1〜5式戦

自宅の自室に棚を増設し、色々と整理しているうちに、作りかけのプラモのパーツなども出てきて、タミヤの「パンサー中戦車」を20年ぶりに制作再開して完成させたのは、以前のブログでも書きました。

 

これ。

 

タミヤの「パンサー中戦車」。最近は分割組み立て式の重量感を表現した履帯に慣れているので、ゴムのようなピニョーンと突っ張る柔らか素材の履帯は、違和感たっぷりで萎えます。でもまあ、旧世代のキットは、キットなりの「味」も大事なので、このままでいいです。

‥‥ちなみに、現在買うのなら、電池とモーターで走らせていた頃の「パンサー中戦車」をあえて買わずとも、後発の「パンター」DAGを買うのがよろしいです。余談ですが、パンターは、改良型のアルファベットが「D,A,G,F」と全然順番通りではないのは、結局ナゾのままのようです。

 

‥‥で、飛行機のプラモも作りかけのがわんさか出てきて、特にアリイの1/48飛行機シリーズは、同時作業で一気に作ろうとしてたらしく、陸軍の1式から5式の戦闘機が、作りかけ具合も大体等しく、全部揃ってました。

 

左の3つの箱は、一式戦「隼」、二式戦「鍾馗」、五式戦「キ100」、右の2つは、三式戦「飛燕」と四式戦「疾風」です。アリイだけで1〜5の陸軍単発戦闘機が揃うんですネ。この他、海軍モノ、米軍のP-47や51、フォッケウルフやスピットファイアなど、アリイやフジミの旧キットが作りかけで発掘されました。

ちなみに、「アリイ」よりも「マイクロエース」のほうがアマゾンでの検索に向いているようです。2017年現在の実売価格相場は1200円前後ですので、変な値段設定(1万円とか)の出品をちゃんと見分けて正常な価格の商品を購入するのがコツです。

 

その中から、特に完成間近だった三式戦と四式戦を、現在の作り方で修正しながら組み立てています。暗色のメタルカラーで塗ってあるのが、ソレです。ラッカーのメタリック系つや消しカラーで下塗りをおこない、本塗りはアクリルで行う予定です。下塗りも本塗りも全て筆塗りです。

 

筆塗りにシフトしてから、塗装のハードルがぐっと下がって、気楽に作れるようになったのは、20年前との大きな違いです。

 

あまりにもエアブラシを使わなくなって、逆にエアブラシの設備がもったいないとは思いますが、別にエアブラシを毛嫌いしているわけではないので、適所で使うこともあるかと思います。薄いベールのように空気感を重ねる手法などには、エアブラシはもってこいですもんネ。

 

私が敬遠しているのは、ラッカーのシンナー臭が部屋に充満すること、それのみ、です。ラッカーは筆塗りでも相当部屋が臭くなりますから、ラッカー自体をやめたいところではあるのですが、色数が一番豊富なのはラッカーですし、塗る順番の縛りもあるので(アクリルはラッカーを溶かさないので、ラッカーは重ね塗りの際の下塗りに最適なのです)、ラッカー=Mr.カラーはどうしても手放せません。

 

 

私は日頃、コンピュータのディスプレイ上で絵や映像を作る仕事をしてますので、ネットの各種文字情報や画像・映像も参考しますが、同時にそうしたネットの情報から受け取れる限界もひしひしと感じております。

 

最近のアニメ制作では、「参考画像資料」との名目で、ネットで拾ってきた画像が活用されますが、そうした「借用資料」ですと、「借り物のイメージ」「カジュアルコピー」とでもいいましょうか、実感の乏しい、ボルテージの低いイマジネーションの域に留まることも少なくありません。


ネットで検索した貴重な画像や映像の資料は、まさに今の時代ならではの利点ですが、昔ながらのプラモのような立体資料も実は「唯一無比」なんですよネ。

 

手で持って、肉眼で立体を眺めることも、かなり大きな、イマジネーションの源です。

 

そのことが解らない人(ネットで便利になって油断している人‥‥とも言えます)は意外に多いです。ゆえに‥‥まあ、言いにくいことではありますが、私は私なりの「商売」のカタチが作りやすくなるんですけどネ。イメージを具体的に想像する、アイデアを実際の形として表す‥‥というのは、ネットを検索しただけでは難しいのです。3Dのモデルをビュワーでいくら何度もグルグル回しても、かっこいいアングルなんて「知っていなければ見つけられない」のです。

 

 

ちなみに、アリイのプラモは、2017年の現代にあえて買うほどでもなくなってきました。昔はハセガワやタミヤに比べて安価(600〜800円で買えた)なのが売り要素の1つでしたが、最近値上がりがあって1200円くらいしますから、あえてチョイスする理由もなくなりました。

 

でもまあ、プラモの値段が高くなって、より一層、「子供の手のでない」ものへとプラモは変わっていきますネ。

 

しかし、安くしたからと言って、子供がプラモに戻ってくるわけではないでしょうし、これはもう、時代の流れとしか言いようがないです。

 

戦うよりも、癒されることを望む風潮も含めて、時代の流れや世代の気分なのだと思いますが、ゆえに貧富の差もどんどん開いていくとも思います。

 

貧富の差‥‥って、単純に所得や財産の多い少ないで語るだけのことではなくて、潜在的な能力の差、技術力の差、アイデア力やイマジネーション力の差‥‥にも、表れちゃうんですよネ。


小さい頃から何かしらのモノを作る経験は積んでおいたほうが、良いんじゃないかな‥‥とは思います。モノを作る職業を選ぶのなら‥‥です。

 

でもまあ、それぞれの人や環境の差も含めて、「世の中」‥‥なんでしょうけどネ。

 

 

 


トップの精神論

戦史を読んだり、今の時期に放送される戦争関連のドキュメンタリー番組とかを見るに、組織のトップが精神論に傾くと、それはすなわち、敗北の色が色濃くリトマス試験紙に表れるが如く‥‥なんですよネ。昨日放映してたインパール作戦もそうだし、某国の‥‥は、まあここで言う必要もないか。

 

インパール作戦のNHKスペシャルで、牟田口氏が朝に祝詞をあげていた‥‥とのエピソードに触れた時には、「‥‥‥マジで?」と思ってしまいました。それは知らんかったです。戦争に限らず、何かのプロジェクトを成功させようとする際、そのプロジェクトのトップの人間が神頼み‥‥だなんて、一番「見たくない光景」ですわな。ああ、このプロジェクトは失敗する‥‥って、思いますもん。もはや神にすら頼るような状況なんだ‥‥ってね。

 

で、インパール作戦は散々な大敗北と大損失を被って、失敗。祝詞は役にたたなかったようです。

 

