2020年の認識

自動中割り&無人動画。フレーム補完。カットアウト。

 

この差を明確に理解できる知識は、2020年代のアニメ制作関係者の常識として必要です。

 

しかし、どれも曖昧に混同されがちです。

 

原画を描いたら、その後にコンピュータで処理して、あたかも人間が動画作業をしたかのような結果を得る‥‥のを、「無人動画」なり「自動中割り」と呼ぶようにする。

 

一方、完成した映像のフレームレートをアップするためのフレーム間の画像補完を「フレーム補完」と呼ぶ。

 

‥‥のように決めたほうが、誤解を抑えられて良いんじゃないかと、最近は思います。

 

 

原画だけの状態から、動画相当の絵をコンピュータで作り出して成功するには、ものすご〜く条件が限られます。

 

一方、完成した映像のフレームレートを増す処理は、それこそ2017年製の市販品4KHDRテレビでも結構上手くいってます。

 

「無人動画」と「フレーム補完」の2つを混同していては、アニメ映像制作のプロの肩書きが泣きます。

 

もう2020年ですから、そろそろ肌身で実感しても良いころです。

 

 

 

もうひとつ。

 

無人動画とカットアウトを混同しないようにしましょう。

 

カットアウトで絵を動かせるのは、カットアウト専門の描き方をしているからです。アニメ業界の原画の描き方でいくら描いても、カットアウトにはなりません。

 

カットアウトは、そもそも原画の次に動画‥‥というプロセスでは作業しません。動かす元の絵を描き、動かせるように組み、実際に動かす‥‥という段取りで、従来の原動画とは大きく異なる概念と構造で作業します。リギングやアニメーションなどの言葉が用いられることからも、仕組みが違うことが伺い知れます。

 

カットアウトは、原画を描いたら、動画作業部分をコンピュータが処理するわけではないです。そんな都合の良い魔法のような内容ではないです。

 

元の絵(原画と慣習的に呼ぶこともありますが)を描いた後に、ペイント作業をして、その後にアニメーション(動かす工程〜無理やりこじつければ動画とも呼べなくもないですが)の作業となります。現場風の言葉を使うなら、「原動仕」ではなく「原仕動」の順番です。

 

 

 

 

自動中割りは限定的には実用化され、実際に作品の中に成果が盛り込まれています。無人ではないですが、自動中割りで可能な作業は実用している現場もありましょう。

 

私が参加した2013年公開の劇場アニメで、少しだけ使ったことはあります。もう7年前ということになります。自動中割りでダメな部分(=絵が溶けている部分)は、リカバーして修正しました。

 

AIの言葉に踊らされている一部のアニメ業界人が望むものは、すなわち「原画さえ描けば、コンピュータが動画作業をおこなう、無人動画」でしょうが、そんな都合の良いプロセスは実用化にはほど遠いことは、ちょっと調べれば判ります。

 

既に人間が動画作業で動かした後に、さらにその間(動画と動画の間)にピクセルモーションで絵を詰め込んでいく処理は、進化を続けています。しかし、原画の意味を理解し、絵の各所別々でツメのタイミングを推し量って動きを描くことは、コンピュータには難しく、技術と達成レベルの難易度に雲泥の差があります。

 

例えば、「布に水がゆっくり染み込んでいくシミ」の動画は、自動中割り・無人動画でも可能でしょう。

 

しかし、「ぐーちょきぱーの手の動き」や、「どんぶりをひっくり返して中身をブチまける動き」が、果たして自動中割り・無人動画で可能なのか、理屈で考えてみればわかると思います。

 

何もないところに、何かが現れる‥‥ということを想像して描く動きは、コンピュータは苦手です。どの自動中割りのデモを見ても絵が溶けていることで判別できます。現場風に言えば、「割り先が明確な動きが得意」「デッサン割りが苦手」「創意工夫して創作する動きは困難」なのが、コンピュータの特徴です。

 

