているとも思います。確かに「ソープオペラ」は不快かも知れませんが、60pの動きの中に新たな可能性を全く見出せないのなら、過去の思い出と余生を過ごす御隠居様と同然です。

 

人間だって、能力の活かしかた次第じゃないですか。

 

マシンや技術も同じです。

 

バブル世代もロスジェネ世代も、ゆとりもさとりも、無名だろうがベテランだろうが、出自も経歴も関係なく、結局は「今、何ができるか」そして「未来、何ができそうか」が重要です。

 

アニメはこうあるべきものだ。‥‥と発想が固まったら、それは硬直が始まった死体と同じです。

 

生き続けるために、未来の空気を吸いましょう。

 

 

 

Dain-Appと自動中割りの共通した限界は、この先、突破できるのか。

 

コンピュータが自力で俳句を詠める(先人の詠んだフレーズの組み合わせでなく、オリジナルのフレーズで)ようになれば、アニメの絵が「なぜ、そのように省略され誇張されているか」を理解でき、絵も描けるようになると思いますが、そうはなりませんよネ。

 

そもそも「絵を描ける」ようにならないと、動画の中堅以上の技術を要する作業は無理ですよネ。

 

多分ね‥‥。AIがそこまでできるようになったら、AIは自我に目覚め、自我に悩み、恋もするだろうし、時には自分で死を選ぶこともありましょう。観念めいたことを言うようですが、人間が人間の心を揺り動かす絵を描けるのは、自我があるからです。そして、その自我は動画作業にも必要です。

 

アニメ絵は単純化されているから、コンピュータでも絵を作れるだろ‥‥というのは、絵を知らない素人の考えです。

 

実際に描いてみなよ、自分で。‥‥服のシワひとつ、初心者じゃカッコよく描けないからさ。

 

私の予測では、コンピュータ(AI含む)は、人間の表現力を期待する内容は無理で、単純な均等割りやタップ割りで済む範囲に限定されると思います。つまり、有力な作業力にはなるが、人間の能力と同等を期待しない、コンピュータ・AI向きの作業を「手分けして作業する」のが善き使いかただと感じます。

 

実際の話。‥‥After Effectsで、撮影も現像もやってるでしょ。撮影台にフィルムを装填したり台をハンドルで動かしたり、現像液で現像したりという手間は、コンピュータに任せたでしょ。その拡大版だと思えば良いのです。

 

表現の中核は人間が担う。

 

単純な作業はコンピュータがアシストして稼ぐ。

 

 

 

問題は、「単純な作業」と言われる中にも、人間の技術力の育成に必要な要素が多く含まれていることです。

 

それをコンピュータに任せると、基礎が形成できない人間ばかりが溢れる‥‥という事態も懸念されますよネ。

 

つまり、技術のスケーリングにおいて、ミッシングリンク部分が生じます。

 

かと言って、例えば今、撮影のスタッフを育成するのに、フィルム撮影台から現像まで実習させないですよネ。

 

ベテランや中堅が、2020年代以降の新しい育成法を考えないと、根性論だけに終始するアホな現場になります。

 

40〜50代の人間は、昔の殻に閉じ籠るのではなく、積極的に新しい技術を「肯定」して、自らの経験値と合体させて、後進の指導と育成にあたるべきだと思いますが、いかがでしょう。

 

新しい技術が出てきたら、無下に否定するのではなく、自分の思考における新しい論点にするくらいの気概が必要だと、私は思います。

 

 

 

でもまずは‥‥。

 

自動中割りとカットアウトの差ぐらいは知っておくところから始めた方が良いです。

 

カットアウトはそれこそAfter EffectsCS6でもできるんだから、「機材がないからできないし知らない」なんてウソです。

 

私はミラードライブドアのMacG4の頃から自宅でカットアウトの自己研究を開始してましたし。

 

じゃないと、都市伝説まがいの「自動中割りもうすぐ実用化説」に惑わされますよ。

 

 

 

 

 


クイックアクション

‥‥といっても、QARのことではなく、macOSのFinderの右クリックメニューの「クイックアクション」です。

 

前々から、ここに自分で作った数々のプチスクリプトを呼び出せるようにすれば便利だなと思っていました。ファイル名を大量に置換したり、ファイル名を番号でリネームしたり、JPEGやTIFFに変換したり‥‥と、昔から自分で作りためた単機能のスクリプトは、クイックアクションで現代のmacOSでも活きると感じてました。

 

でも、どうやれば、自分でクイックアクションを作れるのか。何となく、調べもしないまま、月日が経ちました。

 

たぶん、Automator。

 

Automatorを使えば、macOS時代のサービスに対応した自作のスクリプトが作れるのではないかと、重い腰を上げてみることにしました。

 

普段は全く使ってなかったAutomatorを起動して、新規書類の一覧を見たら、あっけなく、その機能がありました。

 

 

欲しかったそのまんまの書類=「クイックアクション」対応のファイルが作成可能みたいです。

 

 

 

では、実際にどうするのか。

 

私のプチスクリプトはAppleScriptで実行可能になっていますので、そのスクリプトの中身を移植すれば良いのですが、単純にコピペすれば良いって話でもなさそうです。