神に頼るのは極端な例だとしても、トップの人間が精神論でプロジェクトを動かそうとしている様子は、すなわち敗北が見えたということでもあります。「理に合った」、つまり「合理」的な判断からトップの人間が目を背け、「頑張れば勝てる」「頑張ればなんとかなる」と言いはじめたら、その現場はヤバいです。アニメ制作にも、そういう現場は過去にあったし、今でもあるんでしょうネ。

 

精神論は必要です。根っこの部分にはね。心の拠り所、深く強く心に定めたこと、信念、‥‥の類いは、生きていくうえでの重要な基礎にもなりましょう。

 

でも、精神論がことプロジェクトの計画立案に対し直接的に作用して、「一人十殺なら、24時間戦えれば、‥‥それを支える心と体の強ささえあれば」なんていうアホみたいな夢想が、「数字の計算に盛り込まれてしまう」ようなら、‥‥できるだけ早期に、その現場やプロジェクトから抜け出したほうが良いのです。

 

様々な戦史を読むだに、残酷だし悲惨だと思うのは、軍隊の一兵卒は抜け出そうにも抜け出すことができずに、愚将の愚行に準じなければならない‥‥ということでしょう。自分だけならまだしも、家族を国家社会に人質に取られたような状況でしょうし。

 

しかし、アニメ業界もアニメ会社も作業セクションも、国家と軍に徴収された人たちで構成されているわけではないですから、このプロジェクトはヤバいと思ったら、まだまだいくらでも手を打つ方法はあります。

 

もちろん、手を打つには、本人のスキルも相応に必要なのですが、だからこそ、日頃からスキルを蓄えて強い人間になるべく努力が必要なんですけどネ。スキルを持たない人間は、何を言っても取り合ってもらえません。居続けて流れを変えるにしろ、抜け出して別行動を立ち上げるにしろ、「対抗して渡り合えるスキル」はどうしても必要になります。

 

 

精神論は、内に秘めたるものです。決して外に出して、しかも他人に強要すべきものではないです。人それぞれの精神論が根っこにあって、その根から幹と枝を伸ばし花が咲いて身を結んだ「各人の結果物」を紡ぎ合わせて、プロジェクトは構成されるべきだし計算もすべきでしょう。

 

それにさあ‥‥。土の中にあって見えない根っこに期待して、憶測で作戦を計算するよりもさ、日頃表に出ている地上の枝葉や実で計算したほうが確実じゃんか。なぜ、見えないもので計算して、出来上がった気になれるのか、とっても不思議です。目に見えているもので判断せいよ。

 

 

Wikipediaで牟田口氏が語ったとされる一節は、極めてナンセンスですが、日本人の心情として現代にも色濃く継承され、むげに笑い飛ばせることでもないように思います。

 

皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…

 

これさあ‥‥、現代の日本、そして現代のアニメ業界のテレビアニメ制作事情でも、単語を変えて同じことを言っていますよネ。

 

日本人の国民性が、上記のようなネガティブな一節を素地に含んでいることは認めざる得ません。実は、こうした根性とか自己犠牲の考え方が、別の側面では思いやりとか気遣い、そして日本人ならではの創意と工夫を育む要素にもなり得ていると思います。

 

要は、光と陰なのです。

 

しかし、組織トップ、プロジェクトのリーダーは、決して「陰」の部分を持ち出して、「頑張ればできるじゃないか」と声高にまくし立ててはいけないのです。むしろ、できるだけクールに、極端に言えば「無感動」に、状況を精査する必要があります。

 

大和魂を作戦行動の計算に組み込む愚行は、決してプロジェクトのリーダーは犯してはならないのです。

 

根性? 自己犠牲? ‥‥作品の創作、制作に熱意を持つ人間ならば、リーダーが「大和魂」を持ち出すまでもなく、内に秘めて、日頃から結果物にIncludeしてますって。

 

大和魂をリーダーが鼓舞するなよ。空回りもぶざまこの上なし‥‥です。

 

大和魂は内に秘めるものであって、外部に向かってこれみよがしにひけらかすものではない‥‥と思います。

 

 

アニメ業界の作品制作も、徐々に「大和魂ありき」「自己犠牲の強要」から、ビジネスとして、産業として、合理的な道へと修正していくべき時代だと思います。2020年代を目前にした現代は‥‥です。

 

で、その合理的な道は如何様に? ‥‥ということですが、それこそがトップやプロジェクトリーダーの「腕の見せ所」でしょう。精神論ではなく、実質的な構造論でネ。


貧困高齢者

ニュースを流し読みしていて、こんな記事を見つけました。

 

10年後に「貧困高齢者」が大量発生… 危ないのは団塊ジュニア世代?

 

‥‥うん。そうだと思うよ。アニメ業界にいると、特に実感があります。

 

このような記事が書かれる10年前くらいから、すでに作業場では「アニメスタッフが高齢になったら、どうやって喰っていくんだろう」という話題は時折していました。アニメ業界ほど切実なんですよネ。団塊ジュニアで盛り上がって支えられてきた経緯は、事実として否定できないでしょうから。

 

簡単に仕事など見つかりません。人間の存在なんて、実はとても脆いものだと思います。

 

なので、脆さをアシストする、日頃からの、周到でしたたかな準備が必要なんですよネ。

 

現在、原画マンだったり撮影スタッフだったりする人間が、10年後、20年後、30年後の自分をどう思い描いていて、その未来のために何を今準備しているのか。‥‥また、準備していないのか。さすがに30年後はかなり朧げなビジョンでしょうが、10年後くらいはイメージできるはずです。

 

例えば、現在アラウンド40の撮影スタッフは、20年後、どんなふうに生活しているんでしょうか。「その時になってみないとわからない」とは言いがちですが、それは「その時の状況がどんなに悲惨でも甘んじて受け入れる」と言ってるのと同義です。

 

結局、「ソコ」だと思います。現在の自分の行動パターンから簡単な四則演算で見通せる未来の予想図を、できるだけ見ないように目を背けても、やがて未来はやってきて、準備していた人間とそうでない人間の「明暗」が分かれていきます。

 

要は、未来を見ること、ただそれに尽きます。足元を見たり、後ろを振り返ったりすることも大事ですが、同じくらい、進む先を見据えることは重要です。「今しか見てない」「昔のことしか言わない」のであれば、未来なんか見えてくるわけないのです。

 

私の経験則が教えてくれるのは、「未来を見据えれば、未来の道を進んでいける」ということです。単純なことですよネ。

 

 

 

これは、「システムの死に慣れること」とも言えます。

 

アニメ業界は、長らく、演出、絵コンテ、レイアウト、原画、動画、美術、仕上げ、撮影、編集‥‥というシステムで商売を続けてきましたが、そのシステムに対して、高齢者になっても依存し続けられるでしょうか。業界のシステムが抱え続けた問題点も大きいですし(特に金の面でネ)、仮に20年後にもシステムが存続していたとしても、高齢で体力が急激に衰えた時に過酷な作業ペースに追随できるのでしょうか。‥‥私は冷静に判断して、それは無理だと思います。

