人間の能力

リミテッド‥‥というか、エコノミーなアニメの映像=3コマ打ち=8fpsに慣れると、それが低分解能とは思わず不自然さを感じない‥‥という意見を以前目にも耳にもしました。たしかにそうですネ。

 

しかし一方で、人間は、品質が高いものにもすぐに慣れます。

 

自分でもビックリすますが、60pに慣れると、30pですらモッサリと冴えない映像に見えてきます。30pの実写ですら、技術の世代が古いなあ‥‥と実感できるほど、体が慣れてしまうのです。

 

60pのアニメ映像を見続けていると、24pの1コマうち=フルモーション版ですら、ケーブル不良(HDMIはケーブルのバージョンによって伝送できる状態が変わる)か再生ソフトのコマ落ちと勘違いするほど、その差を歴然と知覚できます。

 

3コマの動きに関して言えば、かなりカクカクしたコマ落ち感を知覚して、少し目が疲れる気分にもなってきます。60fpsだと普通に眺めているだけで良かったのが、8〜12fpsだと脳内で足りないフレームを補完する処理をしているのが、自分でよくわかるようになります。

 

 

 

そりゃあ、24fpsで2コマ3コマ(=8〜12fps)の動きばかり見ていれば、それに慣れるでしょう。しかし、未来は、実写方面から4K60pの映像を日常的に見る生活に変わっていきます。すでにYouTubeでは60pの映像も普通になってきましたよネ。

 

今はテレビの実写映像が30pだから、まだ差が少ないのです。世間が60pへと移行し始めたら、3コマのカクカクした動きとの差が歴然と認識されるようになります。

 

まあでも、「ソレがアニメ」だと再認識されることもあるでしょう。動きがカクカクしているのがアニメの味だ‥‥と。

 

 

 

一方で、新しい技術ベースの、24pでフルモーション、60pでフルモーションのアニメ映像も現れ始めます。「フルモーションならでは」の演出技法と作画表現技法を確立した際には、以前の8〜12fpsのアニメ映像は、度々比較の対象になりましょう。

 

時代の流れは、アニメ産業がどんなに抗っても塞きとめることは不可能です。4KHDR60pの流れは、アニメ業界、映像制作業界だけの話ではないです。

 

さらなる未来的な要素は、HDRです。HDRは実は凄い「大穴」なのです。HDRこそ以前の標準(SDR)との差がハッキリ判るものはないです。

 

SDR〜Rec.709やsRGBは、まさに古いテレビ。輝度が低いがゆえに目に優しいだけが取り柄になる日も、やがて来ましょう。映像産業的に言えば、HDRへの移行は宿命的に避けられません。

 

 

 

人間の能力、そして適応力は凄いものだと実感します。

 

4KHDR、そして60pに見慣れた関係スタッフの誰もが、しばらくしたのちには、2KSDRで24pの映像との差を見分けられるようになります。

 

私が自分で一番驚いたのは、全てフルモーションで動いている中で、1枚だけ2コマの絵が混ざった場合、明らかにその絵だけ止まって見えることです。私だけでなく、その場にいた人も、驚いていました。

 

人間の目って、あれだけアニメの2コマ3コマに慣れてきたのに、24〜60fpsのフルモーションに慣れると、1枚だけ2コマになっただけで止まって見えるんだ‥‥と。

 

だって、24コマでの2コマ打ちの下は、もう1コマ打ちしかないのに、2コマでも止まって見えるのですから、「もうやりようがない」わけです。ちなみに、一瞬3コマ止まるとギャグになってしまいます。

 

実際、24fpsで2フレーム静止画になると、60pでは5コマに相当するので、目には引っかかるのは、当然‥‥なのかな。今でも、実は信じられないキモチなのです。2コマであれだけ止まって見えるのが‥‥です。

 

 

 

我々映像制作のプロは、映像のことを素人さんよりも知っている気になっていますが、そもそも人間がどれほどの動体への分解能を有しているかなんて、明確に意識しきれていません。たかだか、秒を24分割するくらいの分解能で、動きの全てを知っているなんて、傲慢で怖い物知らずで井の中の蛙です。

 

今のAfter Effectsは、一応、999fpsまで入力できます。でもまあ、モニタが60〜144Hzなので、現在体験できるアニメ制作の最高スペックは規格的には60pということになりましょう。

 

自分で60pのアニメを、ミッフィのような線の少ないキャラでも良いから動かして作ってみれば、触ったこともないまま予測や想像で60pを語る‥‥なんてことにはなりません。

 

そして、60pの動きを平然と受け入れる人間の能力に対し、認識を新たにすることでしょう。

 

 


実践こそ

ホントに思うけど、実際に扱ったこともない、4Kや60pやHDRを、想像だけでソレっぽく知った風にしゃべるのは、大きな誤解の原因ですヨ。

 

知っていることを話せば良いのです。

 

知らないことに対して、知ったかぶりを発揮するのが年長者や経験者の美徳じゃないでしょ?

 

自分でやれば良いのです。

 

他人から聞いた話とか、誰かが作ったのを見た、とかではなく、自分の手で作ってみてから、判断しましょう。

 

だって、映像制作者は、映像を自分で制作するからこそ、映像制作者なんですから。

 

未来の映像技術の中身に関する、想定的な評論をツイッターでいくら展開しても、風評だけが広がって、実体は伴わないままです。

 

 

 

家や会社に、Photoshopがある? After Effectsもある? 液タブやApple Pencilを使えるiPadがある?

