雑な練習、丁寧な練習

昔から‥‥、それこそ小学生の頃から実感しているのですが、「上手くなる」には「上手くなるように練習」することが必要です。

 

そのあたりを理解している人と理解していない人は、如実に行動に表れるようです。

 

典型的な「上手くなれない人」の「言い草」は、「何時間描けば、上手くなる?」「何時間練習すれば、弾けるようになる?」というフレーズです。

 

すなわち、習い事を「消化試合」にしてしまう人です。

 

どんなに色々な教室やセミナーに参加しても、それを消化試合よろしく「やっつけ仕事」みたいにしたら、上手くなれるわけないじゃん。

 

丁寧な練習法に目覚めず、雑な練習に甘んじている頃は、「銀のエンゼルを何枚集めれば景品と交換できる」なんて話と、勘違いしがちです。

 

 

 

何度も同じ箇所をミスして、それを100回繰り返しても、全く上達はしません。むしろ「100回もやったから自分は上手くなってる」と誤った思い込みまでして、その後、ミスしている部分を顧みようともしなくなります。‥‥下手なままの人の典型ですネ。

 

上達のコツは、「なぜできるのか=なぜできないのか」を考えて、練習法に取り入れることです。自分ができない理由を自分で分析し、できない原因を取り除く方法を考えて練習すれば、めきめき上達するものです。

 

精神論、根性論ではないです。

 

方法論、構造論です。

 

 

 

「消化試合」をこなせば上達できると思い込んでいる人は、他人の方法論やTIPSを参考にする際すら、「消化試合」にしてしまいがちです。

 

上達のコツを文面では理解したつもりでいても、構造は理解していないため、TIPSを真似ても全く上手さが反映されません。上達する必要条件を、「上達法を見聞きする回数」でカウントしているからです。

 

どんな上手い人から説明されても、どんな高い授業料を払って習い事をしても、「回数をこなすだけ」では上手くなりません。

 

上達するには、まずは「消化試合の性根」を叩き直さないと、同じところで何度もミスを繰り返す「下手なままの自分が持続」するだけです。

 

 

 

何かに落選したり、抜擢されなかったり、隅っこに追いやられるのは、消化試合根性で物事に当たって、技術が一向に向上しないからです。もちろん、何を表現できるかも問われるでしょうが、そもそも当人がテクニカルエラーまみれでは、選考の基準にも達しません。

 

ミスしたまま1000回繰り返して「自分は頑張ってます!!!」とアピールしたって、周りからすればイタいだけなんヨ。

 

むしろ、ミスを1000回繰り返す状態を冷静にジャッジされて、「この人には頼めない」とすら認識されます。

 

 

 

ではどうすれば良いか。

 

まずは最初に、自分の能力を丁寧に分解してメンテすれば良いです。

 

何となく動作している自分の「能力ユニット」の数々を、全部バラシて分解掃除して、ダメな部品は交換し、時にはギア比の変更なども試して、自分のパーツの1つ1つを見つめ直すところから始めるのです。

 

「うえ〜‥‥なんだか大変そう‥‥」

 

‥‥と思うのなら、向いてないですよネ、そもそも。

 

才能云々問う以前に、「向いてない」状態。

 

絵は一本の筆致、音楽は1つの音を、紡いで全体を為すのですから、そもそも大変な作業なんですヨ。

 

 

 

ただなあ‥‥。

 

消化試合が身につき過ぎちゃっている人は、分解掃除すら消化試合になるからなあ‥‥。

 

「自分探し」すらやっつけ仕事。

 

自分自身を探求するのは、自分の描いた1枚の絵を、それこそ最小単位まですべて分解して「なぜこの部分を自分はこう描いたのか」を自己批判すれば、「ふらっとひとり旅」なんかしなくても自分探しはできるんですけどネ。

 

ひとり旅は、全く見知らぬ土地に自分を晒して、日常生活とのギャップから「自分を測り直す」のが良いのであって、気分転換したからって技術は上達しないままだし、自分とは何かを見つめ直すこともできません。自身を異郷から再測定して、そこから自分の方法論を見直すきっかけにはなりましょうが。