 

制作現場のシステム、自分が生活していくためのシステム。システムにも色々ありますが、どのシステムも誕生と成長と衰退と死のサイクルがあります。自分の一生の枠の中でも、子供時代、学生時代、新人の時代、一人暮らしの時代、結婚するなりして同居する時代‥‥など、様々に生活のシステムが生まれては死んでいきます。自分の役職の変移によっても、生活のシステムは一変するでしょう。

 

私はアニメ作画現場から抜け出て、自分の中での「作画生活の終わり」も経験し、その後の様々な取り組みの中で、システムのサイクルを見てきたので、「システムの死」には(おかげさまで)免疫がそれなりにできております。逆に、色々な浮き沈みがあるとは言え、作画一本、撮影一本で生きてきた人は、システムの死をほとんど経験せずに今まで経過してきたので、「システムの死」に際して「自分はどのようにアクションすべきか」を経験上知り得ないと思われます。

 

頑張ることしか覚えてこなかった。流行の絵柄に合わせることはしてきたけど、時代の技術の潮流を読むような意識はなかった。どんなシステムで、どんな開発プロジェクトを起こすべきか、ほとんど考えたこともなかった。

 

表層の流行時々のキャラの顔を似せて描くことはしてきたけど、撮処理のテンプレートを踏襲することはしてきたけど、土台となるシステムとプロジェクトをゼロから立ち上げることなど全く意識してこなかった。システムが死んでしまうことなど、考えたこともなかった。

 

‥‥危うい限り‥‥ですよネ。「システムの死」に対して免疫をもたない‥‥というのは、何とも脆いことだと思います。

 

 

 

悲観的な未来など見たくない。‥‥そうでしょうか? 私は悲観的であっても未来はちゃんと見据えておきたいです。なぜかと言うと、未来が「崖っぷち」ならば、崖っぷちに向かって車を走らせて、アクセルを踏み込むようなことはしたくないからです。

 

今まで歩んできた道をまっすぐに進んだ先の未来が、どうやら崖っぷちであると判断できるからこそ、右折なり左折なり迂回なりして、別の道で進もうと、事前に判断できます。

 

未来は崖っぷちなようだから、見ないことにする。見ると辛いから。‥‥で、そのまま道なりに惰性で進み続けて、やがて崖下にダイブしていくのを、団塊ジュニア世代は本当に望んでいるのでしょうかね。みんなで無理心中すれば寂しくないし怖さも紛れる? ‥‥今日は終戦記念日ですが、まさに72年前の日本がそんな雰囲気だったのかも知れませんネ。

 

私も団塊ジュニア世代前期の人間ですが、私は崖下にはダイブしませんし、別の道筋と道順を模索しようと思います。「如何に死ぬか」よりも、「如何に生きるか」を、現在過去未来のプラスもマイナスも全要素含めた上で、考えたいです。

 

 

 

いやまあ、正直、ホントに、今後のアニメブーム世代の団塊ジュニアの進む道は厳しいと思います。今までの道を歩き続けるのならネ。世代の当事者だから、実感があります。

 

だからこそ、厳しさから身を護ることも含め、技術の現代性を色濃く意識して、「今までと同じ道を歩き続けてはならない」と強く深く自戒します。

 

鉛筆の力を信じる。‥‥とか言ってる場合じゃないんですよ。

 

鉛筆なんていう単一の道具にこだわっている時点で、崖っぷちへまっしぐらです。鉛筆が重要なんでしょうか? 違いますよね。生み出される絵そのものが、アニメーションそのものが、何よりも重要な原理だと思います。絵を描く際に、鉛筆しか信じられないなんて、何とも哀れです。

 

私は、絵の力を信じようと思います。映像としてのアニメの力を信じようと思います。それが未来への何よりも決定的で重要なキーワードだとも思っています。

 

高齢を「老いぼれたベクトル」にしか使えないのは、何とも惨めな話です。歳を重ねたことが、すなわち、技術の大きなピラミッドを形成するような生き方をしない限り、どこの誰にでも「高齢貧困者」の暗い影は忍び寄ってくるのだと思います。

 

 

 

 


スタンドをプチ改造

プレイテックの折りたたみギタースタンドは、コンパクトで置き場所を節約できるのが特徴ですが、どうせなら、もっと節約したいと思い、簡単な改造を加えました。パーツの付け足し程度の改造です。

 

ZENNブランドの「GSAE」は、980円の安価なスタンドですが、傾斜がやや深めなので、意外に奥行きで面積を消費します。

 

 

‥‥なので、ギターをもっと垂直に立てるように改造して、湾曲したアーム部分にもう1本ギターを置けるようにすれば、収容力が倍になりそうです。

 

100円ショップの木材を利用して、中心に6〜8ミリ前後の穴を開け、タイラップで固定できるようにします。これが2段目のストッパーになります。

 

 

 

タイラップは強力な強度がありますから、こんな感じに装着すれば、1組のアームに2本を収納できる、2段重ねのギタースタンドに早変わり。

 

 

壁面を利用すれば、3本スタックもイケます。

 

 

これならば、部屋の隅に置いて、3本のギターを立てかけられます。

 

日本の都市部で一番お金がかかるのは空間ですもんネ。面積は「ゆったり広くしたいところは潔きよく広くとって、そのかわりに、圧縮するところは可能な限り圧縮する」方針がヨロシイと思います。

 

100円ショップの木材や、デイツーの98円木材は、思いのほか、重宝します。電動工具を日頃から常備しておけば、簡易な加工で色々なアイデアを実現できますヨ。マキタやボッシュに比べて安価なブラックアンドデッカーのミニドライバセット18Vのマルチツールあたりを揃えておけば、大体のことはできてしまいます。ツールがなければ、木材に穴を開けることすら、おおごとです。

 

未来のスタジオ作りも、業者さんにいちいち頼むではなく、DIYでどんどんカスタムしていくのが現実的と考えます。なぜか‥‥というと、「どんな仕様のスタジオにしたら良いか、試行錯誤しながら形が見えてくる」からで、小変更の連続をその都度業者さんに頼んでいたら果てしないですもんネ。ある意味、「スタジオは生き物」ですから、最初から計画通りにコントロールすることは難しいので、事前に全てを見通した的確な指示を業者さんに出せるわけもないのです。

 

理想のスタジオを作った!‥‥なんて、高いお金と労力をかけても、3年くらいでどんどん「物足りなく」「不都合」になってきます。土台は業者さんに頼むとしても、自分たちでカスタムしてスタジオの機能を更新していく能力も必要です。

 

アイデアを現実の形に変えていくには、DIYの技量も時として必要になります。絵しか描けない、コンピュータの中でしかアイデアを形にできない‥‥なんていう狭苦しさは払拭したいと思っております。自分たちの制作環境のアイデアも、どんどん現実の形にしていきたい‥‥ですよネ。

