根気と知性

ツイッターで「根性と知性の衝突〜中年と若手の対決」みたいな話をみかけたんだけど、私が常々思うに‥‥

 

根気と知性は両方必要

 

‥‥です。どっちかがどっちかに勝るわけではないからさあ‥‥。

 

根気(根性)と知性をあたかも同じカテゴリーとしてミステイクして、売り言葉に買い言葉の論調にもっていく時点で、根気と知性の両方が欠如しているとも思えます。

 

たとえば、表計算のエクセルを「作表」ソフトと誤認するのは、おっさんでも若いヤツでも等しく存在しますよネ。エクセルは表計算ソフトであって、作表は都合上でできるけど、本来の目的ではないです。小さい頃からコンピュータに触れているのにセル内の計算式も作れない若いヤツもいるし、長く生きているわりにセル内の計算式も作れないオッサンもいるしで、知性や知識の欠如に老若男女は関係ないように思います。相手を悪く貶す文言や方法に老若の境なし。

*エクセルで集計表の枠を作って、集計結果をiPhoneの電卓で計算して、数字をセルに書き込む‥‥みたいな話です。

 

楽器演奏や絵描きもそうですが、マニュアル本や解説本だけ読んでも弾けたり描けたりできるようにはなりません。解るのは、機能や名称や段取りの流れだけです。実際に演奏や絵が描けるようになるには、どうしても、根気が必要な基礎練習の積み重ねは必要です。美しい音や絵を作り出すには、表現を支える広範な知性が必要です。

 

根気と知性って、兄弟・姉妹、卵の黄身と卵白、コインの裏表みたいなもんだよ。知性を得るには根気がいるし、根気があるからこそ知性と呼べるレベルまで到達できるし。

 

ピアノを弾けない人が、バッハのインベンションの第1番ハ長調を弾けるようになるには、根気はまず必要です。鍵盤を弾いたことがなければ、両手各指が分離して動かないもんネ。頑張って弾けるようになれば、肌身で対位法の知性に触れることができます。

 

世代で分けて、どっちが知性があって、どっちが根性があって‥‥みたいなことを語るのは、どんなに若かろうが歳を重ねていようが、愚かとしか言いようがないです。「世代論」に持ち込む時点で、老いも若きもヘナチョコなんだと思います。

 

 

 

世代って、たしかに傾向や特性はありますが、当人の本質をラッピングしてるコンテナみたいなもんでしょ?

 

どんなに歳を食っていても、どんなに若くてフレッシュでも、飽きっぽい人、妙に固執する人、ポジティブな人、ネガティブな人、色々いますよネ。

 

私の直近の話で言えば、カットアウトを本気でやってくれるアニメーターに、老若男女国籍の隔てなしです。ただし、カットアウトの習得には「根気と知性」はどうしても必要です。自分の感性や知識を、ソフトウェアのプロパティやアトリビュートに翻訳する冷静さ(知性)と執念(根気)は必須だからです。

 

 

 

世代論も、根性vs知性論も、ほどほどにしておきたいですネ。

 

自分で抱えきれない物事を、周囲の何かに転嫁したいキモチもわからないでもないです。しかし、その「キモチの散らし方」では自分の内なる問題は解決しません。例えば絵描きならば、絵の上手さ下手さを世代のせいにしても解決できんです。

 

最終的に問われているのは、当人=自分ですよネ。

 

 


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