自己批判と自虐自演

自己批判と自虐の差がわからず、自虐を自演してしまうのは、人生の経験が不足している頃にありがちです。かくいう私も20代のアニメーター時代に1カットごとに内容にこだわってしまい(単価を無視して)、悲惨なほどに稼げなくて、社会的なプライドが大きく欠如している時(つまり貧乏)に「自虐自演のクセ」が染み付いていた頃がありました。

*自虐自演なんて言葉はないですが、自作自演のモジりで勝手に作りました。

 

自分でも気がつかないのが自虐自演。卑屈なスタンスが身についてしまって、なんでも疑いを抱いて、マイナス思考で物事を捉えて、実際の行動にも表れます。

 

何かに対して疑いを抱くのは、自己批判も同じです。しかし、結果が大きく異なります。

 

自己批判は、自分のマズいところを見つめて、変えていこうとするポジティブな行動に結びつきますが、自虐自演は「自分がダメな理由を列記して、ダメな部分を許容する」ために用います。自虐自演はダメなままの自分を慰めるために用いる点が、自己批判と大きく異なります。

 

「自分はなんでも掘り下げて考える思慮深い人間」と思い込んでしまいがちですが、目指すところが全く異なります。自虐は結果的には、自分の現状を変えようとしません。

 

不幸なことに、自虐自演に慣れきってしまうと、それが当人のデフォルト・初期状態になってしまって、知らず知らずのうちに、他者に自虐自演を野放図にばら撒いてしまいます。

 

 

 

自虐なんて「余計」なんですよネ。付け加える必要なし。

 

自虐なんてしなくても、じゅうぶん、自分のダメな部分は他人になんとなしに伝わっています。

 

自虐自演してどうにかなるものではないです。

 

自分のダメな部分は解っている。だから、相手に指摘される前に、自分で「解ってます」とばかりにダメな部分を言っておきたい。

 

‥‥で? その後のフェイズは?

 

自虐自演の後で、どう展開するかまで予測もせずに、単に「ガラスのプライド」を場当たり的に守りたいがために自虐に走る。結果、自虐した時点で流れは止まって、終了します。

 

自虐自演は、接する相手の中立な感情を、わざわざネガティブに傾けてしまいます。自虐自演って、相手に「そんなことないですよ。大丈夫ですよ〜」と慰めて欲しくて口走るようなこともありますが、全くの逆効果なんですよネ。「なんで、この人はネガティブなんだろう」と、相手から引かれます。自分のことを思いやってくれる、気遣ってくれるのを期待して自虐自演すると、とんでもない誤算、真逆の結果になります。

 

自虐自演する者同士で、自虐ワールドを形成しても、一歩外に出れば、ネガティブな人間として認識されるだけです。

 

 

 

スマホなんてまだ影も形もない20年前、携帯電話は普及の中途で、携帯とネットがまだ切り分けられていた時代に、ネット上で何人かと「文通」みたいなことをしていた時期がありました。「ビービーエス」「イーメール」で、本名は明かさず、ニックネームだけで。

 

ジオシティーズ全盛の頃です。

 

その中のひとりで、「そんなに自分を悪く言う必要ないですよ」と指摘してくれた女性がいました。今考えると、とても優しい人ですよネ。放置すれば良いのに、指摘してくれるんだもん。

 

私は自分で自分を悪く言っているつもりはなかったので、驚きました。

 

普通だったら、全く接点のない、業種の異なる人でしたが、当時普及もまもない「Eメール」の魔法によって、なぜか色々とお互いに話すことができて、私の中で渦巻いていた挫折感や喪失感が解きほぐされていきました。自分で葛藤するだけではどうにも解決できず、客観視もままならなかったことが、他者の視点が介在することにより、「自虐の滑稽さ」を認識できるようになったのです。

 

アニメの作画の現場は、自分よりも上手い人、稼げる人もたくさんいて、自分の技量に満足できなくて、稼ぎも少なくて‥‥と、自分の「ダメな部分」を痛感することだらけです。いつしか、そのダメな部分の自己評価が自虐グセとして染み付いて、無意識にネガティブな言い回しや言葉を使いがちになっていたことを、その人は気づかせてくれました。