 

いろいろ試した結果、「こうすれば良い」というのがわかりましたので、ここでご紹介。

 

自分で作ったクイックアクションは、自分のライブラリの「Services」に保存されます。

 

 

Finderは自動でServicesの中のクイックアクションを認識するはずです。しかし、クイックアクションの内容に合わせて提供する仕組みなのか、単純に保存しただけではクイックアクションのメニューに表れません。

 

右クリックしてクイックアクションを呼び出しても、「てすと」が表示されません。

 

 

Finderが処理すべき内容であることを、クイックアクションのオプションで指定する必要がありそうです。

 

以下のように設定してみました。

 

 

そしたら、出ました。

 

クイックアクションの仕組みにおいて、どのアプリのどんな項目が対象かを、上図のオプションで指定すれば、Finderでファイルやフォルダを選択した状態のクイックアクションのリストの中に表示されます。

 

 

 

クイックアクションは、どのアプリケーションでどのオブジェクトが対象かを、それなりにちゃんと判断するので、ファイルやフォルダを対象とするのなら、「認識させるためにも」上述のオプション指定は必須になる‥‥みたいですネ。

 

たとえ選択項目を処理する場合(=ファイル選択のプロンプトを経なくても)は、「自動(ファイルまたはフォルダ)」を選んでおくと良いみたいです。

 

Finder上でファイルやフォルダを選択した時点で、入力ソースの指定は終わっていますので、「このアクションの入力を無視」にしてもちゃんと正常に処理が進行します。

 

 

ちなみに、サブルーチンも使えます。いつも通りに。

 

 

残念ながらpropertyは設定できるものの、前回の値を記憶せず、毎回初期化されるみたいです。その点は注意点ですかね。

 

 

 

このブログに掲載する画像は、必ずJPEGに変換してアップロードするのですが(WikipediaやAmazonは直接リンク)、項目を選択して右クリックで簡単にJPEG変換スクリプトが呼び出せれば手軽で良いなと思っていました。

 

クイックアクションで呼び出す方法を調べぬまま今まで来て、ようやくそれが今日可能になりました。‥‥もっとはやくやっとけば良かった。

 

こんな感じに簡単に変換できるようになりました。自作のJPEG変換スクリプトを実行してみます。

 

 

 

変換後にオリジナルとペアになるように、単純に変換前のファイル名に拡張子をつけてますが、もちろん、行儀の良い名前で変換もできますヨ。

 

 

新規項目の命名規則は自分で好きなようにプログラムできます。

 

アイコンがスクエアになるのはご愛敬。最近(=Catalina)、なぜかこうなっちゃたんだよネ。原因は調べてないので知りません。アイコンを作り直す自動処理まで作らなくても、いつか改善されるんじゃないかと思ってます。

>解決しました。sips上でアイコンを追加する(-iオプション)のをやめて、Finderに任せることにしました。-iオプションで生成されるアイコンがスクエアに変形される理由は未だ不明。

 

ちなみに、JPEG変換はsipsコマンドでdo shell scriptで実行してます。つまり、Automator>AppleScript>Shellという流れです。画質とリサイズが簡単なUIで指定できるようにプログラムしてあります。TIFFやPNG、TARGAへの変換も可能です。私は昔からsipsを愛用してます。

 

 

 

Automatorは使わずにきましたが、クイックアクションへの移植だけでも、Automatorは有用だと言うことがわかりました。

 

特に、AppleScriptなりシェルなりで自動処理を自作してきた人は、右クリックでも呼び出せる便利な自動処理へと、Automatorで変換できますヨ。

 

AEPファイルを選択して、ライセンスをもたない(というか、正規版の親ライセンスを継承した)レンダリングエンジン版に、aerenderでレンダリングさせるクイックアクションも簡単に作れそうです。Automatorを経由してシェルに命令を投げれば良いだけですからネ。

 

監視レンダーはAdobeの流儀にキッチリ合わせないと動作しないですが、aerenderなら「UIと編集機能のない実行専用のAfter Effects」として動作するので、コマンドさえ使いこなせば1つのライセンスで自分なりのレンダーファームを組めます。監視レンダーに束縛されずに。

 

 

 

話はズレますが(毎度のことか)、aerenderを使って、レンダーガーデン的なものを作ろうと考えています。必要は発明の母。

 

2000年前後の再来はレンダリング事情にも及んで、もはやMacだのWinだのプラットフォームなど超えて、あらゆるマシンのリソースをレンダリングに活用しないと、4KHDR時代の新アニメ技術には間に合いません。2Kテレビ作品のレンダリング時間など比較にならないくらい、時間がかかるようになります。CS6を使っていられるのもリミットが来ましょう。

 

2020年代にAppleScriptを積極的に使おうとは思いませんが、自力開発の必要性は高まるでしょう。

 

去年見たTシャツの画像で、

 

原価で欲しけりゃ自分で作れ

 

‥‥というのがありました。その通りですネ。

 

まあ、原価とまでは言わなくても、開発能力のない集団は、どんな些細な処理でも金を支払って出来合いのアプリケーションをいくつも買い揃えて、使い分けて組み合わせる手間を負いましょう。