 

だったら、HDRはまだ無理だとしても、4K60pで絵を動かすことはすぐにでも実践できますよ。

 

個人で研究しても良いし、会社でちゃんとお金をかけたプロジェクトとして取り組んでも良いし、とにかく、実践こそが生きた言葉の源です。

 

 

 

 


技術放談〜自動中割り、60p

自動中割り、60p。実際に、自分で関わって作業したアニメーターはどれほど存在するか?‥‥と言えば、少ないのが現実のところでしょう。つまり、頭の中だけで想像して話している状態。

 

私は自動中割り(という機能の名称ではないが)を実際に使うことがありますし、60pのアニメーションを作ったこともありますので、その辺りの実感があります。

 

 

 

まず、自動中割りの話で言えば、実写に比べてアニメのほうがはるかに自動中割り=フレーム補完は難しいです。このあたり、ちまたでは全く逆に予測されているので、きっぱり言っておきたいです。

 

絵は単純になればなるほど=情報が少なくなればなるほど、その「残された情報」の役割が重大になるので、扱いが困難になります。俳句って難しいでしょ? 行間、単語の間を読まなければ、何を言わんとしているか理解できないですよネ。‥‥それと同じです。

 

実写は情報がいっぱいあるので、素人目には「こんなにたくさんの情報を「自動中割り」するのは、さぞ高い技術が必要だろう」と思ってしまいます。たしかにフレーム補完技術はスゴい技術ですが、たくさん情報があるということは、補完する際の情報もたくさんあるので、「手がかりが掴みやすい」のです。

 

一方、アニメは色々な作風の色々な技法に基づいて、絵を少なからず要約して表現します。やはり素人目には「実写に比べて単純だから、さぞ「自動中割り」も楽だろう」と思ってしまいます。‥‥線画と動きの素人ゆえの浅はかな推測です。

 

細かく記録された高解像度の実写なら、画面の一部を切り取っても、分析できる情報が豊富に存在しますが、アニメの線画・彩色画は、情報を「描き手の意志でチョイスして要約」した内容なので、少ない情報から「何を意味しているか」を推測する必要があります。少なくとも今のコンピュータの能力では、情報量の少ない線画から推測して補完して埋めて、さらにまた要約してシンプルにまとめた新たな絵を作ることが難しいです。

 

2つの画像を分析して、中間の画像を補完して生成する‥‥というアルゴリズムにおいて、適度にさりげなく省略する絵柄、そして以下のような「グーからパー」の正面の動きは、悩ましい問題に溢れています。

 

 

もし、上図の動画が、「画像分析タイプの補完技術」で無人で処理可能だったら、革命的な発明と言えます。なぜって、「さりげなく描く」という境地に、コンピュータが到達した=人間の「意識」と同等の性能を有した‥‥ということに他ならないのですから。

 

「意識」「自我」をコンピュータも持てるようになれば、もしかしたら「さりげない」絵をコンピュータは描けるようになるかも知れません‥‥が、そうした場合、コンピュータが不満を口にして独自(=自我)の行動を開始したり、境遇に悲観して自死するようなこともあり得るのでしょう。そんなコンピュータが、大学の研究室や企業のサーバルームにあるのでしょうかね?

 

コンピュータが絵を自分で描けるほどの自我や意識や感情に目覚める‥‥なんて、なんだか、クローンの赤ちゃんと同じくらい、危険な話ですけどネ。

 

 

では、私は自動中割り‥‥ではなくフレーム補完技術をどういう場面に使うかと言えば、「コンピュータが処理しやすい簡単な場面」に使っています。

 

絵の細かさは、コンピュータにとってはあまり苦にはなりません。むしろ、絵がある程度細かいほうが補完の情報としては適しており、「どんなでも、中に絵が補完されていれば成立する」場合にフレーム補完機能は威力を発揮しています。

 

つまり、絵が溶けて多少崩れても大丈夫な場面で使います。

 

ただ、そうした場面でも、原画と原画の間のフレーム補完はかなり難しい‥‥というか、絶望的にNGです。少なくとも、動画状態(注)、または原画だと全原画の状態でなければ、フレーム補完は「割りミス」を連発して使い物になりません。

*注)動画まで動きを作ったのち、さらにその間に動きを入れるような場合

 

人間が描いた絵を自動中割りする、しかも原画から直にコンピュータが中割り‥‥なんて、はっきり言って、あてにして待つだけ無駄ですよ。

 

発想を変えて、「コンピュータでも中割りできる」内容をコンピュータにふれば良いのです。人間の代わりではなく、新しい「特殊な作画スタッフ」と捉えて、です。

 

ちなみに、CACANiとかの「自動中割り」は、フレーム間の画像生成補完技術ではなく、「線1本レベルのカットアウトアニメーション」と呼ぶにふさわしい内容‥‥と聞きました。私はCACANiを使っていないので技術内容に言及は避けますが、原画を描いてソフトにぶっ込めば‥‥ではなく、原画を描く時点から「どの線はどう動くか」を制御する技術なので、フレーム補完技術とは分けて語ったほうが良いですネ。

 

線レベルでオブジェクトとして管理すれば、たしかに「中割り」はコンピュータがやってくれますよネ。私はAfter Effectsで同じようなことをしますが、CACANiの技術は有意義で面白そうですネ。

 

 

 

次に60p。‥‥これも、実際に作業した経験がないまま、憶測と想像だけでツイッターなどで語られがちな話題です。

 

8〜24fpsに比べて、60fpsは滑らかか?

 

滑らかです。1秒間のフレーム数=秒間分解能が飛躍的に増えるわけですから、滑らかになるのは当然です。いわば、時間軸の高解像度です。fpsの「frames per second」の意味の通りです。

 

では、8〜24fpsに比べて、60fpsは良いか?

 

「良い悪い」という曖昧な基準で評価する内容なので、簡単にはジャッジできないでしょう。もう少し、違う視点で「良し悪し」を考察してみましょう。

 

 

まず、60fpsは、それまでの2コマ打ち=12fps、3コマ打ち=8fpsベースで表現される「動きの心地よさ」を実現しようとすると、ドカンとハードルが上がります。技術的に極めて難易度が上がります。

 

専門的な話で恐縮ですが、いわゆる

 

暗黙の軌道

 

‥‥で表現する余地がどんどん狭められて、

 

明示の軌道

 

‥‥を表現することが求められます。

 

「暗黙の軌道」とはどういことか、動きのポイントで軌道を考えてみます。

 

まず、動きのポイント。

 

 

もし、人間が暗黙の軌道を補完できないなら、このようになります。

 

 

しかし実際には、人間は以下のような軌道であると「勝手に」補完します。

 

 