 

 

 

自虐なんて、自分の舌で傷を舐めているに過ぎません。いつまでも乾かずに、グチュグチュのままで、傷はいつまでたっても治りません。

 

自分なんていいところ無しだ。自分なんて大したことない。自分なんて、自分なんて、自分なんて‥‥‥。自分は嫌われる、自分は拒否される、自分はブロックされる。

 

なんて滑稽で間抜けなのでしょう。自分から、「そうであってはほしくない状況」にどんどん閉じこもっていくのですから。

 

 

 

他者と接するのなら、他者の視点や思考も考えましょう。自虐のバイアス抜きで。

 

最近ツイッターで見かけたのですが、例えば、「あなたは私のことをブロックしてませんか」なんて言われて、言われた側はどう思うのか、考えればすぐにわかることです。しかし、自虐グセがついているとそれが判断できないのでしょう。自虐自演は、不要なわだかまりをどんどん生成する「不穏製造機」みたいなものです。

 

自虐自演の愚かさに気づいて、バイアスを取り除いて、自己批判するのが良いです。批判した後は、良き方向を模索するのです。

 

苦悩を経て、大いなる歓喜へ至れ。です。‥‥苦悩を経て、さらに苦悩の中に閉じこもる‥‥ではなく。

 

 

 

自虐自演する人間は、実はかなりプライドが高いと思います。しかもそのプライドは根拠のハッキリしない足場が曖昧なプライド。

 

あるだけ邪魔で今後役に立たないプライドなんて捨ててしまって、新たなプライドを築いた方が良いと思います。

 

プライドを再構築する際には、プライドを支える根拠が必要になりますから、それこそ「裸一貫」から始めて、自分の技術をゼロから作り直すキモチで再スタートすれば良いのです。

 

例えば、アニメ風の絵を誰かのテンプレートに合わせて描けたって、根本的な絵のうまさは一向に発達しません。「手の描き方がうまくできない」「この角度の顔が苦手」「首の処理がわからない」とか、そんな上から目線の「多少は描ける自分にノウハウをプラス」なんていうスタンスはゴミ箱に捨てて、「そもそも形を正確に描写できるか」から再スタートすれば良いです。他人のTIPSをマネるのではなく、自分の根本を問い直さないと上手くはなれないものです。

 

一途に思い込んだって、成就するとは限りません。むしろ、自虐の最大の根本になることさえあります。成就どころか自分の存在すら危うくなるでしょう。例えば絵を描く際に、ひとつのキャラのスタイルに固執すると、排他的で視野が狭くなります。妄信的な信者みたいになります。他を愛せない人間になって、やがて肩身の狭さゆえに自虐行動が目立つようになります。

 

童顔の美少女キャラだけに忠誠を誓って描くのではなく、老人も中年も青年も幼児も、黄色も黒色も白色も、アジアもアフリカもイスラムも欧米も、デブもヤセも、ギャグもシリアスも、色んなキャラを描いてみれば良いです。

 

他人を愛せない自分が、他人からは愛されたい‥‥だなんて、都合良すぎるのです。妄想でいくら他者を「愛した気分」になっても、排他的な根っこがあるのなら、上手くいかなくて当然です。例えば、絵描きであれば、色んな絵を描いて、色んなものに愛着を持てば、色んなことをポジティブに受け止められるようになります。そして、そのポジティブ思考は表面ににじみ出てきます。

 

 

 

みうらじゅんさんがテレビでも言ってましたが、

 

知ってる? 人間って、いつか必ず、死ぬんだってよ

 

‥‥ということを考えれば、何に対しても優しい気持ちになれると思うんですけどね。‥‥でもまあ、それも、人それぞれか。

 

検索欄に「45歳」と入れれば、「45歳 リストラ」と補完されるような、昨今の社会。自虐ネタなんて、その辺にいくらでもゴロゴロ転がってますよネ。

 

心まで貧しくなったら、もうどうにも暗闇から脱出することはできなくなります。

 

自ら不幸を引き寄せる自虐自演なんてやめて、自分は何ができるのか、何ができないのか、何をすると良いのかを考えて、スッキリ行動すれば良いのだと思ってます。

 

 

 


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