 

でなければ、自力開発できる能力を備えるしかないです。PhotoshopやAfter Effectsはともかく、レンダーガーデンのようなソリューションは、自分たちで作っても良いと思いますヨ。自分たちが一番使いやすいように作ることができるんだから。

 

 

 

開発の旅路に終わりなし。

 

 

 


夢の中にて

夢の中で、昔一緒に暮らしていた猫が出てきました。毎日の日課のようにその子(猫)のことは思い出しますが、夢にはたまにしか登場しません。

 

猫がベランダに出かかっていて、「外に出たら帰って来れなくなっちゃうよ」と抱えようと胴を掴むのですが、毛や骨格の感触とか内臓のモニュっとした感じとか、クネクネと「ええい、離せ」と逃れようとする筋力まで、随分とリアルに脳では覚えているんだな‥‥と、夢から覚めて思いました。

 

何だ。死んでいなくなっちゃったと思い込んでたけど、居たんじゃん。

 

‥‥と夢では思うわけです。そして、夢から覚めると、2020年の今の現実があります。

 

抱き上げた時の重さや、阻止されて不服そうな表情(=可愛いんだけど)とかも、リアルそのものでしたが、全部夢だった‥‥のねと、少し呆然とします。映像作品を見るのと違って、脳のビジョンって、妙にリアルなことがありますもんネ。質量とか感触とかも記憶しているからかな。

 

夢って、癒しなのか、残酷なのか、よくわからんですネ。

 

 

 

ツイッターのpandaniaさんの漫画が好きでついつい眺めて時間を忘れてしまいます。

 

最近のお気に入りはコレ。>https://twitter.com/pandania0/status/1201456241458810880/photo/1

 

子は鎹(かすがい)と言うけれど、猫も鎹だね。一緒に暮らしている人ならわかりますよネ。猫と暮らすと言うことは、猫を残しておけない‥‥ということですもんネ。

 

今の私は、鎹が外れたまま、ぷらんぷらんしたまま生きているように思うことがあります。

 

 

 

胸にぽっかり開いた穴‥‥と表現する人もおりましょう。

 

穴を塞ぐ存在を見つけよう‥‥と考える人もいましょう。

 

でも、私は「開いた穴は、無理に塞ぐ必要はない。開いたまま、生きて行けば良い。その子が生きた証なんだから。」と思うのです。

 

懐かしい感触を夢で思い出して、辛い時はあるけど、ずっと大きな穴を開けたまま生きて、いつか、私も死ぬのです。

 

 

 

私は20代の頃に、バイクで100km/hくらいで転倒して、左肩を痛めたことがあります。ちょうどプレステの攻殻のムービーを作っていた頃ですから、1996年ですかね。その時のことを思い出すと股間から背筋にかけて今でも寒くなります。‥‥死なないで良かったよ。

 

で、今の歳になって、左肩の「古傷」が痛むのですが、では、バイクなんかに乗らなければ良かったか?‥‥というと、そんな風には全く思わんです。むしろ、乗って良かったと思います。乗って色々な土地をプチ旅できたのは、何にも替えがたい自分の財産です。金はなかったけど、忘れえぬ風景の数々を、バイクのおかげで体験できました。

 

だから、昔バイクで転倒した影響で、今痛い? ‥‥それでいいよ。‥‥と思うのです。

 

猫も、です。私は犬と暮らしたことはないですが、おそらく犬も‥‥でしょうネ。

 

猫と暮らしている人の写真投稿を見ると、自分のことのように幸福感を感じるのは、その子(猫)と暮らしたからこそ‥‥です。猫らとは、言葉が通じないからこそ、むしろ、たくさんのことを通じ合ったと思ってます。

 

喪失して痛むことだって、その子の足跡なんだからさ。

 

 

 

「ペットロス」とか解ったようなクチを叩くのは嫌いです。

 

大事な何かを失えば、必ず喪失感に苛まれるんだから。

 

いちいち「ロス」なんて言葉で解ったような気になる必要はないです。喪失をどうしても受け止められないのだとしたら、それだけ存在が大きかった証です。無理に片付ける必要はないと、私は思いますけどネ。

 

 

 

その子が生きていた頃、ギリギリで2K(HD)のビデオカメラが登場して、最後の1年だけ2Kで撮影できました。撮影した当時は、1年だけでも撮れて良かったと思いましたが、少なくとも現在は、当時の録画を見返すテンションにはありません。

 

当時、犬好きのカントクに「撮っても、見返す気になる?」と聞かれたものですが、今は、カントクが「そう尋ねたキモチ」が何となくわかるようになりました。‥‥たしかに、鮮明であればあるほど、様々なディテールも呼び覚まされて、何とも辛いものですネ。

 

でも、それは今の私の年齢だからこそ。‥‥かも知れません。のちに、見返したい日が来るかも知れません。

 

今だったら、iPhoneで4K60pで撮れるんだから、もし一緒に暮らしているのなら、出来る限りの高画質で撮っておいても良いと思いますヨ。

 

まあ、撮らなくても、たまに夢で会える‥‥んでしょうけどネ。

 

 

 


FBで汁

フェイスブックのアカウントだけは取得していて、そのまま放置しているのですが、定期的に「知り合いかも」メールが届いて、中身を読むと、実際に知っている人だったりします。

 

フェイスブック上の私のプロフィールなんて白紙のままなのに、以前に現場で仕事をした人とか、本人ではなく奥さんとか、「元旦那さん」(微妙だよね…)のアカウントとか、「なぜ、フェイスブックサイドが知っているのか」キモチ悪いのですが、個人の名前だけで検索して予測するんですかね?