 

一連の動きに対して、コマ落ちした限定された情報から、より多くの情報を「無意識」にリアルタイムに推測して補完する能力を人間は持っています。描く人間だけではなく、実は動きを観る人間も、こうした「暗黙の軌道」を補完しています。

 

キャッチボールをしている時、投げ手だけでなく、受け手も、ボールの飛ぶ放物線の軌道を想定して、ボールを投げたりキャッチしたりします。

 

人間というのは、どうやら、経験則によって、当座の不足した情報を反射的に補完するようです。いや、人間だけでなく、猫も(おそらく犬も‥‥。私は猫としか暮らしたことがないので、犬のことは具体的に話せませんが)、自然界の物理法則を「暗黙」のうちに当てはめて予測したり補完していると思われます。

 

ゆえに、2コマ、3コマ単位で動くアニメの動きも「うまくいっている」わけです。

 

しかし、24コマフルモーションや60fpsの場合は、一連の動きにおいて、より細かく絵のポイントを増やして表現する必要性が生じます。

 

 

 

 

そんなの、軌道をベジェで滑らかにすれば良いだけじゃん

 

‥‥と思うのは、確かにそうで、コンピュータでのキーフレーム操作の際は、秒間の分解能に関わらず、つねに軌道を意識してキーフレームのポイントを打つことが基本です。

 

しかし、実際は、簡単なカーブだけが動きの全てではなく、カーブの複合による複雑な軌道、そしてフリクションロスによる不規則な軌道など、色々な動きの軌道があります。

 

 

これを、2コマ3コマで表現する際、ポイントは以下のように要約します。要約‥‥と言っても、原画枚数7枚ですから、相当頑張って原画を描いていますネ。

 

 

しかし、60fpsだと、分解能が細かいので、動きのポイントは格段に増えます。

 

 

 

今までの2コマ=12fps、3コマ=8fpsの時には「コマ落ちの狭間に隠れていた」動きのポイントを、24コマフルモーションや60fpsでは誤魔化せなくなります。

 

「でもさ‥‥。「暗黙」なんだろ? だったら、「言わなきゃ」いいだけじゃん。60fpsでも「最初からそうだった」的にシラばっくれればいいじゃんか。」

 

‥‥とも思うでしょう。でも、それはバレるんですよ。

 

動きに興味がある人は動きの技術として見抜きますし、動きに興味がない人でも「動きにパンチがなくて、何だか動きが薄まった感じ」だと気づくことがあります。

 

 

今までのアニメを、2KSDR24pを最大とした器=ドンブリに入れる、ラーメンと例えるとします。

 

r1.jpg

 

では、未来は4KHDR60pのドンブリだ!‥‥と器の大きさだけに興奮して盛り上がっても、以下のようなショボいラーメンになってしまいます。

 

r1.jpg

 

 

麺も具も昔と同じ量のままで、ドンブリだけデカくていかにもショボいのに、こともあろうにスープは「今までの分量を4倍に薄めて」味が薄くて間延びしたマズいスープに変わり果てています。

 

こんなもん、食えんですよネ。

 

では、麺も具もスープも4Kに合わせて増量すれば良いのか‥‥というと、それもまた芸がない話です。体育会系の育ち盛りの学生の食堂ではあるまいし、単に量を器に合わせて増やせば良いという話ではないです。

 

器が大きくなったのなら、その器にふさわしい、新しいタイプのラーメンを考案して、器が料理を引き立たせ、料理と器の両方で食欲をそそるような、「新しい食体験」としての「新しいラーメン」が必要になるでしょう。‥‥料理の図例は描きませんけど。

 

このあたり、アマチュア、素人さんだけでなく、アニメ業界のプロの方々も考え違いをしている人が多いのを感じます。今までと同じ方法で4K60pなんて無理‥‥だと。

 

同じ方法では済まないどころか、商品としても新しい思考が求められます。なので、今までの方法論を引き合いに出す必要などありません。

 

 

では、「良い悪い」について。

 

60pの特性を理解し、そして十分に活用するアニメーション技術を確立できれば、観ていて美しくうっとりする映像を作れるでしょう。ですから、「60pを使いこなせれば」、「良し」と言えます。

 

しかし、24コマ時代の価値観にとどまって、24コマの流儀を60pに持ち込もうとしても、「悪し」です。決して観ていて感動する映像にはならず、単に間延びしてチカラのない映像になるだけです。

 

60pは、使いこなせれば「良い」。

 

使いこなせなければ「悪い」。

 

‥‥あ、これって、まるで一般論ですネ。でも、そういうことだと実感しました。ゆえに、今は粛々と技術を溜めて方法論を模索している状況です。

 

60pの滑らかな動きになれば、どんなアニメでも素晴らしいものになるなんて、あり得ません。

 

しかし、60pの滑らかさを使いこなせる技量・技術体系を確立できれば、24コマとは大きく隔たった、新種のアニメーション作品を作ることは可能です。60pを実際に扱ってアニメのキャラを動かしてみたから、解った実感です。「もっと観たい」と思いましたもん。

 

 

 

古い方法しか知らないからと言って、新しい方法にチャンレジしちゃいけない‥‥なんてことはないですよネ。

 

また、新しい方法が未来の全てとも限りません。

 

明確なビジョンを持って自覚的に行動しているつもりでいても、実は私も含めて、慣習という束縛の中に、無意識に自らハマって身動きを不自由にするのが、人間のサガというヤツです。ですから、定期的に自分の思考が凝り固まりかけていないか、自己診断する必要はありましょう。

 

自動中割りは完璧にはなり得ないでしょう。しかし、使える場面は相応に存在します。

 

60pのアニメを完全に否定する必要はないでしょう。過去のアニメーションの価値観から切り離された、新しいタイプのアニメが4KHDR60pを器として生み出されることは十分に想像できます。

 

私たちは、毎年毎月毎日、「発見の可能性」の中で生きていることを認識できれば、これほど楽しく豊かで、しかもビジネスチャンスに恵まれていることに、しみじみ実感できるでしょう。

 

昔からの表現を妄信せずに、要素をクールに捉えて再評価し、あえて現代に実践できれば、それは新しい時代においては「新しい売り要素」として映るかも知れませんよネ。温故知新とはそういうことと思います。

 

一方で、今まで通例ではなかったことを頑なにナンセンスと捉えるのではなく、荒唐無稽といわれるアイデアの中にこそ、未来へと続く道標が隠されているとも思います。新しい技術は、地域と言語と常識を超えて相互にリンクして、さらに新しいステップへと進みます。我々映像制作者におけるシンギュラリティとは、新しい技術世代の「ミーム」とも言える、無自覚で同時多発的なシンクロ=同調によるものと心得ます。

 

ただ1つ新旧どちらにも言えることは、

 

新しい時代の、新しいツールを、自由に使いこなそう!