もし「そんなことはないはずだ」と思うのなら、自動中割り・無人動画を宣伝しているソフトウェア開発会社や研究チームに、手加減せずにいつも通りの描き方で描いた原画を持参して、目の前で実演処理してもらえば良いです。それで本当に「納品できるレベル」に仕上がるかどうかを確認してみてください。あらかじめ用意してあるデモで上手くいくだけでは「無人動画」とは呼べません。

 

 

 

一方、カットアウト的な技術については、自動中割りともフレーム補完とも明確に認識を分けたほうが良いです。

 

線や塗り領域をオブジェクトとして個別に管理し、キーフレームで動かす技法に対しては、自動中割りと呼ぶのを避けたほうが、誤解されずに済みます。

 

「自動中割り」と聞くと、今でもそれなりに多くの人が、「動画作業と同じことをコンピュータがおこなっている」=「今まで通りの原画を描けば、動画はコンピュータがやる」と思い込んでしまいます。なぜかって、「中割り」という言葉が、そのように現場の人間の思考を誘導してしまうからです。

 

2点間のキーフレームの「中間値」を「中割り」ということにしたら、映像制作作業は「自動中割りだらけ」になってしまいます。

 

そろそろ、「わかりやすさのためだけに、自動中割りという言葉を使うのはやめる時期」だと思います。今は、2020年ですもんネ。

 

 

上図の髪の毛の動きを見て、「コンピュータで自動で中割りできるようになったんですね」‥‥と言われると、返答に困ってしまいます。

 

おそらく、「自動で中割り」という言葉には、カットアウト的な意味は含まれていないであろうことが、単語のチョイスで判るからです。カットアウトを知っていれば、自動中割りという言葉は使いませんもん。カットアウトのモーションを自動中割りということにしてしまうと、アニメ撮影のセル引き(セルのスライド)のモーションも自動中割りということになってしまいます。

 

では、「自動で中割りしていないのなら、どうやって動かしてるのか」と聞かれると、どんどん認識の相違が泥沼にハマります。「人が描いた絵をコンピュータのソフトウェア上で動かして」と言っても、「だからそれが自動中割りなんじゃないの?」という風に解釈されます。

 

 

 

要は、

 

耳だけでなく、自分の手でやってみれば、解る

 

‥‥です。

 

日本のアニメ業界の「演出」「作画」担当の未だ多くは、耳で聞いただけで「デジタル」を知った気になっているだけで、実際にコンピュータやタブレットPCで仕事をしている人の割合は少ないです。ゆえに、いつ迄経っても理解は進まず、懇親会もどきのシンポジウムを開催しては、お互いの初歩レベルを確認し合って「まだ自分はそんなに遅れていない」と安心し合います。日本人の典型とも言える「イノベーションにほとほと弱い」性格が、アニメ業界にも見て取れます。

 

自分でやってみりゃ、解るんよ。人から聞いてばかりいるから、要領を得ないんだよ。

 

2020年代は、技術の変化だけでなく、人々の思考がどう変化していくのか(=いかないのか)を目の当たりにする10年間となるでしょう。技術が滞りなく進化して世の中が変わってしまうので、アニメ業界にとっては2010年代と同じ10年にはなりません。閉ざされた竜宮城に、外界の影響が及びます。

 

ツービート(たけしさん)の「赤信号、みんなで渡れば、怖くない」みたいに、

 

竜宮城、みんなで住めば、気にならない

 

‥‥と言ってられるのは、世界のごく僅かなフィールドたるアニメ業界の閉鎖空間だったからです。

 

「海の下にも都はございましょう」‥‥だなんて、壇ノ浦みたいです。

 

 

 

久々に、外界に出てみれば、自分たちのやっていたことは昔の夢だった‥‥なんてことのないように、全世界規模の映像技術進化に気を向けましょう。

 

Eaglesの味わい深い一曲「Desperado」は、Before it's too late‥‥と歌って閉じますが、考えてみれば、アニメ業界は産業界の「ならずもの」、ブラックブラック言われて、一方で、自分たちの技術に自信を持ちすぎて、外界へと視野を広げようとしなかった性格は、何だかまるで歌詞の内容みたいです。

 

ホントに、手遅れになる前に‥‥ですよネ。

 

 

 


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