 

 ‥‥まあたしかに、作品のスタッフリストはテキストデータとしてネットでいくらでも取得できるので、関連性を予測するのはできないことではないですがネ。

 

ずいぶん前に現場を去って他のところに行った人まで「おともだち候補」にリストアップされていて、関連性の予測とはいえフェイスブックの振る舞いが気色悪くて、やっぱりフェイスブックはいらんわ‥‥と引いてしまいました。まあ、今は情報漏洩社会だから、いちいちキモチ悪がっていても仕方ないとは思いますけどネ。

 

フェイスブックには職歴とか学歴とか、結構、皆が自分自身で書き込んでいるらしくて、これまた「生っぽくてやだな‥‥」とさらに引いてしまいました。どんな学歴や職歴があろうと、今何ができるかが重要なので、ぶっちゃけ余計な情報ですわな。実際、仕事を一緒にしている人の過去なんて気にしたことないわ。どんなにたいそうな肩書でも、どんなに無名でも、今がどうあるか‥‥でしょ。

 

ただ、そうしたフェイスブックに表示される情報を見て、「なるほど、そう言うことだったのか」と推して知ることにもなって、一層、何だか複雑でイヤな気分。

 

以前、「ロスジェネ」や「管理職」に拘る人が現場にいたんですが、その人のフェイスブックの学歴の表示を期せず見て、納得がいきました。「今の自分」を認められずにいたんですネ。中途で未経験で入ってきて最初から知ったかぶりでイヤだなと感じてましたが、フェイスブック提供の情報にて、あの「上から目線」はなるほど‥‥と思いました。

 

有名大学を出ていても、もちろん、気さくで良い人はいっぱいいます。作品で頻繁にご一緒する監督・演出さんも有名大学出身ですけど、経験豊富な善き現場人ですヨ。ロスジェネ世代でも、作品の中核を成す重要なスタッフは多いですしネ。

 

一方、その「ロスジェネ君」は‥‥、まあ、いいか。もう関わりのない人だし。

 

 

 

フェイスブックって、微妙なソリューションだなあ。‥‥少なくとも、私にとっては。

 

自ら個人情報を大公開しなくても、仕事の中身だけで繋がっていけると思うんですけどネ。仕事で繋がった縁こそ‥‥だと私は思いますが、まあそれも人それぞれで良いのか。

 

今日たまたまフェイスブックからのメールを読んじゃったのですが、結局何年も使ってないし、また放置でいいや。

 

フェイスブックもラインもツイッターもインスタグラムも抱え込んだら、私は処理が追いつかないでしょうし。

 

私はまだ当分ブログだけで良い‥‥と、改めて思いました。

 

 

 

マーラーの墓碑には、ただ「グスタフ マーラー」とだけ記してあるそうです。

 

「私の墓を訪ねてくれる人なら、私が何者だったのか知っているはずだし、そうでない連中にそれを知ってもらう必要はない」

 

私はまだ、そこまで達観できませんけどネ。

 

ただ、フェイスブックで履歴を載せたところで、効果なんて希薄だと私は思っています。

 

私に仕事を依頼してくれる人は、私がどんな仕事をしてきたかおおよそ知っているはずだし、そうでない人にフェイスブックのプロフィールだけで知ってもらう必要はない‥‥とも思います。

 

ネットを結構使っているわりに、そういうところはガンコなのかもね、俺。

 

 

 


書き8年

このブログを開始したのは、2013年ですので、今年で8年目に突入します。文章を書くのは苦手な私が、よく続くもんだと思います。まあ、寂しがり屋なんだよね、実際。

 

最近はどう言うわけか、月のアクセス数が20万を超えることがあります。一日で4万‥‥なんて日もありました。ツイッターではなく、芸能人でもなく、単なる制作現場の内側の人間が、客受け度外視で専門的なことを書いている孤島のブログなのに、月に20万‥‥とは何か理由があるんだろうなとは思いますが、あまり気にせずいつも通りにマイペースで書いています。

 

 

 

最初の頃はね‥‥、1日(1時間じゃなくて)に100〜300アクセスなんていう月日もありました。でも、1日で100アクセスもあれば、100アクセスが100人‥‥じゃなくても、数人でも読んでくれる人がいるだけで、赤鬼気分(寂しがり屋が嬉しくなる)でした。アクセス数目的ではないので、それは今でも変わりません。

 

最近はアクセス数が多いですが、実のところ、昔から立ち寄って読んでくれて、今も読んでくれる人って、そんなに数は変わっていない気もします。アクセス数が急に落ち込んだ時は、昔ながらの数字ですもん。

 