 

‥‥ということですネ。目指すところは各人各所360度バラバラでも、「今」を生きているのなら、「今」を思う存分活用してこそです。

 

日本がアニメ技術先進国というのなら、色んなアニメを作って、日本の存在をアピールしましょう。

 

一時の流行に隷属しない、自由な創作の翼を広げましょうヨ。今の技術を活用すれば、海の上でも、山の上でも、街の上でも、空高く飛べるのは、本当に幸運だと思います。

 

 

 

追記:

 

今回からこうした技術的な雑談は、「技術放談」としてジャンルをまとめていこうと思います。

 

ブログって、記事を書けば書くほど、昔書いた記事が埋もれて死んでいくので、こまめにジャンル分けして、後ほどにWebにまとめてコラム化したいと思っています。

 

 


Procreateアップデート

昨日か一昨日、Procreateがアップデートしていました。

 

テキストが打てるようになった

ソロ表示機能が追加された

複数のレイヤーをPDFやアニメーションGIFで書き出せる

筆圧スムーズ機能

 

‥‥といった内容です。GIFとは言え、アニメーション機能みたいなのが装備されたのは驚き。イラスト路線で今後も突っ走ると思ってたので。

 

テキストが打てるようになった‥‥というは、他のドローソフトからすれば、「今まで打てなかったの?」と驚かれるような内容ですが、私はもう「テキストはPhotoshop」に慣れているので、どっちでも良いかなという感じです。まあ、打てれば便利でしょうから、テキスト機能追加は歓迎はしますが、一方で手書きの文字も中々味があるとも思ってます。

 

私がクリスタではなく、プロクリをメインにしている理由はただ1つ。

 

絵が描きやすいから

 

そうとしか言いようがないです。

 

全ての機能が、「絵を描く、その瞬間」にフォーカスされているので、余計なストレスがないのです。余計な部品を全部外したレース用のモトクロッサーのようです。

 

久々にASTROPADとPhotoshopで絵を描いてみると、色々な機能が過剰でゴチャゴチャしてて逆に描きにくく感じます。まあ、ワークスペースをカスタムすれば、もうちょっと使いやすいデスクトップにもなるでしょうけど、やはりPhotoshopの生い立ちと経緯からして、250ccのビッグスクーターでオフロードを走っているような重さと鈍さは残るでしょうネ。

 

 

 

そう言えば、次期macOSではiPadをサブモニタにできる機能が噂されていますネ。最近だけでなく、以前からそんな噂が流れているので、今回もどうなるかはわかりませんが、OSが正式にサポートしてくれるのなら動作も安定するだろうし、楽しみです。直近のWWDCとかで発表されると良いですネ。

 

ただ、あくまで次期との噂なので、今すぐにmacOSのPhotoshopをiPadとApple Pencilで使いたい場合は、ASTROPADなどを導入するしかないです。ASTROPADはProcreateで描き忘れたパーツのリカバーとかに結構重宝しますから(Photoshopの動作が重いので描き味は快適とは言えませんが)、持っておいて損はないです。

 

 

 

率直に実感しますが、色々なことがどんどんできるようになる界隈って、ホントに良いですネ。

 

Adobe Fontsで電子書籍だけでなくWebまで自分の思い通りにデザインできる。iPadが液タブになる。描き味の優れたAppでいくらでも絵を描ける。綺麗に精魂込めて描けば、そのまま高品質に4KHDRに映像を配信できる。個人規模であっても技術と知識を元手に商売の道が開ける。

 

後ろを振り返ると萎んでいく状況ばかりですが、前を見渡せばどんだけフィールドが開けているのか、広がり過ぎてて、ぶっちゃけ、自分の一生が足りません。もっと寿命が欲しい。200年くらい。

 

まあ、あまり浮かれすぎて足を掬われないように、お互い、粛々と状況を進めていきましょうネ。

 

 


貂明朝

貂明朝(てんみんちょう)書体を使ってみました。AdobeのCCユーザなら無料で使えます。

*もし、スマホで見ていてフォントの表示がいつもと同じ場合は、JUGEM「PC版」(右上のアイコン)に移動してください。

 

いや、無料というのは語弊があるか。CCの料金で使えます。フォントは別腹‥‥という習慣があるので、つい。

 

https://fonts.adobe.com/fonts/ten-mincho

 

貂明朝は文字が小さめに感じる印象なので、1.2emに設定。その他はデフォルト。

 

新しい時代のこころを映すタイプフェイスデザイン

言葉の豊かなテクスチャーを際立たせる文字のかたち

Adobeのサンプル文、そのまんまで。

ちなみに、貂は動物のテンちゃんです。隠し文字の全角に貂の絵文字がありますヨ。(Photoshopで確認できます)

 

 

 

‥‥と、貂明朝はここまで。‥‥あくまでテストで、今後もこのブログはデフォルトの書体でいきます。

 

こんなフォントも組み込めます。

 

 

ちぎっては投げ、ちぎっては投げ...

 

 

ちぎっては投げ、ちぎっては投げ...