 

 

 

技量の向上、練習法は、銀のエンゼル・金のエンゼルを集めることでもなければ、ポイント10%還元でもなく、地道な「自分との対話」が出発点です。

 

どんなにいくつも教室に通おうが、どんなにコンテストに応募しようが、それが消化試合でやっつけ仕事なら、全くの時間の無駄。

 

もし習い事や他者のTIPSから得ようと思うのなら、小手先の段取りではなく、TIPSの中に潜んでいる構造の秘密を探り出すことです。

 

 

 

私は若い時分、それこそ小学・中学の頃に、「なぜ上手くなれないのか」を考えるようになって、練習法を変えた経験があります。

 

だってさ‥‥、不思議じゃないですか。「できる人」がいる一方で、「できない人」がいるんですから。

 

その「できない人」の中に、自分が含まれるのはイヤだったので、なぜできないのかを、考えるようになったのです。

 

多くの人は「できる人、できない人」の差を「才能」のひとことで片付けようとしますが、じゃあさ、才能って結局何よ? 何が才能をかたち作っているのよ? 大雑把でズボラな判別法などやめて、何が「できるできない」を別けているのか、考えてみました。

 

どうやら「雑な練習を繰り返しても、上手くならない」ことが判ってきて、なぜミスるのかを自己追求し、ミスる部分を重点的に分析して練習するようにしたのです。

 

そしたら、今まで描けなかった絵が描けるようになって、弾けないフレーズが弾けるようになりました。

 

 

 

1000枚描くなら、実りのある1000枚を。

 

100時間練習するなら、実りのある100時間を。

 

 

 

しかし‥‥。

 

残酷なことではあるのですが、根本的に作品を作ることに向いていない人は存在します。

 

「才能」のひと言で済むような、雑な仕分けの話ではないです。

 

丁寧な練習法がめんどくさくって、線1本に集中できなくて、手や指や髪の毛の描写を追求するなんて地道なことは回避したくて‥‥なんて言う人が、綺麗でかっこよくて人々を魅了する絵を描いて映像を作るなんて「できるわけないじゃん」です。

 

絵を描く、映像を表現豊かにコンポジットする‥‥なんていう作業は、地道で膨大で根気のいる作業内容なのです。当然、向き不向きはあります。

 

本人の行動パターンや価値観が、絵や映像作りに向いてないことは、往々にしてあります。

 

当人の絵をみれば、「口ほどに物を言う」です。

 

アニメの絵を描いた際、上手くない絵を見るとその多くが、「アニメだと絵が簡単だから、俺にも描ける」なんて心の底で思って描いているのがモロバレです。絵の中の様々なパーツに「簡単に描けるだろ」というみくびった意識が滲み出ているのです。

 

雑な絵‥‥というか、テキトーに端折って、「アニメの絵なんて、こんなもんでしょ」みたいな傲慢さが絵に表れている場合、描いた当人は、少なくともその時点では、アニメに限らず、絵や映像作りに全く向いてないのです。

 

1つの線、1つの色、1つのレイヤー、1フレーム、1秒‥‥、あまりにも地道な積み重ねのアニメーション制作を前に、自分の性質が適合しているか否かを冷静に判断してみましょう。

 

アニメの絵は、むしろ写実画より難しい側面も多いですからネ。だって、線として象徴的に表現しないと成立しないジャンルですもん。

 

そもそも絵を描く「地道で膨大な作業」に自分は向いているか。

地道で丁寧な技能向上の修練に、自分の性質は合うのか。

 

合わないと思ったら、他の「自分の活かし方」を考えたほうが良いです。

 

絵が上手くならないのは、「才能」なんていう言葉の問題ではなく、自分の性質〜行動や価値観が全く合っていない可能性も、併せて考えるべきでしょうネ。

 

 

 


関連する記事

calendar

S M T W T F S
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< April 2020 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM