再現性

再現性を問うのは、ほどほどに。

 

紙だから内容の経年変化に強く、多少のダメージがあろうが判読可能‥‥だとしても、再現性は別のジャンルの話です。

 

コンピュータのデータも、何から何まで保存しておけば、いつでも起動可能だとは限りません。むしろ、20年前のソフトウェアの独自ファイルが、現在のコンピュータで起動するほうが希少です。

 

 

 

今、目の前に、1980年代の原画と動画とタイムシート、さらには彩色したセルと背景が、1セットある‥‥とします。

 

その素材で、果たしてもう一度、映像にできるでしょうか?

 

できませんよネ。

 

どんなに素材を残していても、紙であっても、再現は不可能です。

 

まず、彩色されたセルで、トレスマシンのトレスが消えかかっているでしょう。

 

そして何よりも、フィルム撮影台が存在しません。

 

フィルム撮影台が奇跡的に稼働可能な状態で保存されていたとしても、撮影に必要な技術や使用した各種フィルタ類は失われています。

 

 

 

今、1997年のAfter Effects 3.1のプロジェクトファイルとフッテージが一式揃っていた‥‥とします。

 

現在のiMacとmacOSカタリナ、そしてAfter Effects CC2020で起動できるでしょうか?

 

できません。

 

まず32bitのプラグインがひっかかります。そして、CC2020では遥か23年前のバージョンとの互換性が既に失われています。そもそも、macOSがOSXではなくMacOS‥‥というか漢字Talkの時代ですから、OSレベルで互換性を失っています。

 

私は当時のマシン(PowerMac8600)をモスボール保管していますし、当時のAfter Effectsも所有していますから(アクティベーションサーバが存在しなかった時代)、昔の環境を再現して、もしかしたら奇跡的に起動できるかも知れませんが、確実ではなく、神頼みに近いです。

 

 

 

データが残っていれば、素材が残っていれば、再現できる‥‥なんて、どこで聞いた話?

 

直近の10年くらいの、かなり短期の事例でしか、再現なんて無理ですよネ。

 

 

 

「へえ、昔はこんな素材で作っていたのかあ」

 

‥‥と、博物館に並ぶ陳列物のように、断片的に閲覧できるだけです。

 

30年経っても可能なのは、記録の閲覧であって、再現ではないです。

 

 

 

だとするならば。

 

アーカイブすべきは、様々な記録であって、再現性ではないです。

 

紙なら特に‥‥です。何を残して何を廃棄するかは、制作会社次第です。

 

コンピュータのデータでも、何を残すのか精査する視点を、未来の判断に預けるために、一式をアーカイブすることはありましょうが、再現性はある期間を過ぎれば失われるでしょう。

 

 

 

まあ、データで言えば‥‥

 

ムービーファイルは危ういよねえ‥‥。

 

Sorenson Videoとか、もう開けないもん。macOSカタリナでは、QuickTime7が既に起動不可だし。

 

連番ファイルで、ファイルフォーマットが、TARGAやJPEG、SGI、PNG、TIFFやPSDなら、何十年単位で読めるでしょうネ。SGIなんて忘れ去られたフォーマットですが、ファイルのデータ仕様が閲覧可能な情報で存在するので、いざとなれば、自作のプログラムで解析して画像として開けますしね。

 

まあ、生のフィルムのムービーも、映写機がなければ上映できませんけどネ。当時ラッシュチェックした、16ミリのラッシュって、今、どうなってんかな?

 

 

 

2004年頃に作ったテレビアニメのオープニングのムービーデータは、1280x960でTIFF16bitの連番ファイルで残っているので、今でも簡単に開いて見ることができます。もちろん、当時はダウンコンしてテレビ放送に合わせましたヨ。

 

でも、ムービーデータの連番書き出しを全てやるのは非現実的だよねえ‥‥。

 

とはいえ、確実なのは、今でも連番なんだよね‥‥。

 

なので、ムービーファイルで保存している場合は、10年周期で定期的な変換をするか、当時のマシンをモスボール保管しましょう。まあ、どうせ、古くなったマシンは使わなくなるんだし、再生端末として10年に1台、マシンを残しておくのは良いですネ。それでも紙のダンボールの大群に比べれば、大した面積にはならんですし。

 

 

 

考えてみれば、人類の歴史が積み重なるほど、アーカイブの量も増えますよネ。

 

増える一方です。

 

しかも近現代は大量生産大量消費、大量の情報量の社会ですから、近年の情報管理の量は、桁違いに増大したことでしょう。

 

何か、社会全体が、「なんでも残す」こと、そして「再現性」の強迫観念に取り憑かれているように思います。

 

ジオシティーズの終了は記憶に新しいですが、終了するならキッパリ終了で構わないと思います。‥‥だって、何もかも抱えて生きていけないのは、人間も社会も大差ないと思いますしネ。

 

今まで生きた人類全ての情報をアーカイブすることなんてできないでしょうし、再現性なんてもっと難しいと思うのです。

 

500年前の紙が記録として残っていたとしても、500年前の文化が全て継承されているわけでもないですしネ。

 

このブログに書いている内容も、いつか消滅するでしょうしネ。私が死ねば、このブログは閉鎖されデータがデリートされます。

 

 

 

死んだら消える。それでいい。

 

何かが残れば、めっけもんです。

 

だからこそ、技術を獲得した人は、自分の「知」を遺伝子として、若い人間に技術を継承しようとする‥‥んでしょうネ。

 

 

 


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