ココロ

ヒトは強くなっていくものです。屈強な海兵隊員だって、赤ん坊の時から強いわけではありません。

ただ、強くなるように自らを鍛えないと、当然の事ながら、弱いままです。歳を喰ったからって、皆がタフになれるわけではありません。

私が思うに、身体は成長するにしたがって、それなりの強さを備えるようになりますが、ココロは年齢とともに強さが増すとは言い難い性質を持ちます。身体が成長し、どんなに技術を習得しようが、弱いままのココロが「しなくてよい失敗」を呼び寄せるのです。

‥‥なので、技術とともに「経験」も一緒に積んでいくわけですが、それでも「根本的なココロの弱さ」は残りがちです。

ココロの弱さは、実はそう簡単に強くできるものではありません。ヌボーっと生きているだけでは、一向にタフにはなりません。

例えば、バイクで細い直線ラインを走る場面を想像してみます。



シートに座ったまま足を着くには狭い、かと言って、そこそこの幅はある、1本の細道です。バイクを運転できる人なら、ほとんどの人がこの細道を走行できるはずです。

では、この場合はどうでしょうか。



多くの人が、両脇の落差に動揺して、走行がフラついて、転倒&転落する事でしょう。そればかりか、「こんな道、走るの無理」と走行自体はあきらめる人のほうが多いと思います。

この2つのバイク走行における、運転操作上の技術的な差は全くありません。1図も2図もごく普通に、進行方向を見て走れば良いだけです。

しかし、2図の場合、人の目は「余計な動き」が多くなります。走行中には見る必要もない自分の足下や、落ちたら痛いであろう段差の下などを、キョロキョロと視線が動き、走行がふらつく大原因となります。そして、小さなフラつきをカバーしようとして、さらに大きくフラついてバイクが傾き、脱輪、奈落の底へと大転倒‥‥というシナリオです。

ではなぜ、そんな「失敗を招く、視線の動き」が発生するのでしょうか。「もしかして自分は上手くできないのでは?」「落ちたら怖い」「転落したら痛い」‥‥そんな不安や恐怖が脳裏を駆け巡り、「不安と恐怖の対象」をせわしなく目がサーチするからです。興味深いのは、それが本人の表面の意思では制御できない「ココロの奥」からの作用だ‥‥という事です。

結局、本人のココロの弱さだけが、「難しくもない1本道の走行を、超難関レベルへと押し上げている」のです。

「そんな事言ったって、こんなシチュエーションじゃ、普通、緊張して出来ないじゃん?」‥‥と言うのは、ごもっとも。

‥‥でも、逆に言えば、「緊張しない、動揺しない」ココロへと鍛え上げれば、「出来ないと思っていた事が出来るようになる」‥‥とも言えるのです。

では、「緊張しない、動揺しない」ためには、何が必要かと言うと、実は「技術」なんですよネ。技術的な自信や裏付けがあってこそ、緊張や動揺を蹴散らす「度胸」も生まれるのです。上図のバイクに例えれば、「安定した走行を維持する」の為の技術‥‥でしょうか。

私はまさに、上図のバイク走行みたいな事を、20代の頃に実際にやって、「メンタルを強くする」一助としていました。さすがに上図は極端ですが、「ミスったら、痛い目にあう」ようなシチュエーションを自ら選択して、オフロードバイクで練習していましたが、思い起こせば、かなり有用な経験だったと思います。転倒の痛み・車両破損の恐怖と隣り合わせの感覚を感じながら、ブレずに「いつも通りの技術を発揮する」というココロの状態。「動揺するから失敗する、動揺しなければ成功する」という体験を何度も繰り返せたお陰で、実際の映像制作でも「度胸の付け方を応用」できました。

ココロは、「自分を取り巻く全て」において作用しますネ。状況に呑まれず、「粛々と成す事を成す」ためには、どうしても、ココロの強さ・タフさが必要になります。

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