 

 


筆塗り雑感。

作りかけで放置していた「パンサー中戦車」を20年ぶりに作業再開した際、以前の塗装が絵画技法でいうところの「下塗り」と同じ効果となって、妙に味のある塗装面になったのは、思わぬ収穫でした。

 

考えてみれば、あらかじめ「オキサイドレッド」のサーフェイサーを吹く方法=下塗りの際に落差の大きい色で塗装する方法は、エアブラシをメインとした技法でも定番です。私も1/72スケールのAFVで実践していますが、実のところは、マティエールが無機質になりがちなエアブラシでは効果がハッキリとは表れませんでした。

 

 

しかし、田中式塗装術、アクリル絵画式塗装法ならば、オキサイドレッドやハルレッドの下地、ランダムにまだらに暗色で塗りつぶした下地が、筆のマティエールとの相乗効果によって、かなり「風情のある」塗装面が期待できそうです。

 

前回の「パンサー中戦車」は未塗装のパーツもあり、パーツ成型色のダークイエローの上に、塗料のダークイエローを上塗りした箇所もありました。しかし、同系色の下塗りに、同系色を上塗りをしても、ほとんど効果がなかったところから察するに、塗装色の隠蔽力もある程度計算に入れて、「透けた後の効果」を狙って塗ったほうが良い‥‥というのも、実は絵画技法そのまんま‥‥です。

 

絵画技法から応用できる要素は、筆塗り塗装に関しては、豊富にありそうです。

 

試しに、今度は1/48の、これまた20年越しで放置中の航空機モデルがいくつかあるので、「ダメでもともと」で下塗りの塗装を試行錯誤してみようかと思っています。

 

まずはアリイ(オオタキ)の四式戦「疾風」あたりでやってみようかと思いますが、疾風は陸軍のダークグリーンと無塗装銀の2種類があるようなので、どちらをやってみようか、考え中です。

 

ダークグリーンの場合、下地の色は何色にすべきか、また、銀色の場合、下地の色相に影響されて寒色・暖色如何様にでも振られまくるんじゃないか‥‥とか、色々と未知な部分はありますが、まあ、気楽にやります。

 

*これはハセガワの疾風1/48。このボックスアートの筆致、タッチは、まさに小池繁夫さんの独壇場ですネ。最近は、1/48のMMのボックスアートを描かれている方(お名前は調べていないのでわかりません)の絵も好きです。米軍燃料補給車の箱絵は、リアルかつ絵画的で、お気に入りです。

 

* * *

 

プラモデルの作り方って、どこか「作り方の常道がいつのまにか出来上がって、無意識にそれありきで思考していた」自分を思い起こします。綺麗にマスキングしてエアブラシで塗装した後、質感を加えていく‥‥みたいな。

 

でも、私が学生の頃に学んだ油彩も水彩も、そんな描き方ではありませんでした。綺麗にムラなく塗った後に質感を加える‥‥という方法ではなく、様々なアプローチやフローがありました。下の写真は、高校時代に愛読した技法書です。カラヴァッジオやレンブラントなどを模した技法のフローが解説されています。(現在、絶版のようです)

 

 

「プラモデルには、プラモデルなりの作り方が…」と考えて他の可能性を積極的には考えようとしなかった中、「プラモデルの絵画技法」とも呼べる「田中流塗装術」の本を偶然目にして、アマゾンで購入して読んだ時に、じゅわ〜と雪解けたのです。「自分の思うカッコよさが表現できれば、現在の常道を必ずしも踏襲する必要はない」と。

 

プラモデルのエアブラシ技法は、なんだかんだ言ってもやっぱり「塗装」の延長線上であって、「絵画」の延長線上にあるとは言えないんですよネ。エラブラシにだって絵画技法はありますが、こと、プラモデルのエアブラシ活用はやはり「塗装」のイメージであって、絵画のイメージではないのです。そこがずっと、心の中でひっかかり続けてたんですよネ、私の中で。

 

しかし、田中式塗装術で開眼したあとは、より一層気軽に実践できるアクリル絵画式塗装法を探ることによって、部屋の換気などあまり気にもせずに(ラッカーよりアクリルや水性のほうが圧倒的に臭気が穏やかです)、マティエールのバラエティも試しつつ、楽しんで制作が可能になりました。これはプラモを作る上で、あまりにもデカい変革の要素です。

 

最初に綺麗に塗装した上で経年変化や汚れなどの質感を加えていくという方法ではなく、ラフな描画状態から、徐々に細部をつめて、全体像を完成させていくという方法も、「実は、同じくらいアリ」なんだと実感します。

 

でもまあ、エアブラシの機材も買って揃えて、色々とハンドピースで塗装してみた後で、筆塗り塗装法の特性も比較・認識できるのも事実。思うに、両方必要かな‥‥とも実感します。

 

*現在の私の主力機「タミヤ レボ2」。もっと強力なポンポンポンポン!‥‥と音のするのもありますが、今はこれで十分です。あとは、カンスプレーのサーフェイサーや塗料です。缶だと、屋外で吹けるのがミソ。

 

 

要は、様々な技法の可能性を得るには、筆もエアブラシも両方必要‥‥ということですネ。

 

 

「もう出尽くした」なんて言ってても、案外、考え方の根本を変えると、色々と出てくるもんですよネ。

 

プラモの塗装だって、「憧れのエアブラシ」ではなく、恐ろしく身近な数百円の筆による筆塗りで、色々な問題が解決することもあります。臭気、コスト、フットワーク、どれも筆塗りなら軽快です。

 

 

私の本業のアニメーション制作も、実は考え方の根本を変えれば、「色々」と出てくるもの‥‥ですヨ。

 

 


パンサーを成仏さす

連休中に自宅の部屋を整理してたら、20年以上前に作りかけで放置していた「パンサー中戦車」のパーツが出てきました。‥‥ので、この機会にちゃちゃっと完成させて「成仏」させてやるべく、作りかけの作業を20数年ぶりに再開しました。

 

 

記憶は曖昧ですが、おそらく、20年前の時期は、私がコンピュータを使い始めた頃で、プラモデルやバイクや画材よりも、コンピュータのほうに時間とお金をかけ始めるようになって、尻切れトンボで放置されたのだと思います。

 

パッケージの値札を見ると、「にのたか」との表記があり、三鷹の「にのたか模型店」で購入したことがわかります。三鷹を昔からご存知の方は懐かしさを感じるかも知れませんネ。まあ、模型店という存在自体、模型店でプラモを買うという行為自体が、今となっては懐かしい限りです。

 

 

 

ちなみに、現在でも同じ商品は継続して販売されておりますが、定価は税別で「2200円」で、値札の「1020円」の表記で推測しても、購入した年代が大体わかります。私の小学生くらいのころは800円前後で販売されていた記憶があるので、随分とプラモデルも時代とともに価格が上昇したことになります。車体下部に記された刻印は「1969」なので、金型は相当古いですネ。私が2歳の頃ですもんネ。

 

箱の内側を見ると、タミヤの出版物の広告が印刷されています。最近は見かけませんけど、もうやめたのかな?