 

 

 

JUGEMはHTMLのテンプレートとCSSをユーザがコード直書きでカスタムできるので、Adobe CCのフォントも使用可能にできるのです。

 

現在準備中の個人サイト(懐かしい言い回しだね)は、Adobe Fontsをせっかくなので大々的に活用して、書体のルックも楽しみながら作ろうと思っています。昔の活字っぽくもあり、電子書籍っぽくもあり、可愛らしい貂明朝をメインにしようと考えてます。

 

Adobe CCユーザなら、以下の手順でWebでAdobe Fontsが使えます。

 

Web サイトへのフォントの追加

https://helpx.adobe.com/jp/fonts/using/add-fonts-website.html

 

ちなみに、当然ではありますが、あくまで、アカウントは自分個人所有のを使いましょうネ。アカウント〜プロジェクトIDを埋め込むわけですからネ。

 

 

 

JUGEMのブログも、いざとなれば、かなり自分好みにカスタムできるんですよネ。HTMLのテンプレート部分と、CSSが直書きでイジれちゃうのですから。

 

単にユーザにスタイルを選ばせるだけでなく、コードレベルでのカスタムの余地を用意してくれているのは、嬉しいですネ。いまどきの風潮とは反して、「使える人はどうぞ。」という感じで。

 

ただ、わけもわからずイジると、ぶっ壊れる可能性もあるので、慎重にやりましょう。私も、CCのDreamweaverで試してからにしています。

 

例えばこのJUGEMも、モバイル用のHTMLに書き込むCSS部分がうまくいかなくて、もうちょっとコードを読んで流れを理解してから書き換えないと、iPhoneなどのデフォルト表示では全くAdobe Fontsが反映されません。JUGEMではなく、自分のサイトなら、モバイル用のCSSもゼロから作るんで流れがわかるんですけどネ。‥‥他人様の作ったコードを一部変更‥‥というのは、うまくいかない時は中々ムズイす。

 

とは言え、ブログでも、CSSの編集次第で、こういうボックスも作れちゃうのが、楽しいですネ。

 

 

 


100000000点

ふと何気に、AdobeのDM(メール)を見たら、Adobe Stockが、

 

 

‥‥と、「一億点‥‥、一億点?? ‥‥‥100000000点の素材集??」と、冷静に考えれば「一生かかってもプレビューできなそうな」点数に驚きました。

 

一億点は凄いでしょ。

 

まあ、私は絵や映像そのものを作る立場なので、Adobe Stockは使う機会はないですが、Adobe Fontsは今後使っていこうと思っています。フォントは個人活動レベルでも、運用面で色々とデリケートですもんネ。

 

Adobe Fonts。アドビフォント。15000のフォント。

 

15000も凄いスね。CC使ってて良かったと思える瞬間。‥‥でもやっぱり、プレビューして選び出すのに、気が遠くなりそう。

 

ただちょっと気になるのは、商用利用に関する「映像作品」のQ&Aです。

 

「商用の映画制作で使って良い」とはキッパリと書かれていないのが気になります。なので、Adobeの然るべき人に聞いて、ちゃんとした確認が取れるまでは、映画作品で使うのはやめています。

 

ビデオコンテンツの制作でフォントを使用することはできますか。

はい。Adobe Premiere Pro、Adobe After Effects などのツールを使用して、社内や放送で使用するビデオコンテンツの制作にフォントを使用することができます。YouTube や Vimeo などのサービス経由でオンライン配信されるビデオコンテンツにフォントを使用することもできます。

 

 

映像作品に関するアンサーはこれのみ。

 

「社内や放送で」という言い回しが気になります。なぜ、劇場や配信や販売メディアに言及しない??

 

私は前世紀からフォントにはピリピリしているので、上記のような文言では足りません。キッパリと、「大小の規模に関わらず、あらゆる映画作品や映像作品、それにまつわる副次の映像ディスクや配信媒体の、映像制作完成物の全ての条件において、使用できます。」と書いてない限り、曖昧な判断では使えません。

 

もし使う時は、制作会社や製作会社の責任者を通じてAdobeに確認してから‥‥ですネ。

 

映像制作完成物の公開規模によっては、フォントの使用条件、フォントの権利者に支払うべき対価が変動するのは、昔からあった事例なので、その辺をピシッと「使えます」とアドビさんに言って頂かない限り、映像制作で安易に用いるのは経験上危険だなあ‥‥と思います。

 

でも、既にアドビに確認済みの人(会社)もいるんでしょうネ。

 

 

 

ちなみに、ロゴや書籍に関しては、

 

ロゴなどの画像の作成にフォントを使用することはできますか。

はい。任意のデスクトッププログラム(Adobe Photoshop など)でフォントを使用して、画像やベクターアートワークを作成できます。作品はどのような目的にも使用できます。可能な作業としては、PDF ファイルや EPS ファイルの生成、および JPEG、PNG などのビットマップファイルの生成が含まれます。

 

はい。ロゴは著作権で保護したり、利用規約に従い、商標として登録したりすることができます。

 

フォントを商用プロジェクトや顧客のプロジェクトで使用することはできますか。

はい。自分用または顧客のプロジェクト用にデジタルデザインの作成や印刷をおこなうことができます。可能な作業としては、PDF ファイルや EPS ファイルの生成、および JPEG、PNG などのビットマップファイルの生成が含まれます。

 

フォントを PDF ファイルや電子書籍に埋め込むことはできますか。また、書籍に使用することはできますか。

はい。フォントデータが保護されるすべての ebook 形式のドキュメント(EPUB、iBooks、Kindle(mobi)、アドビの Digital Publishing Suite(DPS)、PDF など)にフォントを埋め込むことは、ライセンスによって認められています。

ただし、ユーザー自身がフォントファイルを移動することを必要とする ebook のオーサリングワークフローは、利用規約によって認められていません。

他の電子ドキュメントの場合と同様、フォントは既存のコンテンツの表示または印刷にのみ使用できます。新しいドキュメントのバリエーション、テンプレートまたはダイナミックコンテンツの作成には使用できません。

また、書籍、雑誌などの印刷出版物を作成するためにフォントを使用することはできますが、フォントをパッケージに含めたり、デザイナーや印刷所と共有することは許可されていません。

インプレッション数に制限はありません。

 

 

‥‥と、ずいぶんとアンサーが具体的です。紙書籍も電子書籍もOKなのがすぐに判ります。

 

