ツイ

作画で手を抜いただの何だの、手を抜くな全力でやれだの何だの、ツイッターってやっぱり場合によっては歯止めの効かない感情的なメディアなのを実感しますネ。

 

 

手を抜いた、やる気なし、みたいなことを、わざわざツイッターで言う必要ある? そんなことで憂さ晴らししても、何ら改善も解決もできないヨ。むしろ、後でさらなる自己嫌悪に陥るだけ。

 

手を抜くな、全力でやれ、と、他者に強制するようなことをツイッターで言う必要ある? どのくらいの集中度と貢献度で仕事をするかは、当人と仕事の状況(お金や時間)のバランスで決まるんじゃないのかな。

 

なんでもかんでも、ネットのまな板の上の晒して、八つ裂きにする必要なんて、あるのかな?

 

 

私はやっぱり、「読むだけツイッター」に留めておきたい‥‥としみじみ思います。思いやりが垣間見える瞬間もありますが、あまりにも邪気がうようよ犇いていて、危うきが多すぎると私は感じます。

 

実はアカウント自体は取得してるのですが、一度も呟いたことがないのです。

 

世界中と繋がる‥‥みたいな売り文句も聞きますが、百人、千人、万人のフォロワーより、1人の親友のほうが、私にとっては得難い財産です。

 

「泣いた赤鬼」です。寂しさをどのように扱うか。私は村人たちとの一時的な賑やかさより、青鬼くんとの絆を大事にしたいです。

 

みんなでワイワイやるのは良いです。でも、それでは埋められないことはあるものです。

 

話したい時は、直接合って、酒でも飲みながら話せばい良い‥‥と、今でも私は思います。不特定多数の人と一文の会話をすることに、私は大きな夢や喜びを抱けません。

 

会話をする‥‥というのなら、「会話=会って話す」のごとく、リアルな存在から発する直の声を聞きたいです。

 

 

 

捨て鉢な気持ちになって、暴言をぶちまけようとすれば、いつでも可能なツイッター。

 

集団心理にいくらでも傾くツイッター。

 

ツイッターに限った話じゃないだろ? 人間なんて、群衆なんて、結局はそういうもんだろ? ‥‥と言われれば、そうなのかも知れませんが、ならばなおさら、ツイッターまで手を出すこともあるまい。‥‥と私は今のところ考えています。

 

ツイッターは、私的な通信欄、伝言板じゃないですもんネ。全世界に言葉をばらまく今世紀ならではのメディアですもんネ。

 

日常会話の延長線上でつぶやいて良いかどうかは、まさに当人の考え、当人の性質次第ですネ。

 

 

 

器用にツイッターを扱えるのなら、楽しめば良いです。私はその辺不器用なので楽しむどころか、生活の重荷になるような気がして、今でも使うに至っていません。

 

そのあたりは、残念な奴のままでイイです。無理にツイッターを使うこともないですもんネ。

 

ツイッターのテキストを追うよりも、美味しい日本酒を気心しれた仲間たちと飲む方が、飲みが終われば寂しいけど、頑張るキモチも湧いて出ます。「色々苦しいけど、みんな頑張ってんだもん」というポジティブな気持ちになれます。

 

どぶろく飲みたい。

 

 

 

 


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