ツイッターでは「バズる」とか言いますが、バズると何か良いことでもあるのかな? 本当に共感してくれる人って、一気に何千人何万人も増えるとは思わないんだけど‥‥。

 

 

 

一念発起して、ブログを立ち上げても、その勢いが続くのって2年くらいですよネ。

 

私はこのJUGEMで8年目、以前のジオログの頃も数年(4〜5年くらいかな‥‥忘れた)は続けてました。日記なんてとても書く人間ではなかったのに、我ながら不思議です。

 

じゃあ、なぜ続いているかと言うと、このブログに関しては「一念発起しなかった」からでしょうネ。

 

私に限らず、ブログに限らず、ツイッターなどのSNSを長く続けている人は、過度にSNSに期待して一念発起して始めたわけじゃないからこそ、気楽に続けていけるんじゃないですかね。

 

思い詰めちゃうと、早々にバテて息継ぎが必要になりますもんネ。

 

「アニメ業界とは」みたいな題材のブログも複数存在しますが、中にはもう半年以上更新されていなかったりで、一念発起して行動すると、やがて息が切れる時はくるのでしょう。「一念」に任せてしまうと、サイト全体の寿命が短くなりがちです。

 

考えてみれば私も、一念発起した物事で、尻切れトンボになっているものが、いくつもあります。恥ずかしながら。

 

 

 

実際、このブログで書いていることって、現場での雑談や立ち話みたいな内容ばかりです。何か切実な一念や怨念感情で縛られているわけではないからこそ、続けてこれたとも思います。

 

おそらく、JUGEMがブログのサービスを停止するまで続けることになると思います。以前使っていたジオログも結局、大きな仕様変更があって(内容は忘れましたが)、JUGEMに引っ越してきただけのことですしネ。

*2020年の今は、ジオシティーズもYahooブログも消滅しましたな。

 

私は新しもの好きな一面とは正反対に、なが〜く使い続ける一面もあります。‥‥さすがに50年以上生きてれば、自覚してます。

 

今こうしてブログを書いているiMac 5Kが置いてある机は、アニメーターとして自立して2年くらい経過した時(20歳頃)に、お祝いとして買ってもらったビクター(音響機器メーカーのビクターのインテリア事業部で、今はバルバーニの机です。一見、普通の机なのに、製図台のように角度が付けられる珍しい机で、私が死ぬまで使い続けると思います。木材が劣化して壊れた部分は、自分で補強したり木材部用パテで補修して使い続けています。‥‥たとえ今後半壊しても、自力で修繕して使い続けるでしょう。

 

家具と違って、ネットのサービスは運営する会社の方針ひとつ‥‥ですが、その辺は気楽に利用していこうと思います。もしJUGEMがいきなりサービス停止をアナウンスしても、それはそれで、きっぱり諦めます。ネットに普遍性を求めるのも滑稽ですしネ。

 

「桃栗三年柿八年」とは言いますが、このブログも8年目か。

 

2020年代の日本社会の変化とともに、まったりと徒然に、書き続けていく所存です。

 

 

 

 

 


NO FATEはFATEだった。

思えば、私が高校生の頃にバッハ生誕300年で、毎日のようにFMでバッハの曲を聴けたのは、運命としか言いようがないです。300年のモニュメンタルな年じゃなかったら、あそこまでバッハをエアチェックできなかったですもんネ。

 

でも、違う視点で考えると、バッハ生誕300年でFMで頻繁にバッハの曲が流れていても、全くバッハに興味を抱かなかった人もかなり多かったわけです。

 

つまり、「時代の運命」も、当人次第です。

 

当人がもともと有していた個性に対して、計らずして時代性が作用して、個性の傾向が強調されるのかも知れません。

 

 

 

「ロスジェネ」と呼ばれる世代も、その世代が全員ロストしているわけじゃないですしネ。アニメ業界には「就職氷河期」なんて関係なかったし。ついでに言えば、バブルも関係なかったです。ロスジェネと呼ばれる年齢層でも活躍している人は多いです。

 

戦中に少年時代を過ごし、戦争が原因で両親を失った私の父を見て思いますが、戦争孤児の全員が全員、根無草のような性質を持つわけではないです。私の父は執拗に「A級戦犯」の話を持ち出しますが、父自身が家庭を顧みず恐ろしいほどのお金をギャンブルに注ぎ込んだ「我が家のA級戦犯」と化したのは、どうしたことか。

 

運命や宿命って、やっぱり、本人の「つかいよう」だと思います。

 

人は、自分の生まれるタイミングを調整できませんよネ。ですから、どうやっても、時代の宿命・運命の影響下からは逃れられません。

 

ロスジェネだ就職氷河期だと40を過ぎても言い続ける当人は、20年間をどのように過ごしてきたのか。今までの20年間の運命をどのように使ってきたのか。

 

戦争で両親を失った父は、A級戦犯への怨念を、結局はプラスに転じられないまま、やがて死を迎えるでしょう。孤児となって引き取られた先の家でミジメな思いもしたでしょうが、それが様々にマイナス要素に繋がっているのを見ると、運命をどうしてもプラスに転ずることができない人間もいることを、まさに身内ゆえにまざまざと実感します。