フォントは結構取り返しのつかないことが多いですから、商用と書かれていても、詳細を確認してからです。

 

「商用利用可は、何でもどこでも使えるという意味ではない」ことです。色々ありますよねえ‥‥、商用とひとくちに言ってもネ。

 

でもまあ、少なくとも静止画のイラストや書籍には、アドビの1万以上ものフォントが使えるので、CCを契約しているなら、使わないのは損です。個人で活動している人なら、使用したいフォントを全部購入(しかも商用の高いヤツね)するのは、めちゃくちゃお金がかかりますから、Adobe FontsはPhotoshopやIllustratorのCCと一緒に使うと便利だと思います。

 

 

 

ちなみに、今でもPhotoshop Elementsって、販売してたんですネ。CCに移行してからは、全く使わなくなったし、職場でも見かけないので、2019年の最新版が出ているのをアマゾンで知って、ちょっと驚きました。

 

 

サブスクリプションではないニーズも、当然、そりゃあ、ありますよネ。

 

 


8050、XX60

最近、8050問題のニュースが流れた影響か、中高年引きこもりや孤独死などの記事をネットで目にしがちです。

 

ニュースを見て思うのは、現在は引きこもっておらず、健常に働いている人でも、将来の貧困の不安を抱えた状態だと、十分に8050の対象者になり得ることです。

 

つまり、アニメ業界で作業に明け暮れ、結婚もしなければ、報酬も低いままに甘んじてきた40代以上の世代は、分かりきっている将来の破滅に対して、何らかの対応策を講ずる時が、刻一刻と迫っていると言えます。

 

貧困じゃなければ、誰にでも起こり得る「孤独死」に対し、どう向き合って準備すべきかを考えれば良いのでしょう。

 

しかし、貧困であるがゆえに、「孤独死」だけでは済まない、相当な苦しみを味わうことにもなるでしょう。インスタント食品など偏った食事で体調も振るわず、ジムに行くお金もないので体も動かさず、日々の自宅の清掃までおろそかになりがちでいつしかゴミ屋敷となり、8050路線をどんどんハマっていく‥‥と、負の連鎖が始まるであろうことは、容易に想像できます。

 

 

 

8050は、たった10年後には9060です。いや‥‥、90はもしかしたら死亡してXXになる可能性も高いですから、XX60とも言えます。

 

 

 

日々の出来事はその前段階の伏線によって紡ぎ出されている‥‥のは、半世紀近く生きて来たのなら、承知しているはずです。

 

だったら、その伏線を活かし、新たな伏線を紡いで、できるだけ貧困に陥らない戦略を実践するしかないと思います。自分の今までの人生を最大限に活かしてこそ‥‥です。

 

自分の人生なんて大したことをしてきていない‥‥なんていじけるのはヤメましょう。イジけて8050から逃れられるのなら、みんなでイジければ良いけど、誰かの気をひきたくてイジけて見せたって、どんどん状況が悪化するだけですもんネ。

 

社会に訴えかけても、その訴えが通って対策が施される前に、ズッポリと8050の貧困にハマって苦しんだ挙句に‥‥では、あまりにも酷いです。自分は無策のまま50〜60と歳をとって、おとしまえを社会に100%依存するような行動は、愚としか言えません。

 

 

 

いわゆる「引きこもり」の人間ではなくても、8050問題は突きつけられています。

 

でも、よく考えてみれば、「今までの報酬の枠組み」「今までの自分のビジネスのパターン」から一切出ようとせずに「籠る」のも、ある種の引きこもりです。

 

自分の習慣やパターンに引き篭もりを続けていては、また別の意味での「中高年引きこもり」になりましょう。

 

健常な中高年であっても、50代前後は、自分の今までの殻を突き破って、新たな世界の新たな進路を探さないとダメなんでしょうネ。

 

 


美術展とクリムト

クリムト展が来ますネ。東京都美術館で4月23日からとのこと。

 

でも‥‥、多分、私は行きません。最近、この手の美術展で「絵を見た〜〜!」と満足することが皆無だからです。人混みを見にいくようなものです。

 

企画展はいいや。もう期待してない。

 

「あの美術館の、あの絵に会いたい」と、空いている常設展を見に行ったほうが、100倍マシです。人がまばらで静寂な、絵だけが飾ってある空間で、ずっと、好きな絵の前に立って見ていられるから。

 

 

クリムト展は、30年前に見ました。今はなき、池袋の西武美術館(という名前だった気がします。セゾン美術館だっけ?)で「ウィーン世紀末展」と銘打って開催していました。

 

良かったですヨ。今のような人混みはなくて、じっくり見ることができました。

 

私は当時アニメーターの駆け出しの頃で、大泉学園のアパートと埼玉の実家を週一で行き来していましたから、池袋には毎週出ていて、西武の美術館には簡単にいくことができました。おそらく、クリムトとウィーン世紀末展は、4〜5回見たと思います。

 

凄いボリュームで、とても1日で鑑賞できる内容ではなかったです。美術展の図録が電話帳のように分厚かったですしネ。

 

クリムトだけでなく同時代の、例えばエゴン・シーレとかヨーゼフ・ホフマン、オットー・ワーグナー、ココシュカなど、ドイツ系、オーストリア系の作品が山のように展示してありました。オットー・ワーグナーのあの精密なコンセプトデザイン画などは、チラ見だけで見切れるものではないですよネ。ちゃんと鑑賞しようとすれば、自ずと時間もかかろうというものです。

 

下図もナマで観ました。

 

 

 

あまりにもその美術展に馴染みすぎて、何度も来館したにも関わらず、最終日に「最後にもう一度」と閉館間際に行ったを覚えています。今日でもう見れなくなると思うと、なんだか切ないキモチになったのを今でも思い出せます。

 

 

 

人生の中には、生涯忘れることのない美術展や美術館との出会いがある‥‥と実感します。

 

私は80年代中頃の高校時代に鎌倉の美術館にモロー展(「モローと象徴主義の画家たち」)にいきましたが、50歳を超えた今でも、その影響下にあると自覚します。もちろん、ウィーン世紀末展もネ。