 

 

隅に溜まったホコリが、20年の月日を感じさせますが、「モ子ちゃん」のキャラも完全に80年代テイストで、時代を語っております。現在皆でこぞって描いているキャラの方向性もかなりデフォルメやデザインに癖がありますから、20年後には相応に時代を感じさせるキャラになっていることでしょうネ。

 

 

 

話を戻して、作りかけで20年以上放置され続けたプラモはこちら。

 

エアブラシで迷彩を塗装した後に、何年かおきに手をつけながら、思いつきで斑点などの迷彩パターンも足して、さらに残念な出来栄えになって、すっかりあきらめて放置した様子です。

 

斑点や円の模様はさ‥‥、もっと丁寧に時間をかけて描かなきゃダメですよネ。細かい模様で無数に描く必要はありますが、だからといって、筆で「ちょちょい」なんて描いたら、「傷口」がどんどん広がってしまいます。まさに下図の通りに。

 

 

加えて、砲身は真ん中から折れて(おそらく、エナメル塗料の墨入れによる材質の劣化により脆くなっていたと思われます)、細かい部分も折れて紛失していたりします。「修理」してくっつけて、サーフェイサーの1200番を筆塗りしております。

 

 

砲身の付け根、防盾の影の部分に塗料が回っていないあたり、随分とテキトーでイーカゲンな制作です。昔の私の大雑把さがよくわかります。

 

現在の私は、プラモに関しては達観しており、妙な虚栄心は失せておりまして(=模型雑誌に出ているような素晴らしい出来栄えを目指そうと考えるのはやめた)、「人に自慢できるか」よりも、「自分の部屋に置いて、自分なりに良いと思えるか」程度の、低いハードルです。雑に作ろうとは思わないけど、人に見せて自慢することを目標にはしない‥‥とでもいいましょうかネ。このパンサー中戦車も「棚に並べられるように組み上がっていれば良い」程度の目標で、1日未満の作業でフィニッシュしちゃいます。

 

なので、ダークイエロー一色の、大戦中期以降のドイツAFVの標準色で仕上げることにします。

 

塗装は、「田中式塗装術」からヒントを得た、「アクリル絵画式」で今回もいきます。プラモデルの塗装を、「実物ミニチュアの塗装」でなく、「立体物をキャンバスにした絵画」と捉える方法です。

 

ゆえに、現状の塗装は、うってつけの下塗りテクスチャとなります。絵画ではよくやる技法です。

 

 

 

見ての通り、かなり薄めたタミヤ・アクリル塗料で油彩や水彩を描くようにして、塗料をのせていきます。薄め‥‥ということは、溶剤をたくさん含んでいることですから、塗った直後は筆致が多少盛り上がっていても、溶剤の揮発とともにフラットになるので心配ありません。

 

「筆ムラを活かして、表現にする」のは、絵画では「いわずもがな」の大前提であって、むしろ工業製品の塗装面のように一切のムラなく描くほうが異質です。実物のミニチュアとしてではなく、ボックスアートが立体になったような雰囲気で捉えるのがヨロシイです。

 

 

面積が広いので時間はそれなりにかかりますが、エアブラシの装置の手入れや、マスキングに血道をあげる手間は全く不要で、気楽に塗れるのが、田中式塗装術の最大の利点‥‥とも言えますネ。

 

もともとの塗装が下から透けて見え隠れして、表面の色彩に影響を及ぼす‥‥というのは、まさに絵画の常套テクニックです。美術館で実物の絵画をいろんな角度で自由に見ると、画家の技法が垣間見えますが、そうした技法をプラモの塗装にも活かせるのが、筆塗り塗装術の表現上の特徴です。

 

 

 

細かい部分を残して、大まかに塗り終えた状態が以下です。

 

 

既に転写したデカールはそのまま活かすことにします。ダークイエローの塗料で、デカール周辺を塗りつぶしていきます。

 

ルーペ極細面相筆さえあれば、デカールの数字だけを浮き立たせる塗装も、さして難しいものではありません。面倒がらずに丁寧に筆を動かせば、このくらいは誰でもできるでしょう(その作業が好きかどうかは別として)。

 

ただ、逆に言えば、「ルーペ極細面相筆がないと、よほどの視力の持ち主でもない限り、不可能」です。ルーペと面相筆に限らず、適切な道具があれば不可能は可能になり、道具が不適切だと不可能なまま停滞するわけです。

 

細かい対象物さえハッキリと見えれば、意外なほどに、自分の手の動きは精密な対象を処理できるのです。

 

 

 

 

数字は小指の先ほどの小ささですが、ルーペと極細面相筆でスイスイ作業は進んでいきます。塗った直後の塗装面がボテッとしても、「223」の最後の写真を見ればおわかりのように、乾けばフラットになるのです。

 

細かい部分が終われば、あとは墨入れだの、予備の履帯などの小道具の組み立てなどをして、完成は間近です。下図は、暗めのグレーに調色した墨入れ用エナメル塗料で、各部に墨入れした状態です。この後、はみ出した墨を拭き取っていきます。

 

 

 

‥‥で、とりあえず、完成しました。

 

実はワイヤー類の小道具パーツをまだ取り付けていないのですが、この頃のタミヤのキットは、「プラを炙って曲げてね」と言う、なかなか「ちゃんとやろうとすると結構難しい」ことを要求するキットでもあるので、今のところは割愛しちゃいます。気が向いたら、繊維の紐を使って自作してくっつけることにします。(現在の1/48のミリタリーミニチュアのやりかたですネ)

 

 

時代考証とかはまるでなし。実車は存在しません。砲身のキルマークも含めてフィクションです。

 

とにかく、「中途やバラだと飾りようがないので、飾れるくらいまでには仕上げた」感じです。砲塔左側のフックが折れてたり、車体上下を組み付ける役目の車体前部の切り欠きが折れていたりと、知っている人が見れば中々なオンボロ具合ではありますが、全体をサッと見た瞬間の雰囲気は、悪くないと思っています。

 

これで20年越しの「パンサー中戦車」もようやく成仏できそうです。

 

しかし、この他にも、やはり20年越しの1/48のオオタキ(アリイ)の三式戦飛燕、四式戦疾風、五式戦、etc‥‥が「早く成仏させてくれ」と棚の中からこちらを見ているので、「筆塗りで気軽に仕上げられることがわかった」今は、あまり長引かせずにフィニッシュしていきたいと思います。

 

 