 

 

 

私は小さい頃から、「ひがむ」のは嫌でした。小さいながらに、「ひがんだって、何も解決しない」と思ってたんですよネ。

 

私の「えずら」という名前は、響きが変で、よく間違えて呼ばれたり、「へんな なまえ〜」とか嘲笑う子供もいて、もっと一般的な「田中」とか「鈴木」とかの名前が良かったと、子供心に思っていました。なので、学年が変わってクラス替えがある学期初めは特にイヤだったものです。

 

名前は変えられない。

 

でも、一般的な苗字をもつ他の子供のことを、羨んでどうなるのか。

 

ひがんでも何も変わらないじゃないか。

 

‥‥というのを、小学校に入る頃から中学生くらいの間に経験したので、実は、そのことが後の自分の人生において「良かった」のだと今は実感できます。その当時は抜け出せない呪いのように悩んでいても、です。

 

中学生になれば、生涯の親友とも言える人間とも巡り合って、女の子に「えずらくん」とも呼ばれたら「えずら」という響きも満更でもなくて嬉しいもので、やがて「変な名前、全然OK」と思えるようになりました。

 

一方で、なぜ、あいつは俺の親友になってくれたんだろう、なぜ、あの子は好きになってくれたんだろう‥‥と思うと、「名前なんかじゃない」と解ったのです。サラ・コナーじゃないですが「NO FATE」です。

 

いやでも、実は「FATE」なんですけどネ。

 

「運命が自分を左右するのではない」ということを実感できる運命だったからこそ、絵が上手くなりたいと阿呆ほど子供の頃から絵を描きましたし、ギターを抱いたまま眠るほど弾きまくりました。

 

ゆえに、音楽の仲間もできて、絵の仲間もできて、制作現場でも多くの人たちと知り合いました。

 

私がもし「えずら」という名前じゃなかったら、運命も大きく変わっていたと思います。エスカレーター式人生を盲信して、自分には何ができるのかを自問自答しなかったかも知れません。

 

運命はつかいよう‥‥ですネ。

 

 

 

自分の人生はエスカレーター式にうまくいくなんて、子供の頃から思っていなかったです。アニメ業界に入ったら、より一層、エスカレーターなんてお笑い草で、自力で階段を登るものだと覚悟しました。

 

だから、「就職氷河期」云々で怨念を溜める人のキモチは正直わからないのです。「運命をうまく使えば良いのに」と思うのですが、そもそも自分の運命から逃げ続けて他者や他世代をひがんでばかりいれば、マイナス方向に傾くばかり‥‥なのかも知れません。

 

私の父だって、「孤児だからこそ、自分の家族を大切にしたい」という方向性もあったはずです。しかし残念ながら、父は怨念感情を底に敷いたまま、戦争による「不意の不運」を、ギャンブルによる「不意の幸運」で埋め合わせるようなことばかりしたのでしょう。そして、自ら「家庭内のA級戦犯」になったのです。

 

ちなみに、私の母は、戦中に高円寺から疎開したことで、疎開先で酷くイジめられたそうで、「疎開=戦争で運命が変わった」ことは父と同じです。しかし、父とは逆に「こんな酷い子供時代だったからこそ、自分の子供には同じ思いはさせない」と考えたようです。父とは「運命の使い方」がまるで180度違います。

 

「自分は疎開先でひどくいじめられた子供時代だったから、状況は違えど、同じく辛い思いをした戦争孤児の人なら、思いを1つにして助け合って生きていけるだろう」と母は考えたそうですが‥‥‥‥、とんだ間違いでしたな‥‥。

 

でもまあ、その間違いのおかげで、私は誕生したので、何とも皮肉なものです。

 

でもその皮肉から学べることはたくさんあります。物凄い反面教師ですわ。

 

 

 

NO FATEは、実はFATEだったのでしょう。トンチみたいですが。

 

 

 

 

ターミネーターで思い出しましたが、そう言えば、今年はバイクを買うぞ。‥‥というのを目標にしたい。

 

と言っても、シュワちゃんの乗るハーレーでもないし、大型排気量でもない、250ccのレブル。

 

若い頃は250ccのアメリカンなんて‥‥と思ってましたが、今はすんなり受け入れられます。シンプルな理由ですが、車重が軽くて維持費が安いのはいいね。

 

500ccのほうが見た目がマッチョでかっこいいけど、この歳になって、その辺はどうでもよくなってきました。パワーよりもライドを楽しみたい気分です。ガラス張りの密室ではなく、直に風を切って走るのは、乗用車にはないUXですよネ。

 

とりあえずは、ヘッドライトがLED化されるまで待ちたいです。私はBSA M20くらい古ければヴィンテージにも興味がありますが、レブルのような立ち位置なら、前後ディスクの方が良いですし(ドラムブレーキはイヤ‥‥)、ヘッドライトがLED化されるなら(500ccは既にアナウンスがありましたよネ)その方が良いです。

 

 

500だけじゃなく、250も、Sエディション(=下図の、LEDでビキニカウル付き!)をよろしくお願いしますヨ。ホンダさん。

 

 

 

バイクを買っても大丈夫なくらい、頑張ります。

 

 

 

 


2027年。Beethoven。

2027年はベートーヴェン没後200年です。私が高校生の時は、バッハ生誕300年でした。あと7年生きれば、偉大なる2Bのモニュメンタルな年を両方体験できそうです。

 

で、今年はベートーヴェン生誕250年とか。

 

250年だと中途半端だな。盛り上がりに欠けるかな?

