知識はいずこにありや。

今後のアニメ制作は、既に絵コンテを書く時点から、コンポジットの最低限の知識は必要だと思います。

 

昔も、色んな方向にセルやBGをスライドする内容のカットは、「撮影できないでしょ?」と絵コンテ時点でNGでした。

 

フィルム撮影台で撮影できる内容で絵コンテを書く必要があるからこそ、制作進行として全工程に関わったり、作画作業の経験が必要だったりします。絵コンテを書く時点から、「撮影台で何ができて、何ができないか」の知識を求められました。

 

例えば、クロス引きの制限は、昔のフィルム時代の絵コンテマンなら、知っていて当然でした。ただ思いつくままに書けば良いわけではなかったのです。

 

今は、コンピュータのコンポジットソフトウェア、ありていに言えばAfter Effectsで、相当色んな事ができるようになったので、コンポジットのことを理解していなくても、結果オーライ的に「通用」するようになりました。‥‥あくまで「通用」です。

 

制約が曖昧に緩くなった影響で、「何ができて、何ができないか」の共通認識が危うくなって久しい現場が、そこかしこに存在するのでしょう。

 

 

 

どうやってコンポジットの知識不足を埋めるのか。

 

どうしましょうね?

 

私は有効な即効解決案が思いつきません。

 

なぜかというと、撮影台と違って、After Effectsをはじめとしたソフトウェアは、どんどん出来ることが増えて、機能が拡張しているからです。

 

「できる、できない」の制約・制限が変動するのです。

 

 

 

加えて、アニメ制作現場のAfter Effectsの使いかたは、従来のフィルム撮影台の流儀のままだと、After Effectsの機能の2割程度しか使っていませんので、残りの8割が潜在的な「変動幅」になっていることも、混乱に拍車をかけています。

 

できる、できない‥‥を語るには、「撮影」各社の格差が大き過ぎるのです。

 

フィルム撮影台時代にも「できるできない」の差は撮影会社各社で存在しましたが、現在はその振れ幅が格段に大きいので、「コンポジットの知識」を標準化するには、あまりにも状況が整っていません。

 

フォントの扱いひとつとっても、ライセンスを法務部署で管理している会社と、「撮影さんでよろしく」にしている会社で、極端に違います。

 

 

 

どうすれば良いものか。

 

キリスト教とイスラム教のそれぞれの教徒が、神を敬う作法について統一しようとしても、解決はしないですよね。

 

もはや、「同じ枠」と考えること自体をやめないと、「いつか統合できる」と勘違いしたまま時が過ぎてしまいます。

 

2020年代の今は、ゾーニングを考える時期に差し掛かっているのでしょう。既に何人かの人がおっしゃってますけど、「混ぜるな危険」ならば、「混ぜずに分離」するのはどうでしょう。

 

旧世代と新世代をキッパリ分離してしまう「住み分け案」を、まさにコロナショックを契機として、テレワークも焦点に含みつつ、実践を開始しても良い時期だと思います。

 

 

 

フィルム時代の技術を踏襲する旧世代〜レガシーサイドと、コンピュータやペンタブありきの新世代〜アドバンスサイド

 

  • レガシーサイドは、紙の運用も続ける一方で、新しい技術には手を出さず、昔の制限のまま更新せずにアニメを作る。
  • クロス引き不可の時代までは遡らずとも、せめて2010年代くらいの技術レベルまでに制限しておく。
  • 絵の内容も、2010年代を最終にして、今後の拡張はおこなわない。そうすることで、今までの方法論が通用する下地を作り、旧来要素のバリエーションで映像表現を展開する。
  • タイムシートの指示も旧来のまま通用する。新しい要素は意識して拒絶して取り入れず、旧来の作法を尊重する。
  • 場所を大きく占有する紙のアーカイブ費用も考慮する。

 

  • アドバンスサイドは、ペーパーレスが基本条件で紙は使用禁止。DPI(PPI)も不要で、ピクセルの寸法で把握する。
  • レイアウトの空間はXYZ軸がデフォルトで、描き送りの作画だけでなく、カットアウトや3DCGのノウハウも導入する。
  • 単価制度を持続するにしても金額はゼロから仕切り直す一方で、複数のジョブを兼任する「一式料金」を基本とする。
  • プロジェクトマネージメントのソリューションは必須で、テレワークを最初から念頭にいれた作業システムを基盤とする。
  • 新しい技術が出現した際は、用語や仕様などを規定するアソシエーションにおいて、逐次、作業仕様のバージョン更新に盛り込む。

 

レガシーサイドは、古き良きアニメを取り戻し、アドバンスサイドは、アニメを再定義し再発明する。

 

 

こうやって、書き出してみれば、あまりにも違うレガシーとアドバンスの内容です。

 

今まで、これらを一緒に統括できると、なんとなく思ってきたことが、不思議なくらいです。

 

 

 

ポリシーの異なる人々を1つの決め事でまとめようとするから、齟齬も相違も生じ、知識を共有することもままなりません。

 

2つ=旧と新の要素を統合するのは、結局は無理なんじゃないでしょうかね。少なくとも、10年はまとまらないんじゃないスかネ。

 

レガシーかアドバンスドか、明確にゾーニングすることで、共通認識の普及も技術仕様の制定も、当座の実現のめどがたちましょう。お金の意識も含めて。

 

 

 

都合の悪い時だけ「デジタル」に便乗して、都合の良い時には「アナログ」派を気取るから、状況がぐちゃぐちゃになるのでしょう。

 

その逆、都合の悪い時だけ「アナログ」に依存して、都合の良い時には「デジタル」派を気取るのも、ぐちゃぐちゃ度合いは同じです。

 

 

 

知識はいずこにありや。

 

本能寺にあり。

 

‥‥そして、燃え上がって消失。

 

つまり、「信長1代」では知識を共有できるような天下布武の世は作れない‥‥のかも知れませんネ。

 

さて、誰が光秀役を演じ、誰が秀吉で、誰が家康か‥‥。

 

2020年代も相変わらず戦国の世だのう。

 

 

 


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