 

ダヴィンチの「荒野の聖ヒエロニムス」も強い印象を受けました。絵を目の前にした時の存在感がとにかく異質で、絵の状態もあいまって、ディテールよりも存在感だけが強くココロに刻まれています。

 

 

 

一方、現在の上野の企画展では、忘れることがないのは「すげえ人混みだった」という記憶だけです。画家が絵を見つめていたのと同じ距離で、時間を超えて自分の目で同じ絵を見ている‥‥という不思議な体験など、今の美術館の企画展では期待するだけ虚しいです。

 

上野なんか行かなくても、まだ静かに絵を見れる美術館はありますので、自分の本当に好きな絵を探して見にいきましょう。絵だけではなく、「美術館参り」した道すがらの情景まで、代え難い記憶となって、貴重な財産となります。絵を描く人間ならなおさら、自分の宝物となりましょう。

 

企画展でなければ、上野でも、常設展は見所がいっぱいです。何よりもまず、空いているので、正常に絵を鑑賞できます。

 

松園の「焔」もありますし、モローの「牢獄のサロメ」もありますし、その他、「この絵って、上野にあったのか」と驚くような有名な絵も並んでいます。

 

 

 

 

今度のクリムト展も、もし人混みが空いている時間帯があるのなら、まだナマでクリムト(の絵)を見ていない人は見にいく価値はあると思います。絵が見れずに人混みを見てもしょうがないけど、空いている時間帯があれば‥‥の話ですが‥‥。

 

私はもう、30年前にしっかり刻みつけたので、いいかな‥‥と思います。混んでない時間帯なんてわからないし。

 

 

 

ちなみに、私がクリムトの絵と初めて出会ったのは、中学2年か3年の頃、市の中央図書館の画集でした。何か、イケないものを見てしまった‥‥という背徳の感情がかすかに生じたのを覚えています。まあ、ぶっちゃけ、ど直球でエロいもんね、クリムトは。

 

中学生のウブな小僧が見れば、ドキっとするわな。

 

さらにちなみに、私の母も池袋の美術館に「クリムトとウィーン世紀末展」を見に行ったらしく、当時に感想を聞いたら、「なんかね。気持ち悪かった。」と申しておりました。

 

‥‥‥‥そうね。モネの睡蓮や、ラファエロの聖母に比べれば、たしかに。

*でも私はモネの睡蓮って、「綺麗」だけでは終わらない、魔力というか妖しさを全面に感じるんですけどネ‥‥。なぜ、あんなに、睡蓮の絵を沢山描いたんでしょうかネ。

 

変に通を気取るよりは、とても参考になる、母の率直な感想でした。たしかにコレを見ればな‥‥。

 

*私が見た「ウィーン世紀末展」にもこの複製が来ていましたが、今回も恐らく同じ複製が来ると思われます。(詳細は未確認です)


基礎という馬力

パソコンのソフトは多彩で高機能だから基礎技術なんていらない‥‥とか、応用と発展をすぐにやりたいから基礎はスキップしたい‥‥とか、いかにも初心者にありがちな思考ですが、その思考ゆえの当人の未来も暗示します。

 

初心者とは、基礎を習得することの大切さも含めて、何もかもわからないがゆえに、初心者といえますから、その辺を指導するのは経験豊富な年長者の役割でしょう。

 

ただ、どんなに日々の作業の中で基礎の大切さを吸収してもらおうと思っても、やはり、そこは人ですから、当人にその気がなければ、身につきません。それどころか、どうやれば、上の人間の「基礎を学べ」を回避できるか、どんどんおかしな状況に進んでしまうことすらあります。

 

やっぱり、大事なものごとは、自分自身で気づかないと、ダメだよね。他人がどんなに大事だと言っても、当人がそう思わなければ、状況は変わりません。

 

何か良いソフト、何か良いマニュアル本、何か良い講座やセミナーや教室。

 

延々と、自分の足元や手のひらを見ずに、何かミラクルなものが自分を変えてくれると幻を追い続けて、40代になっても見つからないままソレが幻であることにもまだ気づかず、自分の不遇を世代論に覆いかぶせて、やがてもうどうにも取り返しも取り戻しもできない事態に陥る‥‥なんて、避けるべきと思うのです。

 

であれば、やはり10代20代、遅くとも30代前半までには、基礎の大切さに気づくべきと思います。本人しか気づけないものだから、なおさら‥‥ネ。

 

 

 

After Effectsでの日々の映像制作は、アニメ撮影に関していえば、相当「型」が初めから決まっているので、After Effectsの一部の機能しか使わないまま、アニメ撮影に特化した技術しか得られない状況に陥りがちです。私もアニメ撮影のアニメ撮影監督をやっていた時期がありますので、アニメ撮影の一連の流れの「定型」の特性は経験済みです。

 

現在は、多色のブレンド(任意の複数色にブラーをかける)やグラデーション処理に、さらなる手数を要するようになったとは言え、やはりアニメ撮影の特殊な偏りはそのままです。つまり、アニメ撮影だけに従事していると、After Effectsの基礎機能も習得できないまま年齢を重ねていくことになります。

 

私はアニメーターで線画ばかりを毎日描いていた20代の頃、

 

自分が描いているのは、絵の「線の部分」だけで、絵そのもの、絵全体を描いているわけではない。

 

‥‥ということに今更ながらに気づいて、「これはヤバい。未来にツブしがきかなくなる。」と恐怖を感じました。

 

姪にせがまれて絵を描いた時に「色は塗らないの?」と言われて、‥‥‥‥そうだ、オレは色のことを自分の絵からサッパリと切り離してしまっている‥‥と、自覚したのです。鉛筆で線画を描くことも基礎の1つでしょうが、色を塗ること、背景を描くことも、大事な絵の基礎要素です。

 

アニメの撮影も似ていて、アニメの撮影に必要なものしか、業務には登場しません。なので、キーイングやトラッキング・スラビライズ、写ってしまったマズイ何か(例えば、異世界ファンタジー作品なのに、海にタンカーが写っているとか、発火コードとか、吊るす糸とか)を消す‥‥などの、After Effectsの実写系の基礎技術は全く覚えられないまま、歳だけを重ねていきます。