 

ベートーベンの32曲のピアノソナタは、宝物です。3大ソナタばかりが有名ですが、無名のソナタも良いですよ。

 

世間はなにかと、すぐに「月光」ばかり流しやがって‥‥。

 

 

 

ピアノソナタは第1番からして、「ベートーベンじる(汁)」が効いているのですが、私が最近好んで聴いているのは、7番と22番です。表題はついてないですが、わたし的には、脳の中をデフラグする効果が気に入ってます。

 

22番の第2楽章は、特によく聴いてます。以下のYouTube映像の5:40から第2楽章です。(22番は2楽章形式です)

 

 

 

逆にあまり聴かない‥‥というか、聴かないようにしているのは、30〜32番ですかね。‥‥切なくなっちゃって。

 

私はまだ人生的に達観するつもりはないので、最後期のソナタのアダージョ〜アンダンテのテンポの曲とかは「ココロが向こう岸に引き込まれそう」で、今は避けておきたいのです。最後のソナタの最後の楽章、第32番の第2楽章のような「何もかも手放した」境地に浸るのは、今の私には早過ぎます。死を予感した時に、でいいです。

 

上の映像の22番は、既に第1楽章の1小節目でベートーヴェン全開ですネ。このピアノソナタを知らなくても、この出だしですぐにベートーヴェンだと当てられるでしょう。モロ、だもんネ。

 

モーツァルトでもハイドンでもシューマンでもない、ベートーヴェンのユニークな性格が表れていますネ。まあ、ベートーヴェンの楽曲は、好きになって耳慣れてくると、古典〜ロマン派初期の多くの楽曲の中にあっても、聴き分けられる強い個性があります。

 

 

 

そういえば、今年は2020年なので、0と5の年に開催されるショパンコンクールの年ですネ。

 

私が高校生の頃、ブーニンが優勝した年=1985年で、NHK特集番組をVHSに録画したり(=我が家の初VHSデッキで音が格段に良いHiFiデッキ)、FMをカセットテープに録音したのを今でも覚えています。

 

うへぇ‥‥、35年も経つのか‥‥。歳も食うわ。

 

最近はYouTubeで何次にも渡る選考の演奏の様子が見れるので、良い時代ですネ。

 

例えば、普段ならドガガガーンと派手に演奏されることの多い作品25第12番のエチュードを、曲想の持つ悲痛な響きを前面に押し出した珍しい解釈で弾いた演奏も、公式チャンネルで聴く(観る)ことができます。

 

 

「大洋」の愛称で知られる作品25-12ですが、「大洋」のサブタイトルは楽譜出版社の「後付けタイトル」でしょう。ショパン自身が「大洋」を意識して作曲したとは、楽曲の曲想からして考えにくいです。「大西洋」を活写するために作った曲じゃないよネ。‥‥実際、ショパン自身は表題を付けなかったとのことです。

 

なので、このLukasさんの演奏を「この曲のタイトルは大洋なんだから、イメージが表現されてない」と批判するのは、それはそれで思い込みのなせる愚です。

 

この曲に「大洋」をこじつけてイメージする必要はなく、音だけを純粋に、何のキャプションもなく受け取って、ニュートラルに聴けば良いです。ショパンが音符に何を込めたのか、音だけで聴きとれば良いのです。

 

前から思うんですけど、純粋に曲を聴く目的なら、「別れの曲」「木枯し」とかサブタイトルは不要ですよネ。出版時(セールスの際)にショパン以外の他者がつけたキャッチコピーみたいなタイトルは、かえって楽曲を聴く際に邪魔になると思ってます。

 

音だけで伝えたいことを、文字で邪魔するのは、無粋なことです。

 

文字でわかった気になる必要はなく、むしろ、音だけ感じて、音のままココロに記憶すれば良いと思います。

 

 

 

ベートーヴェンの「月光ソナタ」も、ベートーヴェン自身は「幻想曲風ソナタ」と題名をつけたそうです。「月光ソナタ」は死後に出版社でつけた「販売用のタイトル」とのこと。

 

月光なんてタイトルは忘れて、音だけでイメージしてみれば、グンと味わいが深くなりますヨ。

 

ともあれ、27年が楽しみです。

 

 

 

 

 


じゃあ、プロは。

はっきり申しまして、個人や学校の機材のほうが、アニメ制作会社よりもゴージャスで最新です。資金がなく、今でも旧型のPCとCS6を使っている会社はごまんと存在します。

 

まず、2020年代は、2020年代の映像技術にふさわしい機材へと、アニメ制作会社の装備がリプレースされることが必要です。それができない会社は、徐々に足場が削りとられていきます。いくら何でも、CS5.5やCS6を2020〜2030年代まで使うなんて、その時点で会社として「かなりヤバい」と自覚すべきです。