Blues

私の父方の祖父母の記憶は、私が生まれる遥か前に祖父母が他界したので、当然、何もありません。

 

私の知りえた記憶は、赤ん坊の頃の父を背負いながら、笑顔で写っている祖母の若い頃の写真と、戸籍に記載された事項だけです。祖母の写真は20歳くらいの頃で可愛らしい笑顔が印象的で、顔立ちはホリが深めの縄文系とでもいいましょうか、何にせよ、1枚の写真しかないので、想像で膨らますしかないです。

 

その他は戸籍の情報だけです。いつどこで祖父が「戦死したことになっているか」とか、祖母が何年何月何時何分に死亡して除籍したとか、淡々とした記録のみです。

 

ちなみに、私の祖父が戦死したのは、満30歳の時、後を追うようにして病死した祖母は満31歳でした。‥‥30歳の男性と、31歳の女性を、祖父母と呼ぶのも、何とも不思議な感じですけどネ。


私の父を含む兄弟3人の子供たちを残して、30、31歳の若さで二人とも死んだのです。もし、祖父が戦死しなければ、祖母も若くして死ぬことはなかったかも知れません。

 

それを想うと、無性に悲しくなります。

 

 

もし、じいちゃんとばあちゃんが生きていたら、孫を夏祭りにでも連れていってくれただろうか。アメ玉の1つでも買ってくれただろうか。金魚すくいの1回でも遊ばせてくれただろうか。祖父母の家の廊下を裸足でかけてはしゃいで、昼には家族皆でそうめんでもすすっていただろうか。

 

夏になると、夏休みの頃の記憶が蘇って、そして2発の原爆とともに終戦を迎えた8月がやってきて‥‥と、何だか、自分の感情を持て余します。

 

母方の祖父母の家に毎夏遊びに行っていたので、決して、おじいちゃんおばあちゃんの記憶がないわけではないです。しかし、父方の故郷の記憶は、父が故郷を頑なに遠ざけていたので、皆無です。

 

 

夏の青い空は大好きです。色が深くて、美しいですもんネ。

 

でも同時に、少し悲しく切なくなるのは、私の生い立ちなりの「Blues」ということなんでしょうかネ。

 

 


一生懸命頑張ったけど負けた

本日は原爆投下の日、そして1週間と少し後の8/15は、終戦記念日ですね。

 

私は、終戦記念日の8月15日を、別名「敗戦記念日」、または「一生懸命頑張ったけど負けが確定した日」と、心の中で考えております。

 

人は、とかく、「一生懸命頑張る」ことを美徳とし、ともすれば、「一生懸命頑張れば、願いは成就する」と考えています。しかし、負けたんですよね、日本は。‥‥このことは、とても重要な、生きる上での指針となると思っています。「命がけで、一生懸命頑張っても、負ける」ということを、様々な戦記や手記の数々で、まざまざと思い知るのです。

 

終戦記念日、あるいは、敗戦記念日・戦敗記念日は、まさしく「戦いに敗れたことを、今の心に記す日」と言えます。

 

太平洋戦争の顛末は、実は何度も敗戦後の日本で、形を変えて、繰り返されていると思います。私の身近なアニメ業界だって、何だか、状況がどんどん悪くなるのに「一生懸命頑張ればやがていつの日か良き日が」なんて思い続けて、根本的な技術革新をおこおうとしないあたり、「日本人ってそういう民族なのかな」と感じずにはいられません。

 

勝てる。

 

負けるものか。

 

頑張れば、いつの日か報われる。

 

こんなにみんな、頑張ってるんだもん。ダメになるわけがない。

 

どんなに頑張っても、どんなに辛い思いをしても、どんなに過酷な働きをこなし続けても、どんなに命を犠牲にしようと、「負ける戦いは負ける」という事実を、まさに8月15日は教えてくれているのだと思います。

 

みんなで頑張っていることは、何ら、勝利や成功のバロメータではないのです。むしろ、皆で一致団結して、破滅に向かうこともあるのでしょう。

 

 

私の母は、疎開によって人生が狂ったのだと思いますし(疎開先で辛いイジメにあった)、それ以上に私の父は、戦争で父を亡くし、終戦間も無く母が追うようにして病死し、まさに戦争孤児のようになって人生が何もかも変わってしまったのだと思います。

 

命を捧げた、その代償が、敗戦です。

 

 

 

アニメ業界の今の全体方針で、未来に勝ち残っていけますか? ‥‥日本の敗戦から学べていますか?

 

私の考えはハッキリしていて、「今のままでは負ける」と思っています。何に負かされるのかというと、時代と社会に‥‥です。

 

今、「戦えている」ことは、未来の勝ち残りの「何の保証にもならない」のは、やはり、日本の敗戦が雄弁に物語ってくれています。小手先の必勝兵器も必勝戦法も、劣勢を逆転するには至りません。

 

安全牌に日和っていること、そして、従来の慣習をよりどころにしていることが、未来の猛烈なリスクになることも教えてくれています。

 

一方で、敗戦は、新興の勢力に頭角を現すチャンスを与えた事実を示してもいます。

 

 

8月15日は連合国にとっては戦勝記念日。しかし、日本にとっては戦敗記念日です。

 

あんなに頑張って、身内も死んでいったのに、なんで負けたんだろう。‥‥負けた国だからこそ、深く考えられることもあると思います。

 

負けたことを、仇ではなく、糧にしないと‥‥ネ。


美術展のベストワースト

前回、美術展より美術館のほうが、絵をゆっくりと自分の好きな見方で楽しめる‥‥と書きましたが、美術展でしか見れない絵画があるのも事実ではあります。

 

今まで見た美術展で、心に残る思い出はいくつもありますが、もちろん、良い思い出も悪い思い出もあります。

 

ワーストは、なんといっても、ダヴィンチの「受胎告知」でした。最々々々々々悪でしたな。見にいったことを後悔する美術展も珍しいですが、超絶忌まわしい記憶です。

 

怪しげな黒く広い部屋に、人々が蛇行して行列させられ、一番奥の「絵が展示してあるガラスケース」であろう地点に向かって足踏み行進させられる陰鬱なトラウマの情景の果てに、ようやく目の前にしたのは、はるか向こうのマティエールも見分けられない遠くに遠ざけられた絵画のあまりにも遠さ、遠、遠、遠、遠、遠、、、、。

 

「立ち止まらないでくださあ〜い」という係員の指示のもと、足踏み行進はゾロゾロと続き、やがて部屋の外に吐き出される‥‥という、まさに悪夢。そこで見たのは、「受胎告知」という表題の絵画ではなく悪夢。

 

ダヴィンチの受胎告知のマリアは、凛とした顔つきが魅力。別のバージョンでは「えええ、そんな‥‥(ポッ)」と顔を赤らめるような描写もある中、「あっそ。OK。」みたいな既にキモが座りきった貫禄を見せる、中々のキャラです。