 

さらには、After Effectsの外部に出て、ネットワークの知識、サーバの知識、ハードウェアのメンテナンスの知識など、本来なら徐々に固めていくべき基礎の足場が、アニメ業務だけに身を任せていると、初心者のまま自分を置き去りにします。

 

アニメ業界が、単に自分の業務に関する技術だけを覚えておけば、生涯安泰だ‥‥というなら、他は全部任せっきりでも良いとは思いますが、‥‥どうですかね、アニメ業界は安泰ですかネ? 私は全くそうは思えません。尻馬に乗るようにして、フィルム撮影台をどんどん廃棄したアニメ業界=アニメ制作に関わる集団心理が、「自分の業務や工程だけは特別待遇で、未来の安堵を完全保証してくれる」とは思えないんですよ。

 

であるならば、基礎を固めて、強い軸足を自分自身で確保すべし。

 

どんな変革があっても、基礎が固められていれば、応用が利きます。色んな仕事の、色んな作業で、自分の能力を発揮できます。

 

 

 

私は、自分ながら、知識欲が過剰でソレはソレで難儀しているので、自分のやり方をお勧めしようとは全く思いませんが、基礎技術なんて知らなくても業界の仕事の流れだけ覚えれば生きていけるなどとは口が裂けても言えません。

 

私が少年時代に好きだった劇場アニメの撮影監督さんは、コンピュータにアニメ撮影が移行した後に制作に転向したものの、1〜2年でやめて、同じ会社の全く別の業務(総務的な仕事‥‥と聞いた覚えがあります)にさらに転向した後、数年で引退したと聞きます。

 

After Effectsでアニメ撮影‥‥って、いつまで続くのかな。

 

私はぶっちゃけ、AppleもAdobeも「企業であるがゆえ」に永遠ではなく、いつどんな「進路変更」があってもおかしくないと考えています。macOSもAfter Effectsも永遠だと考えるほうがどうかしてますよネ。

 

であるならば、macOSやAfter Effectsを通じて得られる基礎技術の馬力で、たとえ一時的にピンチに陥ったとしても、別の経路を這い上がれるようにしておきたいです。自分の中にエンジン=基礎となる動力源さえあれば、今までの道が崩れて険しい道しか残されていなくても、自力で新たな道を走り出すことができます。

 

というのは、やっぱり、20代の頃にキツい経験をしたからだろうな‥‥とは思います。這い上がる‥‥という意識において。

 

 

 

私も若年の頃は、基礎を軽視していた傾向がありますが、ちょっとした「今までとは違う事態」に遭遇した途端に、ヘナチョコで大きく動揺し翻弄される自分に、限界を感じていました。

 

器用さだけ、飲み込みの早さだけで、切り抜けられるのは、直面した状況がその程度の難易度だからです。やがて、器用さだけでは切り抜けられない場面に、何度となく遭遇します。

 

ゆえに基礎の大切さに目覚めたのです。20代ではなく、8〜12歳くらいの幼い頃に気づけばなあ‥‥と、過去を振り返っても仕方ないので、アラウンド50になった今でも、「知らなかった基礎」を覚えていく毎日です。

 

 


コラップストランスフォーム

After Effectsを使う場合、前回にもちょっと触れた「コラップストランスフォーム」を上手く使えるか否かが、初心者から中級者へと進むキーになると思います。

 

最初は言葉の印象から、何か小難しそうな機能に感じますけど、それは単に思い込み。

 

中身をそのまま保持するモードと思えば、使い方が解ってきます。

 

After Effectsにコラップストランスフォームの機能があって、本当に良かった‥‥とじみじみ思います。特に、すぐに寸法が大きくなりがちな4Kとかやっているとネ。

 

コラップストランスフォームは工夫とアイデア次第で、数多くの使い道があります。解像度の意図的な混在だけでなく、様々なコンポーネントとしても使えるし、ラスター画像にもベクター画像にも両方使えます。

 

私がなんだかんだと他のコンポジットソフトウェアに消極的なのは、

 

エクスプレッション・スクリプトによる制御

コラップストランスフォーム

 

‥‥という一見地味な機能を、他のソフトウェアが有しているか判断しにくいからです。

 

ハッキリ申しまして、上記2つは極めて重要です。

 

ノードを結線できる「見た目」なんて、ぶっちゃけ、どうでも良いのです。どんなにエレガントな見た目でも、結局、手作業で延々コピペする作業を繰り返したり、スマートに解像度を扱えないようでは、先祖返りも甚だしいです。

 

昔、Appleの「Motion」というソフトウェアをアニメ撮影に使えないか、とあるところから打診されて試したことがあるのですが、Motionはスクリプトに対応していなかったので、タイムシートのコマ打ちを全て手打ちでMotionの機能に置き換えて作業せねばならず、残念だけど使えなかった事例があります。

 

 

もし、紙と鉛筆の作画で、電動でも手動でも鉛筆削り器がなく、ナイフしかなかったらどうでしょうか。鉛筆を削り出すのに時間を取られて、確実に効率がダウンしますよネ。

 

ご安心ください。ナイフはナイフでも、ものすごい切れ味の鋭いナイフを用意しています。

 

‥‥と言われても、死んだ魚の眼にしかならんですよネ。つべこべ言わず、手動でコンパクトなのでも良いから、鉛筆削りを用意せい!‥‥と。

 

どんなにエレガントなインターフェイスでも、その作業内容が非効率で、機能の低いものなら、エレガントなUIなど虚しいばかりです。

 

 

After Effectsの中級段階に進むのなら、スクリプトとコラップストランスフォームの積極的な活用を実践しましょう。

 

 

 

鉛筆削りで思い出しましたが、KUMのオートマチック(といっても回すのは手動。「オート」の視点が違います。)は、鉛筆の作画を一切しなくなった今でも、現役で机の上に常備しています。鉛筆関連をたまに削る程度なら、これでキマリです。

 

 



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