 

 

 

プロは何をすべきでしょう。

 

前回のブログでも書いたように、4Kの解像度の「4K作品」は、技術さえ更新されれば、個人レベルでも制作可能です。

 

しかし、「4K作品」ではなく「4KHDR作品」は、個人では無理です。機材が買えませんし、それゆえにノウハウを蓄積することもできません。もし個人で無理して業務用のHDR機材を購入しても、メンテできないですよネ。

 

現在10万円前後で買えるコンシューマ向けHDR機材=「Display P3」では、DCI-P3でPQで1000nitsの映像制作は実質不可能です。なので、私は自宅にはHDRのモニタは導入していません。中途半端なのを10万円出して買っても意味ないかな‥‥と思います。「なんちゃってP3」なら、iMacやiPad Proで十分。

 

DCI-P3でPQで1000nitsターゲットの映像なんて、個人の機材レベルではまだまだ数年は「自分で作った絵を、あるべき状態で見ることすら不可能」なままでしょう。

 

単純に金の問題です。金がなければ機材は買えず、ゆえに技術も知識も更新できません。iPadやiMacを買っても、それだけでは全然無理です。1000nitsでDCI-P3でPQの正確な色が映し出せるモニタって、まだ300万円(CG3145とか)はします。ラボでHDRのグレーディングなんて、個人規模でできるわけもなし。

 

ですから、まず映像品質面で言えば、プロの面目躍如は「4KHDR24p」と言うことになります。Dolby VisionのPQに対応して、映像コンテンツを公開する‥‥なんて、アマチュアや個人では現時点では不可能と言っても言い過ぎではないです。DaVinciを使うにも、別途でDolbyのライセンスが必要ですしネ。HDRの絵作りをネイティブにおこなう過程で、カラーサイエンティストの助言も必要になりましょう。

 

プロは、4KHDR24pでDolby Visionにも対応。

 

アマは、4KSDR24pで旧来のRec.709のまま。

 

‥‥わかりやすい棲み分けです。

 

 

 

アニメ特有の技術で言えば、各工程の基礎技術の高さは、プロならではです。実は基礎技術こそ、プロがプロである大きなアドバンテージなのです。

 

前回の女の子のムービーは、線画をiPad Proで描きました。そして塗りも自分で作業しましたが、ぶっちゃけ、塗りのミスがあります。私は彩色のプロではないので、彩色作業に関する技術レベルが低いのです。ペイント作業が遅く、ミスも多いのです。

 

ですから、「自宅で作ろう」というテーマではなく、商業ベースのアニメ制作なら、ペイント方式が新時代に合わせて進化しても、作業は彩色のプロに100%依頼するでしょう。

 

背景美術だって、実写を加工して作るには限界がアリアリです。商業ベースならば、専門の美術スタッフの力量が不可欠です。頼りになる美術監督は得難い財産でしょう。

 

「撮影」、いわゆるコンポジットも同じです。私は今まで劇場作品のVFXや撮影監督をしてきたので、コンポジットに関してはクオリティコントロールに目を光らせる習慣が染みついています。ゆえに、前回の女の子のムービーも、「もっと顔が見えるように照明をコントロールしたほうが良いかな」とか色々改善案が実際の作業段取りで想定できます。

 

4KHDRか、4KSDRか‥‥の他に、アニメ制作を生業として生きてきた現場の人間は、基礎技術、さらには応用技術のアドバンテージがあり、そこはアマチュアには手が届きにくい「プロならではの特別なエリア」でもあります。

 

 

 

カットアウトを取り入れる‥‥と言っても、動きの技術がなければ、それはもう、動きの醜い素人芸になります。

 

現場の作品作業の数々を経験したからこそ、作画で喰ってきたプロのアニメーターであればこそ、カットアウトにチャレンジしたスタート時点で、「動きの知識と経験」の「量と質」が違うのです。

 

‥‥そのアドバンテージを活かさずして、プロが何を活かすのか。

 

 

 

プロの作業者のアドバンテージは、「どこどこの何社は、どんな制作体制で、どんなソフトを使っている」ことを薄く中途半端に知っていることではないです。そんな上辺の情報ばかりに気を取られていては、時にはノイズになって、判断を迷走させる原因にもなりましょう。「アニメ業界のインサイダー気取り」なんて、正直不要ですわ。

 

技術に対して、それこそ愚直なくらい、実直であること。‥‥それさえあれば、2020年代の技術を導入して応用して、新しいパワーにもなります。

 

厳しい現場で研鑽を積んできたプロのスタッフ(アニメーターに限らず全工程)に、新時代の技術革新が加わった時、良い意味でとんでもない化学反応が起こって、信じがたいほどのパワーが発生することだって、あり得ます。

 

個人やアマチュアに有利なことは、実はプロに対しても有利なことでもあるのです。

 

プロが保身や既得権益に走って、昔の殻の中に閉じこもるのなら、どんどん状況は劣勢になります。

 

アマチュアが好機と感じる要素を、プロはもっとエゲつなく骨の髄まで活用すべきと思いますよ。

 

 

 



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