 

 

*むしろ、目が坐っていると言っても、過言ではないマリア。そこに恥じらいの描写は微塵もない。

 

そんな凛々しいマリアが、まるで見世物小屋のメス猿みたいになってしまって‥‥。あんな状態のものを見るくらいなら、綺麗に印刷された図版のほうがましです。実物を見にいく意味が無い。

 

とはいえ、私の中で明確な基準も出来上がりました。「受胎告知の時のような美術展には、行ってはならない」‥‥と。

 

他は、なぜか人が大量に押し寄せていた「ムンク展」とか、人気だからしょうがないとは言えやっぱり人が多くてまともに見れなかった「国芳展」などを思い出します。ムンクって、こんなに人を呼び寄せる力があったのか!‥‥と、ちょっと嬉しいような不思議なような。

 

 

ベストは古い美術展になりがちです。昔は音声ガイドなどなくて、絵画のど真ん中に妙に立ち尽くす人もいなかったから、余計良かったんだと思います。音声を聴くのに夢中になっちゃって、肝心の絵画はBGV、ボーっと絵画をあたりの虚空を見つめ続ける‥‥なんてことはなかったから、人の流れも相応に円滑でした。

 

ベストは2つあって、1つは前回も書いた、1985年の鎌倉のモロー展です。渋谷で10年前くらいにやったヤツではなく。

 

渋谷のモロー展も絵の点数は多くて見応えがありましたけど、いかんせん、場所が狭すぎでした。渋谷の弱点ですネ。催事場を改築しました‥‥的な貧相な空間なのが、絵画の魅力の足を引っ張ってます。美術展は本式の美術館でやるのがふさわしいと思います。暗い部屋に映写機とスクリーンを持ち込んでパイプイスを並べても、映画館にはならないのと同じです。

 

鎌倉のモロー展はホントに良かったです。緑の中を歩いて抜けると美術館があって、天井も高く吹き抜けているような大きな空間で、ゆっくり自分のペースで、19世紀末のシンボリズムの画家たちの作品を心置きなく鑑賞できたのは、最良の思い出です。

 

 

時折、観光ツアー客がぞろぞろと押し寄せますが、少し待てば通り過ぎていくので、気にもならないです。むしろ、ソファに坐って足を休めるきっかけになるくらいです。

 

思うに、私は美術館や美術展に、俗世と切り離されて隔絶された空間と時間を期待しているのでしょう。だから渋谷のブンカムラは中途半端な気がするし、人混みだらけの美術館はもはや駅の通勤ラッシュみたいで俗世丸出し感に辟易するのだと思います。

 

モロー展は場所が鎌倉だったことも良かったんだと思います。人が集まる場所ではあるでしょうが、ガッチガチの都市のコンクリートジャングルではないですもんネ。

 

 

‥‥と書いた後で多少ブレますが、2つ目の良き思い出の美術展は、1980年代最後に池袋のセゾン美術館〜今はもうない〜でクリムト中心の「ウィーン世紀末展」です。4〜5回は見に行った思い出深い美術展です。

 

その頃は、18歳当時の高校卒業したての私が、大泉学園にアパートを借りてフリー原画マンの第一歩を踏み出した時期であり、池袋は実家とアパートの中間に位置しており、アクセスが容易でした。ゆえに、ちょっと気がむいたら、「もう1回見とこうかな」と気軽に何度もクリムトを見に行けたのです。う〜ん、お金ではなく状況が、今思えばとても贅沢ですネ。

 

セゾン美術館は池袋という繁華街に位置していましたが、当時の美術展は今ほど「連日人混み」なんてことはなく、空間こそ狭いものの、ゆっくりと静かに、絵画との対話を堪能できました。

 

人が多い少ない‥‥は、興行者にとっては多い方が良いのでしょうが、見る側にとっては少ないほうが良いですからネ。渋谷のブンカムラの美術展は、人が多すぎて嫌になってしまうのです。

 

セゾン美術館の「ウィーン世紀末展」は、クリムトの代表作をいくつも生で見れたし、シーレも見れたし、オットーヴァーグナーも見れたし、いわゆる「ユーゲントシュティール」の作品をゆったりのんびりまったりと鑑賞できましたが、思えば、あんなに大量に「ユーゲントシュティール」期の作品をまとめてみれたのは、それが最初で最期です。今のところ。

 

クリムトの素描や下絵も良かったですヨ。生の鉛筆の線をまじかにみると、描いている様子が、リバースエンジニアリング的に呼び戻されるのです。

 

 

 

とまあ、悪い美術展と良い美術展を思い出してみました。

 

ほんとはね‥‥、最近やった「ミュシャ展」も見に行きたかったんですけど、猛烈に混んでいるらしいことを聞いて、加えて仕事も修羅場だったこともあり、早々に諦めました。「スラブ叙事詩」は10代の頃から書籍で見てて、いわゆる「ミュシャ絵じゃないミュシャ」に惹かれていたので、「スラブ叙事詩」がくると聞いて色めき立ったのですが‥‥、受胎告知の件がトラウマでなあ‥‥。

 

もしどうしても見たくなったら、お金を工面して、現地まで行って見ることにします。日本国内の鳴り物入りの美術展なんて、どれもダメ(内容ではなく状況が)でしょうから、「美術展ではなく美術館に」赴いて見るしかない‥‥と覚悟しています。

 

それに日本国内の作家と美術館も良いですよ。プチ旅行、日帰り旅行がてら、国内の美術館を巡っても、有意義で豊かだと思います。

 

 


美術展と美術館は似て非なる

私は学生の頃、アニメの道に進むか、美術の道に進むか、音楽の道に進むか、ぐるぐると迷いながら生きておりました。自分の中で一番ウェイトの重いアニメの道を結局選んで今があるわけですが、美術や音楽からは現在も多大な影響を受け続けております。

 

私は、アニメでは荒木伸吾さんや杉野昭夫さん、金田伊巧さんや友永秀和さんと言った、まさに70年代のアニメ発達期に大活躍をなされた方々に多大な影響を受けると同時に、美術全集常連の画家たち、例えばアングルやクールベ、ダヴィンチ、クリムトなどの画家にも図書館の蔵書で慣れ親しんでいました。クリムトデルヴォーは当時のウブな中学生には刺激が強かったですがネ。

 

高校の頃にモロー展が鎌倉の美術館で開催されたのは、私にとってあまりにも大きな影響でした。以後、世紀末絵画のそれぞれ、シンボリズム、プレラファエル、ユーゲントシュティールといったムーブメントは、私の中で大きな位置を占めるようになりました。

 

ネットを検索したら出てきました。すごいなあ、ネットって。‥‥当時1985年の情報が出てきました。

 

http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/55593038666.htm

 

私が行ったのは、三重県のほうではなく、神奈川県の鎌倉のほうです。

 

そうか、神奈川県立近代美術館というのが、正式名称なのか。‥‥そんなことはすっかり忘れてました。ちなみに、上記ページに画像のある図録とチラシ、そしてチケット半券は、今でも大切に本棚に並んでおります。

 

各駅停車の切符で鎌倉へと赴き、降りる駅を1つ間違えたのか、鎌倉のトンネルを歩いて美術館を訪れたのは、その道中も含めて一式が「美術体験」であり、私の美術鑑賞の基準をフィックスした出来事でした。今でも、道すがらの木漏れ日や風の印象を思い出すことができます。

 

しかし、10代の自分のバイタリティは今考えるとアホのようです。部屋にイーゼルを立てて油彩を描き、ヴァンヘイレンなどのギターを四六時中弾きまくりバンドも組んで、安いメモ帳みたいのに原画モドキみたいなパラパラマンガを描き、作画スタジオにも出入りしていた‥‥という、どういう時間の組み方なんだよ‥‥と思います。今じゃ、絶対に無理す。

 

アニメーターになってからも美術展はたまに行っており、その昔、わたなべぢゅんいちさんとバイク(私はTLM50、わたなべさんはKSR80)で赴き、ダヴィンチの「荒野の聖ヒエロニムス」展を見たことが思い出されます。

 

文字だけですが、情報を見つけました。

 

http://ac.nact.jp/exhibitions1945-ac/detail1945-2005.php?number=952

 

1993年か。ちょっと昔のように思えますが、もう25年くらい前‥‥なんですネ。絵は、絵そのものがまるで生気を帯びているかのようで、凄まじい存在感がありました。何百年も人々の目に晒され続けた絵画の「魔力」というのは、こういうものか‥‥と圧倒された次第です。例えるならば、奈良の木造寺院内の内壁マテリアルの雰囲気に似た、視点を吸い込むような果てしない深みがありました。人もさほど多くなく、自由に色々な角度から見れたのも良かったのです。

 

 

そうなのよ。

 

今どきの美術展が、どうも好かんのは、自由に色んな角度から見れる「余裕」がないんですよネ。

 

イヤホンをつけた人は、絵も見ないで解説の文字パネルの前に群がって、絵そのものの鑑賞の障害になるし、まるでラーメン屋さんの行列のように、妙にペースにハメられるし‥‥で、美術展は(昔からそうだったけど現代は特に)興行、イベント、催し物になりすぎちゃってますよネ。絵画を純粋に堪能できるソリューションでは全く無いです。‥‥特に鳴り物入りで開催される美術展ほどネ。

 

解説を聴く必要なんて無い‥‥というのが、私の持論です。絵そのものだけから印象を受け取れば良いのです。

 

解説がないと絵を見れないのかなあ‥‥。逆に邪魔だと思うんですよ。絵オンリーに集中できないじゃん。

 

絵画の時代背景とか、今、必要? 絵画のあらましや時代背景などの文字情報なんて、後で図録で読めばいいじゃん。絵を文字で理解した気になるなんて、その絵を描いた画家がちょっと可哀想。

 

それよりも、今、目の前にある実物の絵画から受ける印象を、できるだけ阻害物を挟まずに、受け取ることに全能力を使ったほうが良いんじゃないの? だって、文字解説なんて、後からでも確認できるんですヨ。

 

実物の絵画は、今、この時間しか直接の目で触れ合えないのです。

 

 

絵画鑑賞は教養‥‥か。絵画を教養に結びつける下心なんて全く不要だと私は思いますけどネ。「この絵、好き‥‥!」でいいじゃん。それが一番嬉しいんじゃないのかな、絵画にとっても。 ‥‥で、興味が湧いてきたら、その時点で色々と時代背景とか画家の生涯とかのメタ情報を掘り下げれば良いのだと思います。

 

絵画を鑑賞するマナーは、ただ1つだけです。絵を見て堪能することです。

 

鑑賞順路の流れに合わせて歩かないと、他の人の迷惑になる‥‥とか、遊園地の順番待ちみたいなマナーは、そもそも美術を鑑賞するマナーにはないでしょ。あー、考えただけでもイライラするし悲しくなってしまうわ。

 

なので、最近はさっぱり美術展にはいかないようになってしまいました。人混みを見にいくなんて、まっぴらごめん‥‥です。

 

 

でも最近、美術「展」ではなく、美術「館」に行ったら、‥‥‥‥まだあった!! 美術を鑑賞する空間が、変わらずにそこに。

 

美術展にいくから悲しいことになるんですよネ。美術展は、そりゃあ、開催期間中の明確な収益を上げるために、来訪者の美術体験よりも、「このイベントでどれだけ稼げるか」という興行主のビジョンのほうが優先されがち‥‥ですもんネ。

 

美術館は、そこに展示されている絵画を、見に来る人だけが見に来る‥‥という、随分とスローなスタンスです。美術展のようにガツガツしてない美術館がまだあったんだ‥‥と、とても嬉しく思いました。

 

目的の絵画を、まさに次から次へと至近距離や離れたり自由に見れて、衝撃のるつぼ。「こうだったのか。こう描いていたのか。こんな仕組みだったのか。」といくらでも近くも遠くもいろんな方向から鑑賞できる、まさに「絵を見るため」の時間と空間でした。

 

美術「展」に辟易している人は、自分の欲する画家や流派の作品を所有する美術「館」の常設展にいくことをお勧めします。

 

美術展はダメだけど、美術館はまだまだイケます。

 

 

実は上野の近代国立美術館も、企画展よりも常設展のほうが、人がまばらで、美術と間近に向かい合えるんで、オススメなんですよ。結構、有名な作品も常設しているし、色んな流派の作品を楽しめますしネ。

 

 

見に行った美術館については、実は本業のアニメ制作技法にも深く関わる「商売」のことなので、ここでは書けませんが、絵画から得られるインスピレーションはハンパないです。もちろん、それそのまま技術を模倣できるわけではないですが、思考といいますか、構造といいますか、間接的に透過的にアニメに応用できるビジョンが豊富です。観念的影響‥‥と呼んでもいいかも知れません。

 

まあこれも私の持論ですが、アニメを作っているからといって、アニメをいっぱい見たところで、得られるインスピレーションは極小です。同業者が他の同業者のテクニックをカジュアルに模倣するだけに終始しがちです。「崩し顔」なんてその最たるものでしょう。近親交配の奇妙さは生じるかも知れませんが、それはいわば、締め切った部屋のよどんだ空気のようなもので、時には外気を取り込んで部屋の空気を入れ替える必要があると思っています。

 

アニメの映像表現において、より一層の広がりを得たいのなら、アニメ以外のものに旺盛に触れていくべき‥‥と私は考えます。アニメを作っているからアニメだけ‥‥というのは、一番マズいパターンだと思います。作り手側であるのなら、ネ。

 

 



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